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続折々の記 2020⑧
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【 04 】10/04
抹殺 反対者を抹殺 それは戦争の論理
10 04 (日) 安倍から菅への交代の意味 田中宇の菅政権の見方
新政権の見方については、いろいろの見方があるだろう。 絶えず世界ニュースの解説を考えて発信している田中宇の見解を見てみよう。
2020年9月19日
安倍から菅への交代の意味
田中宇の解説
9月16日、安倍政権が終わり、菅政権が組閣された。安倍から菅への交代はなぜ起きたのか。「安倍の持病が悪化」が今回の交代の本当の最大要因であるとは、どうも私には思えない。国際政治的に辞任のタイミングが絶妙だからだ。安倍はこれまで、トランプの米国が中国敵視を強める中で、対米従属を続けながら中国にも擦り寄って日中関係を強化するという微妙なバランスの戦略をやってきた。これからトランプが再選されて中国敵視をさらに強めそうな中で、安倍はもう米中へのバランス戦略が続けられなくなったので辞めることにしたとか、そういう話でないかとこれまで考えてきた。 (安倍辞任の背景にトランプの日米安保破棄?)
今回の分析は、それと似ているが少し違う。安倍は8月28日、辞任していくことを表明するとともに、新型コロナウイルスに関する感染症法の扱いを、これまでの1-2類相当から、5類への格下げ、もしくは法指定自体から外すことを検討すると発表した。感染症法の扱いは、新型コロナが「大変な病気」であることの法的根拠だ。分類的には、1類(エボラ出血熱、ペストなど)が最も重篤で、5類(季節性インフルエンザなど)が最も軽い。 (新政権はまず新型コロナ「指定感染症」の解除を)
安倍政権は今年2月1日、中国が1月23日に武漢市を都市閉鎖してコロナ危機が始まった直後に、コロナを感染症法の1-2類相当に指定した。日本政府はコロナに関して、従来は1類にもなかった「外出自粛要請」などの新規制を盛り込んでおり、見方によってはコロナは「超1類」だ。コロナを感染症法1-2類に指定したことで、日本政府はPCR検査の陽性者を全員、入院させねばならなくなった。陽性者の多くはウイルスが咽頭に付着しているだけで感染しておらず、実のところ入院の必要がないが、付着しているだけの人と感染した人を見分ける方法がない。感染しても、その多くは生来の自然免疫によって治癒する軽症者だ。ごく一部は重症化や死亡するが、その比率は季節性インフルエンザより低い。要するに新型コロナは「インフル以下・ふつうの風邪相当」の病気である。感染症の指定など必要ない。 (コロナのインチキが世界的にバレていく2020年9月2日) (ただの風邪が覇権を転換するコロナ危機2020年8月12日)
しかし、そうした実態がかなり確定的にわかってきたのは6-8月ぐらいになってからだ。初期の2-4月ごろは、米国や中国、WHOや国際マスコミなど(要するに軍産エスタブ??。国際筋)が新型コロナについて大騒ぎし、重症者がどんどん出ている感じも喧伝されていた。日本政府は、米国やWHOなど国際筋からの圧力で、新型コロナを感染症法の1-2類相当に指定した。だが、PCR検査を広範に実施すると、陽性者の大半に当たる何の危険性もない「付着者」や、付着すらしていない「コンタミネーションによる擬陽性者」などを強制入院させねばならず、無意味に医療体制がパンクする。(PCR検査は、検査室内で検体の試験管の開閉時にウイルスが空気中に漂い出し、その後の他の人の検体に入って擬陽性の反応を出す「コンタミネーション」が起きやすい。検査を増やすほどコンタミが頻発する) (Why the CDC botched its coronavirus testing) (愛知県 11日に感染確認と発表の24人 実際には感染なし) (6 Ways to Minimize Contamination during PCR)
PCR検査に依存するのは危険な愚策なのに、WHOや米政府などの国際筋は、日本を含む世界中に大量のPCR検査をやらせようとし続けた。日本政府は2-3月に、国際筋からの圧力を受けつつも、できるだけ国民にPCR検査を受けさせないやり方でのり切ろうとした。だが3月中旬以降、国際筋は、店舗や企業の強制閉鎖、市民の外出禁止など強烈な都市閉鎖をコロナ対策として世界に強要し、米欧など多くの国が強烈な都市閉鎖を開始し、世界を大恐慌に陥らせた。日本政府は、国民にPCR検査を受けさせず、都市閉鎖もやらずにこっそり繁栄し続ける意図的な無策をやろうとしたが、国際筋から見とがめられ、都市閉鎖をやれと3月末に強烈に加圧された。日本政府は結局4月初めに、都市閉鎖より一段軽い「非常事態宣言」を発令し、禁止でなく自粛要請を出した。 (日本のコロナ統計の作り方) (集団免疫を遅らせる今のコロナ対策)
日本政府は当初から、経済を大恐慌に陥らせる都市閉鎖や非常事態宣言を出したくなかったはずだ。当初の意図的な無策から、非常事態宣言へと急転換した3月後半の日本政府の動きを見ていて、これは米国からの圧力だろう、トランプが安倍に電話してきて「ロックダウンをやれ」と声高に命じたのだろうと当時の私は感じた。トランプから安倍への電話ぐらいしか、日本政府がわざわざ経済を自滅させる非常事態宣言の政策をやらざるを得ない状態にさせられる理由として考えられない。 (ウイルス統計の国際歪曲)
3月下旬に「ロックダウン」という、日本で初耳の、しかし米国で数日前から言及され出した言葉を記者会見で初めて頻発し始めたのは、安倍でなく、都知事の小池だった。安倍は、トランプから強要されたロックダウン的な非常事態宣言を出すにあたり、愚策とわかっていたので、自分でやらず、現場の東京都の知事だった小池にやらせたのだった。トランプは安倍に「ロックダウンをやれ」と言ってきたので、安倍は誰かに「ロックダウン」という言葉を頻発させる必要があった。そうしないと「非常事態宣言=準ロックダウン」という図式を米国にわかってもらえず、トランプの命令に従ったことにならない。安倍周辺は「小池が言うことを聞かずコロナ対策で独走している(愚策は小池が勝手にやっていることで安倍の責任でない)」とマスコミに漏らして書かせる茶番劇までやっていた。マスコミは当時「小池が安倍を追い出して次の首相になる」とまで書いていたが、小池は今回の首相交代劇で全く出てこない。
などなど、当時を思い出すと、安倍はトランプに加圧され、愚策なのでやりたくないロックダウンを薄めた非常事態宣言の策をやらされていた。その安倍が8月28日、辞任表明の同日に、コロナが大変な病気であるという法的根拠の根幹にある1-2類相当の感染症指定を、自分が辞めた後の日本政府が見直していくと発表した。新型コロナを、インフルエンザ並みの5類の指定に格下げするか、もしくは新型コロナの感染症指定そのものを解除する。これは、米国から加圧されていやいやながらやっていた「コロナが大変な病気なので大恐慌になっても都市閉鎖をやる」というインチキコロナ危機の愚策を、安倍が辞めた後に日本がやめていくということだ。
日本政府が感染症指定の格下げや解除を実施する表向きの理由は「軽症者や無発症者で病院がパンクするのを防ぐためであり、新型コロナがインフルや風邪並みの大したことない病気だということではない」となっている。しかし、新型コロナが大変な病気なら、大半の人が軽症や無発症でも、感染症指定の格下げや解除を検討するはずがない。世界的に、新型コロナで重症化・死亡する人の多く(ほとんど)は他の持病などによって免疫力が低下した状態で、コロナを「大変な病気」と思わせるために、持病で死んだ人がコロナで死んだと診断されている。コロナの「大変さ」は、世界的に誇張されている。軍産エスタブがコロナの重篤性を誇張し、トランプも(覇権放棄や多極化策に転用できるので)それに便乗して、安倍の日本にも圧力をかけて愚策な経済閉鎖をやらせてきた。 (Flu is killing more people than Covid19)
日本は、安倍の辞任とともに、米国主導のコロナ危機の誇張に同調するのをやめていく。日本の権威筋やマスコミは、今後しだいにコロナの重篤性を誇張しなくなっていくだろう。日本が米国主導のコロナの誇張に乗らざるを得なかったのは、トランプが安倍にガンガン電話してきて、ロックダウンをやれ、国内旅行の奨励などまかりならん、などと命令し続けたからだろう。トランプ就任後、日本の対米関係は安倍とトランプの親しさに全面依存してきた。トランプの登場で、それ以前の米国と日本など同盟諸国との親密さの経路だった国務省・外務省系の軍産ルートは消滅した。安倍が辞めたら、日本は米国の権力中枢との親しい連絡ルートがなくなる。 (従属先を軍産からトランプに替えた日本)
安倍が長期政権を維持できたのはトランプとの親密さのおかげだ。だが、コロナや中国敵視、軍事費負担増など、安倍の日本に対するトランプの要求が激しくなり、安倍は、自分とトランプの親密さが日本の国益になっておらず、トランプ再選後はそれがさらに強まると考え、日本とトランプの間のパイプを消失させるために首相を辞めることにしたのでないか。
日本政府は、11月の米選挙でトランプが再選される前の10月中に、新型コロナの感染症指定の格下げないし解除を決めてしまう。トランプが再選されて(もしくは可能性が低いがバイデン政権ができて)日本に「コロナでの再度の大騒ぎ」を強要してきても、そのころ日本では、新型コロナがインフル並みかそれ以下の病気と正しく見なされる新体制になっている。日本人はまだ大半がマスクをしているだろうが、店舗などは今より繁盛に戻る。トランプは、日本に文句を言ってくるかもしれないが、日本側は敏感に反応しなくなり、馬耳東風な感じが強まる。マスコミは、日米関係が悪化したと菅を批判するかもしれないが、同時に選挙後の米国は、トランプ敵視の極左による暴動激化など混乱の拡大が予測され、覇権国としての当事者能力が低下し、対米従属だけが最良策と見なされなくなる可能性も高い。
コロナ危機に関しては欧米で唯一、都市閉鎖をやらず、軍産傀儡のマスコミから誹謗中傷されていたスウェーデンが、最近、自国のコロナ政策が正しかったと主張できるようになっている。マスコミや権威筋によるコロナ危機の誇張の方がウソだったのだと、世界的に言いやすくなっている。欧米各地で、コロナ危機の扇動をウソだと見破って主張する市民運動が起きている。日本がコロナ危機の誇張をやめていくことは、世界的な風向きの変化に合わせたものだ。
安倍は、軍産と戦うトランプからの入れ知恵で、国務省など軍産とのつながりが強い外務省を政権中枢から外し、代わりに経産省を外交面でも重用していた。菅は、経産省を外し、財務省を重用しそうだと言われている。菅は、財務省が強くやりたがっている消費増税をやるとも言っている。菅は、財務省に引きずられる演技をすることで、日本は税収を増やしたい財務省に握られているので国内経済を成長させねばならず、そのために経済閉鎖などコロナ危機の誇張に乗れないのだと言えるようにしているのかもしれない。
また菅は、日銀との連携を強めるとも言っている。これは、米国の株価を下げたくないトランプのために、菅が日銀に以前のような積極的なQEをやらせて米国の株や債券を買い支えるという意味だろう。すでに日本は、中国が売り払った分の米国債を買い支え、再び中国を抜いて世界最大の米国債保有国になっている。日本がコロナの誇張策に乗るのをやめても、米国の株や債券を買い支えれば、トランプは日本を批判しないというのが菅の策略かもしれない。米日欧の中銀群によるQEは、米国中心の金融バブルを延命させるだけで、最終的にはドルの崩壊、基軸性の喪失になる。米国債もいずれ金利上昇してしまう。QEや米国債の買い増しは悪い策だ。しかし短期的には、どうせ破綻するなら延命できる限り延命させ続けるというのもありだ。
日本のトランプとの唯一のパイプだった安倍の辞任により、日本は自分から米国と疎遠にする道を歩み出している。菅は、米国と疎遠になる分、中国を重視する傾向になる。これは、菅でなく石破などが首相になっても同じだった。トランプは2期目に中国敵視を強めるが、日本はそれにあまり乗らない。乗る演技をするぐらいだ。
そういう時期に、英国が日本に近寄ってきて日英貿易協定を結び、TPPにも入ってくる。英国や独仏、豪州など従来の米同盟諸国は、トランプが2期目に入って覇権放棄や同盟破壊・多極化をやり続ける中で、米国抜きの「西側諸国」を形成していかねばならなくなる。早くそれをやらないと、東欧や韓国、東南アジアなど、西側だけど中露の近くにある諸国が、中露側にどんどん絡め取られ、西側の範囲がどんどん狭まる。西側が米国抜きで中露と敵対する選択肢はない。勝てないからだ。西側諸国が、米国と共倒れで分解・弱体化していきたくないのなら、中露と協調しつつ、西側を維持していくことが必要だ。その意味で、英国はすでに、米覇権主義の勢力である軍産と一線を画しているともいえる。日本も、安倍の辞任により、軍産や、米覇権への唯一絶対の従属姿勢から離脱していくことになった。 (UK Strikes Historic Free Trade Deal With Japan As Brussels Threatens To Abandon Talks)
菅は、今後も軍産傀儡の残骸から出てきそうもないマスコミから批判されつつ「私は安倍さんのようなトランプとのパイプを持っていないので」と言いつつ、日本を米国から疎遠にしていく汚れ役をやるつもりなのだろう。菅でなく石破が首相になっていたら、トランプと大喧嘩して日米決別みたいな展開があり得たが、戦後の徹頭徹尾の対米従属があっただけに、日米の喧嘩別れに耐えられる日本人が少ない。そのためにも、まず菅が首相をやって、受動的に対米疎遠を進めるのが良い。いきなりの対米自立は無理だ。それは、08年の小沢鳩山が国民の広範な理解を得られず失敗したことが示している。日本人(やドイツなど対米従属諸国の人々)は、対米従属という「牢獄」に、自ら75年間安住してきた。急に自由に生きていいよと言われても、牢屋の方が居心地が良いですと答えるだけだ。トランプは牢屋を壊す。だから看守役の軍産マスコミはトランプを敵視する。
菅は、ロシアや北朝鮮との関係改善も視野に入れているようだが、それらは菅に向いている仕事でない。安倍は、かなりの強権を得ており、軍産傀儡の外務省を外したのに、ロシアや北朝鮮との関係改善をやれなかった。その理由は、自民党や保守派の中にロシアや北を毛嫌いする冷戦体質が根強く残っているからだ。米国の覇権が強く見えている限り、米国と一緒にロシアや北を敵視するのが良いと考える冷戦体質からの離脱が難しい。ロシアや北と和解するには、かつての小泉純一郎みたいに「自民党をぶっ壊す」と宣言せねばらない。菅は、そういうのに向いていない。しかも小泉自身、宣言したけど道半ばで終わっている(当時はまだ米国が強かった)。菅の役目は、日本は米国との同盟関係に安住できなくなったと、日本国民に納得させていくことだ。日本人が対米従属をあきらめた後、自民党(の冷戦体質)をぶち壊してロシアや北と関係改善していく次の指導者が出てくる。
【下平記】
このニュースの三節目のデータ
コロナのインチキが世界的にバレていく 2020年9月2日
ただの風邪が覇権を転換するコロナ危機 2020年8月12日
この二つをクリックして、2020年9月2日と2020年8月12日を開いてそのニュースを読んでみると、コロナウイルスの検査方法の詳細を私など全く知らなかったが、実態がはっきりわかる。
これを統計上に示されると、だれしもすごい感染力だと警戒心で身を固めたくなるのは当たり前だと思う。 一つのプロパガンダ(宣伝)手法に過ぎなかったことがわかります。
アメリカによる世界中の人たちへの過剰宣伝だったと言わざるを得ない。 身体細胞が活躍している人なら普通はその免疫力によって普段の流行性感冒として死に至ることはないという。
流行性ということでは、手洗い、うがい、マスクによる防護で対処できる性質のものという。
それに絡んで米中の争いから米従属による過剰要求によって日本は大事な局面にあることが知らされる。 やっぱり広く世界のニュースを耳にしないと、目先のプロパガンダの操りのようにアタフタしざるを得ない。
これが偽らざる感じである。 お茶に来いという声がかかったので、一区切りにします。
10 06 (火) 抹殺 反対者を抹殺 それは戦争の論理
アメリカ大統領選挙の報道を見ていた時の様子、二人の立会演説会は聞くに堪えないありさまでした。 識者のコメントでも、今までこのような議論はなかったと嘆いた報道をしていた。
「対手の立場を無視する」 まさに意見の衝突から子供が喧嘩する場合がそれである。
大統領選挙での言葉、「黙れ」「嘘つき」という日本語に翻訳していた。 日本の菅総理は自分が属する政党のためなら、官僚の配置転換も学術会議のメンバー拒否でも行なっている。 戦争遂行のための軍事裁判では銃殺、刑罰を行なってきた。 子供の喧嘩と同列である。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」では、蜘蛛一匹の命を助けた例を取り上げている。 助ける心も自分が死んでしまう悲しい心も人は本来持っていることを象徴する作品でした。
人はみな誰でも動物の肉を食膳にして美味しいといい、コメや小麦の粒を粉にしたり似たりしたりして生きてきた。 人もまた、芥川が象徴とした作品と同列である。
人でも動物でも、自分の所属していないものの命を食べなければ生きていけない宿命を持っている。 命は大事だ。 だが他の命を食べなければ生きていけない。
このことを自己撞着という。 生きているそのこと自体、矛盾しているのです。 人はこれを、絶対矛盾の自己撞着という。
すくなくとも、人が人を食べるということはない。 人は人以外の命を奪って生きなければ生きていけないから、人間同士の間ではそれは禁句にっている。
この禁じられてきた原則は最低限の権利として確保してきている。 人の体の色や顔が違うにしても、この原則は各自が保持していなければならないことである。(基本人権)
この原則を崩すことは赦(ゆる)されない。
歴史を学んでいると、「目には目を、歯には歯を」というハンムラビ法典がありました。 漢字では報復法という意味で表現もされているように、この原則に反する内容は幅も広いし深さも深い。 検索してみると、なんと282条にも分けてある。
いまでは、民法や刑法として、守らなくてはならないことになっている。
そこで、問題になるのがいまのアメリカ大統領選であり菅政権の学術会議メンバーの任命である。
自分が所属している国のリーダーの考えに反する人に対する権利である。 彼らは自分の考えに抵抗する考えを排斥しようとする。 この場合、相手を否定することは逆の立場に立った時もそれでいいのかという論理が全(まった)く成立しない。 言い換えれば論理が矛盾している。
こんな論理が矛盾する言い合いを見たり聞いたりしていると、 真実はどうなんだと言いたくなる。 聞かされている私たちは、本当のこと間違いないことを求めているのです。
くどくど書いてきましたが、菅総理の理論が通るとすると、日本が戦前真実を無視して国策を進めてためにどれほど多くの人が全ての人といったほうがいい、すべての人が悲惨な目にあっているのです。
そんなことが分からないのですか? 多数決という方法は、いい面ばかりのことではなく悪くなる面もその方法として考えなくてはならないのです。 菅総理が所属する政党の多くが賛成したからと言って、それが正しいとは決まらない。
真実を求めるということが、如何に重要なことか腹を据えて考えなくてはならない。
日米両国のリーダーが同じ過(あやま)ちで論理展開しているとおもうので、私の論理を展開して今朝は終わりとする。
2020年10月6日 5時00分
日本学術会議が推薦した会員候補6人が任命されなかった問題で、会議が前回2017年の交代会員の正式な推薦候補105人を決める前に、それより多い候補の名簿を示すよう安倍政権時代の首相官邸が求め、会議が応じていたことが5日、わかった。複数の学術会議元幹部が証言し、官邸幹部も認めた。▼2面=いちからわかる!、4面=官房長官は、12面=社説、24面=どんな存在か
官邸、17年の選考過程関与
交代枠超す名簿要求 学術会議
日本学術会議法は、会員は学術会議の「推薦に基づいて」首相が任命すると規定。210人の半数が3年に1度、10月に交代する。
会議元幹部によると、14年秋の交代人事では官邸側に事前に選考方法や日程を説明はしたが、名簿提示は求められなかった。一方、17年秋は会議が推薦した105人がそのまま安倍晋三首相に任命されたものの、その前の選考過程に官邸が関与していたことになる。
会員人事を巡っては、16年夏の補充人事の過程で官邸が難色を示し、3人が欠員する事態となった。複数の会議元幹部によると、同年12月ごろ、当時の大西隆会長(東大名誉教授)が官邸で杉田和博官房副長官と面会し、翌年の会員交代について、推薦候補を決める前の段階で選考状況を説明するよう求められた。協議の結果、選考の最終段階で候補に残る数人を加えた110人超の名簿を示すことで合意したという。
翌17年6月末、大西氏と事務局職員は官邸を訪れ、合意通りに110人超の名簿を杉田氏に示し、選考状況を説明。官邸側から意見は出たが、最終的に会議が希望する105人の推薦が7月末の臨時総会で決まり、10月に全員が安倍首相に任命された。官邸幹部は、事前の名簿提示を求めた理由を「こちらが判断する余地がないのはおかしい。ある程度、任命権者と事前調整するのは当たり前だ」と説明した。
会議元幹部の一人は「首相の任命権が有名無実化しないよう、105人が固まる少し前の段階で説明を受け、自分たちが納得して決まる形をとりたかったのだろう」とみる。別の元幹部は「協議すること自体がおかしいと思っていた。16年の補充人事以来、官邸はだんだん強硬になった。あの時に表に出すべきだった」と語った。
大西氏は、選考段階での官邸への説明について「人事案件の選考過程を官邸に説明すること自体が不適切という考えもあるかもしれないが、日本学術会議は政府機関でもある。任命者の求めに応じた説明は必要と考えた」と振り返った。一方、今回、6人が任命されなかったことについては「遺憾だ。学術会議の会員は優れた研究業績を基準に選ばれるため、思想信条、政治的な立場は考慮しない。政府は思想信条などの多様性を認めるべきで、6人を任命しない理由はあるのだろうか」と語った。(宮崎亮)
■日本学術会議の会員任命をめぐる経過
<2016年> 欠員補充人事の正式な推薦決定前で、会議が示した候補者案の一部に首相官邸が難色。欠員補充を見送り
<17年> 半数(105人)の交代にあたり、官邸の要請で、会議は105人の推薦候補者に数人を加え、計110人超の名簿を提示。結果的に、会議の推薦した105人が任命される
<20年> 8月末に会議が内閣府に105人の推薦人名簿を提出。9月末、政府が6人を除く99人を任命する文書を決裁
(関係者への取材などに基づく)
▼2面=いちからわかる!
学術会議6人除外、何が問題?
【日本学術会議のあゆみ】
政府が日本学術会議の新会員候補6人を任命しなかった問題が波紋を広げている。識者からは「学問の自由」への侵害との声が上がる。政府はこれを否定する一方、任命を除外した理由は語らない。除外に至るまでに何があったのか。学問の自由は脅かされていないのか。▼1面参照
■「政府から独立」なのに 「推薦通り」から一転
日本学術会議は、理系から文系まで日本の全分野の科学者を代表する機関として、戦後まもない1949年に発足した。根拠は日本学術会議法。科学が戦争に動員された反省から、内閣総理大臣の「所轄」で経費は国庫負担としながらも、政府から独立して職務を行う「特別の機関」と規定された。
先進国の学術団体は、もっと明確に国から独立していることが多い。全米科学アカデミーや英王立協会は民間団体とされ、運営財源も国に依存していないという。
日本学術会議は、科学政策への提言や国内外の科学者の連携、世論の啓発などを担う。会員は210人。任期は6年で、3年ごとに半数が交代する。当初は国内のほぼすべての研究者による選挙で選ばれ、「学者の国会」とも呼ばれた。
だが、存在意義は次第に低下。選挙に出る科学者が減ったことなどから、84年に会員選出方法を変更。学会の方針を基にして学術会議が候補者を推薦し、内閣総理大臣が推薦に基づいて任命するようになった。法改正された83年の国会答弁で、中曽根康弘首相(当時)は「政府が行うのは形式的任命にすぎない。学問の自由、独立はあくまで保障される」と述べ、学術会議の推薦を尊重する考えを示していた。
仲間うちで会員を引き継ぐなどの悪弊や、会員の高齢化が指摘され、2005年には、現会員が次の委員を推薦する方式に変わり、70歳定年制も導入された。会議が推薦した候補を首相が任命しなかったのは、少なくともこの方式になった後は今回が初めて。野党や学者などからは、学問の自由や学術会議の独立性への侵害を懸念する声が上がっている。
現在は1部(人文・社会科学)、2部(生命科学)、3部(理学・工学)の各70人で構成されている。
「会員はわずか210人。選ばれることは、数十万人の研究者の頂点として名誉であるのは間違いない」と、ある会員は話す。国の大型科学プロジェクトのもとになる「マスタープラン」を策定したり、地球温暖化や生殖医療といった課題で提言や声明をまとめたりする作業に加わる。
会員は非常勤の特別職の国家公務員で、旅費や手当が支給される。手当は会議出席時に1日1万9600円。所属する各種委員会の仕事のほか、年2回の総会と、各部の幹部になると毎月の幹事会への参加も求められるため多忙を理由に固辞する会員もいるという。
一方で、大学などにとっては、学術会議に会員を送り込むことは国の研究資金獲得のための情報をいち早く把握できる利点もあると証言する元会員もいる。(嘉幡久敬)
■菅首相、理由語らぬまま 政策批判は「無関係」
今回の問題が報道で明らかになったのは、学術会議の総会があった10月1日。約1カ月前の8月31日、同会議は推薦する105人の名簿を安倍晋三首相(当時)に提出したが、9月28日に政府から届いた名簿には99人しか掲載されていなかった。「任命しない理由は答えられない」との説明があったという。
今回の任命除外には伏線があった。安倍政権下の18年、学術会議を所管する内閣府が、内閣法制局に同法の解釈を照会し、「必ず任命する義務はない」ことを確認。今年9月にも再び照会していた。83年の政府解釈が変更されたかどうかが焦点だが、5日の会見で加藤勝信官房長官は、「解釈変更」を認めていない。
朝日新聞の取材では16年、正式な推薦決定前の選考過程で、3ポストの補充人事について会議が各2人ずつ候補者案を示したところ、2ポストについて会議が優先順位を上位にしていた候補に難色を示し、会議が欠員補充を見送る事態になっていたことが明らかになっている。
今回除外された6人は、いずれも1部の会員に推薦されており、安倍政権時代、安全保障関連法や特定秘密保護法、「共謀罪」などに批判的な立場をとっていた。野党などは、こうした姿勢が任命除外の背景にあると指摘するが、菅義偉首相は5日、内閣記者会のインタビューで「まったく関係ない」と否定。一方、6人を任命拒否した理由について「個別の人事に関することについてコメントは控えたい」として回答を避けた。(三島あずさ、菊地直己)
■著書多数、受賞歴も 6人、実績に定評
会員に任命されなかった6人は、専門分野での実績に定評があり、一般向けの発信で知られる人もいる。
近代日本の軍事や外交の歴史を主に研究する加藤陽子・東京大教授は2010年、著書「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」で、優れた評論やエッセーに贈られる小林秀雄賞を受賞した。中高生に向けた集中講義をまとめた書籍で、太平洋戦争への道をたどる日本の岐路を描き、話題になった。福田康夫政権では公文書管理のあり方についての有識者会議のメンバーに加わった。
政治学者の宇野重規・東京大教授は07年、フランスの政治思想家を扱った「トクヴィル 平等と不平等の理論家」でサントリー学芸賞を受賞した。西洋政治思想史や民主主義のあり方を論じる著書で知られ、現在、本紙書評委員を務めるなど、新聞や一般向け雑誌での寄稿も多い。
芦名定道・京都大教授は、近現代のキリスト教思想が専門で、1995年に日本宗教学会賞を受賞した。岡田正則・早稲田大教授、小沢隆一・東京慈恵会医科大教授、松宮孝明・立命館大教授の3人は、それぞれ行政法、憲法、刑法の専門家で、専門分野を概説する著書も多い。
■<視点>学問の自由と相いれぬ政治介入
日本学術会議の会員になれなくても自由に研究は続けられるのだから、「学問の自由」と関係ないのではないか、という声を聞くことがある。本当にそういえるのだろうか。
憲法23条は「学問の自由は、これを保障する」と定めている。では、ここで何が保障されているのか。憲法学者の間の一般的な理解では、(1)学問研究の自由(2)研究成果を発表する自由(3)研究結果を教える自由――の主に三つが挙げられる。
日本国憲法には「表現の自由」(21条)や「思想・良心の自由」(19条)があるが、それに加えて23条も作って学問の自由を守ろうとしたのは、政治が学問に介入したり、干渉したりすることを防ぐためだった。
真理を探究しようとする学問は、社会の既成の考えを疑い、新たな発見をしていく作業でもある。社会の多数派の価値観とぶつかったり、政権の政策を批判したりすることはしばしばある。政治や社会から学説が痛烈に批判を浴びることは世界中で経験してきたことだ。戦前の日本の歴史を振り返ると、政府が何が正しい学説かを決め、それに反する説を唱えた学者が排斥される事件が起きている。
23条はこうした内外の歴史の反省の上に立つ。政治の介入を防ぎ、研究者たちでつくる専門家のコミュニティーの中で相互批判をしながら、学問を鍛え上げていくことが社会全体、公共の利益のためになるという考えに支えられている。
ほかの自由と同様、学問の自由はもろい。先に挙げた三つの自由を守る手段として考え出されたのが「大学の自治」だ。学問研究の場として大学というコミュニティーが果たしてきた役割を踏まえ、学長や教授らの人事は大学に委ねるという考え方だ。「大学の自治」が争点となった裁判の判決で最高裁は1963年、「大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められている」と述べている。
日本学術会議は、大学と同じように学者集団でつくるコミュニティーで、大学よりも広い範囲で「学術の進歩に寄与する」場として想定されている。過去の政府答弁を見れば、独立性と自律性が認められてきたのも大学の自律を尊重する発想と通じる。会員の任命権は内閣総理大臣にあるが、同会議法で推薦に基づくとされるのは自律性が重んじられていることの表れだ。実際、推薦を尊重する運用が長く続けられてきた。
今回のような、とりわけ理由を明らかにしない会員の任命拒否は、日本学術会議の自律性の否定にあたり、政治介入そのものといえる。その意味で、「学問の自由」の精神とはおよそ相いれない。(編集委員・豊秀一)
■日本学術会議法の条文(抜粋)
<第1条2項> 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。
<第3条> 日本学術会議は、独立して左の職務を行う。
<第7条2項> 会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
<第17条> 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又(また)は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。
▼4面=官房長官は
推薦と任命のずれ「たまたま」 学術会議、官房長官が説明
【「日本学術会議」の任命除外問題で政府側の説明は】
日本学術会議の会員任命をめぐる問題で、加藤勝信官房長官があいまいな説明を繰り返している。同会議に推薦された105人のうち6人が任命から外された理由は明確に語らず、推薦と任命のずれを「たまたま」と表現する場面も。野党側は加藤氏の国会での説明を求めている。▼1面参照
「総合的、俯瞰(ふかん)的観点に立って判断した」
加藤氏は6人除外について、先週と同じ説明を繰り返した。5日の会見で判断の根拠として初めて「憲法15条」を持ち出した。公務員の選定罷免(ひめん)権は「国民固有の権利」とする15条をもとに、行政権を持つ内閣に任命の裁量があると判断した、との主張だ。
ただ、任命の根拠法となる日本学術会議法をどう解釈したのかについては、説明できていない。1983年の国会では、「政府が行うのは形式的任命」「推薦をしていただいた者は拒否はしない」といった政府答弁があり、今回の対応との整合性を問われた。
加藤氏は解釈変更したかどうかは明言せず、「推薦の範囲の中で任命をしてきているが、これまでぴったり一致してきた。基本的考え方は一緒であって、たまたま対応の結果にずれがあるということ」と答えた。
複数の政府関係者によると、内閣府にある同会議事務局は安倍政権下の2018年9月、同会議が推薦すれば首相が必ず任命する義務があるのかと内閣法制局に照会。2カ月ほどの協議で義務ではないという「考え方を整理した」という。
加藤氏は約2年前に整理した協議結果の公表について、「中身をどういう形で示すかについて、検討させている」とするのみだった。
■国会で説明、野党が要求
野党は追及姿勢を強める。立憲民主、共産、国民民主、社民の4党は5日、衆参の内閣委員会で7、8日に開かれる閉会中審査に加藤氏や担当する井上信治万博相の出席を求めた。ただ、与党側は要求に応じず、内閣府副大臣を出席させることを検討している。
野党は5日、任命されなかった6人のうち、3人に面会した。東京慈恵会医科大学の小沢隆一教授(憲法学)は「明かせない理由で任命しなかったと判断せざるをえない」と批判した。早稲田大学の岡田正則教授(行政法学)と面会した立憲の今井雅人氏は記者団に、「首相が根拠を説明すべきだ」と語った。
▼12面=社説
(社説)学術会議人事 説得力ない首相の説明
前例踏襲を見直す――。そういえば何でも通用すると思っているのか。官房長官時代にみせた、説明を嫌い、結論は正当だとただ繰り返す姿勢は、首相になっても変わらないようだ。
日本学術会議が推薦した会員候補者6人の任命を拒否した問題をめぐり、菅首相は「そのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか考えた」「総合的、俯瞰(ふかん)的活動を確保する観点から判断した」と述べた。総合、俯瞰などもっともらしい言葉が並ぶが、6人の拒否がそれとどう結びつくのか全く分からない。
法律は会員について、「学術会議の推薦に基づいて首相が任命する」と明記している。この規定が設けられた当時の中曽根康弘首相は「政府が行うのは形式的任命にすぎない」と国会で説明し、所管大臣も「推薦された者をそのまま会員として任命する」と答弁していた。
会員人事に政府が介入すれば会議の独立性・自主性が危うくなり、ひいては学問の自由が脅かされる。そんな懸念にこたえて、政府が国民の代表と交わした重い約束である。
その約束が簡単にほごにされた。前例や慣行にはそれを生みだし、存続させてきた相応の理由がある。変更すべきだと考えるのなら、正面から提起し、広範な議論に付すのが、当然とるべき手続きではないか。
しかもこの法律の理念を踏みにじる行為は、安倍政権の頃にも事実上行われていたことが分かってきた。沈黙していた学術会議側の対応も問われるが、何より政府はここに至る経緯を明確に説明しなければならない。
逸脱はいつから、どんな理由で始まったのか。推薦された人を「必ず任命する義務はない」とする文書を内閣府が18年に作成し、内閣法制局に示して了承を得たというが、なぜそうする必要があったのか。その際、過去の国会答弁についていかなる検討がなされたのか。
6人の任命を拒否した理由もはっきりさせることが求められる。研究・業績に問題があると判断したのなら、専門家でない政府がどうやって評価したのか。それとも、6人が政府に批判的な言動をしたことをやはり問題視したのか。
首相は「個別の人事へのコメントは控える」というが、今回の対応について人事の秘密に逃げこむことは許されない。説明を裏づけ、判断過程を検証できる文書をあわせて提示する必要があるのは言うまでもない。
7、8両日には衆参両院の内閣委員会で閉会中審査がある。国会と政府の関係、憲法が保障する学問の自由に関わる重大な問題だ。首相が出席して議員の質問に答えるべきだ。
▼24面=どんな存在か
日本学術会議、どんな存在か
教育学者・佐藤学さん
科学史家・隠岐さや香さん
日本学術会議が推薦した会員候補105人のうち6人が任命されなかった問題は、研究者から厳しい批判が起きている。学術会議とはどのような存在で、今回の問題点は何なのか。会員を長年務めた教育学者の佐藤学さんと、欧米の研究者組織に詳しい科学史家の隠岐さや香さんに聞いた。(大内悟史)
■政治的には偏れない仕組み、学問的根拠が頼り 教育学者・佐藤学さん
菅義偉首相は、新会員を任命しなかった理由を明らかにすべきで、明らかにできないならば任命見送りは撤回すべきです。日本学術会議法の第3条には「独立して(中略)職務を行う」とあり、これは「政府から独立して」という意味です。たとえ内閣府が所管する機関であっても、1949年の設立から組織の独立性は一貫して担保されてきました。
ただ、2004年の法改正で、学術会議の性格はそれまでと大きく変わりました。(小泉政権下の)当時は省庁再編の議論が盛んで、保守的な政治家から政治的な団体だと色眼鏡で見られ存続の危機でした。そのため、科学者の総意を結集する「学者の国会」から、省庁とも連携しそれぞれの立場から政策提言を行う役割と約87万人の科学者コミュニティーの代表性を兼ね備えた「国立アカデミー」に姿を変えました。会員の選出方法も、各学会が選挙などを経て推薦する形から、会員が研究者の業績と実績を調べて選考する形となりました。
学術的検証を経た政策提言は、国にとって大きなメリットがあります。科学者の立場からの提言ですから政府の政策とはそぐわないこともありますが、かつては原発推進など国の政策を推し進める提言もあり、近年は東日本大震災の復興計画策定や研究不正問題を受けた科学者の倫理規定づくりなど国への貢献も多数あります。提言のうちいくつかは国の政策に採用されますが、無視されることも多い。政府の判断で取捨選択されており、提言されたから政府が困るということはないと思います。
そもそも現在の学術会議の仕組み上、政治的に偏った提言を出すことはありえません。三つの部のもとにテーマ別の分科会があり、議論の過程では政治的バランスを確保するためのチェックが入ります。私も研究者個人として政治的な発言をすることはありますが、学術会議はそういう場所ではありません。議論が紛糾することも少なくないのですが、会員が学問的根拠に基づいて意見を持ち寄り、時間をかけて一致点を探ります。
今回任命されなかった6人は政治的な偏向がある人ではないと思います。ただ、どなたも安倍政権下で安保法制や「共謀罪」などに批判的だったのは事実です。だから除外されたと受け取るのが自然でしょう。しかし、政権への批判を意図したのではなく、それぞれの学問的根拠によるものでした。
この数年、科学研究費(科研費)の使い道を問題視する自民党の一部政治家やネット右翼が、政治学やフェミニズム関係の研究者を批判する動きがありました。今回の任命拒否は、政治が学問への介入を強める流れの延長線上に位置づけられると思います。
学問の自由を守るということは、知性と良識を守る社会をつくるということです。社会や文化、経済にとっても死活問題です。できるだけ多くの人に国民全体の問題として理解していただきたいと思います。
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さとう・まなぶ 1951年生まれ。学習院大学特任教授。2003~14年に日本学術会議会員で、第1部(人文・社会科学)の部長も務めた。著書に『学校改革の哲学』など。
■権力との一定距離、歴史の知恵 科学史家・隠岐さや香さん
今回の出来事はとても異常な事態で、とっさにフランスのブルボン王朝を思い浮かべました。王様が権力を振るうような前近代的な振る舞いという印象です。(1666年にルイ14世が創立した)パリの王立科学アカデミーの場合、候補2人からどちらかを王が選ぶようなやり方で、会員選挙で選ばれた候補者を王が完全に拒んだ事例は意外と限られます。ただ、任命理由を説明しない点は今回と似ており、やり方が王政のようだと言えます。
先進国には日本の学術会議に似たアカデミー的な組織があり、それぞれの歴史的経緯に基づく運営が成されています。どの組織も国の科学政策への提言や学術振興が本来の役割で、研究のことを話し合う組織であることは共通しています。日本学術会議法では首相による「任命」という言葉が使われていますが、研究者間の評価と推薦に基づく事後的な「承認」のほうが伝統的なアカデミーのあり方からするとしっくりきます。
(2017年に)軍事研究に否定的な声明を学術会議が出した影響もあるのではないかと取りざたされていますが、何が「国のため」になるかというのは、それこそきちんと研究をしないと分かりません。だから「学問の自由」は必須のものです。「日本人のために」ではなく「人類全体のために」と視野を広げた方が、学問の本質に近づくことができるはずです。
歴史的に見ると、国の命運を左右する核兵器開発など、学問と政権との距離が近づく場合はあります。政府の審議会に有識者を送る人材プールの機能は必要でしょう。
ただ、ときの政権に近づきすぎると、長い目で見てかえって学術的な信用を失ってしまう危うさがつきものです。民主主義国家なら政権交代はいつか起きる。学問が権力側との間にワンクッションを置くのは、非常に大事な知恵です。
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おき・さやか 1975年生まれ。名古屋大学大学院教授。専攻はフランス科学史。著書に『科学アカデミーと「有用な科学」』など。
【下平記】
今朝、今回の日本学術会議の任命と日米の指導者についての自分の主張を書いたばかりでした。 後になって新聞記事を「折々の記」へ取り入れてみて、当然の主張と思いました。
ことに、私が懸念していたポイントが隠岐さや香の指摘するポイントと同じような根拠に基づいているのを知りました。 このまま菅総理が横車を押し通すようであれば、歴史上の大きな汚点になります。
私たち日本の国を愛する者にとっては悲しいことになるのです。
10:30 になります。 老妻のお茶呼びにこたえてここで終わります。