目次へ
  続折々の記へ

続折々の記 ④
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】04/01~     外務省SDGs     肝臓のケア
森友の終末     【 05 】04/08~     【 06 】04/22~
【 07 】04/24~     【 08 】04/26~     【 09 】04/27~

【 08 】04/26

  04/27 キッシンジャー どんな人か
   【検索結果】
   【01】ヘンリー・キッシンジャー - Wikipedia
   【02】93歳の「キッシンジャー」がトランプ政権の黒幕なの?
   【03】「外交指南役」はキッシンジャー氏:トランプ氏の「親ロシア」への転換を実現



04/01 森友学園問題  01
04/01 敵基地攻撃能力「検討」(変わる安全保障) 01
04 02 世界の幸せな国ランキング 日本53位  01
04 01 持続可能な開発のための2030アジェンダ  02
04/05 科学研究費の削減 : 肝臓ケア  03
04 18 森友紛糾の終末 安倍政権の国民ダマシの暗黒  04
04/08 砂上の楼閣・世界の金融システム その罪は重い  05
04/06 トランプ大統領 海のものか山のものか  05
04/22 国民を鉛の兵隊にしたのは誰だ その罪は重い  06
04/23 田中宇の国際ニュース解説 世界はどう動いているか
 【01】中国に北朝鮮核を抑止させるトランプの好戦策  06
 【02】トランプの見事な米中協調の北朝鮮抑止策  06
 【03】トランプの東アジア新秩序と日本  06
 【04】混乱と転換が激しくなる世界  06
04/24 田中宇の国際ニュース解説 世界はどう動いているか
 【01】見えてきた日本の新たな姿  07
 【02】フィリピンの対米自立  07
 【03】台湾に接近し日豪亜同盟を指向する日本  07
 【04】潜水艦とともに消えた日豪亜同盟  07
 【05】日豪は太平洋の第3極になるか  07
 【06】No ceremony for Japan office in Taipei renaming  07
 【07】米国債利払い停止危機再び  07
 【08】米大統領選挙の異様さ  07
 【09】英国より国際金融システムが危機  07
 【10】欧州極右の本質  07
 【11】米大統領選と濡れ衣戦争  07
 【12】英国が火をつけた「欧米の春」  07
 【13】テロと難民でEUを困らせるトルコ  07
 【14】欧州の自立と分裂  07
 【15】欧米からロシアに寝返るトルコ  07
 【16】トランプの見事な米中協調の北朝鮮抑止策  07
 【17】トランプの東アジア新秩序と日本  07
04/26 キッシンジャー どんな人か
 【検索結果】  08
 【01】ヘンリー・キッシンジャー - Wikipedia  08
 【02】93歳の「キッシンジャー」がトランプ政権の黒幕なの?  08
 【03】「外交指南役」はキッシンジャー氏:トランプ氏の「親ロシア」への転換を実現  08
04/27 キッシンジャー どんな人か
 【04】キッシンジャー - 世界史の窓  09
 【05】ヘンリー・キッシンジャーは一体何をたくらんでいるのか?  09
 【06】悪魔を育てたキッシンジャー博士:中韓を知りすぎた男  09
 【07】世界交友録 ヘンリー・A・キッシンジャー氏|池田名誉会長の足跡  09
 【08】Amazon.co.jp: ヘンリー・キッシンジャー: 本  09
 【09】93歳のキッシンジャー氏、再び米中間の橋渡し-北京で中国要人と会談  09
 【10】米国「親中派」キッシンジャーの習近平への助言|雨のち晴れの記  09


 04 26 (水) キッシンジャー     どんな人か

アメリカの「外交指南役」はキッシンジャー氏という認識は多くの日本人が長い間の動きを見てきて、ほぼ間違いない認識だといえましょう。 今回トランプが大統領になってからもアメリカの政治舞台では、一目も二目も重きをなしている外交の重鎮として知られているのだろう。 彼の動き考えを見逃してはいけない。 ここではグーグル検索の初めの十例を取り上げい行こうと思います。



google.co.jp
キッシンジャー google検索結果
      https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC&spf=1
      約 378,000 件 (0.41 秒)


検索結果

①ヘンリー・キッシンジャー - Wikipedia
   https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘンリー・キッシンジャー
ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(英語: Henry Alfred Kissinger、1923年5月27日 - )は、アメリカ合衆国の国際政治学者。ニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官。 ‎人物・来歴 · ‎日本に関して · ‎評価 · ‎家庭生活

②93歳の「キッシンジャー」がトランプ政権の黒幕なの? | 毎日新聞出版
   mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2017/02/12/post-1397.html
93歳の「キッシンジャー」がトランプ政権の黒幕なの? 2017年2月12日号. 牧太郎の青い空白い雲 606. 『新潮45』2月号に掲載された「安倍・トランプ会談を実現させた『カルト宗教人脈』」という記事が永田町の話題になっている。 昨年11月18日(日本時間)に ...

③「外交指南役」はキッシンジャー氏:トランプ氏の「親ロシア」への転換を実現 ...
   www.huffingtonpost.jp/foresight/trump-kissinger_b_14278976.html
2017/01/21 - 大御所ヘンリー・キッシンジャー氏が、外交素人のトランプ大統領の指南役になった真意とは?

④キッシンジャー - 世界史の窓
   www.y-history.net/appendix/wh1604-013_1.html
1960年代後半~70年代前半のアメリカのニクソン政権・フォード政権で外交手腕を発揮した人物。ドイツにユダヤ系として生まれ、ナチスドイツ政権成立によって1938年、15歳でアメリカに亡命した。ハーバードに学び、戦後はアメリカ兵としてドイツに駐留した。

⑤ヘンリー・キッシンジャーは一体何をたくらんでいるのか?: マスコミに載ら ...
   eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-2a9f.html
2016/12/31 - Paul Craig Roberts 2016年12月28日. ロシアの通信社スプートニクの英語版は、元アメリカ国務長官ヘンリー・キッシンジャーが、アメリカ次期大統領ドナルド・トランプに、いかにして“アメリカ合州国とロシアを親密にして、中国の軍事力増強を ...

⑥悪魔を育てたキッシンジャー博士:中韓を知りすぎた男
   kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-448.html
2009/04/22 - キッシンジャー博士 岡山大で講演(産経新聞4月20日) 世界史において色んな巨悪な人が表れます。その中でもキッシンジャーは巨悪中の巨悪と言っても過言ではありません。しかしアメリカから見た場合は多少巨悪が薄まりますが!

⑦世界交友録 ヘンリー・A・キッシンジャー氏|池田名誉会長の足跡|創価 ...
   www.sokanet.jp › 池田大作名誉会長の足跡 › 世界交友録
創価学会公式サイトのSOKAnetです。アメリカの元国務長官・キッシンジャー氏と池田大作名誉会長との交流を紹介しています。

⑧Amazon.co.jp: ヘンリー・キッシンジャー: 本
   https://www.amazon.co.jp/...ヘンリー・キッシンジャー/s?...27%3Aヘンリー・キッシンジ...
国際秩序. 2016/6/25. ヘンリー・キッシンジャー、 伏見 威蕃 ... キッシンジャー秘録〈第3巻〉北京へ飛ぶ (1980年). 1980/3. 斎藤 弥三郎、 ヘンリー・ .... キッシンジャーからの警告!2000年日本が再起する条件―日高義樹のワシントンレポート. 1999/7. ヘンリー ...

⑨93歳のキッシンジャー氏、再び米中間の橋渡し-北京で中国要人と会談 ...
   https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-12-02/OHJQ856TTDS301
2016/12/02 - ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官が緊張緩和に向け、再び米中間の橋渡し役を務めている。1972年のニクソン米大統領訪中で大きな役割を果たしたキッシンジャー氏は現在93歳だ。

⑩米国「親中派」キッシンジャーの習近平への助言|雨のち晴れの記
   ameblo.jp/hagure1945/entry-12226947011.html
2016/12/08 - 先に北京を訪れた米元国務長官のキッシンジャーである。トランプ対策に悩む国家主席、習近平は93歳の老戦略家の助言に真摯に耳を傾けた。71年、ニクソン政権の大統領補佐官だったキッシンジャーは極秘の任務を帯びて訪中した。

キッシンジャーに関連する検索キーワード

   キッシンジャー 日本
   キッシンジャー ユダヤ
   キッシンジャー トランプ
   キッシンジャー 中国
   キッシンジャー 本
   キッシンジャー 名言
   キッシンジャー 安倍
   キッシンジャー 小沢一郎
   キッシンジャー 外交
   キッシンジャー 池田大作



①ヘンリー・キッシンジャー  - Wikipedia

Henry Kissinger
生年月日 1923年5月27日(93歳)
出生地  ドイツの旗 ドイツ国・バイエルン州フュルト
出身校  ニューヨーク市立大学シティカレッジ  ハーバード大学大学院博士課程(外交史)
前職   外交官  学者
所属政党 共和党
配偶者  アン・フライシャー(1949年 - 1964年)
      ナンシー・マギネス(1974年 - 現在)
第56代アメリカ合衆国国務長官
 在任期間 1973年9月22日 - 1977年1月20日
 大統領  リチャード・ニクソン
       ジェラルド・フォード
第8代国家安全保障問題担当大統領補佐官
 在任期間 1969年1月20日 - 1975年11月3日
 大統領  リチャード・ニクソン
       ジェラルド・フォード
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
 受賞年:1973年
  受賞部門:ノーベル平和賞
  受賞理由:ベトナム戦争の和平交渉

ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(英語: Henry Alfred Kissinger、1923年5月27日 - )は、アメリカ合衆国の国際政治学者。ニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官。

1 人物・来歴

1.1 生い立ち

1923年、ドイツ国のフュルトでユダヤ系ドイツ人の家庭に生まれた。本来の姓名はハインツ・アルフレート・キッシンガー(ドイツ語: Heinz Alfred Kissinger)で、姓はバート・キッシンゲン(英語版)に由来する。父ルイス・キッシンガーは女子高で歴史と地理を教え、母パウラ(旧姓シュテルン)はアンスバッハ近郊ロイタースハウゼン出身の富裕な家畜業者の娘。

1.2 亡命

1歳下の弟ヴァルターと共に幸福な少年時代を過ごしたが、1933年に、アドルフ・ヒトラーを党首に擁き反ユダヤ人政策を推し進めるナチス党が、多くのドイツ人の支持を受けて自由選挙の末に政権を掌握したために運命が一変した。

一家は多くのドイツ人が支持した反ユダヤ人政策を嫌って1938年にアメリカ合衆国へ移住し、第二次世界大戦中の1943年に同国に帰化(ドイツに残った親類はドイツ人に殺害されたとされる。親類が本当に存在したか、殺されたかの詳細は不明)。ただし、当時のドイツにおける反ユダヤ主義についてキッシンジャーは「特に不愉快に感じたと思ったことはない」と告白している。

移住後はジョージ・ワシントン高校に3年半通う。後半2年間は夜間クラスで、昼間は髭そり用ブラシの工場で働き、週約15ドルの賃金が一家のアパート住まいの生活を助けていた。高校卒業後は、工場で働く一方職場近くにあったニューヨーク市立大学シティカレッジ経営・行政管理学部(ニューヨーク市立大学バルーク校の前身)にもパートタイム学生として通い、特に会計学で優秀な成績を修めた。

1.3 軍歴

第二次世界大戦中の1943年、大学での学業を中断してアメリカ陸軍に入隊する。陸軍ではドイツ語の能力を生かしヨーロッパ戦線の対諜報部隊軍曹として従軍した。1945年5月のヨーロッパ戦線の終戦後はかつての母国ドイツに駐留し、多くのドイツ軍戦犯の処遇にあたった。これにあたって、多くのユダヤ人のアメリカ陸軍兵士が戦犯への激しい憎悪をむき出しにしていた中でキッシンジャーは「報復しようとは考えなかった。彼らがどうしてこのようなことをしたのかを知りたかった」と発言している。

1.4 ハーバード大学院

1946年に復員し、ハーバード大学に入学。1950年、政治学の学士学位を取得し最優等で同大学を卒業する。引き続き同大学大学院に進学し、ウィリアム・ヤンデル・エリオット(英語版)の指導のもと19世紀のヨーロッパ外交史を研究し、1952年に修士学位を、1954年にはウィーン体制についての研究で博士学位を取得する[1]。

この論文では、その後の100年間 欧州で大きな戦争が防がれた国際秩序がどのようにして作られたかが論じられている。その要因の一つとして、敗れたナポレオンのフランスに対して、メッテルニヒやカスルリーらが、懲罰よりも力の均衡の回復を重視したことを上げている。

1951年には日米学生会議に参加している。大学院生時には指導教授の庇護を受け、世界各国の有望な若手指導者をハーバード大学に集めて国際情勢について講義や議論を行うサマー・セミナーの幹事役となり、国内外にその後のワシントン入りにも繋がる人脈を形成した。日本からの参加者としては、中曽根康弘などがいる。 1.5 外交問題評議会参加

ハーバード大学院における博士課程修了後に、同大学政治学部で教鞭をとっていたが、外交問題評議会への参加を通じて、同時代の外交政策にも積極的な提言をはじめる。

特にキッシンジャーはアイゼンハワー政権の採用した核戦略(「大量報復戦略」)の硬直性を辛辣に批判し、のちのケネディ政権が採用する「柔軟反応戦略」のひな型ともいえる、核兵器・通常兵器の段階的な運用による制限戦争の展開を主張した[2]。1960年代にはケネディ政権の外交政策立案に一時的に関与することとなる[3]。

1.6 政権入り

1.6.1 ニクソン政権

ニクソン大統領、フォード副大統領とヘイグ首席補佐官とともに(1973年)
1968年の大統領選挙では共和党の大統領候補指名選に立候補したネルソン・ロックフェラーの外交顧問を務めていた。しかしロックフェラーの敗北後に、アイゼンハワー政権の副大統領であったリチャード・ニクソンから直々のスカウトを受け、政権誕生とともに国家安全保障問題担当大統領補佐官として政権中枢に入り、ニクソン外交を取り仕切る。キッシンジャーの大統領補佐官指名は、国務長官、国防長官の指名の前になされた。ここにニクソンのキッシンジャーへの期待を読み取る論者も少なくない。

ジョンソン政権までの外交政策は、国務長官が決定権を握り、国家安全保障担当補佐官は調整役とされてきた。しかしニクソンとキッシンジャーは国家安全保障会議(NSC)が外交政策の決定権を握るべきだと考えていた。ニクソンの命を受けたキッシンジャーはNSCのスタッフ(特別補佐官)に若手の外交官、軍将校、国際政治学者をスカウトして組織した。キッシンジャーからNSC特別補佐官にスカウトされた人物には、アンソニー・レイク、ローレンス・イーグルバーガー、アレクサンダー・ヘイグ、ブレント・スコウクロフトなどがいる。

キッシンジャーは、国務省などと激しい権力闘争を行い、ニクソン政権ではNSCが外交政策の決定権を独占することとなる[4]。特にウィリアム・P・ロジャーズ国務長官を重要な外交政策から排除してしまった。キッシンジャーは、NSC特別補佐官のほかに大使、駐在武官、CIA支局長などをNSCの手足として用いていた。

後述する1971年の極秘訪中の際も、キッシンジャーはロジャース国務長官と国務省に一切知らせずに、フランス、ルーマニア、パキスタンなどに勤務している駐在武官やCIA支局長を利用して秘密裏に北京に到着した。北京では、中華人民共和国側の英語通訳に依存して交渉が行われた。

冷戦政策の再構築を意図したニクソン政権期の外交の中で、キッシンジャーは重要な役割を果たした。1971年にはニクソンの「密使」として、当時ソ連との関係悪化が進んでいた中華人民共和国を極秘に二度訪問。周恩来と直接会談を行い、米中和解への道筋をつける[5]。一方で、この中華人民共和国との和解を交渉カードとして、ベトナム戦争終結に向けた北ベトナムとの秘密停戦交渉や、ソ連とも第一次戦略兵器制限条約(SALT1)を締結するなどデタント政策を推進した。

またこのような大国間関係の動きと連動して、ニクソンとキッシンジャーは1960年代から1970年代初頭のアメリカにとって最大の外交問題であったベトナム戦争の終結にも成果を納めた。アメリカが中ソと関係改善を行い、その結果、ベトナム戦争において中ソ両国の支援を受けてアメリカと対峙していた北ベトナムを国際的に孤立させたことで、アメリカはジョンソン政権末期の1968年5月よりパリで行われていた和平交渉妥結に成功した。1973年にはパリ協定が調印され、ベトナム戦争終結への道筋をつけることとなった[6]。これを功績としてアメリカ交渉団の代表であったキッシンジャーはノーベル平和賞を受賞する[7]。

1.6.2 フォード政権

フォード大統領とロックフェラー副大統領とともに(1975年)
これら種々の成果を得たキッシンジャーは、1973年には大統領補佐官に留任したまま国務長官に就任し、フォード政権の退陣までの間において外交政策の全般を掌握することとなった(翌1974年、ジェラルド・R・フォード政権の成立に伴い、補佐官職は退任する)。

フォード政権でも外交政策に明るくない大統領を尻目に、補佐官時代の部下であった国家安全保障問題担当大統領補佐官のブレント・スコウクロフトや、国務省参事官ヘルムート・ゾンネンフェルトら側近を活用しながら、フォード政権下でも続いたデタント政策をリードした。

一方でより厳しい対ソ連認識を抱き、ニクソン政権時代から進められていたデタント政策に批判的なドナルド・ラムズフェルド(大統領首席補佐官・国防長官を歴任)などとは閣内で対立していた。

1.7 退任後

バラク・オバマ大統領らとともに(右端/2009年)
1977年、キッシンジャーはフォード政権の退陣と共に国務長官を退任した。コロンビア大学から教授就任の誘いを受けたが、学生の激しい反対に会い、就任を断念する。その後ジョージタウン大学戦略国際問題研究所(CSIS)に招かれ、在職中次々と政権時代の回想録を発表し、話題を呼ぶこととなった。

1982年、国際コンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエーツ」を設立し、社長に就任。同社にはジョージ・H・W・ブッシュ政権で国務副長官を務めたローレンス・イーグルバーガー(後に国務長官)や、国家安全保障担当大統領補佐官を務めたブレント・スコウクロフトなどが参加している。また、バラク・オバマ政権で財務長官に就任したティモシー・ガイトナーも、一時同社に籍を置いていた。

現在は「現代外交の生き字引的存在」として多くの著書を持つほか、世界各国で講演活動を行っている。また、ニクソン以降のアメリカの歴代大統領をはじめとする世界各国の指導層と親交を持っており、国務長官退任から30年以上たった現在でもその国際的影響力は「最大級」と評価されている。

最近では、ジョージ・W・ブッシュ政権において指南役として活躍した。ブッシュはキッシンジャーとは定期的に会談の機会を設けており、政権外で最も信頼する外交アドバイザーであった。キッシンジャーはブッシュ政権下で行われているイラク戦争も基本的に支持していた[8]。 また、2007年1月4日にはジョージ・シュルツ、ウィリアム・ペリー、サム・ナンらと連名で「核兵器のない世界に(A World Free of Nuclear Weapons)」と題した論文を『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙上に発表した。同論文はイラン・北朝鮮などが核開発を試み、また国際テロリスト・グループによる核保有の可能性すら存在する現代において、核兵器に過去のような抑止効果は存在しないとして核兵器廃絶をアメリカが唱道すべきことを訴えており、注目を集めている[9]。

2009年4月20日、岡山大学にて特別講演会を実施[10]。この模様は後日岡山放送でも放映された。2011年11月11日夜には、首相官邸を訪問、野田佳彦首相と会談し、「TPP交渉参加方針を歓迎する」と述べた[11]。

2 日本に関して

日本については、経済大国である以上政治・安全保障両面でも大国として台頭しようとする欲求を持つだろうとの見方を一貫して示している。特に、1971年の周恩来との会談で日米安全保障条約に基づく在日米軍の駐留が日本の「軍国主義」回帰を抑えており、同盟関係を解消すれば日本は手に負えない行動を取り始めると警戒感を示した「瓶の蓋」論は有名である[12]。冷戦後間もない時期の著書である『外交』でも将来日本が政治的に台頭するとの予測を示した[13]。2008年1月の「日高義樹のワシントン・レポート」でも変わらず、「日本は10年後に強力な軍隊を保有しているだろう」と述べ、日本の核武装や憲法改正については「日本が決めることだ」と発言している。

佐藤栄作首相の密使として沖縄返還交渉に当たった若泉敬の著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(1994年)によると、キッシンジャーは1969年11月に、「返還後も緊急事態の際に事前通告により沖縄に核兵器の持ち込みおよび通過を認める権利」を要求、若泉との交渉により「事前通告」を「事前協議」とすることで諒解したという。この条項を含む密約の存在について、1995年にNHKの取材を受けたキッシンジャーは、「お国(日本)の政府に聞きなさい」と返答を拒んだ[14]。その後、2007年に信夫隆司・日本大学教授によるアメリカ国立公文書記録管理局での機密解除公文書調査で、キッシンジャーが1969年11月19日から21日にかけての日米首脳会談のためにニクソンに宛て作成した、核密約締結手順を記載したメモが発見されている[15]。

3 評価

ロナルド・レーガン大統領とともに(1981年)
キッシンジャーがニクソン政権で推進した外交の特徴はその現実主義にあった。これはアメリカの国益を外交の中心に据え、世界的なバランス・オブ・パワーに配慮しつつ、国際秩序をアメリカにとって受け入れられる形の安定へと導くことを目的としていた。このような国際秩序像の背景にはかつてキッシンジャーが研究し、その安定性を高く評価していたウィーン体制が一つのモデルとして存在していたことが、多くの研究で指摘されている[16]。キッシンジャーらの発想は冷戦と、そしてそれが熱い形で具体化されたベトナム戦争という構図の中で、従来アメリカが基本的国策としていた孤立主義と理想主義という外交姿勢がもはや機能しなくなったことを端的に表すものだった。

キッシンジャーの推進したデタント政策は、ベトナム戦争からの脱出という短期的な意味と、米ソ二超大国間の対立という約20年間継続されてきた従来の冷戦構造に、ソ連との関係悪化と時を同じくして台頭してきた中華人民共和国を新たな同次元のプレイヤーに組み入れること(「米中ソ三角関係」などとも評される)、ソ連が核戦力の面でアメリカと対等な立場にあることを明示的に認めることによって、大国間の勢力バランスを現状に即したものへと安定的に再編成するという、長期的な意味を持った戦略の組み合わせだった。

キッシンジャーは、国家安全保障担当補佐官時代から国務長官(1973年8月23日指名)時代に至るまで、その独特な風貌やドイツ風のアクセント、さまざまなパーティで有名女優を同伴して登場するなどの派手なパフォーマンス、日本で「忍者外交」などと形容された神出鬼没の外交スタイル、さらにベトナム戦争終結への貢献によるノーベル平和賞受賞などといったさまざまな理由から、歴代の前任者たちとは比較にならないほど目立つ存在だった。今日では「ドクター・キッシンジャー」は20世紀後半を代表する外政家とする認識が一般的である。しかし、このような「外交の達人」という一般的な評価は、キッシンジャーが国務長官退任後繰り返し発表してきた著書や回想録に拠るところが大きく、前記の若泉敬は「キッシンジャーの回想録を鵜呑みにするな」と語っている。

近年ではニクソン外交の実態について、公開された文書史料をもとに「外交政策の構想者・決定者は、外交通だった大統領・ニクソンであり、キッシンジャーはそのメッセンジャー・ボーイに過ぎなかった」などとし、ニクソンの比重をより重く見る研究も現れている[17]。ニクソンとキッシンジャーは「厚い信頼で結ばれていた」とされるが、個人的には決して親しい友人ではなかった。ドイツ系のニクソンが他の側近の前でキッシンジャーのことをその出自(ユダヤ系ドイツ人でアメリカに帰化)を背景に侮蔑的に呼んだことが数回確認されており、キッシンジャー自身も「一度として二人きりで食事を取ったことはなかった」と語っている。

ベトナム戦争時のカンボジア侵攻、チリ・クーデター工作、インドネシアによる東ティモール侵攻へのアメリカの協力を指揮したキッシンジャーに対して、クリストファー・ヒッチンスやシーモア・ハーシュらは「人道に対する罪」「戦争犯罪人」として糾弾した[18]。

4 家庭生活

妻ナンシーとともに
高校時代、アン・フライシャー(Ann Fleischer)と知り合い交際をしていたが、戦争の影響でしばらく疎遠となった2人が結婚したのは1949年2月6日で、ヘンリーが25歳、アンが23歳だった。結婚式はワシントンハイツにあるヘンリーのアパートで行われ、12名ほどが出席した。ユダヤ教正統派に則って式が行われた。長女が1959年、長男が1961年に生まれたが、1963年別居状態となり、1964年に離婚する。

その後アンは女性解放運動に参加。1973年に化学者のソール・コーエン(Saul Cohen)と再婚。一方のキッシンジャーは1974年、ハーバード時代の教え子でネルソン・ロックフェラーの秘書だったナンシー・シャロン・マギネス(Nancy Sharon Maginnes、1933年生まれ)と再婚した。式には 前妻との2人の子供も出席した。

キッシンジャーは離婚から再婚までの間に少なからぬロマンスを報じられていたこともあり、この際UPI通信は、「浮名を流したヘンリー年貢を納める(Swinging Henry Ends His Days of Bachelorhood)」と報じている。

5 逸話

歴代国務長官の肖像画を省内に飾る予定でキッシンジャーの肖像画をガードナー・コックスに依頼したが、背を低めに寸詰まりに描写されたと本人はいたく気に病み、描き直しの要請までしたが、コックスはそのままでいいと相手にしなかった。ただしコックスにも製作料が払われず、喧嘩両成敗となった模様。
強いドイツ訛りの英語について聞かれた時「私は外国語を流暢に話す人間を信用しない」と切り返したことがある。 国連難民高等弁務官事務所のテレビCMでは、ソ連から亡命したルドルフ・ヌレエフや、同じドイツからの亡命者のマレーネ・ディートリヒとともに、身近にいる難民(亡命者)の例として紹介されている。
テレビ東京の番組「日高義樹のワシントン・リポート 」に年1回出演し、1月に放送されるのが恒例であった。 愛人としてハリウッド女優のジル・セント・ジョン(IQ162、14歳で飛び級でUCLAに入学)の名前が挙がったこともある。

6 著書

6.1 単著

A World Restored: Metternich, Castlereagh and the Problems of Peace, 1812-22, (Weidenfeld & Nicolson, 1957).
伊藤幸雄訳『回復された世界平和』(原書房, 1976年/新装版, 2009年)[19]Nuclear Weapons and Foreign Policy, (Harper & Brothers, 1957).
田中武克・桃井真訳『核兵器と外交政策』(日本外政学会, 1958年)森田隆光訳『核兵器と外交政策』(抄訳版, 駿河台出版社, 1988年)The Necessity for Choice: Prospects of American Foreign Policy, (Harper, 1961).
The Trobled Partnership: A Reappraisal of the Atlantic Alliance, (McGraw-Hill, 1965).
森田隆光訳『二国間の歪んだ関係――大西洋同盟の諸問題』(駿河台出版社, 1994年)American Foreign Policy, (Weidenfeld and Nicolson, 1969).
White House Years, (Little, Brown, 1979).
斎藤彌三郎ほか訳『キッシンジャー秘録(1-5)』(小学館, 1979-1980年)For the Record: Selected Statements 1977-1980, (Weidenfeld and Nicolson and Joseph, 1981).
Years of Upheaval, (Weidenfeld and Nicolson, 1982).
読売新聞調査研究本部訳『キッシンジャー激動の時代(1-3)』(小学館, 1982年)Observations: Selected Speeches and Essays, 1982-1984, (Little, Brown, 1985).
Diplomacy, (Simon & Schuster, 1994).
岡崎久彦監訳『外交(上・下)』(日本経済新聞社, 1996年)[20]Years of Renewal, (Simon & Schuster, 1999).
Does America Need a Foreign Policy?: Toward a Diplomacy for the 21st Century, (Simon & Schuster, 2001).
Ending the Vietnam War: A History of America's Involvement in and Extrication from the Vietnam War, (Simon & Schuster, 2003).
Crisis: the Anatomy of Two Major Foreign Policy Crises, (Simon & Schuster, 2003).
On China, (Allen Lane, 2011).
塚越敏彦ほか訳『中国――キッシンジャー回想録』(岩波書店, 2012年)

6.2 編著

Problems of National Strategy: A Book of Readings, (Praeger, 1965).

6.3 公刊史料

The Kissinger Transcripts: the Top Secret Talks with Beijing and Moscow, ed. by William Burr, (New Press, 1999).
鈴木主税・浅岡政子訳『キッシンジャー<最高機密>会話録』(毎日新聞社, 1999年)毛里和子・増田弘監訳『周恩来・キッシンジャー機密会談録』(岩波書店, 2004年)

6.4 対談本(日本語オリジナル)

(池田大作)『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』(潮出版社, 1987年)
(中曽根康弘)『世界は変わる――キッシンジャー・中曽根対談』(読売新聞社編, 読売新聞社, 1990年)
(日高義樹)『キッシンジャー・世界はこう動く』(日本放送出版協会, 1991年)
(日高義樹)『2000年日本が再起する条件――キッシンジャーからの警告!』(青春出版社, 1999年)
(日高義樹)『キッシンジャー博士日本の21世紀を予言する』(集英社インターナショナル, 2000年)
(日高義樹)『キッシンジャー10の予言――9.11後の世界と日本』(徳間書店, 2002年)

7 キッシンジャーに関する作品

映画『The Trials of Henry Kissinger(キッシンジャー裁判)(英語版)』 - ユージーン・ジャレキ(英語版)監督のドキュメンタリー。2002年。クリストファー・ヒッチンスによる同名の著作[21]を原作としている。
ザ・シンプソンズ - 第5シーズン第10話に登場。トイレにメガネを落としてしまうが、パリ協定の立役者だからと、落とした事を言い出せず壁に突っ込み病院に収容されてしまう。

8 参考・関連文献

渡辺恒雄『大統領と補佐官――キッシンジャーの権力とその背景』(日新報道, 1972年)
高坂正堯・桃井真編『多極化時代の戦略(上・下)』(日本国際問題研究所, 1973年)
Marvin L. Kalb and Bernard Kalb, Kissinger, (Little Brown, 1974).
高田正純訳『キッシンジャーの道(上・下)』(徳間書店, 1974年)William Shawcross, Sideshow: Kissinger, Nixon, and the Destruction of Cambodia, (Simon and Schuster, 1979).
鎌田光登訳『キッシンジャーの犯罪』(パシフィカ, 1980年)Seymour M. Hersh, The Price of Power: Kissinger in the Nixon White House, (Summit Books, 1983).
Michael Joseph Smith, Realist Thought from Weber to Kissinger, (Louisiana State University Press, 1986).
押村高訳『現実主義の国際政治思想――M.ウェーバーからH.キッシンジャーまで』(垣内出版, 1997年)Robert D. Schulzinger, Henry Kissinger: Doctor of Diplomacy, (Columbia University Press, 1989).
Gerry Argyris Andrianopoulos, Kissinger and Brzezinski: the NSC and the Struggle for Control of US National Security Policy, (Macmillan, 1991).
Walter Isaacson, Kissinger: A Biography, (Simon and Schuster 1992).
別宮貞徳監訳『キッシンジャー――世界をデザインした男(上・下)』(抄訳, 日本放送出版協会, 1994年)
William Bundy, A Tangled Web: the Making of Foreign Policy in the Nixon Presidency, (Hill and Wang, 1998).
Christopher Hitchens, The Trial of Henry Kissinger, (Verso, 2001).
井上泰浩訳『アメリカの陰謀とヘンリー・キッシンジャー』(集英社, 2002年)G.R. Berridge, Maurice Keens-Soper and T.G. Otte (eds.) Diplomatic Theory from Machiavelli to Kissinger, (Palgrave, 2001).
Jussi Hanhimaki, The Flawed Architect: Henry Kissinger and American Foreign Policy, (Oxford University Press, 2004).
David J. Rothkopf, Running the World: The Inside Story of the National Security Council And the Architects of America's Power. (Public Affairs, 2005).
Bruce Kuklick, Blind Oracles: Intellectuals and War from Kennan to Kissinger, (Princeton University Press, 2006).
Jeremi Suri, Henry Kissinger and the American Century, (Harvard University Press, 2007).
Robert Dallek, Nixon and Kissinger: Partners in Power, (Harper Collins, 2007).
Holger Klitzing: The Nemesis of Stability. Henry A. Kissinger's Ambivalent Relationship with Germany. (WVT 2007).

9 関連項目

道徳再武装
チリ・クーデター
コンドル作戦
国連難民高等弁務官事務所
国家安全保障問題担当大統領補佐官
PFLP旅客機同時ハイジャック事件
ネルソン・ロックフェラー
フォーリン・アフェアーズ
ラポ・エルカーン
ドナルド・トランプ
ジャレッド・クシュナー
ハーバード大学の人物一覧
柏戸秀剛 - 角界のキッシンジャーというあだ名があった元大相撲力士。
10 注釈

1.^ 日本語訳『回復された世界平和』がこれに該当。
2.^ 日本語訳『核兵器と外交政策』がこれに該当、当時の代表的な核戦略論文をまとめたアンソロジー『多極化時代の戦略 上』(高坂正堯・桃井真編、日本国際問題研究所、1973年)にも当時のキッシンジャーによる論文が複数収録されている。
3.^ ウォルター・アイザックソン著(別宮貞徳監訳)『キッシンジャー――世界をデザインした男(上)』(日本放送出版協会, 1994年)。
4.^ David J. Rothkopf, Running the World: The Inside Story of the National Security Council And the Architects of America's Power. (Public Affairs, 2005), chap.6.
5.^ この際の会談記録を編纂したものが、『周恩来・キッシンジャー機密会談録』。
6.^ 事実上は単なるアメリカ軍のベトナム戦争からの撤退であり、その後も南ベトナム軍と北ベトナム軍の戦闘は継続されたため、ベトナム戦争自体は1975年4月まで続いた
7.^ 北ベトナム側の代表であるレ・ドゥク・トは受賞を辞退した
8.^ ボブ・ウッドワード(伏見威蕃訳)『ブッシュのホワイトハウス(下)』(日本経済新聞社、2007年)、248-256ページ。
9.^ A World Free of Nuclear Weapons(Hoover Institution - Hoover Digest)スタンフォード大学フーバー研究所による再掲。2008年1月15日号にも同趣旨の論文を発表した。
10.^ http://osaka.yomiuri.co.jp/university/topics/20090421-OYO8T00336.htm
11.^ http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111111/plc11111123380029-n1.htm
12.^ 前掲『周恩来・キッシンジャー機密会談録』 を参照。
13.^ キッシンジャー『外交(上)』(日本経済新聞社、1994年)、第1章を参照。
14.^ NHK取材班『戦後50年その時日本は〈第4巻〉沖縄返還・日米の密約 列島改造・田中角栄の挑戦と挫折』日本放送出版協会、1996年
15.^ 沖縄返還 核密約 米当事者のメモ発見琉球新報2007年10月8日
16.^ 関係するエピソードとして、キッシンジャーが大学院生時代のものがある。キッシンジャーが研究を行っていた1940年代から1950年代の時点でも、「核兵器登場以前の19世紀の外交史を研究することは役に立たない」と一般に認知されていたが、キッシンジャーは「ウィーン体制を理解すれば、現在の国際政治の構造も説明できる」と語っていたといわれる。アイザックソン『キッシンジャー(上)』。国際政治を概観した著書『外交』においても、キッシンジャーはウィーン体制を高く評価している。
17.^ 田久保忠衛『戦略家ニクソン』(1996年、中公新書)、米国での研究動向を紹介した石井修「“ニクシンジャー”と日本」『外交史料館報』20号(2006年10月)などを参照。
18.^ クリストファー・ヒッチンス、井上泰浩訳『アメリカの陰謀とヘンリー・キッシンジャー』(集英社, 2002年),映画The Trials of Henry Kissinger(2002)
19.^ ナポレオン戦争によって破壊されたヨーロッパの秩序を再構築し、その後ほぼ一世紀にわたる安定を確保したオーストリア宰相メッテルニヒを中心に描いた力作。正当性とバランスオブパワーの確保が国際秩序の樹立に必要だという見方を示した。
20.^ ウェストファリア条約からソ連崩壊後の時代までの「外交」の歴史を書き記した著作。リシュリュー枢機卿やメッテルニヒ、ビスマルクなどの現実主義的外交を賞賛しつつも、アメリカの理想主義の持つエネルギーにも触れるなどその考察の深さが際だつ大著。
21.^ 日本語訳。井上泰浩訳『アメリカの陰謀とヘンリー・キッシンジャー』(集英社, 2002年)。



②93歳の「キッシンジャー」がトランプ政権の黒幕なの? 毎日新聞出版

2017年2月12日号

牧太郎の青い空白い雲 606

 『新潮45』2月号に掲載された「安倍・トランプ会談を実現させた『カルト宗教人脈』」という記事が永田町の話題になっている。
 昨年11月18日(日本時間)に突如、実現した安倍首相とトランプ大統領の会談。トランプ当選を予測できなかった安倍政権が「統一教会」(現・世界平和統一家庭連合)のルートを使って"電撃的な会談"にこぎつけた!という記事である。ご存じと思うが、統一教会は霊感商法や合同結婚式で知られる韓国系カルトとされる。
 これを読むと......トランプ氏の勝利宣言に慌てた安倍さん。ヒラリー勝利を想定していた外務省に激怒した。その怒りを収めたのが、統一教会=国際勝共連合と関係を持つ側近議員「Y」。安倍さんは「Y」の勧めで、勝共連合の"重鎮"に電話を掛け、その重鎮から「教祖文鮮明氏の未亡人・韓鶴子総裁」を経由して、トランプ氏の親族(長女・イバンカの夫)に繋(つな)がり、会談が実現したというのだ。
 記事執筆者はジャーナリストの時任兼作氏。慶應義塾大経済学部卒。カルト、暴力団、警察の裏金や不祥事の内幕など、もろもろの「暗部」を洗い出すのが得意らしい。
 記事のネタ元は「公安筋」と書かれているが、果たして事実なのか? もし、安倍さんが「カルトの力」を借りていたとすれば...... トランプ氏はゆくゆく「安倍首相の弱み」をちらつかせながら、日本に「巨額の武器購入」を要求するだろう。困った。困った。
    ×  ×  ×
 安倍さんがトランプ氏を訪ねた昨年11月18日。まさにその日、金満の象徴・トランプタワーに一人の老人がやって来た。ヘンリー・キッシンジャー元国務長官。93歳。
 45年前(1972年2月)、当時のニクソン大統領が電撃的に訪中。毛沢東主席や周恩来首相と歴史的な握手をした。ニクソンショックである。その影の立役者がキッシンジャー氏。前年、ニクソン氏の「密使」として、ソ連(当時)との関係悪化が進んでいた中国を極秘に2度訪問。周恩来氏と直接会談を行い、米中和解への道筋をつけた。アメリカは親中路線を取ることで、ソ連を孤立させるのに成功した。
 キッシンジャー氏はベトナム戦争終結も実現。ノーベル平和賞を受賞した。フォード政権では大統領補佐官に留任したまま国務長官に就任。以来、共和党外交の指南役を務めてきた。
 だが、オバマ民主党政権が8年間続いた。彼も93歳である。その影響力はほとんどない、と思われていたが......大統領の元になぜ、現れたのか?
 しかも、である。ネット情報によれば、トランプ氏は共和党大統領候補選び最中の昨年5月18日、キッシンジャー氏に呼び出され、何やら密談していたらしい。
    ×  ×  ×
 キッシンジャー氏が「安倍・トランプ会談」に関心を示した!というわけではないらしい。そんな小さなこと?より、もっと大きな企みがあったのではないか?
 アメリカのメディアの一部は「キッシンジャーはトランプ政権の後見人」と見ている。アメリカの外交政策の柱について、彼は「注文」をつけに来た?と見ているのだ。事実、マイケル・フリン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の起用をトランプ氏に勧めたのも「93歳の後見人」であり、マクファーランド副補佐官はキッシンジャー氏の弟子である。
 2016年11月18日。この日は外交に素人のトランプ氏にとって、きわめて大事な日だった。もちろん安倍さんとの会談ではない。この日、キッシンジャー氏と外交戦略を決めたのだ。
 45年前、ニクソン政権下で、親中路線を推し進めたキッシンジャー氏は今回、大転換した。アメリカの地位を揺るがす中国。南シナ海を「聖域化」し、内海のように振る舞う。阻止するにはアメリカはロシアと手を結ぶしかない、というのが「93歳の後見人」のバランス感覚。親露路線が持論なのだ。
 キッシンジャー氏はCBSテレビで「トランプ氏は非凡なことを成し遂げる」と話したが、「非凡なこと」とはアメリカとロシアの歴史的な握手ではあるまいか?
    ×  ×  ×
 最近、キッシンジャー氏がモスクワに飛び、プーチン大統領と会談!との未確認情報が飛び交っている。もし、彼が「密使」になったとしたら、これはトランプ氏のためではなく「大富豪・デイヴィッド・ロックフェラー」の意向では?というワケのわからない解説まで付いて回る(キッシンジャーは「ロックフェラーの番頭」という見方もあるらしい)。
 93歳のキッシンジャー氏が、もしかしてトランプ外交の黒幕?
 ともかく、トランプ氏の船出は奇想天外である。



③「外交指南役」はキッシンジャー氏:トランプ氏の「親ロシア」への転換を実現  春名幹男
   www.huffingtonpost.jp/foresight/trump-kissinger_b_14278976.html
     2017/01/21 - 大御所ヘンリー・キッシンジャー氏が、外交素人のトランプ大統領の      指南役になった真意とは?

安倍晋三首相がトランプタワーにドナルド・トランプ次期大統領(70)を訪ねた昨年11月17日。まさにその日その場所で、外交の大御所、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官(93)がトランプ氏と会談していたことはあまり知られていない。

実は、キッシンジャー氏はトランプ政権の外交指南役として、旧知の次期大統領に外交の基本戦略を説いていたのだった。

それだけではない。キッシンジャー氏は別に、マイケル・フリン次期大統領補佐官(国家安全保障問題担当=58=)と、合計数時間にわたって外交論議を重ねてきた。

さらに、自分のスタッフだったK・T・マクファーランド氏(65)を副補佐官(同)としてホワイトハウスに送り込んだ。またトランプ氏に対して、レックス・ティラーソン前エクソンモービル会長(64)を国務長官に、と推薦していた。まさに、キッシンジャー氏が次期政権の外交の後ろ盾となっていたのだ。

ニクソン訪中時の真意

トランプ氏が外交の素人だけに、キッシンジャー氏は90代の高齢ながら、持論を実現させる好機だとにらんだようだ。

その持論とは、アメリカ外交の軸を親ロへと転換すること。つまり、トランプ氏自身の親ロ路線を実現する処方箋をキッシンジャー氏が授けるということのようだ。

親中派とされたキッシンジャー氏が? と怪訝に思われるかもしれない。しかし、45年前の1972年2月、キッシンジャー氏がニクソン大統領と訪中して米国の親中路線を演出し、毛沢東主席や周恩来首相の前で見せた笑顔は、実は仮面だった。

あの訪中の1週間前、2月14日にホワイトハウスでキッシンジャー氏はニクソン氏にこう説いた。

ある歴史的期間、中国人はロシア人よりも恐ろしい、と私は思う。20年以内に、あなたの後継大統領があなたほど賢明であれば、ロシア(ソ連)寄りとなって中国と対立することになる。向こう15年間はわれわれは中国寄りとなりロシア(ソ連)と対立する。われわれはこの力の均衡のゲームを全く感情を交えず演じなければならない。今は中国人にロシア人をしつけさせる必要がある。

公開された国務省文書にはこんなキッシンジャー氏の真意が記されていた。

キッシンジャー氏はその後も中国を弁護し続けてきたかのように見えた。しかし、冷戦終結後のクリントン、ブッシュ(子)、オバマの3大統領の24年間で、米国は中ロ両大国を同時に敵に回す事態に陥った。中ロは手を組み米国の地位を揺るがすに至った。特に中国は南シナ海を「聖域化」し、内海のように扱うほど乱暴になったのである。

他方、核大国ロシアの経済は低迷し、その国内総生産(GDP)は韓国より下の12位に転落、中国の「ジュニアパートナー」のような存在になった。今こそ、45年前に誓った転換を実現すべき時だ、とキッシンジャー氏は考えたのではないか。

トランプ氏をかばうキッシンジャー氏

トランプ氏が次期国務長官に親ロ派のティラーソン氏を指名し、批判されたが、キッシンジャー氏はCBSテレビで「トランプ氏は何か非凡なことを成し遂げる」と期待感を示した。さらに、トランプ氏が台湾の蔡英文総統と電話会談したときも、トランプ氏は中国は1つとの原則を維持することには「楽観的だ」と不安感の一掃に努めた。

しかし、中国と手を結ぶロシアを切り離すため、米国はロシアに何を与えるのだろうか。

ドイツ紙「ビルト」は昨年末に、ウクライナ問題が米ロ接近のカギになると報じている。それによると、「ロシアは特殊部隊が展開していると伝えられるウクライナ東部の安全を保障し、その代わりに西側はクリミア問題に干渉しない」という解決方式が検討されている、というのだ。

キッシンジャー氏のコンサルタント事務所「キッシンジャー・アソシエイツ」の常務理事、トーマス・グレアム元国家安全保障会議(NSC)ロシア担当上級部長はこうした妥協策を「クリミア・コンセンサス」と呼んでいる。

キッシンジャー氏自身、ウクライナは「架け橋」だとして、東西両陣営が互いにウクライナへの干渉を避けるよう提案してきた。

トランプ政権がロシア側に対して、どんな具体的提案をするにしても、ロシアのクリミア併合に伴う対ロ制裁の解除が必要になるだろう。また、中国がトランプ政権の新外交戦略を強く警戒するのは必至だ。

「インテリジェンス」で意気投合

しかし、キッシンジャー氏なら、中国の習近平国家主席ともロシアのプーチン大統領とも腹を割った会談ができる。

プーチン氏がキッシンジャー氏と最初に会った際、「私はインテリジェンスで働いてきた」とプーチン氏が言うと、キッシンジャー氏は自分が欧州戦線で情報兵として参戦したことを挙げ、「立派な人間はみんなインテリジェンスから始める」と答えて、意気投合したという。このコンビの助力でトランプ政権は外交で事態を打開できるだろうか。

春名幹男

1946年京都市生れ。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒業。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授を経て、現在、早稲田大学客員教授。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『スパイはなんでも知っている』(新潮社)などがある。

関連記事

  •米情報コミュニティと全面対立:トランプ次期大統領、本音は「逆ニクソン」か
  •「フリン米次期大統領補佐官」の「危うい資質」が問題に
  •トランプ米次期政権に「韓国化」の危険:「公私混同」避けられるか
  •トランプ勝利の裏にもう1つの策略:「恐怖戦術」が成功か
  •「トランプ支持派捜査官」のガス抜きか:FBI「クリントン再捜査」の裏面