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続折々の記 ⑧
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 08 】10/10
株式会社アメリカの日本解体計画
虐殺の記憶、コーヒーが救う
世界とつながる、1杯のコーヒー
国際課税原則、100年ぶり変更
→法人税最低15%・デジタル課税 税逃れ抑制へ最終合意
「似て非なる」枝野代表の腐心 「分配」主張、岸田首相と重なった立憲
→あす代表質問、経済政策焦点
2021/10/10
堤未果 国際ジャーナリスト
株式会社アメリカの日本解体計画
テーマ 「お金」と「人事」で世界が見える
日本人が古くから育んできた、頭の中にある私たちの知恵、
「お互いさま」という精神性こそ、
ウォール街が一番怖がっているものです。
どこまでも自分自身と深く向き合う、崇高な文化や伝統、
いのちに優劣はなく、
人間もまた万物の一部であるとするアニミズムの思想……
そういうものが、彼らの計画を脅かすのはなぜでしょう?
それは絶対にお金で買えないからです。
日本にはお金で買えない知恵がある、
日本人はお金で買えない精神性を持っている。
日本が持つこうした宝の数々は、
どれだけお金を積んでも、決して買えません。
だから、日本が狙われるのです。
彼女の本のカバーの表紙裏には、このように言葉が印刷してあります。
プロローグとして「新型コロナウイルスの裏でほくそ笑むウォール街」の表題をつけてあるはしがきは、私には難解で理解できなかった。 ただいままでにアメリカの政治の方向は「自分にとって得か損か」の判断は第一次世界大戦後の歴史を見てきて、底流に確実に流れてきているものは金持ちの判断であるという理解の仕方を動かせない。
それは、自分の人生での初めての殺戮・破壊という無法の戦争体験と、戦後の長野で学びの大切さと歴史を学ぶ根拠とユネスコの精神、この三つが自分の根幹になったと思っています。
敗戦後、なぜ戦争に負けたのかという意識がもとで歴史の本を読んできた。 そして極東軍事裁判と共に、平和を基調とする新憲法がマッカーサーの施政下で作られたにもかかわらずアメリカ本国の方針によって南北朝鮮の動乱から日本が警察自衛隊の名目に始まり現在の自衛隊という軍隊に変わったのは何故か。 この歴史の大きい動きを見てきて更に米中対立を中心としてアメリカが動いている現実、その根底は一部の金持ちの判断であると信じざるを得ないのです。
このアメリカを動かしている現状を見てきた堤未果の判断にふれた。 まさに歴史の動きの生の様子が書かれていると感じたのです。 難しい現実の様子はすぐには解らないのです。
16頁から始まる内容は、彼女の講演を基調としたものだと言いますから、読み始めてみると今度は解りやすい。 まだほとんど読んではありません。 著者の判断が不当でないとすれば、ほかの著作を読むことができると思う。
2021/10/10 (共生のSDGs コロナの先の2030)
虐殺の記憶、コーヒーが救う
【写真・図版】コーヒーの実を収穫するスタニスラスさん=6月25日、ルワンダ西部カロンギ郡、遠藤雄司撮影
アフリカのルワンダでは1994年、多数派の民族フツが少数民族ツチらを襲い、約100日間で80万人超が殺された。その虐殺の記憶に苦しんだ女性が、コーヒー栽培を通じて生きる力を取り戻しつつある。
乾期を迎えた6月、ルワンダ西部カロンギ郡の空は晴れわたり、柔らかい日差しが景勝地キブ湖の湖面にきらきらと跳ね返っていた。キブ湖を取り囲む、急峻(きゅうしゅん)な丘の一画。コーヒーの木が茂る農園に足を踏み入れると、足元で乾いたバナナの葉がザザザッと鳴った。地表を覆う葉が土壌の水分を保ち、雑草の成長も抑える工夫だ。
農家のヤンファシジェ・セントマリーさん(50)がリズムよくパチパチとはさみで枝を切り落としていく。「剪定(せんてい)の仕方、土壌の守り方、肥料のやり方。全部教わった。生活は一変しました」
■貧困抜け出す道
セントマリーさんは2017年まで、約800本の木から年200キロほどを収穫していたが、地域のコパカキ農協で品質向上の手法を学び、植樹もした結果、今年は2200本を超える木から8トンほどを収穫。5人の子どもたちの学費の心配はなくなり、自宅には電気も引けるようになった。農協から学んだ手法は国際協力機構(JICA)が支援してきたものだ。
昨年3~5月の収穫最盛期はコロナ禍で移動制限に見舞われ、手伝いを十分雇えなかった。収穫が遅れる間に廃棄が大量に生じ、収穫量は800キロに減った。それでもセントマリーさんは笑顔だ。「コーヒーは生きがい」。貧困を抜け出す道であり、虐殺の過去から立ち直るための救いでもある。
フツのセントマリーさんの夫も隣人を手にかけ、97年から収監された。国内の多くのコーヒー農園が破壊され、打ち捨てられた。荒廃したのは農場ばかりではなかった。セントマリーさんは「夫をとめられなかった」と恥じ入ってうつになり、隣人を見かけてもあいさつさえ避けるようになり、身を隠すようにして暮らすようになった。
転機は、虐殺の痛手からの復興へ向け政府が設けた「国民統合和解委員会」の職員が訪ねてきて、農協加入を勧めてくれたことだ。入ってみると、指導員が頻繁に訪ねてきて、近隣の女性農家の集まりにも呼ばれるようになり、顔を合わせればおしゃべりもできるようになった。「友人もできたし、手間をかければ成果が上がるというやりがいもある。私はもう、孤独ではない」
コーヒーはルワンダの農業関連輸出の約35%を占める。国家農業輸出振興機構のアレクシス・ンクルンジザ氏は「平和を取り戻したからこそコーヒーに投資ができ、復興につながった」と強調する。国際貿易センターによると、ルワンダからの輸出の大半は欧米向けだが、日本にも3%に満たないながら輸出されている。
■安定しない価格
一方、生産者側の取り組みだけではどうにもできないのが価格だ。
コパカキ農協でのコーヒーの実の最低買い取り価格は国際市場に左右される。2020年は1キロあたり220ルワンダフラン(約24円)だったが、低い年は半額の110ルワンダフランだったこともある。
同農協に加入するムダラ・スタニスラスさん(57)も品質管理の基本を学び、「出来ることは何でもしている」。それでも、収入の不安定さに不安が尽きない。「我々が作ったコーヒーを売り買いする人たちの方がもうかる仕組みだ。生産者のことも考えてみてほしい」
(カロンギ〈ルワンダ西部〉=遠藤雄司)
◇
人と地球と経済活動との調和をめざす国際連合のSDGs(持続可能な開発目標)は、地球上の「誰一人取り残さない」と宣言しています。昨年から随時掲載している「共生のSDGs」は今回、コーヒーを主役に世界の姿を考えます。
(2面に続く)
2面 (共生のSDGs コロナの先の2030)
世界とつながる、1杯のコーヒー
【写真・図版】コーヒーの主な生産地と消費地/生産から消費まで/コーヒーで考えるSDGs<グラフィック・小倉誼之>
■価格上昇、作り手守る認証制度
コンビニの店頭で紙コップをセットし、ボタンを押す。待つこと30秒。いれたてのコーヒーを手に職場に向かう。10年ほど前に登場したコンビニコーヒーは、1杯100円という気軽さで広まった。カフェや喫茶店で数百円出して飲むのが当たり前だった消費者に、新しい選択肢が増えた。
コンビニ大手のローソンはカフェサービス「マチカフェ」を展開するが、安い豆ばかりを使えば生産者の生活が立ちゆかず、コーヒー生産も続けられなくなる恐れがある。企画担当の吉岡圭太さん(34)は「生産者を守り、消費者には安さを提供するバランスが売り手の責任」と話す。
「マチカフェ」を始めたのは10年前だ。コーヒー豆は生産地の森林保全や労働環境の公正さを国際基準で認証する「レインフォレスト・アライアンス」(本部・米国)の認証を受けた豆を使う。当初はコーヒー1杯で使う豆の約30%が認証の豆だったが、2015年には100%になった。
仕入れ先は10年前からほぼ変わらない。吉岡さんは「長期的な取引で信頼関係を築き、国際価格の変動の影響を比較的受けず、安定した供給が受けられる」と説明する。グループの商社が買い付け、流通を簡素化させたこともコスト削減につながった。生産の持続可能性に配慮した事業は、キリングループがコーヒー豆を取引するベトナムの農園に環境に配慮した栽培方法を専門家を通じて教えるなど、日本企業にも広がりつつある。
コーヒーは生産から消費まで世界を広く股にかけるグローバルな作物だ。約70カ国の2500万を超える農家の生活を支え、重要な外貨獲得源になっている。
世界中で飲まれるコーヒーは赤道を挟んで北緯25度~南緯25度の地域「コーヒーベルト」が産地だ。アフリカに発し、中東で広く飲まれるようになった後、大航海時代に西欧へ広がり、高価な嗜好(しこう)品として親しまれた。20世紀にインスタントコーヒーが登場。世界中で「日常」になった。
国際コーヒー機関(ICO)などによると、昨年9月までの1年間の消費量は全世界で約1千万トン。40年で倍増した。日本は欧州連合(EU)、米国、ブラジルに次ぐ消費量を誇る。
コーヒー価格は米英の市場で指標となる先物価格が決まる。投機マネーの流入で価格の乱高下も起きやすいが、最近、価格は上がり続けている。ICOによると、コロナ禍による移動制限で貿易の流れが滞ったことや輸送費が上がったことなどから、8月まで10カ月連続で上昇した。UCC上島珈琲は9月、味の素AGFは10月、コーヒーの店頭価格を値上げした。
ただ、価格が上昇しても中間業者の手数料などもあり、生産者にそのまま恩恵が及ぶわけではない。
■産地17カ国で児童労働も
コーヒーだけの問題ではないが、産地によっては児童労働や強制労働の懸念も指摘される。米労働省の昨年の報告書によると、中南米やアフリカ、アジアの計17カ国で児童労働が確認されたという。
コーヒーの大量生産には広大な土地が必要だが、生態系への影響も無視できない。森林が減れば地球温暖化につながる。こうした問題と向き合うのが「レインフォレスト・アライアンス」や「国際フェアトレードラベル機構」(ドイツ)などの認証団体だ。認証を受けたコーヒーを選ぶことは持続可能な生産にもつながる。
労働や自然環境に配慮する動きは世界的な流れだ。食品世界大手ネスレのコーヒーブランド、ネスプレッソ(スイス)は「児童労働の防止と撲滅」を宣言。ロイター通信によると、昨年には一大産地の中米グアテマラで、仕入れ先の374の農園のうち3カ所で児童労働が確認されたとして仕入れを停止した。
世界中で3万店以上を展開する米スターバックスは「エシカル(倫理的)な調達」をうたう。独自のガイドラインを04年に導入。豆の品質が社の基準を満たしていること、生産者に適正な価格が支払われていることなどを必須条件としている。
コーヒーとSDGs(持続可能な開発目標)の関係に詳しい東京大学の池本幸生教授は「消費者は、自分が飲んでいるコーヒーの生産環境を知ることが重要だ。提供する側も知らせる責任がある。消費者が品質に敏感になり、安さだけを求めることから脱することが不公平な関係の解消にもつながるはずだ」と話す。(笠原真、大部俊哉)
■歴史的寒波、「森の農園」は残った
世界最大のコーヒー生産地ブラジルでは、広大な土地にコーヒーの木だけを植える「単一栽培」が一般的だ。機械化は効率と引き換えに元の自然を損なう。生物多様性の観点からも問題視されてきたが、打開への取り組みも出ている。
生産の中心地であるミナスジェライス州。整然と木が植えられたコーヒー畑が広がる丘陵地帯に、コーヒー以外の木々が生い茂る森がぽつりとある。コーヒー農園「カンポ・ミスチコ」だ。バナナやグアバなど背の高い木の間に、高さ2メートルほどのコーヒーの木が植わる。森を再現しながら農業を営む「アグロフォレストリー」という農法に取り組んでいる。
南半球では冬の6月だったが、半袖姿で案内してくれた農園主バルモル・ドスサントスさん(53)は「本来は寒くて乾燥した季節なのに最近は暑くて、こんな服でも過ごせてしまう。雨も多い」。ドスサントスさんと妻アドリアネさん(49)には「このままではコーヒーが作れなくなる」という危機感がある。
かつては単一栽培だったが豆は安くしか売れなかった。少しでも高く売りたいと見つけたのがアグロフォレストリーだ。ドスサントスさんは勉強会に通い、4年前、農園にバナナなどを植え始めた。かつてあったミナスジェライスの森を再現しようとする行動は「周りからは『変人』と言われていたらしい」。
機械は使えず、管理に手間もかかる。収穫量も減った。だが、豆の質は上がり高値で売れるように。木が風を防ぎ、乾いていた土地が水分を保ち、軟らかくなった。「20年後に起きると予想した変化がすぐ表れた。気候変動に直面する農園の生き残りに必要な取り組みだと気づいた」
6月末、同州は歴史的寒波に襲われた。霜でコーヒーの木が枯れ、周辺の山々は茶色に染まった。来年以降にも影響を与えかねない壊滅的な被害で、コーヒーの先物価格は急上昇。そんな中、ドスサントスさんの農園は無事だった。「背の高い木が霜からコーヒーを守ってくれたんです」
かつて、「ブラジルで飲むコーヒーはまずい」と言われた。国内消費向けには品質の低い豆が回されたからだ。だが経済成長で10年ほど前から国内でも良い豆が流通し始め、サンパウロでは農園ごとの豆を売る店も現れた。こだわって育てた豆が高値で売れる。ドスサントスさんは言う。
「消費する都市が変われば生産する農村は変わる。都市と農村の関係は、消費地の欧米や日本と生産国ブラジルとの関係にも当てはまる」(ブエノブランダオン〈ブラジル南東部〉=岡田玄)
2021/10/10
国際課税原則、100年ぶり変更 法人税最低15%・デジタル課税 税逃れ抑制へ最終合意
【写真・図版】国際課税の新しいルールは……
多国籍企業の「課税逃れ」に歯止めをかける新しい国際課税のルールについて、日本を含む136カ国・地域が8日、最終合意した。巨大IT企業などへの課税をしやすくするため、約100年ぶりに課税の大原則の一部を変更する内容も含まれる。ただ、合意を優先して対象企業を限ったことなどで、実効性には課題も残る。
新ルールの柱は二つ。ひとつは、企業にかける法人税に15%という世界共通の最低税率を設けることだ。これにより、法人税率が低い国に設けた子会社に利益を移す「課税逃れ」を減らしたり、各国の法人税率の引き下げ競争に歯止めをかけたりする狙いがある。
もう一つの柱は、多国籍企業が世界で稼いだ利益の一部に対し、サービスの利用者がいる国(市場国)が課税できるようにする「デジタル課税」の導入だ。これは、製造業を前提に、工場などの拠点がないと課税できないとする1920年代にできた原則を改めるものだ。サービスを世界中で展開する巨大IT企業に課税しやすくする狙いがある。
経済協力開発機構(OECD)によると、合意した136カ国・地域の国内総生産(GDP)の合計は、世界の9割以上を占める。最低税率の導入で世界の税収は年1500億ドル(約16・5兆円)以上増え、デジタル課税で課税対象になる利益は1250億ドル(約13・75兆円)以上と試算。日本も新ルールでIT企業などからの税収が増えるとみられている。鈴木俊一財務相は合意後、「100年来続いてきた国際課税原則の見直しが、グローバルな枠組みの下で合意されたことを高く評価する」との談話を出した。
国際課税ルールの見直しは長年の懸案だった。多国籍企業が増えると、タックスヘイブン(租税回避地)などを利用した「課税逃れ」が横行。法人税率の引き下げ競争も招いた。近年は、米グーグルなど、物理的な拠点を持たない国にもサービスを提供して利益を得る巨大IT企業も台頭し、従来の課税ルールでは対応できなくなっていた。
2012年から始まった新ルールづくりの機運を最後に一気に高めたのは、コロナ禍だ。コロナ対応で各国の財政が悪化。世の中の格差も目立ち、税金を十分に負担していない巨大企業への課税強化に、世論の支持が得やすくなった。
今後は23年の実施をめざし、13日の主要20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議などで政治的な支持を得て、関連する条約や法整備に移る。
実施されれば、法人税がゼロの地域など、軽課税国への影響は大きい。だが、最低税率の15%は、日本やドイツの約30%、米国の約28%などとの差が大きく、課税逃れの流れを止める効果は限定的との見方もある。デジタル課税の対象も、世界での売上高が200億ユーロ(約2・6兆円)を超す100社程度に限られ、今後どこまで拡大できるかが課題となる。(吉田貴司、ロンドン=和気真也、ワシントン=青山直篤)
2021/10/10
「似て非なる」枝野代表の腐心 「分配」主張、岸田首相と重なった立憲 あす代表質問、経済政策焦点
【写真・図版】立憲民主党の公約 自民党との対立軸は?
立憲民主党は次の衆院選で、自公政権を相手にどちらに政権運営を任せられるのかという「政権選択」を問いかける。枝野幸男代表が「ボトムアップの政治」を掲げて結党してから4年。11日の臨時国会代表質問では初めて岸田文雄首相と論戦を交える。「分配」重視の経済政策などが似通うなか、いかに違いを打ち出すのか。その真価が問われている。(南彰、鬼原民幸)
国会の首相指名選挙で岸田氏が第100代の首相に選ばれた4日。国会内で開かれた立憲の執行役員会では危機感が漂っていた。
安住淳国会対策委員長は31日に投開票される衆院選について「ご祝儀相場で支持率も上がる。厳しい戦いになる」と語った。江田憲司代表代行が口を開く。「岸田氏が言う『成長と分配の好循環』は、立憲の政策とは似て非なるものだ」
立憲は、岸田氏が自民党総裁選で打ち出した公約パンフレットを研究し、岸田氏が掲げる「新しい資本主義」にどう対抗するか、練り直している。
立憲の悩みは、自民党の「顔」が変わり、支持率が回復したことだけではない。枝野氏は安倍政権時、「立憲は自民の宏池会的な流れ」と述べ、保守本流であると訴えてきた。その宏池会会長の岸田氏が首相になったのだ。経済政策が似ているとの指摘もある。
枝野氏は4年前の10月3日、立憲を結党した直後の演説で安倍政権のアベノミクスへの対決姿勢を示した。「強いものをより強くし、いずれあなたのところにしたたり落ちるという上からの経済政策ではなく、暮らしを押し上げて経済を良くする。右か左かではなく、上からか草の根からかが本当の対立軸だ」
今年5月に出した著書「枝野ビジョン 支え合う日本」では、政府による所得の再分配機能を高めて低所得者層の所得を底上げすることを明記。先月27日に発表した衆院選公約の経済政策でも「分配なくして成長なし!」と掲げた。
しかし今や、岸田首相が連日のように「分配」を口にする。8日の所信表明演説でも、「分配なくして次の成長なし」と訴えた。分配戦略として、子育て支援や、看護や保育の現場で働く人の賃金を増やすことなどを打ち出している。
これに対し、枝野氏は9日の街頭演説で「岸田氏が似たようなことを言っているので期待と不安が半々あったが、残念ながら裏切られた。言葉は躍っているが、中身が伴っていない」と批判した。岸田氏がアベノミクスを継承し、「成長と分配の好循環」を唱えている点が立憲と「明確な違い」と強調。「成長できないのは分配できていないからだ。適正で公平な分配と、明日の不安を小さくすることだ」と訴えた。「安心」が消費の拡大を促し、経済成長につながるとの考え方だ。
11日の代表質問では、アベノミクスの「失敗」を追及。賃金引き上げや老後や子育てなどの「セーフティーネット」の充実、金融所得課税の強化による格差解消策を示しながら、岸田氏との違いを浮き彫りにする構えだ。
■「価値観」、対立軸に
今回の公約では「自民党にはできない政策」として、選択的夫婦別姓の導入やLGBT平等法、同性婚を可能にする法整備など多様性や人権に関する政策も打ち出した。
枝野氏は9月の会見で「長年にわたり自民党が多数を持つ状況では実現できなかった。我々が政権をお預かりして、必ず実現するという強い意志で進めたい」と語った。代表質問でも、首相の姿勢を問いただす方針だ。
政党や政治家の立ち位置を「お金の配分」と「価値観」の二つの軸で分析する政治学者の中島岳志氏は、立憲が「自己責任ではなくセーフティーネット強化」と「権威主義的ではなく寛容(リベラル)な価値観」を重視する路線を評価する。
その一方で、「任せて大丈夫か」という実行可能性に不安を持たれているとも指摘する。4年前の衆院選直後の朝日新聞世論調査で17%あった支持は落ち、今月の調査では5%で低迷している。
立憲の源流は、安倍政権が進めた安保法制に反対するうねりとなった市民の動きにある。「ボトムアップ」をめざす党として、市民活動の専門家や識者と会合を重ね、国会審議や政策立案のヒントにしている。
これに対し、中島氏は支持率が上がらない理由に、枝野氏を中心にトップダウンで物事を決める「権威主義的な党運営」も挙げる。元民主党幹事長で参院副議長も務めた輿石東氏は「枝野氏の個人商店のようじゃ駄目なんだ」と話し、意見集約をきちんとする必要性を指摘する。
真鍋さんの記事 四つ
① 朝日新聞デジタル記事 2021年10月6日 9時00分
伸一さん解説、真鍋さんの真骨頂 「まさに異世界転生の物語」
今年のノーベル物理学賞は、「地球温暖化の予測研究」をした米国プリンストン大上級研究員の気象学者、真鍋淑郎さん(90)ら3氏に贈られることが決まった。地球環境を議論する上で基礎になる研究だ。分子生物学者で青山学院大学教授の福岡伸一さんに解説してもらった。
ノーベル物理学賞の近年の傾向は、2020年はブラックホール、19年は系外惑星、18年はレーザー技術、17年は重力波、他にもヒッグス粒子など遠い宇宙のことやミクロな素粒子を見ていて、一番身近な地球の研究に、ノーベル物理学賞が光を当てたのは久しぶりです。地球を対象にした研究の受賞は、1947年の上層大気の研究までさかのぼります。日本人で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士より2年前のことです。
それは、地球環境が様々な要素の複雑な絡み合いで成り立っていて、解析が難しいからです。
最近、天気予報の精度が上がって当たるようになったのは、コンピューターの急速な進化によるものです。広範にデータを集めて高速に解析できることが気象予報には大事ですが、その基礎のモデルをつくったのが真鍋さんです。
真鍋さんのインタビューを載せた日本気象学会の機関誌「天気」(87年)によると、真鍋さんは58年、20代後半に渡米しました。日本と米国はそう簡単に行き来できず、なかなか思い切った行動でした。当時の米国は、宇宙開発競争でソ連に先を越された、いわゆる人工衛星の「スプートニク・ショック」のまっただ中。米国は科学における覇権を取り戻そうと躍起になっていました。米国の科学に対する研究熱が勃興してきた時期と重なり、世界中から優秀な人材をかき集めていました。
米国に「異世界転生」、そこからが真骨頂
渡米した真鍋さんは、研究に欠かせないコンピューターを自由に使えるようになりました。当時、米国のコンピューターの性能は日本の30倍以上あり、同時に給料は日本の25倍になったといいます。米国での環境は経済的にも精神的にも楽園だったのです。まさに異世界転生の物語です。
気象の研究をするうえで、計算能力が高いコンピューターを使えることは圧倒的に有利です。ただ、データを高速に処理できるようになっても、どういうモデルで計算するかが重要です。そこに真鍋さんの研究の真骨頂がありました。
真鍋さんは気候変動の複雑な仕組みをモデリングしようとしました。いくつか基礎となるようなモデルがあります。
太陽の熱は地面にあたると、反射して上空にあがるものと、地表にためられるもの(潜熱)、暖められた空気が上昇し、冷やされた空気が下降して対流するものに変わります。その熱の動きを世界に先駆けて方程式で表そうと試みたのが真鍋さんです。地球環境は海あり陸あり均一ではないので、このモデル作りは、大変な作業でした。
モデルを計算するためにコンピューターを走らせると、1日に8千ドルがかかり、突然動かなくなったといいます。真鍋さんはインタビューで、それを「爆発」したと表現しています。苦労がうかがえます。現実の地球の環境に近づけようとすると計算が膨大になります。真鍋さんは徐々にモデルの精度を高めていきました。
悪戦苦闘を繰り返しながら研究に邁進(まいしん)する真鍋さんの躍動感は、私も80年代後半、20代後半で渡米したときを思い出すと、とても共感できます。米国が一番元気だった時代の熱気が伝わってきます。
温暖化対策も、真鍋さんがいたから もう一つ真鍋さんが先駆的に取り組んだのが、地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)の問題でした。南極大陸の1万8千年前の氷を調べると、氷に含まれているCO2の量が極めて少なかったというデータを知り、地球温暖化とCO2に関係があることを確信しました。このこともモデルに取り込みました。
「理論ばかりでは自然科学にならないし、観測をやってもモデリングをやらねばメカニズムの理解はできない。この三つが一体になって研究しなければ、グローバルな環境の研究は進みません」(「天気」のインタビュー)
至言です。まさに、モデルを作ることにより、CO2の増加という観測データと気温上昇のメカニズムをつなげることに成功したのです。
現在わたしたちは地球温暖化を喫緊の課題と捉え、SDGs(持続可能な開発目標)をうたい、50年までに温室効果ガス排出実質ゼロという目標を掲げています。目標が設定できたのも、最初に井戸を掘った真鍋さんがいたからこそです。パイオニアたる彼がノーベル賞を受賞することは非常に素晴らしく意義があると感じました。
◇
ふくおか・しんいち 青山学院大教授、米ロックフェラー大客員研究者。専門は分子生物学。1959年生まれ。京都大農学部卒。京都大助教授などを経て現職。著書に「生物と無生物のあいだ」「動的平衡」など。
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② 朝日新聞デジタル記事 プリンストン=藤原学思 2021年10月6日 18時00分
真鍋さんが言葉を濁す「日本へのメッセージ」記者が感じた切なる願い
自宅の壁には、井上靖の詩の一節が飾られていた。
5日、米東部ニュージャージー州。プリンストン大学から車で5分の場所にあるその家には、朝から大勢のメディアが詰めかけた。
同大学上級研究員の真鍋淑郎さん(90)。地球温暖化の予測法を開発し、米時間の早朝、ノーベル物理学賞の受賞が決まった。
ノーベル賞の真鍋さん、日本に帰らない理由語る 印象的な発言を紹介 午前8時ごろに着くと、家の中から英語でインタビューをしている様子が漏れ聞こえてきた。しばらく待ち、日本の新聞社や通信社、テレビ局とともに中に入る。えんじ色のセーターを着た真鍋さんが、頭を下げて出迎えてくれた。
《南紀の海はその一角だけが荒れ騒いでいた……》
リビングの壁に、そんな書が見えた。調べると、井上靖が新聞記者時代、三重・熊野を訪れた際に書いた「渦」だった。
テレビ局の記者がマイクを向け、「おめでとうございます」と語りかける。
「いまねえ、英語でね、インタビューしたんですけど、やっぱり日本語で聞いていただいて、日本語で答えなければ、インタビューでは役に立たんと思いますので」
意外だった。
1931年に生まれた真鍋さんは東大大学院を修了後、58年、米国に渡った。97年にはいったん日本に帰国し、科学技術庁(当時)の地球温暖化予測研究領域長のポストに就いたが、2001年に辞任した。
当時の記事を読むと、日本の縦割り行政を批判し、「長く米国にいた私は適役ではない」と語っている。
その記事を取材の準備に読んでいた。だから英語の方が話しやすいのではないかと、勝手に思っていた。
もっと具体的に聞きたかった日本への思い 真鍋さんの一人称は「僕」だった。受賞決定について、「こういうトピックス(気候変動研究)で賞をもらった人はいない。非常に光栄に思っています」とはにかんだ。
ひっきりなしに電話が鳴る。世界中にお祝いの言葉を届けたい人がいるのだろう。そんな中で真鍋さんは、日本でも洪水や土砂崩れ、台風が起きていることに懸念を示した。
取材は順番待ちの列ができていて、私たちに与えられた時間は30分だった。研究対象である気候の複雑さ、受賞を知ったときのこと、若手研究者への思い、科学と政治の関係……。話は展開し、テレビ局の記者が終盤、「日本へのメッセージ」を聞いた。
すると、それまでよどみなく答えていた真鍋さんが「あれですねえ、あのう、うーん。非常に難しい問題でね」と言葉を濁した。
「答えになっているか知らんけど、日本の政府の政策に、いろんな分野の専門家の意見が、どのように伝わって政治家にまであがっているのか。政治に対するアドバイスのシステムが、日本は難しい問題がいっぱいあると思うんですよ」
「政府がたとえば、日本の学術会合の言うことを聞いているかどうか。一体どうやって、学者が政府の行動をリコメンド(推奨)するか。そういうことを考えないかん。いろんな学者がいろんな意見を持ってても、それが政府の行動に影響を及ぼしていますかねえ。というのが僕の質問です」
「アメリカだとねえ、文句を言えばいくらでもあるけれど、アメリカの科学アカデミー、僕の意見では日本よりもはるかにいろんな意見が下から、学者から上に上がっていると。日本よりはそういう意味でも、はるかにいいと思いますよ。だから、まあ、そういうところ、考える必要があるんじゃないですか」
興味深かった。もっと具体的に聞きたかった。だが、同席していた広報担当者が「時間だ」と話を遮り、個別取材は終わった。
笑えなかった「日本に帰りたくない」 午後1時半、プリンストン大のホールで会見が開かれた。今度は英語。壇上と記者席が離れていたこともあり、真鍋さんは何度も質問を聞き返しながらも、ジョークを交えつつ、一つずつ回答していった。
私は日本の学術界で問題になっている「頭脳流出」と、教育機関における改善点について聞いた。すると真鍋さんは「日本の研究は好奇心に基づくものがどんどん少なくなっていっているように思う」と答えた。
「好奇心」という単語をこの日何度、聞いたことだろう。それが半世紀以上、真鍋さんの研究を支えてた原動力だった。
その好奇心を、日本で守り、育むことはできなかったのだろうか――。そう考えていると、通信社の記者が、国籍を日本から米国へと変えた理由を聞いた。
真鍋さんは「それはおもしろい質問ですね」と切り出し、続けた。
「日本で人びとは常に、お互いの心をわずらわせまいと気にかけています。とても調和の取れた関係性です。これが、日本の人びとが簡単に仲良くなる理由の一つです」
「何かを質問すると、イエスかノーで答えを得ますが、日本人が『イエス』と言っても、それは必ずしも『イエス』を意味せず、『ノー』かもしれません」
会場ではここで笑いが起きた。多くの米国人がイメージする「あいまいで、ニコニコしている」日本人に合致したからだろうか。
「なぜなら、誰かの感情を傷つけたくないからです。(日本人が)なによりもしたくないこと、それは誰かの心をわずらわせることなのです。アメリカではやりたいことができる。他人がどう感じているか、それほど気にしなくていい」
「なぜか。実際のところ、私は他人の感情を傷つけたくはないのですが、彼らが何を考えているのか、それを把握するほど、彼らのことを観察しているわけではないんです」
「米国で暮らすって、素晴らしいことですよ。私のような科学者が、研究でやりたいことを何でもやることができる。上司が本当に寛大で、やりたいことを何でもやらせてくれた。コンピューターなどの支出を全てまかなってくれた。私は人生で一度も、研究計画書を書いたことがありません」
「私は調和の中で生きることができません。それが、日本に帰りたくない理由の一つなんです」
会場はまた、笑いに包まれた。だが、ノーベル賞の受賞が決まったばかりの日本出身者にはっきりと、「日本に帰りたくない」と言われたことを、少なくとも私は笑えなかった。
会見は1時間ほど続いた。ホールの外に出た真鍋さんを、100人以上の教職員や学生らが拍手で迎える。しばらく、歓談の時間を過ごした。
聞きたいこと、聞けなかったことがたくさんあった。バッテリーの切れかけたパソコンと向き合い、考える。
真鍋さんはきっと、今後も日本には帰ってこない。それでも、遠く離れた米国から日本を気にかけ、日本の学術界、日本社会が良くなってほしいと、切に願っているのではないか。
夕刻、プリンストン大職員の女性が、日本語で話しかけてきた。 「よかったら、日本語でも会見のようなものをしませんか。先生も日本の方々に、伝えたいメッセージがたっくさんあるそうです」
ぜひ、聞きたい。(プリンストン=藤原学思)
③ 投稿記事 2021年10月11日05時39分 投稿
磯野真穂 人類学者=文化人類学・医療人類学
【提案】「これを「日本文化論」に回収してしまってはいけない。それをやったら、そこで思考停止になってしまうからだ。」という、小熊英二さんのこの記事に関するコメントは極めて重要です。
この記事を読むと、「個人の能力が存分に活かせる(素晴らしい)アメリカと、そうでない(ダメな)日本」というイメージを簡単に持つことができるでしょう。
しかし真鍋さんの語りは、アメリカや日本という地域を語る上でどこまで普遍化が可能なのでしょうか。小熊さんとは少し違う切り口で書いてみたいと思います
例えば、アメリカのアカデミアで職を求める若手研究者が、研究計画書を書き、資金を獲得し、論文を書いて業績を積み重ね、テニュアトラックに乗る(常勤職を得る)という厳しい競争の中でボロボロになっていくことは珍しくありません。「研究計画書を書いたことがない」という真鍋さんの状況はアメリカのアカデミアの中でも相当に恵まれていると思われます。
また真鍋さんが医師一家の生まれで、東大に進学し官僚になり、その後米国で職を得たという経歴を踏まえると、エリートが与えられた環境の中で努力・決断し、さらなる幸運を得て、さらにエリートの階段を登った結果、ノーベル賞という成功を得たという見方も可能です。
マイケル・サンデルの新著『実力も運のうちー能力主義は正義か?』のなかで述べられているように、すでにアメリカの中から、個々人の能力をそのままに花開かせてくれる社会がアメリカでは「ない」ことがすでに指摘されています。社会的成功が個々人の能力ではなく、生まれに代表される運に大きく左右されるというサンデルの指摘は見逃せません。
真鍋さんの言葉、及びこの記事の指摘に頷くところはいくつもありますが、彼の成功を「個々の能力を押しつぶす日本」、「個々の能力を十全に伸ばすアメリカ」という文化論に落とし込んで理解することで、例えば小熊さんが出されている「ジョブ型」組織のように、見えなくなることは多いと思います。
「日本は〜だから」と発言するとき、その発言の先で何をしたいのか。 このような発言にはただ頷いたり、否定したりするのではなく、その目的と合わせて考えることが必要でしょう。
④ 投稿記事 2021年10月08日11時19分 投稿
小熊英二 歴史社会学者
【視点】この記事は「日本文化論」ではなく、「ジョブ型」組織の問題として考えるべきだ。
真鍋氏の「私は人生で一度も、研究計画書を書いたことがありません」という言葉は、予算獲得の申請書作成は専門スタッフの職務で、研究者の職務ではない、という意味ではなかろうか。
研究者は研究者の職務をこなし、書類作成専門スタッフはその職務をこなす。それぞれの専門職務を有機的に構成しているのが「組織」である。
そのように、多様な専門職務で構成された組織を巧みに編成し、職務を割り振るのが管理(マネジメント)の職務である。ドラッカーは、これをオーケストラの指揮者に例えた。バイオリン、ビオラ、ティンパニなどの専門職を集めた組織を、巧みに構成して仕事を割り振るのが指揮者である。
指揮者は、楽器の演奏はしない。マネジャーも、現場の仕事はしない。労働者と一緒になって汗を流しながら現場指揮をするのは、「班長hancho」であって、「マネジャー」ではない。
そうした組織なら、研究者から見れば、「管理職の『上司』に頼んでおけば、書類作成は専門スタッフに割り振ってくれる」という形になるだろう。
こういう社会であれば、研究者は研究に専念していればよい。また、研究者としての能力が評価されれば、他の組織に移ることも容易だ。
これは、書類作成専門スタッフも、管理職(マネジャー)も同じである。いま働いている組織が嫌になったら、労働市場に出ている書類作成スタッフの公募情報をみて、これまでの書類作成スタッフとしての業績と経験をアピールし、他の組織の書類作成の職務に移ることもできるだろう。
これが、理念型としての「ジョブ型」だ。
実際にはアメリカも、それほど理念型どおりに動いているわけではないだろう。だが、大学や研究機関、連邦政府組織などは、こうした原理が浸透している領域の一つである。
こういう組織原理の社会であれば、過度に「調和の中で生きる」とか、「誰かの感情を傷つけたくない」ということはないだろう。「組織内で波風を起こさない」ことよりも、「自分の専門職としての評価が高いか否か」の方が気になるはずだ。
また政府内でも、それぞれの担当官は、専門職としての組織外評価が気になる。となれば、たとえば環境政策の担当官は、環境問題の専門研究者の意見を無視できない。無視したら、「環境政策業界」における専門職としての自分の評価が下がってしまい、将来のキャリアに影響するからだ。
もちろんその「将来のキャリア」とは、環境政策専門職として、政府からNGOなどに職場を変えることを含んでいる。
環境問題専門職の政府官僚は、他の政策分野の担当官になることはない。それが、こうした組織原理の原則だ。
そうであれば、「環境政策業界」での自分の評価を下げてまで、政府に忠誠を尽くすのは意味がない。「環境政策業界」のなかでの自分の評価を上げて、職場を変えて出世したほうが得策である。
だから、政府内にあっても、「環境政策業界」の研究者の意見は尊重せざるを得ない。政府内の他の専門職の担当官よりも、政府外の同じ専門職の人々の方を、強く意識するからだ。
ひるがえって、なぜ日本では、「(組織内で)調和の中で生きる」ことが要求されるのか。そして、なぜ「専門家の意見」が政府に取り上げられないのか。
これを「日本文化論」に回収してしまってはいけない。それをやったら、そこで思考停止になってしまうからだ。