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続折々の記 ⑤
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06/05 習近平政権の対北朝鮮外交の特徴と安全保障への影響 海洋安全保障情報特報(地政学)
06/06 ユーラシアの地政学的環境と日本の安全保障 海洋安全保障情報特報(地政学)
06 05 (月) 習近平政権の対北朝鮮外交の特徴と安全保障への影響 海洋安全保障情報特報(地政学)
世界のグローバル化が叫ばれているけれど、実情は国益を求める各国の政策が展開されている。 (地政学)という言葉を調べてみると、国家権力を担う政治家の考え方はこうしたことを政策の中で謳うようなことはしていない。 そして、さらにアーノルド・トインビーの予測通りの考えをする政治家や学者がいることが分かってきた。
今日のところ、海洋安全保障情報特報のデータを見ることとした。
海洋安全保障情報特報
2017年
2017.05.15 習近平政権の対北朝鮮外交の特徴と安全保障への影響
2017.03.08 ユーラシアの地政学的環境と日本の安全保障
2016年
2015年
2014年
2013年
習近平政権の対北朝鮮外交の特徴と安全保障への影響
https://www.spf.org/oceans/analysis_ja02/
倉持一,笹川平和財団 海洋政策研究所 海洋安保チーム長 主任研究員
目次 1.0 はじめに 1.0 中朝関係略史 2.1 1950年代初期 2.2 1960年代前半にかけ支援に関する重要文書に調印 2.3 1970年代には北朝鮮への石油輸出が活発化 2.4 1980年代には発電所や工場の建設を支援 2.5 1990年代半ばから食糧支援の動きが顕著に 2.6 2000年代以降に広がる対北朝鮮支援の見直し論 3.0 習近平政権の対北朝鮮外交人事 4.0 まとめ 5.0 おわりに 1.はじめに
2017年4月8日、米太平洋軍のデーブ・ベンハム報道官は、西太平洋の即応態勢とプレゼンスを維持するため、原子力空母カール・ビンソンを中心とする第1空母打撃群を北に向かわせていると明かした。また、ロイター通信は、米高官の話として、弾道ミサイル発射など挑発行為を繰り返す北朝鮮に対し、「存在感(プレゼンス)を高めていく必要がある」と述べたと伝えた。実際、カール・ビンソンは、4月15日にはスンダ海峡を通航しインド洋に出た後に進路を北に変え、沖縄の東のフィリピン海を北上しながら海上自衛隊との共同訓練を実施し、4月29日には対馬海峡を抜け日本海に入った。
【米空母カール・ビンソンの行動[1]】
これに対し北朝鮮は、4月25日、北朝鮮が朝鮮人民軍の創建85年を同日迎えたことにあわせ、過去最大規模とされる軍事訓練を実施した。また、北朝鮮は、カール・ビンソンが対馬海峡を通航した4月29日にも、結果的には失敗に終わったものの弾道ミサイルの発射に踏み切っており、米国の軍事的プレゼンスや圧力に屈しないという姿勢を示している。
米朝両国間の軍事的緊張が高まる中、両国にとって重要なステークホルダーである中国は、5月3日、外交部の定例記者会見において、2016年11月に採択された国連安保理の対北朝鮮制裁決議に「新たに核実験や弾道ミサイル発射を実施するなら、さらに重大な措置を取ると明確に記されている」と指摘し、北朝鮮が挑発行為を繰り返せば中国も制裁の強化を支持する考えを示唆した。また、5月4日には、中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報が、社説において、1961年に中朝両国間で締結され朝鮮半島有事の際に中国が自動的に軍事介入することを規定した「中朝友好協力相互援助条約」の見直しを示唆する提案を行った。
これに対し北朝鮮の朝鮮中央通信は、5月3日、個人名義の論評を通じ、中国の北朝鮮制裁を「朝中関係の柱を折る妄動」、「朝中関係のレッドラインを中国が乱暴に踏みにじり、ためらいなく越えようとしている」などと非難した。北朝鮮が中国を名指しで批判することは極めて異例であり、中朝両国関係に冷たい風が吹いていることがうかがえる。
しかし、中朝両国間の隙間風は今に始まったことではない。習近平政権は、それまでの江沢民・胡錦濤政権とは異なり、北朝鮮に対しては外交的に距離を置いてきている。その主な要因は、2011年に指導者となった金正恩の存在であろう。後に述べるが、習近平は国家副主席就任後の初外遊先として北朝鮮を訪問し金正日総書記と会談した一方で、国家主席就任後の初外遊先にはロシアを選んだ。そして、金正日が総書記就任後の初外遊先として中国を訪問したものの、金正恩は未だ中国を訪れていない。このように、習近平-金正恩ラインは、事実上の軍事同盟を結び「血の同盟」「血の絆」と呼ばれてきた従来の中朝両国関係とは異なる状態にある。この状態が、米朝関係に及ぼす影響も大きいだろう。ひいては、日本を含めた東アジア全体の安全保障に大きな影響を与える可能性がある。
トランプ米大統領は、北朝鮮問題における習近平政権の影響力に大きな期待を寄せている。したがって、今後の東アジア海洋安全保障を分析する上でも、習近平政権の対北朝鮮外交の特徴を把握し、今後の分析に資する必要がある。本稿は、習近平政権の対北朝鮮外交を主に人事面から考察することとしたい。それというのも、習近平政権下では外交部を中心とする国家外交と中国共産党中央聯絡部(中聯部)が受け持つ党外交との一元化の動きなどが人事面で顕著となっており、党外交を基本としてきた中国の対北朝鮮外交にも変化の兆しが見えるからである。
2.中朝関係略史
まずは、中国の対北朝鮮外交の歴史を回顧的に振り返っておきたい。中朝両国間の外交は、1953年7月の朝鮮戦争の休戦合意によって新たなスタートを切った。約3年間にもおよび数十万人もの死傷者を出した朝鮮戦争は、中朝両国に相当程度の経済的疲弊をもたらしたものと考えられるが、広大な国土と人口を誇る中国の方がそのダメージは比較すれば少なく、戦後間もなくから中国は北朝鮮に対する支援を開始している。それは1961年に中朝両国間で結ばれた「中朝友好協力相互援助条約」によって定式化され、それ以後、現在に至るまで、事実上、中国が北朝鮮に一方的に経済的・軍事的な支援を行う形になっている。しかし、2000年代に入ると、中国国内でも対北朝鮮支援に対して懐疑的な意見も出始めており、今後も中国が北朝鮮を支援し続けるかは、以前に比べ不透明感が出てきている。
それでは、こうした流れを適宜年代ごとに区切って振り返ってみよう。
2.1 1950年代初期
中国による対北朝鮮支援の開始時期については、具体的に何年からと定義できるほど統一された記述は確認できない。しかし、いくつかの文献には「中国は、朝鮮戦争の停戦後、朝鮮の戦後経済の復興・建設を積極的に助けた[2]」、「中国の対外援助は、中華人民共和国成立直後、朝鮮戦争における北朝鮮への軍事援助・復興援助に始まる[3]」などの記述が見られるほか、中国社会科学院教授の金煕徳は、明確な根拠は不明であるが、「中国の経済援助は1956年に始まる[4]」と指摘しており、いずれにせよ、中国は少なくとも1950年代初期には、北朝鮮への経済支援をスタートさせていたと考えられる。これは、1953年の朝鮮戦争休戦からわずか数年後のことであり、つまりは、北朝鮮は建国以来の50年以上にわたって中国から何らかの支援を受け続けることで経済そして国家の維持を図ってきたことを意味している。
中国側の狙いとしては、中国国体の維持、帝国主義国家との対峙、経済回復などがあったと考えられ、そこに国家イデオロギーの安全保障や地理的条件などが加味されたため、軍事分野を含めた支援相手国には北朝鮮とベトナムが選ばれたのであろう。
その後、1955年にバンドン会議が開催され、周恩来首相が出席すると、非同盟運動と植民地支配からの独立気運が盛り上がる中、中国は、その支援先を近隣の社会主義国家のみならずアフリカ地域などにも広げることを目指していくことになった。
2.2 1960年代前半にかけ支援に関する重要文書に調印
中国は、朝鮮戦争停戦直後の1953年11月に金日成首相が政府代表団を率いて中国を訪問した際に、「経済文化協力協定」に調印した。同協定は、中朝間における初めての公式文書であり、「中朝双方の経済・文化分野における長期的協力の基礎となるもの[5]」と位置づけられている。その後、両国間においては、1956年8月の「放送協力協定」、1957年12月の「科学技術協力協定」、1960年5月の「国境河川運航協力に関する協定」、1964年5月の「国境河川の共同利用及び管理に関する相互援助協力協定」、1965年11月の「衛生協力協定」、そして1966年6月の「獣医防疫検疫相互援助協力協定」など、数多くの文書が取り交わされた。
その中でも注目されるのが1961年7月に調印された「中朝友好協力相互援助条約」である。なぜなら、同条約の第2条では、軍事的相互援助協力という国防に関する極めて重要な事項が定められているほか、第7条においては、「相互に一切の可能な経済・技術援助を与え、両国の経済、文化、科学技術協力を強化、発展させる」と規定されており、同条約によって実質的には、「中国から北朝鮮に向けたほぼ一方通行」となる経済支援の一層の強化が図られたからである。
なお、中国は、同条約について「中朝友好協力関係を全面的に発展させるために重要な役割を果たしている[6]」と評価する態度をみせており、同条約の存在が永続的な中国による北朝鮮への関与を担保しているといってもよい。換言すれば、同条約の締結によって中国は、朝鮮戦争への参戦という実力的介入により開始された朝鮮半島情勢への積極的関与の姿勢を改めて制度化し、それを国内外に高らかに宣言したということである。
その後、中国は、周恩来首相が1964年にアフリカ諸国を歴訪した際に、「①援助は平等互恵の原則に基づいて実施。②相手国の主権を尊重し、いかなる特権も要求せず。③借款は無利子又は低利で供与。④目的は、相手国の中国依存ではなく、自立更生による独立した経済発展を助けること。⑤プロジェクトは、少額投資かつ即効性のあるものに限定。⑥中国で生産できる最上の品質の設備・資材を提供し、価格は国際価格に基づく。⑦技術援助は、相手国関係者に当該技術を完全に習得させる。⑧中国が派遣する専門家は、相手国専門家と同等の待遇を受ける。」という、中国の「対外経済技術援助に関する8項目原則」を発表し、北朝鮮を含めた他国支援に際しての理念などを明らかにした。
しかしその一方で、1960年代後半になると中国国内に文化大革命の嵐が吹き荒れ、その流れの一つとして姿をあらわした、極めて原理主義的な毛沢東思想を信奉する若者たちによって結成された「近衛兵」が、長年の盟友であったはずの北朝鮮の金日成主席を修正主義者として批判し始めたこともあって、中朝関係は一時的に冷却化した。これにより、中国による対北朝鮮経済支援も停滞したとみられ、同時期における中国の北朝鮮に対する支援などの実施状況を示すような記録は確認できない。ただ、1969年になると、「69年7月に北朝鮮メディアが『中朝友好協力相互援助条約』調印8周年を記念する論文を掲載した[7]」といった動向が報じられるようになり、文化大革命の混乱が沈静化し始めたことに伴って、中朝関係が再び良好な状態へと向かう薄日が感じられるようになった。
2.3 1970年代には北朝鮮への石油輸出が活発化
1971年の第26回国連総会で中国の地位が回復され、中国の国際的立場が向上した。この影響もあってか、中国による対外援助額は、以後数年間、増加していくことになった。そういった状況の中、1970年代初めには、中国と北朝鮮は「1971年から1976年における重要貨物の相互供給協議」を開催し、そこで、中国から毎年50万トンの石油を北朝鮮に提供することで合意したとされる。また、1976年1月には、中朝間に石油パイプラインが開通したこともあり、同年から1979年にかけて、中国は毎年100~150万トンの石油を特恵価格で提供し続け、この量は当時の北朝鮮国内の全石油需要量の30%を占めていたといわれている。
このほかにも中国は、1970年代には、1950年代から1960年代における北朝鮮に対する借款の未償還分を免除したともいわれ、これは、当時の東西冷戦という世界情勢への配慮や巨大な国境隣接国家・ソ連との関係悪化を背景とする中国の北朝鮮重視姿勢をうかがわせる動きである。
そして、1978年には、経済体制の改革実施や対外開放政策計画が決定されたことにより、その後の中国は、今まで以上に、自国経済発展と改革開放に貢献する対外支援策を模索していくようになっていく。
なお、中国は近年でも年間50万トン前後の石油を北朝鮮に輸出しているとされ、実際に「北朝鮮は石油の90%を中国に依存している[8]」といった指摘もみられるなど、石油という北朝鮮にとって(石油の問題は北朝鮮だけにとどまらず、日本を含めた諸国でも外交的に敏感なテーマではあるが)、極めて重要なエネルギー資源の中国への依存度が、約40年間で3倍にまで膨らんでいることが推測される。この現状が、自前のエネルギー資源確保を狙った、北朝鮮の核兵器を含めた核関連開発計画の継続という棄てきれぬ野望の一要因となっていることも、我々は認識しておくべきである。
2.4 1980年代には発電所や工場の建設を支援
1980年代には、北朝鮮国内各地において、太平湾水力発電所・新義州精油工場・平壌歯車工場・海洲製紙工場・新義州繊維工場・咸興万年筆工場の建設支援など、北朝鮮経済の工業化や近代化に必須となる発電所や各種工場といった産業関連施設建設への支援の動きが多数伝えられるようになってきた。これは、建国からしばらくは北朝鮮が優位に立っていたはずの韓国との経済的立場が逆転し、さらにはその経済格差が拡大していったことなどを背景に、単に物資を提供するだけという従来型の経済支援に加え、北朝鮮経済の基盤強化を目的とする支援に重点を移していこうと苦心したことを示しており、北朝鮮の計画経済下における労働力の合理的配分や効率化のために、中国が配慮・検討している様子がうかがえる。
また、1980年代における経済支援内容の主軸移行は、1985年3月にソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフによるペレストロイカ(ソ連型社会主義の範囲での自由化・民主化)の推進の影響によって、ソ連から北朝鮮に対する支援の行方が不透明になってきたことも一因であると考えられる。
2.5 1990年代半ばから食糧支援の動きが顕著に
中国は、冷戦崩壊後の1992年8月に韓国と国交を樹立したが、これは韓国を同民族の隣国にして最大のライバルとみなす北朝鮮に対し非常に大きな衝撃を与えることとなった。一方、1990年代半ばになると、北朝鮮で食糧難が伝えられるようになり、中国はこれに対応するため、1996年には12万トン、1997年には20.7万トン、1998年には10万トン、1999年には15万トンという食料支援を実施し続けた。
なお、北朝鮮の食糧難の問題の顕在化には大きな要素が二つあることを指摘しておきたい。一つは、「不作」や「異常気象」などといった環境的な不測の事態の発生への対応準備不足である。北朝鮮特有の政治システムと経済システムは、国内の教育制度の脆弱性もあって、自国の技術開発が見込まれないにも関わらず、中国をはじめとする極めて限られた友好国からのみしか技術者の受け入れをしてこなかった。脱農業化も脱工業化も行われていない旧態依然とした前近代的経済である北朝鮮にとって、気象状況の急激な変化は、事前に準備するだけの経済的及び技術的余力がないため、我々の想像以上に深刻な問題である。
もう一つは、1990年代の終わりになって、中国や北朝鮮といった一種の「言論統制国」においても、諸外国との人的往来や情報化の流動性が高まったという事情がある。物や人間の流通は、それらに付随して移動する様々な情報(口コミや製品効果)の流通をも意味する。このような事情は、中国や北朝鮮でも例外ではなく、1950年代と1990年代を比較してみれば、例え同じ食糧不足状況などが北朝鮮国内で起こったとしても、国外に伝わる情報の内容や精度、そして報道量は、近年の方が飛躍的に増大しているのは間違いない。つまり、ようやく1990年代になって、北朝鮮国内の食糧難というある意味では建国時から続く慢性的な経済疲弊に関する情報が、国外に流通し、そして顕在化したといえる。
2.6 2000年代以降に広がる対北朝鮮支援の見直し論
今まで述べてきたように、中国は、半世紀以上にもわたって、北朝鮮への経済支援を継続してきた。しかしながら、このような国家判断・行為に対して、2000年代に入ると、中国国内からも批判の声が聞かれるようになった。例えば、天津社会科学院対外経済研究所研究員である王忠文が、「北朝鮮は我が国の経済援助に対し、いささかも感謝する思いがなく、カギとなる時には、我々に十分な理解・全面的支持を寄せない。こうした性質の国に対し、我が国が全面的に支援する道義的責任はない[9]」と批判的見解を示した。また、中国社会科学院世界政治経済研究所研究員である沈驥如は、「中国政府は北朝鮮政府に対し、『中朝友好協力相互援助条約』を改正することを正式に提起すべきである。特に、その中の軍事同盟に関する内容を削除すべきである[10]」と指摘している。
このように、中国国内では2000年代より経済支援のみなら両国友好関係の象徴でもある条約の是非についても改めて問うべきだとの意見が出始めている。こうした懐疑的な意見が、最近の北朝鮮による中国の忠告・警告を無視した核実験や弾道ミサイルの発射の実施によって中国国内で勢いを増してきている兆しがあり、習近平政権の対北朝鮮外交にも徐々に影響を及ぼしていく可能性がある。
3.習近平政権の対北朝鮮外交人事
2012年11月に中国共産党総書記に、翌2013年3月に国家主席に選出された習近平が、これまで腐敗撲滅や軍改革などに力を入れていることは周知の通りである。関連する論考なども多く発表されている。その一方で、習近平政権の北朝鮮外交、特に党間外交から国家間外交へという大きな変化の潮流について指摘する声はまだ少ない。ここでは、習近平の対北朝鮮外交の変化を人事面から考察してみたい。まずは、背景事情を確認する意味でも、習近平と北朝鮮との関係を振り返ってみよう。
習近平は、国家副主席に就任後の初の外遊先として2008年6月に北朝鮮を訪問したが、それ以降、最高指導者となってからも北朝鮮を訪れていない。この2008年の訪問は、2006年10月に北朝鮮が初めて実施した核実験を受け、二度目の核実験が懸念される中で、「朝鮮半島の非核化」を含む共通の関心事項について協議することを目的[11]として行われたものであり、金正日総書記との会談などが設定された重要なものであった。北朝鮮は習近平の訪朝以降、約1年間は核実験も弾道ミサイルの発射実験も行っていない。この訪問の成果とは言い切れないが、金正日総書記が一定の配慮を見せた可能性は否定できない。その後、2010年5月に金正日総書記が訪中した際にも、習近平は金正日総書記と会談しており、習近平-金正日の中朝間外交ラインは一定程度の水準にあったと考えられる。
一方、北朝鮮では、2011年11月、当時の金正日総書記が死去したことにより金正恩体制がスタートした。1997年に総書記に推戴された金正日は、就任後初の外遊先に中国を選び、2000年5月に北京で当時の最高指導者である江沢民と会談したが、金正恩は2017年5月1日時点でまだ訪中していない。また、習近平も2012年の総書記就任以降、北朝鮮を訪問していない。国家副主席就任後初の外遊先に北朝鮮を選んだ習近平が、総書記就任後初の外遊先に選んだのはロシアである。つまり、金正恩体制がスタートした2011年11月以降、中朝間で首脳の相手国訪問や首脳会談は実施されていない。習近平がいかに金正恩体制下の北朝鮮に対し、これまでと異なる姿勢で対応しているかが見て取れる。しかし、習近平の対北朝鮮外交の変化は首脳交流の断絶だけではない。
中国はこれまで、いわゆる多元外交戦略を採用してきている。すなわち、外交部を中心とする国家間外交、中国共産党中央聯絡部を中心とする党間外交、駐在武官や中国国際友好聯絡会を含む人民解放軍による軍外交、そして各種学術団体や友好団体を活用した民間外交である。これら複数のチャネルを使い分け、相手国に複数のカウンターパートを用意することで、中国は外交力を発揮してきた。
中国共産党と朝鮮労働党との友党関係を契機としたという歴史的背景から、これまで中国において北朝鮮外交の主軸となっていたのが党間外交、すなわち中聯部である。2012年8月に、金正恩が初の外国要人との会談を中聯部部長の王家瑞と行ったことは、伝統的な中朝外交の象徴とも言えるだろう。
2011年の金正恩体制のスタート、そして2013年の習近平体制のスタートによって新局面に入った中朝関係を実務面から支えたのが、2010年3月から2015年2月までの約5年間という長期間、駐北朝鮮大使として活動した劉洪才である。彼は、北京第二外国語学院で日本語を学んだ後に中聯部に入り、以後、中聯部の日本担当部署の責任者や日本大使館勤務を経験するなど、中聯部を代表する日本通である。なお、北朝鮮の核開発問題などを主に協議する六者協議の中国側代表を2010年2月から務める朝鮮半島問題特別代表の武大偉も、日本語が堪能であり、外交部内で一貫して日本担当部署で勤務した後に駐日大使を務めた日本通である。
劉洪才は、駐北朝鮮大使に就任後、金正恩との間に極めて良好な関係を築いた。劉洪才が一国の大使という立場を超えた待遇を金正恩から受けていたことは、公表されている資料からもうかがい知ることができる。劉洪才の厚遇の要因については、本人の資質以外にも、彼が中朝両国の国交樹立後初めて、外交部ではなく伝統的に北朝鮮との交流を掌ってきた中聯部出身(前任は中聯部常務副部長)として駐北朝鮮大使に就任したこと、また、中聯部随一と言われるほど知日家である彼を通じて日本の情報を収集し拉致問題を含め膠着状態にある対日外交の打開の糸口を探ること、などが考えられる。
【金正恩夫妻と歓談する劉洪才夫妻[12]】
それまで対日外交を専門的に担当してきた劉洪才や武大偉の対北朝鮮外交への投入、そして、中聯部と外交部との間での幹部交流人事をスタートさせたのが、胡錦濤政権下で外交担当の国務委員(副首相級)を務めた戴秉国である。
戴秉国は、大学でロシア語を学んだ後に外交部に入り、以後、ソ連大使館勤務や駐ハンガリー大使を経験し、外交部副部長に就任した。その後、彼は1995年に中聯部副部長に異動すると1999年7月から2003年4月まで中聯部部長を務めた。部長職を後任の王家瑞に譲ると外交部へ副部長として戻り、最終的には2008年3月の全人代で外交担当の国務委員に選出され、2013年3月の引退までの間、中国外交の実務上の責任者として活躍した。
戴秉国は、外交部時代と中聯部時代を合わせ、確認できるだけでも2003年7月、2009年9月、2010年12月と3回訪朝し、それぞれ金正日総書記と会談している。その他、金正日総書記の訪中時にも、戴秉国は金正日総書記を含む北朝鮮側と接触しており、同時期の中朝関係のキーマンであった。中国の対北朝鮮外交において重要な役割を果たした戴秉国は、外交部出身でありながら中聯部の部長を務めるなど、幅広いキャリアを有している。その戴秉国が、2008年の国務委員就任後に進めたのが、外交部と中聯部との幹部人事交流である。まず、2009年にそれまで中聯部で長らく米国を担当してきた張志軍・中聯部副部長を外交部副部長に転任させ、その後、外交部常務副部長に昇格させた。その一方で、外交部で長年米国を担当してきた劉結一を2009年5月に中聯部へ副部長として転出させた。現在も外交部と中聯部との幹部交流人事は行われているが、張志軍と劉結一のケースのような相互交換形式ではなく、外交部や他省庁の幹部が中聯部の要職に就くというやや一方的な形になっている。
2017年5月1日現在の中聯部の幹部人事を確認すると、宋涛・部長(元外交部副部長、元駐フィリピン大使)、鄭暁松・常務副部長(元財政部国際局長、元福建省副省長)、王亜軍・部長助理(元外交部政策計画局長、元駐EU公使)と、中聯部では8名の幹部の内3名が他省庁からの異動者である。特に、宋涛と鄭暁松という中聯部のナンバー1とナンバー2の二人が他省庁からの異動者であることは、習近平政権の外交政策における中聯部の位置づけの変化を示すだけでなく、対北朝鮮外交の優先度の変化をも示しているのではないだろうか。人事面から判断すれば、習近平政権は、胡錦濤政権から外交部と中聯部との幹部交流人事の基本的枠組みを引き継いだものの、対北朝鮮外交に果たしてきた中聯部の役割をあまり重要視していないように見受けられる。理由の如何にせよ、上述したような習近平政権下での中聯部に関する変化は、北朝鮮もプラスには捉えていないのではないか。
また、駐北朝鮮大使人事でも習近平政権の対北朝鮮政策の一端がうかがい知ることができる。上述したように、中聯部出身の劉洪才は、駐北朝鮮大使に就任後、北朝鮮の若き指導者となった年下の金正恩とも良好な関係を築き、積極的に中朝両国関係の進展を図った。しかし習近平は、2015年3月に、駐北朝鮮大使をそれまで中聯部常務副部長であった李進軍へと交替させている。北朝鮮と外交上のパイプの太い中聯部、しかも同部ナンバー2の常務副部長から引き続き大使を任命したことは、習近平政権の対北朝鮮外交の一貫性を示していると言える。しかし、日本担当が長いだけでなく北朝鮮を含む東アジアを所管する中聯部アジア局の副局長と局長を経験した劉洪才と異なり、現大使の李進軍は元々ドイツ語専攻で中聯部では主にヨーロッパを担当してきた人物であり、経験した局長ポストも西欧局長である。劉洪才に比べれば、李進軍は北朝鮮情勢やアジア情勢に馴染みが薄いと判断せざるを得ない。公式報道などを確認する限り、金正恩と良好な関係を構築し親しげな場面も多く見られた劉洪才と異なり、李進軍は北朝鮮に赴任後、金正恩と直接的に会えていない可能性が高い。駐北朝鮮中国大使館のウェブサイトに、李進軍と金正恩が同一の場面に収まった画像が掲載されていないことも、大きな変化だと言える。以上のような事情から判断すると、結果として見れば、今回の駐北朝鮮大使の交替が適材適所ではなく、「中聯部常務副部長というポストからの起用」という前例踏襲型の人事であることが強く推察され、それが中朝両国関係にマイナスの影響を及ぼしている可能性が高い。中聯部幹部人事だけでなく駐北朝鮮大使人事からも、習近平政権の対北朝鮮外交に関する意気込みや関係構築に向けた下地作りは見受けられない。
4.まとめ
ここまで見てきたように、朝鮮戦争の休戦後、中国は半世紀以上にわたり北朝鮮に対して主に経済的な支援を熱心に行ってきた。それを制度的に裏付けているのが、1961年に締結された中朝友好協力相互援助条約であり、同条約は北朝鮮にとって外交上の大きな後ろ盾になっている。しかし、2000年代に入り、中国国内では中国の意向に沿わない北朝鮮の振る舞いに業を煮やし、一方的な支援について見直すべきだとの意見が出始めた。それは、中朝友好協力相互援助条約の見直し論にも結びついてきており、中国の対北朝鮮外交に対しては相当程度のフラストレーションが溜まっているものと考えられる。
また、習近平は国家副主席に就任した際には初外遊に北朝鮮を選び金正日総書記と会談したのにも関わらず、金正恩体制のスタート後に自らが国家主席に就任した際には北朝鮮を訪問せず、かつ、現在に至るまで中朝両国間で首脳会談は実施されていない。習近平-金正恩ラインは、これまでの中朝両国関係に無いほどの距離感があると言える。
さらに、習近平は、外交の集約化を意図したであろう胡錦濤・戴秉国がスタートさせた外交部と中聯部との幹部交流人事の枠組みを引き継ぎ、中聯部の主要幹部を他省庁から登用した。これにより、長年、中朝両国間の外交を主に担ってきた中聯部の中国国内での政治的・行政的地位の低下が生じた可能性がある。加えて、駐北朝鮮大使の交代により、北朝鮮国内に常駐して現地での外交関係構築の任に当たる大使館外交でも、相当程度の劣化が見受けられる。これを回復させるためには、まだ相当程度の期間が必要だろう。
以上の点を総合的に勘案すると、習近平政権の対北朝鮮外交は、それ以前の政権に比べて冷ややかなもので、「血の同盟」「血の絆」と呼ばれる状態とは程遠い。今後、北朝鮮が中国の意向を無視して核実験や弾道ミサイルの発射を繰り返すようなことになれば、世論の後押しを武器に、習近平政権が本気で中朝友好協力相互援助条約の見直しや破棄を提案してくることは否定できない。そうなれば、中国という最大の後ろ盾を失う金正恩が頼るのは、自国の軍事力、特に、核による抑止力ということになり、これは更なる悪循環をもたらすことにつながる。こうした構図は、日本の領土・EEZを含めた東アジア海域全体の安全保障上の不安定化と同海域の安全な通航などに対する現実的な危険性を示すものであり、海洋安全保障の側面からも看過できない問題である。
トランプ米大統領は、2017年4月13日に自身のツイッターで「私は中国が北朝鮮問題に適切に対処してくれるという強い確信を持っている(I have great confidence that China will properly deal with North Korea.)」と述べている。しかし、習近平政権の対北朝鮮外交の特徴から判断すれば、中朝両国間にはこれまでにないほどの距離感と隙間風が存在しており、北朝鮮問題に対する中国の介入(圧力)に過剰な期待を持つことは危険であろう。米国も我々日本も、中朝両国の外交的関係が、これまで経験したことのない状態にあり、かつ、早急に改善される見込みが薄いことを理解しておくべきである。
5.おわりに
中朝両国関係は、共に朝鮮戦争を戦ったというイメージもあって、永遠に切っても切れぬ関係にあると錯覚しがちである。また、中国研究においても、党外交という中国の外交政策の一翼を担う中聯部の動向を人事面から捉える機会は少ない。本稿はこうした見過ごされがちな側面に光を当て、習近平政権の対北朝鮮外交の特徴を明確化させることを意図したものである。
米空母カール・ビンソンの動向もあり、2017年の春は北朝鮮問題に世界中の衆目が集まる季節となった。米国・中国・北朝鮮は、いずれも日本と地理的にも安全保障的にも密接な関係を有する国である。我々は、現在の緊張感と関心の高さを今後も維持していくことが必要であるし、本稿がその一助となれば幸いである。
[1] 「米空母 姿潜め航行 北朝鮮に心的圧力 航跡再現」毎日新聞ウェブサイト2017年5月7日
[2] 『中国外交辞典』2000年1月、世界知識出版社
[3] 田町典子「中国の対外援助の歴史的考察(上)」『世界週報』2005年3月8日付、28頁。
[4] 金煕徳「戦後中国の対外援助政策」『東亜』2003年12月付、61-69頁。
[5] 『中国外交辞典』2000年1月、世界知識出版社
[6] 『中国外交辞典』2000年1月、世界知識出版社
[7] アジア調査会編『中国総覧』1971年版、毎日新聞社
[8] 『東亜日報』2010年2月24日付
[9] 『戦略と管理』2004年4月号
[10] 『世界経済と政治』2003年9月号
[11] 『中国外交部報道官記者会見』2008年6月5日
[12] 「刘大使夫妇出席平壤绫罗游乐园竣工仪式」『駐北朝鮮中国大使館ウェブサイト』2012年7月26日付
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海洋安全保障情報季報 第16号
06 06 (火) ユーラシアの地政学的環境と日本の安全保障 海洋安全保障情報特報(地政学)
世界のグローバル化が叫ばれているけれど、実情は国益を求める各国の政策が展開されている。 (地政学)という言葉を調べてみると、国家権力を担う政治家の考え方はこうしたことを政策の中で謳うようなことはしていない。 そして、さらにアーノルド・トインビーの予測通りの考えをする政治家や学者がいることが分かってきた。
今日のところ、海洋安全保障情報特報のデータを見ることとした。
ユーラシアの地政学的環境と日本の安全保障
~オフショア・バランサーとしての日本の対中戦略の在り方~
https://www.spf.org/oceans/analysis_ja02/b170307.html
関根 大助,日本安全保障戦略研究所研究員
目次
はじめに―復活する地政学
Ⅰ 地政学の概要
1 地政学の考え方
2 古典地政学
3 海洋国家と大陸国家
Ⅱ 地政学と日本の安全保障
1 大陸国家中国の動向
2 海洋国家と日本列島
3 西半球に位置する米国の感覚
4 日本版オフショア・バランシング
おわりに ―抑止力と独立自存
主要参考文献リスト(紙幅の関係から、本稿で引用したもののみに限定した)
はじめに―復活する地政学
中国の海洋進出、ロシアの外交・安全保障政策に見られる強気な姿勢、英国のEU脱退(Brexit)、あからさまな国益第一主義を強く主張するドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領の誕生といった近年の出来事が国際社会で話題をさらっている。これらは、国家主義、リアリズム、そして地政学的な感覚を人々に想起させるきっかけとなっているようだ。特に昨今、国内外の専門家の主張や分析において、「地政学」または「地政学的」という言葉が頻繁に使用されており、日本では「地政学」とタイトルにつく書籍が立て続けに出版されている。
領土拡大やリアリズム的な国家安全保障戦略の根拠に利用され、国家間の争いを招いたことから、戦後、地政学は、世界各国、特に平和主義が非常に強くなった日本において、タブーのように扱われるようになった。しかし、国家安全保障や国際関係などを考える場合、地理という不変の要素を無視するとどうしても問題が出てきてしまう。元米国務長官ヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)や、元米大統領補佐官ズビグネフ・ブレジンスキー(Zbigniew Brzeziński)によってたびたび「地政学」という言葉が使用されるようになり、徐々にこの言葉への人々の抵抗感が薄れていった。
地政学が過去の大国の政策に強く影響していたのは事実であり、現代においても直接的・間接的に地政学を国家安全保障戦略に取り入れている国々が存在する。「かつて戦争を行う根拠となった」として、このような地政学から目を背けていては、逆に平和への道が遠のくであろう。
本稿の目的は、米トランプ政権の発足に際し、あらためて古典的な地政学的戦略思考に基づき、日本の国家安全保障戦略の基本姿勢を論じることである。筆者は『海洋安全保障季報』13号および15号の拙稿でも地政学やシーパワー(seapower:広義では国家が海洋を利用する力)論を取り入れて論じてきたが、本稿では、まず、最近の一般書籍ではあまり取り上げられない古典地政学(classical geopolitics)に焦点を当てて、基本的な地政学の概要をあらためて確認する。そしてそれを軸に、大陸国家としての中国と海洋国家としての米国との関係を中心に、日本の安全保障環境と日本版のオフショア・バランシング(offshore balancing)について論じる。(本稿は筆者の個人的見解である。なお、本稿中の引用文献のタイトルは邦訳版のものだが、出版年は原著のものである)。
Ⅰ 地政学の概要
1 地政学の考え方
地政学の一般的なイメージは曖昧である。後述する米国の国際政治学者ニコラス・スパイクマン(Nicholas Spykman)は、地政学を、①領土拡大を主張するドクトリンとしてのドイツ系地政学、②政治地理学と同類の地政学、③ある国の国家安全保障政策の計画を地理的要素から考えるための地政学、と三つの学派に分けている。
また、戦争と平和に関する戦略研究(strategic studies)の分野において、基本的に地政学は、国際政治におけるパワーゲームと地理の関係を扱い、戦略レベルでは大戦略(grand strategy)に関するものである。本稿で論じる地政学はこれに該当する。
『海洋安全保障季報』13号拙稿でも述べたように、このような地政学に関して、地理環境が国家の政策目標や戦略を決定するというイメージを多くの人々がもっている。つまり人間の活動が自然環境によって決定されるという考え方だ。しかし、戦略研究の権威で地政学の研究者として知られ、またジェームズ・マティス(James Mattis)米国防長官が現代の戦略研究者の中で最も高く評価しているという、英国のコリン・グレイ(Colin Gray)は、地理環境は国家の政策目標や戦略を決定するものではなく、戦略のために利用可能なものを与えるものであるとし、それを利用できるか否かは、政府や政策立案者の決断に依るとしている。すなわち、地政学においては、「地理は可能性を国家に与えるもの」として考えるべきである。したがって、類似の地理環境を持つアクターが、常に似たような行動を取るとは限らない。当然ながらその時々の、安全保障環境と国内の要因が政治目標や実行される政策に作用するからである。
このような要素が影響する地政学に対して、「似非科学」「国家の政治的な意図が込められている」といった批判が多いのは、ある意味で自然なことだといえる。
地理環境がすべてを決めるわけではないが、それが人間の行動に大きな影響を与えること、そして文化を形成する大きな要因になることも事実である。地理と人間の活動との関係は、慎重に見極めなくてはならない。
2 古典地政学
何を古典地政学として解釈するかは、専門家によって異なるが、ドイツの地理学者で政治地理学の祖と呼ばれるフリードリッヒ・ラッツェル(Friedrich Ratzel)や米海軍大佐(退役少将)アルフレッド・マハン(Alfred Mahan)から始まり、戦前・戦中に活躍した地理学者や地政学者の主張までを指すことが多い。古典地政学を形作った彼らの考え方は、現代の専門家や国家安全保障に今でも影響を与えている。
地政学および古典地政学を理解するためには、ドイツ人による過去の研究を知る必要がある。『地政学事典』によると、1896年の論文で、ラッツェルは、「国家が戦争を通して拡大していくことは、自然の発展傾向である」「国家の領域はその文化とともに広がり、膨張政策の最大の成功は、地理学の利用にかかっている」といった主張を行った。そして、1897年の著書で、彼は、国家はレーベンスラウム(lebensraum:生活圏、生存空間)を求めて闘争を行うと主張した。後述するドイツ人のカール・ハウスホーファー(Karl Haushofer)は、レーベンスラウムを「国民に十分な空間と資源を与えるという国家の権利と義務」と定義している。そしてラッツェルは、国家を有機的なものと見なす考え方を示していた。彼のこうした主張はドイツ系・大陸系地政学の基盤を形作り、後の専門家の考え方に影響を与えた。
そしてラッツェルに強い影響を受けたのが、スウェーデンの政治学者ルドルフ・チェーレン(Rudolf Kjellen)である。「地政学」という言葉はドイツ語の"geopolitik"の訳語にあたるが、1899年にスウェーデンの地理学誌において、この言葉を世界で初めて使ったのがチェーレンである。そのチェーレンはラッツェルの国家有機体論を発展させたが、彼の認識では、国家の「自然的境界」は「海の境界」が理想であるとして、大陸国家が海洋進出を目指すことは自然なことと考えた。また彼は、国家が経済的に自給自足できる状態である「アウタルキー」(autarkie)を提唱した。
そして、現代地政学の祖といわれるのが、英国の地理学者ハルフォード・マッキンダー(Halford Mackinder)である。マッキンダーは、世界全体を見渡す「神の視座」から「ハートランド」(heartland)理論を提唱した。ハートランドは、東欧の背後に広がるユーラシア大陸中央の広大な地域であり、ここは、当時海からの攻撃が届かない地域であると考えられた。ハートランド理論では、マッキンダーの1919年の著作『マッキンダーの地政学:デモクラシーの理想と現実』で登場する「東欧を支配するものはハートランドを制し、ハートランドを支配するものは世界島を制し、世界島を支配するものは世界を制す」という言葉が表すように、ハートランドが世界の中軸であると考える。彼のいう「世界島」とは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸を一緒にしたものだ。マッキンダーの考えでは、ユーラシアにあるこの広大で資源豊かなハートランドからパワーが湧き出して、この地域の支配者が膨張傾向をもつことになる。
マッキンダーはマハンの影響を受けている。マハンは、1890年に出版した著作『マハン海上権力史論』で、シーパワーという概念を提唱し、大国は「海洋国家」と「大陸国家」に分類されるとした。マッキンダーの主張する「海洋国家と大陸国家の対立関係」という地政学の考え方は、ここから発展していくことになる。
マハンとマッキンダーの視点から強い影響を受け、彼らの主張とともに英米系地政学を築いた前述のスパイクマンの地政学の核心は、彼の死後、1944年に出版された著書『平和の地政学』で主張された、「リムランドを支配するものがユーラシアを制し、ユーラシアを支配するものが世界の運命を制する」というリムランド(rimland)理論である。スパイクマンは、海洋国家と大陸国家が衝突する沿岸地域であるユーラシアのリムランドを支配するものが、世界の行方を決めると主張した。スパイクマンの考える戦略の要点は、ヨーロッパおよびアジアにおける大陸と海洋のつなぎ目に位置し、富とパワーが集中するリムランドやその周辺海域のコントロールをめぐる争いである。彼はこれらの地域を敵対的な覇権国家が支配すると、結果として米国がその勢力に包囲されるという危機感をもっており、その戦略思想は、戦後の米国の国家安全保障戦略の基本姿勢を形作ったといえる。
前述のように地政学は、第二次世界大戦後タブーとして扱われるようになったが、その原因はナチスドイツの政策の理由づけとして利用されたことが大きい。そのナチスと地政学の橋渡しとなったのが元ドイツ陸軍少将で、退役後に地理学者、そして地政学者となったカール・ハウスホーファーである。ハウスホーファーはドイツ系および英米系地政学の先人たちの主張に加え、世界を縦割りに三つもしくは四つの地域に分ける「パン・リージョン」(pan-region:統合地域)と「独ソ大陸国家同士の同盟」を主張した。また彼は、国境は生きている有機体であり、静的なものではなく動的な「国境地域」という変化し続ける概念を提唱している。
これらの古典地政学を理解し、それを踏まえて国際関係を考えるために不可欠なのが、海洋国家と大陸国家という分類とその関係である。
3 海洋国家と大陸国家
一般的にはほとんどの国が、海洋国家と大陸国家両方の性質をある程度持ち合わせており、完全な色分けは難しいが、地理的な環境や国内外の情勢によって、各国が国家戦略の重心を海洋と陸地に振り分ける割合に違いが生じる。
歴史を振り返ると、強大な大陸国家が、大陸における他の勢力によってもたらされる安全保障上の脅威をある程度取り除くことに成功した場合、シーパワーを獲得するために海洋への進出を目指すことが多い。特に15世紀以降、航海技術の著しい進歩によって、艦船の機動力を生かした海洋国家が以前よりも急速に国力を強化してきた。その結果として、強大な大陸国家も海軍力の増強を積極的に目指すようになり、それまでに海洋国家が形成した海洋秩序に挑戦するようになった。これが海洋国家にとっての大きな脅威となるため、従来のシーパワーのネットワークに依存している国々は、様々な外交・安全保障戦略を駆使して大陸国家の野望を挫こうとするようになるのである。
海洋進出を狙う大陸国家は、もともと保有している強大な陸軍力に加えて強大な海軍力を追求しようとするが、一国家が第一級といえる強大な海軍力と陸軍力、またはシーパワーとランドパワーを同時に保有することは、歴史において稀であった。
大陸国家にとって強大な海軍とシーパワーを手に入れることが困難である主な理由として、長い年月と莫大な費用を要することが挙げられる。洗練された海軍を持つには高度な技術と練度の高い人員が必要である。長年に亘り隣接する国々と対峙してきた大陸の国々にとって、強大な海洋国家に対抗できる海軍を手に入れることは容易ではない。そして艦船だけでなく、そのための多くの拠点が存在しなければ、シーパワー・ネットワークは構築できず、富と力をもたらすツールとしては十分に機能しない。シーパワーは「ハイコスト・ハイリターン」であると見なされている。さらに、ライバルである大国がこのような試みを阻止しようとするため、一層の困難が伴う。
前出のグレイによると、1680年代のフランス、1900年初頭のドイツが、第一級の海軍を建設し、わずかな期間だが強大な陸軍と海軍を同時に保有することに成功している。しかしながら、大陸の強国が海洋に進出することに対して神経を尖らせる英国が、シーパワーの特性を生かした柔軟な外交や経済戦を仕掛けることで、結果的に当時のフランスとドイツの野望を頓挫させた。
他方、海洋国家にとっても強大なランドパワーの獲得と維持は容易ではない。かつてのイングランド王国はヨーロッパ大陸に、大日本帝国は中国大陸に進出したが、それぞれの大陸における自分たちの支配領域を維持することは困難を極めた。結局イングランドも、大日本帝国も、シーパワーとランドパワーという二つの国力の基盤を効果的に維持し、機能させることはできなかった。
しかし、一時期の古代ローマ共和国とローマ帝国、10世紀と11世紀初頭のビザンツ帝国を、グレイは、第一級のシーパワーとランドパワーを同時に保有することができた例外的な大国として挙げている。そして、現代の米国は、ランドパワーとシーパワーだけでなく、エアパワー、スペースパワー、ニュークリアパワー、そしてサイバーパワーも最高クラスのものを保持している。このような超大国が登場する可能性がゼロではないことは認識されるべきである。
しかしほとんどの場合、このような海と陸のパワーの獲得と維持の難しさやその戦略の重心のかけ方から、大国は大雑把に分類すれば、海洋国家か大陸国家に分かれていくことになる。現在日本においても、英国と米国を伝統的な海洋国家、ロシアと中国を伝統的な大陸国家として分類し、国際関係を論じることが多くなっている。
海洋国家と大陸国家のライバル関係は、マッキンダーや、ドイツの政治・法学者カール・シュミット(Carl Schmitt)の時代から指摘されており、地政学を考える上での基本的な理論的枠組みとして扱われている。海洋国家と大陸国家の対立は歴史において何度も繰り返されており、グレイは、その主な例として、古代のペルシャ対ギリシャ、ペロポネソス戦争におけるアテネ対スパルタ、ローマ対カルタゴ、ビザンツ帝国の防衛、ヴェネツィアの盛衰、イングランド対スペイン、英国対フランス、第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして冷戦を挙げている。
そして現在、伝統的な大陸国家に分類される中国が海洋進出を目指しており、この歴史的なライバル関係が国際社会からあらためて注視されているのである。
一方で、歴史が証明しているところによれば、海洋国家の戦略として重要なのは、対立関係にある大陸国家と隣接する、または対立している別の大陸の勢力を自陣営に加えることである。それを可能にする巧みな外交・工作活動がなくては、強大な大陸国家の海洋進出を抑え、ユーラシア大陸における望ましい勢力均衡を維持することは難しい。そして、ユーラシアの大陸国家同士が大同団結して海洋国家と対峙することは、海洋国家にとっては最も避けるべき事態である。
地理環境は、国家およびその独自性の形成に大きく作用する。それを踏まえて、国際安全保障に関連し、自分たちが何者なのか、現在の脅威は何なのか、誰を味方にすべきかを正しく見極めることが、地政学的な考え方が強調されている現在の国際社会で生き残るために、今まで以上に重要になるだろう。
Ⅱ 地政学と日本の安全保障
現在の日本の安全保障環境を、前述のような古典地政学を基にして考えると理解しやすい。特に、スパイクマンの著作『スパイクマン地政学「世界政治と米国の戦略」』や『平和の地政学』に書かれている主張には示唆が多い。ここでは、大陸国家中国の台頭を、海洋国家である日本がどのように対処すべきかを論じていく。
1 大陸国家中国の動向
中国は、現代の人、物、金、情報が国境を越えて行き来するグローバリズムの潮流を利用しつつ、以前から状況によって露骨に国家主義、リアリズム、そして地政学的な考え方を前面に押し出して国力を発展させてきたように見える。グローバリズムや「和諧世界」といった看板を掲げる一方で、その国益を貪欲に追求している。それによって中国は現在の国際政治経済において中心的なアクターとして登場することになった。
(1)大陸国家としての特徴と中国の戦略
現在水陸両生の国家を目指す、伝統的な大陸国家として分類される中国の海洋進出によって、日本の海洋権益はすでに冒されている。しかも、中国の外交には、海洋空間の自由を尊重せずに自国の支配化に置こうとする姿勢が見られる。
1980年代に中国では「戦略的辺疆」という概念が提起されたが、この概念は通常の国境とは異なり、国力が増大すれば、自国が支配するその境界を広げてもよいという考え方である。こうした中国人の考え方は、レーベンスラウムや国境などに関するドイツ系地政学の考え方と明らかに類似している。軍事力以外の文化的・政治的な力を含めた総合的な国力によって他民族を吸収し、国家の境界線が変化するという考え方を、中国は古代からもっていたようである。
ドイツ、ロシアおよび中国といった大陸国家に分類される国々の歴史を顧みると、自国領域の広さが自分たちの安全の確保には欠かせないと考えると同時に、領土を広げることによって国力の増強を試みる傾向にある。広大な平地に位置し、ほとんど自然の境界が存在せず、自国と隣接する多くの国々との激しい競争に曝され、他民族に苦しめられてきた歴史経験を持つからだ。このような大陸国家は警戒心が強く、したがって、その戦略姿勢は防御的であると同時に、あるいは防御的であるが故に攻撃的になると考えられる。つまり、支配領域とそれに伴う安全保障に対して非常に神経質で、しかも積極的になるのである。こうした大陸国家的な思考は、国力が高まれば高まる程、自国領域拡大への姿勢として現れ、その上安全保障環境が整えば海洋への進出を狙い、海洋国家の既得権益を脅かすことになる。中国が海洋進出を果たし、強大なランドパワーとシーパワーを同時に保有すれば、世界史的にも稀な両生大国が誕生することになる。中国の積極的な海洋進出によって、今まで維持されてきた海洋国家主導の国際政治経済秩序は大きな転換期を迎えているのである。
一部の米国の専門家には、地域覇権を獲得するということは、覇権国が周辺国を武力で制圧できるということであり、中国にはまだまだその力がないという主張が見られる。しかし、中国が得意とする戦略はそのように単純なものではない。手段・方法に関する無制限の柔軟性を重視する(悪くいえば、ルール無用、何でもありともいうべき)思考を基盤とした孫子的・「超限戦」的な戦略を長期的に用いて、中国は海洋進出と周辺地域のコントロールを試みている。たとえば、武力衝突がなくても、準軍事的あるいは非軍事的手段によってその影響力を浸透させ、アジアのチョークポイント付近の国家や地域のコントロールを行うことが可能になれば、日本や他の国々も中国に抗うことはさらに困難になる。武力を用いずとも地域覇権に近い形を長期的には達成する術が中国にはある。
現代の国家間の争いや摩擦においては、あからさまな武力行使よりもそのような曖昧な戦略が用いられる傾向にある。グローバリズムが強まり、他国に影響を与える分野が多岐に渡るようになった現代は、経済戦、心理戦、人口侵略・・・その他の武力行使以外の欺騙を交えた手段・方法を広く認識して用いることが可能である。つまり、中国人の伝統となっている『孫子』を、平時も対象となる大戦略レベルで応用しやすい時代だといえる。中国の膨張傾向に対応するには、純軍事的戦略と非軍事的・準軍事的戦略の両方をより強く意識しなくてはならない。
(2)中国へのバンドワゴニング―日本にとっての危険性
米国の国際政治学者サミュエル・ハンチントン(Samuel Huntington)は1996年のその著作『文明の衝突』で、歴史、文化、伝統、領土の大きさ、経済、自己のイメージなどのあらゆる面から見て、中国は東アジア(ハンチントンは東南アジアを含めている)の覇権を求めるようになると述べている。そのため、中国のような台頭する国家に対して周辺の諸国家は、バランシング(balancing:勢力均衡の維持を行う)か、バンドワゴニング(bandwagoning:優勢な側につく)かのいずれかの選択を余儀なくさせられるとしている。
ハンチントンは、アジアの官僚主義帝国では多元性や権力の分散の余地がほとんどなく、国内社会は国際社会を反映し、したがってアジアの人々は通常、国際関係においても階層性を受け入れるとしている。このような国際政治におけるアジアの階層的権力構造モデルはヨーロッパの歴史に見られる勢力均衡システムとは対照的である、と彼は述べている。このような文化的・歴史的背景をもつ中国と東アジアは、同じリムランドでもヨーロッパとは異なる点である。そのため、歴史的・文化的な背景から、アジアのほとんどの国々が中国に順応する傾向にあると、ハンチントンは主張している。彼は、そのアジアの国の中に日本も含めている。
一方でプリンストン大学教授アーロン・フリードバーグ(Aaron Friedberg)は、2011年に出版された彼の著作『支配への競争』の中で、アジア諸国に中国へのバンドワゴニングを強いる要因は、ハンチントンの主張する文化的要因ではなく、地理やイデオロギー上の要因であると述べている。彼は、北東アジアから南アジアに弧を描く、(モンゴルを除く)海や山脈、または一国以上の緩衝国の存在によって中国から隔てられている自由民主主義的な国家は、今のところ米国と協力することを選んでいるとしている。しかし、地理的に中国に近接する権威主義的体制下の弱小国は、「他に選択肢がない」「中国の経済成長から恩恵を受けることを望む」「似通った政治体制からの保護を受けることを望む」、あるいは以上三つの理由の組み合わせにより中国と連携する傾向にあると述べている。
米国の国際政治学者であるジョン・ミアシャイマー(John Mearsheimer)は、2014年に改訂された彼の著作『大国政治の悲劇』の中で、2009年以降の中国の行動は米国と周辺国に警戒心を抱かせていると主張している。そして、米国は「中国の地域覇権達成の阻止」に重要な利益があるため、「封じ込め」(containment)のためのバランシング・コアリションの構築に動くとしている。彼は、中国周辺の国々も、米国よりも中国の方が主に地理的な理由から深刻な脅威であるため、後で手遅れになる前に中国の台頭を阻止するために、バランシングを選択することになるはずだ、と述べている。
他方、ハンチントンは『文明の衝突』で日米同盟に触れ、中国との勢力均衡を保ち、中国を封じ込める核になるのは日米軍事同盟しかないが、①米国が唯一の超大国であり続け、世界の問題に積極的に指導力の発揮を継続するか、②米国が軍事プレゼンスおよび中国と戦うことを確約するか、③資源の大きな犠牲と戦争の危険なしで、日米に中国を封じ込める力があるか、という疑問を呈している。それを理由に彼は、「アメリカがはっきりとした決意も公約も示していないし、その可能性も低いので、日本は中国に順応することになるだろう」と明確な主張を行っている。
このような、歴史・文化、地理環境、パワー分布といった見地による専門家たちの見解を参考にしつつ、日本を巡る環境は、情勢の変化を考慮しながら客観的に分析しなければならない。結論からいえば、長い歴史において日中関係は良好な時期が長かったが、それはあくまで利害関係によって維持されたものであり、現在は状況が異なるため、ハンチントンが予想したような中国へのバンドワゴニングを日本が行うことは危険である。中国をめぐる過去の歴史と現在のアジアの状況の違いを考慮し、以下のような観点から日本によるバンドワゴニングは選択肢として妥当ではない。
第一に、歴史においてモンゴルの帝国である「元」以外、海を隔てて位置する日本を大きく脅かす、あるいは国家の存在自体を脅かそうとする中国大陸の帝国は存在しなかった。過去の日本列島には強力な戦闘組織が存在し、多くの大陸の帝国にとってこの島国に渡海してまで侵攻することはリスクが大きかった。また朝貢貿易は、それを受ける中華帝国の方が負担は大きく、相手国の利益が大きいものだった。したがって、大きな脅威というよりもむしろ利益をもたらす大陸の帝国に順応することは、日本にとって合理的であった。しかし現在の中国の動向は、日本にとっての大きな脅威として認識されている。
第二に、過去の中華帝国は強力な海軍を背景にして現在のような東アジアの海洋空間の支配を試みておらず、また過去の日本は、その経済活動が現在のように長大な海上交通路に極端に依存してはいなかった。過去の日中関係史における海洋空間の位置づけは、現在の状況とはまったく異なるのである。したがって、両国を取り巻く現在の海洋空間における中国の海洋進出は、日本の既得海洋権益への侵害となるのである。
第三に、現在の中国は過去の中華帝国とは異なり、諸外国から先進的なテクノロジーを貪欲に吸収している。それによって保有した核兵器を含む打撃力・戦力投射能力を通じた他国への直接的な影響力の浸透は、過去の中華帝国とは比較にならない。
第四に、中華思想的な意識に基づくプライドと愛国心、それに加えて、他国から受けた屈辱の歴史が、現在の中国の諸外国に対する振る舞いに作用している。元々持っているそのような感覚に加えて、他国に対する影響力が高まっているため、歴代中華帝国と比較して、現在の中国は危険性が高い。特に日本に関していえば、抗日戦争は、中国共産党による中国支配の正統性を示すものであり、屈辱と勝利感が入り交じった中国人の反日感情はたびたび政治ツールとして利用される。結果として、日本への攻撃性がより顕著に先鋭的になっている。
第五に、中国は、比較的対等な友好関係ではなく、ハンチントンの主張のようなアジアの階層構造において中国共産党の管理下にアジア諸国を置こうとしている。そのために彼らは硬軟織り交ぜた手段と方法を用いる。ハンチントンは、東アジアでの中国の覇権獲得には武力行使による領土の拡大は必要がなく、中国は、その様々な望み・要求に添うように東アジア諸国を促すと考えている。フリードバーグも、東アジアひいてはアジア全体において、中国はある種の地域覇権を求めており、全般として様々な事柄について、他国に強制的に自らの考えを受け入れさせるか、または説得しようとしていると述べている。ハンチントンやフリードバーグが挙げる、中国がアジア諸国に要求する事柄には、中国に対して脅威になる行動の抑止、領土・資源問題を中国有利で解決すること、中国の利害にそった貿易や投資の採用、中国からの移民の受け入れ、反中国運動の禁止、政府の性質、最終的な中国語の公用語化などが挙げられている。
通常どのような国家も国益を求めるが、中国の場合は、その要求の強引さ、孫子的・超限戦的な手段・方法が問題になる。そして、現在の中国のアジア諸国への間接侵略を見ると、たとえば、天皇を中心とした日本の国体は攻撃対象となる可能性が高い。また実際に、日本の公安調査庁は、中国が沖縄独立派と関係を深めていることを指摘している。国力が増大する中国を受け入れることは、国家の独自性・独立性を失うことにつながりかねず、単なるバンドワゴニングで済むとは思えない。
以上のことから総合的に日中関係を考えた場合、過去と現在では中国に順応することの意味が大きく異なることは明白である。したがって、現在の中国の台頭に安易にバンドワゴニングを行うことは危険であり、日本の賢明な選択肢はバランシングということになる。しかしながら、もし日本が従属ではなく、中国との対等に近い友好関係を築くこと、あるいは独力でバランシングを行うことを試みるならば、現在よりも遥かに強大な軍事力をもつことが必要になる。しかしそのための道のりは困難が多く、年月を要する。また、もしそうなったとしても、中国は、日本への間接的な侵略を止めることはないであろう。このような特徴をもつ大陸国家に日本は対応を迫られているのである。
結果として、日本は、総合的な安全保障に対する意識の向上が求められるが、同時に米国に頼らざるを得ない。ハンチントンが示したような疑念を可能な限り払拭し、中国の動きに対応する日米の同盟関係がより信頼できるものになるように、日本は、米国をアジアにつなぎ止め、関与させていくための手腕が問われることになる。
2 海洋国家と日本列島
技術の進歩にともないグローバル・コモンズの重要性があらためて高まっているが、それとともに様々な国がそれらの積極的な利用を試みるようになった。それらの自由な利用を新興国が妨害する場合、既存の秩序における海上交通路をはじめとしたグローバル・コモンズへの国家活動の依存度を考えれば、日本は従来の海洋国家と協力し、グローバル・コモンズのコントロールに関して主導権を握るべきである。そこで注目されるのが英国と米国の動向である。
(1)英国と米国の動向
世界史においてユーラシア大陸では、大国同士が交流と衝突を繰り返して徐々にグローバル化が進んだが、特に航海技術が発達して以降、その流れは海のシーパワー・ネットワークを通して力強く推進されていった。海を利用してパワーを獲得し、グローバリズムを先導する役割を果たしてきたのが英国や米国を含む海洋国家である。その一方で、地政学において「島の大国」として分類される英国や米国は、ユーラシア大陸の国々とは異なる独自性が育まれている。そうした独自性も要因の一つとなり、英国が加盟国の中で初めてEUを脱退することになり、米国では移民の流入や自由貿易に対して厳しい姿勢を取るトランプ大統領が誕生した。グローバル化を推進してきた英国や米国が欧米諸国の中でも先陣を切り、その潮流に対してバランスを取る方向へ舵を切ったことは皮肉であり、また大陸から距離を置く海洋国家の国民の文化や生活を考えれば、それは必然ともいえる。逆に、ユーラシア大陸のドイツは現在グローバリズムを利用しつつ、その高い技術力を基盤とした経済力を生かしてEU・ユーロ圏を取り込み、中国はその巨大な人口を生かして世界を取り込もうとしている。したがって、独自性の維持だけではなく、このような大国間のパワー・バランスの変動も加わり、現在の英国と米国の対応は、グローバリズムはあくまで利用するものであって、飲み込まれるものではないという国家理性のようなものに突き動かされた結果といえよう。
英国や米国のような大きなシーパワーを保有する国家は、歴史においてその地理環境を状況次第で積極的に利用し、自由と制限、関与と孤立、そして侵攻と防衛などの度合いを使い分けてきた。そのような海洋国家の最近の動きの中から、国家主義、リアリズムおよび地政学がより強調される時代になりつつある。今後EUから距離を取る英国は必然的に、米国をはじめとしたアングロサクソン諸国や英連邦の国々といった、シーパワーが進歩して以降に構築された関係を今より深め、適切な国際関係を探ることになろう。米国のトランプ大統領は、そのような現在の英国の姿勢を高く評価している。そして彼の米大統領としての最初の首脳会談の相手は、英国のテリーザ・メイ(Theresa May)首相だった。しかし両国の国内には、メディアや多国籍企業を中心にグローバリズムの信奉者が多く存在し、彼らはグローバリズムに逆行する動きに否定的である。シーパワーを軸とした国際関係やグローバリズムをめぐるせめぎ合いが今後どのように展開するかを、日本人は注視していかなければならない。
(2)オフショア・アイランドとしての日本
地政学から海洋国家の関係を読み解くと、米国にとっての日本列島の重要性が浮かび上がる。スパイクマンは、この世界には、ヨーロッパ、西半球、東アジアにパワーの中枢が存在すると考えた。そして、「新世界」(New World)である米大陸を、大洋を介して挟むように位置するヨーロッパと東アジアの勢力によって米国が包囲されることが米国の脅威であると彼は考えていた。したがって、リムランドを制する者が世界を制すると考えるスパイクマンにとって、英国と日本の地理的な重要性は自明であった。そのため、ユーラシア大陸の大陸国家とのライバル関係を考慮し、パワーの中枢を、ユーラシア大陸に面するオフショア・アイランド(offshore island)である英国や日本と連携してコントロールすること、つまり日米英の海洋国家グループによって世界秩序を形成すべきと、彼は主張した。
スパイクマンは、日本のシーパワーがアジアと太平洋の間に存在しているため、シベリアからアモイに至る大陸沿岸海域の海上交通路を通過するすべての船舶を、日本は優勢な海軍を持つことによってコントロールできると考えた。彼は、日本の真珠湾攻撃からわずか三週間後に、日本は「米国にとってアジア大陸の脅威に対するバッファーとバランサー」に成り得るため、日本との同盟によって脅威に対して軍事的に対応できることを主張していた。スパイクマンは、戦後の極東において日本が軍事力を完全に失えば、国内の統一を果たした中国が東アジアの覇権国となり、そんな状況下においては、この島国に米軍が基地を置くことによって、中国に対抗する必要があると主張していたのだった。
また事実として、冷戦時代、日本を構成する島々は、当時の米国の表現を借りれば、大陸国家であるソ連の海軍が外洋へ進出しようとする試みを封じ込めるための「侮り難い防衛の盾」になっていた。自衛隊と在日米軍がソ連海軍を監視し、ソ連の海洋進出を抑え込んでいたからである。
このような海洋国家同士の連携を主張するスパイクマンの戦略は理に適っている。しかし、リムランドの近くに位置する日本列島の地理的な重要性が今も変わらない一方で、2000年代から国際紛争によって苦い経験を味わってきた現在の米国は、その戦略姿勢から見れば、ソ連と対峙した冷戦期の頃の米国とは幾分異なる。完全に一致する歴史というものは繰り返されないため、戦略を更新していくことが必要になる。
3 西半球に位置する米国の感覚
日本ではあまり議論されることはないが、米国の対外政策には、孤立主義的な政策志向が常に存在している。ユーラシア大陸から距離がある西半球本土の地理環境と、この地域の覇権国という立場によってもたらされる、介入主義と孤立主義との間に存在する米国人の葛藤は伝統的なものである。
(1)根強く存在する内向き志向
日本と米国は一般的に海洋国家に分類されるが、日本にとって問題なのは、同盟関係にある日米の立場の違いである。現在の中国の海洋進出と攻撃的な姿勢は、日本にとって国家の運命を左右する可能性のあるものだが、米国にとっては世界を主導する地位を脅かす可能性のあるものであり、その脅威のレベルが日米の立場では明らかに異なる。実際、中国の海洋進出を、その地位に対する脅威とすら思っていない米国人も存在する。つまり、日本人と比較すると、地理的に安全な西半球の米国人はユーラシア大陸に位置する中国からの直接的な脅威を感じにくいため、必然的に安全保障に対する日米間の国民意識に齟齬が生じやすいのである。
たとえば、トランプ政権のピーター・ナヴァロ(Peter Navarro)国家通商会議議長は対中国強硬派の筆頭格として知られているが、彼も米国における伝統的な孤立主義の影響の強さを認めている。実際、米国民の国際紛争への関与への消極性と米国内を重視する志向はここ数年高まっている。
前述のように、20年前にすでにハンチントンが、中国を封じ込めるために日米同盟が機能するかについて疑問を呈したのも、米国人の立場で考えればそれほど不自然ではない。スパイクマンがいうように、米国の介入主義者にとって、ヨーロッパとアジアにおける勢力均衡の維持が第一次防衛線で、西半球が第二次防衛線なのである。
そして、米国の一部のリアリストたちは、英国の歴史学者ポール・ケネディ(Paul Kennedy)が『大国の興亡』で使用して有名になった用語である、過去の大国が陥ってきた、軍事関与とそれを支える国家資源のバランスが崩れて大国を疲弊させる「手を広げすぎた帝国」(imperial overstretch、帝国的過剰拡大)により、米国が衰退することを強く警戒している。
(2)戦闘行動に対する姿勢
また、米国の戦闘行動のリスクに対する姿勢は未知数である。若い超大国である米国でさえも、長年にわたる国際紛争への関与からくる疲労感は隠しきれない。戦後多くの紛争に関わってきた米国にとっても軍事介入・戦闘行動を実行するための敷居は高くなってきている。
まず、一般的な米国の軍人は決して他地域への軍事介入に対して積極的ではない。2012年の大統領選共和党予備選挙の候補者で、外交政策において不干渉主義を唱えたロン・ポール(Ron Paul)は、当時現役の米兵士から、バラク・オバマ(Barack Obama)前米大統領を含む他の各予備選挙候補者たちを遥かに上回る資金援助を得ていた。2016年の調査では、非介入主義であるリバタリアン党党首ゲーリー・ジョンソン(Gary Johnson)は、現役軍人からの支持率を、大統領候補の中でトップの数値またはトップのトランプ現大統領とほとんど変わらない数値を獲得していた。ケイトー研究所の上級研究員ダグ・バンドウ(Doug Bandow)は、こうした米国の軍人たちの近年の様子について、彼らは戦闘任務につくことには前向きだが、それは切実な状況に限ると説明している。
軍出身のマティス米国防長官や米軍の最高幹部は、米国にとっての他地域への軍事介入・関与の重要性を理解しているだろう。しかし、米国が軍備の増強を望むこと、他地域における軍事プレゼンスを維持すること、および単なる軍事行動と、実際に自国の兵士の犠牲が多く出る可能性のある戦闘を行うことは別次元の話である。このような軍事作戦の実行の是非については、関係者は当然慎重に判断する。結果としてトランプ大統領や米議会がどのような決断を下すかはわからない。
2017年2月に行われた安倍首相とトランプ大統領による初の日米首脳会談では、「日米安全保障条約第5条の尖閣諸島への適用」が共同宣言に明記された。この点に関していえば、複数の対中国強硬派が政権スタッフにいる現在の米国のトランプ政権は、その前のオバマ政権よりも、日本の立場からは期待できるかもしれないが、具体的に米軍がどのような支援をしてくれるのかは不明確である。たとえば、トランプ政権の政権移行チームのメンバーで、戦略研究の泰斗であるエドワード・ルトワック(Edward Luttwak)は、対中国封じ込めを主張している。一方で彼は、2016年の著書『中国4.0』の中で日本の離島の防衛について触れ、現状では米国は「日本の一つ一つの島を積極的に守ることはできない。端的に言って、これらを守るのは、完全に日本側の責任だ」と述べている。
尖閣諸島をめぐる争いだけでなく、中国との間で戦闘が勃発すれば、日本が主体的に防衛することが大前提であり、そしてたとえば、中国の正規軍ではなく中国の海上民兵については、日本が単独で対処しなければならない。
世界唯一の超大国の地位に固執しなくなった場合、米国は内向きの国家となり、孤立主義的な政策を実行する可能性が高い。現在まだその段階ではないかもしれないが、米国のアジア周辺の事態に対する軍事・戦闘行動の度合いは流動的と考えるべきである。
戦略研究においては、「次に何が起こるのか、将来何が起こるのかを正確に知ることは不可能であるため、慎重に万全の準備を行わなくてはならない」と説くことが一つの大きなテーマとなる。無論大まかな状況を想定することは必要だが、"Hope for the best and prepare for the worst"(最善を望み、最悪に備えよ)の精神が戦略策定の上での基本といえる。この点を考えると、現在の日本の硬直した安全保障体制や日本人の危機意識の無さはあまりにも危ういと言わざるを得ない。
4 日本版オフショア・バランシング
海洋国家としての日本の立場やそれに対する脅威を考えた場合どのような戦略が考えられるか。ここでは、海洋国家である英国および米国との安全保障環境との違いを考慮して日本の戦略の検討を行い、海洋国家の伝統的な大戦略ともいわれているオフショア・バランシングを日本が実行することについて論じる(英国、米国、そして日本のオフショア・バランシングについては、『戦略研究』第13号の拙稿「英米のオフショア・バランシングと日本の戦略」を参照。また、拙稿『海洋安全保障季報』13号および15号でもオフショア・バランシングを取り上げたが、オフショア・バランシングは専門家よって定義が異なることが多い。また大戦略ではなく軍事・作戦戦略のように論じられることもある)。
オフショア・バランシングは、大まかな解釈をすれば、ユーラシア大陸で台頭する国家に対して、まず自国に代わって当該地域の周辺国家に新興国を抑える役割を押し付ける、バック・パッシング(buck-passing:責任を他者に押し付ける)を可能な限り行い、それでも抑えられない場合は、自国が直接的な介入を行って対象地域の勢力均衡を維持するという、海洋国家の大戦略である。
(1)オフショア・バランサーとしての英国、米国、そして日本
米国の専門家の間では、いわば元祖オフショア・バランサーは英国であり、オフショア・バランシングは米国の大戦略として現在論じられているため、日本がオフショア・バランサーというと突拍子もないことと思われるかもしれない。
しかし、たとえば、日露戦争は、英国にとっては通常とは異なり、ヨーロッパではなくアジアの日本にバック・パッシングを行ってオフショア・バランシングを実行し、日本にとっては自国以外の周辺国が抑えられない強大な大陸の潜在覇権国であるロシアを食い止めるために、英国の力を利用しつつ自らオフショア・バランサーとして直接的に軍事介入を行ったという考え方もできる。もっとも、他国にバック・パッシングを試みることがオフショア・バランシングの前提と考えた場合は、日露戦争の日本の戦略はこの大戦略には当てはまらない。解釈次第では、日本は、ロシアとの戦争と平行して、帝政ロシアに対する国内外の反帝政組織に工作を行うことによってロシアを攪乱する、部分的なバック・パッシングを試みていたとも考えられる。巨大な帝国には不満分子や内乱がつきものだからである。
日本は、ユーラシア大陸に登場する強大な勢力に間近で対峙しなくてはならない海洋国家であり、また、前述のように現在の中国に対してバンドワゴニングを選択することは危険である。そして、西半球の米国には実行可能な孤立主義的な戦略を、現代の日本が採用することもまた不可能である。つまり海洋国家としての立場を考えれば、日本は、過去の英国のように眼前の大陸から迫る脅威に対して、半ば強制的に対応させられることになる。したがって、日本と地理環境の似たオフショア・アイランドである英国の例を参考にすることが日本の戦略を検討するためには妥当だと考えられる。
米国の国際政治学者クリストファー・レイン(Christopher Layne)が考えるオフショア・バランサーの模範は、19世紀にバック・パッシングによってヨーロッパの勢力均衡を維持していた頃の英国である(基本的にレインの考えるオフショア・バランシングは、重要地域の多極化を推進し、「オフショアからのバック・パッシングによってバランシングを行う戦略」である)。しかし、すでに現在の安全保障環境においては、日本がバック・パッシングを実行すること、そして、それのみで中国の膨張を抑えることは困難になっている。何故なら、既に、前出のミアシャイマーが主張するオフショア・バランシング論における、直接的なバランシング・「封じ込め」が必要な段階になっているからである(ミアシャイマーの見解では、米国についてもそうなる)。この状況は、米国との関係を考慮すると、大戦期にオフショア・バランサーだった英国に近い(ミアシャイマーは、冷戦終了までの約200年間、英国はヨーロッパ大陸に対してオフショア・バランサーだったとしている)。強大な大陸国家であるドイツが地域覇権の獲得を狙った二度の世界大戦において、すでに衰退期に入っていた英国は、後方に控える米国を参戦させることが勝利のために極めて重要であった。
一方で、米国は、ユーラシア大陸に対して大洋を隔てて位置するいわば「後衛のオフショア・バランサー」であり、日英と比較すると、ユーラシアの勢力に対して武力行使のタイミングや規模を選ぶ地理的・時間的余裕がある。米国は、日英のオフショア・アイランドを「バッファーとバランサー」として利用することによって、ユーラシア大陸の勢力均衡を維持し、それによって米国の安全を確保し、そして世界の秩序を主導することが可能になる。
そもそもオフショア・バランサーの役割を果たし得るには、強大なシーパワーを軸とした防衛力および戦力投射能力、そしてそれによってもたらされる外交力をもつことが前提となる。しかし現実を直視すれば、現在の日本は、軍事力においてソフトとハードの両面で問題を多く抱えており、安全保障分野における自立にはまだまだ時間を要する。故に、現在の日本の戦略環境は、米国との軍事同盟関係がオフショア・バランシングを行う上での前提となる。
(2)日米による対中国「封じ込め」および「接近阻止・領域拒否」(A2/AD)
ユーラシア大陸の潜在覇権国を抑えるために、別の大陸の勢力に対するバック・パッシングを実行することが日本にとって可能であれば理想的だが、それは現在不確実かつ容易ではない。したがって、日本が必然的・主体的に矢面に立つ必要がある。日本の大戦略は、後方の海洋国家である米国を早い段階から引き込んで利用する構図となり、大陸に対して前方と後方に位置する、日米のオフショア・バランサーが責任を共有することになる。
しかし、米国の介入主義者にとっても東アジアは、あくまで本土と離れた第一次の防衛線である。また、英国は頼みとしていた米国と同じアングロサクソンのキリスト教国だが、日本の文明圏は孤立しており米国とは共有していない。アメリカにとってアングロサクソン諸国は、その他の国と一線を画す存在であるため、英国と比較して日本はアイデンティティによる共感が得られにくい。したがって、日米が密接な連携を行う体制を構築しておかなければ、日本は、米国にとっての単なるバック・キャッチャー(buck-catcher:他国から責任を押し付けられる国)として矢面に立たされる可能性がある。
現在の海洋国家日本にとって、現実的な戦略は、大戦期の英国のオフショア・バランシングのように遅れて米国が参戦する戦略とは異なり、その背後に位置する海洋国家である米国が、平時から深く東アジアに関与し、戦時には早い段階で日本と密接に連携した軍事・戦闘行動を起こすための体制を構築することである。
このように考えた場合、いわば「前衛のオフショア・バランサー」である日本は、その基盤となる戦略として、平時においては日米主導による、ソ連に対して行ったものとは異なる、時代の変化および超限戦・間接侵略への対策を厳密に考慮した、対中国「封じ込め」を採用すべきである。そして戦時に備えて、日米の統合された戦力が密接に連携する対中国A2/AD(接近阻止・領域拒否)網を構築し、後方に位置する海洋国家を強制的に、かつ早期に事態に巻き込む態勢を平時から作為しておくことが肝要である。
仮に中国と日米の間で武力衝突が発生した場合、機動力のある在日米軍の多くの戦力は、JAM-GC(Joint Concept for Access and Maneuver in the Global Commons、以前の公式のAir-Sea Battleの改称)のような作戦構想で考えられているように、戦時においても安全圏へ下がることが可能であるため、日本は、日本本土と在日米軍基地に対して行われる中国の飽和攻撃の真っ只中に取り残される可能性がある。米軍の主力が態勢を立て直して救援に駆け付けるとしても、中国の攻撃を最低限数週間に亘って現在の安全保障体制の日本が耐えることができるかどうかは甚だ疑問である。日米同盟の大枠に変化が無いのなら、同盟関係の絆を量る目安・分水嶺は、政治のレベルではなく軍事戦略以下のレベルだと考えるべきである。そのため、より具体的な事柄についての議論が広く日本で行われる必要がある。また、現在米軍内においても、敵軍のA2/AD圏内であっても、自軍が積極的に戦闘を行えるようにすべきという声が上がっている。日本がこうした米軍の動きを促し、敵側のA2/AD圏内における密接な共同作戦を実行できるように働きかけなければならない。
日本が米国とともに責任を共有するオフショア・バランサーとなるためには、東アジアにおいて、単なる前方展開だけではない軍事・戦闘行動を含む積極的な関与が米国の長期的な国益にかなうことを、ビジネスライクなリアリストともいわれているトランプ大統領、そして多くの米国民に、十二分に理解させる必要がある。そして、地政学を知ることがそのための土台となる。
日本自身が防衛力を整えて、自国を死守するという覚悟をもつことが必須であることは言うまでもない。さもなければ、米国は、自分たちの血を流す価値のない、守る価値のない同盟国と見なして日本を切り捨てる可能性が高い。
要するに、地政学的な見地から、膨張する中国の危険性と日本の国力を考慮すると、日米が主導する対中国用の「封じ込め」を行うべきである。そして、米国の地理環境や最近の動向を考慮すると、日本が主導して、素早い反撃を可能にする米国との密接な戦闘即応態勢を構築することが必要である。それらによる抑止力こそが平和への道となる。
おわりに―抑止力と独立自存
かつてレーガン政権が行った「力による平和」(peace through strength)を継承するため、トランプ政権が高らかに宣言している軍備の増強を行ったとしても、米国の東アジアにおける相対的な影響力は過去と比較して低下している。結果として相対的に、「米国とその同盟国の力による平和」となる可能性が高い。
日本の周辺国は、リアリズムの信奉者であり、強者を尊び弱者を軽視する傾向がある。そして米国は、自国を守る気概のない同盟国を本気で支援する気持ちはないであろう。日本はこの状況をよく理解し、自らの抑止力による平和の重要性をあらためて考えることが求められる。古代ローマの格言といわれる「平和を欲するならば、戦争の準備をせよ」という言葉は、長い年月を経ても色褪せない不変の真理である。
今後、グローバリズムと国家主義のせめぎ合い、また、大国の政権・政策がどのような様相を見せるかはわからない。そして、米国による他地域への介入の目安、または介入の度合いについても同様である。一方で、中国は、日米同盟を機能させない、または発動させないために、引き続き非軍事的・準軍事的な攻撃・工作を仕掛けてくるであろう。中国は、純軍事的なものよりも、むしろこのような非軍事的・準軍事的な手段・方法を戦略の中心に据える可能性があり、これには日本が単独で対応しなければならない。
不確実性の時代においては、地政学的戦略思考を基盤に将来を探りながら、自国の国力の向上に努めることが必要である。日本の場合は、デフレーションからの脱却、外交の基盤となる総合的な防衛力の整備・増強の実行、そして国民の安全保障に対する意識の向上が不可欠となる。日米関係も重要だが、最後に頼りになるのは自分自身以外にないという独立自存の精神をもって臨まなければならない。
主要参考文献リスト(紙幅の関係から、本稿で引用したもののみに限定した)
P. ケネディ(1988)『大国の興亡:1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争 下巻』鈴木主税, 草思社.
N. スパイクマン(2008)『平和の地政学:アメリカ世界戦略の原点』奥山真司訳, 芙蓉書房出版.
N. スパイクマン(2017)『スパイクマン地政学:「世界政治と米国の戦略」』渡邉公太訳, 芙蓉書房出版.
関根大助(2013)「英米のオフショア・バランシングと日本の戦略」『戦略研究』,13, 33-50.
戦略研究学会編(2001)『孫子』杉之尾宜生訳, 芙蓉書房出版.
S.P. ハンチントン(1998)『文明の衝突』鈴木主税訳, 集英社.
A. L. フリードバーグ(2013)『支配への競争:米中対立とアジアの将来』佐橋亮監訳, 日本評論社.
H. へスケ(2000)「ラッツェル、フリードリヒ Ratzel, Friedrich(1844-1904)」
『地政学事典』J. オロッコリン編, 滝川義人訳, 244.
H.J. マッキンダー(2008)『マッキンダーの地政学:デモクラシーの理想と現実』新装版,
曽村保信訳, 原書房.
A.T. マハン(2008)『マハン海上権力史論』新装版, 北村謙一訳, 原書房.
J.J. ミアシャイマー(2014)『大国政治の悲劇:米中は必ず衝突する!』改訂版, 奥山真司訳, 五月書房.
E. ルトワック(2016)『中国4.0:暴発する中華帝国』奥山真司訳, 文藝春秋.
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