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続折々の記へ
続折々の記 ⑥
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】06/26~
【 02 】06/27~
【 03 】06/30~
【 04 】07/01~
【 05 】07/02~
【 06 】07/03~
【 07 】07/05~
【 08 】07/10~
【 09 】07/11~
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【 08 】7/10
雨が降ります 雨が降る 地球規模の温暖化
グレタさん演説全文「裏切るなら許さない」 再掲
グレタさん、ダボス会議で演説 「今すぐに行動を」
再掲
地球を蘇えらそうとすれば木を植えよ 宮崎林司
世界幸福度ランキング 2021
フィンランド人のように幸せを感じる6つのステップ
フィンランドを好きになる21の理由
2021/07/10
北原白秋の作詞に「雨」があり、地球の温暖化の影響の一つに雨降りの災害が多くなったことが問題になっている。 きのうまでの雨にも閉口しています。
今年の梅雨はことさら憂鬱になります。
雨が降ります 雨がふる
遊びに行きたし かさはなし
べにおのかっこも おがきれた
雨が降ります 雨がふる
いやでもお家で あそびましょう
千代紙折りましょう たたみましょう
雨が降ります 雨がふる
けんけんこきじが 今ないた
こきじもさむかろ さびしかろ
雨が降ります 雨がふる
お人形ねかせど まだやまぬ
お線香花火も みなたいた
雨が降ります 雨がふる
昼もふるふる 夜もふる
雨が降ります 雨がふる
二木紘三(URL)さんの解説は次の様になっています。
《蛇足》 詩は大正7年(1918)9月、『赤い鳥』に発表されました。曲の発表は大正8年(1919)8月。
弘田龍太郎のほか、成田為三も曲をつけています。成田為三の曲は長調で、テンポもかなり速くなっています。
1番の「かっこ」は下駄の幼児語。木履(きぐつ)は古代~中世に履かれていた木製の淺靴ですが、のちにポクリという発音で下駄の類も指すようになりました。
ポックリという場合は、前後を丸くし、前の底部を斜めにした女の子用の下駄を指すのが一般的です。(二木紘三)
投稿: yoko | 2019年3月13日
ある雨の日が思い出されます。
私は畳の上にゴロンと横になっていて開け放たれた障子から雨が降り続けている外を眺めていました。障子の外には縁があってその向こうにはブドウの棚がありました。
外の通りを歩く人もなく風も雨の音もなく雨は真っすぐに天から地に静かに降り注いでいました。葡萄の若葉に受け止められた雨がポタリポタリと滴っていました。雨どいを伝って流れ落ちる雨水がゴボゴボとかすかな音を立てていました。
私はその雨を眺めながらなんて静かで美しい不思議な日なんだろう、と感じていました。そしてもしかしたらこの日のことを将来もずっと忘れないでいるかも知れないと思ったのです。まさにその通りになりました。
中学生の頃だったと思います。
話しは変わりますが、幼稚園のころ近所にタカちゃんという女の子がいました。2~3才年上の子です。彼女が「遊びましょう」と誘ってくれたことがありました。彼女の家の縁でおはじきをしてあそびました。おはじきにあきて彼女はお手玉をして遊び始めました。私はその日のことが嬉しくてその後もずっと、彼女がまた遊びに誘ってくれるのを期待して待っていたのですが、その後彼女からの誘いはありませんでした。
大人になってから母に、「昔近所にタカちゃんていう女の子がいたよね」と問うたことがあります。「大阪に行った子だよね、死んだと聞いたが・・・」と母は答えました。
彼女のお父さんには私に竹馬を作っていただいとことがあります。彼女の家族が皆いなくなって、家は永く空き家のままでしたが今では更地になっています。彼女の顔も思い出せません。
タカちゃん、死んでしまったのか・・・
会いたいなぁ・・・と思います。
投稿: 吟二 | 2009年5月10日
私はこの歌が子供の頃から大好きでした。子供心でもセンチメンタルな情緒に包まれ、泣きたくなるような気分になりました。その頃は詩歌も北原白秋、石川啄木、若山牧水、吉井勇、室生犀星、宮沢賢治、などなどみんなセンチメンタルなものばかり。やはり時代が貧しかったからだと思います。だから、我々の年代のほとんどの人は、今でも明るい詩よりもセンチな感じの方が好きなのではないでしょうか。演歌を好きなのもつながると思います。
だから、今の若者が「暗い」と言って演歌を嫌うのは、よき時代の証とも言えますね。ある意味では我々の頑張りもあって喜ぶべきことだと思います。
でも、それと上記の皆さんがおっしゃる「暗いことは捨てて明るいばかり、難しいことは避けてやさしい表現ばかり」の現代の風潮をよしとしないことは言うまでもありません。
それと関連しますが、昔は大人の本にも振り仮名が付いていたので、子供たちも難しい本を平気で読みました。子供だって馬鹿にできない。色々な本を読んでいくうちにどんどん理解の幅が広がっていきました。だから、漢字も教わらなくたって自然に覚えてしまいましたね。現在もそうしてもらいたいと心から思います。
雨降りによるいろいろの災害がますます激しくなっている。 地球上各地で。 このことを象徴するスウェーデンの少女の活動が世界を駆け巡っている。 それをまずは見ておきます。
2019/09/24
国連の温暖化対策サミット。地球温暖化対策を訴えて若者の運動が世界に広がるきっかけとなり、学校を休んで活動を続けているスウェーデンの16歳の活動家、グレタ・トゥーンベリさんが各国の代表を前に演説しました。演説の全文です。
私が伝えたいことは、私たちはあなた方を見ているということです。そもそも、すべてが間違っているのです。私はここにいるべきではありません。私は海の反対側で、学校に通っているべきなのです。
あなた方は、私たち若者に希望を見いだそうと集まっています。よく、そんなことが言えますね。あなた方は、その空虚なことばで私の子ども時代の夢を奪いました。
それでも、私は、とても幸運な1人です。人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。
なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね。
30年以上にわたり、科学が示す事実は極めて明確でした。なのに、あなた方は、事実から目を背け続け、必要な政策や解決策が見えてすらいないのに、この場所に来て「十分にやってきた」と言えるのでしょうか。
あなた方は、私たちの声を聞いている、緊急性は理解している、と言います。しかし、どんなに悲しく、怒りを感じるとしても、私はそれを信じたくありません。もし、この状況を本当に理解しているのに、行動を起こしていないのならば、あなた方は邪悪そのものです。
グレタさんの映像があるのですがでません。 URLを開いてみ
てほしい。
だから私は、信じることを拒むのです。今後10年間で(温室効果ガスの)排出量を半分にしようという、一般的な考え方があります。しかし、それによって世界の気温上昇を1.5度以内に抑えられる可能性は50%しかありません。
人間のコントロールを超えた、決して後戻りのできない連鎖反応が始まるリスクがあります。50%という数字は、あなた方にとっては受け入れられるものなのかもしれません。
しかし、この数字は、(気候変動が急激に進む転換点を意味する)「ティッピング・ポイント」や、変化が変化を呼ぶ相乗効果、有毒な大気汚染に隠されたさらなる温暖化、そして公平性や「気候正義」という側面が含まれていません。この数字は、私たちの世代が、何千億トンもの二酸化炭素を今は存在すらしない技術で吸収することをあてにしているのです。
私たちにとって、50%のリスクというのは決して受け入れられません。その結果と生きていかなくてはいけないのは私たちなのです。
IPCCが出した最もよい試算では、気温の上昇を1.5度以内に抑えられる可能性は67%とされています。
しかし、それを実現しようとした場合、2018年の1月1日にさかのぼって数えて、あと420ギガトンの二酸化炭素しか放出できないという計算になります。
今日、この数字は、すでにあと350ギガトン未満となっています。これまでと同じように取り組んでいれば問題は解決できるとか、何らかの技術が解決してくれるとか、よくそんなふりをすることができますね。今の放出のレベルのままでは、あと8年半たたないうちに許容できる二酸化炭素の放出量を超えてしまいます。
今日、これらの数値に沿った解決策や計画は全くありません。なぜなら、これらの数値はあなたたちにとってあまりにも受け入れがたく、そのことをありのままに伝えられるほど大人になっていないのです。
あなた方は私たちを裏切っています。しかし、若者たちはあなた方の裏切りに気付き始めています。未来の世代の目は、あなた方に向けられています。
もしあなた方が私たちを裏切ることを選ぶなら、私は言います。「あなたたちを絶対に許さない」と。
私たちは、この場で、この瞬間から、線を引きます。ここから逃れることは許しません。世界は目を覚ましており、変化はやってきています。あなた方が好むと好まざるとにかかわらず。ありがとうございました。
壮絶な考え方を堂々と述べております。 彼女の発言には偽りはないと思います。 本気になって取り組まなくてはなりません。 小学生でも理解できる方法で話してほしい。 合理的でなければ意味はありません。
では次に私が記録したデータをもう一度取り上げます。
CNN > World
2020.01.22 Wed posted at 17:00 JST
https://www.cnn.co.jp/world/35148341.html
スイス・ダボス(CNN) 環境危機を訴えるスウェーデンの活動家グレタ・トゥーンベリさん(17才)が21日、世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)で演説し、地球温暖化対策が何も進んでいないとして各国首脳らを叱責(しっせき)した。
演説では、国連の気象変動に関する政府間パネル(IPCC)が2018年に出した報告書を改めて引用した。それによると、世界が産業革命前からの気温上昇を1.5度以内に抑えるには、二酸化炭素(CO2)をあと420ギガトンしか排出できない。現状のままでは約8年半でその上限に達すると予想される。
グレタさんは、世界のメディアや指導者らが報告書の内容を全く伝えていないと主張。「この問題を報道したくない、語りたくないのは分かる。でも私は皆さんがそうするまで、同じ数字を何度でも繰り返す」と宣言した。
グレタさんは昨年のダボス会議にも招かれ、温暖化の危機を訴えて注目を集めた。世界中で名を知られるようになったが、それだけでは足りないと強調。「化石燃料への補助金や投資をすぐにやめて。2050年でも30年でも、21年でもなく、今すぐに」と訴えた。
数時間後に演説したトランプ米大統領は、50年までに1兆本の木を植える運動に米国も参加すると表明した。
グレタさんはこれを受けてさらに、「木を植えるのは良いこと」だが、決して十分な対策ではないと指摘。「私たちの家は今も燃えている。皆さんの怠慢が1時間ごとに油を注いでいる」と警告した。
トランプ米大統領は、50年までに1兆本の木を植える運動に米国も参加すると表明したが、調べていても一向に見つからない。 これも政治家のおざなり発言だったのか。
グレタさんの名前は出てきていないけれど、温暖化対策の一つとしての植樹についての記事がある。
それは宮崎林司という人で検索で次のように説明していた。(越しかたのURL)
私は18年間、住友林業に勤務し、 四国の山林部、海外開発部門、インドネシア、マレーシアの伐採現場、 パプアニューギニア、ソロモン、南米のチリ、ラオス、ニュージーランドなどの国々の 天然林開発輸入を中心とした業務に携わってきました。 その中で年々劣化する天然の森林を目の当たりにし、 自分の行っていることに疑問とジレンマを感じていたのです。 そんな時に、両親が亡くなり、 私は人間には死が必ず訪れることを改めて認識します。
そして、同時に自分が今までしてきた事に対して、死を迎える時に良かったと思えるのだろうかと自問自答したのです。
その結果、私の答えは違うという結論に至りました。 環境を壊していく人生より、小さくてもいいから森を作ったというような人生を送りたいと心から思ったのです。 少なくとも、環境を壊す側ではありたくない。
もちろん、会社への提案も試みました。 しかし、その考えが簡単に受け入れられることはありませんでした。 ロングスパンで成果がでる保証がない物に対し、会社が決断できるはずはないですから。 大きな社会の仕組みの中では当然のことだったのです。
このまま勤めていれば、続けていくしかない。しかし、それでは私の理想は実現できない。まずその席から抜ける事が第一であろうと、私は18年所属した会社を後にしたのです。
このように考えている方です。
2016/3/25(金) コラム[環境]
宮崎 林司
(URL)
現在の経済優先の日本社会では産業の大切さについて、GDP(国民総生産)の大きさという「モノサシ」だけで判断される。このモノサシだけでみると平成26年度の農林水産省の統計によれば、国民総生産が486兆9388億円に対して、林業のGDPはわずか1800億円で0.037%である。この規模の市場を調べると「釣り具市場」が1800億円になっている。
この経済優先のモノサシの評価がすべての社会では、「林業や植林」については遠い存在になる。しかし、この評価は経済のモノサシで測れることしか含まれていない「外部経済」といわれる経済的な価値が評価されていない部分が含まれていないのである。
森林の機能には、①表面浸蝕を防止する機能、②生命維持に不可欠な水質浄化や水資源貯留機能、③表層崩壊防止、④洪水緩和、⑤保健レクリエーション、⑥二酸化炭素吸収など定量評価ができる部分だけでも70兆円を超えるとされている。(林野庁)
これらは一般経済の外にあるので、私たちは自分の財布が痛むわけではなく、あまり意識せずに過ごし、森林を過小評価した社会で生きていられたのである。
地球温暖化対策としての森林のこと
昨年の「パリ協定」で地球温暖化対策とした主なポイントは以下のとおりになっている。
①産業革命前からの気温上昇を2度未満にし、1.5度以内になるよう努力する
②21世紀後半に人為的な排出量と森林など吸収量を均衡させる
③すべての国に削減目標作成と5年ごとの見直しを義務付け、5年ごとに検証する
④被害を軽減するために世界全体の目標設定
⑤途上国への資金拠出を先進国に義務付け
このなかで注目したのが「森林」の位置づけである。②の人為的な排出量と森林などの吸収量を均衡させるという点と開発途上国への資金の拠出である。遅ればせながら森林の大切さについて認識が深まったようである。
「植林」や森の保護の大切さはほとんどの日本人には理解できる。これは日本の長い歴史のなかで育った人間としての潜在的な意識によるところが大きいのである。しかし、自らの生活の中で現在意識として「植林」の意義を深く考えて身に着けている人が少ないので、地球規模の植林行動にはつながりにくいのである。
しかし、人が一人ひとり呼吸をするだけで排出する二酸化炭素を吸収させるためには1年に23本の植林が必要である点にもっと深い理解がほしいものである。
自然が、誰かが、鳥や動物たちが種子を運んで新しい植物生命を育んでくれていることで森を中心とする自然が維持され、私たち人間も生かされていることを認識する必要がある。
世界幸福度一位のデンマークのこと
2016年度版「世界幸福度ランキング」が国連から発表された。この幸福度は2012年に開始された調査である。2013年、2014年総合1位で昨年は3位に下がっていたデンマークが再び1位になった。総合的な幸福度には、経済的な状況と「幸福度の平等さ」や「社会的支援」などが反映されている。
ランキング上位の国々には、スイス、アイスランド、ノルウェー、フィンランドが続いている。日本はタイ(33位)、台湾(34位)よりも下位の53位である。
特に「幸福度の平等」が高い国は概して幸福度も高くなる傾向にある。わが国の在り方を見つめるいい機会である。
デンマークは北欧と呼ばれる5カ国のうちの一つで、国土面積は日本の九州とほぼ同じである。人口は551万人、立憲君主制でマルグレーテ女王が君主である。
デンマークといえば「みにくいあひるの子」「人魚姫」「マッチ売りの少女」などの童話で有名なアンデルセンが想い起こされる。
いまでは世界で一番幸福な国としてランクしているが、1864年ドイツ・オーストリアとの戦争に負けて、その賠償の為に作物の良くできるシュレスウイヒとホルスタインの2州を失った。残された土地は荒廃したユトランド半島で、いかにして国の勢いを取り戻すかが国家の一番の目標だったのである。
このような状況の中、希望を抱いて立ち上がった36歳の軍人「エリンコ・ミリウス・ダルガス」(1828~94年)だった。ユトランドの荒野を豊かな緑にするという目標を立ててモミの木の植林に取り組んだのである。
この話は内村鑑三(1861~1930年)の「未来への遺物・デンマルク国の話」<で紹介されている。キリスト教徒であった内村鑑三は日曜教会でもたびたびこの話に触れ「信仰と樹木をもって国を救いし話」として伝えている。
植林で荒野を豊かな田園に
戦争で負けたとき残されたユトランド半島は土壌も痩せて、ヒースなどに覆われた作物の育たない荒野だった。この土地も800年前には平野にはよく繁った森があった。しかし、その後の人々が伐採するばかりで手入れを怠ったためについには荒野になってしまったのである。「大地を甦らせるためには植林をしなければならない」と考え、「何かこの荒野に適する木はないだろうか」と思考を巡らせたダルガス親子が1850年代から取り組んだのはノルウェー産のモミの植林だった。
しかし、はじめは順調に育った植林木が途中で育たないなど試行錯誤を繰り返し、ノルウェー産のモミの木の間にアルプス産モミの木を植え、ある程度大きくなった時にアルプスのモミを伐る方法を編み出す。アルプス産のモミの木を途中で切ることで、ノルウェー産のモミの木が大きく育ち始めた。そのような発見と努力によりユトランド半島は豊かな大地に生まれ変わった。
この植林により木材だけでなく、ユトランドの厳しかった気候が緩和され、土地が安定して、小麦や砂糖、大根など北欧産の農作物でできないものはないところまで変貌を遂げたのである。大モミの植林により肥沃な田園地帯に生まれ変わり、安定した良い気候の国が生まれたのである。
現在、国土の約66%にあたる283万ヘクタールが農地になっている。穀物を作り、家畜を飼育し、人口の3倍に当たる1500万人分の肉類・酪農製品を生産している。その結果、今日10万人の農業人口が輸出する農産品の額は、年間9000億円にもなり、世界最大規模の農産品の輸出国になっている。
個人の能力と適正を育て、かつ行動を起こすことのできるデンマークの教育方針も、このような歴史の背景と国の宗教であるキリスト教の慈愛精神から来ている。“共生”と“協同社会”の精神は、地球市民の多くが学ぶべき点である。
日本の「みどりの日」制定に大きな影響を与えた内村鑑三の言葉に、「国を興さんとすれば木を植えよ」「植林は王者の業(わざ)なり」がある。
現代では地球環境の危機、人類文明の危機にあって「地球を蘇えらせるためには木を植えよ」が地球市民の合言葉になることを願っている。
世界の二酸化炭素排出量(2018年)
順位 | 国 名 | 排出量 | 割合%) |
1 | 中国 | 9,528 | 28.4 |
2 | アメリカ | 4,921 | 14.7 |
3 | インド | 2,308 | 6.9 |
4 | ロシア | 1,587 | 4.7 |
5 | 日本 | 1,081 | 3.2 |
6 | ドイツ | 696 | 2.1 |
7 | 韓国 | 606 | 1.8 |
8 | カナダ | 565 | 1.7 |
9 | インドネシア | 543 | 1.6 |
10 | メキシコ | 448 | 1.3 |
11 | ブラジル | 406 | 1.2 |
12 | オーストラリア | 383 | 1.1 |
13 | イギリス | 352 | 1.1 |
14 | イタリア | 317 | 0.9 |
15 | フランス | 298 | 0.9 |
- | その他 | 9,474 | 28.3 |
各国の排出量の合計(世界の排出量) 33,513
出典)EDMC/エネルギー・経済統計要覧2021年版
*排出量の単位は[百万トン-エネルギー起源の二酸化炭素(CO2)]
四捨五入のため、合計が100%にならない場合があります
世界幸福度ランキング 2021
日本56位 03/21/2021Media
3月20日は、国連が定めた国際幸福デー(The International Day of Happiness)で、ハピネスデーや幸福の日としても知られます。 2021年の世界幸福度ランキングが発表され、フィンランドが4年連続でトップを獲得しています。 2012年に始まり今年で9回目となった報告書では、新型コロナウイルスのパンデミックが注目されましたが、ランキングには影響が少なかったことが示されました。 日本は56位(昨年は過去最低の62位)でした。
トップ10では、1位フィンランド、 2位デンマーク、3位スイス、4位アイスランド、5位オランダ、6位ノルウェー、7位スウェーデン、8位ルクセンブルク、9位ニュージーランド、10位オーストリアとなりました。9位のニュージーランド以外は欧州が占めています。
世界幸福度ランキングは、左(棒グラフ)から一人当たりの国内総生産(GDP:暗緑色)、社会的支援(Social Support:緑色)、健康寿命(healthy life expectancy:黄緑色)、社会的自由(freedom to make life choices:薄橙色)、寛容さ(Generosity:濃橙色)、汚職の無さ・頻度(Perceptions of corruption:赤色)、ディストピア(人生評価/主観満足度)+残余値(Dystopia (2.43) + Residual:紫色)を分析して積算。過去3年の平均値で順位を決めています。
主要国(2020年順位)では、米国は19位(18位)、ドイツ13位(17位)、英国17位(13位)、フランス21位(23位)、イタリア28位(30位)となっています。お隣の韓国は62位(61位)、台湾24位(25位)、ロシア76位(73位)、中国は84位(94位)でした。香港は77位(2013年は64位)、最下位はアフガニスタン(149位)でした。
日本は昨年の62位(過去最低)から56位に順位を上げています。ただし先進国では最低順位です。評価項目では、「GDP」と「健康寿命」を除き、「汚職の無さ」「社会的支援」が低く、特に低評価なのが「社会的自由」と、「寛容さ(他者への寛大さ)」です。さらに日本人は「人生評価/主観満足度」が非常に低い評価になっています。
4年連続で1位のフィンランドは、新型コロナウイルス感染者数で見ても欧州最少レベルです。報告書をまとめた担当班は「フィンランドは、他者との相互の信頼関係に関する複数の指標でも非常に高い値で、これがパンデミックのさなかにも命と生活を守る一助になった」との見方を示しています。
フィンランド人のように幸せを感じる6つのステップ
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オーロラ、サウナ、サンタクロースが大好きだという人にとっては、フィンランドが世界で一番幸福な場所に選ばれたという話はそれほど驚くことではないでしょう。
自由、平等、福利、健康、寛容さなどの要素を基準にした世界156カ国の幸福度ランキングで、今年フィンランドが1位になりました。フィンランド人のように幸せになる6つのステップをご紹介します。
STEP 1. サウナで汗をかく
サウナほどフィンランドらしいものはありません。サウナは、他のどんなものとも比べものにならないくらい、フィンランド文化の大切な要素です。フィンランド人にとって、サウナは定期的に入らなければならないもので、長い間サウナに入らないでいると、なにか大切なものが欠けているかのように感じます。いうまでもなく、サウナに入ると幸せを感じます。
STEP 2. 森を歩く
森には不思議な力があります。フィンランド人の魂は、いつも森とのつながりを持っているのです。緑は人々の心を鎮め、木々の葉や松葉はサラサラと揺れるて音楽を奏でます。フィンランド人は、森の中で心地よさを感じます。孤独でもなく、迷うわけでもなく、森は安心感とやすらぎをもたらしてくれる場所です。
STEP 3. 氷に開けた穴に入って泳ぐ
信じられないかもしれませんが、氷に穴を開けて水の中に入ってみるのは本当に気持ちがよいものです。アイススイミングの醍醐味はシンプルで、水からあがったときに全身を突き抜ける感覚です。水中から出るとすぐに血液の循環がよくなり、体がぽかぽかし始め、健康と幸せを感じます。
STEP 4. ベリーを摘む
年齢を問わず、ほとんどのフィンランド人がベリーを摘みに行きます。森を歩きながら物思いにふけり、ベリーを摘んでかごに入れるのは、フィンランド流の魂のセラピーです。家に戻ったらおいしいベリーパイを作って牛乳と一緒に食べます。シンプルなことで幸せを感じます。
STEP 5. マジカルな夜の光
フィンランドの重要な要素は、24時間沈まない夏の太陽、暗い冬の日々と光り輝くオーロラなどに代表されるコントラストです。フィンランドの夏はすばらしい季節です。北極圏まで行けば、5月から8月まで太陽が沈まない、つまり夏の1日が3ヶ月も続きます。9月から3月まで、オーロラはほぼ2日に一度姿を現します。それほど頻繁に素晴らしい光のショーが楽しめる場所で幸せを感じない人がいるでしょうか?
STEP 6. スペースを感じる
忙しい現代生活を送る私たちにとって、空間や静けさ、そして時間はかけがいのないものです。たくさんの湖があって人口の少ない国、夢があって大切なものが見つかる場所、フィンランドには、ゆっくり深呼吸のできる空間があります。
フィンランドを好きになる21の理由
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フィンランドとフィンランド人を好きになる理由はたくさんあります。すべてをリストアップすることはできないので、興味深くて楽しい事実をいくつか並べてみることにしました。お楽しみください!
オーロラ鑑賞に一番の場所
フィンランドのラップランドでは、世界で一番素敵なオーロラを見ることができます。
オーロラは、1年のうち、200夜現れると言われています。ということは、冬の間、ほぼ毎日とも言えるでしょう。
ヨーロッパのどこよりもたくさんの森と水
フィンランドは「何千もの湖のある国だ」、と聞いたことがあるかもしれません。それに加え、フィンランドは、何千もの森のある国なのです。フィンランドの70%以上が、美しい森に囲まれています。それは、ヨーロッパの他のどの国よりもたくさんの森、そしてイギリス、またはイタリアよりも大きなエリアなのです。
ところで、フィンランドの188,000の湖は広大で、世界中のすべての国の陸塊との関連で一番水の多い国なのです。そして、その水は世界でいちばんきれいな水です。
自然の中を自由に散策する権利:自然享受権
フィンランドの「自然享受権」 (フィンランド語で、Jokamiehen Oikeus)とは、誰でも自然の中の好きな場所を自由に歩けるという権利です。
森では、ヨーロッパで最後に残ったありのままの自然の香りや音、そして味を楽しみながら、きのこやベリーを摘んだり、なんともいえない新鮮な空気を吸うことができるのです。
世界で一番クリエイティブなフード・シーン
誰でも好きな場所でレストランを開けるレストランディは、フィンランドから始まったということを知っていますか?
ヘルシンキが、ヨーロッパで一番活気ある食の街だなんて、想像していましたか?
世界でたった一人のサンタクロース
本物のサンタクロースに会えるのはフィンランドだけです。
コルヴァトゥントゥリ出身ですが、赤い服を着た男は、今、ラップランドのロヴァニエミに住んでいて、世界中から彼に会いにやってくる人々を迎えてくれます。
スキーに最高の場所
フィンランドのスキーシーズンは、10月後半から5月まで、6か月以上も続くのです。
暗い冬の間、スロープには照明が灯され、春になると夜遅くまで太陽が照らします。
クロスカントリースキーが好みなら、ラップランドには何百キロも続くコースがあります。
例えば、ユッラスの330km のコースは、ヨーロッパのどこよりも長いコースです。
最高にきれいな空気
ヘルシンキの水道の水が、世界の大都市の中で、一番きれいで、ラップランドのキルピスヤルヴィの空気がヨーロッパで一番きれいだって知っていましたか?
サウナ– 1人当たりのサウナの数は世界で一番
これこそ、フィンランドが世界のどの国よりも違いを見せる分野です。フィンランドは、明らかに世界のサウナ王です。国内に300万以上のサウナ、つまり2人に1つ以上のサウナがあることになるのです。
さらに、ここに湖畔の小さなコテージとキャビンが加わって、やすらぎと静寂は保証されたも同然です。
世界で一番安全な場所
フィンランドは、世界でも稀に、失くしたお財布や携帯電話が持ち主に戻ってくる国の一つです*。一人で街の公園を歩いても、公共の交通機関を使っても、時間を問わず安全だと感じるでしょう。
*リーダーズダイジェスト誌が世界で行った実験によれば、ヘルシンキで実験的に置き忘れたお財布12個のうち、11個が戻って来ました。
コーヒー好きが一番多い国
おそらく、冬の寒さと何か関係があるのでしょう。フィンランド人は、本当にコーヒーが大好き。世界中のどの国よりも、フィンランド人一人当たりのコーヒー消費量が多いのです。
というわけで、当然のことながら、国中に素晴らしいコーヒーショップとカフェがあります
世界で唯一のミッドナイトサン映画祭
フィンランドの最北の地方で、太陽が2か月以上も地平線の上に留まる頃は、フェスティバルの季節です。中でも、もっとも特徴的なのは、ラップランドのソダンキュラで行われるミッドナイトサン映画祭でしょう。
世界中の何万人もの映画ファンがやってくる沈まない太陽の下での映画祭は、2015年に30回目を迎えます。
アングリーバード
アングリーバードが、フィンランドで生まれたってことを知っていましたか?クラッシュ・オブ・クランを始め、その他たくさんのモバイルゲームの傑作もフィンランド生まれなのです。
実際、国民一人当たりにすると、フィンランドは、世界のどの国よりも人気のゲームを生み出しているのです。
ムーミンの故郷
サンタクロースだけにとどまらず、ミステリアスでかわいらしいムーミン一家もフィンランド生まれです。
才能あるフィンランド人の作家・イラストレーター、トーベ・ヤンソンが創り出したムーミン一家の存在には、自然の中で隠喩的に、そしてナーンタリのムーミンワールドやタンペレのムーミン博物館で実際に触れることができます。
大胆なデザイン
フィンランドは、真のデザイン大国です。世界で一番模倣されたり、賞賛されているデザインや建築のいくつかはフィンランドデザインなのです。ジェームス・ボンドのお気に入りの椅子、エーロ・アールニオ(Eero Aarnio)のボール・チェアや、ジャッキー・Oが着たマリメッコのウニッコ柄など、フィンランドは何十年にもわたり、流行を作ってきたのです。
最高のヘビメタバンド
アポカリプティカ、HIM、ナイトウィッシュ、アモルフィス・・・は、世界中のメタルファンの胸をドキドキさせるバンドの一例にすぎません。
フィンランドのヘビメタバンドは、他にライバルがいないくらいすごいんです。
何ともクレイジーなイベント
奥様運びやエアギター、携帯電話投げの世界選手権なんて聞いたことありますか? フィンランド人は、競争やイベントとなると、ちょっと変わった発想をするのです。
イベントに意味があるかは問題ではありません。大切なのは、本気になって楽しむこと!
母親になる、あるいは子供になるのに一番の場所
フィンランドの新生児の多くが段ボール箱の中で眠るってご存知でしょうか? 1938年に、フィンランド政府は、出産を控えた母親たちに、洋服、シーツ、おむつ、おもちゃ、マットレスなどを詰めた素敵で丈夫な段ボール箱を送ることにしたのです。 その丈夫な箱は、小さな赤ちゃんの素敵なベッドになります。
出産した母親たちは、ほとんど、1年分の給料をそのまま受け取り、すばらしい手当を受けながら、1年間、家で子育てに専念することができます。 ベビーカーに子供を乗せている親は、ほとんどの街で、無料で公共の交通機関をを利用することができます。
子供が大きくなっても、その幸運は続きます。 OECDの学習到達度調査(PISA)において、フィンランドは数年にわたり1位となり、フィンランドが世界最高の教育を受けられる国の一つだということが証明されました。
というわけで、フィンランドの学校は(無料です)、子供たちにとって素晴らしい場所で、子供たちは幸せなのです。
世界で一番島の多い群島
フィンランドの沿岸には、世界で一番島の多い群島があります。正確な数を把握するのは難しいのですが、少なくとも70,000の島がありまり、そのうち20,000は、小さな小屋やサマーハウスを建てるのに十分な大きさがあります。
中には、ホテルに改装された美しい古い灯台のある島もあります。
世界で一番希少なアザラシ
かわいいでしょ?サイマーアザラシは、淡水に生息する世界でも珍しいアザラシです。絶滅の危機にあるアザラシの数は310頭、フィンランドで最大の湖、サイマー湖に生息します。
独特の言語*
信じられない? Äkäslompolo って発音できますか?フィンランド語で一番長い言葉は、 “epäjärjestelmällistyttämättömyydelläänsäkäänköhän” – だいぶ難しい早口言葉のようですが、フィンランド人には、そうでもありません。
*フィンランド語の名詞はすべて、200通りもの活用があるのです。
世界で一番幸せな国
オーロラ、サウナ、サンタクロースが大好きだという人にとっては、フィンランドが世界で一番幸福な場所に選ばれたという話はそれほど驚くことではないでしょう。自由、平等、福利、健康、寛容さなどの要素を基準にした世界156カ国の幸福度ランキングで、今年フィンランドが1位になりました。
そしてもちろん –世界で一番謙虚な人たち
フィンランド人は、なんでも究極を極めるのが好き。氷の張った水の中で泳いだり(写真をみてください!)、世界で一番激しレースを争ったり(例えば、F1のキミ・ライッコネン)、例は2つだけにしておきますが。
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オーロラを探し求めて
多くの人にとってオーロラに遭遇してワクワクするのは一生に一度の体験です。でも空が燃えるような色に輝くこの現象に夢中になって、何度でも見たいと思う人も中にはいるのです。
パワフルでユニークな自然現象、天空に舞うオーロラは、地上での生活を変えてしまうこともあります。フィンランドはオーロラを見るのに絶好の場所の一つ。それを理由に移り住んでくる人もいるのです。オーロラ・ハンターになる、ヒントを見てみましょう。
オーロラ追っかけの基本
北へ行け。ラップランド北部では9月から翌年3月までの間、空の澄んだ夜には必ずオーロラが輝きます。ラップランド南部でオーロラが見ることができるのは年に10~20晩ほどです。
星を見よ。空が澄んでたくさんの星が見える夜は、オーロラを見る可能性も高くなります。
外で待て。日が暮れてから夜明けまでの間、オーロラは突然現れたり消えたりします。明るいオーロラは、北極圏の雪景色を照らして、スキーヤーたちに帰り道を教えてくれます。
暖かい服装で。オーロラが出やすい空気の澄んだ冬の夜は、冷え込みも厳しくなります。オーロラ鑑賞用の心地よいイグルーに泊まるのもひとつのアイディアです。
闇が友達。明かりのある場所や建物から離れましょう。丘の上や湖畔が絶好のポイントです。
オーロラ・アラートに登録しよう。フィンランド気象協会の情報ウェブサイト「オーロラ・ナウ!」(Auroras Now!) に登録すると、フィンランドの空でオーロラが見えそうな磁気状態になったとき、無料Eメールで知らせてくれます。
乾杯!手が届きそうなところにあるように見えますが、オーロラは高度100 kmを超えるところにあります。オーロラは、太陽に由来する帯電した粒子が原因で生まれたものです。いろいろな気体が太陽風によって撹拌されると、様々な色で構成されるオーロラが現れるのです。
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伝説のラップランドの金鉱地
神話と伝説、そして夢のあふれる場所、フィンランドのラップランド。その多くは、ラップランドのレンメンヨキ川とイヴァロヨキ川、そしてその近くの金鉱地で見つかった世界で一番純粋な金と、それをいまだに探し求める人々にまつわるものです。
毎年、金塊熱にかかった探検家や旅行者が、近郊からも遠方からもやってきます。北ラップランドの文化的歴史は、およそ150年にわたる、ヒーローと悪党の人間ドラマとともに、上がったり下がったりする金塊熱によって形成されてきたのです。フィンランド南部で生まれた、カイ・J・ランタネンは、若いころ、ノルウェイをヒッチハイクしているときに金の魅力に引きつけられました。そして、レンメンヨキ川に足を止め、それ以降、その場所を離れたことはありません。
「探検のスリルと、リッチになるという夢、実はとても大変な作業ですが、実際に金塊を見つけたときの高揚感ときたら。もちろん、ここには、夏だろうと冬だろうと、広大な山があり、動物や鳥もいて、平穏な雰囲気があります。」と、彼は話しています。
長い年月をかけて、岩や水の中から何千キロという金が掘り出されました。金を探す人々は、もともと秘密主義なので、正確な量はわかりませんが。ラッキーな気分を味わい人は、誰でも金を探しあてることができる、タンカヴァーラ・ゴールドビレッジに行ってみましょう。
イヴァロヨキ川
全長180kmでイナリ湖に注ぐイヴァロヨキは、ラップランドで一番有名な川です。ゴールドラッシュは、1870年代にここから始まりました。一番大きな金塊は、その近くで見つかったのです。川岸には、「金の村」、クルタラがあり、1870年にはロシアのツァーリの支配下で、金探鉱を統治する役人の本部がありました。現在は、野外博物館になっていて、ハンマストゥントゥリの大自然に続くいくつかのトレイルがあります。その中の1つが、7.6 kmにわたる「ゴールド・トレイル」。このトレイルは、昔の金鉱地を通るもので、金塊堀の歴史への理解が深まる場所だと言われています
レンメンヨキ川
イナリにあり、たくさんの支流のある、レンメンヨキ川は、ヨーロッパで最大の荒野、レンメンヨキ国立公園を通り抜け、70kmにわたり、蛇行しています。そこには、いまだに金を掘る人たちがいて、彼らの生き方は、ほぼ古き時代のままです。しかし、現代の彼らの交通手段は、夏は四輪車やボート、冬はスノーモービルです。
人が住んでいる一番近い場所は、イナリにあるサーミの村、ニュルガラハティで、金鉱地から約30km離れています。ツーリストは、夏の間、そこから金の掬い取りに連れて行ってもらえます。ヤーッコ・イソラがそこに埋めたと言われている金のお宝を見つけることができるかもしれません!
タンカヴァーラの金鉱採掘の村
人気の観光名所、ウルホ・ケッコネン国立公園とサーリセルカに近い、タンカヴァーラでは、毎年、夏になると、砂金採り世界選手権が開催されます。現在、タンカヴァーラは、 ヨーロッパで唯一の本物の金鉱採掘の村です。金の探査のやり方を、夏の間は野外で、冬には屋内で、学ぶことができます。見つけた金と宝石は持って帰っていいのです。
クロンダイクのような雰囲気の中で、タンカヴァーラの金を夢で見たアスラク・ペルトヴオマが見つけたような金を、見つけることができるかもしれません。タンカヴァーラに車で行くなら、ソダンキュラにあるラップランドで最も南にあるサーミの村、ヴオッソの近くで4号線へ。金の道は、金の沈着物を含んでいるということも明らかになっています。
タンカヴァーラ国際金博物館
金博物館は、19世紀から抜け出してきた写真集のような金鉱の街、タンカヴァーラにあります。タンカヴァーラには、レストランや、1年中泊まれる宿泊施設、さらに西部開拓時代の酒場もあります。現在と過去の、フィンランドと世界の金探査の歴史を鮮明に見ることができるのは、おそらくこの金博物館のみでしょう。金博物館は、現在、イヴァロヨキ川をユネスコの世界遺産のリストに加ることを目標にしています。
金塊
一番大きな金塊は、1930年にイヴァロヨキ川がで見つかった、重さは390.9gのもの。2008年に113g の金塊を見つけた人は、手に持った金塊が、パワーと富の感覚を放っているのを感じたそうです。ラップランドの金の世界市場での価格は、その95%の純度のおかげで、平均よりも常に少し高いのです。運があって、我慢強くて、頼りになるガイドがいれば、初心者でも、少なくとも砂金、または小さな金塊ですら、見つけることが可能なのです。大きなものでは、若いビジターがタンカヴァーラで見つけた39g。この金塊でモペットを買うことができたそうです。
ラップランドの金のジュエリー
ラップランドの金は、たとえばロヴァニエミやソダンキュラの北欧の都市のタイガコルの金細工職人や、タンカヴァーラで情熱的な金を採掘する金細工職人でもある、ドイツの地質学者、Kasper Wuthenauなどが使っています。金の採掘者の妻たちは、岩や水の中から取り出した、赤黒い鉄礬柘榴石や柘榴石、緑の緑簾石や鋼玉などを、金細工職人のところに持って行って、カットしてもらいます。ラップランドを訪れる人々も、小川やレンメンヨキ川の支流でそれらの石を見つけています。
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ラップランドで5日間のハイキング
ラップランドは、ヨーロッパで最後の荒野と言われるています。その不毛で美しい自然の景観には、人を惹きつけてやまない魅力があり、北極線の北側での季節の移り変わりはどこよりも強烈ではっきりしています。
冬と夏のコントラストが非常に大きいラップランド。それゆえフィンランド人ですら、ラップランドに旅をするのが、自分たちの国の本当の姿を見る手段だと思っているのです。多くの人がこの地に心奪われ、何度も戻ってきます。まさしく私も、そんな魅力に取り付かれた一人です。
私たち男5人のグループは、フィンランドでもっとも美しく変化に富んだ場所、ラップランドのウルホ・ケッコネン(Urho Kekkonen)国立公園をハイキングし、忘れることのできない5日間を過ごしました。フィンランドで2番目に大きいこの国立公園は、2,550 km2に及び、壮大な山や広大な湿原など、変化に富んだ景観を見せます。広大な公園内には、ハイキング初心者でも簡単に進むことのできる標識付のコースがたくさんあると同時に、距離が長くてもっと難しい荒野もあります。
私たちは、スオムヨキ(Suomujoki)湖畔のアイッタヤルヴィ(Aittajärvi)からスタートしました。フィンランド南部では、9月はまだ温かい夏の時期ですが、ここラップランド地方では、もう秋が始まっていました。
山の頂上では、横なぐりの雨が顔を打ち付けてきました。そんな状態でもサルヴィヨキ川(Sarvijoki)の絶景を見る価値はあったのです。
ウルホ・ケッコネン国立公園(Urho Kekkonen)のハイキングは、安全です。予約のできる宿泊用の山小屋や、自由に使える山小屋とサウナが、たくさんあります。このエリアには料理に使える水や木材もたくさんあるのです。
夜にたっぷりと睡眠をとり、翌日にはすっかりリフレッシュして目覚めました。
夜はまだかなり明るかったのでロウソクも必要ありませんでした。
私たちは、パラティーシクル(Paratiisikuru)に向かって進みました。道は細く、あたりには低木の茂みや小さな樺の木があり、ガンコウラン、クマコケモモ、食用のコケモモなども生えていました。
パラティーシクルから、さらに続けてウクセルマパー(Ukselmapää)山まで、一度に5メートルずつ登り、そこで休憩して呼吸を整えました。
ウクセルマパー(Ukselmapää)山の頂上では、視界がわずか20~50 mしかありませんでした。
ハイキングの長い1日が終わった後、パルッキマオヤ(Pälkkimäoja)川の下流で、キャンプを張りました
朝食を取りながら、その日のルートを計画しました。ウルホ・ケッコネン国立公園では、日帰りハイクもできますが、数日間にわたるハイキングも楽しめます。歩く距離は、体力に合わせて決めましょう。
湖の向こうに頂上がそびえる、ヨウクハイスパー(Joukhaispää)の方位を測りました。
その日のハイキングコースに選んだマーンティエクル(Maantiekuru)は、主に冬季に使われていた古代の道です。
トレイルの最初と最後は、美しい自然を楽しめる歩きやすい砂地です。
サウッキ(Saukki)が薪を切って火をつけ、そこでコーヒーを淹れました。
山を流れる水はすべて飲めるので、ラップランドで水に困ることはありません。
静かに歩いて行くと、大自然の中で、トナカイやカケス以外にも、野生の動物を見つけることができるかもしれません。。私たちもライチョウやオオライチョウ、そして、ものすごい数のレミングに出会いました。
旅の最後の数キロは、松脂の香りがする松林を抜けました。みんなが寡黙になったのは、われわれの思いがすでに現実に戻っていった証拠なのです。
アイッタヤルヴィ湖(Aittajärvi)の絶景を背に、タクシーを待ちました。空港や地元の町や村、旅の終わりに泊まるホテルが複数あるサーリセルカ(Saariselkä)のリゾート地には、国立公園から簡単にアクセスできます。
このほか、まだ載っていますが省略します。