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折々の記 2013 ⑦
【心に浮かぶよしなしごと】

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【 09 】12/31

  12 31 自己総括  
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 12 31 (火) 自己総括  

今年85歳になった。 加齢の心境はその時にならないとわからないというのは、実感できる。 多くの朋友が亡くなった感覚は寂寞そのものとなった。

時の流れに身を任せた小さな支流にあって、痛感するのは人間本来の凡欲の醜さでした。

人は生まれ悩みながら馬齢を重ね死んでいく、‘ヘロドトスの言葉’だったろうか?  ‘悪法もまた法なり’というソクラテスの言葉も千金の重さをもって見に迫っています。

青春時代の希望とはいったい何なんだろうか?  砂上の楼閣を描くという言葉はどれほどの意味を人に与えるのだろうか?

アベノミックスの結末は旧来の唾棄すべき排他的料簡に基づいたものでした。

老生のバックボーンとなっていたのは、第二次大戦で痛感した殺人否認のスジを通すことにありました。 その上にたっての教育者としての矜持を貫くことにありました。

日本に生まれ育った意味は、そこに育ったものが身につけた長所を伸ばすことも一つの条件としていました。 言うならば日本文化を大事に伸ばすことでした。 たとえ他と比較して見られたときに優劣を度外視していてもよいのです。 比較思考は人としては悪い方向に進む一里塚にしかなりません。

日本文化というものはその根源から見てくると朝鮮半島の人々や中国大陸の人々文化の根源と軌を一にしたものに相違ありません。 これを東洋文化と言っても東洋思想と言ってもよいでしょう。

この文化の基礎になった考え方は、中国に生まれた‘諸子百家思想の世界’総じて儒教世界であり、もう一つはインドから中国が伝えた‘お釈迦様の教え’仏教世界です。

こうした中国に開花した儒教と仏教が東洋の精神文化としてめばえ、その恩恵によって日本文化は平安文化として根を張りはじめ殊に女流文化として花ひらき、以来連綿として今日まで