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続折々の記 2020⑨
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 01 】11/06
           目まぐるしい世情   米大統領選、コロナ猛威、菅政権の横車
           生きるとは 願いをもって動くこと   自分の指示で 願いをもって動くこと

目まぐるしい世情

「世情変態如雲」 これは私が新卒で教師駆け出しの頃、修学旅行で奈良猿沢の池を望む旅館の欄間に扁額としてかかっていた言葉です。 以来この言葉が脳裏に座っているのです。

今にして思えば、この真意は平家物語の無常観にも通じ、徒然草や方丈記、般若心経の五蘊皆空にも通ずる無常の一面だった。

さらにその無常観は、私たちが生きていることの大きな流れそのものを表現した言葉でもある。

そうした角度づけで、報道のビックニュースのタイトルを取り上げることにし、これからは細かいことは一つひとつ「折々の記」で扱わないことにします。

2020年11月1日(2020米大統領選)
トランプ氏支持、でも「匿名で」

  トルコ沖地震、津波も 建物倒壊、死者37人に 885人負傷
  (新型コロナ)先進国の感染者数、急増 死者数も増、WHO「重大局面」

  写真・図版 【写真・図版】

先進国と新興・途上国の
  1日当たりの感染者数


主な国・地域の1日当たりの感染者数  

主な国・地域の1日当たりの死者数

欧州で1日当たりの感染者数が
  急増した主な国々


2020年11月2日
大阪都構想、反対多数 住民投票、再び小差

2020年11月3日
F15改修、大幅遅れ必至

  改修費の想定、かねて疑念 F15、総経費見直しの枠組みなし

2020年11月6日 米大統領選
バイデン氏、過半数目前

  欧米、コロナ拡大猛威 伊、再び都市封鎖 米、1日10万人感染
  首相「推薦前、調整働かず」 野党「独立性壊す」 学術会議問題

生きるとは 願いをもって動くこと

普段は自分が生きていこうという意識はなくて、生活しています。 それは当然のことで、生きていこうとして行動し生活してはいません。

寒ければ温かい服装に着替えるし、暑くなれば涼しい服装にしたくなり着替えます。 腹がへれば食べ、ウンチしたくなれば便所へ行く。 何の不思議はありません。

では何故 “生きるとは 願いをもって動くことであり、自分の指示で 願いをもって動くこと” など回りくどい言い方をするのか?

生まれた限りは、誰でも自分から死にたいなどとは思わないし、死ぬことは嫌である。 溺れた人を救おうと思って飛びつかれてまごまごしていると、自分も死んでしまうと思い相手を蹴飛ばしてしまう。 生きるか死ぬかに直面した時、無意識で生きる対策をとる、そんなに死を恐れるものです。

さて、生きるということは考えてみると、与えられた環境に対応して活動し生命を次世代に残すよういのちに仕組まれています。 生物はみなそのいのちに生命を次世代に残すよう仕組まれているのです。

私たち人類も命を授かった初めから、自分に都合がいいように少しずつ変化しながらその生命を次世代へ伝承してきていたのです。 たとえ意識しなくとも、細胞は自意識で活動し生き延びています。 人は寝ていても心臓は鼓動して全身へ血液を送り続けています。 生まれてから死ぬまでいのちの限り心臓は休みはしません。 当たり前だと言えばその通りなのです。
生物の命は休むことなく活動しているのです。 いのちは私自身の命を支えているのです。 そしてその命の願いを私たちの意識へすべて託しているのです。 願いのすべてを私たちに託しているということは、命の発生から命を作り出した時からすべての生物に子孫を残すようにし組み込まれているのです。

この命の伝承は、仕組まれているとはいえ推察できない無限の能力によっていると考えるほかありません。 この命の伝承を仕組んだ素晴らしい能力を神といってもいいのです。 人類はこれを神といいました。 現代分子生物学でこの不可思議な無限の能力を現わすのに、村上和雄先生は “ something great ”(何か偉大なもの) と言うほかないと言いました。

古代人は、現代人と間違いのない高度の知能能力であって多くの知恵を出し合い推敲を重ね、聖書の “ モーゼの十戒 ” というおしえを残しています。 学校で 教わるように、このモーゼの十戒はキリスト教の神として又イスラム教の神として、その宗教の最高の存在として認めている神です。 しかもこの教えは石にまで掘られていたのです。 大事な訓えに違いないと私は思いました。

wikipedia の検索によると、次のように説明している
モーセの十戒
   出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

旧約聖書の出エジプト記20章3節から17節、申命記5章7節から21節に書かれており、エジプト出発の後にモーセがシナイ山にて、神より授かったと記されている[1][2]。

十戒の内容は神の意思が記されたものであり、モーセが十戒そのものを考え出し、自らもしくは他者に記させたものではない、とされている[注 1]。出エジプト記本文では神が民全体に語りかけたがそれが民をあまりにも脅かしたためモーセが代表者として神につかわされた、とされる。シナイ契約、または単に十戒とも呼ばれる。二枚の石板からなり、二度神から渡されている。最初にモーセが受け取ったものはモーセ自身が叩き割っている[3]。

出エジプト記20章3節~7節(神に関する部分)

3 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。(聖書 > 口語旧約聖書 > 出エジプト記(口語訳 #20:3 )

4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。(#20:4)

5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、 (#20:5)

6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。(#20:6)

7 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。(#20:7)

申命記5章7節~11節

7 あなたはわたしのほかに何ものをも神としてはならない。 (聖書 > 口語旧約聖書 > 申命記(口語訳 #5:7)

8 あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どのような形をも造ってはならない。(#5:8)

9 それを拝んではならない。またそれに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて三、四代に及ぼし、 (#5:9)

10 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には恵みを施して千代に至るであろう。 (#5:10)

11 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。主はその名をみだりに唱える者を罰しないではおかないであろう。 (#5:11)

イスラーム (アラビア語のإسلام (islām)) の訓えはちょっと違う

 イスラーム教 世界史の窓 (いろいろ出ている)
     https://www.y-history.net/appendix/wh0501-008.html

 イスラーム教 (特徴らしい言葉を拾い出した)

ユダヤ教やキリスト教の影響を受けた唯一神教で、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるとされる。アッラーとは、もともとアラビアの多神教の神々の中の一柱であったが、ムハンマドがメッカを占領した際、カーバ神殿に存在した全ての神々の像を破壊し、多神教及び偶像崇拝を戒め、アッラーのみを崇拝するようになった。

アダム・ノア・アブラハム・モーセ・イエスなどの預言者たちが説いた教えを、最後の預言者であるムハンマドが完全な形にしたとされている。

クルアーン自身の語るところによれば、クルアーンとは、唯一なる神が、人類に遣わした最後にして最高の預言者であるムハンマドを通じて、ムスリムの共同体(アラビア語でウンマ)に遣わした啓典(キターブ)であり、ムスリムにとっては、神の言葉そのものとして社会生活のすべてを律する最も重要な行動の指針となる。

イスラム教では、神(アッラーフ)が、預言者を通じて人類に下した啓典が、人類にとって正しい信仰の拠りどころになると考えている。

日本語における「イスラーム」(isurāmu) はアラビア語のإسلام (islām) の長母音に即した形でカタカナに音写した語である。この語は、「自身の重要な所有物を他者の手に引き渡す」という意味を持つaslama(アスラマ)という動詞の名詞形であり、神への絶対服従を表す。ムハンマド以前のジャーヒリーヤ時代には宗教的な意味合いのない人と人との取引関係を示す言葉として用いられていた。ムハンマドはこのイスラームという語を、唯一神であるアッラーフに対して己の全てを引き渡して絶対的に帰依し服従するという姿勢に当てはめて用い、そのように己の全てを神に委ねた状態にある人をムスリムと呼んだ。このような神とムスリムとの関係はしばしば主人と奴隷の関係として表現される。

イスラム教に帰依する者(イスラム教徒)は、アラビア語起源の言葉でムスリム(مسلم muslim)といい、ムスリムは、自らの教えの名を、アラビア語で「身を委ねること」「神に帰依すること」を意味するイスラーム (الإسلام al-Islām) の名で呼ぶ[注釈 3]。「イスラーム」は「神への帰依」を意味すると解されており、「ムスリム」(イスラム教徒)は「神に帰依する者」を意味する。

「イスラーム」とは、唯一神アッラーへの絶対服従を意味しており、モーセ(ムーサー)やイエス(イーサー)も預言者として認めている。ただし、イエスもムハンマドもあくまで人間として考えており、それゆえ、イスラーム暦の元年はムハンマド生誕の年ではなく、西暦622年にメディナにウンマ(イスラーム共同体)ができたヒジュラの年を元年にしている。

イスラム教の聖典『クルアーン』(コーラン)には信徒間の平等が記されているとする意見があるが、少なくとも『クルアーン』には、「アッラーはもともと男と(女)の間には優劣をお付けになったのだし、金は男が出すのだから、この点で男の方が上に立つべきもの。だから、貞淑な女はひたすら従順に」と、男女不平等を明記する記述もある。イスラーム社会では、他の宗教にみられるような聖職者・僧侶階級をもたない。宗教上の指導者を有するのみである。

現実には、ウマイヤ朝では、シリア総督であったムアーウィヤは、シリア優先主義を採り、アラブ人、特にシリアに移住したアラブ人の優越主義が採られ、アラブ人ムスリムと改宗ムスリム(マワーリー)との税制・待遇面の格差は著しかった。対して、アッバース朝ではその反動から、シュウービーヤという思想が起こり、これはカバーイル(アラブ人)にシュウーブ(ペルシャなどの先進文化地域民)を対比させ、シュウーブの優越を主張したものであった。結果、アラブ人の特権は、廃止された。このように、果たして平等かどうかは、時代によって波がある。また、インド圏のイスラム教徒の間には、アシュラーフ等とするカースト的な慣行が存在しており、平等ではない。

 啓典 キターブ
     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%93%E5%85%B8

啓典(けいてん)は、イスラム教において唯一神(アッラーフ)から諸預言者に下された四つの啓示の書物のこと。クルアーン以外の書物は、旧約聖書や新約聖書を内包される。

  1.ムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』)
  2.ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』)
  3.イーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』)   4.ムハンマドに下された『クルアーン』(『コーラン』)

 『コーラン(全編114節)』日本語で読む予備知識
     https://www.f-tsunemi.com/blog/realislam/koran-reading/

コーランのあらすじ

「神を信じて日々信仰、善行に励めば、最後の審判を経て天国に入れるよ」。 あくまでざっくりですが、これがコーランのテーマです。 話のスタイルは神が語りかけるものです。 その相手は、預言者ムハンマド、信者、人々全般です。
<コーランの内容>
 ・神(唯一&世界の創造主)
 ・最後の審判
 ・人々の生活規範
 ・旧約聖書のストーリー

コーランの構成

 ・全部で114章。各章に複数の「節」があります。
 ・「メッカ期」と「メディナ期」
コーランが書かれた時期は、大きく「メッカ期」・「メディナ期」に分けられます。 それぞれで内容や文調も大きく異なります。 メッカ期は終末論的で恐ろしい雰囲気、メディナ期は共同体が出来上がってきた頃で、生活の規範を述べたものが多いです。 時代はメッカ期が先ですが、コーランでは(おおむね)「メディナ啓示」→「メッカ啓示」の順になっています。
 ・章の長さは様々。
最長は2章(コーラン全体の12分の1に相当)、最短は108章。 長い章は、それぞれの節も長めになっています。 コーランの前の方に長い章が配列されています。
 ・章の名前
章にはそれぞれ名前がついています。(例:4章=「女性章」) 章の名前は何らかの特徴をとらえたものが多いですが、必ずしも内容と一致するとは限りません。
 ・重要な章
コーランの中にも、特に重要と言われる章があります。 「36章(ヤーシーン章)」は「コーランの心臓」と呼ばれ、全体の内容の3分の1を含んでいると言われています。

コーラン独特の表現

 ・主語
コーランの主語は神ですが、その主語は「われ」「かれ」「われら」など変わります。 ややこしいのは、同じ章句の中で「われ」と言ったり、「かれ」になったりすることです。
 ・「かれこそは天から雨をふらせる方である。われは水によってすべての(植物)の芽を吹かせ、青葉を出させ、粒々と実った(穀物の)穂を出させる。 「われ」「かれ」は神のことを指しています。
 ・語りかける相手
ムハンマド、信徒全体、人々全体です。それぞれ以下のように記されています。
  ムハンマド=「汝は~」「預言者よ」
   信徒全体=「汝らは」「信仰する者たちよ」」
   人間一般=「人びとよ」
 ・「コーラン」を意味する言葉
文中では、コーランが色々な言葉で表現されています。 「キターブ(書)」「クルアーン(誦まレルもの)「フルカーン(識別するもの)」「啓示」「天啓」「叡智」「規範」「秤」「光り輝くもの」
 ・「言え~」ではじまる章句
何かについての神の回答や反論です。
 ・商人言葉
コーランが下された当時のメッカは商業都市だったため、商業言葉がたくさん出てきます。 イスラムでは商売でもうけることは良いこととされています。
 「アッラーの啓典を読み、礼拝を確立し、われが恵として与えたものから密かにあるいは公然と施す者は、失敗のない商売を願っている(のと同じである)(創造主章29節) 「商売」は信仰のことです。
 「アッラーによい貸付をなす者は誰であろうか。かれ(アッラー)はそれを倍にして返し、さらに気前のよい報奨が与えられる。(鉄章11節) 「貸付」はコーランに12回登場します。
 「その日には、アッラーが当然の報酬をあますところなく支払って下さろう」(24章25節) 「最後の審判の日に、天国へ入れてくださるだろう」という意味です。

<コーラン日本語訳を読むための入門書>