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【 06 】10/05
2021/10/06 きょうの新聞
真鍋氏、ノーベル賞 温暖化の予測法開発
世界のSUKI 天声人語
温暖化研究、先駆け 複雑な大気、物理法則で再現ノーベル賞
社説 真鍋さん受賞 温暖化の危機感 新たに
福岡伸一さんが読み解く「地球温暖化の予測」
地球に捧げた情熱 地元・愛媛や東大関係者の喜び
「飛べないハト」窮地で決断 二階氏標的、勝負の党改革案
岸田文雄研究 「自分は石破政権の次」安倍氏に仕えた苦悩
中国恒大危機、リーマンとは違う 経済の危機や崩壊、つながらない
テロ減ったが、沈むアフガン 病院閉鎖・物価高騰…
自殺死亡率(検索のURL)
2021/10/06
平家物語 思えば奥義だった
色は匂えど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならん
有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ酔いもせず
思えば昔のこと、神稲中学へ赴任し二年の国語授業を一年間受けもつことになった。 自分の免許にはなかった。 しかも四月の初めにはその国語の教科書は何のせいなのか、印刷配本してなかった。
「はて、どうしたものか」何を教え始めたらいいか困った。 そこで「平家物語」の冒頭の一節をガリ版刷りにして三クラス共に暗唱することにしました。
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風 の前の塵に同じ。
遠く異朝をとぶらえば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の祿山、これらは皆舊主先皇の政にもしたがはず、樂しみをきはめ、諌めをも思ひ入れず、天下の亂れん事を悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
近く本朝をうかがふに、承平の將門、天慶の純友、康和の義親、平治の信賴、おごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは六波羅の入道、前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、傳へ承るこそ心もことばも及ばれね。
驚くことに、生徒はみんな真剣になって暗唱に努力しました。 後々同級会の時の話として、そのことが話題になりました。 よく憶えていて全部暗唱した子もいました。
何故「平家物語」だったのか、その時の判断は覚えていない。 けれどもこの物語から自分自身が無常観を通して抱いていたことは否(イナ)めない。
諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽
自分で怪我をして、いのちの一瞬の断面の真実は仏法の無常相に相違はないと思ったのです。
身體髮膚、受之父母。不敢毀傷、孝之始也。
立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。
夫孝、始於事親、中於事君、終於立身。大雅曰、無念爾祖。聿脩厥徳。
この世の全ては無常であるのに、それを押しとどめたい、我が物にしたいという思いが執着になり、その執着が苦しみの元になっている、というのが仏教の根本的な考え方
こんな風に考えてきますと、あの「いろは歌」は素敵なまとめであり希望に満ちた夢を人に運んでくるのだと思うのです。
2021/10/06
きょうの新聞
1面トップ記事
真鍋氏、ノーベル賞 温暖化の予測法開発
CO2の影響、数値化 物理学賞に3氏
【写真・図版】自宅でインタビューに答える真鍋淑郎・米プリンストン大上級研究員=5日、米東部ニュージャージー州、藤原学思撮影
スウェーデン王立科学アカデミーは5日、今年のノーベル物理学賞を、米国プリンストン大上級研究員の真鍋淑郎さん(90)ら3人に贈ると発表した。真鍋さんとドイツのクラウス・ハッセルマンさんは、地球の気候をコンピューターで再現する方法を開発し、気候変動(温暖化)予測についての研究分野を世界に先駆けて切り開いた。イタリアのジョルジョ・パリーシさんは気候にみられるような複雑な現象の理論づくりに貢献した。▼2面=先駆け、12面=社説、27面=福岡伸一さんが読み解く、29面=地球に捧げた情熱
真鍋さんは1960年代に地球の大気の状態の変化をコンピューターで再現する方法を開発。大気中の二酸化炭素(CO2)が増えると地表の温度が上がることを数値で示した。
コンピューターの性能が低かった当時、真鍋さんは、大気を地上から上空までの1本の柱として単純化して計算した。その後も計算方法を改良し、気温や気圧、風向きといった大気中の複雑な現象を物理的な法則に基づいて数式におきかえ、コンピューターで計算する方法の基礎をつくった。
こうした計算方法は当初は精度が低く、気候をうまく再現できないこともあったが、ハッセルマンさんらほかの研究者らの貢献で精度が高まった。現在ではCO2が増えると、地球全体で平均気温が上昇することが、スーパーコンピューターを使った計算結果と実際の観測データでよく一致するようになっている。
真鍋さんの研究は、2007年にノーベル平和賞を受けた「国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の温暖化報告書にも生かされている。
気候変動が進めば豪雨や台風といった自然災害が深刻化し、熱中症や熱帯病の流行などが増えると予測されている。真鍋さんが警鐘を鳴らし続けてきた温暖化対策は緊急の課題で、10月末から英国で開かれる国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)でも話し合われる。
真鍋さんは愛媛県出身で、東京大大学院で博士号を取得した。1975年に米国籍を得て、現在も米国に在住する。97年には一時、旧科学技術庁が発足させた研究チームに招かれ、米国から日本への「頭脳流出」と話題になったこともあった。これまで朝日賞やクラフォード賞など多数の賞を受賞している。
賞金は1千万スウェーデンクローナ(約1億2千万円)で、3人で分ける。日本のノーベル賞受賞は、2019年に化学賞を受けた吉野彰・旭化成名誉フェローに続き28人目になる。
■「好奇心持って研究。感無量」
真鍋さんは5日、朝日新聞の取材に対し、「好奇心を持って研究してきた。こういう問題が重要になるとは、夢にも思っていなかった。感無量だ」と話した。気候変動に対して、我々が何をすべきかとの質問には、「自分が研究してきたことよりも、もっともっと難しい問題だ。ありとあらゆることにつながっている」と答えた。「二酸化炭素を削減すると言っても、一国だけがやっても意味がない」と各国で連携する必要性を訴えた。
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まなべ・しゅくろう 1931年、愛媛県生まれ。58年に東大大学院を修了して博士号を取得。同年に米国気象局(当時)研究員。97年に日本の海洋科学技術センター(当時)領域長。2005年からプリンストン大上級研究員。1996年に朝日賞、2018年にクラフォード賞。
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クラウス・ハッセルマン 1931年、ドイツ生まれ。57年、独ゲッティンゲン大で博士号取得。独マックスプランク気象学研究所教授。
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ジョルジョ・パリーシ 1948年、イタリア生まれ。70年、ローマのサピエンツァ大で博士号を取得。現在、同大教授。
▼1面=(天声人語)
世界のSUKI 天声人語
平家の落人伝説が残る愛媛県の新立(しんりつ)村。和紙や茶、葉タバコの産地だったが、新宮(しんぐう)村をへて平成の合併で四国中央市新宮町となる。いま900人が暮らすこの地区で真鍋淑郎さんは生まれた▼旧制中学校に熱心な先生がおり、「敵国語」の英語をみっちり学ぶ。米軍機B24が四国上空を飛び交ったが、「ここには爆弾を落とさない」と勉強に打ち込んだ。祖父も父も村に1軒の医院を営んでいた。だが「頭に血がのぼる性格で医師には向かない」と地球物理学を志す▼東京大で博士号を得て1958年に渡米。米国は当時、衛星打ち上げで旧ソ連に先を越された「スプートニク・ショック」のさなか。各国から有為の人材を集めていた。真鍋さんは温暖化をモデル計算で示すことに成功する▼研究仲間からは親しみを込めて「SUKI」と呼ばれる。シュクロウは米国人には発音しにくいからだ。ご本人も「世界と渡り合うには研究も英語で」という信念をもつ。60代で研究拠点を日本に一時移した際、日本人同士でも英語で討議した▼「ゴビ砂漠、オビ川、チベット高原」。講演には世界の地名が次々出てくる。気温や大気の組成を太古にさかのぼって再現する。海洋と大気、大陸を結び、物理学に生物学、化学も動員して壮大なスケールで研究を深めた▼自治体としては地図に名をとどめぬ四国の山村で学んだ少年が、ノーベル賞の栄誉に輝く。スウェーデンで発表された資料には「Shingu Ehime」と出生地が記された。
▼2面=(時時刻刻)先駆け
温暖化研究、先駆け 複雑な大気、物理法則で再現ノーベル賞
【写真・図版】地球温暖化対策の歴史
地球温暖化対策の歴史
地球温暖化は自然現象だけの結果ではなく、人間の活動が大きく影響している――。ノーベル物理学賞の受賞が決まった気象学者の真鍋淑郎さんらは、二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスが地球の気温を上昇させていることを理論的に証明。世界の環境政策に大きな影響を与えた。▼1面参照
「地球は温暖化しているのでしょうか。イエスです。その原因は何ですか。温室効果ガスです」
ノーベル財団は、授賞理由の説明で、地球温暖化と人類の活動の関係をそう断言した。
大気が熱の放出を防ぐことで、地球全体の気温が上がる「温室効果」。この現象そのものは、200年前から知られていた。
地球は太陽の熱を受けて温められる一方、たまった熱は赤外線として宇宙に放出される。温度が上がれば放出も増えるため、地球の気温は一定の温度で釣り合いがとれるはずだ。
ところが、実際の地球では、太陽から届く光や熱は地域ごとに違い、大気は極めて複雑に動く。このため、何が温室効果を促進させているのか、その程度がどれくらいなのかを解析するのは極めて難しかった。
真鍋さんは1967年、二酸化炭素の濃度が2倍になれば地表付近の温度が2度以上上がるとする論文を発表。まだまだコンピューターの性能が低いなか、複雑な大気の動きを単純化し、限られた計算速度の中で、温室効果ガスの影響を定量的に示すことに成功した。75年には、解析を3次元に拡張し、コンピューターを使って気候を予測する仕組みの基礎を築いた。
国立環境研究所地球システム領域の江守正多・副領域長は「地球の気候が、物理法則の組み合わせでちゃんと再現できることを初めて示した。今の地球温暖化の予測などすべての基礎になっている」と評価する。
真鍋さんと一緒に受賞するクラウス・ハッセルマンさんは、短期的には複雑で移ろいやすい気象現象も、長期的には予測可能であることを証明。火山の噴火や温室効果ガスなど、さまざまな要素が気温上昇に与える影響を切り分けることで、人間活動が温暖化を引き起こしていることも示した。
■京都議定書などの礎に
真鍋さんの研究は、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が1990年にまとめた第1次報告書の温暖化予測に使われ、92年の国連気候変動枠組み条約や97年の京都議定書、2015年のパリ協定など、世界の温暖化対策を大きく進める政策につながった。
「温暖化はCO2などの人為起源の温室効果ガスが大気中に蓄積されたことによって引き起こされたものであることは99%確実だ」
88年、米連邦議会上院であった公聴会。米航空宇宙局(NASA)の研究者ジェームズ・ハンセン氏による「ハンセン証言」をきっかけに、地球温暖化に国際社会の注目が集まった。
真鍋さんもこの公聴会に証人として出席し、自身の研究結果から地球温暖化の脅威を訴えた。
世界の科学者が集まって最新の温暖化の科学を評価する「国連気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)も同年に設立された。
IPCCは90年、「人為起源の温室効果ガスは気候変化を生じさせる恐れがある」と指摘する第1次報告書を発表。真鍋さんも執筆者として参加し、温暖化予測が使われた。
IPCCの報告書が後押しし、「大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させる」ことを究極の目的とする気候変動枠組み条約が採択された。ここから世界の温暖化対策が本格化する。
真鍋さんの研究が基礎になった温暖化予測は、各国で研究が進められたことで精度が向上。京都議定書やパリ協定など、温暖化対策を大きく進める世界の政策につながった。
真鍋さんの研究が示したように、温室効果ガスは、大気中にたまればたまるほど気温を押し上げる。最新のIPCC第6次報告書では、大気中のCO2が2倍になると、気温は約3度上昇するとされた。
パリ協定では、危険な温暖化被害を防ぐため、産業革命前からの気温上昇を2度よりかなり低く、できれば1・5度に抑える目標を掲げた。日本や欧州連合、米国などは、50年までに温室効果ガスの実質排出ゼロを目指すと表明した。
国立環境研究所の木本昌秀理事長は「気候変動が叫ばれるずっと前から、大気と海洋を結びつけて気候の変化を計算した。人類が脱炭素社会に向けて大きく進もうとしているのは、真鍋さんの研究があったから。真鍋さんが道を付けたスピリッツが受け継がれ、IPCCの最新報告書でも日本の研究が大きく貢献できている。真鍋さんは、人類の将来を変えるほどのパイオニアだ」とたたえた。
■真鍋淑郎さん 略歴
<1931年> 愛媛県生まれ
<53年> 東京大理学部卒
<58年> 東京大大学院理学系研究科修了
<58年> 米国気象局研究員
<63年> 米国海洋大気局(NOAA)上級研究員
<68年> プリンストン大客員教授
<83年> 東京大特別招聘(しょうへい)教授
<96年> 朝日賞
<97年> 海洋科学技術センター(現・海洋研究開発機構)領域長
<2005年> プリンストン大上級研究員
<18年> クラフォード賞
▼12面=社説
真鍋さん受賞 温暖化の危機感 新たに
【写真・図版】ノーベル物理学賞の受賞が決まった真鍋淑郎さん(左)ら3氏=ニクラス・エルメヘード氏、ノーベル賞公式ツイッターから
半世紀前に予測された地球の未来が現実となって、人類に対策を迫っている。
大気中の二酸化炭素が増えると気温が上がることを、世界に先駆けてスーパーコンピューターを使って示した米プリンストン大の真鍋淑郎さんらに、今年のノーベル物理学賞が贈られることになった。
太陽から届くエネルギーと地球からの放出のバランスを計算すると、地上の温度はマイナス18度となる。我々が暮らせるのは温室効果ガスのおかげだ。一方で、大気にわずかに含まれる温室ガスの量の急激な変化は気候変動を起こし、人や生き物の生活を脅かしてしまう。
真鍋さんは、地球の大気の動きをスパコンで計算する手法を使って、気温や湿度など大気の物理条件だけではなく、海水温や海流といった海洋の影響も含めた「大気・海洋結合モデル」で、温暖化の研究を大幅に進展させた。今回の授賞理由でも「現在の気候モデル開発の基礎となった」として、気候変動の予測への貢献を評価している。
地球で温暖化は進んでいるのか、それは人類の活動によるものなのか、論争は長年続いた。研究への関心が高まり始めていた1989年、真鍋さんは朝日新聞の取材に「科学者が100%証明するのを待っていては、手遅れです」と語っている。
温暖化は人間の影響だとする研究が積み重ねられ、2007年には、警鐘を鳴らしてきたゴア元米副大統領と国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)がノーベル平和賞を受賞した。IPCCの予測も真鍋さんらの研究が使われている。今年8月の地球温暖化の科学的根拠を示した報告書で、人間の影響であることは「疑う余地がない」と、IPCCは断言した。
温暖化対策の世界ルール「パリ協定」は、産業革命前からの気温上昇を2度よりかなり低く、できれば島国などへの影響を最小限にできる1・5度に抑える努力目標を掲げる。先進国は温室ガス削減に向けて動いており、日本も昨年、50年に実質ゼロの目標を掲げ、法律にも明記した。後戻りすることなく、進めていかなければならない。
コロナで延期されていた国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)が10月末から英国で開かれる。コロナ禍で傷んだ経済の再生を気候変動対策や生態系保全への取り組みと連動させる「グリーンリカバリー(緑の復興)」が注目される。
真鍋さんへのノーベル賞を、人類が直面する気候変動への危機感の高まりと受け止め、目標達成のための政策を具体化し、企業活動や人々の暮らしのあり方も見直す必要がある。
▼27面=福岡伸一さんが読み解く
福岡伸一さんが読み解く「地球温暖化の予測」
今年のノーベル物理学賞は、「地球温暖化の予測研究」をした米国プリンストン大上級研究員の気象学者、真鍋淑郎さん(90)ら3氏に贈られることが決まった。地球環境を議論する上で基礎になる研究だ。分子生物学者で青山学院大学教授の福岡伸一さんに解説してもらった。▼1面参照
ノーベル物理学賞の近年の傾向は、2020年はブラックホール、19年は系外惑星、18年はレーザー技術、17年は重力波、他にもヒッグス粒子など遠い宇宙のことやミクロな素粒子を見ていて、一番身近な地球の研究に、ノーベル物理学賞が光を当てたのは久しぶりです。地球を対象にした研究の受賞は、1947年の上層大気の研究までさかのぼります。日本人で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士より2年前のことです。
それは、地球環境が様々な要素の複雑な絡み合いで成り立っていて、解析が難しいからです。
最近、天気予報の精度が上がって当たるようになったのは、コンピューターの急速な進化によるものです。広範にデータを集めて高速に解析できることが気象予報には大事ですが、その基礎のモデルをつくったのが真鍋さんです。
■20代後半で米国へ
真鍋さんのインタビューを載せた日本気象学会の機関誌「天気」(87年)によると、真鍋さんは58年、20代後半に渡米しました。日本と米国はそう簡単に行き来できず、なかなか思い切った行動でした。当時の米国は、宇宙開発競争でソ連に先を越された、いわゆる人工衛星の「スプートニク・ショック」のまっただ中。米国は科学における覇権を取り戻そうと躍起になっていました。米国の科学に対する研究熱が勃興してきた時期と重なり、世界中から優秀な人材をかき集めていました。
渡米した真鍋さんは、研究に欠かせないコンピューターを自由に使えるようになりました。当時、米国のコンピューターの性能は日本の30倍以上あり、同時に給料は日本の25倍になったといいます。米国での環境は経済的にも精神的にも楽園だったのです。まさに異世界転生の物語です。
気象の研究をするうえで、計算能力が高いコンピューターを使えることは圧倒的に有利です。ただ、データを高速に処理できるようになっても、どういうモデルで計算するかが重要です。そこに真鍋さんの研究の真骨頂がありました。
■膨大計算1日8000ドル
真鍋さんは気候変動の複雑な仕組みをモデリングしようとしました。いくつか基礎となるようなモデルがあります。
太陽の熱は地面にあたると、反射して上空にあがるものと、地表にためられるもの(潜熱)、暖められた空気が上昇し、冷やされた空気が下降して対流するものに変わります。その熱の動きを世界に先駆けて方程式で表そうと試みたのが真鍋さんです。地球環境は海あり陸あり均一ではないので、このモデル作りは、大変な作業でした。
モデルを計算するためにコンピューターを走らせると、1日に8千ドルがかかり、突然動かなくなったといいます。真鍋さんはインタビューで、それを「爆発」したと表現しています。苦労がうかがえます。現実の地球の環境に近づけようとすると計算が膨大になります。真鍋さんは徐々にモデルの精度を高めていきました。
悪戦苦闘を繰り返しながら研究に邁進(まいしん)する真鍋さんの躍動感は、私も80年代後半、20代後半で渡米したときを思い出すと、とても共感できます。米国が一番元気だった時代の熱気が伝わってきます。
■最初に井戸掘った
もう一つ真鍋さんが先駆的に取り組んだのが、地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)の問題でした。南極大陸の1万8千年前の氷を調べると、氷に含まれているCO2の量が極めて少なかったというデータを知り、温暖化とCO2に関係があることを確信しました。このこともモデルに取り込みました。
「理論ばかりでは自然科学にならないし、観測をやってもモデリングをやらねばメカニズムの理解はできない。この三つが一体になって研究しなければ、グローバルな環境の研究は進みません」(「天気」のインタビュー)
至言です。まさに、モデルを作ることにより、CO2の増加という観測データと気温上昇のメカニズムをつなげることに成功したのです。
現在わたしたちは地球温暖化を喫緊の課題と捉え、SDGs(持続可能な開発目標)をうたい、50年までに温室効果ガス排出実質ゼロという目標を掲げています。目標が設定できたのも、最初に井戸を掘った真鍋さんがいたからこそです。パイオニアたる彼がノーベル賞を受賞することは非常に素晴らしく意義があると感じました。
*
ふくおか・しんいち 青山学院大教授、米ロックフェラー大客員研究者。専門は分子生物学。1959年生まれ。京都大農学部卒。京都大助教授などを経て現職。著書に「生物と無生物のあいだ」「動的平衡」など。
■受賞の歴史
21世紀に入ってから昨年までのノーベル賞自然科学分野での日本からの受賞者は18人(米国籍2人を含む)で、米国に続く世界2位だ。中でも物理学が最多の8人を占める。このうち5人が、宇宙の物質を形作る「素粒子」の研究で受賞した。まず、2002年に東京大特別栄誉教授の小柴昌俊さんが、超新星爆発で出た素粒子ニュートリノを、岐阜県にある観測施設カミオカンデで1987年に初めて観測して受賞。ニュートリノ天文学という新分野を開拓した。物理学賞の日本人受賞は江崎玲於奈さん以来29年ぶりだった。
その後、ニュートリノ研究は日本の「お家芸」になった。小柴さんの門下生だった東大宇宙線研究所長の梶田隆章さんが、後継のスーパーカミオカンデを使った実験で98年、ニュートリノに質量があることを確かめて2015年に受賞した。
物理学賞では理論でも受賞者が多い。日本人で初めてノーベル賞を受けた湯川秀樹博士(49年)、朝永振一郎博士(65年)のほか、「質量の起源」を解き明かすアイデアを提唱した南部陽一郎さん、素粒子クォークが6種類以上あると予想した小林誠さん、益川敏英さんも物質を形作る理論を提唱した。いずれも発表は60~70年代で、実験で理論が正しいことが証明され、08年に受賞した。
▼29面=地球に捧げた情熱
地球に捧げた情熱 地元・愛媛や東大関係者の喜び
【写真・図版】真鍋淑郎さんと、ノーベル平和賞を受けた故ワンガリ・マータイさん(左)。地球環境保全に大きな貢献をしたとして、「KYOTO地球環境の殿堂」で表彰された=2010年2月
真鍋淑郎さんと、ノーベル平和賞を受けた故ワンガリ・マータイさん(左)。地球環境保全に大きな貢献をしたとして、「KYOTO地球環境の殿堂」で表彰された=2010年2月 地球温暖化のメカニズムに迫り、予測分野を切り開いてきた気象学者の真鍋淑郎さん(90)が5日、ノーベル物理学賞を受賞することが決まった。真鍋さんは「非常にうれしい。感無量だ」と語った。同賞には縁遠いとされる気象分野での受賞に、ゆかりの人々は喜びや驚きの声を上げた。▼1面参照
「本当に夢みたい」
真鍋さんが子ども時代を過ごした愛媛県の新立(しんりつ)村(現・四国中央市新宮町)で、尋常高等小学校の同級生だった大岡武重さん(89)はこう喜んだ。
当時から成績は優秀。「親戚も優秀だったが、『遊びに行っても(真鍋さんは)いつも勉強してる』と、ぼやいていた」と言う。気象への興味も強く、「『日本は台風が来ないと雨が少ない』と言っていたのを覚えている」。
杉正人さん(72)は、気象庁気象研究所(茨城県つくば市)で勤務当時、台風と温暖化の関係を研究。20年ほど前には真鍋さんと共同で論文を執筆した。このころ真鍋さんは後進の指導のために帰国していた時期だ。「とにかく研究が好きでたまらない人だった。みんなのアイドルで、学生や同僚の研究者から人気があった」という。
真鍋さんと大学院生の頃から研究をともにした東大名誉教授の浅井冨雄さん(89)は「地球環境問題を考える上で非常に意味のあること」と喜ぶ。人柄について「ざっくばらんな性格で、良い意味で学者らしからぬ人」と評した。
真鍋さんは1992年、地球環境問題の解決に貢献した研究者らに贈られる旭硝子財団の「ブループラネット賞」の初代受賞者。浅井さんはその選考委員で、賞関連の出版物に「環境科学の分野のノーベル賞」と記したという。「その時はまさか、本当にノーベル賞を受賞するとは思っていませんでした」と笑った。
◇
真鍋氏の受賞が決定したことを受け、岸田文雄首相は5日、「日本における研究活動の積み重ねをもとに、海外で活躍されている研究者の独創的な発想による真理の発見が、人類社会の持続的な発展や国際社会に大きく貢献し、世界から認められたことを、日本国民として誇りに思います」とのコメントを出した。
■「最もスパコン使う男」頭脳流出話題に
1931年に愛媛県で生まれた真鍋さんは祖父や父のように医師になるつもりだったが、「緊急時に頭に血が上る性格で、向かない」と思い直し、地球物理学の道に進んだという。
東大大学院を修了後、活躍の場を求め58年に渡米。米気象局などで気候変動のメカニズムを解明する研究に取り組んだ。自身が開発した、気候を予測する仕組みについて、後年のインタビューで「天気予報と考え方は同じ」と語った。天気予報では世界を何十万個ものマス目で区切り、それぞれに気温や気圧などの数値を与え、変化を計算していく。「同じようなことを海や陸でもやって予測する」と解説した。
96年に朝日賞を受賞。当時、「世界で最もよくスーパーコンピューターを使う男」と呼ばれたが、「自然は無限に複雑。複雑さを競ったらスーパーコンピューターでも勝てない。それをいかに単純化するか、本質をどうつかまえるか。生け花のようなバランスが大事だ」と語っていた。
翌97年、約40年間過ごした米国から研究拠点を日本に移す際、現地では「頭脳流出」と話題になった。
当時、真鍋さんと一緒に研究に取り組んだ東京大学の阿部彩子教授(気候学)は「コンピューターの計算能力には限界があり、何かを選び、何かを省略しなければならない。そういう時に粘り強くとことん考え抜いていた」と話す。
2001年、日本で率いた研究プロジェクトを「楽しい4年間でした」と振り返り、再び米国へ戻った。阿部さんは「日本を離れる時は『子どもが暮らす米国が本拠地であり、そこに戻る』と家族への思いを語っていた」と振り返る。
国立環境研究所の江守正多・地球システム領域副領域長によると、真鍋さんはランニングをたしなみ、「フィジカル的にも元気」という。本人は過去に、「頭に血が上ったら、外に出て走り、頭を冷やす」と語っていた。
2021/10/07
きょうのニュース
1面=(岸田文雄研究)
「飛べないハト」窮地で決断 二階氏標的、勝負の党改革案
8月25日夜、東京都内のホテルの高層階にある一室。自民党総裁選への立候補表明を翌日に控えた岸田文雄は、率いる岸田派の若手を前に記者会見の「台本」を読み上げていた。
「総裁を除く党役員は1期1年、連続3期まで……」。その場で、総裁選で目玉にすえる「公約」も確認した。党役員の任期制を打ち出し、5年にわたり幹事長ポストに座る二階俊博を争点にする。首相の菅義偉と二階の協力関係に打ち込む、渾身(こんしん)のくさびだった。
「すごくいい!」「勝てますよ!」。若手らは岸田に称賛を浴びせ、けんか上手の「菅―二階」に挑む岸田を鼓舞した。
一方の岸田は淡々としていた。「勝てる、勝てないじゃない。選択肢を示せなかったら、党も民主主義もおかしくなってしまう」。これまで菅らに押し込まれてきた岸田の力強い言葉を、若手の一人は意外感をもって受け止めた。
少し前まで、岸田は総裁選への迷いを口にしていた。新型コロナウイルスの「第4波」がピークに達した5月半ばには、周囲に「コロナがあるから無理」と漏らした。
岸田は昨秋の総裁選で菅に完敗し、主流派から転落した。安倍政権下で幹事長ポストをうかがったことから、二階とも衝突した。「政治とカネ」の問題を問われた今春の地元・広島での参院再選挙は、全面支援した候補が敗れた。岸田派が党のリベラルの系譜に連なることから、「飛べないハト」と揶揄(やゆ)された。
岸田はその後、抜き差しならない状況に追い込まれる。7月半ば、派閥で座長を務める林芳正が、将来の首相の座をめざし、参院から衆院へのくら替え立候補を表明したのだ。
林は、岸田派前身の古賀派を率いた古賀誠と定期的に会合を開き、派内で参院議員を中心に存在感を高めていた。「古賀さんの後押しがある林さんに追い落とされる」。岸田周辺では一気に危機感が高まった。
同じころ、菅はコロナ対応で批判にさらされ、勢いを失いつつあった。岸田派の若手は「勝てる試合にしか出ないと、ベンチで待ってていいのか」と語った。背水の岸田に、もはや様子見は許されなかった。
「岸田はもう終わった。そうした厳しい評価もいただいてきた」。8月26日の立候補会見で岸田はそう語り、「総裁選で国民の信頼を取り戻したい」と訴えた。二階を標的とする党改革案を打ち出し、「自民党を若返らせる」と語った。
岸田の会見後、二階は周囲に「岸田は引くも進むも地獄だ。おれは菅をやる」と話した。だが、その菅は30日、二階に幹事長の交代を打診。その後、菅は急激に失速し、総裁選に立候補すらできなかった。
9月29日、新総裁に選出された後の両院議員総会で、岸田は「特技は人の話をしっかり聞くことだ」と語り、党内融和を訴えた。新政権の布陣には、安倍晋三や麻生太郎といった重鎮の影響力が強くにじむ。首相となったいま、岸田は自らの翼で高く羽ばたくことができるのか。(敬称略)▼2面=探した独自色
2面=(岸田文雄研究)探した独自色
「自分は石破政権の次」 安倍氏に仕えた苦悩
【写真・図版】岸田文雄氏の歩み
岸田は、政治家になった直後から将来を嘱望される「プリンス」だった。
祖父の正記、父の文武ともに衆院議員を務めた政治家一家で育った。私立開成高校(東京)から早大に進み、日本長期信用銀行(当時)に就職。その後、文武の秘書に転じた。1992年に文武が現職のまま死去すると、後を継いで93年の衆院選で国政へと足を踏み入れた。
当選同期には、安倍晋三をはじめ、高市早苗、野田聖子らが顔をそろえる。
岸田は父と同じく、広島出身の元首相・池田勇人が興したリベラル系の自民党派閥「宏池会」に所属した。97年には安倍の後任で党青年局長に就任。タカ派色の強い派閥「清和会」にいた安倍とは、異なる立ち位置で競うライバルだった。
衆院独自の伝統で「ぎちょおーっ(議長)」と声を張り上げ、会議の進行などを促す議事進行係も務めた。「青年局長、議事進行係の両方をやった人で、早稲田出身の竹下登さん、海部俊樹さんは総理になった。だから自分も100%の確率で総理になる」。岸田はかつて、こんな逸話を頻繁に披露していた。将来、首相を狙う意気込みとともに世代の近いライバルへの対抗心をにじませた。
岸田の権力観に大きな影響を与えたのが、00年にあった「加藤の乱」だ。当時の宏池会会長で首相候補の一人でもあった加藤紘一が、野党が提出しようとしていた森喜朗内閣の不信任決議案に賛成する構えを見せた。だが、党執行部に「乱」は鎮圧され、加藤は衆院本会議を欠席。岸田は加藤に同調した。
「乱」をきっかけに、宏池会は分裂した。岸田は加藤とはたもとを分かち、「乱」後に幹事長になった古賀誠らと行動を共にする道を選んだ。岸田はその教訓を自著で「勝負は勝たなければ意味がない」と総括している。自民党内ではこの後、森や小泉純一郎、安倍らが所属した清和会が他派閥を圧倒していくことになる。
12年10月、岸田は古賀の後の宏池会の会長となり、「戦後の歴史の中で、保守本流と言われた考え方を、改めて現代の政治に問いかけたい」とあいさつした。記者団から「派閥の名称はどうするのか」と問われ、「古賀派から変えるという意味では、岸田派になってしまうのかな」と応じた。
同年末に発足した第2次安倍政権では外相に就いた。「唯一の戦争被爆国の立場、国民の思いをしっかり国際社会の中で訴えていく」。就任直後、記者団にそう力を込めた。「核廃絶に取り組むのか」との問いに「おっしゃるとおりだ」と言い切った。
13年末、首相として安倍が靖国神社を参拝した際は、周囲に「総理が決断したなら、支える。個人の思いは封印して、ダメージコントロールに徹する」と話したという。同じころ、こんな思いも口にしていた。「安倍政権の次は、石破茂政権。自分はその次。宏池会の活動に専念したい」。宏池会政権の樹立に向け、「岸田カラー」をどう打ち出していくのか。「安倍さんとは政治信条も哲学も違う」。周囲にそう漏らすこともあった岸田は、安倍に仕える「限界」も意識し、苦悩をのぞかせた。
■「現実路線」 禅譲逃し、色探しの末
岸田は外相を4年7カ月務め、17年に党政調会長に転じた。「次」を見据えて「1強」体制を築いた安倍とのつながりを強め、安倍も呼応した。
「いよいよ、令和の時代は岸田さんではないか」。19年7月、参院選の応援で広島に入った安倍は、街頭演説で宏池会出身の首相・池田勇人と宮沢喜一の名を挙げて声を張り上げた。二階俊博の後任幹事長は岸田――。同年夏の人事に向け、そんな臆測も流れた。
だが、岸田の期待はことごとく裏切られた。官房長官の菅義偉の働きかけで二階は幹事長に留任し、岸田は対立関係に陥った。20年夏、安倍が持病の再発を理由に突然首相の座を降り、岸田周辺は安倍からの「禅譲」を期待した。だが、安倍は菅を総裁選で支援し、岸田と良好だった麻生太郎も安倍に歩調を合わせた。党内では「岸田は終わり」と、冷ややかな視線が向けられた。
派閥内でも厳しい声が上がった。「首相になって何がやりたいのか見えない」。20年の総裁選ではスローガンに「分断から協調へ」と掲げたが、メッセージ性が乏しいと評された。
岸田カラーの「色探し」は、総裁選に敗れた翌日から始まった。岸田は中堅の木原誠二を派閥の事務局長に起用し、毎週水曜の夕方に若手と議論を繰り返した。その過程で、「新しい日本型の資本主義」という内政の「理念」を肉付けする一方、外交・安全保障は、安倍政権の歩みをさらに進めるような「現実路線」へと傾斜を強めた。
今年3月、「敵のミサイル発射能力そのものを直接打撃し、減衰させることができる能力を保有することが必要」と、ツイッターで敵基地攻撃能力の保有を主張した。安倍が掲げてきた、憲法9条への自衛隊明記を含む「改憲4項目」にも、積極的な発言を繰り返した。
人間関係の軸足も移した。昨秋の総裁選後、副総理の麻生と対立してきた古賀に「距離を置きたい」と伝え、古賀は宏池会の名誉会長を退いた。議員引退後も影響力を振るう古賀との決別に派内に動揺も走ったが、岸田は周囲に「自立を進める」と言い続けた。
今回の総裁選で岸田は、戦後にリベラル路線を歩んできた宏池会の「哲学」について、こんなことを語っている。「戦後の国際情勢の中で日本が生きていくため、軽武装、経済重視でなければならないという徹底した現実的な判断に基づいて、結果としてあの政策をとった」。一方、古賀は周囲に「軽武装、経済重視は、時代に関わらず宏池会の一貫した哲学だ」との考えを示している。
今回の総裁選では、麻生は岸田を推した。安倍は高市早苗を支援したが、決選投票では岸田を支持したとされる。
新総裁に就いた岸田は、安倍政権下で起きた森友学園の問題をめぐる公文書改ざんについて、再調査しない考えを示す。政権の布陣は安倍、麻生の盟友の甘利明を幹事長に、高市を政調会長に据え、官房長官は安倍の出身派閥の清和会から起用した。
それでも、安倍は自身の最側近の処遇などに不満を持っているとされる。甘利はテレビ番組で、財務相だった麻生を「非常に強力なパワーの人だ。下手すれば総理大臣よりも強いかもしれない」と評した。その甘利は「政治とカネ」での過去の問題を引きずる。
政権発足直後の朝日新聞の世論調査で、岸田内閣の支持率は45%。この20年で最低となった。「政治の根幹である国民の信頼が崩れている。民主主義が危機に瀕(ひん)している」。そう訴えて総裁の座を勝ち取った岸田。今月末には、衆院選で幅広く国民の審判を仰ぐことになる。(敬称略)
(西村圭史、笹井継夫、岩尾真宏)
◇第100代の首相に就いた岸田文雄氏の政治家としての実像を、新企画「岸田文雄研究」で追います。随時掲載します。
(天声人語)不真面目な資本主義
17階建てのビルに中古家電や携帯電話を商う店と安宿がひしめく。廊下にたむろするのは大勢のタンザニア人たち。香港に駐在中、地元の人々が魔窟と呼ぶ雑居ビル「重慶大廈(たいか)」(チョンキンマンション)を訪ねたことがある▼近著『チョンキンマンションのボスは知っている』を読み、大廈がタンザニア移民の心の安全弁であると知った。著者は文化人類学者の小川さやかさん。このビルに通い詰め、移民社会を回すお金の仕組みを解き明かした▼根底にあるのは「困ったら誰かが助けてくれる」という楽観。売買や貸し借りといった資本主義の体裁を保ちつつも、無理のない範囲で融通しあう。ときに踏み倒しや貸し倒れも伴う不真面目な互助文化を小川さんは「分配経済のユートピア」と呼んだ▼香港で垣間見た、気まぐれでゆるやかなシステムを思い出したのは、岸田文雄首相が「分配なくして、次の成長はない」と繰り返し述べているからだ。成長だけでなく分配にも力点を置く「新しい資本主義」を掲げる。耳慣れない言葉だが、具体性に欠けイメージしにくい▼資本主義の限界が指摘されて久しい。格差が固定化され、成長は持続しない。努力してもはい上がれない。そんな悲鳴が各国でこだまする▼首相の肝いりで「新しい資本主義実現会議」なる討議の場が設けられるそうだが、何か斬新な施策を打ち出せるのか。会議が行き詰まったら、いっそ香港のタンザニア人社会からどなたか論客を会議に招く手もなくはない。
6面=経済
西村友作・対外経済貿易大学教授
中国恒大危機、リーマンとは違う 経済の危機や崩壊、つながらない
経営危機に陥っている中国不動産大手・中国恒大集団の動向を世界が注視している。日経平均株価は6日、8営業日連続で続落するなど金融リスクへの懸念も高まる。中国の不動産市場や世界経済にどう波及するのか。現地で長年、中国経済を研究してきた対外経済貿易大学の西村友作教授に聞いた。
―― 恒大の経営危機はどうなるとみていますか。
債務不履行(デフォルト)による事実上の倒産になる可能性が高い。負債総額約2兆元(約34兆円)は中国の国内総生産(GDP)の約2%に当たる。経営失敗で負債が完全に焦げ付くとなると影響は甚大だ。
―― 第2のリーマン・ショックになるのではとの見方もあります。
リーマン・ショックとは全く性質が異なるので、それはないと考える。信用力の低いサブプライムローンを証券化して広がり、誰がどれだけ持っているのかわからない不確実性が最大の問題だった。それとは根本的に異なるし、構造も違う。
さらに、中国経済が重大な危機に陥るかと言えばその可能性も低い。中国政府は、不動産業界の問題やそれが及ぼす金融リスクを非常に気にしてきたからだ。
―― 中国政府は今回の危機をある程度想定していたということでしょうか。
習近平(シーチンピン)国家主席は2017年の中国共産党大会で、貧困や環境とともに金融リスクへの対応を掲げた。昨年、不動産業界に対して負債比率を一定水準に抑えるよう求める規制や、銀行による住宅ローン融資の総量規制などの先手を打った。商業銀行は十分な引当金を積んできており、ある程度のショックには耐えられる準備もしている。
――恒大が経営破綻(はたん)すれば日本に影響しますか。
デフォルトとなると、恒大の外債を買った投資家、株式市場など少なからず影響はあるだろう。中国に進出している日系企業のビジネスに影響がないことはない。ただ、中国経済の危機や崩壊にはつながらないだろうし、日本のバブル崩壊のようにはならないと思う。
―― 習指導部は恒大を救済するでしょうか。
無条件に助けることはあり得ない。国民から不動産業界はもうけすぎだと風当たりは強い。国民の反発が大きいと考えていると思う。だから恒大や関係者が痛みを伴うような解決方法をとるだろう。考えられるのは、日本の会社更生に近い「破産重整」と呼ばれるもの。関係者が債権カットで少しずつ傷つきながら、会社を存続させて再建させる方法をとる可能性が高い。
―― 恒大問題の背景には、中国の不動産がGDPの約7%を生み出すほどの巨大市場になった点があります。なぜここまで拡大したのでしょうか。
中国で不動産売買が始まってから、まだ20年ほどしかたっていない。急成長した背景の一つが、家を買わないと結婚できないという根強い考え方だ。子どもをよい学校に通わせるために対象となる学区の家を買うという需要もある。もう一つは投資の対象になっていることが挙げられる。需要の強さを背景に価格が上がり続けているから、比較的安全な投資先として認識されている。
―― 恒大問題を機に、中国の不動産市場は転換点を迎えるのでしょうか。
日本のバブル崩壊のように、全国で不動産価格が一気に崩れる可能性は低いのではないか。理由の一つはいまだに実需が強いことだ。毎年800万~900万人の大学生が卒業し、結婚して子どもを産む。仮に値段が下がっても、だからこそ買いたいという人はすぐに出てくるので、価格は下支えされる。中国は依然として発展途上にあり、先進国と比較すると都市化率も高くない。コロナ禍で一時的に低下したオフィス需要も徐々に回復していくだろう。中国の不動産価格が暴落するリスクは低いと考える。(北京=西山明宏)
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にしむら・ゆうさく 1974年生まれ。中国の対外経済貿易大学で博士号取得。同大副教授を経て18年から現職。日本銀行北京事務所客員研究員。専門は中国経済。
9面=国際
テロ減ったが、沈むアフガン 病院閉鎖・物価高騰… なお続く女性への制限 タリバン暫定政権1カ月
アフガニスタンでイスラム主義勢力タリバンが暫定政権の樹立を宣言してから、7日で1カ月となる。タリバンの支配を恐れて人材が国外に流出し、行政機能や経済が停滞する一方、女性の就労や通学への制限が続いている。タリバンの暫定政権を政府として承認する動きは、国際社会にまだない。
タリバンは過去20年にわたって、米軍との戦闘や市民の犠牲を伴うテロを続けてきたが、8月に米軍が撤退したことで戦闘やテロを止めた。首都カブール最大の墓地で働く墓掘り職人ジャウェドさん(39)は、朝日新聞の取材に「月に60~70体分の穴を掘ってきたが(タリバンが権力を握った)8月15日以降は7分の1に減った」と語る。
米政府の監査機関によると、アフガニスタンでは米軍が撤退作業を本格化させた5月まで、1日100件前後の攻撃が起きていた。テロの多い都市では、葬儀業界が活況だった。
ひつぎを作る木工職人ラール・ムハンマドさん(77)は「仕事は減ったが、運び込まれる遺体が減ってほっとしている。これからは他の木工品を作って食べていく」と話した。
テロの脅威が消えたわけではない。タリバンと対立する過激派組織「イスラム国」(IS)の支部組織が、首都や東部ナンガルハル州で小規模な爆破事件を起こしている。タリバンはISメンバーとされる容疑者らを見せしめ的に処刑し、遺体の画像をメディアに流している。
治安の引き締めを図るタリバンは4日、軍の地方司令官などの人事を発表した。5日にはパスポートの発給を始めると発表し、行政機能の回復をアピールした。
ただ、正常化は遠い。米国による資産凍結などの影響で銀行の資金が不足し、民間企業の倒産や医療施設の閉鎖が相次いでいる。医師や教員など公務員の給料の支払いも止まったまま。物流が滞り、小麦粉や砂糖が高騰している。
タリバンは「女性の安全を守る」ことを理由に、医療福祉など一部分野を除いて女性公務員の出勤を認めていない。教育分野では男子生徒の通学を認める一方、女子生徒の通学は小学生にあたる年次に限っている。いつ全学年の通学が認められるのか見通せない。
中東の衛星放送局アルジャジーラによると、タリバンの友好国カタールの外相は9月30日の記者会見で「非常に残念」と語り、女性の権利向上を求めた。
最近は中国やロシア、パキスタンといった関係が深い国のほか、国際機関の幹部もタリバン執行部と相次いで会談している。タリバンを孤立させれば難民流出や食糧危機を招きかねない。国際社会は政府承認と国際支援をてこにタリバンと駆け引きを続けることになる。(バンコク=乗京真知)