折々の記へ
折々の記 2015 ⑤
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】06/12~ 【 02 】06/19~ 【 03 】06/21~
【 04 】06/24~ 【 05 】06/27~ 【 06 】06/29~
【 07 】07/01~ 【 08 】07/03~ 【 09 】07/07~
【 03 】06/21
06 21 安全保障法案は廃案しかない WEBRONZA 立憲主義の否定、国民主権をないがしろにする政権
06 22 きょうは夏至、 明日は沖縄戦終結の日
鉄の暴風、心も食い殺された (戦後70年 戦世を生きて:4)
06 22 戦後70年ニッポンの肖像 NHK連載
06 23 「この夏までに成就させる」…成立のめどはまだ立たない 安全保障関連法案
① (注目!安保国会)22日
② 「違憲」元法制局長官も
③-1 首相「丁寧な審議」強調
③-2 「丁寧ではない」69%
④ 安保法案 違憲の疑いは晴れない
⑤ 元法制局長官質疑 識者2氏どう見た
06 21 (日) 安全保障法案は廃案しかない 立憲主義の否定、国民主権をないがしろにする政権
きょうもWEBRONZAの(テーマ)記事を取りあげた。
‘朝日新聞デジタル有料会員の方なら、ログインするだけでWEBRONZAの全コンテンツをお楽しみ頂けます’という謳い文句があり、折々に見ることにしている。
この中で
政治・国際 経済・雇用 社会・スポーツ 科学・環境 文化・エンタメ
五つのジャンルがあり、主として「政治・国際ジャンル」「経済・雇用ジャン」を選ぶのだが、それぞれ連載一覧のまとめもある。
したがって
「政治・国際ジャンル」を見ると 27 連載ジャンルがあげられ
「経済・雇用ジャン」は 23 連載ジャンルがあげられている。
この中から、気にいった(テーマ)を選定します。
なかなか有益に内容であり、市民として大事な時事問題としての考え方の方向を理解するのに役に立ちます。
【明日をひらく、知の空間】WEBRONZA (テーマ)安保法案、政府の「合憲論」に根拠はあるか
安全保障法案は廃案しかない
立憲主義の否定、国民主権をないがしろにする政権
2015年06月13日 熊岡路矢氏と考える安全保障
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2015061300001.html
――これまでの安保法制をめぐる国会審議をどう見ていますか。
5月26日以来、安保法制の国会審議が進んでいますが、重要な問題と欠陥が明らかになってきたと思います。全体として、政府側の憲法軽視をふくむ「立憲主義」否定、そして「国民主権」をないがしろにするような拙速で傲慢な姿勢が目立っていると感じます。このまま数の論理、日程ありき(安倍首相の米議会での“約束”)で進めば、将来に大きな禍根を残すことは間違ありません。結果は全国民に及びますが、もっとも影響を受けるのは青年層であり、若い人々の命がかかっています。
国会内の多数派は社会の少数派
各種の世論調査も参考にして冷静に考えれば、政府・与党、国会内多数派による安保法制推進も、国、社会の中では、少数派です。それははっきりしています。「そもそも法案内容がよく分からない」という意見も、各年代層からよく聞きます。分からない方が悪いと言わんばかりに、11本もの法案を短期間に通そうとして暴走するより、廃案を考慮すべきでしょう。また、国会での審議を続けるなら、憲法・法律の専門家、国連、NGO関係者、ジャーナリスト、元自衛隊員ふくめ、戦争の現実をよく知る者に加えて、学生・青年層からも参考人を必ず招致し、議会が直接その考えや思いを聞くべきです。
まず、内容面では、戦闘行動を取る可能性のある米軍など同盟国軍の後衛を支援するだけなので、戦闘そのものに参加する訳ではない、したがって、自衛隊員へのリスクは、変らない、もしくは「安全」という考え方が大きな問題です。リスクに関する答弁も二転三転しています。 それは非現実的な、希望的観測です。
米軍と戦う相手側は、彼らが政府軍であれ、非政府の武装組織であれ、当然、後衛(この場合は、自衛隊)もふくめて、戦闘単位であり戦闘対象と見做します。戦闘を行う前衛―これを兵站で支える後衛をふくめ、一体の戦闘ユニットなのは、明白です。むしろ、後衛(兵站部門)を叩くことを優先することもあります。相手軍・武装組織は、当然、兵員・武器を輸送し、燃料、水、食料などを補給し、医療を行う後衛にも攻撃を加えます、したがって、自衛隊/隊員へのリスクは、変わらない、減る、すこし増える(答弁者によって、ばらついてもいる)などというのは、欺瞞的な説明で、自衛隊/隊員に対しても、議会・議員、国民に対しても、きわめて不誠実な態度だと思いました。
また、6月4日に衆院憲法審査会の参考人として招かれた、長谷部恭男早稲田大学教授、小林節慶応大学名誉教授、笹田栄司早稲田大学教授はいずれも、昨年来の集団的自衛権を認めた憲法解釈変更に基づく安保法案について、違憲であると批判しました。これに対して、政府側は、違憲ではない、と言うだけで、根拠を示せていません。政府側の言う、砂川裁判(最高裁)での判決に関しても、集団的自衛権の執行は可能だという憲法学者は圧倒的に少数です。「昨年来の閣議決定=集団的自衛権容認が違憲ではないと主張の憲法学者もたくさんいる」というが、具体的な名前は、数人しか出てこなくて、最後は「問題は数ではない」という始末です。(菅官房長官)。端的に言えば、この法案の方向に賛成の人々も、反対の人々も、半数を大きく超える人々が、日本の基本・基盤である、憲法9条の論議から進めるべきだと、考えています。
さらに、政府説明に、「法理と政策は異なる」(したがって判断の幅はある)、あるいは、その時の首相、政府の解釈・判断の幅がある、という答弁をふくめて考えると、一旦この法律が通ってしまえば、時の政権の解釈で、特に「武力行使の新3要件の1である「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態(存立危機事態)」の解釈次第で、どの地域のどの戦争・戦闘にも関われる(自衛隊派遣を行える)ということになる可能性は非常に高いわけです。
憲法学者の意見への軽視・蔑視には、憲法や法律を軽んずる、強い反知性の姿勢を感じます(国会議員は、国家公務員として、日本国憲法を遵守する義務を負っているはずです)。 また安倍首相の「はやく質問しろよ」などの野次に関しては、高揚なのか感情的な性格なのか、ある種の高慢と攻撃性さを感じてしまいました。政府のトップ、自衛隊の最高指揮官である特別な地位につく人間には、難しい局面、混乱した状況においても、常に理性的・知性的で、冷静に物事に対処できる資質が求められているはずです。憲法は、人々を支配するものではなく、権力とその暴走を制約するものです。
――紛争地や難民支援などの現場から見えるものとの大きな距離感を感じませんか。
そうですね。国際協力の現場に話を戻しますと、日本としては、政府系援助機関も、NGOも、90年代以降定着してきた人道を基本に、紛争、貧困、環境、人権の問題に取り組むことが希望につながると考えています。理想的にすぎると言われるかも知れませんが、非暴力のガンジーの思想・行動から学ぶ、あるいは、紛争がつづく、パキスタンでの医療活動や支援大干ばつに見舞われたアフガニスタンの村々での水源確保事業などに取り組む、ペシャワールの会(現地代表:中村哲医師)のような事例もあります。
こうした姿勢や事例を理解し広めるには、国益より世界益=地球益を重視して国際協力を行うこと、武器無しで動くことの方がクールだということを広められるかどうかが一つのポイントだと思います。ガンジーでいえば、非暴力で相互扶助活動や、デモ・集会を続け、最終的にはイギリス帝国主義の植民地支配から脱するという、最高の運動を主導したわけですから、非常に魅力的なあり方です。直近のイラク戦争をふくめ考えれば、戦争は、戦場で始まる以前に、大国の資源への強欲や、軍産複合体の利益から始まります。一旦始まった戦争や戦闘を、その地で食い止めるのは多くの場合、非常に難しいです。
米軍幹部も認める軍事的アプローチの限界
「非暴力で」といえば、「きれいごとを言うな。IS=イスラム国に対して、非武装で対峙できるのか」、という話になってしまう。これは難しいポイントですが、米軍幹部も、米軍などの攻撃や空爆で、ISがなくなると思わないと言っています。軍事攻撃や空爆を重ねれば、一般市民の犠牲者は増え、家族を殺された恨みから反米戦士になる人は後を絶ちません。戦闘を底辺で支える人は、多くの場合、イデオロギーより、家族・友人を守るために、また親しい人を殺された怒りから戦っていることが多いのです。
――米軍そのものが単なる軍事力による制圧という戦略は不可能だと認めていると平和構築の専門家らも指摘しています。
迂遠なようですが、ISがなぜ生まれたのかということをまず考えなければ、根本的な解決策は見えてこないでしょう。9.11以降、ブッシュ大統領が、「俺の味方か、敵なのか」と迫り、「テロリスト」に対する「反テロ戦争」なのだと正当性を主張し、中間の立場を認めなくなったわけです。この世界を二分法で機械的に割り切ろうとするやり方にそもそもの問題がありました。また、反テロ戦争自体が、多くの一般市民を殺傷する意味で、大きなテロであるわけです。「ブッシュの愚かな『反テロ』戦争が、無数の『テロリスト』をつくった」というのは、紛争地に限らず、専門家、一般市民を問わず、多くの場所で多くの人から聞く言葉です。
人間には、中間層がいたり、グレーゾーンで考える人がいたりします。むしろ中間層が過半数だったりするはずです。そこを「敵か味方か」の乱暴な二分法で割り切ろうとする乱暴なことをやってしまった。そのような中から台頭してきた現在のISなども、中間的な立場を認めないため、ジャーナリスト、NGOから国連、さらには赤十字・赤新月などまで、みんな危険にさらされるようになってしまいました。遠因は、アメリカを中心とした有志国連合による、戦争推進にあったと言えます。貧困問題の具体的な解決や、翻って私たち「先進国」の強欲の問題の解決も重要ですが、国際社会のなかで、立場や考え方の多様性を認めるということも、まともな世界の基本になることは間違いないことです。
IS的な勢力の勃興や展開には、80年代のアフガニスタンでの反ソ連戦争における、アルカーイダの創設に、アメリカ、サウジアラビア、パキスタンの情報部が関わったように、いくつかの国が関わっていたようです。反イラン、反シリア(アサド政権)の文脈での連携です。また現在でも、ISの財政的な利益と支援となる、原油などを購入する国、企業、組織もあります。そこをストップすることも、政治交渉や外交の役割でありましょう。
イラクもシリアも現在のような混乱のなかで、一旦「破綻国家」になってしまったので、簡単に安定した秩序をつくりあげられるとは思いませんが、最終的には非暴力での、外交の重要性、貧困・雇用問題の解決、それを主張し行動し続けることで、よりまともな世界に向かうということを信じたいと思います。さきほどのガルトゥングの積極的平和主義でも、テロの温床としての貧困の問題が大きいと指摘しています。
子どもたちの貧困を放置するな
――昨今の日本も含め、子どもの貧困は深刻化しています。
世界の中で、若い人の就学、教育のチャンスが少ない、あるいは教育を受けた後も就職のチャンスが少ない状況を放置しておくこと自体が非人間的なことで、本人にも社会にもひいては国際社会全体にとって大きなマイナスなのです。青少年、乳幼児、母親への費用(予算)は武器購入よりはるかに大事で、これを惜しむ国は、必ず衰退すると思います。
イギリスでも、パキスタン、エジプト、ナイジェリアなどからの移民の2世、3世たちだけでなく、クリスチャン社会で育った若者がイスラムに改宗したり、イスラムの中でもより過激なグループに属し、あるいはシリアの武装勢力に合流したりしていることが指摘されています。『兄はイスラム原理主義者になった』(イスラム教徒となった、兄を、弟がカメラで追う)などドキュメンタリー作品にもなっています。もともと、イギリスが階級社会であり、さらに貧富の格差拡大を推し進める新自由主義経済を取り入れているので、ある階層の若者たちのチャンスが非常に閉ざされている、という問題を抱えているわけです。
やはり、本来の積極的平和主義を目指すということでしか中長期には解決しないと考えています。では、短期的には武力なのかということになりますが、現実にはアフガンもイラクも、端的に指摘すれば、米国の武力で国と社会を壊してしまった側面があるわけで、アメリカ、世界一の軍事超大国が動けば動くほど、悪化したという現状なので、そこにはやはり希望は持てません。
いま、国連機関や、国際NGOが、ISの支配地域でそういう基礎教育とか基礎保健や福祉の活動を実施できるかというと、それはできないでしょう。 国境を越えて支援するとか、国境を越えて逃げてきた人を支援するとか、そういう形が精一杯です。しかし、見えにくいですが、それでも暴力が渦巻く厳しい現地の状況のなかで、恐怖や戦闘から逃れながら、周囲の人々や子どもたちを助けている地元の人と活動は必ずあります。
すでに出来ている平和と人道の連携
――短期的には空爆でまずは先方の勢いをとめなくては、などという議論にどうしても回収されていきます。他の先進国が軍事的な貢献をしているのに、なぜ日本は何もしないのだというような話になり、それ以外のことが生産的な議論にならないですね。
完全なオルターナティブ(alternative=二者択一、または、代案)になるかどうかは分かりませんが、昨年10月にヨルダンでJIM-NET(代表:鎌田實医師、事務局長:佐藤真紀さん)の活動に同行したときの経験がよみがえります。ヨルダンに相当数シリア難民がいて、その中に大けがした子供たちもたくさんいました。JIMネットの日本人スタッフも活躍しているのですが、ほかに、シリアから逃れてきた、医師、看護師も、献身的に働いていました。またヨルダン人、ヨルダン在住のイラク人、その他、エジプト人、スーダン人たちも一緒になって働いていました。この辺は、イスラムもしくはアラブの相互ネットワークとも言えますが、欧州のNGOも活動していました。軍事を無視できませんが、このような平和と人道の連携が既に出来ているのですから、これが何よりの具体的な基盤になるはずです。
徹底的に難民救援を行うということで、人道支援の旗でいくことで、現実に人命を救う中で、日本のプレゼンスを示すということは可能なことです。その方が結果的に、「軍事貢献」を広げるより、日本のイメージを上げ、日本の人々を守るという結果にもつながります。最高の安全保障です。この方が現実的です。それには日本政府からの、もとは税金ですが、国連人道専門機関への支援もあるし、赤十字やNGO、あるいは中東現地でいうと赤新月社への支援も非常に有効です。
80年代、国際協力に関して、青年層の動きは活発でしたが、現在も、国連機関の活動や、NGOの活動のなかで、多くの学生や青年が活動しています、むしり多角化、多様化しています。また企業の形で、社会的活動、社会福祉活動を行うなどもここ10~15年の新しい動きです。表層的な情報に接していると、ヘイトスピーチに集まるような人たちが目立つので、目がいきがちですが、社会的に考えようとする人、地球の視線で行動しようとする人もたくさん育っています。
いうまでもなく大災害からの復興、原発事故で苦しむ、福島、岩手。宮城で頑張っている人々、地元の青年もいれば外から行っている青年もいますが、国内と海外もつながれば大きい力になると思います。3月、福島で地元の団体(福島地球市民発伝所など)が開催した「市民が伝える福島 世界会議」では、「福島10の(防災)教訓」ブックレットのお披露目もかねて、原発保有国など15か国以上の外国人ゲストを集め、第3回国連国際防災会議(@仙台)(=2015年3月14日(土)~18日(水)<http://www.bosai-sendai.jp/summary.html>)につなげました。外国人ゲストと、飯舘村、南相馬、浪江町での住民交流も、将来の連携(国内・国際)につながると思いました。
SNSにも次の段階が
――今のところネットとか「Twitter」、「Facebook」などのSNSも、中東の強権政権は倒したけれども、結果的には混乱をもたらしてしまった側面があります。それでも、50年100年単位で見ていくと、SNSなどが本当の非暴力とか非武装みたいなものへ向かうための足掛かり、手段になっていく可能性もないわけではないのでしょうね。
2010年12月、チュニジアで始まった「アラブの春」は、当初、一人の露天商青年の悲劇的な自殺を契機に、多くの青年の正義感に基づく運動と、これをサポートするSNS(英: social networking service、SNS)とは、インターネット上の交流を通して社会的ネットワーク(ソーシャル・ネットワーク)を構築するサービスのことであるの力が発揮されたものだと思います。エジプトの場合には、このSNS革命がムバラク大統領退任と民主選挙につながり、一旦は民選の大統領(モルシ大統領=モスリム同胞団)が生まれたのですが、結局は、軍のクーデターで軍人(シーシー国防大臣)が政権を握り、総選挙でこの政権が追認されてしまいました。元の木阿弥の結果とも言えるでしょう。が、青年たちの、この政治的社会的経験が生かされる次の段階があると思います。
SNSと政治の関係には二面性があります。従来のメディアではありえない速度と広がりで、意見や行動を訴えられ事件を伝えられるSNSが、一国の政府・政治を動かす面と、他方、政府がある程度SNSを管理・掌握して、国民支配の道具にするという関係が常にせめぎあっています。
政治変革の可能性をふくめ、携帯を持てれば、個人がパワーアップし、教育、訓練、就職などで、機会を広げられることは確かですが、携帯の契約数が、世界人口(72億)に近づいているとはいえ、複数の台数を所有する組織、企業、個人が増える中で、おそらく約10億人の人々は、一生携帯と縁の無い人生、生活を送るでしょう。この格差も広がる一方です。
国際協力の世界では、SNSが、社会的資金集めの分野で生かされています。例えば、自立を目指すウガンダのピーナッツ・バター製造・販売の女性が必要とする50ドル~100ドルを、私たちが寄付ではなく貸与し、3~4か月のビジネス期間後に、無利子もしくは、少額利子付きで返済され、次の資金利用者に回されるというようなことも可能になっています。世界では、まだまだ無償の援助も必要ですが、ビジネスの形の中で、借りる・貸すで成り立つ社会的支援も益々重要になっていきます。
政治から、社会、経済まで、SNSは重要なものになっています。話は少しずれますが、共産党独裁の中国でも、規制をかけているとはいえ、もはやネット(市民)の声を無視しては政治が出来ない状況です。バンドンでの日中トップ会談でも、「国民の声を無視しては、中国政府も動けない」という内容のことを、習主席が安倍首相に言っていました。首相談話の内容などでの国民の反応が、政府のベースでもあると言いたいようでした。
若い世代に育つ新しい発想
社会的起業、SNSなどの活用といった面では、若い世代の方が、はるかに上手で、慣れています。そういう方面での可能性はかれらの中からしか出てこないでしょう。自分の場合には、新聞や本を読んで、講演会に参加して、デモや集会に、というパターンが主ですが。今までとは違う発想があるのかもしれないです。福島の会議でも、幅はありますが、10代、20代から40代位までの人々が、国境を越えて交流し、防災や原発事故の問題を今後も伝えあって緩やかな連携が生まれていました。
――そういうところでも変化を感じることができるのですね。
そうですね。自分自身は、大学で教えていたり、NGOの人も若い世代の人が多いので、私の世代というか、自分では、考えつかないような動きが始まっています。
例えば、パレスチナ問題も、従来、政治的リテラシーの高い、硬派な人たちが関心を寄せ行動する分野だったのですが、今は「パレスチナ関係の若い世代の映画が面白いね」とか、「パレスチナの若者のラップ・ミュージックが活けてる」とかの反応が結構あります。そのラップがまた映画にもなっていたりします。ポル・ポト政権による社会の壊滅で、一般娯楽映画しかなかったカンボジアにも、リティ・パン監督(ポル・ポト時代を辛うじて生き延び、タイの難民キャンプを経て、フランスに亡命、通常教育と映画教育を受けた。)が現れ、芸術性、倫理性、抒情性の高い、ドキュメンタリー的映画『消えた画』『S21=政治犯収容所』やドラマを製作し、カンボジア、フランスのみならず、世界レベルで注目されています。自分にはうまく対応出来ませんが、ああ、そういう入り方もあるなら、どんどん新しい感性の人が入っていけばいいなと思いました。
イスラエルにしても、これも実際現地にいたときのことですが、あのような体制でほとんど平和・共存の希望が持てないなか、高校生ぐらいの年齢で徴兵を拒否し、約一年間、刑務所に入れられても、抵抗しているような動きがありました。また、音楽の分野では、パレスチナの青年とイスラエルの青年が一緒になった合唱団が組織されたりしています。来日演奏会公演会もあります。すこし古い話題ですが、有名なダニエル・バレンボイム(指揮者、ピアニスト)と、著名な学者のサイードが組んで、芸術を通して和平への取り組みを語り合ったりする動きもありました。この二人は大御所ですが、集まる人々は、若い世代です。可能性としてはいろいろなことがありうるのです。
最近見たなかに、BBCのドキュメンタリーがありました。イスラエル軍の女性兵士、あるいは元女性兵士をインタビューしたものです。ある意味普通の兵士なのですが、自らの経験を率直に語っています。武力では優位に立つ、攻撃側にいるわけなのですが、攻撃側にいることで、結果的には精神的に相当傷ついている。無論、これら兵士に痛めつけられるパレスチナ人が一番ひどい目にあっている訳ですが。
兵士や元兵士は、特に親パレスチナという立場ではありません。が、任務で取り締まりを行っているのですが、自分たちがやっていることがあまりにひどいという意識があるのか、それが心の傷になっていて、しゃべっていて急に泣きだしたりもする。対立関係にあるとはいえ、そこに人間的な感情も介在しているように感じました。最終的には、一般人の感覚が、政治家に影響を与えると思います。
「オスロ合意」のイスラエル側主導者、ラビン首相(当時)も、一緒に見ていたテレビで、インティファーダの中、イスラエル兵士にパレスチナの子どもが腕を痛めつけられる場面を見た孫に非難されたこともあって、和平交渉に向かったと言われていました。(イスラエル英字新聞「ハーレツ」記事) また、北アイルランド紛争(カトリック対プロテスタント)で、相互に殺し合った人たちが、どこかフランスなど場所を変えて合宿して、初めは相当ぎくしゃくしていても、まずは話し合うことから始めるという内容の、紛争解決や和解テーマにしたドキュメンタリーも見たことがあります。
たくさんの人が死んでいる以上、簡単に和解出来るわけでもないのですが、長い時間のかかる、大事な試みです。状況にもよりますが、武器・兵器で人を殺すことはある意味簡単です。場合によっては、戦場から離れた場所で、スイッチを押すだけ、ということもあります。それに比べ、これらの人道支援や紛争を解決する試みの方が、はるかに勇気も精神力も智慧も必要なわけです。そちらの方が真の戦いです。
対立し、戦い合った人々が同席する意味
そんなことは今のイラクーシリアの真ん中では実行し難いにしても、和解に至る、地道な対話、話し合いを続ける意味はあるでしょう。何とか共通の理解をまずは得なければ、まずは会って見なければ、と思います。それは日本と、韓国、中国もそうだろうし、過去のドイツとフランスなど他の欧州諸国もそうだったし、最近でいえばインドとパキスタンもそうかもしれない。失敗例もあり、簡単ではないでしょうが、対話の動きを学ぶ必要はあるのではないでしょうか。2012年には、同志社大学で、アフガン政府幹部、旧タリバン政権在パキスタン大使のザイーフ師をふくむ、対立各派の代表者を交え、アフガン会議を実施したそうです。対立し、戦い合った人々が同席するだけでも意味が深いと思いました。
――それにはやはり時間がかかることですね。
人脈も必要ですし、時間も手間もかかります。対話の席を設けるだけでも大変なことです。国際条約や国際会議の名前に出てくる、パリやジュネーブ。これからは、京都、大阪や東京、東アジアの都市が、紛争解決や和解の会合の場所になれば、と期待します。本来非暴力で人道的な道を歩むことは、軍事で進むより、智慧と胆力がいることと思います。日本がそういう仲介的なポジションになれる可能性は十分ありましたし、日本の進み方によっては、これからも可能だと信じています。
――そのためにも平和憲法は有効に使えるものでしょうね。
日本の戦後70年、アメリカの「核の傘の下」にいたという矛盾はありますが、ともかく戦争で殺傷せず、殺傷されなかった貴重な実績と財産がある訳です。国連安保理5か国は、絶えず、戦争に絡んできました。平和憲法、平和政策と、この実績を財産=アセット(資産、財産)として大事にすべきで、いまさらアメリカに追従して戦場に向かっても世界から敬意を払われることはないでしょう。一内閣の拙速な軍事政策や法案提出で、大事な財産を捨てたり、壊したりしないでほしいです。
――しかし、今まさにそれをしようとしていると言わざるを得ない状況です。
はい。少々古い話になりますが、自分のささやかな経験でも、カンボジア和平の進むプロセスで、この紛争解決、和解に加わったことがあります。93年の総選挙より少し前の段階で、カンボジアには抗争する4派(王党派、共和派、ポル・ポト派、フンセン政権派)がいて対立していました(ポル・ポト派は途中で選挙過程から抜けて3派になりました。)が、タケオ州で選挙実施に関して少なくとも暴力を使わないというような、ミニマムな合意をしようという時でした。この4派だけではやっぱりけんかになってしまうわけですね。
そういうときに、カンボジアNGOのADHOC(カンボジア開発人権協会)の要請で、欧米も含めて海外NGOの人が呼ばれました。そして、この第三者が入ることによってこの3派(王党派、共和派、フンセン人民党)が話し合いのテーブルにつくことになったのです。選挙における非暴力の約束はとりつけることが出来ました。日本政府も、カンボジア和平に関して、パリや東京での会議で大きな役割を果たしたと聞いています。
だから私たち日本人が、より中立的な立場の国や組織と協力して、紛争解決の触媒になることは可能であり、意味があります。カンボジアでも、パレスチナでも、イラクで活動した初期でも、日本が平和の国だというイメージが非常にプラスに働きました。これからもこの方向ですこしでも役に立てるはずです。
生活の安全保障こそ目下の課題、安保法案は廃案に
平和主義の安保法制というなら、人が命を失う可能性を織り込んだ政策は大きな矛盾です。また今回の安保法制論議、プロセスも正常ではなく、与党提案側の理解もバラバラで、内容の理解・周知が与党内でも出来ていません。議員全体、国民全体への周知、説明も非常に不十分です。周囲の学生の意見も聞きましたが、そもそも11の法案の理解が困難でした。
概要ということで説明しても分かりにくいので、概ねどういう方向での理解か、と聞いたとこ、賛成に近い意見が15%位。反対だ、が30%位。圧倒的多数は、「よく分からない」そして「不安だ」でした。「どうせトップは勝手に消えてしまうのでしょう。賛成派も反対派も、このままいけば、日本が戦争・戦闘に関わる可能性が増える、というのは共通認識でした。
国民や学生にとっての安全保障といえば、まずは、年金などの社会保障ですが、国民年金機構から125万件もの個人情報がだだ漏れです。情報の隠匿もありました。12日、この情報漏れをもとに詐欺にあい、預金を奪われた神奈川県内の高齢女性の被害ニュースが報じられました。日々、教室で出会う学生たちは、これまでも「自分は年金をもらうことはないかも知れない」と言っていましたが、最近は、「政府は本当にこの社会保障を守る気があるのだろうか」という不安を漏らしています。正規雇用を中心とする安定雇用、同一賃金同一賃金も、大事な安全保障であり、「メルト・スルー」にまで達したともいわれる福島の原発事故の収束も、大事な安全保障です。他国の戦争を応援している場合ではありません。
繰り返しになりますが、国民全体とも言えますが、この法案で最も影響を受ける、青年層の理解が不十分なまま進行する、現在の審議、不安が一杯です。今回の一番上の議論を基にいえば、まず、8月9月までに、多数の力で決めてしまうということには大反対です。丁寧な議論を行う、またそれ以前に、本来の大元の憲法の論議から始めるべきという基本として考えるなら、今回法案に関しては、廃案しかありません。(了)
くまおかみちや
日本国際ボランティアセンター(JVC)顧問、前代表理事。日本映画大学教授。難民審査参与員。1947年東京生まれ。東京外国語大学中退。80年のタイでのJVC創設に関わりカンボジア/インドシナ難民救援活動に参加。その後、イラク、パレスチナ、南アフリカ、エチオピアふくめ20を超す国・地域で人道支援活動に従事。著書に「戦争の現場で考えた空爆、占領、難民: カンボジア、ベトナムからイラクまで」(彩流社)、「カンボジア最前線」(岩波書店)、共著「NGOの選択」(めこん)など。
関連記事
政治・国際 [1]安保法制、前のめり改変の落とし穴 熊岡路矢 2015年05月12日
政治・国際 [2]次代の安全保障、NGOの経験生かせるはず 熊岡路矢 2015年05月15日
政治・国際 [3]人々の命と暮らしを守る真の安全保障とは 熊岡路矢 2015年05月23日
政治・国際 [4]明確な歯止めなき海外派兵を認めるのか 熊岡路矢 2015年05月29日
政治・国際 フランスの襲撃事件と中東のミリタリズム(上) 川上泰徳 2015年01月13日
06 22 (月) きょうは夏至、明日は沖縄戦終結の日
沖縄戦史を見ていくと、1945/06/22 島尻南部の戦闘総史の最後にいたる詳細な図版と経緯がまとめられている。
それを見ると、
6月16日(図版) これより前は省略する沖縄知事が安倍総理やアメリカ高官に面談しても厳として自説を曲げないのは、こうした沖縄の県民の体験を熟知していて県民の民意を間違いなく伝えようとしたからであろう。
1 西部戦線国吉台地の戦闘において、米軍がついに日本軍陣地上に地歩を確保する。
2 与座岳が米軍に占領される。 これにより日本軍は砲兵の観測点を失い、有効な射撃効果を得られなくなり、組織的な戦闘を発揮することが出来ない。
6月17日(図版)
1 西部戦線国吉台地の戦闘において、米軍が日本軍主陣地を突破、第24師団左翼戦線は壊滅した。
2 東部戦線の独立混成44旅団はほぼ戦力を失い、代わりに第62師団が第一線に進出するが、有効な機動力も戦力もなく、組織的戦闘はついに破綻する。
6月18日(図版)
1 西部戦線には組織立った日本軍部隊はなく、沖縄県民と日本軍将兵は南部喜屋武岬方面に向かって南下を続ける。
2 東部戦線には疲弊した第62師団隷下部隊が戦線を形成しようと企図するが、各部隊とも各個に撃破されて壊滅状態となる。
6月19日(図版)
日本軍は真栄平・真壁・摩文仁に封入される。事実上日本軍の戦闘は終結した。
6月20日~22日(図版)
この3日間は米軍の日本軍殲滅作戦である。
22日正午頃に摩文仁集落で沖縄第32軍司令部守備隊の銃声が消え、これで全ての戦闘が終結したものと考えられる。
朝日新聞 38面
2015年6月22日
鉄の暴風、心も食い殺された
(戦後70年 戦世を生きて:4)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11819640.html
◇戦世(いくさゆ)を生きて
母はいないもの。
宮城能慎(のうしん)さん(78)=那覇市=は戦後、ずっとそう思ってきた。だが、先祖を弔う沖縄の行事・清明祭(しーみー)がある4月、心がざわめく。
*
70年前の4月、沖縄本土に米軍が上陸。首里城に近い自宅から、母マカトさん(当時50歳)ら3人と逃げ出した。昼はガマ(自然洞窟)などに身を隠し、夜の間にひたすら南へ歩いた。
雨のように降る砲弾。いたるところに転がる遺体。死臭に耐えられず、ミカンの葉を鼻に詰めた。
ようやく南端の村にたどりつき、民家に逃げ込んだ。母が、道を聞こうと隣家を訪ねたとき、砲弾が隣家を直撃した。
一帯に砕け散ったがれき。その中で、母は生きていた。ただ、胸を砲弾にえぐられていた。肺のようなものが見え、息をするたび、ぷくぷくと動いた。
母はしばらく、何かをつぶやいていた。だが、恐ろしくて近寄りもせず、話しかけもしなかった。数日後、母は力尽きた。
「あのとき、母は自分を呼んでいたのかもしれないのに。私の感情は冷え切っていたのだろうか」
5人きょうだいの末っ子。母には特に可愛がられた。夜は手枕で寝かしつけてもらった。蒸し暑い壕(ごう)に潜んだときは、うちわであおいでもらった。
終戦から数年がたち、母が亡くなった場所を訪ねた。だが、遺骨は見つからなかった。代わりに小石を拾った。すでに病没していた父の骨つぼに納めた。
戦後、公務員として定年まで勤め上げた。今でも「母の最期に目を背けた」との思いに苦しんでいる。
*
「鉄の暴風」とも形容される、米艦船からの激しい艦砲射撃。その下で、人々は感情を失っていった。
木にぶらさがった腕や内臓。死んだ母親のおっぱいをしゃぶる赤ちゃん。サトウキビ畑に置き去りにされた幼子……。
本島南部に住む花城キヨさん(81)=南風原(はえばる)町=は、親族5人と同町にあった祖父母の家から逃げ始めた。南端の壕で米軍に捕らえられるまで、「ありったけの惨状を見た」。
姉妹同然に育てられた3人のいとこも亡くなった。2人は駆け込んだ民家の建物が砲撃を受け、もう1人は砲弾の破片が刺さった。
「死んだら死んだでそのまま。かわいそうとも思わない。ここは危ない、と爆弾の雨の中を歩き出すだけ。戦争は人の心まで食べてしまう」
戦後、花城さんは焼け野原の南風原に戻った。20歳で結婚し、4人の子どもを産んだ。夫の農業と養豚業を支えようと、1957年に自宅で豆腐づくりも始めた。
いま、合わせて24人の孫とひ孫がいる。豆腐店は、長男の妻と孫3人が継いだ。大豆を煮る薪の香りがする自宅で、命のつながりを感じている。
戦争の話をすると涙が止まらない。「やっと人間の心を取りもどしたんだろうね。この平和を、戦争に食いつぶされたくない」
◆キーワード
<艦砲射撃> 軍艦からの砲撃。沖縄県平和祈念資料館によると、米軍が45年3~6月に沖縄で使った砲弾や銃弾は計約3547万発(地上からも含む)。中でも艦砲は、戦車砲などと比べてより強力な砲弾も使われた。生き延びた人々は戦後、悲しみや後ろめたさなど複雑な感情を込め、沖縄の言葉で自らを「艦砲(かんぽう)ぬ喰(く)ぇーぬくさー」(艦砲の食い残し)と呼んだ。
06 22 (月) 戦後70年ニッポンの肖像 NHK連載
かたくなな安倍総理一団の自民党が、多くの国民の不評をかってもアメリカ一辺倒の姿勢を変えようともしない。
こうした中で「第3回 “平和国家”の試練と模索 6月21日(日)午後9時00分~9時49分(総合)」番組の最後のほうで、アメリカ追従の政治の歩みの中から日本が担うべき方向が触れられていた。
この21日の番組では、
NHKスペシャル
戦後70年 ニッポンの肖像
http://www.nhk.or.jp/po/category/todays_po.html
http://www.nhk.or.jp/po/channel/1481.html
【豊かさを求めて】
第1回 “高度成長” 何が奇跡だったのか (6月2日(火)深夜)
焦土と化した第二次大戦の敗戦からわずか20年余りで世界第二位の経済大国に上り詰めた日本。世界史上、類を見ないスピードで復興し、高度経済成長を成し遂げたその復活劇は、「奇跡」と称賛されました。翻って今の日本は、低迷が続き、未だに再浮上の糸口をつかめないままもがいています。あの「奇跡」はなぜ起こったのでしょうか。時代の産物に過ぎなかったのか、それとも日本の真の実力だったのか。奇跡と呼ばれた高度成長の、何が実力で何が幸運だったのか、膨大に残る関係者の音声テープ、新資料から検証します。高度成長の真の姿を明らかにし、今に生かせる教訓を探ります。
第2回 “バブル”と“失われた20年” 何が起きていたのか (6月4日(木)深夜)
奇跡ともいえる高度成長を遂げた日本経済は、その後、世界に先駆けて二つの事態に見舞われます。それが「バブルとその崩壊」「“失われた20年”という停滞」です。第2回は、その2つの「事件」を検証し、それがいったい何だったのか、そこから何を教訓とすべきかを解き明かします。
金融が経済の主役となり、「マネー経済」へと世界が突き進んだ70年代以降、各国で繰り返されるバブル生成と崩壊。世界がその怖さを痛感したのが80年代後半、日本が経験した「バブル」でした。今回、取材を通してみえてきたのは、「マネー経済」という新たな変化に対応できなかった日本の姿。マネーゲームにまい進し、バブル崩壊後は不良債権隠しに走る企業。戦後の日本独特のシステムがそれらに拍車をかけていきました。いったい「バブル」とは何だったのでしょうか。
さらにバブル崩壊後に訪れた「失われた20年」と呼ばれる長期に及ぶ経済の停滞。実は、バブル崩壊直後、日本経済を代表する企業のトップたちが、この事態を明治維新、敗戦に次ぐ第三の日本の転換点と位置づけ、早くからその対応について幾度となく議論を重ねていました。さらに、トップたちは、それまでの常識や美徳をかなぐり捨てて、その事態を乗り越えようと様々な模索を続けていたのです。今回、トップへの取材を通して改めて見えてきたのは、“失われた20年”の苦闘と試行錯誤の記録です。そこから、私たちはこれからの日本経済を考える上で、どのような教訓を得ることができるのでしょうか。
【世界の中で】
第1回 信頼回復への道 6月19日(金)午後10時00分~10時49分(総合)
1951年サンフランシスコ講和会議で国際社会に復帰した日本。戦争で被害を与えた国々との信頼回復はどのように実現したのでしょうか。
アジア外交を積極的に進めた岸信介首相は、インドネシアではスカルノ大統領とのトップ会談で賠償協定に調印。役務賠償によってインフラを整備し、日本経済はアジア市場に進出をはじめます。日韓会談は13年の歳月を要しましたが、岸とパク・チョンヒ大統領が会談、1965年の日韓基本条約は経済協力という形で決着。これによって韓国はハンガン(漢江)の奇跡と呼ばれる経済成長の足がかりを得ます。日本はこの条約で請求権の問題は解決済みとしました。
80年代に入り、アジア諸国で民主化が進むと、個人補償を求める声が高まりましたが、日本は、河野談話、村山談話や「アジア女性基金」によって謝罪と償いを行いました。特にオランダでは、平和友好交流事業が受け入れられていきます。また、インドネシアではODA等を通じて緊密な経済関係を築いていきました。
信頼回復への道を、最新の資料と証言で明らかにします。
第2回 冷戦 日本の選択 6月20日(土)午後9時00分~9時49分(総合)
中国と日本はどのような外交を展開してきたのでしょうか。そして、アメリカはそこにどう関わっていたのでしょうか。
1971年の米中和解は、その意味で、大きな外交的試練でした。沖縄返還に政治的生命を賭けた佐藤栄作首相は、戦後最大の外交課題を達成しましたが、頭越しの日中接近という事態を迎えます。この時期、尖閣諸島をめぐって米中、台湾の水面下の外交が始まります。近年、公開されたキッシンジャーの録音記録からは、繊維交渉も絡んだアメリカの戦略が明らかになってきました。
その後、田中角栄と共に日中国交正常化につとめた大平正芳。日米同盟を軸にしつつ、改革開放政策を進める鄧小平の中国に、円借款事業を推進していきます。大平は対米従属だけではない、環太平洋連帯構想を唱え、それはAPECにつながっていきました。一方、経済成長を遂げた中国は、やがて大国として海洋への進出をはじめます。
冷戦下、米中のはざまで模索された日本外交を、東アジアの国際政治の力学の中で見つめます。
第3回 “平和国家”の試練と模索 6月21日(日)午後9時00分~9時49分(総合)
戦後、日本が外交の柱の一つとしてきたのが、日米同盟に裏付けられた「日米関係」。それが冷戦崩壊後、大きく転換することになります。その背景に何があったのでしょうか。
アメリカとの“同盟”を旗印としてきた日本。しかし1990年の湾岸危機では、憲法が禁じている武力行使を目的とした自衛隊の海外派兵について世論の強い反対が示されました。その最中に起きたのが2001年の同時多発テロ事件、イラク戦争。『国際社会の中で何ができるか』を自ら考えることを求められていた日本は、「金だけ出して、汗をかかない」と批判を浴びた湾岸戦争のトラウマから脱却しようと、憲法の枠組みの下で、最終的に自衛隊のイラク派遣を実現させます。
その後、北朝鮮、中国との間で高まる摩擦、国際テロなど国際情勢が徐々に厳しさを増す中、日本は同盟を基軸とする外交をさらに深化させ、アメリカがアジア太平洋地域に積極的に関与し続けるよう、自ら働きかけも行ってきました。冷戦崩壊後の外交を検証し、「日米関係」を土台にした日本外交の未来を占っていきます。
【ゲスト】熊本県立大学…五百旗頭真,【ゲスト】慶応義塾大学総合政策学部教授…中山俊宏,
【司会】三宅民夫,首藤奈知子
この四人登場しました。 これから歩むべき方向として、緒方貞子さんがフィリピンとアフガニスタンの紛争終結の取りまとめに尽力した例が首藤奈知子さんから紹介され、三宅民夫が日本の国際貢献の方法として推奨した。
日曜討論では自由民主党政務調査会長の稲田朋美が野党との討論応酬をしていた。 安倍総理の代弁者のような口調からは本人の誠実な熱意や意思を少しも感じとれなかった。
緒方さんがここにいて、紛争解決の最善の方法は武力行使ではなく相互理解と信頼である、として仲介の労をとる立場を主張したら日本中の国民はみんな拍手して賛同したと思う。
武力本位のアメリカのやり方によって、軍人自身の信頼も失い、他国からの信義も失い、国民からの支持も失いつつある。
そしてまた、国際間の紛争や戦争やテロは、すべて損得勘定によって動かされていることが薄々知れわたってきた。
1973年9月11日、テロはすべて悪と決めつける手法は、アメリカの手法を常に善とする独善的やり方への反感を呼ぶ。 テロの主張に耳を傾ける方法もとらず、「偏見は無知からうまれる」この一大鉄則につまずいている。 世界中の政治家が「ユネスコの理念」その根底哲学となっている「偏見は無知からうまれる」ことの一般化を忘れている。
はなしを元に戻そう。 議論の底流にあるのは憲法解釈そのものによって立場が違ってくることは間違いないことだろう。 ここでもう一度憲法の原文を見てみよう。
日本国憲法の第二章第九条は「戦争放棄」を明記している。
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この崇高な理想は、「国際法では自衛権がある」と解釈できるというのはまやかしであり、曲がりくねった解釈である。
① 戦争とは国内法では殺人行為であり破壊活動である。
② また武力の行使、威嚇とは軍備増強でありミサイル攻撃であり爆弾投下である。
この①も②も、国の最高法規として、戦争はしない 武力は使わない 永久に放棄する 固く守り抜くというのが憲法の根底になっている。
高潔な人の純粋思考による倫理的結論は、例外的許容を許す曖昧なものであってはならない。 根本になる論理は堅持すべきものである。
憲法に表記されている戦争放棄の精神を、砂川判決における最高裁判断を金科玉条のようにしてすべて演繹するやり方は、憲法解釈としてとるべき方法ではない。
ユネスコの精神も、不戦条約の信念も、不備があるからといって、断じて軽んじてはならない。
ユネスコも不戦条約も、家族円満の中から成立する。 それが根底となる。 軽んじてはならない。
06 23 (火) 「この夏までに成就させる」…成立のめどはまだ立たない 安全保障関連法案
舟は渦中にあり。 ポスト安倍、それは許さない !! ① (注目!安保国会)22日 ② 3面=元長官も 「違憲」元法制局長官も 安保法案質疑 ③ 4面=「丁寧に」 ④ 16面=社説 ⑤ 38面=識者は
2015年6月23日05時00分 (朝日新聞) 1面
① (注目!安保国会)22日
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11820821.html
安倍晋三首相が米国議会演説で「この夏までに成就させる」と宣言した安全保障関連法案。政府の憲法解釈を担ってきた内閣法制局長官の経験者2人が、改めて法案の核心部分に疑問を突きつけた。政府・与党は異例の大幅国会延長で「時間」を確保したが、成立のめどはまだ立たない。
3面=元長官も 4面=「丁寧に」 16面=社説 38面=識者は
この記事に関するニュース
国会延長、9月下旬まで 安保法案成立狙う 政権方針(6/21)
国会、9月下旬まで大幅延長へ 政権、安保法案成立期す(6/21)
(注目!安保国会)19日(6/20)
(ウォッチ安保国会)言いたい、言えない、口が「への字」(6/18)
(注目!安保国会)12日(6/13)
(注目!安保国会)5日(6/6)
(注目!安保国会)1日(6/2)
(注目!安保国会)28日(5/29)
② 3面=元長官も
② 「違憲」元法制局長官も
安保法案質疑
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11820731.html
政府の憲法解釈を担った2人の元内閣法制局長官が22日、衆院特別委員会で、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案を「国民を危険にさらす」「憲法違反」と厳しく批判した。政府与党は同日、国会の会期を大幅延長。法案成立へ不退転の構えを見せるが、憲法学者に続いて憲法解釈の実務者も問題点を指摘したことで、法案をめぐる憲法上の疑念は一層深まっている。▼1面参照
■政府援用「72年見解」――「個別的自衛権のみ容認」
「憲法9条に違反し、撤回されるべきものだ」。第1次安倍内閣などで長官を務めた宮崎礼壹氏は、集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ安保関連法案を厳しく批判した。
宮崎氏が問題視するのは、政府が集団的自衛権を日本の防衛の目的に限定的に使われるものと、他国防衛を目的とした包括的(フルセット)なものにわけ、前者が憲法の枠内にあるとしていることだ。かつての部下でもある横畠裕介長官も19日の特別委で、集団的自衛権をフグに例えて「全部食べればあたるが、肝を外せば食べられる」と述べ、他国防衛を含む包括的なものは違憲だが、自国防衛に限る集団的自衛権なら合憲だという論理を展開している。
これに対し、宮崎氏は「集団的自衛権の本質は『他国防衛』であり、歴代政府もそう理解し、表明してきた」として、包括的か、限定的かは分離できるものではないと主張。横畠氏の名指しは避けつつも、「最近、政府当局者は自国を守るための集団的自衛権は合憲と言っている。しかし、自国防衛と称して武力行使するのは違法な先制攻撃そのものだ」と断じた。
加えて宮崎氏は、政府が1972年の政府見解を基にして、集団的自衛権の行使を容認し、安保関連法案を「合憲」とした論理を批判した。
政府は72年見解が必要最小限度の範囲で「自衛の措置」を認めているとして、そこに限定的な集団的自衛権が含まれると説明する。しかし、宮崎氏は「自国への侵略を排除する自衛権と、集団的自衛権は別物だ。自衛権と言った場合、前者のみを指している場合が多い」として、72年見解で認めているのは個別的自衛権だけだと反論した。
さらに安倍内閣が、72年見解にある「外国の武力攻撃」には日本への攻撃だけでなく、他国への攻撃も含まれ、集団的自衛権は認められると説明していることについても「黒を白と言いくるめるたぐいだ」と批判。「外国の武力攻撃」は、日本への攻撃に限っていると指摘した。
宮崎氏は、集団的自衛権の行使について「憲法9条の下で認められないことは確立した憲法解釈だ。政府自身がこれを覆すのは法的安定性を自ら破壊するものだ」と述べた。
■ホルムズ海峡での機雷除去――「憲法解釈の枠を外れる」
小泉内閣で長官を務めた阪田雅裕氏は、安倍晋三首相が「日本の石油の8割が通る」と重要性を挙げて、集団的自衛権の行使例と想定する中東・ホルムズ海峡での機雷除去に疑問を示した。
阪田氏は、政府の憲法解釈の変更が許される二つの条件として、(1)新しい解釈が法論理的に成り立つ(2)解釈変更の理由がきちんと説明できる――を挙げた。
阪田氏は(1)について「中東有事にまで集団的自衛権の出番があるとすると、限定的でもなんでもない。単に我が国の利益を守るために必要だと判断すれば、行使できると言っているのに等しい。従来の憲法解釈の枠内から外れる」と批判。遠山清彦氏(公明)の質問に対しても「油が入りにくくなった、備蓄が少なくなったという話まで入るなら、満州事変の時の『自衛』と同じことになってしまう」と述べた。
その上で阪田氏は、政府が集団的自衛権の行使容認を「従来の憲法解釈の枠内にある」と主張していることに対し、「従来の政府解釈の基本的な論理の枠内ではなく、基本的な論理そのものを変更するものだ」と述べ、法論理的に成り立たないと結論づけた。
また阪田氏は(2)について、政府が日本の安全保障環境が変化し、他国への攻撃でも日本の存立を脅かす事態は起こりうる、と説明していることも批判。阪田氏は、朝鮮半島有事への懸念や、中国の脅威に対応する日米安保条約や在日米軍の規模は従来と変わらないと反論。「安保環境が変わったとか、グローバルなパワーバランスが変化したといった抽象的な言葉でなく、軍事技術面も含め、具体的に理由を説明する責任がある」と政府の説明のあいまいさを指摘し、「国民を危険にさらす結果しかもたらさない」と批判した。
阪田氏は憲法解釈の変更について「憲法9条は、政府の勝手には戦争させないという法規範だ。自衛隊の実力行使に対する明確な歯止めをなくして、日本が戦争するかどうかを政府の裁量や判断に委ねていいと考えている国民は誰もいない」と述べた。一方で、「従来の政府の解釈と集団的自衛権の行使を整合させようという政府の姿勢、考え方については一定の評価ができる」とも語った。
小林節・慶応大名誉教授(憲法)は「『戦争法案』は憲法違反で廃案にすべきだ。独裁政治に向かう宣言をしているに等しい」と指摘した。(小野甲太郎、三輪さち子、今野忍)
■与党推薦2氏は賛意 「本質は自国防衛」
一方、与党推薦の参考人は、法案に賛意を示した。
自民党推薦で、集団的自衛権の行使容認を合憲とする西修・駒沢大名誉教授(憲法)は、安保関連法案について「『戦争法案』ではなく、『戦争抑止法案』だ」と支持。個別的、集団的に関わらず自衛権はどちらも国家固有の権利であり、分けて考える必要はないとして「集団的自衛権の目的は抑止効果であり、本質は抑止効果に基づく自国防衛だ」と述べ、法案は「限定的な集団的自衛権の容認であり、憲法の許容範囲内だ」と強調した。
公明党が推薦した森本敏・元防衛相は、法解釈ではなく、防衛政策の立場から発言。核実験を繰り返す北朝鮮や海洋進出を強める中国などに対応する必要性を強調した。米国がアジア太平洋地域を重視する「リバランス政策」にも言及。「どのように同盟国として(米国を)補完し、この地域の抑止と対応能力をつけるかが最も重要だ」と述べた。
◆キーワード
<1972年の政府見解> 田中内閣が国会に出した「集団的自衛権と憲法との関係」と題する文書。憲法は(1)必要な自衛の措置は禁じていない、(2)外国の武力攻撃によって、急迫、不正の事態に対処し、国民の権利を守るためのやむを得ない措置は必要最小限度にとどまる――との二つの基本的論理を示し、「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」と結論づけた。安倍内閣は(1)(2)の論理は維持するとした上で、安保環境の変化を理由に「自衛の措置としての集団的自衛権の行使は認められる」と結論部分を変えた。
③ 4面=「丁寧に」
③-1 首相「丁寧な審議」強調
対維新・参院に不安
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11820826.html
安倍政権は安全保障関連法案の今国会成立をめざし、通常国会として戦後最長となる95日間の延長を決めた。首相は最近まで盆前に国会を閉じる意向だったが、「参院」「維新」という「不安」要素に直面。戦後最長の延長幅によって一気に解消を狙った形だ。▼1面参照
「『丁寧に議論せよ』という声に耳を傾け、戦後最長となる審議時間を取り、じっくり議論する意思を国民に示して理解を得たい」。安倍晋三首相は22日午後、公明党の山口那津男代表と会談した際、大幅延長の理由をこう説明した。
19日昼、首相官邸で、首相と自民党の谷垣禎一幹事長、菅義偉官房長官の3人が延長幅について協議したが、その際、首相は「8月10日」を主張していた。
谷垣氏は協議で、参院自民が十分な審議時間を求めていることなどを説明。谷垣氏は(1)8月下旬(2)9月上旬という二つの選択肢を示したとみられる。しかしその場では、8月10日は無理との認識で一致しただけで終わった。
官邸が動いたのは20日だ。通常国会は1回しか延長できないことから、「丁寧な審議というなら、どーんとやってしまった方がいい」(政権幹部)として、「9月下旬」案が官邸から党幹部に伝えられた。
首相が大幅延長を決めた背景には、参院での審議が順調に進むかや、維新の党の協力を確実に得られるかで、確信が持てなかったことがある。
参院では自民が単独過半数を持たず、参院幹部は「与党が採決を強行して参院に送ってきたら、野党は長い間審議に応じないかもしれない」と懸念、十分な延長幅を取るよう訴えた。自民国対幹部は「野党の抵抗があっても審議を進めるだけの覚悟が参院になかった」とこぼす。
このため、衆院通過後、参院で60日経っても採決されない場合、衆院の3分の2以上の賛成で再議決できる「60日ルール」を視野に入れる。ただ、参院のメンツも立てて、その想定を大きく上回る延長幅を確保し、表向きは「丁寧な審議」を強調する狙いだ。
一方で政権は、対案を準備する維新の党に対し、修正協議を通じて法案への賛成を得るか、仮に反対でも採決を容認してもらおうと画策した。
先週、菅氏は3夜連続で維新幹部と会合し、感触を探った。だが、松野頼久代表ら野党路線に軸足を置く議員も多く、維新の態度は固かった。大幅延長について、維新の幹部の一人は「菅氏は、維新の協力を得るのは難しいと思ったんだろう」と話す。
延長を議決する衆院本会議で、反対討論に立った維新の落合貴之氏は痛烈に政権を批判した。「形式的に審議時間を積み重ね、最後は国民の理解も賛同も得られなくても問答無用で60日ルールで押し切る。衣の下から鎧(よろい)が見える」 (笹川翔平、藤原慎一)
■今後の主な政治日程
<7月上~中旬>
政権が想定する安保関連法案の衆院通過
<8月15日 終戦の日>
この日までに安倍首相が戦後70年の談話発表
<9月27日>
延長国会の会期末
<9月30日>
自民党・安倍総裁(首相)の任期満了
<9月下旬>
国連総会
<夏以降>
九州電力川内原発の再稼働
沖縄・米軍普天間飛行場の辺野古移設に伴う埋め立て工事開始
③ 4面=「丁寧に」
③-2 「丁寧ではない」69%
安保法案、首相の説明 朝日新聞社世論調査
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11820824.html
朝日新聞社の今回の世論調査では、安全保障関連法案についての安倍晋三首相の国民への説明が浸透していないことが鮮明となった。安倍政権を支える自民支持層、内閣支持層でも、法案をめぐる政権側の主張について、疑問を払拭(ふっしょく)できずにいる人が一定程度いる。▼1面参照
今回の調査では、3人の憲法学者が安保関連法案を「違憲だ」と主張したことを「支持する」という人が全体の半数を占めた。法案に「反対」と答えた人のうち、憲法学者3人の主張を「支持する」は78%。さらに、自民支持層や内閣支持層でも、この違憲主張を「支持する」はそれぞれ3割程度いた。
安倍首相の国民への安保関連法案の説明についても、「丁寧ではない」69%に対し、「丁寧だ」は12%と差が開いた。内閣支持層でも、説明が「丁寧だ」という人は25%にとどまり、56%が「丁寧ではない」と答えている。
国会論戦の序盤で、主要論点の一つになった「リスク論」についても聞いた。自衛隊が戦闘に巻き込まれるリスクが高まると思うか聞いたところ、「高まる」は81%、「高まらない」は9%。安保関連法案に「賛成」の人でも、「高まる」という人は67%おり、有権者の大部分は自衛隊が戦闘に巻き込まれるリスクは高まるとみている。
安倍政権はまた、安保関連法案を整備することで抑止力が高まり、国民のリスクが低減すると説明している。法律整備で抑止力が高まると思うか聞くと、「高まる」33%、「高まらない」40%と見方は割れた。
抑止力が「高まらない」という人については、安保関連法案に「反対」76%、「賛成」15%。抑止力が「高まる」と答えた人では法案への賛否は分かれており、法案に「賛成」は48%、「反対」は39%だった。
「野党再編」への期待についても聞いた。野党が割れたり合流したりして、自民党に対抗する政党ができることに「期待する」は53%、「期待しない」は35%。民主支持層や共産支持層では「期待する」がそれぞれ7割を占めた。無党派層では、「期待する」50%、「期待しない」35%だった。
政党支持率は自民36%、民主7%、維新2%、公明3%、共産3%、社民1%。無党派層は48%だった。(江口達也)
■世論調査 質問と回答
(数字は%。小数点以下は四捨五入。質問文と回答は一部省略。◆は全員への質問。◇は枝分かれ質問で該当する回答者の中での比率。〈 〉内の数字は全体に対する比率。丸カッコ内の数字は、5月16、17日の調査結果)
◆安倍内閣を支持しますか。支持しませんか。
支持する 39(45)
支持しない 37(32)
◇それはどうしてですか。(選択肢から一つ選ぶ。左は「支持する」39%、右は「支持しない」37%の理由)
首相が安倍さん 15 〈6〉 8 〈3〉
自民党中心の内閣 23 〈9〉 18 〈6〉
政策の面 39〈15〉 64〈24〉
なんとなく 20 〈8〉 7 〈3〉
◇(「支持する」と答えた39%の人に)これからも安倍内閣への支持を続けると思いますか。安倍内閣への支持を続けるとは限らないと思いますか。
これからも安倍内閣への支持を続ける 47〈18〉
安倍内閣への支持を続けるとは限らない 49〈19〉
◇(「支持しない」と答えた37%の人に)これからも安倍内閣を支持しないと思いますか。安倍内閣を支持するかもしれないと思いますか。
これからも安倍内閣を支持しない 60〈22〉
安倍内閣を支持するかもしれない 33〈12〉
◆今、どの政党を支持していますか。政党名でお答えください。
自民36(39)▽民主7(7)▽維新2(3)▽公明3(3)▽共産3(4)▽次世代0(0)▽社民1(0)▽生活0(0)▽元気0(0)▽改革0(0)▽その他の政党0(1)▽支持政党なし41(33)▽答えない・分からない7(10)
◆野党が割れたり合流したりして、自民党に対抗する政党ができることに、期待しますか。期待しませんか。
期待する 53
期待しない 35
◆今の国会に提出された安全保障関連法案についてうかがいます。集団的自衛権を使えるようにしたり、自衛隊の海外活動を広げたりする安全保障関連法案に、賛成ですか。反対ですか。
賛成 29
反対 53
◆安全保障関連法案について、国会に呼ばれた3人の憲法学者が「憲法に違反している」と主張しました。これに対して安倍政権は「憲法に違反していない」と反論しています。3人の憲法学者と安倍政権の、どちらの主張を支持しますか。
3人の憲法学者 50
安倍政権 17
◆安全保障関連法案で自衛隊の活動範囲が広がると、自衛隊が戦闘に巻き込まれるリスクが高まると思いますか。高まらないと思いますか。
高まる 81
高まらない 9
◆安全保障関連法案が成立すると、外国が日本を攻撃しにくくする抑止力が高まると思いますか。高まらないと思いますか。
高まる 33
高まらない 40
◆安倍首相の安全保障関連法案についての国民への説明は、丁寧だと思いますか。丁寧ではないと思いますか。
丁寧だ 12
丁寧ではない 69
◆安倍政権は安全保障関連法案を、今開かれている国会で成立させる方針です。この法案を、今の国会で成立させる必要があると思いますか。今の国会で成立させる必要はないと思いますか。
今の国会で成立させる必要がある 17(23)
今の国会で成立させる必要はない 65(60)
◆日本年金機構が管理する年金受給者と加入者の氏名や住所、生年月日などの個人情報が外部に流出していたことがわかりました。今回の問題に対する安倍政権の対応を評価しますか。評価しませんか。
評価する 9
評価しない 64
◆国会議員などを選ぶ、選挙権の年齢を、20歳から18歳に引き下げることに賛成ですか。反対ですか。
賛成 55
反対 30
◆民法では、成人の年齢は20歳と定められており、20歳未満の未成年者は、結婚や契約のさい、親の同意が必要となります。民法の成人の年齢を18歳に引き下げることに賛成ですか。反対ですか。
賛成 38
反対 46
◆少年法では、20歳未満を「少年」と定め、罪を犯した場合、原則として、刑務所ではなく、少年院で教育するなど、成人とは違った扱いになります。少年法の対象年齢は、20歳未満のままでよいと思いますか。18歳未満に引き下げたほうがよいと思いますか。
20歳未満のままでよい 12
18歳未満に引き下げたほうがよい 79
<調査方法> 20、21の両日、コンピューターで無作為に作成した番号に調査員が電話をかける「朝日RDD」方式で、全国の有権者を対象に調査した(福島県の一部を除く)。世帯用と判明した番号は3750件、有効回答は1831人。回答率49%。
(社説)
④ 安保法案 違憲の疑いは晴れない
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11820704.html
これで安全保障関連法案の違憲の疑いは晴れた――。安倍政権がそう考えているとしたら、間違いだ。
衆院の特別委員会はきのう、憲法や安全保障の5人の専門家から法案への意見を聞いた。
安倍首相の私的諮問機関・安保法制懇のメンバーだった西修・駒沢大名誉教授は「限定的な行使容認であり、明白に憲法の許容範囲内だ」と述べた。
西氏の主張は、日本は集団的自衛権を認めた国連憲章を受け入れており、憲法も明確に否定してはいないというものだ。
ただ、歴代の自民党内閣は一貫して「憲法上、集団的自衛権の行使は認められない」との解釈をとり、西氏ら一部の憲法学者の主張を否定してきた。
先の衆院憲法審査会でも、長谷部恭男・早大教授ら3人の憲法学者がそろって、すでに確立している政府の憲法解釈を時の内閣が一方的に変更してしまうことのおかしさを指摘した。
自民党にすれば、法制懇にいた西氏によって長谷部氏らの違憲論による衝撃を打ち消したかったのだろう。しかし、その後の党内の動揺を見せつけられた後では、説得力は乏しい。
きのうの特別委では、2人の元内閣法制局長官も、政府の解釈変更を批判した。
阪田雅裕氏は「集団的自衛権の限定的な行使が、これまでの政府解釈と論理的に全く整合しないものではない」と一定の理解を示しつつ、ホルムズ海峡での機雷除去については「限定的でも何でもない」と指摘。「歯止めをなくして、日本が戦争をするかどうかを政府の裁量や判断に委ねていいと考えている国民は誰もいない」と語った。
宮崎礼壹氏も「確立した憲法解釈を政府自身が覆すのは、法的安定性を自ら破壊するものだ」と断じた。
こうした指摘に対し、安倍首相はその後の参院決算委で「その時々の国際情勢への対応をどうすべきか。これを考え抜くことを放棄するのは、国民の命を守り抜くことを放棄するのに等しい」と反論した。
だからといって、時の政府の裁量で憲法の歯止めを外していいことには決してならない。首相の言い分はあまりに乱暴だ。
政権は、国会会期を9月27日まで延長することを決めた。通常国会の延長幅としては、戦後最長となる。異例の大幅延長は、法案が合憲だと国民を説得することに自信を持てないことの裏返しではないか。
時間をかけた議論はいいとしても、それで違憲を合憲にひっくり返すことはできない。
(ウォッチ安保国会)
⑤ 元法制局長官質疑
識者2氏どう見た
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11820836.html
集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案を審議する衆院特別委の参考人質疑に22日、元内閣法制局長官の阪田雅裕氏と宮崎礼壹氏が登場し、現長官が認める憲法解釈を「黒を白に変えるような主張」と批判した。国会での新旧の「法の番人」の発言を法制局に詳しい識者たちはどう見たのか。▼1面参照
「『黒衣(くろご)』に徹するのが美学の内閣法制局で、元長官が参考人に出てくるなんて、前代未聞。それだけ法治国家の『存立危機事態』だということでしょう」
15年以上、法制局を研究する明治大の西川伸一教授(53)は驚きを隠さない。現役時代は淡々と「金太郎あめのようにぶれない」答弁に徹し、退いたら多くを語らないはずなのに――。
「黙っていられないとの思いでしょう。2人は『政府』という言葉でオブラートに包んでいたが、言葉が後輩の横畠裕介長官に向けられているのは確かだ」
存立危機事態を巡って「私なりに善意に解釈すると」「論理的にまったく整合しないというものでもないと思います」と持って回った表現を使った阪田氏については「後輩の苦しい立場もおもんぱかりつつ、納得していないぞという態度を示していた」。宮崎氏については「できないものはできないと分かりやすかった」と評価した。
「法制局は法の番人であると同時に政府の法律顧問でもある。OBが野党と一緒に戦っているのを見ると隔世の感がある」と話す。
民主政権で法相を務めた元衆院議員、平岡秀夫弁護士(61)は「阪田さんは論理性を重んじ、宮崎さんは議論の経緯を重んじる。自負を持った人たちが出てきたのはよかったのではないか」と評した。平岡氏は内閣法制局出身で、阪田元長官の部下だったこともある。
維新の柿沢未途議員が質疑の中で、横畠長官について「政府の強弁を担う役割を果たすのは不誠実だと思うし、一方でお気の毒だなと感じている」と語ったことについて、平岡氏は「(横畠長官は)官僚、宮仕えの域を脱することができない人。政権には誠実だけど国民には不誠実。そういう意味で気の毒なのかもしれませんね」ととらえた。
「法制局は政治との関わりから自立してきた役所なのに今は矜持(きょうじ)を失った」。平岡氏は古巣を嘆く。「違憲とされてきたことも押し通そうとする、何でもありの世界になってしまった」(市川美亜子、伊木緑)