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折々の記 2010 G

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】12/23〜     【 02 】12/29〜     【 03 】01/05〜
【 04 】01/07〜     【 05 】01/09〜     【 06 】01/11〜
【 07 】01/12〜     【 08 】01/14〜     【 09 】01/15〜

【 05 】01/09

  01 09 シュトルム‐ウント‐ドラング(独:Sturm und Drang)
  01 10 義務教育の変調?!

 01 09 (日) シュトルム‐ウント‐ドラング(独:Sturm und Drang)

    疾風怒濤
           激しい風と荒れ狂う波の意。また、時代が激しく変化することの形容。
           「怒濤」は荒れ狂い逆巻く波。
           ドイツ語「シュトルム‐ウント‐ドラング」の訳語

世は将に“「シュトルム‐ウント‐ドラング”、「世情の変態雲の如し」どころの話ではない。 変容し暗転し行方も安全も保障はありません。

それでも寒気は襲いかかり、気圧の谷は繰り返して冬将軍を招来しています。 散り残った寒菊もわびしい姿になっています。 自然の変容では、「冬来たりなば春遠からじ」と思うのだが、人の世の変容は推量もしがたい。 遠くにはっきりと見えるのは生きものの“破滅の一途”に向かう姿です。

日本の政治の断面を記録にとどめておきます。

…………………………………………………………………………………………………………
    その一

 ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK103 > 789.html
首相、官房長官を酷評=月刊誌で「国を任せられない」―西岡議長
時事通信 1月6日(木)17時19分配信

 西岡武夫参院議長が8日発売の月刊誌「文芸春秋」2月号に、菅直人首相と仙谷由人官房長官を批判する論文を寄稿していたことが6日、分かった。 「菅・仙谷には国を任せられない」と題し、首相らの言動を酷評。 与党・民主党出身の参院議長が首相らを雑誌で批判するのは極めて異例で、波紋を呼びそうだ。

 西岡議長は論文で、首相について「あまりにも思いつきで物を言うことが多過ぎる」と強調。 特に諫早湾干拓事業の潮受け堤防排水門の開門を命じた福岡高裁判決の上告断念を表明したことを挙げ、「まさにそのあしき例だ」と指摘した。

 また、「経済政策の哲学のなさは、まさに目を覆うばかり」とし、「菅政権はそもそも国家に対する『哲学』すらないのではないか」「北朝鮮をめぐる危機対応のまずさも、まさに『国家観』のなさによるもの」などと批判した。

 一方、仙谷長官に関しては、昨年秋の臨時国会で失言が相次いだことを挙げ、「問責決議を受けたのは当然。 それに対して『法的拘束力のなさ』を理由に平然としているのはいかがなものか」と暗に辞任を要求。 さらに、「彼の発言は国会答弁の名に値するものではない。 あれらは全て、『法廷闘争』のやり方だ。 厄介な質問が出るとわざと相手を怒らせる」との見方を示した。

 西岡議長は「今度の通常国会では、小沢一郎民主党元代表の問題よりむしろ、仙谷長官の問題が大きい」とも指摘。最後は「国家観、政治哲学を欠いたままでは、菅首相、仙谷長官に国を担う資格なしと言わざるを得ない」と結論付けた。


      その二

 ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK103 > 835.html
1.10小沢支援、菅内閣打倒デモは今世紀最大の米帝との闘争になるだろう!
2011 年 1 月 07 日 10:59:26

「1.10 国民の生活が第一のデモ」については昨年末より主催者のブログによって告知されている。

    http://kyousei-jp.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-07d8.html(H)

当初よりネットユーザーを中心に関心が高く、阿修羅、twitter等でも活発な拡散が行われている。

今回のデモは今世紀最大の日本における民主革命として歴史に綴られるであろう。 今回のデモの特徴だが、まず実行委員会のメンバーが凄いのである。

代表は岡本啓一氏。 彼は昨年10月の幽霊検察審査会の小沢強制起訴直後より、一人で新宿の街頭に立ち署名活動を始めた。 そのひたむきな姿に共鳴する人間も増え、現在も継続中である。

    http://www.shomei.tv/project-1619.html

まさに、平成日本のロベスピエールとも呼べる英雄である。

また参謀格と思われるが、小吹伸一氏が関わっているのも非常に大きい。 彼はリチャード・コシミズ氏の後援会である独立党の元党員で、実質、リチャード・コシミズ氏に次ぐNo.2だった人物である。 当初から岡本氏の署名活動に共鳴し、岡本氏とともに頻繁に署名活動を行ってきた。 今回のデモの理論的支柱であるとみられる。 こちらはまさに、平成日本のラファイエット侯爵と言ったところだろう。

彼ら民草のヒーローである、平成日本のジャコバンクラブが主催する民主革命デモに寸分の隙もないのである。

次に、ネット世論からも強力な応援が加わっている。 まず副島隆彦氏の一番弟子であるアルルの男・ヒロシこと、中田安彦氏はtwitterで次の通りつぶやいている。

(つづき)であれば、これは支持すべきとなる。 勿論、変な異分子が混じることを考慮した上で運営側には慎重さが求められるにしても、「国民運動となっている」という小沢サイドの認識もあるわけだから、これはデモ自体に意味が出てきたことになる。 ということで私はデモを支持することにしました。

    http://twitter.com/bilderberg54/status/22139153458139137

副島隆彦氏グループの支持が鮮明になったことは、10日のデモが「世界皇帝」デイヴィッド・ロックフェラーを頂点としたユダヤ勢力、その手先のジャパン・ハンドラーズ及びその傀儡である菅直人政権に対し、敢然と立ち向かう民衆革命を意味すると言えるであろう。

またブログ「書に触れ街に出よう」のブログ主である@HiroNicoK氏はこう書いている。

[米国大使館をデモの対象に!]
もし小沢切りという暴挙がなされるのなら、国民は再び行動を起こすであろう。 日本という国は米国に利用されるために存在しているのではない。 日本がかつて「米国の裏庭」とか「バナナ共和国」などと呼ばれた中南米諸国の状況に似てきているように思えてならない。 従米勢力によって日本の貴重な政治家を葬るなどということを断固阻止せねばならない。 これ以上米国が日本の民主主義に介入することを許容してはならない。 小沢切りがなされる場合のデモのターゲットは不本意ではあるが、もはや民主党本部ではなく、米国大使館とし、それを包囲するなどの抗議示威行動が必要だと思う。 それほど事は深刻であると思う。

    http://bit.ly/fFaCle

これは昨年末に書かれたものだが、傀儡、菅直人の年頭挨拶から考えると明らかに小沢切りを宣言したと判断して良い。もはや、デモの真のターゲットはデイヴィド・ロックフェラーを頂点とする米帝であると断言して良いであろう。

「1.10 国民の生活が第一のデモ」には、我々「八紘一宇の志士」も決死の覚悟で蜂起する。21世紀の国民精神総動員運動の金字塔として、共に歴史に名を残そうではないか


● コメント

No.01.  2011年1月07日 11:51
1月10日(成人の日)小沢一郎支援デモ 「国民の生活が第一」は小沢氏のマニフエストです。 昨年の衆議院選挙で、民主党に一票を投じた貴方、貴女。 菅内閣によって、あなたの一票が、貴方の希望が、紙屑のように踏みにじられた怒りを、このデモにぶつけましょう。 もはや、憲法も人権も無視して、菅内閣による「平成ファシズム」が粛々とすすんでゆく。 マスコミもファシズムの後押しをするばかり。 いまや最後の拠り所である法も司法も、国民を守ってはくれません。 小沢氏を守ることは、自分を守ること、そしてこの国を守ることです。
国民が声をげ、行動して行く以外、平成ファシズムを倒す方法はありません。 ことここに到っては、国民の後押しで小沢政権を樹立する以外、この国を建て直す方法はありません。 国民には、その力があるはずです。 マスコミが何をほざこうが、「国民主権」なのですから。 ねこのしっぽこと sumiko

No.08.  2011年1月07日 16:49
1,10デモの成功を祈ります。 私は小沢さんは、日本のド、ゴール将軍とも言うべき、真の救国、救民のための祖国解放への改革の志士と見ています。 「対等の日米関係」ならいいが隷属はだめです。 名目は独立国ですが日本は独立国にはあるはずの自国の「外交、軍事、政治、金融経済、科学技術、文化など」への支配権、指揮権、が事実上有りません。 アメリカに握られています。 東大法学部長でも誰でもいい。 反論有れば書いて下さい。 米軍普天間基地ひとつ沖縄県民の意思に従い撤去できぬ傀儡政権のような状況は独立国と言えないでしょう。 日本の世界一米軍基地の多い現実は被占領下と同じ哀れな状態です。


● 週刊朝日 談 [DAN]のニュース

    <http://www.wa-dan.com/article/>

週刊誌だから無責任な御祭りマスメディアの性分もあるかもしれません。 それでも週刊朝日は他誌よりも思いきった取材が載ることもありますから、折々は目を通しておくことがよいのです。 政界の疾風怒濤時代だからこそここのニュース源からもデータを取り上げておきたかった。

‘週刊朝日 談 [DAN]’には次のような配信が載っています。

@ 両院議員総会より海老蔵披露宴前原国交相は「首相の器」にあらず 週刊朝日2010年8月13日配信

    <http://www.wa-dan.com/article/2010/11/>

歌舞伎俳優の市川海老蔵(32)と、日本テレビ系「NEWS ZERO」などでおなじみだったフリーキャスター、小林麻央(28)の結婚披露宴が7月29日、東京都内で催された。小泉純一郎元首相や、元阪神監督の星野仙一氏といったVIPをはじめ、約千人に及ぶ招待客が集う絢爛たる宴だったが、そこに「場違い」な人物がひとりいた。前原誠司国交相(48)である。……以下略

A 検察の「裏ガネ」が育てた日本の公費天国三井事件はやっぱりでっち上げ 週刊朝日2010年11月19日号配信

    <http://www.wa-dan.com/article/2010/11/post-34.php>

ジャーナリストの西岡研介氏が3回にわたり、8年前の「三井事件」は検察の裏ガネ問題をもみ消すために検察自らがでっち上げていたという「事実」をリポートした。実は、この「事実」は当時から指摘されていたのだが、事件の関係者たちは固く口をつぐみ、真相は闇に紛れていた。長く公金不正問題を追ってきた元朝日新聞編集委員の落合博実氏は、西岡リポートを高く評価する一方、日本の「公費天国」の元凶は検察そのものにあるのだと厳しく批判する−−。……以下略

B カッコ良いのは口先だけ、菅内閣は有言逆実行内閣だ!(怒れ納税者!カームラが行く) 週刊朝日2010年12月3日号配信

    <http://www.wa-dan.com/article/2010/12/post-46.php>

今、永田町・霞が関界隈でネットの動画といえば、尖閣衝突事件ではなく、「【言っちゃった☆】斎藤健議員の名質問をラップにしてみた。」を指す。自民党の新人、斎藤衆院議員の国会質問(11月9日)を書き起こした文字が、ラップ・ミュージックに乗って白いスクリーンにポップアップする。音声はそのままだが、絶妙にマッチしている......!……以下略

C 民主党はどこで間違えたのか財務省すら手をこまねく無能ぶり 「裏切りの15カ月」 週刊朝日2010年12月3日号配信

    <http://www.wa-dan.com/article/2010/12/post-45.php>

子ども手当の満額支給に八ツ場ダムの中止、ガソリン税の暫定税率廃止−−。次々と公約を撤回し、外交でも失敗を重ねる菅内閣は、ついに、霞が関の振付師である財務省にも愛想を尽かされたようだ。決断できない首相のもとで、来年度の予算編成を立ち往生させるわけにはいかないと、霞が関の"菅外し"が加速し始めている。……以下略



 きょうは大河ドラマ「江」が始まる日です。 

    http://park6.wakwak.com/~y_shimo/momo.244.html <12 15 (水) 2011年大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」>

原作・脚本の田淵久美子さんは

    子を産み、育て、家を守る役目の女性たちが、ひたすら平和を望むのは、戦国も幕末も、
    現代も変わりはないはずです。
    そして江こそまさに、多くの子供を産み育て、二代目徳川家を守りきった人だったのです。

と語っています。

数奇な運命を辿った崇源院は、将に女性そして母親そのものであったと思われます。 このことは著書「江 姫たちの戦国」上・下を読んだり、テレビを見ないとわかりません。 ただ、51歳の著者だからこそ‘母こそは命の泉’という感覚でお市の末子江の生涯の生きざまを洞察して作品化したものだろうと思われます。


江を読む (1/47)


    http://www9.nhk.or.jp/go/story/gom01.html <大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」>画像、略地図、スケッチあり

▼あらすじ 湖国の姫 織田信長(豊川悦司)の妹で絶世の美女・市(鈴木保奈美)には三姉妹の娘がいる。長女・茶々(宮沢りえ)、次女・初(水川あさみ)、そして三女・江(上野樹里)。しかし、江には父の記憶がない。  時はさかのぼり永禄11年(1568)初夏。上洛をもくろむ信長の命で、市は北近江小谷の浅井家に嫁ぐ。そんな市への恋心を露骨に語る秀吉(岸谷五朗)に、妻・おね(大竹しのぶ)はあきれるが、愛する兄のため捨て石となる市の覚悟に心を痛めるのだった。  初めは望まぬ婚姻だったが、琵琶湖を望む美しき小谷の地で、市は不思議な魅力を放つ名将・浅井長政(時任三郎)と恋に落ち、やがて茶々、初が誕生する。しかし、織田家と浅井家の幸せな関係は長くは続かなかった。兄と夫のはざまで苦悩する市は、長政の妻として生きることを決意。両家は全面戦争に突入する。  3年に及ぶ戦の果て、信長軍が優勢となり、市は自らに宿った新たな命と共に死を覚悟する。しかし、幼き茶々(芦田愛菜)は、子を産んでほしいと涙ながらに訴える。やがて秀吉率いる織田軍に包囲された小谷城に産声が響き渡り、湖国の姫・江が誕生する。しかし、それは父・長政との別れの時だった。 ▼江を読む どうして市が結婚したの?

「婚活」が社会現象となっている現代日本。結婚するために自分を磨き、日々努力する、なんとも大変な時代です。 しかし、戦国時代のお姫様はもっと大変?!  政略結婚が当然のように行われ、時として女性が政治の道具にされていました。 江たち三姉妹の母・市も例外ではありません。

諸説ありますが、市が初めて嫁いだのは1567年、もしくは、その翌年の初めごろといわれています。 お相手は北近江を治める戦国大名・浅井長政。近世の石高でいえば12万石ほどの小さな大名ですが、兄・信長と同年代の勇将です。

1567年に念願だった美濃の国を手に入れ、「天下布武」の大望を掲げた信長。しかしそれには、京へ上ることが不可欠です。 そこで信長は、その道筋に立ちはだかる長政に美人と評判の妹・市を嫁がせて味方に取り込み、西方進出作戦の足がかりにしたというわけです。

その効果はテキメンでした!  それまで越前・朝倉義景のもとに身を寄せていた前将軍・足利義輝の弟・義昭が信長を頼り、上洛の助力を要請。大義名分を得た信長は、大軍を率いて京へ上り、大都市だった大津、堺を自らの所領とします。 一方、市はというと、政略結婚で嫁いだ浅井家でしたが、夫・長政とは周囲がうらやむほどラブラブ。幸せな結婚生活を過ごします。

しかし、そんな幸福な生活も長くは続きません。 野望に満ちた信長は、浅井家と長年友好な関係にあった朝倉家を攻撃。 長政は朝倉側につき、義兄・信長と敵対することになります。 そして、天正元年(1573)、夫・長政は信長に敗れ、小谷城内で自刃。 3人の娘を連れて難を逃れた市は織田家に戻り、第二の人生を送ることになります。 この時の市の心境は一体どのようなものだったのでしょうか。

ですが、これはまだまだ序章に過ぎません。 市の運命は、信長、秀吉といった天下人の狭間で、今後も大きく揺さぶられていくことになります。

<監修・時代考証> 小和田哲男

1944年静岡出身。 早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。 静岡大学名誉教授。 日本戦国時代史研究の第一人者として知られる。 大河ドラマ「天地人」に続き「江」の時代考証を務める。 近著に 『お江 戦国の姫から徳川の妻へ』 『戦国三姉妹 茶々・初・江の数奇な生涯』 『お江と戦国武将の妻たち』。

● 大河ドラマ「江」についての資料

江とは

  戦国を生きた三姉妹と英雄たちの天下を揺るがす愛の物語

一 ものがたり

  天下分け目の戦いは、女たちの心の中にこそあった

淀・初、そして江。
 信長の妹・市を母とし、日本史上最も有名な三姉妹(浅井三姉妹)の末っ子に生まれた江は、徳川二代将軍・秀忠の正室となり、娘は天皇家に嫁ぎ、息子は第三代将軍となります。
 しかし、そこにたどりつくまでの江の人生は、波乱と苦難の連続でした。二度の落城により父と母を失った江は、時の権力者たちに人生を翻弄され、三度の結婚を重ねます。さらには、姉・淀と敵味方に分かれて天下を争うことに──。

  戦国姫・江の“心のスペルタクルドラマ”

戦国の世の苦しみを知りぬいた江は、天下太平を願い、江戸城に大奥をつくりあげます。それは、以後二百数十年にも及ぶ、平和と繁栄の時代を築く礎となったのです…。
 大奥の潔い終焉を描き「篤姫ブーム」を全国に巻き起こした田渕久美子が、丹念に歴史を取材し、大奥の始まりに至る道のりを、鮮やかに華やかにオリジナルでドラマに仕上げます。

戦国史の新たなスーパー・ヒロイン、江の活躍にご期待ください。

二 企画・意図

幼いころに戦乱で父母を亡くし、幾度もの結婚を余儀なくされながらも、最終的には将軍正室にまでなった江。波乱万丈、とは江の人生を表現するための言葉といえます。また、信長を伯父、秀吉を義兄、家康を義父とした江は、戦国時代を代表するスーパーセレブでした。江は、戦国・安土桃山から江戸への移り変わりを、常に時代の中心点で直に目撃した、数少ない歴史の証人でもあるのです。
 しかしながら江は、これまで歴史上にそれほどの強い印象を与えてはきませんでした。 それは、生まれ故郷である近江の雄大な琵琶湖のように、いかなる人生の変転に対しても穏やかさを決して失うことなく、すべての数奇な運命を豊かな心で受け入れていったからではないでしょうか。
 社会や人間が余裕を失い、時代や他者、ときには自分自身に対しても不寛容な現代にあって、江にはあらゆる事象への底知れぬ「優しさ」と、それを可能にする強じんな「しなやかさ」を感じます。その「優しさ」や「しなやかさ」のバックボーンにあったのは、父との絆(きずな)、母との絆、夫との絆、そして姉たちとの絆だったのではないでしょうか。ゆるぎない絆があるからこそ、すべてをしなやかに受けとめ、優しくなれたのではないでしょうか。
 戦国時代に通じる激動の国際競争社会の現代にあって、江が育んだ“絆”を、今、見つめ直してみたいと考えています。

三 原作・脚本

脚本家の言葉 田淵久美子

戦国、という言葉から、人はどんなことを想像するのでしょう。武士、領地の攻防、血なまぐさく凄(せい)惨な合戦、天下取り――今回、その戦国をドラマ化しようとする『江』のお話をいただいたとき、私の頭に浮かんだのは、そんなことばかりでした。前回執筆した『篤姫』の舞台、幕末には存在しない事柄でもありました。
 ただ、資料を読むうちに、江と、彼女を取り巻く人々は、どんどん魅力を増していきました。幕府の開闢(かいびゃく)に深く関わった江と、その幕府に幕を引いた篤姫。そこに因縁めいたものも感じました。でも、「戦国人」たちの感覚や息づかいはなかなか伝わってこない。焦りを感じ始めたある日、訪れていた取材先で、ふと、気づきました。合戦も天下取りも、関わっていたのはもっぱら男だ。愛しい人が、明日にも戦で死ぬかもしれない、そんなひりひりと切迫した時代、女たちはただひとえに争いのない日々を思い、恒久的な泰平を願っていたのではないだろうか、と。
 子を産み、育て、家を守る役目の女性たちが、ひたすら平和を望むのは、戦国も幕末も、現代も変わりはないはずです。そして江こそまさに、多くの子供を産み育て、二代目徳川家を守りきった人だったのです。
 懸命に生きた女性を描けばいいのだ。それがわかると、資料に接する目が変わりました。男たちの陰で戦国を動かしていたのは、実は女たちだったのかもしれない──取材と発見を続けながら私は今、江という女性とつながる糸が、次第に太く、強くなっているのを肌で感じています。
 過去に新たな視点で光を当てることで、現在を変え、未来を変える。過去を生きた人たちに感謝し、私たちはきちんと生きているのだろうかと問い直す。
 歴史を書かせていただくにあたっての、私のテーマは不動です。
 『江』を誰よりも楽しみにしているのは、この私なのかもしれません。

プロフィール
島根県生まれ。NHKでは連続テレビ小説「さくら」(橋田賞受賞)、月曜ドラマシリーズ「妻の卒業式」、夜の連続ドラマ「女神の恋」「ダイヤモンドの恋」など話題作を多数執筆。前向きに生きる女性たちの姿を豊かな表現で描き、視聴者から深い共感を得ている。また、ドラマ以外にも映画・ミュージカル・落語・演劇・狂言など幅広い分野で精力的に執筆活動をしている。
 大河ドラマは「篤姫」(08年)に続いて2作目。激動の幕末にあって江戸城大奥を統率した天璋院篤姫の生涯を鮮やかに描写し、全国に「篤姫ブーム」を巻き起こしたことは記憶に新しい。

四 音楽

音楽 吉俣 良

プロフィール
鹿児島県生まれ。NHKでは連続テレビ小説「こころ」、夜の連続ドラマ「アイ'ムホーム」、土曜ドラマ「マチベン」、金曜ドラマ「派遣のオスカル」など多数の作品にオリジナル楽曲を提供。映像を心に刻みつける豊かなメロディーラインに定評がある。また、aiko、ゆず、ORANGE RANGE等のアーティストのアレンジも手がける。
 大河ドラマは、「篤姫」に続いて2作目。脚本家・田渕久美子さんとの強力なコンビが復活する。

五 題字

題字 菊池 錦子

プロフィール
書家。青森県弘前市在住。6歳より書を始める。個展で作品を発表するほか、イベントやテレビ番組のタイトル、社名・商品名など多方面にわたって筆文字のロゴを提供している。NHKの番組では、大河ドラマ「篤姫」はじめ、「クローズアップ現代」、土曜ドラマ「ウォーカーズ」、木曜時代劇「風の果て」などを担当。

六 ごあいさつ

制作統括 屋敷陽太郎

「江」は、大河ドラマ第50作という大きな節目にあたる作品です。
 大河ドラマの歴史を築いた大先輩のひとりである故・吉田直哉ディレクターは、大河ドラマの魅力は「過去と現在との対話」だとしています。
 田渕久美子さんの「篤姫」は、21世紀に生きる我々に、幕末の人々と同時に歴史事件に遭遇し、思いを共にし、一緒に心を震わせる瞬間を生みだしてくださった、と私は思っています。まさに、過去と現在との対話の醍醐味を、私は知りました。それは、熱烈なご支持をいただいた多くの視聴者の皆さんからの絶大な反響にも表れていたと感じます。
 今回、田渕さんがどんな躍動感ある戦国時代を体験させてくれるのか、どんな魅力的な歴史上の人物と出会わせてくれるのか、私は一人の視聴者としても楽しみでなりません。
 50作目とはいえ、ドラマづくりの手法に特段の変わりはありません。ハラハラドキドキワクワクという基本を大切にしていくのみです。そして、大河ドラマが、100作、200作、1000作へと続くためにも、とことん面白いドラマにします。

七 演出にあたって

チーフ演出 伊勢田 雅也

大河ドラマをつくるのは、本当に面白いなと、大河ドラマの演出をするたびに思います。こんなに緊張感にあふれ、個人のあらゆる能力を問う作業は、テレビ番組づくりではほかにないのではないかとも、ややごう慢に思ってしまいます。
 今、6話まで撮り終えてある種の脱力状態にあります。人間として何か大事なものを失ってしまったような感じがするほどです。それだけ頑張ったという単純なことのほかに、そうしなければつくれない大河ドラマの恐ろしさ、深さがあるような気もします。それがつくり手にとっての最大の魅力なのかもしれません。
 見る人を選ばないドラマにしたいと思いました。女性が主人公の女性のためのドラマ、を目指すのではなく、男性もこのドラマを見て泣いてもらいたい、そう思い演出にあたっています。そのなかでも第1話は、時代劇にとって魅力的な要素がふんだんに込められ、戦国時代劇の決定版となるような作品ができたように思います。

.  大相撲も始まる日です。

 01 10 (月) 義務教育の変調?!

昔、老生が先生になった終戦直後ころの学校の先生方は、心に余裕をもっている先生方が多かった。 PTAなどのゴチャゴチャした会合も少なく、放課後のクラブ活動などのギスギスした活動もなかった。

老生は中学校勤務でしたが、心の余裕も時間の余裕もありました。 コセコセした根性もはびこる隙もなかったのです。 子どもたちも、心の余裕や時間の余裕もあったと思います。 コセコセした根性もはびこる隙もなかったと思います

教育制度の中に管理システムがジワジワ強められるようになってきました。 すると、従来の教育者としての気質もイモズル式のシステムへとだんだん変わってきました。 点取り虫や保身術という変な空気が漂い始めたのでしょう

教育はすべて教育者の個人的管理下にあったものから、県教委の指導統制のもとへとシフトしていったのでしょう。 研究授業が過密状態になって教育者の気持を圧迫し始め、自由な発想のもとでの教育はだんだんと影を薄くしていったのです

ことに、東京オリンピックが済んでからは運動それ自体が競争化して、それが学校対抗の様相に変わってきました。 放課後活動が教育システムをおかしくした張本人でしょう。 放課後活動がこのために正当化されたようになって、自由発想による活動のゆとりを完全に失うことになってしまいました

加えるに学力の重視は時代とともに加速されてきたので、幼い子どもたちは勉強をしなければならないという気持が小さな胸のうちを圧迫し、サボっていると先生に叱られるという圧迫感の二つのハザマに追いこまれてしまいました。 教育者も時代の変化に流されて、学習指導と運動指導のハザマに追い込まれたのです

子どもたちの異常な生活条件は、心の安住が失われて安静な心の均衡・バランスが崩れはじめました。 加えて物質生活の豊かさは多くの金銭を必要とするようになって、子どもをないがしろにして働きに行く親が目に見えて増加しました。 核家族の傾向も子どもの生育環境の劣悪化につながってきています

もろもろの要因があって子どもを取り巻く環境の変調をきたしています

それは、教育者へも変調をきたしているのです

教師を取り巻くもろもろの環境と、子どもが教育を受ける行政サイドのもろもろの環境と、この二つの環境整備をどうしていったらいいのか国民全体が時間をかけて議論しなければなりません。 国家百年にわたる重要課題です。

変調の実情は次の朝日新聞の記事にも現われているのです。


その一 2011年1月10日3時0分
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先生不在で自習 時間割り組み直し…混乱する教育現場

 教員が産休・育休や介護のために休んだとき、代わりとなる教員が間に合わないケースが多発している。各地では、手当ての付かないコマを自習にするなど現場に混乱が起きている。

 広島県呉市のある中学校は2010年5月、1年生の中間試験で理科のテストができなかった。

 理科の教員が4月末から病気休暇に入ったが、代わりの教員が間に合わず、穴が埋まったのは6月だった。その間、空いた時間は自習や他の教科の授業をしてしのいだものの、肝心の理科の授業はできなかった。「学力向上といいながら教師がおらず、授業ができないとは信じがたい」と保護者の一人は話す。

 中学校では教科ごとに専門の教師が教えるので、代役になれるのは同じ教科の免許を持つ教員だけだ。「特に理数、技術などは免許保有者が少なく、探すのが難しい」と呉市教委は話す。

 代役が間に合わずに穴が開く状況が最も深刻な大阪府。

 府南部の中学校で09年の夏休み、校長室に2年の男子生徒が相次いで入ってきた。「新しい数学の先生、まだですか」「マジ、先生、入りませんか。少人数授業でせっかくわかるようになったのに」。欠員を何とかしてほしいという訴えだった。

 この学校は1、2年生の数学で二つのクラスを三つに分けて少人数にし、習熟度別指導をしていた。ところが担当の非正規教員が体調を崩して8月末に退職。少人数指導の態勢が組めなくなっていた。

 10月にやっと代役の20代の教員が来たが、「理想と現実が違っていた」と1週間足らずでやめ、その後任は結局来ずじまいだった。

 大阪府東部の小学校。08年度、4、6年生のクラスを担任するベテラン教員や5年の学級担任の若手教員の計3人が、学級崩壊や女子児童グループとの関係などに悩み、次々と精神疾患や胃潰瘍(いかいよう)で病気休暇に入った。2人目までは1〜2カ月で代わりが来たが、3人目が09年2月に倒れた時はもう来なかった。いずれも少人数や生徒指導担当の教員が臨時のクラス担任に入ってしのいだという。

 東海地方の市立小学校では08年秋、6年の学級担任がうつで休んだ。時間割りを大きく組み直し、担任を持っていなかった生徒指導主任が臨時で担任に入ったが、代役は来ず、3月までそのままだった。卒業式の日。主任は「先生、『ワンポイント・リリーフだ』と言っていたのに、9回まで登板だったね。ありがとう」と子どもにねぎらわれたという。



その二 2011年1月10日3時0分
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先生休むと代わりがいない 不足、昨年度は800件以上
http://www.asahi.com/national/update/0109/TKY201101090325.html

 教員が産休・育休や病気・介護休暇に入った際、代わりの教員が間に合わないケースが、各地の公立小中学校に広がっている。朝日新聞が全都道府県・指定市の教育委員会に取材したところ、昨年度、全国で約800件に上っていたことがわかった。

 調査したのは、2009年度に(1)教員が産休、育休に入った際、その当日に代わりの教員が着任できなかった件数と、(2)病気や介護休暇で欠員が出ても代わりの教員が1カ月以上来なかった件数。

 その結果、大阪府を除くと(1)は304件、(2)は486件に上った。

 大阪府は1年間の合計件数ではなく、毎月1日現在ごとの件数を合算した形で回答した。産育休の代替が間に合わなかったのはのべ66件、病気・介護休暇で代わりが来なかったのはのべ258件。

 大阪府以外で多かったのは、産育休が北海道29件、横浜市28件、栃木県22件。病気・介護休暇は静岡県78件、大阪市が49件、兵庫県が38件、福岡県が35件、栃木県が30件だった。

 こうした数字は文部科学省も把握しておらず、実数が明らかになったのは初めて。

 代替の教員は教員免許を持つ人の中から選ばれる。人数の多い50代の教師が退職期を迎える中で、各教委が新採用を増やしたり、少人数教育などのため非正規教員を多く雇ったりした結果、代わりの教員に充てられる「予備軍」の層が薄くなっているのではないか、と文科省はみる。大阪府も「03年度以降、小中学校の新規採用が千人超と拡大したのが最大の理由とみている」と話す。

 一方で国立大学の教員養成課程は長く入学定員が抑制されていたため、養成が採用の急増に間に合っておらず、需給のバランスが崩れているとみられる。文科省の担当者は「各地の教委は、教員免許を持つ大学院生ら、予備軍になりうる人材を発掘する努力が求められる」と話している。(編集委員・氏岡真弓)

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 <調査の方法> 産育休は事前にわかって手当てがしやすいため、「当日間に合わなかったケース」を調べた。一方、病気・介護休暇は急な場合が多く即応が難しいため、「欠員が1カ月以上に及んだケース」を調べた。道府県の件数には指定市の件数を含まない。指定市が教員の人事権を持っているため。

 大阪府の集計方法では、一つの事例が月をまたいだ場合は複数の件数にカウントされるが、府教委は「そうした事例は少ない」としている。高知県は病気・介護休暇で空席が1カ月以上に及んだケースはあるが、「件数などの資料はない」と回答した。



その三 2011年1月10日3時0分
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不登校の子、家庭教師がみます 専門コース設置の業者も

 不登校の子どもの学習指導を引き受ける家庭教師ビジネスが急成長している。通学せず自宅で学ぶ「ホームスクール」をうたう業者は生徒数を2年で約3倍に増やし、大手の家庭教師派遣会社も、相次いで不登校専門コースを設けるなどして参入した。行政の支援は相談受け付けなど、相談者を待ち受ける「来所型」が多いため、それに限界を感じる親たちのニーズを取り込んでいるようだ。

 千葉県の公立中学2年の女子生徒(13)は昨年春、仲の良い友達とクラスが別々になったのがきっかけで学校に行きづらくなり、休みがちになった。

 学校には、毎週1回スクールカウンセラーが来て個室で心の相談を受け付けているが、女子生徒は「個室に入るのを友達に見られたら、『わけあり』と思われたり、冷やかされたりする気がして、行きたくても行けなかった」。学校の友達と顔を合わせるのが嫌で塾にも足が向かなくなり、部屋にひきこもった。

 母親(45)は、長期欠席の子どもを対象にした適応指導教室があるのを知り、相談したが、最初に面接を受けなければならないうえ、面接の予約が1カ月先までいっぱいで、あきらめた。結局、母親がインターネットで見つけた不登校専門の家庭教師サービス「東京家学(やがく)」(東京都新宿区)に依頼。昨年11月から週2回、私立大の女子学生が「先生」として自宅に来ている。

 1回2時間のうち、勉強とおしゃべりが半々ぐらい。女子生徒は「親は私への期待が大きすぎるせいか、将来のこととかを相談しづらい時もあるけど、家庭教師の先生とは何でも話せる」と言う。母親も「家族みんながイライラしていたが、外部の風が入ってきて、がらりと変わった」。1カ月ほどして、女子生徒は少しずつ保健室登校ができるようになってきた。

 「ホームスクール」をうたう東京家学は2008年8月に代表の平栗将裕さん(25)らが設立した。無理に登校を促さず、自宅で学習指導をする。親から依頼を受けて訪問しても、部屋から出てこない子どももいる。そんなとき、平栗さんは、置き手紙を残したり、メールを送ったりして、少しずつ心を開いてもらえるようにしているという。

 月謝は週2回だと約6万円。生徒は首都圏の小中高生約80人で、2年間で3倍以上に増えたという。

 一方、家庭教師最大手のトライグループ(東京都千代田区)は昨年4月、「不登校からの大学進学」をうたう「トライ式高等学院」を開校した。通信制高校の卒業を手助けする「サポート校」で、月謝は5万5千円。全国に約200ある教室に通うことが基本だが、追加料金なしで、同社が派遣する家庭教師から自宅で指導を受けることもできる。約200人の生徒のうち半数が自宅で学んでいるという。

 また、学研ホールディングス(東京都品川区)は8月から不登校の子どもの専門コースを設けた。勉強だけでなく、生活や精神面のフォローができるように講師の研修を徹底しているという。月謝は通常のコースより約25%高く、生徒はまだ30人ほどだが、担当者は「問い合わせは多く、今後増えるだろう」と見る。

 いずれの業者も、勉強の遅れが不登校の長引く原因になる悪循環があることから、学習を支援することで不登校の解消につなげることを目指している。

 文部科学省によると、09年度に30日以上欠席した「不登校」の小中学生は12万2千人いた。01年度の13万9千人をピークに05年度までは微減が続いたが、その後再び増加するなど、高止まりしている。(花野雄太)