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続折々の記 ⑧
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 07 】10/08~     【 08 】10/10~     【 09 】10/12~
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【 03 】09/27
       このままでは、日本社会はガラガラになる
       白鵬、引退へ 横綱84場所・優勝45度
       天声人語   白鵬の引退
              渇しても盗泉の水を飲まず(吉野作造)
              メルケル氏の退場
              2021/09/29 きょうのニュース
【下平評】 今朝の新聞 “就活生の「裏アカ」まで調査” を手にして驚いた。 こんなことがあっていい筈がない。 日本人の心がガラガラになる!!

資本主義の最先端としての米国。 自由平等の思想は基本的にはうなづけられます。 けれどもこれほどに個人の自由権を先走りして奉ずる思想は、人の心を逆なですることになります。

人の能力に応じて所得を得る考え方をすすめますと、社会組織をつくりあげている共同精神は、個人本位の風潮によってカラカラとなって崩れていき、安定した協力精神もばらばらになって今います。

こんなことがあってはならない!! その思いに愕然としたのです。 自由権の主張は他人を無視する方向に進むことを許してはならないのです。 心の虚構が社会全般に広がってはならないのです。

リーダーの要件としては、大事な心構えなのです。 企業経営者としても国の盛衰にかかわることは、政治家と同じことになるのです。 即刻手を打ってください。


2021/09/27 (探られた裏アカ 就活の深層:上)
就活生の「裏アカ」まで調査

写真・図版 【写真・図版】「裏アカ」調査の流れ

 東京・飯田橋の雑居ビルの一室。3人が黙々とパソコン画面に向かう。

 手元には1通のエントリーシートがある。金融会社へ転職を希望する20代女性のもの。女性が匿名で投稿しているSNSのアカウントを見つけ出し、隅々まで内容を調べる。

 すぐに副業をしていることが発覚した。現在の勤務先は副業を禁じている。「問題あり」とする報告書が作られた。

 同じ会社に入社希望の20代男性についても調べる。「コロナに効く」とうたう健康商品を自らのSNSでコメントを付けて宣伝し、拡散させていた。コロナ禍の不安に乗じる商法が広がる中、この商品も、うたい文句に根拠がない恐れがあるとして消費者庁が注意を呼びかけていた。

 3人は「企業調査センター」(東京都千代田区)の調査員だ。同社は、採用活動中の企業から依頼を受け、就職活動中の学生らが実名でなく匿名でSNSに投稿をする「裏アカウント」などを特定し、その内容について企業に報告する業務をしている。

 もとは探偵業者。尾行や男女トラブル解決の依頼を受けてきた。企業は近年、従業員の不適切なSNS投稿に悩まされている。コロナ下の採用ではオンラインの面接が主流となり、人柄が把握しにくくなった現状を受け、昨年9月、入社希望者のSNSを特定するサービスを始めた。

 金融機関やIT企業、保険や医療関連が顧客の中心だ。100社超から依頼を受け、すでに1千人以上の調査を実施した。差別的な投稿や、機密情報の漏洩(ろうえい)などが見つかったという。

 「裏アカ」をどう特定するのか。同社は手法の一端を明かした。

 就活生らのエントリーシートをもとに出身地や出身校、誕生日などが一致する匿名のアカウントを探す。実名アカウントの写真、フォローしている友人、投稿内容のくせなども加味して絞り込み、特定していく。10個以上のアカウントを持つ人もいたという。

 「隠しているつもりでも脇が甘い。ヒントはたくさんある」。同社の角田(つのだ)博事業部長(51)は説明する。

 こうした調査について、就活を所管する厚生労働省の担当者は取材に、「本人の適性・能力に関係のない情報が把握されかねず、採用に影響する懸念があるため、望ましくない」との考えを示す。

 この点をどう考えるか問うと、同社は「閲覧するのはネット上に公開されたもの」と答えた。入社希望者には、エントリーシートの提出時に委託調査について同意をもらっており、「法令違反にならない配慮をしている」とする。

 調査にかける時間は1人あたり1~2時間ほど。多くの場合、完全に問題なしの「A」から、採用を控えたほうがいい「D」までの4段階で評価し、企業に報告する。

 角田部長は言う。「通信簿みたいなものだ」(市原研吾、矢島大輔)

 ◇10月の内定シーズンを控え、就職活動は終盤を迎えている。採用活動でSNSの調査を業者に依頼する企業が増える中、調査する大手2社が取材に応じた。(25面に続く)

SNS調べて「選考」、いいの?

写真・図版 【写真・図版】「問題あり」とされる投稿の例

 (1面から続く)
 「企業調査センター」はネット上に加え、現地での調査もしている。

 広告会社から金融会社への転職を希望する20代男性は、インスタグラムにブランド物のスーツや時計、高級車の写真を投稿していた。「勤務先の給与に見合わないのでは」。同センターは金融会社の依頼で、現地調査も行うことになったという。

 男性の家は都内の5階建ての古いアパート。家賃は月6万円ほどだった。男性のことを調べていると伝わらないように気をつけながら、近隣の住民や管理会社に聞き込みをしたという。複数の会社から借り入れがあるとみられることが判明し、依頼企業への報告書に「金銭的な懸念あり」と記したという。

 調査1人あたりの料金は、SNSのアカウント特定と投稿内容の調査で1万6500円。現地調査を付けると4万1800~4万9500円だ。

 契約先のある企業は、調査を依頼する理由としてこんな経験を同センターに伝えたという。

 内々定を出した学生らを内定式前に集めた場で、未発表の新サービスの話をした。漏らさぬよう念押ししたが、参加者の一人がその内容をSNSでつぶやいてしまい、商標登録前にライバル社に知られた。損失は巨額だった――。

 同センターの角田博事業部長は「企業はネットでのトラブル、拡散力におびえている。従業員が変な投稿をしたら経営に影響が出る時代。SNSを適切に使う能力があるか、調査をせずにはいられないのだろう」。

     *

 別の調査会社「ソルナ」(東京都中央区)には2020年度、前年度比で2・4~2・5倍の依頼があったという。

 「コロナ下の不満がネット上にあふれ、実際の面接もやりにくい。企業側が、志望者らの見えない側面をより気にするようになっている」。同社の三澤和則社長(53)は言う。

 もとは企業のネット上のトラブルを防止する業務をしていた。学習塾から18年1月、講師の経歴についてネット調査の依頼を受けたのが業務を変えるきっかけになった。男性講師100人を調べたところ、8人にわいせつ行為などで検挙された経験があったという。

 「ネットを辿(たど)れば、応募者のホントの姿が見えてくる」。そううたい、18年度から「ネットの履歴書」というサービスを始めた。「人物健全度調査」と称する。

 これまで担った3万人近い調査対象者のうち3割弱で、誹謗(ひぼう)中傷やデマといった問題のあるネット上の言動を確認した。

 依頼する企業数は増え、延べ390社になった。三澤社長は、「ネットで一度でも炎上すれば、収拾するのは難しい。トラブルを避けたいのだろう」と企業側の心理を説明する。

 自社システムに、志望者が持つ複数のアカウントの推測パターンを学習させる。「ボケ」「死ね」「クソ」「うぜぇ」「だりぃ」などの約450ワードを記憶させ、自動検索する。匿名のアカウントなら、本人のものかどうか注意を払い、顔写真などをスタッフ4人が目視で確認しているという。

 一致の確認ができない場合は積極的に報告はしない。企業側の強い要望があれば確定情報ではないことを伝えて渡し、入社希望者本人へ確認をするよう促すという。

 法令などに抵触しないようにしているとし、「正当な手段で得た情報のうち、就職差別につながるような情報は排除して報告している」と説明する。三澤社長は言う。「履歴書と面接は作り込んだ顔。企業にとって、本音の情報が圧倒的に足りていない。採用のミスマッチは互いによくない。ネット時代の履歴書が必要だ」(市原研吾、矢島大輔)

 ■就職差別つながるおそれも
 職業安定法では、採用活動に際し、人種、民族、出生地、経済的な状況などの情報や、人生観や愛読書など思想信条、社会運動に関する個人情報の収集を原則、認めていない。

 厚生労働省は指針を企業向けに公表している。応募者の適性・能力に基づいた採用基準とするよう求め、適性・能力に関係ない事項の把握は「就職差別につながるおそれがある」と指摘。本籍、生活状況などを調べる「身元調査」については、「無責任な風評・予断・偏見が入り込んだ情報が含まれることがある」と記している。

 ■調査ミス、学生に大損害
 個人情報保護に詳しい岡村久道弁護士(大阪弁護士会)の話 分析した裏アカウントが本当に調査対象者のもので、取り違いやなりすましがないと言えるのかが重要だ。もし間違いがあれば、学生の一生を左右しかねない。個人情報保護法では、事業者はデータの正確性の確保に努めねばならないと定めている。もし調査会社が別人のSNSを分析して採用企業に報告書をあげた場合、法の趣旨に反するし、学生に与える損害は大きい。

 ■わかりやすい仕組みに
 個人情報の問題に詳しい加納雄二弁護士(大阪弁護士会)の話 採用企業と委託された調査会社が個人情報の利用目的を通知または公表していれば、個人情報保護法には違反しない。ただ、採用企業が学生から同意書さえもらっていればいいという問題ではない。学生が、自ら提供した個人情報をもとに調査をされる可能性をどれだけ理解できているかが重要だ。同意書に署名する意味が、学生にわかりやすく伝わる仕組みにすべきだ。

 ■過去の失敗、寛容さ必要
 SNSに詳しいネットニュース編集者の中川淳一郎さんの話 学生が若気の至りで不用意にSNSに書き込み、うっかり残してしまったものを必死に探す。過去の失敗をほじって糾弾し、失脚させて喜ぶ行為と根っこは同じ。若者は未熟だという前提に立つくらいの寛容さがほしい。過去に失敗していても、優れた能力をもつ人は大勢いる。行き過ぎた身元調査だ。こうしたことが横行すると、社会全体が萎縮していってしまう。


2021年9月28日
白鵬、引退へ 横綱84場所・優勝45度 右ひざ回復せず

写真・図版 写真・図版 【7月の名古屋場所で全勝優勝を決めた白鵬】

 大相撲で歴代最多の優勝45度を誇る横綱白鵬(36)=宮城野部屋=は27日、日本相撲協会に現役を引退することを伝えた。モンゴル出身の白鵬は、親方になるための条件である日本国籍をすでに取得しており、今後は角界に残って後進の指導に当たる意向だ。▼19面=型破り、31面=被災地支援は「宿命」

 右ひざのけがなどで昨年から6場所連続休場した白鵬は、横綱審議委員会から「引退勧告」に次ぐ2番目に重い「注意」を決議された。進退をかけた今年7月の名古屋場所では、自身16度目の全勝優勝で復活をアピールした。26日に終えた秋場所は部屋から新型コロナウイルス感染者が出たため、全休していた。

 複数の関係者によると、白鵬は「体がボロボロ」と話していた名古屋場所後、痛めている右ひざの状態が思わしくなく、最終的に現役続行は困難と判断したとみられる。

 15歳で宮城野部屋に入門した白鵬は、2007年夏場所後に横綱に昇進。優勝回数のほか、通算勝ち星1187勝、横綱在位84場所など、角界の数々の歴代記録を更新した。

 しかし、土俵上での荒々しい取り口や、勝負判定に不満な態度を見せるなど横綱らしからぬ行為には、批判も集まっていた。

 ■君臨14年、評価揺れ

 歴代最長の14年以上にわたって横綱に君臨した白鵬の優勝回数は「平成の大横綱」と呼ばれた貴乃花(22度)の2倍余。野球賭博や八百長といった不祥事にまみれた角界を支え、東日本大震災の被災地支援に尽力するなど土俵外の行動力でも評価される。だが近年、横綱の振る舞いの一部は、批判の的になってきた。

 勝負の結果に不満を示す態度、言葉。千秋楽の優勝インタビューで観客に促した万歳三唱や三本締め。同郷の朝青龍と日馬富士が暴力で土俵を追われたのに対し、白鵬への評価はいつも、大相撲の伝統に照らし、許せるか、許せないかの間で揺れたように思う。

 懲戒処分(譴責〈けんせき〉)に至った三本締め問題に、白鵬は「会場を盛り上げようと思った」と言った。休場に対する横綱審議委員会の指摘には「けがから帰ってきた時にしっかり結果を出している」と言い返した。

 たしかに、休場が増えた2018年以降、15日間出場した7場所に限れば、うち5場所で優勝した。万歳三唱などのパフォーマンスも会場を沸かせた。

 ただ、荒々しい取り口で勝利や記録を追求する姿勢、パフォーマンスじみた言動は、角界やファンとの間に溝を作った。外国出身横綱の草分けである曙や武蔵丸の時代、それ以上の成績を誇る日本出身力士がいた。白鵬には、いなかった。「国技」を自認する大相撲の記録がモンゴル出身力士に次々と塗り替えられていくことに、一部のファンには焦りもあったのではないか。

 「白鵬は横綱の品格を理解できなかった」と、何人もの角界関係者から聞いた。日本的な横綱像を求められる中、異国で認められるよすがとしたのが勝利や自分なりの横綱像。批判を浴びてもものともせず、突き抜けた強さだった。(鈴木健輔)


▼19面
型破り、白鵬時代 奇襲・ひじ打ち、勝ちへ容赦なし 基礎稽古怠らず、最多記録次々 大相撲

写真・図版 写真・図版 【今年の名古屋場所千秋楽で、照ノ富士を下して全勝優勝。雄たけびをあげながら、派手なガッツポーズで歓喜した】

 27日に現役引退を日本相撲協会に伝えた白鵬は、輝かしい実績を残した一方、これまでの横綱像と異なる姿勢にはマイナスのイメージもつきまとった。在位14年余に及んだ大横綱の、功罪は――。▼1面参照

 「45回の優勝をはじめ、歴史に残るものがあった」。この日会合を開いた横綱審議委員会の矢野弘典委員長(産業雇用安定センター会長)は、白鵬の偉業に触れつつ、こう続けた。「半面、粗暴な取り口、審判に対する態度、あるいは土俵外での振る舞いなどが目に余ることが多く、横審はそれらを都度指摘し、反省を求めてきた」

 白鵬にとって最後の一番となった名古屋場所千秋楽。当時大関だった照ノ富士との全勝対決だった。

 立ち合いで照ノ富士の顔の前に左手をかざし、右ひじを顔面にぶち込んだ。右、左と大ぶりの張り手を繰り出し、最後は相手の差し手を挟みつけて強引な小手投げ。土俵に倒れた相手の上で、派手なガッツポーズ。雄たけびをあげた。

 前日には正代戦の立ち合いで俵際まで下がって仕切る奇襲。勝ちのためなら容赦しない振る舞いが場所後の横審会合で非難の対象となり、八角理事長(元横綱北勝海)が、横綱を注意する事態に発展した。

 「横綱の品格、そういうものの本当の意味が分からなかったのかもしれない」。そう話すのは前横審委員長の北村正任氏。任期中、白鵬の取り口について批判的な投書が横審宛てに多く寄せられたことがあり、当時、何度も白鵬に改善を促してきた。

 北村氏は、「(横綱として)最初の頃は、日本の相撲道に自分を合わせようとしていた。それが長い間務めて、忘れてしまったか。相撲界が作ってきたしきたりに対して、謙虚じゃなかったのかな。日本の相撲道をめざした姿は、成績が上がるにつれて薄れたように思う」と話した。

 大相撲ファンでアーティストのデーモン閣下は、こう指摘する。「彼自身は非常に勉強熱心で、頭脳も優秀な人だと思う。必ずしも相撲に直結しない歴史の書籍を読むなどして、日本の先人の考えを学ぼうとした。それでも、いわゆる日本文化の奥の奥の『美徳』のようなものを完全には理解することはできなかったのだなと感じる」

 一方で、白鵬の功績も高く評価する。「双葉山の69連勝こそ抜けなかったが、あとはほぼすべてを塗り替えた。これから5年、10年と経てば、すごい記録を打ち立てたことが、よりクローズアップされるだろう。平成から令和にかけての『最強力士』と言える」

 14年余りにわたり、横綱を務めたことについても、「四股、すり足といった基礎的な稽古をどの力士よりやっていた。基礎体力を重視するトレーニングは長持ちの秘訣(ひけつ)だった」と分析する。

 子どもたちの国際相撲大会「白鵬杯」も主宰してきた。「角界を看板力士として守り続けた。これは実に立派なことだ」と、デーモン閣下は賛辞を贈った。

     *
 白鵬翔(はくほう・しょう) 1985年3月生まれ、モンゴル・ウランバートル出身。5人きょうだいの末っ子。力士を志望して15歳で来日。2001年春場所で初土俵を踏み、04年夏場所に19歳で新入幕。06年夏場所で初優勝。07年夏場所後に69代横綱に昇進。15年初場所で33度目の優勝を果たし、大鵬が持つ32度の優勝記録を抜いた。18年に死去した父ジジド・ムンフバトさんはレスリングの五輪銀メダリストで、モンゴル相撲の元横綱。192センチ、155キロ。

 ■通算勝ち星数10傑
 (1)白鵬    1187
 (2)魁皇    1047
 (3)千代の富士 1045
 (4)大潮     964
 (5)北の湖    951
 (6)旭天鵬    927
 (7)若の里    914
 (8)安美錦    907
 (9)大鵬     872
(10)寺尾     860

 ■横綱在位場所数
 (1)白鵬    84
 (2)北の湖   63
 (3)千代の富士 59
 (4)大鵬    58
 (5)貴乃花   49
 (6)曙     48
 (7)柏戸    47
 (〃)輪島     〃
 (9)朝青龍   42
(10)鶴竜    41

 ■歴代優勝回数
 (1)白鵬    45
 (2)大鵬    32
 (3)千代の富士 31
 (4)朝青龍   25
 (5)北の湖   24
 (6)貴乃花   22
 (7)輪島    14
 (8)双葉山   12
 (〃)武蔵丸    〃
 (10) 曙     11
 (双葉山は年2場所時代)


▼31面
白鵬、優しき我が道 被災地支援「宿命」、届けた元気 引退意向

写真・図版 写真・図版 【「東日本大震災巡回慰問」で被災者らから握手を求められる横綱白鵬=岩手県大槌町】

 横綱白鵬が引退の意向を固めた。15歳でモンゴルから来日後、長く頂に立ち、日本国籍も取得。厳しい表情で相手を圧倒した姿とは一転、被災地や病院で苦しむ人を笑顔で勇気づけた。多くの記録と様々な表情を人々の記憶に焼き付け、名横綱が土俵を去る。▼1面参照

 「優勝して辞めます」。東京都墨田区の居酒屋「す吾六」の家中勉さん(71)は、全勝で優勝した先場所中の7月中旬、白鵬から電話で引退の意向を伝えられた。「有終の美なんてかっこいいな。しっかりつとめあげろ」と話し、取組をテレビで見守った。出会ったのは白鵬が16歳の時。宮城野部屋の後援会に入っており、「おはよう」と声をかけたが、日本語が話せず、ぺこりと頭を下げた。ひょろっとした青年だったが、18歳の頃、体つきが急にたくましくなった。「いい親方になって、弟子を育てて欲しい」

 15歳で来日後、第二の母国となった日本をより深く知ろうとする姿があった。大分県宇佐市の住職、平田崇英(そうえい)さん(72)は2010年秋、白鵬が双葉山の生まれ故郷を訪れた時の姿が忘れられない。線香を持参し、「双葉山関と2人で話したい」と人払いをした。当時は62連勝中で、新記録達成の可能性が高まっていた。住民へのあいさつで「仮に記録を超えても人間性を超えたことにはならない。双葉山関は永遠の目標です」と述べたという。

 東日本大震災が発生した3月11日が自身の誕生日と重なる白鵬は、被災地支援を「宿命」と言い、慰問を繰り返してきた。

 11年の震災から約1カ月後、白鵬は東京からカップ麺1万食を持って福島県石川町を訪れた。当時、同町総合体育館には原発事故で避難してきた大熊町や広野町の被災者が350人ほどいた。当時県議の塩田金次郎町長によると、白鵬は「1人でも、2人でも元気づけられるのなら、福島のために来ますよ」と語り、被災者一人ひとりに「心配だと思うけど、頑張って」と声をかけた。赤ちゃんをあやし、子どもにサインをして歩いた。塩田町長は「涙ぐむ人もいた。強さの中には優しさもあるんだと、温かい気持ちになった」と話す。

 岩手県陸前高田市の高田小学校では11年6月5日、土俵入りを披露した。当時教員だった千田晃一さん(60)は、「悲しみを抱えた住民がたくさん集まってきてね。横綱が海をまっすぐに見据え、力強く四股を踏んだ姿が本当にきれいで、元気をもらった」。

 活動は被災地にとどまらない。広島市の広島大病院には畳4・5枚分ほどの優勝額が飾られている。同病院の永田靖教授(63)によると、同病院がモンゴルの国立がんセンターに、放射線治療装置を導入するなどの支援をしているのを知った白鵬が19年10月に贈った。

 13年3月場所の全勝優勝時のもので、元は東京・両国国技館に飾られていた。白鵬は同病院を訪れ、「患者さんに勇気を持って病気と闘ってほしいと願い、全勝優勝のものを選んだ」と明かしたという。患者らからサインを求められた白鵬は色紙に「夢」と書き、「病気で大変でしょうけれど頑張ってください」と応じていたという。白鵬の父は18年、闘病の末に亡くなっており、永田教授は「父の姿を重ね合わせていたのかもしれない。素顔は心優しい人」と振り返った。(江戸川夏樹、河崎優子、貞国聖子、大畠正吾)

 ■「双葉山の生き写し」「新しい横綱像」 識者は

 長く角界を見つめる人に白鵬はどう映ったか。

 大相撲報道に携わって68年目の元NHKアナウンサー杉山邦博さん(90)が印象に残るのは、連勝が63で途絶えた2010年の取組後の姿だ。双葉山の69連勝の大記録に迫っていたころ。「何事もなかったように淡々と引き揚げた姿は双葉山の生き写しのようだった。大相撲の伝承文化について一番考えた、白鵬が一番輝いていた時期」と振り返る。八百長問題などで揺れた角界を一人横綱として引っ張ってもきた。「あの時、白鵬が孤軍奮闘してくれたから今日の相撲界がある。心から『ありがとう』と言いたい」

 相撲通の漫画家やくみつるさん(62)は「実績と周りの評価が一致しない『悲劇の横綱』だった」と話す。史上最多45回の優勝を誇りつつ、横綱としての品格を問う声も少なくなく、「もっと如才なく振る舞えばいいのにと思ったが、それができないのが白鵬」。一方、横綱として「新しいひな型」を作ったとも評価する。ひざを故障後も、休場を挟みながら長く活躍した。「通常、誰かが『引導』を渡すもの。全勝優勝のまま引退する伝説の力士として語り継がれるだろう」と話す。気になるのは、白鵬の今後だ。「誰も助言できない唯我独尊の状態のまま、親方になって大丈夫なのか」(鈴木健輔、牛尾梓)

 ■モンゴル、惜しむ声

 白鵬が引退を決断したというニュースは母国、モンゴルでも27日朝からSNSで話題になっており、「ありがとう」「我が国の誇りだ」などとこれまでの成績をたたえる投稿が相次いでいる。モンゴル国営テレビも同日、白鵬が引退の意向であることを報じた。

 白鵬の母タミルさんの妹の夫、バダムハタンさん(70)は27日、朝日新聞に「近くそうなるとは思っていた」と語り、驚いた様子はみせなかった。7月に会ったタミルさんは「関取としては年をとったし、けがをする可能性も高くなった。早く引退した方がいい」と語っていたという。バダムハタンさんは「母親も安心していると思う。立派な成績を残したわけだし、引退はいい決断だ」と話した。白鵬はモンゴル全国で知られる「英雄」だ。モンゴルメディアの記者は「白鵬はモンゴル人にとって特別な存在。引退の決断は残念だ」と語った。(北京=高田正幸)

 ■愛し学んで、国籍取得した覚悟

 あの時の白鵬の表情を忘れられない。誇らしさと安堵(あんど)に、寂しさと悔しさが混ざっているように見えた。

 「わたしは日本人になります」

 2017年夏、名古屋。横綱が、ある酒席で口にした。日本国籍は、夢である親方になるのに必要な条件。モンゴルから15歳で来日し、日本人女性と結婚し、父となり、32歳になっていた。

 重い決断だった。白鵬は母国で、「国民的英雄の子」だからだ。

 父はモンゴル相撲の横綱で、レスリング選手としてメキシコ五輪で同国初のメダリストになったジジド・ムンフバトさん。日本国籍取得に反対していた。05年に旭天鵬がモンゴル出身力士で初めて日本国籍を取った際、親が「金のために息子を日本に売った」と非難されたことを、白鵬は知っていた。

 でも、親方になって弟子を育てたい。日本と、相撲への恩返しのためだ。

 11年3月11日、東日本大震災が26歳の誕生日と重なった。「宿命」と表現し、津波で相撲道場が流された街に、力士会の会長として土俵を贈った。「この国を背負って立つ子どもたちのために」

 白鵬の思いにムンフバトさんが折れた。「我が道を行け」と父から背中を押された白鵬は19年、日本国籍を取得。ムンフバト・ダバジャルガルから白鵬翔となり、言った。「自分の国を愛しているから、日本という国を愛せる」

 審判の判定に不満を示したり、千秋楽の優勝インタビューで観客に万歳三唱を促したりした言動を問題視された。だが、白鵬に問題だという認識はなかったと思う。

 横綱になって数年がたった夏、朝稽古後の囲み取材の最中、白鵬が報道陣に尋ねたことがある。「このうるさいの、なんて言うの?」。ミンミンと鳴く、セミのことだった。日本で生まれ育てば自然と染みつく習慣や知識が白鵬にはない。人から聞いて、自分で調べて、学ぶしかない。セミを知らない国から来た白鵬が、日本の伝統文化の頂点を務めているすごさを改めて感じた。近年、引退していく力士からよくこんな言葉を聞く。

 「白鵬と同じ時代を生きることができてよかった」(鈴木健輔)


(天声人語)

(天声人語)白鵬の引退

 力士を志す若者が7人、モンゴルから来日した。アマチュアの道場で稽古しながら相撲部屋のスカウトを待つ。その中にどうしても入門先が決まらない、やせっぽっちの15歳がいた。彼の名はムンフバト・ダバジャルガル。後の白鵬である▼本人の著書によると、諦めて帰国の航空券を買った矢先、先輩のモンゴル出身力士が宮城野部屋に話をつけてくれたという。もしも早めに帰国してしまっていたら。引き受けてくれる親方が現れなかったら。この国の相撲はどうなっていただろう▼思えば10年ほど前の角界はスキャンダル続きだった。何人もの力士による大麻所持。賭博にかかわる八百長……。そんななかでファンをつなぎとめたのが、力強さとしなやかさを併せ持つ白鵬の相撲だった▼どんなスポーツでも際だった選手が時代をつくる。白鵬時代はその長さゆえ、空気のようにも感じた。14年の横綱在位中に42回の優勝。一つの時代の終わりである。それにしても残念なのは「日本人でないこと」が大横綱の足かせとされたことだ▼外国籍では親方になれないというルールに、どんな合理性があるのだろう。日本国籍に移ったあと、白鵬は自分のモンゴル名を紙に書き、こう言ったという。「俺の本名だけど、今はこの世にない名前なんだ」(大庭大業〈ともなり〉著『白鵬の脳内理論』)▼勝ち星だけは絶対に裏切らない。そう信じるからこそ、あれほどまでに勝ちにこだわったのだろう。強くあり続けることに全人格を捧げた横綱だった。

連載 天声人語前の記事  満州事変90年  2021年09月27日

 渇しても盗泉の水を飲まず――。どんなに困ったときでも決して不正なことには手を出さないという意味である。そんな成句を使い、満州事変を批判したのが政治学者の吉野作造だった▼1931年の9月18日、日本軍が南満州鉄道を爆破し、「中国兵のしわざだ」とうその宣伝をして武力侵攻に乗り出した。満州(中国東北部)全域を占領すると、新聞を先頭に国内世論は歓迎した。それに抗(あらが)うように吉野の論文「民族と階級と戦争」が、翌年1月の雑誌に伏せ字交じりで載った▼「戦争で勝つたからとて、今に莫大(ばくだい)な利権が×××(とれる)からとて、全国民がたゞ一本調子に歓喜するのみなるは決して正義の国日本の誇るべき姿ではない」。武力行使は自衛のためと言われたが、吉野の目には天然資源などの利権漁(あさ)りに映った▼世界恐慌の荒波のなか、日本が不況に苦しんでいたときである。「正直なる国民の中には、今や自衛権などいふを口にも出さず、民族生存の必要を論拠として」軍事行動を支持する者が現れていると、吉野は書いた▼論文は当時、ほとんど顧みられなかったが、その後の日本の道を暗示している。太平洋戦争は、国家が生存していくための「自存自衛」の戦いだとして始まった。戦火はアジアの国々で人びとの生存を脅かし、破壊することになった▼ちょうど90年前にあった満州事変で、我が国の多くの人が盗泉の水を飲むのをよしとした。それは国の孤立化への道であり、無謀な戦争へ続く道であった。

連載 天声人語次の記事  メルケル氏の退場  2021年09月29

 アンゲラ・メルケル首相にあやかり、赤ちゃんをアンゲラと名付けた。ドイツに逃れたシリア難民のそんな話が米紙ニューヨーク・タイムズにある。「メルケル氏が私たちに屋根を、子どもたちに未来を与えてくれた」という▼アンゲラ、アンジー、メルケル。ドイツに来てから生まれた5歳、6歳の女の子、ときには男の子にもそんな名前が付けられているという。難民の受け入れをメルケル氏が決断したのが2015年。命をつなぎ、育んだ人たちがいる▼職を得た人、大学などで学ぶ人も多いと記事にある。世界規模の問題に対し、各国はどう関与できるのか。考え続けてきたのがメルケル氏だったのではないか。総選挙が終わり、退場する日が近づいてきた▼思い出すのはトランプ前米大統領に詰め寄る写真だ。G7サミットでは「貿易の保護主義と闘う」との宣言を嫌がるトランプ氏に説得を試みていた。ときに揺らぎがちな欧州の結束も、何度となくつなぎとめた▼もちろん歴史は一直線には進まない。トランプ氏が大統領になるにあたり、ドイツの難民受け入れを宣伝に利用した面もある。テロの温床になると決めつけ、メルケル氏を非難した。国際協調の大切さだけでなく、その難しさを世界は学んだ▼ドイツの新しい首相が、前任者のように振る舞えるかは分からない。バイデン米大統領の国際協調路線はどこまで本物なのか。これからの日本の首相は。内向きになりがちな時代に政治家そして有権者が問われている


下平評
きょうの天声人語、満州事変90年にあたり  渇しても盗泉の水を飲まず―― 吉野作造 の目の付け所は、今の日本にしても 孤立化への道 への忠告と受け止めなくてはならないと思います。
それとドイツのメルケル首相についても、来日のときの日本首相への忠告に顔をそむけた日本指導者の心の狭さを思い起こします。 吉野作造さんの考え方と共にメルケルさんの世界規模での思考態度は、みんなして大事にしたいことです。 以上。


2021/09/29
きょうのニュース
おととい、竹酢の荷物が届けられました。 ありがたい元でした。
昨日小諸の森住がきてくれ、一泊して朝9:00過ぎに帰っていった。 うれしいことでした。
それと、注文してあった活力なべが送付されてきました。 これも健康のためにうれしいことでした。 以上。