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続折々の記 2022 ②
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【 01 】03/09
    力強く歩んだ明治維新の人々   アーノルド・トインビーの意見

 2022/03/09
力強く歩んだ明治維新の人々     アーノルド・トインビーの意見

トインビーについては <http://park6.wakwak.com/~y_shimo/momo.761.html> を開いてみてほしい。

A・J・トインビーから学ぶもの  英国の著名な歴史学者

アーノルド・トインビーを知ったのはもう50年も前になる。 合併後の豊丘中学の職員室で毎日新聞でトインビーの記事を読んでからになる。 彼は日本の将来についてインタビューに応えて次のようになことを言っていたのです。

「今はアメリカの傘下にいて思うようにふるまえないが、やがてはアメリカの勢力は太平洋の半分ほどになるだろう。 日本は中国と協力して東アジア経済圏を作ることになるだろう」と

この字句通りではないが、私の頭に残った要点はトインビーのこのような見通しであった。 彼はイギリスの歴史家と紹介されていた。 私は青年師範在学中に大類伸の著書の前書きの中に‘歴史を学ぶ目的は進むべき方向を見出すことにある’という趣旨を述べられていて、“歴史学習のねらいは温故知新”ということにあるという考え方を持ち続けていた。

だからトインビーの予見に衝撃をうけ、東アジア経済圏がどのようにして導かれだすのかという大きな課題が頭の奥深くにとどまっているのです。

アメリカとの関係において、日本の戦後は 1950 年の 38度線朝鮮戦争に象徴されるように共産主義と資本主義の相克のはざまの中で、ソ連・中国・北朝鮮の共産圏への対抗として、アメリカは日本・韓国をアメリカ寄りにしようとして従属関係という無理強(ジ)いをした。

この対立関係が崩れ戦争を忌避する空気が強くなって平和に向かいはじめると、アメリカのごり押しとも思える従属関係も改善する以外なくなってきます。 大類伸さんとトインビーさんの考え方はこのように私たちの考えの中に入り込んできているのです。

人々の生活意識の根幹にかかわる国際関係は、いまや厳寒を過ぎようとしているのではないか、その渦中にあるのではないか、私はそんな空気を感じます。 トインビーが希望するように、あるいはドナルドキーンが日本国籍を取ったように、日本には優しく優雅なしなやかさや、こまかな情緒を秘める思いやりの心など、すぐれた文化をもっています。

ことに日本的な文化としては、その根底に平安貴族の生活があったと私は思っています。 平穏で雅(ミヤビ)、品(ヒン)がある文化です。 香りゆたかな女性文化です。 名人といわれる技能文化を伝承しています。 つましい生活にたえ、自然の恩恵に心を打たれる温かさとやさしさをもっています。

目に映るものに心を奪われてはなりません。 すべては自分の中で処理することができるのです。 一人ひとのが自由闊達に目標をもってすすんでいくことがいいのです。 一人ひとりがコックさんのように前掛けでお腹をキチッとしめて、自分に応じて働くのです。 日本人としての伝統を大事にして活躍する時代がきています。

   (1) 『日本の活路』 A・J・トインビー著 1975年
   (2) 「歴史の研究」が予言する日本没落の可能性
   (3) 【日本に魅せられた 西洋の知性】
   (4) 博士が日本の神道に大変興味があった
   (5) 「神道が世界を救う」

5年前に調べたものを見れば概要がつかめます。 そこで問題になるのは(1)~(5)です。

(1) 『日本の活路』  A・J・トインビー著 1975年
    国際PHP研究所 PHP研究所発行
    http://unegen.exblog.jp/15202113/

 1975年発刊の古い本だ。昨年大阪に出張した際、梅田の古本屋で見つけた。
 トインビーといえば、私が強い影響を受けた歴史家の一人だ。
 最近は忘れられがちな歴史家かもしれないが、彼の主著『歴史の研究』はシュペングラーの『西洋の没落』と同様、世の人々を警醒した文明論として名高い本である。
 思い出深い歴史家の本なので、迷わず買ってきた。

 近年私が読む歴史書といえばほとんどが、日本史関係だが、学生の頃は世界史が主だった。高校では理系クラスだったこともあり、日本史は選択していない。
 世界史は大の得意教科で、大学受験時に浪人して入った駿河台予備学校の模試などでも何度か成績結果に名前があがるほどであった。

 予備校に大岡先生という世界史の先生がいらっしゃったが、私はこの方に大学の先生以上に感化を受け、歴史学へ興味を持った。
 理由がある。大学合格を目指す予備校ではあったが、その大岡先生が、色々な歴史学の本を紹介してくれ、授業で挙げた本の感想文を書いてきたら添削してくれるというのだ。
 私は憧れる先生にもっと親しく近づきたいと思い、受験勉強の合間にせっせと薦められる本を読んで、感想文を幾つも提出した。

 木村尚三郎、増田四郎などの日本の歴史家の本もあったが、マルク・ブロック、ジェフリー・バラクロウ、アンリ・ピレンヌ、ハーバート・ノーマン、ヘルマン・シュライバーなど錚々たる歴史家の色々な本を紹介してもらった。その中の一冊がアーノルド・J・トインビーの『試練に立つ分文明』であった。

 今回読んだ本はトインビー氏が国際PHP研究所に寄稿してきた7つの文章を中心に、対談やトインビー思想を一般に普及し実践しようとの趣旨で出来た「トインビー市民の会」の活動記録などが併録されている。

参考に目次を転記しておく。

○日本の活路を求めて
  日本と私
  物の豊かさ 心の豊かさ
  歴史の教訓
  アメリカは何を期待するか
  中国の未来
  国家指導者の条件
  「西洋」が「東洋」に学ぶこと
  精神のルネッサンス
  明日への挑戦
  ○対談 アーノルド・J・トインビー/松下幸之助  現代人の宿題
  ○トインビー博士にきく 松岡紀雄  世界に生きる日本と日本人
  ○トインビーと日本  「トインビー市民の会」の記録
  ○編者あとがき

 この本が書かれたのは、今から40年ほど前だが、この時点でトインビー氏は既に、現代をもって史上最大の危機時代ととらえていたようだ。物質的豊かさを求めて経済活動を拡大していけば、そう遠くない将来(孫とか曾孫などの数代先に)地球的規模の危機が訪れると危惧し警世した。

 人間は、科学と技術を進歩させてきたが、人間が誕生してからこのかた、精神的には何ら成長していないという。現代技術の進歩の結果、人間は再生産不可能なかけがえのない無生物資源を、空前の規模と割合で消費する能力ばかりを身に付けた。

 物質的豊かさ、経済的繁栄への欲求が習い性となった国家・集団・個人の自己中心性が、それらを加速度的に発達させ、飛躍的に成果の争奪(競争、時には戦争)が拡大教化されてきたという。

 この欲求を根源とした力は、先進国などの一部の国の人々は豊かにしたが、同時に人口爆発、貧困、自然破壊、公害など様々な問題が噴出させ、それを拡大している。

 彼は物質的な豊かさというものは、精神的な貧困をもたらすものでしかないととく。危機の世をいい方向へ立て直すには、まず第一に物質的な豊かさへの欲望は抑えよと説く。第二に、物質的な富の追求から精神的な富の追求へと、私たちの精力の向きを変えよと。

 生物圏(ティヤール・ド・シャルダンの造語)の物質的資源に限界がある以上、物質的資源には限りがある。それに対して精神的富は、可能性としては無限である。つまり精神的な目標の追求こそ、人間活動のうちで無限に拡大する可能性を持つ唯一の領域だと説く

 そして特に宗教を勧めている。別にキリスト教だけを勧めている訳ではない。彼は世界の宗教についても詳しく、イスラム教、ヒンズー教、仏教や神道も、その教えの根本はそれほど違いはないとしており、それぞれに評価している。例えば神道は自然との共生という考えがある宗教なので、今後重要な役割を果たすことがある…といった感じ

 近年特に地球規模の環境破壊など叫ばれているせいか、古い本だが、あまり古さを感じない。普遍性を感じる本である。皮肉に読めば、奇麗ごと、理想論のオンパレードかもしれないが、彼の他の本を見ればわかるが、非常な学識に裏付けられた言葉だけに、その指摘に重みがある。

 トインビーの言葉は、原文は英語ながら、翻訳が上手いのか、非常に平明簡易な文章です。古くて入手することは困難かも知れませんが、もし見かけたら敬遠せずに読むことをお薦めします。

(2) トインビー「歴史の研究」が予言する日本没落の可能性
     (No.489 09/09/09) by Weltgeist

Weltgeistさんの記事の中に次のようなまとめた言葉かあるのです。

 英国の歴史学者であるトインビーの根本的な考え方は「どんな高度な文明でもいつか必ず内部的に壊れ、没落する」ことである。エジプト、メソポタミア、中国などで高度な文明が発達しながら、いずれも消滅している。ピラミッドを造る技術のあった文明がなぜ滅んだのか。トインビーは豊富な資料を検証しながら、一つの結論に達するのである。

 滅んだのは技術の進歩、革新が遅れたからではない。それは文明内部から起こる「慢心」が原因だというのである。彼はペロポネソス戦争におけるアテネと、第一次世界大戦がヨーロッパ文明、とりわけイギリスに与えた影響とに同時性があることを感じ、「歴史は現在に生きている」という有名な言葉を残している。そして、現在我々が経験していることは、実はすでにずっと昔にあったことの繰り返しだということに気づくのである。

 トインビーはいくつもの文明を調べていくうちに、それがどれも同じようなことを繰り返し行って、最終的には滅びていくという結論を見いだす。言い換えれば過去の文明の没落史を見ることで、現代文明没落の可能性を見ていることになるのだ。

 文明は最初は小さな異端的集団から発生し、次第に巨大化して一つの文明圏を作る。最初の頃は創造力にあふれ、人々の生活は活気に満ちたものになる。トインビーはこれを「challenge-and-response、挑戦と応戦」と言う。彼はこのことをキリスト教的に解釈し、神は人間に試練として「挑戦」を与え、人はそれに「応戦」して創造力を発揮するのである。このことを「Encounter 遭遇」という言葉で述べている。

 だが、その応戦力も成果を上げるようになると、やがて慢心によるマンネリ化を産む。欠乏は創造の原動力であるが、満腹は怠惰を生み、創造力をそいで行く。こうして、文明没落の萌芽が現れてくるというのだ。

 かっての日本が発展した歴史を見れば、それが良く分かる。明治維新以降、日本は「西洋に追いつけ、追い越せ」のかけ声で世界第二の経済大国にまでのしあがった。それは文明開化で知った自分たちの貧しさを「挑戦」と受け止め、より良き社会をめざして「応戦」した結果にほかならない。

 しかし、今、その頂点にまで登り詰めて、登るべき山の頂も足下になってしまった日本は、目標を失ってしまった感がある。団塊の世代で見られた「より良い社会を作るための挑戦と応戦の精神」が、その後に続く世代に感じられない。額に汗して働くのはダサイ男のやることだ。楽して金を儲ける拝金主義が横行し、怠惰が蔓延する。日本全部が息が詰まりそうな閉塞感の中に落ちこんで行こうとしている気がしてならないのである。

 トインビーは成熟期の文明は中から腐り始めるが、その文明の恩恵が及ばない辺境では新たな動きが現れ、それがやがて力を付けると、自分たちを抑圧していた文明を滅ぼして新たな力強い文明を作り上げていくと言っている。日本の立場からみれば、辺境で現れる挑戦者は中国であり、やがてはこの国の強大な力が周辺国にも及んでくる。そのとき日本は世界の中で指導的な立場に立つのではなく、すでに終わった国として屈辱的な立場に立たざるを得ないことになるのだ。

 歴史は繰り返す。
隆盛と没落挑戦と応戦トインビーの予言は今の日本を見ると、限りなくそれに近づいている気がする。トインビーは、隆盛期においても慢心せず創造的力を発揮すれば、没落の危機は回避されると言っている。しかし、それは我々が絶えざる努力を重ねることで達成できるのであって、少しでも慢心した気持ちを持てば、創造力は枯渇し没落への道を進まなければならない。歴史の研究は現代の危機を伝える新たな黙示録なのだ。

(3) 【日本に魅せられた 西洋の知性】アーノルド・J・トインビー 西洋は無敵でないこと示した日本
    2015.03.18 by 藤井厳喜

藤井さんの記事の中に次のようなまとめた言葉かあるのです。

 トインビーによれば、1つの文明圏は、エリート指導者から構成された創造的な少数の人間のリーダーシップの下で、外部からの挑戦(呼びかけ)に、的確に対応(応答)することにより、興隆するという。日本では1960年代から70年代にトインビーは人気があり、主著を含め多くの著作が刊行された。

 最近、彼の名前は忘れ去られた感があるが、彼は英国人であるにも関わらず、日本の戦争に関して極めて客観的で、親日的ですらある発言をしてくれている。第2次世界大戦に関して彼はいう。

 「アジア・アフリカを200年の長きにわたって支配してきた西洋人は、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は実際にはそうでなかったことを、人類の面前で証明した。これはまさに歴史的な偉業であった。…日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打ってしまったのである。」(英オブザーバー紙、1956年10月28日)

 「1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していた。1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の士気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである(ベトナム戦争での米国の苦戦:訳注)」(毎日新聞、68年3月22日)

 また、トインビーは1967年に伊勢神宮(三重県伊勢市)を訪れたとき、こう記帳している。

 「私はここ聖地において、すべての宗教が根源的に統一されたものであることを実感する」

 トインビーは詩人的な開かれた感受性で、汎神論的な日本の精神風土を正確に把握している。多くの西洋人は神道を、未開のアニミズムないし野蛮な多神教としてしか捉えないが、彼は神道の中にこそ、宗教の原初的な普遍性を発見していたのだった。これが日本への賛歌(=オマージュ)でなくして何だろう。


(4) トインビー博士が日本の神道に大変興味があったとは知りませんでした
    2009/11/21 もりのあざみさん

もりさんの記事の中に次のようなまとめた言葉かあるのです。

トインビー博士が日本の神道に大変興味があったとは知りませんでした。

彼はこんな言葉を残しています。
「私は、ここ、聖地にあって、諸宗教の根源的統一性を感じます」
  「Here, in this holy place, I feel the underlying unity of all religions.」

トインビーは、文明を単位として歴史をとらえ、文明間の比較研究した先駆者です。その成果に基づいて、現代世界の国際関係をとらえる国際政治学としては、ハンチントンがいます。、ハンチントンの「文明の衝突」を読むとよくわかります
あとで、ハンチントンの名前はでてきそう。トインビーについて述べるときハンチントンはかかせないので。しかも、日本の文明についても。

トインビー自身、偉大な歴史家であるとともに、イギリスの王立国際問題研究所の研究員でした。国際事情の調査分析は、各地の文明の研究と切り離すことができません。西欧発の文明が15世紀から世界に広がり、文明と文明が出会う中で、国家間・民族間の様々な問題が生じてきたからです。
トインビーは、二度の世界戦争が起こり、核兵器が登場し人類が自滅の危機に直面した時代に、人類の生存と平和を真剣に考え、世界の指導者に警告と助言を発したのでした。
21世紀の世界では「文明に基づいた国際秩序こそが、世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置である」とハンチントンは主張しています。=トインビーの見解を受け継いだものです。
トインビーが考えた文明の歴史とは、例えば、
ギリシャ=ローマ文明が「親文明」となり、「子文明」として誕生したのがヨーロッパ文明。
ローマ帝国が亡んだのちに、蛮族ゲルマンが、キリスト教という「高度宗教」など先行文明の遺産を継承して、新しい文明をつくったと考えてます。

トインビーは当初、日本文明はシナ文明を「親文明」とする「子文明」として発生したと考えました。シナ文明は、殷から漢までが第1世代、隋・唐以後が第2世代です。日本文明は、シナ文明の第1世代から枝分かれし、引き続き第2世代から文字・制度・宗教など多くの文化要素を採り入れることで、未開から文明へと飛躍することができたというわけです。そして、日本文明をシナ文明の分派、つまり本体から枝分かれした「側枝(offshoot)」としたようです。
ところが、その後、日本文明をシナ文明の「衛星文明」と格下げしました。これは日本文明の独自性への理解が不十分だったためでしょう。 逆に、ハンチントンは、冷戦後の現代世界の主要文明の中に日本文明を数え、日本は「一国一文明」という他にない特徴を持っていると指摘しています。

そして、一方では、トインビーの偉大さは、それまでの「世界史」が西洋人の視点で書かれたものであることとしています。 文明の東西、そして南北を、ともに公平に見る視点を、文明史観の根底にすえました。そして、人類史の次の段階では、西欧は東アジアに主導権を譲り渡すことになると、予測したのです。
ですから、宗教も主導権?も東へ。キリスト教、ユダヤ教など→仏教→大乗仏教。

こういった考えをもった、イギリス人歴史学者が日本を訪れて、神道に注目しないわけはありません。
もっと東にきたら、そこには、神道があったわけですから。

日本を訪れた外国人が神社をみて、歴史あるヨーロッパの人は、東洋にも、同じく長いがそれ以上の文明が日本にもあることに驚き、歴史のないアメリカ人は、尊敬してしまうってよくあることです。

「西洋がどうしても学び、心に留めなければならない教訓を、東洋は持っている」として、「人間と人間以外の自然との本来の調和を取り戻す方法」をのべます。
日本は、「その固有の宗教と哲学の中に、現代人の自然からの疎外に対する、貴重な矯正手段を持っている」と述べ、神道に注目すべきことを説いています。


「神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説きます。神道によれば、自然は神聖であり、侵すことのできない権利を持っています。人間には、そうした自然の権利を尊重すべき宗教的義務があるのです。そして、もし人間がそうした権利を侵したら、その報いを受ける、とされています。日本国民は、自然の汚染によって、すでに報いを受け始めました。彼らは自然を怒らせ、自然に報復を余儀なくさせることによって、わざわいを招き寄せました。しかし彼らは、実は神道の中に、そうしたわざわいに対する祖先伝来の救済策を持っているのです」
「自然と調和して生きることは、人間が生き残るための必須の条件です。これはまぎれもなく神道の教えにほかなりません」

トインビーは、日本と日本の神道に対して期待を寄せたんです。

(5) 「神道が世界を救う」 2015.12.06
     http://ameblo.jp/yumeforum5107/entry-12103424712.html

 アーノルド・J・トインビーは、世界の文明史を書き表した20世紀最大の歴史家である。 彼は、日本は明治維新による近代化や日露戦争の勝利によって世界史を転換させた、と高く評価している。

そして、次のように述べている。
 「日本はアジアで最初に近代文明を受け入れ、欧米に対等に対抗できたのだから、アジア諸国はその声に耳を傾けるだろう。 そして、そこに人類が一つの家族となるための、日本の先駆けとしての役割がある」

 トインビーは、日本文明を一個の文明ととらえた。
彼の日本文明の理解は十分なものではなかったが、日本の文化の根源に神道があることを洞察したのは、流石である。 彼は、昭和42年(1967年)に来日し、11月29日に伊勢神宮に参拝した。 そこで彼は、毛筆で記帳し、次のように書いた

  “Here in this holy place I feel the underlying unity of all religions.”
   (この聖地で私は、すべての宗教の根底にある一体性を感じる)


 トインビーは、日本文明の中核にある宗教として、神道の可能性に注目した。
昭和49年(1974年)、日本の国際PHP研究所は、晩年のトインビーの論文を編集し、『日本の活路』と題して刊行した。 その中に彼の世界及び日本に関する所見が述べられている。

 本書で、トインビーは、文明史的な視野から、現代世界で今こそ必要なものについて、次のように訴える。
「今日、人間性が精神的に最もさし迫って必要としているものは、復興(ルネッサンス)である」
「現在、世界のどの地域を見ても、精神的復興がいまこそ緊急に必要であることが、広く認識されている」


 トインビーが精神的復興の必要を訴える理由は、技術の発達による自然環境の破壊が進んでいるからである。

「最初は、人間は自然の奴隷だった。いまでは人間は、自分自身の技術の奴隷である。 しかも、人間にとって、人間の技術というものは、かつての自然よりもはるかに恐るべき主人なのである。 これこそ、人間が直面している現在の実態にほかならない。 それはまさに新たな精神的復興を緊急に必要としている苦境ということができる」と述べている。

 また、「私たちは自然に対して物理的な暴力を加えてきた。そして、私たちはいま、祖先が抱いていた自然への畏敬の念を失ったことに対して、高価な精神的代価を支払っている」と記した。

 トインビーは、母国イギリスにおける産業革命以後の自然環境の破壊について触れ、同じことが日本でも起こっているのを見て、「私はやはり、心をかき乱される」と述べている。続いて、「日本はことのほか美しい自然に恵まれた国で、しかも国民の美的感覚が、世界全体の通例より、はるかに高度に培われている国でもあるからである。 自然の汚染は、それ自体が悪い行いであるばかりではない。 それはまた、私たちが同じ人間同士の調和を失ってしまったことの徴候であり、象徴なのである」と書いている。

 そして、トインビーは
「西洋がどうしても学び、心に留めなければならない教訓を、東洋は持っている」として、その一つに「人間と人間以外の自然との本来の調和を取り戻す方法」を挙げる。

 トインビーは、日本は、
「その固有の宗教と哲学の中に、現代人の自然からの疎外に対する、貴重な矯正手段を持っている」と述べ、神道に注目すべきことを説いている。
「神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説く。 神道によれば、自然は神聖であり、侵すことのできない権利を持っている。 人間には、そうした自然の権利を尊重すべき宗教的義務がある。そして、もし人間がそうした権利を侵したら、その報いを受ける、とされている。 日本国民は、自然の汚染によって、すでに報いを受け始めた。彼らは自然を怒らせ、自然に報復を余儀なくさせることによって、わざわいを招き寄せた。 しかし彼らは、実は神道の中に、そうしたわざわいに対する祖先伝来の救済策を持っている」
自然と調和して生きることは、人間が生き残るための必須の条件である。これはまぎれもなく神道の教えにほかならない


 そして、また次のように述べている。
「どん欲ではなく畏敬こそ、自然に対する私たちの態度を支配する感情でなくてはならない。 明日への挑戦は、神道への復帰である。 西洋の見地からいえば、キリスト教や回教以前のカナン人、ギリシャ人、ローマ人の、宗教への復帰なのである」
「技術は、全人類に対して同じ精神的挑戦状を突きつけた。 私たちは、精神のルネッサンスを達成することによって、この挑戦にこたえなければならない。 もし私たちが失敗すれば、人類の前途そのものが暗いものになる」


 人類の精神的ルネサンスを達成するために、トインビーは、神道への復帰を提唱した。 神道の復興は、日本にとっても、また西洋諸国にとっても、さらに人類の生存のためにも必要だと訴えたのである。


下平評

満つれば欠ける世のならいとはいえ、右手親指第一関節から前を失ってから旧約聖書創世記で「神は自分に似せて人を作った」に出会い、分子生物学者村上和雄さんが1990年ころから「遺伝子の働きを something great」と言っていることを知りました。

話は違いますが、むかしのこと浪合中学在任中、講堂に「身体髪膚之を父母に受く敢て毀傷せざるは孝の始めなり」という『孝経の開宗明義章第一』が大きな額にして掲示してありました。 親指先をなくした粗相を親が知れば悲しがったに相違ない。

親指の手術のため市立病院の床の中で、モーゼの十戒から神とは何なのかと共に親と自分の絆を学びました。 こうしたことから生命(イノチ)は細胞の連携によって支えられていることと、生命の願いは生物それぞれの種の伝承であることを学びました。 このことは生命は細胞の遺伝子によって生きながらそれぞれの現在に伝承されていることを、改めて深く知ることができました。

それとともに、温故知新と生命の願いを生涯を通して広め深め高めていくことに務めなければならないと自覚することになりました。 いのちの願いは生命の伝承に在るそれは間違いのない論理であり、人それぞれの生まれたときから意識無意識を超えてそれぞれの人に備わっており、それは大自然の願いであり something great の願いだと確信することになりました

そしてまた、人は未熟児で生まれてくるからこそ、3~4才までに「見たもの、聞こえたもの、味わったもの、触ったもの 」すべて善い事悪いことすべて大脳の物凄い記憶力によって記憶組織に組み込まれ成長することも学びました。 このことは、私が宿業期の養育がどれほど人にとって大事なものかを知り、親になる人を中心に取巻く家族が理解し実践したほうがいいと考えることにつながったのです

いのちを育てる意味はこうして生まれながらに備わっているのです。 それを思うと今現在の国の状況に慢心せず、日本人としての清潔な清冽な心の願いを誰しも身につけたいと願うのです。 トインビーの願いにを受けいれ、日本文化の優しさやつつましさを大切にして、世界の人たちの平和を実現したいのです。以上

孝経の開宗明義章第一
身體髮膚、受之父母。
不敢毀傷、孝之始也。
立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。

身体しんたい髪はっ膚ぷ、之これを父母ふぼに受うく。
敢あえて毀き傷しょうせざるは、孝こうの始はじめなり。
身みを立たて道みちを行おこない、名なを後世こうせいに揚あげ、以もって父母ふぼを顕あらわすは、孝こうの終おわりなり。