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【 05 】01/17
天声人語 衆愚政治
軍政の悲劇が続くどこの国とは限らない落とし穴
沖縄
ビルマの軍政
感染の波、高齢者に「弱毒と言われるが強烈な肺炎」 オミクロン株
2022/01/17
みんなのために どうせ世の中はかねさは間違い
丸岡に手紙を書いてない、どうしようかと思いつつ時間は長く過ぎ去った。 長い付合いが始まったのは、豊丘中学校へ赴任した四月の家庭訪問からであった。 「敏邦は小学校の時に体育の時間呼吸器系が弱く一緒に運動ができなかった」という話を聞いたとき「それでは、農繁休みの時に私のうちへきて一緒に働いて体をまめにしましょう」と自分の考えを伝えてからの付合いでした。 もう80年になる。
なんで農繁やすみに家へ招いたのか、それほど深くの考えはなくその子の健康を取り戻してあげようと思ったからだった。 クラス全体のことも考えず、教師の務めとしてそう思ったのでしょう。 彼は健康を取り戻し通常の活動に励むことができていた。 いろいろと経過がありましたが、親の考えの深さとそれに対する子供の応(コタ)え方は、今考えると典型的な模範になる実例だったと思っています。
今の世の中には、子供たちのいじめや自殺のニュースがだんだん増えてきています。 いろいろの経過を見ていますと、行政上での対処の仕方や世間の多くの方々の意見には十分納得できるものがありませんでした。 だから根本的に社会性やいろいろの能力開発は、今の行政や子供に対する考え方を改めなくてはいじめや自殺の課題はなくならないことを確信したのです。 この問題の根底にあるのは、それぞれの家庭での子供の養育が基になっています。 ではどうするか? 今まで幼児教育について多くの出版物を読み、幼児教育の多様性を理解してきました。 このことについては自分の考えを別にらまとめる予定でいます。 それでふと思うのは丸岡親子の在り方でした。 この親子のことをところどころ見たり聞いたりしてきた私は、驚くほど親子の絆に感心してきました。 この絆の在り方を真似することが、いじめや自殺をなくし親子の愛の在り方を深める典型的なことなのだ、と結論づけできました。
私は今までホームページを立ち上げその願いとして教師生活の総括としての想いを述べてると共に雑多な感想を残してきました。
物質文化はますます高度化して夢はひろがるのに、精神文化は影をおとし続け、絆の希薄さもてつだって心の孤立化はますます進みました。 このような世情の移り変わりを見てきて、わたしたちは知性を豊かにし、人柄をみがき、健康に気をつけて、 『真理(合理的なほんとうのこと)』 を求めなくてはならないと思います。高校でも大学でも、親子の絆がどう結ばれるのか、知徳体ことに知的発達はどのように仕組まれているのか、全く教育されていません。 この事実に直面し「このままではいけない」という思いを痛烈に感じ0歳教育を立ち上げることにした。
日常の生活は、そのためのエネルギー燃焼にしたいものです。 今更、漱石を引き合いにだすまでもなく、金と名誉と異性を求めず、まっとうな 『真理』 を求めたい。
そして今、胎児期から3~4才までの幼児たちへの養育の在り方を行政上確立すべきだと考えるようになっているのです。 この内容は独自と言えば独自なものであります。
そこで思うのです。 自分の教師としての立場は予科練の体験と長野の青年師範学校の体験が基になって、ユネスコ憲章の精神に共感し知らないことをなくして偏見を持たないこの二つの願いの道をすすんでいこうと思っていたのです。 何故予科練か?
「貴様と俺とは同期の桜 ……… 」すべては『みんなのために』死を覚悟していた。
6月10日は忘れようもない土空(ツチウラカングンコウクウタイ)爆撃の日です。 一緒の班の白川義男が直撃弾で吹きとびズボンの左内側の第42分隊第6班白川義男と自分で書いた4cm四方の布きれだけが見つかって、両親に送られただけでした。 そして私がいた防空壕は艦上機の最初の爆撃では被害はなかったが、折り返しの爆撃はすく近くに二つ落ち私は助かったが違う班の並木君は手と足の肉をそがれ、手当てをして間もなく「敵機襲来!総員第二練兵場へ退避せよ」の厳命により畑のようになった第一練兵場へ彼を寝かし、逃げたのです。
その後茂原飛行場へ配属となり、そこでも大変な爆撃に何度も会いました。 私はこうした戦争体験で悶々とし、80歳ころまで人に話すことができなかった。
戦後民主主義の言葉に席巻され、軍国主義の言葉で傷みつけられたのです。 だが、真実はそんな言葉ではわかりません。
戦争は国と国の争いであり日本人はみんな一つの流れの中にいて、何故『みんなのために』行動したのが悪かったのか?
「人生は金次第さ」という人がいるけれど、それはみんなの為になるのか? 『みんなのため』には決してならない !!
親子、祖父母、孫たち、子孫 …… 『いのちの伝承こそ』私たちは大事にしなくてはならない、歳をとって自分の考えの到達点をそう決めたのです。
無常偈(ムジョウゲ)にいう
色は匂へと散りぬるを 諸行無常
わが世たれそ常ならむ 是生滅法
有為の奥山けふ越えて 生滅滅已
浅き夢みしえひもせす 寂滅為楽
ん (ん?=それに間違いないとの同意を求める用法)
則天去私も敬天愛人も、一即多・我思我在・裏を見せの句・やせ蛙の句 これらを心の言葉とした人たちも、Donald Keene・寂聴さんの想いも、みんなお釈迦さまの教え‘心経(中核は無常偈)’に心を寄せた人々でした。 私はそう理解しているのです。
‘自分はいったいどういう生き物なのか’という自分への深い洞察をしてきた人たちが大勢いるのです。 世間の名もない人たちですら、こうした人たちがいっぱいいるのです。
「みんなのために」素晴らしい言葉なのです。 みんなのために悪へ進むことはもちろん、論外です。 戦後に「知行合一」という言葉がどれほど大事なのか、耳にしたことがありました。 みんなのために、何をいつどのようにしたらいいのか?
求めて知りえたこと、それを実現すること、そのために何をしたらいいのか?
退職後ホームページを立ち上げた初心に帰り、そのことを念頭にして生まれてくる子供たちのために自分は何をしたらいいかに的を絞ることが筋を通すことだと考えました。 そのために、子供へいのちの願いを伝承する立場の人たちに、どうしたらいいのかを分かりやすい内容の手引きを作ること、その一事に集中しようと腹を決めました。
一番心を使ったのは、赤ちゃんは未熟児としてこの世に生まれてきていることでした。 ほかの哺乳動物は生まれてきても困ることなしに、命をつなぐことを受け継いできているのに、人はそうできないのです。 自分の意思で走り回って遊び、腹がへったら親にねだって生きていきます。 あかちゃんはこうした自立はまだできないのです。
人としての自立までには、親の養育を書くことができません。 人としての言葉を覚えなくてはなりませんし、自分で食事をしたり排便したり、人と交流して遊んだり学んだりする、それが不自由なくできるまでの養育は親を中心とした環境が整っていなければ正常な発育はできないし望まして子供にも成長できないのです。
こうしたことを、宿業期と考えその言葉を使ったのだと私は理解することにしました。 これは間違いない理論だと私は信じています。 宿業についてはいろいろ調べ、考えをかさねてきましたが、仏教語として通常使われなくなってしまったというほかありません。 このことも調べました。
ふつう3~4才頃までの養育と言えば、幼児教育という言葉が多く使われてきました。 私は実質的には宿業期の養育と考えています。
それはまた詳しくしていきたいと思いますが、ここでは赤ちゃん時代をどのような考えで、どのようなことを計画し、どの様に楽しく赤ちゃん時代を伸ばしてあげればいいのか、それに集中して私の考えをまとめてまいります。
以上。
2022/01/19
歌会始の儀
「歌会始の儀」に出席した天皇、皇后両陛下=18日午前、皇居・宮殿「松の間」、代表撮影 皇室の新年恒例行事「歌会始の儀」が18日、皇居・宮殿「松の間」で開かれた。昨年同様、コロナ対策で天皇、皇后両陛下をはじめ出席者は全員マスクを着用し、陪聴者は例年の約100人から20人ほどに絞られた。
今年のお題は「窓」。天皇陛下はコロナが収束し、人々の往来が再び盛んになる日が来ることを願う気持ちを歌に込めた。コロナ収束を願う歌を詠んだのは2年連続で、側近によると「陛下が昨年からずっと持っている思い」という。皇后雅子さまは、昨年9月に赤坂御用地から転居した皇居・御所の緑深い眺めを詠んだ。
両陛下の長女愛子さまは、学業との兼ね合いで欠席したが、成年皇族として初めての歌を寄せた。2018年に英国へ短期留学した際の思いを詠んだ歌で、英国滞在に心を弾ませる気持ちを込めたものという。
<天皇陛下>
世界との往(い)き来難(がた)かる世はつづき窓開く日を偏(ひとへ)に願ふ
<皇后さま>
新しき住まひとなれる吹上の窓から望む大樹のみどり
<両陛下長女愛子さま>
英国の学び舎(や)に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓
※ 今日は小諸の孫の誕生日、愛子さまと同じく満20歳。 すくすく伸びることを願っている。
2022/10/25
天声人語 衆愚政治
米軍普天間飛行場の辺野古への移設をどう考えるか。地元の名護市の人びとは、とうの昔に意思を表明している。1997年、移設の是非を問う住民投票があった。反対票が賛成票を上回り、過半数をしめた
▼この結果をめぐり、「衆愚政治」という言葉を口にしたのが、ときの防衛庁長官久間章生(きゅうまふみお)氏だった。「やるべきではなかった。日本で直接民主制を取っていないのは、衆愚政治は国を滅ぼすという考えからだ」と、投票そのものを批判した
▼沖縄からの反発もあり、久間氏はすぐに、発言は適切でなかったとの釈明に追い込まれる。しかしその後の政府の振る舞いを見ると、直接民主主義であれ間接民主主義であれ、移設への抵抗を示す沖縄の世論を切り捨て続けている
▼「オール沖縄」を掲げて移設に反対した翁長雄志(おながたけし)氏が県知事に当選したときも、聞く耳を持たなかった。辺野古の海に土砂が投入された後の県民投票で、埋め立て反対が7割を上回ったが、作業をやめようとはしなかった
▼そのやり方は家庭内暴力の手口さえ思い起こしてしまう。暴力を振るいながら、絶対的な服従を求める。相手が何を言っても無視するというのも、精神的な暴力にあたる。抵抗する意思を失わせるための手法である
▼基地を受け入れるとも、反対するとも言わない「沈黙」の市長が、名護市で2期目の当選を果たした。反対しても無駄だと思わされてきた末の結果だろうか。過去最低だった投票率からも、諦めの気持ちがにじんでいる。
下平評
最近のニュースを見ていると、資本主義と社会主義の対立といえばいいのか又は米対中ソ対立というのか、「A:B」双方ともに根底に横たわる大きい潮流は所得格差の異常な拡大が横たわっていることに多くの人たちが感じていると思う。
「自由>平等」が異常に目につくのです。
今日の新聞を読んでみると、一般に使われている「民主主義」という言葉は権力者の常套手段として利用されているとしか考えられないのです。 直接どの国の人々も平和を最終的の願いとして持っているのに、それがいろいろの言葉で封じ込まれているとしか言いようはありません。
真実を旨(ムネ)として生きていこうとしていても、それはいつもヘシマゲラレているのです。 それでも何とかしようという気持ちは、世界中の人たちは胸の奥に持ち続けています。 その気持ちはみな持ち続けて生きていると思います。
皆さんのご健闘ご努力を祈っています。
2022/01/30
軍政の悲劇が続くどこの国とは限らない落とし穴
その一 天声人語
「コザ暴動」…… 沖縄
急報で駆けつけると、ヘリコプターの巨大な羽根が住宅街にでんと転がっていた。腕まくりをした米兵が現れ、路地へ規制線を張りめぐらせた。「ここはお前たちの土地じゃないぞ」と市民が声を荒らげる
▼もうだいぶ前になる。沖縄国際大にヘリが落ちた現場は、ほんの小さなきっかけがあれば、たちまち騒乱に転じてしまいそうだった。舞台「hana―1970、コザが燃えた日―」の公演を見ながら、あの緊張感を思いだした
▼コザと呼ばれたいまの沖縄市で、米国統治への怒りを爆発させた群衆が米ナンバーの車80台以上を焼き払った「コザ暴動」。その一夜に物語は進む。松山ケンイチさんらの演じる家族が、経営するバーへ集まる。会話を通じ、ある秘密が明かされていく
▼ちょっとしたせりふにも、沖縄が歩んだ歴史や社会が凝縮されていた。史実の一つひとつをあげれば、この小さな欄はたちまちいっぱいになってしまう。軍、暴、窮。そうした漢字がまとわりつく数多くのものを、小さな島は背負わされてきた
▼脚本を渡された松山さんは、これはきちんと人の話を聞かなくてはいけないと、沖縄を昨年訪れたそうだ。本紙デジタル版にその時の話があった
▼「ある居酒屋のおかあさんから『せりふは覚えればしゃべれるけど、歴史は自分の足で歩いていかないと無理だよ』と言われたのが強く印象に残っています」。市井にこうした言葉が埋まっている。それもまた、歴史に振り回された人々の営みゆえであろう。
その二 (弾圧と抵抗 ミャンマー政変1年:上)
命も、絆も、国軍は奪った 恋人「彼女を忘れないで」
ミャンマー国軍がクーデターで全権を掌握してから2月1日で1年となる。現地の人権団体によると、国軍の弾圧による犠牲者は約1500人。デモ中に撃たれ、墓を掘り起こされるなどして犠牲の象徴となった当時19歳の女性チェーシンさん(愛称・エンゼル)の恋人が朝日新聞の取材に応じ、「彼女の無念を忘れてほしくない」と語った。▼2面=失った尊厳、7面=識者に聞く
「人々の記憶から彼女が消えようとしています。忘れられるのが何よりもつらい」。恋人ベイベイーさん(19)は1月13日、初めてメディアの取材に答えた。
人懐っこいチェーシンさんは踊りが得意で、芸能界を目指していた。クーデター後の昨年3月3日、第2の都市マンダレーで国軍に抗議するデモに参加した。フェイスブックには「万が一のことがあれば臓器を提供したい」と書き込んだ。
デモの最前線に立ち、治安部隊とにらみ合った。治安部隊がじりじりと迫り、チェーシンさんは立ち上がって退避しようとした。銃声とともに体が崩れた。銃弾が頭にめり込んだ。
「若い女性が射殺された」との投稿はSNSで瞬く間に広がった。ベイベイーさんも投稿に気づいた。「きっと何かの間違いだ」。遺体が運び込まれた施設に駆けつけると、チェーシンさんの父親が静かに葬儀の手配を進めていた。
悲劇は終わらなかった。チェーシンさんを悼む若者たちでデモが広がると、国軍はチェーシンさんの墓を掘り起こして遺体から弾を取り出し、自分たちの弾ではないと主張した。
チェーシンさんの両親は国軍を恐れて口を閉ざした。国軍が墓を掘り起こしたと報じられた際、墓を見に行こうとすると父親が止めた。「これは本当のことだ。娘のことは外で話さないように。安全のためだ」
ベイベイーさんは、母親がある日、別の弾圧のニュースを見ながら、ぽつりと漏らした言葉を覚えている。「皆の前で泣いて、自分の気持ちを話したい」
犠牲は、デモ中に撃たれたり拷問されたりと理不尽なものばかりだが、遺族は泣き寝入りを強いられてきた。地元記者は「国軍を批判すれば、遺族も拘束されるおそれがある」と指摘する。
弾圧はあらゆる形で続いている。「息子を勘当する。両親は今後、一切の責任を取らない」。昨年10月、ミャンマーの有名歌手マウンマウンルウィン氏が、国営紙の広告欄で宣言した。息子はクーデター後、国軍に対して武力闘争を始めた民主派の「国民防衛隊」を支援し、目を付けられていた。息子と縁を切ったと公表しなければ、国軍から逮捕されたり資産を没収されたりしかねない状況だった。
この一件以降、国営紙には「勘当広告」の掲載が相次いだ。現地メディアによると、多いときには1日15人ほどが国営紙を通じて親から勘当を言い渡された。
国軍の弾圧は犠牲者の尊厳だけでなく、残された人々の絆まで傷つけている。(ヤンゴン=福山亜希)
▼2面=失った尊厳
失った尊厳、心で軍を呪う
「アジア最後のフロンティア」と呼ばれたミャンマーの経済が、クーデター後の混乱で苦境にあえいでいる。国際労働機関(ILO)の推計では、昨年約160万人が失業した。家族を養うために体を売ってしのぐ女性も増えている。▼1面参照
ヤンゴン中心部から北へ車で約20分の幹線道路。日傘を差した民族服の女性たちが等間隔に並ぶ。たまに車が近づいて価格交渉し、宿に向かう。
朝10時から5時間客を待った女性(19)はナンチョーカインと名乗った。果物を売り歩いていたがクーデター後は売れなくなった。売春以外に仕事がない。
たまに国軍の車が通る。「俺たちが嫌いか?」。そうちゃかす兵士もいる。視線は合わさない。「普通に働くためのコネも学歴もない。いつか国軍に自分たちのしたことの代償を払わせてやりたい」
店舗での売春もある。中部マグウェー出身の女性(24)はヤンゴンの工場の作業員として月20万チャット(約1万3千円)を稼ぎ、半分を実家に送っていた。だがクーデター後の工場閉鎖で解雇された。
今はカラオケ店でユヤと名乗って働く。休みは月2日で、店の基本給は月3万チャット(約2千円)。約20人いる同僚の多くが客とホテルへ行き、個別に稼ぐ。
働き始めて3カ月後。常連客の一人にユヤも誘われた。道すがら不安と恐怖が押し寄せた。1回あたり3万~5万チャット(約2千~3200円)。「お金がないばかりに……」。みじめさがこみ上げた。
昨年7月には一時、嗅覚(きゅうかく)を失った。新型コロナウイルスに感染したと感じた。ただ、他に症状はなく、店に出続けた。
ユヤには心を寄せる男性もいた。故郷にいた頃からの知人。「私の仕事がばれたんだと思う。電話もこなくなった」
故郷の母の電話に心を乱される。午前8時に起き、開店にあわせて化粧をしているころに電話が鳴る。店の大音量の音楽や、同僚の声を何度か聞かれた。「母は感づいていると思う。『仕送りはいらない。早く帰ってきなさい。家族でご飯を食べましょう』。毎日、そればかり言う」
店には軍人もくる。無料で飲み食いし、帰っていく。「上司からは政治の話はするなと言われている。私は接客しながら、心の中で彼らを呪っている」
貯金が100万チャット(約6万5千円)たまったら、故郷で雑貨屋を開くつもりだ。「その頃には市民が国軍を倒していると思う」。そう願いながら店に出る。(ヤンゴン=福山亜希)
■続く外資の撤退
「約160万人の雇用が失われた」。国際労働機関(ILO)は2021年の雇用情勢をそう分析する。国内総生産(GDP)も縮小した。世界銀行は21年10月~22年9月に実質GDPの1%の回復を見込むが、そうなっても2年前のGDPよりは15%ほど小さい。
街では求職者の姿が目につく。昨年11月、ヤンゴン北部のラインタヤ地区の工場の前では、30人ほどの若者が座り込んでいた。手には手書きの履歴書。就職面接の順番待ちだという。「給料は日給4800チャット(約310円)。どこも仕事がなく、少しでも募集があるとすぐ行列になる」。20歳という男性が言った。
クーデターの影響が大きいのが、外国企業の動きだ。
ミャンマー投資企業管理局の統計では、20年10月~21年9月のミャンマーへの海外直接投資の認可額は、約4320億円。前年から2割余り縮小し、12~13年以来の水準に沈んだ。
外資の撤退も続く。天然ガス田などを運営する仏トタルエナジーズは1月21日、ミャンマー事業からの撤退を発表した。
日系企業も頭を悩ませている。トヨタが建設していた自動車工場は、ほぼ完成していたが開業できないまま。建設各社が手がけていた工事なども、ほとんど止まっている状況だ。
■日本「妙手なし」
国際社会は有効な手立てを講じられていない。欧米諸国は国軍幹部らに経済制裁を科したが、効果は薄かった。東南アジア諸国連合(ASEAN)は、国軍に暴力の停止などを約束させたが、国軍は治安維持名目で弾圧を続けている。
先進国のなかで最大の援助国だった日本は、「国軍と独自の対話のパイプ」があると強調し、制裁を強める欧米と一線を画してきた。クーデター後は新規の途上国援助(ODA)を見送る一方で、継続中のODAを維持して国軍側との対話路線を堅持した。
だが1年が経過し、手詰まり感が漂う。スーチー氏の釈放を国軍に働きかけるなどしているが、外交的な成果は表れていない。外務省関係者は「膠着(こうちゃく)状態のまま身動きが取れず、いま以上の妙手があるわけでもない」と打ち明ける。(ヤンゴン=福山亜希、シンガポール=西村宏治、菊地直己)
■クーデター後、1499人犠牲
クーデター前に世界中から投資を集めていたミャンマーは今、出口の見えない混乱の中にある。
国軍はクーデター後、市民に実弾を発射し、抗議デモを力ずくで抑え込んだ。現地の人権団体「政治犯支援協会」によると、今月28日までに1499人が犠牲になった。
国軍は取り締まりの手を緩めていない。国軍に批判的なメディアの免許を取り上げ、記者を次々と拘束。拘束後に死亡したカメラマンもおり、拷問の可能性が指摘されている。隣国タイに逃れて取材を続ける記者も少なくない。
スーチー氏を支持する民主派は昨年4月に「統一政府」を立ち上げた。自衛の組織「国民防衛隊」を作り、昨年9月には戦闘開始を宣言した。都市部では国軍施設を攻撃し、地方では少数民族武装勢力と協力して国軍と戦っている。
一方の国軍は、国民防衛隊が潜伏する地域に砲撃や空爆を加えており、大勢の避難民が出ている。
スーチー氏率いる政党・国民民主連盟(NLD)が勝った2020年の総選挙に不正があったと主張する国軍は、23年にやり直しの総選挙を実施するとしている。
◆抑圧下を生き抜く人たちの声を伝える「弾圧と抵抗 ミャンマー政変1年」の(中)と(下)は国際面で掲載します。
※ 連載 いちからわかる!
スーチー氏に有罪判決、相次いで下された
■17の罪で訴追された。国軍は政治生命を奪う狙いだよ
アウルさん ミャンマーの民主化指導者アウンサンスーチー氏に有罪判決が相次いで下されているね。
A 国軍は昨年2月1日、スーチー氏ら国民民主連盟(NLD)政権の幹部を拘束(こうそく)してクーデターを起こし、ミンアウンフライン最高司令官が実権を握(にぎ)った。スーチー氏は17の罪で訴追(そつい)され、5件で判決が出たが全て有罪だ。計6年の禁錮刑(きんこけい)が言い渡(わた)された。
ア スーチー氏は本当に罪を犯したの?
A クーデター後は司法が国軍の統制下にあり、国軍の意に沿う判決が出やすい。裁判が開かれる場所を含(ふく)めすべて非公開のため傍聴(ぼうちょう)できず、昨年10月からは弁護人に箝口令(かんこうれい)が敷かれている。
ア どうやら公正な裁判ではなさそうだね。
A 国軍はNLDが圧勝した2020年の総選挙で選挙不正があったと主張し、クーデターを正当化している。17の罪には選挙不正も含まれているが、外国の選挙監視(かんし)団はおおむね公正だったとしていて、国軍の主張と食い違(ちが)っている。
ア ほかにどんな罪で訴えられたの?
A 無線機を違法(いほう)に輸入・使用したという微罪(びざい)から、最高で禁錮15年の汚職(おしょく)まで様々だ。全て有罪になると100年を超(こ)す禁錮刑になる。
ア なぜ国軍はスーチー氏の有罪を望んでいるの?
A 国民に人気のあるスーチー氏は、国軍の権益を守ってきた憲法を改正したかった。国軍は、やり直しの選挙にスーチー氏を出馬させないため、有罪判決で将来にわたり政治生命を奪(うば)おうとしているようだ。
ア スーチー氏の今の様子は?
A 国軍が用意した建物に愛犬とともに軟禁(なんきん)され、スーチー氏自身も場所を知らされていない。有罪判決後は法廷(ほうてい)で囚人(しゅうじん)服を着させられている。権威失墜(けんいしっつい)を国軍が狙(ねら)ったんだろう。(ヤンゴン=福山亜希)
■質問のテーマを募っています。あて先は wakaru@asahi.com
7面=識者に聞く
中西嘉宏氏、モエ・トゥザール氏
■人道支援、国連頼みばかりでは限界 京大准教授(ミャンマー政治)・中西嘉宏氏
クーデター後は混迷が深まるばかりの1年だった。発端はアウンサンスーチー氏とミンアウンフライン国軍最高司令官の権力闘争だったが、国軍がクーデターで強引に決着をつけようとして、社会や経済、外交にまで危機が広がった。
国軍の強硬姿勢は国際社会の非難を受けても変わらない。国軍は2023年8月までに選挙を実施するとしているが、それまでにスーチー氏が解放されることもないだろう。
東南アジア諸国連合(ASEAN)は、国軍側と合意した「暴力の停止」などの5項目の履行を訴えているが、働きかけは行き詰まっている。国軍にとって民主派の抵抗活動は安全保障上の脅威として映っており、要求に応じる気はないからだ。
最も被害を受けるのは一般の市民たちだ。国外からの新たな投資は望めず、経済は落ち込みが続く。かつてアジアに多くあった開発独裁と違って経済政策を担う官僚勢力が政府内に育っておらず、国軍は有効な経済政策を打てないだろう。
日本政府はクーデター後、存在感を示せていない。在留邦人の命や財産を守るため、国軍との関係を悪化させるべきではないという判断は理解できる。しかし、人道支援分野ではもっと積極的に国軍と接触すべきだ。国連に頼ってばかりでは限界がある。国軍の統治を認めない姿勢は変えることなく、緊急事態にあるミャンマーの市民をどう支援するか、真剣に考える時期にきている。(聞き手・福山亜希)
■平和的抗議の弾圧、新たな暴力連鎖 ISEASユソフ・イシャク研究所(シンガポール)フェロー、モエ・トゥザール氏
この1年ではっきりしたのは、国軍が国を制御できていないことだ。暴力による統制を狙ったが失敗した。注目すべきは、国軍への抵抗の広がりだ。クーデター後の抗議活動は、ほぼ全国で起きた。
2011年の民政移管後の約10年で、人々の意識は変わった。様々な情報が入手可能になり、国際的な考え方にも触れてきた。銃で黙らせることはできない。国軍への抵抗は「国民防衛戦」に発展し、ゲリラ戦など新たな暴力の連鎖が始まった。きっかけは平和的な抗議への弾圧だ。国軍が暴力的な対応を改めない限り、収まらないだろう。
東南アジア諸国連合(ASEAN)は、暴力を止める道筋をつけようとしてきた。混乱が続けば、地域全体に大量の難民が生まれかねないとの懸念がある。昨年4月、ASEANは暴力の停止や人道支援など5項目に合意した。人道支援には、もし国軍側が外国の支援者を受け入れて物資を配るなら、暴力行為は減るだろうとの狙いもある。
西側諸国はすでに、国軍幹部への資金の流れを断つ部分制裁を始めた。ASEANは、首脳会議などにミャンマーの政治代表を呼ばないという外交的重圧もかけた。国軍の態度を変えるには「アメとムチ」戦略を続け、より効果的なバランスを探るしかない。国連にも動きがある。昨年10月に就任したミャンマー担当の国連特使が、様々な関係者との対話を進めている。こうした調整の先行きも、注目すべきだ。(聞き手・西村宏治)
下平評
今日の新聞を見て驚いた。 どこの国にも今現在、軍政の横暴によって困っている人々がいることについてです。
何とかならないものか? 地球の異常気象にしても、蔓延しているコロナ菌にしても、軍政の延長線上にある政治や経済が人々を困窮に追い込んでいることも、所得の格差によっての貧民と共に億万長者の利潤追求にしても、一人ではどうする手立ても打てない有様です。 たとえ、共通認識が広がってもそれぞれの格差を平等の意識で納得できるかどうか、それが問題となる。
この閉塞感は、自由と平等という相容れない観念をどう調整したらいいのだろうかという大きな課題なのです。
識者や宗教家はどう考えているのでしょうか?
2022/01/31
感染の波、高齢者に「弱毒と言われるが強烈な肺炎」 オミクロン株
新型コロナウイルスの感染再拡大が、高齢者にも及び始めた。25日までの1週間で、全国の60代以上の新規感染者は約3万6千人。前週の2・5倍で、「第5波」で最多だった昨年8月末の約1万人を大きく上回る。オミクロン株でも年代が上がるほど重症化しやすい傾向は変わらず、医師は「感染がこのまま広がると、高齢者がたいへんなことになる」と危ぶむ。
新型コロナ患者に対応する重点医療機関として38床を備える埼玉県三芳町の「ふじみの救急病院」。隣接する発熱外来・PCRセンターには27日午後、ドライブスルー方式の検査を待つ車が100台近く列を作っていた。窓口では、受診や検査結果について尋ねる電話が鳴りやまない。
入院しているコロナ患者は15人ほど。これまでは軽症の20~40代が多かったが、60代以上が中心になった。半分以上が肺炎を起こし、そのほとんどが人工呼吸器を着けている。
鹿野晃院長は「入院患者がどんどん高齢化し、重症化している。ワクチンを2回うっていても、接種から時間が経った高齢者は強烈な肺炎になっている。『オミクロン株は弱毒』と言われるが、現場で見た感覚ではそうではない」と話す。
懸念されるのは、入院や重症化の波が、新規感染の波に遅れてやってくることだ。まだ新規感染者の波にピークアウトの兆しが見えず、「絶望しかありません」と鹿野院長は話す。
■重症リスク高め
酸素投与が必要な中等症2と重症の患者を受け入れる千葉市の千葉大学病院でも、ここ数日で急に高齢の入院患者が増え始めた。28日時点で、コロナ病床の11人中4人が60歳以上だ。
「看護に人手が必要になった『第3波』のような様相があります」と猪狩英俊・感染制御部長は案じる。高齢の患者は体力が落ちていると回復に時間がかかり、治療中に持病が悪化する場合もあって入院が長引く傾向がある。
オミクロン株の重症化リスクはデルタ株の半分程度という報告があり、ワクチン接種による重症化予防効果も期待できる。それでも一部の人は重症化し、リスクは高齢になるほど上がる傾向は変わらない。
オミクロン株がいち早く広がった沖縄県で、宮古・八重山医療圏の1~23日のデータを見ると、中等症2になった人は、40~50代では1・4%。60~70代は8・5%、80代以上は21・2%にまで上がる。
■接種間に合わず
爆発的に感染者が増えている状況では、重症者の総数は増えていき、医療の逼迫(ひっぱく)につながっていく。
厚生労働省によると、26日時点で全国のコロナ病床は4万3千床確保されている。すぐに使える病床は3万6千床とされるが、入院患者はここ2週間で1万人以上増え、すでに1万7千人が入院している。
3回目の接種をすれば感染や発症を防ぐ効果は高まるとされるが、28日時点で終えたのは医療従事者らを含む約342万人にとどまる。高齢者の追加接種対象者は約3300万人で、「第6波」には間に合わない。
感染症内科医の岩田健太郎・神戸大教授は「高齢者に感染が広がり、今後は死者が少しずつ増えていく」と指摘する。「『こうすればいい』と一言でまとめられないが、同居していない人との外食はしないといった、きめ細かな対策が今、必要だ。テレワークの徹底も求められる」と話す。(林義則、熊井洋美)
下平評
今日のニュースでは、高齢者は大変のようだ。 免疫力の強化が大事になる。
在日米軍という存在が、日本政府や自治体の手の届かないところにある。 ◆線引き ◆下平評
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2022/00/00
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