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続折々の記 2019⑥
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囲炉裏の框(かまち) 匠の知恵
生姜の栽培方法・育て方のコツ 高知県は全国40%余
特集「小さないのち」
黄金律
日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由
【 06 】09/03~
09 03 (火) 囲炉裏の框(かまち) 匠の知恵
昔はどの家でも囲炉裏があり、ことに食事の場所として利用していました。 夜などは夜なべやお茶飲みとして家族の団欒には欠かせないものでした。
この囲炉裏の框はひずみや火力に対応できる木質のものだということは想像できますが、どんな木が使われていたのか認識していなかった。
調べてみると、昔の人たちの文化の認識は優れたものでることがわかりました。 調べた内容を少し載せておきます。
囲炉裏本舗 店主のブログ
http://7rinhonpo.jp/archives/50465076.html
囲炉裏の作り方
◆囲炉裏の框(かまち)◆
框とは囲炉裏の四方を囲む木枠です。炉縁とも言います。 昔のものは多くの場合、細い縁ですが現在のものは、食器類が置けるように太くする傾向にあります。
框の材料
■材質
框に使う木材は基本的にテーブルの天板と同様の機能があればよいので、特殊な木材を使う必要はなく家具に使われる材料でかまいません。
ただ、家具にスギやヒノキなどの柔らかい針葉樹があまり使われないのと同様に、框はキズつきやすいので、高価ですができれば硬い広葉樹を使いたいところです。
昔から高級とされるのは模様の美しいカキ(黒柿)やケヤキですが、あまりにも高価なので、ナラ、オーク、タモなどの広葉樹の堅木がおすすめです。
炉縁は鉄瓶や瓶敷きなど重い金属製品を置くことが多く、キズ、凹みが着きやすいのでなるべく硬い木材を選んでください。
また、赤外線が直接あたるので、小さな囲炉裏では50度~100度くらいになりますので、ソリや割れのでないよく乾燥させた良質の木材を使ってください。
大きな割れが生じることがよくありますのでご注意を!
薄い合板などは高温になるので、無垢か集成材でなるべく大材を使用してください。
【写真二枚】
前々項に登場した「喜多家の囲炉裏」です。
框は柿(かき)、囲炉裏右側の上り縁や床板に欅(けやき)が使われています。
長年磨かれ光沢がでて傷も少なくとても美しいです。
塗装はされていません。
※昔の囲炉裏の炉縁は塗装されていないものがほとんどですが、一部に漆塗りのものがあります。 今時このような高級材は使えませんが、できることなら長年使ってより美しくなるような広葉樹を選びたいものです。
以下省略 開いてみてみると、いろいろ参考になる。
09 03 (火) ショウガ(生姜)の栽培方法・育て方のコツ 高知県は全国40%余
① ホーム野菜の育て方野菜の栽培方法
ショウガ(生姜)の栽培方法・育て方のコツ
https://ymmfarm.com/cultivation/veg/ginger
目次 丁寧で詳しい。 印刷して利用する
•ショウガ栽培の特徴
•ショウガの栽培時期
•ショウガの栽培方法•種ショウガの準備
•土作り•植え付け•発芽まで時間が掛かる
•追肥・土寄せ•マルチング・日除け
•収穫
•ショウガの保存・貯蔵方法•土に埋める
•発泡スチロール箱に密封
•発生しやすい病害虫•病気
•害虫
② 家庭菜園>野菜栽培
生姜 栽培
https://fieldwork-agri.com/saibai/syouga.html
根の大きさによって小ショウガ、中ショウガ、大ショウガに分けられますが、育てやすいのは大ショウガで、もし始めて生姜の栽培にチャレンジするのであれば大ショウガから始めてみるとよいでしょう。ちなみに一般的にスーパー等で販売されている生姜は大ショウガになります。
目次 印刷して利用する
•生姜 栽培の注意点・コツ
•栽培 時期・栽培暦
•生姜 栽培暦 カレンダー
•芽出し・土壌・連作・植え方
•肥料・敷きわら
•収穫・病気
③J Aつやま 営農情報 野菜の栽培方法
ショウガ
https://www.ja-tsuyama.or.jp › einou › greens › index17 参考とする
栽培のポイント. ショウガの写真. 連作すると腐敗病が出るので、3~4年は休栽する。 高温・多湿を好むが、過湿を嫌うため排水良好な畑を選ぶ。 乾燥すると生育が悪くなるので、こまめにかん水する。 よい種ショウガを選んで定植する。 ♢適応地域. 津山盆地、 ...
④ 暮らし〜の › ガーデニング ›
生姜の栽培方法と育て方!
時期や植え付けのコツなどわかりやすく解説!
https://kurashi-no.jp/I0015737
お料理や、健康のためなど生姜には色々な活用法があります。生姜には身体を温める効果や血行を良くする効果があり、お家でプランターなどでも育てる事が出来ますので、栽培の方法や、植え付ける時期、育て方、栽培のコツなどを解りやすくご紹介します。
2019年06月23日更新
目次 丁寧で詳しい。 印刷して利用する
生姜について
根生姜、本当は地下茎
栽培生姜の《効果・効能》
栽培生姜の種類
生姜の《花・花言葉》
生姜の栽培&育て方
生姜栽培に必要な《用土》の作り方
生姜栽培での《水やり》の方法
生姜栽培に必要な《肥料》
《連作障害》を起こさない育て方
栽培している生姜に着く《病害虫》
栽培した生姜の《収穫時期・方法》
生姜の《保存法》
生姜の《利用法・作り方》
まとめ
特集「小さないのち」
いじめについてのいろいろの問題、日本のこの現実を論理的にも解消する手立てはないものか?
その手掛かりはないものか見てきたが、現実のそのことへの対応を苦慮することに終始しているように思える。
これも必要であるにしても、全体から見れば枝葉末節であり土の中の根っこ全体をどうするかについての議論が出てこないようです。
これでは教育を受ける年代に出ている「いじめ」(友達をからかうことから始まって、集団でのいじめ、その極としての「いじめられた者」の八方ふさがりの窮地・自殺)を解消できるわけはない。
朝日新聞の 特集「小さないのち」 を見ていくと、真剣な意見の中に親の反省や対応について、多くの議論をしなければならない糸口が見えている。
文部科学省の対応を見ていると、教育を受ける年代に出ている「いじめ」全体にわたっているものの、子供そのものの養育や指導には触れていない。
評論家にしても批評の目は確かにしても、根源的な意見を見ることはできない。
これだけでは、いじめに関する問題を解消する道筋が見えてこないのです。
幼児時代の養育の誤りが、そのまま次第に大きく成長して取り返しができない状況になる。 この事実に目を向けて、子供の成長の全体像をみんなで確認できる方法を議論しなければならない。BR>
私はこの問題の根底になっている子供が命を授けられた時から保育園へ行くまでの時期は、子供の望ましい養育と指導を、親が全力で対応しなければならないと考えております。
特集「小さないのち」 朝日新聞
https://www.asahi.com/topics/word/%E7%89%B9%E9%9B%86%E3%80%8C%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%80%8D.html?iref=pc_extlink
よくぞ多くのニュースを収集してくれました。 ニュースは多岐にわたり、一つ一つについて 「あなたはどうする?」 と問いかけられます。 具体的な対応が求められるのです。
ニュースを読んだ人が対応いていても、関心の薄い人は自分の心に強く響かないのです。
私は昭和一桁の生まれですから、日本全国の一桁代の人たちは文部省唱歌なら誰でも歌えます。 国中が大事だと思うことを皆で実践していけば、みんなの人々がそのことを身に着けることができるのです。
このことは、ただ文部省唱歌だけでなく 「どんなことにも通じる」 ことなんです。 良いことでも悪いことでも、やり方によって実現していくのです。 歴史がそれを見せてくれています。
「いじめをなくそう」 このことを、親がみんなで大事だと考えて取り組むようにすれば、出来ないことはないのです。
「いじめ」 の芽生えは、「友達を冷やかしたりからかったり」 「自分の都合が悪いときに嘘 を言ったり」 することから始まります。 これはなかなか難しいことなんです。
ですから、昔の人は言いました。 「嘘を言うと閻魔様 に舌を抜かれるぞ!」 と。
核家族化した現代では年寄りから聞かない限り、耳にしたことはないかもしれません。
この言葉は、ここだけの考えだけではなく、モーゼの十戒というユダヤ教やキリスト教の戒律の八番目にある「隣人に対して偽証してはいけない」簡単に言えば「うそを言うな」ということで、人として大事な戒 めの言葉があります。
私たちの家庭生活で、胡麻化したり冷やかしたり嘘を言ったりしてはならないのです。 これは、ちょっとでもあってはならないことなのです。
別のたとえで言いますと、黄金律という言葉があります。
私にとっては
成すべきことは自ら成せと教え給いし亡き母上が偲 ばれるのです。
黄金律(おうごんりつ、英: Golden Rule)は、多くの宗教、道徳や哲学で見出される「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という内容の倫理学的言明である。現代の欧米において「黄金律」と呼ばれるものは、一般にイエス・キリストの「為せ」という能動的なルールを指す。
例
① イエス・キリスト「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(『マタイによる福音書(山上の垂訓)』7章12節,『ルカによる福音書』6章31節)
② 仏陀「自業自得果」(『正法念処経』)
③ 孔子「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」(『論語』巻第八衛霊公第十五 二十四)
④ ユダヤ教「あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな。」(ダビデの末裔を称したファリサイ派のラビ、ヒルレルの言葉)、「自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない」(『トビト記』4章15節)
⑤ ヒンドゥー教「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」(『マハーバーラタ』5:15:17)
⑥ イスラム教「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである。」(ムハンマドの遺言)
⑦ 文学者戯曲家のジョージ・バーナード・ショーは「黄金律というのはないというのが黄金律だ」"the golden rule is that there are no golden rules".といい、別の「人にしてもらいたいと思うことは人にしてはならない。人の好みというのは同じではないからである」 "Do not do unto others as you would that they should do unto you. Their tastes may not be the same" (Maxims for Revolutionists; 1903). という言葉を残している。
※ 先隗より始めよ(先従隗始) 『十八史略』
※ 舌は禍いの根 〔老子「夫舌禍福之門」〕
※ 身から出た錆(自業自得)
※ キジも鳴かずば撃たれまい
日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由 だから子どもは「怪物」になる
内藤 朝雄 明治大学准教授 いじめ問題研究
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50919
最近、また「いじめ」が大きなニュースとなっている。なぜいまだに根本的な解決にいたっていないのだろうか。
いじめは80年代なかば以降、人びとの関心をひく社会問題になったが、いじめ対策は効果をあげていない。
それは、学校に関する異常な「あたりまえ」の感覚が一般大衆に根強く浸透してしまっているからである。マス・メディアや政府、地方公共団体、学校関係者、教委、教育学者や評論家や芸能人たちがでたらめな現状認識と対策をまき散らし、一般大衆がそれを信じ込んでしまうためでもある。
私たちが学校に関して「あたりまえ」と思っていることが、市民社会のあたりまえの良識を破壊してしまう。この学校の「あたりまえ」が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる環境要因となっているのだ。
※ きわめてシンプルな「いじめ対策」
いじめを蔓延させる要因は、きわめて単純で簡単だ。
一言でいえば、①市民社会のまっとうな秩序から遮断した閉鎖空間に閉じこめ、②逃げることができず、ちょうどよい具合に対人距離を調整できないようにして、強制的にベタベタさせる生活環境が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる。
対策は、次のこと以外にはまったくありえない。
すなわち、
①学校独自の反市民的な「学校らしい」秩序を許さず、学校を市民社会のまっとうな秩序で運営させる。
②閉鎖空間に閉じこめて強制的にベタベタさせることをせず、ひとりひとりが対人距離を自由に調節できるようにする。
このことについては、拙著『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)を読んでいただきたい。これを読めばいじめについての基本的な認識を手にすることができる。
まず、本稿執筆時に注目を浴びたいじめ報道を手がかりに、私たちが学校という存在をいかに偏った認識枠組で見ているかを浮き彫りにしていこう。
福島原発事故のあと横浜に自主避難していた子どもが、何年にもわたって学校でいじめを受けていた。そして何年ものあいだ、教員たちはいじめを放置した。その経緯のなかで150万円もの金をゆすられたと保護者は訴えた。金を払ったのはいじめから逃れるためだったと被害者は言う。いじめ加害者たちはおごってもらったのだと言う。
メディアはこれを報道しはじめた──。横浜市の岡田優子教育長が、「金銭授受をいじめと認定できない」と発言したのに対し、被害者側が「いじめ」認定を求める所見を提出したのが報じられると、世論が沸騰し、さらに報道が大きくなった。
「横浜いじめ放置に抗議する市民の会」は金銭授受を「いじめ」と認めるよう、2千人ほどの署名を添えて市長と教育長に要望書を提出した。これと連動して、他の地域でも原発避難者の子どもが学校で迫害されたという報道がなされた。
学校のような生活環境では、ありとあらゆることがきっかけとして利用され、いじめが蔓延しエスカレートしやすい。原発事故からの避難者にかぎらず、学校で集団生活をしていれば、だれがこのような被害をこうむってもおかしくない。
問題の本質は、学校が迫害的な無法状態になりがちな構造にある(1)。
(1) もちろん原発事故の問題が根幹にあるのではないかと疑われるケースもある。たとえば以下は、保護者が実名で訴えたものだ。※ いじめは教育の問題なのか?
福島第一原発に近い地域で被曝をさけようと給食を食べない生徒に、他の生徒たちが暴力を含むいじめをした。暴力を止めさせるよう親が申し入れをしたところ、教員は「安全」な給食を食べろと圧力を加えるのみで、暴力を放置した。
このことを保護者が訴え続けてもメディアは取材すらしない。保護者はYouTubeで英語字幕をつけて発信し、これには海外からの英語コメントがたくさんよせられた(この件に関してメディアは取材をして、事実関係を調べるべきではないだろうか)。
まともな市民社会の常識で考えれば、他人をいためつけ、おどして、その恐怖を背景に金をまきあげれば犯罪である。「おごってもらっただけだ」という言い訳は通用しない。
たとえば、暴力団が何年ものあいだいためつけ続けた被害者に対して、恐怖を背景に大金を「おごり」名目で巻き上げた場合と同じことが、いじめの加害者たちについてもいえる。
学校をなんら特別扱いしないで見てみよう。すると、地方公共団体が税金で学習サービスを提供する営業所(学校)内部で、このような犯罪が何年も放置されたということが、問題になるはずである。
しかも公務員(教員)がそれを放置していたことも重大問題である。公務員は、犯罪が生じていると思われる場合は、警察に通報する義務がある。知っていて放置した公務員(教員)は懲戒処分を受けなければならない。
このような市民社会のあたりまえを、学校のあたりまえに洗脳された人は思いつきもしない。ここで生じていることは無法状態であり、犯罪がやりたい放題になることである。これは社会正義の問題である。
ここで「いじめ」という概念の使い方について考えてみよう。
筆者は「いじめ」という概念を、ものごとを教育的に扱う認識枠組として用いていない。人間が群れて怪物のように変わる心理-社会的な構造とメカニズムを、探求すべき主題として方向づける概念として「いじめ」を用いている。
それに対して、誰かに責任を問うための概念としては、「いじめ」という概念を使うべきではない。責任を問うために使うものとしては、侮辱、名誉毀損、暴行、強要、恐喝などの概念を使わなければならない。
だが、多くの人びとは「いじめ」という言葉をつかうことでもって、ものごとを正義の問題ではなく、教育の問題として扱う「ものの見方」に引きずり込まれてしまう。市民社会のなかで責任の所在を明らかにするための正義の枠組を破壊し、それを「いじめ」かどうかという問題にすりかえてしまう。
そして悲しいことに、学校で起きている残酷に立ち向かおうという情熱を持っている人たちも、そのトリックにひっかかってしまう。
認定すべきは、犯罪であり、加害者が触法少年であることであり、学校が犯罪がやり放題になった無法状態と化していたことだ。そして責任の所在を明らかにすることだ。
警察が加害少年を逮捕・補導する。犯罪にあたる行為を行った加害者が責任能力を問えない触法少年であれば、児童相談所に通告し、場合によっては収容する。
被害者を守るために加害者を学校に来させないようにする。放置した教員を厳しく処分する。加害者の保護者は、高額の損害賠償金を被害者に払う。学校が無法状態になりがちな構造を制度的に改革する。
それにしても、公的に責任を問う局面で犯罪認定すべきところを「いじめ」扱いでお茶を濁すこと自体が不適切なのに、さらにそのなけなしの「いじめ」認定すら教育長はしない。その意味でこの教育長は解職すべきであるし、市長が動こうとしなければ次の選挙で落とすべきである。
もちろん起きていることは、責任を問う局面で犯罪であり、かつ、場の構造を問う局面で「いじめ」である。これが「いじめ」でなくて、何を「いじめ」というのかというぐらい、「いじめ」である。中井久夫氏がいうところの透明化段階にまで進行した「いじめ」である(中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』(みすず書房)所収)。
もっとも重要なことは、加害者たちは学校で集団生活をおくりさえしなければ、他人をどこまでもいためつけ、犯罪をあたりまえに行うようにはならなかったはずである、ということだ。
つまり、学校が人間を群れた怪物にする有害な環境になっているということが、ひどいいじめから見えてくる。これが根幹的な問題なのだ。
外部の市民社会の秩序を、学校独自の群れの秩序で置き換えて無効にしてしまう有害な効果が学校にはある。これは、たまたまいじめが生じていない場合でも有害環境といえる。
※ 「学校とはなにか」─それが問題だ/B>
最も根幹的な問題は、「学校とはなにか」ということであり、そこからいじめの蔓延とエスカレートも生じる。
わたしたちが「あたりまえ」に受け入れてきた学校とはなんだろうか。いじめは、学校という独特の生活環境のなかで、どこまでも、どこまでもエスカレートする。
先ほど例にあげた横浜のいじめが、数年間も「あたりまえ」に続いたのも、学校が外の市民社会とは別の特別な場所だからだ。社会であたりまえでないことが学校で「あたりまえ」になる。
学校とはどのようなところか。最後にその概略をしめそう。
日本の学校は、あらゆる生活(人が生きることすべて)を囲いこんで学校のものにしようとする。学校は水も漏らさぬ細かさで集団生活を押しつけて、人間という素材から「生徒らしい生徒」をつくりだそうとする。
これは、常軌を逸したといってもよいほど、しつこい。生徒が「生徒らしく」なければ、「学校らしい」学校がこわれてしまうからだ。
たとえば、生徒の髪が長い、スカートが短い、化粧をしている、色のついた靴下をはいているといったありさまを目にすると、センセイたちは被害感でいっぱいになる。
「わたしたちの学校らしい学校がこわされされる」
「おまえが思いどおりにならないおかげで、わたしたちの世界がこわれてしまうではないか。どうしてくれるんだ」
というわけだ。
そして、生徒を立たせて頭のてっぺんからつま先までジロジロ監視し、スカートを引っ張ってものさしで測り、いやがらせで相手を意のままに「生徒らしく」するといった、激烈な指導反応が引き起こされる。
この「わたしたちの世界」を守ることにくらべて、一人一人の人間は重要ではない。人間は日々「生徒らしい」生徒にされることで、「学校らしい」学校を明らかにする素材にすぎない。
多くのセンセイたちは、身だしなみ指導や挨拶運動、学校行事や部活動など、人を「生徒」に変えて「学校らしさ」を明徴(めいちょう)するためであれば、長時間労働をいとわない。
その同じ熱心なセンセイたちが、いじめ(センセイが加害者の場合も含む)で生徒が苦しんでいても面倒くさがり、しぶしぶ応対し、ときに見て見ぬふりをする。私たちはそれをよく目にする。
ある中学校では、目の前で生徒がいじめられているのを見て見ぬふりしていたセンセイたちが、学校の廊下に小さな飴の包み紙が落ちているのを発見したら、大事件発生とばかりに学年集会を開いたという(見て見ぬふりをされた本人(現在大学生)の回想より)。こういったことが、典型的に日本の学校らしいできごとだ。
こういった集団生活のなかで起きていることを深く、深く、どこまでも深く掘りさげる必要がある。
さらにそれが日本社会に及ぼす影響を考える必要がある。学校の分析を手がかりにして、人類がある条件のもとでそうなってしまう、群れたバッタのようなありかたについて考える必要がある。
学校で集団生活をしていると、まるで群れたバッタが、別の色、体のかたちになって飛び回るように、生きている根本気分が変わる。何があたりまえであるかも変わる。こうして若い市民が兵隊のように「生徒らしく」なり、学習支援サービスを提供する営業所が「学校らしい」特別の場所になる。
この「生徒らしさ」「学校らしさ」は、私たちにとって、あまりにもあたりまえのことになっている。だから、人をがらりと変えながら、社会の中に別の残酷な小社会をつくりだす仕組みに、私たちはなかなか気づくことができない。
しかし学校を、外の広い社会と比較して考えてみると、数え切れないほどの「おかしい」、「よく考えてみたらひどいことではないか?」という箇所が見えてくる。
市民の社会では自由なことが、学校では許されないことが多い。
たとえば、どんな服を着るかの自由がない。制服を着なければならないだけでなく、靴下や下着やアクセサリー、鞄、スカートの長さや髪のかたちまで、細かく強制される。どこでだれと何を、どのようなしぐさで食べるかということも、細かく強制される(給食指導)。社会であたりまえに許されることが、学校ではあたりまえに許されない。
逆に社会では名誉毀損、侮辱、暴行、傷害、脅迫、強要、軟禁監禁、軍隊のまねごととされることが、学校ではあたりまえに通用する。センセイや学校組織が行う場合、それらは教育である、指導であるとして正当化される。
正当化するのがちょっと苦しい場合は、「教育熱心」のあまりの「いきすぎた指導」として責任からのがれることができる。生徒が加害者の場合、犯罪であっても「いじめ」という名前をつけて教育の問題にする。
こうして、社会であたりまえに許されないことが、学校ではあたりまえに許されるようになる。
※ 全体主義が浸透した学校の罪と罰
学校は「教育」、「学校らしさ」、「生徒らしさ」という膜に包まれた不思議な世界だ。その膜の中では、外の世界では別の意味をもつことが、すべて「教育」という色で染められてしまう。そして、外の世界のまっとうなルールが働かなくなる。
こういったことは、学校以外の集団でも起こる。
たとえば、宗教教団は「宗教」の膜で包まれた別の世界になっていることが多い。オウム真理教教団(1995年に地下鉄サリン事件を起こした)では、教祖が気にくわない人物を殺すように命令していたが、それは被害者の「魂を高いところに引き上げる慈悲の行い(ポア)」という意味になった。また教祖が周囲の女性を性的にもてあそぶ性欲の発散は、ありがたい「修行(ヨーガ)」の援助だった。
また、連合赤軍(暴力革命をめざして強盗や殺人をくりかえし、1972年あさま山荘で人質をとって銃撃戦を行った)のような革命集団でも、同じかたちの膜の世界がみられる。
そこでは、グループ内で目をつけられた人たちが、銭湯に行った、指輪をしていた、女性らしいしぐさをしていたといったことで、「革命戦士らしく」ない、「ブルジョワ的」などといいがかりをつけられた。そして彼らは、人間の「共産主義化」、「総括」を援助するという名目でリンチを加えられ、次々と殺害された。
学校も、オウム教団も、連合赤軍も、それぞれ「教育」、「宗教」、「共産主義」という膜で包み込んで、内側しか見えない閉じた世界をつくっている(2)。そして外部のまっとうなルールが働かなくなる。よく見てみると、この三つが同じかたちをしているのがわかる。
(2) 漫画家・エッセイストの田房永子は「膜」という語を用いて痴漢や強姦者やストーカーなど個人の独善的で歪んだファンタジーと行動様式を描く。筆者が難解な用語を用いて理論的に探究してきた心理-社会現象を、「膜」という直感に近い語によって、一般向けに平易に説明できることに気づいた。田房氏の卓越した言語感覚に敬意を表したい。
http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/mejirushi/2014/08/19/entry_005292.html
このようにさまざまな社会現象から、学校と共通のかたちを取り上げて説明するとわかりやすい。あたりまえすぎて見えないものは、同じかたちをした別のものと並べて、そのしくみを見えるようにする。たとえば、学校とオウム教団と連合赤軍をつきあわせて、普遍的なしくみを導き出すことができる。
こうして考えてみると、学校について「今まであたりまえと思っていたが、よく考えてみたらおかしい」点が多くあることに気づく。
これらのポイントに共通していえるのは、クラスや学校のまとまり、その場のみんなの気持ちといった全体が大切にされ、かけがえのないひとりひとりが粗末にされるということだ。全体はひとつの命であるかのように崇拝される。
この全体の命がひとりひとりの形にあらわれたものが「生徒らしさ」だ。だから学校では、「生徒らしい」こころをかたちであらわす態度が、なによりも重視される。これは大きな社会の全体主義とは別のタイプの、小さな社会の全体主義だ。
大切なことは、人が学校で「生徒らしく」変えられるメカニズムを知ることだ。それは、自分が受けた洗脳がどういうものであったかを知る作業であり、人間が集団のなかで別の存在に変わるしくみを発見する旅でもある。
ある条件のもとでは、人と社会が一気に変わる。場合によっては怪物のように変わる。この人類共通のしくみを、学校の集団生活が浮き彫りにする。
学校の全体主義と、そのなかで蔓延しエスカレートするいじめ、空気、ノリ、友だち、身分の上下、なめる-なめられる、先輩後輩などを考えることから、人間が暴走する群れの姿を明らかにすることができる。学校という小さな社会の全体主義とそのなかのいじめを考えることから、人間の一面が見えてくる。
わたしたちは長いあいだ、学校で行われていることを「あたりまえ」と思ってきた。あたりまえどころか、疑いようのないものとして学校を受け入れてきた。
だからこれを読んだ読者は、「こんなあたりまえのことをなぜ問題にするのだろうか」と疑問に思ったかもしれない。だが、その「あたりまえ」をもういちど考え直してみることが大切だ。
理不尽なこと、残酷なことがいつまでも続くのは、人がそれを「あたりまえ」と思うからだ。それがあたりまえでなくなると、理不尽さ、残酷さがはっきり見えてくる。逆にあたりまえであるうちは、どんなひどいことも、「ひどい」と感じられない。歴史をふりかえってみると、このことがよくわかる。
これを読んで心にひっかかっていたものが言葉になったときの、目から鱗が落ちるような体験を味わっていただければと思う。もっと知りたいという方は、拙著『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』を手に取ってください。
<続編はこちら「日本の学校は地獄か…いじめ自殺で市教委がとった残酷すぎる言動」>
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52631 諸外国の子供の自殺 https://www.google.com/search?hl=ja&source=hp&ei=uWJfXeO8JcHFmAWqxKvgDw&q=%E8%AB%B8%E5%A4%96%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%AE%BA&oq=%E8%AB%B8%E5%A4%96%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%AE%BA&gs_l=psy-ab.3...15796.44993..47206...0.0..0.106.1612.17j2......0....1..gws-wiz.......0i4j0j0i131i4j0i131j0i4i37.kbaE8HuhXoc&ved=0ahUKEwij_bLBi5jkAhXBIqYKHSriCvwQ4dUDCAk&uact=5#spf=1566532327937 本とユダヤのハーモニー 古代史を散策して楽しみながら紐解く! http://www.historyjp.com/