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折々の記 2015 ⑥
【心に浮かぶよしなしごと】

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【 04 】07/18~     【 05 】07/19~     【 06 】07/23~
【 07 】08/13~     【 08 】08/17~     【 09 】08/18~

【 04 】07/18

  07 18 温故知新の哲学をいかせ(その二)   (安倍政権)7.15の面舵
  07 18  70年談話「違法な侵略戦争と明確に   学者ら74人、首相に要望

 07 18 (土) 温故知新の哲学をいかせ(その二)   (安倍政権)7.15の面舵



   ① (天声人語)「阻止できる」に大反響
   ② 世論反発、政権に痛手 衆院通過 新国立・70年談話…難題
   ③ 法案、参院へ 怒りと疑問にこたえよ
   ④ (社説余滴)東大法文1号館で考える 氏岡真弓
   ⑤ ここから熟議を 安保法案審議
   ⑥ 疑念、晴れぬまま



2015年7月17日 朝日新聞
① 「阻止できる」に大反響
     (天声人語)
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11863790.html

▼書いたご本人が驚いている。反響のすさまじさに。黒澤いつきさん(34)は一昨日、1本の記事をフェイスブックに掲げた。猛スピードで拡散し、きのう夕方までの1日で約32万人もの画面に表示された

▼タイトルは「安保関連法案 まだまだ阻止できます☆」。法案が衆院の委員会で可決され、もう勝負あったと落胆している人々に向けて、法律が成立するまでの国会の仕組みを平易につづった。まだ参院での審議がある、諦めなくてもいい、というか諦めてはいけない、と

▼「明日の自由を守る若手弁護士の会」の共同代表を務める。憲法と立憲主義を知り、考える活動に取り組む。今回、採決強行への抗議声明の形にはあえてしなかったと黒澤さんは言う。「人々が行動を起こすパワーになることを書こうと思った」

▼狙い通りだったことは寄せられたコメントが証明する。「そうか!」「これからですね!」「希望はあるのですね」「元気出ました」。黒澤さんは手応えを喜んでいる。書いたかいがあった

▼永田町の「常識」からすれば、きのうの衆院通過で法案成立の「公算」は大きくなったのだろう。政権与党の手持ちの時間は9月末まである。しかし、それは反対する側にとっても否の声を上げ続けることができる時間だ

▼若手弁護士の会は、特定秘密保護法案の衆院採決の際も同趣旨の記事を掲げ、約20万人に拡散した。この国の行方を決める「主権者」国民の怒りは、あの時よりも大きい。黒澤さんはそう実感している。

この記事に関するニュース

  ① (声)国会審議で立憲主義を学ぼう(6/25)
  ② (声)憲法特集:下 権力縛るのが立憲主義なのに(5/3)
  ③ (声)広がってほしい「耳マーク」(1/24)



①(声)国会審議で立憲主義を学ぼう(6/25)

 会社員 小林達哉(東京都 57)

 18歳と19歳の人たちも選挙で投票ができることになった。一方、国会で安全保障法制をめぐり、憲法違反かどうかの議論が行われている。これから選挙権を行使する若い人たちや、その人たちを学校で指導する先生がたにとっては、立憲主義を学ぶとてもよいタイミングであると思う。

 というのは、私自身が立憲主義について、50歳近くになって初めて知ったからである。

 あるきっかけで聴きに行った司法試験予備校の体験講義でのことだ。「法律は政治家が国民を縛るものだが、憲法は国民が政治家を縛るものだ」ということを知ったとき、心の底からびっくりした。

 「政治家は憲法の『顔』を立てながら、ものごとを決めていかなければならない」という意味だと、合点がいった。

 憲法の「面目」をつぶすような政治家、裁判官、役人にはお引き取り願わなければならないし、そのために私たちが使える最大の手段が投票であろう。

 このことを十分知ったうえで、若い人たちには投票してほしい。現在行われている国会審議は、それを知るための格好の題材だと思う。


②(声)憲法特集:下 権力縛るのが立憲主義なのに(5/3)

 無職 三谷親子(神奈川県 75)

 国家には、権力を乱用し暴走する危険が常にある。だから個人の人権や自由を守るため、憲法によって国家権力を縛るというのが立憲主義だと教わった。長い人類の歴史から得た英知だと思う。

 非戦と平和主義を宣言する憲法9条は、先の大戦への反省から生まれた英知だ。武力を使わずに国際紛争を平和的に解決する。これこそ日本政府が積極的に世界中に提案すべきことだと思う。

 だが、安倍政権は日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の改定に合意した。日本の集団的自衛権行使を盛り込み、米軍への後方支援の地理的制限もなくした。9条の理念に逆行し、国民の平和への願いを無視したものだ。

 自民党の憲法改正草案も、国家を優先し、人権を大幅に制限して国民を縛ろうとしているように見える。立憲主義の本質を覆すもので、到底受け入れることはできない。

 憲法改正は、上から押しつけてはならないと思う。主権者である国民からも発意があって、国民全体が時間をかけて議論を重ねていく姿が自然ではないだろうか。


③(声)広がってほしい「耳マーク」(1/24)

 パート 井上誠(愛知県 67)

 「届きにくかった障害者の声」(18日)を読んだ。同感だ。特に耳の不自由な方は、外見では分からないだけに、災害時には大変かと思う。

 そこで提案がある。「耳の不自由な方は筆談しますので、お申し出下さい」ということを表す「耳マーク」の普及である。

 この耳マーク、天声人語(2005年10月3日)でも紹介されたことがあるが、私は一部の図書館や病院でしか見たことがない。しかし、これが地域の全ての役所や病院、商業施設にあれば、聴覚障害者の方も気軽に相談でき、より行動しやすい社会になるのではないだろうか。

 一方、耳マークのバッジもある。このバッジを見かけたら「ゆっくり話す、手話か筆談でコミュニケーションをとりましょう」という意味である。バッジで、意思疎通が図りやすくなればと願う。

 ぜひもっと、耳マークについての理解や取り組みが社会全体に広がってほしい。


2015年7月17日 朝日新聞
② 世論反発、政権に痛手 衆院通過 新国立・70年談話…難題
     (安全保障法制)
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11863729.html

 安倍政権が最重要法案と位置づける安全保障関連法案が16日、衆院を通過した。だが、世論の理解が広がらぬまま強行した採決で政権はダメージを負い、新国立競技場の建設問題でさらに世論の反発を買っている。安倍晋三首相が2度目の政権発足以来、最大級の逆風を受ける中、野党が自らへの順風に変え、政権を追い詰めるのかが焦点だ。

 「絶対に必要な法案だ。議論の場は参院に移る。良識の府ならではの議論を進めたい」。安保関連法案の衆院通過直後、首相官邸で記者団の取材に応じた安倍首相の表情は厳しかった。政権の推進力だった世論の支持が最近、離反する傾向を見せているからだ。

 首相は2月中旬の施政方針演説で「戦後以来の大改革を、この国会で必ずや成し遂げよう」と訴えた。安保関連法案の衆院通過で、首相にすれば「大改革」に一歩近づいたといえる。

 だが、同時に世論の逆風に直面することになった。6月4日の衆院憲法審査会で、与党推薦の憲法学者が法案を「違憲」と批判。6月下旬には、自民党の「首相応援団」として作られた自民党議員の勉強会で、政府に批判的な報道や世論を威圧する発言が飛び出し、世論の強い反発を浴びた。

 ツイッターなどでは、石破茂地方創生相が党内を戒めようと使った「自民、感じ悪いよね」という言葉が飛び交い、党を批判するキャッチフレーズとして使われている。これまでデモと無縁に見えた若者らが集まり、国会を取り囲む。

 こうした世論のうねりは数字に表れ始めている。

 朝日新聞の今月11、12両日の世論調査では、支持率は39%、不支持率は42%で支持と不支持が逆転。複数の報道機関でも同じ傾向だ。首相に近い閣僚経験者は「核となる支持者と『安倍さん嫌い』という人が拮抗(きっこう)している。侮れない」。

 さらに、巨額の工費に批判が集まる新国立競技場の建設問題が急浮上した。与党内でも「従来のまま進んでいくのは許されない」(漆原良夫・公明党中央幹事会長)など連日、批判が噴出している。これ以上の支持率低下を避けたい政権は、それまでの姿勢から一転。菅義偉官房長官は16日、「様々な意見に謙虚に耳を傾け、国民負担が生じないよう工夫を凝らす」と述べ、2520億円の総工費を減らす方向で検討を始めた。

 これ以外にも、8月には世論の賛否が割れ続けている九州電力川内原発などの再稼働に直面する。同月に出す戦後70年の「安倍談話」も対応を間違えれば、国内外の批判を招きかねない。

 首相の盟友、麻生太郎副総理は16日の派閥の会合で「新聞の言うとおりなら(安保関連法案に)80%が反対している。もっと抗議の電話が来なければおかしいが、ほとんどかかってこない」と強気な姿勢を見せたが、支持を上向かせる手段は今のところ見当たらない。

◆ 自民「安倍一色」陰り

 世論の逆風とうらはらに、今のところ足元の自民党内から首相への表だった批判はほとんどない。自民党総裁選を9月に控える中、首相は無投票再選で長期政権への道筋を確実にしたい考えだ。

 しかし、首相と対極にあるリベラル派若手議員の勉強会が立ち上がるなど、党内も決して「安倍一色」ではなくなっている。将来の総裁候補に擬せられる石破氏は14日、安保関連法案について「『国民の理解が進んできた』と言い切る自信があまりない」と明言。石破氏に近い衆院特別委員会の浜田靖一委員長も15日の関連法案の採決後「法案を10本束ねたのはいかがなものかなと思う」と語り、政府の対応に疑問を呈した。

 今後、内閣支持率が急落し続けるようなら、党内に総裁選出馬を模索する動きが出る可能性がある。

 安保関連法案の参院審議では、衆院以上に苦しい展開も予想される。首相は15日の衆院特別委員会で、祖父・岸信介元首相の座右の銘である孟子の言葉「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人といえども吾(われ)ゆかん」の一部を引用。「信念と確信があれば、政策を前に進めていく必要がある」と語った。

 だが、「前に進む」原動力だった世論が逆風に変わった時、それでも前進できるのか。安倍政権は岐路に差しかかっている。

◆ 参院、野党の結束焦点

 政権への逆風は野党への順風。民主、共産、社民、生活各党は16日の本会議後、国会内で集会を開き、法案に反対の世論を原動力に、参院でも共闘することで一致した。民主の岡田克也代表は「国民の支持をさらに増やし、廃案に追い込んでいこう」。ここでもキーワードは「世論」だ。

 しかし一見、まとまったように見える野党も一皮むけばほころびが見える。

 民主では松本剛明元外相が党の方針に反し、本会議を欠席した。松本氏は長島昭久元防衛副大臣や細野豪志政調会長らとともに、かつて集団的自衛権の行使を認める法案の草案をまとめた。こうした行使容認派の一人は「共産党と同じことをすべきではない」と明言。参院で共産との連携を強めれば、逆に民主内の結束が緩むジレンマを抱える。

 「親政権」か「野党路線」か。維新も相変わらずはっきりしない。

 本会議の討論で、松野頼久代表は与党の採決強行を「言語道断の暴挙だ」と批判。民主の議員席から拍手が起きたが、維新の「大阪組」の馬場伸幸国対委員長らは拍手しなかった。馬場氏は衆院で否決された対案について「参院にも提出し、政府案の修正を進めていく」と述べ、政権と協調する余地を残す。野党路線の松野氏らを牽制(けんせい)した。

 野党側は、結束して政権に相対することで、政権に反対する世論の受け皿になれるかが焦点だ。(星野典久、笹川翔平、渡辺哲哉)


2015年7月17日 朝日新聞
③ 法案、参院へ 怒りと疑問にこたえよ
     (社説)
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11863688.html

 「勝手に決めるな」

 「国民なめるな」

 世代や党派を超えた重層的な抗議のコールが連日、国会周辺の空気を震わせている。

 「これが民主主義か」という疑問。「主権者は私たちだ」という怒り。それらを大いに喚起しつつ傲然(ごうぜん)と振り払い、自民、公明の与党はきのう、安全保障関連法案を衆院通過させた。強行しても「国民は忘れる」。安倍政権のこの侮りを、主権者は決して忘れないだろう。

 論戦の舞台は参院に移る。

 「良識の府」「再考の府」。参院はまがりなりにもそう称されてきた。衆院の「数の政治」に対して「理の政治」。国会をより慎重に動かす。そんな役割を本来は担っている。

 解散がなく、6年という長い任期が保障されているのも、衆院議員とは異なる目線と射程の長さで、ものごとを多元的に検討することが企図されている。様々な価値観や異なる意見のせめぎ合いから導かれた結論の方が、間違いが少ないからだ。

 ところが安倍政権下、まさにその多元性が押しつぶされそうになっている。

 集団的自衛権は行使できないとしてきた内閣法制局を、人事を通じて我がものとする。首相の「お仲間」で固めた私的懇談会が「行使容認」の報告書を出す。メディアを威圧しようとする自民党の動きも続く。

 多元性の確保が存在意義のひとつである参院であればこそ、安倍政権の「数の政治」に追従すれば、自殺行為になる。くすぶる不要論にまた根拠が加わるだろう。

 議論すべきことは山ほどある。大多数の憲法学者の「違憲」の指摘に、政府は全く反論できていない。どんな場合に集団的自衛権を行使できるのか、安倍首相は「総合的判断」と繰り返すばかりで、要は時の政権に白紙委任しろということかと、不安は高まる一方だ。

 学者、学生、法曹界、無党派市民。各界各層、各地に抗議の動きが広がり続ける背景には、安保法案への賛否を超えて、この国の民主主義、立憲主義がこのままでは壊されてしまうとの危機感がある。

 そもそも、この違憲の可能性が極めて高い法案を審議するのは、最高裁に「違憲状態」と指摘された選挙制度によって選ばれ、その是正にすらまごついている人たちなのだ。

 あなたたちは何を代表しているのか? この問いに少しでも答えたいなら「理の政治」を打ち立てるしかない。主権者は注意深く、疑いの目で見ている。


2015年7月17日 朝日新聞
④ 東大法文1号館で考える
     (社説余滴) 氏岡真弓
     
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11863681.html

 東京・本郷にある東京大学法文1号館は、80年前の1935年に完工した。

 憲法学者の美濃部達吉が軍部や右翼に攻撃された「天皇機関説事件」の年だ。彼の追悼会もここで行われた。

 その大教室で今月4日夜、「学問の自由」をめぐる危機を訴える集会が開かれた。

 主催したのは「学問の自由を考える会」だ。

 文部科学相が国立大に式典での国旗掲揚、国歌斉唱を要請した。その動きに「学問の自由と大学の自治を揺るがしかねない」と結成された。

 集会は一風変わっていた。

 憲法学者が歴史を考察し、西洋史研究者が外国と比較し、政治学者が現状を分析した。まるで学会のようだ。

 それだけではない。彼らは批判を自らにも投げかけた。

 「小中高の先生が国旗国歌を強制された問題に、大学人は鈍感、怠慢だったのでは」

 「今の政治家は大学が育てた。考えるとはどういうことかを教えてきたのか」

 「産学協同で金がもうかれば成果が上がったとされる。学問は手段になっている」

 国立大が迫られているのは国旗国歌だけではない。「社会に役立つ大学を」との政府や経済界の声を受け、人文社会科学系は組織の廃止などの見直しを求められている。

 国の交付金も減らされた。配分の仕方も、国の示した改革への取り組みに応じて決まる傾向が強まっている。

 大学がエリートの場だった頃は遠い昔のこと。特権にあぐらをかいていると言われ、存在意義さえ問われかねない時代だ。

 どうすればよいのか。

 容易ではない問いに答えを出す前に会の時間は尽きた。

 糸口はあるのではないか。

 憲法学者が、安倍政権が成立を目指す安保法制を「違憲」と断じたことが国会審議に深い影響を与えた。誰の考えであれ根本から吟味する学者の批判精神が生きたのだ。

 学問の自由がなければ、研究は細り、新しい知は生まれない。社会全体も知らないうちに価値観の多様さを失い、窒息してしまいかねない。

 80年前の新聞を見る。

 幻となる東京五輪の計画が進む。忠犬ハチ公が死ぬ。「そんな日常のなか、天皇機関説事件は起きた」と、登壇した石川健治・東大教授。

 「大学という堤防が決壊した10年後、日本は国家として滅びた。前兆に早めに気づいていきたい」

 学問の自由は、私たちの問題である。

 (うじおかまゆみ 教育社説担当)

この記事に関するニュース

   シンポジウム「学問の自由をめぐる危機 国旗国歌の政府『要請』について考える」(6/30)
   卒業式などで国旗掲揚・国歌斉唱 文科相、86国立大に要請(6/17)
   卒業式などで国旗掲揚・国歌斉唱 文科相、86国立大に要請(6/17)
   (声 どう思いますか)4月15日付掲載の「国旗・国歌」めぐる投稿(5/6)
   (ニュースの本棚)憲法を広い視野で 人類の智恵から見る危機感 石川健治(5/3)
   (天声人語)脅かされる学問の自由(5/3)
   (社説余滴)学校事故にどう向き合うか 氏岡真弓(3/17)


① シンポジウム「学問の自由をめぐる危機 国旗国歌の政府『要請』について考える」(6/30)

 7月4日午後6時、東京・本郷の東京大学法文1号館25番教室。石川健治氏、橋本伸也氏、山口二郎氏の報告後、岩崎稔氏、広田照幸氏を交えて討論。無料。当日受け付け。問い合わせは、学問の自由を考える会(080・4200・1687)。

 卒業式などで国旗掲揚・国歌斉唱 文科相、86国立大に要請(6/17)

 下村博文・文部科学相は16日、全86の国立大学長らに、卒業式や入学式で国旗掲揚と国歌斉唱をするように要請した。東京都内であった国立大学長会議で、「取り扱いについて、適切にご判断いただけるようお願いする」と述べた。

 下村文科相は、国旗と国歌が国民に定着してきたことと、1999年の国旗国歌法の施行が今回の要請の背景にあると説明した。ただし、学習指導要領に基づいて実施を指導してきた小中高校とは異なり、「各国立大学の自主的な判断にゆだねられている」と話した。

 下村文科相は要請後、記者団の取材に応じ、「適切な判断」とは国旗を掲揚し、国歌を斉唱することかという質問に、「文科省としてそういうお願いをした」と答えた。「最終的に各大学の判断。大学の自治とか学問の自由とかに抵触するようなことはない。介入ではない。お願いしているだけだ」と強調した。文科省によると、3月時点で、予定を含め今春の卒業式で国旗掲揚した国立大は74校、国歌斉唱したのは14校だった。(石山英明、高浜行人)

◆ 学長ら「従わない」「考える機会」

 国立大学長らは、要請をどう感じたのか。

 「国立大は納税者に対して責任を果たすべきで、政府に従う必要はない」。滋賀大の佐和隆光学長は会議後、そう指摘した。滋賀大は国歌斉唱をしていない。「国旗国歌が広く国民に定着」という下村文科相の説明について、「習慣的になっているとは思えない」と話した。

 1972年の本土復帰から一度も国旗掲揚も国歌斉唱もしていない琉球大(沖縄県)の大城肇学長は「学内で問題提起するが、議論がかなり混乱するのでは。議論の開始時期を遅らせたい」と話す。米軍基地の移転問題などで、政府への県民感情の悪化を感じているという。近畿地方の学長は「要請と言っても圧力のように感じる」と言う。

 国立大学の国旗掲揚、国歌斉唱をめぐっては、4月の参院予算委員会で、安倍晋三首相が「税金によって賄われているということに鑑みれば、正しく実施されるべきではないか」と発言。答弁に立った下村文科相も「各大学において適切な対応がとられるよう要請したい」と述べている。

 朝日新聞が5~6月に実施した国立大学へのアンケート(回収率89・5%)では、国旗掲揚、国歌斉唱のいずれか一つでも実施していない大学のうち、6割が要請後に、対応を変えるか検討すると回答した。

 一方、京都大の山極寿一総長は「(圧力とは)全く感じていません」。下村文科相が「各大学が適切に判断するように」と断った点を評価し、「大学の自治を尊重している。大臣は根拠に基づいておっしゃっている」と話した。国旗掲揚も国歌斉唱もしていない宮城教育大の見上一幸学長は「要請は(学内で)考えるいい機会になる」と話した。(貞国聖子、芳垣文子、前田育穂)

◆ <考論>大学の独立性失わせる

 広田照幸・日大教授(教育社会学)の話 大学にとって入学式や卒業式は重要な教育の場だ。その内容について時の政府が特定のあり方を求めることは、学問の自由をうたう憲法23条や、大学の自主性の尊重をうたう教育基本法7条に照らして問題だ。

 今回の要請は、教育基本法2条の「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する(中略)態度を養う」を根拠にしているが、大学の教育研究の独立性を失わせる大きな転換点になると心配している。政治的な意図での介入の口実に2条が使われる事態が常態化しかねないからだ。

◆ <考論>介入とはとらえがたい

 八木秀次・麗澤大教授(憲法学)の話 これは学問の自由への介入という問題ではなく、国立大の存在意義や、国立大は誰が統治するのかという問題だ。教授会の権限を制限した法改正と同じく、文部科学省が進める大学統治の改革と位置づけられる。

 小中高では学習指導要領で国旗国歌が浸透したのに、多額の税金が投入されている国立大があえてしないとしたら、国立大とは一体、何なのか。大学での国旗掲揚の場面としては式典や国際会議が想定されるが、そこでの国旗は日本の大学を示すシンボルに過ぎず、教育研究への介入とはとらえ難い。


 ② 卒業式などで国旗掲揚・国歌斉唱 文科相、86国立大に要請(6/17)

 下村博文・文部科学相は16日、全86の国立大学長らに、卒業式や入学式で国旗掲揚と国歌斉唱をするように要請した。東京都内であった国立大学長会議で、「取り扱いについて、適切にご判断いただけるようお願いする」と述べた。

 冒頭のあいさつで下村文科相は、国旗と国歌が国民に定着してきたことと、1999年の国旗国歌法の施行が今回の要請の背景にあると説明した。ただし、学習指導要領に基づいて実施を指導してきた小中高校とは異なり、「各国立大学の自主的な判断にゆだねられている」と話した。

 下村文科相は要請後、記者団の取材に応じ、「適切な判断」とは国旗を掲揚し、国歌を斉唱することかという質問に、「文科省としてそういうお願いをした」と答えた。「最終的に各大学の判断。大学の自治とか学問の自由とかに抵触するようなことは全くない。介入ではない。お願いしているだけだ」と強調した。実施状況の調査は「今のところは考えていない」という。

 文科省によると、3月時点で、予定を含め、今春の卒業式で国旗掲揚した国立大は74校、国歌斉唱したのは14校だった。(石山英明、高浜行人)


③ (声)国旗国歌の要請は行き過ぎ(6/17)

 専門学校非常勤講師 市川五十二(愛知県 72)

 国立大学に「入学式と卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱をするように」と政府が要請するとの方針が反響を呼んでいる。本紙のアンケートに対し、38の大学が、要請が影響しうると答えた(12日朝刊)。

 ここで、国旗国歌法が制定された後の経緯を思い起こす必要があると思う。当初、政府は「強制したり義務化したりすることはない」と明言していた。しかし、教育現場ではその後、生徒、職員に日の丸掲揚と君が代の起立斉唱が義務づけられ、違反者を処分する例さえ出ている。今回も予算を握る政府から、大学に強い圧力がかかるのは間違いないのではないか。

 日の丸・君が代の問題点は、先の戦争を鼓舞する役割を果たしたことだ。かつて私が勤めた県立高校では掲揚・斉唱の是非につき、熱い議論が行われた。今では話題にものぼらないと聞くが、その負の側面を忘れてはならない。

 国立大学文系学部の見直し、教科書検定強化など安倍政権の教育への介入は度を超しているように見える。日の丸・君が代問題でも、教育の政治からの中立が侵されるようなことがあってはならない。


④ (声-どう思いますか)4月15日付掲載の「国旗・国歌」めぐる投稿(5/6)

◆ 国旗・国歌の強制、間違っている

 NPO理事 芹沢昇雄(埼玉県 73)

 政府は国立大学に国旗掲揚や国歌斉唱を要請するという。安倍晋三首相は「税金でまかなわれている」からというが、税金は政府のものではなく、市民、国民のものだ。教育には口を出してはならない。それが「学問・教育の自由」である。

 掲揚・斉唱するか否かは価値観や心の問題で、強制・要請すべきではない。それを認めれば、国家神道や教育勅語のもと、国のために命さえ捧げるべきだという価値観に染まった道を再びたどりかねない。

◆ 堂々と国歌歌い国旗仰ぎたい

 無職 田原可郎(宮崎県 72)

 私は国粋主義者ではないが、国旗掲揚・国歌斉唱の要請は当然と思う。「学問の自由」「大学の自治」とは別問題だ。

 教育は、国家の中で意図的、計画的に行うべきものだ。小中高校の入学式や卒業式でも、国歌斉唱に加わらない教師がいるという。自由をはき違えていないか。

 国旗や国歌は軍国主義を想起させるという人がいる。終戦から70年。そんな心配は無用ではないか。国旗を堂々と仰ぎ、国歌を朗々と歌える時代であると思う。(4月15日付掲載の投稿〈要旨〉)

     ◇

◆ どんな式典も日の丸・君が代を

 無職 中山秀男(千葉県 76)

 私はそもそも、日本人として国内に住む限り、この問題を論ずること自体を疑問に思う。いかなる式典でも日の丸を掲げ、君が代を斉唱することに異論はない。日本人でありながら、国旗・国歌に異を唱えることが理解できない。

 反対する人たちは思想信条の自由を訴える。日の丸の旗を先頭に戦ったというイメージから脱却できていない。君が代斉唱を拒否する人たちは「天皇陛下は神」とされた、かつての呪縛からも解放されていないのだろう。

 天皇皇后両陛下は戦地を訪れ、国民を代表して慰霊し、世界平和を希求されている。その姿に、国内にはかつての戦いを反省する機運もある。国立大学には、国旗掲揚と国歌斉唱をしない学校もあるという。自治があり、多様な研究をなす点はそれなりに理解するが、国旗、国歌に反対する理由がどこにあるのだろう。

◆ 国民投票で決めたらどうか

 無職 高橋丈七(神奈川県 77)

 小中学校の入学式や卒業式で国歌斉唱に加わらない教師がいて、自治体の教育委員会ともめる様子を報道で幾度か見た。その都度、戦争に対するアレルギーは根深いと感じる。

 国技である大相撲だって国旗を掲げている。相撲協会が国歌斉唱を観客にお願いしても、起立して歌うかどうかは観客の自由だ。教育の場も、そうあればいいのに。やれ思想だ、価値観だ、強制だと力むから、ついつい軍国主義を想起する方向に傾くのではないか。

 国旗にしても、家には代々伝わる家紋がある。会社には社章、世界の国々には国章、自治体にも市章などがあり、象徴として扱われている。

 そんな流れに鑑みれば、掲揚と斉唱の国立大学への要請イコール軍国主義への道とはならないのではないか。それこそ国民投票で是非を決めたらどうか。

◆ 強制で真の愛国心は育たない

 主婦 今村千香子(岐阜県 51)

 国立大学に限らず、国旗掲揚・国歌斉唱を強制するのは間違いだと思う。国家が国旗・国歌を制定したとしても、それにどう向き合うかは国民の自由だ。戦前、戦中に日本が国旗・国歌をいかに利用してきたかを考えればなおさらだ。

 私は、国旗・国歌に接する時は過去の過ちである戦争を振り返り、世界平和を希求する厳粛な機会だと考える。諸外国とは異なる事情があるのだから、五輪や国際試合などで日本人選手が君が代を歌わなかったとしても恥ではない。

 国家も間違いを犯すことがある。防ぐにはどうすればよいのかを学ばせることが教育で、国のことを真剣に考えることが国への愛を育むことになるのではないか。教育は、国に服従させるためにあるのではない。形式的に日の丸にお辞儀することや、元気よく君が代を歌うことで、真の愛国心が育つとは思えない。

◆ 論争許されないのは願い下げ

 無職 安田清一(京都府 85)

 国旗・国歌に対する二つの意見は、それぞれ「なるほど」と納得できる。投稿者はお2人とも戦時中の生まれであるところが興味深い。ご両人の父君の世代は徴兵制で軍隊に引っ張られ、日の丸のはためくもとで戦地に送り出された。何も入っていない白木の箱で無言の帰還をされた人も多い。当時はそれが、表向きは「名誉」とされていた。

 私たちの年代は教育で感化され、自ら少年兵として志願した者が多かった。だが、孫の世代が再び武器を持って殺し、殺されることは誰も望まないはずだ。

 こうしたことを踏まえて国旗・国歌の問題は考えたい。確かに、米国民がスポーツの場で起立して国旗を仰ぎ、国歌を斉唱する姿は美しい。しかし、それは強制されたものではあるまい。

 強制によって国旗・国歌論争すら許されない時代になるのだけは願い下げだ。

◆ 違い認め議論深めたい

 同志社女子大・小針誠准教授(教育社会学) 入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱の実施率は1985年を境に大きく伸びました。この年、当時の文部省が公立の小中高校に調査した結果、日の丸が小中学校で約90%だった一方、君が代は入学式で中学校62%、小学校46%に過ぎず、国は「不十分」として100%を目指しました。

 89年改訂の学習指導要領で義務化され、抵抗する教職員が処分されるなど学校現場での指導が強まりました。99年の国旗・国歌法の施行を経て、2003年に実施率はほぼ100%に。こうした流れが強まり、今回の国立大学への要請につながったと思います。

 この問題は「日本人として当たり前」「強制には反対」と議論が二分しています。意見の違いを認め合う姿勢が大切で、そこから建設的な議論が深まっていくのではないでしょうか。


⑤ (ニュースの本棚)憲法を広い視野で 人類の智恵から見る危機感 石川健治(5/3)

 既成事実を作りさえすれば、なし崩しで事が運ぶ。そんな記事が今日も躍る。「この道」は、いつか来た道。それを振り返るのに好適な書物が、北岡伸一『清沢洌』である。戦前に在野の外交評論家として活躍した清沢洌の評伝。歴史家としての著者本来の美質がよく現れている。

 印象的なのは、清沢が、外交関係を単純な構図で一元化することを、批判し続けたという事実。欧州と南米とアジアとでは異なる外交原則で臨む米国に対しては、その矛盾をつく外交によって対処すべきだというのが、彼の持論だった。グローバルな対米牽制(けんせい)策である(独伊との)三国同盟路線にのめり込んで、外交関係が一元化されてしまえば、中国の方を向いていたはずの日本も、必ずや欧州での対立構図に「巻き込まれ」て、対米開戦を余儀なくされる、と。歴史は、清沢の卓見通りに動いた。

 本書の著者は、安保法制懇の座長代理としての活躍でも知られる。「切れ目のない安全保障」と引き換えに、日米同盟路線を地球規模にまで拡大させつつある安倍政権や、そのトリガー役を務めた著者が、果たして清沢の批判に耐え得るかどうか。本書は最良の点検材料になる。

◆ 権力の膨張は常

 しかし、なし崩しに膨張するのは権力の常。これに歯止めをかける人類の智恵(ちえ)が立憲主義である。20世紀に入りソ連がそして独伊が立憲主義を否定し、日本もこれに続いたが、結果は悲惨なものだった。反省を踏まえて、立憲主義は再び地球規模に拡(ひろ)がり、今世紀に至る。

 そうした世界史的歩みのなかで、最重要のマイルストーンとなったのが、極東の地で立憲主義を定着させた日本国憲法だ。憲法記念日の今日こそ、改憲論議によって立憲主義そのものを押し流してしまわぬよう、広い視野で憲法を捉え直してみたい。そのためには佐藤幸治『立憲主義について』を。

 著者は、かつて圧倒的な支持を受けた基本書『憲法』(青林書院・品切れ)で知られ、橋本行革の省庁改革や、裁判員制度等を実現した司法改革を、政権内部でリードした憲法学の泰斗。官僚支配に抗して個人の人格的自律を尊重する「この国のかたち」を追求した。その一方で、左右のイデオロギー対立のいずれにも与(くみ)せず、現実主義的な憲法9条解釈を説いた。1996年からの放送大学の講義(『国家と人間』)では、改憲・加憲の可能性を否定せず、むしろ北岡伸一説に近い国際政治観が示された。

 そうした著者が、当時の印刷教材を抜本的に再編してまで、立憲主義の歴史的理解の必要性を訴えている。本書の端々から伝わる著者の強い危機感は、現政権が立憲主義の軌道から外れつつあることの傍証である。

◆ 政府批判の封殺

 省みて本年は、天皇機関説事件の80周年。美濃部達吉に代表される立憲主義憲法学が弾圧され、日本政治から立憲主義のタガが外れた記念年である。ここから敗戦までわずかに10年。その間政府批判の言論が封殺されてゆく過程は、2年後の矢内原事件を扱った将基面貴巳『言論抑圧』に詳しい。誰が真に「亡国」をもたらした「学匪(がくひ)」であったかは明らかだろう。

 帝国大学教授たちの受難は、国民全体にとってもひとごとではなかった。冷ややかに観(み)ていた在野の清沢洌も、あっという間に言論の自由を奪われた。すべては立憲主義の軌道を外れたことが原因だ。本年が、80年前と同様の記念年として記録されることのないよう、政治の行方を注視していたいものである。

 ◇いしかわ・けんじ 東京大学教授(憲法学) 62年生まれ。『自由と特権の距離』


⑥ (天声人語)脅かされる学問の自由(5/3)

▼時代の変化に的確に対応することは難しい。たとえば社会から自由が失われようとしている時、自由など今どき通用しないのだという頭ごなしの主張が世の中で幅を利かせる。すると人々はその変化を仕方ないこととして納得してしまう

▼これは将基面貴巳(しょうぎめんたかし)さんが昨年出した『言論抑圧』が描く戦前日本の姿だ。東京帝大教授だった矢内原(やないはら)忠雄は1937年、軍国化を進める政府に批判的な論文を書き、辞職に追い込まれた。この「事件」を素材に、著者は同調圧力の怖さを示す

▼当時のような危うい変化の時を、今まさに迎えている。そんな危機感から、「学問の自由を考える会」が先日発足した。国立大学の入学式などで国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう文科相が「要請」するという話が出て、大学教授らが立ち上がった

▼強制ではない。儀式でのことであり、研究や教育内容への介入ではない――。こうした声に、会の代表で教育学者の広田照幸さんらは反論する。要請は必ず圧力になる。式自体も教育の機会であり、今回これを認めれば、政府が研究の中身にまで口を出す突破口になりかねない、と

▼会が強調するように、真理の探究とは既成の権威への挑戦にほかならない。大勢順応や付和雷同とは対極にある営みだ。大学に無神経な同調圧力を加えるなら、創造的な成果を生む芽を摘んでしまわないか

▼憲法は学問の自由を保障する。歴史に見る通り、一度失った自由は容易に取り戻せない。きょう、改めて心に刻みたい。


⑦ (社説余滴)学校事故にどう向き合うか 氏岡真弓(3/17)

 気になってならない調査がある。全国の学校で起きた重大な事件や事故への対応を、文部科学省が調べた。

 熱中症や柔道、水の事故などで「事実が見えない」「原因究明が不十分」と批判が重なったのがきっかけだ。各地の学校や教育委員会の動きが初めて浮かび上がった。

 558件の回答を見る。「発生直後、家族への対応が適切に行えた」と答えたのは98%に上った。一方、家族団体が親に聞いた別の調査だと「全く納得できなかった」が8割を超える。落差に驚く。「適切な対応」とは何か。

 事実関係や原因を調べるのに「検証委員会」を立ち上げたのは2割しかない。そのうち、結果を公開したのは半数どまりだ。これで他校が教訓を共有できるのか。

 疑問が次々生まれる。

 課題も数え切れない。学校や教委が検証委を設けるよう、どう促すか。各地の調査結果をどう集め、再発防止策を全国にどう広げるか……。

 だが「仕組みをつくる前にすべきことがある」と言うのは事故対応をめぐる文科省の有識者会議委員の住友剛・京都精華大教授(教育学)だ。

 住友教授は兵庫県川西市の「子どもの人権オンブズパーソン」の調査相談専門員だった。学校事故で親や学校、教委を行き来して調整を続け、解決を目指した経験を持つ。

 行政や学校、保護者、住民が事態を沈静化させようとするのではなく、事実に向き合い、協力して学校を変えようとする。その土台をつくらなければ、どんな制度も砂上の楼閣だと住友教授は話す。

 確かにそうだ。家族と学校が冷戦状態になり、高く厚い壁ができる。親は不信をつのらせ、裁判を起こすしかなくなる。学校側も訴訟を意識し防衛する。そんな学校紛争の悪循環をいくつも取材した。

 親と学校が力を合わせる関係は果たしてつくれるのか。

 双方、子どもの無念さを思い、事件や事故が繰り返されてはならないと願う原点は、同じはずだ。出発点に戻るのは簡単ではない。しかし、そこにこそ、壁に穴が開く可能性があるのではないか。

 宮城県石巻市立大川小は、東日本大震災の津波で児童74人が犠牲になった。家族の声を聞いてほしいと遺族が有識者会議に要望書を寄せた。

 「学校は子どもの命を守り、輝かせる場所であるべきです」。学校の事件や事故にかかわる人に、この言葉を胸に抱いてもらえたらと思う。(うじおかまゆみ 教育社説担当)


2015年7月17日 朝日新聞
⑤ ここから熟議を 安保法案審議
     参院の役割は 識者に聞く
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11863863.html

 安全保障関連法案の審議は参院へ移る。参院の役割と今後の論点を、識者に聞いた。

◆ 党内野党よ、物申せ 村上正邦氏(元自民党参院議員会長)

 安全保障関連法案をめぐる参院の姿勢がとても気になる。参院で60日間採決されなければ衆院で再議決できる「60日ルール」を念頭に置いた大幅な会期延長を許したことは、私の議員時代なら考えられない暴挙だ。反対する声が自民党内から出てこない状況に驚き、憤りを禁じ得ない。

 長い国会対策の経験からすれば、安保政策を大転換するのに、1国会で成立させるのは無理な話。PKO協力法は3国会をまたいだ。話し合いを重ね、国民の十分な理解を得る努力をするのは民主主義の基本だ。

 そもそも憲法は正々堂々と正面から論じ、改正すべきだ。一内閣が解釈改憲を無限に拡大していくなどあってはならない。自分がやるべきだと思うことに、リーダーは臆病でなければいけない。

 今の自民党は過去とは別物だ。解釈改憲により、党是である自主憲法の制定は遠のいた。先輩たちが継承してきたものを簡単に変える。ブレーキ役が首相の周囲にいないことが大きく、心地よいことだけを聞く。

 参院自民党はかつて、衆院側に厳しく物を申す党内野党だった。そのよき伝統が引き継がれていないように見えることは我々の責任でもあるが、審議が始まっても多様な意見が出ないなら、「二院制は不要」と自ら認めるようなものだ。

 60日ルールで法案が成立する結果は変わらないとしても、参院では党議拘束を外して法案を採決することが、「良識の府」としてのあるべき姿ではないか。

◆ 反対派、ビジョン示せ 大澤真幸(まさち)氏(社会学者)

 けんかに強くて自分を守ってくれる友達のアソウさんを、アベシンゾウも守る。安倍晋三首相は自民党のインターネット番組で集団的自衛権をこう例えた。この時、最も重要なのにちゃんと議論されなかった論点が見えた。日米関係だ。

 けんかが弱い日本には不安がある。けんかが強い米国から愛されているのか、と。見捨てられないための切り札が「けんかの時は手伝う」という集団的自衛権だろう。

 米国が日本を守ることが米国自身の利益だった冷戦が終わり、米国にとって日本の重要度は低くなった。日本はどうやって安全を確保していくのか。普通の国民が期待したのは、そんな基本の議論だった。

 なのに国会では、機雷除去とか、ミサイル発射のタイミングとか技術的な問題ばかり議論される。国民が理解できないのは、難しいのではなくて、ぴんと来ない論点だからだ。

 野党をはじめ反対派、特に9条を守れと主張するリベラル系も日米関係の議論をしない。「友達の米国がけんかで苦労しているのに日本は黙って見ている。そんな考えでいいのか」と問われると、自信を持って反論できないためだ。

 参院の審議では、反対派の政治家がビジョンを示すべきだと思う。日米関係が弱まっても、日本の安全はこうやって確保し、9条の理念はこう実現する。そんな積極的な提案をした時、政権側も本気になる。関心を持つ人も増えるだろう。国民の理解度は、審議時間の長さでは決まらない。


2015年7月17日 朝日新聞
⑥ 疑念、晴れぬまま
     116時間審議、見守った人たちは
     (ウォッチ安保国会)
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11863843.html

 安全保障関連法案をめぐる疑問や懸念は116時間を超える審議で解消したのか。これまで審議の行方を追ってきた「ウォッチ安保国会」。紙面に登場してもらった人たちに改めて聞いた。安保法案は分かりましたか?

◆ 議論かみ合わず/賛成派も「説明不足」

 16日午後の衆院本会議場。採決を前に各党が述べた最後の討論を、大勢の市民が傍聴した。その中に議員席をのぞきこむようにしている女性がいた。

 タレントの春香クリスティーンさん(23)。6月2日の紙面に登場してもらった。

 なぜいま安保法制が必要なのか知りたいと、審議が始まった5月下旬以降、20時間以上の傍聴を重ねた。仕事の合間も楽屋でネット中継に目をやり、質疑内容などを記した赤い表紙のノートは36ページに。「質問と回答がかみ合う感じが最後までなかった。もっと質のいい議論ができなかったのかな」

 政治家の生の声が聞きたかったが、自民党は所属議員に討論番組「朝まで生テレビ!」への出演をとりやめさせたり、TBSのアンケートに答えないよう指示したり。「戦争法案という人もいるけれど与党は戦争がしたいわけではない。でも、どうやって国民を守りどんなリスクがあるのか、国民には伝わらなかったと思う」

     *

 <具体性欠ける> 国会外ではこの日も、時折、強い雨にみまわれながら、多くの市民らが抗議の声をあげ続けた。

 その中の一人、千葉県市川市の菊池嘉久さん(72)は、審議を聞くうち、自衛官の身の安全を思えば、国連平和維持活動(PKO)で武器使用基準を緩めることは理解できなくもないと考えるようになった。でも「そもそも11本もの法案を一気に通そうとすること自体が、国民をなめている」と憤る。国会正門前は夜も抗議の人たちでごった返した。

 「安倍政権と安保法制」を卒論のテーマに考えている明治大4年の矢崎貴裕さん(21)は、就職活動をしながら、スマホのニュースなどで国会に注目してきた。3月下旬の記事で紹介したように1月のゼミ合宿で、言葉の難しさに頭を抱えた苦い経験がある。

 だが結局、理解は深まっていない。国会では同じような説明が繰り返されるばかりで、たとえば「存立危機事態」について、閣議決定の時からあまり具体的になっていないと感じる。ゼミ仲間でもほぼ話題にのぼらないまま、法案は衆院を通過した。「国民の反対が強くても、国会は決めてしまえる。そのことが怖い」

     *

 <理解まだまだ> 説明不足という指摘は、法案の賛成派からもあがる。

 6月20日に登場した百地章・日本大教授は安保法案は合憲だとの立場をとる。「木を見て森を見ない議論が続き、国民は何が分からないのかが、よく分からなくなったのでは」。合憲・違憲論に終始し、なぜ解釈の変更が必要なのか、政府側の説明も不十分な点があったという。「中国や北朝鮮の脅威を感じる国民は少なくないはず。現実的な危機を示せば、国民の理解を得られるのではないか」

 関東で勤務する20代の陸上自衛官も、日本が国際的な役割を果たすためには安保法制は必要だと考える。3月下旬の記事では「国民の理解のないまま、生きるか死ぬかの任務を負うのは不安だ」と語っていた。だが、「国民の理解」はまだまだだと感じる。安倍首相は委員会採決の当日に「国民のみなさまのご理解が進んでいないのも事実」と答弁した。自衛官は「自衛隊を『軍隊』と呼ばない国で、国民は安全保障の問題を理解できないのではないか」と語った。

◆ 民意との「落差」際立つ

 「起立多数。よって可決いたしました」。午後2時すぎ、採決を終えた大島理森(ただもり)・衆院議長が散会を告げるころ、国会の正門前には、抗議のために大勢の市民が集まっていた。

 断続的に降る雨にぬれながら、ネット中継で採決を見守った東京都八王子市の菱山南帆子(なほこ)さん(26)は、障害者施設で働き、仕事の合間に集会に参加してきた。「私たちの思いと国会の決定の間にある落差」にショックを受けたという。

 安全保障関連法案の審議が5月下旬に始まってからひと月半。問われてきたのはこの「落差」だった。

 ひとつは政権と憲法学者の落差。6月4日の憲法審査会に呼ばれた参考人が法案を「憲法違反」と指摘するなど、大多数の研究者の懸念を政権は突っぱね続けた。この後、世論調査でも法案への疑問が広がった。

 16日、民主の辻元清美氏は「これほど国会の中の光景と、国会の外の国民の声がかけ離れて聞こえた経験はありません」と語った。

 審議当初の5月28日には質疑に立った辻元氏に、安倍晋三首相が「早く質問しろよ」とヤジを飛ばしたこともある。辻元氏は前日の採決強行など法案審議を振り返り、「総理は何をしてもいいとお考えなら、勘違いされているのでは」。

 本会議場の約4分の1が空席のまま法案を可決した後、自民の武井俊輔氏は「気持ちは今日の空のよう。『晴れやか』とは遠い」と漏らした。法案を審議する特別委員会のメンバーであると同時に、自民党内のリベラル系勉強会の代表世話人でもある。

 世論との落差を埋められない理由を、「何より我が党の平和主義、憲法9条を大事にする姿勢が、国民の皆さんから疑われていること」と感じる。「私は法案の必要性に自信があるが、国民の間には、どこまでいくか分からない不安がある。参院審議では、今回の法案が、できることの限界だと示さないといけない」


 07 18 (土) 70年談話「違法な侵略戦争と明確に」   学者ら74人、首相に要望

  http://digital.asahi.com/articles/DA3S11865761.html

 戦後70年の節目に安倍晋三首相が出す「安倍談話」をめぐり、国際政治学者ら74人が17日、共同声明を発表した。1931~45年の戦争を「国際法上、違法な侵略戦争だった」と指摘し、侵略や植民地支配への反省を示した「戦後50年談話」や「60年談話」の継承を求めた。

 発起人代表として声明をまとめた大沼保昭・明治大特任教授(国際法)は、記者会見で「安倍首相は『侵略の定義は定まっていない』などと逃げるのではなく、国際社会でも共有されている通り、日本の戦争は違法な侵略戦争だったと明確にすべきだ」と語った。

 もう一人の発起人代表で文化勲章受章者の三谷太一郎・東京大名誉教授(日本政治外交史)は「談話は安倍首相の個人的所感ではなく、重要な国際法的意味を持つ」と強調。「過去の首相談話を『全体として継承する』とはどういう意味か、具体的な言語表現で明らかにするよう要望する」と述べた。

 戦後70年談話について安倍首相は、戦後50年の1995年に村山富市首相が出した村山談話を「全体として引き継ぐ」と語る一方、「植民地支配」「おわび」といった文言について「同じことを入れるのであれば談話を出す必要がない」との考えも示している。

 声明は「日本が台湾や朝鮮を植民地として統治したことはまぎれもない事実」「過ちを犯したことは潔く認めるべきだ」「違法な侵略戦争であったことは国際法上も歴史学上も国際的に評価が定着している」としている。大沼、三谷両氏ら10人が発起人となり、歴史学、国際法学、国際政治学の研究者ら計74人が署名した。

 会見に参加した毛里和子・早稲田大名誉教授(中国政治)は「日本国内の安倍政権批判の動きが中国で報道され、結果として対日世論の緩和が出てくると期待する」と語った。声明には緒方貞子・元国連難民高等弁務官、入江昭・米ハーバード大名誉教授(アメリカ外交史)、藤原帰一・東大教授(国際政治)、作家の半藤一利氏や保阪正康氏らが署名している。(北野隆一、清水大輔、後藤遼太)

 ■共同声明の主な内容

 ・戦争で犠牲となった人々への強い贖罪(しょくざい)感と悔恨の念が、戦後日本の平和と経済発展を支えた原動力だった

 ・「安倍談話」において「村山談話」や「小泉談話」を構成する重要な言葉が採用されなかった場合、談話それ自体が否定的な評価を受ける可能性が高いだけでなく、これまで首相や官房長官が談話を通じて強調してきた過去への反省についてまで関係諸国に誤解と不信が生まれる

 ・安倍総理が「談話」で用いられる「言葉」について考え抜かれた賢明な途をとられることを切に望む

 ・過ちを犯したことは潔く認めるべきで、潔さこそ国際社会において日本が道義的に評価され、日本国民がむしろ誇りとすべき態度と考える

 ・1931―45年の戦争が、その実質において日本による違法な侵略戦争であったことは、国際法上も歴史学上も国際的に評価が定着している