折々の記へ
折々の記 2015 ②
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】03/07~     【 02 】03/08~     【 03 】03/09~
【 04 】03/11~     【 05 】03/18~     【 06 】03/22~
【 07 】03/28~     【 08 】03/31~     【 09 】04/03~

【 08 】03/31

  03 31 春の畑の準備   ニンニクと玉葱の除草・畑の耕耘
  04 01 NYダウ平均株価 200ドル値下がり   どうなるか? ドル崩壊の予兆になるのか
  04 01 アジア投資銀、日米抜き 創立表明   あきれ果てた!! 日本はやっぱり金魚の糞
  04 01 政治に思いを届けるには   民主主義を研究するピエール・ロザンヴァロン
  04 01 漱石からの挑戦状   文芸欄で教養爆発

 03 31 (火) 春の畑の準備   ニンニクと玉葱の除草・畑の耕耘

晴天に恵まれた。

道下の畑の玉葱とニンニク除草して気持ちよくなった。 今年は二月中下旬玉葱用追肥の肥料を二回したら、ぐんぐん肥大した。 子どもと同じで手を入れてやれば野菜はその結果を表すという。 そのとおりを実感した。

家裏の畑へ籾殻をトラック一台分散布して耕した。

気持ちのいい一日でした。

 04 01 (水) NYダウ平均株価 200ドル値下がり    どうなるか? ドル崩壊の予兆になるのか

朝一番にNHKニュースを開いてみると、「NYダウ平均株価 200ドル値下がり」が目に飛び込んだ。

NHKニュース 2015年(平成27年)4月1日[水曜日]
トップページ> Businessニュース> NYダウ平均株価 200ドル値下がり

NYダウ平均株価 200ドル値下がり
   どうなるか? ドル崩壊の予兆になるのか
   4月1日 6時02分
   http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150401/k10010034831000.html

31日のニューヨーク株式市場は、製造業に関する経済指標が市場の予想より大幅に悪く、景気の先行きに慎重な見方が出たことから売り注文が広がり、ダウ平均株価は200ドル値下がりしました。

31日のニューヨーク株式市場は、この日発表された製造業に関する経済指標が市場の予想より大幅に悪かったため、景気の先行きに慎重な見方が出ました。

このため、製造業の銘柄を中心に売り注文が広がり、ダウ平均株価は前日より200ドル19セント安い1万7776ドル12セントで取り引きを終えました。

市場関係者は「製造業の指標がよくなかったのは、外国為替市場でドル高が進みアメリカ企業が輸出に不利になったためだとの指摘があり、収益が圧迫されることへの懸念から売り注文が相次いだ」と話しています。

東証一部
 日経平均
19,206円99銭
204円41銭
31日 15:28
 TOPIX
1,543.11
14.66
31日 15:00
 出来高
2,364,250,000株
-
31日 15:02
 騰落銘柄数
836
910
31日 15:02

外国為替
 USドル
1ドル= 119円98銭~120円08銭
1日 06:29
 ユーロ
1ユーロ= 128円88銭~128円96銭
1日 06:30

海外市場
 ニューヨーク・ダウ
17,776.12
-200.19
31日 16:35
 NASDAQ
4,900.884
-46.557
31日 17:16
 ロンドン(FT100)
6,773.04
-118.39
31日 16:35


 04 01 (水) アジア投資銀、日米抜き 創立表明    あきれ果てた !! 日本はやっぱり金魚の糞

3月31日になってUSAに続いて日本はAIIB加入表明になるだろうと思っていた。

ところがやっぱり日本は、USAという金魚の後についている「金魚の糞」だった。 どうしてAIIBへ加入しないのか一言も説明らしきものを聞いていない。

哀れと言うしかない。

大企業の金融政策による、信用紙幣の貨幣経済はいつでも陰謀の操りによって景気づけをしてきた。 平和な金融システムを回復するには、基本的に金本位制に基づくことが望ましい。 やがては、AIIBによって金本位制への修正以降が行なわれることを望んでいた。

金融制度の修正をどうしていったらいいのだろうか、それが大きな、大きな課題で残されていきます。

2015年4月1日05時00分 (時時刻刻)
アジア投資銀、日米抜き 創立表明
   <あきれ果てた !! 日本はやっぱり金魚の糞
   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11681169.html

   AIIBの参加表明は48カ国・地域にのぼる
 欧州13 東南アジア
 諸国連合10
 中東・
 アフリカ7
 南アジア6 アジア4 中央アジア4
 英国 インドネシア オマーン パキスタン 中国 カザフスタン
 イタリア カンボジア ヨルダン インド 韓国 ウズベキスタン
 フランス シンガポール カタール モルディブ 台湾 タジキスタン
 ドイツ タイ クウェート ネパール モンゴル キルギス
 スイス ブルネイ サウジアラビア バングラディシュ - -
 ルクセンブルク フィリピン トルコ スリランカ - -
 オランダ ベトナム エジプト - - -
 オーストラリア マレーシア - - - -
 デンマーク ミャンマー - - - -
 フィンランド ラオス - - - -
 ノルウェー - - - - -
 スウェーデン - - - - -
 グルジア - - - - -

 中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)の創立メンバーの募集が31日、締め切りの期日をむかえた。欧州や韓国がなだれを打って参加したことに、米国の孤立感は深まる。日本にとって、待つのが得か、動くのが得か。(後掲)▼オピニオン面=社説

 ◆米、戦略欠き孤立招く

 AIIBの融資基準や運営手法に懸念を示してきた米国だが、いまや孤立は明らかだ。30日から31日にかけても、フィンランドにノルウェー、スウェーデンが名乗りを上げ、台湾までも申請すると発表した。

 米政府内では当初から様々な意見があった。だが、意見を集約し、一貫した戦略を作った様子はうかがえない。元政府高官は「ホワイトハウスの数人の強硬派の意見が強く、財務省や国務省とうまく連携が取れていなかった」と指摘。ある米政府関係者も「最初の段階から、もっと前向きに対応すべきだった」と話す。

 米国はオーストラリアや韓国などに対し、参加の判断を慎重にするよう求めてきた。だが皮肉なことに、米国と最も緊密なはずの英国の参加表明で、主要国が堰(せき)を切ったように中国側に流れた。アジア開発銀行(ADB)関係者は「『一枚岩で対応しよう』と主要国を引っ張る姿勢が米国にみえなかった。AIIBという機関車に主要国が一緒に立ち向かうはずが、日米以外が直前に逃げ出した」と話す。

 AIIBを後押しした背景に、中国など新興国の発言権拡大を狙った国際通貨基金(IMF)の改革が、唯一の拒否権を持つ米国の議会の反発で進んでいないことがある。2010年にまとまった改革案が通れば、中国の出資比率が6位から米国、日本に次ぐ3位になるはずだった。米民主党の議会スタッフは「米国のオウンゴールだ」と言う。

 政治学者のイアン・ブレマー氏は「中国主導の枠組み作りが成功すれば、米国主導の従来の国際秩序を弱体化させることにつながる」と指摘する。「長期的にみれば、自国の基準を変えなければならなくなるのは米国だろう」 (ワシントン=五十嵐大介)

 ◆日本は「様子見」 米動向や組織像

 31日、麻生太郎財務相は会見で、AIIB参加について「極めて慎重な姿勢を取らざるを得ない」と述べ、不参加の方針を示した。

 年明け以降、財務省のもとに、中国・米国双方から水面下で接触があった。中国側が参加を要請する一方、米国側は直接的に不参加を求めてきたわけではないという。「別に要請はなかったが、『そうだよな』で(話は)終わった」(麻生財務相)という。

 財務省のある幹部は「米国とこじれると何をされるか分からない。それは避けたい」と明かす。中国の経済成長に伴い、米中は安全保障分野だけでなく、経済分野でも覇権を争う。その米国とたもとを分かち、日米で主導するADBのライバルのもとに走る選択肢はそもそも取りえなかった。

 政権は当面、参加表明国がAIIBの設立協定を結び、組織の運営や出資比率などが決まる6月末までは「様子見」の姿勢だ。不参加の場合、AIIBの融資を受けた案件の入札で日本企業が不利な扱いを受けかねない、との懸念もある。経済同友会の長谷川閑史代表幹事は31日の会見で「インフラビジネスが不利になることだけはないようにしていただきたい」と注文をつけた。

 米国が突然参加に転じ、日本がはしごを外されないとも限らない、との見方も政府内にはある。「米国が入るなら日本が入らない選択肢はない」(官邸幹部)と、「半身」の姿勢だ。

 安倍晋三首相は31日午前、自民党の外交部会の幹部に対し、AIIBに対する日本のスタンスについて「大いに活発に議論して欲しい」と指示したという。

 ◆増える参加国、中国に制約も

 各国が雪崩を打つように参加表明した流れをつくった英国。英紙フィナンシャル・タイムズによると、当初、日米との関係に配慮する英外務省は反対していた。だが、オズボーン財務相が、商業的な利益が外交上の懸念にまさると閣僚らを説得したという。

 英国側が期待するのは、国際市場で増え続ける人民元取引を取り込むことだ。英王立国際問題研究所のロデリック・ワイ氏は「(金融街シティーがある)ロンドンの競争力につながるのも期待の一つだろう」とみる。

 新興国の代表格「BRICS」から参加したロシアは当初、中国の影響力が強まりすぎることへの警戒があった。だが、中国の突出した経済力は無視できない。IMFや世界銀行が米欧主導になっていることへの不満も、共有している。中国が進める「シルクロード経済圏」構想に参加するためにも、AIIBに加わったという見方もある。

 思惑通りの展開に見える中国だが、「本当に難しいのはこれから」(国際金融筋)との声もある。参加国が増えればその分、中国の発言権は薄まるからだ。

 参加国には、銀行の運営に高い透明性を求め、中国の独走にブレーキをかける動きもある。オーストラリアは「理事会の権限が確保され、一国が銀行を支配できないこと」を正式参加の条件とする。中国の楼継偉財務相は、運営の仕方について「西側の規則が最良とは思わない」と述べており、「中国流」の運営にこだわりをのぞかせる。(ロンドン=寺西和男、モスクワ=駒木明義、北京=斎藤徳彦)

 ◆キーワード

 <アジアインフラ投資銀(AIIB)> 中国が提唱し、今年12月末までの設立をめざしている。本部は北京に置き、アジアのインフラ需要に対応することを目的にしている。昨年10月の設立覚書には中国やインド、東南アジアなどの21カ国が調印した。その後、英国やドイツなども参加を表明。これまでに48カ国・地域が創立メンバーに手を挙げている。法定資本金は1千億ドル(約12兆円)で、出資比率は各国の経済規模などをもとに話し合うと言われる。4月中旬に創立メンバーが確定。5月ごろに設立協定策定の最終会合があり、6月末までに協定署名のための閣僚大臣会合が開かれる。 この記事に関するニュース

  アジア投資銀に48カ国・地域 日米抜き、戦略欠き孤立(3/31)   (いちからわかる!)AIIBという銀行ができるの?(3/31)   アジア投資銀行、参加ドミノ ブラジル・ロシアに豪州も(3/28)   米、世銀などとの共同出資事業提案 中国主導のインフラ銀に(3/24)   中国主導のアジアインフラ銀に仏も加盟検討 外相会見(3/15)   アジアインフラ投資銀行、どう向き合う 3氏に聞く(11/9)   アジアインフラ投資銀行、日中米韓の識者に聞く(10/26)



(後掲)▼オピニオン面=社説
AIIB 関与は十分だったのか
   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11681087.html

 中国が主導する国際金融機関「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」の設立協議に、欧州を含む国々が参加を表明している。日本は、中国主導の新銀行は組織の透明性などに疑問が残るなどとして、参加には慎重なまま、中国が「創立メンバーになる締め切り」としていた3月末を迎えた。

 AIIBの資本金は将来的には1千億ドル(約12兆円)。経済成長を続けるアジアの新興国は、インフラ整備のために膨大な資金を必要としている。大切なのは、AIIBが望ましい貸し手になるのかどうかだ。

 AIIBの本部は北京に置かれ、初代総裁は中国が出す方向だ。意思決定の方法や融資の基準など具体的な仕組みは、参加を表明した国々の協議で決まる。世界銀行やアジア開発銀行(ADB)は、融資対象の事業が環境破壊や人権侵害を招かないかなどを審査している。AIIBもそんな配慮をするのか、注視しなければならない。

 透明で公正な運営が担保されるなら、日本がAIIBに出資することも選択肢の一つになる。日本が最大出資国であり総裁も出しているADBが、協調融資などでAIIBと協力することも検討に値する。

 従来、欧州諸国や有力新興国の多くも、AIIBへの参加に慎重だったが、ここにきて参加を表明する国が相次いだ。中国との関係を密にすることの経済的メリットを重視した国があるのは確かだろう。

 だが、気になるのは、AIIBの運営方法などについての中国の考え方が改善してきたことを指摘する国がある点だ。

 中国が一昨年にAIIBの設立を提唱してからこれまで、日本は中国とどのように意見交換し、どんな情報を得ているのか。麻生財務相はきのうも国会で、融資基準などについての質問に、中国から「返事は来ていない」と答弁した。このところの日中政府間関係の脆弱(ぜいじゃく)さが情報収集に影響してこなかっただろうか。

 日本がAIIBに参加するにしても、見送るにしても、政府はその判断の根拠を、国民に説明する必要がある。そのためにも、中国への関与は、希薄であってはならない。

 戦後の国際金融は米欧を中心に動いてきた。日本は長年、米国とともに歩むことで一定の地位を保ってきてはいる。しかし、中国の台頭で、その秩序は大きく変わろうとしている。今後、日本はどういう立ち位置をとるのか。AIIBはそんな問題を日本に投げかけている。

 04 01 (水) 政治に思いを届けるには    民主主義を研究するピエール・ロザンヴァロン

2015/03/30 一昨日の夜、第44回「かえるのかい」 政局の渦巻き、こんな渦巻きの様子は87歳を迎える今年まで出会ったことはない。 老生のボヤキである。

日本の民主主義は民主主義ではない。 なぜなら国民の厳粛な信託をえて国会議員になったのだから、国会議決に際して政党による党議拘束は合理に反し民主の意義から逸脱している。

投票率が低下し、無党派層が多くなるのは理にしたがっている。 日本の民主主義は恥ずべき様相を呈しています。

今度の選挙には棄権したほうがいい。 棄権もひとつの意思表示の方法である。 一昨日はそんな話までしたところでした。

混濁の政局、良心ある国民のやるせなさ、どうしたらいいのでしょうか

2015年4月1日05時00分 (インタビュー)
政治に思いを届けるには
   民主主義を研究するピエール・ロザンヴァロンさん
   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11681077.html

 選挙で代表を選び議会に送り込む。それだけでは民主主義はうまくいかなくなっている。政党は方向感覚を失ったり、ポピュリズムに走ったり。代表されていないと失望した有権者は投票所から遠のく。危機の代表制民主主義を選挙以外の方法で支えなければ。フランスの民主主義研究の大家はそう説く。

 ――先進諸国で投票所に足を運ぶ人が減っています。人々は政治や民主主義に失望を深めているのでしょうか。

 「たしかに投票率は低下しています。けれども、たとえば街頭に繰り出してデモをする人は増えています。政治への関心が弱まっているわけではないのです」

 ――日本でも、4年前の東日本大震災と福島第一原発の事故以来、人々がデモや集会で主張をする機会が再び増えています。

 「人々は、政治の世界が社会をちゃんと代表していない、社会からの言葉に耳を傾けていない、と感じています。自分たちの言葉を届けるには、投票以外の方法も必要だと意識しているのです」

 ――民主主義というと、すぐに選挙や議会のことを思い浮かべがちですが。

 「フランス革命のころの辞書を見ると、『デモクラシー』は『古代の体制』などとなっていて、古代ギリシャの都市などが例に挙げられています。当時は直接民主制を指す『古い言葉』という扱いでした。そもそも革命期には使われること自体がまれ。語られたのはもっぱら『代表制』です。けれどもそれをデモクラシーとは呼んでいない」

 ――それがなぜ民主主義の代名詞に?

 「当時のフランスはすでに2500万の人口を擁する大国でした。だから実質的な理由で代表制のシステムを採用した。大きな国では不可能な直接民主制を技術的に代替する仕組みとしてです」

 「ただ同時に、代表制の選択にはこんな考えもありました。人民自身は学がない、だから代表する者たちは、他の人と違ってすぐれた者たちでなければ――」

 「代表制の中には、二つが入り交じっていました。つまり代表する者は、代表される者たちと同じようでなければならない、縮図であるべきだという同等の原則。それと、代表する者たちは教育があり賢くなければならない、いわば特別な人たちという貴族制的な意味を帯びた相違の原則。代表制の歴史は、この二つの間で揺れ続けました」

    ◆     ◆

 ――それでもそれなりに機能してきたはずですが、近年、うまくいかなくなっているようです。

 「政党が変わったのです。代表制は、政党が社会を代表する役割を担っているときはうまくいった。欧州だと、労働者の党、上流階級の党、商店主たちの党などがあり、人々はこれらの政党に代表されていると感じていました」

 「ところが、20年ほど前から政党が社会を代表しなくなった。理由は二つ。まず社会がより複雑になって代表できなくなった。たとえば社会の個人化。階層や社会集団によって構成されているときは、代表制はより簡単でした」

 「それだけではない。政党が代表するのではなく、統治する機関になったからでもあります」

 ――どういうことでしょう。

 「議会がその本質を変えてしまいました。歴史的には、熟議の場所、社会の声を聴かせる場所のはずでした。ところが今日、そこは政府への支持か反対かが演じられる場所になった。もはや大問題について議論する場所ではない」

 「政党と社会の関係が逆転したかのようです。政党は今、政府に対して社会を代表するより、社会に対して政府を代表しています。与党は、社会に向かってどうして支持しなければならないかを説明し、野党はどうして批判しなければならないかを説明します。だから、社会には代表されていないという感覚が生まれました」

    ◆     ◆

 ――著書の中で代表制民主主義には松葉杖が必要だと指摘していますね。それはなんでしょうか。

 「人々が声を表明できる新たな方法が要ります。私はそれをカウンター・デモクラシー(仏語でコントル・デモクラシー)と呼んでいます」

 ――人々の声を表現する選挙以外のさまざまな仕組みや手段のことですね。デモ、市民団体の活動、新旧のメディア、各種の独立委員会……。著書で、その積極的な意味への注目を促していますが、カウンターという言葉には、代表制民主主義と向き合うという意味をこめているのでしょうか。

 「カウンター・デモクラシーは政府を牽制(けんせい)したり監視したり批判したりといった機能を担います。たとえば、政策への抗議のデモだとか、権力を批判し監視するNGOなどもそれにあたります」

 「またメディア。政党がしっかり社会を代表しているときよりも、政党の役割が変わり、社会が十分代表されていない今のほうが重要です。取材によって政府を牽制することに寄与し、政治的な言動を読み解く役割を担います」

 ――司法や第三者委員会や独立委員会といった組織などにはどんな役割が?

 「代表制は、多数決の民主主義ですが、多数派は社会のすべてではない。選挙で棄権が増えている今は、とりわけ多数決方式以外にも社会を代表する方法が必要です。たとえばフランスの(立法の合憲性の判断などをする)憲法評議会。これが代表するのは民意の記憶といえるかもしれない。今の社会を創った原理を代表しています。しかし、それはそのときどきの民意の代表とは違う。また、独立委員会などは、公平の原則によって社会の原理を代表します」

 「政治は、与党と野党の利害の間で決着をつける。けれども、社会が公正公平を求める領域もある。たとえば公共放送。それは政府のテレビであってはならない。多数決原理に基づく代表制以外の次元があるのです」

 ――政府を牽制したり、監視したりといった役割は、政党も担っていたはずでは。

 「しかし政党はその役割を政局的にしか演じない。市民は、さまざまな問題を個別に論じてほしいのに、政党は全部まとめて政府を支持するか批判するか」

    ◆     ◆

 ――カウンター・デモクラシーに意味があるとしても、正統性の問題があります。政治家たちはそれを独占しようとしがち。選ばれたのはわれわれだ、デモをしている人たちではないと。

 「認可されて得られる正統性と実行して得られる正統性を分けて考えるべきです。選挙では代表としての役割を認められて正統性を得ます。しかし、それは日々、証明しなければなりません」

 「(仏第二帝政の皇帝)ナポレオン3世は報道機関を批判してこう言ったことがある。『私は報道の自由に反対だ。なぜなら記者たちは選ばれていないから。選ばれた者だけに人民の声を代表させるため報道の自由を廃止したい』。問題がどこにあるかわかるでしょう。認可の正統性と実行の正統性の混同です。社会の声は、どうしたって多数派の代表者の声にはおさまりきらない」

 ――カウンター・デモクラシーとともに、民主主義はもっと複雑になりませんか。

 「そうです。民主主義というのは簡単な仕組みではない。フランスの思想家トクヴィルは、普通選挙と多数決原理で政治はシンプルになると考えていました」

 「逆に私は、民主主義が機能するには多様化しなければならないと思います。市民もそのことをわかっています。もしだれかが『私は選挙に勝ったので、テレビには私の党の意見を表明させる』などといっても、市民は同意しないでしょう」

 ――代表制とカウンター・デモクラシーは相互に補完しなければならないということですか。

 「その通り。選挙での投票は、期待通りに行動してくれそうな人への『信頼』を表明すること。カウンター・デモクラシーは『不信』感を通して、制度に一種の試験をすること。民主主義は2本の足で立つ。一つは『信頼』、もう一つは『不信』。前者を代表制が、後者をカウンター・デモクラシーが引き受けるのです」

    *

 Pierre Rosanvallon 1948年生まれ。コレージュ・ド・フランス教授。著書に「カウンター・デモクラシー」「民主的正統性」など。

 ◆取材を終えて

 選挙で棄権が増えるのは、有権者の政治意識が低いからか。むしろ代表制自体が問題を抱えるにいたっているからでは、とロザンヴァロン氏は問いかける。

 日本にも当てはまるだろう。原発の行方や特定秘密保護法、憲法……。われらが代表たちは、われわれを代表しているか。そんなことに悩むどころか、一票の不平等は放置、デモの声は騒音扱い。

 民主主義も簡単なほうがいい。だが、うまくいかないなら選挙だけに注目する「すっきりした民主主義」より「にぎやかな民主主義」を、というわけだ。カウンター・デモクラシーの多様な手段を付け足しではなく選挙と並ぶ柱と見る。民主主義に失望しないためにも必要な視点だ。(論説主幹・大野博人)

 04 01 (水) 漱石からの挑戦状    明治大学教授・斎藤孝

2015年4月1日05時00分 文芸欄で教養爆発
漱石からの挑戦状
   明治大学教授・斎藤孝
   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11681096.html

 きょうから「文化・文芸」面が始まります。夏目漱石が「文芸欄」を創設したのは今をさかのぼること約1世紀。漱石は文化をどのようにとらえ、読者に何を伝えようとしたのか。読書や教養の大切さを説く斎藤孝さんに聞きました。

 漱石は読者に本気で球を投げていた。「それから」にはラテン語や漢語、西洋の知識人の名がちりばめられ、遠慮なく教養を爆発させている。国語力が高い人も低い人も、漱石に合わせようと頑張っていたのだろう。捕れない球もあっただろうが、みんな食らい付いていった。

 漱石は「もし日本に文学なり美術なりが出来るとすれば是(これ)からである」と文芸欄に書いた。新聞は国民に日々、直接訴えられるメディア。朝日新聞に入社したのは、国民、そして日本全体を教育する志があったからではないか。

 日本は西洋には及ばないのか、と漱石は悩む。講演「私の個人主義」を読めば、西洋をまねしなくていい、「自己本位」でいいと気づいて、ようやく陰鬱(いんうつ)な嚢(ふくろ)の中から飛び出せた、とわかる。自分たちの手で自分たちの文化を作るという気概があった。

   講演「私の個人主義」青空文庫   ここへジャンプできます

 サッカー日本代表が世界上位を目指すように、漱石は日本の文化のレベルを上げようと努めた。文芸欄で若手に執筆させたのは選手を選ぶ監督のよう。自分でも書くのだから、選手兼監督といえるだろうか。

 漱石は後進の本に言葉を贈った。客寄せで解説者。作者への勇気付けでもあった。芥川龍之介は「鼻」を漱石に激賞されて文壇での成功をつかみ、中勘助は「銀の匙(さじ)」を漱石に送り、励まされて自信をつける。

 浮世から少し離れたところにあるのが教養の良さ。この世は世知辛い。漱石自身、金の貸し借りなど浮世の義理に苦労した。どこに心の安らぎを求めたか。それが小説であり、音楽や美術などの文化だった。教養は漱石自身が生きるために必要だった。そして文化の厚みを増すことが日本を発展させていくという確信があったのだと思う。

 SNSでつながる現代は水平のコミュニケーションが多く、同じレベルでのおしゃべりを好む。しかし今でも日常に疲れたら、音楽や美術、小説を求めている。私たちはわかりやすさを求める時代に生きているが、心のどこかで漱石が伝えようとした、より深く広い世界を見たいというあこがれを持っている。(聞き手・中村真理子)

     *

 さいとう・たかし 1960年生まれ。専門は教育学、コミュニケーション論。「声に出して読みたい日本語」がベストセラーに。

 ◆自由なサロンの雰囲気

 明治も後半になると、教育制度も整い、高等学校や大学の卒業生が輩出、知的大衆というべき層が勃興してきた。現代に通じる大衆社会の出現である。新聞にも変化が求められた。

 漱石を擁する東京朝日は、従来の事件事故、政治記事だけでなく、文芸、思潮などの動向、つまり文化ニュースに注目、第3面下にまとめる固定欄を設けた。今の文化・文芸面につながる文芸欄だ。漱石は小説記者として入社したのだが、この欄の事実上の編集長でもあった。

 漱石はベルリン留学中の寺田寅彦あての手紙で「文芸欄の性質は文学、美術、音楽、なんでもよし。ハイカラな雑報風なものでも、純正な批評でもいい」と書く。

 発足した日、1909(明治42)年11月25日の文芸欄は、漱石が、弟子の森田草平の小説「煤煙(ばいえん)」についての評論を載せ、泉鏡花の連載小説「白鷺(しらさぎ)」、さらに海外文化のこぼれ話が加わった。

 漱石は自ら評論や展覧会評を書いたほか、弟子や知人、新人に声をかけた。漱石の名声と人脈により、多彩な顔ぶれがそろい、文芸欄は、自由なサロンの雰囲気をもった。(牧村健一郎)

 ◇「知的好奇心の交差点」に

 文化・文芸面は漱石の自由な精神に学びつつ、古今、硬軟、さまざまな「知」が出会い、火花を散らす「知的好奇心の交差点」となる紙面をめざします。

 基本メニューをご紹介しましょう。月曜は新企画「今こそ○○」。過去の作家や思想家、芸術家などを学び直し、今を考えます。火、金曜はニュースを。最前線の文化を伝え、社会事象を批評的に読み解きます。水曜は寄稿やインタビュー、木曜は「歴史・こころ」の日。曜日ごとの割り振りは、時々のできごとに応じて変える場合もあります。週5回、文化・文芸面をお楽しみください。