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折々の記 2015 ⑨
【心に浮かぶよしなしごと】

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【 06 】01/13

  01 13 田中宇の国際ニュース解説⑧(その二)   世界はどう動いているか

 01 13 (水) 田中宇の国際ニュース解説⑧(その二)     世界はどう動いているか

舎利子みよ、世界を牛耳る守銭奴の動きを !!

田中宇の国際ニュース解説
世界はどう動いているか

 フリーの国際情勢解説者、田中 宇(たなか・さかい)が、独自の視点で世界を斬る時事問題の分析記事。新聞やテレビを見ても分からないニュースの背景を説明します。無料配信記事と、もっといろいろ詳しく知りたい方のための会員制の配信記事「田中宇プラス」(購読料は6カ月で3000円)があります。以下の記事リストのうち◆がついたものは会員のみ閲覧できます。



◆ドルの魔力が解けてきた  その二(6)
 【2016年1月13日】 中国を筆頭とする実体経済の悪化、米シェール産業の行き詰まり、中央銀行群の金融テコ入れ策の弾切れなど、いくつもの危険な動きが激化している。米国など先進諸国の株や債券がいつ不可逆的に暴落しても不思議でない。英国の銀行は最近、顧客に対し「手持ちの株や社債を早く売却した方が良い。パニック売りの状態になってからでは遅い」と忠告している。モルガンスタンレーやバンカメも、似たような警告を発している。

北朝鮮に核保有を許す米中  その二(5)
 【2016年1月11日】 オバマと同じ民主党の、クリントン政権の国防長官だったウィリアム・ペリーが驚きの提案をした。「北はすでに核兵器を持っており、廃棄させるのは不可能。現実的な新たな目標は、北に核を廃棄させるのでなく、北が開発した核を封じ込めることだ。(1)北にこれ以上の核兵器を作らせない(2)これ以上高性能な核兵器を作らせない(3)核技術を他国に輸出させないという『3つのノー』を新たな目標にすべきだ。この目標は中国とも協調できる内容で、米中で6カ国協議を再開できる」

「金融世界大戦」の中国語訳が台湾で出版されました(晨星出版社。訳:蕭辰倢)

◆イランとサウジの接近を妨害したシーア派処刑  その二(4)
 【2016年1月6日】 サウジ王政の上層部は、軍産複合体とつながった親米派と、イランやロシアとの協調関係を作っていきたい非米派が、ずっと暗闘している。イランやトルコと組んでイラクのスンニ派地域を安定させる計画に乗り、バグダッドの大使館を再開したのは非米派の策だろう。そして、ニムル師を処刑してイランとの関係を悪化させ、イラク安定化計画を妨害したのは親米派の策だと考えられる。

日韓和解なぜ今?  その二(3)
 【2016年1月4日】 慰安婦問題がなぜ今解決したのかという問いは、オバマ政権がなぜ今日韓に和解しろと圧力をかけたのかという問いだ。オバマは、任期最後の年である今年、北朝鮮の核開発問題を解決したいので、まず米国の力で最も簡単に解決できる日韓の和解を実現したのでないか。今回、米国からの圧力による慰安婦問題の解決、日韓安保協定の再交渉が始まったことは、2011-12年の「米国が出ていく流れ」の再開になるかもしれない。

◆国家と戦争、軍産イスラエル  その二(2)
 【2015年12月28日】 イスラエルが、いくら米国を牛耳って動かしても、ロシアとイランがISISを退治して中東への支配力を強めることを、止めることができない。イスラエルは、覇権国である米国を支配しても、自国の安全を守れなくなっている。米国中枢は、しばらく前から、オバマと軍産イスラエルの暗闘になっているが、オバマは今年、露イランを動かし、軍産とイスラエルを無力化することに成功した。

シリアをロシアに任せる米国  その二(1)
 【2015年12月21日】 ケリーが訪露してプーチンにロシア主導のシリア問題解決を進めるよう促し、プーチンはそれを実行するが、米政府全体としてはロシア敵視を変えず、ロシアが勝手にシリア内戦に介入しているという解釈をマスコミに書かせる傾向が、以前から続いてきた。今回もそのパターンだ。オバマがこの策を続けるほど、中東は米国でなくロシアが主導する体制に転換していく。

ラジオデイズ・田中宇「ニュースの裏側」・・・ロシア機撃墜に踏み切ったトルコの背景

◆ドル延命のため世界経済を潰す米国  その一(3)
 【2015年12月19日】覇権国は本来、世界最大の経済力を持ち、その余力を世界のために使って、世界が経済成長できる態勢を維持することが役割だ。その役割を果たすために、覇権国の通貨や国債は、世界的に最高位の信用を約束されてきた。だが今回、米国は、ドルと米国債の強さを守るため、世界が不況に向かい、新興諸国や途上諸国が経済減速で苦しんでいる今の時期に、苦しみを増すことにつながる利上げやドル高誘導策をやっている。米国は、ドルを延命させるために世界経済を潰してしまう策をやっている。

◆米国の利上げで債券崩壊が始まる?  その一(2)
 【2015年12月15日】うまくいけば米連銀は今回、債券破綻の連鎖を起こさず利上げできる。しかし、QEなど過剰な緩和策によるバブル膨張は、もう限界に近い。今回うまく乗り切れても、安定は長続きしない。いずれバブル崩壊、信用収縮の時代になる。リーマン危機の時は、米欧日の金融当局に余裕があったが、その後の7年間の対策で余裕を使い切り、次の危機を乗り切れる「弾」が尽きている。今後いったんバブルが崩壊すると、世界的にひどい状態が数年以上続くと予測されている。

イラクでも見えてきた「ISIS後」  その一(1)
 【2015年12月13日】 トルコ軍が北イラクのバシカに越境進軍(増派)したことに関して「トルコの新たなISIS支援策だ」という批判的な分析が多い。だが私は、トルコがISISとの関係に見切りをつけ、代わりにスンニ派の「ハシドワタニ」やクルド自治政府によるISIS掃討作戦を支援し、イラクを3分割しつつ安定化することに貢献し、自国の石油権益


シリアをロシアに任せる米国  その二(1)
 【2015年12月21日】 ケリーが訪露してプーチンにロシア主導のシリア問題解決を進めるよう促し、プーチンはそれを実行するが、米政府全体としてはロシア敵視を変えず、ロシアが勝手にシリア内戦に介入しているという解釈をマスコミに書かせる傾向が、以前から続いてきた。今回もそのパターンだ。オバマがこの策を続けるほど、中東は米国でなくロシアが主導する体制に転換していく。

シリアをロシアに任せる米国   http://tanakanews.com/151221syria.htm

2015年12月21日   田中 宇

 12月15日、米国のケリー国務長官がモスクワを訪問し、シリア問題などについてプーチン大統領と会談した。米国はこれまで、アサド大統領が続投するかたちでシリア内戦が解決することに反対し、内戦終結よりもアサド辞任を重視する「政権転覆策」を進めてきたが、ケリーは米国がこの策を放棄すると表明し、シリア国民が選挙でアサドを再選するなら、アサド続投で内戦が解決してもかわないとモスクワで宣言した。ロシアは以前から、アサドに辞任を迫る米国の姿勢に反対しており、ケリーの訪露は、米国がシリア問題でロシアにすりより、ロシア主導でシリア内戦が解決していくことを促した。 (Assad can stay, for now: Kerry accepts Russian stance) (米国の政権転覆策の終わり)

 オバマ政権は全体としてロシア敵視の姿勢を続けているが、その中でケリーは以前からロシア訪問を繰り返し、政権内で親露的な役割を任されてきた。ケリーは今回の訪露で、全体的に従来よりさらにロシアにすり寄る姿勢を見せ、ロシア側を驚かせた。ケリーの訪露には、昨年ウクライナの親露政権を転覆して反露政権を据える担当をしたヌーランド国務次官補も同行した。プーチンと会ってはしゃぐケリーのかたわらでヌーランドは仏頂面で、プーチンに握手を求められてヌーランドが尻込みし、それをケリーが不安そうに見る場面もマスコミに流れた。 (US Finally Ends `Regime Change' Card) (John Kerry's Moscow Lovefest) (危うい米国のウクライナ地政学火遊び)

 ケリーの訪露を前にプーチンは、シリアで活動するロシア軍に対し、近隣にいる米軍やイスラエル軍と連携してISIS掃討の作戦を展開するよう命じている。これも、米国がロシアに歩み寄ったことの反映と考えられる。 (Putin Orders to Coordinate Russia's Actions in Syria With US Coalition)

 ケリーが訪露してプーチンにロシア主導のシリア問題解決を進めるよう促し、プーチンはそれを実行するが、米政府全体としてはロシア敵視を変えず、ロシアが勝手にシリア内戦に介入しているという解釈をマスコミに書かせる傾向が、以前から続いてきた。今回もそのパターンだ。今年10月に露軍がアサドに要請されてシリアに進出した時もこのパターンだった。昨年、ロシアがアサドと反政府派を和解させようとした時も、裏にケリーの訪露があったし、2013年に米国がシリア政府軍に化学兵器散布の濡れ衣(本当はトルコがヌスラ戦線にやらせた)をかけた後、ロシアの支援でシリアが化学兵器を廃棄した時も同様だった。 (ロシアのシリア空爆の意味) (シリア空爆策の崩壊) (無実のシリアを空爆する)

 オバマ大統領は、12月18日の年末記者会見で「シリアの内戦を終結し、派閥間の対立を乗り越えるため、指導者としての正統性がないアサドは辞任する必要がある」と述べた。アサドの辞任を内戦終結より重視する従来の米国は変わらないという表明で、ケリーが3日前にモスクワで発した宣言と矛盾している。 (Obama calls for removal of Syrian president Assad)

 だが、オバマの記者会見と同日の12月18日に開かれた国連の安全保障理事会では、ロシアが以前から提案してきたシリア内戦終結へのシナリオが、米国も賛成して可決された。可決された露案は、来年の元旦からアサド政権と反政府諸派が和解交渉を開始して半年以内に妥結し、その後1年以内に選挙を行う。その間にISISやアルカイダ(ヌスラ戦線)などのテロリストを退治するシナリオだ。このロシア案に対し、米国は従来「和解交渉の前にアサドが辞任しないとダメだ」と言って反対してきたが、今回はその反対を引っ込め、アサドの地位に関する文言を全部外した文書にして可決した。 (UN Security Council Endorses Syria Peace Plan, Split on Assad) (Obama Finally Commits To Putin's Syrian Policy - Yet Continues Violating It) (ロシア主導の国連軍が米国製テロ組織を退治する?)

 これらの全体の展開を、イスラエルの新聞は「アサドはたぶん辞めねばならないだろうとオバマが発言した」という「たぶん」をつけた見出しで報じている。 (As UN Endorses Syria Plan, Obama Says Assad Will Probably Have to Go)

 安保理が可決したのは「ロシア案」だが、ロシアは、このシナリオを最も現実的と考えて提案したのではない。テロリストでないシリアの反政府勢力は、政治的にも軍事的にも弱すぎて、まともな和解交渉にならない。最も現実的なシナリオは、アサド政権の正統性を認め、シリア政府軍がISISやアルカイダを掃討するのを外国勢が支援することだ。米国がアサドを嫌っているので、ロシアは「外交で解決しようとしたが無理なので軍事で解決する」という大義名分を得るため、安保理に和解交渉のシナリオを提案した。 (Why the US Pushes an Illusory Syrian Peace Process by Gareth Porter)

 サウジアラビア政府は12月9日、首都リヤドにシリア反政府諸派を集め、露案に基づく来年元旦からの和平交渉の「反政府側」の交渉の主体を作る話し合いを反政府諸派にやらせようとした。サウジが招待した反政府諸派のうち最大のものは、シリア北部を拠点とする「アフラル・アルシャム」(Ahrar al-Sham)で、サウジは彼らにアサド政権と交渉する主導役をやらせようとした。だが、リヤド会議に出席した同組織の代理人は「アサドは武力で打倒すべきで、交渉などとんでもない」と言い続け、2日間の会議の途中で退席して帰ってしまった。そもそもアフラル・アルシャムは、アルカイダとほとんど同一の組織であり、ロシアやイランは彼らをテロ組織とみなし、まっとうな反政府勢力と認めていない。 (Syria armed group Ahrar al-Sham quits Riyadh conference) (Syrian armed groups get most seats in committee set for talks with Assad) (ISIS-linked groups were present at Syria talks, Iran says)

 リヤド会議の失敗により、来年元旦に開始されるシリア政府と反政府諸派との和解交渉は、開催不能になっている。かたちだけ反政府勢力の代表を立てて交渉が始まるかもしれないが、反政府諸勢力の結束が得られない限り交渉は無意味だ。その一方で、露空軍がシリア軍を支援して進められるISISやアルカイダの掃討は続けられ、リヤド会議を蹴って退席したアフラル・アルシャムも、露軍との戦闘に負け、いずれ弱体化していくだろう。 (Video shows Syrian Islamist rebels, Ahrar al-Sham, firing canon at Russian airbase) (Syrian Government Forces Capture Strategic Rebel-held Mountain)

 軍事的な掃討が進むほど、反政府諸派は全体として弱くなる。後になるほど、和解交渉は反政府派に不利、アサド政権に有利になり、アサドの続投が容認される傾向になる。米英系の調査機関(ORB International)の今夏の調査によると、シリア国民の47%が、アサド政権はシリアの安定に寄与していると答えており、他の反政府諸勢力への支持よりも高かった。テロ組織を掃討して内戦を終結し、選挙を経てアサド政権が続投するというのが今後の現実的なシナリオで、ロシアが描くシナリオもこれだろう。 (Bashar Al-Assad Has More Popular Support than the Western-Backed "Opposition": Poll)

 オバマが、口ではアサドやプーチンを敵視しつつ、実際はケリーを繰り返し訪露させ、ロシアが大胆な中東戦略をやるようプーチンをけしかける策を続けるほど、中東は米国でなくロシアが主導する体制に転換していく。今回、米国がアサド敵視を引っ込めたとたん、ドイツは諜報機関をシリアに派遣してアサド政権と情報交換を行っていることを発表(新聞にリーク)し、いずれシリアで大使館を再開する構想も明らかにした。 ('German spies cooperating with Assad,' Bild reports) (German Intelligence "Cooperating" With Assad, Berlin May Reopen Embassy In Damascus)

 米政界では、共和党の大統領候補として最有力になったドナルド・トランプが、プーチンを評価するコメントを発し、自分が大統領になったら対露関係を好転させると宣言した。これを受けてプーチンも記者会見で、トランプを「有能な指導者」と評価する発言を行った。プーチンを賞賛することが、英仏やギリシャといった欧州だけでなく、米国でも、政治家の人気取りとして有効な策になっている。 (From Russia with love: Putin, Trump sing each other's praises) (欧州極右の本質)

 シリアの今後について、もう一つの不確定要素は、シリア北部に自治区(西クルディスタン、Rojava)を構築したクルド人だ。サウジ政府は、シリア反政府諸派を結束させるための会議に、クルド人の組織を一つも呼ばなかった。サウジはおそらく会議を開く前にトルコに相談し、クルド人を呼ばなかったのだろう。トルコは、自国と国境を接するシリア北部にクルド人の自治区ができることに強く反対している。トルコの反対姿勢が、シリアの安定を阻害する要因になっている。アサド政権が、クルドの自治区を認めないかもしれない点も不安要素だ。 (Kurdish-Dominated Group Seeks Role in Syria Peace Talks)

 しかしクルド問題も、シリアでは、すでに落としどころが見えている。まず、アサド政権は、すでにクルド自治区の構築を積極的に認めている。そもそも、2012年7月にアムダ(Amuda)、コバニ(Kobani)、アフリン(Efrin)というシリア北部の3つの町でクルド人が自治を開始した理由は、それまで3つの町に駐屯していたシリア軍が撤退し、クルド人の軍勢(YPG)に町を明け渡したからだった。アサド政権の方から、政府軍を他の地域でのISISやアルカイダとの戦闘に投入するため、積極的にクルド人の自治を認め、3つの町から軍を撤退した経緯がある。 (Rojava conflict - From Wikipedia)

 アサド大統領は先日、YPGに武器を支援していることを認める発言を行っている。シリア政府は、目立たないかたちで、かなり前からクルド人と協調する関係にある。米国も先月から、YPGに対して武器を支援している。シリアのクルド勢力を嫌っているのはトルコだけで、残りの米国やアサド政権、イラン、ロシアは、すべてクルド勢力に味方している。 (Assad admits sending weapons to Kurdish forces) (ロシアに野望をくじかれたトルコ)

 実のところトルコにとっても、シリアのクルド人は、それほどの脅威でない。シリアのクルド人の軍勢であるYPGは、トルコのクルド人の軍勢であるPKKが訓練して育てた。PKKはトルコでテロや武装蜂起を繰り返し、トルコ軍と激しい戦闘を繰り返して、トルコ政府から敵視されている。トルコは、敵視するPKKに育てられたYPGをも敵視しているというのが、報じられている構図だ。 (People's Protection Units - From Wikipedia) (Kurdistan Workers' Party - From Wikipedia)

 しかし調べてみると、YPGはPKKだけの子分ではなく、トルコのクルド人組織であるPKKと、イラクのクルド人組織であるKDP(クルド自治政府の与党)が連帯するために作った組織「クルド最高委員会」(Kurdish Supreme Committee)の傘下にYPGが存在する組織図になっている(正確には、PKKの傘下にあるシリアのクルド人組織PYDと、KDPの傘下にあるシリアのクルド人政党連合KNCが連立して作ったのがクルド最高委員会)。KDPは、トルコ・イラク国境沿いを行き来するゲリラであるPKKにイラク側の隠れ家を提供したり、PKKとトルコ政府の和解を仲裁するなど、PKKを支援しており、YPGが創設される時に自分たちも一枚かんでいる。KDPの軍隊であるペシュメガ(イラクのクルド軍)はクルドの軍勢の中で最も強く、YPGはPKKとペシュメガの両方の弟分になっている。 (Kurdish Supreme Committee - From Wikipedia) (Kurdish National Council - From Wikipedia)

 そして、KDPの独裁的な指導者であるマスード・バルザニ(イラクのクルド自治区の大統領)は、トルコのエルドアン大統領と仲が良い。内陸地域であるトルコのクルド自治区は、経済的にトルコの傘下にあり、石油も全量トルコに輸出している。つまり、トルコのエルドアン政権は、バルザニのKDPを通じて、KDPの弟分であるYPGなどシリアのクルド人自治区に対し、影響力を行使できる。シリアのクルド人が自治を持つこと自体は、トルコも容認せざるを得ない。だが、それ以上のトルコの脅威になることを、バルザニの監督下にあるYPGはやれないし、やらないだろう。トルコは、シリアのクルド人自治区と安定した関係を持てる関係性を、イラクのクルド人経由で、すでに獲得している。 (Masoud Barzani - From Wikipedia)

 いずれISISがシリアから追い出されると、次の焦点はISISの残りの領域であるイラクに移る。トルコは北イラクのバシカの基地に軍を派遣し、地元のスンニ派イラク人の軍勢と、クルド人の軍勢ペシュメガを訓練し、ISISが占領するモスルを奪還する動きを支援している。12月18日にはISISがバシカの基地を攻撃し、トルコとISISの関係が、秘密の同盟から敵対に転じた観がある。最近の記事に書いたように、これはイラクの安定化に寄与するが、同時にイラクの3分割(連邦化)に拍車をかけるので、イラク政府は(自前でスンニ派地域を安定化する意思と能力がないのに)トルコ軍の越境進出に反対している。 (イラクでも見えてきた「ISIS後」) (Iraq Kurds say repelled main IS offensive)

 米国はこの問題でも、倒錯的な態度をとっている。トルコ軍の北イラク進出はイラクの安定化に寄与するので、米国はイラク政府をなだめて、トルコ軍の進出を認めさせる方向に動くのが一つの合理的な策だが、オバマ政権は逆に、バイデン副大統領がイラクの首相に電話をかけて「トルコはけしからん。イラク政府に味方する」と伝えたことを明らかにしている。 (In Dramatic Reversal, US Vice President Biden Calls On Turkey To Withdraw Its Troops From Iraq) (White House: Turkey Must Remove `Unauthorized' Troops From Iraq)

21 トルコは、自国に脅威を与えていないシリア駐留の露軍機を撃墜して国際的に悪者になったが、トルコは撃墜に踏み切る前にNATOの盟主である米国に相談して了承を得たはずだ。トルコは、武器を支援したり石油を買ったりしてこっそりISISを支援してきたことが暴露し、この面でも悪者になっているが、これも、もともとイラク駐留米軍が涵養したISISを、米国と同盟関係にあるトルコが支援した構図だ。これらのトルコの悪事は、いずれも米国が主犯でトルコは従者にすぎない。それなのに今回、トルコがISISに見切りをつけてイラクを安定化する地元勢力の軍事訓練に乗り出すと、米国はトルコのはしごを外し、ISIS支援や露軍機撃墜でも、トルコだけが悪いという状況が作られている。 (露呈したトルコのテロ支援) (トルコの露軍機撃墜の背景)

22 トルコは米国からはしごを外されつつも、地元勢力がモスルをISISから奪還して北イラクを安定化する策に協力している。この動きに、意外なところから支援(かもしれない)動きが起こされた。それは、サウジアラビアが25年ぶりにイラクの首都バグダッドで大使館を再開し、北イラクのクルド自治区の首都アルビルにも領事館を開設することだ。イラク政府、すでに9月にサウジ大使館の要員たちにビザを発給していたと報じられているので、今のタイミングで実施されたことを特段重視すべきでない事象かもしれない。 (Saudi Arabia to Reopen Embassy in Baghdad After 25-Year Chill in Relations)

23 しかしサウジは、ISIS支援やアサド敵視の策においてトルコの味方だった。アサド延命とISIS崩壊の可能性が高まり、トルコとサウジの策が失敗しつつある中で、今後の中東における影響力を確保したいサウジが、トルコのイラク安定化(連邦化)策に協力し、北イラクのクルド人と直接の関係性を築くため、バグダッドやアルビルに大使館を開設することは、納得できる動きだ。サウジは、イラクのスンニ派地域に隣接しており、モスル奪還を皮切りに、同地域がISISの支配から脱し、その後のスンニ派地域の主導勢力(自治政府?)が親トルコ・親サウジになれば、トルコとサウジは、北イラクのスンニ派とクルド人のそれぞれの自治政府をはさんで「地続き」になる。

24 その一方でトルコは、ペルシャ湾岸のカタールに、初めての海外軍事基地を開設する相互協定を、カタール政府と締結した(1年前から両国間に軍事協定があった)。カタールは、サウジを盟主とするGCC(ペルシャ湾岸産油諸国)の一員であると同時に、トルコとカタールはともにムスリム同胞団やISISを支援してきた盟友関係にある。 (Turkey diversifies allies with first Mideast military base in Qatar) (Turkey Announces Military Base in Qatar)

25(トルコ軍は北キプロスにも駐留しているが、北キプロスはトルコにとって準国内だ。キプロスは国連の仲裁を受け、南のギリシャ人と北のトルコ人の間の和解が、間もなく成立しそうだ。この件も深い意味を持っている感じなので、いずれ分析する) (UN chief says agreement to reunify Cyrus 'is within reach')

26 トルコとサウジ、カタールというスンニ派3カ国によるこれらの動きからは、3カ国が、従来の米国による中東支配の体制下で動くことをやめて、相互に直接的な関係を構築し始めていることがうかがえる。シーア派系の諸国は、イラン、イラクのシーア派地域(中央政府)、シリア(アサドが非スンニ・広義のシーア派の一つであるアラウィ派)、レバノン(ヒズボラ)にかけての「逆三日月」の地域を影響圏として確立しつつある(クルド地域を経由しないと地続きでないので、クルドとの協調が不可欠)。イラク南部からサウジ東部、バーレーン、イエメンにかけての地域もシーア派が多く、サウジ王政の力が低下すると、これらの地域で分離独立傾向が強まる。

27 米国の中東覇権が低下すると、このシーア派の影響圏に対抗するかたちで、スンニ派のサウジやトルコが自分たちの影響圏を自前で確保せざるを得なくなる。そのための要衝の一つが、イラクのスンニ派地域になる。とはいえ今後、米国(米英)の影響力が低下すると、スンニ派とシーア派の対立は、従来より弱まり、協調関係が増す。これまで米英は、イスラム世界の結束を弱めて中東支配を永続するため、スンニとシーアの対立を扇動し、間抜けなムスリム指導者たちが扇動に乗せられ対立してきた。米国の中東覇権が低下すると、最初はスンニとシーアの影響圏争いがひどくなるかもしれないが、どこかで決着がつき、その後は安定に向かうと予測される。

28 米軍は最近、リビア政府軍を支援するため、20人の完全武装の特殊部隊を派遣したが、事前に了承をとる相手を間違えた結果、リビアに着いたとたん、彼らを迎えたリビア空軍から「事前に何も聞いていない。すぐに帰ってくれ」と滞在を拒否され、武装したまま、帰国を余儀なくされている。最近の米国の頓珍漢さと、覇権の低下を象徴する話だ。 (US Special Ops Kicked Out of Libya) (Deployment fail: US special ops forces arrive in Libya, immediately told to leave)

29 リビアではその一方で、イタリアとロシア、米国、国連などが連携して、リビアで内戦する各派を調停し、シリア内戦終結策(つまりロシア案)をモデルとして、内戦を終結させようとする動きが起きている。イタリアはEU内でロシア制裁の継続に反対する声を上げるなど、最近「非米色」を強めている。米国による無茶苦茶な政権転覆策が破綻した後、ロシアなど非米的な勢力による現実的な解決策が軍事的、外交的に模索され、かなり時間がかかるだろうが、事態が安定化していきそうな流れが、シリア、イラク、リビアなどで起きている。 (Italy and US launch Libya peace push amid fears on Isis expansion) (Russia Sanctions Extended? Italy Blocks European Union's Proposal To Renew Legislation Amid Disagreements)


◆国家と戦争、軍産イスラエル  その二(2)
 【2015年12月28日】 イスラエルが、いくら米国を牛耳って動かしても、ロシアとイランがISISを退治して中東への支配力を強めることを、止めることができない。イスラエルは、覇権国である米国を支配しても、自国の安全を守れなくなっている。米国中枢は、しばらく前から、オバマと軍産イスラエルの暗闘になっているが、オバマは今年、露イランを動かし、軍産とイスラエルを無力化することに成功した。

国家と戦争、軍産イスラエル   http://tanakanews.com/151228war.php

2015年12月28日   田中 宇

 国家に戦争はつきものだとか、国家は戦争する装置だといわれる。昔は、領主や国王が持つ領土拡張欲が戦争を生んだが、フランス革命後、世界のすべての国が「国民国家」(もしくはその擬似的なかたちである社会主義国家など)の形式を採るようになり、戦争が持つ意味も変わった。欧州や中南米などを見ると、19世紀に国民国家群が形成されたとき、英国が仕切った国際的な談合によって国土が重複しないように配置され、領土紛争が戦争に発展しにくい仕組みになっている。 (覇権の起源)

(フランス革命後、国民国家という巨大なちからを持つ装置が創設されたが、独裁的な権力を民主的に得たナポレオンがめざしたのは、戦争による全欧州征服だった。こうした国民国家が持つ暴力性を封じ込めるため、諸帝国間で談合しつつナポレオンを破った英国が作ったのが、英国と同じぐらいの大きさの国民国家を世界中に無数に作り、大きな国が小さな国を戦争で征服することのないようにした上で、世界中を国民国家にすることだった。中国やブラジルといった大きな国は、英国が分割できなかった末の産物だ) (覇権の起源(2)ユダヤ・ネットワーク) (大均衡に向かう世界)

 だがその後も、国境線をめぐるわずかな土地の紛争をめぐり、隣接する諸国間の戦争や対立が世界中で延々と続いている。その理由は、戦争が、最も手っ取り早い国民国家装置の加速手段だからだ。力づくで領土民を支配していた封建国家と異なり、国民国家は領土民を「国民」と名づけ「主権在民」「国家の主人」とおだててその気にさせ、国家のもとにすすんで結束させ、喜んで国家に貢献させてタダ働きさせ、納税や兵役をさせることが不可欠だ。国民がその気になって(だまされて)愛国的にがんばるほど、国民国家は成功する。

 国民国家の結束を、最も簡単に促進できるのが「戦争」を使ったナショナリズムの扇動だ。「震災復興」や、五輪など「スポーツ」も、国民の結束を加速できる(だからプロパガンダ機関であるマスコミはこれらのテーマを好む)。だが「他国の脅威」を煽る方が効率が良い。世界のすべての領土紛争は、為政者が必要なときに国家を結束させるための道具として、わざと解決せずに残してある。「両国がその海域にこだわるのは海底油田があるからだ」などという解説は、大体が目くらましの誇張である。(良いガス田なら早く掘ればいいのに何もしてない) (メドベージェフ北方領土訪問の意味) (拉致問題終結の意味)

 世界の国民国家体制は、ナポレオン戦争の教訓から、英国主導の国際談合によって戦争が起きにくいように工夫して作られたが、フランス革命と同時期に起きた産業革命後の100年間の経済成長期が終わり、世界経済が行き詰まると、各国の為政者が無茶をするようになって二度の大戦が起きた。戦争の末に、覇権国が英国から米国に移転した(米国は、覇権をもらう条件で参戦した)が、英国は戦後の米国の覇権戦略の黒幕になろうと画策して米ソ冷戦を誘発し、第二次大戦の戦時体制がそのまま冷戦体制に受け継がれた。その結果米国は、好戦的な「軍産複合体」が権力中枢に居座り、マスコミや議会も軍産の影響下に置かれ続けた。米国は、戦争装置に取り付かれた状態で覇権国を続け、米国がやる戦争はすべて軍産によって長期化(泥沼化)の罠を仕掛けられた。 (覇権の起源(3)ロシアと英米) (多極化に圧されるNATO)

 米国の歴代の大統領たちは、軍産の支配から逃れようともがいた。若いケネディは、直截的にソ連と和解しようと試みて殺された。まっすぐやってはダメだ。むしろ逆に、軍産が好む策を過激、過剰にやってわざと失敗させ、失敗からの挽回と称して軍産が作った体制を壊す方がうまくいった。ベトナム戦争失敗後のニクソン政権による中国との和解や、ソ連敵視を強めると言いつつソ連を和解して冷戦を終わらせたレーガン政権がこの例だ。米国が軍産の支配を乗り越えるには、中国やロシアを引っ張り上げ、世界の覇権構造を多極化するのが一つの手だ。イラク侵攻後の現状も覇権を自滅させており、この手法といえる。ご存じのとおり、ニクソンやレーガンらの手法を、私は「隠れ多極主義」と呼んでいる。 (多極化の本質を考える) (世界多極化:ニクソン戦略の完成) (隠れ多極主義の歴史)

 1980年代に冷戦が終わる過程で、覇権の黒幕だった英国は、覇権の主役を軍事から経済(金融)に切り替え、米国(米英)が債券金融システムの拡大(バブル膨張)を主導して巨額の富を創造し、その資金力で世界支配を続ける金融覇権体制を作ってそちらに移行した。同時期に、英国が見捨てた軍産にとりついて米国の覇権中枢に入ったのがイスラエルで、冷戦直後の湾岸戦争(イラクをクウェート侵攻に誘導し、それを叩いた)が「軍産イスラエル」合弁の初仕事だった(79年のイラン革命などもイスラエルの影があったが)。軍産イスラエルは米軍をイラクに長期駐留させ、イスラエルの番犬として機能させたかったが、当時のパパブッシュ政権はそれを回避し、イラク軍をクウェートから追い出しただけで、米軍をイラクに入れなかった。 (激化する金融世界大戦)

 次のクリントン政権は金融覇権重視で軍産イスラエルに冷たかったが、その次の息子ブッシュ政権ができた直後、軍産イスラエルは911テロ事件を誘発して華々しく政権中枢に返り咲き、現在まで続く「テロ戦争」が始まり、米国は劇的に好戦的な軍事主導に戻った。911は、米国の覇権戦略の主導役を乗っ取る「クーデター」だった。 (覇権転換の起点911事件を再考する) (仕組まれた9・11)

 テロ戦争の戦略は、1980年代からの「金融覇権体制」に対する配慮がある。一般の戦争は国家間で経済を潰し合うことであり、戦争を世界規模でやると世界経済が破壊される。20世紀の二度の大戦のころは、世界で経済成長する地域が限定されており、その地域の全体の成長が鈍化した後、大戦でいったん全部を破壊して再建する「リセット」のために起こされたなどと説明されている。対照的に冷戦後の世界は、BRICSなど新興市場諸国に成長力があり、世界経済の成長余力がかなり大きい。現状で国家間の世界大戦が起きると、米欧(先進国)と中露(新興市場)の戦いになり、今後の世界経済の成長の原動力となる中国など新興市場が破壊されてしまう。これでは資本家の賛成を得られない。 (資本の論理と帝国の論理)

 テロ戦争は、軍産系の諜報機関が間接的に育てたテロリストたちが、世界のどこかでテロをやり続け、それを取り締まるためと称し、米国や同盟諸国の軍隊が、テロリストの本拠地とされるイスラム世界のどこかの国で戦争し、長期駐屯する戦略だ。テロ戦争がらみで戦争が行われたアフガニスタンやイラクは、いずれも内戦や経済制裁で事前に経済が破壊されており、そこで戦争が行われても追加的に破壊されるものが少なく、世界に対する経済的な悪影響が少ない(ものすごく悪くて下品な言い方をすると、アフガニスタンやイラクは「戦争の公衆便所」だった)。その意味でテロ戦争は、資本家をも納得させられる。

 テロリストは、米国の諜報機関の傘下で涵養され、米イスラエルの都合の良いときに、都合のいい場所でテロをやらせられる。テロ戦争は低強度で、永久に続けられる。CIAは、テロ戦争が40年続くと吹聴していた。戦争構造が続く限り、政府は有事体制をとり続け、マスコミは当局の言いなりの報道を続けるし、反戦的、反政府的な言論を非国民扱いして排除できる。軍産にとって非常に都合のいい「理想的」な戦争戦略だ。 (アルカイダは諜報機関の作りもの)

 テロ戦争の中で、テロリスト役をするのは、イスラム教徒だけだ。その理由は、軍産と組んでいるイスラエルが、四方をイスラム教徒の敵に囲まれており、イスラム教徒=テロリストの構図が世界に定着すると、イスラエル=善、イスラム教徒=悪の構図ができて、イスラエルに好都合だからだ。テロ戦争が起きなかったら、イスラエルはパレスチナ人に対する人権侵害に関して、世界から悪のレッテルをもっと強く貼られていたはずだ。イラクなど、イスラエルの敵だった中東の国々に、テロ戦争の一環で米軍が駐留してくれることも、イスラエルの安全に貢献する。 (善悪が逆転するイラン核問題)

 テロ戦争は、軍産イスラエルにとって素晴らしい戦略だったが、運用が(故意に)稚拙で失敗した。テロ戦争は、低強度で長期的にやるべき戦争だったが、911の翌日から、高強度の大戦争をやりたがる勢力(ネオコン、タカ派)が米政権内で騒ぎ出した。国防副長官など政権中枢の要職を占めたネオコンは、イラクに大量破壊兵器(WMD)保有の濡れ衣をかけて侵攻し、占領の泥沼にはまるイラク戦争を引き起こした。ネオコンはイスラエル右派系の勢力だが、事後にWMDの濡れ衣が世界にばれてしまうずさんな謀略の組み方で、ベトナム戦争以来の「過激にやってわざと失敗させる」隠れ多極主義のやり方が散見された。 (ネオコンの表と裏)

 イスラエル自身は、イラク侵攻に賛成していなかった。イラクのフセイン政権(スンニ派)はイラン(シーア派)と敵対し、米イスラエルにとって好都合な、イラクとイランの恒久対立の構図を持続してくれていたが、フセインが倒され、ネオコンが提唱する「中東民主化」の一環でイラクが国民の6割を占めるシーア派の政権になると、イラクがイランの傘下に入ってしまう。その後現実になったこの展開を、イスラエルは事前に懸念し、フセイン政権を潰すなら、その前にイランを政権転覆して無力化してからにしてほしいと米国に伝えていたが、ほとんど無視された。 (テロ戦争の意図と現実)

 イラク侵攻は、軍産イスラエルによる恒久低強度なテロ戦争を、短期間で自滅的に破綻させる効果(たぶん意図)があった。ネオコンは、テロ戦争の首謀者でなく(下手な運営による未必の故意的な)破壊者だった。イスラエルは次善の策として、イランに核兵器保有の濡れ衣をかけ、永久に経済制裁し続けるイラン核問題の構図を強化した。イランは、フセイン後のイラク(のシーア派地域)を手に入れながらも、米欧に経済制裁されて窮した。 (「イランの勝ち」で終わるイラク戦争)

 11年に米軍がイラクから撤退し、同年5月には米海兵隊がテロ戦争の「敵」アルカイダの指導者とされたオサマ・ビンラディンを殺害し(たことにして)、テロ戦争は終わりになったように見えた。私は「テロ戦争の終わり」と題する記事を何本か書いた。 (テロ戦争の終わり) (911十周年で再考するテロ戦争の意味)

 だがその後、14年にISISが登場し、テロ戦争の構造が復活した。ISISは、イラク駐留米軍が11年に撤退するまでの期間、米軍が運営する監獄の中でイスラム過激派による組織作りを黙認するかたちで間接育成した組織だ。イラクから軍事撤退し、ビンラディンを殺したことにして、テロ戦争を終わらせようとしたオバマの策に対する軍産からの反撃がISISだった。米軍は、オバマ意向を無視してISISを支援し、アサド政権を倒してシリアを無政府状態・恒久内戦の「中東のアフガニスタン」にしようとした。同時期にリビアも、カダフィ政権が潰されて分裂し、内戦状態に陥り、ISISが入り込んだ。 (イスラム国はアルカイダのブランド再編) (敵としてイスラム国を作って戦争する米国) (テロ戦争を再燃させる)

 いったんアフガン状態に陥ると、安定を取り戻すのが困難になる。外部勢力が仲裁し、武装勢力どうしで連立内閣を作っても、武器が多く残っているので、少しの内紛ですぐ内戦に戻ってしまう。米政府内は軍産系の勢力が強いので、米国が仲裁しても「ふりだけ」でしかなく、うまくいかない。何とか軍産の中東恒久戦争策を抑止したいオバマが進めたのは、イランとロシアにISIS退治をさせることだった。オバマ政権は、昨年からイラン核問題を解決することに注力した。イランは以前から、ISISと戦うアサド政権を支援していたが、経済制裁されているので資金難で、苦戦していた。 (イラン核問題の解決) (プーチンが米国とイランを和解させる?)

 イランに核兵器保有の濡れ衣を着せて経済制裁することは、フセイン政権が潰れた後のイラクを傘下に入れて強くなるイランをへこますため、イランを脅威とみなすイスラエルが、米政界に影響力を行使してやらせていたことだった。オバマは、米議会やイスラエルからの圧力を何とかはねのけ、今年7月、イラン制裁の解除にこぎつけた。 (イラン・米国・イスラエル・危機の本質)

 そしてオバマは、その前後からケリー国務長官を何度もロシア側と会わせ、プーチンがシリア内戦の解決に動くよう働きかけた。ロシアは当初、シリアの反政府派とアサド政権を和解させる交渉の仲介を続け、効果が上がらないとわかると、アサド政権の依頼を受けて10月からロシア軍をシリアに進出させ、直接にISISやアルカイダを空爆し始めた。 (ロシア主導の国連軍が米国製テロ組織を退治する?) (和平会議に向かうシリア) (シリア内戦を仲裁する露イラン)

21 露軍のシリア進出によって、ISISが退治されていく流れがほぼ確定した。ISISはシリアだけでなくイラクでも退治される方向だ。最近の記事に書いたように、ISISが占領するイラクの大都市モスルを奪還しようとするスンニ派民兵(ハシドワタニ)とクルド軍(ペシュメガ)を訓練するため、12月初めにトルコ軍が北イラクに越境進軍(増派)した。イラク政府はトルコ軍の侵入に猛反対し、オバマ政権もイラクに味方してトルコに圧力をかけた結果、トルコ政府は12月20日に軍の撤退を決めた。 (イラクでも見えてきた「ISIS後」) (シリアをロシアに任せる米国) (Iraq welcomes Turkish withdrawal announcement)

22 しかしこの撤退は、ISISのモスル支配が今後も看過されることを意味しない。イラク政府は、トルコの進出に触発され、イラク政府軍とシーア派民兵団が、ISISからの奪還戦を展開してきたラマディの奪還が完了したら、次はモスルの奪還に着手すると12月25日に表明した。12月27日にはイラク軍がラマディの中心街にある政府庁舎をISISから奪い、ラマディ奪還がほぼ完了した。シーア派主導のイラク政府(とその背後のイラン)は従来、スンニ派地域であるモスルの奪還に消極的だったが、トルコがモスル奪還を支援して自国の影響下に入れようとする動き出したのを見て、これまでの消極性を捨てて、積極的にモスル奪還へと動き出した。 (Iraq PM: Mosul Is Next Target After Ramadi) (Iraqi forces retake Ramadi government complex: Military spokesman)

23 イラク政府が本腰を入れるので、トルコはいったん撤退することにしたのだと考えられる。イラク政府が口だけで実際の軍事行動をしない場合、しばらくするとまたトルコ軍が北イラクに出てくるだろう。イラク政府と、背後にいるイランは、これまでないがしろにしてきたイラクのスンニ派地域の安定化に動かざるを得なくなっている。ISISは来年、イラクより先にシリアで退治され、余力が出た露空軍は、イラク政府の要請を受けてイラクのISISを空爆するようになるだろう。露軍が入ってくると、米軍はイラク政府に「露軍か米軍かどちらかを選べ」と迫るだろう(すでに迫っている)。イラクは露軍を選ぶので、米軍はイラクから出ていくことになる。 (U.S. to Iraq: If Russia helps you fight ISIS, we can't) (Baghdad says would welcome Russia strikes in Iraq)

24 こうした展開は、イスラエルにとって脅威だ。ISIS退治後の中東は、ロシアがシリアとイラクの制空権を持ち、地上ではイランが、イラク、シリア、レバノンまでを影響圏にする。イスラエルは、シリアとレバノンにおいてイランと接することになる。イスラエルの仇敵であるレバノンのヒズボラも強化され、露軍の制空権もあるので、イスラエルが簡単に戦いを挑める相手でなくなる。シリアはうまくいくと来年中に内戦が終結し、選挙を経て、おそらくアサド政権の続投で安定し、シリア政府は国際社会に復帰する。そうなると次に問題になるのが、イスラエルが1967年の中東戦争でシリアから奪ったまま占領しているゴラン高原だ。イスラエルに対し「ゴラン高原をシリアに返せ」という要求が国際的に強まる。 (U.S. Rejects Idea To Recognize Israeli Sovereignty in Golan Heights) (UN urges Israel to withdraw from Golan Heights)

25 イスラエルは米国の要人を盗聴して弱みを握ったり、ユダヤ系が多いマスコミに歪曲報道をさせたり、ユダヤ系の金持ちを動かし(脅し)てイスラエルに楯突く勢力の資金を枯渇させたりして、米国の政界を牛耳り、世界最強の政治力を保持し、覇権戦略をねじ曲げてきた。だが今の中東は、米国の覇権戦略が破綻し、代わりに露イランが動いてISISが退治されていき、米国がそれを容認せざるを得ない事態だ。ISISは、米軍や同盟国であるトルコに支援されているが「テロ組織」なので、露イランがISISを退治していくことに誰も反対できない。 (イスラエルとの闘いの熾烈化) (イランとイスラエルを戦争させる)

26 イスラエルが、いくら米国を動かす力を持っていても、露イランがISIS退治して中東への支配力を強めることを、止めることができない。イスラエルは、覇権国である米国を支配しても、自国の安全を守れなくなっている。米国中枢は、しばらく前から、オバマと軍産イスラエルの暗闘になっているが、オバマは今年、露イランを動かし、軍産とイスラエルを無力化することに成功した。 (イランとオバマとプーチンの勝利) (悪者にされるイスラエル) (続くイスラエルとイランの善悪逆転)

27 そもそもイスラエルの軍部・諜報界には、ISISにアサド政権を倒させることがイスラエルにとって安全を向上させず、むしろ危険を増す転換になるとの懸念が、以前からあった。アサド政権はゴラン高原を奪ったイスラエルを敵視しているし「独裁」でもあるが、イスラエルにとって、敵対したまま安定した関係を持てる利点があった。アサドが倒されると、シリアはイスラム過激各派がバラバラに支配する無政府状態になり、それらの中にはイスラエルを越境攻撃しようとする勢力が出てくる。アサドが独裁的にシリアを安定させてくれていた方が良かったということになりかねない。ISISの指導者バグダディは、シリアを乗っ取ったら、その後、西岸やガザに進出し、イスラエルを標的にすると宣言するメッセージを流している。 (ISIS Leader Abu Bakr al-Baghdadi Warns Israel: We're Getting Closer Every Day)

28 イスラエルは、シリアが内戦化した後、ゴラン高原の隣接地域にいたアルカイダ系のヌスラ戦線と話をつけ、ヌスラの負傷兵をゴラン高原の軍病院で治療してやり、ヌスラがイスラエルを攻撃してこないようにした。イスラエルは、ヌスラを手なずけることで、それ以外のイスラム過激派がイスラエルに越境攻撃を仕掛けてこないようにした。イスラエルが、シリアの内戦化やアサド政権の崩壊を懸念していることは、こうした状況からもうかがえる。 (ISISと米イスラエルのつながり)

29 イスラエルが米政界を牛耳っており、イスラエルにとってアサド続投の方が望ましいなら、米政界や米軍によるアサド転覆の試みをやめさせればよい。それができないのだからイスラエルは米政界を牛耳っていると言えない、と考える人がいるかもしれない。それは間違いだ。話がどんどん複雑になって恐縮だが、米政界を牛耳っているのは「イスラエル政府」でなく、在米ユダヤ人を中心とする「イスラエル右派(過激な極右)」である。米政権中枢に入ってイラク侵攻を起こしたネオコンはその一派だ。 (ネオコンと多極化の本質)

30 ユダヤ極右は、親イスラエルを掲げているが、世界のイスラム教徒が激怒する、イスラム聖地への冒涜や、パレスチナ人殺害、中東和平への妨害を繰り返している。イスラエルの安全よりも、米イスラエルとイスラム世界との敵対を扇動することを優先している彼らが、AIPACなど在米イスラエル団体を通じて米政界を牛耳っているため、米国の戦略は、イスラエルの安全を無視して中東を無茶苦茶にする策になっている。イラク侵攻前、イスラエルの諜報界が「イランが強化されてしまうぞ」と懸念を示唆したのに、米国のネオコンは無視して侵攻を挙行したのも、同様の構図だ。 (入植地を撤去できないイスラエル) (イスラエル右派を訪ねて)

31 今後、露イランなどがISISを短期間に全滅させられず、戦線が膠着した場合、ISISは西岸やガザに入り込む傾向を強めるだろう。2国式(パレスチナ国家創設案)の中東和平が頓挫したままなので、2国式を前提に作られたパレスチナ自治政府(PA)は今夏ごろから崩壊に瀕しており、いつPAが正式に解散してもおかしくない。ケリー国務長官ら米高官が、何度も警告を発している。イスラエル政府は極右に乗っ取られ、和平交渉を担当する外務大臣すら置かれず、イスラエル外務省は過激な発言を繰り返す極右の次官(Tzipi Hotovely)に握られたままだ。 (Israeli Deputy Foreign Minister: I Dream of Israeli Flag on Temple Mount) (世界を揺るがすイスラエル入植者)

32 PAが潰れると西岸の混乱に拍車がかかり、パレスチナ人の若者が過激な思想に走り、ISISが組織を作りやすくなる。西岸が崩れると、ガザでも、ハマスより過激なISISが台頭する。この展開は、イスラムとユダヤの過激派どうしがパレスチナ・イスラエルで戦うことになり、まさにイスラエル極右が望むところだ。従来イスラエル政府は、PAやガザのハマスと対立しつつも連絡を取り合って何とか安定を維持してきたが、ISISがPAやハマスを押しのけると、イスラエルは連絡する相手もいなくなり、自国の不安定化を看過するしかなくなる。 (ISIS Declares War On Palestine, Kills Top Hamas Commander) (中東和平の終わり)

33 いずれパレスチナの混乱が頂点に達すると、ユダヤ極右がエルサレムの「神殿の丘」を完全に乗っ取り、イスラム教徒を追い出して「ユダヤ第三神殿」を建設しようとするだろう。これはキリスト教右派がいうところの「イエスの再臨」「ハルマゲドン」につながる事態だ。ユダヤ極右は、聖書やコーラン(クルアン)に描かれている「終末」を連想させる状況を意図的に作り、イスラム・キリスト・ユダヤの3つの一神教(実はひとつの「一神教」の3宗派)の世界中の信者たちを扇動し、宗教戦争を起こそうとしている。ISISとユダヤ極右は、事態を激化するための「同志」である。半面、プーチンやオバマは、この危険な「ハルマゲドンごっこ」をやめさせようとしている。これは宗教のふりをした政治の劇だ。「ごっこ」じゃないぞと言う人は「軽信者」か「狂信者」だ(あえてこう書く)。 (キリストの再臨とアメリカの政治) (ユダヤ第三神殿の建設) (イランとアメリカのハルマゲドン) (Netanyahu Allies Donated to Groups Pushing for Third Temple) (Right-wing Israeli groups `raid' Al-Aqsa Mosque compound)

34 来年は、米国で大統領選挙がある。今の予測では、次期大統領は共和党のトランプか民主党のヒラリークリントンだ。トランプは親プーチンで、ネオコン(イスラエル右派)に敵視されている。彼が勝つと、オバマと同様、軍産イスラエルを封じ込めてくれると期待できる。対照的にヒラリーは、イスラエル右派にすり寄る旧来型の手法で、イスラエル右派に対していろいろ約束させられているだろうから、彼女が当選すると、オバマとプーチンが今年やったことを逆流させようとするだろう。 (Trump will not be nominee for US president: William Kristol) (Donald Trump is now the undisputed gop front-runner for president of the united states) (From Russia with love: Putin, Trump sing each other's praises)

35 米政界は911後、軍産イスラエルに対し、積極的に傀儡になると簡単に当選でき、楯突くと落選させられる状態だった。だが今年、オバマとプーチンが中東で風穴を開けた結果、軍産イスラエルの政治力やプロパガンダの能力が低下している。トランプはこの状況を見て取り、従来の常識からすると型破りな、軍産イスラエル・マスゴミ複合体に楯突く姿勢をあえて採っている。トランプがどこまで勝ち進むかは、見えにくい複合体の力量を示すメーターでもある。 (GOP Debate: The Triumph of `Isolationism')

36 再来年にオバマが任期切れで辞めた後、中東情勢が逆流するかもしれない。イスラエル政府は、露軍のシリア進出を黙って見ているが、オバマの任期が終わるのを待っているのかもしれない。オバマとプーチンとイランは、来年の1年間でISISを退治し、シリアとイラクを安定化する必要がある。


日韓和解なぜ今?  その二(3)
 【2016年1月4日】 慰安婦問題がなぜ今解決したのかという問いは、オバマ政権がなぜ今日韓に和解しろと圧力をかけたのかという問いだ。オバマは、任期最後の年である今年、北朝鮮の核開発問題を解決したいので、まず米国の力で最も簡単に解決できる日韓の和解を実現したのでないか。今回、米国からの圧力による慰安婦問題の解決、日韓安保協定の再交渉が始まったことは、2011-12年の「米国が出ていく流れ」の再開になるかもしれない。

日韓和解なぜ今?   http://tanakanews.com/160104japan.htm

2016年1月4日   田中 宇

 昨年12月28日、日本と韓国が従軍慰安婦問題で和解した。日韓はなぜこのタイミングで、慰安婦問題を最終的・不可逆的に解決したのか。日韓の国交正常化50周年である昨年のうちに何としても解決したかったから、とか、1年以上にわたる双方の外交努力がようやく実ったから、といった説明がされている。だが私から見ると、慰安婦問題による対立は、日韓双方にとって既存の国内権力構造の維持に好都合であり、政府間の解決への努力の多くは「努力するふりだけ」で、よっぽど強い外部からの圧力がない限り、双方が解決に至ることはなかった。 (Japan, S.Korea diplomats meet ahead of ministerial talks on 'comfort women')

 日韓双方の中枢で強い力を持つ「対米従属派」にとって、慰安婦問題を解決せず放置しておくことは、日韓の結束を阻み、日韓が別々に対米従属を続けることを可能にする便利な道具だった。日韓が慰安婦問題を解決すると、阻まれていた日韓の直接の安保協調が強まり、米国は日本と韓国の駐留米軍を撤退しやすくなり、日韓両方の対米従属を終わりに近づける。日韓の政府だけの意志で慰安婦問題が解決されることはなく、慰安婦問題の解決は、米国の差し金である可能性が高い。外から日韓に強い圧力をかけられるのは米国だけだ。慰安婦問題がなぜ今解決したのか、という問いは、オバマ政権がなぜ今日韓に和解しろと圧力をかけたのかという問いになる。 (Japan, South Korea Reach Agreement on 'Comfort Women')

 先に私なりの答えを書いておくと、それは「オバマは、任期最後の年である今年、北朝鮮の核開発問題を解決したいのでないか。そのためにまず、米国の力で最も簡単に解決できる日韓の和解を実現したのでないか」ということだ。米大統領が、軍産複合体やイスラエルの政治圧力を気にせず国際戦略を進められるのは、再選されて2期8年やれた場合の、もう先に選挙がない最後の2年間だけだ。オバマは、最後の2年のうちの前半である昨年、中東に専念し、イラン核問題を解決し、シリアにロシア軍を呼び込み、中東での露イランの影響力を急増させ、イスラエルをへこました。残る今年の1年、北朝鮮問題の解決や、中国を強化するかたちで譲歩するニクソン的なやり方を進める可能性がある。北朝鮮の核兵器廃棄を目標にする6カ国協議は2003年から07年まで断続的に開かれたが、09年の北の2回目の核実験以降、頓挫している。だが中国と韓国は昨年11月下旬、協議の再開に向けて動いていくことで合意した。 (China, South Korea to Discuss Return to Six-Party Talks on North Korea) (世界多極化:ニクソン戦略の完成) (◆イランとオバマとプーチンの勝利) (シリアをロシアに任せる米国)

 慰安婦問題の解決が米国の圧力で実現したとする分析は米国からも出ている。「米国は、日韓を団結させて中国に対抗させる意味で、慰安婦問題の解決を歓迎している」とブルームバーグ通信は書いている。しかし、これは全く間違いだ。中国と韓国は昨秋、9月の韓国の朴槿恵大統領の訪中などの際に、中韓で日本を引っぱり込んで日中韓サミットを開催することや、日韓関係を改善すること、中国と韓国の海洋紛争(黄海にある蘇岩礁=イオドの領有紛争。おそらく中国側が譲歩する)の解決、それから北核6カ国協議の再開努力などを両国間で合意している。 (Landmark Japan-South Korea Deal Backs Obama's Asia Rebalance) (China has wider hopes for Seoul talks, say observers) (Why China would compromise in the Yellow Sea) (China Holds Bilateral Talks With South Korea, Japan)

 これらから考えると、昨秋からの流れは、日韓が結束して中国と敵対する動きでなく、中韓が結束して日本を取り込む動きだ。中韓は、日本を取り込んだ後、6カ国協議を再開して北朝鮮問題を解決していこうと考えている。 (China, Japan, South Korea to Hold Long-Delayed Trilateral Summit)

 米国の外交戦略立案の奥の院であるシンクタンク外交問題評議会(CFR)は大晦日に、オバマ政権が最後の1年に入る今こそ米朝関係を改善して6カ国協議を再開し、北朝鮮の問題を解決する好機だとする分析を載せている。それによると、米国は前回2012年に北核問題の解決をめざして北と交渉したが、先に北に核開発施設を破棄(破壊)させ、その上で6カ国協議を開くというシナリオだったため、北が警戒して実現しなかった。そのため、今後6カ国協議では、核施設の廃棄と6カ国協議を同時に進めるべきだとCFRは提唱している。 (Time for a New Approach in U.S.-North Korea Relations) (Launch the Perry Process 2)

 これは、北が核施設を破壊するふりをするだけで、米朝関係の正常化など交渉の果実を得られる可能性を持ったシナリオだ。この10年間、米国が北に提示するアメ(米朝正常化)とむち(核廃棄)は、むちが先でアメが後という軍産に有利な条件から、アメが先でむちが後という北に有利な条件へと、しだいに動いている。米国が提案する条件を北が容認し、6カ国協議が進展する可能性が高まっている。 (北朝鮮問題の解決が近い -2007年1月) (北朝鮮核交渉の停滞)

 2012年に前回オバマが北核問題の解決に動いた時、それを阻止する動きとして出たのが、慰安婦問題と竹島紛争での日韓の対立扇動(12年8月の李明博の竹島訪問など)と、12年秋の尖閣国有化など尖閣を使った日中対立の扇動だった。 (李明博の竹島訪問と南北関係)

 北核問題の解決は、03年に米国主導で6カ国協議の体制が組まれたときから、日韓が対米従属をやめて日中韓が協調を強める「東アジア新秩序」の創設と抱き合わせになっている。日韓、日中の関係を好転させてからでないと、6カ国協議が進まない。慰安婦問題を口実にした日韓対立は、東アジアの新秩序への移行を阻止する一要素となっている。(6カ国協議にはもう一つ隠れた目的として「北を中国の属国としてしばりつけること」がある。これに金正恩が抵抗していることも、6カ国協議が頓挫している原因だ)。 (アジアのことをアジアに任せる) (北朝鮮の中国属国化で転換する東アジア安保)

 北核の6カ国協議が提示してきたシナリオは、日韓、日中、米中、中韓の安定的な関係を前提に、北に核兵器を廃棄させ、南北、米朝が和解し、東アジアから国家間対立の構造をすべて除去し、日韓から米軍が撤退し、代わりに日韓は中露朝と新たな安保体制を組み、日韓朝中米露の6カ国で集団安保体制を作ることを最終目標としてきた。前回6カ国協議が再開をめざしていた12年には、日韓が「北への共同防衛」を口実に、諜報分野を皮切りに安保協定を締結する交渉が進んでいたか、これは日韓が軍事的に対米自立する道の始まりを意味し、6カ国協議のシナリオの一部だった。日韓安保協定は、米国の圧力で進められ、締結直前までいったが、慰安婦問題と竹島問題の扇動によって12年に日韓の関係が劇的に悪化した後、棚上げされたままになっている。 (日米安保から北東アジア安保へ) (ヤルタ体制の復活)

 興味深いのは今回、日韓が慰安婦問題の和解と同時並行して、棚上げされていた諜報分野の安保協定について「北の脅威の増加」を口実に、15年10月から話し合いを再開していることだ。慰安婦問題の扇動で12年に棚上げされた日韓安保協定締結が、慰安婦問題の解決とともに復活する流れになっている。慰安婦問題の解決は、もっと奥深い日韓の対米従属からの脱皮や、東アジア新秩序の構築への作業の再開であると感じられる。 ('Korea, US, Japan discussing role of Self-Defense Forces') (日中韓協調策に乗れない日本) (一線を越えて危うくなる日本) (転換前夜の東アジア)

 対米従属派に洗脳されている日本人は「米国が、日韓をくっつけて対米従属から引き剥がしたいはずがない」と考えるかもしれないが、日韓安保協定は間違いなく米国の差し金だ。慰安婦問題の解決を受け、1月中にも、米国と日韓で「北朝鮮の脅威」を口実に、安保協調関係の強化が話し合われる。北朝鮮は近く核実験を再開する見通しと報じられている。日韓の安保協定は「米国の差し金」でなく「北の核の脅威」に対応するために日韓が米国と関係なく独自に進めるものという歪曲報道が出回りそうだ。 (North Korea could be preparing nuclear test, Seoul says)

 6カ国協議は、これまで何度か進展の機会があったが、いずれも北の消極性が最大の原因で、頓挫している。韓国が対米従属なので、北が米国と和解して米朝が対等な友好国になると、北は韓国より上位に立てる。米国は、この展開を嫌い、6カ国協議を中国に主導させ、北が米国と和解すると同時に中国の傘下に入るように仕向け、中国が南北を仲裁する構図の中に北を落とし込もうとしてきた。北がこれを拒否して核実験やミサイル発射を繰り替えし、6カ国協議が頓挫していた。 (世界の転換を止める北朝鮮) (中国の傘下で生き残る北朝鮮) (御しがたい北朝鮮)

 もし今年、米国が6カ国協議の前哨戦として北との交渉を再開し、米国が北に譲歩するかたちで6カ国協議が開かれると、その落としどころは以前と同じ「北を中国の属国にする」ことだ。北の金正恩がそれを了承するのか疑問だ。しかし、もし6カ国協議が進展すると、それはほぼ確実に、日韓からの米軍撤退や、日韓の対米従属色の希薄化を引き起こす。慰安婦問題の解決と並行して、米軍撤退に向かう道の始まりである日韓の安保協定の締結が、すでに現実的な話として交渉されている。 (中国と対立するなら露朝韓と組め) (東アジア新秩序の悪役にされる日本)

 この話が進むと、沖縄の米海兵隊のグアム撤退の構想が再燃する可能性が増す。海兵隊の普天間基地の代替になる辺野古の基地の建設が、沖縄県民の強い反対を受けている。米政府は以前から何度か「日本政府が辺野古に基地を作れないなら、海兵隊をグアムに撤退するよ」と言っている。世界で唯一の、米軍海兵隊の米国外の恒久駐留基地が日本にあることは、日本の対米従属(日米同盟)の象徴だ。海兵隊の撤退は、日本の対米従属の減退を意味するので、日本の隠然独裁的な官僚機構は、海兵隊に出ていかれる前に、是が非でも、法規をねじ曲げても、急いで辺野古の代替基地を作らねばならないと考えている。 (再浮上した沖縄米軍グアム移転) (日本が忘れた普天間問題に取り組む米議会)

 6カ国協議の進展は、海兵隊のグアム撤退を阻止(できるだけ長く先延ばし)したい日本の官僚機構にとって、新たな脅威の出現になる。6カ国協議再開の先鞭となる、慰安婦問題解決や、日韓安保協定の交渉再開が驚きなのは、この点においてだ。オバマ政権が日韓、特に日本政府に「核実験再開が近い北の脅威の増大」などを口実に、強い圧力をかけた結果、慰安婦問題が解決されたのだろう。 (日本の権力構造と在日米軍)

 慰安婦問題で日韓の関係が悪化する直前の2011-12年にも、北核6カ国協議の再開、日韓安保協定の交渉、米海兵隊のグアム移転など「米国が東アジアから出ていく方向」の流れが起きていた。だが12-13年にかけて、慰安婦と竹島の問題での日韓関係の悪化、日韓安保協定の棚上げ、尖閣諸島国有化を皮切りとした日中敵対の激化、北朝鮮の消極性による6カ国協議の頓挫、北の中国の属国化拒否としての13年末の張成沢の処刑、米軍グアム撤退の雲散霧消、辺野古基地建設をめぐる沖縄への異様な圧力などが起こり、米国の東アジア覇権が存続するかたちで今に至っている。 (北朝鮮・張成沢の処刑をめぐる考察)

 今回、米国からの圧力による慰安婦問題の解決、日韓安保協定の再交渉が始まったことは、11-12年の「米国が出ていく流れ」の再開になるかもしれない。東シナ海紛争、南シナ海紛争への日本の介入、潜水艦受注に始まる日豪同盟の可能性(対米従属から日豪亜同盟への転換)などを含め、今年の展開が注目される。 (日豪は太平洋の第3極になるか)


◆イランとサウジの接近を妨害したシーア派処刑  その二(4)
 【2016年1月6日】 サウジ王政の上層部は、軍産複合体とつながった親米派と、イランやロシアとの協調関係を作っていきたい非米派が、ずっと暗闘している。イランやトルコと組んでイラクのスンニ派地域を安定させる計画に乗り、バグダッドの大使館を再開したのは非米派の策だろう。そして、ニムル師を処刑してイランとの関係を悪化させ、イラク安定化計画を妨害したのは親米派の策だと考えられる。

イランとサウジの接近を妨害したシーア派処刑  http://tanakanews.com/160106saudi.php

2016年1月6日   田中 宇

 1月2日、サウジアラビア当局が、シーア派の宗教指導者ニムル師を斬首刑で殺した。当局はこの日、反逆罪を適用した反政府の47人を同時に処刑した。アルカイダ系のスンニ派43人と、ニムル師らシーア派の反政府活動家4人だった。ニムル師は、シーア派が多く住むサウジ東部州に住み、サウジ政府(スンニ派国民)から2級市民の扱いを受け差別されているシーア派の地位向上や政府批判をモスクの説教で展開することで知られ、シーア派の若者に人気があった(サウジは人口の約1割がシーア派)。サウジ当局は、反政府的なニムルを逮捕しては釈放することを繰り返した後、2011年のアラブの春の時に逮捕し、14年10月に死刑判決を下していた。 (Nimr al-Nimr From Wikipedia) (Protesters Set The Streets On Fire In Bahrain After Saudis Kill Top Shiite Cleric)

 昨年サウジでは、20年ぶりの多さである157人が斬首で処刑された。今回処刑された47人の大半は、03-06年に反政府テロ活動をしたスンニ過激派(アルカイダ)の構成員だが、過激派を「純粋なイスラム教の信奉者」とみなして支持するサウジ人も多く「何で彼らだけ殺すんだ」という政府批判が高まることを恐れた当局が、バランスをとるために、シーア派の反政府活動家を処刑対象に入れたという見方が出ている。 (Saudi beheadings soar in 2015 under discretionary rulings)

 サウジ王家がつかさどる「正統」なイスラム教から見ると、イスラム以前の信仰を秘匿的に内包しているシーア派は「異端」であり、シーア派はサウジで2級市民扱いされている。処刑対象者にシーア派を混ぜることで、シーアを嫌うサウジの多数派住民の不満を散らそうとしたとみられている。サウジ政府は、長引く原油安で財政収入が減り、国民の歓心を買うためにばらまく補助金を削っており、市民の不満が鬱積している。だから処刑にもバランスが必要というわけだ。 (Riyadh feels force of Shia anger)

 こうしたサウジの国内事情だけがニムル処刑の理由だったとしたら、処刑は愚策だった。ニムル処刑の報道が流れたとたん、中東各地に住むシーア派がいっせいに激怒し、サウジ大使館前などで抗議のデモを開始し、サウジとイランの国交断絶にまで発展したからだ。サウジの国内事情だけを考えても、ニムル処刑は、サウジ東部州のシーア派の反政府傾向を扇動し、東部州に隣接するサウジの属国バーレーン(君主がスンニ派、国民の大半はシーア派)の反政府運動もひどくなり、サウジと隣国イエメンの戦争も悪化するので、サウジの国家安全に全く寄与しない。 (バーレーンの混乱、サウジアラビアの危機)

 「シーア派世界」の全体が激怒した理由は、私が見るところ、ニムルが特に有名あるいは敬愛される宗教指導者だったからではない。ニムルは地元で、最も権威ある宗教指導者群の中に入っていなかった。 (Sheikh Nimr al-Nimr: Who is Saudi Arabia's most vocal Shia critic sentenced to death and crucifixion for dissent?)

 ニムル処刑がシーア派世界を激怒させたのは、タイミング的に、シーア派の全体が自信をつけ、勃興していることが関係している。昨年、イランが米国から核兵器開発の濡れ衣を解かれ、国際社会での影響力を蘇生している。今秋からは、イランの特殊部隊やレバノンのシーア派民兵ヒズボラが、ロシア軍に支援されてシリアでスンニ過激派ISISを打ち破っている。03年のイラク侵攻後、イラクも、スンニ派(フセイン政権)がシーア派を弾圧する国から、シーア派が統治する国に転換している(こんどはスンニ派が痛めつけられている)。シーア派は千年以上、スンニ派に支配され、弾圧される民だった。それが、この10年(もしくは長く見積もって1979年のイラン革命以来の30年)で、シーア派は影響力を拡大し、スンニ派の支配を打破し、自信をつけている。 (イラク「中東民主化」の意外な結末) (「イランの勝ち」で終わるイラク戦争)

 そんな中で、サウジや、その傀儡国であるバーレーンだけは、スンニ派がシーア派を支配し、痛めつけている。他の地域でシーア派が台頭する中で、サウジだけシーア派を弾圧し、サウジ政府を批判し続けたニムル師を処刑してしまった。絶対許さないぞ、というのがシーア派の気持ちだろう。サウジはISISを支援してきた。サウジとISISは宗教的に同一(ワハビズム)であり、サウジ当局の斬首刑は、ISISの斬首刑と同じ作法だ。イエメンでサウジが空爆している相手もシーア派の武装勢力「フーシ派」だ。 (World Muslims Rise to Condemn Execution of Sheikh Nimr by S. Arabia)

 (イランも、人口比で見るとサウジと同じかそれ以上の人数を毎年処刑しているが) (Executions in Saudi Arabia and Iran)

 中東の長い弾圧の歴史の中で、無数のシーア派指導者がスンニ為政者に殺され、その結果、シーア派の教えに「殉教」の精神、指導者の殉教を各信者が自分の痛みとして受忍する精神が埋め込まれている。ムハンマドの最後の正当な子孫イマーム・フセインの戦死(お隠れ)をいたみ、無数の信者が自らを鞭打つ殉教祭(アシュラ)は有名だ。サウジ当局がニムル師を処刑したことは、まさに、信者たちを守るために闘っていたシーア派の指導者が、独裁的なスンニ為政者に処刑され殉教するという、シーアの教えにぴったり適合する。ニムル師処刑は、シーア派を激怒させ、決起・団結させるために挙行されたかのようだ。 (Saudi Arabia Or Iran? It's Time For Obama To Choose) (動き出すイラクの宗教と政治)

 サウジ政府は、ニムル処刑がシーア派を激怒させ決起させることを予測していたふしがある。サウジ政府は、ニムル処刑の同日、イエメンとの戦争で、敵方であるシーア派民兵団フーシ派と12月中旬から結んでいた停戦合意を一方的に破棄すると発表している。ニムルを処刑したらシーア派であるフーシが激怒し、戦争が再発すると予測したので、先に停戦を破棄したと考えられる。 (Will the US fall for Saudi Arabia's deliberate provocation?) (Saudi-led coalition ends Yemen ceasefire) (米国に相談せずイエメンを空爆したサウジ)

 サウジ政府は、シーア派が激怒・決起するとわかっていたのに、あえてニムル師を処刑した。それだけでなく、イランの首都テヘランで、激怒した群衆がサウジ大使館を襲撃し、大使館に放火する事態(警察は傍観していた)になると、サウジは待ちかまえていたかのようにイランを非難し、国交を断絶してしまった。最初からイランとの敵対扇動、国交断絶が目的だったかのようだ。サウジの傀儡国であるバーレーンや、サウジから資金をもらっているスーダンも、イランと国交を断絶した。 (It's On: After Saudis , Bahrain, Sudan and UAE sever ties with IRAN)

 分析者の間では「サウジは、イランとの敵対関係をわざと煽り、核開発問題でイランを許したオバマ政権をもう一度自国の側に引き寄せ、米サウジ対イランという敵対関係を復活するため、ニムルを処刑した」という見方が出ている。「サウジは、米国を引っぱり込んでイランと戦争するつもりだ」「サウジは、近く確定する予定の、米イラン間の核協約を壊すつもりだ」「サウジは、支援していたISISがイランに打倒されるのを防ぐため、中東全域でのスンニとシーアの敵対を煽った」といった分析も出ている。 (Oman Criticizes Saudi Arabia for Cutting Ties with Iran) (Saudi Arabia sees survival in escalating tensions: Iran) (Will Mideast Allies Drag Us Into War?)

 もし、サウジがニムルを処刑した理由が、こうした「米国引っぱり込み」や「米イラン和解の破壊」「ISIS支援」だったとしても、それらの目的は、いずれも達成されそうもない。オバマはここ数年、米国が能動的にイランに接近するのでなく、イランが反米・非米諸国の雄として勝手に台頭するのを看過(隠然と扇動)する受動的なやり方で、イランを押し上げてきた。米国自身は、イランの台頭につながるような、中東での失策を繰り返しただけだ。いまさらサウジが米国を中東に再度引っぱり込んでも、米国は頓珍漢な失策を繰り返すばかりで、事態の流れを変えないだろう。オバマ政権は今のところ、イランとサウジの対立激化を、懸念しつつ傍観しているだけだ。 (U.S. fears Saudi tensions with Iran could affect fight against ISIS) (対米協調を画策したのに対露協調させられるイラン) (シリアをロシアに任せる米国)

 ロシアは先日、高機能な地対空ミサイルS300を実際にイランに配備し始めたと報じられている。S300が配備されると、空爆のため領空侵犯してくる外国の空軍機を撃墜できるようになる。サウジがイランとの戦争を考えてニムル師を処刑したとしたら、わざわざイランを攻撃できなくなる時期を選んで挙行しており、全く馬鹿だ。(S300は何年も前からイランに「配備される」「された」と報じられており、本当に今回配備されたのか怪しいが) (Russia starts delivery of S-300 missile systems to Iran)

 イランとの核協約をめぐって米国(議会)は、核協約でイランへの経済制裁を解く代わりに、今度はミサイル開発でイランを制裁しようとしている。これは「サウジ好み」の展開のように見えるが、よく見ると違う。新しいミサイル制裁は、以前の核開発(濡れ衣)での制裁と異なり、欧州や他の国際社会が追随せず、米国だけによる制裁だ。他の諸国は、イランとの経済関係をどんどん強化している。米国企業だけが自国の新たな制裁に規制され、イランの石油ガス利権にもありつけず損をするという自滅的な展開になっている。米企業の圧力を背景に、オバマ政権は、議会が決めたイランへのミサイル制裁を無期限に棚上げした。 (White House Delays Imposing New Iran Sanctions)

 米国との関係で考えると、トルコが昨年11月下旬にシリア上空を飛行中のロシア軍機を撃墜した事件は、今回のサウジのニムル師処刑と、似たところがある。トルコによる撃墜は、米国の敵であるロシアとの敵対を強めるもので、サウジによる処刑は、米国の敵であるイランとの敵対を強めるものだ。トルコもサウジも、米国の同盟国で、露イランを敵視する米国の軍産やタカ派の諜報筋が、両国の意志決定に影響を与えた可能性がある。しかも、両方の事件とも、露イランを弱体化するという、推定される目的を達成できないどころか、逆に、露イランの正当性や国際影響力(イランの場合はシーア派の結束)を強める結果になっている。同盟国をそそのかして露中イランなどの敵を弱めるはずの策をやらせるが、実際のところ敵を強化してしまう「隠れ多極主義」的な謀略が想起される。 (トルコの露軍機撃墜の背景)

 あれも違う、これも違うという書き方になってしまったが、ニムル処刑の目的として考えられるものが、ないわけではない。それは、元旦にバグダッドでサウジ大使館が25年ぶりに再開されたことに象徴される、サウジとイランとトルコが協力してイラクのスンニ派地域からISISを追い出して安定させていく計画が、ニムル師の処刑によって、妨害されたことだ。 (Saudi Arabia reopens embassy in Baghdad)

 以前の記事に書いたように、この計画は当初、トルコが北イラクの基地に軍を越境駐留させ、北イラクのクルド軍(ペシュメガ)とスンニ派に軍事訓練を施し、スンニ派地域の大都市モスルをISISから奪還し、ISISに代わる親トルコのスンニ派政府を樹立して、イラクでクルド地域と同様、スンニ地域もトルコの経済圏に組み入れる構想だった。イラク政府がトルコ軍の勝手な駐留に強く反対したため、トルコ軍がいったん引き上げた後、トルコとサウジが昨年末に戦略的な協力関係を締結するとともに、サウジがバグダッドに大使館を再開した。 (イラクでも見えてきた「ISIS後」) (Riyadh announces joint strategic council with Ankara)

 イラク軍(シーア派)は最近、スンニ派地域の一部であるラマディをISISから奪還しており、次はモスル奪還を視野に入れている。トルコ軍が、クルド軍とスンニ派軍を訓練してモスルを奪還する計画から、イラン傘下のイラク軍(シーア派)と、トルコ傘下のクルド・スンニ連合軍が協力してモスルを奪還する計画に、拡大されたように見える。ISISを追い出した後のイラクのスンニ派勢力を、スンニ派諸国のトルコとサウジがなだめ、経済開発をやってトルコとサウジが果実を得るシナリオだろう。 (Iraq PM: Mosul Is Next Target After Ramadi)

 この計画には米露も賛成していると考えられるが、スンニとシーアを恒久対立させたい軍産(やイスラエル)にとっては、まずい計画だ。軍産はサウジ王政をそそのかし、ニムル師を処刑させることで、サウジとイランの仲を引き裂き、スンニとシーアの対立を再燃させ、計画を破綻させたいと考えられる。

21 トルコ政府は1月5日に「死刑反対の立場から、サウジのニムル師処刑には賛成できない」と発表した。数日前に戦略協力関係を締結したばかりなのだから、沈黙していればいいのに、わざわざサウジを批判する内容の表明を行ったのは、トルコのエルドアン政権が、ニムル処刑によってイランとサウジの仲が悪くなり、イラクのスンニ地域をトルコ・サウジ・イランで安定させて儲ける計画が妨害されたことに不快感を表明したと受け取れる(クルド人を大量殺害したエルドアン政権が「死刑反対の立場から」とは笑わせる)。 (Turkey says cannot support Saudi execution of Shi'ite cleric)

22 サウジ王政の上層部は、軍産複合体とつながった親米派と、イランやロシアとの協調関係を作っていきたい非米派が、ずっと暗闘している感じだ。イランやトルコと組んでイラクのスンニ派地域を安定させる計画に乗り、バグダッドの大使館を再開したのは非米派の策だろう。そして、ニムル師を処刑してイランとの関係を悪化させ、イラク安定化計画を妨害したのは親米派の策だと考えられる。 (米国依存脱却で揺れるサウジアラビア) (米国を見限ったサウジアラビア)

23 イラク安定化計画は、妨害されたものの、潰されたわけでない。ISIS退治は、イラクでもシリアでも進められている。すでに述べたようにシーア派は「殉教精神の民」なので、イラクやシリアでISISと戦うシーア派軍勢の士気は、ニムル師がサウジ(=ISIS)に殺されたことによって、むしろ高まっている。いずれISISが掃討されていくと、ISIS退治後のイラクのスンニ派地域をどうするかが再び問われ、サウジとイランの協調が再び模索されるようになると予測される。 (いずれ和解するサウジとイラン)


北朝鮮に核保有を許す米中  その二(5)
 【2016年1月11日】 オバマと同じ民主党の、クリントン政権の国防長官だったウィリアム・ペリーが驚きの提案をした。「北はすでに核兵器を持っており、廃棄させるのは不可能。現実的な新たな目標は、北に核を廃棄させるのでなく、北が開発した核を封じ込めることだ。(1)北にこれ以上の核兵器を作らせない(2)これ以上高性能な核兵器を作らせない(3)核技術を他国に輸出させないという『3つのノー』を新たな目標にすべきだ。この目標は中国とも協調できる内容で、米中で6カ国協議を再開できる」

北朝鮮に核保有を許す米中   http://tanakanews.com/160111korea.htm

2016年1月11日   田中 宇

 1月6日、北朝鮮がおこなった4度目の核実験が、北の発表通り「水爆」なのか、それとも従来の実験と同様の「原爆」なのか、米国や日本のマスコミや政府筋が騒いでいる。核実験に起因するとみられる地震の規模が前回の核実験と同規模だったので、水爆でなく原爆の爆発実験だったのでないかと私は考えているが、水爆か原爆かということよりも、核実験とともに北の政府が「核廃棄には絶対に応じない。核廃棄を前提とする限り6カ国協議には出ない。わが国を核保有国と認めるなら、米国と和解したい」と言い出したことの方が重要だ。 (North Korea's Claims of Hydrogen Bomb Test Doubted) (North Korea nuclear test claim unlikely to force fresh negotiations with U.S. and allies)

 北朝鮮政府は今回の核実験後、自国民に対し、核兵器保有国としての誇りを持つことを求める扇動やプロパガンダを積極的に流布している。北は以前から、自国の核実験やミサイル試射を、自国民が「防衛力の強化」「科学の振興」などと祝賀するよう仕向けている。その傾向は強まる一方だ。北の政府が国民に「核兵器保有国としての誇り」を持たせることは、北が、核兵器を破棄するつもりが全くないことを示している。北の政府が、核兵器を米中韓との交渉材料と考え、核兵器を廃棄する代わりに米国から和解を引き出そうとしているのなら、自国民に核兵器保有国としての誇りを持たせるプロパガンダをやらないだろう。金正恩は昨年から、核兵器の開発を、経済の建設と並ぶ、最重要な国家目標に掲げている。 (North Korea Uses Bomb Test to Boost Dictatorship)

 米国が提起し、03年から中国に主導させてきた北核6カ国協議は、北が核の開発施設と兵器を破棄したら6カ国が協議を開始し、朝鮮戦争の終結、南北や米朝の和平条約の締結を進める筋書きだった。6カ国協議における北の核廃棄は、当初の米国が北に「まだ持っているに違いない」と濡れ衣をかけやすい厳格なやり方(米国が03年にイラクのフセイン政権を潰したやり方)から、国際的に公開されている核施設のみを凍結する北に寛容なやり方に緩和されている。だが、北に核施設と核兵器の廃棄を交渉開始の前提としている点で、6カ国協議の本質は変わっておらず「核保有国として認めない限り交渉を拒否する」と言っている北と折り合いがつかない。 (転換前夜の東アジア)

 北朝鮮側は、米国と和平条約を結び、60年以上「休戦」状態のままの朝鮮戦争を正式に終わらせることを望んでいると表明している。北は中国に対し、米朝が和平条約を結べるよう仲裁してくれ、と求めている。だが同時に北は、米国(や中国)が自国を「核兵器保有国」と認めることも要求している。北は、すでに開発した核兵器を保有したまま、米国と和解することを求め、米国がこの北の要求を了承して和平条約を結ぶまで、何度でも核実験を繰り返し、核兵器開発をどんどん進めていくと言っている。 (North Korea seeks China help on treaty with U.S., or more tests - source)

 かつては「バンカーバスターで北の核兵器をピンポイント攻撃すればよい」という主張も存在したが、北が核兵器をどこに隠しているか米当局も知らないので、攻撃のしようがない。「対北経済制裁の強化」も、よく日米で語られるが、日米はすでに北との経済関係をすべて絶っており、これ以上北を制裁しようがない。北の核実験を受け、米日の政府は「対北制裁の強化」を決めたが、これはまさしく「口だけ」だ。北に原油や食料を供給している中国は、北の崩壊を恐れ、経済制裁したがらない。 (China 'firmly opposes' N. Korea's claimed H-bomb test)

 米国のこれまでの10年以上の対北政策が失敗していることを、すでに米政府自身が認めている。ケリー国務長官は先日、中国の王毅外相に電話して「もう米国から北朝鮮に接近してもうまくいかない」と述べ、米国の方から北に接近するのはやめたので、中国主導でやってくれという趣旨を伝えた。ケリーは、中国が北にうまく圧力をかけられないので6カ国協議が再開できないと中国を批判したが、王毅は逆に、北が核兵器開発に走ったのは強硬な姿勢をとり続けた米国のせいだとやり返した。 (US pressures China over North Korea relationship)

 中国は、北が核兵器を持つことよりも、北が米韓と敵対し続けて大きな戦争を起こしてしまうことや、逆に経済難から北の政権が崩壊して何百万人も難民が中朝国境を越えて中国に流入してくることの方が大きな脅威だと考えている。中国は、北に核の兵器と施設を廃棄させることの困難性を勘案し、北がこれ以上核開発を進めないなら、すでに作った核兵器を北が保有することを容認し、その上で6カ国協議を進めたいと考えている。 (China Dismisses US Criticism, Blames Them for North Korea Troubles)

 米国は、このような中国の「弱腰」の姿勢に同調することを、これまで拒否してきた。北の核保有に関し、中国は容認してもいいと考えているが、米国は絶対拒否している点が、6カ国協議が頓挫している原因の一つだ。

 その一方で、昨年末に米国が日韓に働きかけて従軍慰安婦問題を解決させ、6カ国協議の再開に必要な日韓の協調関係を米国が復活させるなど、米オバマ政権は、6カ国協議を再開させようとしているふしがある。北は、協議の再開が近いので、自らの立場を強化するため「水爆」と誇張した核実験を挙行したと考えられる。だが、北が核廃棄を拒否し、中国も北の核保有を容認したがっている中で、オバマはどうやって6カ国協議を再開するつもりなのか。シナリオが見えなければ、正しい分析を描けない。 (日韓和解なぜ今?)

 そう思っていろいろ調べていくと、オバマ政権に近い筋が、すごいシナリオを描いているのを見つけた。オバマと同じ民主党の、90年代のクリントン政権の国防長官だったウィリアム・ペリーが、1月10日に米国の政治分析サイトのポリティコに掲載した「北朝鮮をどのように封じ込めるか」という論文だ。ペリーは以下のように書いている。「北はすでに核兵器を持っており、廃棄させるのは不可能だ。現実的な新たな目標は、北に核を廃棄させるのでなく、北が開発した核を封じ込めることだ。(1)北にこれ以上の核兵器を作らせない(2)これ以上高性能な核兵器を作らせない(3)核技術を他国に輸出させないという『3つのノー』を新たな目標にすべきだ。この目標は中国とも協調できる内容で、米中で6カ国協議を再開できる」 (How to Contain North Korea - By WILLIAM J. PERRY)

 「3つのノー」はペリー自身の発案でなく、北朝鮮を訪問して寧辺核施設などを訪問したことがある米国政府の核専門家シグフィールド・ヘッカー(Siegfried Hecker)が考えたという。ペリーは「目標を達成可能な現実的なものに転換せず放置すると、北に対抗して日韓が核武装するだろう。北から買った技術でイスラム過激派が核兵器を作り、米国で爆発させかねない」とも書いている。 (How should the world respond to North Korea's bombshell claim?)

 ペリーのこの案には、たぶん北朝鮮も中国も了承できる。オバマ政権がペリーの案を正式な戦略にすると、6カ国協議が再開され、北朝鮮が3つのノーを受け入れ、約束の履行を確認できる検証機構を北の核施設に設けるだけで、北の核問題が解決される。順調に進めば、来年初めのオバマ政権の任期末までに、核問題の解決と、南北の和解、米朝の和解、南北和解に不可欠な在韓米軍の撤退構想にまで進むことが可能だ。

 共和党が多数派の米議会の両院は、北朝鮮との和平条約の批准を拒否し、在韓米軍の撤退も拒みそうだ。在韓米軍の撤退は、韓国が米国に正式に要請すれば、米議会も進めざるを得ない。だが、韓国は対米従属派が強く、これまで米国から求められても、有事の指揮権を米軍から韓国軍に委譲することすら何度も延期してきた。韓国がすんなり在韓米軍の撤退を認めるかどうか疑問だ。在韓米軍が撤退しないと、南北の和解が進まない。これらの問題があるものの、6カ国協議の目標を、従来の「北の不可逆的な核廃絶」から「3つのノー」へと縮小することで、目標の達成を阻止している悪者が、北朝鮮から、米国(米議会)や韓国へと転換してしまう。

 オバマは昨年、イランにかけた核開発の濡れ衣を解くイランとの協約を締結した際、米議会の批准が必要な条約でなく、批准が要らない合意文の形式をとった。北朝鮮に関しても、同様の法的な抜け道がたどられることが予測される。

 3つのノー方式を見た後で、北の今回の核実験について再考すると、もしかすると北は、米中が3つのノーを提案してくることを見越し、水爆実験までやってしまったと言い張ることで「(2)これ以上高性能な核兵器を作らせない」に絡んで「水爆も、すでにわが国が持っている技術なので、今後禁止される技術に入らない」と主張できるようにしたとも考えられる。

 3つのノーを提案したペリーは、日本の安倍政権が自衛隊の海外派兵を拡大する有事立法を進めていることに関して、核武装によって強まった北朝鮮の脅威に対抗できる軍事力を日本がつけることを歓迎すると言っている。慰安婦問題の解決を皮切りに交渉が再開されている日韓の軍事協調も、北朝鮮の脅威に対抗するのが目的(口実)だが、これらはすべて、6カ国協議が達成された後の在韓(在日?)米軍の撤収を容易にするという効果(隠れた真の目的)がある。北の核が容認されるなら対抗して日本も核兵器を持とう、という話になったとたん、米国では「日本が核を持つなら在日米軍は要らないね」と言い出すだろう。 (Perry: More cooperation in interests of security)

 オバマ政権がペリー案を正式採用する(した)のか、まだ明確でない。ペリー案が採用されたとしても、米国の軍産や、日韓の対米従属派からの妨害もありうる。しかし、事態が急展開しそうな感じだけは、どんどん強まっている。


◆ドルの魔力が解けてきた  その二(6)
 【2016年1月13日】 中国を筆頭とする実体経済の悪化、米シェール産業の行き詰まり、中央銀行群の金融テコ入れ策の弾切れなど、いくつもの危険な動きが激化している。米国など先進諸国の株や債券がいつ不可逆的に暴落しても不思議でない。英国の銀行は最近、顧客に対し「手持ちの株や社債を早く売却した方が良い。パニック売りの状態になってからでは遅い」と忠告している。モルガンスタンレーやバンカメも、似たような警告を発している。

ドルの魔力が解けてきた   http://tanakanews.com/160113bank.php

2016年1月13日   田中 宇

 今年に入り、金融市場の実体経済の両方が、世界的に悪化の傾向を加速している。先進諸国の雇用や経済成長(GDP)などの統計は、当局による粉飾の疑いがあり、世界不況の兆候が隠されているが、海運や鉄道貨物などの物流からは、実体経済が世界規模で不況に突入していることがうかがえる。国際海運価格の動向を示すバルチックドライ指標は、史上最低を更新し続けている。貨物船の世界的な動きを示す「VesselFinder.com」などを見ても、太平洋や大西洋で船の動きがないことがわかる。米国の鉄道貨物の輸送量も昨年比5%の減少だ。 ("Nothing Is Moving," Baltic Dry Crashes As Insiders Warn "Commerce Has Come To A Halt") (VesselFinder.com) (Bank of America: Rail Traffic Is Saying Something Worrying About the U.S. Economy) (ひどくなる経済粉飾)

 昨年は、いくら実体経済が悪くても、米日欧の中央銀行が続けているテコ入れ策(QEなど)によって、先進諸国の株価が実体経済の悪さを無視して上昇してきた。だが今年に入り、実体経済の悪さによって株価が下がると、翌日には中央銀行のテコ入れで株が反騰する乱高下の状態になっている。中央銀行のテコ入れ策の効力が薄れていることがうかがえる。 (China, Oil, & Markets: It's All One Story) (Derailed? What Rail Traffic Tells Us About The U.S. Economy)

 最近、世界で最も株価の急落が激しいのは中国だ。世界経済の悪化は中国のせいだと、中国を敵視したがるマスコミが騒いでいる。だが、昨年3月まで米連銀(FRB)の一部アトランタ連銀の総裁をしていたリチャード・フィッシャーは先日、CNBCのインタビューで「市場を不安定にしている元凶は、中国でない。米連銀だ」「私もその一員だった米連銀は、これまでさんざん相場を上昇させてきたが、今やその後始末に窮している」「連銀は(市場を動かせる)巨大な兵器を持っているが、その兵器は、もう弾が残っていない」と述べている。 ("We Frontloaded A Tremendous Market Rally" Former Fed President Admits, Warns "No Ammo Left")

 米連銀の元幹部が、自分たちがバブルを膨張させすぎてもう打つ手がないことを、こんなに赤裸々に認めたことはこれまでなかった。金融マスコミの歪曲報道システムの外側にいる分析者たちが以前から語っていた「連銀や日銀はバブルを扇動しているが、いずれ弾切れになる」という分析が、今や連銀自身の認めるところとなっている。 (◆ドル延命のため世界経済を潰す米国) (Global Central Banks Are Facing a Crisis Larger Than 2008... And With Little to No Fire Power Left!)

 中国と米国は昨年初めまで、談合して世界経済のバブルを膨張させてきた。米国が債券金融システムを膨張させ、中国勢はその資金を中国のインフラや製造業の設備にどんどん注ぎ込んでいた。米国勢が作った「紙の価値」を中国勢が「モノの価値」に転換し、金融だけでなく実体経済が世界的に成長する状態を作り出していた。中国はずっと過剰投資だったが、もともとの資金が無尽蔵の米国製の「紙」だったので、過剰が続いても破綻しなかった。 (The China Syndrome: The Coming Global Financial Meltdown) (2016 Is An Easy Year To Predict)

 だが、この米中の談合の構図は昨夏、中国株の暴落を皮切りに、中国の過剰投資状態が崩壊したことによって終わった。米金融界に食わせてもらっているマスコミや分析者は「中国は崩壊したが米国は大丈夫だ」と言っているが、実体経済の後ろ盾を失った「紙」の価値は、紙でしかないバブル性がしだいに露呈し、中央銀行のテコ入れ策に頼る度合いが強まった。しかし、まさにその傾向が強まった昨年秋、米連銀が利上げに動き、日欧の中央銀行もこれ以上QEを加速できない上限に達し、中央銀行群によるテコ入れ策は限界にきている。これがフィッシャーの言うところの「弾切れ」である。「紙」を巨額の価値に変身させるドルの魔力が、しだいに弱まっている。 (SOMETHING BIG IS COMING… THE BANKS HAVE NEVER DONE THIS BEFORE) (◆構造転換としての中国の経済減速)

 FT紙も1月12日の記事で、米MITのシラー教授の指数分析をふまえて「米国の金融相場は、1930年代や2000年のバブル崩壊の直前よりもさらにひどいバブル膨張の状態になっている」と書いている。 (What market turbulence is telling us)

 金融崩壊を引き起こすもう一つの要素は原油安だ。原油の国際価格(北海ブレント)は昨年から下落を続け、1バレル=30ドルを割るのが時間の問題だ。昨年初め「年末には1バレル25ドルになる」と、1バレル50ドルだった当時の常識からすると非常に大胆な予測を発して嘲笑されていたが、今や誰よりも予測が当たっている英スタンダードチャータード銀行の分析者が、こんどは「1バレル10ドルまで下がる」と予測している。1バレル20ドルまでは下がる確率がかなり高い。 (Forget $20 Oil: StanChart Says "Prices Could Fall As Low As $10 A Barrel") (Tumbling oil trades below $30 a barrel for first time in 12 years)

 原油安は、サウジアラビアの王室による、米国のシェール石油産業を潰して世界の原油市場の支配権を米国からサウジに引き戻す戦略によって引き起こされている。激しい原油安によって、サウジ政府自身が財政難に陥っているが、王室はこのほど、国営石油会社サウジ・アラムコの株式の一部を上場することを決めた。アラムコは総資産10兆ドルといわれる世界最大の石油会社だ。上場するのはアラムコのうち国際部門の5000億ドル程度だけと推定されているが、それでもアップルの時価総額(5500億ドル)と並ぶ世界最大級になり、原油安によるサウジの財政赤字の2年分に相当する。 (Banks scramble for a piece of Saudi Aramco IPO) (米サウジ戦争としての原油安の長期化)

 サウジ王政は、アラムコの株式上場で財政赤字が補填され、あと1-2年は米シェール産業との原油安の我慢比べを続けられるようになった。米シェール産業はすでに大赤字だが、ジャンク債市場の大口の発行者であるシェール産業が連鎖破綻すると社債市場全体のバブル崩壊を引き起こすので、米金融界は無理をしてシェール産業に運転資金を貸してきた。シェール産業は意外に長く我慢比べに耐えている。しかし、アラムコ上場で財政赤字を補填できるサウジ王政は、まだまだ原油安を続ける構えで、それが年初来のさらなる原油相場の下落となってあらわれている。 (As The Saudi Economy Implodes, A Fascinating Solution Emerges: The Aramco IPO) (2015年の予測)

 このままの状態が続くと、来年夏までに、米国の石油会社の3割が倒産の危機に瀕すると、ウォールストリートジャーナル(WSJ)が書いている。WSJは、原油安が来年までずっと続くと予測している。同様にCNBCは、アナリストの分析を引用し、米国のシェール産業の半分が倒産し、サウジが今後2年かけてシェール産業潰しを成功させた後、原油相場が1バレル60ドルぐらいまで回復すると予測している。 (Oil Plunge Sparks Bankruptcy Concerns) (Half of US Shale drillers may go bankrupt: Oppenheimer's Gheit)

 米国で、シェール産業の半分とか、石油業界の3割が破綻する事態になったら、米国の社債市場は、リーマン危機並みかそれ以上の激しさで崩壊する。株も債券もバブル崩壊する。すでに、石油ガス産業の危機拡大によってジャンク債市場の全体が悪化し、米国で借金体質の企業のリスクの上昇に拍車がかかっているとS&Pが指摘している。 (S&P says corporate credit conditions worsening at fastest pace since crisis)

 中国を筆頭とする実体経済の悪化、米シェール産業の行き詰まり、中央銀行群の金融テコ入れ策の弾切れなど、いくつもの危険な動きが激化している。米国など先進諸国の株や債券がいつ不可逆的に暴落しても不思議でない。英国のロイヤルスコットランド銀行は最近、顧客に対し「手持ちの株や社債を早く売却した方が良い。パニック売りの状態になってからでは遅い」と忠告していると、英テレグラフ紙が報じている。モルガンスタンレーやバンカメも、似たような警告を発している。 (RBS cries 'sell everything' as deflationary crisis nears) ("Panic Is Building" BofA Admits; Asks "How Bad Could This Get?")

 株や社債市場が崩壊していくと、最初はすべての資金がリスクに非常に敏感になり、低リスクな米国債だけが上昇するだろう。だが、米連銀など先進諸国の中央銀行群に打つ手がないとわかると、金地金など「紙」でない資産に資金が集まり、中央銀行に対する信頼も失墜していく。この崩壊期は、出口が見えるまでに何年もかかりそうだ。今年が、その崩壊期の始まりになる可能性が、しだいに高まっている。 (During the Next Crisis, Central Banking Itself Will Fail)