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続折々の記 ⑩
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 05 】11/04
    RCEP、1月に発効 日中韓も参加
       22億人経済圏誕生へ
    シリア内戦、拷問克明
       つるされる収容者・遺体に数字、画家は見た
       シリア人権侵害、証言次々 17歳を2年半拘束
       アサド政権支える、監視社会、密告し合う市民「スパイになれ」
    デジタル版別ウインドウで5回連載しています開きます
       絶望収容所 シリア、失踪者たちの証言  全5回
         http://t.asahi.com/wl4h
          下平評

 2021/11/04
RCEP、1月に発効 日中韓も参加、22億人経済圏誕生へ

 日中韓とオーストラリア、ニュージーランド、東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国の、計15カ国が参加する地域的包括的経済連携(RCEP)協定が2022年1月に発効する見通しになった。豪州とニュージーランドが2日に同時に批准したことで、発効の条件を満たした。

 お互いに関税を下げたり、ルールを共有したりして経済活動を後押しするRCEPは、域内の人口が約22・7億人(19年)、国内総生産(GDP)が約25・8兆ドル(19年)といずれも世界の約3割を占める。米国が抜けた環太平洋経済連携協定(TPP)を上回る巨大な自由貿易圏協定で、日本が中国、韓国との間で結ぶ初めての協定という側面もある。

 関税の撤廃率はやや低めだが、自動車部品など日本の工業製品にかける各国の関税が全品目の91・5%で撤廃されるなどの効果がある。

 昨年11月の首脳会議で15カ国が協定に署名。その後、各国で批准の手続きが進んでいたが、今回の2カ国で「ASEANで6カ国、それ以外で3カ国が批准」という条件を満たし、60日後に発効することが決まった。

 豪政府によると、すでに批准を済ませていた国はASEAN6カ国(ブルネイ、カンボジア、ラオス、シンガポール、タイ、ベトナム)と中国、日本。他のASEAN諸国や韓国でも、批准に向けた国内手続きが進んでいる。(西村宏治)


地域的な包括的経済連携(RCEP)協定|外務省

    2021/04/06 · RCEPを巡る動き. (1)2011年11月、ASEAN側は日中共同提案を踏まえ、東アジア地域の包括的経済連携(RCEP(「アールセップ」、 Regional Comprehensive Economic Partnership の …

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地域的な包括的経済連携(RCEP)協定 (METI/経済産業省)

  Rcepの概要や内容が分かる資料
  Epaに関するお問合せ先(Epa・海外展開相談窓口)
  説明会
  RCEPの概要(外務省)
  RCEP協定に関するファクトシート(外務省)
  RCEP(工業製品関税)の概要について(PDF形式:312KB)
  RCEP(酒類、たばこ、塩)の概要について(財務省)
  meti.go.jp でさらに表示

地域的な包括的経済連携協定
  (ちいきてきなほうかつてきけいざいれんけいきょうてい、
  英語: Regional Comprehensive Economic Partnership Agreement; RCEP
  ASEAN加盟10カ国(ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、
  マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)
  と、
  そのFTAパートナー5カ国(オーストラリア、中国、日本、ニュージーランド、
  韓国)の間で、2020年11月15日に第4回RCEP首脳会議の席上で署名された
  経済連携協定 (EPA) である。
  署名15か国は、世界の人口とGDPの3割を占めている。
  日本法においては、国会承認を経た「条約」であり、
  日本国政府による法令番号は、令和3年条約第7号である。
インドは、交渉が開始された2011年から、FTAパートナー国として、RCEP交渉に参加していたが、主に中国からの製造品やオーストラリアやニュージーランドからの農産物・乳製品のダンピング懸念を理由に、交渉の最終時点の2019年11月に交渉から離脱した。

目次
  1 価値
  2 交渉開始までの経緯
  3 会合の日程
  4 進捗状況(1~20)
  5 新規加入
  6 各国の動向
  7 RCEPの構成・内容(1,2)
  8 発効
  9 関税の引下げ時期
  10 関連項目
  11 脚注(1,2)
  12 外部リンク(1,2)

 2021年11月8日
シリア内戦、拷問克明    つるされる収容者・遺体に数字、画家は見た

写真・図版 写真・図版 【写真・図版】ナジャが描いた収容施設の様子。収容者の遺体は、別の収容者が毛布に包んで運んだという=本人提供

 画家のナジャ・ブカイ(51)がシリアを逃れて6年がたつ。フランスで暮らしながら、母国で治安機関の収容施設に拘束された際に目にした情景を刻んだ絵は150点近くになった。

 体をよじって叫ぶ血まみれの人。毛布にくるまれた遺体。それを運ぶ半裸の男たち。「こんな絵を世に出したくはなかった」

 2010年末にチュニジアで始まり、エジプト、リビアでも独裁政権を倒した民主化運動「アラブの春」は11年3月、シリアに波及した。

 「シリアでも自由な選挙を実施するんだ」。首都ダマスカスの大学で美術教師だったナジャもデモに加わり、アサド政権の支配に抗議の声を上げた。

 しかし、シリアの「春」は暗転した。武力弾圧を強めるアサド政権と、反政権勢力の争いはエスカレートし、12年6月には国連幹部が「内戦状態にある」と認定。ナジャがダマスカス近郊の政権軍の検問所で捕まったのはそのころだった。

 収容された施設の地下室は5メートル×3メートルほどの広さ。血とうみの臭いが立ちこめる房に、下着姿の男性約70人が押し込められ、多くが下痢や皮膚の感染症である疥癬(かいせん)を患っていた。

 トイレに行けるのは1日に2回。廊下を歩くと、収容者たちが壁沿いに両手を上に縛られてつるされたり、電気ショックの拷問を受けたりしていた。

 1カ月後の釈放時に見た身柄の移送書には、「暴動に参加した」という容疑と、「227支部で逮捕」と記されていた。

 227支部はアサド政権の治安機関の一つ、軍事情報部の収容施設とされる。米財務省は今年7月、227支部を含む8収容施設を制裁リストに加えた。同省によると内戦を通じてこれらの施設で少なくとも1万4千人が拷問の末に死亡。シリア国内でこれまでに13万人以上が失踪もしくは恣意(しい)的な拘束下にあると報じられているといい、「大部分が死んだか、家族と連絡がとれないまま捕らわれていると推定される」とした。

 14年9月、ナジャは隣国レバノンへ逃れる途中、再び検問所で捕まり、227支部に2カ月拘束された。この時は収容者の遺体運搬の作業に駆り出された。傷痕が残る遺体を毛布にくるみ、4人1組でトラックまで運んだ。1日に3~5体、最多で13体だった。作業をしながら不可解に思っていたことがあるという。

 「遺体の皮膚にペンで数字が書かれていたんです」

 最初に見た遺体の肩のあたりに「5535」とあった。最後の作業で運んだ遺体は「5874」だった。

 内戦は、アサド政権の勝利が確実な情勢だ。アサドは5月の大統領選で95%を得票し、4選を決めた。ナジャはアサド政権が続く限り、母国に戻るつもりはない。「内戦から逃れた先で自由や民主主義を知ったシリア難民が、拷問の待つ国に帰れますか」

 国連調査委員会の報告書は、内戦下のシリアで「国際的な法的義務にのっとって拘束者の権利を尊重した紛争当事者はいない」とする。反体制派の武装組織や過激派組織「イスラム国」(IS)、少数民族クルド人の武装組織「人民防衛隊」などによるとされる恣意的な拘束や拷問も報告している。ただ、「違反行為は一貫して、とりわけアサド政権によって実行されてきた」と強調している。=敬称略(其山史晃)

▼2面=証言次々
シリア人権侵害、証言次々 17歳を2年半拘束、「自白」強要

写真・図版 写真・図版 【写真・図版】 2015年3月、ニューヨークの国連本部で「シーザー」が持ち出した遺体の写真が展示された

アラブの春」から10年を経ても、シリアでの内戦は終わりが見えない。アサド政権による人権侵害の疑惑を告発する報告は多く、朝日新聞の取材でも国外に逃れた元収容者らが証言した。国際社会で責任追及の動きも進むが、政権側は全面否定している。(其山史晃)▼1面参照

 西部バニヤス出身のオマル・アルショグレ(26)がダマスカスの収容施設に連行されたのは2012年11月、17歳の時だったという。父親に連れられて反政権デモに参加して以来、何度か捕まったがいつも短期間で釈放された。だが、この時は事情が違った。

 看守が交わす会話やほかの収容者の話から、オマルは自分が連行されたのが軍事情報部の収容施設、215支部だと知った。シリア国内には治安機関が管理する数十カ所の収容施設があるとされ、215支部は「死の支部」という異名をとる。国連人権理事会のシリア独立調査委員会は「最も死亡者数が多い施設」の一つに挙げている。

 ペンチで生爪をはぐ。両手を縛って天井からつるす。タイヤの輪の中に体を押し込む。椅子を使って背中を無理やりのけぞらせる「ドイツ椅子」。通算2年半超に及ぶ拘束生活で、様々な拷問を受けたという。

 オマルは数時間にわたって拷問を受けた後、一緒に拘束された17歳のいとこの女性ヌールについて聞かれた。尋問官には「ヌールは爆弾をつくって政権軍将校を殺した」という筋書きの「自白」を求められた。

 「本当かうそかなんて関係ない。拷問に耐えられないから、尋問官が求める内容通りに証言した。しまいには『どんな答えがほしいのか』と聞いていた」

 地下の雑居房は血まみれの男たちで満杯だった。開いたままの傷口にうじ虫がたかっていたのを覚えている。座る場所がないので、最初の4日間は立ち続けた。眠くなって倒れると、傷にぶつかって怒るほかの収容者から殴られた。ぶつかっても文句を言ってこないと思ったら、すでに息を引き取っている人だった。

 拷問による傷の治療を受けられず、命を落とす収容者たち。立ちながら睡眠を取らねばならないほど満杯の房。最小限の食事。不衛生な環境で蔓延(まんえん)する皮膚病。国連調査委は、元収容者への聞き取りからまとめた報告書に、収容施設の壮絶な様子を描写している。

 オマルが215支部に入って3カ月後、ともに収容されたいとこ、ラシッドが死んだ。拷問による腹部の痛みと飢えを訴えていた。遺体が別室に移されると、オマルは看守からペンを渡され、ラシッドの額に数字を書くように命じられた。この時から傷だらけの遺体に数字を書くことが、日々の仕事になった。

 「こわいのは死ぬことじゃない。どんな死に方をするかだった」

■軍警察の遺体写真、5万枚流出
 多くの市民がアサド政権の治安機関に捕まって姿を消し、拷問を受けて死んでいる――。この話が真実味を帯びたきっかけは、13年にシリアを逃れた軍警察の元カメラマンの男性が仲間と秘密裏に持ち出した、5万枚以上に及ぶ遺体の写真だった。

 男性の関係者への取材などによると、もともと男性の任務は、軍関係者が絡む事件・事故の現場や遺体を裁判資料用に撮影することだった。それが11年3月に反政権デモが全国に広がってからは一変した。12年に入ると、ダマスカスの軍病院には市民の遺体が続々と運び込まれ、軍の法医学者の指示で撮影するのに大忙しになったという。

 「シーザー」の仮名で呼ばれる男性は昨年3月、米上院外交委員会の公聴会で証言した。あばら骨の一本一本が浮き出るほどやせ細った遺体が地面に並ぶ写真が掲げられた部屋で、シーザーは議員らにアラビア語で語りかけた。

 「男性、女性、子どもの遺体もありました。やけどや首を絞められた痕、ケーブルでむち打たれたような傷もあり、拷問を受けたのは明らかでした。治安機関に捕まれば、自分も同じ運命をたどる。そうおびえながら、アサド政権の犯罪を記録した最も強力な証拠を持ち出したのです」

 これらの写真をめぐっては、シエラレオネ内戦など過去の戦争犯罪を裁いた特別法廷などで検察官を務めた法律家や法医学者からなる調査チームが、14年に報告書を作成した。シーザーへの聴取や写真の遺体の検証から、「アサド政権によって拘束された人々への組織的な拷問と殺害の明らかな証拠だ」と結論づけた。

 国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)が15年12月に出した報告書は、シーザーらの持ち出した写真の中に、アサド政権の収容施設で死亡した遺体が少なくとも6787人含まれているとした。

 根拠としたのが、これらの遺体や遺体の上に置かれた紙に記された「識別番号」だ。オマルが遺体に書き、画家のナジャ・ブカイが収容施設で目撃したという遺体の数字は、この識別番号の一部とみられる。

 HRWや反体制派のNGOは、家族や友人、元収容者らへの追跡調査で写真に写った遺体の身元を特定し、治安機関に拘束された事情などを報じている。

 公聴会でシーザーは訴えた。「私の願いは、人権と自由を大切にする国際社会の助けでアサド政権に戦争犯罪の責任を取らせること。今も政権の収容施設では大勢の市民が残虐行為にさらされている。非難声明を出すだけでは、政権の虐殺に青信号を出しているようなものだ」

■アサド大統領「拷問などない」 国連委「10年で数万人不明」
 米国ではシーザーの写真や証言をきっかけに、トランプ政権(当時)が昨年6月、対シリア制裁「シーザー・シリア市民保護法」を発動した。アサド政権やその支援勢力と取引をしただけで金融制裁や旅行制限の対象となる強力な内容だ。

 ドイツでは今年2月、コブレンツ高裁が、ドイツに逃れていたアサド政権の治安機関元職員に「人道に対する罪」で禁錮4年6カ月を言い渡した。判決は政権の治安機関が組織的に収容者を拷問したと認定した。

 国連調査委は、アサド政権の治安機関が拷問や性的暴行など、収容者への虐待を繰り返していると警告してきた。自白の強要や情報を得るためだったとしている。拘束されるのは「反体制派を支持している、もしくはアサド政権への忠誠が不十分とみなされた市民」。反体制派の支配地域で暮らす人や、反体制派に医療支援をした人、人権活動家、反体制派武装組織のメンバーと疑われる者の親族などに及ぶという。

 国連調査委が今年3月にまとめた最新報告書によると、この10年で政権に捕まり行方不明になっている人は数万人にのぼる。政権の施設で死んだ収容者の人数は不明としつつ、「控えめに見積もって数万人が死んだとみられる」とした。

 こうした疑惑を大統領のアサド(56)は否定してきた。15年1月、米外交専門誌の取材でシーザーの写真についてこう答えた。「何も具体的なものはない。誰かからもらった写真を持ってきて、『これは拷問だ』とも言える。誰が写真を撮ったのか。彼(シーザー)のことを誰も知らない。すべては証拠のない疑惑にすぎない」

 19年11月にロシアメディアのインタビューでドイツでの裁判について尋ねられたアサドはこう答えた。「シリアに拷問の政策などない。なぜ拷問など必要なのか。情報が必要だから? 我々は全ての情報を持っている」

 13年から5年間にわたって拘束され、拷問を経験したという元収容者のムタズ・ビスキ(56)は、政権が拷問を通じて社会にメッセージを発していると考える。「釈放されれば、収容者は施設での残虐な実態を周囲に語る。治安機関はそれを織り込んでいる。『政権に刃向かえばとんでもない目に遭うぞ』と思わせることができるから」

 拘束と拷問の恐怖は、シリア難民に帰還をためらわせる要因となっている。19年の国連難民高等弁務官事務所の調査では、周辺国で暮らすシリア難民のうち、「1年以内には帰国しない」と答えた人の最大の懸念は「治安」。「生計の手段」などとともに「拘束の恐怖」も挙げられている。

 トルコ・イスタンブールで暮らすリハム・ムハンマド(27)もその一人だ。16年末まで1年近く拘束された記憶を振り返り、「拷問の叫び声を忘れられない。戻れば収監される可能性があるうちは絶対にシリアに帰らない」と語った。=敬称略

◆キーワード
 <シリア内戦> 2011年3月、民主化運動「アラブの春」がシリアに波及し、反政権デモが全土に拡大。武力弾圧するアサド政権と、反体制派の間で内戦に発展した。混乱に乗じて「イスラム国」(IS)などの過激派組織も流入する乱戦となった。ロシアとイランの支援を受けるアサド政権が、トルコなどが支える反体制派をイドリブ県などに追い詰めている。

 在英の反体制派NGO「シリア人権監視団」は、11年3月以降の戦闘などによる死者を少なくとも49万4千人以上としている。国連難民高等弁務官事務所によると、内戦前のシリアの人口の3割にあたる660万人が国外に逃れて難民となり、670万人が国内で避難を強いられた。

▼4面=監視と密告の社会
アサド政権支える、監視社会 シリア、密告し合う市民 尋問「スパイになれ」

写真・図版 写真・図版  シリアのアサド政権によって拘束された市民が数万人規模で姿を消し、収容施設では拷問が日常化している――。国連のシリア独立調査委員会などが指摘する疑惑について、シリア国外で朝日新聞の取材に応じた元収容者らの証言からは、治安機関が政権を支えてきたという「スパイ社会」の姿が浮かぶ。▼1面参照

 「家もカネもやる。反体制派を捕まえるためにスパイになれ」。2012年夏、ダマスカスの主婦ナーラ・ラバド(52)が治安機関の一つ、空軍情報部の尋問官から「リクルート」されたのは、3カ月に及んだ拘束期間の最終盤だったという。

 尋問では反政権デモに参加したことを問い詰められた。施設で絶え間なく響く拷問の叫び声。腐りかけたパンとジャガイモのごくわずかな食事。少しでも早く釈放されたいという一心でナーラが勧誘を受け入れると、数人の電話番号を渡され、「10日間やる。こいつらの情報を持ってこい」と命じられた。釈放されたナーラが10日目の報告をせずに逃走した直後、自宅は捜索を受けたという。

 取材に応じた24人の元収容者のうち、ナーラを含めて少なくとも3人が尋問中に治安機関からスパイとなるよう誘われたと明かした。元収容者の一人はこう語った。「シリアでは、『壁に耳あり』という言葉を子どものころから親にたたき込まれるのです」

 徹底した監視体制はアサド政権の成り立ちと深く関わっている。

 1946年にフランスの委任統治から独立したシリアは、議会制民主主義の国だった。しかし、63年にアラブ社会主義政党の「バース党」によるクーデターで一党独裁型の権威主義体制に変わった。アサド大統領の父親で空軍将校だった故ハフェズ・アサドはクーデターに参加し、国防相だった70年には党内クーデターを主導して権力を握った。

■「モザイク国家」のひずみ、利用
 シリアは多様な民族、宗教・宗派が入り組んだ「モザイク国家」だ。アラブ人が多数を占め、クルド人やアルメニア人などもいる。9割近くを占めるイスラム教徒でも多数派のスンニ派や少数派のアラウィ派などに分かれる。キリスト教徒も暮らしている。

 社会の多様性から生まれる断層や、各勢力内部の亀裂をハフェズは巧みに利用した。

 治安機関がスパイを潜らせて監視し、仲間内でも「こいつはスパイかもしれない」との相互不信を植え付ける。分断することで、脅威となる存在の出現を許さない。こうした統治の基盤となる治安機関の幹部には自らと同じアラウィ派を多く登用し、権力を固めるなかで、反政権分子には徹底的な弾圧を加えた。

 治安機関には主に四つの組織があり、それぞれの独立性は高い。クーデターで権力を握ったハフェズは治安機関同士でさえも相互監視するように仕向けたとされる。

 政権軍の元准将アドナン・シロ(72)は、「治安機関なくしてアサド政権はない。スパイ網は社会の隅々に張り巡らされ、スパイも他に誰がスパイなのか知らない」と語る。その網は、軍の内部にさえ及び、下級兵士から幹部にいたる各層で目を光らせているという。

 国連調査委によれば、アサド政権は市民同士が密告し合う「治安報告」を奨励している。この報告で集まった情報が市民の身柄拘束の根拠の一つになっているという。

■3カ月拘束、親族15人が消えた
 市民が突然姿を消し、その後の行方もつかめない。「強制失踪」と呼ばれる現象は、シリア全土でデモが頻発し始めた11年3月から急速に広がったとされる。調査委が今年3月に出した最新の報告書は、逮捕された人たちのうち数万人の居場所がわからないとしている。

 11年に3カ月の拘束後に釈放されたという主婦ザイナブ(51)の親族では、15人が消えたという。死亡通知が届いたのは4人だけで、そのうちの1人は13年に失踪した当時51歳の兄だった。3年後に当局から「私物を取りに来るように」との連絡があったが、親族は誰も行かなかった。ザイナブは「出頭したところを捕まって、自分が行方不明になりたくないから」と話した。

 シリアでは隣国イスラエルとの戦争状態を主な理由とし、60年代から続いた「非常事態令」の下で、令状なしの身柄拘束などほぼ無制限の権限が治安機関に与えられた。アサド政権は11年4月、民主化デモの要求に応じる形で非常事態令を解除したが、勢いを増す反政権勢力を抑えるため、治安機関への依存は強まった。

 政権の危機が深刻さを増した12年7月には、幅広い行為をテロ活動と認定する「対テロ法」が成立。内戦では「テロとの戦い」という新たな大義名分のもと、非常事態令と同じ権限が治安機関に保障された。

 「この10年間、アサド政権の治安機関による強制失踪は、恐怖を広げ、反対勢力を抑え、罰を与えるために、大規模に実行された」。国連報告書はこう結論づけている。=敬称略(其山史晃)

 ◇デジタル版で5回連載しています。http://t.asahi.com/wl4h別ウインドウで開きます


全5回
絶望収容所 シリア、失踪者たちの証言
「今世紀最悪の人道危機」とも呼ばれるシリア内戦。アサド政権の治安機関が市民を拘束し、秘密施設の拷問で死亡させていたとの疑惑があります。24人の生還者の証言から、政権が否定するこの疑惑に迫りました。

第1回
家族や友人が突然姿を消した 遺体に数字、極秘写真が明かす拷問の跡
体をよじって叫ぶ血まみれの人。毛布にくるまれた遺体を運ぶ半裸の男たち。フランスで暮らすシリア人画家ナジャ・ブカイ(51)が、母国の治安機関の施設で目撃した情景を刻んだ作品は150点近くになる。アサド政・・・[続きを読む]
2021年11月02日 19時00分有料会員限定記事

第2回
「死の支部」で続く容赦ない拷問 少年は「感情のない怪物」になった
シリア西部バニヤスで暮らしていたオマル・アルショグレ(26)は15歳だった2011年3月中旬、いとこからの電話を受けた。「町で何かすごいことが起きているみたいだぞ」父の運転で町の中心部に向かうと、数千・・・[続きを読む]
2021年11月03日 19時00分有料会員限定記事

第3回
連行された妻、疑う夫「拘束中どうやって妊娠した?」 家族も壊れた
2012年10月、シリアの首都ダマスカスでブライダル衣装のデザイナーだった女性バスマ(45)は、生地の買い付けに向かうためにバスに乗り込んだ。ハンドバッグには、生地選びで合わすためにゴールドのブレスレ・・・[続きを読む]
2021年11月04日 19時00分有料会員限定記事

第4回
「壁に耳あり」の密告社会、体制支える相互不信 「スパイになれ」
「一緒に来てくれるか」。2017年7月26日の午後11時。シリア南部ダラアに住んでいた女性シャム(26)の自宅を私服姿の5人の男が訪れた。男たちは治安機関の一つ「空軍情報部」を名乗った。一人が「薬の専・・・[続きを読む]
2021年11月05日 19時00分有料会員限定記事

第5回
レイプ被害、耳から離れない叫び声… 救いのない拘束施設で何が?
シリア内戦でアサド政権の治安機関に拘束されたという体験を朝日新聞に語った24人の元収容者には、反体制派に身を投じた戦闘員や協力者もいれば、政治に無関心だった市民や少年たちもいる。アサド政権は拷問などの・・・[続きを読む]
2021年11月06日 19時00分



下平評
この世のこととは思えない記事に驚きます。 どうしてこんなふうになったのだろうか?

アフリカ大陸の人々の多くの国々や中近東の国の中にも、社会性の遅れていた国があったのが基になっていたと思います。 人々の共通意識の未発達と指導者の先進国の意識のずれが基になったのだろうか。

日本人として見ている私たちはいろいろと長短があるにせよ、生活意識の共通性があります。 国単位としての共通性は、先進国にも長短はあるにしても共通性があります。 この長短をもつ共通性の相互理解は、政治感覚や経済感覚にも表れてきていると私は思います。

この相互理解こそ、地球規模の温暖化の意識統一にしてもコロナ対応にしても、世界の平和意識の相互理解にしても、これからの人たちにとって世界の相互理解の問題はは避けて通れない道だと言えます。

シリアの記事は、私の意識の軌道修正にとって大事なことになりました。 世界のあらゆるところで情報を集めている人々はいろいろと課題を私たちに投げかけてくれています。

シリアに関しての「デジタル版で5回連載」はそれぞれ開いてみるようにしてほしい。