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折々の記 2015 ⑥
【心に浮かぶよしなしごと】

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【 07 】08/13

  08 13 孟母三遷の教え と おもてなしの心   黄金律の心に通じる
  08 15 安倍首相の戦後70年談話全文   
        ① 安倍談話「おわび」「侵略」言及 目立つ引用・間接表現
        ② 戦後60年の小泉談話全文 2005年8月15日
        ③ 戦後50年の村山談話全文 1995年8月15日
        ④ 〈英語版〉安倍首相の戦後70年談話全文
  08 15 安倍談話への批判   
        ① 村山元首相、安倍談話を痛烈批判「さっぱりわからん」
        ② 談話に中韓「言葉入っても誠意感じぬ」「責任避けた」
        ③ (座標軸)政治は歴史を変えられない 論説主幹・大野博人
        ④ 論説主幹・大野博人

 08 13 (木) 孟母三遷の教え と おもてなしの心     最高善

仏教で言う「五蘊皆空度一切苦」の涅槃の心は、母心の心得やおもてなしの心に通ずる。 そしてキリスト教で言う「神への帰依」の黄金律の心に通じる。 これは洋の東西を問わず最高善を表わす言葉である。

   ① 孟母三遷の教え
   ② おもてなしの心
   ③ 黄金律の心



Web漢文大系  ホーム > 故事成語 > ま行 > 孟母三遷
① 孟母三遷の教え
     http://kanbun.info/koji/mobosansen.html

〔出典〕 『列女伝』母儀・鄒孟軻母、『蒙求』一三四 軻親断機

〔解釈〕 孟子の母が孟子の教育のために三回違った場所に住んだこと。子供の教育には環境がいかに大切であるかというたとえ。

〔蒙求、一三四 軻親断機〕
古列女傳、鄒孟軻母、其舍近墓。孟子少嬉遊、爲墓閒之事。孟母曰、此非吾所以居處子也。乃去、舍市傍。其嬉戲乃賈人衒賣之事。又曰、此非吾所以居處子也。復徙舍學官之旁。其嬉戲乃設爼豆、揖讓進退。孟母曰、眞可以居吾子矣。遂居。

古列これつ女伝じょでんにいう、すう孟軻もうかの母、其その舎墓しゃはかに近し。孟子少にして嬉遊きゆうするに、墓間ぼかんの事を為す。孟母曰く、此吾子を居処きょしょする所以ゆえんに非ず、と。乃ち去りて、市のかたわらしゃす。其の嬉戯きぎするや乃ち賈人こじん衒売げんばいの事なり。又また曰く、此れ吾が子を居処する所以に非あらず、と。復またうつり学官がくかんかたわらにしゃす。其その嬉戯するや、乃ち俎豆そとうを設け、揖譲ゆうじょう進退しんたいす。孟母曰く、真に以て吾が子を居く可べし、と。ついに居る。


グローバル情報サイト TOP > グローバルコラム一覧 > グローバルなおもてなし >
② おもてなしの心
     http://global.innovations-i.com/article/9.html

そもそも、「おもてなし」とはなんでしょう?

おもてなしO-MO-TE-NA-SHIは2013年の流行語大賞にも選ばれて、海外でも日本の Omotenashiはすばらしい。と言われるようになってきました。

   1 JALで教えられた「最高のおもてなし」
   2 グローバル企業も一目置く日本のおもてなし
   3 自分も相手も楽しむこと
   4 相手に対する気遣い=おもてなしの心

1 JALで教えられた「最高のおもてなし」

私が、JAL(日本航空株式会社)に国際線客室乗務員として、入社したときのことです。

当時は、機内サービスだけではなく、すべてのお客様に「最高のもてなし」をする航空会社でなくてはいけないと訓練所で教えられたことを思い出します。

訓練所では保安要員としての緊急訓練、食事や飲み物のサービスの訓練のほかに、着物の着付け、そして茶道の勉強もさせてもらしました。

はじめは、どうして茶道まで勉強するのか。と思いましたが、後になってわかったことですが、そこに日本人としての「もてなし」の心を身につけた客室乗務員を育てたいということだったのでしょう。茶道の精神を通して気づきをもち、身につけることのできる相手の立場に立った丁寧な応対。お客様と接するには単なる「サービス」をするのではなくお客様との一期一会*を大切にすることこそが日本航空の客室乗務員に必要なことである。訓練所ではその一期一会の「最高のもてなし」の心を持つことの必要性を教えられたのです。残念ながら、6か月以上にわたる、茶道や着物の着付けといった訓練は多額の訓練費用がかかるため、かなり前に打ち切られてしまったということです。私は、訓練所でそのような勉強の機会を与えてもらったことを本当に感謝しています。

*一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来することわざ。

『あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう』と言う意味の、千利休の茶道の筆頭の心得である。平たく言えば、これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい、ということである。

一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。 茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。 だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉。 2 グローバル企業も一目置く日本のおもてなし

もてなす という言葉は辞書では下記のように書いてあります。

   1 客を取り扱うこと。待遇。「手厚い―を受ける」
   2 食事や茶菓のごちそう。饗応。「茶菓の―を受ける」
   3 身に備わったものごし。身のこなし。
   4 とりはからい。処置。取り扱い。

茶道を勉強していなくても、日本人ならだれもが「おもてなし」という言葉や意味をなんとなく思い浮かべることができると思います。具体的におもてなしを受ける、あるいはおもてなしをするというとホテルや旅館、料亭、レストランなどの応対、パーティーでの応対、接待での応対、あるいは友人宅へ招かれた時でしょうか。

飛行機に乗ったときの応対などはおもてなしというよりは「サービス」というイメージかもしれません。いずれにしても、日本人にとってのおもてなしは特別に茶道などを勉強して学ぶというより、日常の家庭生活の中でなんとなく、自然なかたちで親や年長者の振る舞いなどに触れることによって培われた感覚なのだと思います。

オリンピック招致のプレゼンで話題にあがったように、日本人はもてなしの感覚を自然に理解し対応することができる人が多いように思います。「もてなす」という茶道の精神から受け継がれている世界に誇れる素晴らしおもてなし文化をもっているのです。

オリンピック招致のプレゼンの少し前から、海外の人が、日本のサービスの高さを理解し始めたと思います。海外にいる友人たちが日本に来ると、毎回、日本のホスピタリティーはすばらしい、人間が正直でやさしい。とほめてくれます。グローバル企業にも、そのおもてなしの精神がだんだん理解されてきています。

世界の航空会社の中でも日系の航空会社のサービスを評価してくれる人が増えました。世界にパビリオンを持つディズニーランドのキャストのサービスも世界の中で日本のレベルがとても高いと評価されてきています。

3 自分も相手も楽しむこと

「もてなし」と「サービス」とは少し意味が違うのです。似ていますが、辞書によるとサービスの語源はラテン語の servitus。そもそもservitusには「奴隷」というニュアンスが含まれ、提供する側とされる側に主従関係が発生します。お客様が上、スタッフ側が下と上下関係がはっきりするものと言われています。お客様がある一定の対応を受ける(=目的)のに主従関係を発生させるために、サービスチャージやチップが存在すると考えることができます。それに対して「もてなす」は英語のホスピタリティーマインドに近く、語源はラテン語のhospesでホスピタリティは病院(Hospital)と語源を共にし自分の家に訪ねてくる人(=お客様)をお迎え・お世話することなので、当然対価や見返りを求めない自然発生的な対応と認識することができます。巡礼する異邦人を歓待することを意味したそうです。家族と接するように、見返りを求めない対応と言われています。自分も相手も楽しむことであり、茶道からくる「もてなす」という意味に近いと思われます。(お遍路で実感できます)

4 相手に対する気遣い=おもてなしの心

日本の文化との違いもありますが、あえて、英語で比較するならば「サービス」と「ホスピタリティー」だと、「おもてなしの心」はより「ホスピタリティーマインド」に近いものと言えます。

日本人の独特のホスピタリティーマインド「おもてなしの心」は相手にたいする気遣いといったらよいのでしょうか。チップや料金で表せないもの。おもてなしの気持ちは感じてもらうしかないのです。暑い夏には冷たいお茶を。寒い冬には暖かい飲み物を用意したり、決してマニュアルにとらわれない気遣いのできること。もうすぐ、クリスマス。

ご自宅でホームパーティーをひらいたり、プレゼントの交換もクリスマスに行われる大事なおもてなしの一つです。相手に楽しんでもらい、自分も楽しむ。相手に何を送ろうかと考え、それを受け取ったひとが喜ぶだけでなく、自分も嬉しい。そんなお互いを思いやることが「おもてなし」自分も相手も幸せになることなのです。


     『自他同一』 の心境を、別の言葉で 『一期一会』 ともいう  好上

さて、今日のお題は『一期一会』

これは禅の言葉なのですが、皆さんはどのような意味で解釈しておられるでしょうか?

「今日出会った人には二度と会うことが無いかもしれないのでその出会いを大切にし、誠心誠意尽くすこと。」

こういう意味で捉えておられる方が多いのではないかと思います。もちろん、仕事や、色々な場で出会う人との出会いを一つ一つ大切にする。これも間違いではないのですが、本当の一期一会はこれだけの意味ではないのだそうです。

本当の一期一会とは、「初めて会う人だけでなく、毎日会う人や度々会う人にも、今日が最期と思い、その瞬間瞬間を大切にすること」だそうです。

すなわち、毎日会う家族や、友人や、職場の人たち、そして、初めて会う人たち、すべての人に対し、今日が最期といいう気持ちで、誠心誠意接することが本当の『一期一会』ということなのです。

皆さんは如何でしょうか、毎日当たり前のように会っている家族や職場の同僚、友人たちに今日が最期と思い大切に接しているでしょうか?

私は、この一期一会の意味は何年も前に教えていただいたのですが、毎日会っている家族に今日が最後になっても後悔しないような接し方をしているか?と問われると、Yesとは言い切れません。

自分が日々穏やかに幸せに暮らせているのは、たまに会う人ではなく、間違いなく日々当たり前に会っている家族や職場の方や、友人であるにもかかわらず、日々感謝し、愛を持って、優しく接することは出来ていません。

2001年アメリカで起こった「911アメリカ同時多発テロ事件」の時にインターネットで広まった詩があります。 911で亡くなった消防士が書いたとまことしやかに広がったのですが、実際は・ノーマ コーネット マレックという方が、1989年に離婚して別居していた自分の子どもを交通事故で亡くした悲しみを詠った詩でした。

でも、テロの様な事件や日々起こりうる事故に、いつ巻き込まれて家族や大切な人を亡くしてしまうかも知れないということに気付いた人たちが、改めてこの詩を心に刻んだのだと思います。

「最後だとわかっていたなら」   作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦

   あなたが眠りにつくのを見るのが
   最後だとわかっていたら
   わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
   神様にその魂を守ってくださるように
   祈っただろう

   あなたがドアを出て行くのを見るのが
   最後だとわかっていたら
   わたしは あなたを抱きしめて キスをして
   そしてまたもう一度呼び寄せて
   抱きしめただろう

   あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
   最後だとわかっていたら
   わたしは その一部始終をビデオにとって
   毎日繰り返し見ただろう

   あなたは言わなくても
   分かってくれていたかもしれないけれど
   最後だとわかっていたら
   一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
   わたしは 伝えただろう

   たしかにいつも明日はやってくる
   でももしそれがわたしの勘違いで
   今日で全てが終わるのだとしたら、
   わたしは 今日
   どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

   そして わたしたちは 忘れないようにしたい

   若い人にも 年老いた人にも
   明日は誰にも約束されていないのだということを
   愛する人を抱きしめられるのは
   今日が最後になるかもしれないことを

   明日が来るのを待っているなら
   今日でもいいはず
   もし明日が来ないとしたら
   あなたは今日を後悔するだろうから

   微笑みや 抱擁や キスをするための 
   ほんのちょっとの時間を
   どうして惜しんだのかと
   忙しさを理由に
   その人の最後の願いとなってしまったことを
   どうして してあげられなかったのかと

   だから 今日
   あなたの大切な人たちを
   しっかりと抱きしめよう
   そして その人を愛していること
   いつでも
   いつまでも 大切な存在だということを
   そっと伝えよう

   「ごめんね」や「許してね」や
   「ありがとう」や「気にしないで」を
   伝える時を持とう そうすれば
   もし明日が来ないとしても
   あなたは今日を後悔しないだろうから

今日は、妻と結婚して17回目の結婚記念日でした。うちは、入籍と結婚式が別の日のため妻は、結婚記念日よりも苗字が変わった入籍記念日の方が大事みたいで、忘れている位なのですが(笑)、本当に長い間お世話になっております。

この長い間には色々な危機があり、二人の関係も結婚した当時とはだいぶ変わりましたが、本当にありがたい大切な存在であることは変わりありません。

今朝なんとなく、『一期一会』という言葉を思い出し、毎日毎日感謝して接しないといけないなと思いました。


ウィキペディア
③ 黄金律の心
     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E5%BE%8B

イエス・キリスト
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」 (『マタイによる福音書』7章12節)

孔子
「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」 (『論語』巻第八衛霊公第十五 二十三)

ユダヤ教
「あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな。」(ダビデの末裔を称したファリサイ派のラビ、ヒルレルの言葉)、「自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない」 (『トビト記』4章15節)

ヒンドゥー教
「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」 (『マハーバーラタ』5:15:17)

イスラム教
「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである。」 (ムハンマドの遺言)

文学者
戯曲家の ジョージ・バーナード・ショーは「黄金律というのはないというのが黄金律だ」"the golden rule is that there are no golden rules".といい、別の「人にしてもらいたいと思うことは人にしてはならない。人の好みというのは同じではないからである」 "Do not do unto others as you would that they should do unto you. Their tastes may not be the same" (Maxims for Revolutionists; 1903). という言葉を残している。

姨捨山の説話
年配者が残した素晴らしい黄金律。 おもてなしの心も一期一会にしても絆の心にしても、それは人生の素敵な黄金律です。

 08 15 (土) 安倍首相の戦後70年談話全文     

安倍総理には日米安全保障の思惑があって、戦後70年談話については様々ないきさつがあって今日を迎えた。

問題はアメリカへの従属的態度への国民の心情的な反発が払拭されないことにある。



2015年8月14日20時57分  朝日新聞デジタル
安倍首相の戦後70年談話全文
     http://digital.asahi.com/articles/ASH8G5W9YH8GUTFK00T.html?iref=comtop_pickup_01

 8月は私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いをいたすことを求めます。

    ① 安倍談話「おわび」「侵略」言及 目立つ引用・間接表現   <後掲>
    ② 戦後60年の小泉談話全文 2005年8月15日   <後掲>
    ③ 戦後50年の村山談話全文 1995年8月15日   <後掲>
    ④ 〈英語版〉安倍首相の戦後70年談話全文   <後掲>


 政治は、歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。戦後70年という大きな節目にあたって、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか、深く思索し、構想すべきである、私はそう考えました。

 同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない、このことも私の強い信念であります。

 ですから談話の作成にあたっては、21世紀構想懇談会を開いて、有識者のみなさまに率直、徹底的なご議論をいただきました。それぞれの視座や考え方は、当然ながら異なります。しかし、そうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた、私はこの提言を歴史の声として受け止めたいと思います。そして、この提言のうえにたって歴史から教訓をくみ取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。(以上、記者会見での冒頭発言)

     ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃(そろ)えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈(かれつ)なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛(つら)い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留(とど)めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈(しれつ)に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐(おんしゅう)を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意(しい)にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引(けんいん)してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

     ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 (談話を読み上げ後)以上が私たちが歴史から学ぶべき未来への知恵であろうと考えております。冒頭私は、21世紀構想懇談会の提言を歴史の声として受け止めたいと申し上げました。

 同時に私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。謙虚な姿勢とは果たして、聞き漏らした声がほかにもあるのではないかと、常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来の知恵を学んでいく。そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。私からは以上であります。


<後掲>
① 安倍談話「おわび」「侵略」言及 目立つ引用・間接表現
     http://digital.asahi.com/articles/ASH8G5W9YH8GUTFK00T.html?iref=comtop_pickup_01

 安倍内閣は14日、戦後70年の首相談話(安倍談話)を閣議決定した。戦後50年の村山談話、60年の小泉談話に盛り込まれた「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」といった文言を使う一方で、歴代内閣の方針を引用するなど間接的な表現が目立ち、首相自身の歴史認識は見えにくい内容となった。

    安倍首相の戦後70年談話全文  <前出>

 安倍晋三首相は閣議後、首相官邸で記者会見して談話を発表した。談話では1931年の満州事変や33年の日本の国際連盟脱退に触れ、「(日本は)進むべき針路を誤り、戦争への道を進んでいった」と指摘。「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念とともに、我が国はそう誓った」と振り返った。

 また「我が国は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と村山・小泉両談話にある表現を引用。その上で「こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものである」とした。

 談話には安倍内閣としておわびについて具体的にどう考えるかが盛り込まれていないが、首相は会見の質疑で「先の大戦における行いに対するおわびの気持ちは村山談話で表明され、小泉談話に引き継がれてきた。私の内閣においても、揺るぎないものとして引き継いでいく」と語った。

 首相のこだわりがのぞく部分もあった。談話の中で戦後生まれの世代が人口の8割を超えたことに触れ、「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と主張。その上で「私たち日本人は世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければならない」と付け加えた。

 首相が国会で「定義は学界的にも国際的にも定まっていない」としてきた「侵略」について、首相は会見で、先の大戦における日本による侵略の事実を認めた有識者懇談会「21世紀構想懇談会」の報告書に触れて「侵略と評価される行為もあったと思う」と述べた。一方で、「具体的にどのような行為が侵略にあたるか否かについては歴史家の議論にゆだねるべきである」とも語った。

 この他、談話では「戦争の苦痛をなめ尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。そのことに、思いを致さなければならない」と感謝の気持ちを表明した。

 また、「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも忘れてはならない」と言及。「21世紀こそ女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしていく」と意欲を示した。(円満亮太)

     ◇

■戦後70年安倍談話の骨子

・日本は進むべき針路を誤り、戦争への道を進んでいき、敗戦した

・事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解決する手段としては二度と用いてはならない

・植民地支配から永遠に決別し、民族自決の権利が尊重される世界にしなければならない。深い悔悟の念とともに、我が国はそう誓った

・我が国は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた。こうした歴代内閣の立場は今後も揺るぎない

・私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない

・自由、民主主義、人権といった基本的価値を共有する国々と手を携え、「積極的平和主義」の旗を掲げ、世界の平和と繁栄に貢献していく


<後掲>
② 戦後60年の小泉談話全文 2005年8月15日
     http://digital.asahi.com/articles/ASH8D55M5H8DUTFK00D.html

■小泉純一郎首相(当時)

 私は、終戦60年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。

 先の大戦では、300万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。

 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。

 戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟(はいきょ)から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。

 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります。

 我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の7割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。

 国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後60年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。

 戦後60年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。


<後掲>
③ 戦後50年の村山談話全文 1995年8月15日
     http://digital.asahi.com/articles/ASH8D55KMH8DUTFK00C.html

■村山富市首相(当時)

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳(は)せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表すものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを二度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この二つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊(みたま)を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖(よ)るは信に如(し)くは莫(な)し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。


<後掲>
④ (英語版)安倍首相の戦後70年談話全文
     http://digital.asahi.com/articles/ASH8G5GVNH8GUHBI019.html

 On the 70th anniversary of the end of the war, we must calmly reflect upon the road to war, the path we have taken since it ended, and the era of the 20th century. We must learn from the lessons of history the wisdom for our future.

安倍首相の戦後70年談話、日本語全文

 More than one hundred years ago, vast colonies possessed mainly by the Western powers stretched out across the world. With their overwhelming supremacy in technology, waves of colonial rule surged toward Asia in the 19th century. There is no doubt that the resultant sense of crisis drove Japan forward to achieve modernization. Japan built a constitutional government earlier than any other nation in Asia. The country preserved its independence throughout. The Japan-Russia War gave encouragement to many people under colonial rule from Asia to Africa.

 After World War I, which embroiled the world, the movement for self-determination gained momentum and put brakes on colonization that had been underway. It was a horrible war that claimed as many as ten million lives. With a strong desire for peace stirred in them, people founded the League of Nations and brought forth the General Treaty for Renunciation of War. There emerged in the international community a new tide of outlawing war itself.

 At the beginning, Japan, too, kept steps with other nations. However, with the Great Depression setting in and the Western countries launching economic blocs by involving colonial economies, Japan's economy suffered a major blow. In such circumstances, Japan's sense of isolation deepened and it attempted to overcome its diplomatic and economic deadlock through the use of force. Its domestic political system could not serve as a brake to stop such attempts. In this way, Japan lost sight of the overall trends in the world.

 With the Manchurian Incident, followed by the withdrawal from the League of Nations, Japan gradually transformed itself into a challenger to the new international order that the international community sought to establish after tremendous sacrifices. Japan took the wrong course and advanced along the road to war.

 And, seventy years ago, Japan was defeated.

 On the 70th anniversary of the end of the war, I bow my head deeply before the souls of all those who perished both at home and abroad. I express my feelings of profound grief and my eternal, sincere condolences.

 More than three million of our compatriots lost their lives during the war: on the battlefields worrying about the future of their homeland and wishing for the happiness of their families; in remote foreign countries after the war, in extreme cold or heat, suffering from starvation and disease. The atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, the air raids on Tokyo and other cities, and the ground battles in Okinawa, among others, took a heavy toll among ordinary citizens without mercy.

 Also in countries that fought against Japan, countless lives were lost among young people with promising futures. In China, Southeast Asia, the Pacific islands and elsewhere that became the battlefields, numerous innocent citizens suffered and fell victim to battles as well as hardships such as severe deprivation of food. We must never forget that there were women behind the battlefields whose honour and dignity were severely injured.

 Upon the innocent people did our country inflict immeasurable damage and suffering. History is harsh. What is done cannot be undone. Each and every one of them had his or her life, dream, and beloved family. When I squarely contemplate this obvious fact, even now, I find myself speechless and my heart is rent with the utmost grief.

 The peace we enjoy today exists only upon such precious sacrifices. And therein lies the origin of postwar Japan.

 We must never again repeat the devastation of war.

 Incident, aggression, war -- we shall never again resort to any form of the threat or use of force as a means of settling international disputes. We shall abandon colonial rule forever and respect the right of self-determination of all peoples throughout the world.

 With deep repentance for the war, Japan made that pledge. Upon it, we have created a free and democratic country, abided by the rule of law, and consistently upheld that pledge never to wage a war again. While taking silent pride in the path we have walked as a peace-loving nation for as long as seventy years, we remain determined never to deviate from this steadfast course.

 Japan has repeatedly expressed the feelings of deep remorse and heartfelt apology for its actions during the war. In order to manifest such feelings through concrete actions, we have engraved in our hearts the histories of suffering of the people in Asia as our neighbours: those in Southeast Asian countries such as Indonesia and the Philippines, and Taiwan, the Republic of Korea and China, among others; and we have consistently devoted ourselves to the peace and prosperity of the region since the end of the war.

 Such position articulated by the previous cabinets will remain unshakable into the future.

 However, no matter what kind of efforts we may make, the sorrows of those who lost their family members and the painful memories of those who underwent immense sufferings by the destruction of war will never be healed.

 Thus, we must take to heart the following.

 The fact that more than six million Japanese repatriates managed to come home safely after the war from various parts of the Asia-Pacific and became the driving force behind Japan's postwar reconstruction; the fact that nearly three thousand Japanese children left behind in China were able to grow up there and set foot on the soil of their homeland again; and the fact that former POWs of the United States, the United Kingdom, the Netherlands, Australia and other nations have visited Japan for many years to continue praying for the souls of the war dead on both sides.

 How much emotional struggle must have existed and what great efforts must have been necessary for the Chinese people who underwent all the sufferings of the war and for the former POWs who experienced unbearable sufferings caused by the Japanese military in order for them to be so tolerant nevertheless?

 That is what we must turn our thoughts to reflect upon.

 Thanks to such manifestation of tolerance, Japan was able to return to the international community in the postwar era. Taking this opportunity of the 70th anniversary of the end of the war, Japan would like to express its heartfelt gratitude to all the nations and all the people who made every effort for reconciliation.

 In Japan, the postwar generations now exceed eighty per cent of its population. We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize. Still, even so, we Japanese, across generations, must squarely face the history of the past. We have the responsibility to inherit the past, in all humbleness, and pass it on to the future.

 Our parents' and grandparents' generations were able to survive in a devastated land in sheer poverty after the war. The future they brought about is the one our current generation inherited and the one we will hand down to the next generation. Together with the tireless efforts of our predecessors, this has only been possible through the goodwill and assistance extended to us that transcended hatred by a truly large number of countries, such as the United States, Australia, and European nations, which Japan had fiercely fought against as enemies.

 We must pass this down from generation to generation into the future. We have the great responsibility to take the lessons of history deeply into our hearts, to carve out a better future, and to make all possible efforts for the peace and prosperity of Asia and the world.

 We will engrave in our hearts the past, when Japan attempted to break its deadlock with force. Upon this reflection, Japan will continue to firmly uphold the principle that any disputes must be settled peacefully and diplomatically based on the respect for the rule of law and not through the use of force, and to reach out to other countries in the world to do the same.

 As the only country to have ever suffered the devastation of atomic bombings during war, Japan will fulfil its responsibility in the international community, aiming at the non-proliferation and ultimate abolition of nuclear weapons.

 We will engrave in our hearts the past, when the dignity and honour of many women were severely injured during wars in the 20th century. Upon this reflection, Japan wishes to be a country always at the side of such women's injured hearts. Japan will lead the world in making the 21st century an era in which women's human rights are not infringed upon.

 We will engrave in our hearts the past, when forming economic blocs made the seeds of conflict thrive. Upon this reflection, Japan will continue to develop a free, fair and open international economic system that will not be influenced by the arbitrary intentions of any nation. We will strengthen assistance for developing countries, and lead the world toward further prosperity. Prosperity is the very foundation for peace. Japan will make even greater efforts to fight against poverty, which also serves as a hotbed of violence, and to provide opportunities for medical services, education, and self-reliance to all the people in the world.

 We will engrave in our hearts the past, when Japan ended up becoming a challenger to the international order. Upon this reflection, Japan will firmly uphold basic values such as freedom, democracy, and human rights as unyielding values and, by working hand in hand with countries that share such values, hoist the flag of “Proactive Contribution to Peace," and contribute to the peace and prosperity of the world more than ever before.

 Heading toward the 80th, the 90th and the centennial anniversary of the end of the war, we are determined to create such a Japan together with the Japanese people.

August 14, 2015

Shinzo Abe  Prime Minister of Japan

注・英訳は日本政府の発表による

 08 15 (土) 安倍談話への批判     

    ① 村山元首相、安倍談話を痛烈批判「さっぱりわからん」   <後掲>
    ② 談話に中韓「言葉入っても誠意感じぬ」「責任避けた」   <後掲>
    ③ (座標軸)政治は歴史を変えられない 論説主幹・大野博人   <後掲>
    ④ 論説主幹・大野博人   <後掲>



安倍談話への批判
① 村山元首相、安倍談話を痛烈批判「さっぱりわからん」
     http://digital.asahi.com/articles/ASH8F7W28H8FTPJB00R.html?iref=comtop_6_01

 「談話は出す必要がなかった」。14日、安倍晋三首相が発表した戦後70年談話について、記者会見した村山富市元首相(91)から批判の言葉が次々と発せられた。「何を言いたかったのか」「中身について評価するところはない」。20年前の首相当時、戦後50年に際して談話を発表した村山氏。「各国から評価された」という自負がある村山氏にとっては、許容できないものに映ったようだ。

   安倍談話「おわび」「侵略」言及 目立つ引用・間接表現
   村山元首相、安倍談話を批判 「引き継がれた印象ない」
   安倍首相の戦後70年談話全文

 安倍氏が首相官邸で談話を発表したのは同日午後6時。村山氏はその2時間後の午後8時から、大分市中心街にある「全労済ソレイユ」ビルの会議室で記者会見した。会場には、中国のテレビ局を含む県内外の記者が詰めかけた。

 会見で村山氏はこう言った。「全体を通して見ると、焦点がぼけて言葉を薄めて述べている」

 「植民地支配」や「侵略」への「痛切な反省」という村山談話の理念について、「言葉は使っているが抽象化して不明確になっている」。批判は続いた。「過去の歴史に対する反省を素直に認めて端的に表現すべきだった」「村山談話を否定も踏襲もしていない。さっぱりわからん」「最初から『継承する』と言えば出す必要もなかった」

 自身が出した戦後50年の談話について「節目に清算して、けじめをつける必要があると思った。内閣に課せられた歴史的な課題だった」と振り返る村山氏。かねて、安倍首相が出そうとしている戦後70年談話について「なぜ、いま出すのか」と批判してきた。今年に入ってから、国内だけでなく、海外メディアからも取材依頼が殺到。取材対応や講演のため、東京に頻繁に足を運んできた。

 安倍政権が進める安全保障関連法案や、集団的自衛権の行使容認の憲法解釈変更についても、村山氏は護憲の立場から反対する。国会周辺の集会にも顔を出し、現在も精力的に活動を続けている。この日の記者会見では、こんな言葉も口にした。

 「(安倍談話は)美辞麗句を並べているが、安保法案との関係で、また懸念を深めると思う」「未来志向といったって、『積極的平和主義』とひとこと言っただけ。憲法を変えて戦争のできる国にしようと言ってるんだから」(平塚学、稲垣千駿)

     ◇

 〈村山談話〉 自社さ連立政権時代の1995年、当時の村山富市首相が戦後50年を機に閣議決定を経て日本政府の公式見解として出した首相談話。歴史認識については「国策の誤り」と「植民地支配と侵略」を認め、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明した。談話の内容は戦後60年の小泉談話も踏襲し、歴代政権で政府の基本路線になってきた。


安倍談話への批判
② 談話に中韓「言葉入っても誠意感じぬ」「責任避けた」
     北京=倉重奈苗
     ソウル=東岡徹
     ワシントン=佐藤武嗣
     http://digital.asahi.com/articles/ASH8G4RKWH8GUHBI00Q.html

 中国外務省は14日深夜に談話へのコメントを発表し、「過去の歴史を正確に認識・対応し、正義を守ることは日本とアジアの隣国との関係改善の重要な基礎だ」と指摘。その上で「侵略の歴史に正面から向き合い、深く反省し、実際の行動でアジアの隣国と国際社会の信頼を得るよう求める」と、安倍首相の歴史認識を批判した。中国共産党関係者は「言葉は入っていても首相の誠意が感じられない」と、不信感を示した。

    安倍談話「おわび」「侵略」言及 目立つ引用・間接表現

 ただ中国政府は、安倍首相が間接的でも「侵略」や「おわび」を明記したことで、日中関係改善を進めていくとの方針は今後も堅持していくとみられる。

 韓国でも、安倍談話は過去の歴史への反省や謝罪が間接的な表現にとどまっているとの批判が出ている。

 韓国政府関係者によると談話発表後、岸田文雄外相が尹炳世(ユンビョンセ)外相に電話をして「歴代内閣の歴史認識は今後も揺るがない」と説明。尹外相は「日本政府の誠意ある行動が何よりも重要だ」と強調したという。

 与党・セヌリ党の報道官は「反省と謝罪に言及したという点では意味ある談話だ」と一定の評価をしたうえで、「慰安婦についても間接的にしか言及していないことは物足りない」と指摘した。

 最大野党・新政治民主連合の報道官は「キーワードはすべてあったが、巧妙なやり方で加害者としての責任を避けた」と指摘。村山談話から大きく後退したと論評した。

 朴槿恵(パククネ)大統領は2013年2月の就任後、安倍首相との二国間の会談を一度もしていない。米国からも関係改善を求められるなか、首脳会談への環境を整えるには安倍談話の中身が重要で、尹外相も今後の日韓関係を左右する「試金石」と述べていた。

 ただ、外交筋は「批判をしすぎれば関係改善の機運をそぐことになる。韓国政府にとっては難しい判断になるのでは」と話す。

 オバマ米政権は安倍首相の歴史認識で日韓関係が悪化すれば、中国などを利することになり、米の外交戦略を狂わせかねないとの警戒から「安倍談話」に注目。歴代の首相談話の継承を求めてきただけに、米国家安全保障会議(NSC)のプライス報道官は14日、「第2次世界大戦中に日本がもたらした苦しみに対する痛切な反省を安倍首相が表明したことを歓迎する」との声明を発表した。

 米シンクタンク「アトランティック・カウンシル」のアジア専門家、ジェイミー・メッツル上級研究員は「おわびは非常に重要なことだが全てを変える魔法の言葉ではない。日本はドイツのように深い歴史の説明責任を果たすことで前進する必要がある」と述べた。

 欧米メディアは「安倍首相が改めて謝罪するには至らなかった」(AP通信)「首相は自ら明確な謝罪をすることを拒否した」(フィナンシャル・タイムズ紙)と報じ、安倍首相の「おわび」が、過去の内閣の方針を引用する間接的な表現になったことに注目。AFP通信など複数のメディアが、次世代に「謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」と述べた点を相次いで報じた。(北京=倉重奈苗、ソウル=東岡徹、ワシントン=佐藤武嗣)


2015年8月15日 (座標軸)
③ (座標軸)政治は歴史を変えられない 論説主幹・大野博人
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11916643.html

 歴史は、私たちの社会や政治を批判的に考える手がかりとなる。逆に、政治権力はしばしば歴史を自分に有利な視点として味方につけようとする。

 安倍晋三首相が「談話」を出そうとした動機もそこにあったように見える。

 かつて日本が他国を侵略、植民地支配したこと、それによって、おびただしい数の人々を犠牲にしたこと、アジア解放が目的だったとは言いがたいこと。

 こうした歴史は、談話のための有識者懇談会の報告書も確認している。

 しかし首相はそれに挑戦したかったのだろう。「侵略」「植民地支配」という表現や「おわび」に抵抗を示してきた。今回の談話でも間接的な触れ方に終始した。

 ただ、問題はそれだけでなく歴史を自らの側に引き寄せて解釈し直そうとした政治的行為そのものにもある。

 ■戦後に誇りと敵意

 首相はどんな歴史を味方につけようとしたのか。

 談話では戦後の平和国家としての歩みに「誇り」を抱くとしている。しかし、これまでそれを実現した「戦後レジーム」には敵意をあらわにしてきた。

 自民党内から聞こえてくる東京裁判否定の声なども合わせると、戦前の体制を肯定的に見る「歴史修正主義」への警戒感が内外で強まったのも無理はない。

 安保法制の議論でもその通奏低音は聞こえた。

 与党議員から飛び出した「マスコミを懲らしめる」という発言や反対デモへの非難。「憲法守って国滅ぶ」という言葉で「亡国の危機」の空気を振りまいたのもその一例だ。これは批判や憲法の制約を切り抜けるため、国民を不安にして同調を迫るレトリックではないだろうか。

 これらの例にかいま見えるのは、民主的な社会より旧体制になじみそうな価値観である。

 もとより、日本を「亡国」のふちに追いやったのはその旧体制の方だ。談話にあるように「三百万余の同胞」を犠牲にしながら「一億玉砕」を叫ぶ。そんな体制は東京裁判があろうとなかろうと葬られるしかなかった。

 ■謙虚な政治の姿か

 首相は、談話で「歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければ」とも「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈(かれつ)なもの」とも述べた。しかし、その言葉とは裏腹に、このような談話を出すのは教訓を受け取るより、歴史認識を変えたいからだろう。

 談話のあちこちにのぞくのは、「戦後レジーム」に対抗するように、旧体制下の日本を少しずつ名誉回復しようとする姿勢だ。日露戦争が植民地解放に与えた影響を強調したり、「侵略」などの主語をぼかしたり――。だが、それで歴史の負の側面を消せるわけではない。

 政治は歴史に謙虚であるべきだ。昨日、そう言ったのは首相自身である。


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④ 論説主幹・大野博人
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     www.asahi.com/articles/DA3S11736763.html
2015/05/03 - 平和に向けて先手を打つ貢献――。英語の「proactive contribution to peace」を訳してみた。 実はこの英語も翻訳で、もとは日本語の「積極的平和主義」。自民党内に「憲法に盛り…

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     www.asahi.com/articles/DA3S11466889.html
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     nt1945.blog.fc2.com/blog-entry-89.html
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この新聞にして、この論説主幹あり 朝日新聞・大野博人 8日 ...
     blogs.yahoo.co.jp › 政治 › 政界と政治活動 › その他政界と政治活動
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