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続折々の記 ⑥
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 03 】07/26
07/26 アーノルド・J・トインビーから学ぶもの 英国の著名な歴史学者
(1) 『日本の活路』 A・J・トインビー著 1975年
(2) 「歴史の研究」が予言する日本没落の可能性
(3) 【日本に魅せられた 西洋の知性】
(4) 博士が日本の神道に大変興味があった
(5) 「神道が世界を救う」
07 26 (水) A・J・トインビーから学ぶもの 英国の著名な歴史学者
アーノルド・トインビーを知ったのはもう50年も前になる。 合併後の豊丘中学の職員室で毎日新聞でトインビーの記事を読んでからになる。 彼は日本の将来についてインタビューに応えて次のようになことを言っていたのです。
「今はアメリカの傘下にいて思うようにふるまえないが、やがてはアメリカの勢力は太平洋の半分ほどになるだろう。 日本は中国と協力して東アジア経済圏を作ることになるだろう」と。
この字句通りではないが、私の頭に残った要点はトインビーのこのような見通しであった。 彼はイギリスの歴史家と紹介されていた。 私は青年師範在学中に大類伸の著書の前書きの中に‘歴史を学ぶ目的は進むべき方向を見出すことにある’という趣旨を述べられていて、“歴史学習のねらいは温故知新”ということにあるという考え方を持ち続けていた。
だからトインビーの予見に衝撃をうけ、東アジア経済圏がどのようにして導かれだすのかという大きな課題が頭の奥深くにとどまっていのです。
アメリカとの関係において、日本の戦後は 1950 年の 38度線朝鮮戦争に象徴されるように共産主義と資本主義の相克のはざまの中で、ソ連・中国・北朝鮮の共産圏への対抗として、アメリカは日本・韓国をアメリカ寄りにしようとして従属関係という無理強(ジ)いをした。
この対立関係が崩れ戦争を忌避する空気が強くなって平和に向かいはじめると、アメリカのごり押しとも思える従属関係も改善する以外なくなってきます。 大類伸さんとトインビーさんの考え方はこのように私たちの考えの中に入り込んできているのです。
人々の生活意識の根幹にかかわる国際関係は、いまや厳寒を過ぎようとしているのではないか、その渦中にあるのではないか、私はそんな空気を感じます。 トインビーが希望するように、あるいはドナルドキーンが日本国籍を取ったように、日本には優しく優雅なしなやかさや、こまかな情緒を秘める思いやりの心など、すぐれた文化をもっています。
ことに日本的な文化としては、その根底に平安貴族の生活があったと私は思っています。 平穏で雅(ミヤビ)、品(ヒン)がある文化です。 香りゆたかな女性文化です。 名人といわれる技能文化を伝承しています。 つましい生活にたえ、自然の恩恵に心を打たれる温かさとやさしさをもっています。
目に映るものに心を奪われてはなりません。 すべては自分の中で処理することができるのです。 一人ひとのが自由闊達に目標をもってすすんでいくことがいいのです。 一人ひとりがコックさんのように前掛けでお腹をキチッとしめて、自分に応じて働くのです。 日本人としての伝統を大事にして活躍する時代がきています。
アーノルド・トインビー
アーノルド・ジョゼフ・トインビー(Arnold Joseph Toynbee、1889年4月14日 - 1975年10月22日)は、イギリスの歴史学者。
西欧中心の歴史観でなく、イスラム、仏教、それに特殊な存在としての日本にも着目して、各文明国の発展を描いた『歴史の研究』(原著1934-1961年)を著す。
1911年、オックスフォード大学卒業。アテナイの考古学院の研究生としてギリシアに行き、帰国後、母校で研究員としてギリシア・ローマの古代史研究と授業にあたる。1912年、キングス・カレッジ・ロンドンで歴史学の教授に就任。1914年の第一次世界大戦の勃発により「われわれは歴史の中にいる」という実感に目覚める。1929年には太平洋問題調査委員として来日。この際に松本重治との友情を深めた。
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授、王立国際問題研究所理事、外務省調査部理事等を務める傍ら『ギリシャ歴史思想』『平和会議後の世界』等を執筆。最も有名な著書『歴史の研究』は全25巻。
ドナルド・キーン
ドナルド・キーン(雅号 鬼怒鳴門)1922年6月18日ニューヨーク生まれ。日本文学研究者、文芸評論家。コロンビア大学名誉教授。今年2017は95歳。
1940年(18歳)、アーサー・ウエーリ訳『源氏物語』に感動。以来、日本文学や日本文化の研究を志し、第二次世界大戦後、コロンビア大学大学院、ケンブリッジ大学を経て1953年に京都大学大学院に留学。
アメリカ帰国後、コロンビア大学で日本文学を教えながら日本に足繁く通い、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫など名だたる作家と交流を深めながら古典から現代文学にいたるまで広く研究し、海外に紹介。日本文学の国際的評価を高めるのに貢献。
1962年に菊池寛賞、1983年に山片蟠桃賞、国際交流基金賞を受賞。また日本人の日記を研究した『百代の過客』で読売文学賞、日本文学大賞(1985年)を受賞。
1986年、コロンビア大学にドナルド・キーン日本文化センターを設立。2002年には文化功労者、2008年には文化勲章を受章。
第二世界大戦中、捕虜の日記の中に「ふるさとに帰りたい」という文章を見つけ日本人の葛藤する心が分かったそうです。3月10日の空襲の翌朝、家を焼かれ家族を失った人々が上野駅で整然と疎開列車を待つ姿を見て「私はこの人々と生きこの人々と共に死にたい」という若い作家の文章に感銘を受けたそうです。
2011年3月の東日本大震災後、被災地の懸命に生きる人々の姿に「いまこそ私は日本人になりたい」と日本永住・日本国籍取得の決意を表明。2012年3月、帰化申請が受理され日本人となる。日本国籍取得後の正式名はキーン ドナルド。雅号「鬼怒鳴門」を使うこともある。現在、30数年住み慣れた東京北区アンバサダーをつとめる。名誉都民。
主な著書として『日本文学の歴史』18巻、『明治天皇』など。また、古典の『徒然草』や芭蕉の『奥の細道』、近松門左衛門、現代作家の三島由紀夫、安部公房などの著作の英訳書も多数。
(1) 『日本の活路』
(2) 「歴史の研究」が予言する日本没落の可能性
(3) 【日本に魅せられた 西洋の知性】
(4) 博士が日本の神道に大変興味があった
(5) 「神道が世界を救う」
(1) 『日本の活路』 A・J・トインビー著 1975年
http://unegen.exblog.jp/15202113/
1975年発刊の古い本だ。昨年大阪に出張した際、梅田の古本屋で見つけた。
トインビーといえば、私が強い影響を受けた歴史家の一人だ。
最近は忘れられがちな歴史家かもしれないが、彼の主著『歴史の研究』はシュペングラーの『西洋の没落』と同様、世の人々を警醒した文明論として名高い本である。
思い出深い歴史家の本なので、迷わず買ってきた。
近年私が読む歴史書といえばほとんどが、日本史関係だが、学生の頃は世界史が主だった。高校では理系クラスだったこともあり、日本史は選択していない。
世界史は大の得意教科で、大学受験時に浪人して入った駿河台予備学校の模試などでも何度か成績結果に名前があがるほどであった。
予備校に大岡先生という世界史の先生がいらっしゃったが、私はこの方に大学の先生以上に感化を受け、歴史学へ興味を持った。
理由がある。大学合格を目指す予備校ではあったが、その大岡先生が、色々な歴史学の本を紹介してくれ、授業で挙げた本の感想文を書いてきたら添削してくれるというのだ。
私は憧れる先生にもっと親しく近づきたいと思い、受験勉強の合間にせっせと薦められる本を読んで、感想文を幾つも提出した。
木村尚三郎、増田四郎などの日本の歴史家の本もあったが、マルク・ブロック、ジェフリー・バラクロウ、アンリ・ピレンヌ、ハーバート・ノーマン、ヘルマン・シュライバーなど錚々たる歴史家の色々な本を紹介してもらった。その中の一冊がアーノルド・J・トインビーの『試練に立つ分文明』であった。
今回読んだ本はトインビー氏が国際PHP研究所に寄稿してきた7つの文章を中心に、対談やトインビー思想を一般に普及し実践しようとの趣旨で出来た「トインビー市民の会」の活動記録などが併録されている。
参考に目次を転記しておく。
○日本の活路を求めて
日本と私
物の豊かさ 心の豊かさ
歴史の教訓
アメリカは何を期待するか
中国の未来
国家指導者の条件
「西洋」が「東洋」に学ぶこと
精神のルネッサンス
明日への挑戦
○対談 アーノルド・J・トインビー/松下幸之助
現代人の宿題
○トインビー博士にきく 松岡紀雄
世界に生きる日本と日本人
○トインビーと日本
「トインビー市民の会」の記録
○編者あとがき
この本が書かれたのは、今から40年ほど前だが、この時点でトインビー氏は既に、現代をもって史上最大の危機時代ととらえていたようだ。物質的豊かさを求めて経済活動を拡大していけば、そう遠くない将来(孫とか曾孫などの数代先に)地球的規模の危機が訪れると危惧し警世した。
人間は、科学と技術を進歩させてきたが、人間が誕生してからこのかた、精神的には何ら成長していないという。現代技術の進歩の結果、人間は再生産不可能なかけがえのない無生物資源を、空前の規模と割合で消費する能力ばかりを身に付けた。
物質的豊かさ、経済的繁栄への欲求が習い性となった国家・集団・個人の自己中心性が、それらを加速度的に発達させ、飛躍的に成果の争奪(競争、時には戦争)が拡大教化されてきたという。
この欲求を根源とした力は、先進国などの一部の国の人々は豊かにしたが、同時に人口爆発、貧困、自然破壊、公害など様々な問題が噴出させ、それを拡大している。
彼は物質的な豊かさというものは、精神的な貧困をもたらすものでしかないととく。危機の世をいい方向へ立て直すには、まず第一に物質的な豊かさへの欲望は抑えよと説く。第二に、物質的な富の追求から精神的な富の追求へと、私たちの精力の向きを変えよと。
生物圏(ティヤール・ド・シャルダンの造語)の物質的資源に限界がある以上、物質的資源には限りがある。それに対して精神的富は、可能性としては無限である。つまり精神的な目標の追求こそ、人間活動のうちで無限に拡大する可能性を持つ唯一の領域だと説く。
そして特に宗教を勧めている。別にキリスト教だけを勧めている訳ではない。彼は世界の宗教についても詳しく、イスラム教、ヒンズー教、仏教や神道も、その教えの根本はそれほど違いはないとしており、それぞれに評価している。例えば神道は自然との共生という考えがある宗教なので、今後重要な役割を果たすことがある…といった感じ。
近年特に地球規模の環境破壊など叫ばれているせいか、古い本だが、あまり古さを感じない。普遍性を感じる本である。皮肉に読めば、奇麗ごと、理想論のオンパレードかもしれないが、彼の他の本を見ればわかるが、非常な学識に裏付けられた言葉だけに、その指摘に重みがある。
トインビーの言葉は、原文は英語ながら、翻訳が上手いのか、非常に平明簡易な文章です。古くて入手することは困難かも知れませんが、もし見かけたら敬遠せずに読むことをお薦めします。
(2) 「歴史の研究」が予言する日本没落の可能性 2009/09/09
http://weltgeist.exblog.jp/10205492/
昭和40年、自分は心臓の手術をして長いこと入院していた。今と違って、あの当時の心臓手術はものすごく危険でたいへんなことだったから、病院には半年くらいいて、その後一年近く自宅で療養していた。療養生活では時間がたっぷりあったので、ひたすら読書で時間をつぶしていた。読むにしてもなるべく時間のかかる大著がいいと、わざと分厚い本ばかり撰んで読みまくったものである。その時のことが今の自分の考え方の基盤を作っているといってもいいくらい、この時期は沢山の本を読んだのである。
そうした本の中で印象に残っているのはアーノルド・トインビー(1889- 1975年)が書いた「歴史の研究」(1934-1961年)だ。この超有名な本は全12巻からなる膨大なもので、小生が読んだ時期にはまだ日本語訳は完成していなかった。確か東京電力の会長であった松長安左ェ門氏がライフワークとしてその後しばらくして全巻の翻訳を完成させたはずである。小生はその当時の政治学者、蝋山政道氏が翻訳したサマーベル版という、エッセンスをまとめた縮刷版で読んだのである。しかし、縮刷版といっても千ページを越える大著であり、その読み応えは強烈なものがあった。自分の記憶では毎日机にしがみついても読み終えるまで2週間以上かかったと思う。
最初に買った分厚い原本は何度かの引っ越しで今は手元になくなってしまった。その後、中央公論社が出した「世界の名著シリーズ73、歴史の研究」(写真)を買い直し、ときどき思い出したように拾い読みしている。
英国の歴史学者であるトインビーの根本的な考え方は「どんな高度な文明でもいつか必ず内部的に壊れ、没落する」ことである。エジプト、メソポタミア、中国などで高度な文明が発達しながら、いずれも消滅している。ピラミッドを造る技術のあった文明がなぜ滅んだのか。トインビーは豊富な資料を検証しながら、一つの結論に達するのである。
滅んだのは技術の進歩、革新が遅れたからではない。それは文明内部から起こる「慢心」が原因だというのである。彼はペロポネソス戦争におけるアテネと、第一次世界大戦がヨーロッパ文明、とりわけイギリスに与えた影響とに同時性があることを感じ、「歴史は現在に生きている」という有名な言葉を残している。そして、現在我々が経験していることは、実はすでにずっと昔にあったことの繰り返しだということに気づくのである。
トインビーはいくつもの文明を調べていくうちに、それがどれも同じようなことを繰り返し行って、最終的には滅びていくという結論を見いだす。言い換えれば過去の文明の没落史を見ることで、現代文明没落の可能性を見ていることになるのだ。
文明は最初は小さな異端的集団から発生し、次第に巨大化して一つの文明圏を作る。最初の頃は創造力にあふれ、人々の生活は活気に満ちたものになる。トインビーはこれを「challenge-and-response、挑戦と応戦」と言う。彼はこのことをキリスト教的に解釈し、神は人間に試練として「挑戦」を与え、人はそれに「応戦」して創造力を発揮するのである。このことを「Encounter 遭遇」という言葉で述べている。
だが、その応戦力も成果を上げるようになると、やがて慢心によるマンネリ化を産む。欠乏は創造の原動力であるが、満腹は怠惰を生み、創造力をそいで行く。こうして、文明没落の萌芽が現れてくるというのだ。
かっての日本が発展した歴史を見れば、それが良く分かる。明治維新以降、日本は「西洋に追いつけ、追い越せ」のかけ声で世界第二の経済大国にまでのしあがった。それは文明開化で知った自分たちの貧しさを「挑戦」と受け止め、より良き社会をめざして「応戦」した結果にほかならない。
しかし、今、その頂点にまで登り詰めて、登るべき山の頂も足下になってしまった日本は、目標を失ってしまった感がある。団塊の世代で見られた「より良い社会を作るための挑戦と応戦の精神」が、その後に続く世代に感じられない。額に汗して働くのはダサイ男のやることだ。楽して金を儲ける拝金主義が横行し、怠惰が蔓延する。日本全部が息が詰まりそうな閉塞感の中に落ちこんで行こうとしている気がしてならないのである。
トインビーは成熟期の文明は中から腐り始めるが、その文明の恩恵が及ばない辺境では新たな動きが現れ、それがやがて力を付けると、自分たちを抑圧していた文明を滅ぼして新たな力強い文明を作り上げていくと言っている。日本の立場からみれば、辺境で現れる挑戦者は中国であり、やがてはこの国の強大な力が周辺国にも及んでくる。そのとき日本は世界の中で指導的な立場に立つのではなく、すでに終わった国として屈辱的な立場に立たざるを得ないことになるのだ。
歴史は繰り返す。隆盛と没落、挑戦と応戦。トインビーの予言は今の日本を見ると、限りなくそれに近づいている気がする。トインビーは、隆盛期においても慢心せず創造的力を発揮すれば、没落の危機は回避されると言っている。しかし、それは我々が絶えざる努力を重ねることで達成できるのであって、少しでも慢心した気持ちを持てば、創造力は枯渇し没落への道を進まなければならない。歴史の研究は現代の危機を伝える新たな黙示録なのだ。
(3) 【日本に魅せられた 西洋の知性】 2015.03.18
西洋は無敵でないこと示した日本
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150318/dms1503181550005-n1.htm
アーノルド・J・トインビー(1889-1975)は英国を代表する大歴史家であり、日本を独立した一文明圏としてとらえ、日本に好意的な態度を示してくれたことで知られている。
衰退期の大英帝国は少数の傑出した知的巨人を輩出した。数学基礎論・哲学のバートランド・ラッセル、経済学のジョン・メイナード・ケインズ、戯曲家・批評家のジョージ・バーナード・ショー、文学者で多言語話者のアーサー・ウェイリー(杜甫、李白、『源氏物語』などの英訳で有名)らだ。
彼らの業績はいずれも極めて普遍主義的であるところに特徴があるが、トインビーも彼らと肩を並べる知的巨人である。
トインビーの主著は比較歴史学の大著『歴史の研究』12巻(1934-61)である。彼は人類の歴史を26の文明の興亡として捉え、その興隆と衰亡を同じ枠組みで説明した。
トインビーによれば、1つの文明圏は、エリート指導者から構成された創造的な少数の人間のリーダーシップの下で、外部からの挑戦(呼びかけ)に、的確に対応(応答)することにより、興隆するという。日本では1960年代から70年代にトインビーは人気があり、主著を含め多くの著作が刊行された。
最近、彼の名前は忘れ去られた感があるが、彼は英国人であるにも関わらず、日本の戦争に関して極めて客観的で、親日的ですらある発言をしてくれている。第2次世界大戦に関して彼はいう。
「アジア・アフリカを200年の長きにわたって支配してきた西洋人は、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は実際にはそうでなかったことを、人類の面前で証明した。これはまさに歴史的な偉業であった。…日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打ってしまったのである。」(英オブザーバー紙、1956年10月28日)
「1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していた。1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の士気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである(ベトナム戦争での米国の苦戦:訳注)」(毎日新聞、68年3月22日)
また、トインビーは1967年に伊勢神宮(三重県伊勢市)を訪れたとき、こう記帳している。
「私はここ聖地において、すべての宗教が根源的に統一されたものであることを実感する」
トインビーは詩人的な開かれた感受性で、汎神論的な日本の精神風土を正確に把握している。多くの西洋人は神道を、未開のアニミズムないし野蛮な多神教としてしか捉えないが、彼は神道の中にこそ、宗教の原初的な普遍性を発見していたのだった。これが日本への賛歌(=オマージュ)でなくして何だろう。 (敬称略)
■藤井厳喜(ふじい・げんき) 国際政治学者。1952年、東京都生まれ。早大政経学部卒業後、米ハーバード大学大学院で政治学博士課程を修了。ハーバード大学国際問題研究所・日米関係プログラム研究員などを経て帰国。テレビやラジオで活躍する一方、銀行や証券会社の顧問、明治大学などで教鞭をとる。現在、拓殖大学客員教授。近著に『アングラマネー』(幻冬舎新書)、『世界経済の支配構造が崩壊する』(ビジネス社)
(4) トインビー博士が日本の神道に大変興味があったとは知りませんでした 2015.03.18
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1333239613
トインビー博士が日本の神道に大変興味があったとは知りませんでした。
彼はこんな言葉を残しています。
「私は、ここ、聖地にあって、諸宗教の根源的統一性を感じます」
「Here, in this holy place, I feel the underlying unity of all religions.」
なぜ仏教よりも神道だったのか、ご存知な方はいらっしゃいませんか?
ベストアンサーに選ばれた回答 2009/11/2210:51:36
トインビーは、文明を単位として歴史をとらえ、文明間の比較研究した先駆者です。その成果に基づいて、現代世界の国際関係をとらえる国際政治学としては、ハンチントンがいます。、ハンチントンの「文明の衝突」を読むとよくわかりますよ。
あとで、ハンチントンの名前はでてきそう。トインビーについて述べるときハンチントンはかかせないので。しかも、日本の文明についても。
トインビー自身、偉大な歴史家であるとともに、イギリスの王立国際問題研究所の研究員でした。国際事情の調査分析は、各地の文明の研究と切り離すことができません。西欧発の文明が15世紀から世界に広がり、文明と文明が出会う中で、国家間・民族間の様々な問題が生じてきたからです。
トインビーは、二度の世界戦争が起こり、核兵器が登場し人類が自滅の危機に直面した時代に、人類の生存と平和を真剣に考え、世界の指導者に警告と助言を発したのでした。
21世紀の世界では「文明に基づいた国際秩序こそが、世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置である」とハンチントンは主張しています。=トインビーの見解を受け継いだものです。
トインビーが考えた文明の歴史とは、例えば、
ギリシャ=ローマ文明が「親文明」となり、「子文明」として誕生したのがヨーロッパ文明。
ローマ帝国が亡んだのちに、蛮族ゲルマンが、キリスト教という「高度宗教」など先行文明の遺産を継承して、新しい文明をつくったと考えてます。
トインビーは当初、日本文明はシナ文明を「親文明」とする「子文明」として発生したと考えました。シナ文明は、殷から漢までが第1世代、隋・唐以後が第2世代です。日本文明は、シナ文明の第1世代から枝分かれし、引き続き第2世代から文字・制度・宗教など多くの文化要素を採り入れることで、未開から文明へと飛躍することができたというわけです。そして、日本文明をシナ文明の分派、つまり本体から枝分かれした「側枝(offshoot)」としたようです。
ところが、その後、日本文明をシナ文明の「衛星文明」と格下げしました。これは日本文明の独自性への理解が不十分だったためでしょう。 逆に、ハンチントンは、冷戦後の現代世界の主要文明の中に日本文明を数え、日本は「一国一文明」という他にない特徴を持っていると指摘しています。
そして、一方では、トインビーの偉大さは、それまでの「世界史」が西洋人の視点で書かれたものであることとしています。 文明の東西、そして南北を、ともに公平に見る視点を、文明史観の根底にすえました。そして、人類史の次の段階では、西欧は東アジアに主導権を譲り渡すことになると、予測したのです。
でうから、宗教も主導権?も東へ。キリスト教、ユダヤ教など→仏教→大乗仏教。
こういった考えをもった、イギリス人歴史学者が日本を訪れて、神道に注目しないわけはありません。
もっと東にきたら、そこには、神道があったわけですから。
日本を訪れた外国人が神社をみて、歴史あるヨーロッパの人は、東洋にも、同じく長いがそれ以上の文明が日本にもあることに驚き、歴史のないアメリカ人は、尊敬してしまうってよくあることです。
「西洋がどうしても学び、心に留めなければならない教訓を、東洋は持っている」として、「人間と人間以外の自然との本来の調和を取り戻す方法」をのべます。
ト日本は、「その固有の宗教と哲学の中に、現代人の自然からの疎外に対する、貴重な矯正手段を持っている」と述べ、神道に注目すべきことを説いています。
「神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説きます。神道によれば、自然は神聖であり、侵すことのできない権利を持っています。人間には、そうした自然の権利を尊重すべき宗教的義務があるのです。そして、もし人間がそうした権利を侵したら、その報いを受ける、とされています。日本国民は、自然の汚染によって、すでに報いを受け始めました。彼らは自然を怒らせ、自然に報復を余儀なくさせることによって、わざわいを招き寄せました。しかし彼らは、実は神道の中に、そうしたわざわいに対する祖先伝来の救済策を持っているのです」
「自然と調和して生きることは、人間が生き残るための必須の条件です。これはまぎれもなく神道の教えにほかなりません」
トインビーは、日本と日本の神道に対して期待を寄せたんです。
晩年にカルト宗教に利用されてしまったことは、残念なことです。
(5) 「神道が世界を救う」 2015.12.06
http://ameblo.jp/yumeforum5107/entry-12103424712.html
アーノルド・J・トインビーは、世界の文明史を書き表した20世紀最大の歴史家である。 彼は、日本は明治維新による近代化や日露戦争の勝利によって世界史を転換させた、と高く評価している。
そして、次のように述べている。
「日本はアジアで最初に近代文明を受け入れ、欧米に対等に対抗できたのだから、アジア諸国はその声に耳を傾けるだろう。 そして、そこに人類が一つの家族となるための、日本の先駆けとしての役割がある」
トインビーは、日本文明を一個の文明ととらえた。
彼の日本文明の理解は十分なものではなかったが、日本の文化の根源に神道があることを洞察したのは、流石である。 彼は、昭和42年(1967年)に来日し、11月29日に伊勢神宮に参拝した。 そこで彼は、毛筆で記帳し、次のように書いた。
”Here in this holy place I feel the underlying unity of all religions.”
(この聖地で私は、すべての宗教の根底にある一体性を感じる)
トインビーは、日本文明の中核にある宗教として、神道の可能性に注目した。
昭和49年(1974年)、日本の国際PHP研究所は、晩年のトインビーの論文を編集し、『日本の活路』と題して刊行した。 その中に彼の世界及び日本に関する所見が述べられている。
本書で、トインビーは、文明史的な視野から、現代世界で今こそ必要なものについて、次のように訴える。
「今日、人間性が精神的に最もさし迫って必要としているものは、復興(ルネッサンス)である」
「現在、世界のどの地域を見ても、精神的復興がいまこそ緊急に必要であることが、広く認識されている」
トインビーが精神的復興の必要を訴える理由は、技術の発達による自然環境の破壊が進んでいるからである。
「最初は、人間は自然の奴隷だった。いまでは人間は、自分自身の技術の奴隷である。 しかも、人間にとって、人間の技術というものは、かつての自然よりもはるかに恐るべき主人なのである。 これこそ、人間が直面している現在の実態にほかならない。 それはまさに新たな精神的復興を緊急に必要としている苦境ということができる」と述べている。
また、「私たちは自然に対して物理的な暴力を加えてきた。そして、私たちはいま、祖先が抱いていた自然への畏敬の念を失ったことに対して、高価な精神的代価を支払っている」と記した。
トインビーは、母国イギリスにおける産業革命以後の自然環境の破壊について触れ、同じことが日本でも起こっているのを見て、「私はやはり、心をかき乱される」と述べている。続いて、「日本はことのほか美しい自然に恵まれた国で、しかも国民の美的感覚が、世界全体の通例より、はるかに高度に培われている国でもあるからである。 自然の汚染は、それ自体が悪い行いであるばかりではない。 それはまた、私たちが同じ人間同士の調和を失ってしまったことの徴候であり、象徴なのである」と書いている。
そして、トインビーは
「西洋がどうしても学び、心に留めなければならない教訓を、東洋は持っている」として、その一つに「人間と人間以外の自然との本来の調和を取り戻す方法」を挙げる。
トインビーは、日本は、
「その固有の宗教と哲学の中に、現代人の自然からの疎外に対する、貴重な矯正手段を持っている」と述べ、神道に注目すべきことを説いている。
「神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説く。 神道によれば、自然は神聖であり、侵すことのできない権利を持っている。 人間には、そうした自然の権利を尊重すべき宗教的義務がある。そして、もし人間がそうした権利を侵したら、その報いを受ける、とされている。 日本国民は、自然の汚染によって、すでに報いを受け始めた。彼らは自然を怒らせ、自然に報復を余儀なくさせることによって、わざわいを招き寄せた。 しかし彼らは、実は神道の中に、そうしたわざわいに対する祖先伝来の救済策を持っている」
「自然と調和して生きることは、人間が生き残るための必須の条件である。これはまぎれもなく神道の教えにほかならない」
そして、また次のように述べている。
「どん欲ではなく畏敬こそ、自然に対する私たちの態度を支配する感情でなくてはならない。 明日への挑戦は、神道への復帰である。 西洋の見地からいえば、キリスト教や回教以前のカナン人、ギリシャ人、ローマ人の、宗教への復帰なのである」
「技術は、全人類に対して同じ精神的挑戦状を突きつけた。 私たちは、精神のルネッサンスを達成することによって、この挑戦にこたえなければならない。 もし私たちが失敗すれば、人類の前途そのものが暗いものになる」
人類の精神的ルネサンスを達成するために、トインビーは、神道への復帰を提唱した。 神道の復興は、日本にとっても、また西洋諸国にとっても、さらに人類の生存のためにも必要だと訴えたのである。