01 05 (水) どうなるのだろうか“首相と小沢氏の対立が先鋭化” |
首相「政治とカネ」不信解消誓う…年頭所感 2011年1月1日00時01分 読売新聞 菅首相は1日付で年頭所感を発表し、民主党の小沢一郎元代表の資金管理団体の政治資金規正法違反事件を念頭に、政治とカネの問題で国民の不信解消に取り組む考えを表明した。 首相は国づくりの方針として、「平成の開国」「最小不幸社会の実現」を掲げ、これらを実現するためには「不条理を正す政治が不可欠だ」と指摘。そのうえで、「政治とカネの問題に対する政権の姿勢に疑問が投げかけられている。今年こそ失望を解消し、国民の支持を受けた改革を断行していくことを誓う」と強調した。 消費税率引き上げについては、「膨らむ社会保障の財源を確保することは限界が生じている。今年半ばまでに社会保障制度の全体像とあわせ、消費税を含めた抜本改革の姿を示したい」と意欲を示した。 各国との経済連携協定(EPA)交渉の本格化や、環太平洋経済連携協定(TPP)に関しては、関係国との協議を進める一方、農林漁業の活性化策を今年前半までに提示するとした。外交・安全保障は、「北朝鮮や海洋の問題など不安定で不確実な状況がある」として、「日米同盟を21世紀にふさわしい形で深化させる」と指摘した。 |
小沢氏「ねじれ国会、自ら打開を」 自宅で新年会 2011年1月1日16時55分 民主党の小沢一郎元代表は1日、東京都内の自宅で毎年恒例の新年会を開いた。海江田万里経済財政相や原口一博前総務相、細野豪志衆院議員ら100人を超える国会議員が訪れた。 小沢氏はあいさつで「ねじれ国会だから(国会運営がうまくいかないのは)仕方ないという理屈は通用しない。われわれ自身が何とかして、国民の期待に応えるすべを見いだしていかなくてはならない」と語った。また小沢氏は自らの「政治とカネ」の問題を念頭に「私自身、みなさんにご迷惑ばっかりかけております」と語ったが、菅直人首相ら執行部が求めている衆院政治倫理審査会への出席問題には触れなかった。 幹事長だった昨年の新年会には当時の菅直人副総理、蓮舫参院議員ら国会議員166人が出席していた。 |
首相と小沢氏の対立が先鋭化1月5日 5時15分 民主党の小沢元代表が強制的に起訴された際の対応を巡り、菅総理大臣が、離党や議員辞職を含めてみずから判断すべきだという考えを示したのに対し、小沢氏は「私のことはどうでもいい」と不快感を示し、党大会や通常国会を前に、両者の対立が先鋭化しています。 民主党の小沢元代表は、みずからの政治資金を巡る事件で、早ければ今月にも政治資金規正法違反の罪で強制的に起訴されることになっています。これについて、菅総理大臣は4日、小沢氏が起訴された際の対応について「政治家としての出処進退を明らかにして、裁判に専念されるのであれば、そうすべきだ」などと述べ、離党や議員辞職を含めてみずから判断すべきだという考えを示しました。これに対し、民主党の小沢元代表は「総理大臣は、私のことなんかどうでもいい。日本をどうするのか、国民の生活をどうやって守るのかが大事だ」と不快感を示しました。また、小沢氏に近い議員は「検察審査会の議決によって、政治家が初めて強制的に起訴されるケースであるにもかかわらず、いきなり議員辞職に言及するのは問題だ」と批判しており、民主党大会や通常国会を前に、両者の対立が先鋭化しています。このため、小沢氏と距離を置く議員からも「対立をあおるようなことを言う必要はなかったのではないか」として、菅総理大臣に冷静な対応を求める意見が出ています。 [関連ニュース] 自動検索 ・小沢氏 菅首相の考えに不快感 ・首相 離党・辞職含めて判断を ・首相 小沢氏が出処進退判断を ・小沢氏 今月中にも強制起訴へ ・小沢氏 求心力の維持が課題に |
首相バッサリ「小沢切り宣言」 年頭会見、自ら発言練る 2011年1月5日4時6分 菅直人首相は4日の年頭記者会見で、民主党の小沢一郎元代表に対し、強制起訴された時の議員辞職も念頭に出処進退の判断を迫った。政権浮揚の唯一のカードである「小沢切り」の姿勢をさらに鮮明にした。ただ、参院で問責決議を可決された仙谷由人官房長官らの処遇は最終判断を下しておらず、月内召集の通常国会の「衆参ねじれ」の打開策はなお見通せていない。 首相は会見で、1日の年頭所感で用いた「不条理を正す政治」というキーワードを使い、「不条理と言えば『政治とカネ』の問題がある」と小沢氏に切り込んだ。 まず、小沢氏に国会での説明を要求。さらに、小沢氏が強制起訴された際の対応を聞かれると「政治家としての出処進退を明らかにし、裁判に専念されるならそうされるべきだ」と語った。「専念すべきだとは、議員辞職すべきだという考えか」と見解を問われても否定せず、「小沢氏本人がそうしたことも考えられて、出処進退を決められるのが望ましい」とした。 首相は昨年末、衆院政治倫理審査会(政倫審)を拒んでいた小沢氏に対して政倫審出席を求める議決だけでなく、証人喚問を検討する姿勢もみせていた。それが、4日の会見では自発的な民主党離党を踏み越え、議員辞職の要求までにじませた。 そんな強硬姿勢に周辺も「かなり踏み込んだ」と驚く。首相は3日、福山哲郎官房副長官や寺田学首相補佐官、首相秘書官らと会見の打ち合わせをした。だが、これに基づいて作られた原稿を受け取らず、とくに小沢氏の問題については「打ち合わせでは出てこなかった総理自身の言葉」だったという。 「最後の勝負どころだ」。ここに来て首相は周辺にこう漏らしている。最近面会した知人には「参院選後は布団をかぶっていたが、これからは布団を脱ぐ」とも宣言した。 政治とカネの問題を抱えたままでは政権はいつまでも改革に踏み出せない――。4日の会見では、小沢氏の問題にこだわる理由について「政治とカネが、国民から不信の念で見られている。多くの改革を進めるうえで、国民に痛みを分かち合って頂くことはとてもできない。けじめをつける年にしたい」と語った。 ただ、党内を二分する対立をあおるのは、他に目ぼしい政権浮揚策が見当たらないことがある。「小沢氏の問題は国民が許さないはず」(菅氏側近)との見立てで、支持率上昇にもつなげられるとの読みがある。 一方、民主党内の小沢氏に近い議員は反発を強める。ある参院幹部は「13日の党大会で内閣総辞職を求める声が起こるかもしれない」と、「首相降ろし」の動きさえ予想してみせている。 中間派の新人議員からは「どっちもどっちで、まるで泥仕合。政治とカネ問題も参院問責問題も、どちらも早くけじめをつけてほしい」との声が出ている。 ■主要政策、6月に先送り 首相はこの日の会見で、社会保障の財源確保に向けた消費増税をめぐる与野党協議の呼びかけも行い、「6月ごろまでを一つのめどとして方向性を示したい」と表明。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉への参加問題も「最終的な判断は6月ごろが一つのめど」と語った。 いずれも6月まで「先送り」したのには訳がある。 1月下旬に通常国会を召集すれば、3月末の年度末まで2カ月余りしかない。ねじれ国会の参院で多数を占める野党側が審議拒否戦術をとった場合、2011年度予算案は衆院通過から30日後に自然成立するが、予算の執行に必要な予算関連法案は年度末の成立が見通せなくなる。 野党との連携について、首相は会見で「政策的に一緒にやっていけないかという姿勢は、どの党に対しても変わらない」と意欲を示すが、たちあがれ日本との連立話は破談し、政権が期待する公明党にも歩み寄りが見られない。 通常国会前に首相が仙谷由人官房長官らを含む内閣改造をすれば、野党側の軟化を期待できる可能性がある。民主党内にも仙谷氏交代を念頭に召集日を模索する動きもある。ただ、その時点で野党の協力の見通しが立たなければ、「仙谷辞任カード」は手放しにくい。現に、野党側は自民党の谷垣禎一総裁が4日、三重県伊勢市の会見で「与党を追い込み、衆院解散を勝ち取っていく」と宣言。公明党の山口那津男代表も「問責対象の大臣が居座る対応であれば、国会審議に応じることはできない」とした。 4月には統一地方選があり、政権としてそれ以前に消費増税やTPPなど国論を二分する課題は掲げにくい。 通常国会の会期は150日間。統一選をはさんで6月に国会を閉じた後、会期中のような野党の攻勢が落ち着くことを政権は期待する。首相側近の一人は語る。「消費税で6月といってもそれまでに与野党協議が進むかはわからない。首相はあえて自分を追い込み、覚悟を示している」 |
約束を反故にし、米国属国化推進という不条理にみちみちた 菅総理年頭記者会見にて〜岩上安身(本のセンセのブログ) http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/644.html 投稿者 純一 日時 2011 年 1 月 04 日 13:06:52 【約束を反故にし、米国属国化推進という不条理にみちみちた1月4日菅総理年頭記者会見にて〜岩上安身つぶやき編集 (本のセンセのブログ)】 これから菅総理の年頭記者会見、始まる。総理の冒頭演説も含めて、30分しかやらない、短かく、限定的な会見。 冒頭、総理の演説。目指す国のあり方。3つの理念。 開国元年、最小不幸社会、不条理をただす。 一番目は、貿易の自由化。農業の再生。(TPP)。次の理念は、社会保障改革のための消費税増税議論。第三に日米同盟の深化は、必要だ。 続き。 不条理をただすとは、たとえば、硫黄島の遺骨の収集。若者の貧困。総理の特命チームつくる。そして、不条理とは政治と金。(出た!)今年は、けじめをつける年。小沢に国会で説明つけさせる。国会が、政策の議論より、解散求めることばかり。 二点。質問、24時間前に提出するように。質問。内閣改造について。 総理。国会で予算を早く成立させたい。具体的な問題は熟慮したい。 小沢氏に対して。総理。小沢元代表は、国会で自ら説明すると言っている。起訴されたら、裁判に専念したらどうか。 総理。普天間について。できるだけ、早く結論を出したい。消費税、六月頃に答えを出したい。TPP、できるだけ早く結論出したい、と。なんだか、おざなりな質問と、おざなりな回答のみ。 記者から、小沢に議員辞職しろ、ということか? という質問。総理。 ロッキード、闇将軍、との比較、本人が出処進退を判断すべきと。 上杉氏の質問。官房機密費、官房長官の会見のオープン化、について。小沢氏に約束を守れというなら、オープン化も約束を守れ、と。しかし、総理、対応を、考えると、ごにゃごにゃ、何も明言せず。 全然、私に当たる気配なし。琉球新報、沖縄に米軍基地があることも不条理。どう負担軽減するか、という質問。 いい質問。総理。不条理といい尽くせるかどうか、その一つ。基地負担を下げたい。???具体性なし。回を重ねる事に、菅政権が何を、どうしたいか、はっきり。今日の会見で自ら三点にまとめたように、小沢排除、消費税増税、日米同盟の深化 という名の一層の米国の属国化。これだけ。 そして、この3つは関連しあっている。小沢排除なくして、増税と属国化は進められない、ということ。 菅総理は、小沢氏に、国会に出て説明すると言った約束を守れ、とたびたび、言う。しかし、菅総理自身は、総選挙時の国民との約束をことごとく守らず、反故にし、会見のオープン化も、官房機密費問題も、言ったことを実行せず、沖縄の基地負担軽減も約束を守っていない。 菅総理は、ロッキード事件を持ち出して、小沢氏を非難するという不条理なレトリックを用いるが、同事件は、田中角栄元首相の事件で、小沢氏は関与していない。無関係な過去の事件を持ち出し、無関係な人物の悪印象を国民に刷り込む。これが、一国の首相たるものが、することか。 そして、これほどまでに没論理的な言葉を、首相がつらつら口にしているのに、記者クラブの記者たちは、驚きも怒りも違和感も疑念も差し挟まず、予定調和な質問を口にする。 この首相の存在、そしてこの記者たちとのやりとりこそ、不条理そのものである。 >(引用終了) 新年早々私見を述べるはとても気が引けるが、「これほど怒りが爆発した」会見を読んだのは初めてである。なんなんだこれは?一国の首相の言葉かよ これは?ふざけるな!怒りはひとまず横に置き、これから起こりうるシナリオを下記に記しておきます 1 菅直人は4月の統一地方選の惨敗の責任を取らされ総辞職する 多分これは確定じゃないかと私は踏んでいます。今から何をやろうと惨敗するのは明らか。この責任を菅に取らせて前原一派がアメリカのお墨付きの下に民主党党首になり、総理大臣の座に就こうとする、これが米の出来の悪い飼い犬こと前原誠司&長島昭久の考えていることでしょう。その為に、地方選にあえて政務多忙を理由にほとんど協力せず、自分達の責任を回避しまくる行動に出るはずです。前原誠司&長島昭久の選挙区の皆さん、彼らの選挙区で一体何が行われているかを末端から注目しましょう。 2 4月惨敗後が今後30年を決める戦後最大の権力闘争になる 4月の統一地方選惨敗後に菅直人が退いた後、前原誠司はアメリカのお墨付きを印籠にして各議員を説得するはずです。官僚のお歴々と共に、ヒモつき補助金をえさに、ね。彼は自分のナルシズムのためなら平気で官僚と手を組める男です。何しろ、自分の腹心中の腹心である永田議員に全ての責任を押し付けのうのうと国会議員をやっている。あきれ果てた外道ですからね。そういうところだけは小賢しい知恵が働くんですな。何しろ名護市への補助金をストップして恥じない人間ですから。あの脅しの効果は地方自治体にはとても絶大な威力があります。何しろ、おカネが回ってこなかったら地方自治そのものの機能が崩壊しますからね。零細地方は、地方交付金がなければ全く生きていけないのです。 3 前原VS小沢ではダメだ! 原口一博&細野豪志のコンビを立てて対米従属派を一掃せよ と、ここまできて、4月の選挙で前原の対抗馬として小沢氏を応援する方々が私のフォロワーの中の大大多数派ですが、はっきり言います。それじゃ勝てませんし、一般国民の支持を得にくいです。小沢支持者の方々、簡単な算数の問題なんですよ。自分達の思っていることを実現するためには、どっちつかずの中間層の人たちをこちら側に引き入れる必要があるんです。その中間層の人たちを、「小沢一郎」で、引き込めると思いますか? このメディア洗脳されまくっている状況下で。ここは「世代交代」「マニフェスト原点回帰」「日本社会オープン化」という、3つのキーワードのもとに、原口一博氏を旗頭に、川内博史氏、森ゆう子氏などなどを中心にして戦うべきです。小沢一郎氏、鳩山由紀夫氏には後方支援に回ってもらう。小沢氏は、自分の地位とか権力に固執する人間じゃない。自分の政策が実現されるならば、いかなることでも引き受ける胆力がある人物だと思われます。 このような人物に、きちんと筋道立てて後方支援に回ってもらうこと、実は、前原一派が一番恐れているのはこちらの方なのです。表立って出てきてくれれば叩きがいがあるが、裏に回られたらどうしようもない……奴らが一番恐れているのは、小沢一郎が表に出てくることではなくて、「小沢一郎が最大限の力を発揮すること」なのです「相手の一番嫌がる手を最適のタイミングで打つこと」これが、兵法の鉄則であります。 御一考いただければ幸いです |
01 06 (木) 春の七草 室礼文化 |
<春の七草 > 1せり, 2 なずな, 3 ごぎょう, 4 はこべ, 5 ほとけのざ, 6 すずな, 7 すずしろ 秋の七草の花は観賞用としてだが春の七草は食用としての方が意味が強いようです。 1月7日に食べる「七草粥」は昔から伝えられ邪気を払い健康な一年を送れるようにとのこと。 |
【室礼】(=シツライ) ■目次 室礼歳時記 和のこよみ 四季の行事 室礼十二ヶ月 しつらい色々 室礼三千 通信販売 ■室礼歳時記 【正月の室礼の頁】 鏡餅と祝いの四品 勝栗 黒豆 コロ柿 五万米(田作り) 吉運を願う お正月の室礼にはさまざまな目出度いもので盛り供します。代表的なものの一つが柑橘類です。柑橘の「きつ」が「吉」に通じ、形が大きい程「大吉」につながると考えられています。 晩白柚の丸い形を神楽鈴に見立て、一緒に薩摩隼人に因んだ“はやとうり”と"コロ柿"を盛りました。 【赤かぶ】 芽出しの赤かぶは「おめで(芽出)とうございます」という言葉の一品 【柿】 嘉来という字をあてて、喜び来るの意 【海老芋】 長寿を表す海老にちなみ、また芋の「い」には「いろは…」の「い」として新年のスタートの意を託す 初夢 古来最も縁起の良い夢といわれる「一富士、二鷹、三茄子」に因んだ盛り物です。富士山のように気高く、鷹のように勇敢に、そして茄子は千に一つの無駄がなく、花が咲けば必ず結果するもの。 一富士…富士りんご一つ 二鷹…鷹のつめを2束 三茄子…「初夢」という茄子の形の和菓子3つ 新春の盛り物 盛り物の意味 八つ頭 人の頭となります様にとの願いがこめられています。 慈姑 ひとつの根から毎年芽がでるため、子孫繁栄の意味が込められています。 芽出しの牛蒡 「おめでとうございます」の意。 ぎんなん ぎんなんの「ん」が運に通じ、吉運を願ったもの 大根 大根の「ん」が運に通じ、吉運を願ったもの 田作り(五万米) 小殿腹(ことのばら)ともよばれ子孫繁栄を、また田を肥すをいわれていることから豊穣の願いが込められています 芋 芋の「い」には「いろは…」の「い」として新年のスタートの意を託しました。 床の間の室礼 床の間のしつらい 盆果:奉書、紅白鏡餅/台:三方/花:松、千両、破魔矢、柳/掛物:軸「宝珠」 掛け軸の横手にはたっぷりとしだれ柳をしつらいました。水分を多く含む柳は、火防せを託した飾りであると同時に「屋内喜(やなぎ)」に音が通じ、家内安全の喜びを表します。柳の途中に輪の形をつくるのは、天と私たちの和合を願う心の形です。 正月とは 正月の由来 正月とは一年の一番初めの月のことをいいますが、一般には年初の諸行事のことをさします。一月を正月と呼ぶのは「正」が年の初め、年の改まる意味であることに由来します。また稲が実って一巡する期間を「年」と言いました。(「稔(とし)」が豊穣を祈願する意味に通じることから) 古くは正月は盂蘭盆と対応するもので、半年ごとに祖霊を祀る大きな年中行事とされていました。正月に迎える年神は大きく分けて二つの性格をあわせ持っています。一つは豊作をもたらすの田の神の性格、もう一つは各家の祖先の霊―祖霊的性格です。 大正月と小正月 正月の行事は地域によって違いがあり、元旦を中心とした大正月と、一月十四日・十五日を中心とした小正月に集中しています。旧暦では正月(旧正月)を立春の頃としていたので、その始めを新月の朔日である大正月と満月の望の日の小正月とする二通りがあった訳です。大正月には年神や祖霊を迎える性格の行事が多く、小正月には五穀豊穣を願う農耕の予祝的行事が多く見られます。 農業を営む人々にとって、太陽の運行と同時に月の満ち欠けも大切なもので、古くより予祝儀礼を年初の満月の日に行うことがなされていました。新暦(太陽暦)採用後は満月と小正月の十四日・十五日が一致しなくなった為に、農家では小正月の意味がだんだんと薄れていってしまった様です。現在一般に正月といえば大正月のことをさしますが、小正月を祝う風習が今でも盛んに行われているところも多く残っています。 正月の準備 正月の準備は十二月から始まります。煤払いや門松迎え、餅搗き、年神棚を設えたり、おせち料理の下ごしらえをするなど様々な準備をして年越しの夜を迎えます。これが大晦日です。古くは日が暮れるのが一日の終わりと考えられていたので、正月の年神祭りは大晦日の夕刻から始まるとされていました。 身体を洗い清め、年神への供物をし、家族揃ってお節料理を食し、寝ることを忌しんで年神を迎え神人交歓する。早朝には年男が汲んだ若水で洗顔したり、またお茶を入れ、雑煮を作って飲食し新たな年を祝う。年神に供えた餅の一部を年長者から家族に分配する。これが年玉であり、神の霊がこもっているという。 そして皆そろって一つ年を重ねるとされました。古くはこうして囲炉裏を囲んで家族揃ってお正月を迎えたのです。 現在では正月を三日、七日までとするのが一般的な様ですが、地域によっては二十日正月といって二十日までとするところもあります。 【正月の行事の頁】 大晦日 大晦日十二月の晦日のことで、一年の最後にあたるため大晦日と呼ばれています。年越し、 年取り、大年、大つごもり、おもっせいとも呼ばれています。年越しのための様々な行事が各地で行われます。 大晦日の食事 地域によって様々な伝承があり、この日の夜の食事が特別なものとされていたことが伺えます。魚を用いた食事が多い様です。そばやうどんを食べる習慣は各地で見られ、 年越しそばとか晦(つごもり)そばと呼ばれてます。そばには長いものを食べると長命になるという縁起担ぎの意もこめられています。 除 夜 除歳、除夕ともよばれます。旧年を除く意味で、大晦日の夜のことをいいます。年神を迎えるため、夜を徹する風もあります。寺では、百八つの除夜の鐘が撞かれます。百八つは人間の煩悩の数だとされ、除夜の鐘はこの煩悩を消し去るのだそうです。しんと静まり返った夜半に響く鐘の音は、来る年への新たな決意とともに、身のひきしまる思いがします。 初詣 除夜の鐘が鳴り終わってから元日に土地の氏神や神社仏閣に参詣することをいいますが、元日に限らず松の内に年が明けてからはじめて参詣することをいう場合もあります。 古くは一日の終わりが日没と考えられていたので、一年の終わりは大晦日の日没とされていました。大晦日の夜に社殿で徹夜をすることが各地でみられ、これを年篭りといいました。今日では一日の区切りは夜中の零時になり、そのため大晦日の夜に詣でる除夜詣でと、年が改まって元日に詣でる初詣とが区別されるようになりました。 除夜に参詣してのち一度家に帰り、元旦になって再び参詣したり、大晦日の夜から元日になるまで神社にいることを二年参りと呼ぶところもあるそうです。 若水 元日の早朝にその年初めて汲む水のことで、初水、福水とも呼ばれています。年神に供え、正月の食事の支度や、洗顔にも用います。 若水を汲むことを若水迎え、若水汲みといい、水道が普及するまでは各地で正月の儀礼の一つとして行われていました。 若水を汲むのは年男の役目とする所が多く、水を汲む場所は掘り井戸ですが、井戸が掘られる前は川や泉でした。 土地によっては水道が普及した後でも、川や泉で汲むという旧慣を守っているところもあるそうです。 若水でいれたお茶のことを福茶、大福茶といい、ほうじ茶や番茶に昆布、ちょろぎ(または小梅)を入れて頂きます。福茶は各地に見られる風です。 年始 年賀・年礼ともいい、親戚や知人宅などへ新年の挨拶にまわるならわしのことをいいます。 もともとは、分家が本家に集まり、大晦日から元日にかけて夜を徹して行われた儀式で一族の結束を確認しあう意味があったとされています。のちに年始の先は血縁だけではなくなって行き、新年に知人やお世話になっている人の家へ年頭の挨拶に出向く形をとるようになります。 現在通例となっている年賀状はこの年始の挨拶が変化したものです。 初夢 新年最初に見る夢。古くは立春正月の概念から、初夢は節分の夜から立春の朝にかけて見る夢とされていました。今日では、一般には元日の夜から一月二日の明け方にかけてに見る夢を初夢と呼ぶのが通例となっている様です。 昔の人は今日よりも夢見を気にし、良い夢を見ようと七福神や宝物をのせた宝船の絵を枕の下に敷いて寝るならわしがありました。 仕事始め 年が明けて初めてする仕事のことをいい、正月二日に行われる行事です。実際の仕事に先立って儀礼的に行われます。商店の初荷・初売り、農業の鍬入れ、漁業の船起こし、など。新年初めての掃除も掃き初めといって二日に行います。書初め、縫い初め、弾き初めもこの日が良いとされています。 七草 一月七日の朝に七種の菜の入った粥を食べる習わしのことをいいます。現在でも全国的に行われている七日正月の行事で、邪気を祓うとされています。古くは子(ね)の日の遊びともいわれ、平安時代には正月最初の子の日に野に出て若菜をつむ風習がありました。「延喜式」に見られる七種粥と、若菜摘みの古俗と、中国の人日の行事が合わさり、七草粥になったのであろうといわれています。 人日 人日の節供 五節供の一つで、旧暦正月七日の称、七日正月ともいわれています。 六日の夜を六日年越し、六日年取りといっている所が各地にありますが、かつては七日を重要な折り目と考えていました。中国の前漢の文人東方朔(とうほうさく:紀元前154頃〜192頃)の「占書」にみられる古い習俗が人日の由来とされています。 古来中国では、一日鶏、二日狗、三日羊、四日猪、五日牛、六日馬、七日人の日とするならわしがあり、人を尊重する日と定められていた様です。この日中国では、七種菜羹(ななしゅさいのかん:七種類の野菜のあつもの)を食し、無病を祈る風習がありました。(「荊楚歳事記」)またこの日を人勝節といって華勝を髪飾りにする風習があったともいわれています。(華勝とは色とりどりのきれいな髪飾りのこと) 日本でも人日は江戸初期に幕府公式行事となり、将軍以下諸公が七草粥を食する儀礼があるなど武家においては大変に重視された祝日の一つでした。 鏡開き 正月に供えた鏡餅を食します。一月十一日に行うのが通例です。鏡餅は刃物で切ることを忌み、手や槌で割ります。鏡餅は「切る」とはいわず、縁起を担いで「開く」と呼ぶ習わしがあります。砕いた餅をおしるこなどにしていただきます。 小正月 元日を中心にした大正月に対して、十五日を中心とした正月行事のことを小正月といいます。小正月には五穀豊穣を願う農耕の予祝的行事が多く見られます。 農業を営む人々にとって、太陽の運行と同時に月の満ち欠けも大切なもので、古くより予祝儀礼を年初の満月の日に行うことがなされていました。 繭玉、削り掛け、粟穂・稗穂、庭田植え、成木責め、年占、小豆粥、粥占、なまはげ、かまくら、鳥追い、左義長、どんど焼き…地域ごとに様々な特色がみられます。 【お供えと飾りの頁】 鏡餅 鏡餅 その由来 鏡餅とは神供用の丸くて平たい餅のことで、お供え、お鏡とも呼ばれています。 もともと年神に供える餅のことを言いました。 昔から神仏の祭りには餅を供えるならわしが広くみられました。 鏡餅という名は、鏡の形に由来します。古く、鏡は神の依るところと考えられ、神事に使われ宗教的な意味合いの濃いものでした。今日でも、神社の祭事には薄い鏡状の丸餅を供える所があるそうです。 鏡餅の供え方 鏡餅を供える場所は、床の間や神棚、仏壇、年棚といった所から、近年では住宅事情により多様化してきています。 三方に奉書紙を垂らして敷き、ゆずり葉と裏白をのせ大小二つの鏡餅を重ね、その上に橙の他、串柿、昆布などを飾ったものが一般には知られていますが、飾り方も地域や家によって違いがあります。 そもそもこのような形になったのは室町以降と言われています。建築様式が寝殿づくりから書院づくりへ移り、床の間が設けられる様になり、床飾りとして広まったと考えられます。武家社会では武家餅(具足餅)といって、鎧兜などの具足をしつらい、その前に鏡餅を供えて家の繁栄を願うところも多くあった様です。 鏡開き 供えた餅を下げる日を鏡開きといいます。 一月十一日に行う所が多く鏡あげ、オカザリコワシとも呼ばれており、餅を叩き割って雑煮や雑炊にして食します。 正月に鏡餅を供えることは一般化されていますが、地域によっては、正月の儀礼食に餅を用いず、芋や麺類を用いている所も少なくありません。 お飾り 目出度いいわれ 正月飾りの材料には、それぞれ意味があります。鏡餅や注連縄に用いられるお飾りはおめでたつくし。新年を迎える喜びを表し、縁起を担いだ先人の心が受け継がれています。 ・橙(代々) 代々家が続くという縁起物。 だいだいは、一度実がつくと4,5年は落ちずにいるといいます。 冬に黄熟したものが翌年の夏には再び緑に戻るところから回青橙とも呼ばれています。こうして何代もの実が一つの木になることから、長寿の家族に見立てられ、目出度いものとされているのです。 ・ゆずり葉 その名は新しい葉が出てから古い葉が落ちるとこに由来します。家督を親から子へゆずり、代々続くことを願う気持ちが込められています。親子草とも。 ・裏白 常緑の歯朶(しだ)で、歯は年齢、 朶は枝の意。葉の裏が白いことから白髪になるまでという長寿の願いが込められています。古い葉が落ちず、新芽が重なって生ずるので家族の繁栄をも表しています。また、左右に開く大きな葉は諸向(もろむき)といって、夫婦仲が良いことを表します。 ・串柿 柿は嘉来(かき)の字をあて、喜び来るの意があります。また、甘(うま)しものとして供え物にふさわしいともいわれています。 ・四手 御幣、紙垂とも。 稲穂の垂れ下がった姿を表しています。豊作を願う神事にも用いられます。一般によく見られる四手は三刀四下がりといって和紙に三箇所切り口をいれて折られたものです。 ・穂俵(ほだわら) 実が米俵に似ていることから、稲穂と米俵になぞらえて豊作祈願の意が込められています。ほんだわらは穂俵が変化した語。 ・昆布 こんぶは悦ぶ(よろこぶ)に通じます。広布(ひろめ)、夷子布(えびすめ)のめでたい異称もあります。 ・門松の松と竹 松は常緑であることから不老長寿を、 竹も緑の葉を絶やすことなく、また竹の子が出ることから子孫繁栄を意味します。 門松・注連飾り 門松 正月に家の門口に立てる松のこと。松飾り、門の松とも言います。 古くから門松は年神の依代と考えられていました。門松の形態と材料は地域によって様々で、興味深いものがあります。また餅同様、正月に松飾りを用いない所もあります。 飾り方もいく通りもありますが、年末のうちに飾り付けを済ますのが通例です。また取り外す日は正月七日あるいは十五日とする例が多い様です。 注連飾り 正月などに、家屋の入り口、門松、床の間や柱につける飾りのこと。 もとは一本の縄であったものが多様化し、装飾的になり、現在見られる様な形となりました。 注連飾りは、輪飾り、大根じめ、牛蒡しめなど、また注連縄につけるものとしては、裏白、橙、譲り葉が一般的ですが、地域によって様々です。 しめ縄は本来、内と外とを分け、災い、不浄なものの進入を防ぐ結界として神社などの聖域にはり巡らされるために用いられてきたものです。 【正月料理の頁】 お屠蘇 お屠蘇を飲んで無病息災を願う お屠蘇とは正月に飲む、屠蘇散を浸した酒または味醂のことをいいます。 邪気を祓い、一年の無病息災を願います。山椒、桔梗、肉桂、白朮、防風などを調合して紅絹袋に入れ、酒か味醂に浸します。古くから、「屠蘇祝う」と称して大中小三種の盃で頂き、無病息災を祈りました。 正月のお屠蘇はいつ頃から? 正月に屠蘇を飲むことは、中国の唐代まで遡ります。 日本へは平安初期の嵯峨天皇の弘仁年間(810〜824)に伝えられ、宮中で用いられました。元日から三日間御薬を天皇に献じ、一献は屠蘇、二献は白散(白朮、桔梗、細辛を調合して温酒で飲む)、三献は度嶂散(麻黄、山椒、白朮、桔梗、細辛、乾薑、防風、肉桂を調合したもの)を入れたもので、「御薬を供ず」といいました。 お屠蘇の処方 平安時代の貴族は屠蘇、白散のいずれかを、室町時代では白散を、江戸時代の徳川幕府では屠蘇を用いていた様です。この風習はやがて庶民にも広まります。 明治末頃は、年末になると薬種屋の店頭には延寿屠蘇散と書かれたビラが下がったそうです。現在の屠蘇はかつての処方とは異なり、だいぶ飲みやすくなっています。 お雑煮 お雑煮のいわれ お雑煮は 正月の祝いの食物です。 一説に、もとは大晦日の夜に年神に供えたものを、元日の朝におろし、汁で煮、年神と人が一緒のものを食べる「直会」といわれてます。 雑煮で正月を祝うようになったのは室町時代といわれています。雑煮は、餅が臓腑を保養するところから「保臓(ほうぞう)」といい、本字は烹雑で、烹は煮と同じであるから雑煮になったそうです。(貞丈雜記) 雑煮は地域によって色々な料理法があります。だしや具ひとつとってみても、実に様々です。 餅なし正月 雑煮に餅を入れる地域は多くありますが、例えば香川県では、 餅の代用としてカンノメと呼ばれるものを入れます。 (カンノメとは粳米8割、糯米2割をひいて小判型の団子にしたもの) また元旦に餅を食べることを忌む餅なし正月の伝承も各地に残っています。 お節料理 お節とは御節供のこと 「お節(おせち)」とは節日に用いられる料理のことで、「御節供」の略です。 節日のうち特に正月の食事のことをさします。 年神を迎える正月は家族が一同に会し、供物の一部を分かち食する「直会」を行い新年を祝いました。本来の意味からすると雑煮や屠蘇もお節料理の一種と考えられます。 現在、一般的にお節料理と言えば重箱に盛られた重詰めの料理のことをいいます。 お節料理は、それぞれにめでたいいわれがあり、地域によっても様々です。 ・一般的な重詰め 一の重…口取り きんとん、かまぼこ、伊達巻き 二の重…焼き物 小鯛の塩焼き、ぶりの照焼き、鶏肉の松風焼 三の重…煮物類 八つ頭、牛蒡、人参などの煮染め、昆布巻 与(四)の重…酢の物 紅白なます、菊花かぶ 祝い肴(三つ肴)…一の重に詰めるか、別の器に盛る 数の子、田作り、黒豆 喰積の風習 祝い肴は明治初期まで「喰積」と呼ばれていました。当時は現在の煮物類をおせちと呼び、祝い肴を喰積(くいつみ)と呼んで重詰めにしていた様です。 江戸幕末の頃、江戸・京都・大坂では正月に蓬莱を飾り、江戸においてはこれを喰積と呼んでいました。三方の中央に松・竹・梅を置き、まわりに白米を敷き詰めます。その上に橙一つ、柑橘類、搗栗、ほんだわら、串柿、昆布、伊勢海老などを積み、さらに裏白、ゆずり葉などを置いたもので、京都と大坂では床の間に飾り、江戸では年賀の客にすすめたそうです。 重箱はいつ頃から? 天明(1781-1789)の頃は食べられていた喰積も寛政(1789-1801)以降は形式的な飾りとなっていき、食する祝い肴を重詰めするようになります。祝い肴の重詰めは、文化年間の文献に見られ、当時の江戸では数の子、田作り、たたき牛蒡、煮豆の重詰めが通例となっていた様です。 明治になると喰積そのものは廃れて祝い肴の重箱に喰積の名前だけが残り、その後祝い肴に他の品々が加わって現在見られる様は多彩な重詰めが作られるようになったといわれています。 祝いの食品のいわれ お節料理はその一つ一つに一年の無病息災と幸せを願う心がこめられた縁起物です。 ・三つ肴 関東:黒豆、数の子、五万米 関西:黒豆、数の子、敲き牛蒡 ・黒豆 まめで健康に暮らせますように。一年の無病息災を願います。 昭和初め頃までは座禅豆と呼ばれており、座禅豆を正月にいただく風は江戸時代後期にはあった様です。当時は黒大豆を醤油味で煮た固く塩辛いものと、砂糖で甘く煮たものと二通りありました。明治に入ると、甘く煮たものを用いる様になったといわれています。 ・数の子 鰊の子。その名の由来はアイヌ語の「カド」に通じ、「かどのこ」がかずの子になったとか。 数の子は、多産・子孫繁栄を意味します。 ・五万米(ごまめ、田作りとも) 片口鰯の幼魚を素干しにしたもの。 炒って甘辛く煮詰めます。田作りの語源は田畑の肥料として用いたとか、豊作祈念の田植え祝いの膳に用いられたからともいわれています。田作りは小殿腹(ことのばら)ともよばれ子孫繁栄を願うところから、またごまめの「まめ」は健全の意から縁起をかついで正月の膳に用いられる様になったそうです。 ・たたきごぼう アク抜きした牛蒡をゆでて、すりこぎで叩き、醤油等で煮たりしたもの。豊年に飛んでくる瑞鳥を表しているといわれ、豊作と息災を願ったものです。 ・きんとん(金団) 黄金色の丸い小判に見立てられ、財のたまる願いにかけたものです。 金団は金飩とも書き、もともとは平安時代に中国から渡ってきた唐菓子のことで、 飩は蒸した餅のことをいいました。 ・伊達巻き 巻いてある様から「結び」「むつむ」を意味しています 。仲むつまじく。 ・かまごこ(蒲鉾) 日の出の形に似ていることから、新しい門出を祝うものとして。もとは竹に魚のすりみをつけて焼いたものが蒲の穂に似ていることから蒲鉾と名付けられ、のちに今みられる様な板付のものとなりました。お節料理に用いられる紅白の蒲鉾は、赤は魔よけ、白は清浄を表しているといわれています。 ・八つ頭 親芋が大きく、八方に頭があるように見えるため人の頭となります様にとの願いがこめられています。 ・蓮根 たくさん穴があることから、将来の見通しがきくといわれています。 ・慈姑(くわい) ひとつの根から毎年芽がでるため、子孫繁栄の意味が込められています。 ・柚子 柚は柑橘類です。柑橘の橘は吉に音が通じます。 また、大小不同なく育つことから、豊作を祈る気持ちを表しています。 ・あわび おめでたい贈り物に用いられる熨斗鮑は、あわびの肉を薄く切って長く伸ばしたもの。お付き合いやおめでたいことが長く続きます様にとの願いが込められています。 ・昆布巻 昆布は慶ぶの意、そして巻は「結び」「むつむ」を意味しています 。 ・海老 寿老の縁起物とされています。 七草 芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・はこべら・仏の座(ほとけのざ)・菘(すずな)・すずしろ <春の七草 > 七草の風習 七草とは一月七日の朝に七種の菜の入った粥を食べる習わしのことをいいます。現在でも全国的に行われている七日正月の行事で、邪気を祓うとされています。また、七草には様々な薬効があるといわれています。 七草の由来 古くは子(ね)の日の遊びともいわれ、平安時代には正月最初の子の日に野に出て若菜をつむ風習がありました。「延喜式」に見られる七種粥と、若菜摘みの古俗と、中国の人日の行事が合わさり、七草粥になったのであろうといわれています。 七草粥の習わしは江戸時代まではかなりに盛んに行われていた様ですが、幕末頃の民間では七種のうち1、2種の菜を入れるだけだったとか。 今日でも 七草の種類は地域によって違いがあり、七種に限らない所もあります。 「延喜式」平安時代中頃 宮中で正月十五日に供御(くご)の粥として用いられたもの。 この頃は穀類でした。 米・粟・黍・稗子・みの・胡麻・小豆 七草囃子と七草叩き 六日の夜から七日の早朝にかけて、まな板の上に七つの道具をそろえて七草を叩き刻みます。 歳徳神の方に向かって(例えば年神棚の前などで)叩くならわしがあった様です。 七種の道具 : 火箸・擂粉木・杓子・おろし金・菜箸・火吹竹・割薪 など このときに唱える言葉が囃子歌となって七草囃子として各地に伝えられています。詞は地域によって様々です。 七草粥の作り方 七草粥 材料(4人分) 米1カップ 七草150グラム おろししょうが、炒り胡麻、塩 適宜 作り方 1.といだ米を厚手の鍋に入れ、水5カップを加えて30分程おく。 2.弱火で1時間程静かに煮込む(つやが出る)注:混ぜないこと 3.七草は洗って刻み、2に加えてさっと火を通す。少量の塩を入れ味を整える。 4.器に盛り、おろししょうが、炒り胡麻をのせる。 【初遊び】 凧揚げ お正月の野外での代表的な遊びです。竹などの骨組みに紙またはビニールをはって糸をつけ、風を利用して空中に揚げる遊びで、今日でもお正月の風物詩として多くみられます。凧揚げが一般に盛んになったのは、江戸時代からです。庶民の間でその人気ぶりはすごく、明暦元年(1655)年からは幕府から通行妨害などを理由にしばしば禁止令が出されるほどでした。凧は種類も多く、 色形も多彩で、各地で作られています。凧の呼称も地域によって様々です。 独楽廻し 円い木製の胴に心棒を貫き、これを中心にし て回転させてする遊びです。 奈良時代に唐から高麗(こま;韓国北西部)を経て伝えられたのが、こま(独楽)という名前 の由来といわれています。日本へ伝えられた当初は宮中の年中行事の余興として遊ばれていましたが、平安時代になっ て貴族の遊戯となり、平安後期に子供の遊び道具となりました。江戸時代には庶民の遊びとなり、博多独楽・八方独楽・お花独楽・ 叩き独楽など、多くの独楽が作られました。 羽根つき 羽子板で羽根を突く遊びです。 羽子板は、古くは「こぎ板」と呼ばれ、幼児が蚊に刺されないまじないとして、羽根を突き合っ たのが始まりといわれています。 羽根突きが盛んになったのは、江戸時代 の元禄の頃といわれ、町家の子女の遊びとして発達しました。昔は杉で作られていた羽子板も文化文政期には軽い材質の桐で作るようになり、絵も押し絵や役者の似顔絵などが描かれ多彩になっていきます。今日では羽子板市にも見られる様に、縁起物としての飾りや、美術品としての価値が高いようです。 歌留多取り 小倉百人一首の和歌が一首ごとに書かれた読み札と、下の句のみ書かれた取り札を使い、下の句を書いたものを競技者の間にばらまいて、一人が上の句を読み、競技者がそれに続く下の句が書いてある札を取り、多く取った者が勝ちとなります。 加留多は「歌骨碑」とも書きます。 福笑い タオルなどで目隠しを して、大きな紙にお多福の顔の輪郭のみが描かれたところに、眉・目・鼻・口.耳の形をした紙片を載せていくという遊び。目隠しをして行うので、 目・鼻・口などがとんでもない場所に置かれ、おもしろい顔にでき上がり、そのお多福の顔をみんなで見て楽しむといった素朴な遊びです。 双六 双六は室内遊戯の中でも、最も古い遊び の一つであり、インドに起こり、中国を経 て日本へ伝わり、古くから賭けの対象となりました。日本へは、奈良時代以前に伝 わったといわれています。正倉院に残る双六盤は将棋 や碁に似た形で、二人用の遊戯具だったことがうかがえます。 現在のような双六になったのは江戸時代 のことで、出世双六と道中双六が作られたのもこの頃のことです。 【歳時暦】 二十四節気 小 寒 晩冬 十二月節 2011/1/6 この日をもって「寒の入り」とし、寒中見舞いが出されたりする。この日から節分までが「寒の内」で、約30日間、厳しい寒さが続く。 小寒とは、寒気がまだ最大までいかないという意味であるが、実際にはすでに本格的な冬の季節であり、寒風と降雪に悩まされる。「小寒の氷、大寒に解く」という故事があるとおり、実際は小寒の頃の方が寒さが厳しいことが多い。芹の苗が出盛り、雉が鳴き始め、泉の水が心もち温かみを含んでくる。 小寒から四日目を、特に、「寒四郎」、九日目を「寒九」と呼んでいた。寒四郎は、麦作の厄日とされており、この日の天候によって、その後の天気や収穫に重大な影響があると信じられていた。また、寒九は「寒九の雨」といって、この日に降る雨は、農家にとって豊作の兆しであると信じられ喜ばれた。 大 寒 晩冬 十二月中 2011/1/20 ますます極寒の辛苦にさいなまれ、寒さの絶頂期である。一年で最も寒い季節で、各地で一年の最低気温が記録される。寒の入り(小寒)から数えて十六日目にあたり、いろいろな寒稽古も行われる。沢は凍りついているが蕗の花が咲き始め、鶏が卵をかえし始め、春はもうすぐ間近に迫っている。南国からは、柳の芽吹きの便りが届けられる。 雑 節 冬土用 2011/1/17 二十四節気の立春・立夏・立秋・立冬の前の18日間のことをいいますが、一般には立秋前の夏の土用をさします。土用は土の気が盛んになり事を用うる意をいいます。夏の土用の期間を暑中と呼び、暑中見舞いを出す季節でもあります。土用に入る日を「土用入り」といい、終わる日を「土用明け」といいます。昔から農家の四厄日に数えられ、この日の天候で豊作・凶作を占う風習がありました。この頃は猛暑の時季で、特に丑の日に鰻を食べたり、海水浴をすると夏負けしないと言われています。土用鰻の習慣は江戸時代に始まったとされていますが、鰻に限らず土用餅・土用しじみ・土用卵などの食養生の習わしがあったようです。この他に土用灸といって土用に灸をすえると特効があるとされてきました。また、豊作や健康を祈願する土用念仏を行う地域もあります。 和風月名 ※旧暦正月の別名です。現在の暦では二月頃にあたります。 睦月、 祝月、 太郎月、 年端月、 子日月、 初春月、 嘉月、 建寅月、 早緑月、 霞初月、 暮新月、 元月、 三微月、 泰月、 端月、 初空月、 眤月、 陬月
■和のこよみ 目次 ▼二十四節気 概要と各節気の説明 ▼雑 節 概要と各節の説明 ▼七十二候 歴史と概要、七十二候表 ▼陰暦和風月名 ▼主な暦法 ■季の行事 目次 ▼正月をひもとく 正月とは 正月の行事 お供え・飾り 正月料理 正月初遊び ▼盆の行事 お盆とは 盆棚 迎え火・送り火 盆花 ▼春の行事 二日灸 節分 上巳の節供 雛祭 流し雛 彼岸 社日 灌仏会 ▼夏の行事 八十八夜 水口まつり 端午の節供 半夏生 七 夕 土 用 ▼秋の行事 八朔 二百十日 十五夜 芋祭り 十三夜 重陽の節供 おくんち 彼岸 社日 ▼冬の行事 十日夜 亥の子 七五三 酉の市 冬 至 ■室礼十二ヶ月 目次 室礼とは 語源 言葉の意味 正月 節分 ひな祭り 花祭り 水口祭り 端午の節供 嘉祥菓子 七夕 盂蘭盆 重陽の節供 月見 七五三 冬至・年末供 ■室礼色々 目次 陰陽五行 思想の渡来 陰陽説 五行説 陰陽五行思想 相性と相剋 五行配当表 五行と五色 五行と十干 五行と十二支 五行と方位 ■室礼三千 目次 ▼室礼教室 体験教室 基礎科教室 2011年予定表 new! 月謝 教室の地図 主宰者 お問合せ 教室風景 ▼お知らせ ▼講座案内 ▼室礼の本 ▼催し物 ▼関連記事 ■通信販売 目次 商品詳細 供え台 品切中 鏡板 品切中 丸盆 喜芳棚 五色の紐 兜の緒 室礼おりおり(書籍) 暮らしの室礼十二ヶ月(書籍) 室礼(書籍) 「還暦」に赤いちゃんちゃんこはなぜ?(書籍)NEW! ・価格一覧表 ・商品index ●注文について 注文方法(郵便振替) 販売者表記 |