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折々の記 2010 D

【心に浮かぶよしなしごと】

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  06 06 「世相を斬る あいば達也」
  06 08 <NHKニュース>のビデオ再生
  06 09 菅内閣、閣僚名簿を発表
  06 10 土浦海軍航空隊 爆撃

 06 06 (日) 「世相を斬る あいば達也」

今回の政変について阿修羅を開いてみたら、驚くべき寄稿がありました。 ことの真偽はわかりませんが、政治専門のアンテナと独特の検証眼で政治の流れを追い求めているので、興味津々でした。 よって、特集として掲載しておくことにした。

世相を斬る あいば達也
世の中を動かしているのは誰なのか?政治家、官僚、資本家、マスコミ、国民??


政治家に政治をさせない国家日本、小沢に一回だけ政治をさせよう!
2010年06月06日 | 日記


最近、つくづく思うことがある。今回の鳩山・小沢民主党のツートップの辞任による首相交代劇のコラムを書きながら考えるわけだが、「日本の政治リーダー達は政治をしている時間がないな〜、就任時から退陣するまで政局に振り回され、人格まで傷つき、刀折れ矢尽きて権力から距離を置く」。

この事は、今回の民主党政権に限らず、自民党政権においても同様の傾向が観察できる。唯一政局化することなく首相の時間を過ごしたのは、アノ小泉純一郎だが、この政権は米国と竹中+隷米官僚に政策を丸投げした政権だったから、首相の時間を謳歌出来たのだろう。つまり、何にもする気がなければ長期政権が維持可能という事だ。

本気で政治を行う、利害得失が伴う(社会を構成する何処かの層に痛みが出る)政策を実行しようとすると、何らかの圧力で政権維持が不可能になる歴史が繰り返されている。これが戦前であれ戦後であれ、日本政治の特性である。

米国・中国のような人工国家と違い、英国・日本のような自然国家の国家体質はパラダイムシフトが非常に実行しにくい国家体質を持っている。つまり、国家の歴史に断絶が無く、国民が営々と築いた文化に根差すものが多い所為だろう。

この事実が、日本に国民的革命も国民的暴動も起きない状況をつくり出している。 日本の政治史においても、極左、極右が政治の表舞台で活躍出来ない大きな要因は自然国家であること。伝統文化に裏打ちされた人々の生活が継続的につづいていること、そして常に中心に天皇が存在した事だろう。憲法上、象徴であっても天皇制は厳然と存在している。



このような国家体質が江戸幕府と云う官僚機構を作り、老中政治がなされたわけだが、幕府が崩壊した後も明治維新以降も、日本には官僚機構が常に存在した。大戦後において、多くの戦犯を生みながらも、官僚組織は生き残った。そして今に至っている。

官僚機構の善し悪しを今夜論ずるつもりはないが、鳩山・小沢体制が崩壊した原因、言い方を変えれば崩壊させた権力は、この官僚機構である。法務官僚と検察庁、時に裁判所が鳩山・小沢に襲いかかった事実は鮮明に記憶されている。官僚機構の一部である宮内庁発信の民主党バッシングもあった。外務・防衛官僚による普天間移設問題の対応は鳩山首相の政治生命を奪った。

時に、政治家は利権配分先(税の再配分)を司る存在であり、政策は政策のプロ集団・官僚が実施するものである。このことをもって「官僚主導政治は悪」と言われても合点がいかないと官僚機構は思っている。

たしかに選挙の洗礼を受けて国会に参加するのだから、国民に選ばれてはいるが、選挙で落ちれば只の人である。ひっきりなしに顔が変わる政治家に政治政策を実施させたら、ヒッチャカメッチャカになるのは必定、国家の屋台骨が壊れるようなものだ。

政策は官僚がするべきものである。 官僚は国民の選択こそ受けていないが、逃げも隠れも出来ない組織に属している。無責任な事は絶対にしない存在なのだ。だから永遠に自然発生的に生まれた国家では、継続的経験が意味を持つのである。

そう思っているのが、官僚たちだけならパラダイムシフトも可能だろうが、肝心の国民も官僚の発言の方が正しいのではないかと、自ら選択した政治家を信じ切っていない傾向が強い。 過去現在の政治家の業績・行状が国民に政治家を信用させなくしてしまった歴史があるわけだから、本来であれば、政治家に多くを期待すること自体無謀な部分がある。

つまり、マスメディアが口汚く罵るほど、国民は政治家に絶大な期待値を持っていないとも言える。にもかかわらず、マスメディアは官僚機構に巣食う存在故に、二人羽織の如く政治家の足を引っ張る。そして、理念に基づいた政策など画策した途端、一斉に牙を剥くのである。

よく、官僚を排除するのではなく、上手く使いこなす技量が政治家に求められる等と言うが、パラダイムシフトの中で官僚を使いこなす事は不可能と思うべきである。パラダイムの変更は官僚機構の利益と相反するからである。それが自然国家体制の政治家のジレンマだと言える。

それでは永遠に日本人は官僚マスメディア連合の思い通りにしか生きられないのか?官僚が米国の意志を忖度する存在と云う事は、結果的に隷米になるという事だ。その方が穏やかで良いんじゃないかと思う人が多いほど、この仕組みが変わる事はない。

しかし、米国の一国覇権状況が世界的に安泰ではなくなってきた現在、その方向性が穏やかだと保証されるものではない。ここのところが悩ましい。

筆者が何故小沢一郎と云う政治家を高く評価するかと云うと、権力の行使が居丈高で強引で激しい事である。

多少の手直しは必要かもしれないが、日本改造計画と云う理念もあり、その理念を正直独裁的政治手法で改造してしまう迅速な腕力の存在を認めるからである。小沢一郎が政治家として口にする、民主主義、議会制民主主義を支持しているというよりも、独裁的パワーで兎に角日本の構造をひっくり返す必要性を感じるからである。そのような政治に命を掛けられる政治家は小沢一郎しか日本には存在しないからである。

上手い事、洗脳脳の国民が菅直人の小沢排除政権に閉塞の打破を期待している。民主党の支持率はうなぎ昇りのようだ。おそらく、この事態を最も喜んでいるのは小沢一郎だろう。順調に選挙戦が行われれば単独過半数が見えてきている。

そして、9月に捲土重来の民主党代表選が待っている。菅政権の党幹部も閣僚も日々に追われ、代表選の準備など手をつける暇はない。しかし、小沢一派は政権から遠ざけられ、暇を持て余す。(笑)代表選布陣強化には絶好の雌伏期間である。是非、小沢支持でお怒りの諸兄も、怒りを収めて民主党を応援して頂きたい。必ず民主党勝利の暁には、小沢一郎総理総裁が誕生しますから!




小沢退陣が仕掛けた「選挙、マスコミ、七奉行対策」
2010年06月05日 | 日記


小沢派は本当に好き勝手に投票させたようだが、一定の票を中堅の樽床議員が得た事で、菅新首相に最低限の圧力は残したと云うことだろう。129票は初の代表選に出た中堅候補としては凄い数字である。

昨夜、小沢一郎がグループ内の議員との会合で「今回は自分が表に立てなくて申し訳なかった。しかし、本番は9月だ」と語った内容を、NHK、読売などは発足前から菅降ろしが始まった如く速報的に報道している。この発言は、あくまでグループ内の沈静化を狙った発言であり、それ以上の意味はない。

ただ、菅首相を取巻く仙谷、前原、枝野等に強い圧力を掛ける事になるだろうが、小沢の発言を発言以上に捉えるかどうかは彼らの勝手である。(笑)

菅首相を誕生させたの俺たちだと、取巻く七奉行+枝野の鼻息が笑ってしまう程頂点に達している。なかなか良い傾向である。(笑)党人事も組閣も小沢が想定した予定表を覆す心意気で仙谷が陣頭指揮で興奮しきりである。おそらく、人事も組閣も来週8日と云う事だが徹底的小沢派排除の人事、組閣になるだろう。末席大臣席に数人をばら撒くノーサイドに過ぎないだろう。

気がつくと、鳩山内閣迷走の戦犯お仲間、菅・仙谷・前原・岡田・枝野・北沢が居残る内閣で、明らかに野党が主張するように、「首のすげ替え」に過ぎない。 しかし、この「選挙管理内閣」を菅は妙に長期内閣にしようと力んでいるところがある。取巻きの七奉行系もその気になっている。お子ちゃまに玩具を預けてしまったわけだが、9月までは何とかボロを出さずに切りぬけて貰いたいものである。小沢の野望が帳消しになってしまう。

小沢派もここは忍の一時である。菅と七奉行グループに好きにさせるのが得策だ。本気になったら250票は取れるんだぞ等と発言しないことである。ただ、少し考える時間が欲しいと言って空ける空白の3日間で小沢派への配慮の心などが生まれないことを切に祈っておこう。折角の小沢戦略が頓挫してしまう。

選挙の為なら辞任でも何でもしてしまう小沢の強固な精神が頓挫し、選挙に大きなマイナスの影響を及ぼす。 この小沢戦略は、苦境にあった参議院選候補を助けるための手段である。政治家のクリーンがナンボのものか判らないが、世論と云うか国民の多くがそれを望むなら、能なしでもクリーンを標榜させていく方が得策だ。

小沢色排除であればある程マスメディアも菅内閣を叩き難くなる。マスメディアの民主党ネガキャンが静まれば、子供手当を直接受け取る人々の心は浮足立つ。 既に支持率にも好影響が出ているようだ。

不思議なもので、何もしていない、組閣も出来ていない菅民主党の支持率が上がるのだから奇妙である。(笑)如何にマスメディアの世論調査がいい加減かと云う事だが、その世論調査を見て聞いて自分の政治観を決める国民が多い以上何とも厄介なお国柄である。

まだ菅首相の党人事も内閣も「新聞人事」の段階なので、細かな分析は出来ないが、是非小沢色排除の人事と組閣を行って、第一の使命である「参議院選管理内閣」の役目を着実に遂行して貰いたいものである。

この一連の事情を小沢・鳩山・菅のトロイカで共有している話なのか、小沢・鳩山だけが知っていたことなのか、小沢単独で考えたものなのか、現時点では何とも判断がつかない。

まぁ今年の9月には判明する話なので、それまで待つしかないだろう。 いずれにせよ、菅直人は小沢と握っていようがいまいが、反小沢の党人事と内閣を組閣すべきだ。何が何でも、民主党候補者に勇気を与え、順風が吹くようにするのが菅直人の使命である。そして、出来れば単独過半数を握る事である。

その結果次第で9月に代表として生き残る可能性も残されている。勿論、七奉行らは放逐だ。9月には検察審査会で起訴になろうがなるまいが、もう選挙もない。小沢は思う存分日本の改革を革命的に陣頭指揮で行う時が来るということだ。 昨年3月より、心身ともに大疲労の小沢一郎、本気で身体のケアーをしていただきたい。9月以降の日本改造計画を迅速に強固に行う準備をしていただきたい。




「小沢・隠遁の術」うろたえる菅。超短命、七奉行90日内閣か?
2010年06月04日 | 日記


小沢一郎が音無しの構えに入った。居場所は判っているのだろうが声がない。(笑)

代表選への発言は一切ない、これぞ隠遁術である。(笑) 今日の代表選で圧倒的有利が伝えられる菅直人副総理だが、小沢一郎の音沙汰なし戦術にはホトホト参っているに違いない。

口では、前原や野田らの応援歌を背に受け「ある意味、国民の不信を招いた。しばらく静かにしていただいた方が、本人にも、民主党にも、日本の政治のためにも良いと思う」などと発言せざるを得なくなっているのだが、心から参っているに違いない。この発言がきっと菅の政治生命を絶ったと云う事になるだろう。

考えてみて欲しい、株主総会で第一位の大株主が総会の議題に総会当日まで意思表示しないのだ。怖くて怖くて仕方がない。実際問題、樽床議員が小沢派議員の票を纏め切れれば、接戦の可能性さえある。

前原、枝野、仙谷、岡田らがバックアップする鳩山戦犯内閣代表であると云うイメージを強く印象付ける結果になるのは明らか。完全に反小沢色を鮮明にした民主党政権が誕生する確率が高いのだろう。

現時点で筆者はどんでん返しとまでは思っていないが、心胆寒からしめる票差になる可能性が高いと考えている。無名に近い樽床議員でさえそのような結果なのだ。田中真紀子が出たらどうなると思う?政治とカネは検察マスメディアの捏造、鳩山内閣の支持率低下の第一の要因は政権与党と云うパワー不足。

小沢一郎にとって、参議院選終了までは雌伏休息期間だろうが、力の存在まで打ち消すつもりは毛頭ないだろう。忖度する子分のやることをみつめているのだろう。樽床議員と云うレベルでも副総理の順当な代表選を震い上がらせる力があると云う事実を見せつける必要はあるのだと思う。

NHKは馬鹿だから、小沢派は自主投票にしたとスクープの如く報道したが、この情報はブラフだと思う。前原野田をユル褌にする戦術に過ぎないだろう。(笑)

一日の間に組閣まですると云う荒行、菅は殆ど現内閣に手つかずにならざるを得ない。党幹部人事で反小沢色を出さないと前原岡田野田の不興を買う。しかし、前原岡田野田達の声を強く反映させれば、日常的に倒閣の恐怖に慄かなければならない。下手をすると、小沢が動く事で政権崩壊もあり得るのである。

小沢は長い期間休息を取るつもりはない。政治権力と云うもの行使せずにいると鳩山のようになる。常に行使していないと腐るのが権力だ。クリーンであっても権力のない政治家には何も出来ない。

みんなの顔を立て、結局なにも出来ない内閣になる。それこそが官僚主導への回帰だ。米国隷属の回帰だ。米国の腹は隷米な保守2大政党を日本の政治に実現しようとしている。菅はお飾りで、前原岡田の政権だ。渡辺肛門が民主党最高顧問に返り咲く。(笑)

七奉行内閣が長く続くほど政治の世界は甘くない。菅政権の寿命は90日あるかないか?怖ろしい状況でしか首相の目が出なかった菅、気の毒とも言えるが、首相になれたのだから、まぁ良いじゃないの。(笑)

≪ 小沢氏しばらく静かに…菅氏が出馬表明会見
菅直人副総理・財務相(63)は3日夕、民主党本部で記者会見を開き、「昨年8月に国民が託した日本再生のたいまつを鳩山首相から引き継ぎ、実現させる」と述べ、4日の民主党代表選への立候補を正式表明した。菅氏は「ここ20年の閉塞状態に対し、改革の歩みを進める時が来た。閉塞打破の先頭に立ちたい」と決意を述べた。小沢幹事長については、「ある意味、国民の不信を招いた。しばらく静かにしていただいた方が、本人にも、民主党にも、日本の政治のためにも良いと思う」と語った。小沢氏には「ごあいさつ」の面会を要請しているが、まだ返事はないという。(2010年6月3日19時32分 読売新聞)≫






鳩山の辞任は家族愛のため、ヘタレな理想を持った男
2010年06月03日 | 日記


鳩山が唯一代表・総理として権力を行使したのが小沢一郎の首を取った事とは何とも見事である。(笑)

どれほど辞任の弁で美辞麗句を並べたてようと、やった事は米国に頭を垂れ、沖縄県民を愚弄したこと。連立の社民党を切ったこと、そして政権交代を成し遂げた原動力の小沢一郎を切ったと自慢している事である。

この男が唯一戦略を画し実行したのは、小沢に一緒に辞めて貰うと云う事だけだった。

『先般、いろいろ幹事長ともご相談申し上げながら、私も引きます、しかし幹事長も恐縮ですが幹事長の職を引いていただきたい。そのことによって新しい民主党を、よりクリーンな民主党を作り上げることができる。そのように申し上げました。幹事長も分かったと、そのように申されていたのでございます。決して受動的という話ではありません。』

と僕は辞めさせられたのではなく、自分の考えで辞めるのです。でも小沢幹事長の首は僕が取ったのです。つまり、小沢一郎は僕の部下だった事が判ったでしょう。そのように語っている。

しかし、冷静に考えると、首相が辞すれば幹事長も辞するのが政権の常道、わざわざ公の場で「ぼくちゃんがクビ取ったぞ〜!」と自慢する話とは思えない。まして小林議員の辞職勧告にまで言及するのは、与党の代表の辞任の弁として不自然なものであった。

鳩山の組閣や官邸の顔ぶれを見たら、小沢が「俺を遠ざけようとしているな」と気づかぬ筈もない。小沢一郎は検察審査会の一回目の起訴相当が出た時点で、二度目の起訴相当がも出ると想定していた。つまり辞め時のタイミングを狙っていたわけだが、鳩山が性根尽きたと見て動いたに過ぎない。

鳩山は自らの辞任に小沢を道連れにしたつもりだが、小沢にしてみれば鳩山を道連れにしただけの事である。小沢一郎にとって、ヘタレな代表を支えるのはこれまでと云う考えは今年前半から出来ていた。

そもそも、己の政治資金規正法違反は歴然たる事実であり、母親の尋問云々で検察に脅かされ「米つきバッタ」したわけだが、小沢一郎の秘書等の政治資金規正法違反捜査起訴は嫌疑不十分の不起訴であり、クリーンとかダーティーの判断を鳩山が勝手に裁判長代理を行うと云う愚挙に出たことになる。

冷静に読むと、鳩山の辞任会見要旨は「自己陶酔と小沢批判辞任会見」だと云う事が明確に示されている。しかし小沢にすれば想定内の話、既に次の一手、選挙後に照準は向かっている。

検察の暴挙により、急遽小沢に替って代表を務め、小沢のエンジンで政権交代がなされ、気がついたら代理人が首相になってしまったのが事実だ。首相になっていなければ、母親からの資金提供が捜査立件される事もなかった。

不承不承公邸に引っ越した幸夫人の小言は日増しに激しさを増していただろう。公の場に幸夫人が出なくなったのは、彼女のストライキだったのだろう。その上新聞を読み、テレビを観れば愛する夫の悪口のパレード。

「もう我慢できない!私を取るか政治を取るか決めて頂戴!由紀夫さん!」そんな会話があったとしても何ら不思議のない、愛にあふれた鳩山夫婦なのである。その上、これ以上母親に心労を掛けさせるのも長男として如何か?田園調布の居酒屋で酒を飲んでいた日々が懐かしい。そうだ、ぼくちゃんにはそれが似合うのだ。これからは鳩山家の為に生きよう、幸の為に生きよう。お母さん、幸ゴメンね、もう選挙には出ないから許して。

こんな代表・首相を抱えた小沢一郎に何が出来ると云うのだ。だったら丁度潮時、参議院選は按配も悪い、しばらく休んで選挙後のことでも考えておくか〜(笑)小沢が記者に向かい「もう会う事もないだろう」には一言抜けている。「しばらくは」である。




鳩山、小沢と無理心中!
2010年06月02日 | 日記


色んな情報の一つだったが、まさか鳩山が一蓮托生を理由に、小沢を道連れに心中すると思わなかった。筆者の政局の読みは外れたようだ。
まぁ理屈上は首相と幹事長と云う立場なのだから、政治責任の取り方としては常道だ。

現時点はあまり頭が回っていないので(笑)多くを語れないが、小沢が鳩山に退陣を薦め、アナタも辞めるなら辞めても良いと云うバーター取引だったような感じだ。

朝一番に、鳩山はアノ腐れ肛門に電話を入れたそうだ。これは何を意味するのだろう?もしかすると、七奉行と鳩山は「同じ穴の狢」だったと云う大きな疑念が生まれる。

「僕は昔から小沢さんは嫌いだった」そう云う事だとなると、今後の民主党の代表選び、首班指名を終えた後、大きな政局、政界再編も起こる可能性が高まっている。

しばらくは、民主党の新代表の選出を待つしかない。そして、小沢の立場がどのようなものになるのかを楽しみに待つことにしよう。話はそれからだ!

≪ 鳩山首相退陣、小沢幹事長も辞任

 普天間、政治資金で引責鳩山由紀夫首相(63)は2日、沖縄県の米軍普天間飛行場の移 設問題をめぐる社民党の連立政権離脱や「政治とカネ」問題の責任を取り、退陣する意向を表明した。民主党の緊急両院議員総会で「この職を引かせていただ く」と述べた。首相は小沢一郎幹事長(68)に辞任を求め、小沢氏が了承したことも明らかにした。

 内閣や党の支持率の低迷で、7月に想定される参院選で改選を迎える議員らの間で辞任論が強まっていた。昨年9月 の政権交代から8カ月余りでの退陣で、細川内閣と並ぶ短命政権になる。

 鳩山内閣は近く総辞職。民主党は後継代表を選出する両院議員総会を4日に開催する。その後、国会での首相指名選 挙を経て新政権を発足させる方針だ。次期首相は、菅直人副総理兼財務相(63)を軸に調整が進みそうだ。小沢氏は新内閣が7日に発足するとの見通しを明ら かにした。

 民主党幹部は6月16日までの今国会会期を延長しない考えを示しており、その場合、参院選は「6月24日公示 ―7月11日投開票」の方向だ。小沢氏も同様の意向を示した。これに対し、自民党は衆院解散・総選挙を要求した。

 議員総会で首相は、辞任理由に普天間問題や「政治とカネ」問題を挙げ、与党の政策について「国民が聞く耳を持た なくなった」と指摘。「社民党を政権離脱に追い込んだ責任は取らなければならない」とも語った。また、政治資金問題で民主党の小林千代美衆院議員の辞職を 求めた。党役員は全員が辞任する。(共同通信)



    http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya<世相を斬る あいば達也>

彼のプロフィールによれば、《性別=男性・都道府県=東京都・自己紹介=ひねくれた性格で周りから嫌われ、怖れられている変人。その嫌われ、怖れられ振りを秘かに愉しんでいるフェチである。流れに逆らい泳ぐ鮭には目的があるが、俺には目的と云う言葉はない》とだけ出ています。

老生の見るところ、彼には透徹した思想信条の裏づけが見当たりません。 生活の中の文化の重要性と人としての文化の力に光を当てていることには開眼されます。 けれどもグローバルな平和を招来したいという人間性のにおいがありません。 鳩山さんが目指したようなまじめで真摯な眼差しが文章の行間からは感じ取れないのです。

だから、彼の論旨には心からの共感はもてません。 一つの珍しいアンテナです。

バックナンバーは、2009年04月以降となっています。

 06 08 (火) <NHKニュース>のビデオ再生

http://www3.nhk.or.jp/news/<NHKニュース>を開くと次のような項目が目に飛び込んできます。

   政治  閣僚人事 大枠を固め最終調整  菅新首相 人事で最終調整へ  “60議席超を”“過半数阻止を”
        執行部人事固め閣僚最終調整  菅新首相 米大統領と電話会談  仙谷官房長官 枝野幹事長発表

これらの項目にはビデオ記号が付記されているものがあり、クリックすると映像が再生される仕組みになっています。 次のものなどは、この機能のあるデータのものです。

  鳩山首相が辞意表明
    6月2日 10時56分


鳩山総理大臣は、民主党の臨時の両院議員総会で、普天間基地の移設問題で社民党が政権離脱する事態に至ったことと、みずからの政治資金をめぐる事件で党に迷惑をかけた責任をとりたいとして、総理大臣を辞任する意向を明らかにしました。また、鳩山総理大臣は、政治とカネの問題にクリーンな民主党をつくりたいとして、小沢幹事長にも辞任するよう求めました。

この中で鳩山総理大臣は「政権与党のしっかりとした仕事が、必ずしも国民の心に映っていない。国民が徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった。そのことは残念でならないし、私の不徳の致すところだ」と述べました。そのうえで、鳩山総理大臣は、原因の1つとして、沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設問題を上げ、「沖縄や徳之島の皆さんに、ご迷惑をかけた。さらに、社民党を連立離脱というたいへん厳しい道に追い込んだ責任は取らなくてはならない」と述べました。さらに、鳩山総理大臣は、もう1つの原因として、政治とカネの問題をあげ、「お金にクリーンな政権をつくらなければ、国民は政権に好意を持ってくれないという思いだったが、自分自身が政治資金規正法違反の秘書を抱えていた。たいへんな迷惑をかけたことはほんとうに申し訳ない。政治とカネの問題と決別する民主党を取り戻したい」と述べたうえで、「私自身、この職を引かせていただく」と述べ、総理大臣を辞任する意向を明らかにしました。また、鳩山総理大臣は「小沢幹事長にも政治資金規正法の問題があったことも周知のことだ。小沢幹事長との2度の会談で、『私も引くので幹事長にも引いていただきたい。そのことで新しい民主党、よりクリーンな民主党をつくり上げることができる』と申し上げ、小沢氏も『わかった』と答えてもらった。お互いにその責めを果たさなければならない」と述べ、小沢幹事長にも辞任するよう求めました。さらに、鳩山総理大臣は、北教組=北海道教職員組合の幹部らが政治資金規正法違反の罪に問われた事件に関連して、「民主党の小林千代美衆議院議員についても、その責めを負ってほしい」と述べました。そして、鳩山総理大臣は「新たな民主党に対して、聞く耳を持ってもらえるようになると確信している。私たちの声も国民に届くだろうし、国民の声も、私たちに通る新しい政権に生まれ変わると確信している」と述べました。

  舛添氏 小沢氏の影響はどうか
    6月4日 19時23分


総理大臣に民主党新代表の菅直人氏が選出されたことについて、新党改革の舛添代表は記者会見で、「鳩山内閣の財務大臣として十分に重職を担えたのか、疑問符が付く。普天間基地の移設問題でも、海兵隊のグアム移転など予算にかかわる話があるなかで、積極的に関与しなかったのは、いかがなものか。また、ほんとうに小沢氏の影響力を断ち切ることができるのか、きちんと見極めたい。田中角栄元総理大臣が『闇将軍』と言われ、キングメーカーとして力をふるったことが再現されるならば、影響力が断たれたことにはならない」と述べました。

  http://www3.nhk.or.jp/news/kan0604/
    菅 新首相記者会見 NHKニュース (31.14分)


菅新総理大臣は、4日、民主党本部で記者会見し、普天間基地の移設問題について、日米間の合意を踏まえて沖縄の負担の軽減を重視して取り組むとともに、郵政改革法案について、国民新党との合意を踏まえて今の国会での成立を目指す考えを明らかにしました。(6月4日 19時45分更新)

  http://www3.nhk.or.jp/news/?from=tp_an00
    菅新内閣 正式に発足へ
    6月8日 4時38分


菅新総理大臣は、民主党の執行部人事を決めたことを受け、8日、官房長官に仙谷国家戦略担当大臣、行政刷新担当大臣に蓮舫参議院議員を起用する一方、11人の閣僚は再任するなどとした閣僚人事を行い、正式に新内閣を発足させることにしています。

菅新総理大臣は、7日、民主党の両院議員総会で、枝野幹事長、樽床国会対策委員長、それに政策調査会の復活を受けた玄葉政策調査会長などを中心とする執行部人事を正式に決めました。この中で菅新総理大臣は「わたしたち民主党がいよいよ再スタートすることになった。鳩山総理大臣も求めていた『民主党らしい民主党』を目指したい」と述べました。このあと枝野幹事長は、記者会見し、「国民の期待を実現するためには、民主党に対する信頼の回復も必要だ。そのために、党運営の徹底した透明化を進めていく。透明な行政を支える党は、その党運営も透明でなければならず、情報公開などを進めていく」と述べました。そのうえで枝野幹事長は、政治とカネの問題に関連して、企業団体からの献金はみずからは受け取らない考えを明らかにしたうえで、企業団体からの献金の廃止を目指す考えを強調しました。また、野党側が小沢前幹事長の証人喚問を求めていることについて枝野幹事長は「法的責任と政治的責任は区別しなければならない。今回、幹事長を辞めたことで、一定の政治的なけじめをつけており、今までとは劇的に状況が違うと思う。政治倫理審査会への出席については、小沢氏の要望を聞いていないので、具体的なことは言えない」と述べました。菅新総理大臣は、民主党の執行部体制が整ったことを受け、8日午後、連立政権を組む国民新党代表の亀井郵政改革・金融担当大臣と党首会談を行ったうえで、直ちに閣僚人事に着手することにしています。閣僚人事をめぐっては、官房長官に仙谷国家戦略担当大臣を起用するほか、財務大臣に野田財務副大臣、国家戦略担当大臣に荒井総理大臣補佐官、行政刷新担当大臣に蓮舫参議院議員、それに公務員制度改革の担当大臣として玄葉政策調査会長の入閣が固まっています。そして交代する赤松農林水産大臣の後任に、山田農林水産副大臣の起用が固まりました。菅新総理大臣は、こうした閣僚ポスト以外の岡田外務大臣や国民新党代表の亀井郵政改革・金融担当大臣ら11人の閣僚は再任することにしており、17人すべての閣僚人事が固まりました。菅新総理大臣は、こうした閣僚人事を決めたあと、夕方5時から記者会見に臨み、政権運営の方針などを表明することにしており、皇居での親任式と閣僚の認証式を経て、正式に新内閣を発足させることにしています。



主なニュースを見落とした場合にはとてもありがたい放映です。 <毎日開きたいもの>へ追加しておきたい。


 06 09 (水) 菅内閣、閣僚名簿を発表

きょうの<asahi.comニュース特集菅・新政権記事>は次のように報じています。

現在位置:asahi.comニュース特集菅・新政権記事
菅内閣、閣僚名簿を発表 郵政は「今国会成立を期す」
2010年6月8日13時29分

【写真の解説】党首会談を前に握手を交わす菅直人新首相(中央右)と国民新党の亀井静香代表(中央左)=8日午後1時1分、首相官邸、飯塚悟撮影

 菅直人新内閣で官房長官に就任する仙谷由人衆院議員が8日午後、新閣僚の名簿を発表した。同日夜、皇居で認証式を行い、正式に発足する。菅氏は午前の民主党役員会で、新執行部メンバーに対し「当面の問題は、国会対応と参院選をいかに勝ち抜くかにかかっている。先頭に立って走り抜きたい」と決意を語った。

 菅新首相は8日午後、連立を組む国民新党の亀井静香代表と首相官邸で会談し、政権運営への協力を要請。国会審議中の郵政改革法案について、「今国会での成立を期す」ことで合意した。




 その後、仙谷氏が記者会見で、閣僚名簿を発表した。行政刷新相に「事業仕分け」で活躍した蓮舫参院議員、国家戦略相に菅氏側近の荒井聰衆院議員、党政策調査会長を兼務する公務員制度改革担当相に玄葉光一郎衆院議員を起用。財務相には野田佳彦衆院議員、農林水産相には山田正彦衆院議員が、それぞれ副大臣から昇格した。一方で、11閣僚が再任された。仙谷氏は顔ぶれについて「若さ、清新、仕事大好き内閣」と述べた。

 首相補佐官には、阿久津幸彦(東京24区)、寺田学(秋田1区)の両衆院議員を起用。逢坂誠二衆院議員と小川勝也参院議員は再任された。

 菅氏は同日夕、新首相として初めての記者会見を行い、新内閣の方針について説明する。夜には初閣議を開く。

 所信表明演説が11日、衆参両院での代表質問が14、15の両日と、当初予定よりずれ込むため、菅政権は、16日までの会期を延長するかどうかの判断を迫られる。国民新党が求める郵政改革法案を成立させるためには、2週間程度延長せざるを得ないとの見方が政権内では強まっている。

 ただ、会期を延長すれば、参院選の投開票日が当初予定の7月11日からずれ込む。民主党内では参院を中心に、菅内閣への期待が高いうちに参院選に突入すべきだとして、会期延長への反対も根強い。8日の役員会では、参院改選組の小川敏夫・国民運動委員長が「できるだけ延長しないでほしい」と求めた。

 会期延長した場合でも郵政改革法案の参院での審議日程が窮屈であることに変わりはない。同法案は衆院で採決をめぐって混乱した経緯があり、参院でも繰り返されれば、世論の批判を招きかねない。細野豪志幹事長代理は8日朝、TBSの番組で「衆院の法案審議は色々と反省があってしかるべきだ。参院で同じことはできない」と述べた。

 一方、自民、公明、共産、みんなの4野党の国会対策委員長は8日午前、会談し、首相が出席する予算委員会の開催を求める方針で一致。会談後に自民党の大島理森幹事長が民主党の枝野幸男幹事長に要請した。野党は「政治とカネ」の問題も含め新政権の姿勢を追及することで、参院選前に存在感を示す狙いがある。自民党幹部は「『逃げるな菅』で攻めていく」と語った。

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小沢氏「内閣を一生懸命支えなさい」 原口総務相に語る
2010年6月9日11時57分

 民主党の小沢一郎前幹事長が菅直人首相の選出後、原口一博総務相に「民主党と内閣を一生懸命支えなさい」と語っていたことが分かった。「脱・小沢」色を強める菅政権に対する小沢氏の声が明らかになったのは初めて。原口氏が9日、東京都内で記者団に明らかにした。

 「ポスト鳩山」の党代表選で小沢氏側から立候補を打診されていた原口氏は、菅首相が党役員人事の骨格を固めた後の7日、小沢氏と30分ほど会い、激励されたという。

 小沢氏はまた、自身の参院選戦略への批判を念頭に、「人に嫌がられるような選挙の様々な公認調整も、公平公正に断行してきた」と振り返ったという。

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小沢一郎  解説
解説文は09年9月19日更新

本名      小沢 一郎(おざわ・いちろう)
生年月日   1942(S17)年05月24日
出身地     岩手県 水沢市(現・奥州市)
現職      衆議院議員
        [政党]民主 [選挙区]岩手4 [当選回数]14
学歴     1967年 慶応義塾大学経済学部卒業/日本大学大学院中退
所属     民主党幹事長 競走馬育成協会長
元職     民主党代表、副代表、代表代行 自由党党首 新進党党首、幹事長 新生党代表幹事
経歴     1969年 衆議院議員に初当選/1985年12月 自治相・国家公安委員長(?1986年06月)/1987年11月 内閣官房副長官(?1989年06月)/1989年08月 自民党幹事長(?1991年04月)/1993年06月 新生党代表幹事(?1994年11月)/1994年12月 新進党幹事長(?1995年12月)/1995年12月 新進党党首/1997年12月 同再選、新進党を解党/1998年01月 自由党を発足、党首に/2000年06月 衆議院議員に11選/2000年12月 自由党党首再任/2003年09月 自由党は民主党と合併/2003年11月 衆議院議員に12選/2003年12月 民主党代表代行、副代表(?2004年05月)/2004年11月 民主党副代表/2005年09月 衆議院議員に13選/2006年04月 民主党代表/2006年09月 同再選/2008年09月 同3選(無投票)/2009年05月 同辞任/2009年05月 民主党代表代行/2009年08月 衆議院議員に14選/2009年09月 民主党幹事長

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小沢氏「補佐の役目果たせず反省」 首相辞任
2010年6月2日13時28分

 民主党の小沢一郎幹事長は2日正午すぎ、鳩山首相の辞意表明について「任期半ばでこのような事態になり、大変残念に思うし、自分自身として補佐の役目を十分に果たし得なかったと反省している」と国会内で記者団に語った。首相との2回の会談については「国会運営の厳しさや選挙の状況やらを意見交換した」とだけ述べた。

 小沢氏は「政治空白を長くつくるわけにはいかない。できるだけ早く次のリーダーと党再生を果たさねばならない」としたうえで、代表選については「私はいま残りの仕事をしている立場。そういうたぐいの質問に答える立場にない」と語った。また、記者団に「私はもうみなさんと会うのも最後でございます」と述べた。


 06 10 (木) 土浦海軍航空隊 爆撃

青春の日々、青雲の志を奪ってしまった第二次大戦。 昭和20年の今日は老生が所属していた土浦海軍航空隊が爆撃をうけ若い命を失った日です。

65年前のことになります。 戦争によって何百万の人たちが死んだというのに、日本人による戦争責任の検証はいまもなお行われておりません。 これは一体どうしたことなんでしょうか。

小泉首相は戦犯で処刑された人たちまで合祀した靖国神社の参拝を、外国からの批判があっても平然と行なっていました。 死んでしまえば唯の人それに違いはありませんが、中国や韓国、北朝鮮の人たちから観れば戦争責任者を祀っていること自体非条理なことなのに一国の宰相たるものが批判があるにもかかわらず参拝するのは理に反しています。

戦争責任の検証をしていない感覚は、戦争に対する洞察が薄っぺらなものになってしまうのです。

日米の軍事協定によって沖縄の米軍軍事基地が存続することは、沖縄県民がいくら反対していても 『抑止力』 になっているというその言葉に隠れて、戦争そのものの実態の検証が日本人の心の中に体験されていないからではないのか。

‘ 『抑止力』 ’とは何を意味しているのでしょうか?

国家間のいがみ合いによって、その第一線で殺したり、殺されたりする凄惨な姿を誰が認めるというのでしょうか?

戦争を前提とする 『抑止力』 の正体は、違う国の人なら殺してもいいという理由がどこから生まれ出るのでしょうか?

 『抑止力』 を使っている人々は、決して自分で人を殺しにはいきません !!

第一線で殺したり殺されたりするのは、親がおり兄弟や親戚もある善良な一般の人々です !!

与謝晶子の反戦詩のように、親は決して人を殺せとは教えていないのです !!

‘ 『抑止力』 ’の中身を今こそ精査しなければなりません !!

直撃弾で命を失った白川義男の両親は、どれほど涙を流したことでしょうか。 戦争によって命を奪っても、奪われてもいけません。 老生の六月十日によせる悲願なのです。



ごく簡単ですが、次のデータによってその一端を知ることができます。

大東亜戦争で散華した英霊に捧ぐ  殉國之碑/祖国日本(ふるさとにっぽん)
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/index.htm

都市空襲
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu.htm

土浦海軍航空隊 爆撃
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-tuchiura.htm


昭和20年6月10日、土浦海軍航空隊がB29爆撃機を含む艦載機群の攻撃をうけ、折りしも本土防衛の水上特攻要員(伏龍)編成中の第14期甲種飛行予科練習生・練成中の同第15・16期、後輩の訓練に当たっていた第13期生及び教官・教員ほか隊員ら281名が、隊内及び周辺で散華した。
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&oe=UTF-8&hl=ja&q=&om=1&brcurrent=3,0x60226daa38bfae21:0xd97e1da1b2fb5f6a,1&source=embed&ll=36.046531,140.220984&spn=0.003574,0.004452&z=18

第二次世界大戦被爆跡記念之碑
茨城県稲敷郡阿見町
鹿島神社


碑 文

太平洋戦争の末期、当時前線すでに戦力乏しく国内各地は空襲をうけ、物資食糧困窮のなかに、情勢は国民すべてを捲き込む悲愴な「本土決戦」へとかたむいていた。 時に昭和二十年六月十日、教育訓練施設である土浦海軍航空隊に敵機群が来襲、折から本土防衛の水上特攻要員編成中の飛行予科練習生を中心とする隊員ら二百八十一名が、隊内外で戦死、同時に、当青宿部落を中心に阿見町民家も銃爆撃をうけ、民家多数が焼失又は爆破され住民六名が犠牲になるなど多大の戦災を被った。

傷恨の跡は、各地に点在するが、いまこれをすべて明らかに留めるところは少ない。 そして、世は日につれて変わって行く。 この場所は、「命を捨てて同胞を護らん」と愛国の心に燃えて結集した十七・八歳を主体とする「予科練」たちの一部が、武器持たぬ身に血をたぎらせながらやむなく退避した壕の跡であり、不運にも直撃弾二発をうけ、多数が生埋めとなった悲傷の地である。 ここにこの地の人達が集い、慰霊をおこなってきた戦友・遺族らの意志を継いで、指標を建てる。 春に先がけて散った若桜たちの、憂国同胞愛の清明な心をとどめる「聖なる地」を顕彰し、ともに悠久の平和を希うことこそ、次の世代に伝える、この地の人達の郷土愛のあかしとおもうからである。

土浦海軍航空隊戦没者慰霊碑
茨城県稲敷郡阿見町
法泉寺


墓 誌

太平洋戦争も終末に近づいた昭和二十年六月十日、土浦海軍航空隊にB29爆撃機を含む艦載機群の攻撃をうけ、折りしも本土防衛の水上特攻要員編成中の第十四期甲種飛行予科練習生・練成中の同第十五・十六期、後輩の訓練に当たっていた第十三期生及び教官・教員ほか隊員ら二百八十一名が、隊内及び周辺で散華した。

海軍適正部(現土浦第三高等学校)の庭で荼毘に付された遺骨はそれぞれ遺族に引渡されたが、法泉寺第五十二世住職大僧正山岡英明和尚はその残骨を慈しんでこの地に葬り独り回向を続けること十数年、漸く平和よるがえる昭和三十六年六月第十七回忌法要に際し、土浦市・阿見町はじめ広く各地有志の協力を得て墓碑を建立するに至った。 以後、戦死者多数をだした十四期生同窓十四桜会はじめ各期の戦友らが集い、遺族と共に供養をおこなっている。

時流れて三十年、七生報国・悠久の大義に殉じた若き命の冥福を祈り、ここに悲傷の日を迎えるにあたり墓所の縁起を記す。




予科練記念館「雄翔館」
http://www.town.ami.ibaraki.jp/kankou/yokaren/yokaren.htm
125号線・阿見坂下交差点北西

  「若い血潮の予科練の〜」と、若鷲の歌で知られている土浦海軍航空隊(現陸上自衛隊武器学校)。終戦を迎える昭和20年まで、日本海軍少年航空兵養成の中核的施設でした。予科練卒業生は、全国で約24,000人で、18,564人が、太平洋戦争で戦死しました。

  昭和41年、予科練の碑「予科練二人象」が、昭和43年には予科練記念館「雄翔館」が予科練出身者により建てられました。記念館には、約1,700点の遺品がおさめられており、日本の昭和史を伝える貴重な記念館です。年間7万人余りが全国から訪れます。

予科練の碑 (写真・省略)

  「予科練の碑」は、国のため家族のために若い生命を捧げた予科練出身者たちの尊い心を、永遠に顕彰する目的で建立されたものです。

雄翔館 (写真・省略)

  「雄翔館」には戦没者の遺品、遺書などが保存されています。当時の若者がいかにして戦い何を考え、死んでいったのか、飾りのない記録は語っています。
  悲愴な予科練の足跡が世界平和の資となるために、永く維持されることを願うものです。

予科練の制度

  昭和5年、海軍飛行予科練習生制度が発足した当初は、高等小学校終了以上のもので、満14歳以上20歳末満で学力・体力ともに優秀な少年を飛行兵として採用し、きびしい教育訓練課程を経て海軍航空隊の中堅幹部に育てました。
  昭和12年、更に航空戦力の急速な拡充のため搭乗員の大量養成が必要となり、従来の少年航空兵を兵を乙種飛行予科練習生と称し、あらたに中学校(旧制)4学年1学期予期修了以上(後に3学年修了程度)の学力を有する志願者から採用する甲種飛行予科練習生制度を設け、合格者を短期間で養成しました。年齢は満15歳以上20歳未満でした。
  また、海軍内部の一般下士官兵の中から飛行科を志願し、選抜された者を丙種飛行予科練習生と呼びました。
  更に、昭和18年から乙種予科練志願者のうち一定資格のある者を乙種(特)飛行予科練習生と称して短期教育の上第一線に送り出しました。

予科練の活躍

 1937年(昭和12年)7月7日、日本と中国が戦闘状態に入りました。海軍航空隊は同年8月15日、九州の大村基地を発進、折からの暴風雨をついて東支那海を飛び越え、中国の首都である南京の軍事施設を爆撃した。当時、大編隊を組んで海を渡ることは世界航空史に例がなかった。この渡洋爆撃に予科練出身者も参加し、予科練(少年航空兵)の声価を高めました。

  1941年(昭和16年)12月8日、日本と連合国との間に戦争が始まりました。いわゆる太平洋戦争です。ハワイの真珠湾攻撃に成功した日本は、またたくまに太平洋の広範な地域を占領したが、1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で大損害を受け、さらに同年8月アメリカ軍のガダルカナル島への攻撃から連合国の反撃が開始された。アメリカ軍を中心とした連合国は、豊富な物量を投じ、しだいに日本軍を圧迫してきた。

  海軍航空隊は優勢な敵を阻止するために、必死必中の特別攻撃(特攻)で爆弾もろとも敵艦に体当たりをする作戦を敢行するにいたりました。しかし、敵の攻撃は息をもつかず、ついには日本の本土に接近してきた。もはや空からの守りだけでは祖国を救う方法はない。新しい特攻兵器が戦場に投入された。人間魚雷・回天・海竜・蛟竜、爆装モーターボート・震洋、人間爆弾・桜花、爆薬を抱えて敵艦に体当たりするフロッグマン・伏竜など、そのいずれもが若い予科練を中核とするものであり、空と海上と海中一体となって戦ったのです。

 1945年(昭和20年)8月15日、日本は降伏しました。国土は荒廃していた。焦土と化した都市、食うに糧なき国民、この混乱状態の中から生き残った者たちは、予科練魂を発揮して立ち上がりました。荒れ果てた国土を復興しよう、それが戦死した戦友たちに報いる道でもある、と決意したのです。

予科練の教育

○飛行予科練習生の教育内容
普通学
修身、国語、漢文、算術、代数、幾何、三角、物理、化学、地理、歴史、英語
軍事学
運用術、航海術、砲術、水雷術、通信術、航空術、機関術、,整備術、電測術
体 育
柔道、 剣道、水泳、銃剣術、相撲、体操,サッカー、バスケット、バレーボール、ラグビー
艦務実費
艦隊主力艦に分譲して艦船乗員の勤務を体験する
○飛行練習生教育内容
操 縦
陸上、水上
偵 察

所在地 茨城県稲敷郡阿見町大字青宿121−1 陸上自衛隊武器学校内
問い合わせ 陸上自衛隊武器学校(広報) 029-887-1171 財団法人海原会 03-3768-3351



昭和20年6月10日朝食後第二警戒警報発令。 その日は日曜日で朝食には烏賊がありました。 烏賊が出ると空襲警報になるぞ、と話し合ったばかりでした。

いつもは1km余離れている防空壕へ駆け足で退避しなければならなかった。 ところがその日42分隊第6班は土浦警備隊ということで、防空壕への避難はなく、兵舎の横の防空壕と第一練兵場の指令の防空壕の近くの蒲鉾型防空壕へ分散避難しただけでした。

それが 8:30 頃か 9:00 頃でしょうか。 爆弾投下をうけたのです。 それが始まりでした。