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続折々の記 2023 ①
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 02】01/03
  両親への報恩  子孫に報いる
    ・3万年前の花が咲いた
    ・モーセの十戒を中心とした考え方と言っても
     差しつかえないと思う

 2023/01/03
両親への報恩    子孫に報いる

モーセの十戒は先哲の言葉であったと思う。 山上で一人で受けたという記録は、物語としての秘密にすべきことだったのでしょう。

第一に神について載せているけれども、根底にある哲理はいのちの伝承をしてきた親を敬うこととその願いを伝承し繁栄を願うことにあったと考えていたに違いない。

私はそう理解するようになったのです。 幼い時から親の愛を受け、反抗ではなく従順に育ってきている真実を、モーセは言葉として残してくれたと考えるようになったのです。

私の思いは間違いだろうか、自分ではいろいろと検討してきたのです。

慈父、賢母という言葉がある。 いつ頭に残っていたのか分かりませんが、それは間違いなく親の心の願いであり、こころの奥底に組み込まれていた崇高な仕組みだったと思うようになりました。

殊にそれはDNA遺伝子がもつ理解できないほどの神秘的な活動を、筑波大学教授村上和雄さんは something great(なにか〔能力・内容などの点で〕優れた,偉大な,優秀な,卓越したもの) と表現しています。

これだ! これなんだ!! これが大自然の不思議な恩恵なんだ!  これをモーセは ‘神’ と言ったんだ!! 頭の中はものすごい衝撃として反応したのです。

この考え、受け止め方は間違いだろうか? いや! 間違いではない。 頭ら中でいろいろと繰り返し考えてみました。
🔶       🔶       🔶       🔶       🔶
どうして間違いないのか。 それにはいろいろと考えてきたことがあるからなのです。 およそのことを次に書き記(シル)します。

1 生きものはみんな、木でも花でも、豚や山羊でも、野菜も昆虫も、何百年も命を伝承してきていることに間違いない。

2 平地の植物が子孫を残すためにいろいろと果実として種子を残す、それは何百年もされてきたことです。 果実のなかにあるいろいろの種子は、鳥の餌として食べられ違う場所で糞(フン)として移動され、そこで生きなければならないのです。 高山のいろいろの植物はそうして進化し、花に虫が来るように美しい色の花を咲かすようにしたり、果実は動物の餌として食べられてその種子は広がって、いのちを伝承しているのです。 そう考えてもおかしくはないでしょう。

3 動物にしても、アフリカのいろいろの動物は気候の変化によって水にしても食べ物にしても厳しい環境の変化のなかで子供を残しています。 子孫を残しているのです。 人類と同じようにいろいろの知能をとりいれて、厳しい環境のなかでも子供を大事に守って生き抜いています。

4 小鳥たちが幼い雛が生きていくのをいのちがけで守り通しています。 テレビでよく放映しますから、雛を守るための注意、襲いかかる危険には親がした通りの知恵によって我が子を守り抜こうとしています。 涙ぐなしい姿に私たちは感動してしまいます。

5 動物の赤ちゃんは人間と同じように、まだ見えないときでも親がしてくれることを完全に理解する能力をもっています。 そんなことがどうして言えるのか? これはテレビ放映をしたから私は今でも脳裏にはっきりその映像が残っているのです。

これは動物園の映像だった。 猿の赤ちゃんが生まれて、親猿はなんでだか死んでしまったので担当の飼育員さんがすべてを親代わりのことを受けもって育てたそうです。 やがて成長して妊娠しその猿が出産したのです。

ところがどうなったのか!!  産んだ猿はとんでもないことが起こったと感じたのでしょうか、驚き跳ね上がって、赤ちゃんをそのままにして、囲いの反対側の金網へかきあがり、ギャァギャァ叫び声を上げたのです!

親に育てられたサルは、決してそんなことはなく自ら愛おしく抱きかかえるそうだと説明してくれました。 動物園でも初めてのことだったのです。

6 3万年前の花が咲いた (クリック)
  翻訳:小林盛方

昔、ジリス(地上で生活していたリス)が隠した小さな実。すっかり忘れ去られて永久凍土の中に眠っていたその実から、先史時代の植物がよみがえった。
氷河期の地球。北方地域には、冷たく乾燥した草地マンモス・ステップが広がり、マンモスやケサイ、ジャイアントバイソンがンが闊歩(かっぽ)していた。だが、マンモス・ステップ生態系は約1万3000年前に消滅し、現在、同様の生態系は存在しない。

このほど、マンモス・ステップ生態系の構成要素であった植物の1種が、ロシアの研究チームにより現代によみがえった。約3万年前ジリス(地上に住むリス)が地中に埋め、永久凍土の中にずっと保存されていた果実や種子を掘り出し、発芽させて開花させることに成功したのだ1。今回花を咲かせた植物は、復活させることができた古代植物の中でも古さが際立っている。これまで最も古い復活古代植物は、約2000年前での種子から育ったナツメヤシだった。

凍結した組織からよみがえった先史時代の植物「スガワラビランジ」。
 [ここに美しく咲いた可憐な花は、クリックした本文で見ることができます(下平)]

ジリスの穴は、シベリア北東部のコルイマ川下流の岸辺で発見され、全部で70個にのぼった。それらは現在のツンドラの表面から深さ20~40mのところにあり、周囲からはマンモスなどの動物の骨が見つかっている。そして、一部の穴には果実や種子が数十万個貯蔵されており、そのうえ、低温で乾燥した環境のために保存状態がきわめて良好だった。

この大昔のジリスの穴にあった種子から植物を育てようという試みは、今回が初めてではない。カヤツリグサ、ギシギシ、クマコケモモ、スガワラビランジ(Silene stenophylla)といった草本の種子の育成が試されてきた。しかし、これらの植物は、発芽はするのだが、じきに生育が止まって地上部が枯れてしまい、育てることができなかった。

こうした厳しい状況を打開しようと、ロシア科学アカデミーの土壌科学物理化学生物問題研究所(プーシチノ)のDavid Gilichinskyは、別の方法で発芽を試してみることにした(惜しくもGilichinskyは、2012年2月18日に他界した)。Gilichinskyの研究チームは、スガワラビランジの未成熟の果実から胎座組織を採取し、組織培養したのだ。植物の胎座は、種子の成熟過程を通じて種子に接している部分で、形態形成因子などが存在し、栄養素の輸送にかかわり、盛んに代謝が行われていると考えられる。例えば、ピーマンの内側の白い部分がそれにあたる。

ほどなく、培養組織からシュート(苗条:茎とそれに付いている葉をひとまとめにした単位)が形成された。研究チームはそれをもとにして植物体を増やした。

さらに、このナデシコ科の植物は花を咲かせ、発芽能力のある種子が得られた。すでに繁殖能力を持つ2代目の植物体が育っている。成育した古代のスガワラビランジは、コルイマ川の岸辺に見られる現代のスガワラビランジよりも多くのつぼみをつけた。だが、根の広がり方はゆっくりだった。このことから、昔のスガワラビランジの表現型は現生のものとは異なっており、氷河期の極端な環境に適応していたのだろうと考えられる。

「とうとう、氷河期の植物の復活に成功したのです。なんてすばらしいことでしょう」。こう話すのは、ユーコン古生物学プログラム(カナダ・ホワイトホース)のGrant Zazulaだ。Grantはこれまで、古代種子を発芽させたといういくつかの報告を調査・検討してきた経験を持つ。「絶滅した植物種が、永久凍土に保存されていた種子から現代によみがえるというのは、十分にありうる話です」。

確かに、マンモス・ステップ生態系を構成していた植物の中には、現代まで永らえているものもある。しかしながら、氷河時代のマンモスの胃の中や凍ったリスの食物貯蔵穴から発見されている、彼らが生きた時代のものと全く同じカヤツリグサや野の花などの組み合わせは、今ではどこにも見られない2。だが今後、さらに古い年代(数十万年前)の植物の生きた組織を復活できる可能性はある。そうなれば、もっと長い時間スケールの進化的変化が明らかになり、氷河期などの失われた生態系のようすが解明されるかもしれない、とZazulaは考えている。

別記事によれば次のように報じられています。
【2月23日 AFP】約3万2000年前にリスが地中に埋めたままシベリア永久凍土層に眠っていたナデシコ科の植物の実から、花を咲かせることに成功したと、ロシア科学アカデミー(Russian Academy of Sciences)の研究チームが21日、米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表した。古代生物学上の快挙であるだけでなく、この技術を活用すれば、絶滅した植物を復活させることも夢ではないという。

7 6の記事により、いのちの能力は細胞の中のDNAと言われる遺伝子の能力と言ってもいいのです。

人間の遺伝子DNAも同じ能力を備えているのです。 人の遺伝子数は最近のデータによれば2万1306個と言いますが、実は男女とも一つの性細胞の遺伝子それ自体の半分2万1306個も、低温保存しておけば長期間生きていると言われています。

結婚という言葉をしべ手見ると、日本では法律用語として、また人類学などの学術用語として「婚姻」が用いられてきた。結婚は、たとえば恋愛結婚ということばのように男女が夫婦関係に入る行為、または結婚生活そのものをさすことばとして日常的に用いられている、と解説しています。

その際、男女それぞれの半分ずつの染色体が一つの完全な数の2万1306個となるのだと言います。 半分ずつになっているDNA遺伝子はチャーンと生きているのです。 いのちは凄い能力を確実に持っているのです。

卵細胞の大きさは 0.1~0.2mm、通常細胞の10倍くらいで肉眼でも見えるくらいです。 逆に精子は数多く作って卵細胞まで泳いでいくため小さく身軽になっていて、尻尾の部分を含めた全長が 50~100μm これも不思議なことですがサケのいのちの伝承は、皆さんがテレビで見ている通り子孫の伝承が終わるとその生涯を閉じます。 『生き物の死にざま』を読んでいますと、いのちにかける生物の覚悟に胸が詰まるのです。 いのちの崇高な営みをいろいろと教えてくれます。

8 動物全般の生きざまを見ると、動物や植物のいのちを奪って生きています。 私たちは食事の前に「頂きます」と言います。 この言葉の陰に、他の命を奪わなくてはならないことへの罪悪感も感謝と共に含んでいるように感じるのです。 食べ物を粗末にしてはならないのは、こうした命にかかわっているからこそ、昔からご飯一粒でも「拾って食べなさい」と言われて育ったのです。

9 自分を支えてきてくれた人への報恩

心を語り合う人との交わりは尊いものです。 一つの畏敬としてもいい話がありました。 それはこんな内容でした。

ひとは三つの恩返しをしなければなりません。 まず第一は親の恩です。 第二に人様の恩です。 第三に神様の恩です。 というのです。 第一の恩はわかる、第二の恩もわかる、でも神様の恩とはちょっとわからない。 その方は言います。

頭の毛一本にしても、小指一つにしても、親の恩でもないし人様の恩でもない。 それは神様が間違いなく人の髪の毛一本から小指一つに到るすべて変なように作ってくれてはいないのです、という。 なるほどその通りだ。 自分が作ったのでもない。 人のせいにしてはいけないのだ。 なるほどその通りだった。

私はそれが頭の奥深く残った。 修学旅行で法隆寺をはじめいろいろの仏像に合掌していた。 けれども最初は丁寧だが、そのうち京都へ行く頃は簡単に手を合わすだけになる。 仏像への合掌は作った人の気持ちになって合掌することが大事な心掛けだとの話も心にしみたことでした。 ネパールで今日はと挨拶すると、合掌して「ナマステ」と挨拶された。 聞くと人様に神様が住んでいるからそれで合掌して挨拶するのだと聞いた。 言葉だけではなく心の問題だった。

10 身體髮膚、受之父母。 身体髪膚、之これを父母に受うく。
   不敢毀傷、孝之始也。 敢(アエ)て毀傷(キショウ)せざるは、孝の始めなり。
   https://kanbun.info/keibu/kokyo01.html

右手親指の第一関節で切り落とす粗相を、歳老いてしてしまった。 親がおれば、悲しんだに違いない。 心を痛めたに違いない。

とんでもない迷惑をかけたことがあった。 この時は父親が長野へ呼ばれて、クラス担当の先生から事実を知らされた。 先生からの直接説諭を受けました。 体育の時間をあまり受けなかったのが理由でした。

話が終わってから父親を駅まで送ったのですが、一口も説諭はなかった。 先生からの説諭を受けた私の心を信じてのことだと思った。 その後一度も母親からも、このことについて話題にしたことがなかった。 姉や兄にも一度もそのことを言われたことはなかったのです。 父親の心を思いやり、それを固く自分の戒めにしました。

歳老いた自分になって、こうした親への心配をかけたりしたことをしきりにいろいろ思い出すのです。 孝経の教えは、身体だけではなかった。

親鸞の訓(オシ)えも、善悪そのものを云々したものではないと思う。 人はいいことも、よくないことも、振り子のように繰り返してきたと思います。 それだからこそ、絶えず黄金律と言われる「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」とか、「仁」とか「恕」 或いは「愛」を多くの先哲の人が進めているのだと思います。

11 ・學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。
    人不知而不慍。不亦君子乎。
   ・巧言令色、鮮矣仁。
   ・剛毅木訥、近仁。
・学びて時に之を習う。亦説(よろこ)ばしからずや。
 朋有り、遠方より来る。亦楽しからずや。
 人知らずして慍(いきど)おらず、亦君子ならずや。(学而)
・「巧言令色(言葉を巧みに飾り、顔色をとり作ったりするような)な人に
 仁はない」(学而)
・「剛(私心なく無欲)毅(意思強く思い切りがよい)木
 ありのままで飾り気なく)訥(とつ・口下手)は仁に近い」(子路)

中国の古典もいろいろと仁義を養う教えがありました。

【まとめ】
モーセの十戒を中心とした考え方と言っても差しつかえないと思う
 ① 主が唯一の神であること
 ② 偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
 ③ 神の名をみだりに唱えてはならないこと
 ④ 安息日を守ること
 ⑤ 父母を敬うこと
 ⑥ 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
 ⑦ 姦淫をしてはいけないこと
 ⑧ 盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)
 ⑨ 隣人について偽証してはいけないこと
 ⑩ 隣人の家や財産をむさぼってはいけないこと
ことに①は、神という言い方でもいいがむしろ something great(大自然の不思議なエネルギー) と考えたほうが合理的だと私は思います。 それへの感謝と ………

⑤のいのちを伝承してきている父母の無限の愛の伝承と未来への希望こそ敬(ウヤマ)いとともにいのちの伝承と愛・希望を受け継ぐことが大事なことだと私は考えているのです。

愛という言葉は、黄金律の実戦の心根をなしているものであり、仁や優しさの根っこの役目を担うものだと思うのです。 大木の成長は、土の中に深く広くのびている見えない根があってこそ実現できるのです。 この広く深く伸びている根があってこそ伸びてきているのですから、言葉の意味内容を理解していなければならないと思います。

モーセが言っている最大の願いは「のは、父母を敬うことだったのだと私は思っています。 今になっては直接、父母の恩に報いることはできませんから、自分の父母の心や願いをわきまえて子や孫のために尽くし恩に報いたいのです。

参考のために「出エジプト記」の中の、モーセの十戒が出ている「第20章」を載せます。

第20章

1 神はこのすべての言葉を語って言われた。
2 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
3 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
7 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。
10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。
11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
12 あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
13 あなたは殺してはならない。
14 あなたは姦淫してはならない。
15 あなたは盗んではならない。
16 あなたは隣人について、偽証してはならない。
17 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。
18 民は皆、かみなりと、いなずまと、ラッパの音と、山の煙っているのとを見た。民は恐れおののき、遠く離れて立った。
19 彼らはモーセに言った、「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞き従います。神がわたしたちに語られぬようにしてください。それでなければ、わたしたちは死ぬでしょう」。
20 モーセは民に言った、「恐れてはならない。神はあなたがたを試みるため、またその恐れをあなたがたの目の前において、あなたがたが罪を犯さないようにするために臨まれたのである」。
21 そこで、民は遠く離れて立ったが、モーセは神のおられる濃い雲に近づいて行った。
22 主はモーセに言われた、「あなたはイスラエルの人々にこう言いなさい、『あなたがたは、わたしが天からあなたがたと語るのを見た。
23 あなたがたはわたしと並べて、何をも造ってはならない。銀の神々も、金の神々も、あなたがたのために、造ってはならない。
24 あなたはわたしのために土の祭壇を築き、その上にあなたの燔祭、酬恩祭、羊、牛をささげなければならない。わたしの名を覚えさせるすべての所で、わたしはあなたに臨んで、あなたを祝福するであろう。
25 あなたがもしわたしに石の祭壇を造るならば、切り石で築いてはならない。あなたがもし、のみをそれに当てるならば、それをけがすからである。
26 あなたは階段によって、わたしの祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所が、その上にあらわれることのないようにするためである。

以上