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続折々の記 ⑦
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 09 】09/01
       村岡選手の教訓を活かしたい   東京パラリンピック
       真子さまのニュース   根深い源
       鮮烈デビューの皇后雅子さま 紀子さまと明暗分かれた
       自由とは何か?

2021/09/01
村岡選手の教訓を活かしたい    東京パラリンピック
Paralympicを見ていて、NHKで折々選手の紹介をしていました。 その中で村岡桃佳さんの紹介をきき、殊更驚いたのです。

4歳のときに脊髄の病気の影響で車いす生活になりましたということです。 親の嘆き悲しみはいかばかりだったでしょうか。 そのことはあまり詳しくはなかったけれども、親の気持ちと本人の気持ちは誰でもお察しはできる。 推察はできても、普通は通り一遍です。 だが、実際のその後の経過を推察しますと、簡単なことではないことがすぐわかる。

何を願いどのような努力をし続けたのか、私たちは考えなくてはならないと思ったのです。 子供の幸を願うのが親の本心であることは承知していても、この例の場合自分ならどうしただろうか?

すべてを託されていたとすると、それは質は違うにしても私が考えている宿業期の親の立場と全く同じことではないのか? すべてをどのように考え進めたらいいのか、赤ちゃんの将来の社会人としての性情、知的活動はどうあればよいのか、健康的生活としての心がけはどうあればよいのかとか、どのような人にしようとして導いたらいいのか、こうしたすべてのことに対処する母親と父親として、「脊髄の病気の影響で車いす生活になりました」この言葉を並べただけのこととはわけが違うのです。

桃佳(モモカ)さんのお母さんお父さんご両親は何をどう考えて子供の幸を願ったのでしょうか。 直(ジカ)にお聞きできないから、誰しもぶち当たるはずの宿業期の赤ちゃん幼児について何をどう考えて将来の幸を願うか、私は同じ道だと思うのです。
以上。


村岡桃佳(ムラオカ モモカ)
  日本代表  パラ陸上 
  生年月日 1997/03/03
  出身地 埼玉県
プロフィール
女子100m車いすのクラスの村岡桃佳選手は埼玉県深谷市出身の24歳。4歳のときに脊髄の病気の影響で車いす生活になりましたが、中学生のときチェアスキーで競技を始め、2018年のピョンチャンパラリンピックではアルペンスキーで日本選手最多となる金を含む5つのメダルを獲得しました。2019年からはスキーを続けながら、陸上で東京パラリンピックを目指す“二刀流”に挑戦し、その年に陸上の女子100m車いすのクラスの日本記録を更新しました。パラリンピックの1年延期で東京大会の半年後に冬の北京大会が行われる、異例のスケジュールとなりましたが、陸上とスキーを行き来する強行日程をこなし、初めて夏のパラリンピックに臨みます。

パラ陸上 「二刀流」の村岡 女子100m車いすのクラスで優勝
   2021年4月24日 15時43分

東京パラリンピックを目指す陸上のトップ選手が集まる「ジャパンパラ大会」が24日から高松市で始まり、女子100メートル車いすのクラスでは、スキーとの「二刀流」で夏冬連続のパラリンピック出場を目指す村岡桃佳選手が優勝しました。

村岡選手は3年前の、ピョンチャンパラリンピック、スキーの金メダリストで、陸上で東京パラリンピック、スキーで来年の北京パラリンピック出場を目指す「二刀流」に挑戦しています。

村岡選手は「ジャパンパラ大会」の女子100メートル車いすのクラスに出場し、得意のスタートから飛び出して2位を大きく引き離す17秒38のタイムで優勝しました。

しかし、向かい風1.9メートルが吹くなかでのレースでスピードに乗り切れず、自己ベストには1秒以上およびませんでした。

村岡「風に負けてしまった」
村岡桃佳選手は、1.9メートルの向かい風が吹くなかでのレースについて、「風が強かったのでしっかり押し切らなければと思っていましたが、風に負けてしまいました。タイムやスピードも伸びきらなかった印象です」と振り返りました。

【パラリンピックとは】
パラリンピック ( 英語: Paralympic Games )は、 国際パラリンピック委員会 ( 英語: International Paralympic Committee 、略称:IPC(以下IPC))が主催する、 身体障害者 ( 肢体不自由 (上肢・下肢および欠損、麻痺)、 脳性麻痺 、 視覚障害 、 知的障害 )を対象とした世界最高峰の 障害者スポーツ の 総合競技大会 。 オリンピック と同じ年に同じ場所で開催される。
  主催: 国際パラリンピック委員会
  開始年: 1960年
定義
障害者の国際スポーツ大会。イギリスのストーク-マンデビル病院で行われた競技会をきっかけに,1952年に最初の国際大会が開催され,88年より現名称になった。4年に一度オリンピック開催地で開かれる。
定義
障害者の国際スポーツ大会。イギリスのストーク-マンデビル病院で行われた競技会をきっかけに,1952年に最初の国際大会が開催され,88年より現名称になった。4年に一度オリンピック開催地で開かれる。

パラリンピックの詳細については次のURLが詳しい。
   パラリンピック出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
以上。

2021年9月2日
眞子さま、年内結婚で調整 儀式なし・一時金辞退意向
小室さんと米で生活

このことは昨日、NHKの報道で知りました。 秋篠宮殿下の言葉は苦衷に満ちたことだろうと思った。 それにしても妃殿下はいろいろと風評を受けていた。 検索してみると確かにいろいろとあったようだ。

新聞記事

 秋篠宮家の長女眞子さま(29)が、国際基督教大学の同級生の小室圭さん(29)と年内に結婚する方向で調整していることが、関係者への取材でわかった。結婚の延期発表から3年半。小室さんが米ニューヨーク州の法律事務所に就職する見通しとなり、2人で同州で生活する基盤が整ったとみられる。眞子さまは日本で婚姻届を提出して皇籍離脱した後、年内にも米国へ移ることで調整が進んでいる。▼24面=背景は

 ただ、一般の結納にあたる「納采の儀」や天皇、皇后両陛下にあいさつする「朝見の儀」など、女性皇族の結婚時に通例行われる儀式は行わない方針。関係者によると、結婚への賛否を問う声が根強いことや、新型コロナの感染状況などを踏まえたという。その場合、現在の皇室の結婚様式が定まった戦後以降で初めての事例となる。

 結婚する女性皇族は、皇室典範で皇籍離脱することと、皇室経済法で「一時金」が支給されることが定められている。支給額は皇室経済会議で決められるが、関係者によると、眞子さまは、満額で1億円を超える一時金の財源が税金で、小室さんの母親をめぐる「金銭トラブル」への批判もあることから、受け取ることを辞退する考えを持っているという。宮内庁は眞子さまの考えを踏まえ、一時金の額を減らすことや、特例で辞退することができるかどうかなどを検討するという。

 眞子さまと小室さんは2017年9月に婚約が内定した。だが、同12月以降、小室さんの母・佳代さんと元婚約者男性との金銭トラブルが相次いで報道され、結婚が延期された。

 一方で、18年から米ニューヨーク州で生活している小室さんは、今年5月にロースクールを卒業し、同州の法律事務所で就職する見通しも立った。金銭トラブルについても、小室さんが今年4月に説明する文書を公表。宮内庁側では結婚に向けた理解が得られたという認識が広がっていた。

 関係者によると、同庁はお二人が心境を語る会見などの場を設けることも検討していくという。(杉浦達朗)

▼24面=背景は
二つの懸案「解消」と判断か 眞子さま、年内結婚で調整

 秋篠宮家の長女眞子さま(29)と小室圭さん(29)の婚約内定から今年で4年。小室さんの母・佳代さんと元婚約者の金銭トラブルを発端に、結婚をめぐり賛否の声が依然として渦巻いているが、関係者によると、お二人は年内に結婚したい意向だという。その背景には、結婚の障害になっていた二つの「ハードル」が解消されたとの判断があるとみられる。▼1面参照

 眞子さまと小室さんの結婚延期が発表されたのは2018年2月。お二人は「お気持ち」を公表し、「十分な時間をとって必要な準備を行うのが適切」と明かした。

 懸案となったのが佳代さんと元婚約者の金銭トラブルだった。週刊誌で相次いで報道される中、秋篠宮ご夫妻は国民から広く祝福されなければ、正式な婚約ができる状態ではないと判断。お二人に「相応の対応」を求めた。

 これに対し、小室さんは今年4月、弁護士を通じ、28枚にわたる説明文書を公表し、元婚約者に「解決金」を渡すことも明らかにした。だが元婚約者側の関係者によると、実際には進展はないままだが、小室さん側や宮内庁は一定の理解が得られたという認識を示していた。

 もう一つの懸案だった生活基盤については、小室さんが米ニューヨーク州の法律事務所で働く見通しになり、生活のめどが立ったことでクリアされそうだ。

 18年から同州のロースクールで学んでいた小室さんは、今年5月にスクールを修了。7月に司法試験を受験し、12月までに合否がわかるが、もし不合格だった場合でも、生活基盤ができたことで秋篠宮ご夫妻らの理解も得られたようだ。宮内庁幹部は「小室さんが安定して収入を得て、生活できるようになるまで結婚はない」と話していたが、その懸念もなくなった。

 ただ、懸案はこの二つだけではないのが実情だ。

 結婚についてはSNSを中心に反対や否定的な見方は根強く、小室さんが直接会見を開いて説明しないことへの批判も少なくない。宮内庁関係者によると、秋篠宮ご夫妻は賛否があることを踏まえた上で、「一人でも多くの人たちに祝福してもらえるように」と願っているという。

 また、眞子さまは結婚で支払われる「一時金」について受け取らない意向を周囲に示しているが、過去に辞退した前例はない。政府内での検討が必要になる可能性があり、宮内庁関係者によると、議論は継続中だという。

 宮内庁はもともと、新型コロナウイルスの状況を見定めた上で、結婚に向けた今後の動きについて説明する予定だった。感染が収まらなければ、この説明の場の設定を延期することも検討している。(杉浦達朗)

 ■眞子さまと小室圭さんの結婚をめぐる動き

 <2010年9月> 小室さんの母親と男性が婚約
 <12年9月> 男性が婚約解消を申し入れ
 <17年9月> 眞子さまと小室さんの婚約内定
 <12月> 週刊誌が金銭トラブルを報道。その後、同様の報道が現在まで続く
 <18年2月> 宮内庁が結婚延期を発表
 <11月> 秋篠宮さまが記者会見で「多くの人が納得し喜んでくれる状況にならなければ、納采の儀を行うことはできない」と発言
 <19年1月> 小室さんが経緯説明の文書公開
 <11月> 秋篠宮さまが記者会見で、延期から2年を迎えることに対し「何らかのことは発表する必要がある」と言及
 <20年11月> 眞子さまが「結婚に向けて進みたい」と文書でお気持ち表明
 <〃> 秋篠宮さまが記者会見で「結婚を認める」と言及する一方、トラブルへの対応を「見える形に」と発言
 <21年4月8日> 小室さんが金銭トラブルを説明する文書公表


2019.06.16 女性セブン2019年6月27日号
鮮烈デビューの皇后雅子さま 紀子さまと明暗分かれた
【写真 1 】8日夕方、両陛下は桂宮さまのお墓を参拝された(東京・文京区、豊島岡墓地、撮影/小倉雄一郎)

 嵐の前の静けさ――梅雨入り直後の東京の雲は、小さな針でひと突きするだけで大粒の雨を降らせそうなぐらい、重く低くピンと緊張感をもって張り詰めていた。

 夕方6時半頃、赤坂御用地(東京・元赤坂)へと入っていく数台の黒塗りの車。その中に、沿道の人々に軽く会釈をされる上皇上皇后両陛下のお姿があった。

 天皇皇后両陛下は6月9日、26回目の結婚記念日を迎えられ、お住まいである赤坂御所で夕食会が開かれた。

「上皇上皇后両陛下をはじめ、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん夫妻らが出席されました。たっぷり2時間半の晩餐を楽しまれた後、次々に赤坂御所を退出されましたが、雅子さまのご両親である小和田恆さん夫妻が御所を出たのは、その1時間半後のことでした。

 令和の幕開けから1か月半。雅子さまにプレッシャーがかかる重要なイベントが続いていました。食事の後にお茶を飲みながらご両親と語らわれたのでしょうか、雅子さまにとっては、緊張感の和らぐ束の間の安息のお時間だったと思います」(皇室記者)

 5月末に行われたドナルド・トランプ米大統領(72才)夫妻との会見では、雅子さま(55才)の存在感が光った。

「宮中晩餐会では、雅子さまが大統領の隣に座られ、通訳を入れずに会話に花を咲かせました。雅子さまの英語は、アメリカ側の通訳が思わず“美しい”とため息をつくほどだったそうです。

 ただ、雅子さまの隣に座られた紀子さまも英語をお話になられるはずですが、口数は多くありませんでした。会見前のご挨拶の時もメラニア夫人(49才)との会話は弾まなかったようです」(皇室ジャーナリスト)

 御代がわりに伴い、秋篠宮さま(53才)は皇太子待遇の「皇嗣」となられた。ご夫妻は、国賓を招く晩餐会などの場では両陛下に次ぐ、“準ホスト”のお立場になられたことになる。

「紀子さまは、今までの『宮家のお妃』のお立場とは格段に違います。特に政府や外交関係者からは“皇嗣妃として国際親善の場でどれだけご活躍いただけるのか”が注目されています。そんな中での米大統領夫妻の接遇では、不安が残る結果になりました。

 昨年までは、療養中の雅子さまが公務にお見えにならない日々が続きました。紀子さま(52才)が周囲の期待を背負い、務めを果たされ、自信も深められてきたと思います。一時は、“紀子さまを皇后に”という声もあったほどでした。

 しかし、御代がわりでお立場が変わり、期せずして雅子さまと紀子さまの“明暗”が分かれてしまった」(前出・皇室ジャーナリスト)

 令和になって初めて皇族方が一堂に会されてのプライベートな会食の場となったのが、前述の両陛下の結婚記念日のディナーだった。

「美智子さまもかつて、結婚記念日に食事会をされる時はメニューをご提案されるなど、ホストとしておもてなしされたこともあったそうです。雅子さまもそれを踏襲されたことでしょう。新時代の皇室を支えられている秋篠宮さまや紀子さまのことも、気遣われたのではないでしょうか」(前出・皇室記者)

【写真 2 】
トランプ大統領の来日歓迎行事での天皇皇后両陛下とメラニア夫人(撮影/横田紋子)























【写真 3 】
トランプ米大統領と和やかに会話される場面も見られた(時事通信フォト)
【写真 4 】
晩餐会などすべての国賓歓迎行事に参加された雅子さま(時事通信フォト)
【写真 5 】
晩餐会の翌朝、トランプ大統領が宿泊していたホテルを訪ねられた天皇皇后両陛下(宮内庁提供)


下平評
  真子さま結婚の記事と女性セブン2019年6月27日の記事を合わせ見て、遠慮なく思ったことを述べます。

秋篠宮家については美智子さまが前からいろいろと心配していたようだった。 現皇后陛下が鬱々としていたのも私は宮家についてのことが基になっていたように思う。 推察で書くのは当を得ないのだが、皇室の問題になっていた真子さまの結婚は母である紀子さまの業績から見るとそもそもの事のおこりの火種はそこにあると私は思っている。

母親の性質情緒は改めた考えのない限り、それは子供に反映されるのは当たりまえのことなんです。 秋篠宮さまの苦しい立場はすぐに直せるものではない。 いのちの伝承は厳粛なものなのです。 もって銘すべし。
評を終わる。

2021/00/00
自由とは何か?

それは昔も今も将来も、絶えるこちのない命題です。 でも思想史を見ていても、自由の社会的考えの歴史とか成立は民族が入り乱れたヨーロッパにおいては極めて大事な表題だったに違いない。 歴史から見ていけば、支配者と被支配者とのかかわりで問題になったきた。 今でも家族生活が生活の単位である。

2021/09/03 入会手続き完了

自分が買ったワンピースの値段で、子どもが売られていた現実。
日本の大学生が設立した「かものはしプロジェクト」とは? ←ここをクリック
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