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続折々の記 2020⑨
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 04 】11/22
           生きていくことは神様の意志(続)   この言葉が意味すること

 11 22 (日) 生きていくことは神様の意志(続)      この言葉が意味すること

生きていくことは神様の意志、このことについて前のページで朝を迎えるときにつぶやくと述べました。 この考えに至るまでの頭の整理をしておきたい。

戦後になってからわかったことでしたが、戦前予科練に行くことに決まってからのことであつたというが、父は役場の兵事係さんのお宅へお邪魔し予科練へ行くことの取消しを懇願したと母から聞いたことがあった。 父はそのことについては一言も口には出さなかった。 それに母は自分で話したのですが、生家の前の小さい小川の上手(かみて)の洗い場で私の名を呼んでは涙を流したのだと聞きました。

敗戦になって長くそんな話は聞かなかったのです。 当の私はそんなことはつゆ知らずにいたのです。 のちになってから親の気持ちがわかって、そうだったのかと胸に畳み込みました。

戦後復学して3月の卒業を迎えることになった。 戦後の世の中はあわただしく、学校での就職指導も進学指導もなかった。 末子に生まれた私は、父の意向で貧乏にもかかわらず長野の青年師範学校への進学を勧めてくれた。

戦後でしたから、いろいろの人が多く5に1人の合格だったが運よくパスできました。 だが、同期の人たちは1~2才年上の人が多く、戦時下に明け暮れして勤労奉仕が多かった私に取っては勉学の開きは大きかった。 それからの三年間は大変でした。

長野での生活が始まったのは、まだ17才の少年でした。 一番心にかかっていたことは、なんで戦争に負けたのか、に集中していました。 その現われは、歴史の学びに向かうことになりました。 自分では本もないし、本屋にもそうそう欲しい本は売っていなかった。 結局は長野図書館を利用することが効果的なことがわかりました。

それでも戦後二年もたつと新しい本が売られ始め、その中でH.G.ウェルズの「世界文化史体系」(Ⅰ~Ⅶ)を手に入れることができました。 今その本を開いて読んでみると、漢字すべて旧漢字の用法でそれにルビがついている時代ものでした。 加えて当時の紙質は戦後でしたから紙質が悪く今では黄色化しています。 おまけに字が小さくて今の人では読むのに一苦労します。 第一巻昭和二十三年五月二十日発行 定価 \140.00、 第七巻が昭和二十四年二月十日発行 定価 \240.00 となっています。

歴史の本質は後になって分かったことですが、温故知新であると思うようになりました。 何時どこで何があったのかを記憶することではなく、学業成績を上げることでもなく、歴史事象の因果を学びそれを役立てることでした。

これにはイギリスの歴史学者アーノルド・トインビーの昭和43年ころ毎日新聞がインタビューした記事、「日本はやがてアメリカ覇権が太平洋の中ほどになり中国を含む極東経済ブロックとして活動することになるでしょう」という内容を表明していたことを読むことになってから、一つの驚愕として脳裏に残ったのです。 それが「温故知新」、歴史は変化していく予測に役立つという確信がだんだん固まってくる歩みだったと思います。

この歴史を学ぶ意味のもとになったのは、長野時代に歴史概説を見ていた時、その本のはしがきに歴史の学びは将来に役立てることが中核だという事柄が私をずっととらえていたから、それが共鳴したものと思います。 学生のころ読んだその本は大類伸(おおるいのぶる)(明治17年生まれの東北帝大教授)という人の著書でした。 私にとってはありがたい本でした。

第二次大戦に負けたのは何故、何故戦争は起きるのか、その原因になったのはいろいろと学んできてみると、資本家の金銭欲と政治家の無節操がその原因だということを突き止めることになりました。 間違いありません。 「死の商人」がそれを暴露していますし、人間の本来持っている凡欲の一つとしての金銭欲があることと、自分が所属している集団の集団優先の思考、私はこの思考方向を複数思考と名付けていますが、複数思考の長短がありその一つの弱点としての多数思考最優先による排他性にあると考えるようになりました。 複数思考の弱点は、単数思考切り捨て顧みずという欠如が最大原因になっていると思うからです。 その現われが忖度そんたくの言葉が政界で幅を利かすことになってきたのです。 菅総理いわく、「自分の考えに反する者は役職を変えればいい、私は忖度を大事にします」。 こんなことが政界でまかり通っているのです。 これに対応するのは、良心であり、倫理観であり、道義であり、単数思考なのです。
世界戦争拒否の歴史でもこの正邪の相克そうこく(対立・矛盾する二つのものが互い争うこと)が続いてきました。

凡欲に対峙する良心、倫理観、道義、単数思考の源は、母親の慈愛しかありません。 それが私の到達した結論でした。 何でか?  それは、こころの源泉だからです。

イギリスの文学者シェイクスピアの「ハムレット」に出てくる “ To be or not to be, that is the question. [生きるか死ぬか、それが問題だ] ” 名句はよく知られています。 まさに戦争第一線に立った時の心境にそっくりなのです。

  漱石の則天去私

  西郷隆盛の敬天愛人

  吉田松陰の「親思う心にまさる親心今日のおとずれ何ときくらん」
         「吾今国のために死す。死して君親に背かず悠々たり天地の事鑑照は明神にあり」

  良寛の「散る桜残る桜も散る桜」

  最澄の「一隅を照らす」

  空海の「人を思いやる気持ちと、人に利益をもたらす行動をすることが全ての根本である」

  お釈迦様の「自分自身を灯明とし、自分自身をよりどころとせよ」

なんで戦争に負けたのか?  この少年時代の疑惑の塊はいろいろの状況の理解となって現われてきていました。

歴史を学んでいくうちに日本人の祖先についていろいろの説があることがわかってきました。 こうした中で医者であった安田徳太郎の「南方起源説」はとても印象深いもので、私が27才の時職員研修発表会で「私たちの祖先」について発表しました。

私が戦後学んできた日本の歴史は考古学や記紀に始まる現日本人説であり、後になってこの歴史観は明治維新後の国粋主義に基づく太鼓持ちとしての歴史であったと批判されるようになりました。 ですから、安田徳太郎が外国人の多くの文献によって南方起源説をあおったのは日本の起源を訪ねる立派な研究だったと言わざるを得ません。

その後歴史学者は世界の文献を研究材料とし、日本の起源を学問の方向として研究が進められてきたといえましょう。

私にとっては、「イヴの七人の娘たち」この本が科学的な手法に基づく歴史書であることが分かり、歴史の学びの方向転換をしてきた本でした。

イヴの七人の娘たち概要の解説]


著者
ブライアン・サイクス(Bryan Sykes)イギリス、オクスフォード大学で人類遺伝学教授を務める。 DNA遺伝子が古い骨にも残っていることを突き止め、採取に成功。 1989年の『ネイチャー』誌で発表して以来、その分野における国際的権威のひとりとなる。 彼の研究チームは、ホモ・サピエンスのDNAの系図をまとめあげる偉業を達成した。 現在はテレビのレポーター、議会の科学アドバイザーとしての顔も。
開設中のウェブサイト www.oxfordancestors.com では、人々が本書で取り上げるDNAタイプのどれに属するかを調べる機会を提供している。

訳者
大野晶子(Akiko Oono)成城大学文芸学部卒、翻訳家。 訳書多数。

表表紙カバー裏
四万五千年前、地球が現在よりもずっと寒く、氷河で覆われていた時代、イヴの第一の娘、アースㇻが誕生した。それから三万五千年後、第七の娘ジャスミンが生まれたころに、農耕生活が始まっていく。
水平線の向こうに、地平線の向こうになにが待ち受けているのかわからなかった遥か昔、アースㇻ、ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、カトリン、ジャスミン――イヴの七人の娘たちとその一族は海へ(いど)み、新たな大地へ踏み込んでいった……。 遺伝学者のブライアン・サイクスが、五千年前に死んだヒトの化石をきっかけにミトコンドリアDNAの重要性を発見し、現代人の共通祖先を探し当てた。
本書は、従来の定説を覆し、驚愕の事実を明らかにするまでの、不断のチャレンジと「知」の格闘の物語である。

表紙おび表の解説
あなたは誰の子どもなのか? 人類をつなぐ固い絆があきらかになった。 母系でのみ受け継がれるミトコンドリアDNAを解読し、幾千の世代、幾万の生命を遡ると、誰もが太古の昔に生きた自分の祖先に出会うことができる。(欧米で話題騒然のノンフィクション)

表紙おび裏の解説
6億5千万の現代人の共通祖先、「イヴの七人の娘たち」

第一の娘 アースㇻ
4万5千年前、ギリシャで誕生。 アースㇻの一族は全ヨーロッパへ広がり、ネアンデルタール人を絶滅へと追い込んだ。

第二の娘 ジニア
2万5千年前、マンモスの時代に誕生。 ジニアの一族は凍原のなか食料を求め移動生活をしていた。

第三の娘 ヘレナ
2万年前の最終氷河期、地中海沿岸に誕生。 浅瀬では貝をとっていた。 ヘレナの一族は、狩道具を洗練させていき、洞窟に描いた壁画の前では儀式を行った。

第四の娘 ヴェルダ
1万7千年前、北スペインで誕生。 キャンプ地に暮らし、男は狩猟の旅に出た。 ヴェルダは芸術的センスに恵まれていた。

第五の娘 タラ
1万7千年前、トスカーナで誕生。 海が好きで海岸をよく散歩していたタラは、浜辺に打ち上げられた木の幹を発見。 それがきっかけでボートを作ることになる。

第六の娘 カトリン
1万5千年前、最終氷河期の終わりに、ヴェネチアからアルプスに広がる平原で誕生。 カトリンはある夜、焚火の向こうに狼の姿を見つけた。狼はやがて飼いならされて「犬」となった。

第七の娘 ジャスミン
1万年前、ユーフラティス川の近くの村で誕生。 狩の下手な夫と知恵をしぼり、農耕をはじめた。 それは食糧の安全供給をもたらし、村の人口が増加したが、同時に伝染病も生んだ。

奥付
  書名 イヴの七人の娘たち
  著者 ブランアン・サイクス
  訳者 大野晶子
  発行所 ソニー・マガジンズ社
  出版年月 2001/11/10 初版第1刷発行
         2001/12/10     第2刷発行
  定価 1600円+税


この本を読んでから、関係する本やURLをいろいろ入手して歴史をたどりました。

次の各項を開いて見てほしい。

  http://park6.wakwak.com/~y_shimo/momo.983.html
 【 05 】祖先を訪ねて(1)
 【 06 】祖先を訪ねて(2)(3)
 【 07 】祖先を訪ねて(4)

こうしてたどり着いたのが、キリスト教やイスラム教が派生してきたもとの、旧約聖書であり中でもモーセの十戒であった。 なぜかといえば、筑波大の村上和雄著「生命の暗号」のまえがきに次の文章を見たからでした。


生命の仕組みは、まったく驚くほど不思議なことばかりです。 人は「生きる」などと簡単にいいますが、自分の力だけで生きている人は、地球上に一人もいません。 呼吸していても、血液循環にしても、私たちは、自分で工夫してはたらかせているのではなく、ホルモン系・自律神経系などが、自動的に活動しているからこそ私たちは生きているのです。

このホルモン系・自律神経系の活躍を支配しているのが遺伝子ですが、それでは遺伝子を操っているのはいったい何でしょうか。

それぞれの遺伝子は、見事な調和のもとではたらいています。 ある遺伝子がはたらき出すと、ほかの遺伝子はそれを知って仕事の手を休めたり、いっそう作業のピッチを上げたりすることで、実にうまく全体のはたらきを調整しています。 このような見事な調整が、たまたま偶然にできたとはとても思えません。

この見事な調整を可能にしているものの存在を、私は1990年ぐらいから「サムシング・グレート」(偉大なる何者か)と呼んでいます。この正体は、もちろん目には見えず、感じることもなかなかできませんが、その存在はあるに違いないと、生命科学の現場で私は実感するのです。


「ワァッ、これだ!、 これが神様だ! 神様のことだ!」

さらに続いて目次の一部を見てみよう。


プロローグ 生命の不思議を解読する

遺伝子の働きは環境や刺激で変化する
生まれたばかりの赤ちゃんでも細胞数十兆個
人間の細胞の仕組みには不思議がいっぱいある
クローン人間が誕生しても同じ人間にはならない
遺伝子をONにできる人、できない人

第一章 遺伝子が目覚めるとき

遺伝子のON/OFFとはどんなことなのか
遺伝子に書かれてある暗号とは何なのか
遺伝暗号解読表でタンパク質の種類がわかる
ON/OFFにかかわる調節遺伝子がある
火事場のバカ力は遺伝子ONの化学反応
プラス発想すれば遺伝子が目覚める
発ガン遺伝子とガン抑制遺伝子のバランスが崩れて発病
頭で考える前に遺伝子が指令を出す
遺伝子に書かれてある以外のことはできない

第二章 環境で遺伝子が変わる (詳細省略)

第三章 遺伝子ONにして生きる (詳細省略)

第四章 この生命設計図の不思議 (詳細省略)

第五章 だれが生命の暗号を書いたか
遺伝子組み換えが進んでも自然のおきて は破れない
サムシング・グレートの存在を感じるとき
人間の能力を阻害しているものは何か
志の高い者に天は味方する
本当に人間は弱肉強食で進化したのか
遺伝子は病原菌のやっつけ方も教えている
「思い切り」と「思い込み」の二面性が大切
生命とは何か、遺伝子に魂はあるのか
感動は長寿を呼び、若さを保つ効果がある
「天に預けておく」ことの大切さを学んだ
自然法則のバランスを崩してはいけない(サンマーク文庫252頁で終る)


サムシング・グレートの存在を感じるとき の本文

ヒトの遺伝情報を読んでいて、不思議な気持ちにさせられることが少なくありません。 これだけ精密な生命の設計図を、いったいだれがどのようにして書いたのか。 もし何の目的もなく自然にできあがったのだとしたら、これだけ意味のある情報にはなりえない。

まさに奇跡というしかなく、人間業をはるかに超えている。 そうなると、どうしても人間を超えた存在を想定しないわけにはいかない。 そういう存在を私は「偉大なる何者か」という意味で十年くらい前からサムシング・グレートと呼んできました。

このことに関して私には印象深い思い出があります。 以前にラッセル・L・シュワイカートさんという宇宙飛行士の方にお目にかかったことがあります。 数日間ホテルでご一緒し、いろいろな話をしたのですが、そのときシュワイカートさんは次のようなことを話してくれました。

「宇宙空間から地球を見ていると、地球はただ美しいだけでなく、まさに生きていると感じられる。 そのとき自分は地球の生命とつながっていると感じた。 地球のおかげで生かされていると思った。 されは言葉でいい尽くせない感動的な一瞬だった」

地球は生きているということを、私たちは言葉の上では知っていますが、日常生活のなかではなかなか実感できるものではありません。 彼も遠く離れた宇宙空間に出てみてはじめてそれを肌で感じたのです。 彼は地球を離れるというマクロの視点からみて感じたわけですが、私の場合はどうかというと、遺伝子という超ミクロの世界に降り立って、シュワイカートさんと同じ感動を味わうことができたのです。

実際に遺伝子の世界は、ふれればふれるほどすごいと感じてしまいます。 目に見えない小さな細胞。 そのなかの核という部分に収められている遺伝子にはたった四つの化学の文字の組み合わせで表わされる三十億もの膨大な情報が書かれている。 その文字もAとT、CとDというふうに、きれいに対をなしている。

この情報によって私たちは生かされているのです。

しかも人間だけではない。 地球に存在するあらゆる生き物、――カビなどの微生物から植物、動物、人間まで含めると、少なく見積もっても二百万種、多く見積もると二千万種といわれている――これらすべてが同じ遺伝子暗号によって生かされている。

こんなことがあってもいいものか――。 しかし現実にあるのですから、否定のしようがありません。 そうなると、どうしてもサムシング・グレートのような存在を想定しないわけにはいかなくなります。

シュワイカートさんは宇宙から帰還後、自分の経験、感動を世界中の人に伝えたいと講演して歩いておられるのですが、それは彼がサムシング・グレートの存在を感じ、それをどうしても伝えたいという気持ちにかられているからで、私もいま同じような気持ちをもっているわけです。

サムシング・グレートとは「こういうものである」とはっきり断言できる存在ではありません。 大自然の偉大な力ともいえますが、ある人は神様といい、別の人は仏様というかもしれません。 どのように思われてもそれは自由です。 ただ、私たちの大もとには何か不思議な力がはたらいていて私たちは生かされている、という気持ちを忘れてはいけないと思うのです。

いくら自分で「生きるぞ」と気力をふりしぼってみても、遺伝子のはたらきが止まれば、私たちは一分、一秒たりとも生きてはいられません。 その私たちが百年前後まで生きられるのは、大自然から計り知れない贈り物をいただいているからなのです。

誰かから「一億円をあげる」といわれたら、私たちは大喜びします。 税金は大いに気になりますが、それでも飛び上がって喜ぶに違いない。 だが、私たちが生きているということは、一億円どころの話ではないのです。

いま科学者は生命について、いろいろのことを知るようになりましたが、それでもいちばん単純な、わずか細胞一個の生命体である大腸菌一つもつくることはできません。 ノーベル賞学者が束になってかかっても、世界中の富を集めてきても、これだけ科学が進歩しても、たった一つの大腸菌すらつくれないのです。

つまり生命を作ることができないのです。

だとすれば、大腸菌に比べたら六十兆という天文学的数値の細胞からなる一人の人間の値打ちというものは、世界中の富、世界中の英知をはるかに上回るといっていい。 私たちはサムシング・グレートから、それだけすごい贈り物をいただいているのです。

これだけのものを「ただ」でもらいながら、そのことを感謝しているかというと、人はあまり感謝していない。 感謝どころか「ああだ、こうだ」と文句をいっています。 これはたいへんな間違いではないか。 私はそういう思いを強くもっています。 まして、これだけ精巧な人間という生命をサムシング・グレートからもらったのに、自殺などで自分の命を絶ってしまうなど、本当にもったいないことなのです。

私たちはよく「親に感謝せよ」といいます。 親は自分を産んで育ててくれた。 そのことを感謝せよという。 これはわりに納得いくことなので、私たちは親に感謝します。 しかし、親にはその親がいて、その親にはまた親がいてと、さかのぼっていけばその先に親の元、「生命いのち の親」のような存在があっても不思議ではありません。

自分の親に感謝するということは、そのずっとさかのぼった先にいる親にも感謝することにつながらないか。 それは目に見えないけれど、生命の連続性からいって、存在することは確かです。 そういう人間を超えた大きな存在によって、私たちは生かされているという事実を、まずしっかり見つめることが大切ではないか。 私は研究現場で遺伝子とつきあううちに、そういうことが少しずつ分かってきたのです。


さあ、この節を読んでいくと「モーゼの十戒」の内容をまったく同じ感覚で理解していくことができます。 村上和雄自身が「モーゼの十戒」を証明しているような錯覚を私は感じました。

ですから、私の朝のつぶやきはそうした理解の上に立っているといっても過言ではありません。

「モーゼの十戒」のもとになっている文書は、次の三つといわれています。 細かいことまで書かれています。 例えば「目には目を」「歯には歯を」<エジプト記、21章24~25項目>としていたハムラビ法の祖型まで出ていたのには驚きました。

   “出エジプト記(口語訳)#20:3
   “申命記(口語訳)#5:7
   “出エジプト記(口語訳)#32:19

最初の「出エジプト記」が一般的には十戒の出所としてみるのがいいと思いました。 URLのすべてを読むとすれば、相当の分量になりこんな細かいことまで載っているのかと驚きました。 内容は第一章から四十章まであり、すべての細目を総計すると1214項目となる。 1項目が短く平均2行とみると総体で2428行となる。