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折々の記 2010 @

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】01/01〜        【 02 】01/05〜        【 03 】01/10〜
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【 02 】01/05

  01 05  即身仏(その二)
  01 07  異色の般若心経 ■日没・冬至・夜明 の日時

 01 05 (火)  即身仏(その二)

即身仏を調べるには

    http://park6.wakwak.com/~y_shimo/momo.169.html
    <2010/01/01の即身仏>

の一覧を開き、(所在地)と(人名)を開いてコピーしていくことがいい。

この一覧表のNo.は(没年又は入定年)順になっている。 (人名)をクリックすると、訪問解説のデータが出ています。 出ていない場合は(人名)か(寺院名)をグーグルなどで検索して調べなくてはなりません。

五月連休とか夏休みの折、孫たちに紹介したいと思って、一番近い新野の「行者さま」を調べます。

瑞光院(阿南の行者)、 阿南の行者(真宗行順行者)は、地元では「行人様(ぎょうにんさま)」と呼ばれています。

■ 阿南の行者 長野県下伊那郡阿南町 瑞光院

即身仏一覧の中の「其の六 : 即身仏の拝観について」には次の説明があります。


http://www5f.biglobe.ne.jp/~syake-assi/newpage174.html
『即身仏の拝観について』

いざ、即身仏の拝観をしようと思っても 常時公開しているお寺、御開帳日の決まっているお寺、個人宅など様々ですので、訪ねる際には事前に問い合わせなどの情報収集をしないと骨折り損のくたびれもうけとなってしまいかねません。 ということで即身仏の拝観情報をこちらで提供したいと思います。尚、私が知る限りでは、現在日本に現存 している即身仏は17体で一般公開しているのは15体です。

@常時公開しているお寺

お寺の規模も大きく、即身仏の常時公開をしている (と思われる)お寺は以下の通りである。

  ○西生寺(弘智法印) → 新潟県三島郡寺泊町野積
  ○海向寺(忠海上人、円明海上人) → 山形県酒田市日吉町2丁目
  ○大日坊(真如海上人) → 山形県東田川郡朝日村大綱
  ○横蔵寺(妙心上人) → 岐阜県揖斐郡谷汲村横蔵 
  ○注連寺(鉄門海上人) → 山形県東田川郡朝日村大綱
  ○南岳寺(鉄竜海上人) → 山形県鶴岡市砂田町
  ○観音寺(仏海上人) → 新潟県村上市肴町

Aお寺の方がいらっしゃれば拝観可能だと思われるお寺

お寺の方がいらっしゃれば拝観可能だと思われるお寺は以下の通りである。ご家族でお寺と即身仏をお守りしているといった印象で住職がお寺を空けている場合も多いようだ。  実際に私が訪ねた時も住職の方は不在でご家族の方に応対いただいた。

  ○本明寺(本明海上人) → 山形県東田川郡朝日村東岩本
  ○貫秀寺(宥貞法印) → 福島県石川郡浅川町小貫
  ○妙法寺(舜義上人) → 茨城県西茨城郡岩瀬町本郷

B御開帳日が決まっているお寺

即身仏の御開帳日が決まっているお寺は以下の通りである。 尚、阿南の行者は「行人様奉賛会」という団体が管理しており、奉賛会に申し出れば、4月と9月の御開帳日以外でも拝観が可能。(私はこの方法をとりました)但し、1万円をお納めすることが必要。また、全海法師についても事前に申し込みをすれば御開帳日以外でも拝観が可能とのこと。

  ○観音寺(全海法師) → 新潟県東蒲原郡鹿瀬町菱潟  年1回(7月8日)御開帳
  ○瑞光院(阿南の行者) → 長野県下伊那郡阿南町新野   年2回(4月と9月)御開帳

C無住のお寺

即身仏が安置されているものの、現在無住の寺となっているのは以下の通りである。いずれの場合も他のお寺の方が住職を兼務されている。尚、蔵高院については、事前にアポを取り、都合をつけることができれば拝観は基本的に可能だと思われる。 また、全海法師についても事前に申し込みをすれば御開帳日以外でも拝観が可能とのこと。

  ○観音寺(全海法師) → 新潟県東蒲原郡鹿瀬町菱潟
  ○蔵高院(光明海上人) → 山形県西置賜郡白鷹町黒鴨

尚、阿南の行者は「行人様奉賛会」という団体が管理して おり、奉賛会に申し出れば、4月と9月の御開帳日以外 でも拝観が可能。

  ○瑞光院(阿南の行者) → 長野県下伊那郡阿南町新野 年2回(4月と9月)御開帳

D全国で唯一、個人蔵の即身仏

即身仏になられた方の御子孫が堂守をされてのは以下の通りである。事前にアポを取り、都合をつけることができれば拝観は基本的に可能だと思われる。

  ○個人蔵(明海上人) → 山形県米沢市簗沢小中沢

E御開帳をしていないお寺

即身仏の御開帳、一般公開をしていないお寺は以下の通りである。

  ○阿弥陀寺(弾誓上人) → 京都市左京区大原古知原
  ○真珠院(秀快上人) → 新潟県柏崎市西長島鳥甲

 即身仏の拝観に関する情報は私が訪ねた時のものなので、現在は状況が変わっていることもあるかと思いますのでご注意を願います。 また即身仏が安置されているお寺は競うようにいずれ劣らぬ山奥の秘境といった場所に所在していることが多いため、冬期は雪に阻まれ、訪ねるのは困難(控えた方がよい)と思われる場所もありますのでご注意を。
 私はアポなしの電撃訪問をかなり行いましたが、これはたまたまお寺の方がいらっしゃったというだけの話しで、あまりお薦めできませんので事前に先方に連絡をしてご都合を確認してから訪問された方が良いと思います。御開帳の有無などの確認をする方法としては「104」で先方の電話番号をお伺いして電話をする方法やお寺が所在する市町村の観光課に連絡をして詳細をお伺いするといった手段をボクはよく用いました。
また、最近ではインターネットで検索すると情報を得られることも多いようです。いずれにしてもお寺の方に直接連絡を取らないで訪問すると泣きを見ることもあるかと思いますので、ご注意下さい。
  

▼ つづいて「心宗行順法師」という本が出版されているので紹介します。

この本は阿南町の「行人様」(実名=久保田彦左衛門)について書かれているもので、今日アマゾンへ注文してあります。 その概要は次のようです。


http://www.fukimbara.com/cgi-bin/m-srch2.cgi?key=06
心宗行順法師

  行順法師

   入定年 : 貞享四年(1687)
   寺  名 : 瑞光院
   所在地 : 長野県下伊那郡阿南町新野
   拝  観 : 可(4/29,9/15のみ)
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   本     名 : 久保田彦左衛門(新野の農家出身)
   出家の動機 : 妻を亡くして、世の無常を感じ、瑞光院第七代住職南岸是噸和尚に入門
   略     歴 : 鉄下駄、鉄錫杖を持ち、諸国を行脚。木喰行十七年の後帰国、亡妻の十七回忌を営み、その後入定
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   この「阿南の行者」は、地元では「行人様」と呼ばれ、非常な信仰を集めています。 「行人様」大祭は、
   新野の三大祭りの一つとされています。
   ミイラ調査団が最初に調査を計画した際には、「絶対反対。来るならば槍で迎える」と回答したとか。 
   その後、各教授の努力と地元の理解により、昭46に新潟大学で修復、現在の形となったようです。
   この「行人様」の思想的背景は、一切不明とされています。
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   瑞光院への行き方
   最寄りの幹線駅 : 豊橋駅 (東海道新幹線)   最寄りの駅 : 温田駅 (飯田線)
   温田駅から新野行きバスに乗り、新野病院で下車。
   瑞光院自体は、町のはずれにあるのですが、行人様のお堂は山の上にあります。歩くと随分ありますが、
   一応車であがる方法もあります。


▼ 次に「瑞光院」についてのデータをとりあげます。


@
http://www.piconet.co.jp/nippon-net/nippon.cgi/see/15028
【日本ねっ島】 瑞光院 [長野県 - 阿南町 - 名所・旧跡]

 瑞光院

関氏が最初に居住した台地上原野の「瑞光庵」跡には、庵よりも古い樹齢600年以上といわれる大イチョウが大腕を広げ、紅葉の季節には見事に黄色く染まります。瑞光院(ずいこういん)は、関氏2代目の盛国(もりくに)が父盛春の菩提を弔うために創建した名刹です。その名前は関氏発祥の地である伊勢の古刹瑞光寺にちなむといわれています。
 瑞光院は祈祷による悪霊鬼神の退治、霊泉の発掘、医療救済などの現世利益に力を注ぎ、仏教の恩恵に浴していなかった民衆へと浸透していきました。このように広く信仰を集めたことで、武田勝頼による庇護、敵対する下条氏による庇護につながり、伊那谷南部の有力寺として重きをなしていったのです。

<参考資料> 祥雲山瑞光院
 この瑞光院は領主関氏の居館日差城からは北東の鬼門にあたり、昔の武将は城の木門の郷学に守護神の社や先祖の菩提寺を創立し、日夜信仰して武運の長久と家門の繁栄を祈ったと言われます。
 この瑞光院には町指定文化財「瑞光院古鐘」があります。享禄元年(一五二八年)の銘のある梵鐘。口径五〇.五cm、鐘身は七一cmの大きさで、乳は一区に四列四乳あります。 (現地設置の案内板から)

A
http://www.town.anan.nagano.jp/kankouguide/zuikouin.html
阿南町ホームページ:瑞光院

 瑞光院近隣の厚い信仰を集める

創建時のままの瑞光院の三門

 関氏が最初に居住した台地上原野の「瑞光庵」跡には、庵よりも古い樹齢600年以上といわれる大イチョウが大腕を広げ、紅葉の季節には見事に黄色く染まります。瑞光院(ずいこういん)は、関氏二代目の盛国(もりくに)が父盛春の菩提を弔うために創建した名刹です。その名前は関氏発祥の地である伊勢の古刹瑞光寺にちなむといわれています。
 瑞光院は祈祷による悪霊鬼神の退治、霊泉の発掘、医療救済などの現世利益に力を注ぎ、仏教の恩恵に浴していなかった民衆へと浸透していきました。このように広く信仰を集めたことで、武田勝頼による庇護、敵対する下条氏による庇護につながり、伊那谷南部の有力寺として重きをなしていったのです。

B
http://www.town.anan.nagano.jp/kankouguide/gyouninsama.html
阿南町ホームページ:行人様

 行人様生きながらにして即身仏になった

4月29日:御開帳  9月第3月曜日(敬老の日)の前日:秋季祭典・御開帳

毎年4月29日、敬老の日の前日に御開帳
 今から約300年前、新野の行人様(ぎょうにんさま)は、貞享4年(1687年)に入定しました。標高1000メートルの新栄山に祀られている行人様の名前は行順。レントゲン検査の結果、年齢は50歳前後。
 日本に現存する16体のうち唯一の禅宗系の即身仏(ミイラ)で、弥勒信仰の極限の姿を示しています。
 即身仏になるために1日に食べたのは、湯飲み茶碗にそば粉一杯だけ。それで全国を7回も歴訪しながら寺社仏閣を訪ね歩いて修行を積みました。そして瑞光院に身を寄せ、裏山に穴を掘って内部に石を詰め、箱を作ってその中に入りました。箱の屋根に穴を開けて息ができるように竹筒を差し、「鐘の音の聞こえるうちは生きていると思いたまえ」と約束して入定。7日目にはうなる声がなくやがて止まりました。そこで竹筒をとり穴を塗り固めたと、「熊谷家伝記」には書かれことで、前代未聞の語り草となりました。

  お問い合わせ
  阿南町振興課商工観光係
  TEL 0260-22-4053 FAX 0260-22-2576
  e-mail sinkou@town.anan.nagano.jp

入定とは
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僧が、生死の境を超え弥勒出世の時まで衆生救済を目的とする。後に、その肉体が即身仏となって現れるのである。明治期には法律で禁止された。また入定後に肉体が完全に即身仏としてミイラ化するには長い年月を要した為、掘り出されずに埋まったままの即身仏も多数存在するとされる。

『修行方法』
  ・まず、木食修行を行う。
  ・死後、腐敗しないよう肉体を整える。
  ・米や麦などの穀類の食を断ち、水や木の実などで命を繋ぐ。
  ・次に、土中入定を行う。
  ・土中に石室を設け、そこに入る。
  ・竹筒で空気穴を設け、完全に埋める。
  ・僧は、石室の中で断食をしながら鐘を鳴らし読経するが、やがて音が聞こえなくなり、長い歳月と共に姿を現すとされる。

新野の「踊り神送り」
http://obon.bonodori.net/obon/OBON10.html
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  お盆の行事といっても、しめやかなものばかりではありません。
  長野県阿南町新野の「踊り神送り」では、その荒々しさに驚かされました。

盆踊りの最終日、8月17日の明け方。

踊りがたけなわの中、新精霊の宿る美しい切子灯籠が、踊り櫓のまわりから外されていきます。櫓の下では、行者が「市神様」に和讃をあげて、「踊り神送り」が始まります。

 市神様和讃

  東西静まれお静まれ  静めて小唄をお出しやれ 
  市神様へひと踊り    四角四面でよいお庭 
            (中 略)
  あし毛の駒に手綱つけ 弥陀の浄土へ 早よ急げ
  末を申さばまだ長い   おいとま申していざ帰る

新盆の家の子どもたちが切子灯籠を担いで歩き出すと、行列はいったん盆踊り会場を離れて、通りの外れの「太子堂」へと移動。ここで和讃をあげた後、「ナンマイダンボ」の声に先導された行列は、ふたたび踊り会場へと突入していきます。

会場では、最後の踊り「能登」が続いています。
しかし、行列が通り過ぎた地点は、もう踊りを踊ることは許されません。まだ踊り続けたい若者たちと、前に進もうとする行列の間で、荒々しくも激しいせめぎ合いが演じられます。興奮と歓声につつまれる通り。しかし最後には全員が行列に加わって、村はずれの瑞光院へと向かいます(写真@)。

瑞光院門前の広場に積み上げられた切子灯籠。
行者が九字切りの秘法を修し、やにわに刀を抜くとバッサリ切り払います。「ドンッ」と鳴り響く、悪魔祓いの鉄砲。そして炎につつまれていく切子灯籠の山(写真A)。夏空に昇っていく煙を見届けて、踊り神送りは終わります。

  「踊り神送りの式がすむと、人々は秋唄を唄いながら、うしろを振り向かないでもと
  来た道を帰る。振り向くと悪い神がとりつくという」

  「信州新野の盆踊りと諸行事」(新野高原盆踊りの会)より

市神様と庚申様
http://misakubonet1.hamazo.tv/e1677129.html
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年に一度、大火の日と同じ日に水窪本町地区で市神様の祭典が行なわれます。。。

水窪本町は、宿場町として栄え商いの大変盛んなところで塩の道街道として、多くの旅人が行き交いました。 市神は、その市(いち)の繁栄と旅人に安全を与えると信じられた神で、市場は、そこを中心に開かれました。 そして、土地の区画を管理する神としての性格もあったそうです。 以前(明治17年より前)は、街の中心部に位置していたのですが昨日紹介した、大正の大火により水窪の入口に祀られ八十年余に渡り、この場所から街に出入りする人たちを見守っています。

また、水窪町の一番はずれにある庚申様もこの日に祀ります。。。

庚申様は、外からの災いを遮る神として古くから信仰されてきましたが、他にも農業の神様としても信仰されており、庚申講では農作業の順調や豊作をみんなで祈願しました。 その後、人々のあらゆる願い事の神として崇められるようになり、時に、本町が花街として栄え、芸者置屋さんがあった当時は毎日芸子さんも、ここにお参りに来るのが日課だったそうです。

※追記 1  市神様の祀りはグーグルで調べてみますと、各地で行なわれています。
        喬木村伊久間の「おひまち」も幕末頃の大火を忘れないためと伝えられています。

※追記 2  <いけいけ!いけだまち>を見ると、伊久間の「おひまち」に似ています。

<いけいけ!いけだまち>

あめ市と言えば先日開催された松本あめ市が盛大で有名ですが、池田町でも小さな町らしく「あめ市」が毎年開催されています。

今年の詳細はまだ手元にありませんので、昨年の池田町商工会発行の開催チラシから抜粋し、ご紹介します。

池田のあめ市は、明治7〜8年頃から始まった記録が残っています。それも初めは「初市」と呼ばれていたということで、その時期も2月21日、22日で旧暦では正月10日、11日頃だったようです。

近年「飴市」は2月第1土曜日、日曜日(今年の「池田あめ市」は2月7日(土)8日(日)開催予定です。)で、各町内では要所に拝殿を組み立て、拝殿の四隅の柱には注連(しめ)と紅白の幕を張り廻し、青竹を立て、棚を設けてお神酒を上げ、鏡餅を供えて「市神様」を祀ります。この「市神様」は飴市神様ではなく最初は初市神様ではなかったかと思われます。

市神様の社殿は里神楽殿(さとかぐらでん)に似た念の入った流れ造り。ころを見ても昔からの伝統を語る「市」に対する深い信仰と祭りとしての面影を偲ぶに充分であると思われます。

何時の頃から初市を飴市というようになったか、ただ名称が変わっただけで、現在の飴市の内容は初市時代と変わっていないということです。

「池田町歳事記 年中行事」仁科宗一郎氏著から


 01 07 (木)  異色の般若心経

     http://www.hannya.net/master00.htm
     般若心経マスター・バイブル目次

タイトルのとおり異色の解説でした。 従来の考え方をはなれて、梵語に遡ったマクロの目・ミクロの目で考え方をたずねていると感じます。

「ナマス」は南無と訳されています。  「ナマステ」の挨拶もこれから派生していると思われます。

(空 - 七 - 二一) には、次のような説明があります。

〔尚、「ナマス」は、英語の I bow (アイ・バウ)に当たり、「額づく、礼拝する、帰依する」という意味です。古くから「南無」と音写されて、日本語化しています。
 「ナマス」の最深の意味は「個我の献上」(前章参照)です。よって、「帰命し奉る」と訳すのが一番良いでしょう。〕

では、その目次を概観しておきます。


<前篇> 百万人の不二一元哲学入門    般若心経の「全単語解説」は<後篇>です

  第一章 神の夢 と 人間の夢 
       第一節 二種類の夢の相違点
       第二節 「完全」を観想する「叡智のヨーガ」
       第三節 不覚と本覚
       第四節 般若心経の全体像

  第二章 仏教蘇生のための六つの鍵
       第一節 実践的な「無為/有為」二分法 
       第二節 「中道」コンシャス 
       第三節 脚下照顧の超宗教性
       第四節 「漸悟と頓悟」 どちらが正しい?
       第五節 「大魚の油かけ調理法」の喩え
       第六節 「ア−トマン(我)」 とは?

  第三章 仏教蘇生のための心臓部 
             …アートマン(我)の正しい意味…
       第一節 「釈尊(又は仏教)の位置付け」問題
       第二節 「梵我一如」の意味
       第三節 「無神論無我説」という外道
             …ア−トマン(我)の正しい意味…
       第四節 アートマン(我)の意味
             (自性概念の概説版はここです 必読です)
             我の六義 と 自性概念の概説
             自性概念の要件の考察 (5要件列挙・概説版)
             我見・人我見・法我見 の正しい定義  
             「典型的な誤りの無我説」 の誤解部分を正す

  第四章 罪悪発生原理の解明
        …人間の本当の原罪とは?…
        …「人志の独立騒動の譬え」から学ぶ…
        …人間の本当の原罪とは?…
        …「人志の独立騒動の譬え」の解き明かし…

  第五章 サマディ− と 悟り
        …人間の本当の救いとは何か?…

<後篇>「空の奥義」に達する瞑想法

  第一章 般若ヨ−ガの基本 

  第二章 「自性」の七要件

  第三章 「無自性」の三要件
        (ステップ1) 「縦横二重の依存」を自覚する
        (ステップ2) 「無自性存在の三不能(三無力)」を瞑想する

  第四章 「さやけき寂まく状態」を瞑想する
        (ステップ1) 「清(さや)けき寂寞(じゃくまく)状態」に住する 
        (ステップ2) 「明(さや)けき寂莫(じゃくまく)状態」に住する

  第五章 フォ−ス と パワ−

  第六章 聖イグナチオ・デ・ロヨラの観想法

  第七章 般若心経の真義開陳(全単語徹底解説)
        (ステップ1) 「空」の三義を知る 
        (ステップ2) 心経の「スト−リ−」を把握する
        (ステップ3) サンスクリット語の般若心経に馴染む
        (ステップ4) 全単語を正しく理解する
                 (T)    「観自在菩薩〜度一切苦厄」まで
                 (U−@) 「舎利子〜亦復如是」まで
                 (U−A) 「舎利子〜不増不減」まで
                 (U−B) 「是故空中〜無智亦無得」まで
                 (V)    「以無所得故〜最後」まで
        (ステップ5) 「真髄和訳」を用いて読誦・瞑想する


■ 日没・冬至・夜明 の日時  from http://koyomi.vis.ne.jp/mainindex.htm

   日没が一番早い日 日の入時刻 4:28分  2009/12/06〜07 (東京)
   日中が一番短い日  冬至 2009/12/21〜22 (東京)
   夜明が一番遅い日 日の出時刻 6:50分  2010/01/07    (東京)
               満月 (月齢15.39)   2010/01/01    (東京)

明日から僅かずつ夜明が早くなっていく。