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折々の記 2013 ⑦
【心に浮かぶよしなしごと】

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  12 24 陛下80歳 素晴らしいお言葉  

 12 24 (火) 陛下80歳 素晴らしいお言葉  

NHK NEWS WEB
2013年(平成25年)12月24日[火曜日]
① 天皇陛下の記者会見 全文 12月23日 5時7分
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131223/k10014040031000.html

  天皇陛下は23日、80歳、傘寿の誕生日を迎えられました。
  誕生日を前に皇居・宮殿で行われた記者会見の全文は次のとおりです。

宮内記者会代表質問

(問1)
  陛下は傘寿を迎えられ、平成の時代になって、まもなく四半世紀が刻まれます。
  昭和の時代から平成の今までを顧みると、戦争とその後の復興、多くの災害や厳しい経済情勢などがあ
  り、陛下ご自身の2度の大きな手術もありました。
  80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事や、傘寿を迎えられたご感想、そしてこれ
  からの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせください。

(天皇陛下)

  80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っ
  ているのは先の戦争のことです。

  私が学齢に達したときには中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新
  たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。

  終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。

  この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。

  前途にさまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ま
  しいかぎりです。

  戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法
  を作り、さまざまな改革を行って、今日の日本を築きました。

  戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時のわが国の人々の払った努力に対し、
  深い感謝の気持ちを抱いています。

  また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。

  戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人との
  絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思
  っています。

  傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地でさまざまに、わが国の向上、発展に尽くしてい
  る人々に日々、感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。

  すでに80年の人生を歩み、これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが、年齢による制約を受
  け入れつつ、できるかぎり役割を果たしていきたいと思っています。

  80年にわたる私の人生には、昭和天皇をはじめとし、多くの人々とのつながりや出会いがあり、直接、
  間接に、さまざまな教えを受けました。

  宮内庁、皇宮警察という組織の世話にもなり、大勢の誠意ある人々がこれまで支えてくれたことに感謝
  しています。

  天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思う
  ものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。

  皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそ
  うと努力できたことを幸せだったと思っています。

  これからも日々、国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います。


(問2)
  両陛下が長年続けられてきた「こどもの日」と「敬老の日」にちなむ施設訪問について、来年を最後に
  若い世代に譲られると宮内庁から発表がありました。
  こうした公務の引き継ぎは、天皇陛下と皇太子さまや秋篠宮さまとの定期的な話し合いも踏まえて検討
  されていることと思います。
  現在のご体調と、こうした公務の引き継ぎについてどのようにお考えかお聞かせください。

(天皇陛下)

  「こどもの日」と「敬老の日」にちなんで、平成4年から毎年、子どもや老人の施設を訪問してきまし
  たが、再来年からこの施設訪問を若い世代に譲ることにしました。

  始めた当時は2人とも50代でしたが、再来年になると、皇后も私も80代になります。

  子どもとはあまりに年齢差ができてしまいましたし、老人とはほぼ同年配になります。

  再来年になると皇太子は50代半ばになり、私どもがこの施設訪問を始めた年代に近くなります。

  したがって再来年からは若い世代に譲ることが望ましいと考えたわけです。

  この引き継ぎは体調とは関係ありません。

  負担の軽減に関する引き継ぎについては、昨年の記者会見でお話ししたように、今のところ、しばらく
  はこのままでいきたいと思っています。


(問3)
  ことしは五輪招致活動を巡る動きなど皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られました
  が、陛下は皇室の立場と活動についてどのようにお考えかお聞かせください。

(天皇陛下)

  日本国憲法には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しな
  い。」と規定されています。

  この条項を遵守(じゅんしゅ)することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています。

  しかし、質問にあった五輪招致活動のように、主旨がはっきりうたってあればともかく、問題によって
  は、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。

  そのような場合はできるかぎり客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意
  見を聴くことにしています。

  今度の場合、参与も宮内庁長官はじめ関係者も、この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてく
  れました。

  今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていくつもりです。

(関連質問)
  質問させていただきます。
  先日、陛下は皇后さまとインドを訪問され、日印の友好親善をさらに深められました。
  53年ぶりとなったインド公式訪問の御感想をお聞かせ願うとともに、国際友好親善に際して陛下が心
  掛けていらっしゃることについても併せてお聞かせください。

(天皇陛下)

  このたびのインドの訪問は、インドとの国交60周年という節目の年にあたっておりましてインドを訪
  問したわけです。

  インドを初めて訪問しましたのは当時のプラサド大統領が日本を国賓として訪問されたことに対する答
  訪として、昭和天皇の名代として訪問したわけです。

  当時は、まだ国事行為の臨時代行に関する法律のない時代でしたから、私が天皇の名代として行くこと
  になったわけです。

  当時のことを思い起こしますと、まだインドが独立してまもない頃、プラサド大統領は初代の大統領で
  したし、これからの国造りに励んでいるところだったと思います。

  ラダクリシュナン副大統領は後に大統領になられました。

  それからネルー首相と、世界的に思想家としても知られた人たちでしたし、その時のインドの訪問は振
  り返っても意義あるものだったと思います。

  そして、私にはそれまでヨーロッパと中国の歴史などは割合に本を読んだりしていましたが、その間に
  横たわる地域の歴史というものは本も少なく、あまり知られないことが多かったわけです。

  この訪問によって両地域の中間に当たる国々の歴史を知る機会に恵まれたと思います。

  今度のインドの訪問は、前の訪問の経験がありますので、ある程度、インドに対しては知識を持ってい
  ましたが、一方で、日本への関心など非常に関心や交流が深くなっているということを感じました。

  ネルー大学での日本語のディスカッションなど日本語だけで非常に立派なディスカッションだったよう
  に思います。

  また、公園で会ったインドの少年が、地域の環境問題を一生懸命に考えている姿も心に残るものでした。

  そういう面で、これからインドとの交流、また、インドそのものの発展というものに大きな期待が持た
  れるのではないかという感じを受けた旅でした。

② 天皇陛下 80歳の誕生日 12月23日 5時7分
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131223/k10014040061000.html

天皇陛下は23日、80歳、傘寿の誕生日を迎えられました。

天皇陛下は、誕生日を前に、皇居・宮殿で記者会見に臨まれました。

この中で天皇陛下は、80年を振り返って最も印象に残っているのは、日本人のおよそ310万人が犠牲になったと言われる先の戦争のことだと述べ、「前途にさまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましいかぎりです」と話されました。

そして、「戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時のわが国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」と述べられました。

また、「戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人の絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています」と話されました。

そのうえで天皇陛下は、「傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地でさまざまに、わが国の向上、発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています」と語られました。

また、これからの人生の歩みについては、「年齢による制約を受け入れつつ、できるかぎり役割を果たしていきたい」と述べられました。

さらに、「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」と話し、「皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」と語られました。

一方、オリンピックの招致活動などを巡って論議が見られた皇室の活動と政治との関わりについて、天皇陛下は、「日本国憲法には『天皇は、国政に関する権能を有しない』と規定されています。この条項を遵守(じゅんしゅ)することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています」と述べられました。

そのうえで、「問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。そのような場合はできるかぎり客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています」と話されました。

皇居では23日に一般参賀が行われ、天皇陛下は皇族方と共に、午前中3回、宮殿のベランダに立ち、お祝いを受けられます。

天皇陛下の80年の歩み

昭和天皇の長男で、皇太子として生まれた天皇陛下は、戦争が続くなかで子どもの時期を過ごし、11歳で終戦を迎えられました。
戦後の復興期に青春時代を送り、大学生活を終えた翌年、軽井沢のテニスコートで皇后・美智子さまと出会い、25歳で結婚されました。
一般の家庭からおきさきを選んだのは初めてで、祝賀パレードに50万人を超える人たちが詰めかけるなど、多くの国民から祝福を受けられました。
皇后さまと、国内外で公務に励むとともに、3人のお子さまを手元で育て、新たな皇室像を示されました。
昭和天皇の崩御に伴い、55歳で、今の憲法の下、初めて「象徴」として天皇に即位されました。
天皇陛下は、翌年の記者会見で、「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴として現代にふさわしく天皇の務めを果たしていきたいと思っています」と述べられました。
天皇陛下は、一貫して先の大戦と向き合われてきました。
毎年8月15日に全国戦没者追悼式に出席して、戦争が再び繰り返されないよう願うおことばを述べられています。
戦後50年を迎えた平成7年には「慰霊の旅」に出かけ、被爆地広島と長崎、そして地上戦が行われた沖縄などを訪ねられました。
さらに、戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪問されました。
天皇陛下の強い希望で実現した異例の外国訪問でした。
天皇陛下は、また、皇后さまと共に、全国各地の福祉施設を訪れるなどして、社会で弱い立場の人たちを思いやられてきました。
障害者スポーツにも強い関心を持ち、全国身体障害者スポーツ大会が開かれるきっかけを作るとともに、平成に入って皇太子ご夫妻に引き継ぐまで、大会に足を運んで選手らを励まされました。
大きな災害が相次ぐ平成の時代。
両陛下は、被害を受けた人たちに心を寄せ続けられてきました。
始まりは平成3年。
雲仙普賢岳の噴火災害で43人が犠牲になった長崎県島原市を訪れ、体育館でひざをついて被災者にことばをかけられました。
その後も、平成7年の阪神・淡路大震災など大きな災害が起きるたび現地に出向き、被災した人たちを励まされてきました。
おととしの東日本大震災では、発生から5日後にテレビカメラを通じて国民に語りかけ、その後、7週連続で東北3県の被災地などを回られました。
その後も再び東北の被災地を訪問するなど、天皇陛下は、皇后さまと共に国民に寄り添い、世界の平和と人々の幸せを願い続けられています。

③ 天皇陛下の歩み 前侍従長語る 12月23日 17時34分
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131223/k10014047971000.html 天皇皇后両陛下に10年余りにわたって仕えた前侍従長の渡辺允さんは、天皇陛下の80歳の誕生日を前にNHKのインタビューに応じ、「天皇陛下は、常に国民の幸せを願い、象徴として何をなすべきか考えながら歩まれてきた」と語りました。

この中で渡辺前侍従長は、天皇陛下が誕生日の会見で80年を振り返り最も印象に残っているとした先の戦争について、「天皇陛下は11歳で終戦を迎え、疎開先から戻って一面焼け野原となった東京の街を目にして大変強烈な印象を受けられたのだと思う。今の日本の平和や繁栄は、戦争で国のために命を落とした大勢の人たちの犠牲の上に成り立っているとお考えなのだろう」と述べました。
そして、「戦没者の霊を慰めたい、遺族ができるだけ幸せでいてほしいという気持ちで、長年慰霊などに取り組まれてきた。戦争と平和の問題は、天皇陛下のお気持ちの非常に深いところにあるもので、生涯をかけてこれからも取り組まれていくだろう」と話しました。
一方、平成3年に、長崎県の雲仙普賢岳の被災地を見舞って以来、阪神・淡路大震災や東日本大震災など、大きな災害のたび被災者を励まされてきたことについては、「国民の近くにありたい、国民と苦楽を共にし国民のために尽くそうという気持ちの表れだと思う」と述べました。
そのうえで、「交わすことばはひと言かふた言かもしれないが、あなたを大事に思っていますという気持ちを伝え、『今何が一番悲しいですか』『本当に大変ですね』などと心の会話をされている。ひざをついて被災者と同じ目の高さで話をされるのも、1人の人間としてきちっと相対してことばをかけ話を聞きたいという気持ちがあるからだろう」と語りました。
また、障害者など社会的に弱い立場の人たちに心を寄せ続けられてきたことについては、「苦しみや悲しみ、困難を抱えているにも関わらず一生懸命生きようとしている人たちに寄り添い、慰め、励ましたいという思いが根底にあり、長年実践してこられたのだと思う」と話しました。
そして、天皇陛下のこれまでの歩みについて、「常に国民一人一人の幸せを願い、皇室の伝統を踏まえつつ時代の要請に応えていくために、象徴たる天皇には何が期待され、何をなすべきなのかを考え、見いだそうとしながら、これまで歩まれてきたのだと思う」と語りました。

【関連して】天皇陛下お誕生日に際し(平成2年)
天皇皇后両陛下の記者会見(即位の礼・大嘗祭を終えられ)
    http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h02e.html

  会見年月日:平成2年12月20日
  会見場所:赤坂御所

宮内記者会代表質問

問1 始めに両陛下にお伺いします。即位の礼と大嘗祭が終了したご感想を先ずお聞かせ願います。それからまた,長期間にわたって儀式が続きましたが,ご体調はいかがでございますか。

天皇陛下
  即位の礼と大嘗祭が多くの人々の協力のもとで,滞りなく執り行うことが出来ました。関係者の人力に対し,
  また国民の祝意に対し,深く感謝の意を表したいと思います。即位礼正殿の儀には,多くの国々から元首や祝
  賀の使節が来て下さいました。旧知の方や,この度お会いした方々と言葉を交わし,短期間ではありましたが
  楽しいひとときを過ごすことが出来ました。深く感謝しています。各国と日本との理解,友好関係がこの機会
  に一層深まれば幸いと思っています。身体の具合については,良いように思います。

皇后陛下
  全てのお儀式が終わり,ほっといたしました。心を寄せて下さった大勢の方々に感謝し,これからの日々を陛
  下のお気持ちに添い,人々の幸せを祈って過ごしてまいりたいと思います。

記者
  お疲れではないですか。

皇后陛下
  ありがとう。長い期間にわたりましたので,初めは少し心配いたしましたが,おかげで何のさわりもなく過ご
  すことが出来ました。


問2 陛下にお伺いします。即位の礼を終えて57歳のお誕生日をお迎えになるにあたって,平成の皇室の今後の在り方,抱負をお聞かせください。

天皇陛下
  国民の幸せを念頭におき,たゆまずに天皇の道を進んでいらっしゃった昭和天皇をはじめとする,これまで
  の天皇に思いをいたし,日本国憲法に定められている日本国の象徴であり,日本国民統合の象徴として現代
  にふさわしく天皇の努めを果たしていきたいと思っています。


問3 陛下にお伺いします。即位の諸儀式の間に,厳しい警備体制がありました。市民生活にも色々影響がありましたけれども,どのようにお考えですか。

天皇陛下
  市民生活に影響があったということを,誠に心苦しく思っております。一方,長期にわたる警察官の労苦も
  大変なことであったと察しています。その尽力に深く感謝しています。誠に残念なことは,その間に尊い命
  が失われ,重傷者を含め負傷者が生じたことであります。遺族や負傷者の家族を思うと誠に心がいたみます。


問4 陛下にお伺いします。即位の礼と大嘗祭の実施にあたって,憲法の国民主権や政教分離の原則に触れるのではないかという意見もありましたが,この点については如何お考えでしょうか。

天皇陛下
  この問題については,政府で十分検討が行われたと聞いております。

記者
  今のお話に関連して,今回の大嘗祭は公費の支出をもって執り行われましたが,そういうなかで皇室に伝
  わる伝統的な儀式の内容をもう少し見たかった,公開して欲しかったなと,そういう声が大嘗祭が終わっ
  たあとに国民の間からでているが,陛下ご自身はどんなお考えをお持ちですか。

天皇陛下
  この問題については,宮内庁で儀式の性格を考え,十分検討したというふうに聞いております。それに従
  い私の意見は差し控えたいと思います。

記者
  大嘗祭では陛下は何を祈られたのでしょうか。

天皇陛下
  この儀式は五穀の豊穣と安寧を祈るという儀式です。


問5 陛下に伺います。常々国際親善を大切にされていらっしゃいますが,即位礼が終わりまして,4月末にも早速外国ご訪問という日程ものぼっていますが,外国ご訪問についてお考えをお聞かせください。

天皇陛下
  今後の世界はあらゆる国々が国際社会の一員として,国と国との交渉とともに,人と人との交流を通じて
  人類の幸福のために,住み良い世界を作っていかなければならない時だと思います。したがって,私の立
  場から外国の人々との理解と友好関係の増進に努めていきたいと思っています。今後の訪問に当たっては,
  政府の方で話が進められていくと思いますが,訪問に当たっては,そのような心掛けでやっていきたいと
  思っています。

記者
  陛下に伺いますが,日本国民も大和民族や沖縄の人達,アイヌの人達のほかに韓国,朝鮮そういったアジ
  アの国々,あるいは欧米からの帰化される方も増えてきている。うちなる国際化の中で,天皇,皇室の在
  り方はどのように変わっていくと考えられるか,またどのような天皇であろうと考えていらっしゃいます
  か。

天皇陛下
  日本国憲法にある日本国の象徴であり,日本国民統合の象徴という立場にあるわけでですから,これはあ
  らゆる日本国の国民である人々に対しては,すべて同じに考えていくという気持ちでおります。


問6 陛下に伺います。来年は立太子礼をお迎えになります皇太子様に,どのようなご活動をお望みになりますか。また,両陛下に伺います。皇太子様のご結婚への国民の期待も高いのですが,いかがですか。

天皇陛下
  成年に達して10年になり,その間皇族の努めを立派に果たしてきたことを大変うれしく思っています。
  皇太子としては,まだ日も浅いんですけれども,これまでに培ったものをさらに高めていくよう願って
  います。そして国のためや,人々のために努めを果たしていくことを願っています。結婚の問題につい
  ては,東宮職で色々検討されていることと思いますが,この問題によって,人に迷惑がかからないよう
  に,そっとしておいて欲しいと思います。特に事実無根のことで困っている人もいると聞いております。

皇后陛下
  私も,いま陛下のおっしゃったのと同じでございます。


問7 陛下に伺います。最近昭和天皇の独白録や側近日記などが,あいつぎ公表されていますが,ご感想をお聞かせ下さい。

天皇陛下
  寺崎御用掛の書き記したものは,読みました。昭和天皇の即位の礼の年には,張作霖爆死事件が起こっ
  ています。その後の日本は平和の方向には進まず,ご心痛やご苦労が深かったこととお察ししています。

記者
  今年で日米開戦から49年,ほぼ半世紀を経たわけですが,当時の陛下は小2でしたか。

天皇陛下
  1年いや,2年生です。

記者
  その時のことというのは,ご記憶にありますか,もしご記憶にありましたら,どういう形で開戦をお知
  りになって,どういうふうに受けとめられましたか。

天皇陛下
  戦争が始まったのを知ったのは,朝だったことは記憶しています。それ以外ははっきりした記憶はあり
  ません。当日の朝ですね,ニュースを聞きました。

記者
  ラジオですか。

天皇陛下
  ラジオのニュースです。


問8 陛下に伺います。新しい御所には迎賓施設も作られるなど赤坂御所とは趣を異にしたものとなりそうですが,新御所の使い方などについてお聞かせください。

天皇陛下
  まだ基本設計も出来ていない段階ですので,その使い方についてはお話しする段階ではないと思いま
  す。しかし国際的な交流も盛んになり,非公式に来日される元首や王族の方々をおもてなししたり,
  また皇族の休所などに使われる部分が新御所には必要と思われます。こういう問題については今後,
  宮内庁で検討を進めていくことと思います。

記者
  皇后様,女性の立場から,何か新しい御所にご希望ございますか。

皇后陛下
  今陛下がおっしゃったように,あのう,まだ何というか基本設計というものが出来ておりませんから,
  どのように申し上げてよいかまだ分かりませんし,私は余り良く分からないので,やはり宮内庁の方
  で考えてもらい,また大勢の人が働きますから,皆が仕事がしやすいような御所になるといいと思っ
  ております。


問9 両陛下に伺います。紀宮様は学習院大学の4年生に進まれますが,卒業後はお兄様方と同様海外留学をお望みなのでしょうか。また紀宮様のご結婚についてご両親としてのお考えをお聞かせください。

天皇陛下
  外国への留学という考えはありません。しかし,短期間の外国旅行などという機会を通じて,世界を
  知るという機会はあれば良いと思っています。結婚については本人の意思を尊重するとともに,その
  結婚が人々の祝福を受けるものでありたいものと思っています。

皇后陛下
  私も留学の希望は聞いておりません。紀宮が末っ子ということもあって,結婚はまだ先のことであっ
  て欲しいと思ったり,それは親の我がままかしらと思ったり,気持ちがまとまりません。陛下がおお
  せになったように本人の気持ちを大切にしていきたいと思います。

関連質問

問1 大変お忙しい日が続いて,魚類の研究も進んでおられないかと拝察しますが,本格的に,またやっていきたいと考えておられると思いますが,いつごろ再会できそうですか。

天皇陛下
  そうですね,今のところは,ちょっと中止しているわけですけれども,来年からは始めていきたいと
  思っております。


問2 祝賀御列のパレードを沿道で見ていた人のテレビ・インタビューの中に,皇后様はいつも美しいという声がありましたが,ご健康や美容法の秘訣をお聞かせください。

皇后陛下
  その質問は,今日出ると思わなかったので,余り何もしていないので,もう少しかまった方がいいと
  言われることがありますけれども。

記者
  天皇陛下はどう思われますか。

天皇陛下
  いつも自然にしているというところが,とてもいいと思います。


問3 憲法にかかわる質問ですが,宗教の自由について,今回の大嘗祭について政教分離の原則に触れるのではないかと反対論を述べた方の根底には,信教の自由が侵されるのではないかと心配や懸念があり,宗教の自由について,どのようにお考えですか。

天皇陛下
  この信教の自由はやはり憲法に定められたものでありますから,非常に大切にされなければならない
  と思います。


問4 即位礼正殿の儀で高御座にのぼられましたけれども,高御座については国民を見下ろすような形になるということで,憲法の国民主権の原則に違反をするのではないかという意見もあったのですが,実際に昇られてみて陛下はどんなお感じになられましたか。

天皇陛下
  高御座というものは,歴史的に古くから伝わっているものですけれども,そういうような儀式のひと
  つのものとして,そこへ昇りましたけれども,今のお話のような感情を持って昇ったわけではありま
  せん。


問5 万歳三唱がございましたが,天皇陛下万歳という言葉は,先の戦争でずいぶん若い人達が死んでいったわけですが,そのことを踏まえて,どんなお気持ちでお聞きになりましたか。

天皇陛下
  これはやはり,あの,政府で十分に色々検討して,こういう形が良いということになり,それに従っ
  たわけであります。そういうことはありません。私の世代はそれよりも後の時代に,そういうことと
  かかわりのない時代に長く生きてきているということが言えると思います。


問6 新しい宮家を作られた秋篠宮ご夫妻の新婚生活を,両陛下の目にはどういうふうに映っているかお教え願います。

天皇陛下
  やはり,あの,今,宮家を作っていくという努力を一生懸命しているというふうに感じています。私
  もこういうふうに育ちましたから,宮家というものについては十分に認識がありませんから,2人で,
  また色々の人々と相談しながら,しっかりやっていっているんではないかと思い,また期待していま
  す。


問7 両陛下として,今後天皇から皇后へお望みになること,皇后から天皇へお望みになること,こうしてほしいなということをお聞かせねがいたい。

天皇陛下
  まあやはり,今まで長い間一緒に過ごしてきたわけですから,そのままの気持ちでやることが私にと
  っても,一番幸せだと思っています。

皇后陛下
  やはり,本当に重いお仕事をお持ちでいらっしゃるのですから,ずっとご健康で,今まで私が見上げ
  てきた陛下と同じに,これからまた,そのお務めに,即位の礼の時におっしゃった通り,人々の幸福
  を願い,世界の平和を願って,これからの務めを果たすとおっしゃった陛下のお仕事が,ご健康で果
  たされていくようにお祈りしております。

天皇陛下
  いまの,そのままというのは非常によく努めてくれているという,そういう気持ちを持っていること。

皇后陛下
  ありがとうございます。


問8 陛下は憲法を守るということをおっしゃいますが,今まで話をお聞きしておりまして,大嘗祭,即位礼等について,政府が宮内庁が十分検討したからいいのだと,それが天皇の立場だと言われておりますが,陛下が今まで持ってこられた憲法を守るというような気持ちと,将来いろんなことで政府があるいは内閣がかわってくることも予想されると思うが,これに対して陛下が自分で考えていらっしゃった憲法を守るということを,どういうふうに反映されるか。

天皇陛下
  仮定というのは,やはりちょっと,やはりお答え出来ないと思います。

記者
  今の気持ちだけで結構なのですが。

天皇陛下
  ですから,憲法を守るということ,これにつきるわけでその憲法のいろいろな条項がありますけれど,
  それに沿っていくということになると思います。

記者
  今までと違って,これから多様な価値観に伴って,政府のやっていること,あるいは宮内庁のやるこ
  とに対して疑問もあるようですが,そんなことは先ずなかったのか。

天皇陛下
  やはりみんな,随分,一生懸命検討していると思います。

記者
  憲法上問題ないということもあるだろうし,陛下のやっていることは,そう違いないだろうし。

天皇陛下
  その憲法の判断は,やはり最終的には,最高裁判所で決められるということになると思います。