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続折々の記 2020③
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 09 】03/29~
           於大の教え  山岡荘八「徳川家康」
           宿業とは何か?  未熟児で産まれたから
           山路を登りきて  早教育と天才
           胎内教育  「胎児はみんな天才だ」
           
 03 29 (日) 於大の教え      山岡荘八「徳川家康」

   緊急ニュース

コロナショックは、他人ひと事ではない。 沈黙の肺炎ともいわれる。
28日、飯田市でコロナウイルス患者一人発生、東京から自宅へ帰省した若者だという。

昔のこと、山岡荘八著「徳川家康」を読んだことがある。 家康は母から世の中の平和を求められていたと著者は書いていた。 どこだったかどんな(くだり)だったか記憶にはない。 だが、徳川260年以上を制度上なし遂げたことを考えると、於大の方のいましめが頭に浮かぶのです。

若いとき「東照宮遺訓」を書いたことがあり、人生訓としてもちゃんとしたものだという気持ちが残っていた。

時は流れよわい90過ぎとなり、モーゼの十戒というのは実はすごい考えによっていたことを知りました。 私の思うのに、生命いのちの実態とは細胞それ自体であり、さらに目標は悦の一字にあること、そして自らの生命を残すこと、そしてそれを主(神)としたことが一つ、さらに人としては父母を敬うことと人のあり方について述べたことが一つ、たった二つの言葉として人のあり方を教え自分たちの種族を守り通したこと、私はこの考えと事実に直面したことを察し驚愕の極みでした。

今、世情の大問題となっているコロナウイルスにしても、政治家が善悪こき混ぜて善多くして悪を(かく)すというとんでもない誤魔化しにしても、モーゼは見抜いて十戒を残したといえます。

お釈迦様が出家したのは、生命を大事にするとは何かが出発点でした。 コロナウイルスにしても生命を持つものであり、なぜウイルスが変化したのかを求めれば、人間が毒を盛るからであり、農薬散布が彼らに抵抗力を身に着けさせた結果であろうと思うのです。

口では世界平和を求めながら、現実には生命を殺傷する兵器の研究、所持をする、この矛盾をそのままにして、誤魔化しの理論を振り回しているのです。

世界の様子を見ていれば、誰にもこの事実が理解できるのです。

400年近くのむかし、於大の方の言葉を大事にした家康の遺訓は今でも多くの訓戒を私たちに残していてくれるのです。

  東照宮御遺訓                久能山東照宮ホームページより

  人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し  いそぐべからず。
  不自由を常とおもへば不足なし  こころに望おこらば困窮したる時を思い出すべし
  堪忍は無事長久の基  いかりは敵とおもへ
  勝事ばかり知てまくる事をしらざれば害其身にいたる
  おのれを責て人をせむるな
  及ばざるは過たるよりまされり

家康の具体的な生活規範とモーゼの考え方を比べてみると、大きな矛盾は感じられません。 このことを次のように考えます。

  モーゼの十戒        出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
  1. 主が唯一の神であること (主とは生命いのち)
  2. 偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
  3. 神の名をみだりに唱えてはならないこと
  4. 安息日を守ること
  5. 父母を敬うこと (主の伝承者)
  6. 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
  7. 姦淫をしてはいけないこと
  8. 盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)
  9. 隣人について偽証してはいけないこと
  10. 隣人の財産をむさぼってはいけないこと
  1から4までは神と人との関係であり、5から10までは人と人に関する項目である。

遠き道、 モーゼがアフリカ大陸を左回りに一周したことを思い出すがいい。 「大和民族はユダヤ人だった」という本は、ヨセフ・アイデルバーグという人が書いた本です。 彼は1916年というから大正5年生まれで69才でなくなっています。この人が書いた本をよんでいくと、イスラエルの人々を連れて40年も荒れ野や密林を放浪していたことが(しる)されている。 ご先祖様はそんな苦難の道のりを歩いたのです。 遠かったに違いありません。

不自由を常、 今流の自由というのは自分で自分の始末もできないのに自由を主張する感覚があるように思う。 例えば食うものは自分で作れ、いつまでも親のすねをかじるな、といえばそれも当然だと思うだろう。 自由平等という言葉とその考えは近代化にともなって欧米から日本に入ってきました。

夏目漱石は英文学の勉強のために国費でロンドンに行き、いろいろと西洋人の考え方を調べており、日本人と西洋人のものの考え方に大きなギャップがあることに気づきました。

例えばその一端が推察できそうなのが学習院でのお話「私の個人主義」とか「さくひんの「草枕」に表れていると私は考えています。

漱石は思想的な言葉として「則天去私」という考え方を報じるようになりました。 大事な娘雛子を亡くした悲嘆を乗りこえ、また作品系列から実存主義とも考えられることから見ても、「則天去私」の意味内容が推察できます。

武田充啓の『「自己本位」と「則天去私」』を見ていると、やっぱり「天道」と「私心」という東洋的な観念が漱石の考えの基調になったのだと思われます。 若い時の漢学の素養が漱石自身を育て上げたのだといえるのです。 ことに老子の哲学が根底にあったからと考えられるのです。
  参考 http://www.libe.nara-k.ac.jp/~takeda/ronbun/attitudes1.html
     http://www.libe.nara-k.ac.jp/~takeda/ronbun/attitudes2.html

堪忍、 「かにしてナ」語尾のナは尻上がりの言い方で、あやまることを表すときの言い方でした。 堪忍そのままのいみで、子供のころにはよく使っていました。 簡単には「かんな」にたいし「うん」と言ったものです。

礼儀作法の基本であり、仲間意識の潤滑油のようなもので、ちょっとした失敗にしても「かんな」は大事な表現でした。 この基本は確かに無事長久の基でした。 「ゆるす」ことはモーゼの十戒には言葉として出ていないのですが、「離散した十部族」の痕跡があちらこちらにあるのを見ると、たとえ分かれたにしても信じあい別れを許しあっていたからに違いありません。

おのれを責めて人をせむるな、 これこそ「離散した十部族」の見えなくとも最も美しい心がけではないかと私は思っています。 忍耐、がまん強い美徳、これこそ私たちが阪神淡路の震災にしても東北の震災にしても、みんなが助け合い我慢しあった美しい心がけだと信じています。

東北の津波をじっとテレビ画面に涙を流してみていたことは、私一人ではなかった。 私たちのありさまに感動して日本人になって死にたいといって帰化したドナルドさんにも敬服しました。 みんなが東北の人たちの身になって手助けし、応援していたのです。 偽らざる私たちの心だと思っています。 震災ののち歌われた「花は咲く」この思いも同じです。

以上、於大の方が願ったと思われることを拡大し、家康が晩年になって残した言葉と、世界史の長い間伝承され続けているモーゼの心根を自分なりに照合してみました。

私が大事にしてきた「温故知新」にかかわって歴史から学んだことをもとにし、では何を願って進めばいいのかをまとめようと思う。

それは、生命いのちが願うものに沿う方向でありたい。 書いてきたように、生命の目的は快であり生命を残すことを本能としている。

目標なり方向はそう決めて差し支えない。 その具体化はどうするのか。

最も大事な基本は望ましい子育てをすることにある、と私は決めています。 それは誰でも当然のことと考えていると思います。

この子育ては実は大事なことが秘められていることを、学んでおくことがあるのです。 そのことを私は宿業時代と名づけたい。

  宿業とは何か?

生命いのちの伝承ほど神秘なことは他にはないのです。

生命は前から繰り返し書いてきたように、誰もわからないのです。 でも「生命の暗号」で筑波大名誉教授村上和雄さん(今年84才)が言っているように、細胞能力は something great であり、それを私は全能能力としての神といってもいいと考えているが、その細胞の能力伝承ですから誰もわからない謎に満ちた神秘そのものなのです。

ところが、私が感心しているミツバチの生命の伝承も、吹けば飛びちるようなセコイアの種子に樹高数10mも成長し樹齢3000数100年という生命の伝承も、何の不思議も持たれず日常的にくり返されているのです。 動植物の生命の伝承はそれぞれの細胞独自のものであり、生命の伝承後も独自の成長をしていきます。

動物では卵生のものや胎児出産のものや、これも独自のものであり、生命伝承は違っていても雌雄の違う細胞により合一して伝承が行われているのは同じことです。 この神秘な事実を something great と言ってもいいし神様の力と言ってもいいでしょう。

こうしたことは生命の伝承としては話を聞けば誰でも「ンだ」「ンだ」と理解できる。 でもちょっと人間が違うところがある。 産まれたときを見ると、人は親の介助がないと生きていけないのです。 なんでかといえば、頭が大きくなって産めないので未熟児で生まれるからです。 未熟児と言えば、人はその細胞の歴史を38億年遺伝子が途切れなく伝承して進化してきているのです。

この人の細胞遺伝子の伝承がまだ終わらないうちに生まれなければならなくなったのです。 生命科学の進歩によってこうしたことが明らかになったといいます。

それで、まだ伝承しきれない部分は何かという課題が残りますが、このことについてはいろいろ本を見て調べていても出てはいませんでした。 ただ考えられることは、宿業という言葉があってこれは仏教からくる言葉でした。 たとえば「ごうがわく」という言葉があるのですが、そのごうとは何なのかいろいろ考えてみました。 そしてそれは宿業という言葉の業ではないかと私は思ったのです。 間違った推論かもしれません。

けれども人は誰でも業をうけてきていると思います。 人によっては業をまき散らす人と業を受けて困っている人があったりします。 考えすぎかもしれませんが、どうも自分の自覚が生まれる前の幼い時期にいろいろと性分と言われるいろいろのことを身につけたのだろう、と私は考えたのです。

そしてそれは、未熟児で生まれた自分が自己主張できる時期までの期間を成熟期間と考えていいのだという結論に達したのです。 そしてそれを私は「宿業」と勝手な言葉で理解することにしたのです。

たとえば、子供のころ山羊を飼っていて山羊の子はどの子もみんな同じような性質だったと思うのです。 山羊の子は成熟児として生まれてきています。 戦時中に北海道の釧路鶴居村の岡田国男さんという家に勤労奉仕でいたことがあります。 そこは300町歩の牧場と家の近くにも広い放牧地がありました。 仔馬は多少の違いはあったのでしょうが、軍馬として出すために私が運動させたのですが、どの仔馬も同じようだったことを思い出します。

人間の子供はどうでしようか?

私は教師として30余年中学生に接してきました。 この少年少女たちは山羊や仔馬たちとは違い、いろいろと個性的な性格でありました。 そんなことは当たり前と誰でも言います。 でも例えばA君の小学校のころを担任した先生にお聞きしてみると、私と同じような感想感覚で話をお聞きしました。 小学一年生の担任に子供たちの様子を聞くと、いろいろの性質の子供達だとお聞きするのです。 さらに保育園で自分の孫の参観をしたとき知人からは「いろいろの子供がいて保母先生は大変だね」と感想をお聞きしました。

こうしたことを整理しまとめてみると、既に満3才でも成熟児として生まれてくる動物と、未熟児として生まれて3年ほど家庭で受けた体験をもつ人を比べてみれば、その相違は現実に了解しなければならないのです。

これらは自分の体験からまとめたことですが、いろいろの育児書を読んできて殊にピアスの「マジカル・チャイルド」を読むに到って「宿業時代」がいかに重要であるかについて開眼させられたのです。

「マジカル・チャイルド」ピアス著、422pもある。 本のカバー表紙裏の記事にはこう記されています。

   最新脳科学が発見した胎児期から幼少年期になけての脳発達に関する
   驚くべき新事実を紹介しつつその意味を探り、自然が人間の赤ん坊の脳
   に組み込んだ無限の創造能力を全面的に開花させるにはどうすべきか
   を具体的に詳述、さらに、近年増悪の一途をたどる諸々の青少年問題は、
   胎児期に始まる母体とのきずなづくりの失敗に端を発しており、出産・育児
   にまつわる過ちをただすことなしにその根本的解決はありえないと強調す
   る。親、教育関係者はもとより、これから子どもを持つ可能性のある人すべ
   てに読まれるべき総合的人間教育論。


宿業を調べると仏教用語として、おおよそ前世の善悪の行為が現世に現れる業とか前世からの報いと解説しています。 仏教それ自体、いのちを大事にすることを基盤にしたものだったと私は思う。 その意味からすれば遺伝子自体の変化が伝承することは生命科学でも証明されていますから、それで前世の意味を拡大する必要はないと私は思います。

しいて前世を理解するとすれば未成熟児が成熟児に至るまでの期間を意図して前世と考えればいいのだろうと思います。

なぜなら自分からいろいろすることはなく、すべては自分を取り巻く環境次第で自分というものを築き上げてしまう、その意味だからと考えればいいのです。

その意味で前世のなかみをよく考えれば、言葉遣いや、人に対する態度や、言葉の使い方から方言にいたるまで、生活すべては自分を取り巻く環境を真似て自分を築き上げるのは間違いのないことと考えるからです。

すべては、この真似によって成熟児としての完成を迎えるのです。 間違いありません。 私は宿業という言葉をその意味で使うのです。 未熟児から成熟児へ、すべて真似によって完成するのです。

ですから、「宿業時代」は「真似時代」と言っても一向に差し支えないのです。

そしてまた、どこに書いたか忘れたが、親が心すべき大事なことは、「見られてもいい、聞かれてもいい、真似されてもいいことに徹することだ」と私は思っている。

宿業時代の真似がどれだけ大事なことか、誰もが納得したほうがいい。 そのことを取り上げたい。

たとえば、次のような適当な検索語で調べると、約 9,080,000件 が(0.27秒)で検出されるのです。 必要な項目を開いて調べることができます。

真似によって成長した子供たち
     この語句を検索して開く
そしてまた
幼児は真似て育つ
 この語句を検索して開く

という検索では、約 218,000 件 が(0.35 秒)で検出されます。

多くの人たちは既に、「我が子をどのように育てたらいいのか」その考えが出ているのです。 私たちも頑張ってそうした学びの世界を広げて可能な限りの力を尽くしたいものです

これは一人自分だけでなく、七人の侍のように七人ほどのグループの友達を作っていろいろと話し合いながら育児をすることもいいと思います。

それには、地域の人たちをまとめる段取りから始めなくてはなりません。 地域や村という単位でまとめたいものです。 どうしたらいいのでしよう。 賛成してください。


この山路を登りきては既出のもので、(一~三)まで大事なことですので再掲します。
山路を登りきて
すべては学び温故知新からうまれる
母親のおなかの中にあった時からほぼ四年間意識の有
無にかかわらずすべての見よう見まねに始まり、自分の
意志にもとずく見よう見まねの(温故知新を含む)学びに
依り自分の知情意及び健康すべてが築きあげられる。
―― これを書いたのは2014/03/25でした ――

一 高梨沙羅に頭が下がる、ありがとう
今年のソチオリンピックにより高梨沙羅を初めて知りました。検索で‘高梨沙羅’を見ると、 高梨沙羅(wikipedia)その他多くのURLで彼女のニュースに接することができます。

地図を見ると石狩川上流層雲峡がある、人口は4000人ほどの小さな田舎町出身です。小さい時からスキーに親しみ、スキーも勉強も一生懸命に努力し、やがてはスキーをする環境のために旭川にある <グレースマウンテンインターナショナルスクール>へ進んでいます。 高校一年のとき大検を取得しています。スキーと勉強に打ち込む努力家だったようです。

運動関係の「羽生結弦、内村航平、白井健三、タイガー・ウッズ」などみんな幼少時からの『学び』がありました。

去年の正月のニュースでした、「囲碁の天才少女、10歳で最年少プロに 名人も手腕評価」 2019年1月5日、小学4年中邑菫(ナカムラスミレ)さんで、これには驚きました。
二 「一万年の旅路」の“はしがき”を味読しましょう
著者‘ポーラ・アンダーウッド’は知識習得の基本、または大脳開発の方法によって育てられたことがわかります。

この本のはしがき部分に、具体的な詳しいことが書かれているので読んでいただくといい。

教育の大切さを知れば知るほど「大脳開発をいかに進めるか」に寄せる思いは誰でも強くなってきます。 このことについては既におおよその仕組みは解ってきました。

グレン・ドーマンの「ドッツ法」と軌を一にしていました。 「ウインドウ遊び」と言ってもいいかもしれません。

大事なことは、「やったほうがいいことをやるかどうか」にかかっています。 さてそうしたとき、どうすすめていくかについていろいろと課題がありましょう。 私たちはこうした具体的課題の手順や手だて方法など文殊の智慧を出しあい練りあげたいものです。
三 天才児を育てた ヴィッテの教育 … 現代幼児教育のスタートとなっている教育法

※ ヴィッテの教育  詳しくは次記「早教育と天才」を参照すること
    http://117happiness.sakura.ne.jp/youji-kyouzai/vite1.htm

ヴィッテが7歳の時、ドイツの「ハンブルゲル・コレスポンデント」という新聞にこう報道されました。

当地に教育上驚くべき事件が起きた!という文句で始まり、

『その少年は決して老人を切って縮めたような少年ではなく、すこぶる健全かつ快活でしかも柔和無邪気である。その上、こういう少年にありがちな自負心が少しもなく、まるで自分の才能を意識していないようである。

この少年はカールヴィッテといって、ロヒョウの牧師ヴィッテ博士の一人息子である。精神においても身体においても、このように理想的に発達した少年の教育法はきわめて興味あるものである』


これは、1808年メルゼブルヒのある学校で、ヴィッテが授業の内容を見学に行った時、その授業を行っている教師により試験されてしまった時のことを評した記事です。

その時、ヴィッテはギリシャ語・ラテン語・フランス語・数学などに関して満足な答えをし、教師や生徒たちを大変驚かせたのでした。

しかし、ヴィッテの父は決して学力だけに偏った人間に育てようとしたわけでもありませんし、まして天才児を育てようとして教育したわけでもありません。

ヴィッテの父の言葉を借りますと、

『私は息子をただ円満な人に育て上げようと考えた。だからありったけの知恵を絞って事情の許す限り彼を健全な、活動的な、幸福な青年に育て上げようと努めた』

ということなのです。

それなのに、このようになったのは、全く意外で、これは子供の能力の偉大さにあるといっています。

『子供の能力は期に遅れず、その出口をつけてやれば、泉のように流れ出る』
子供は自ら学んでいく


ソニーの元会長の故井深大さんも著書「胎児」の中で次のように述べておられます。

「大事なのは教育ではない。教育とは教え育てる意ですが、子供はむしろ学んでいくのです。自分自身で学ぶという気持ちを起こさせる、それが導くということです。そしてそのためには、お母さんやお父さんも自身がはっきりとした人生観を持って、子供よりも一歩ずつ先へ自分というものを築いていかねばならない」と。

また、儒家の経典で、冠婚葬祭、官爵、身分、学問などの多岐に及ぶ『礼』の根本精神についてまとめられた書物『礼記』(らいき)の中の言葉を引用して、「導いて索せず」でいくのがよいと言っておられます。

これは、子供たちを一生懸命いい方向へ導くけれども、子供に手綱をつけて、ああしなさい・こうしなさいと引っ張ることはしてはいけないという意味です。


生後3年間くらいの期間は未熟児と書きましたが、お腹の中にいるときから脳細胞は人間としての完成のプログラムとしてぐんぐんその仕組みを築き上げます。 それは大人の細胞とは違って大脳のひゅう皮質の働きによるもので、生後3年頃になって大人と同じような働きをするようになるといいます。

この未熟児の脳細胞の進化は才能逓減の法則とまで呼ばれており、脳細胞の連携をどんどん強固で精密な組織にしていくものなのです。 知識の基盤を強固にして記憶を確実にしたり、見たり聞いたりしてすべてまねる力を持っているのです。 この才能逓減のグラフを見ると産まれた時を 100 とすれば 満3~4 才頃に 0 になり、それと入れ替わって大人としての脳細胞の才覚になっていくといわれています。 例えば音楽でいうと音程を表すヘルツ認知は生後100%の聴力があるのに4~5才絶対音の認知は 0% になると言います。(絶対音というのは ハ調のド はどんな音程なのか認識できる能力です)

或いは英語の l と r の発音は 3~4才 だと英国人と同じように発音できるが、それをすぎた年齢になるとほとんど不可能になると言われます。

著者は「早教育と天才」の「結語」で大事なこととして次のように述べている
   大正6年、木村久一著早教育と天才に70頁余にわたり紹介されています。
 以上述べたことから、早教育の必要なことは極めて明らかであるが、私は最後に幼い子供を持っている人のために、一、二の注意を述べて本書を終わろうと思う。
   
 第一の注意は、学校を信頼しすぎるなということです。 今日の学校は、その設備といい、教育の方法といい、まことに立派なものである(そして将来心理学や教育学の進歩につれて、ますます立派なものとなるであろう)。 そのために人々は、学校を信頼しすぎて、子どもの教育はすべて学校に任せていいと考え、家庭教育を怠る傾向があるが、教育の中で最も大切な部分は、学齢以前の家庭教育であって、学校教育ではない。

 人々はとかく学校教育の価値を買いかぶって、その反面、家庭教育の価値をほとんど無視している。 しかし学校教育はそんなに効果のあるものではない。 われわれは近頃、なに主義教育、かに主義教育と、教育主義の送迎に忙殺されている。 そしてそれが初めて唱導されるときは、いずれも効果の吹聴がきわめて盛んである。 だがいざ実験してみると、なに主義教育もたいして違ったところがない。

 教育者は失望する。 人々は教育者を無能呼ばわりする。 それでやれ教育主義がいけないの、やれ教育法が悪いの、やれ教育者の力が足りないのと、いろいろな議論が出る。 しかし事実は教育主義が悪いのでも、教育法が悪いのでも、教育者が悪いのでもない。

 もちろんそういうことも少しは関係する。 しかし学校教育というものは、どんなに良い教育者が、どんなに良い教育主義に従って、どんなに良い教育法を用いてもたいした効果のあらわれるものではない。 学校教育からたいした効果を期待するのが間違いである。

 学校教育はうまくやれば、一中に入学する者を多くするぐらいのことはできよう。 一高に入学する者を多くするぐらいのことはできよう。 しかしそれぐらいが関の山であって、どんなにうまくやっても、英才をつくることはできない。 天才をつくることはできない。 しかし家庭教育はうまくやればこれができる。 人の運命は、ほとんど学齢以前の境遇と教育の如何によって定まる。

 子供が学齢に達して学校に入学する頃は、その運命はだいたい定まっているのである。 だから学齢以前の境遇と教育の悪い子供は、教育者がどんなに骨折ってもたいした効果が現われない。

(中略) このあとも愉快な気骨に満ちた警鐘の文章が続いています。 

 しかしながら、学校教育の進歩につれて、学齢以前に子供を教育する人がなくなるなら、わが国は凡骨国となってしまうであろう。 願わくはわが国を凡骨国としたくないものである。

   
 第二の注意は、禀賦ひんぷ(生まれつきの性質)万能論を信じるなということである。 サイデス博士は、幼児は焼物の粘土に等しく、教育の如何によって何にでもなると言っているが、これは全くその通りである。 子供は早くからさえ教育すれば、音楽者にでも画工にでも、詩人にでも学者にでも、何にでもすることができる。 先頃ある新聞に、音楽者○○子氏のことが書いてあった。 私は○○氏が、音楽者としてどのくらいの大家であるか知らないが、その記事を面白く読んだ。 その一節にこうあった。
〇子は今から二十四年前、〇〇〇町に生まれた。 五つの年父を失ってから、○○で貿易商を営んでいる実兄〇〇〇氏のもとに引き取られた。 〇〇〇氏の夫人〇〇〇はドイツ夫人で、〇子がまだ生まれぬ前から日本に来ていた。 人種こそ違え、優しいその心を愛した日本の父は、枕の上から〇子の行末を頼んで死んだ。 あによめは〇子がまだペダルに足の届かぬ八つの年からピアノを教えた。 ある時は優しく、ある時は厳しく、遊び仲間の娘達が、高らかに笑い興じて戸外を飛び回っている間に、未来の天才は泣きながら鍵盤にかじりついていた。
 本人は何というか知らないが、私は○○氏が今日の○○氏になったのは、八才という比較的に幼い時から、一生懸命にピアノをやらせられたためだと信ずる。 そして氏がもし二、三才の頃からピアノを始めたなら、まだまだ偉い音楽者になったろうと思う。 そうしてピアノの稽古にも、「泣きながら鍵盤にかじりついている」 必要がなかったろうと思う。 しかしとにかく○○氏は、あによめ〇〇〇夫人に感謝しなければならない。

 しかしある人はこういうかもしれない。 「音楽者には鋭敏な耳が必要である。 鋭敏な耳を持っていない者は、いかに早くから音楽を教えてもだめである。 そして鋭敏な耳は生まれつきであるから、お前の説は信ずることができない」 と。

 私はそう信じない。 鋭敏な耳を持っているとか持っていないとかいうことは、大人か子供が大きくなってからだけ言い得ることである。 二、三才の時から訓練すれば、子どもの耳は鋭敏にでもどうにでもなる。
(中略) こんな例はいくらでもある。 続く。

 とにかく幼児は焼物の粘土のようなもので、境遇とは養育の如何によって何にでもなる。 音楽家などをつくるのは最もたやすい。 二、三才の時から音楽を教えさえすればよいのである。 しかしストーナー夫人も言っているように、人間は円満に発達した、よく釣り合いの取れた人にならなければ、真に幸福な人となることはできない。 だから私は、子供を音楽家だけの人や、画工だけの人に育て上げることは、決して彼を幸福な人にする所以ではないと思う。 人間はこういう大きい脳髄を持っているのであるから、私たちは子供を育てる際、音楽家にするにも、画工にするにも、まずその脳髄を発達させなければならない。 同時にその体育と徳育に注意しなければならない。

 ヴィッテの父がヴィッテを育てたように、先ず円満な人に育て上げることを目的として、学者になるとか政治家になるとか、発明家になるとか事業家になるとかということは、当人の選択に任すべきものだと思う。

博士の子でも名士の子でも、幼年時代の家庭教育をおろそかにすれば、必ず凡骨になる。 これに反して凡人の子でも、幼年時代によく教育すれば、必ず偉い人になる。
(後略)

   
 第三の注意は、子供を人形扱いにするなということである。 多くの人は子供を人形よりも少しマシなものぐらいに考えている。 しかしこれは間違っている。 子供は決してそんなものではない。

   世界中に、わが国の小学校ぐらい程度の低い小学校はない。 小学校はあまりにも程度が低すぎる。 全く低能的である。

 いったい学校というものは、工業における機械方式を教育に応用したものである。 すなわちわずかな人手で、たくさんの子どもを教育しようという考えである。 なるほどこれは、ある程度まではやむを得ない。 しかしわが国の小学校のようでは困る。 わが国の小学校では、一組に生徒が七、八十人もいる。 これでは粗製濫造、程度を低くするよりほかに仕方がない。

 これは教育費が足りない結果である。 いわゆる文明国中、わが国ぐらい国民の教育に金を惜しんでいる国はない。 全く常識を逸している。 子供の教育は最高の芸術である。 この芸術に工業の機械方式を極度に応用して、決してうまく行くはずがない。 子供の禀賦ひんぷを良くさせようと思うなら、その教育を決して学校任せきりにしてはならない。

 早教育を誤解している者は、早教育は三、四才の子供に文字の読み書きを教えることと考えているが、これは誤りである。 文字の読み書きだけが教育ではない。 子供に文字の読み書きを、無理に急いで教える必要は決してない。 しかし耳から言葉を豊富に教えることは、できるだけ早くから始めなければならない。 しかしそれはよく工夫して、巧みに教えなければならない。 ストーナー夫人の教育法は、その参考にと思って詳しく紹介したのである。 子供の教育は芸術であるから、猿真似は何にもならない。 大切なことは、親の研究と工夫である。
(以下省略)

次の四~六は <山路を登りきて> を開いて見ます。
四 0歳教育関係
五 現代教育の断面 …… 教育2014「世界は 日本は」……
六 0歳教育関係

  以上



            個人的にぜひ購入してほしい本の紹介

胎児はみんな天才だ
最新の胎内教育―“子宮対話”の驚異
ジツコ・スセディック
祥伝社 初版 1986/12/15

1 常識を打ち破る画期的な方法  東邦医大講師 神田第二クリニック 間壁さよ子     本のカバー 表表紙裏より

 胎児が、ある種の学習をすることは、まぎれもない事実です。 ただ、それがいつからなのか、そして、どの程度の能力なのかは、いまだに明らかにされていません。 医学が相当に進歩した現在でも、実験・観察がひじょうに困難なテーマであるだけに、それは仕方のないことでしょう。

 しかし医師として、また母親として、妊娠・出産という神聖な出来事を体験し、新しい生命を目の当たりにするにつけ、「お腹の中にいるのだから学習能力はない」 と思うのは間違いだと痛感しています。 胎児は、驚くほど多くの “知識” を身につけて生まれてくるのです。 本書で述べられている胎内教育は、未知の可能性に挑戦した画期的な方法だと思います。

2 愛情こそ、奇跡の原動力  イリノイ大学教授 ジョージ・パーパス     本のカバー 裏表紙裏より

 私は、大学院でスセディック夫妻の長女であるスーザンを教えているが、夫妻の胎内教育については、今、ようやく本格的な研究がスタートした分野といえる。

 しかし、16才のスーザンが、平均年齢25才の研究室の中で、まったく年の差を感じさせないほどの才能を発揮しているのは事実である。 そして、その才能が、何か傑出した知能によるものではなく、驚くべき吸収力によるものだと、指導しながら感じる。 このことを考えると、豊かな愛情に支えられたスセディック式・胎内教育法は、健康で学習能力に優れた子どもを育てるための奇跡的なノウハウだと思うし、それは、いずれ科学的にも証明されると思う。

3 胎内教育の重要性を痛感   水沢アキ     本のカバー 裏表紙裏より

 「妊娠」・「出産」 という、これから母親になる人を対象とした本はたくさん出されていますが、本書のように、 “胎内教育” で胎児の脳を刺激し、心身ともに健やかで、知力の高い子を産もうという方法は初めて知りました。

 現在、私は妊娠四か月。 母親と胎児が身体的にも精神的にも一体であることを実感しています。 ジツコ・スセディックさんが本書で述べている “胎児に文字や言葉を教える” という驚くべき胎内教育法は、医学的には未知の部分もあるようですが、母親としては、直感的には全く共感できるのです。 私も、ぜひこの方法を参考にし、健康で聡明な子を産みたいと思っています。

4 著者略歴     本のカバー 裏表紙より

 1945年東京生まれ。 東洋大短大英語科を卒業後、英会話講師となる。 1969年に渡米し、ジョセフ・スセディック氏と結婚。 オハイオ大、マスキン大で心理学を学び、胎内教育により、4人の子をいずれも天才に育てる。

平凡な両親から生まれた四姉妹すべてが、IQ160以上の天才。 その秘密は遺伝ではなく、愛に満ちた “胎内教育” にあった。 “子宮対話” など、驚くべき実践胎教のノウハウをここに公開。

5 まえがき     著者

 私たちには四人の子どもがいます。 長女のスーザン、次女のステーシー、三女のステファニー、そして末っ子のジョアンナ。 彼女たちはみんな、IQ (知能指数) が全米の上位五パーセントに入る “天才児” として、今や世界中の注目を集めています。

 初めて全米の人々に驚異を与えたのは、スーザンが五才のとき、幼稚園からいきなり高校に進学したという事実でした。 多くの人は、この事実を “遺伝” あるいは “偶然” として受け止めようとしました。 しかし、それが遺伝や偶然ではないことを、私たち夫妻は、よく知っていました。 そしてそれは、当時三才だった次女のステーシー、一才だった三女のステファニーによって証明されるに違いないと確信していたのです。

 六年後、私たちの確信は現実のものになりました。 十一才のスーザンはマスキンガム大学で医科大学予備学生、九才のステーシーは高校一年、七才のステファニーは中学二年、そして四才のジョアンナは自宅で小学校高学年の勉強をしていたのです。

 それまで、私たち夫婦が主張し続けてきたこと――「胎内教育」が、子どもたちのすばらしい発育を促すということが、このとき、ようやく人々に理解され始めたのでした。 そして、それが世界中にセンセーショナルな話題を巻き起こしたのです。

 私も、元機械工の夫・ジョセフも、IQは120 程度です。 そんなごく平凡な夫婦の間に生まれた四人の子どもが、みなIQ160 以上であるという事実は、遺伝の枠を飛び越え、そこに新しい因果関係、つまり胎児の能力を引き出す 「胎内教育」 の有効性を明らかにしました。

 私たちは、子どもが胎内にいるときから、その知育にふさわしい歌や音楽を聞かせるとともに、アルファベットや数のかぞえ方、生活の道具や動植物などについて話しかけ、教えてきたのです。 私たちが “子宮対話” と呼んでいるこうした行為によって、実際に四人の子どもたちは、生後二週間で単語を話し、三ヵ月目には会話をしゃべれるという知能の発達を示し、さらに六ヵ月目で おまる の使い方を習い、九ヵ月目で歩きはじめるという運動能力の発育をも遂げました。

 私たちの実践によって、今までの胎児医学が見直され、ベールの向こうにあった “胎児の驚くべき能力” が、しだいに解き明かされつつある現状に、私たち一家は大きな期待と喜びを感じています。 と同時に、できるだけ多くの人々に、その幸せを実感していただきたく、ここに日本の皆様に向けて、私たちの体験のすべてを披露したいと思います。 新しい時代の中で、皆様の子どもたちが、よりすばらしい人生を歩まれることを願ってやみません。

  一九八六年一一月         オハイオ州ニューコンコードにて
                              ジツコ・スセディック (旧姓・館林たてばやし実子じつこ)

私がお勧めしたい本の紹介は以上です。 子育てに 「 胎内教育 」 を実践するとすれば、この本を常に読み返し、常に手元に置いて見返し、自分でいろいろ自分の案をノートへ書き入れ、道案内しようとする具体内容を準備していかなくてはなりません。

一人で進めるのではなく夫婦で対処しなくてはならないと思います。 それに、前に書いたように子育てグループの友達組織を考えていくことも大事になってきます。