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折々の記 2010 @

【心に浮かぶよしなしごと】

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【 01 】01/01

  01 01  即身仏
  01 04  朝日・毎日・読売・三紙元旦の社説

 01 01 (木)  即身仏

平和の招来はどうすれば実現に向かうことができるのだろうか? 求めあぐねているのが現状だとすると、この閉塞感を打開しなくてはなりません。

戦争の拒否、それは世界中の人々の願いなのに戦争になることを恐れて軍備を拡張しているのはなんとしても理屈に合いません。 この明らかな矛盾を納得させられている世界の人々の閉塞感!

自分の中にある身勝手さが、そしてそれを守っていこうとする凡欲が、みんなの問題となると、地球の温暖化を防ぐことができずやがては地球の破滅に至ることが判っていてもそれを防ぐことができない閉塞感!

そこに警鐘を打ち鳴らすのが即身仏ではないのか!

即身仏をどう理解すべきなのか?

「やられたらやりかえす」 巨視的にも微視的にも、それが個人の争いから殺人を互いに認める争いになっています。 それを嫌がっているそれぞれの国の人々の気持ちを、為政者は代行していないのです。 それは政治のシステム自体の中に反映しないものがあるからです。

政治体制の原点は人と人との仕組みのあり方にあるはずです。

即身仏はその根源システムの心得なのです。

私たちは、即身仏の心のあり方を学ばなくてはならないのです。

般若心経は根底の心得です。

「やられたらやりかえす」 この心情が心経のどの部分の受止め方がおかしくて発生してきているのか解明しなくてはならないのです。

仏教徒はそうした責務を負わされているのです。

キリスト教義の中にも右の頬を打たれたら左の頬も出せという教えがありました。 

教義の如何を問わず、“報復”という概念を宗教信条の中で乗り越えなければならないのです。 卒業しなければならないのです。 わが子を育てあげた通常の親なら、どの親でも“報復”という概念を乗り越えなければならないのです。

人としての基本になる心構えを即身仏は現前してくれたのです。

人の命は人の命のためになってこそ、命の意味を実証できるのです。



‘ 日本の即身仏’という言葉でグーグルで検索してみると、検索結果 約 79,200 件が即座に検索できます。 その筆頭に出ているのは次のサイトです。

   http://www5f.biglobe.ne.jp/~syake-assi/newpage147.html
   日本の即身仏・ミイラについて

この中には即身仏17体の所在地など一覧表が載っています。

(人名) (所在地) (寺院名) (享年) (没年又は入定年)
弘智 新潟県三島郡寺泊町野積 西生寺 66 貞治2年(1363)
弾誓 京都市左京区大原古知原 阿弥陀寺 63 慶長18年(1613)
本明海 山形県東田川郡朝日村東岩本 本明寺 61 天和3年(1683)
宥貞 福島県石川郡浅川町小貫 貫秀寺 92 天和3年(1683)
舜義 茨城県西茨城郡岩瀬町本郷 妙法寺 78 貞享3年(1686)
全海 新潟県東蒲原郡鹿瀬町菱潟 観音寺 85 貞享4年(1687)
阿南の行者 長野県下伊那郡阿南町新野 瑞光院 50 貞享4年?(1687)
忠海 山形県酒田市日吉町2丁目 海向寺 58 宝暦5年(1755)
秀快 新潟県柏崎市西長島鳥甲 真珠院 62 安永9年(1780)
10 真如海 山形県東田川郡朝日村大綱/A> 大日坊 96 天明3年(1783)
11 妙心 岐阜県揖斐郡谷汲村横蔵 横蔵寺 36 文化14年(1817)
12 円明海 山形県酒田市日吉町2丁目 海向寺 55 文政5年(1822)
13 鉄門海 山形県東田川郡朝日村大網 注連寺 62 文政12年(1829)
14 光明海 山形県西置賜郡白鷹町黒鴨 蔵高院 嘉永7年(1854)
15 明海 山形県米沢市簗沢小中沢 個人蔵 44 文久3年(1863)
16 鉄竜海 山形県鶴岡市砂田町 南岳寺 62 明治14年(1881)
17 仏海 新潟県村上市肴町 観音寺 76 明治36年(1903)

上の一覧表は次の 「其の二 : 日本の即身仏・ミイラ一覧表」 をコピーしたものです。

『日本の即身仏・ミイラについて』 の目次内容

   「其の零 : 私が即身仏巡りを始めたきっかけ」
   「其の一 : 即身仏・ミイラとは?」
   「其の二 : 日本の即身仏・ミイラ一覧表」
   「其の三 : 人はなぜ即身仏となることを目指したのか?」
   「其の四 : 即身仏になるための修行とは?」
   「其の五 : 私の即身仏巡り」
   「其の六 : 即身仏の拝観について」
   「其の七 : 失われた即身仏・ミイラ」
   「其の八 : 即身仏・ミイラに関する書籍」
   「其の九 : 即身仏誕生の真実」(開かずの間)
   「其の十 : すべての即身仏との対面を終えて・・・」
   (2007年7月8日、一般公開している即身仏15体、すべてとのご対面が完了。また同日
   かつて即身仏が存在していたといわれているすべての寺院の訪問も完了しました。)

全体の内容は、それぞれ開いて読むことができます。



■ 具体的にはどうしたらよいのでしょうか

一人の人として見ますと、心の平安をかき乱すものと、そうでないもの、などがあることに気づきます。

   比較思考から生まれる自己中心の主張

     自慢  負けん気  勝気  愛国心  団結心

     非難  悪口雑言  罵倒  陰口  揶揄  告げ口

   相手を大事にする心

     慈悲  恕  仁義礼智信  皆同

     優しさ  励まし  思いやり  和顔  無財の七施

   見て学ぶ生きる姿

     創り出す姿  流汗労働  子育ての愛  奉仕する心  

生き方を戒めていた言葉

   「いろはかるた」

   一寸の虫にも五分の魂  栴檀は双葉より芳し  三つ子の魂百まで  サルも木から落ちる

   どの子にも親がいる  論語読みの論語知らず  孟母三遷  断機の教え  瓜の木に茄子はならない

などなど、こうした表現の中身を一つ一つ展開してみていきますと、人のあるべき姿が浮かんでくるのです。

例えば、『自慢』を取り上げてみますと、程度の差にもよるけれど少しでも度を過ぎると『自己主張』という鼻持ならない悪臭があります。 度を過ぎると嫌味を人に与えることになります。 心の平安を乱すものになるのです。

『負けん気』などは、自他の比較からおきる感情で、程度の差にもより自己叱咤激励ともなれば、敵対感情をひき起こす原因にもなります。 度を過ぎると嫌味を人に与えることになり、心の平安を乱すものになるのです。

『どの子にも親がいる』など叔母から教えられた言葉です。 この叔母は子供の頃から親からこの言葉を教えられ、‘けっして友達をいじめてはいけない’としつけられたと言います(どの子にも親がおり、子どもがいじめられると、その親はとても悲がると言うのです)。

『トムとジェリー』など、この呼吸の微妙さを教え、示唆しています。

   ネズミだっていきものさ
   ネコだっていきものさ
   トムとジェリーなかよくけんかしな

心の平安を求める生活は、人をも平安に導くものなのです。

評論家にしても、他人の言うことに耳をかさず負けん気になって自己主張する人がいます。 聞く耳をもたない人の発言は、人の心の平安をかき乱しても、人の気持ちがわからない人なのです。

紛争とか戦争とか、みんなが嫌がる現象は、自分勝手な主張をみんなが認めないようにすれば起こらないことなのです。

こうしてみますと、ユネスコ憲章の冒頭の句は、平和の根本を端的にあらわした表現です。


戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない
That since wars begin in the minds of men,
it is in the minds of men that the defences of peace must be constructed;



ユネスコをみていきますと、その原因となるものは「無知」と「偏見」を取り除くことを大事な活動として位置づけています。 だが、「無知」と「偏見」だけではなく、人と人の「心の平安をどう築きあげるか」が中核にならなくてはならないと思います。

端的に「即身仏」の理解こそ平和招来の鍵だと老生は考えるのです。

 01 04 (月)  朝日・毎日・読売・三紙元旦の社説

それぞれの社説を見ていると、鳩山政権に対して激励の立場批判の立場拒否の立場のような意向を感じます。 この三つの主張にもかなりの温度差があります。

年頭に当たってのマスコミの代表者である社説の主張は広範囲にわたってもいいのですが、第三者として主体者である国民の世論構成を担う責任があります。

そういう意味からマスコミに振り回されずに、主体的な考え方をしていかなくてはなりません。 年頭に当たっての老生の政治に対しての反応でした。


朝日新聞社説

2010年1月1日(金)  激動世界の中で―より大きな日米の物語を 
2010年1月3日(日)  地球文明―低リスク型へかじ切る年に    
2010年1月4日(月)  アジアとの共生―手携え人づくりの大循環を 

【激動世界の中で―より大きな日米の物語を】

 21世紀も今年で10年になる。9・11テロや二つの戦争、未曽有の不況をへて、すっかり姿を変えた世界は10、20年後はどうなっているだろう。

 中国は米国に迫る経済大国となる。米中、大欧州に加えて新興諸国が地球規模の秩序形成にますます存在感を増す。紛争はなくならないまでも、地球規模で相互依存が深まり、より安定しているかもしれない。

 対極のシナリオもある。米政府の国家情報評議会が描く「2025年」。中国、インド、ロシアなどが連携して米国と対立し、保護主義や軍拡が蔓延(まんえん)する。あるいは新興諸国の発展がエネルギー危機で止まり、資源争奪の軍事衝突が始まる……。

 続く地殻変動の中で、日本はどうやって平和と繁栄を維持し、世界の安定に役立っていくのだろうか。

 「日本の奇跡」。2カ月前、オバマ米大統領は東京での外交演説でこの言葉を繰り返した。戦後日本の復興という「奇跡」が他のアジア諸国にも広がり、いまや世界経済を支える地域の繁栄につながったというのだ。日米の同盟を軸とした米国のアジア地域への関与がそれを可能にした、と。

 ■同盟という安定装置

 最強の軍事大国と専守防衛の国。太平洋をはさむ二大経済大国。類(たぐい)まれな組み合わせをつなぐ現在の日米安保体制は今年で半世紀を迎える。大きく歴史を振り返れば、大統領が誇るのももっともなことだ。

 いざというときに日本を一緒に守る安保と、憲法9条とを巧みに組み合わせる選択は、国民に安心感を与え続けてきた。そして今、北朝鮮は核保有を宣言し、中国の軍事増強も懸念される。すぐに確かな地域安全保障の仕組みができる展望もない。

 米国にとって、アジア太平洋での戦略は在日米軍と基地がなければ成り立たない。日本の財政支援も考えれば、安保は米国の「要石」でもある。日本が米国の防衛義務を負わないからといって「片務的」はあたらない。

 アジアはどうか。日米同盟と9条は日本が自主防衛や核武装に走らないという安心の源でもある。米中の軍事対立は困るが、中国が「平和的台頭」の道から外れないよう牽制(けんせい)するうえで、米国の力の存在への期待もあるだろう。中国を巻き込んだ政治的な安定が地域の最優先課題だからだ。

 同盟国だからといって常に国益が一致することはない。そのことも互いに理解して賢く使うなら、日米の同盟関係は重要な役割を担い続けよう。

 問題は、同盟は「空気」ではないことだ。日本の政権交代を機に突きつけられたのはそのことである。

 ■「納得」高める機会に

 普天間問題の背景には、沖縄の本土復帰後も、米軍基地が集中する弊害で脅かされ続ける現実がある。

 過去の密約の解明も続く。米国の軍事政策と日本の政策との矛盾。当時の時代的な背景があったにしても、民主主義の政府が隠し続けていいはずはない。密約の法的な効力がどうなっているか。国民が関心を寄せている。

 いま日米両政府が迫られているのは、これらの問題も直視しつつ、日米の両国民がより納得できる同盟のあり方を見いだす努力ではなかろうか。

 とくに日本の政治には、同盟の土台である軍事の領域や負担すべきコストについて、国民を巻き込んだ真剣な議論を避けがちだった歴史がある。鳩山政権のつたなさもあって、オバマ政権との関係がきしんではいるが、実は、長期的な視野から同盟の大事さと難しさを論じ合う好機でもある。

 日米の安保関係は戦後の日本に米国市場へのアクセスを保証し、高度成長を支える土台でもあった。いまや、日中の貿易額が日米間のそれを上回る。中国、アジアとの経済的な結びつきなしに日本は生きていけない。

 しかし、だからといって、「アジアかアメリカか」の二者択一さながらの問題提起は正しくない。むしろ日本の課題は、アジアのために米国との紐帯(ちゅうたい)を役立てる外交力である。

 ■アジア新秩序に生かす

 アジアには経済を中心に、多国間、二国間で重層的な協力関係が築かれるだろうし、いずれ「共同体」が現実感をもって協議されるだろう。

 だが地域全体として軍備管理や地域安全保障の枠組みをつくるには、太平洋国家である米国の存在が欠かせない。そうした構想を進めるうえでも、日米の緊密な連携が前提となる。

 日本が米国と調整しつつ取り組むべき地球的な課題も山積だ。アフガニスタン、イラクなどでの平和構築。「核のない世界」への連携。気候変動が生む紛争や貧困への対処。日米の同盟という土台があってこそ日本のソフトパワーが生きる領域は広い。

 むろん、同盟の土台は安全保障にある。世界の戦略環境をどう認識し、必要な最低限の抑止力、そのための負担のありかたについて、日米両政府の指導層が緊密に意思疎通できる態勢づくりを急がなければならない。

 日米の歴史的なきずなは強く、土台は分厚い。同盟を維持する難しさはあっても、もたらされる利益は大きい。「対米追随」か「日米対等」かの言葉のぶつけ合いは意味がない。同盟を鍛えながらアジア、世界にどう生かすか。日本の政治家にはそういう大きな物語をぜひ語ってもらいたい。



毎日新聞社説

2010年1月1日(金)  発信力で未来に希望を
2010年1月3日(日)  政治 マニフェストの深化を
2010年1月4日(月)  国際 核廃絶に踏み出す時だ

【発信力で未来に希望を】

 新(あらた)しき年の初めの初春の今日降 る雪のいや重(し)け吉事(よごと)

 万葉集の最後を飾る大伴家持の歌だ。因幡(鳥取県東部)の国守だった家持が元日の宴を催した時のもの。豊年のしるしとされた元日のめでたい雪のように、よいことが続くようにとうたった。内外ともに難題を背負って迎えた新年、私たちも「いやしけよごと」と願いたい。

 万葉集が編まれた奈良時代の都、平城京は1300年前に誕生した。東大寺はじめ多くの寺社が姿をとどめる大和の風景は、現代人の心に潤いを与えてくれる。奈良県内ではことし1年を通じて平城遷都1300年祭が行われる。当時を振り返り、現代的な意味を探ってみよう。

 ◇平城京に学ぶ総合戦略

 日本を再建してほしい。そういう国民の期待が昨年の政権交代をもたらした。確かに経済は沈み、社会はきしみ、福祉や医療は崩れが目立ち、地方からは悲鳴が聞こえていた。国際的な存在感も低下している。発足した鳩山政権が明治の国づくりを意識して「無血の平成維新」と意気込んだのは当然だった。

 暮らしや福祉には少し明かりが見えてきた。だが経済などの再建の道は遠い。予算は今後の財源に不安を残した。外交の基軸、日米関係は稚拙な対応で自ら苦境を招いた。首相自身が政治資金の弁解に追われ、看板の「国家戦略」も見えない。

 710年の平城遷都に至る半世紀は、日本が大きな危機を克服して国の再建を果たした時代だった。幕末から明治と同様だ。国づくり、国防、文化の創造という総合戦略を成し遂げた象徴が平城京といえる。

 当時の東アジアは戦乱の時代である。大化の改新を断行した中大兄(なかのおおえの)皇子(おうじ)らが百済救援のため数万の兵を出した。だが、朝鮮半島南西部の白村江の海戦(663年)で唐・新羅の連合軍に大敗してしまう。400隻が炎上し海が赤く染まったと史書はいう。敗戦の痛手は甚大で、唐・新羅の来襲を恐れる事態になった。

 大和政権は筑紫や壱岐などに防人(さきもり)を配し国土防衛を図った。一方で政治体制の改革を進め律令国家への歩みを急ぐ。そして新首都として完成したのが平城京だった。相次いで滅亡した百済、高句麗から亡命した王族や知識層も一翼を担った。

 奈良時代は日本の歴史上、最も国際的に開かれていた時代という。僧1万人を招いて行われた東大寺の大仏開眼(かいげん)供養(752年)では、大仏に魂を迎え入れる大導師をインド僧が務め、唐、ベトナムなどの僧も重要な役目を担った。各国から多数の僧が訪れていた。新羅や渤海はじめ各国との交流も深く、奈良はアジア・西域文化の集積地だった。

 あをによし奈良の都は咲く花のに ほふがごとく今盛りなり 

 国防の要、大宰府に赴任した小野老(おののおゆ)による有名な賛歌は、都の栄華を今に伝えている。

 奈良の都は大きな発信力を持っていた。21世紀の今、日本はどうだろうか。民主党の大勝による政権交代そのものが海外への強い発信となった。鳩山政権が発足直後に国連で行った地球温暖化や核廃絶についての発言も、日本の首相としては異例の注目を集めた。だが、問題はそこからの実行力である。国内の基盤を固め各国を説得する行動が伴ってはじめて本物の発信になる。

 ◇文化は日本の重要資源

 日本の現実を見れば関心は内向きになりがちだ。緊急に解決しなければならないことは多い。だが同時に世界的課題に積極的に取り組むのは、グローバル化の時代の先進国の責務であろう。経済が沈滞しているとはいえ、日本には底力がある。環境分野に限らずその役割は大きい。

 国際的な発信力を高め、日本の魅力が注目されることは、国内の活力にもつながる。海外からの人材を引き寄せる力にもなる。国内の再建にはそうした長期戦略も求められる。留学生の受け入れや日本からの海外留学がともに頭打ちになっている状態を変える努力が必要だ。

 発信力を高めるには外交の基軸である日米同盟の深化が必須だ。普天間問題で揺らいでいる日米の信頼関係を確固としたものに回復する必要がある。中国、インドという新興大国、韓国などを含めアジアとの協力も拡大しなければならない。世界的課題への対処には、多くの友好国との密接な協力が必要になる。

 最後に強調したいのは文化の発信力だ。奈良時代、先進文明の吸収に励んだ人々は同時に独自の文化も創造していた。万葉集は天皇、皇族から防人、東国の民に至る幅広い作品を集め、今も愛唱されている。伝来の漢字を用いた「万葉仮名」は後のカタカナ、ひらがなにつながった。

 私たちは豊かな伝統文化を持っている。新しい文化と共鳴し、新たな創造に結びつくという優れた環境もある。例えば万葉以来受け継がれている和歌の世界では今も次々と新感覚の作品が生まれている。村上春樹氏の作品が世界的な支持を受け、映画やアニメ、日本食などが国際的に高い評価を得ているように、文化は日本が持つ重要資源である。

 日本の発信力を高めることが日本の再建にもつながる。人々が未来に希望を持てる国にしよう。



読売新聞社説

2010年1月1日(金)  「ニッポン漂流」を回避しよう 今ある危機を乗り越えて
2010年1月3日(日)  日本経済再生 デフレ退治に全力投球せよ       
2010年1月4日(月)  鳩山外交 揺らぐ日米同盟を再建せよ          

【「ニッポン漂流」を回避しよう 今ある危機を乗り越えて】

 ◆国家戦略を示すときだ◆

 景気はよくなるか。医療、介護が安心して受けられるか。日米関係に亀裂は入らないか。

 多くの国民が、こんな不安を胸に新年を迎えたに違いない。日本の将来に、期待よりも懸念、希望よりもあきらめを強く抱かせるような、政治の迷走、経済の停滞が続いているからだ。

 主な原因は、鳩山連立政権が日本の平和と繁栄、安心社会を維持するための、中長期の国家戦略を欠くうえに、当面の針路すら国民に明示できないことにある。

 国家戦略なき日本は、国際社会の荒波の中で孤立化し、やがては漂流することになろう。これでは困るのだ。

 日本が進むべき道は何か。どんな国造りを目指すのか。新しい国家像をどう描くのか。危機を乗り越える具体的な処方箋(せん)とともに、骨太な国家戦略を示すこと、それが政治に課された責任である。

 ◆連立の弊害をただせ◆

 鳩山政権の機能不全は、大きく言えばキャスチングボート政治、マニフェスト至上主義、官僚排除に由来する。

 加えて、鳩山首相自身の献金問題だ。首相は進退を世論に委ねる意向を明らかにしたが、展開次第では政変に結びつく。日本政治が激動する可能性もあろう。

 小所帯ながら参院で法案成否の鍵を握る社民、国民新両党が大勢力の民主党を振り回し、外交・安全保障や財政・経済運営の基本をゆがめる現状は看過できない。

 象徴的事例が、米軍普天間飛行場移設問題の決着先送りだ。鳩山首相の優柔不断もさることながら、連立政権維持を優先する民主党の小沢幹事長らの思惑により、日米同盟の危機が指摘される事態になっている。

 1955年の保守合同は、左右両派社会党の統一を目にした保守陣営の危機感から誕生したが、小党乱立の弊害を除くねらいもあった。

 緒方竹虎(おがたたけとら)副総理が、小党のキャスチングボートは多数決政治の信頼を揺るがすと指摘、保守合同による「政局の安定は現下爛頭(らんとう)の急務」と強調したゆえんである。

 55年体制には功罪あるが、日米同盟に基づいて日本の平和を確保し、自民党一党支配による政局の安定と、それに伴う経済成長の礎を築いたことは間違いない。

 鳩山内閣はキャスチングボート政治からの脱却が迫られている。国の命運がかかり、国民生活の基盤が左右されるような重要政策・法案の成否に当たっては、野党とも提携する「部分連合」や、大胆な政界再編による「挙国政権」づくりをためらうべきではない。

 ◆日米基軸が国益に沿う◆

 言うまでもなく、日米同盟は日本の安全保障の生命線だ。

 核開発を続ける一方で体制保証と経済支援を強要する北朝鮮、軍事力増強を背景に経済権益の拡大を図る中国。

 政治体制が異なる両国と一衣帯水の日本にとって、安全保障同盟を基軸とする良好な日米関係の維持は、国家戦略の基本に位置づけられなければならない。

 それなのに、東アジア共同体構想を掲げ、米国離れを志向する鳩山首相の言動は極めて危うい。

 主権国家として、日本が米国と対等な関係にあるのは自明だ。

 しかし、安全保障に関して言えば、有事の際に米国が日本を守り、その代わりに日本が米軍に基地を提供する、という相互補完関係にある。日米安保体制が、戦後日本の「軽武装・経済優先」路線を可能にしたわけだ。

 鳩山首相が言うように、米国依存を改め、対等な関係を目指すのなら、北朝鮮などの脅威に備えた自主防衛力の抜本的な強化が必須となる。

 防衛費は膨張し、景気対策や社会保障に回すべき予算が圧迫される。さらに、日本の軍事力強化に対する周辺諸国の懸念を増幅させるだろう。

 米国との同盟関係を薄めて、対等な関係を築くというのは、現実的な選択ではない。

 一方で、日本が経済的に密接なつながりを持つ中国と、「戦略的互恵」関係の強化を進めるのは当然だ。北朝鮮の暴走に歯止めをかけるためにも、中国の協力は欠かせない。

 しかし、それ以上に民主主義、人権尊重、思想・信条の自由という普遍的価値を共有するアメリカとの関係強化を、アジア・太平洋の平和と安定の基礎に置く視点が不可欠である。

 ◆非常時は大胆な政策を◆

 家電、衣料、食品業界などで、コスト割れの安売り競争が横行している。消費者も、安く買えると喜んでばかりはいられない。弱肉強食、倒産・失業増加、賃下げ、デフレ悪化などの、負の側面を持つ危険な現象だからである。

 デフレ脱却には、強力な指導力が不可欠だ。

 昭和恐慌時の高橋是清(これきよ)蔵相、アメリカ大恐慌時のフランクリン・ルーズベルト大統領のように、不況脱出のためには強権発動も辞さず、の断固とした政治意思を市場に示す必要がある。

 残念なことに、鳩山首相からは不況脱出にかける強力なメッセージが伝わってこない。マニフェストに固執する余り、政策の優先順位を決められず、右往左往しているからだ。

 新年度予算編成作業でも、マニフェストの柱に掲げたガソリンの暫定税率廃止、子ども手当などを巡って迷走を続け、結局、民主党の小沢幹事長が仕切る形で決着した。政策は政府に一元化、という看板も羊頭狗肉(くにく)で、「党高政低」の現実には大きな不安が残る。

 鳩山内閣は官僚との円滑な意思疎通を欠き、情報不足に陥っている。首相や閣僚が「裸の王様」では正しい政策判断はできない。官僚を忌避するのではなく、使いこなすのが政治家だろう。

 ◆社会保障を景気対策に◆

 「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズが独り歩きしている。危険なことだ。

 公共事業は「土建国家」の悪玉施策と言わんばかりである。吟味は必要だが、地方が疲弊しているときに、即効性が高い公共事業の活用も大切だ。

 安心社会づくりで肝心なのが医療、介護、福祉である。社会保障の充実は、安全網の整備に加え景気対策の効果も期待できる。

 約600万人が従事する社会保障の分野は、少子高齢化により今後も拡大する。雇用を作り、生産を促し、カネを循環させる機能は、他産業と比べて見劣りしない、といわれている。

 社会保障の財源として消費税率引き上げは避けて通れない。鳩山政権は凍結の封印を解き、景気回復後の税率引き上げに国民の理解を求めなければならない。

 来年度予算では、大量の国債発行が不可避となった。国債費のうち約10兆円が利払いに充てられている。利払いの負担を軽減するため亀井金融相らが主張するように、無利子非課税国債を発行することも検討に値しよう。

 金持ち優遇の批判も予想されるが、約30兆円のタンス預金を国債に吸い上げて活用できれば、景気対策に役立つではないか。

 非常時には非常時なりの思考と行動が必要である。ローマ帝国の滅亡を早めた「パンとサーカス」の、大衆迎合的ばらまき・見せ物政治から一日も早く抜けださなければならない。

 そうでなければ、眼下の危機を乗り越えることも、明日への責任を果たすこともできない。