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折々の記 2015 ⑥
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】07/09~     【 02 】07/10~     【 03 】07/13~
【 04 】07/18~     【 05 】07/19~     【 06 】07/23~
【 07 】08/13~     【 08 】08/17~     【 09 】08/18~

【 03 】07/13

  07 13 (戦後70年 中国:上)抗日戦、主役は誰だった   日本の戦後挫折
  07 16 (戦後70年 中国:下)「日本人民も被害」消えゆく説得力   日本の戦後挫折
  07 16 温故知新の哲学をいかせ(その一)   (安倍政権)7.15の面舵
       ① 安保採決、自公が強行 1面
       ② 熟議、置き去りにした政権 1面
       ③ (天声人語)民主主義への侮辱だ 1面
       ④ (注目!安保国会)15日 1面
       ⑤ 異論に背を向けたまま 2面
       ⑥ 安保11法案、深まらぬ116時間 3面
       ⑦ 採決強行ドキュメント 4面
       ⑧ (社説)戦後の歩み覆す暴挙 14面
       ⑨ (耕論)試練に立つ民主主義 15面
       ⑩ (ウォッチ安保国会)不信・不安、うねる 39面
       ⑪ (ウォッチ安保国会)声、上げ続ける 38面


 07 13 (月) (戦後70年 中国:上)抗日戦、主役は誰だった   日本の戦後挫折

この 7/12 と 7/15 二回の記事は、朝日新聞社の次の四人による極めて大事な記事です。

   延与 光貞 = 社会部などを経て広州支局長 1972年生
   石田耕一郎 = 瀋陽支局長を経て7月から国際報道部記者 1972年生
   古谷 浩一 = 瀋陽支局長などを経て中国総局長 1966年生
   林   望 = 香港支局長などを経て中国総局員 1972年生

現下の日本の指導者は、この認識なくして進むべき方向を決めていいのか !!

一昨日一拍二日の神稲中学昭和30年3月卒業同学年会が、安曇で行なわれて日でした。 帰宅してからニュースにより通称「安保法案」が衆議院委員会で可決されました。

国会議決前にアメリカで安保法案を通すと約束したのはでたらめといわざるをえない。



2015年7月12日 (戦後70年 中国:上)
抗日戦、主役は誰だった
     延与光貞 = 社会部などを経て広州支局長
     石田耕一郎 = 社会部、瀋陽支局長を経て7月から国際報道部記者
     古谷浩一 = 瀋陽支局長などを経て中国総局長

     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11854825.html?ref=pcviewer

 日本との戦争を戦ったのは共産党か国民党か――。中国で、その歴史認識が揺れている。

 中国で最も貧しい地域の一つとされる内陸部の貴州省。省都・貴陽から車で3時間半の晴隆県の山の上で、大きなクレーンがうなりを上げていた。造っているのは、展望台だ。

 正面の山肌にくねくねと曲がる急な山道が見える。日中戦争中、米国の支援物資がミャンマーから国民党軍に運ばれた道で「抗日戦争の生命線」と呼ばれた。当時の中国は、国民党政権の「中華民国」だった。

 地元旅行社が「客を案内したことは一度もない」という場所だが、地元政府が抗日戦の「遺跡公園」とする計画を打ち出した。地元報道によると予算は20億元(約400億円)に上る。

 ■国民党軍に光

 以前なら、ありえない開発だった。1949年に成立した「中華人民共和国」の共産党政権は、「抗日戦争の主役は共産党だった」と位置づけたからだ。

 歴史観が変化したのは、冷戦が終わり、台湾の国民党と和解が進んでからだ。「国民党と共産党は、それぞれ抗日戦争における任務を担った」。2005年、胡錦濤(フーチンタオ)前国家主席は国民党軍の功績を初めて認めた。

 ただ、共産党が「主役」を譲ったわけではない。

 「共産党も抗日戦争に加わったが限定的。戦役のほとんどは国民党軍によるものだった」。日中全面戦争のきっかけとなった盧溝橋事件から78年にあたる今月7日、国民党政権の馬英九(マーインチウ)総統はそう訴えたが、共産党はここまでは受け入れていない。民主的に選ばれているわけではない共産党政権には、「共産党が日本の侵略から中国を救った」という大義は統治の正統性に直結するからだ。

 ■揺らぐ歴史観

 代わりに強調しているのが「世界反ファシズム戦争勝利」という考え方。国民党の功績を認めたことで、米英など連合国軍との共同戦線で共産党も戦ったとのロジックが生まれた。歴史認識を通じ、国際社会と連帯を強める狙いだ。

 北京市郊外にある中国人民抗日戦争記念館。戦後70年に合わせた展示は、「偉大なる勝利と、歴史への貢献」と名づけられた。

 同館幹部は説明する。「60周年のときは『勝利』だけでしたが、今回、『貢献』が加わりました。中国の抗日戦争が世界の反ファシズム戦争の一部分であることを示すものです」(延与光貞、石田耕一郎)

 ◆キーワード

 <共産党と国民党> 20世紀初頭に清朝が崩壊後、中国大陸の統治をめぐって争ってきた両党だが、日中全面戦争が始まった1937年から「抗日民族統一戦線」を構築し、ともに日本軍と戦った。日本敗戦後、中国は内戦状態になり、勝利した共産党は49年、中華人民共和国の成立を宣言。敗れた国民党は台湾に逃れた。

 (3面に続く) ⇒ (1面から続く)

老兵撮った29歳「真相を」
   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11854756.html?ref=pcviewer

 中国の人々も、共産党が言う歴史が微妙に変わったことを、敏感に感じ取っている。

 湖南省邵陽に住むフリーのドキュメンタリー監督、蒋能傑さん(29)は3年前から、地元や隣の広東省で、日中戦争に参加した「抗日老兵」70人以上にインタビューを重ねてきた。

 農村の老人の苦境を取材していて、戦争体験を聞いたことがきっかけだ。大半は90歳を超えていた。「これが最後の機会になるかもしれない」。ドキュメンタリー監督の血が騒ぎ、カメラを回し始めた。

 すぐに気づいたのは、抗日老兵には、国民党軍の兵士だった人が多いということだった。

 共産党との内戦に敗れた後も台湾に渡らず、故郷に残った人たちだ。国民党を批判してきた共産党政権の下で、老兵たちは「反革命分子」として、長く歴史の表舞台から遠ざけられた。彼らの存在を語ることは一種のタブーだった。

 しかし、2005年の胡錦濤前国家主席の演説で、国民党軍の役割が認められ、風向きが変わった。「日本を打ち負かしたのは共産党」という政権の前提は変わらない。しかし、老兵を支援する民間の動きが広がり、中国政府も老兵たちに医療や福祉を提供するようになった。

 蒋さんは山村生まれ。90年代の江沢民政権時代に強まった「愛国主義教育」を受け、抗日ドラマや映画を見て育った世代だ。だが、大人になるにつれ、考えは変わったという。

 「我々の世代は親の世代とは違う。本やネットを調べれば、抗日戦争で国民党はよく戦っていたと分かる。政府の歴史観が国民の考えを代表しているわけではない。みんな歴史の真相を知りたいし、この流れが止まることはないだろう」(延与光貞)

 ■共産党、各地に抗日戦展示促す

 人々の歴史認識の揺らぎを覆い隠すかのように、各地で抗日戦争にちなんだ施設の建設が進んでいる。

 「歴史をありのまま伝えるためには必要なんです」

 日本軍による細菌兵器開発の拠点を展示館にした黒竜江省ハルビンの「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」。金成民館長(51)は、大規模な改修の必要性について語った。費用は3億4600万元(約70億円)とも言われる。約1万平方メートルの新館建設などで、立ち退きを求められたのは約120世帯に上るという。同館職員は「国の事業なので、住民は立ち退きに反対できるわけがない」と話した。

 中国で、歴史観はブルドーザーでつくられる。

 日本の傀儡(かいらい)国家、満州国の時代に、多くの炭鉱労働者が殺されたとされる遼寧省阜新市の集団墓地「万人坑」では昨秋、約5400万元(約10億7千万円)を投じる修復工事が決まった。周辺の住民たちを驚かせたのは、今年3月、地元政府が出した一枚の通知だった。

 「万人坑と関係のない墓は4月15日までに撤去するように。期日を越えた場合、墓は処分する」

 この一帯は「4万人の被害者が埋葬された」(地元紙)とされるが、戦後、地元住民の墓地にも使われてきた。総数は不明だが、多数の住民が家族の墓を移さなければならなくなったという。

 抗日施設の建設をめぐり、各地方は競い合っている状態だ。共産党政権は昨年以降、建設を促す通知を相次いで出している。

 関係者によると、古くなった抗日施設や資料を適切に修復しない場合は、関係者を処罰するとの通知を出した地方都市もある。

 抗日施設の展示の目玉となる資料を得るためには、高額の支出も許される。

 写真や映像を競売する北京の企業「華辰」は昨春、日清戦争から第2次大戦までに撮影された58の作品群を集めた競売会を開いた。

 同社によると、売買総額は約140万元(約2800万円)。その多くは、政府機関が購入した。同社関係者は「戦後70年に合わせ、多くの政府機関が資料を探している」。

 地方政府の役人による出世の点数稼ぎという側面もあるようだ。ある地方政府元幹部は「抗日で実績を上げれば、出世につながる。地元の経済発展より政治優先だ」と言い切った。(石田耕一郎)

 ■<視点>向き合うべきは個々の歴史観

 中国での歴史取材で、忘れられない言葉がある。

 もう10年前のことだ。歴史問題の理論を専門とする著名な老学者と話をした。

 私は、中国共産党が国民党軍の抗日戦争での功績を認めてこなかった理由を尋ねた。彼は苦しそうな表情を見せた後、きっぱりとした口調で言った。

 「そう、確かに共産党はごまかしていた。でも、革命のためだ。仕方ない」

 共産党が抗日戦争の「勝利」を訴え続けるのは、自らの統治の正統性を示すためだ。だからこそ、その歴史観は「ごまかし」があり、変化もする。ご都合主義以外の何ものでもない。

 ただ、老学者は続けて話してくれた。日本軍に占領された街で、13歳のときに父親が日本の憲兵に殺されたことを。「日本が憎い」と彼は繰り返した。その一心で日本と戦う共産党に入ったのだ、と。

 日本人の悲惨な過去への思いと同じように、私たちの目の前には、日本との戦争で肉親を失った中国の人々の悲しみが存在する。日本が過去に中国を侵略したのは事実である。

 以来、私はこの二つをなるべく区別したいと思っている。つまり、共産党の抗日プロパガンダにどう対応するかと、個々の中国人の歴史への思いにどう向き合うかという問題である。

 前者に関しては、日本が共産党と同じ土俵で、国家の歴史づくりを競って何の意味があるのだろうと思う。
むしろ私たちが考えるべきは、後者ではないか。

 歴史を決めるのは、国家だけではないはずだ。日中関係は悪くても、多くの中国人が日本を訪れ、中国政府の言う日本とは違った感想を抱いて帰っていく。

 国家や権力がつくり出す歴史認識から離れてみる。一人一人の中国の人々が抱く歴史観に思いをはせつつ、自らの歴史を振り返る。私たち日本人が問われているのは、そんな取り組みではないだろうか。(古谷浩一)


     *

 えんよ・みつさだ 1972年生まれ。社会部などを経て広州支局長

     *

 いしだ・こういちろう 72年生まれ。社会部、瀋陽支局長を経て7月から国際報道部記者

     *

 ふるや・こういち 66年生まれ。瀋陽支局長などを経て中国総局長

 ◇次回は、日中友好関係を支えてきた「二分論」という考え方を取り上げます。

 07 16 (木) (戦後70年 中国:下)「日本人民も被害」消えゆく説得力   日本の戦後挫折




2015年7月15日 (戦後70年 中国:下)

     林望 = 香港支局長などを経て中国総局員
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11859538.html

 「我々は、日本人民もあの戦争の被害者であったと考えている」

 5月、中国の習近平(シーチンピン)国家主席は北京の人民大会堂で日本から来た約3千人の訪中団を前にこう語った。

 メディアを通じて国内に広く伝えられた言葉は、「対日関係を修復する」とのメッセージでもあった。

 侵略の責任は一部の軍国主義者にあり日本人民は戦争の被害者である――


 共産党政権のこうした対日観を「二分論」という。1972年の国交正常化の際、中国の人々の反日感情を抑え込むために大いに宣伝され、浸透した。

 それから40年余り。日中が歴史を乗り越えて関係を築くために語られたそのロジックが、きしんでいる。

 たとえば、靖国神社。中国の言う「一部の軍国主義者」のA級戦犯を合祀(ごうし)する場所に参拝することは、中国には二分論の否定と映る。靖国を参拝した安倍晋三首相とその内閣に日本の国民が寄せる高い支持率が中国で報じられると、ネット上にこんな意見が書き込まれ、転載された。

 「もう二分論は失効した」 (林望)


 (13面に続く) ⇒ (1面から続く)

揺れる「国民の戦争責任」 「二分論、真に受けない」
   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11859435.html

【画像】日本のA級戦犯が靖国神社に合祀(ごうし)されていることを伝える中国人民抗日戦争記念館の展示=北京市、古谷浩一撮影

 ある中国有力紙の記者(34)は5年前に友好訪問した日本で、大手メディアの編集幹部から言われた言葉が忘れられない。

 「街で聞いてみなさい。あの戦争で中国に負けたと思っている日本人なんて、ほとんどいないよ」
 【下平・注】メディアの若者の感覚の中に、こんなとんでもない言葉をいう者がいるのか? このことが多くの人の感覚とすればとんでもない考え違いだ

 二分論は、一部の軍国主義者を悪とし、その他の日本国民を善と位置づける。この記者も幼い時から、大半の日本人は中国への罪滅ぼしと友好の思いを持つ友人だ、と言われて育った。

 しかし、編集幹部の言葉を聞いて、その説明に漠然と抱いていた疑問が的外れではなかったと感じたという。日本で目にしたのは、二分論では割り切れない日本人の姿だった。

 日本の国民は、本当にあの戦争に責任がないのか。

 外交官などの育成を担う北京の外交学院で国際関係を教える周永生教授(52)は、授業で「侵略の責任の99%は指導者にあったとしても、国民の責任がゼロではありえない」と教えている。

 二分論が日中関係を支えてきたことを評価しつつも、政府の行いと国民とを切り離して語ることに違和感があるからだ。

 一時的にせよ、侵略による利益や高揚感があったからこそ、国民は時の政府を支持したのではないか。その思いを語り始めて10年になるが、学生から異論が出たことはないという。

 中国の人々が抱く二分論への疑いは、尖閣問題や安倍晋三首相の靖国参拝などによる日中の対立の中で、一層深まった。

 それでも日中首脳は昨年11月、約2年半ぶりの首脳会談にこぎ着けた。

 1カ月後の12月13日、習近平(シーチンピン)国家主席は南京事件の追悼の式典でこう語った。

 「少数の軍国主義者が侵略戦争を起こしたことによって、その民族を敵視するべきではない」

 首脳会談で関係改善に動いた習氏が、最高指導者になって初めて公に「二分論」に言及した瞬間だった。

 その後、北京で中国の研究者と日本のメディア関係者による食事会があった。復活した「二分論」に話題が及ぶと、中国側から思わず言葉が漏れた。

 「歓迎すべきですが、庶民はもう、真に受けませんよ」


 ■封じ込められた歴史の火種

 共産党政権が二分論を使い始めたのは1950年代にさかのぼる。

 56年10月、日本財界の働きかけで北京で開かれた戦後初の日本商品展覧会。日の丸が翻った掲揚台に、高齢の中国人女性がすがりつき、泣いていた。

 「やっと新しい中国になったのに、何で日本の旗を揚げなきゃならないの」

 女性は、日本軍に家族が殺されたのだと叫んだ。黒山の人だかりが、黙ってその様子を見守っていた。

 「みんな、この女性と同じ思いなんだな」

 日本側の随行記者だった南村志郎さん(86)は、中国の人々の心の奥底を見た気がした、と振り返る。

     *

 <胸に響いた言葉> 意外だったのは、訪中団を迎えた周恩来首相の言葉だ。

 「日本人も赤紙一枚で戦場に連れて来られた犠牲者だ。人民同士は友人なのです」

 市民の姿とは隔たりがあったが、周首相の言葉は胸に優しく響いたと言う。

 中国は対立していた米国に従う日本政府ではなく、国民に連帯を呼びかけることで将来の国交正常化に道を開こうとした。

 二分論が中国に根づいたのは、72年の日中国交正常化の時だ。69年に中ソ国境で武力衝突が勃発。中国指導部は米日との関係修復を急いでいた。

 田中角栄首相の訪中を控えた9月14日。上海各地に党幹部14万人を集め緊急集会が開かれた。その中に、紡績工場の党幹部だった呉寄南さん(67)もいた。

 「日本と国交正常化する。これは党中央の重要な戦略的措置である」

 職場で党の指示を伝えた呉さんは、「日本人にだまされるな」との激しい反発に遭った。連日集会を開き、反対意見を説き伏せたのは二分論だった。説得工作は中国各地の職場や学校などで行われたという。

 二分論はまた、日米安保条約やベトナム戦争への反対が広がった日本でも受け入れやすい考え方だった。

 国交正常化のため、北京を訪れた田中首相を迎えた周首相は「我々は賠償の苦しみを知っている。この苦しみを日本人民になめさせたくない」と述べ、戦争賠償の請求権放棄を表明した。

 ただ、二分論は、日中が抱える歴史の火種を封じ込めるものであり、解消するものではなかった。二分論で抑え込まれた中国の人々の被害感情は、日本で歴史問題が持ち上がるたび、反日デモなどの形で噴出した。二分論は、日中関係の浮き沈みに合わせて強調されたり、弱められたりを繰り返してきた。


     *

 <ゆがめたと指摘> 政府シンクタンク中国社会科学院で初代日本研究所長を務めた何方さん(92)は、二分論が両国関係をゆがめていると指摘する。

 「二分論は支配者と被支配者、敵と味方に分け、世界革命を目指す階級闘争の考え方だ。それを外交に当てはめてはならない」

 何さんは90年代、日中は歴史問題から解き放たれるべきだと主張。厳しい批判も受けた「対日新思考」と呼ばれる思潮を生んだ学者だが、12年に二分論批判の文章を雑誌に発表した。

 主張の真意を尋ねると、こんな答えが返ってきた。

 「戦争は国家の行いである以上、国民も責任と向き合わなければならない。その結果としてなら、互いの見解が違っても中日は関係を築いていけるはずだ」 (林望)

 二分論、識者に聞く

 <今も関係安定化の力> 中国社会科学院日本研究所長・李薇氏


 日本の反中、嫌中的な感情の広がりにどう対応するかは我々が直面する課題だ。日本が変わる以上、二分論には無理があるという人は中国でも次第に増える。二分論を無理に当てはめることが日本に対する間違った理解を生み、中国の政策判断を誤らせるという指摘は学界にもある。

 しかし、二分論には今も両国関係を安定させる力がある。否定するのではなく、そこに経済や地域協力などの実務的、戦略的な対話の枠組みを加えていくべきだ。強調したいのは(日本人民に罪はないとする)二分論は、中国の歴史と価値観に根ざす哲学でもあったということだ。単なる外交戦略ではない、哲学を感じ取ったからこそ中国の庶民は受け入れた


 <見直せば世論刺激も> 早稲田大学名誉教授・毛里和子氏

 中国の一部には、二分論を否定する考え方も出てきているが、中国政府は今後も対日政策の原理の一つである二分論を維持するだろう。見直すと、対日政策で中心的な原理が欠けてしまうことになり、日本に対して日中戦争の損害賠償を請求する声が公然と出るなど世論を刺激しかねない。

 日本にとっても、中国の二分論は両国関係を落ち着かせる効果がある。日中関係は今でさえ不安定なのに、二分論という原理がなくなれば危うい状態になりかねない。首相が靖国神社を参拝すれば、二分論の肝心な部分をないがしろにすることになる。日本としては中国に対する不用意な行為を控え、中国の二分論に沿う形の外交が現実的だと思う。

 <代わる枠組み模索を> 東京大学大学院教授・川島真氏

 戦争の「被害者」である日本人民に接近すれば日中友好は実現するという二分論の発想は、現在の中国でも生きている。だが、日本の対中感情が悪化した現在、その有効性は疑問だし、戦争責任が民には全くないという説明にも、双方の国民に違和感があるのではないか。

 日中が普通の関係になるには二分論に代わる、あるいは補完する枠組みの模索が必要だ。「痛切な反省と心からのおわび」を表明した村山談話、それを「評価する」とした温家宝(ウェンチアパオ)前首相の演説、日中共同声明などの両国関係の基礎となる四つの基本文書もある。これらを、和解に向け日中双方で折り合ってきた歴史として位置づけ直せば、そこに一定の答えがあろう。

 ■取材後記

 ページを開くと、「さくらさくら」のメロディーが流れるアルバム。72年9月、日本公演から戻ってまもない上海バレエ団は、日本でもらった贈り物や日本での歓待ぶりを紹介しながら、「日本人民は中国との交流を望んでいる」と、市民に説いたそうだ。戦争の記憶も生々しい市民が日本との国交正常化を受け入れられるよう、共産党が繰り広げた説得工作の一幕だ。日中の関係がこうした努力の上に成り立っていることを、私を含む日本人はどれだけ意識してきただろう。

 二分論は両国が歴史を乗り越えてつき合うために必要だったが、政治が導いた「友好」は、国民同士が互いの心に向き合う営みを鈍らせたのではないか、とも感じる。結果として歴史を巡る問題は先送りされ、溝は深まっているようにも見える。互いの国民が等身大で相手を見るために、日中はいつか二分論から卒業しなければいけないと思う。

     *

 はやし・のぞむ 1972年生まれ。香港支局長などを経て中国総局員

 07 16 (木) 温故知新の哲学をいかせ   (安倍政権)7.15の面舵

第一次大戦以降の平和への努力は、人の金銭欲と政治家の国益誘導(=人の無意識下の集団帰属本能を利用したプロパガンダの手法による誘導)のために、不戦条約は破られユネスコの理念はないがしろにされ、絵にかいた夢と化している。

私たちが願ってきた日本国憲法による国づくりは茨の道へ投げ出されようとしている。

朝日新聞に現われている日本が屈折していく記事を記録としてとどめる。

   ① 安保採決、自公が強行 1面
   ② 熟議、置き去りにした政権 1面
   ③ (天声人語)民主主義への侮辱だ 1面
   ④ (注目!安保国会)15日 1面
   ⑤ 異論に背を向けたまま 2面
   ⑥ 安保11法案、深まらぬ116時間 3面
   ⑦ 採決強行ドキュメント 4面
   ⑧ (社説)戦後の歩み覆す暴挙 14面
   ⑨ (耕論)試練に立つ民主主義 15面
   ⑩ (ウォッチ安保国会)不信・不安、うねる 39面
   ⑪ (ウォッチ安保国会)声、上げ続ける 38面

現在の日本の歩みはこれでいいのか? 私たち老人にも日本の現状問題についての責任のいったんはある。 「子どもたちをどう育ててきたか」の責任である。 歴史から学ぶ哲理は、温故知新だと自分なりの信条をもってきた。 その信条にハッと気づく。 反省すべきために、現状の行政の歩みと市民の反省を、留めるつもりでいる。



2015年7月16日 朝日新聞)
① 安保採決、自公が強行 1面
     特別委で首相「理解進んでいない」
     きょう衆院通過
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11861574.html

◆特別委 民・共抗議 維新退席

 安倍政権は15日の衆院特別委員会で、安全保障関連法案の採決を強行した。委員会では維新の党が退席、民主・共産両党が抗議する中、自民・公明両党の賛成多数で可決した。法案は16日、衆院本会議で採決される方向だ。ただ、報道各社の世論調査では法案への反対意見がふくらんでおり、15日も国会周辺では市民らが反対の声を上げた。

◆首相「理解進んでいない」

 可決後の衆院議院運営委員会で、与党が16日の衆院本会議を提案。野党は拒否したが、自民の林幹雄委員長が職権で開会を決めた。

 特別委は15日午前9時から、安倍晋三首相が出席して締めくくり総括質疑を行った。正午過ぎに浜田靖一委員長が打ち切りを宣言。維新の党の対案が否決され、維新は退席した。民主・共産両党が採決に応じず委員会室内で抗議する中、与党が採決を強行した。

 民主、維新、共産、社民、生活の野党5党党首が国会内で16日の対応を協議。本会議の採決に出席しないことで一致した。ただ、民主、維新、共産は反対討論は行う方針だ。

 法案は5月26日に審議入りし、特別委での採決までに審議時間は116時間を超えた。衆院事務局によると、1960年の日米安全保障条約改定(約136時間)や2012年の消費増税関連法(約129時間)などに続く戦後6番目の審議時間となった。

 ただ、審議時間の長さとは対照的に、11もある法案への理解は広がっていない。朝日新聞が今月実施した世論調査によると、安保関連法案に対する首相の説明が「丁寧だ」と感じる人は15%だったのに対し、「丁寧ではない」は67%にのぼった。「今の国会で成立させる必要はない」との回答も66%を占める。

 首相は15日の質疑で「残念ながら、まだ国民の理解が進んでいる状況ではない」と認めた。その後、首相官邸で記者団に「国会での審議はさらに続く。丁寧に分かりやすく説明していきたい」と語った。

 首相が採決強行に踏み込んだのは、4月の米議会演説で「この夏までに成就させる」と今国会での成立を国際社会に公約したことが背景にある。

 今国会は9月27日まで会期が大幅延長されている。法案が16日に衆院通過すれば、9月中旬には参院で議決されなくても衆院で与党が再議決できる「60日ルール」が適用できる。

◆国会前、深夜抗議

 15日午後11時半すぎ、国会正門前。小雨が降り始めたが、大学生ら若者を中心に多くの人が声を上げ続けた。警察官が警備するなか抗議の意思を示すプラカードなどを掲げ、「戦争する総理はいらない」「自民党って感じ悪いよね」などと訴えた。

 〈+d〉デジタル版に動画


2015年7月16日 朝日新聞)
② 熟議、置き去りにした政権 1面
     安保法案の採決強行
     政治部長・立松朗
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11861582.html?ref=pcviewpage

 政治の責任とはなんだろう。

 安倍政権は合意形成をめざす「熟議」を置き去りにし、「決める」ことに突き進んだ。異なる立場を調整し、少数意見も受け止める。この役割を果たそうとせず、まして多くの国民が納得していない安保法制の採決を強行した。

 国会で憲法学者が「安保法制は違憲だ」と口をそろえたのに対し、安倍晋三首相は「国民の命、国を守る責任は私たちにある」。ただ、「私が正しい」と決めれば、違憲だという疑念が晴れるものではない。

 憲法解釈を変更し、戦後日本とは違う道を歩もうというのだ。白黒でなく安保政策をめぐる多様な意見に耳を傾け、言葉を尽くして説明することが、リーダーとして最優先の責任のはずだった。首相はどういう思いで、採決を前に「理解は進んでいない」と言明したのだろう。

 首相は日米安保条約改定も国連平和維持活動(PKO)協力法もメディアが批判し、反対の世論も強いなかで実現させ、今ではみんな賛成していると主張する。「どうせ理解されないし、時が解決する」と言わんばかりの態度は、政治の責任に無自覚だと言わざるを得ない。

 実際、審議を重ねるにつれ、逆に「説明が不十分」との世論が増えた。そうだろう。質問に真正面から答えず、どういう事態を想定しているかと問われると「そういうことを述べる海外のリーダーはほとんどいない」。それで議論を打ち切れば、説明不十分と感じるのは当然だ。

 そして自民、公明両党である。日本を取り巻く国際情勢が変わるなかで、すべきことは何か。集団的自衛権を使わなければ日本の安全は守れないのか。国会の議論を通じて、論点は少しずつ浮かんできていた。

 論戦を踏まえ、例えば秋の臨時国会で民主党、維新の党とも合意できる法改正をまず実現させる。集団的自衛権の行使は見送る――。こんな道を国会はなぜ探ろうともしないのか。

 「早く質問しろよ」「懲らしめろ」。国家権力を握る者たちの強圧的な言動が際立つなかで、安保政策の大転換をこのまま押し通したら、民主政治の根幹が揺らぎかねない。参院審議で政治の責任を果たし、国会は政権の下請け機関ではないことを示してほしい。


2015年7月16日 朝日新聞)
③ (天声人語)民主主義への侮辱だ 1面
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11861571.html?ref=pcviewpage

▼侮辱とは、人前で相手を見下して恥をかかせることをいう。よく似た侮蔑という言葉より程度がひどいという。後者は表情や態度に表れる場合が多いが、前者は具体的な言行を伴う。中村明著『日本語 語感の辞典』による説明に得心が行く

▼その侮辱が三つも重なるというのだから罪深い。集団的自衛権を行使できるとした安倍政権の憲法解釈変更について、憲法学の権威、樋口陽一さんは「三重の侮辱」だと批判した。有識者がつくる「国民安保法制懇」の13日の記者会見で語った

▼第一に国会審議への侮辱である。9条の下では集団的自衛権は使えないとする従来の解釈は、何十年にもわたる国会論戦の中で確立されてきた。その積み重ねを一気に吹き飛ばしたのが、昨年の閣議決定であり、安保関連法案だ

▼第二に最高裁判例への侮辱である。解釈変更の根拠として、米軍駐留の合憲性が問われた砂川判決が挙げられる。樋口さんの見るところ、これは牽強付会(けんきょうふかい)にもなっていない議論で、学生の答案であれば落第だ

▼第三は歴史に対する侮辱である。戦後体制(レジーム)からの脱却を図る首相の歴史認識の危うさに触れ、それが法案につながっていると指摘した。樋口さんの分析は問題の大きさと深さを摘出して鋭利だ

▼きのうの採決強行で、さらに侮辱が重ねられた。民主主義そのものへの侮辱である。国民の理解が進んでいないことを認めながらの暴挙は国民に対する侮辱でもある。怒りの声がいよいよ高まり、広がるのは必定だろう。


2015年7月16日 朝日新聞)
④  (注目!安保国会)15日 1面
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11861581.html

【画像】安保関連法案の衆院特別委で採決が強行され、浜田靖一委員長に野党議員が詰め寄った。左は、法案に賛成して起立する与党議員=15日午後0時25分、越田省吾撮影

 ヤジと怒号が飛び交うなか、自民、公明両党が15日に採決を強行した安全保障関連法案。この日も全国各地の街頭で、市民が抗議の声を上げ続けた。SNSを駆使し、若者らが集う。原発事故以降のこうした姿からは、代表制民主主義を補う新たな手段となる兆しが浮かぶ。

異論に背を向けたまま 2面

自衛隊派遣 歯止めは 3面

採決強行ドキュメント 4面

社説 戦後の歩み覆す暴挙 14面

耕論 試練に立つ民主主義 15面

私は思う 国会前で、全国で 38.39面

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2015年7月16日 朝日新聞)
⑤ 異論に背を向けたまま 2面
     ヤジ・威圧…強行の伏線
     側近「成立すれば国民は忘れる」
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11861541.html?ref=pcviewer

【画像】 首相退席
衆院特別委での安保関連法案の採決直前に退席する安倍晋三首相(中央)。手前は、浜田靖一委員長に詰め寄る野党議員たち=15日午後0時10分、越田省吾撮影

安全保障関連法案をめぐる主な動き
月 日
名 称
主  な  動  き
 2014 05/15   - 安倍首相の諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」
 が集団的自衛権の行使を容認することなどを求めた報告書を提出
 2014 07/01  閣議 集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を閣議決定
 2014 12/14  衆院選 自公大勝。 326議席獲得
 2015 02/13  与党協議 安全保障関連法案の与党協議スタート
 2015 05/11   - 安保関連法案の全条文案を最終合意
 2015 05/14  閣議 安保関連11法案を閣議決定
 2015 05/26  衆院本会議 法案審議がスタート
 2015 06/04  衆院憲法審査会 3人の憲法学者が法案の違憲性を指摘
 2015 06/22  通常国会 9月27日まで95日間延長することを国会で議決
 2015 07/15   - 法案が衆院特別委員会で可決
 2015 07/16   - 衆院本会議で可決、法案を参院へ送る
 2015 09/27   - 通常国会会期末
◆ヤジ・威圧…強行の伏線
    官邸幹部「成立すれば国民は忘れる」


 国民の理解が進んでいないのも事実――。安倍晋三首相自らがこう認めたのに、自民、公明両党は15日、安全保障関連法案の採決を強行した。報道機関の世論調査で多くの国民が反対の考えを示し、憲法学者の多数が憲法違反だと指摘する中、安倍政権は異論や違憲という指摘に背を向けたまま、安保政策の大転換に突き進もうとしている。

 「アベ政治を許さない」「自民党 感じ悪いよね」

 民主党議員が掲げたプラカードが揺れ、採決中止を求める怒号が飛び交う中、衆院特別委員会の浜田靖一委員長(自民)は「採決に移ります」と叫んだ。

 野党議員が委員長席に詰め寄り、浜田氏から議事進行用の紙を取り上げると、浜田氏はポケットから別のコピーを取り出して読み上げる。野党議員からは「反対、反対」のコール。委員会室は混乱した。

 採決前の質疑で、首相は「まだ国民のみなさまのご理解が進んでいないのも事実だ」とも認めた。浜田氏は採決後、記者団に「もう少しわかりやすくするためにも、法案を10本束ねたのはいかがなものかなと思う」と首相への不満を漏らした。石破茂地方創生相も14日の記者会見で「『国民の理解が進んできた』と言い切る自信があまりない」。政権内には、国民の理解が一向に進んでいないという自覚はあった。それなのに、政権はこれ以上の異論を封じるかのように採決に突き進んだ。

 民主の岡田克也代表は採決後、「国民の反対が強まってくるなかで、早く店じまいしなければ大変なことになる。これが首相の考えだ」。共産党の志位和夫委員長も「国民多数の反対を踏みにじって採決を強行した。国民主権の蹂躙(じゅうりん)だ」とそれぞれ批判。参院で廃案に追い込む考えを示した。

 首相がここまでして特別委での採決に踏みきったのは、安保関連法案成立を4月の訪米で米国に公約しており、先送りが国内外で政権の求心力を落とすことになるからだ。このため、衆院を通過した法案が仮に参院で議決されなくても、60日たてば衆院で再議決できる「60日ルール」の適用を視野に、9月27日の会期末から逆算。余裕を持って15日の採決に踏み切った。

 新国立競技場の建設問題や九州電力川内原発などの再稼働、戦後70年談話など難題も山積しており、懸案を早期に処理しておく必要性にも迫られていた。 (安倍龍太郎)

◆党内議論も乏しく

 異論封じへの伏線はあった。5月28日の特別委で、首相が自席から民主党議員に「早く質問しろよ」とヤジを飛ばした。政府の説明責任を放棄するような姿勢に批判が集まった。また、6月25日の首相に近い自民党議員の勉強会で、議員が「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」「沖縄のゆがんだ世論を正しい方向に持っていく」などと述べ、政府に批判的な報道や世論を威圧する発言も飛び出した。

 自民幹部の一人は法案の作成過程も問題視する。議員が幅広く法案の作成過程に関与することなく、「一部の幹部だけで法案が作られ、党内議論で意見しようとすれば、作成を主導した高村正彦副総裁に論破された」。異論に耳を傾けぬ党内の空気が醸成された。首相に近い参院議員の一人は「消費税や年金と違い、国民生活にすぐに直接の影響がない。法案が成立すれば国民は忘れる」と言い切る。

 くしくもこの日は、首相の尊敬する祖父、岸信介元首相が1960年、日米安保条約改定を巡る国会の混乱から退陣した日だ。首相は特別委で「あの(安保改定の)時も国民の理解はなかなか進まなかった。しかし、その後の実績をみて多くの国民から理解や支持をいただいた」。

 かつて、有事法制や消費税率の5%から8%への引き上げ法案では、与野党が粘り強く協議して合意を作り上げた実績もある。だが、今の首相にあるのは、異論もいずれは収まるだろうという楽観論だ。

 野党議員が委員長席周辺で抗議の声をあげる中、首相は採決の結果を見届けないまま議場を後にした。 (笹川翔平)

◆「違憲」指摘、最後まで釈明

 法案の内容をめぐり、与野党が厳しく対立する構図はふつうだ。だが安保関連法案は合憲か、違憲かという根幹が問われ続ける異例の審議をたどった。

 「自分の思い通りに憲法をねじ曲げようとしている」。15日の特別委で民主党の辻元清美氏は、長年の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認めた首相の手法を厳しくせめた。

 こうした批判に、安倍首相は「合憲である絶対的な確信を持っている」と述べるなど、最後まで憲法をめぐる説明に追われた。

 首相にすれば、ここまで国会で合憲か違憲かが問われるのは想定外だった。昨年7月の憲法解釈変更後、首相は自国防衛に限定した集団的自衛権なら憲法上認められると説明。弁護士出身の自民党の高村氏、公明党の北側一雄副代表を中心に、内閣法制局を加えて理屈を練り上げた。政権は万全の理論武装をして法案審議に臨んだはずだった。

 ところが、6月4日の衆院憲法審査会で憲法学者3人が「憲法違反」と指摘すると、政権は一転、釈明に追われるようになった。

 自民は「憲法解釈の最高権威は最高裁だ。憲法学者でも内閣法制局でもない」(稲田朋美政調会長)などと防戦したが、朝日新聞が11、12日に実施した全国世論調査では、法案が憲法に「違反している」が48%に上り、「違反していない」は24%にとどまった。

 反論が一向に理解されない中、首相は日本を取り巻く安全保障環境の悪化による「リスク」を訴えて、集団的自衛権行使の正当性を主張してきた。しかし、憲法によって政治権力を縛る立憲主義に反することを認めれば、時の権力の暴走を許すことにつながりかねず、国のあり方にとって、逆に重大なリスクになる。

 「総理は『政治家が判断しなければならない』と言うが独善だ。立憲主義は総理のような独走を抑えるためにある」。民主の大串博志氏は15日の質疑でこう迫ると、首相は「違憲立法かの最終的判断は最高裁判所が行う。憲法にも書いてある」と持論を強調した。 (石松恒)


2015年7月16日 朝日新聞)
⑥ 安保11法案、深まらぬ116時間 3面
     衆院委可決
     自衛隊派遣、歯止めは自衛隊派遣
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11861512.html

※ 1 安全保障関連法案の全体像

   国際平和支援法案 …… 海外で自衛隊が他国軍を後方支援する  10の法律を一括改正

    ① 武力攻撃事態法 改正案
          集団的自衛権の行使要件を明記
    ② 周辺事態法 …法律名も変更…⇒ 重要影響事態法案
          日本のために活動する米軍や他国軍を地球規模で支援
    ③ PKO協力法改正案
          PKO以外にも自衛隊による海外での復興支援活動を可能に
    ④ 自衛隊法改正案
          在外邦人の救出や米韓防護を可能に
    ⑤ 船舶検査法改正案
          重要影響事態で日本周辺以外での船舶検査を可能に
    ⑥ 米軍行動円滑化法 …法律名も変更…⇒ 米軍等行動円滑化法案
          存立危機事態での米軍や他国軍への役務提供を追加
    ⑦ 海上輸送規制法改正案
          存立危機事態での外国軍用品の海上輸送規制を追加
    ⑧ 捕虜取り扱い法改正案
          存立危機事態での捕虜の取り扱いを追加
    ⑨ 特定公共施設利用法改正案
          武力攻撃事態で米軍以外の他国軍も港湾や飛行場利用可能に
    ⑩ 国家安全保障会議(NSC)設置法改正案
          NSCの審議事項に存立危機事態などへの対処を追加


※ 2



15日に衆院特別委員会で可決された安全保障関連法案は、自衛隊の活動を地球規模に広げるものだ。安倍晋三首相らは国会審議で、とりわけ焦点となった集団的自衛権行使と他国軍への後方支援活動について、様々な地域の事例に言及した。だが、116時間半に及ぶ特別委の審議でも説明が尽くされたとは言えず、派遣が歯止めなく拡大する懸念は残る。

◆ 「存立危機事態」範囲は

 安倍政権は、従来の憲法解釈で禁じてきた集団的自衛権の行使について、日本の存立や国民の命、権利が脅かされる明白な危険がある「存立危機事態」なら使えると解釈を変更。その具体的な事例として、中東・ホルムズ海峡の機雷除去と朝鮮半島有事(戦争)での米艦防護の二つを挙げた。

 このテーマでは、憲法学者らから解釈変更そのものが「違憲」との批判を浴びただけでなく、あいまいな政府答弁がさらに疑問を招く結果となった。

 ホルムズ海峡の例について、首相は輸入原油の8割が通る交通の要衝が機雷で封鎖されれば「経済的なパニックになる」と強調。「我が国が武力攻撃を受けた場合と同様に深刻、重大な被害が及ぶ」と訴えた。しかし、野党からは「経済的な理由だけで海外での武力行使が認められるのか」と批判を浴びた。

 一方で、より日本に近い南シナ海も海上交通路に当たるが、首相は集団的自衛権を使った機雷除去はできないとの見方を示した。その理由を「ホルムズ海峡の場合は迂回路(うかいろ)がないが、南シナ海は様々な迂回路がある」などと説明。南シナ海には存立危機を避ける「他の手段」があるとの理屈だが、野党はホルムズ海峡の例でも「他の手段」があると指摘している。

 日本周辺の朝鮮半島有事での集団的自衛権の行使については、個別的自衛権での対応との違いなどが焦点となった。

 首相は6月17日の党首討論で、「某国が『東京を火の海にする』との発言をエスカレートさせ、ミサイル防衛に関わる米艦船を攻撃した場合」と例示。しかし、詳細な説明を求められると「その時々に適切に判断していく」「(説明すると)政策的な中身をさらしてしまう」などと正面から答えない態度が目立った。

◆ 「重要影響」世界中に

 安倍首相は10日の衆院特別委で、自衛隊の他国軍への後方支援について「日本に重要な影響を与える事態が生じるのは、日本近傍に限られたわけではない」と強調。活動領域を世界中に広げる姿勢を鮮明にした。

 1999年に現行の周辺事態法を審議した際、当時の小渕恵三首相は後方支援の対象地域について「中東、インド洋、まして地球の裏側は考えられない」と答弁。従来はこれが歯止めになっていた。しかし、周辺事態法を改正する今回の重要影響事態法案では、地理的制限は取り払われた。

 安倍首相は5月28日、小渕答弁について「(地球の裏側への派遣は)当時の現実の問題として想定されないと答えた」と事実上修正。中国の軍事的な台頭や北朝鮮の核開発、軍事技術の進歩など「安全保障環境の変化」を念頭に、日本に影響を与える事態は世界中で起こりうる、という見方を示した。

 一連の首相答弁からは、中東と東アジアを結ぶ海上交通路で米軍などへの支援を強める狙いがにじむ。

 5月28日には中国が海洋進出を進める南シナ海について「ある国が埋め立てをしている。いざという時に備えるのは大変重要だ」と言及。6月1日には「中東、インド洋で深刻な軍事的緊張状態や武力衝突が発生して、物資を運ぶ日本の船舶に深刻な影響が及ぶ可能性があり米国(軍)が対応していれば重要影響事態にあたりうる」と述べた。

 派遣の根拠となる「重要影響事態」とはどんな状況なのか。政府は「経済面のみの影響」だけでは当てはまらないとしつつ、詳細な説明は避け続けている。首相は衆院最後の質疑となった15日の特別委でも、こう繰り返すだけだった。「重要影響事態も政府そして国会が判断をする」(三輪さち子)

◆ <考論>法整備は必要、リスク説明を 細谷雄一・慶応大教授(国際政治学、外交史)

 今回の安保法制の最大の目的は戦争を起こりにくくすることであり、国際社会の平和と安定を確立することだ。時代に合った新しい法整備は不可欠だ。

 従来の安保法制は冷戦期のソ連の脅威を前提にしたものだ。冷戦終結から四半世紀を経て、多くの「隙間」が問題となっている。

 今、東アジアは、中国の急速な軍拡と米国の影響力の後退により、不安定化している。グローバル化と相互依存が進む現在の世界で、一国のみで安全保障を確保することは時代錯誤だ。日米同盟の強化や国連の平和維持活動への参加など、他国と緊密に連携することがより重要となっている。

 焦点となった集団的自衛権の部分的な行使容認も、合同演習における情報共有など、平時からの安保協力を促進する点からも不可欠だ。「日本が戦争を起こす国になる」という懸念があるが、憲法上、国際法上、何重にも厳しい制約があり、国会承認も必要で、実際に行使する可能性は極めて低い。違憲との批判もあるが、純粋な他国防衛のための武力行使は除外されており、これまでの憲法解釈の枠内に収まっている。法的安定性を重視した抑制的で妥当な内容といえる。

 憲法前文には国際協調主義の精神が書かれている。これこそ国際社会で孤立し戦争の道を歩んだ戦前の反省だ。日本が自国の安全のみに専念し、国際的な平和と安全を無視する利己的な国家でいいとは思えない。

 一方で、政府は今回の安保法制の利点だけでなく、自衛隊の活動拡大により日本が負うことになるコストやリスクも明確に示し、議論を深める必要がある。(聞き手・村松真次)

◆ <考論>周辺国の軍拡を招く可能性 遠藤誠治・成蹊大教授(国際政治学)

 今回の安保法制は、制定の動機も効果も疑問が多く、とても賛成できない。軍事的選択肢ばかりを強調し、周辺国の反応も考慮に入れずに内向きの論理だけで結論を出すのは危険だ。

 安倍晋三首相は、アジア太平洋地域の安保環境が悪化する中、安保法制によって軍事的な対応能力を向上させれば、日本はより安全になる、と主張する。

 確かに中国の軍事費は増え、北朝鮮の脅威もある。だが、抑止力強化のためとして軍事的対応を強化するのみでは、中国などが日本に対抗する軍拡を正当化し、結果的に日本の安全は低下する可能性がある。

 そもそも、今回の安保法制は明らかに違憲だ。歴代内閣は個別的自衛権のみを認め「自衛隊は戦力ではないので合憲」との憲法解釈をしてきた。集団的自衛権を行使しないことが自衛隊を合憲としてきた。集団的自衛権を行使できる戦力を持てば、自衛隊が違憲の存在になってしまう。

 日本は戦後70年、戦争をせず、他国攻撃の能力も持たないことで、東アジアの安定化に貢献してきた。こうした平和的な民主主義国として地域の安定に貢献してきたことが日本外交の「資産」だ。

 自衛隊は米軍との情報共有が深まり、インド洋では米軍などに後方支援をした。それでも政府は「集団的自衛権は行使していない」と言ってきた。集団的自衛権行使を容認しないと米国と手が組めないというのは、筋違いだ。むしろ平和国家としての資産をより活用した方が安全保障に資する。

 今回の法制は、日本が歴史的に積み上げた平和国家のアイデンティティーや資産を吹き飛ばすものだ。(聞き手・二階堂勇)


2015年7月16日 朝日新聞)
⑦ 採決強行ドキュメント 4面
     安保法案
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11861679.html?ref=pcviewer

 日本の安全保障政策を根本から変える区切りとなった15日。与野党の動きを追った。

 08:00 自民、公明両党の幹部が東京都内のホテルで会談

 09:00 新たな安全保障関連法案を議論する衆院特別委員会が全党出席でスタート

 09:18 民主党の長妻昭氏が特別委で「国民の理解がまだ得られていない中、強行採決は到底認められない」

 10:00 衆院ホームページでの特別委の中継が見にくくなる。アクセス集中が原因で約1時間続く

 11:20 菅義偉官房長官が記者会見で「自衛隊も発足当時は9割ぐらいの学者が反対だった。今、自衛隊がなかったら生命と平和な暮らしが守れるかどうかは極めて疑問」

 12:07 共産党の赤嶺政賢氏が特別委で、審議継続を求める動議を提案。浜田靖一委員長はすぐに起立採決し、賛成少数で否決。民主党議員が委員長席に集まり始めるなか、審議終了の採決を賛成多数で可決

 民主党議員が「アベ政治を許さない」「自民党 感じ悪いよね」などのプラカードを委員会室内で掲げ始める

 12:10 安倍首相が委員会室を退席、官邸へ

 12:21 維新案を採決し、賛成少数で否決

 12:23 民主党の辻元清美氏が「委員長やめて!」と叫び、「お願いしますよ」と懇願。浜田委員長が持っていた議事進行用の紙の奪い合いが続くなか、浜田委員長はマイクを使わずに大声で政府案を採決。民主党議員が「ハンターイ」を大合唱するなか、賛成多数で可決。浜田委員長が大声で「成立をしました」と言い間違えると、与党議員は大きな拍手

 12:30 共産党が臨時議員団総会。志位和夫委員長は「与党の横暴は、憲法9条を蹂躙(じゅうりん)する違憲立法を通しただけではない。国民のこれだけの反対を踏みにじったのは国民主権に対する蹂躙だ」

 12:34 公明党の井上義久幹事長は記者団に「引き続き、国民の理解を得られるように努力をしていかないといけない」

 12:38 社民党の吉田忠智党首は記者団に「強行採決は民意を踏みにじる暴挙。強い怒りを持って抗議をしたい」

 12:38 維新の党の松野頼久代表が記者団に「何でこんなに早く急いで採決するのか」

 12:40 浜田委員長が記者団に「色々批判もあるかもしれないが、与党として責任を持って採決した。少々質疑と答弁がかみ合わないところもあった。もう少し分かりやすくするためにも、法律10本を束ねたのはいかがなものかなと私自身も思っている」

 12:45 民主党と連合が「安全保障関連法案採決に反対する7・15緊急院内集会」を開催。約300人が参加するなか、民主党の岡田克也代表は「時間をかければかけるほど、国民の反対が強まってくる。高まってくる。なんとか早く店じまいしなければ、大変なことになる。これが安倍さんの考えだと思う」

 14:00 民主党の榛葉賀津也参院国会対策委員長は記者会見で「乱暴な採決を行った以上、参院ではすぐ審議に、この問題以外の委員会についても審議に応じるわけにはいかない」

 15:20 「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎代表が記者団に「首相官邸は強行採決(による批判)も一時的だと軽く考えてるんじゃないか。日本人は『のど元過ぎれば』という国民性もあるからそう考えてると思うが、この問題はちょっと時間が経てば風化するものではない」

 15:30 自民党の二階俊博総務会長がBS日テレの番組収録で「安保の問題が分かりにくいとか、説明不足と言ってるところが、(内閣支持率、不支持率逆転に)表れているのかもしれないが、自民党も地方へ出て公明党と一緒に説明に行くから、また(支持率が)逆転する」

 18:37 安倍晋三首相が記者団に「国会での審議はさらに続く。丁寧に分かりやすく説明をしていきたい。全国でそれぞれの議員が国民に説明する努力を重ねていくことになる」


2015年7月16日 朝日新聞)
⑧ (社説)戦後の歩み覆す暴挙 14面
     安保法案の採決強行
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11861467.html?ref=pcviewer

 安倍政権が、衆院の特別委員会で安全保障関連法案の採決を強行した。

 安倍首相にとっては、米議会で約束した法整備の「夏までの成就」に近づいたことになる。

 だが、ここに至ってもなお、法案に対する国民の納得は広がっていない。

 それはそうだろう。審議を重ねれば重ねるほど法案の矛盾があらわになり、疑問が膨らむ。首相自身が採決直前になっても「国民の理解が進んでいる状況ではない」と認めざるを得ないほどの惨状である。

◆ 民主主義への挑戦

 政権はそれでも採決を押し切った。多くの国民、憲法学者や弁護士、内閣法制局長官OB、幅広い分野の有識者らが「憲法違反」と認める法案を数の力で押し通す。多数のおごりと無責任が極まった暴挙である。

 それは憲法が権力を縛る立憲主義への反逆にとどまらない。戦後日本が70年かけて積み上げてきた民主主義の価値に対する、重大な挑戦ではないか。

 審議の過程で、首相が繰り返した言葉を記憶にとどめたい。

 「熟議を尽くしたうえで、決める時には決める。これは議会制民主主義の王道であろう」

 だが、国民との合意形成に意を尽くそうとせず、ただ時間の長さだけで測る国会審議を「熟議」とは呼べない。

 選挙で多数を得たからと言って、「熟議なき多数決」によって、平和主義をはじめとする憲法の理念、民主主義の価値をひっくり返す。

 それが安倍政権の民主主義だというなら、決してくみすることはできない。

 これまでの安倍政権の歩みを振り返ってみよう。

 集団的自衛権の行使を認める昨夏の閣議決定に先立ち、少人数の閣僚だけで安全保障上の意思決定ができるようにする国家安全保障会議(NSC)を発足させた。あわせて成立させたのが特定秘密保護法だ。

 法案が成立すれば、国民や国会の目が届かない場で、日本に対する攻撃がなくても、地球のどこでも自衛隊による武力行使に踏み込む判断ができる。

 よりどころとなるのは首相や一握りの閣僚らによる「総合的な判断」である。政権に幅広い裁量がゆだねられ、国民の代表である国会の関与すら十分に担保されていない。

 国民より国家。個人より公。

 そんな安倍政権の民主主義観がうかがえる出来事はほかにもある。

 記憶に新しいのは「マスコミを懲らしめる」「国を過(あやま)てるような報道をするマスコミには広告を自粛すべきだ」など、表現の自由にかかわる自民党議員の一連の報道威圧発言だ。

◆ 相次ぐ自由への威圧

 NHKやテレビ朝日の特定番組を問題視し、事情聴取に呼びつける。衆院選の際には各局に「公平中立、公正の確保」を求める文書を送りつける。

 報道機関だけの問題ではない。表現の自由、言論の自由を規制することは、国民の「知る権利」の制限につながる。国民全体に対する権利の侵害にほかならないのだ。

 国立大学の式典での国旗掲揚や国歌斉唱を文部科学相が要請した。18歳選挙権に向けて若者への主権者教育に取り組もうという教師たちに、罰則をちらつかせて「政治的な中立性」を求める自民党の動きもあった。

 権力に縛られることなく自由に報道し、研究し、教育する。健全な民主主義をはぐくむ基盤である表現や学問の自由に対し、許認可権やカネを背景に威圧する事態が進んでいる。

 石破地方創生相は「『なんか感じ悪いよね』という国民の意識が高まった時に、自民党は危機を迎える」と語ったが、危機を迎えているのは国民の自由や権利の方ではないか。

 自民党が野党だった3年前に決めた憲法改正草案に、その底流が象徴的に表れている。

 草案は、一切の表現の自由を保障した現憲法に「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」は認められない、とした例外を付け加えている。

◆ 決着はついていない

 中国の台頭をはじめ、国際環境が変化しているのは首相らが言う通りだ。それに応じた安全保障政策を検討することも、確かに「政治の責任」だ。

 ただ、その結果として集団的自衛権の行使が必要なら、あるいは国際貢献策として他国軍への後方支援が必要と考えるなら、まず国民に説明し、国民投票を含む憲法改正の手続きを踏むことが、民主主義国として避けて通れぬ筋道である。

 これを無視しては、法治国家としての基盤が崩れる。

 法案をこのまま成立させ、「多数派が絶対」という安倍政権の誤った民主主義観を追認することはできない。

 まだ決着したわけではない。口先だけの「熟議」ではなく、主権者である国民の声を聞くことを安倍政権に求める。


2015年7月16日 朝日新聞)
⑨ (耕論)試練に立つ民主主義 15面
     井筒高雄さん
     澤地久枝さん
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11861492.html?ref=pcviewer

 憲法違反の指摘、根強い世論の反対にもかかわらず、与党が衆院の委員会で安全保障関連法案の採決を強行した。自衛隊を地球規模で派遣するための議論は本当に尽くされたのだろうか。この国の民主主義が試練に立たされている。

◆ 「憲法遵守」の誓いに反する 井筒高雄さん(元陸自レンジャー隊員)

 自衛隊員は全て、入隊時に服務の宣誓をします。

 「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守(じゅんしゅ)し、一致団結、厳正な規律を保持し」「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応えることを誓います」

 自民党が推薦して国会に招いた方を含む憲法学者や、「法の番人」と言われる内閣法制局長官経験者、そして国民の多くが憲法違反と考えている集団的自衛権の行使を認める法案は、明らかにこの宣誓文に反するもので、民主主義をないがしろにするものです。命を張って国民の負託に応えることを求められている現役自衛官たちに対する明白な契約違反です。

     *

 <命軽視の法律も> 私の入隊は、もともと陸上競技を極めたいと考え、自衛隊体育学校が希望でしたが、「体力があるから」と勧められレンジャー隊員になりました。

 3カ月にわたる陸自で最も過酷とされる訓練では、炎天下、小銃を携帯し、完全武装で20キロ走。生きたカエルや蛇を食べさせられる生存自活。敵を暗殺する隠密処理など数々のメニューをこなすことで、外国並みの精強な兵に育てられます。死亡事故が発生することもあり、遺書を書かされます。

 しかし、約14万人とされる陸自隊員のうち、レンジャー経験があるのは5千人ほどしかいません。9割以上が最過酷の訓練には挑戦できない、いわばサラリーマン隊員です。そうした実態で恒久法による海外派兵に耐えられるとは思えません。

 私自身は定年まで働くつもりでしたが、1992年に国連平和維持活動(PKO)法が成立したことで、依願退職をしました。自衛隊の役割が国土防衛から海外派兵まで拡大したわけですが、そうした契約を国と交わして入隊したわけではありません。敵が撃つまで反撃もできず、誤って射殺すれば帰国後、罰則を受けかねないなど、自衛官の命を軽視した法律に我慢がならなかったからです。

 今も、同期の隊員が一線で頑張っています。今回の法案について彼らの本音はなかなか漏れてきませんが、先行きについて最も不安で、懸念を持っているのが、彼ら隊員やその家族であることは間違いありません。

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 <求められる覚悟> 中谷元・防衛相が、今後、自衛隊員が死傷するリスクについて、「これまでも命がけで、これ以上ないリスクを負っている」「変わりない」と答弁。最高指揮官である安倍晋三首相も「今までも自衛隊は危険な任務を担っている」と述べました。新たに海外の紛争に巻き込まれる現場の隊員に寄り添った発言とは思えません。

 士気は落ちるでしょう。これでは「総理が言う、積極的平和主義のため働こう」という気持ちにはなれません。最低限、彼らや家族の本音を聞く機会を、政治家は持つべきです。同時に、万が一の事態の際の補償や、残された遺族に対する年金の支払いなどもきちんとさせなくてはなりません。

 加えて、最低二つの条件を実行することが求められます。まず、全現役自衛官との再契約の実施です。具体的には、本土防衛を前提とした服務の宣誓内容を、集団的自衛権の適用に沿って改訂させ、それができない隊員については、無条件で退職を認めることです。

 もう一つは、やはり全自衛官にレンジャー訓練を義務づけて実施することです。厳しい海外の戦場で対応できる能力を育て、厳しい選別に対応できない人には辞めてもらわねば、本人にとっても、部隊にとっても気の毒です。

 国民にも強い覚悟が求められます。自衛隊任せでは済みません。国内勤務に比べ、はるかに強いストレスにさらされる海外派兵の結果、帰国後の自衛官には最悪の場合、自殺するなどの後遺症が見込まれます。社会全体が心のケアを引き受けなくてはならないのです。(聞き手・編集委員 駒野剛)

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 いづつたかお 69年生まれ。高校卒業後の88年に陸上自衛隊に入り、3等陸曹で退官。大阪経済法科大学卒業後、02年から兵庫県加古川市議を2期8年務める。

◆ 絶望せずにモノ言う勇気を 澤地久枝さん(ノンフィクション作家)

 少数の意見にも耳を傾け、多様性を重んじるのが民主主義だと思っています。安保法制に反対する世論は強まっているのに、安倍政権は聞く耳を持たず、衆院を通過させようとしています。これは民主主義の否定ですね。選挙民の負託を受け、政治に携わる自覚と謙虚さが全く感じられません。

 安倍晋三首相は民主主義を軽んじているから4月末の米議会演説で法案を「夏までに成就させる」と勝手に期限を切って宣言したのでしょう。オバマ大統領にもがっかりですね。民主主義国家のトップとしての自負心があるなら、首相の勝手な約束を「まず国民にきちんと説明すべきでしょう」といさめるべきだったと思います。

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 <憲法無視は非道> その後の衆院憲法審査会では、自民党が推薦した長谷部恭男・早大教授も含め、3人が安保法制を「憲法違反」だと述べました。しかし、安倍政権は理性と知性に裏打ちされた、この大切な指摘にも耳を傾けることなく、無理な憲法解釈で突っ走ろうとしています。

 憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と書かれています。憲法は政治家の恣意(しい)的な暴走に歯止めをかけるためにあります。政治家が憲法を無視したら、それは非道の政治です。

 旧満州・吉林で敗戦を迎えた14歳の時から私は国を信用していません。ソ連軍が入ってきて、父親の仕事はなくなり、住んでいる場所を追い出され、生きる道筋が吹き飛びました。「一夜のうちに国は消えてしまった。国というものは、なんてあてにならないんだろう」と思いましたね。1年間の難民生活を経て日本に引き揚げてきました。その体験を通して、二度と戦争はしてはならないという思いが変わることはありません。

 1942年6月のミッドウェー海戦について調べた時に、海戦で亡くなったアメリカ軍人の息子が成人してベトナム戦争で戦死した事実に出会いました。憲法9条を掲げる日本は戦後70年、一人の外国人も殺さず、また一人の日本人も戦死することなく、平和国家として歩んできました。一人の自衛隊員も米国主導の「テロとの戦い」に巻きこまれる形で亡くなって欲しくありません。

     *

 <平和国家の信用> もし戦闘に巻きこまれれば、敗戦後に築き上げてきた「日本は戦争をしない国」という世界的な信用は失われてしまいます。

 アフガニスタンで長年にわたって診療や干ばつ地域の農水路建設支援を続けている「ペシャワール会」の現地代表で医師の中村哲さんは、一貫して自衛隊の海外派遣に反対し、丸腰で貢献を続けています。現地で高い信頼を得ている中村さんは、日本が集団的自衛権の行使に突き進んだ場合、日本人であるがゆえに攻撃の対象になることを懸念しています。これまでの献身的な仕事を台無しにする政治がまかり通っています。

 「アベ政治」への抗議の意思を示すため、18日午後1時にポスターを一斉に掲げる運動への参加をネット上で呼びかけています。私が思いついた、政党や組織とは全く関係のない全国的な呼びかけです。俳人の金子兜太さんが「アベ政治を許さない」という色紙の文字を書いてくれました。呼びかけ人として作家の瀬戸内寂聴さん、憲法学者の小林節さんら120人以上が集まってくれました。

 ひどい政治状況を見ていると、絶望感に襲われますが、絶望したら終わりです。これから参院の審議もある。ひとり一人の力は弱くても、声が広がっていけば世の中は確実に変わります。私が若いころは、女性が子育てをしながら仕事をすることは御法度だったけど、今では当たり前でしょ。

 権力にモノを言うことに勇気が試される時代です。でも権力は放っておくと悪さをしますから。手遅れにならないように、私は私の小さい旗を掲げ続けます。(聞き手・古屋聡一)

     *

 さわちひさえ 30年生まれ。中村哲さんとの共著「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」など著作多数。「滄海(うみ)よ眠れ」「記録 ミッドウェー海戦」で菊池寛賞。


2015年7月16日 朝日新聞)
⑩ (ウォッチ安保国会)不信・不安、うねる 39面
     デモ「これまでと雰囲気違う」
     
 この道はどこへ行き着くのか。ヤジと怒号の渦。しかし与党側からも高揚感の見えぬまま、安全保障関連法案が15日、衆院特別委員会で可決された。「民主主義って何なんだ」。抗議の意思を示そうと、人波が国会前へ向かい、その輪は各地に広がった。

 「9条守れ」「安倍政権の暴走とめろ」。

 採決から6時間余り経った午後6時半、日中の暑さが残る国会正門前でこの日4回目の集会が始まった。仕事を終えたサラリーマンや親子連れなど、約2万5千人(主催者発表)が数百メートルにわたって歩道を埋め、声を上げた。

 訴えは午後11時半まで続いた。雨が降るなか、傘もささずにいた京都市の大学院生藤井美保さん(24)は「きょう行かないと後悔すると思って来た。反対の声を国会に届けたかったから」と話した。集会は3度目という大学院生の女性(22)は「きょうの雰囲気はこれまでと全然違う。参加者も増えた」。

 東京都大田区の警備員半沢英雄さん(68)は、40代の娘夫婦と小学生の孫の3世代でやってきた。デモにそろって参加するのは初めて。抗議する人たちの姿を、子や孫たちとともに目に焼き付けたいと、連絡を取り合って駆けつけた。「今まで生きてきた中で、政治が一番危うい。何か行動しなくてはと思った」

 集会は、国会周辺で五月雨式に続いた。午後7時半からは学生団体「SEALDs(シールズ)」が開催。都内の大学3年生木村茜(あかね)さん(21)は、「強行採決反対」と書かれたプラカードを掲げ、声を上げ続けた。「大学でも、安倍政権のやり方はおかしいと思っている友人は多い。若者だって、政治に無関心ではないというメッセージを伝えたい」と話した。

 正門そばの演台では、学者や作家、野党幹部らがマイクを握った。13日の中央公聴会で意見を述べた山口二郎・法政大教授(政治学)は「(公聴会での意見を)審議にどう反映させたのか。政治が劣化し、民主主義が脅かされる」と訴えた。

 抗議の動きは、各地でも起きた。

 広島市中区の原爆ドーム前。約130人が座り込んだ。祖父母が被爆者という会社員石本直(なお)さん(28)=広島市東区=は「戦争は過去のものだと思っていたが、最近は状況が変わってきて怖い」。

 安倍晋三首相の地元、山口県下関市の首相の事務所前では、約40人が抗議した。神父の林尚志さん(80)は「首相は法案の必要性を説明しきっていない。強行採決はやり方が未熟だ」と批判した。

◆ 可決、与党議員に高揚感なし

 15日正午すぎ、衆院特別委員会が開かれた第1委員室では、与野党の議員が時計を気にしていた。質問に立つ共産の赤嶺政賢議員が、おもむろに「議論は尽くされてない」として、審議継続を求める動議を提出。これが否決されたのを合図に、浜田靖一委員長が声を張り上げた。

 「この際、おはかりします」。野党議員が「強行採決反対」と書いたプラカードを手になだれ込むなか、安倍晋三首相は静かに席を立った。怒号とヤジの中での討論と採決を経て、午後0時20分すぎ、法案は可決された。

 赤嶺氏は、首相の離席を「強行採決の当事者という印象を与えないためだ」と感じた。だが、「突っ走っているのは首相自身。与党理事らには、勝ち誇った様子はなかった。『歓喜なき強行』ではないか」。

 採決後、野党の「反対!反対!」の声が響くなか、可決を喜んでいるはずの与党議員の拍手は、長くは続かなかった。

 自民の平沢勝栄議員は、国会審議を振り返り、「ボタンの掛け違い」があったと語る。憲法審査会で参考人に呼んだ憲法学者3人が、法案について「違憲」と指摘したことだ。「あれ以来、合憲・違憲の議論に傾いてしまい、本質論が深まらなかった」と語り、「国民に理解してもらう努力を続けていかなければ」と気を引き締める。

 民主の寺田学議員は採決の瞬間、もみくちゃにされながら、「委員長、思い直してください」と詰め寄った。時間を消化したからといって、理解を得ようとしているとは思えない。「政府側の今日の答弁の内容も、審議入り1日目と同じままだった」と指摘する。

 維新の青柳陽一郎議員は採決時は退席し、委員室の壁側に立って見守った。可決に安堵(あんど)する与党議員を眺めながら「彼らは週末に地元に帰って、自信を持って説明できるのだろうか」との疑問が残ったという。


2015年7月16日 朝日新聞)
⑪ (ウォッチ安保国会)声、上げ続ける 38面
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11861520.html?ref=pcviewer
 (39面から続く)

◆ 若者のデモ、続くだろう 五野井郁夫・高千穂大准教授(政治学)

 この数週間、国会周辺や渋谷のデモの様子を見ている。主導するのは10~20代の若者たちだ。自分たちの生活を守ってきた戦後民主主義が安倍政権に壊され日常が崩されるとリアルに思っている。戦争に巻き込まれれば、最前線に送られることもある。多額の奨学金を借りている大学生からは「自衛隊で数年働けば学費免除といった一種の経済的徴兵制ができるのではないか」という不安の声をよく聞く。

 ツイッターやフェイスブックを活用する若者にとって、デモはネット上で知り合った人と実際に会う「オフ会」だ。そうしたつながりが情報発信を広げている。現場では、コンビニのネットプリントを使って「アベ政治を許さない」とコピーされたプラカードが1枚20円で手に入る。抗議行動が簡単に始められるインフラが整っている。

 若者に刺激されるように30代以上の参加者も急増した。会社帰りのサラリーマン、子ども連れの主婦。安倍政権で続く原発再稼働の方針や秘密保護法の制定に、「市民の声が伝わらない」と怒る民意の表れだ。

 2012年には再稼働反対のデモを続けた団体が当時の野田佳彦首相と面会。国会の外でも「数の力を使えば、政治に声が届く」との期待を持つ人が増え、デモが当たり前の風景になっている。政治家が「熱しやすく冷めやすい」とデモを見ているとすれば間違い。政治の「感じ悪さ」がある限り、デモはずっと続くだろう。(聞き手・千葉卓朗)

◆ 自民党と市民、細る回路 小熊英二・慶大教授(歴史社会学)

 政治家と一般市民をつなぐ「回路」が細っている。昔の自民党は地域代表の集まりだった。支えているのが町内会や商店会、農協だったとしても、地域の声をよく知っていた。

 しかし今では、こうした自民党の基盤組織は、一部の高齢者や利害関係者の声しか反映しなくなった。小選挙区制になって自民党候補どうしが争うことがなくなり、公認を受けたら集票は任せきりという議員も増えた。地盤を受け継ぎ、後援会長としか会わない二世や三世議員もいる。

 昨年の衆院選前、民放番組に出演した安倍首相が、景気回復を実感できないという街の声に、疑問を示していた。私はあの時、彼は株を持っている人と公共事業の恩恵を受けている人にしか、普段会っていないのではないかと思った。

 国会前の集会では、安保法制そのものへの反対より「勝手に決めるな」「民主主義って何だ」という声が多い。世論調査でも「説明不足」が最多だ。これは自民党の基盤衰退、社会との隔たり、ひいては代議制民主主義の機能不全を示している。原発や国立競技場の問題も同じだ。

 幸か不幸か、震災後の脱原発運動をきっかけとして、こうした状況に抗議の声をあげる人が増えた。震災時に中高生だった今の20歳前後は中高年と異なり、デモは自然な行為と思い始めている。こうした声が反映されなければ、日本の民主主義そのものが、正統性を失う危機に陥る可能性がある。(聞き手・清水大輔)