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続折々の記 2022 ⑥
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】07/04~     【 02 】07/07~     【 03 】07/10~
【 04 】07/10~     【 05 】07/13~     【 06 】07/17~
【 07 】07/18~     【 08 】07/20~     【 09 】07/22~

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【 01 】07/04
     日本的な文化   独自性をもった特色
        佐古純一郎氏の「夏目漱石の実存主義」
        漱石の学習院での話「私の個人主義」
           制裁されるほど強くなるロシア非米側の金資源本位制
              2022年6月30日  田中 宇
           日米欧の負けが込むロシア敵視
              2022年7月3日  田中 宇
        自己本位で築く個人の幸
           夏目漱石『私の個人主義』あらすじ考察

 2022/07/04
日本的な文化   独自性をもった特色

下伊那農学校一年生の少年時代といえば、昭和18年戦時中で勤労奉仕であちこちへ出ていたころでした。 旦開村(現在の阿南町)新野盆地は千石平と言われた広い水田の多い地区で泊りがけの勤労奉仕に行ったことがあった。 その原町に法務局があって母の叔母も住んでいました。 時間を見てその叔母を訪ねた時があり、漱石の三四郎はいい本だから読みなさいと勧められたのです。
私は漱石という人も知らず、もちろんそうした文学書なるものを見たことも読んだこともなかった。 けれども叔母の熱心な話あんばいは脳裏に深く残っていました。

そのご長野で三年間の学業生活を何とかおわり、満20才のときには教壇に立っていました。 戦後になっていたから本もポツポツ買うことができるようになったのです。 読書といえば叔母に勧められた漱石の三四郎を思い、集中し始めたのです。 千代中学から神稲中学へ転勤してもその傾向は続いていました。

北部支会の先生方の総会の折、佐古純一郎氏の「夏目漱石の実存主義」という講演がありました。 その講演のテープの文章化の仕事を受けもつこととなって、作品の一連化の解説を学びました。 その後70才ころか、学習院でおこなった「私の個人主義」を丹念に読みました。 彼が文部省推薦の英文学研修の留学生としてイギリスへ渡ってから、一時神経衰弱とうわさされ帰国後生き方をかえました。

この生き方とは何だったのか。 文学者としての歩みは何を目指したのだろうか。 佐古純一郎の実存手記の講演だけでは理解しがたいのです。

次の資料を見て下さい。 見てほしいのは※印のあるところです。
始めの※印は「漱石の生涯」ですが、開くと 幼少時代 学生時代 松山・熊本時代 英国留学時代 小説執筆時代I 5つの区分に分けた漱石の生涯が紹介されています。
二番目の♦印は 夏目漱石の漢詩と「則天去私」 で、これは字が小さくて読みにくいのですが、漱石のバックボーンになる東洋的なものを理解できます。


東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ
     <http://www.library.tohoku.ac.jp/collection/collection/soseki/>
   トップ  夏目漱石について
   夏目漱石について  夏目漱石年譜
   漱石文庫について   漱石の生涯
   漱石文庫データベース  漱石の主要作品
   漱石文庫関係文献目録  漱石をとりまく人々
夏目漱石の漢詩と「則天去私」

枠内のデータはどれを見ても役立つ内容でした。
「漱石の生涯」は 幼少時代 学生時代 松山・熊本時代 英国留学時代 小説執筆時代I 小説執筆時代II に区分しており、英国留学時代を見ると彼が神経衰弱になっていたなどはとんでもない間違いで、東洋思想と文学が西洋思想と文学の深い相違を理解し、自分の文学への意志を固めた時期であることが明らかにわかるのです。

ここにおいて後々漱石の「則天去私」のバックボーンも始まっていたのです。 こうした立場が軽妙洒脱なタッチで描かれた「草枕」に現れていることが理解できるのです。

昔のこと、横道利一の「旅愁」(昭和文学全集・第一巻)を読み始めた時だ。 「なんて読みにくい文章だなぁ?」と感じしばらく読んでやめたことがある。 叔母の勧めで夏目漱石を読み始めやがて、‘山路を登りながら、かう考えた’で始まる「草枕」も読んでいた。 軽妙洒脱なタッチはそう易々と書けるものではない。 。で終わる文尾の表現を書き出して比べてみたところ、漱石の文尾表現は断定表現から、形容詞、形容動詞、名詞、推量、禁止、否定、等々テンポがいい軽業師を思わせるところもある。

文学者たるものの意地にしても詩的表現とか想像力とか読む人の心をうまく誘うのです。格が違う、そう感ずる。

更に東洋と西洋の詩の表現の内容、思想の相違も明らかにしている。 漢文学の素養に違いもあるにせよ漱石の思考の深さが枠組みのデータだけでも概要を理解できるのです。

学習院での話「私の個人主義」にしても独自の品位の高い日本人を学ばせようとしていると思います。



現状の世界情勢を田中宇の解説で見ていると、思うのに、夏目漱石が腹を決めた根底を今こそ私たち日本人は見習ったほうがいいと思う。
こういう見方は普通はしないのだが、世界の覇権を我が物顔をして振舞っていた米国が、第三次世界大戦と言われる醜い世界を挙げての経済戦争に導いていることが明らかになってきたからです。


田中宇の解説では、
  【2022年6月30日】◆制裁されるほど強くなるロシア非米側の金資源本位制
  【2022年7月3日】日米欧の負けが込むロシア敵視
最近の二つの解説を読んでみると、世界はそう簡単に変わっていくものではないことがよくわかるのです。

制裁されるほど強くなるロシア非米側の金資源本位制

2022年6月30日  田中 宇
6月27日からドイツで開かれたG7サミットはロシア敵視のかたまりだった。ウクライナのゼレンスキー大統領が「ご本尊」のようにビデオ参加して、戦争疲れする米同盟諸国の指導者たちに睨みを効かせて叱り飛ばす状況下で、G7はウクライナに対して軍事経済両面の支援を恒久化することを誓い、ロシア産の金地金を輸入禁止にすることや、ロシアが輸出する石油価格に上限を設けるといったロシア敵視策を決めた。G7は、ロシアがウクライナからの穀物輸出を阻止して世界を食糧難に陥らせているという(事実を歪曲した)非難も表明した。またG7は、中国の一帯一路に対抗する南太平洋地域などでのインフラ整備計画など、ロシアだけでなく中国をも敵視する姿勢を打ち出した。 (Commits To 'Indefinite' Military & Financial Support To Ukraine)

これらの策によって露中が弱体化するのならG7の思惑通りになる。だが実際は、これらの策で露中が弱体化するどころかますます強くなり、むしろG7など米国側の方が、石油ガス金地金など資源の不足や高騰にみまわれ、露中など非米側が「金・資源本位制」を発展させて台頭することを誘発している。米国側がロシアを敵視するほど、BRICSなど非米諸国はロシアを支持して結束する。

以前は米国の「ドル本位制」が世界を席巻していたが、ウクライナ開戦と同時期に米連銀がドルを支えていたQE策(造幣して債券を買い支えるバブル維持策)をやめて逆回しのQT策(資産圧縮)を始めたこともあり、ドル本位制(米国覇権)が崩壊して金資源本位制(露中などの多極型覇権)に取って代わり始めた。米国側が今回のG7サミットで決めたことは、自分たちを非米側の金資源本位制から切り離す策だ。今後のドルの金融崩壊によって米国側の資産が大幅に減価した場合の、米覇権喪失と多極化をより決定的なものにする「隠れ多極主義」の策である。G7を仕切っている米バイデン政権を牛耳っているのが米諜報界の隠れ多極派なので、今回のような展開になったのだろう。 (G7 Set To Impose "Price Caps" On Russian Oil; Unclear What This Actually Does)

(米連銀は、資産の状況を毎週木曜日に発表しているが、6月に入って3週連続で資産総額が増え続けている。QT策を続けているなら資産が減らないとおかしい。来週か再来週にまとめてドカンと削減するのか、さもなければ連銀はこっそりQTをやめたことになる。QTを続けると株や債券に入っていた資金が抜けて大幅下落・金利上昇になる。暴落を避けたければ連銀はQTをやめるしかない。QTがどうなるかで、ドルや米金融覇権の今後の延命状態が決まる。QTを続けたら9月までに金融崩壊が激しくなると指摘されている) (The Fed - Factors Affecting Reserve Balances) (The Market Is Telling The Fed That After September They Are Done)

米欧日など米国側はウクライナ開戦後、ロシアからの金地金の輸入を急減しており、今回の金地金の輸入禁止策はそれをさらに強化した。ロシアは世界的な金地金の産出国であり、ロシアから欧米への金地金の輸出が止まることは供給減なので金相場の上昇につながりそうだが、実際の金相場は変化せず、1オンス2千ドルの以下に幽閉されたままだ。QE資金などを使った「ドル側」からの信用取引での金相場の上昇抑止の機能が効いているので上がらないのだろう。 (ロシアを皮切りに世界が金本位制に戻る)

中国インドなど非米諸国は金地金の備蓄を増やしているが、金地金の「国際価格」は米国側のロンドンやNYで決まる。非米側と米国側の経済が完全に分離されていく状況が進んでいるため、非米側の需給状況が米国側の市場に反映されない。金地金など資源類の価格は「国際市場」という名前の「米国側市場」で決められている。資源類の大半はすでに非米側が握っているが、国際価格の決定は敵方の米国側が決めている。そこでは米国側を優勢にする目的で価格抑止の金融トリックが横行しており、石油ガスなどの価格も抑止されている(石油ガスはすでに高いが、抑止がなければもっと高騰する)。

この状況は今後もしばらく続く。米国側では、金価格が高騰する前に品薄になって地金が買いにくくなる。いずれ米国側の金融システムが崩壊すると、資源類の価格抑止も終了し、非米側が握っている資源類が急騰し、金資源本位制への移行や多極化、覇権転換が劇的に進む。それまでの間、金地金は過小評価され続け、地金よりドルがはるかに優勢に見える状態が続く。その間に非米諸国の中央銀行が金地金の備蓄を増やす。

G7は今回、ロシアが世界に売る石油の価格に上限を設ける政策も打ち出した。この政策は頓珍漢で逆効果だ。G7諸国はロシアから買う石油を減らしており、ロシアの石油のより多くがG7の影響圏外にある非米諸国に輸出されている。G7は、敵国であるロシアの石油の輸出価格に影響を与える力をほとんど持っていない。G7の一員である欧州が、ロシアから買う石油の価格に上限を設けて安く制限しようとすれば、ロシアは欧州に石油を売らなくなり、その分は非米諸国に売られる。欧州の精油所の多くはロシアのウラル原油用に設計されており、他の産地の石油を精製できない。

ロシアからの石油が止まって困るのは、G7でロシアの石油を最も買っている欧州だ。G7を動かしているバイデンの米国は、欧州を自滅させ、ロシアを強化する隠れ多極派だ。米国はNATOやEUに命じて、ロシア領の飛び地であるカリーニングラードに対する経済封鎖を行い、その報復としてロシアは欧州に売る石油やガスを減らすことを検討している。米国は、対露制裁の名のもとに欧州を自滅させる策を次々と打っている。G7は今回のサミットで、永久にウクライナを軍事・経済の両面で支援し続けると宣言した。G7がウクライナ支援を長期化するほど、ロシアはG7など米国側に資源類を売らなくなり、欧州を皮切りに資源の不足と高騰で経済難がひどくなる。 (ウソだらけのウクライナ戦争)

欧州は自滅させられたくないだろう。ウクライナ問題の経緯を見れば、最も悪いのはロシアでなく米英であることもわかるはずだ。米国の対露制裁に乗らない方が賢明だ。しかし、欧州は安全保障を米国に依存して対米従属を続けてきたため、米国の言いなりにならないわけにいかない。米国はそれを知っているから、ますます欧州に「ロシアを制裁しろ。敵視しろ」と加圧してくる。米国の傀儡であるゼレンスキーも、横柄な感じで欧州に過大な要求をしてくる。バイデンは「ウクライナは間もなくEUに加盟できるだろう」とうそぶき、それに対してEU側は「ウクライナがEUに加盟するには多くの改革が必要で、何年もかかる。間もなく加盟できるという話は、欧州がウクライナを支援していますという象徴の話にすぎない」と言い訳し、ゼレンスキーがEUに不満を表明する茶番劇が展開している。 (ウクライナ戦争で最も悪いのは米英)

G7は今回のサミットで「ロシアがウクライナの港湾に機雷を敷設し、世界的な穀倉地帯であるウクライナからの穀物輸出を妨害して世界を食糧難に陥れている」と非難した。だが実のところ、オデッサやマリウポリといったウクライナの港湾に機雷を敷設したのは米国の指示に従ったウクライナ側だ。ロシアはむしろマリウポリを占領して機雷を撤去し、穀物を輸出する船が入港できるようにした。ウクライナ戦争は、ロシア敵視のウソに満ちている。 (G7: Russia Engaged In "Geopolitically Motivated Attack" On Global Food Security) (ドイツの失敗)

G7諸国は今回のサミットで、中国の地域覇権戦略である「一帯一路」に対抗するため、合計6000億ドルをかけて途上諸国のインフラに投資する新計画PGIIも決めた。G7は、ロシアや中国を敵視して対抗する策ばかりやっており、覇権勢力としての主体性がない。しかも、G7の諸策は中露を弱体化できない。一帯一路の参加諸国に対してG7諸国がインフラ投資しても、対象国が一帯一路から抜けてくれるわけではない。ほとんどの国は、中国とG7の両方から投資してもらおうとする。投資先の途上諸国に対し、G7は「中国とつきあうな」と言いたがるが、中国は「G7とつきあうな」と言わない。その点で中国の方が有利だ。 (G7 Unveils $600 Billion Global Infrastructure Plan To Counter China's 'Belt And Road')

これまで米豪の影響圏にいた南太平洋のソロモン諸島が最近、中国と安保協定を結び、米豪から非難されたが、中国は「うちと安保協定を結んだら米豪とつきあうな」とは言っていない。G7がソロモン諸島に新たなインフラ投資をしても、ソロモン諸島に中国との縁を切らせることはできない。米国やG7の中国包囲網戦略は中国の影響圏拡大を止められない。中国はソロモン諸島だけでなく、キリバス、サモア、フィジー、トンガ、バヌアツなど、太平洋の他の島嶼諸国に対しても影響を拡大しようとしている。 (Solomon Islands Foreign Minister Pushes Back on Criticism of Deal With China)

中国の台頭に対し、周辺地域の親米諸国の中でも日本やニュージーランド、東南アジア諸国などは、米国から加圧されても中国敵視を強めたくない。東南アジアは米国側から非米側に移りつつある。米英豪は昨秋、中国敵視の新たな同盟体としてAUKUSを作ったが、日NZはAUKUSに入らない姿勢をとり続けている。しかたがないので米国は、太平洋の島嶼国に対する中国の影響圏拡大に対抗する組織として、AUKUSの外側に日NZも含めたゆるやかな会合としてPBP(ブルーパシフィックにおけるパートナー)を6月下旬に作った。日本ではマスコミなどが中国敵視の姿勢を毎日喧伝しているが、自民党や官僚機構は米国の中国敵視策に表面的なお付き合い以上の本格関与をしたがらない。自国の弱さを大事にするため、強くなることより紛争に巻き込まれないことを重視する日本は、表向き対米従属一本槍や軍備増強を言いつつ、実のところすでに米中両属であり、目立たないかたちで多極化に対応している。 (US launches new alliance in Pacific)

米国やG7、NATOは、稚拙に過激な敵視策によって逆に中露を強化している。世界は、ドル本位制の米国覇権から資源本位制の多極型に転換していく。だが、この流れを逆行させうるシナリオとして、中露で国内的な政治対立が激化してプーチンや習近平が失脚して政権転覆されると、中露が内部崩壊して多極化が進まなくなり、米国覇権が延命する。ロシアの場合、ウクライナで戦争している限り「有事体制」なので、プーチンの独裁がゆるぎにくく、政権転覆の可能性はほとんどない。中国の方が不安定で、共産党上層部が以前の集団指導体制から今後の習近平の独裁体制にうまく移行していけるか懸念がある。トウ小平が決めた集団指導体制を好んでいたリベラル派による反逆・巻き返しがまだありうる。中国が混乱したら、米諜報界がそれを拡大する策をやる。1989年の天安門事件の再来になる。

それを防ぐために習近平がやっている策略の一つが、国内の人の動きを規制・監視強化して党上層部での自分への反逆を防ぐための「ゼロコロナ策」でないかと私は考えている。新型コロナは世界的に下火になっており、延々と都市閉鎖を続けるゼロコロナ策は不必要だし、もともと効かないものだとわかっていた。それなのに習近平は今後もずっとゼロコロナ策を続けるつもりだ。WHOのトップが、中国はゼロコロナをやめた方が良いと述べたが、中国側は無視して続けている。北京市の党委書記である蔡奇が最近、ゼロコロナ策はあと5年続くと北京日報に語り、大騒ぎになったため「あと5年」のくだりが記事から削除され、この件について微博などSNSに書き込むことも禁じられる言論統制が敷かれた。ゼロコロナ策は中国の人々にとても不評だが、あと5年続いても不思議はないと多くの人が思っている。 (China Suggests it Could Maintain ‘Zero COVID’ Policy For 5 Years) (Inside China’s Zero-Covid Fortress, Xi Admits No Doubts)

中国のゼロコロナ策があと5年続くということは、政権転覆の懸念があと5年続くと習近平が思っているということでないか。米国覇権の崩壊と多極化が大きく進むと、中国の政権が転覆される可能性も大幅に下がる。それまで(とりあえず)あと5年と考えておけば良いか、ということだと感じられる。米連銀がQTをやめずに予定通り加速すると、今年から来年にかけてドルや米金融覇権の崩壊が大きく進み、2年以内に習近平がゼロコロナ策をやめられる独裁安定の状態になりそうだが、連銀がQTをやめてQEを再開して米金融を延命させると、再度の崩壊まで5年がかりになるとか。今後の世界がどうなるか非常に見えにくく、予想というより妄想の世界に入ってしまうが、あえて書くとそんな感じになる。 (China Paralyzed As Feud Erupts Between Xi And Li Over Covid Response) (Chinese Lockdowns Expand, Raising More Questions About Beijing's Motives For Shutting Down)

ゼロコロナ策はむしろ習近平に対する人民の不満を増大させているという説もあるが、それだけならコロナ対策として効果がないゼロコロナをすぐにやめれば良い。不満増大というマイナスを上回る政治的なプラスがあるからゼロコロナが続けられている。中国が猛烈なゼロコロナ策をやっているのを見て、北朝鮮も5月から突然ゼロコロナを始めた。北が中国の真似をしたことも、中朝のゼロコロナ策が感染症対策のふりをした独裁維持の政治策に違いないと思う一因だ。 (Kim Mobilizes Military To Tackle "Explosive" North Korean COVID Outbreak, Infected Told To 'Gargle Saltwater')

従来の米国覇権下のドル本位制に替わる非米諸国主導の金資源本位制とは、どんな体制なのか。金本位制を石油ガスなど資源にも拡大してバスケット制にして通貨の価値と連動する体制のようだ。もっと具体的な説明は、宣伝役のロシアからもまだ出てきていない。曖昧な概念だけが先行している。米国側のマスコミは全く報じない。情報源はゼロヘッジやロシア系メディアなどしかない。ならばインチキ話でないのか?、というとそうではない。今まで覇権動向を観察してきた経験から、金資源本位制への転換はほぼ確実だと私には感じられる。具体的なことがわかってきたら書いていく。

日米欧の負けが込むロシア敵視

2022年7月3日   田中 宇
日本へのガス供給の1割を占めるロシアのサハリン2の天然ガスの開発には、資金の22.5%を日本勢(2商社)が出してきた(他に欧シェルが27.5%。残りの50%は露ガスプロム)。だがプーチン露大統領は6月30日、サハリン2を完全国有化して日欧を締め出す方向の大統領令を出した。日欧勢は、1か月以内にロシア政府に申請して許可を得ないとガスの利権を失ってしまう。シェルはウクライナ開戦後、ロシア敵視の一環としてサハリン2の利権を手放すと発表し、インドや中国の勢力に売却する話も出た(まだ実現していない)。対照的に日本は、今後もサハリン2からガスを買い続ける方針を政府が決めている。 (Russia seizes control of Sakhalin gas project, raises stakes with West)

サハリン2からガスが止まると、広島など全国のいくつも場所で都市ガスの供給が行き詰まり、多くの国民がガスなしの生活を強いられることになりかねない。2月のウクライナ開戦以来、米国側がロシアからの石油ガス輸入を止める決断をしたため、ロシア以外の産出国の天然ガスに対する需要が急増し、ロシア以外のガスは世界的に全く売り切れ状態だ。サハリン2からのLNG輸入が止まったら、日本が替わりのガスの輸入先を見つけることは不可能だ。日本は、プーチンに頼み込んでサハリンのガスを輸入し続けるしかない。 (ガスをルーブル建てにして米国側に報復するロシア) (Russia seizes control of Sakhalin gas project, raises stakes with West)

日本政府は「ガスがすぐに止まるわけではない」とか「事実関係を確認中です」などと言っている。だが、あらためて確認するまでもなく、プーチンは、日本政府がこれまでのように米国やG7と調子を合わせてロシア敵視の発言を続けていたら、1か月後もしくはもう少し先に、サハリン2の日本勢の利権を剥奪し、日本をガス不足に陥れる。ガスがすぐに止まるわけではないが、このままだといずれ止まる。日本政府は、これまでよりもロシア敵視のトーンを下げ、裏でプーチンと交渉してガスの流れを維持するしかない(安倍晋三の訪露とか)。

日本はウクライナに兵器を送っておらず、岸田首相らが対米追随の一環として、くちでロシアを敵視・非難してきただけなので、今後の露敵視の演技を抑制が比較的やりやすい。ロシア敵視をやめるには米英から非難されることを覚悟して腹をくくる必要があり、それを考えると日本には無理かな?、とも思うが、国民にガスなしの生活を強いるのと、どっちを選ぶんだという戦後初の決定的な選択肢なので、自民党と官僚機構は腹をくくらざるを得なくなっていく。

2月の開戦後、ドイツなどEU勢は、ロシアからの石油ガスを止めると豪語し、露側がルーブルで払えと言っても拒否するなど強気だった。対抗してロシアは欧州へのガスを止める姿勢を見せていた。だが、実際にはロシアからの石油ガス輸入停止は欧州経済にとって不可能であり、ロシアもそれを知っていたからすぐには石油ガスを止めず、そのうちに欧州側はしだいに譲歩してルーブル払いに応じ、今でもEU勢はロシアからの石油ガスを買い続けている。ロシアは、主戦場である欧州ですら、石油ガス輸出について急進的な強硬策をとっていなかった。主戦場から遠く離れたアジアの日本に対して、これまでロシアはさらに寛容だった。 (ルーブル化で資源国をドル離れに誘導するプーチン)

だが今後は違う。ロシアは米国側に対し、ウクライナでの軍事的な戦争で優勢を確立しただけでなく、経済面の世界規模の対立(金資源本位制とドル本位制との果たし合い)でも中国インドなど非米諸国を率いて優勢を増している。ロシアは、軍事と経済を合わせた複合戦争・複合世界大戦の全体で、米国側に勝っている。米国側は、米連銀(FRB)のQE終了・QT開始によるバブル崩壊もあり、インフレと物不足と不況と金融崩壊が合わさって、どんどん経済が悪化している。ロシアの優勢と米国側の劣勢が拡大する一方になりそうな今後、ロシアは今までの慎重な姿勢をやめて、ロシアが日独などへの石油ガス資源類を使った嫌がらせ・加圧を増加し、日独がどこまで対米従属を続けて自滅していくものなのか、どこかで対米従属を離れてロシアと和解して非米側に足を突っ込んでくれるものなのか、見定めようとしている。ロシアは今後、日本へのガス輸出についてしだいに強い姿勢をとっていくようになる。 (もっとひどくなる金融危機) (複合大戦で露中非米側が米国側に勝つ)

日本が対米従属の一環としてのロシア敵視をやめずに今後も続けた場合、ロシアはサハリン2の日本勢の利権を没収して中国やインドなど非米諸国に売ってしまい、日本は二度とサハリンからガスを輸入できなくなる(中印などから高値で転売してもらえるかもしれないが、日本のガス料金は高騰する)。ロシアはガスの利権を中印などに売れるので、日本から敵視され続けても全然困らない。困るのは日本の側だけだ。 (現物側が金融側を下克上する)

ウクライナ開戦後、世界経済は米国側と非米側(ロシア側)に分割され、米国側は非米側から石油ガスなどエネルギーや資源類を輸入しにくくなった。資源類の利権の大半は非米側が持っており、米国側はこれから半永久的に資源類が不足・高騰した状態が続く。日本など米国側の諸国民は、インフレや物不足、食糧難、不況や金融バブル崩壊に苦しめられる傾向がこれから増していく。非米側の途上諸国でも食糧難などが起きるが、人々の生活水準の下落幅は、これまでいい生活をしてきた米国側の先進諸国の方が大きい。日欧の国民は、政府が対米従属の姿勢をとってロシア敵視を続けているがゆえに、生活苦に苦しめられてひどい目にあう。事態はまだ序の口だ。米国のロシア敵視は今後1-2年かもっと長く続くので、その間ずっと米国側の経済状況が悪化し続ける。 (White House Is Quietly Modeling For $200 Oil "Shock")

戦後の日欧が対米従属の国是を採用したのは、圧倒的な覇権国である米国が世界のエネルギー利権を握り、米国に従属している限り、軍事だけでなくエネルギーや食料など資源類の供給に関しても安全が保障されるからだった。軍事経済両面での安全保障策として、日欧は対米従属してきた。だがウクライナ開戦後、気づいてみたら世界のエネルギー資源類の利権の多くは、米国側でなく露中イランなど非米側に取られている。サウジアラビアも非米側になってしまっており、バイデン米大統領が懇願してもサウジの皇太子は石油を売ってくれなくなっている。米国は、日欧など自陣営の従属諸国(同盟諸国)の経済安全保障を守ってやれなくなっている。軍事的にも、中露結束の結果、米国は中露と互角になっている。もしロシアが経済制裁への報復として欧州を軍事攻撃しても、米国がNATOの5条に沿って欧州を守るために反撃してくれるのかどうか怪しい。日欧は米国に守ってもらうために従属しているのに、米国はすでに日欧を守れなくなっている。エネルギー資源類の確保など経済安保の面でそれが顕著になっている。 (US Officials Doubt Ukraine Can Take Back Territory, White House "Losing Confidence") (President Biden Asks The Saudis To Bail Him Out)

その一方で米国は、もし日欧が「エネルギーを確保するためにロシア敵視をやめます」と宣言したら、「それならもう日欧は味方でなく敵だ」と非難・敵視するだろう。米国は、自分が日欧を守れなくなっているくせに、守ってもらえなくなったので敵方のロシアに譲歩しますと日欧が言い出すと、逆ギレして非難敵視してくる。米国は覇権の力が落ち、やくざな国になっている。縁切りしないと危険だが、簡単には足抜けさせてもらえない。日本は今後、米国に気兼ねしてロシア敵視をやめられず、ロシアからガスなど資源類の供給を次々と止められて、いよいよ国民生活が窮乏していく可能性が増す。米国はすでにひどい物不足と物価高騰になっているが、日本はこれまでそうでなかった。今後は違う。日本も米国みたいになっていきそうだ。自民党など日本政府は、早く腹をくくって米国から距離をおいてロシア敵視をやめないと、国民がひどい目にあう。安倍晋三が訪露してプーチンと会うのが解決への道筋だ。 (当事者能力を失う米国)

以前はこんな時、野党が政府を批判していた。だが今回は、政府より野党(とくに左翼リベラル派)の方がロシア敵視の間抜けな構造に見事にはまってしまっている。左翼リベラル派は「ウクライナに侵攻したロシアは極悪だ」と言うが、その主張は間違いだ。ウクライナ問題は、冷戦後にソ連が崩壊し、ロシアとウクライナ(など旧ソ連諸国)という別々の国家になってしまったことに伴う各種の問題を米英が悪用し、ウクライナを傀儡化してロシアの脅威になるように扇動・内戦化したために起きている。ウクライナ戦争の構図を作ったのは米英だ。ロシアは被害者だ。知識人(笑)のくせに、そういった歴史をわざと無視してロシアが悪いと言っている日本や米欧の左翼リベラルやその系統のマスコミは間違っている。彼らは、隠れ多極派である米ネオコンのうっかり傀儡になって米国側を自滅させている。 (プーチンの偽悪戦略に乗せられた人類)

日本が対米従属をやめたら中国に攻撃されるって??。そんなことはない。うまく非米諸国の中に入っているインドは、ロシアから資源類を安く買い続け、ロシアと仲良くしているが、米国から「説得」されるだけで非難敵視されていない。インドは中国の仇敵だったが、最近のインドと中国の関係は安定している。日本は、インドよりも親中国だ。日本は、うまく対米従属から離れられたら、インドみたいになれる。日本は、自滅策しか打ち出さなくなったG7もやめてしまった方が良い。苦労させられるばかりなのだから同盟なんか要らない。ハンチントンが文明の衝突で提案してくれた孤立文明が一番の得策だ。欧米かぶれは、左翼リベラル思想と一緒に捨てた方が良い。 (Putin & Modi Hold Warm Phone Call As India Gorges On Cheap Russian Oil



自己本位で築く個人の幸
夏目漱石『私の個人主義』あらすじ考察
      https://ks-novel.com/my_individualism/-/19516/.html

夏目漱石の『私の個人主義』は、1912年に行われた学習院輔仁会における講演録です。 小説のみならず、座談や講演の名手として定評があった漱石。彼の文学作品を解釈する上で「個人主義」というテーマは欠かせません。 果たして漱石が啓蒙する「個人主義」とは、いかなる考え方だったのでしょうか?
「私の 個人主義 」は、 漱石 が亡くなる2年前の 大正3年 (1914年)に、 学習院 の学生に向けて講演された内容をまとめたもので、大きく前半部と後半部に分かれる。 前半部では、文学とは何か、自分の進むべきはどこなのか、長い間わからず苦しんだ 漱石 が、 「自己本位」という言葉を手に入れて、自分の人生を生きるまでの半生が語られる。 後半部では、 「自由」と「義務」、「自由」と「道徳」について語られる。 自分の個性が最大限発揮され、自由に生きるときには、 自分以外の他者の個性や自由を尊重しなければいけないということが 権力や金力の話を交えながら語られる。
学習院大学の学生団体に向けた講演内容が収録されています。

漱石の考える「個人主義」とは、自己の個性の発展を意味します。自分が向かいたい道を自己本位で掘っていくことが、個人の幸福のために必要だと言うのです。ただし、個性の発展には倫理的修養を積む必要があります。要するに、個人主義と利己主義の違いを説いているのです。自己の個性を追求する以上、他人の個性を尊重することが鉄則なのです。

時に個人主義にちなんで、権力や金力を濫用する者がありますが、漱石はその危険性を強く警告しています。個性、権力、金力、この三者を亨け楽しむには、それに伴う責任を重んじる必要があるのです。責任を放棄すれば、たちまち社会は腐敗し、利己主義が蔓延ります。学習院大学の生徒たちは、将来的に権力や金力に恵まれる可能性が高いだけに、漱石はその責任をもって諭すのでした。

夏目漱石の小説を読んだことがある人なら、彼がいかに個人主義を啓蒙するのに生きた文豪であるかが分かると思います。

その背景には「明治時代」の価値観が大きく関係しています。

代表作『三四郎』では、都会に進学した三四郎の叶わぬ恋物語が描かれていました。通俗的な恋愛青春小説に留まらず、明治期の日本を批評する内容が多く記されています。とりわけ、日本人の価値観が狭いという内容でした。依然として集団主義的な価値観に囚われた国民性を風刺していたのでしょう。

ヒロインである美禰子が口にした「Stray Sheep」という台詞。これは自由恋愛が許されない結婚観に苦しむ、明治期の女性の悲嘆の意が含まれていました。つまり『三四郎』には、個人主義の敗北の末に叶わなかった悲しい恋愛という背景があったのです。

このように漱石は、明治期にいち早く西洋の価値観を吸収し、小説を通して個人主義という考えを訴えていました。ただし、読者にある程度の教養がなければそういった主題を見出すことが難しく、その点において『私の個人主義』では明確に彼の想い描く個人主義のあり方が露呈されているので分かりやすいです。

ちなみに明治期には許容されなかった個人主義は、大正時代になると「大正デモクラシー」の名の通り、日本国内に浸透していきます。その変遷を象徴するのが芥川龍之介という次世代スターの登場です。人間の利己的な側面に焦点を当ててシニカルに描く作風は、集団主義の時代が終焉したことを物語っています。

この明治から大正への価値観の変遷は、漱石の代表作『こころ』にも色濃く現れています。父親の危篤と先生の自殺が、乃木希典の自殺と重ね合わせて描かれる部分に注目すれば、時代の過渡期における国民の混乱を読み解くことができます。

こういった前提知識を踏まえた上で、『私の個人主義』の内容を解説していきます。

漱石の悩みと、本当の個人主義
講演において、個人主義の啓蒙に至るまでの前置きとして、漱石は自身のこれまでの経緯を簡単に説明しています。その中で、教員の職に不満足だという心中を明かしています。彼が教員の職を務めていた経験は代表作『坊っちゃん』の題材にもなっています。

漱石は空虚な気持ちを抱えながら、興味の無い教員の職を務めていたみたいです。だからと言って、自分が本当に向かいたい本領が何なのかも見出せずにいました。その時の状態を「霧の中に閉じ込められた孤独の人間」と漱石は表現しています。

漱石はイギリス留学をして、実際に西洋の風土を体験したにもかかわらず、やはり心の霧は晴れなかったようです。

神経症に陥いるほど悩んだ漱石。彼が最終的に見つけた答えとは、文学の概念を根本的に自力で作り上げる、というものでした。

それは当時の日本人が、自分の腑に落ちなくても西洋人の言うことは正しい、と受売りの知識を蓄える状態を批判してのことです。西洋が日本より先進的な考えを持っていることは事実であれど、個人がその是非を考えることなく、他人本位的な姿勢で順応する危険性を指摘していたのです。

西洋人がそうであるから、大衆がそうだから。それはある意味、集団主義的な価値観から抜け出せていないのと同じです。

だからこそ、漱石は自己本位による創作を追求し、本当の意味での個人主義に到達しようとしたのでしょう。この考えに気づいた途端に彼の心の霧は晴れ、行手を明確に知ることができたと話しています。

とかく個人主義の前提条件には、他人本位ではなく、自己本位であることが鉄則ということでしょう。自分の頭で物事を判断し、自分が本当に向かいたい道を追求することが、漱石の言う個人主義なのでした。

仮に自信も安心もないまま在来の古い道を辿れば、生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならない、と漱石は警告しています。

講演から100年以上が経過した今現在。依然として人々は同様の問題に頭を抱え、不安な気持ちに苛まれているように思います。個人主義の時代になったから個人主義なのではなく、個人が自己の幸福を追求することが叶って初めて個人主義なのでしょう。それは今でも非常に困難なものです。我々の多くは、漱石が指摘する、集団主義的に個人主義を許容する受け売りの知識人ということになるかもしれません。

ここで作中の名言をひとつ掲載しておきます。

もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。

個人主義と利己主義の違い
講演の聴衆である学習院大学の生徒たちが、上流社会の子弟ばかりであることを踏まえ、漱石は個人主義の注意点を警告しています。

学生達は裕福な育ちである故に、将来的に権力と金力を有する可能性が大いにあります。ただし「個人主義」と「権力・金力」は道義の上に結びついていると漱石は主張します。つまり、個性を追求するために、権力を他人の頭の上に無理やり押しつけ、金力で誘惑することが出来てしまうのです。

こういった危険性を指摘した上で、漱石は個人主義と利己主義の違いを述べています。
   個人主義:自分の個性を追求し、他人の個性も尊重する
   利己主義:自分の個性のために、権力と金力で他人を押さえつける
芥川龍之介が描いた人間のエゴイズムなどは、完全に後者になります。

つまり、人間は自分の個性を追求する上では、必ず周囲の人間に自由を与えてもらっているわけですから、自分も同様に他人が個性を追求する際には、尊敬の念を持って自由を与える必要があるということです。

これは西洋や欧米的な価値観だと思います。日本の場合は幼い頃から、他人に迷惑をかけないようにしろ、と教育されます。ただし、個性を追求する上では他人に迷惑をかけるのは仕方ないことであり、だからこそ自分も他人を尊重することが重要になってくるわけです。

西洋と日本、どちらの価値観が適しているかは分かりませんが、個人的には「出る杭は打たれる」に象徴される日本の国民性が苦手です。あるいは、他人が新しい道に踏み出した時に、面白そう、楽しそう、と尊敬の念を持って許容できる人間ほど美しいものはありません。

自分の利益のために他人の頭を踏みつける。それは利己主義であり、個人主義の対極に位置します。抜きんでた存在を引きずり下ろそうとする。それは未だ集団主義から抜け出せない事実を物語っています。

権力と金力でモノを言わせる支配者、不義も厭わない義のために自由を叫ぶ活動家、ネットに誹謗中傷を書き込む緩やかな自殺者。そういった跳躍した部分に個人主義がもたらす幸福は存在しないように思います。まずは道義、その上にしか成り立たない個人主義だからこそ、人間としての徳義心を試されるのでしょう。

自分が本当に好きなものを知っている人間には敵わない。その純粋な感情を、集団主義によって踏みにじらない社会であってほしい。

私感が過ぎました。