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続折々の記 2020⑧
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 09 】10/28
           免許皆伝   山本周五郎
           新型コロナウイルス   ウイルスの正体
           杉田和博・官房副長官はどんな人?
                  日本学術会議の「6人排除」に関与と報道
           天真に任す   良寛の言葉

 10 28 (水) 免許皆伝

生涯を閉じる心得とは何か、その答は自分自身のものとなる。 周五郎の著書を読んでいると、温かい懐を感じさせてくれ、気持は静かに落ちつく。

青空文庫を開くと、氏の作品60件と作業中の作品488件すべての題名が載っている。 没年を見ると 1967-02-14 と出ているから生年から見ると、歴年63才です。 還暦を過ぎて少しで亡くなっている。 執筆など多忙すぎで健康上早かったのか。 ともかく私にとっては文章の流れの柔らかさから、周五郎作家の人柄に惹きよせられていたことは大きい。 全集では確か20巻だったと思う。

作品の中に剣の道では優れた人もいたのに、その師は死の心得を身につけていたと思われる弟子に 「免許皆伝」 を与えたという内容の描写があった。 腕が優れているだけでは免許皆伝を認可しない、その思考の奥深さと温かい配慮に私は多分に魅せられていました。

免許皆伝の基準を、単に剣の腕前にとどまることなく死の心得を磨いていかない限り、剣の極意は伝授されなかったのです。

死の心得とは何だったのでしょう。 作品にはそれ相応の状況を書かれていたと思いますが、それは作品の表現であって、だれにも通じている心得ではないと私は思います。

ではそれは何か。 それはことに語る内容の性質のものではなく、独自の受け止めでなければならないのです。 私はそう思っています。 そう思って生涯を閉じたいのです。 ですから、良寛の「うらをみせおもてをみせてちるもみじ」の句の内容にしても、同じように自分は紅葉の葉ではない限り、句の内容は一人一人が受けとめなられば意味がないのです。

さて、そうは言っても生涯の終末をどんな心得であったらよいのか。 その一つには、恥ずかしくないようにすることであろう。 例えば「整理整頓」と言われれば、ほんにそうだと思う。 思っただけでは整理整頓はできない。 一つ一つ気にしているものの始末をきちんとしたいものです。 これは自分の子にも言われることで、恥ずかしい。

整理整頓だけでいいのか。 いやいや、まだあれこれとありそうだ。 例えば裏も表も隠すことなくふるまうという良寛のように考えてもよいのだし、自分は神の子だと信じて行住坐臥ふるまう心がけでもよいのだろう。

寝床の中で終活についてあれこれ考える。

 10 30 (金) 新型コロナウイルス      ウイルスの正体

けさ新聞を開いたとき目に飛び込んだのは、下にあるある山型のグラフだった。

2020年10月30日▼1面
新型コロナ国内感染10万人超
初確認から9カ月 微増の傾向続く

写真・図版 【説明】感染者数の推移と主な出来事

 新型コロナウイルスの国内感染者が29日、新たに809人確認され、累計10万人を超えた。同日夜までに確認された死者は1761人となった。1月15日に国内初の感染者が確認されて9カ月余り。重症化率や致死率は春先より下がったものの、下げ止まっていた新規感染者数は10月以降、微増の傾向が続く。インフルエンザなどが流行する冬を前に、専門家は警戒を呼びかける。▼2面=死者数に地域差、35面=視線が怖い

 自治体などの発表をもとに、大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客らを含めて朝日新聞が集計した。

 感染者の推移をみると、3月末~5月に「第1波」、6月末以降に「第2波」に見舞われている。都道府県別では、日本の人口の1割超が暮らす東京都で3万人を超え、全体の3割を占めた。続いて大阪府が1万2千人、神奈川県が8千人に上り、大都市や周辺で感染者の増加が目立つ。10月に入ってからは北海道や東北・北関東の一部、沖縄県など地方でもクラスター(感染者集団)が発生しており、その連鎖を抑えることが課題となる。

 厚生労働省によると、28日時点で、年代別では20代と30代の感染者が45%を占めた。20代では500人に1人が感染した計算になる。若者は無症状が多い一方、高齢になるほど重症化リスクが高くなる傾向は変わらないが、死者や重症者の割合は減っている。

 厚労省の資料によると、1~4月の全体の致死率は5・62%。80代以上では感染者の31~35%が亡くなった。一方、6~8月は全体が0・96%まで下がり、80代以上の致死率も12~16%と半分以下になった。重症化率も全体が9・8%から1・62%に下がり、80代以上は半分以下になった。

 「Go To トラベル」といった一連のキャンペーンもあり、街の人出は戻っている。国立国際医療研究センターの大曲貴夫・国際感染症センター長は「マスクを着け、3密を避けるといった対策をとり、感染を減らす努力をしないと、感染者や死者が増えている欧州のようになりかねない」と話す。(井上裕一、石塚広志)

▼2面=死者数に地域差
(時時刻刻)第2波、死者数に地域差
80代以上感染者、第1波の数倍 大阪・福岡・愛知

写真・図版 【図版】東京都と大阪府の感染者数の推移

 新型コロナウイルスの「第2波」は、感染者数だけでみれば春の「第1波」を大幅に上回る。だが、死者数には地域差がある。東京では大幅に減り、大阪や福岡、愛知は増えた。高齢者への感染の広がりが差につながったとみられる。▼1面参照

 「様々なところでクラスター(感染者集団)が起きている。これを早く閉じることが大事だ」。29日にあった政府の新型コロナ対策分科会後の会見で尾身茂会長はクラスター対策の遅れに対し、危機感を示した。

 北海道では23日、札幌市内の高齢者らが入居するグループホームやホストクラブでクラスターが起き、新規感染者が51人で過去最多を更新。青森県弘前市では今月に入り、飲食店でクラスターが発生し、市内の病院にも感染が広がった。

 歓楽街から病院、高齢者施設へ。地方都市で起きていることは夏に大都市が経験した構図でもある。

 29日の分科会で示された報告書では、第2波は東京都の「新宿由来」だと明記。5月下旬から接待を伴う飲食店を中心とした歓楽街で感染者が増え、大阪、福岡、愛知へ時間差で拡大した。

 報告書では、飲食店などを起点に、職場や家庭、高齢者施設などに感染が広がった例があったと分析した。

 大阪府では、6月半ば~9月末に9医療機関、23高齢者・障害者施設で起き、感染者は675人に。それ以前の医療機関のクラスターは6施設で計284人だった。福岡県でも8月以降のクラスターの中心は飲食店から医療機関、福祉施設に移った。

 新規感染者が少なかった6月を除き、第1波の3~5月と第2波の7~9月を比べると、第2波の全国の感染者数は4倍に増えた。死者数は300人近く減って601人。今夏は無症状や軽症の人への検査が増えたため単純な比較はできないが、死者の割合(致死率)も全体では大きく減った。

 だが、大阪は1・4倍、福岡は2・3倍、愛知は1・5倍に死者が増えた。この3府県では、若年者の感染者が増えた後、重症化しやすい80代以上の感染者も3・5~5・6倍に増えた。

 一方、第2波の感染者が約2万人で最多の東京は、80代以上の感染者数はどちらもほぼ同じ。死者は7割減った。神奈川、埼玉、千葉の各県も第2波で死者は減った。この4都県は、5月の緊急事態宣言解除後も感染者が減りきらず、7月上旬まで感染者の大半を占めた。この間、他の地域より感染リスクを避ける傾向が続いたとの見方もある。(阿部彰芳、野口憲太)

 ■早い検査・治療で重症化防ぐ 東京

 医療や検査の整備は死者の減少に効いている。

 東京都杉並区で地域医療を支える荻窪病院は、夏以降、新型コロナ専用の病棟に8~10人が入院する状況が続いたが、村井信二院長は「第1波のような逼迫(ひっぱく)感はなかった」と話す。

 同院は2月、新型コロナの軽症から中等症の患者の受け入れを2床で始めた。人工呼吸器が要るような重症者は、感染症指定病院に転院できるはずだった。だが、3月下旬に指定病院が満杯になり、重症者も診る状況だった。

 「抗ウイルス薬、炎症を抑えるステロイド剤など治療の選択肢も増えた」と村井院長。8月から院内でPCR検査ができ、2時間で結果が出る。「早めに治療も始められ、重症者が減っていることは間違いない」

 厚生労働省は当初、かぜ症状が出たら4日ほど様子をみる受診の目安を示していた。高齢者や持病のある人は例外としたが、全体的には受診が遅れ、重症化するケースもあった。

 都の感染症医療体制協議会委員を務める山口芳裕・杏林大病院高度救命救急センター長によると、4~6月は発症から受診まで平均5日かかった。第2波では大幅に短縮し、肺炎の状態になって救急搬送される患者も激減しているという。

 都内では院内感染の死者も減った。都の集計では、5月末までに131人が死亡し、全体の4割を占めた。6~9月は29人だ。

 感染が疑われる救急患者を個室で受け入れてきた等潤(とうじゅん)病院(足立区)はこの夏、患者や職員ら計11人の感染が判明したが、それ以上広がるのを抑えられた。8月17日、大部屋にいた患者が陽性とわかった。発熱で搬送されてきた際は陰性だった。同室の患者3人も感染しており同じ階などの患者2人も陽性。同院は検査を564人に広げた。

 春先は結果が分かるまで4~7日かかったが、今は翌日には判明する。伊藤雅史院長は「結果が遅れるほど対策が後手後手になる。(院内感染を抑える上で)この差は大きかった」と振り返る。(月舘彩子、三上元)

 ■再拡大の兆し、対策不足懸念

 経済活動を戻そうとする中、第2波は起きた。8月初旬をピークに感染者数は減少に転じたが、10月以降、微増傾向が続く。新型コロナウイルスは冬に流行しやすくなるとの見方もある。欧州は今、春を上回る感染拡大に襲われている。

 不安の兆しは、すでにある。「ICUが満床」「人工呼吸器に空きがない」。杏林大の山口さんによると、こうした理由で重症者の受け入れを複数の大学病院が断るケースが最近あった。「沈静化しているように見えるが、リスクの高い高齢者の感染が、数も割合も確実に増えてきた。院内感染や施設内感染も複数起き、重症者も増えている」と話す。

 国立国際医療研究センターの大曲貴夫・国際感染症センター長は言う。「社会活動が活発になる一方で、日々の対策が緩んでいる印象があるいま、各地で流行が進んでいて心配される。全体の感染者数を減らすべきだという議論が必要だ」(編集委員・辻外記子)

▼35面=視線が怖い
新型コロナ 視線が怖い、感染者の苦悩
クビ恐れバイト先に「胃腸炎」

 クルーズ船の乗客らも含めた新型コロナウイルスの国内の感染者が29日、累計で10万人を超えた。「Go To」キャンペーンなどで街はにぎわいを取り戻しつつあるが、感染リスクは残ったままだ。周囲の厳しい視線や後遺症が、感染した人たちを苦しめている。(増山祐史、木村浩之)▼1面参照

 10月2日の深夜、大学4年生の20代女性は兵庫県の自宅に帰り、いつものように体温を測ると37・2度あった。この日は関東地方にある企業で内定式に出席し、帰ってきたところだった。普段から、体温は37度を超えることもある。「少し、疲れているのかも」。感染すると味や匂いを感じなくなるケースがあると聞いていたので、念のため芋の甘露煮を食べてみたが、問題なかった。翌朝には、すっかり熱も下がっていた。

 だが、その4日後。バイト先の居酒屋で、常連客が中華料理を差し入れてくれた。鼻を近づけても、まったく匂いがしない。「気のせいにできないのかな」。思わず、そう祈った。

 家に帰った後もマスクを着け、持ち帰ったまかないの食事を自室で食べてみた。やっぱりなんの味も匂いもしない。「ごめんなさい、コロナかもしれない」と泣きじゃくりながら母に打ち明けた。

 PCR検査をし、陽性と確認された。保健所から3時間後に入院するよう言われ、「10日分の入院セットを用意して下さい」と告げられた。両親が急いで飲料水やシャンプーなどの日用品を買いそろえてくれた。

 入院中は医師や看護師と電話だけでやり取りした。院内放送で「ご飯を置いてあります」とアナウンスされると、扉の前に食事が置かれていた。食事が唯一の楽しみのはずだが、それも味がしない。「なにか悪いことでもしたのかな」。孤独感ばかりが募った。

 陰性となり、4日後に退院できた。味覚は徐々に戻りつつあるが、「チョコを食べても、抹茶味かイチゴ味かはいまも分からない」。臭覚も、強い匂いでなければ識別できないままだ。

     *

 感染したことは、今も家族以外では親友1人にしか打ち明けられていない。感染者に対するバッシングが起きているという報道を目にし、「自分も何か言われるのでは」と怖くなった。

 保健所に飲食店でアルバイトをしていることを伝えて勤務状況を説明したが、感染拡大のリスクは無いと判断された。バイト先や友人には「ウイルス性の胃腸炎になった」と伝えた。「本当は言いたい。でも、感染者と知られたらなんて思われるか。バイト先もクビになるかもしれない」。友だちから時折、「大変だったね」と言われる度に「いつまでうそついて生きなきゃいけないんだろう」ともやもやする。

 外出時はマスクを着け、大勢が集まる場所も避けていた。手洗いや消毒も欠かさなかった。それでも、感染した。どこかでひとごとだと思っていたが、「どれだけ対策しても、誰もが感染しうる」と気づいた。

 政府は「Go To」キャンペーンを打ち出して旅行や外食を後押しし、街は多くの人でにぎわう。「感染のつらさも分かるし、経済も大事」。どっちが正解か分からない。ただ、「感染したことを隠す必要がなく、受け入れられる社会になってほしい」と願う。

 女性は入院中から、ツイッターを使って自身の経験を匿名で発信し始めた。ある日、見ず知らずの人から「PCR検査を受ける覚悟ができました」とメッセージが届いた。誰かの役に立ってると思うと、少しだけ救われた気持ちになれる。

     *

 アパレル会社に勤める神奈川県在住の20代の女性が新型コロナで入院したのはもう半年前のことだ。それでも、後頭部に最近、10円玉ほどの脱毛を見つけた。「嫌な記憶が残り、ストレスを引きずっている」

 4月上旬、恋人に発熱やせきの症状が出た。数日後、女性自身も熱が39度を超え、病院に駆け込んだ。ぜんそくを抱えているため、すぐに検査。陽性と判明し、入院した。

 「ぜーぜー」と、呼吸が苦しい。食事も水分もとれず、点滴でしのぐ日々が1カ月以上に及んだ。女性は陽性と陰性を繰り返し、8回目の検査でようやく退院できた。

 「自分がウイルスをまきちらしていないか」「祖父母と暮らす同僚にうつし、高齢者が重症化してしまったら……」

 そんな不安が募った。病室にはテレビがあったが、連日、コロナの話題ばかり。「自分が非難されている気がする」と、テレビはほとんど見なかった。

 ニュースを見ると、「感染者=悪」というイメージが形成されているように感じる。感染者が10万人を超えても、そのイメージが変わったようには思えない。

 一方で、人の温かさも感じた。感染が判明する直前、感染リスクを考え、家族のいる自宅に戻れずにいると、親友の女性が「行くところがないなら、うちに来て」と声をかけてくれた。自分もそうありたいと思った。「誰でも感染するのがコロナ。社会が感染者に優しい目を注いでくれることを望みたい」

 10 31 (土) 杉田和博・官房副長官はどんな人?       日本学術会議の「6人排除」に関与と報道

日本の内閣官房局は安倍時代からおかしくなっていた。 所属部署なり上級部署なり自分が所属している部署の効率化を図る気持ちは、自然の理性や感情の赴くところであると私は基本的に考えています。 それは、考え方を単数思考と複数思考に分けるとすれば、複数思考の長所でもあり短所でもあると考えるからなのです。

三人寄れば文殊の知恵というのは複数思考の長所であり、またその逆に道義に反する目的を共有する者が三人寄れば、複数思考の短所になることを意味しています。

政治を自分たちの思うとおりに進めようとする場合も、この複数思考と単数思考の長所短所に最深の配慮を必要とするものだと私は考えている。

日本の戦後を振り返ってみると、よいこともよくないこともそれぞれ広がってきていると思います。 私たちは殊に生死に対する歴史の深い流れに関しては、殊に単数思考の長所を大切にしなければならないと思っています。

単数思考の長所とは、自分の所属している最小の部署としての家族の一員・親子関係の子供としての一員・自分がよって立つところの存在そのものの使命を求める一員、そうした単数思考の望ましいことにらなくてはならない。 準拠しなければならない、と言ったほうがいいのかもしれない。

単数思考の基本は、宗教の最深の基本であり別の言葉でいえば道義の基本である、といってもいい。

その基本とは何かといえば、親の愛に報いる立場をとることであり慈愛の心を伝承することである、と私は思っている。

仏教に関する著書をいろいろと見てきても、西洋宗教の基本になっているモーゼの十戒のおしえを読みかえしてきてみても、親を敬いその愛に報いるよう心掛け子孫にその心を伝承していくこと、そのことが基本になっていることが基盤だ私は考えるようになってきました。

写真に写されている杉田和博さんも、親を敬ってきたでしょうし、子供には愛をもって人に恥ずかしくない生涯を進めるように願ってきたでしょう。 そのことから考えると、大陽に雲がかかって人がみな寒いような気持になると同様のことを私は感ずるのです。

自分たちだけで太陽の温かさをうけとめるだけでなく、ほかの人たちもその温かさを受けとめるようにしなければなりません。

北風と太陽の物語は知っているだけではなく、政治家と国民の生活の立場と同じなのです。

現実の菅政権と杉田内閣官房副長官の考えは、あなたたちだけの論理を通そうとしているように見えるのです。

複数思考の良くない方向へ向かっていると思います。 単数思考(個人思考)に因る明るく正しい良い方向へ舵をきりなおしてください。 おそらく、多くの国民の願いだと思います。

単数思考にという文字を見ると、次のような使い方になっている。

寄る
縒る
撚る
因る (原因;理由) 過失に因る事故;地震に因る被害

依る (手段;依拠) (常用外)
拠る (手段;依拠) (常用外)
由る (原因;理由) (常用外)
縁る (原因;理由) (常用外)


Yahoo! JAPAN 10/13(火)
杉田和博・官房副長官はどんな人
     https://news.yahoo.co.jp/articles/f4971f46b606883546ef914150dd35831deda2c0

【写真】杉田和博官房副長官(2017年撮影)

科学者の代表機関「日本学術会議」が推薦した会員候補105人のうち6人を菅義偉首相が任命しなかった問題に、杉田和博官房副長官が関与したという報道が相次いでいる。杉田氏はどんな人物なのか調べてみた。(ハフポスト日本版・安藤健二)

「6人を選別」「首相に報告」と報道される

菅首相は10月9日の報道各社インタビューで、会議側が提出した105人の推薦リストを「見ていない」と発言。6人を除外した99人のリストを見ただけだと説明した。6人の排除に関与しなかったかのような言い回しだった。

しかし、時事通信社は12日、関係者からの情報として「政府の事務方トップである杉田副長官が首相の決裁前に推薦リストから外す6人を選別。報告を受けた首相も名前を確認した」と報じた。

続けて共同通信社も同日、政府関係者からの情報として「杉田和博官房副長官が内閣府の提案に基づき、任命できない人が複数いると、菅義偉首相に口頭で報告していた」と報じた。

これを受けて13日、立憲民主党の枝野幸男代表は「誰が6人を推薦リストから外したのか。報道では、官房副長官の名前が出てきている。周囲がサポートするところまではわかるが、菅総理大臣が判断しないで、ほかの人が判断したということであれば、そのこと自体の適法性が疑われる」と述べた。野党ヒアリングなどの場で、政府に説明を求める構えだ。

杉田和博氏とは?警察庁出身で危機管理のプロ
   副長官としての在職日数は歴代2位


官邸公式サイトによると、杉田氏は1941年4月生まれの79歳。埼玉県出身で、1966年に東京大学法学部を卒業後、警察庁に入庁した。1982年の中曽根内閣では、同じく警察庁出身の後藤田正晴官房長官を「秘書官事務取扱」として出向して支えた。

その後は警察庁で出世し、鳥取県警察本部長、神奈川県警察本部長、警察庁警備局長を歴任。1997年の橋本内閣で、情報機関「内閣情報調査室」の室長に就任。2001年に小泉内閣では「内閣危機管理監」となり、2004年に退官するまで内閣の危機管理を担っていた。

退官後は、シンクタンク「世界政経調査会」の会長を務めていたが、2012年12月の第2次安倍内閣発足に伴い内閣官房副長官に就任。菅内閣でも続投したことで、約8年間にわたって務めている。副長官としての在職日数は歴代2位。2017年からは中央省庁の幹部人事を一元管理する内閣人事局長も兼ねている。

安倍内閣時の2017年7月13日、朝日新聞デジタルは杉田氏について次のように報じていた。

<杉田氏の執務室は官邸内で首相と同じフロアにあり、各省庁幹部が政策の説明や人事案の相談で頻繁に出入りする。歴代の事務副長官は旧自治省、旧厚生省の出身者が少なくないが、杉田氏は警察庁出身。情報収集を得意とする「警備畑」を長年歩んできた。その経験を生かして霞が関ににらみを利かせ、首相や菅氏の意向を踏まえて差配する>

杉田氏はこれまでも、学術界の人事に介入しようとしてきたという報道もある。AERA dot. が10月4日に掲載したインタビュー記事で、元文部科学省事務次官の前川喜平氏は、学術会議の問題について「菅政権で起こるべくして起こった」と指摘。次のように語っていた。

<私が事務次官だったとき、文化審議会の文化功労者選考分科会の委員の候補者リストを官邸の杉田和博官房副長官のところにもっていきました。候補者は文化人や芸術家、学者などで、政治的な意見は関係なしに彼らの実績や専門性に着目して選びます。それにもかかわらず杉田さんは「安倍政権を批判したから」として、二人の候補者を変えろと言ってきました。これは異例の事態でした>
(ハフポスト日本版・安藤健二)

huffingtonpost.jp 政治 2020年10月08日
日本学術会議の任命「拒否あり得る」と法解釈する文書は「見当たりません」  内閣法制局が国会答弁
     https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f7ed2b1c5b6a9322e2369af?utm_hp_ref=yahoo

10月8日の参院内閣委員会で、日本共産党の田村智子議員の質問に答えました。

科学者の代表機関「日本学術会議」の会員候補として推薦された6人の学者を菅義偉首相が任命しなかった問題をめぐって、国会質疑が紛糾している。

推薦された者を任命拒否することが「あり得る」という法解釈を示す文書が存在するのか問われた内閣府法制局の幹部が「見当たりません」と回答した。

中曽根内閣の政府答弁と矛盾

問題となっているのは、中曽根政権当時の政府答弁との矛盾だ。1983年11月24日の参院文教委員会で丹羽兵助・総理府総務長官は「形だけの推薦制であって、学会のほうから推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」と答弁していた。

菅首相の任命拒否が、1983年当時の国会答弁と矛盾しないかについて、10月8日の参院内閣委員会で、日本共産党の田村智子議員が追及した。

内閣府の大塚幸寛官房長「必ず推薦の通りに任命しなくてはならないとは、言及はされてない」と答弁したが、田村議員は「違います」と否定した。

続いて、田村議員は「推薦された者を任命拒否することはあり得る」という日本学術会議法の法解釈を示す文書はあるのか問いただしたところ、内閣法制局の木村陽一第1部長「明瞭に記載したものというのは、私が知る限り見当たりません」と答弁した。

該当部分の質疑応答

――――「形式的任命だから推薦されたものは拒否しない」。これが政府の答弁です。今回の任命拒否は、83年当時の答弁を覆す行為ではありませんか?

大塚官房長:繰り返しで恐縮ですが、今ご紹介いただきました昭和58年当時の答弁も、平成30年の文書もいずれも憲法15条を前提としていること。これは(法律の)改正当時からも前提になっていたことでございます。「形式的な発令行為」という発言がなされてることは十分承知ですが、必ず推薦の通りに任命しなくてはならないとは、言及はされてないところであります。

――――違います。83年の会議録は「推薦に基づき総理大臣が任命する。それは形式的任命、形式的発令行為であり、推薦された全員を任命する。拒否はしない」。一貫した政府答弁です。国会会議録は国会と国民に示された条文解釈そのものです。法制局に聞きます。逆に「推薦された者を任命拒否することはあり得る」という日本学術会議法の法解釈を示す文書はあるんですか?

木村第1部長:はい、お答え致します。私どもとしては平成30年の説明資料について、当局に意見を求められました際に、ご指摘の国会議事録のほか、昭和58年の日学法改正時の法律案審議録の中に、総理府作成の想定問答集があります。それについては確認は致しております。そういう意味でいいますと、今、委員がご指摘されましたような「義務的な任命であるのかどうか」という点について、明瞭に記載したものというのは、私が知る限り見当たりません。ただし、先ほども言及ございましたような、高辻長官以来の答弁の積み重ねの上に立ちまして、昭和58年の法改正以来、一貫した考え方として成り立っているものと理解しています。

田村智子議員の質問部分の動画(日本共産党のYouTubeより)



 11 04 (水) 天真に任す       良寛の言葉

私の好きな良寛の言葉に「天真に任す」というのがあります。

  生涯懶立身 騰騰任天真 (生涯身を立つるに懶く、騰騰天真に任す)

  嚢中三升米 爐辺一束薪 (嚢には三升の米、爐辺には一束の薪)

  誰問迷悟跡 何知名利塵 (だれか問わん迷悟の跡、なんぞ知らん名利の塵)

    騰騰=とうとう
    嚢=ふくろ 爐辺=ろべ、いろりばた
    迷悟=めいご 名利=みょうり

調べてみると、 “「天真に任す」とは、曹洞宗の禅僧であった良寛和尚の残した詩にある言葉で、「すべてのこだわりを捨て、流れる水のように、雲の空のように、ただ自然の道理に身を任せよう」ということ” 解説されています。

漱石は則天去私といいました。 自然の道理とは何でしょうか。

天真に任すにしても、天に即するにしてもも、天とは何でしょうか。 解説に従えば、流れる水や雲の動きのように自然の道理に任せると言っても、自然の道理とは何でしようか。

私は人間ではなく生物に例えれば解りやすいと思います。 野菜を育てていると、ほかの作物や草が邪魔になったりすれば、それを避けて伸びようとするし、日陰になると太陽に向かって伸びようとします。 ほしいときに水をやったり、肥料をやったり、病気になれば消毒したり、邪魔な草をとったりする人がおれば、野菜はすくすくと伸び実をつけた値を残したりします。
野菜でない植物にしても、動物にしても生きるためには自然を上手じょうずに利用しています。

野菜も、道端の草も木も、鳥も動物も、昆虫も、菌類にしても、本来自分だけの力で生きていきます。 ほかの人の力に頼ることなく、自分一人で人間も自然の下で生きていくのが、基本の基本だということがわかるのです。

動物で進化してきたものは、小さいときは親の助けが必要です。 人間以外の動物は、基本的に一人で生きることをしています。

人間もこのことに気がついて真似をしていけば、自然の即して生きていけるはずです。

自立とは、そのことを意味しています。 本来自立しなければならないことだったのです。

水の流れのように、雲の動きのように、と言われると、自然の道理がわからなくなるのです。

一匹のミツバチの姿を知ると、その種の自然の道理がわかると言ってもいいと思います。 あるいは、イソップ物語のアリとキリギリスの話を参考にしても、自然の道理がわかると言ってもいいと思います。