トラブル事例
かつて碁界を騒がせた、ルールに関するトラブルあれこれ

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如仏の判決

(にょぶつのはんけつ)
古今著聞集に「建長五年十二月二十九日法深坊の許に、刑部坊という僧あり。彼と二人碁を打ける程に、法深坊の方、目一つつくりて、其上劫を立てりければ、只には取られるまじといはれけり(以下略)」のくだりがある。これは鎌倉時代、如仏が「両劫に仮生ひとつ」と判定した。なお、「両劫に仮生ひとつ」は「月光の活」とも呼ばれる。
本能寺の三劫 織田信長の前で日海(初代本因坊算砂)と鹿塩利賢の対局に現われたとされる。以来、不吉の前兆と言われるようになった。古来無勝負とされ、旧日本棋院囲碁規約でも現行ルールの日本囲碁規約でも無勝負となっている。
取らず三目 嘉永年間に1図の形が実戦にでき、ときの権威者である十四世本因坊秀和(八段)に採決を仰いだ。秀和答えて曰く、「取らず三目(打たず三目)がよかろう」。
手入れ問答 昭和初期、喜多文子(贈七段)の手記に書かれていた話。本因坊秀哉と久保松勝喜代(贈八段)との間で、以下のような局面での手入れに関して議論が戦わされた。
万年劫問題 1928年秋の日本棋院大手合2回戦。瀬越憲作(当時七段)対高橋重行(当時三段)の2子局に万年劫が出現し、問題が起きた。
呉・岩本問題 1948年7月。岩本薫和本因坊対呉清源十番碁の第一局。
藤村問題 1954年「棋道」11月号に掲載された藤村芳勝(当時五段)の手入れに関する図例に端を発して問題が起きた。
呉・高川一手劫問題 1959年1月。毎日新聞社主催の高川秀格本因坊対呉清源三番碁第二局。