日本囲碁基本規則案
草案要綱(貝瀬ルール)
貝瀬尊明ルール/1960(昭和35)年6月24日
1942年「囲碁春秋」、1958年「囲碁」、1961年「棋道」等に断片的に掲載


注1 この要綱による計算法で計算した結果は、通例の場合は、現行規約(*注:旧規約のこと)による計算法で計算した結果と殆ど異ならないものである。
この草案は中国式計算法の半数計算を採らない。

注2 この要綱に記載されている事項について実験する場合には、五道または七道程度の小碁盤によるのが簡明である。

I (終局、眼、地、および碁の定義)
 中国の碁と日本の碁とは別々の碁ではなく、同じ碁についての計算方法(作り方)が異なるに過ぎないのであって、どちらでの計算方法によっても計算の結果は等しいものであるが、日本式計算方法の方が計算の仕方が簡単であることを明らかにするとともに、このような性質を有するわれわれの碁の構造を理解するために必要な三つの碁の定義(概念)およびこの三つの碁の定義の間の関係、ならびに、終局の定義、眼の定義および地の定義を明らかにする。

 置碁の計算については別に考慮するところによるものとする。

 われわれが打つ碁にはつぎのような三つの定義の仕方があって、計算方法はそれぞれ異なるに拘らず、どの計算方法によっても計算の結果は等しいものであるが、実際に碁を打つときには、計算が最も簡単な日本式の「合意による終局」の場合の計算方法により計算し、ハマが隣接する対局者のハマと混合した場合その他日本式計算法により計算することを不適当とする特殊の例外の場合に限り、中国式の「合意による終局」の場合の計算方法により計算する。ただし、非交互着手賃の支払いにより、「地」とハマの合計を計算する日本式計算が可能の場合には、この方法によることができる。

 石の死活についての疑問が発生したときには、「本来の終局」まで着手を進めた場合の碁を基準として、疑問が解決するまで着手を進めて疑問を解決する。

(1) 「本来の終局の定義」
 「本来の終局」は対局者の一方ばかりでなく、相手方も、碁の目的にかんがみ着手権行使の余地なしとの認識(観念)を表示し、その表示の合致するによる双方の着手権の消滅(手段の交互実行の権利義務関係の消滅)である。

(2) 「合意による終局」
「合意による終局」は対局者の一方ばかりでなく、相手方も着手権の行使を継続する実益なしとの認識(観念)を表示し、且つ、この認識に基づき、着手権を消滅せしめ、「本来の終局」まで着手を進める手数を省略して勝敗の数を計算したいとの欲求(意思)を表示し、その表示の合致するによる双方の着手権の消滅である。

(3) 「眼の定義」
「眼」は「本来の終局」まで着手を進めた時に盤面に存在する一方の石によって囲まれた点であり、且つ、相手方にとっての着手禁止点である。

(4) 「地の定義」
「地」は一方の石により囲まれた盤面の一つの点または二つ以上の点の集合であって、「本来の終局」まで着手を進めるときは、一方の石が存在するか、一方の石の「眼」として残るか、どちらかに決まることが「合意による終局」の時に予測し得る点である。

注3 手入れの要否および死活に関する疑問は、疑問が解決するまで交互着手を進め、疑問が解決した時に後手の着手を手止りとして終局するとすることにより殆ど全部の疑問が解決され、この解決方法により解決し得ない疑問は同形反復禁止の原則を一般化することにより解決される問題である。

注4 石の死活の判断の基準
「本来の終局」の時が、理論上、石の死活の判断の基準となる時期であり、この時に盤面に存在する石が活き石であり、死石は打ち上げられた石である。しかして、二眼活き(独立の活き)かセキかを区別する実益はなく、現行規約的にいえば、二眼活き石以外の活き石は全部セキである。

注5 「合意による終局」の場合に、「死石はそのまま取り上げる」のは、打ち上げ手数を省略しているのである。

(5) 「本来の終局」まで着手を進めた場合の碁の定義
碁は盤面に生存(存在)せしめ得るだけ生存せしめた一方の石の数および一方の石の「眼」の数の合計と相手方の同様の合計との多少を争うものである(二元的な領域の定義または概念)

(6) 中国式の「合意による終局」の場合の碁の定義
碁は盤面に存在する一方の石の数および「地」の点数の合計と相手方の同様の合計との多少を争うものである。

(7) 日本式の「合意による終局」の場合の碁の定義
(日本式計算法による碁の定義)
碁は後手の着手を手止り(ダメに手止りを打ち得ない場合には、自己の「地」または相手方の「地」に手止りを打つ)として計算する一方の「地」およびハマの合計と相手方の同様の合計との多少を争うものである(交互着手得点相殺の原則)

(8) 先番の碁の和局は白の優位(勝ち)とするものとする。

(9) 右の(8)をつぎの(8)および(9)のようにするのも一つの理論的な考え方である。
(8) 碁盤が奇数路であることに由来する当然の得点の減点。
 先番の碁の(5)、(6)および(7)の得点の計算については、奇数得点をした黒の得点は壱点減点されるものとする(黒が奇数得点をした場合には、減点後も黒の得点が優位であるか、または、減点後は双方の得点が等しくなる)。
 コミ碁のコミはこの原則との関係を考慮して決定するものとする。

(9) 先番の碁の和局およびジゴ((8)の減点の結果双方の得点が等しくなった場合)は白の優位(勝ち)とするものとする。
 中国の碁に(8)および(9)のような原則が存在したこともないし、また、現に存在もしないとされる場合には、日本式計算法は韓国の碁のこれらの原則の影響によりこれらの原則を採用するものであることを明らかにする。すなわち、韓国の碁の影響によりダメを原則的に有効着手点としない現在の日本式計算法が成立したかどうか不明であるならば、韓国の碁のこれらの原則は一理あるから、われわれは新しくこれらの原則を採用することを明らかにする。

(碁の手段の定義および手段の交互実行の権利義務関係)

II 碁の手段(手)の定義および手段の交互の実行は権利であると同時に義務であることを明らかにする。

(1) 「碁の手段」の定義
「碁の手段」は「着手権の行使」または「着手権の停止」(「着手権の休止」)である。

(2) 「着手権の行使」の定義
「着手権の行使」は着手が禁止されまた制限されている点を除く任意の空点の一つに石を置くことである。

(3) 「着手権の停止」(「着手権の休止」)の定義
「着手権の停止」は対局者の一方が「着手権の行使」は実益なしとの認識(観念)を表示し、且つ、この認識に基づき、着手権を行使(発動)したくないとの欲求(意思)を表示して、または、「着手権の行使」は碁の目的にかんがみ不能であるとの認識を表示して、その着手権を行使しないことである。

(4) 碁の手段の交互実行の権利義務関係
1 日本式の「合意による終局」まで「碁の手段」は「着手権の行使」であり、その交互の実行は権利であると同時に義務である(交互着手の権利義務関係)。
2 中国式の「合意による終局」まで、または、「本来の終局」まで着手を進める場合には、「碁の手段」は「着手権の行使」または「着手権の停止」であり、その交互の実行は権利であると同時に義務である。
(手段の交互行使の権利義務関係)

(手段の無限反覆性禁止の原則)

III 同形反覆禁止の原則を一般化して「手段の無限反覆性禁止の原則」とし、無限に反覆する性質を帯びない同形反覆の手段は許されることを明らかにする。

(1) 日本式の「合意による終局」まで、劫の周期の長短に拘らず、部分的の同形を反覆するためには、劫立てをして、盤面の全体としては同形を反覆してはならないものとする(「同形反覆禁止の原則」)

(2) 中国式の「合意による終局」まで、または、「本来の終局」まで着手を進める場合には、
(1)の「同形反覆禁止の原則」を「手段の無限反覆性禁止の原則」と読み代え、「着手権の停止」は同形を反覆するものであるが、無限に反覆する性質を帯びない限り許されるものとし、また、一方の対局者の「着手権の停止」に続いて相手方も着手権を停止したときは、「その着手権の停止」の連続は劫立てと看做すものとする。

注6 「着手権の停止」は単独に行なわれることがありまた、着手権行使の余地なしとの認識の表示に予備的に随伴することがある。

注7 この要綱は身投げ着手(着手禁止点への着手であって自殺着手と呼ぶ人もある)を認めない。

注8 この要綱は、理論上は発生しても実際上は発生しない事項をも考慮して規定しているが、入門者に教えるルールは実際に打つ碁に適用されるものに限り、理論上の問題はルールブックに記載して置けば充分であるから、入門者に教えるルールは参考図を示すことにより簡単明瞭なものとすることができる。

(日本棋院判例の失効)

IV 日本棋院判例は廃止するものとする。

(基本規則と細則との区別)

V 日本棋院囲碁規約中の囲碁基本規定であって、この要綱による規定に矛盾しないものは、この要綱に引用して、この要綱による規定とともに日本囲碁基本規則を構成するものとする。
 前項の基本規則以外の細則は別に定めるところによるものとする。

注9 この要綱による規則の実施は昭和30年1月1日を目標とする。ただし、本因坊戦、最高位戦、最強戦等前年度より引き続いて行なわれる企画については、経過的に昭和30年度企画と表示して、旧規約によりその企画を完結するを適当とするであろう。

注10 日本棋院囲碁規約中改正委員会には、この草案ばかりでなく、さまざまな改正草案や改正意見が提出されるであろう。そして、委員会において多くの意見について考究の結果、多くの意見が綜合され、統一されて、委員会として一つの意見がまとまるであろう。
 ところで、現行の日本棋院囲碁規約は古来の不文の日本囲碁規則を成文化したに過ぎないうも過言でないので、従来の碁を変更せず、単に、従来の碁の規則を成文化したいという考え方を基調とする限りにおいては、委員会の決定をそのまま日本棋院囲碁規約として採用したことにより従来の碁は実質的に何等の変更をも受けず、従って、日本棋院囲碁規約を実施することに別段の問題はなかったのである。

 しかるに、今回は、古来の日本囲碁規則としての日本棋院囲碁規約は不合理であるから、これを完全に合理化しようとするものであり、従って大改正であり、全日本囲碁人のルールについての考え方を変更する大事業である。それ故、委員会としての意見が一つにまとまったにしても、その意見を直ちに規約改正についての最終的意見とせず、委員会の決定は日本棋院または国際囲碁協会が委員会の議を経て決めた「日本棋院囲碁規約中改正案」として世に公表し、この案を一般世人に説明してこの案に関する知識を普及し、それにより一般世人の批判を求め、また、外国人の批判を求め、その結果「改正案」は修正すべきであるか否かを検討した後に、最終的に、日本棋院囲碁規約をどう改正すべきかを決定するように取り運ぶを妥当とするであろう。


日本囲碁基本規則案−貝瀬尊明ルール