シンクタンクとトインビーの『歴史の研究』
アメリカン大学客員研究員 中野 有
2005年05月23日(月)
シンクタンクの活動にずっと興味を持ってきた。ブルッキングス研究所や大学のシンクタンクに乗り込み内部からその活動を観察してきた。そこで学んだことは、個人の発想と情熱がシンクタンクの原動力になっていること、時勢に適ったトピックのシンポジウムが開催され世界のマスコミに刺激を与えていること、そして、大学のアカデミズムと外交官の実践が調和され、加えてアメリカの視点のみならずグローバルな多国的視点で構想が練られていることである。
数カ月前のニューヨークタイムズのコラムで指摘されていたことだが、1971年はじめにCIAは、米中関係に大きな進展は期待できないとの分析を行った。その巨大な組織と莫大な予算と時間を費やして出された結論に反し、一個人は米中関係に大きな変化があるとの分析を行った。その半年後には、キッシンジャーが北京を訪れ、周恩来との歴史的対談が行われたのである。
見事に巨大組織の分析ははずれ、個人の洞察が現実となったのである。これは、極端な例であろうが、国務省、ペンタゴン、CIA等の巨大組織の弱点を埋める効用として、個人の構想が尊重されるシンクタンクの存在がある。そこには組織の重要なポストを経験した人物が組織では規制がありできなかったことを、シンクタンクの活動を通じ、自由奔放にマスコミに個人的な見解を情熱を持って発表している姿がある。この自由がアメリカのシンクタンクの魅力である。
しかし、これらのシンクタンクの魅力に接しても、シンクタンクが本当に世界をそして歴史を動かすだけの含蓄があるとの満足感を得ることはできなかった。現実には、タイムリーに国際情勢の流れを洞察すると云っても、日々の出来事に敏感に反応しているだけだと感じることが多かった。
そんな時、アーノルド・トインビーの「歴史の研究」を熟読し、米国のシンクタンクに欠如している歴史的・文化的背景を透徹する哲学的な眼光を見い出すことができた。トインビーは、英国の王立国際問題研究所の研究部長として1925年から54年まで30年かけて既存文明の生起興亡、則ち文明の発生、成長、衰退、解体という歴史過程を支配している法則を研究した。それを応用し、文明の統一性、持続性、並行性、同時性の観点から現状分析を行ったのである。
具体例として、トインビーは、1914年の世界大戦がヨーロッパ文明にもたらした経験と、紀元前431年のペロポネソス戦争がイギリス文明にもたらした経験とが同時性があると分析し、また満州事変勃発に際し、日本の責任の重大性についてローマ帝国と戦ったカルタゴの運命であるという洞察を行ったのである。
インビーの視点では、人類の歴史の長さから観ると文明を生みだした期間はほんの短期間であり、その文明の何千年という期間に人類は同じことを繰り返すという考えに達するのである。
トインビーの着想をシンクタンクの活動として応用することにより、より信頼のおける構想が生み出されるように考えられる。以下、トインビーの歴史の研究を読み特に感銘を受けた示唆を列挙する。
1 現在を遠い過去の出来事のように考えてみることにより、歴史上にある過去の時代との同時性を冷静に展望できる。 歴史を双眼的に見る。 歴史は単なる事実の集積でなく、啓示なのである。
2 歴史と社会科学とがアカデミックに区別されていることは、偶然なことであって、この伝統的な障壁を破って、人間的問題の総合研究に投げ込まなければいけない。
3 異なる文明に属する同胞を助け、互いに他の国民の歴史を理解することにより全人類の共通の成果と共通の財産を見いだし、敵意をいだくことを少なくすることができる。
4 衰退に至った文明の歴史の中に、必ずしも実現することに成功しなかったとしても、事態を収拾する別の解決法が発見されたことが認められる。 それが協調の理想である。 その精神が現代に現れたのが、国際連盟と国際連合である。 この協調の理想は、孔子や老子がいだいた思想でもあった。 政治における目標は、致命的な争いやノックアウト的打撃のあいだの中道を発見することである。
5 平和競争という形での平和共存においては、相手にうち勝つためには相手の長所をとり入れて自分の弱点をカバーしなければいけない。 そうすると、そういう作業の中で相互接近が行われる。 この線が中道の線である。
6 国連そのものは、世界のそれぞれの国の人民とは直接つながっていない。 政府を通じてつながっている。 人民に直接つながる国連が必要である。
7 貧しい国の利益のために、富んだ国に重税を課すことができるような強力な世界政府を作ることが重要だ。 貧乏な人達があまり挑発的・暴力的になったら、これはどうにもならない状態が生み出されるので中道の道を見つけなければならない。
8 西欧の宗教戦争の歴史の示すところは、精神上の問題は武力によって解決できるものでないことを証拠だてている。 そうだとすれば武力解決でなく、新しい世界政治体制を造り出すことによって解決する以外に方途はない。
9 歴史を眺める際に、我々の見地が、たまたま我々のおのおのが生まれた時代と場所によって、大部分決定されていることに気がつく。 人の見方は特定の個人、特定の国民、特定の社会の見方である。 歴史をあるがままの姿において見ようとするならば、われわれはどうしてもそこから出発するほかないが、この局部的な見方を超越しなければならない。
10 原子力時代においては、人類は、自分たち自身を滅ぼすまいとすれば、一つの家族となって生活することを学びとらなければいけない。 これこそ、日本が学びとり、そして他に伝えることのできる真実である。
11 文明の歴史が複数であり、繰り返しであるのに対して、宗教の歴史は一つであり、前進的であるように思われる。 ユダヤ教から派生したキリスト教とイスラム教において、宗教は異なっても啓示は一つであることの寛容的精神が重要である。
米国には世界を動かすシンクタンクがある。これらのシンクタンク機能に、トインビーが我々に伝えるメッセージを生かし、さらに日本の特徴を盛り込んだシンクタンクを創造すれば、我々が直面する危機、例えば核問題や国際テロに対応できる活動が可能となろう。
日本の特徴は、宗教に寛容な多神教、和を尊ぶ協調の理想、世界で唯一の核被爆国である。加えて、東西の文明を日本の特徴を生かし融合させてきた柔軟性にある。一方、日本の弱点は、個人の発想や情熱が生かされる土壌に欠けており、島国的発想で国益中心で、地域全体の利益や地球益に欠けていると考えられる。そして世界に発信するパワーが限定されているところにある。また周辺諸国に対し寛容な精神が欠如していることが、日中や日韓関係をぎくしゃくさせている。
アジアの分断が加速されることで、多国間協調の足並みがそろわず北朝鮮の核問題への抑止力が低下している。日本が偏狭なナショナリズムに傾くことで、国連常任理事国の一角を担う中国を刺激し、目前に迫っている国連改革や日本の国連常任理事国加盟も水泡に帰す。トインビーが指摘するように中道の道、協調的な理想を実現するためには国連の存在は重要である。
日本は、日米同盟、国連外交、アジア重視の外交路線を貫くことが重要であり、そのためには歴史観と多角的視点に基づく明確なビジョンが求められる。まさに日本は、国連とアジアという日本の運命を左右する岐路に直面しているのである。
日本は、周辺諸国との経済格差を考慮し、寛容な行動で相手を挑発的にさせぬ外交の良策を行う必要がある。アジアの国々と調和することにより、国連常任理事国の地位を得ることができるのである。周辺諸国との調和なしには、日本は国連の重要な地位を失う。結果的に中国の更なる上昇と日本の下降を招くのである。
国際テロ、宗教の対立に端を発し、最悪の場合、核兵器により人類や地球の危機が訪れる。このような危機的な国際情勢において、平和共存や協調的な理想に向けた新たな世界政治体制が構築される可能性が増すと考察される。遠い将来になるかもしれないがトインビーが説く市民を主役とする国連が生まれる。そこで被爆国であり多神教国家の日本の貢献が期待される。人類の歴史を探れば、何千年後もほんの短い期間であるのだから、現下の状況も過去と未来の狭間の中で人間の個性が生かされた道に進むと考えられる。このような発想でシンクタンクを創設したい。
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