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続折々の記 2020⑨
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 06 】12/07
      時事ニュース   気をつけたいこと
      戦争と学問 問われる「自由」の真価   79年前の12月8日
      太陽光――5社計30億円、所得隠し    金取亡者かねとりもうじゃはイツまで続く

 12 07 (月) 時事ニュース      気をつけたいこと

2020年12月7日

イージス・アショア代替、自衛艦で 政府方針固める


     https://digital.asahi.com/articles/ASND66WVBND3UTIL037.html?iref=comtop_7_04

 政府は、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の代替を、同システムを転用した自衛艦「イージス・システム搭載艦」とする方針を固めた。月内に閣議決定する見通し。コスト面などで見通せない要素が多いため、艦の具体像はまだ絞らず、年明け以降に検討を続ける。

 複数の関係者によると、3日の国家安全保障会議(NSC)でこうした方針が確認された。政府が代替検討の過程で例示した護衛艦、民間船、オイルリグ型(油井を掘るやぐら)の3案のうち、民間船とリグ型は選択肢から外れる。

 ただ、現状ではどんな艦にするか絞り込むには材料が乏しいため、護衛艦だけでなく広い意味で「艦船」とすることにとどめる。2021年度当初予算案には、艦の具体的な形や将来コストなどを検討するための調査研究費が計上される。6月にイージス・アショアの導入断念が決まった後、政府は代替について「今年末までにあるべき方策を示す」としたが、決着は来年に持ちこされる。新たなミサイル防衛の柱のあり方は、なお宙に浮いた状態が続く。

膨らむ将来コストへの懸念

 イージス・アショア導入は安倍政権が17年末に閣議決定し、18年には配備候補地に秋田、山口両県の陸上自衛隊演習場が選ばれた。だが、ずさんな調査や誤った説明などで地元の不信を招き、迎撃ミサイル発射の際に切り離された推進装置「ブースター」が住民に被害を及ぼさないようにする対策に追加費用2千億円がかかることも判明。今年6月、突然導入断念が公表された。

 核弾頭も搭載可能とされる北朝鮮のミサイルを警戒する必要性から、防衛省は代替策を検討。ただ、陸用のシステムはすでに米国側と契約済みで、陸用を海で転用する前例のない試みにならざるをえず、どこまで膨れあがるか見通せない将来コストへの懸念が膨らんでいる。

 菅義偉首相が年末までに代替の方向性を示すよう指示していることもあり、今回は「イージス・システム搭載艦」という一定の結論を得たような形をとるが、実際は名称にとどめ、中身の検討は来年に先送りすることになる。

 現在、自衛隊は、もとから船として計画されたイージス艦8隻(8隻目の就役は来年3月)を保有している。これに陸用のシステムを海で転用する異例のタイプの2隻が加わることになる。

 現在保有しているイージス艦8隻は、高性能のレーダーや情報処理機器からなる「イージスシステム」が、対艦や対空、対潜水艦、対弾道ミサイルの武器とつながっている。多様な脅威に高い能力で対処できる半面、コストは「段違いに高い」(防衛省幹部)。一方、整備にかかる時間が長いため「稼働率」が低いという欠点もある。

 「システム搭載艦」が同じ欠点を抱えれば、弾道ミサイル防衛に従事できる時間が限定的になり、さらに別の手当が必要になる。こうした難しい運用のあり方についても一から練らねばならず、今後の検討は長期化する恐れもあるという。(伊藤嘉孝、寺本大蔵)

武器導入についての腹構えをチェックしていくこと。


はやぶさ2、カプセル帰還 小惑星の砂、分析へ


 小惑星探査機「はやぶさ2」が地球の重力圏に帰還し、小惑星「リュウグウ」の砂が入っているとみられるカプセルを送り届けた。宇宙航空研究開発機構(JAXA)は6日、豪南部の砂漠でカプセルを発見し、回収したと発表した。▼6面=社説、27面=喜びの声

 現地で初期分析し、日本に空輸する。6年50億キロにわたる探査計画は、小惑星への2度の着陸や史上初の人工クレーター作製など、成功裏に終わった。

 はやぶさ2本体はカプセルを切り離した後、地球に衝突する軌道から離れ、新たな探査の旅へ出た。次に目指すのは地球と火星の間を回る直径30メートルほどの小さな小惑星で、さらに100億キロを飛んで2031年に到着する見通しだ。

 JAXAの回収班は6日未明、砂漠に着地しているカプセルとパラシュートをヘリコプターで発見。朝になるのを待って回収した。カプセルには、砂に含まれる有機物から出たガスが入っている可能性があり、7日にも採取を試みる。その後、チャーター便で日本に空輸され、8日にも相模原市のJAXA宇宙科学研究所に到着する見通しだ。

 はやぶさ2は289億円をかけて開発され、14年に打ち上げられた。初代はやぶさが探査した小惑星より有機物が豊富とされる「リュウグウ」に2度着陸し、人工クレーターも作った。太陽系が誕生したころの姿を保つ砂の採取に成功したことは確実視されており、生命の材料が宇宙から来たのではないかという謎に迫れると期待される。

 月より遠い天体に着陸した探査機が帰還するのは10年の初代はやぶさ以来2例目。津田雄一プロジェクトマネージャは「はやぶさが開いた小惑星往復の扉を、完璧にくぐり抜けた。さらに遠い天体への探査を進めたい」と話した。(小川詩織)


ウイルス潜む山「あそこへは行くな」
中国・雲南、コロナの起源探る


写真・図版 【写真・図版】ウイルスが採取された廃銅山への道

 新型コロナウイルスは一体何者で、どこから来たのか――。人類がこの危機を乗り越え、再びの災禍を防ぐために解かなければならない問いに、世界の科学者が挑んでいる。▼2面=解明 高い壁

 2月、中国・武漢の武漢ウイルス研究所のチームが英科学誌ネイチャーに発表した論文が注目を集めた。遺伝子配列が新型コロナと96%重なる近縁種を7年前に見つけていたというのだ。「RaTG13」と名付けられたウイルスは、どう見いだされたのか。その足跡を記者がたどってみた。

 中国雲南省昆明市から山あいの道を300キロ南下した先にある通関(トングアン)という町に入った。少数民族ハニ族が暮らす墨江ハニ族自治県にあり、鶏を丸ごと煮込む郷土料理の店などが並ぶ。

 2013年、武漢ウイルス研のチームは10年前に中国を襲ったSARS(重症急性呼吸器症候群)の起源を追っていた。どのウイルスがどんな動物を宿主(しゅくしゅ)として変化し、人に感染する能力を得たのかを探ろうと、中国各地に赴きウイルスを集めていた。

 論文によると、RaTG13が発見されたのは銅山だった。町から車を走らせること1時間。蛇行する道は断崖を縫い、土砂崩れの跡や群れて歩く水牛を避けながら進んだ。

 道端で豆を干していた女性に尋ねると「銅山は閉鎖された。昔、人が亡くなったと聞いた」と言葉少なだった。銅山に近づくほど、住民の口は重くなった。「あの山は危険だ」「あそこへは行くな」。やがて道は生い茂るやぶに遮られ、進めなくなった。銅山で働いていたという男性(61)を見つけたが、「あんなことがあってから誰も入らない」と協力を断られた。

 銅山で何があったのか。

 研究チームによると、12年、コウモリのフンを清掃するため坑道に入った人が次々と重い呼吸器障害に陥った。SARSを彷彿(ほうふつ)させる事態を受け、現地に赴いた研究員らは4年かけて坑内のコウモリから約1300の検体を採取し、293種のコロナウイルスを検出した。今回の新型コロナの蔓延(まんえん)を受け、その遺伝子とそれらのウイルスのデータを突き合わせたところ、最も近い存在として浮かんだのがRaTG13だった。

 しかし、遺伝情報が98・8%重なるヒトとチンパンジーが共通の祖先から分かれた別の生物であるように、RaTG13と新型コロナも祖先は同じでも違いは大きい。その隔たりを解き明かすのは容易ではない。

 武漢ウイルス研をめぐっては、この春、米紙が安全管理を疑問視する米当局者の公電を伝え、トランプ大統領らが研究所からのウイルス流出を疑う発言を繰り返した。根拠は示されず真偽は不明のままだが、研究を率いた石正麗氏は7月に米科学誌サイエンスの取材に応じ、研究室で事故が起きた可能性を否定。一連の騒動が「私たちの科学的な任務に悪影響を与えている」と訴えた。

 政治の波にももまれながら続く挑戦。中国当局が公認する最初の発症から8日で1年経つが、新型コロナの正体解明はまだ始まったばかりだ。(平井良和=墨江ハニ族自治県、野口憲太)

 12 08 (火) 戦争と学問 問われる「自由」の真価      79年前の12月8日

今日は92才の誕生日です。

社説の「戦争と学問 問われる「自由」の真価」を次に載せます。

 79年前の12月8日、日本は米英両国に宣戦布告した。戦場は中国大陸から太平洋に広がり、1945年の敗戦に至る。以後「平和国家」の理念を掲げて歩んできた道をふり返り、足元を見つめ直す日としたい。

 不戦を守り続ける防塁になったひとつが、学問の自由を保障する憲法23条だ。明治憲法にはなかった規定である。

 「研究者の活動に国家が干渉して妨げることのないようにする」。憲法制定議会で担当相の金森徳次郎は、条文の趣旨をそんなふうに説明している。

 背景に戦前の苦い経験があった。政府が「正しい学説」を定め、異なる考えをもつ学者が大学などを追われる事件が相次いだ。官憲の監視の下、自由な研究・教育はかなわず、本人の意思を離れて多くの研究者が原爆などの兵器開発に動員された。

 真理を追い求める自由な営みから新しい発見や知見が生まれる。それが世の支配的な価値観と違ったり、時の政治権力にとって不都合な内容であったりしても、力で抑圧した先に社会の未来はない――。甚大な被害をもたらした戦争から、先人が学んだ教訓だった。

 その後、最高裁の判例も取り込んで、23条の保障は研究の自由にとどまらず、成果を発表する自由、大学などでの教授の自由、そして大学の自治・自律に及ぶとの見解が定着した。

 いま注目の日本学術会議問題も、こうした議論の蓄積の上で考える必要がある

 首相は会員候補6人の任命を拒んだ理由を今もって説明しない。だが、政府の方針に反対する見解を発表したことなどが影響しているのは間違いない。

 研究者の考えは長年の研究活動の上に形づくられる。それが政府の意に沿わないからといって制裁の対象になれば、学問の自由は無いに等しい。他の研究者や受講する学生らの萎縮も招く。「会員にならなくても学問はできる」といった言説が、事の本質を理解しない間違ったものであるのは明らかだ。

 学術会議が、軍事研究を否定した過去の声明を「継承」するとしたことを、自由な研究の侵害だと批判するのも筋違いだ。そもそも同会議に大学や個人に何かを強いる力はない。軍事研究は性質上、学問の自由の根幹である自主・自律・公開と相いれない。その危うさを指摘し、科学者の社会的責任を再確認した点に声明の意義はある。

 コロナ禍や気候変動への対応など、専門知の活用がこれまでにも増して求められる時代だ。それを支える学問の自由を、より豊かなものにしていくことこそ人類の利益にかなう。23条の真の価値が問われている。

【下平】
いまの国会議員はみな「ヒュン」と「ヒューン」という弾丸の音の体験はない。 まして一瞬の出来事によって人の命が木端微塵(コッパミジン)になったことを見たこともない。

学問がいかに大事なことか、「学生の本文は第一に学問である」「第二も学問である」私が昭和21年に入学した時の竹の繊維の研究で博士号をとった宇野校長はそう諭(さと)した。 今でも鮮明に記憶している。 長野の寒い冬の早朝、脳溢血で帰らぬ人となってしまった。

いつもノホホンとしていた私は三年間いろいろと学ぶことができました。 真実を求めること、それが如何に大事であるか、予科練の戦時体験もあり命がいかに大切なのか、終生そのことの流れの中にあったように思う。
誕生日であり、社説の言葉が身にみる。

(戦後75年)

戦争体験者の証言 出港、「極秘作戦」知らされぬまま


 「どこか遠くにいくのだろうか」。1941年11月18日、大分・佐伯湾を出港した日本海軍の空母「蒼龍(そうりゅう)」。艦載機の搭乗員だった吉岡政光さん(102)=東京都足立区=はそんな思いを巡らせていた。

 集結した空母・赤城(あかぎ)や飛龍(ひりゅう)なども出港した。ただ、いつもは事前に伝えられる行き先がわからない。

 甲板に出る通路に、ずらりと並んだ重油入りのドラム缶。凍結を防ぐためか、甲板のパイプ類には石綿が巻き付けられていた。一方で、半ズボンを積み込んだという話も聞いた。

 寒いところへ向かうのか、暑い南方か。三重の伊勢湾近くにさしかかると、号令が響いた。皇室の祖神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる伊勢神宮の方向に、敬礼しろという号令だった。

 「総員、敬礼!」

 《伊勢湾の前を何回も行ったり来たりしているのに、こんなこと言われたことがなかった。みんなとたばこを吸う場所で、「どこにいくんだろうか」と。》

 当時、開戦から4年を経た日中戦争は泥沼化。資源を求めインドシナ半島へ軍を進めた日本に、米国は石油やくず鉄の全面禁輸など経済封鎖で応じ、対米関係は行き詰まっていた。41年11月5日、天皇と重臣らによる御前会議は、対米交渉打ち切りの場合、12月初旬の開戦を決断していた。

 欧州戦線では、イタリアとともに日本と三国同盟を結んでいたドイツがソ連に奇襲を仕掛け、11月にモスクワの手前数十キロまで迫っていた。ドイツの優勢は揺らがないとみた軍部は、対米開戦に向けた極秘作戦を進めていた。

 佐伯湾を出港して数日後。吉岡さんは、その作戦を告げられることになる。

     ◇

 12月8日で日米開戦から79年。戦端を開いた真珠湾攻撃に参加した元搭乗員の証言を聞いた。(瀬戸口和秀、永井靖二)

 大分・佐伯湾を出港して4日後の1941年11月22日、吉岡政光さん(102)を乗せた空母「蒼龍(そうりゅう)」は千島列島の択捉(えとろふ)島にある単冠(ひとかっぷ)湾に着いた。しばらくして、食事や休憩をする広い部屋に吉岡さんら艦載機の搭乗員らが集められた。その場で艦長から極秘作戦の内容が伝えられた。

 これからハワイに奇襲攻撃をかける――。

 赤城や蒼龍といった空母6隻などからなる機動部隊を率いる南雲忠一中将の訓示が読み上げられた。「十年兵ヲ養フハ只一日之ヲ用ヒンガ為ナルヲ想起シ」

 《そのくだりを聞き、頭の上から足のつま先まで全ての血がデッキに吸い取られるような感覚になりました。10年も兵を養うのは、たった1日使うためだと。アメリカの方が飛行機も軍艦も多いし、これは俺の死に場所だなって思いましたが、非常にうれしかった。たくさんいる中から選ばれ、こういう大戦争に行けるということは本当に幸福だなと。》

 ■出港前重ねた、低空飛行訓練

 機動部隊は11月26日、単冠湾から出港。12月8日未明(日本時間)、ハワイから約400キロの海上で作戦は始まった。暗闇の中、攻撃機が次々発艦していく。吉岡さんも第1次攻撃隊の一員として蒼龍から飛び立った。

 佐伯湾を出港する前、九州で海面の上を低空で飛ぶ猛訓練を重ねた。真珠湾は水深が浅く、低空で魚雷を投下する必要がある。当時は真珠湾攻撃を想定した訓練とは思いもしなかった。

 「なんとか魚雷を落としたい」。真珠湾へ向かう機上でそう願っていると、やがて島が見えた。手前には白い線。波打ち際とわかった。「ついに来た」

 攻撃命令が下りた。目標は湾に浮かぶフォード島西側の戦艦群。ただ、島の東側はすでに攻撃を受け、黒煙に包まれていた。近づくにつれ、ようやく戦艦とみられるマストをとらえた。

 目標まで450メートルほどの地点で、同じ小隊の攻撃機に続き、「ヨーイ、テッ(撃て)!」の合図で投下した。重さ約800キロの魚雷が放たれ、機体が浮き上がった。「うまく離れた」。そう思った直後、「失敗」を知った。

 《(戦艦だと思った)船の上を通るとき、砲塔に砲身がないんですよ。「あ、ユタだ」と気づきました。「これはしまったな」と。》

 ユタは米軍が訓練で標的として使っていた軍艦だった。米軍艦の資料を読み込み、ユタの存在も知っていた。魚雷は命中し、水柱が高く上がった。船体がゆっくり傾いていった。

 奇襲で米太平洋艦隊はほぼ壊滅状態となったが、最重要の攻撃目標だった空母は不在。開戦直後に米軍に大打撃を与えて戦意をくじき、早期講和の条件を整える――。それが連合艦隊の山本五十六司令長官の狙いだったが、宣戦布告が遅れ、逆に米国民の戦意をかき立てる結果となった。

 ■玉音放送聞き、戦死者思った

 真珠湾攻撃に参加した日本軍機約350機のうち約320機が帰還。だが、戦況は悪化の一途をたどり、搭乗員の大半はその後の激戦で命を落としていった。吉岡さんは茨城の百里原海軍航空隊で終戦を迎えた。

 《(玉音放送を聞いて)最初に浮かんだのは戦死した人たちのことですよね。たくさん親しい人たちが戦死して、そのことを思い出したら涙が出てきてですね。》

 戦後は運送会社や海上自衛隊に勤務。「負け戦。何も話すことはない」と戦争体験は語ってこなかったが、転機は約2年前。「(真珠湾攻撃の記憶を)残しておけば、死んだ人たちのためにもなる」と、講演するようになった。

 《頭のいい人たちがなぜもう少し早くね、ひどくなる前に戦争をやめさせなかったのかなと思ってね。戦死した人たちが気の毒で、私みたいにのうのうと100歳過ぎまで生きていて、悪いなと思っていますよ。

 今でもいつ戦争になるか、そんな気がしますからね。よっぽど外交をしっかりやらないと。国民がしっかりして、みんなと仲良くするよう努力しなくちゃいけないと思いますね。》

 (瀬戸口和秀)

金取亡者かねとりもうじゃはイツまで続く

太陽光 ―― 5社計30億円、所得隠し


     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14723351.html

 日本国内で太陽光発電事業を手がける中国の貿易会社とグループ会社の計5社が、福岡、東京の両国税局の税務調査を受け、2018年までの4年間で計約30億円の所得隠しを指摘されていたことがわかった。計上されていなかった経費が約11億円あり、その分を差し引いた約19億円が課税対象となった。法人税などの追徴課税は重加算税を含めて計約6億円、5社はいずれも修正申告などに応じた。▼27面=太陽光にうまみ

 グループ全体で、再生可能エネルギーの「固定価格買い取り制度(FIT)」に基づき、高額な売電収入などを得ていた。国税当局は、グループが中国で集めた資金をもとに利益を上げる一方、日本に納めるべき多額の税金を逃れていたと判断した模様だ。

 5社は、中国・上海の貿易会社「上海猛禽科技(シャンハイマーチャントテク)」のほか、「宗像総合開発」、「朝日国際」、「MERCHANT ENERGY第五」(いずれも福岡市)、「MERCHANT ENERGY第二」(静岡市)。中国人男性1人が5社を実質的に経営していた。

 関係者によると、上海にある上海猛禽科技が中国国内で資金や太陽光パネルを調達し、横浜市にある日本支店を通じてほかの4社に送っていた。4社は、西日本を中心に太陽光発電所を建設。売電収入を得たほか、その収入を得る権利「売電権」を売るなどして利益を得ていたという。

 こうした状況を踏まえ、国税当局は、上海猛禽科技について日本国内で事業を行っている実態があり、その日本支店は課税対象になる「恒久的施設」に当たると認定したとみられる。

 4社のうち、朝日国際は、上海猛禽科技への借入金の返済を、太陽光パネルの仕入れと偽って経費を水増しして所得を圧縮。宗像総合開発も、発電所を別会社に売ったにもかかわらず売り上げを除外していた。中国人男性は取材に対し、代理人を通じて「修正申告は済ませ全額を納付した」とコメントした。(中野浩至)

 多額の「チャイナマネー」が日本国内の太陽光発電につぎ込まれ、利益を生み出していた実態が国税の税務調査で明らかになった。「いつも動く金は億単位だった」。取引を間近で見てきた関係者は驚きを隠さない。▼1面参照

 福岡県中南部の朝倉市を縦断する筑後川水系・小石原川。市中心部の住宅街を南に貫き、西日本鉄道甘木線と交差したあたりから周辺の景色は一変する。土手の脇を無数の太陽光パネルが埋め尽くしている。この約7ヘクタールは、かつて県産ブランド米「夢つくし」などを育んだ田畑だった。

 「数十人いた地権者のほとんどは高齢の農家。後継者がおらず、耕作放棄地も出てきて何とかしたいとみんな思っていた」。地権者だった一人は語る。目を付けたのが、国を挙げて普及が進められた太陽光発電所。2014年ごろのことだ。

 事業者として名乗り出たのは、上海の貿易会社「上海猛禽科技」の代表を務める中国人男性が経営する「朝日国際」(当時は「朝倉ソーラー発電所」)。関係者によると、総事業費は10億円を超えた。

 太陽光発電所を建設する「うまみ」は、再生可能エネルギーの「固定価格買い取り制度(FIT)」に基づき、発電分を電力会社に買い取らせる権利(売電権)の取得だ。国が決める買い取り価格は、制度開始の12年度から年々下がっているため、価格が高い時期に取得した売電権の価値は高い。

 この太陽光発電所の事業が進められた14~15年度は、現在に比べ買い取り価格は高額だ。発電所の大部分の売電権はすでに別の会社に売却されたとみられ、この関係者は「売り上げはかなりあっただろう」とみる。朝日国際はこの売り上げをもとに所得を申告する際、経費に認められていない借入金の返済分を計上し、税金を少なく納めていたとされる。

 一方、この発電所で敷地の草刈りなどの保守管理を受注したのが「宗像総合開発」だ。同社はこうした保守管理だけでなく、太陽光発電所の建設も広島と島根の両県で手がけていた。しかし、両発電所を売却した計約44億円を売り上げから除外し、所得約11億円を隠したと国税当局に指摘された。

 同社も朝日国際と同じ中国人男性が実質的に経営していたが、今年5月までは日本人男性が代表を務めていた。「日本で信頼を得やすいと考えて日本人の私を代表にしたのでは」とこの男性は話す。

 「自分は名ばかり社長。契約や金銭にはタッチしなくていいと言われた。税務調査で何億円も税金で持って行かれたと聞いたが、何が問題だったのか、私は知らない」(中野浩至)

 ■再生エネ買い取り、外資も多数 近年は新規参入減

 太陽光発電などの再生可能エネルギーをめぐっては、旧民主党政権時代の2012年7月にFITを開始。菅義偉首相が温室効果ガス排出「実質ゼロ」をめざすと表明し、再び注目を集めている。

 FITの認定件数は、設備容量が10キロワット以上の太陽光発電に限っても今年6月までで約78万件。中国を始めとする外資系事業者が手がけた分も多く含まれているという。

 太陽光発電に詳しい豊田工業大の山口真史名誉教授によると、日本は発電所建設にかかるコストが割高。事業者の利益を確保するために買い取り価格が他国に比べ高く設定されている。

 一方、中国では政府の支援もあって太陽光パネルが大量生産され、供給過多状態。パネルを安く仕入れることができる中国系事業者にとって、日本は地理的に近い▽買い取り価格が高い▽市場が大きい、という進出の条件がそろう。ただ、近年は買い取り価格が低下し、新規の進出は減っているという。