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折々の記 2010 G

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】12/23〜     【 02 】12/28〜     【 03 】01/05〜
【 04 】01/07〜     【 05 】01/09〜     【 06 】01/11〜
【 07 】01/12〜     【 08 】01/14〜     【 09 】01/15〜

【 01 】12/23

  12 23 凄い !! 飛騨「龍の瞳」
  12 24 辛卯、年賀状
  12 25 金子みすず 詩のスタートライン
  12 26 北海道発 ※検証‘北海道の教育’赤ちゃん時代の「大脳開発」

 12 23 (木) 凄い !! 飛騨「龍の瞳」

早朝TVを見て驚きました。

   NHK放送番組

  産地発!たべもの一直線・選「岐阜 下呂市発 米」

    チャンネル :総合/デジタル総合
     放送日 :2010年12月23日(木)
     放送時間 :午前5:15〜午前5:50(35分)

農業・漁業の現場で「たべもの」づくりに真剣に向き合う生産者の姿を通して「食」の今を伝える番組。今回は、岐阜県下呂市から新品種の米「龍の瞳」を紹介する。
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米粒の大きさがコシヒカリの1.5倍で、甘みと粘りが強く、その味はコシヒカリ以上ともいわれる米「龍の瞳」。2000年、岐阜県下呂市の農家・今井隆さんの水田で偶然見つかった新品種だ。2010年は猛暑続きで夜の気温も下がらず、味のよい上質の米づくりには難しい環境。深夜に水をかけ流して稲を冷やすなど、収穫直前までギリギリの作業が続いた。番組では、今井さんの米作りに密着。「龍の瞳」の魅力に迫る。
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【ゲスト】タレント…奥野史子, 農家…今井隆, 【キャスター】永島敏行, 井上あさひ, 【リポーター】青木希久子, 【ふるさと通信員】朝日美智子


解説の様子が映像として流れ、ゲスト、キャスター、リポーター、ふるさと通信員が、塩むすびを食べてその感想を言っている場面がありました。 それにしても「龍の瞳」を発見し、サラリーマンをやめて米作りに打ち込んだ意欲には感心しました。

稲も生きものです。 よりよいものを求めて突然変異をするものがあっても不思議ではありません。 それを見つけて品種として固定するまでの願いと努力には頭が下がります。

概要を知るには、次のサイトを見ると良い。

     http://www.ryunohitomi.jp/
     合資会社 龍の瞳〜コシヒカリを越える米「龍の瞳」誕生...品種名は「いのちの壱」〜

     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E3%81%AE%E7%9E%B3
     龍の瞳 - Wikipedia

     所在地  岐阜県下呂市萩原町宮田415
     
     大きな地図で見る 以上明るいニュースでした。

●天皇誕生日  1933年(昭和8年)のこの日、現在の天皇(当時の皇太子)が誕生したことによる。即位は昭和64年1月7日。 改元により平成元年となる。

▼ 文化情報として、NHKでは次の番組が放映されました。

   NHK放送番組

  京都・南禅寺界隈 山紫水明のユートピア

    チャンネル :総合/デジタル総合
     放送日 :2010年12月23日(木)
     放送時間 :午後2:00〜午後2:55(55分)

京都・哲学の道の南端に建ち並ぶ、明治・大正時代に勃興した政財界の大物たちの極上の別荘群。初めて本格的な撮影が許された「京都最後の秘境」に、究極の日本美を味わう。
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年間5000万人もの観光客が訪れる京都にあって、旅行ガイドに一切載らずひっそりとたたずむ別天地がある。南禅寺界隈(かいわい)の別荘群は、明治から大正時代にかけてぼっ興した政財界の大物たちが、持てる財力と美意識のすべてを注ぎ、競い合いながら作り上げた極上の空間だ。今まで非公開とされてきた“京都最後の秘境”である南禅寺界隈の別荘群で、初めて本格的な撮影が許された。究極の日本美の空間を味わい尽くす。


京都の秘境として京都・南禅寺界隈の別荘群を見ることができました。 日本文化の息吹を目の前にして、先人の文化への想いに案内されました。

造形物というものは一般庶民だけの財力では出来ないものです。 一つの考えのもとに財の集中がなければ出来ないものです。 私たちはこのことを理解しなければなりません。

財の平等ということとともに、財の集中も必要なことなのです。

集団による財の集中もあってよいのですが、個人の自由意志による財の集中も一定の規約に基づいて行なわれてもいいと思います。 具体的に言えば、公共施設としての造形物もあるし、個人の蓄財による造形物もあるのです。

今日放映されたのは、知恩院の境内が明治になって開放され個人の別荘となった経緯と、その別荘群の文化の紹介・解説でした。

▼ 文化情報として、NHKでは次の番組も放映されたといいます。

   NHK放送番組

  ハイビジョン特集 「京都 天下無双の別荘群」

      http://orsinian.blog64.fc2.com/blog-entry-659.html
      ハイビジョン特集 「京都 天下無双の別荘群」 blog オルシニアン

南禅寺界隈、明治時代に政財界の大物が贅を、そして美意識を尽くした別荘を巡る番組。
今回のハイビジョン特集は、5月にNHK「ワンダー×ワンダー」(私は見逃していたので)で放送された「京都 天下無双の別荘群」の拡大版。 映像が美しく、想像以上におもしろかったです。
(それ以前も関連の番組があったようなのですが、私は全く見ておらず)

    ハイビジョン特集 「京都 天下無双の別荘群」
     放送日 :NHK-BShi 9月18日(土)
     放送時間 :午後8:00〜9:30

番組で取り上げた別荘の現状をわかる範囲で調べてみると…

  ○細川家別邸…現在の所有者は細川家ではありません。
   怡園(いえん)…閑珠房では茶禮を通じて精神の向上を目指しています。
   池泉用水2…小川治兵衛の作庭についてのいろいろなデータがあります。
  ○對龍山荘(たいりゅうさんそう)…旧伊集院兼常別荘(薩摩の実業家)、非公開
   平成13年特別公開 
   對龍山荘(京都観光タクシー京都観光案内と紅葉情報)
   市田氏對龍山荘庭園 特別公開 
  ○無鄰菴…旧山県有朋別荘、現在は京都市所有、公開中。
   京都市/無鄰菴
  ○何有荘(かいうそう)…旧稲畑勝太郎邸、2010年クリステーズのオークションでラリー・エリクソンが購入。
   wikipedia-何有荘
  ○碧雲荘…野村グループ創業者が建設、現在も野村グループ所有。国指定重要文化財、非公開。
   野村別邸 碧雲荘
  ○清流邸…旧塚本与三次邸(近江出身の実業家)、現在は大松(株)所有、非公開
   清流邸(大松株式会社)
  ○流響院…塚本与三次が建設。
   三菱→戦後は連合軍の宿舎→京都の呉服商が外国人向けショールームに→現真如苑所有、現在建築当時の姿に修復中。
   期間限定で公開予定。
   真澄寺別院 流響院 (写真が美しい)
  ○桜鶴苑…現・目黒雅叙園グループ。婚礼、宴会場。
   桜鶴苑について

最高の職人と最高の材、取り上げられた別荘は、日本家屋の美を追求し、いずれも見事な庭園を持っています。琵琶湖疎水のおかげで、水をふんだんに利用した滝や池も見事。
東山を借景として、町中ありながら、雄大な自然を感じさせます。
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もっとも気に入ったのは對龍山荘、京都の呉服王が建てたこの屋敷は、「庭屋一如」庭と屋内が溶け込むような空間。
開放的ということではないんですね。建物が庭や外に近づいた…寄り添うような感じと言えばいいか。
1階からの外を見ると、低く伸びたひさしの先に外が地続きのような感じ。
障子を開けなった2階からの眺めは、庭と東山の山々が一体となり、都会から遠く離れた山々のような。
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他の屋敷もそうなのですが、ここも水辺が建物に組み込まれています。
この感じ、何かに似ているなあと…。
思い出しました、ライト設計の「落水荘」。
落水荘のコンセプトも自然の中に暮らすことでしたよね。もっともこちらは本当に自然の中にあるお屋敷ですが。
落水荘のリビングからの眺めは、對龍山荘の低い位置から外を眺めるイメージ。
落水荘の水の流れと一体となった建物は、水辺に浮かぶような對龍山荘と庭園の滝を連想させます。
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碧雲荘もすごいですねえ。野村グループの創業者野村徳七は、茶道、能楽に傾倒、碧雲荘には茶室、能舞台、そして道具の数々があるようです。
かつて野村徳七に能を指南したシテ方の家には、徳七から頂いたという小面が…う〜ん美しい! 庭園は10人の庭師が365日手入れをしているとか、その維持、管理にかかる費用は想像しただけで…(汗)
碧雲荘は当初からオーナーが変わらない数少ないケース。野村グループだからこそか、いずれ公開の機会もありそうですが。
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それにしても、後世に残る文化財がここにある理由は、貧富の差が激しい明治の、いわば特権階級の人々がいたからで、道楽と言ってもいい。
文化とはそういういびつさから生まれると思うと、ちょっとフクザツではありますね。
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番組の最後、林原美術館館長のお話が興味深かったです。
別荘の持ち主は代わっていくもの、しかし公のもではなく、個人がどのように大事に伝えるか。主がいなければ建物も庭も生きない。主の想い、それが伝統文化を守ることであり、継承の仕方である。
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主が次々代わっていったり、外国人が所有したりすることには、抵抗がないと言ったら嘘になります。
しかし、別荘を維持し続けることは(経済的に)素人目にも大変なこと。細川家が手放したのもそういった理由からではないかと推察できます。
豪華な花見の宴をひらいていた清流邸の現主(呉服商)の、「預かり物、次の世代に大切な『心』を残したい」という言葉が印象的でした。
今現在、自分が所有してはいるけれど、いずれ代わっていくだろう、それが時代…というふうにも捉えることができました。華やか場面でとても謙虚な言葉に聞こえました。


普段放映もされないので、映像を見てその内容にびっくりしました。

◆ きょうは佐々木賢明の没後16年の命日でした。 彼の生き生きした姿がはっきり脳裏に浮かんでいます。 安らかにやすみたまえ。




 12 24 (金) 辛卯、年賀状

【ijはがき文面】

さても義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時のくさむらとなる。
 国破れて山河あり
 城春にして草青みたり
と、笠うち敷きて時の移るまで涙を落としはべりぬ。
 夏草や 兵どもが 夢の跡

新春を
 寿ぎ申しあげます


今年もよろしくお願いいたします。
    【ijはがき文面】       【ijはがき文面】      辛卯元旦
                                      画像は大分県の岡城

実際には左側の岡城を印刷したが、PC上の画面とは違い、色が濃く印刷されて予期したイメージとはかけ離れたものになった。 はがき印刷では色彩は淡色がよいと思う。

右側は中島潔が清水寺へ奉納した襖絵のうちの「大漁」の襖絵の一部です。

   検索すればいくらでもデータを得ることができます。


1943年中国東北部(旧満州)に生まれる。1歳で両親の生まれ故郷佐賀へ戻る。1961年佐賀県立唐津西高校卒業。伊豆下田の金鉱で温泉掘りとして働く。その間、働きながら絵を描き続け、基礎的なデッサンを独学で身につける。1963年新聞にカットを投稿採用、それがきっかけで下田の印刷所で働く。1964年東京銀座の広告会社に就職。イラストレーター、広告プロデューサーとしてその才能を認められ活躍。アートディレクターとして数々の賞を受賞。1976年独立しフリーとして活動を始める。1987年ボローニャ国際児童図書展で絵本『木霊みょうと』でグラフィック賞を受賞。1994年日本原子力文化賞を日本原子力文化振興財団より授与、現在に至る と解説されています。

2010年 5月31日(月)放送
  風の画家・中島潔 “いのち”を描く
日本画壇で異彩を放つ“風の画家”中島潔(67)。NHKみんなのうたなどで親しまれたノスタルジーあふれる童画にはじまり、源氏物語や詩人・金子みすゞの世界を描いた絵などで、国内だけでなく、海外でも高い評価・人気を誇る。その中島が、「生涯で最高の仕事」として取り組んできた46枚のふすま絵が完成。京都・清水寺の成就院で4月末、公開された。日本画の伝統とは無縁の画家が、1200年の歴史を誇る名刹でふすま絵を描くのは極めて異例。中島は、ここで、終生のテーマでもある「いのちの無常と輝き」を表現するため、過去何度も描いてきた金子みすずの代表的な詩「大漁」を4たびテーマに選んだ。中島が5年をかけてひたすら描き続けたイワシの大群の絵は、圧倒的な存在感を放つ。「風の画家」が現代に発する「いのち」のメッセージに迫る。

2010年04月23日
  中島潔さん 京都・清水寺にふすま絵奉納
唐津市厳木町出身で、叙情的な画風が人気の日本画家、中島潔さん(66)が清水寺塔頭(たっちゅう)成就院(京都市東山区)に4部屋46面のふすま絵を奉納し、報道陣に23日公開された。
ふすま絵は「かぐや姫」「風の故郷ふるさと」、詩人金子みすゞをモデルにした「大漁」で構成する。中島さんは2005年春に同寺を訪問し、その際、観音の慈悲の心を絵にして奉納したいと希望。制作が許され、先月下旬に完成させた。
「大漁」にはイワシの大群が描かれ、中島さんは「弱い命ほど一番輝く。それを表現した」と説明。「(ふすま絵には)生きる姿を描いており、悲しいこと苦しいことがあっても、絵を見て一瞬それを忘れてもらえれば」と話した。
【写真】京都・清水寺塔頭成就院に奉納された中島潔さん(左)のふすま絵。右は森清範貫主=23日午後、京都市東山区


   「大漁」

      【0歳教育】 > 【 F 保管資料】 > 【私製本・プリントアウト製本】 > 【か】 > 【金子みすずの世界 1 】 > 【金子みすずの世界 2 】
       または「金子みすずの世界」 第四章 大漁 へジャンプすること。


   大漁

   朝焼け小焼だ
   大漁だ
   大羽鰮(いわし)の
   大漁だ。

   浜は祭りの
   ようだけど
   海のなかでは
   何万の
   鰮のとむらい
   するだろう


     「goodfishing 大漁MP3」 こちらから素敵な歌が響いてきます。

ついでに彼女の人柄が髣髴できる解説をあげておきたい
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第5章 さびしいとき

 小学校時代の恩師の大島ヒデ先生はみすヾを回想して、「友達とけんかをしたということを聞いたことも見たこともありませんでした。みんな金子さんを、何かしら心の中で尊敬していたように見えました。本当に金子さんは、優しくて、ていねいで、色白でふっくらとしたきれいな少女でした」と述べている。

   「私と小鳥と鈴と」

   私が両手をひろげても、
   お空はちっとも飛べないが、
   飛べる小鳥は私のやうに、
   地面(じべた)を速くは走れない。

   私がからだをゆすっても、
   きれいな音は出ないけど、
   あの鳴る鈴は私のやうに、
   たくさんな唄は知らないよ。

   鈴と、小鳥と、それから私、
   みんなちがって、みんないい。


 小学校で一年後輩だった中村ツルエさんは、「学校や道で顔を合わせたりすると、ほっと笑うんです。その笑顔を見ると、こちらまで嬉しくなるようでした。みんな金子さんのことを憧れていました」と回想している。

 たしかに、みすヾは小学校や女学校で先生や級友たちの信頼が厚く、成績も優秀だった。ずっと級長も務めている。しかしそんな優等生の彼女にも心底からさびしいときがあったのだろう。

 みすヾは幼い頃から、周囲にやさしく、礼儀正しくて、いつも笑顔を絶やさなかった。しかし、決して人と争わない優しい人だっただけに、いろいろとものに感じて、深く考えることもあったのだろう。そしていつか彼女の心の奥深くで、生きることの根源的なさびしさのようなものが、ひそかに深められていたのかも知れない。

上記の「大漁」「私と小鳥と鈴と」の詩は金子みすずの代表的な詩だといわれています
このサイト<http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/misuzu0,.htm>は孫たちに読んでもらいたい

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 12 25 (土) 金子みすず 詩のスタートライン

夜中から小雪がちらつき五時に起きたときには薄っすらと白くなっていた。 この冬の初雪です。

きのうの金子みすずの詩「大漁」を調べていたら、「goodfishing 大漁MP3」が見つかりこのHPへ載せました。 命の感覚をこれほどまでに追求し続けれる心情には、その人となりには頭が下がります。

「絶対矛盾の自己撞着」そこから何を創りだすか、人の尊さが現われるスタートラインがそこにあるのですね。

絶対矛盾の自己撞着という言葉を検索してみますと、西田幾多郎さんの「絶対矛盾的自己同一」がでてきます。 これは難しくていけません。 老生の表現の意味は、人が生きていくには他の生命を取り込まなくてはならない、そのことを指しています。 他の生命を口に入れなくては生きていけない、根源的な思考の忌避感覚に直面させられることなのです。 そういう心の苦しみなのです。 こうした思考のスタートラインに立ったとき、自分の人生観や思索の仕組みやジャンルをどのように築いていくのか。 大きくなってきたとき、いつかはこの根源的課題の壁が目の前に現われてくるのです。

この課題に気づいても軽く考える人もあるでしょうし、突き詰めて考える人もあるでしょう。 自分なりの人生観を築き上げようとすれば必ず対処の仕方を自分なりに作らなくてはなりません。

こう考えてきたとき、金子みすずの生活感覚に驚くのです。

◆ はがき縦書の印刷方法

   Window 上の Kingsoft Writer をクリック
   プルダウン メニュー:[ファイル]→[ページ設定]→[ドキュメント グリッド]
   この画面で文字方向の‘〇縦’にドット(・)を入れる。

そのあとは、フォントなど必要に応じて指定し、入力してからプリントアウトすればよい。

◆ もろびとこぞりて

    「讃美歌」 112番 ○印がよく歌われます

   諸人(もろびと)こぞりて 迎えまつれ      ○
   久しく待ちにし 主は来ませり
   主は来ませり 主は、主は来ませり

   悪魔のひとやを 打ち砕きて
   捕虜(とりこ)をはなつと 主は来ませり
   主は来ませり 主は、主は来ませり

   この世の闇路(やみじ)を 照らしたもう     〇
   妙なる光の 主は来ませり
   主は来ませり 主は、主は来ませり

   萎(しぼ)める心の 花を咲かせ
   恵みの露(つゆ)置く 主は来ませり
   主は来ませり 主は、主は来ませり

   平和の君なる 御子を迎え           〇
   救いの主とぞ 誉め称えよ
   誉め称えよ 誉め、誉め称えよ

   <よいこのクリスマス もろびとこぞりて>

 12 26 (日) 北海道発 ※検証‘北海道の教育’ 赤ちゃん時代の「大脳開発」

  一、 http://www.asahi.com/edu/tokuho/TKY201012200089.html
      <asahi.com(朝日新聞社):国際学習到達度調査(PISA)に揺れる各国 シンポで報告 - 教育>

  二、 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/feature/hokkaido1263447647981_02/index.htm
      <検証 北海道の教育 企画・連載 北海道発 YOMIURI ONLINE(読売新聞)>

朝日com と Yomiuri Online を調べてみると、上記のようなデータが手に入ります。

12月7日公表された PISAについては、‘折々の記 2010F 【 09 】12/10〜’で取り上げました。 その後の様子はどうか気になっていたので調べてみたのです。

朝日では「日本の教育はPISAとどう向き合うか」をテーマにして、日韓豪の研究者が討議した様子を取り上げていました。

読売は前から教育には重点をおいて記事を取り上げてきていたので、調べてみたのです。 そうしたら、さすが読売は今年の年度当初から「検証 北海道の教育」という企画で連載してきていました。 その記事は注目すべき価値を持っています。

「検証 北海道の教育」の本紙世論調査に対する、陰山英男・立命館大教授、立命館小学校副校長は次のように述べています。
学力低下の原因はどこにあるかという質問に対し、意外にも学校ではなく、家庭だと考える人が最も多かった。 しかも、子育てを現在 している人々でさえ多い。 ところが、どうすればいいかを考え始めると、途端に教師、教育委員会、教職員組合などの責任を問うようになる。 特に、子供が小学生から高校生になるにつれ、つまり進路問題が現実化してくるにつれ、教師不信は募ってくる。 「原因は家庭にあるが、その解決は学校」という他力本願のような体質が感じられる。 (2010年1月12日 読売新聞)
この指摘は教育問題の核心を赤裸々に表わしています。  二つのデータはプリントアウト(47枚)し、「子育て支援」へ保管しておく。



学力低下の原因は基本的には家庭にあります。 その原因の大部分は赤ちゃん時代の「大脳開発の放りっぱなし」にあります。

この「大脳開発の放りっぱなし」こそ、学力程度を左右する最大原因です。

ほんとのことを述べなければならないのは学者の責務です。 知者の責務なのです。

日本の学力を高めることは日本の大きな基本課題であるとするならば、この「大脳開発の放りっぱなし」を直すことから始めなければなりません。 

「大脳開発の放りっぱなし」からかけ離れた議論は、将に紆余曲折の議論に過ぎません。


赤ちゃん時代の「大脳開発」こそ、

人の豊かな知徳体を築き上げていくバックボーンになるのです。

ですから、大脳内部のあらゆるデータを思索の材料にし、

熟慮百遍してほしい。