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続折々の記 ⑦
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【 08 】08/25
最年少14歳「銀」つかんだ脚力 どうしてこのような少女に成長したのか?
『40億年、いのちの旅』
2021/08/25
まだ畑の土は柔らかい。 白菜の苗を植え付ける時期になっているし、キャベツの苗の植えつけも遅れている。
きょうのニュース 東京パラリンピック
温暖化の影響は計り知れない。 コロナのニュースは猛威を振るっているし、雨降りの不順はいつまで続くのか。 政局は波まかせに動いている。
だが、夕方のテレビを見ていて、14歳の両腕のない両足の不自由な山田美幸さんが、パラリンピック女子100mの背泳ぎに出場し2位の成果をえた。 見た人はただ、皆胸がつまり感動の極致に襲われたと思う。 その努力と根性は、どうして出てきたのか私は不思議でならない。 美幸さんを育てたお母さんはどんな方だったのだろうか。
これは今回の最高の感動です。 忘れることはできません。 いい思い出を残してくれました。 励ましになります。
新聞で目をひく記事は次の通り。記事
① 東京パラリンピック開幕 4400人出場、コロナ下で無観客(1面)
② (時時刻刻)パラ2度目、東京の挑戦 国際委会長「コロナ禍こそ、声届ける」(2面)
③ 響き合う、同じ空の下 東京パラリンピック開幕(22面)
④ 13歳、飛び立つ飛行機を表現 東京パラリンピック開幕(23面)
⑤ (TOKYO2020+1)コロナ下、願い胸に 無観客の国立 車いす・白杖、支え合い(39面)
⑥ 工藤会トップに死刑判決 市民襲撃、指揮を認定 福岡地裁(1面)
⑦ 市民襲った暴力団、首脳に極刑 工藤会トップに地裁判決(38面)
⑧ (天声人語)いい加減に起きなさい!(1面)
⑨ (天声人語)台風のような太陽 2021年8月24日(1面)
⑩ 原発処理水、1キロ沖で放出へ 福島第一(3面)
⑪ (漂流菅政権 コロナの時代:8)情報目詰まり、深まる混迷 酒停止策に反発、次々撤回(4面)
⑫その他の国際面掲載記事
美容院は真っ黒に、カブールは今 タリバン「塗りつぶせ」
中国の存在感、インド懸念 アフガン情勢、記者が読み解く
旧ソ連6カ国、対処方針作成へ アフガン情勢めぐり
(9・11から20年)あの独裁者への崇敬、
イラクに再び 像引き倒し、歓喜の後
NY州、初の女性知事 クオモ氏の後任、副知事が昇格
習氏の思想、学校指導指針 個人への権力集中拍車か 中国
CIA長官、タリバンと面会
インド太平洋「最優先事項」 米、23年APECの開催国に
(地球24時)ドゥテルテ氏、副大統領選出馬
世界の新型コロナ感染者
2021/08/26
最年少14歳、「銀」つかんだ脚力
どうしてこのような少女に成長したのか?
今日の新聞の一番のニュースとして、昨日感動して『折々の記」へ記事として載せました。 どうしてこのような少女に成長したのか?
この「どうしてなのか?」を進めていくことが、私たちが取り組むべき課題なのです。 この子の一家、母も父も年寄りも兄弟姉妹、みんなでこの子の幸せに心遣いをしてきたと思います。
いのちの大切さを一番大事にしたいからこそ、あらゆることを通してみんなで判断や行いを生活の中に取り込まなくてはと思います。 その意味では大事な記事です。
① 最年少14歳、「銀」つかんだ脚力(1面)
①~⑫の記事は、①をクリックしたURLに載っているのでそのつもりでご覧ください
② (天声人語)増えよ花咲ガニ(1面)
③ (時時刻刻)医療崩壊、宣言ドミノ 33都府県、病床過半埋まる 態勢脆弱、危機迫る地方(2面)
④ 五輪「矛盾したメッセージ」 バッハ氏にも疑問 尾身氏(4面)
⑤ (漂流菅政権 コロナの時代:9)4度目宣言、届かない言葉 「危機感通じぬ」専門家不満(4面)
⑥ 物流網、続く混乱 中国の拠点、感染/運賃なお高騰 マツダ工場停止、延長(8面)
⑦ 風評賠償、乏しい具体性 地元、根強い不安 東電処理水放出(9面)
⑧ (社説)工藤会判決 市民への刃 許さぬ決意(12面)
⑨ (論壇時評)人権とは 赦し、つなぎ、変える原動力 東京大学大学院教授・林香里(13面)
⑩ (あすを探る 情報社会)国境越えた調査報道の価値 塚越健司(13面)
⑪ (Why I I'm here)できることに「ふた」をした、大きな過ちだった 東京パラリンピック(21面)
⑫ 仏と激闘、白星発進 車いすラグビー 東京パラリンピック(21面)
【下平評】
いろいろのニュースを取り上げています。 これらの記事はニュースとしての記事であり、この記事によって何を考えたらいいかとか記者が読者に何を求めているのかなどは、表記されてはいません。
したがって、表記のまま鵜呑みにするかどう反応するかは、読者の判断に任されているわけです。
このことは会話の中身も他人からの内容については鵜呑みにせずただ聞き流すなりそれについて自分が動くとすれば、話の方向性とか話の質とか聞き捨てないと思うものは、自分の考えり中に取り込まなくてはならないのです。
こうした意味あいでニュースを見ていかないと、消化不良のままと同じでありニュースを読まないのと同じことなのです。
温暖下という条件で、コロナの蔓延中というとき、政局が不安定の社会のもと、将来何が私たちに必要なことなのかに感覚を働かせていなくてはならないのです。
誰にとってもいのちは有限のものなのです。
以上。
『「日本」とは何か&「日本人」とは何か』田中英道監修
reaissance 萩原敬大編集長
『日本古代史』東北大学名誉教授 田中英道著
『40億年、いのちの旅』伊藤明夫著
伊藤明夫著『40億年、いのちの旅』の はじめ に
“過去に学び、現在を知り、未来に活かす――歴史を学ぶことの最大の目的です” 大類伸の本で学んだ言葉以来、初めて見る本に書いてある言葉でした。 歴史の効用を表した言葉なのです。
この本の序章は次のように始まっています。
序章 「いのち」はつながっている
あなたのいのちのはじまりは?
私たちは今、生きています。 「いのち」があるとも、「いのち」をもっているともいいます。
では、あなたの「いのち」はいつ始まったのでしょう。
あなたが誕生したときですか? 誕生のとき、この世に「生を受けた」といいます。また、あなたがひとりの人間として社会的に認められて戸籍ができるのも誕生のときですが、このときに「いのち」あるものとしての存在が始まったと考える人は少ないと思います。
生まれる前、母親のお腹の中にいるとき、つまり胎児であったとき、母親から酸素や栄養物をもらっていましたが、それらを使って胎児は母親とは独自に日に日に成長しています。 最近では、超音波で見られる胎児の像は、頭はもちろん、手足もかなりはっきりと分かります。 また、妊娠五か月くらいになれば、母親のお腹を足でけったりしてあばれます。 胎動です。 胎児のときからすでに、立派に人として身体をもち、母親とは別の人間として生きていることは明らかです。
民法でも、一般には人としての権利は生まれたときから始まるとしていますが、例外として誕生前の胎児にも損害賠償権や相続権が認められることがあり、法的にも胎児がひとりの人として扱われうることが定められています。
では、胎児になったとき、あるいは胎児の元である卵子と精子とが受精したとき、「いのち」が始まったときと言ってよいのでしょうか? たしかに、一人の個体としての「生命体」は、受精したときに始まったといえるでしょう。
しかし、「いのち」をもっていない、生きていない卵子と精子が一緒になったとき、つまり受精したとき、突然どこからか「いのち」がやってきて生きていないものが生きたものに変わったのかというと、そうではありません。 卵子も精子も立派に生きた細胞であり、両親によって次の世代のためにつくられた「いのち」をもった細胞です。
すでに19世紀中頃、フランスの科学者パスツール(1822~95年)が言っているように、「いのち」は「いのち」から生まれるのであり、あなたも両親がいたからうまれたのであって、あなたの「いのち」は両親から受けついだものです。
さらに、両親はそれぞれの両親、あなたの双方の祖父母から、そして祖父母たちはそれぞれの両親からと、ずっと昔の人たちから「いのち」が受け渡されてきました。
下平記
この三冊は田中英道著の監修一冊と著書一冊、と伊藤明夫著書一冊です。 田中さんの考えでは、いろいろの考えによって書かれた考え方を自分の考えで再確認してそれを展開するという大筋が分かりました。
私が関心を寄せたのは、仏教でいう宿業はどうみても合理的なことではなく、自分では信ずることができなかった。この宿業という言葉は、自分ではどうしても変えられないような人としての大きな気質の方向性は、人によって大変違っていると考えるし、その基本的気質の方向性は「いのち」を授かってから自分の判断で物事を処理できるまでの期間に自分で築き上げたものだと考えるようになったことが原因です。
若いとき読んで関心をもちその考え方を大事にした安田徳太郎の日本人の南方起源説がありました。 ところが歴史の基本もわからずに書いたものだと歴史学界からは悪評で見られていたことがあります。 この悪評はとんでもない狭量の思考から発したものでした。 歴史学界に自信をもっていた人たちは、新しい発想に対して簡単には受け入れなかったのです。
このことがあって、田中さんの本の考える方向性は従来のものとは違っているのです。 私は田中さんの考え方に拍手を送ります。 真実を求めると言うと語弊があるかもしれませんが、少なくとも自分ではだれでも合理的に納得できるほんとのことを求めなくてはならないと思っているからです。
こうした経緯は一二年のものではない。 真実を求めるということはギリシャの哲学から始まり今なおそれは間違いない方向だと私は思っているからです。
ところで、宿業という言葉は仏教を流布しようとしている坊さんたちが残した言葉だと私は思います。
※ 漢和大字典を見ますと、「(佛)前世のむくい。(業は今の結果を生ずべき原因となる所業)」となっています。
※ 日本国語大辞典 第二版
仏語。前世に作った業。現世に応報を招く原因となった前世の善悪の行為。
※ ジャパンナレッジでの検索
1. しく‐ごう[‥ゴフ]【宿業】日本国語大辞典
〔名〕「しゅくごう(宿業)」に同じ。*易林本節用集〔1597〕「宿業 シクゴフ」易林【宿業】易林
2. しゅく‐ごう【宿業】デジタル大辞泉
仏語。現世で報いとしてこうむる、前世に行った善悪の行為。すくごう。
3. しゅく‐ごう[‥ゴフ]【宿業】日本国語大辞典
〔名〕(1)仏語。前世につくった業(ごう)。現世に応報を招く原因となった前世の善悪の行為。すくごう。*家伝〔760頃〕下(寧楽遺文)「吾因〓宿業〓、為〓神国〓久
4. 【宿業】しゅくごう角川類語新辞典
この病いは前世の宿業かも知れない ○前世の行為。その報い(仏教)
5. しゅく‐ごう【宿業】仏教語大辞典
「しゅうごう」「すくごう」とも 1 過去世につくった善悪の行為。現世、または来世に応報を招くもととなった前世の善悪の行為。 唯信抄 「宿業の善悪は今生のありさ
6. しゅく-ごふ【宿業】全文全訳古語辞典
〔名詞〕《仏教語》前世からの報い。宿世の業因。現世の果報の原因としての前世の善悪の行為。 「たちまちに宿業滅して必ず富饒を得べし」〈今昔・4・38〉(前世の悪業
7. すく‐ごう【宿業】デジタル大辞泉
⇒しゅくごう(宿業)
8. すく‐ごう[‥ゴフ]【宿業】日本国語大辞典
〔名〕「しゅくごう(宿業)」に同じ。
9. すく‐ごう【宿業】仏教語大辞典
「 しゅくごう【宿業】 」に同じ。 霊異記 上・八 「宿業所招非但現報」
10. 【宿業】しゅくごう(ごふ)新選漢和辞典Web版
《仏教》前世のむくい。過去の応報。
下平の考え方
どう考えても、「いのち」を授かる前に自分の善悪の行為があったとは、考えようもない。 こんなでたらめをお釈迦様が言うはずがないのです。 お釈迦様は子供でも分かるように話をなさったはずです。
ですから、宿業という言葉が意味する現象は深く思いをいたすとき、自分の業として理解できるのです。
それはどういう意味なのか?
私は長野にいたとき、学友の人たちに「いろいろの性状」があることをいやというほどに体験してきたのです。 弁舌さわやかに話をする人、人の話をうまくまとめて聞いて応答する人、話そのままを額面通りに聞き取る人、人の話をよく聞きとらない人、人を大事にして話をする人、困ったことにもアッケラカンと処理していく人、自分の考え方を誇張して話をする人、黙っていても礼儀作法に温かさを感ずる人、取り上げていえば、曰く「千差万別」なのです。
改めてそう言う観察をしてみていけば、人は「同じような性情をもっている人」はいないのではありませんか。
どうしてなのか? そして、さらに自分の「性質や情緒、対人関係の態度」そのものはどのようにして築かれてきたのかほとんどどうしようもないものとしているのではないだろうか?
どうして兄弟にしても姉妹にしても、同じ「性状」とならないのか?
これは、いい悪いのことではなく年齢で言えば3~4才までの間に、人はそれぞれ自分で周囲の環境から自分で取り入れて築き上げたのだろうと私は考えるようになりました。 こう考えるようになってきたのは、元気にうちではなく、兄弟を亡くし、友達の多くを亡くし、人の業に気づくようになったからだと思います。
ここでハッと気づくのは、昭和32年に購入した博友社出版小柳司気太著「新修漢和大字典
「【宿業】シュクゴフ (佛)前世のむくい。(業は今の結果を生ずべき原因となる所業)」
は立派な解釈だったことです。
「前世のむくい」これは生まれる前と考えるべき言葉ではなく、自分がまだはっきりしない頃を指す言葉であり、むくいとは「報い」であり善悪いずれについてもいう。
(業は今の結果を生ずべき原因となる所業)」 前世は、自分がまだはっきりしない頃を指す言葉であるとすれば、これこそ、いい悪いのことではなく年齢で言えば3~4才までの間に、人はそれぞれ自分で周囲の環境から自分で取り入れて築き上げる時期を指す言葉と考えていいのです。
この時期は母親がほとんど中心となって赤ちゃんの世話にあたる時期なのです。