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続折々の記 2020⑨
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】11/06~     【 02 】11/10~     【 03 】11/14~
【 04 】11/22~     【 05 】12/04~     【 06 】12/07~
【 07 】12/08~     【 08 】12/22~     【 09 】12/28~

――――――――――――――――――――――――――――――
【 09 】12/28
           祇園精舎の鐘の聲
              生命の生滅

           年末の餅つき
              いろいろの変化の一年
              世情の変態はいろいろ
              新聞の一面のニュース

           共生のSDGs 明日もこの星で

              連載


 12 28 (月) 祇園精舎の鐘の聲
生命の生滅

生命の生滅について、いろいろ振り返って思う。 幼い時から今日まで、1年<365 × 92 = 33580>3万3千日余りの日数、聞いただけでもびっくりする長いこと生きてきた。 だからここに書くなど 1/100 忘れたとしても 335 日にもなるから多すぎて何を書いていいやら途方にくれます。

すべてに通用するなど出来ないと分かった時、平家物語の冒頭の節が頭に浮かんだのです。

祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、 ひとへに風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高てうかう、漢の 王莽わうまう、梁の 朱忌しうい、唐の 祿山ろくさん、是等は皆旧主先皇の政にもしたがはず、樂みをきはめ、諌をもおもひ入れず、天下の乱れむ事をさとらずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。近く本朝をうかがふに、 承平しょうへい将門まさかど天慶てんぎょう純友すみとも康和こうわ義親ぎしん平治へいじ信頼しんらい、おごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、傳承るこそ心も ことばも及ばれね。

ここでの中核になっているのは、諸行無常でしょう。

   諸行無常
   是生滅法
   法滅滅已
   寂滅為楽

検索による解説では、次のように出ています。
〘名〙 仏語。万物はすべて変転し生滅するもので不変のものは一つとしてないということ。「涅槃経」の「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」の四句偈(げ)の一つ。

※観智院本三宝絵(984)上「諸行无常、是生滅法と云ふ音(こゑ)風のかに聞こゆ」

※光悦本謡曲・三井寺(1464頃)「初夜の鐘を撞く時は諸行無常と響くなり、後夜の鐘を撞く時は是生滅法と響くなり」 〔北本涅槃経‐一四〕
出典 精選版 日本国語大辞典
更に詳しい解説は、検索で「諸行無常」を開いてみるとよい。

この生滅法は、ひとり人間のことだけではなく生きているものすべて生物に適応しています。 ですから子供のころ「いろはカルタ」をしたことは、故人が色々と工夫してカルタを作り子女の導きとしたと思います。

  いろはにほへどちりぬるを  諸行無常
  わがよたれぞつねならむ   是生滅法
  うゐのおくやまけふこえて  生滅滅已
  あさきゆめみじゑひもせず  寂滅為楽

いろは歌そのものが、生滅法だと解説では紹介しています。

私は迷うこともなく故人の生きざまに感心するのです。


こうした思いとともに、人一代の中では一番情熱があふれ自分で進んで変化していく時代に私は予科練の経験があったのが一つのきっかけだろうか、戦争中のこんな歌が懐かしいのです。

  満目百里 雪白く
  広袤山河(コウボウサンカ) 風あれて
  枯木に宿る 鳥もなく
  ただ上弦の 月蒼(アオ)し

  光に濡れて 白じらと
  打伏す屍(カバネ) 我が戦友(トモ)よ
  握れる銃(ツツ)に 君はなお
  国を護(マモ)るの 心かよ

当時を懐かしむとともに涙が胸に迫る思いがするのです。

歌は「戦友」そのものの内容を受けた歌詞になっているのです。 こうした歌を振り返れば、「屍は積もりて山を築き……」とか「海ゆかば……」や「花もつぼみの若櫻……」など、一度に何十年をひと飛びにできるのです。

歌ではないが、22才頃「性格を論ず」など生意気な若者の言葉も懐かしい時代だったのかと思い出すのです。

「万物はすべて変転し生滅する」こういた考え方が今ではしっくり受け入れられるようになったのです。

 12 30 (水) 年末の餅つき      いろいろ変化があった一年でした

親指先 2cm 短くなったこととその後後継ぎがすべて承知していることを知り、感謝とともにその指示を守らなくてはいけないという気持ちになったことが一番大きな変化だったと思う。

この親指の怪我が 04 08 幼いころお釈迦様の生まれた日だということで法運寺寺子屋で小さなお釈迦様に甘酒をかけ手を合わせ、小さいビンいっぱいの甘酒をもらって嬉しかったという思い出深い日でした。

この日に新型コロナウイルス「緊急事態宣言、一夜明け」の記事が報じられた。  この日から新聞記事にコロナウイルス菌への脅威が始まったのです。

さらにUSA大統領選挙の年に当たり、日米関係がどうなるのかに関して世界政治の行方予測が論議された年であった。 ことにトランプ氏の米単独覇権から多極覇権への暗躍政策が進みました。 USAの軍産による暗躍はトランプの予測をくつがえした結果に終わりそうになっている。

この世界政治の暗雲は日本の将来展望から考えると、まだ暗雲を駆けゆく飛行機に登場したような気持が続きそうなのである。 いつまで金魚のフンが続くか予測できない。 今年の変化で一番大きな変化だと私は思う。

飯伊地区へ新型ウイルスが飛び火にように広がり始めた。 手の消毒とマスクで対応し、お餅を食べてじっとしているつもりだ。

世情の変態はいろいろ
ステージやテレビ常連は海音寺潮五郎が書いていたくぐつ団の様相

テレビ文化という言葉があるとすれば、それもいいでしょう。 NHK放映の番組を視聴していますと、ただ笑いを誘う視聴にたえないような番組が多くなったように感じます。 歌にしても着飾ったりお化粧ばかり苦にしているような番組が多くなった。単に時代の要求とは言い切れない。 節操に欠ける感じさえする番組が多い。

舞台で演じている人は、一生懸命努力をし生活の向上を目指しているに違いない。 そういう言い方は出演者によくないかもしれませんが、サーカスの指揮者の通り技術を演出する人や動物と同じような立場になっていたりしたら大変な間違いだと思うのです。 テレビ舞台で演出する場合と同じように私が感じているとすれば、出演者はたまったものではないはずです。

テレビも一つの興行に違いないのですが、視聴率でテレビ内容を組み立てているとすれば、一国の文化活動とは言えないものに落ちてしまうのです。 私は前にもとりあげた 54 色紙 の元西独首相シュミット氏が指摘していた厳しい指摘が頭の隅に残っているのです。

テレビ出演者が海音寺潮五郎の小説に出ていたようなくぐつ団になっていてはいけないのです。 出演の計画者や指導者はもっと品性のある出演を企画しなくてはならないと思っているのです。

世情の変態はいろいろ
新聞の一面に出た目立ったニュース

氏神様の桜の伐採をして太い部分と枝葉部分を兄弟で始末し家へ運んでくれた。 大変な仕事だった。 自分でやろうとしていたが、ふらつく姿を見て差し止められ兄弟が仕事の合間にやってくれた。 感謝しきれない思いでした。

コロナの猛威は日本全土をおそうようになり、その様子は毎日報じられてきている。 ウイルスは新しい種類のものがイギリスに発生し、これまた世界中を震いあがらせています。

新聞を見ていきます。

12 21
  内閣支持、急落39% GoTo停止「遅すぎた」79%
12 22
  「桜」答弁118回、相違の可能性 安倍前首相分、衆院調べ
12 23
  安倍前首相を任意聴取 「桜」夕食会、関与否定か
   東京地検、不起訴へ 秘書は略式起訴方針


  コロナ死者3000人超 国内1カ月で1000人増、ペース速まる
     写真・図版
  吉川元農水相の議員辞職
12 24
  対面授業、苦悩する大学 5割未満は187校 文科省、実施促す
12 25
  黒川元検事長「起訴相当」 検察審査会が議決 賭けマージャン
12 26
  憲政史上の汚点、幕引きできぬ 「桜」夕食会
  コロナ変異種、国内初確認 英から到着の5人
12 27
  (東日本大震災10年へ 3・11の現在地)
   再稼働へ東電・国、根回し着々 事故処理費用、柏崎刈羽カギ

12 28
  (社説)防衛予算 拡大路線を見直す時
  (共生のSDGs 明日もこの星で:1)別項扱い連続もの
12 29
  「鬼滅の刃」324億円、興収歴代1位 「千と千尋」抜く
12 30
  (天声人語)初詣のこと
12 31
  都の医療「破綻の可能性」 専門家指摘 知事、緊急事態に言及
  元日にかけ大雪に厳重警戒
  号外:東京都は31日、1300人を超える新型コロナの感染者を確認。過去最多を更新 (14:40)
  「進歩をもたらすのは多様性」 メルケル首相が新年演説
  新型コロナウイルス最新情報 最新ニュース 国内の動き 世界の動き 感染者数グラフ
  新型コロナウイルスの感染状況
  松本の病院で集団感染 新型コロナ23人、1人死亡 遠藤和希 2020年12月31日 11時00分

 12 28 (月) 共生のSDGs 明日もこの星で      連載

(明日もこの星で:1) 「助けてほしい」、声を上げた 盲ろう者、「触れる」消え孤独

 目を覚まし、暗闇と静寂のなかで時計の針に触れ、時間を確かめる。手探りで窓を開け、冷たい風と暖かい光を肌で感じ取る。廊下から伝わる小さな振動が、みんなも動き出したことを教えてくれる――。

 目も耳も不自由な盲ろう者の加賀明音(あかね)さん(23)の一日は、こんな風に始まる。だがコロナ禍によって、日常は突然奪われた。外出自粛やソーシャルディスタンスで「私の周りから人が消えてしまった」。孤独と不安が押し寄せる。

 加賀さんは生まれつき目が見えず、10代の終わりから徐々に耳も聞こえなくなった。でも、「自分の世界を広げたい」という思いから、盲学校の高等部を卒業した後、3年前に愛知県の実家を離れた。大阪市にある全国唯一の盲ろう者向けグループホーム「ミッキーハウス」に移り、他の9人の盲ろう者と共同生活を始めた。

 他者と話す手段は「触れること」だ。共同生活を始めるにあたって、「指文字」や「触手話」といった意思疎通を図る方法を学んだ。グループホームでは自分にできることを増やそうと、職員らの手を借りて、手工芸などの就労訓練に取り組んでいる。

 だが、新型コロナウイルスへの感染リスクを減らそうと、4月からしばらく実家に戻った。一緒に暮らす母親は働きに出るため、一日の大半を一人で過ごした。パソコン上の文字情報を点字に変換して浮かび上がらせる「点字ディスプレー」を使って世の中の動きを追うと、オンラインで交流が広がっていることを知った。

 一つのイベントが気になった。住みやすいまちづくりなどに取り組む市民団体の「野毛坂グローカル」(横浜市西区)が、5月1日に開いた「新型コロナで取り残されそうな人」というテーマのオンライン勉強会だ。「盲ろうなので、文字のやりとりで参加させてもらえませんか」。開催前日、勇気を出して代表者にSNSでメッセージを届けると、参加者の発言や会場の雰囲気を文章にして送ってもらえることになった。

 勉強会で学んだのは、様々な人々が取り残されているコロナ禍の現状だ。パソコンを使えない高齢者や障害者、必要な医療を受けられない貧困層。多くの人が助けを求められずに孤立していると知った。

 ■コロナ下、誰かのため一歩

 自身を振り返った。3歳から習ったピアノや、中学2年生から習い始めてジュニアオーケストラにも所属したフルートは、耳が聞こえなくなり、周りと音を合わせられなくなって諦めざるを得なかった。読書や勉強は大好きだったが、盲学校ではだんだん先生の話を聞き取れなくなり、授業についていけなくなった。

 誰もが自然に「助けて」と言い合える社会になれたら。そんな思いをつづった作文は、同団体が「誰ひとり取り残さない」をテーマに募った今夏の小論文コンクールで大賞に選ばれた。

 《今までに、しかたがないとあきらめたことは何度もあります。あきらめるしかないと思っていたから。

 助けてくださいと言えるようになってから、気持ちがらくになりました。私も誰かのためにできることがあるのだろうか、考えられるようにもなってきました。》

 7月、加賀さんはグループホームに戻った。世界を広げたい、できることを増やしたい、一歩ずつ踏み出したいという思いは日々強くなる。一度は諦めた大学への進学も、改めて目標に定めた。「いつも普通とは違う扱いで、支援は受ける側。でも私だけでなく、みんなが何かに困っている。『普通』ってなんなのか。そんなことを学問を通して考えてみたいです」

 そして11月22日、ヘルパーに支援してもらって東京へ向かい、若者らとの交流会に参加した。(佐藤啓介)

 ◇SDGs道しるべに考える

 私たちは同じ星に生きている。2020年はそれをかみしめた年となりました。中国大陸の片隅で確認された新型コロナウイルスに世界約78億人が苦しんでいます。でも、今だからこそ、意識の外にあったものにきっと気づいたはずです。例えば誰かの犠牲の上にあった幸せ、限界に近づいた地球環境。変えられるでしょうか。

 30年までに変えたい世界の未来図を示したのが、国連が15年に採択したSDGs(エスディージーズ)(持続可能な開発目標)です。基本理念は「誰ひとり取り残さない」。人権と環境と経済成長と、17の目標はつながっています。みんなで明日を刻んでいくために、SDGsを道しるべに自分にできる一歩を考えます。
 (2面に続く)

コロナ禍、誰も取り残さない

 (1面から続く)
 交流会は11月22日夕、東京都武蔵野市で開かれた。5月に野毛坂グローカルが開いたオンライン勉強会に加賀明音(あかね)さん(23)が参加した縁で、同団体が企画した。大学生ら約30人が会場やオンラインで参加し、通訳・介助者の「指点字」を通じて加賀さんと語り合う形式で進められた。

 加賀さんは、大阪市のグループホームを出発し、武蔵野市の交流会場に着くまでのこの日の「旅路」を振り返って説明した。

 午前9時過ぎ、財布や着替え、パソコンなどを入れた四つのカバンを身につけ、持病のためヘルパーに車イスを押してもらって最寄り駅に向かった。最寄り駅から新幹線に乗る新大阪駅まで電車で20分余り。でも加賀さんは、乗り継ぐたびに行き先を駅員に伝え、乗降用スロープを設置してもらうなどして1時間以上かかった。ヘルパーと別れて乗車した新幹線では、多目的室をあけてもらって一人で過ごした。

 事故やトラブルを避けるため、鉄道会社とは出発前に綿密な打ち合わせをしていた。「本当は私もみなさんと同じように、『ぶらり途中下車』みたいなことをしてみたいんですけどね」

 目も耳も不自由なら何もできないと思われがちなこと。自分ができることを相手に理解してもらうのに時間がかかること。そんな戸惑いも打ち明けながら、「取り残され、不便を感じているのは障害者だけではない。みんなが関わりあう社会のなかで、私もその一人として参加できるようになればと思う」と語った。

 交流会で司会を務めた東京女子大3年の木俣莉子さん(20)は、盲ろう者と向き合うのは初めてだった。東京駅で加賀さんを迎え、通訳・介助者を介して自己紹介した時は緊張したが、会場まで車イスを押すうちに緊張は解けていった。

 「私は障害者への支援を難しく考え、手を差し伸べる勇気が持てなかった。でも、友達と知り合い、好きになっていくことと同じだとわかった。相手が困っていることを聞き、できるなら助けてあげる。それでいいんだなと思いました」

 野毛坂グローカル代表の奥井利幸さん(59)は「本当に『誰ひとり取り残さない』社会とは何か、学ぶきっかけを加賀さんに与えてもらえた」と振り返る。

 ■コミュニケーションとは

 厚生労働省によると、加賀さんのような盲ろう者は全国に約1万4千人(2012年調査)いる。東京都盲ろう者支援センターの前田晃秀センター長は、コロナ禍で3密の回避が求められるようになり、他者に触れることで意思疎通を図る盲ろう者は「どう生きていけばいいのか」と戸惑っていると指摘する。

 「新型コロナの影響で通訳・介助者の派遣が減り、今も元の5、6割にとどまっている。状況を把握できずにいる盲ろう者が多くいることを知ってほしい」

 東京大学先端科学技術研究センターの福島智教授は、コロナ禍で進むオンライン化に懸念を示す。「オンラインのやりとりでは表面的な光と音の情報しか伝わらず、コミュニケーションの質がどうしても劣化してしまう」からだ。

 福島教授自身、盲ろう者だ。「指点字」を開発した母親のもとで育ち、周りの人々と意思疎通しながら学問を究め、盲ろう者として世界初の常勤の大学教授となった。「コロナ禍を、『人間にとってコミュニケーションとは何か』を考える機会にしたい。そして新しい社会のあり方を、より多くの人々と一緒に考えていけたらと思う」(佐藤啓介)

 ■「産後うつ」打ち明ける場が支え

 家族との面会が難しくなった福祉施設入居者や入院患者、インターネットが使えないお年寄りや貧しい人々もコロナ禍で孤立を深めている。

 中でも「産後うつ」に苦しむ母親の問題は深刻だ。横浜市立大学教授の宮城悦子医師らの研究グループが今年9月、日本で妊婦約5千人と今年出産した女性約3千人の計約8千人を調査した結果、速報値で3割以上がうつのリスクが高いと分かった。コロナ禍前の研究者らの調査では、発症割合は世界平均で10~15%ほど。コロナ禍の日本は深刻な状況になっている可能性がある。

 大阪府箕面(みのお)市の中原光(ひかり)さん(33)も産後うつに苦しんだ。19年4月に長女・栞(しおり)ちゃん(1)を出産。だが、なかなか母乳を飲んでもらえず、焦りが募った。3時間おきの授乳で睡眠は足りず、疲れも取れなかった。

 退院後は栞ちゃんと2人で吹田市の実家へ里帰りした。だが、母親と育児の方針ですれ違い、落ち込んだ。栞ちゃんが体調を崩すたびに「私が悪い」と思うようになった。産後2週間健診でうつの可能性を指摘されたが、「認めたくない」という気持ちから専門医の紹介を断った。栞ちゃんの泣き声がしても体が動かなかったり、栞ちゃんがかわいいと思えなかったりした時期もあった。箕面市の自宅から会社に通っていた夫は実家に移って付き添った。約1カ月後、中原さんは自宅に戻ると、症状が和らいだ。だが、「元に戻るのでは」という不安は消えない。

 中原さんの心の支えになっているのは、乳幼児を育てる母親と助産師が交流する「キューズ子育てつどいのひろば」だ。ショッピングモールにあり、今年7月、散歩中に偶然見つけた。乳幼児と母親でにぎわう空間に足を踏み入れると、助産師から「初めてですか」と声を掛けられた。

 気になって数日後に再訪すると、スタッフから「この子は体幹がしっかりしている。いい育て方をしていますね」と褒められた。子育てで褒められたのはこの時が初めてだった。「私と娘を受け入れてくれる場所」と感じて、胸にしまい込んでいた悩みを打ち明けた。以来、栞ちゃんを連れて毎日のように通った。

 「ひろば」を運営するのは助産師らでつくる合同会社「みのおママの学校」だ。新型コロナ対策のため、12月上旬から休止中だが、SNSで交流を続けている。「みのおママの学校」代表で助産師の谷口陽子さん(46)は「母親は子育て期に孤立を感じやすい。でも、『しんどい』と訴えたら、手を差し伸べてくれる人は必ず周りにいます」と強調する。

 産後うつに詳しい昭和大学横浜市北部病院の加藤明澄(あずみ)医師(産婦人科)は、女性は出産後、ホルモンの影響で精神的に不安定になりやすく、授乳や寝かしつけがうまくいかなかったり、他人の子育てと比べて焦ったりした経験が重なると、うつの引き金になると指摘する。「本人から助けを求めるのは難しい。周りの人が母親の不安を理解しようとし、寄り添うことが大事」

 産後うつは、出産した病院や各地の保健所、助産師会で相談できる。助産師会の相談窓口一覧は日本助産師会ホームページ(https://www.midwife.or.jp/general/supportcenter.html別ウインドウで開きます)に掲載されている。(土屋香乃子)

 ■加賀明音さんのメッセージ

 人に助けを求めることができるようになるまでに、長い時間がかかりました。できないことがあるのは、私の努力がたりないからだと思っていました。私が悪いんだって思っていたから。あきらめなければならなかったこと、たくさんありました。でも…。

 朝起きても、周りは真っ暗。鳥もなきません。ぴぴぴとならないめざましどけい。でもカーテンを開けたら、ちゃんと暖かなおひさまがあるんです。

 車椅子に伝わるがたがたという振動。顔に当たる風。夏の夕方の風、秋のきんもくせいの香り。春のさくら、そして屋台の食べ物の匂いが大好きです。

 世の中には、ラインなんていう便利なものがあるらしい。最近はどうぶつの森というゲームがはやっているらしい、とか。

 私には、周りの様子がまったく見えなくて、そして人の声もきこえません。視覚と聴覚の両方に障害のある盲ろう者です。毎日、手からの情報で世界を確かめています。

 コロナウイルスのかんせんの拡大を防止するために、人と人とが距離をとるようになりました。私は見えなくて聞こえないから、触れていなければ人がいることがわからない。だから、私の周りから人が消えました。

 みんなは今なにしてるのかな、そんなことを考えながら続けるステイホーム生活。少し気をぬくと、朝なのか夜なのかわからなくなってしまって大変です。

 最近増えた、オンラインでのイベント。興味があっても、一人では内容を知ることができません。コロナじゃなかったら誰かに来てもらうことができる、そうしたらいろんなことがわかるのに…イベントの情報を知るたび悲しくなることばかりでした。

 5月1日のイベントでは、今やっていることがわかりました。これが、参加できてるっていうことなんですね。久しぶりに人とつながれている気がして、じわじわ、嬉(うれ)しくなりました。

 今までに、しかたがないとあきらめたことは何度もあります。あきらめるしかないと思っていたから。

 助けてくださいと言えるようになってから、気持ちがらくになりました。私も誰かのためにできることがあるのだろうか、考えられるようにもなってきました。

 最初からなにもかもをかんぺきにするのは難しいです。けれど、みなさんと同じように買い物にいきたい。みなさんとお話がしたい。学校へ行きたい、学びたい。興味のあるイベントにきがねなく参加できるようになったらいいのになとか。やりたいことはそんなことです。私も頑張って、たくさんの人から少しずつ力を借りることができたら…あきらめなければ、夢と可能性はきっと広がります。だから毎日、声をあげ続けています。

 『私たちは今、取り残されています。あなたの力をほんの少しだけ、かしてもらえませんか?』
 (「野毛坂グローカル」の小論文コンクールへの提出文)
 (3面に続く)

ライブでも手話、メッセージ力に驚いた 佐々木彩夏さん

 (2面から続く)
 ■アイドル「ももいろクローバーZ」・佐々木彩夏さん

 2016年のソロライブで、初めて楽曲を手話付きで歌いました。それには母の影響がありました。母は昔、新幹線で耳の不自由な方の隣に座り、触れ合う機会があったそうです。母は私にも手話を学んでほしいと考え、家に手話の本を置いて、私が手話を身近に感じられる環境を作ってくれていました。

 私自身も幼いころ、通っていたダンス教室に手話ができる憧れの生徒さんがいて、「手話ができたらコミュニケーションの幅が広がるんだな。いつかやってみたい」と思っていました。ソロライブの企画書で手話付きの歌を提案し、実現しました。

 最初のソロライブでは、バラードの「青春賦」という曲に手話を付けました。驚いたのは、手話が持つメッセージ力の強さでした。観客のみなさんの視線が、ぐっと手話に集まったのです。「歌詞や曲の意味を読み取ろうとしてくれている」と感じました。

 「感動した」という反響をたくさんいただきました。毎年曲を変えながら歌詞を手話に直し、振り付けを覚えて歌っています。

 振り付けを一緒に考えてくれるのは、「手話あいらんど」という団体です。この団体のイベントでは、参加者のみなさんと手話で交流する機会もありました。手話を正確に使うことは難しいですが、大事なのは身ぶりや表情、口を大きく動かすことだと知りました。「お話をしたい」という気持ちがあれば、伝わるんだと実感しました。

 コロナ禍で「ももクロ」の活動は大きく制限されました。メンバーと会うことさえ難しい時期もありましたし、ソロライブも中止になりました。皆さんとのつながりがなくなっちゃうと思うと怖くなりました。

 ただ、自粛期間には私自身が他のアーティストの映像を見て、パワーをもらっていました。私たちも発信を続けなきゃと、ももクロやソロでオンラインの配信ライブを始めました。

 すると、妊婦さんから「おなかに赤ちゃんがいるけど、配信だから参加できたよ」と喜びの声をいただきました。ご高齢の方や遠方の方からも声が届きました。耳の不自由な方にも、配信の方が手話などの様子が画面でよく見え、伝わりやすいのかもしれません。配信のあり方をメンバーみんなで考えています。

 今は大変な時だからこそ、音楽の力や私たちのエネルギーを、もっと多くの人たちに伝えられるようにパワーアップしていきたいと思います。(聞き手・佐藤啓介、土屋香乃子)

     *

 ささき・あやか 女性4人組のアイドルグループ「ももいろクローバーZ」のメンバー。愛称は「あーりん」。1996年生まれ、神奈川県出身。

 ◇次回は外国人技能実習制度がテーマです。ベトナムに一人息子を残すシングルマザーの実習生の足取りを、記者がたどりました。コロナ禍で浮き彫りになった制度の問題点を、SDGsの視点で考えます。

 ◇連載へのご意見、お寄せください 

 連載へのご意見をお寄せください。抽選で10人にQUOカード千円分を差し上げます。締め切りは1月15日。朝日新聞デジタル会員が対象。応募は(http://t.asahi.com/s2021別ウインドウで開きます)へ。

 12 29 (火) 共生のSDGs 明日もこの星で      連載

(明日もこの星で:2)
振り回される技能実習生 母国に子ども、借金抱え来日

 群馬県館林市にある縫製工場の2階、6畳の3人部屋に敷いた薄い布団の上で、ダオ・ティ・フエンさん(26)は毎晩、スマートフォンのビデオ電話を通じて話しかける。「元気? 今日は何してたの?」。画面には幼い男の子の笑顔。故郷ベトナムに残す一人息子、ヒウ君(5)だ。

 技能実習生として1日8~10時間、ミシンの前に立つ。仕事が終わり、ヒウ君と会話する夜のひとときが一番の楽しみだ。ただ、「ママ、早く帰ってきて」とせがまれるのがつらい。

 首都ハノイの南東約40キロに位置するフンイエン省キムドン県の出身。実家は畑が広がる田舎町にある。高校卒業後、地元の縫製工場に勤めたが、月給の2万~3万円は国が定める最低賃金レベルだった。一緒に暮らす両親は農家でコメや野菜を栽培するが、現金収入は月2万円ほど。フエンさんは結婚せず、シングルマザーとしてヒウ君を育て、金銭的な余裕はなかった。

 苦しい生活のなか、日本の技能実習制度のことを知った。実習生として働いて貯金し、帰国後、家を建てた人が近所に住んでいた。そのことを知り、「私も日本で働いてみたい」と思うようになった。近所の知人から、日本へ実習生を送り出すハノイの仲介業者を紹介してもらった。

 仲介業者に接触すると、「毎月手取りで9万円ほどの給料を稼げる」と説明された。地元では稼げない高収入だ。「日本で働いて、ヒウの将来のために教育費をためたい。2人で住む家も建てたい」。日本行きを決心した。2年前のことだ。

 仲介業者からは手数料として70万円を請求された。ベトナム政府は仲介業者の手数料の上限を3600ドル(約37万円)に規制している。だが、技能実習生の支援団体によると、ほとんどの仲介業者はこの規制を守らず、政府は違反を取り締まっていないという。

 70万円はフエンさんも両親も、とても払えない額だ。家族で話し合い、両親が実家の家と土地を担保に銀行から90万円を借りた。この90万円が、手数料を含むフエンさんの来日費用になった。母親のビンさん(51)は「借金を返済できなければ、土地と家を取られる。不安はあった」と話す。

 技能実習制度では家族を連れて来日することはできない。2019年7月、フエンさんは当時4歳だったヒウ君を両親に預け、日本へ向かった。母親と離ればなれになったヒウ君が寂しがって泣くたび、ビンさんは「ママが帰ってきたら、ヒウと暮らす家を買うよ。我慢してね」と慰めた。

    *

 日本で暮らす技能実習生は約40万人(今年6月時点)に上る。このうちベトナム人は約22万人で最多だ。ベトナムは急速な経済発展を遂げ、19年の国民1人あたりのGDP(国内総生産)は約2700ドル。10年の約1300ドルから倍増した。だが、富裕層と貧困層の格差の拡大が社会問題になっており、政府は貧困層の人々に技能実習など先進国での「出稼ぎ」を奨励している。フエンさんも、そうした国策に背中を押された一人だ。

 ベトナムだけではない。アジアの途上国から多くの若者が、自国では稼げない額の給料に引かれ、技能実習生として日本をめざす。だが、多額の借金を抱えて来日し、転職の自由がない制度の中で、人権が侵害される事例が後を絶たない。「人や国の不平等をなくそう」を掲げるSDGs(持続可能な開発目標)に逆行すると批判する声も出ている。さらに今年は、新型コロナウイルスの感染拡大によって制度のいびつさが浮き彫りになった。(玉置太郎、ベトナム北部キムドン県=宋光祐)
 (2面に続く)

コロナ禍、実習生4700人職失う

 (1面から続く)
 岐阜県を流れる木曽川のそばに、閉鎖された縫製工場がある。11月に記者が訪れると、入り口のシャッターが下ろされ、売り出し中を示す看板が出ていた。

 ここが、昨年7月にベトナムから来日したダオ・ティ・フエンさん(26)の最初の職場だ。1日8時間、革製の服にハンマーで金具を取り付ける作業を担当した。月給から社会保険料や寮費が引かれると、手取りは約8万円だった。

 新型コロナの感染が広がりつつあった今年3月16日、フエンさんら工場で働く全員に対し、突然、集まるよう指示があった。集まった場所に現れた弁護士から「会社は自己破産します」と告げられた。

 地元の信用調査会社によると、主要取引先の大手アパレル企業からの受注が減り、立ちゆかなくなった。フエンさんはその日、最後の給料を受け取り、工場の2階にあった寮をすぐに出るように命じられた。

 寮を出たフエンさんを引き取ったのは、岐阜県内にある監理団体だ。監理団体は国の許可を受けた非営利団体で、商工会や中小企業組合でつくる。全国に約3千あり、技能実習生を受け入れて企業につなぐ。

 フエンさんはこの監理団体の研修者用アパートに身を寄せたが、職員から「3カ月経っても新しい仕事が見つからなければ、帰国してもらう」と告げられたという。制度上、実習生に実習先を変える自由はなく、監理団体が実習先を変える場合は同じ職種に限られる。団体の別の職員は「新しい実習先を探したが、コロナ禍で見つけるのは簡単ではなかった」と話す。

 「借金を返せないまま帰国できない」。追い詰められたフエンさんはSNSを通じて仕事を探した。SOSを受け止めたのは、日本に住むベトナム人を支援するNPO「日越ともいき支援会」(東京都港区)。代表の吉水慈豊(じほう)さん(51)は4月末、岐阜へ行き、監理団体からフエンさんを引き取った。

 法務省によると、コロナ禍による受け入れ先の倒産や解雇で約4700人(11月13日時点)の技能実習生が仕事を失った。支援会は今春以降、フエンさんのように行き場を失ったベトナム人実習生らを保護し、再就職や帰国を支援してきた。会によると、監理団体が強制的に帰国させようとしたため空港から逃げた実習生もいるという。

 吉水さんはフエンさんの新たな受け入れ先として、群馬県館林市の縫製会社「UNO(ウノ)テック」を見つけた。早川智(さとし)社長(53)は「しっかり働いて稼いでもらって、家族の元に帰らせたい」と歓迎してくれた。

 7月、フエンさんは館林市で実習を再開した。週5日勤務で1日8~10時間、ミシンを踏む。会社は大手メーカーの3次下請けで、車の座席シートや子ども服を作っている。従業員15人のうちミシン担当の8人はみなベトナム人実習生だ。早川社長は「給料の割にきつくて、日本人の若い子は続かない」と語る。

 フエンさんは毎週末、自転車で5キロ離れた安売りスーパーへ往復し、食材を買いだめする。食事は共同で自炊して節約し、月給の手取り16万円のうち12万円をベトナムの実家に送る。借金は11月で完済した。残りの実習期間に一人息子のヒウ君の教育費と家の建設費をためるのが目標だ。

 今月、記者はフエンさんを訪ね、仕事の合間に、日本での暮らしが寂しくないか尋ねた。「寂しい時もあるけど、日本で働くのはヒウのため。今はとにかく頑張るだけです」(玉置太郎)

 ■事実上の労働力供給策、国連委「懸念」

 技能実習制度は途上国の人に技術を学んで持ち帰ってもらう目的を掲げ、1993年に始まった。働く期間は最長5年。原則、仕事を変えられない。対象は建設業や農業など82職種。事実上、人手不足の中小企業などに労働力を供給する国策になっている。

 また、雇用主が実習生を最低賃金未満で働かせたり、暴言や暴力を伴うパワハラをしたりする人権侵害が相次ぐ。失踪する実習生は後を絶たず、昨年は約9千件あった。

 さらに今年は、コロナ禍による倒産や解雇で多くの実習生が仕事を失った。一方、実習生の入国制限で、農業や漁業は人手不足に陥った。実習生らを支援するNPO「移住者と連帯する全国ネットワーク」の鳥井一平代表理事(67)は「借金を抱えさせ、転職を認めない奴隷労働のような構造によって問題が多発する。コロナ禍が制度の矛盾を浮き彫りにした」と指摘する。

 国連の人種差別撤廃委員会は今年9月、技能実習生が「劣悪で債務労働型の状況にある」として、日本政府に「懸念」を表明した。

 政府は批判を受けて昨年4月、在留資格「特定技能」を新設。人手不足の介護など14分野で企業が外国人を労働者として雇用でき、同じ分野での転職も認める。しかし、初年度の受け入れは想定の1割弱(約4千人)にとどまった。一方、技能実習生は19年中に8万3千人増えている。

 韓国には日本の技能実習と同様の制度があったが、労働環境の悪さを批判され、政府が廃止。代わりに2004年、「雇用許可制」を導入した。外国人は国が運営する就労支援センターに登録され、企業に割り当てられる。一橋大大学院の小井土彰宏教授(国際社会学)は「国が運営主体となることで、制度の透明性が増した点は評価できる」と話す。

 スペインでは、政府が移民労働者や支援するNGOを交えた協議会を設け、外国人の声を政策に反映させている。各自治体は「文化媒介者」と呼ばれる専門職員を配置し、移民労働者ら外国人と住民が対立した場合、仲裁する役割を担う。

 小井土教授は「日本も海外からの労働者がもはや不可欠な現実を直視し、社会の一員として接点を持つ工夫が必要。理解が深まれば、政策をめぐる議論への関心も高まるはずだ」と指摘する。(半田尚子、笠原真)

 ■外国籍の人、受け入れ接点持って 在留資格取得支援ベンチャー経営・岡村アルベルトさん

 ペルーで生まれ、6歳の時に日本に移住しました。当時、日本はきらびやかで、ペルーとは光の色が違うように感じました。子どもながらにわくわくしたことを今も覚えています。

 でも近年、日本に対する外国の人々の憧れは薄まっていると感じます。理由の一つが、技能実習制度です。技能実習生は多額の借金を抱えて来日するのに、給料が安いことが多い。転職もできず、搾取されやすい構造になっています。

 今年、コロナ禍は日本の農業や漁業、製造業が、技能実習生なしには成り立たない現状を浮き彫りにしました。技能実習生がいなければ、スーパーの棚から野菜や肉、魚が消えることを想像してみてください。

 私は23歳の時、外国籍の就労者向けに日本の在留資格申請を支援する会社を立ち上げました。在留資格申請は書類が多くて手続きが複雑です。効率的に申請できるようにして、外国籍の人が日本で働くハードルを低くしたいと思います。

 自分自身を振り返ると、子ども時代は「肌の色が違う」「なんで日本にいるの」とからかわれました。大人になると、警察官によく職務質問をされるようになりました。気持ちのいいことではありません。人は自分と見た目が違う人に対し、壁を作りがちです。

 壁を乗り越えるには、まず相手を知ろうとする姿勢が大事です。技能実習生をはじめ、外国から日本へ働きに来た人たちとどう共に生きるのか、日本人は本気で考えるべき時期が来ています。周囲に外国籍の人が暮らしている現実を受け入れ、接点をつくったり、交流したりしてほしい。こうしたことを積み重ねていけば、日本社会は外国から来た人に対しても同じ人間として接するようになると信じています。(聞き手・笠原真)

    *

 おかむら・あるべると 1991年、ペルー生まれ。父は日本人、母はペルー人で日本国籍を取得。2015年、日本の在留資格取得を支援する会社「one visa」を設立。20年10月、フォーブスジャパン誌の世界を変える30歳未満の日本人30人に選出された。(伊藤進之介撮影)

 ◇次回はSDGsの視点で見た私たちの消費生活がテーマです。気候変動など消費が環境に与える影響を危惧する人が増え、企業の商品開発や巨額投資マネーの行き先に新たな潮流を起こしています。

 12 30 (水) 共生のSDGs 明日もこの星で      連載

(明日もこの星で:3)
環境に優しい服って、おしゃれ 水・電力の使用抑え新素材

 新型コロナウイルスの感染拡大は繊維・アパレル業界に大打撃を与えた。大量生産と在庫セールに頼るビジネスモデルは行き詰まりつつあったが、コロナ禍による休業や買い控えが追い打ちになり、大手のレナウンも今年倒産した。

 だが、衣料素材ベンチャー企業「hap(ハップ)」(東京都中央区)の鈴木素(もと)社長(43)の元には、アパレル大手やデザイナーから「『新素材』について教えてほしい」という相談が月30件ほど寄せられる。コロナ前の5倍以上だ。

 「新素材」とは、古着や布切れ、オーガニックコットンなどを原料にしたサステイナブル(持続可能)な繊維に、抗菌や消臭、撥水(はっすい)などの機能を加えたhap独自の生地のことだ。製造過程で化学薬品を極力使わず、水や電力の消費を半分に抑える環境対応でも先行する。

 繊維・アパレル業界は大量の化学薬品や水、電力を消費する。鈴木社長は環境への悪影響に胸を痛め、14年前に繊維商社を辞めてhapを設立した。

 サステイナブルな繊維を売りにするブランドは増えているが、機能や耐久性を持たせるには技術開発が欠かせない。hapは新素材の開発を信州大学繊維学部(長野県上田市)の宇佐美久尚教授(56)=有機材料化学=と共同で進めている。

 12月上旬、宇佐美教授の研究室を訪ねた。細長いガラス管に入れた青色の液体に光を当てると、徐々に無色になった。光を使って汚れを分解する光触媒の効果だ。これを応用して汚れが落ちやすい繊維を開発して衣服を作れば、洗濯を減らして長持ちさせられると宇佐美教授は説明する。

 hapの新素材を使ったTシャツ1枚の原価は、平均的なものより数百円高いが、今年の販売実績は前年比の倍増ペースだ。hap製品を愛用する弘前大3年の斉藤拓海さん(22)は「服がどうやって作られたかまで含めてファッション。おしゃれをするなら環境に優しい方がいい」と語る。鈴木社長は「本気で環境問題に取り組まなければ、企業は時代にも消費者にも置いていかれる」と指摘する。

    *

 環境負荷が少ない商品を目指すのは世界的潮流になっている。大量生産モデルで成長してきたH&Mや、ZARAを展開するインディテックスは、商品の素材を環境に配慮したものに切り替える目標を掲げる。

 H&Mは10月、本拠地スウェーデンの首都ストックホルムにある店舗にガラスで区切ったコーナーを設けた。中に設置したのは、古着を生まれ変わらせる全自動の装置「Looop(ループ)」だ。装置は顧客が持ち込んだ古着をオゾン処理して洗い、細かく裁断して糸を紡ぎ直す。その糸をよりあわせ、顧客が望むセーターなどを編み上げる。水や化学薬品は使わない。H&Mは循環型社会への「切り札」とアピールする。

 ただ、1着の再生には約10時間かかる。利用料金は1回あたり会員100クローナ(約1250円)、非会員150クローナ(約1880円)。採算ベースに乗るのはまだ先だが、2021年3月まで予約は埋まっている。H&Mの責任者、パスカル・ブルン氏は「古着にも価値があると訴えることが最大の目的。顧客の賛同なくして、ファッション業界に真の変化をもたらすことはできない」と強調する。

 SDGs(持続可能な開発目標)では廃棄物削減やリサイクル推進を掲げる。大量のエネルギーを使って大量生産、大量廃棄を続けていけば、地球は持たないからだ。対応を迫られているのは繊維・アパレル業界だけではない。あらゆる業界が時代の要請に応じた商品開発に乗り出している。(鈴木友里子、ロンドン=和気真也)
 (2面に続く)

洗剤を量り売り、ごみ減らす

 (1面から続く)
 東京都新宿区の慶応大学病院内にあるコンビニ「ナチュラルローソン」には、院内用のスリッパや着替えやすい肌着など、入院患者を意識した商品が並ぶ。その一角に今年9月、一風変わった洗剤売り場ができた。衣料用洗剤や柔軟剤などの4商品を、必要な分だけ「量り売り」するコーナーだ。

 利用者は四つのプッシュ式ボトルから商品を選び、持参した容器に必要な量を入れる。容器を電子はかりに載せて重さを量ると、値段が印字され、レジで精算する。はかりから音声案内が流れるので操作に迷うこともない。ローソンは今年8月以降、このサービスを都内の店舗で順次始め、同店は3カ所目だ。

 ローソンによると、容器を再利用できるので、従来の詰め替え商品よりゴミの削減を見込めるという。利用者は香りなどの好みを探りながら試し買いができ、価格は100グラムあたり70~110円だ。同社担当部長の鷲頭(わしず)裕子さんは「一般的な洗剤商品より2割ほど安い」と語る。

 ローソンが利用状況を調べたところ、普通の食器用洗剤で4%ほどだったリピート率が量り売りでは17%に増えた顧客層もあった。慶応大学病院の店舗では「入院中に洗剤をどれくらい使うか分からないから、毎回少しずつ買える仕組みで助かる」と利用者の評判もいい。同社は他の商品でも導入を検討している。

 容器を持参する取り組みは化粧品業界でも始まった。7月に東京・銀座にオープンした資生堂の主力ブランド「SHISEIDO」の旗艦店では、1階にガラス張りの空間が設けられた。この空間は、看板商品の美容液「アルティミューン」の詰め替えができる工房だ。減菌された工房内には白衣姿のスタッフが待機し、顧客から容器を手渡されると、容器を洗浄して美容液を補充する。

 化粧品は質や安全性を確保しなければならず、許可を受けた工場でしか製造できない。資生堂は工房内を工場並みの衛生環境にして安全性を確保したうえで、製造許可がいらない「分割販売」のかたちで実現させ、11月から始めた。詰め替えは予約制で、作業時間は約1時間。新品に買い替えるよりも1割ほど安い。

 資生堂はこれまでも微生物による分解が可能な容器の開発などに取り組んできた。だが、担当の大山志保里さんは「ゴミを全く出さないという点で過去にない挑戦」と強調する。背景にあるのは、環境との向き合い方を注視するようになった消費者と取引先の存在だ。特に欧米の小売業者に対しては、環境に配慮する取り組みは商品を扱ってもらうためのアピール材料になっているという。

 利用者はサービス開始から1カ月で数十人。顧客の支持を得られるか、採算に合うかなどまだ手探りだ。大山さんは「環境に配慮した事業を当たり前に実践し、新しい挑戦に取り組む姿勢を見せ続けなければ、企業自体がサステイナブル(持続可能)でいられなくなる」と力を込める。(佐藤啓介)

 ■環境・人権、取り組む企業へ投資広がる

 SDGsを尊重し、環境や人権などの課題に取り組む企業への投資が近年、目立っている。環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance)の頭文字を取って「ESG投資」と呼ばれる。

 ESG投資を推進する国際組織GSIAによると、2018年の世界のESG関連投資残高は約30・7兆ドル(約3200兆円)に上り、16年の前回調査から約34%増えた。世界の運用資産総額の約3分の1を占める規模で、日本は欧州、米国に次ぐ第3の投資市場になっている。

 日本では、世界最大級の年金基金である年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が、15年にESG投資を推す国連の責任投資原則に署名した。17年からは運用する資産の一部をESG投資に振り向けた。

 これを弾みに、ESG投資は大口の機関投資家の間で浸透し、個人投資家にも広がった。NPO「日本サステナブル投資フォーラム」によると、日本の個人投資家向けのESG関連の投資信託の投資残高は、今年9月末で約1・3兆円と、1年で2倍以上に膨らんだ。

 企業もESG投資の呼び込みに懸命だ。コンサルティング会社「HRガバナンス・リーダーズ」(東京都千代田区)には、SDGsに関する取り組みを投資家に伝えようとする日本企業からの問い合わせが増えているという。

 同社の神山直樹サステナビリティガバナンス部長(46)は「企業が環境や社会に負の影響を出し続ければ、投資家を含めた多くの人の生活に影を落とす。そんな企業は続かず、投資家はリターンを得られないことが強く意識されている」と指摘する。

 SDGsに熱心な企業を可視化する取り組みも始まっている。世界の英知が集まる「ダボス会議」を主催する世界経済フォーラム(WEF)は今年9月、企業のSDGsへの貢献度を測る指標を作った。温室効果ガスの削減努力や、性別や人種による社内格差がないかなどで測る。

 指標づくりに携わった米大手銀バンク・オブ・アメリカのブライアン・モイニハン最高経営責任者は指標の発表に合わせて、「企業は株主に大きな利益を与えるとともに、重要な社会的優先事項にも取り組まなければならない」とするコメントを出した。

 一方、フランス政府は19年、企業が定款に社会的目標を記し、実現を目指しているかを第三者を交えて監督する制度を作った。企業が環境や人権などの課題に取り組むよう導き、ESG投資を呼び込む狙いだ。仏食品大手ダノンは20年6月、上場企業で初めてこの制度を導入した。(鈴木友里子、ロンドン=和気真也)

 ■エシカル消費、私たちが動くとき エシカル協会代表理事・末吉里花さん

 普段、必要な何かを買う時、少しの思いやりで地球温暖化や児童労働などの解決に貢献する方法があります。人や環境、社会に配慮した製品を選ぶ「エシカル(倫理的な)消費」という手法です。

 2004年、テレビ番組の取材でアフリカ最高峰キリマンジャロに登頂しました。頂上の氷河が温暖化でどの程度解けているか見に行くためでした。途中、現地の子供たちが「氷河が大きくなりますように」と祈りながら植樹しているところに遭遇しました。雪解け水の一部は彼らの生活用水なので、氷河が無くなることは死活問題です。

 ところが、氷河は以前の1~2割程度しか残っていませんでした。日本の私たちの生活が温暖化の一因となり、彼らの生活に影響を与えていると思うと、いても立ってもいられなくなりました。エシカル消費について学び、5年前にエシカル協会を立ち上げました。

 エシカル消費の実践法としてお勧めは、認証ラベル付きの商品を選ぶことです。例えばティッシュペーパーには、適切に管理された森林の木材製品に与えられる「FSC」という認証があります。洗剤には、原料のパーム油が一定基準を満たすと「RSPO」という認証が付きます。

 エシカル消費については、消費生活センターや消費者庁、自治体が、ホームページ(HP)で情報発信したり、講座を開いたりしています。認証ラベルについては、日本サステナブル・ラベル協会がHPに説明を載せています。

 エシカル消費を日本で広げるには、よく行くお店や企業に自分たちが欲しい商品が何かを積極的に伝えることも大切です。消費者が望むものを作らなければ企業は潰れてしまいます。消費者の声や行動こそが社会を変える力になるのです。(聞き手・鈴木友里子)

    *

 すえよし・りか 1976年生まれ、一般社団法人エシカル協会代表理事。TBS系「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターとして世界各地を旅した。著書に「はじめてのエシカル」(山川出版社)など。(写真はエシカル協会提供)

 ◇次回は「漁業資源」をテーマに、漁獲量の激減に直面する日本の漁業の現状と、持続可能な漁業を目指す国際的な認証システムを導入した国内外の取り組みの現場を紹介します。

 12 31 (木) 共生のSDGs 明日もこの星で      連載

(明日もこの星で:3)
明日もこの星で:4)魚乱獲、負の連鎖脱するとき 漁獲量24分の1、回復へ「我慢」

 12月10日の朝。日本海を望む北海道・積丹半島にある古平(ふるびら)町の漁港に、未明から刺し網漁に出ていた9隻の船が戻ってきた。

 「さっぱりだった」

 60代の漁師はため息をついた。

 岸壁で網を巻き上げ、掛かったスケトウダラを外す船もあったが、ほとんどは海上で網から外せる程度の水揚げだった。30年前の最盛期には、「外し子さん」と呼ばれる人が200人近くずらりと座り、深夜までスケトウダラを外すことが当たり前だった。その風景も今はなくなった。

 70代の漁師は「親のかたきと見えた魚は取れ、って言われていたな」と懐かしんだ。魚がよく取れる良い漁場は「早い者勝ち」で、1シーズンで5千万円稼いだ人もいたという。

 スケトウダラは日本で最も取れる白身魚で、卵はめんたいこの原料になる。1972年には全国で約300万トンの水揚げがあったが、2018年は13万トンを割り込み、漁獲量は24分の1に激減した。

 古平町でも、最盛期の90年代には年間で4千トンほど取れたが、10年前ごろは100~200トンほどに低迷した。そのころまでは、夏場に幼魚が取れると、1キロ20円で売ることもあった。

 漁業関係者は「1、2カ月我慢すれば身が太り、腹もふくれて卵も取れる。そうすれば4~5倍の値段で売れることはわかっていたが、かつては取れるだけ取っていた」と振り返る。

 同町の東しゃこたん漁協では、漁獲量が底を打った10年前ごろから、網を短くしたり漁の回数や時間を減らしたりして取りすぎない工夫を始めた。ここ数年は最盛期の2割以下だが、600~700トンに回復した。事業部長の八幡睦夫さん(52)は「一定量は取れるようになってきた。みんなで協力して我慢しないと資源は増えない」と話す。

    *

 漁業資源の減少に危機感を抱いた欧米の国々は70年代から、近海ではあらかじめ決めた漁獲量までしか漁を認めない制度(TAC)を導入した。日本がTACを始めたのは97年で、スケトウダラを含む8魚種については漁獲可能量を定めて管理している。

 だが、日本の漁獲量は減る一方だ。今年は新型コロナウイルスの影響で飲食店の需要が落ち込み、全国的に魚価は低迷。「乱獲」「薄利多売」の時代に逆戻りする恐れもある。

 日本には今、ベーリング海などを主な漁場とする米アラスカから大量にスケトウダラが輸入されている。

 米海洋漁業局は地元の漁業関係者らと協力し、スケトウダラがどのくらい漁場にいるかを毎年詳しく調べている。科学者が漁獲枠を検討して漁業者に割り当て、乱獲を防いできた。

 アラスカでは枠の上限まで取っても、漁獲量は年間100万トン以上で安定している。枠が厳しく設定されている証しだ。一方、日本は枠の6割ほどしか取っていないのに、資源量は回復していない。日本は枠を設定する対象が8魚種にとどまる。23年度までに新たに15種を加える方針だが、米国の約500魚種と比べると少ない。水産政策に詳しい学習院大の阪口功教授(地球環境ガバナンス)は「日本は漁獲枠の設定が緩すぎて、TACが機能しているとは言いがたい。対象魚種も欧米の国々に比べて少ない。漁業者が取りたいだけ取れてしまう状態で、乱獲に歯止めがかかっていない」と指摘する。

 日本の食を彩ってきた「海の豊かさ」が脅かされている。魚の乱獲を防ぎ、持続可能な漁業にしていくこともSDGsの目標だ。新たな取り組みとその課題を追った。(貞国聖子、合田禄)
 (2面に続く)

持続できる漁、売る側も自信

 (1面から続く)
 環境に配慮しつつ、漁業資源を回復できないか。その試みの一つが、持続可能な漁業で取られた天然の水産物やその流通・加工・小売りに与えられるMSC認証だ。英国のNPO「海洋管理協議会」(MSC)が認証しており、「海のエコラベル」と呼ばれる。

 ロンドンにはMSC認証の水産物を使うレストランが約300ある。その一つが南部のフィッシュ・アンド・チップス店「オリーズ・フィッシュ・エクスペリエンス」だ。英国ベスト10に選ばれたこともある店を12月上旬に訪れると、持ち帰りの品を待つ人々が並んでいた。

 経営者のハリー・ニアズィさん(57)は「もちろん味が自慢。だけど、うちの商品には未来があるのも知ってほしいんだ」と話す。頭上の壁には、青いMSCのマークがあった。

 2007年ごろ、2人の息子を見ながらふと思った。「この商売を自信を持って引き継げるだろうか」。調べるうちに、MSCの飲食店向けの認証取得を思い立った。条件を満たすため、仕入れ先と話し合った。使えない魚もあり、メニューを一部変えた。

 取得した09年当時、MSCを知っている人はほとんどいなかったが、今は2割ほどの客が知っているという。「客に語り、選ばれるストーリーができた。従業員にも自信が芽生えた」

 MSCの普及を牽引(けんいん)するのは大手スーパーなど小売りだ。鮮魚コーナーには、青いMSCマークをつけたサーモンやタラの切り身のパックがずらりと並ぶ。

 最大手のテスコはMSC商品の割合を18年に5割から7割、19年には8割に増やした。幹部はMSCの普及で表彰された際、「英国の消費者は環境と持続可能性への意識が高い。選択肢さえあれば、ますます青いラベル(MSC)を選ぶようになる」と述べた。同社はいずれ100%を目指すとしている。(ロンドン=和気真也)

 ■認証付き、認知度がカギ

 日本でもMSC認証付きの魚が店頭に並び始めているが、大半は外国産だ。国内の漁業での認証取得は7件にとどまっている。

 宮城県気仙沼市を拠点にマグロ漁をする水産会社「臼福本店」社長の臼井壮太朗さん(49)は8月、世界で初めてクロマグロ漁でのMSC認証を取った。

 若いころ、「乱獲」した経験がある。資源管理が厳しいクロマグロを取っていたのに、箱に「メバチマグロ」と書き、水産庁に取り締まられたこともあった。意識が変わったのは、東日本大震災がきっかけだ。津波で家も会社も流され、1日の食事がおにぎり1個という避難生活が続いた。

 「人は食べ物がないと生きていけない。資源が枯渇してしまえば、次世代につなげなくなる」

 認証を受けるには、投網時間や取れた日時、場所を細かく記録し、1匹ごとに識別タグを付けなければならない。そこまでしても、認証のない天然ものと比べ、価格は1キロ300円程度しか変わらない。

 一部の日本料理店や高級ホテルなどは買ってくれるが、小売り大手からは「養殖に比べて高い」と断られた。臼井さんは「日本の市場はまだ安さを追い求めている。サステイナブル(持続可能)よりリーズナブル(安さ)だ」と話す。

 小売り最大手イオンは2006年から、MSC認証商品を売り始めた。サケやシシャモ、ホッケなど26魚種・44品目を扱う。売り上げは水産部門全体の約15%だ。日本でのMSCマークの認知度は20年に19%で、44%の英国の半分以下。消費者の認知度は高いとは言えない。

 東京・板橋の店には、MSC商品などを扱う専用コーナーがある。12月上旬、ここで魚を選んでいた会社員の20代女性は、MSCの意味を知らなかった。「新鮮さやおいしさで選んでいる。環境に良くても味が悪かったら買わない」

 イオンリテールの松本金蔵・水産商品部長は「世界的には今後、環境や資源に配慮した商品が求められていく」と話すが、それだけで売れるとは思っていない。「厳しい資源管理をすれば、漁業者は一番高く売れるおいしい時期に取ろうとする。MSC商品はおいしい、と伝えていきたい」

 取り扱いを増やすスーパーからの要請を受け、動き出す漁業者も出始めた。

 岡山県瀬戸内市の邑久(おく)町漁業協同組合が育てるカキがMSC認証を取得したのは19年12月。イオン側から働きかけがあり、加工会社が費用などを支援した。

 漁協の松本正樹組合長(61)は「岡山のカキは広島に比べて知名度が低い。販路を広げるために『武器』がほしかった」と話す。認証を得たことでイオン系列の店に商品が並ぶようになり、新たな商談の足がかりになっているという。認証カキを扱う漁師は当初の13人から、地区の5割にあたる30人に増えた。

 漁業資源の管理にも新型コロナウイルスが影を落とす。国際会議で日本政府の交渉官を務めた元水産庁次長で水産研究・教育機構理事長の宮原正典さんによると、資源管理のための国際交渉が中断し、乱獲の監視にも影響が出ている。各国の規制当局が外国船に立ち入り調査しようとしても、コロナを理由に断られる事態も報告されている。

 宮原さんは「このまま放っておけば、魚がいなくなる世界が現実になる。これからどの道を進むかで世界は変わる」と訴える。(貞国聖子、篠健一郎、小川崇)

 ■魚・川・土・海、全部つながっている お笑い芸人・ココリコ、田中直樹さん

 MSCのアンバサダーになって、「この40年で海の生き物が50%減った」という(世界自然保護基金の)調査結果を知りました。

 例えば、サーモンがいなくなってしまったら、「もう食べられへんな、悲しいな」で終わりではないと思います。川で生まれたサーモンは海で成長して3~5年で川に戻ります。そこで産卵し、それをクマが食べ、食べ残しが微生物の栄養になり、それが土に生かされ、また雨が降り、川に栄養価の高い土が流れ、海全体が豊かになる。

 サーモンがいなくなると、この循環も変わってしまうのかなと。「魚の数が減っても、私の生活に関係ない」ではなく、全部がつながっているから怖い。みんな地球環境を意識せざるを得ない状況だと思うんです。

 だから、MSCの「海のエコラベル」も認知度を上げていきたいです。僕の家の近所のスーパーには、ラベルが付いた商品はそんなに置かれていません。身近なところで、手に取れるような状況を作り出さないといけません。時間はかかると思いますが、コツコツやっていければいいなと思っています。

 僕は月に1、2回、朝にマクドナルドに行きます。これまでは「エッグマックマフィン」を注文していました。マクドナルドがMSC認証をとった魚を使った「フィレオフィッシュ」を提供してくれるようになり、フィレオフィッシュを頼むようになりました。

 でも、毎回注文するわけではありません。「マックではフィレオフィッシュしか食べません」「エコラベルのついた商品しか手に取りません」では、続かない気がするからです。フィレオフィッシュを注文することが増えた。それぐらいでいいと思っています。(聞き手・合田禄)

    *

 たなか・なおき 1971年生まれ。大阪府豊中市出身。92年、小中学校の同級生だった遠藤章造さんとお笑いコンビを結成。趣味は動物鑑賞。特にサメなどの海洋生物が好きで、2018年からMSC(海洋管理協議会)のアンバサダーを務めている。

 ◇次回は「地球と人類の危機」をテーマに取り上げます。大量生産や大量消費が地球の環境を大きく変え、このままでは人類の存続そのものが危うくなっている現状を伝えます。