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続折々の記 ⑩
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 08 】02/06
       ユダヤ教の聖典「タムルード」教えや内容
       消えた大ジャンプ スーツ違反、明暗を分けた2cm
         そして高梨は飛んだ
       小林陵「金」、レジェンド伴走 「師」葛西の夢実現
       陵侑、世界一ぶっ飛んだ ジャンプ・男子ノーマルヒル
       全部、全部、高木美の通過点 スピードスケート・女子1500
       中国の名手、教えてくれた  フィギュア団体「銅」
       火山大国に生きる 鎌田浩毅、杉森玲子、ヤマザキマリ

 2022/02/06 
ユダヤ教の聖典「タムルード」     教えや内容

キリスト教やイスラム教の起源でもあるユダヤ教は旧約聖書を唯一の聖書としていますが、実はその他にも聖典と呼ばれる「タルムード」と呼ばれるものが存在します。ユダヤ人の間で深く生活に根付いてきた「タルムード」の教えや内容とはどんなものなのでしょうか?

目次
  1 キリスト教、イスラム教の起源となったユダヤ教
  2 ユダヤ教とは?
  3 著名なユダヤ人
  4 タルムードとは
  5 タルムードの内容
  6 タルムードによる知恵
  7 タルムードによる選民思想
  8 タルムードによるユダヤ教の教育
  9 ユダヤ教の教育の原点
  10 タルムードとユダヤ教

1 キリスト教、イスラム教の起源となったユダヤ教

皆さんは実はキリスト教やイスラム教がユダヤ教から派生した宗教であることをご存知でしょうか?全ての宗教で信仰されている神は全て同じ神なのですが、宗教それぞれで神の言葉を代弁する者が違うためにこの3つの宗教は遥か昔から長い時間をかけて争ってきました。

今回は日本にはなじみの薄い3つの宗教の元祖ともいえるユダヤ教と、ユダヤ教で使われている聖典「タルムード」について詳しくご紹介します。

2 ユダヤ教とは?

ユダヤ教とは、旧約聖書にも記されているように、昔エジプトで奴隷にされていた人々が神の言葉と力を授かったモーゼの手によって救い出され(日本でも有名なモーゼの海割りはこの奴隷の人々を救いエジプト人達を妨害するために行われたものです)、国を作りました。

流浪の民ユダヤ人
しかしその国を敵によって追い出されたユダヤ人は以来国を作ることを許されず現在でもヨーロッパでは国を持たない流浪の民として各地に点在しているそうです。そんな流浪の民であるユダヤ人たちの結束を固めるために神による天地創造の話などをまとめ直したものが旧約聖書であり、この時代の宗教改革によって現在のユダヤ教が確立されたと言われています。

3 著名なユダヤ人

そんな流浪の民ユダヤ人は、非常に頭がいいことで知られています。ユダヤ人は金融業界において手形、株式、保険などを発明してきました。現在の金融業の発展はユダヤ人なくしては成立しなかったでしょう。また天才物理学者アインシュタインや心理学に大きな影響を与え今でも受け継がれる心理学の基礎を作った心理学者フロイトもユダヤ人です。

世界一の頭脳を持つユダヤ人
ユダヤ人はその人口が世界の0.3%にしか満たないのに対し、ノーベル受賞者の20%以上をユダヤ人で占めています。また、ユダヤ人は音楽家も多く輩出し、世界中の文明に大きな影響を与えてきました。
そんな世界一の知能を誇るユダヤ人を教育してきたのがユダヤ教の思想と「タルムワード」の教えなのだといいます。

4 タルムードとは

ユダヤ教では通常聖書として旧約聖書を唯一の聖書としているのですが、その他に「タルムード」と呼ばれる聖典が存在します。

聖書には、モーゼが最初に書き記したとされる旧約聖書の始めの5つの書以外にモーゼの口によって伝えられたユダヤ教の教えがありました。

ラビがこの口で伝えられた教えや思想をまとめたものを「シュミナ」と呼びます。

(因みにラビというのは、タルムードに精通しユダヤ教の指導者的立場にいる、キリスト教で言えば司祭や牧師の立場の人間を指します)

この「シュミナ」には様々な解説が付け加えられました。この解説を「ゲマラ」と呼び、「シュミナ」と「ゲマラ」を合わせた全体を「タルムード」と呼ぶようになったそうです。

タルムードを認めない宗派も
また、このタルムードはユダヤ教においての聖典と位置付けられていますが、正確にはタルムードの権威=ラビの権威であるため、ラビが権威を得ることを良しとしない宗派では、旧約聖書のみを聖書として使用し、タルムードを聖典と認めていない、あるいは否定しているところも存在するのだそうです。

代表的なところで言えばカライ派などが挙げられます。

5 タルムードの内容

タルムードは迫害によって奪われ、タルムード学を学ぶことを禁止されていました。そのため長い時間失われていたことと、時間をかけて少しずつ書かれたために、所々で意味の繋がっていない部分が存在します。タルムードの内容は6つからなり、農業、祭事、女性、法律、お寺、不純や純潔についての教えや思想が書かれているのだそうです。

ユダヤ人の全てが記されているタルムード
タルムード学の原典は全部で20巻、ページ数では1万を超え、それぞれの巻の最後のページは必ず空白になっています。これは、今後も書き加える余地があることを示しているのだそうです。
タルムード学はユダヤ教における教え、思想や知恵の全てであると言えます。

6 タルムードによる知恵

次に聖典タルムードの日本語訳をいくつか見ながら実際にタルムードにはどんな内容が記されているかを見てみます。まず有名な言葉を一つ日本語訳にしたものです。

  自分の言葉に注意せよ、なぜなら自分の行為になるから。
  自分の行為に注意せよ、なぜなら自分の習慣になるから。
  自分の習慣に注意せよ、なぜなら自分の性質になるから。
  自分の性質に注意せよ、なぜなら自分の運命になるから。

これらの日本語訳については、聞いたことがある人もいるのではないでしょうか?この日本語訳は人間の行いの戒めをするためにはとても分かりやすく伝えやすい言葉ですね。

さらにいくつかの日本語訳をご紹介すると

  人を傷つけるものは3つある、悩み、諍い(いさかい)、空の財布である。
  その中でも空の財布が人を一番傷つける。

  時代が新しくなるのではない。我々が新しく生まれかわるのである。

  ほかの人よりも優れている人は、本当に優れているとはいえない。
  以前の自分よりも優れている人を、本当に優れている人と呼べる。

などなど、この日本語訳はキリスト教の新約聖書や旧約聖書とは違い、ユダヤ人が生活をしていくための知恵や教えが書かれていることが分かります。このタルムードがユダヤ人の成功に繋がっていると言われているのも頷けますね。

7 タルムードによる選民思想

聖典タルムードにはユダヤ教の教え以外にも実は差別的な内容も記されています。 その日本語訳を紹介すると

  法廷においてユダヤ人が異邦人をだますことは差支えない。

  異邦人はユダヤ人に賃金を払わなければいけないが、
  ユダヤ人は異邦人に賃金を払わなくてもよい。

  ユダヤ人が異邦人を殺したとしても罪には問われない。

日本語訳にするとこのような内容の言葉が聖典であるタルムードに書かれているのです。また、キリスト教やイスラム教ではよい行いをした人間はみな救われるという教えがありますが、ユダヤ教ではユダヤ人のみが救われ、それ以外の人々は皆滅びると伝えられています。そのため、ユダヤ人は自分たちは神に選ばれた特別な人間なのだという意識を強く持っているのだそうです。

8 タルムードによるユダヤ教の教育

ユダヤ教では幼い頃から膨大な量のタルムードの内容やタルムード学について教えます。 またユダヤ人は小さな頃から考えることなぜ?という疑問を常に持つように教育されます。そのため徹底的に議論することを子供のころから当たり前のように学ぶそうです。

そうやって常に考え疑問を持ち、相手と意見を交わすことによって多面的な考え方や深い思考能力を手にするのだといいます。アメリカの弁護士にはユダヤ人が多いそうなのですが、それはこの影響が大きいのかもしれません。タルムードの内容やタルムード学についても議論されることがよくあるそうでその内容について一部は現代の価値観にそぐわないものもあるという見解も出るそうです。

9 ユダヤ教の教育の原点

ユダヤ教での教育では、宗教の思想によって勉強し続け、知識を蓄えることを教えています。
またユダヤ教ではタルムード学や知識を共有することを非常に重視しており、ユダヤ教徒としてのアイデンティティを確立できるようにタルムード学で子供を教育します。

そしてユダヤ人はタルムード学による思想教育と常に議論をさせるユダヤ教の教育方針によって高い知能を見につけた結果、資本主義者として労働者から搾取する側に回ることが多く、先ほども紹介した選民思想も相まって、歴史的に見てもヒトラーを始めとして反ユダヤ主義を主張する人も少なくなかったと言います。しかし、それは本当に正しいことなのでしょうか?

宗教というものが生き残るためには、歴史の中で政治に利用され、都合のいいように解釈され、また多くの民族を取り入れながら独自性を失っていくか、それができなければ迫害され歴史の中に消えてゆくしかありませんでした。

そんな荒波の中で移民してきたユダヤ教徒はユダヤ教の形を変えずに守っていくため、どの国にも迎合しなくてもいいように、また時の権力者の迫害に耐えられるように、ものによっては野蛮ともいえる選民的思想によって他の民族や思想を拒絶し、長い歴史の中で教育されてきた知能を駆使して他国から利益や権利を搾取する側に回らざるをえなかったのではないでしょうか?

10 タルムードとユダヤ教

ユダヤ教が歴史の中で培ってきた厳しい戒律やタルムードによる排他的で選民的な考えは一見するととても野蛮であり、資本主義、合理主義者としての顔を持つユダヤ人は冷酷な人々の様にも見えます。

しかし一方でそのタルムードによる排他的な選民思想によって紡がれてきた遺伝子と高度な教育により培われた理論的で合理的な考えによって生み出された理論や技術、文化が過去世界の発展にもたらした影響力ははかり知ることができないほど大きなものであり、そしてその教育はこれからも新しい価値を生み出し続けることが考えられます。

私たちが未来の文明のために迫害という歴史を繰り返さないために何より大事なことは、一方的に相手を悪と決めつけずにユダヤ教の教えの様に「なぜ?」という気持ちを持ち続けることではないでしょうか。

 2022/02/08
消えた大ジャンプ スーツ違反、明暗を分けた2cm
そして高梨は飛んだ

写真・図版 写真・図版 【写真】(左)混合団体で2本目のジャンプを終え涙ぐむ高梨沙羅=7日、中国・国家スキージャンプセンター、藤原伸雄撮影

【写真】(右)ジャンプ混合団体、2本目のジャンプ後、肩を落とす高梨沙羅の方へ向かい、励ます小林陵侑(右)
高梨沙羅は103メートルを飛んだ。得点は124・5。スーツの規定違反で失格となり、この得点は消えた。その後もオーストリア、ドイツ、ノルウェーと失格が相次いだ。「強豪国が軒並み失格したことは聞いたことがない」。ソチ五輪で日本のジャンプ女子のコーチを務めた小川孝博さんは、驚きを隠せない様子だった。「スーツは各国の選手がルールの中でギリギリを攻めている。だけど、日本が意図的に違反のスーツを使うことはまず考えられない」 スーツは体にフィットしたサイズに決められている。基本的に女子は2~4センチのゆとりしか許されない。
選手はスタート前に検査を受け、飛んだ後にも抜き打ちで検査がある。主にチェックを受ける場所の一つが腰回りだ。伸縮性のない布などの生地でできた「ベルト」が内側に必要で、そこはゆとり0センチ。ずり下げて股下の表面積を広げるのを防ぐためだ。股下の長さも、見られる。検査は、短い時間で1人が担当するため、見落としもある。この夜、高梨は飛んだ後の検査で両太もものまわりが規定より2センチ大きいとされたという。小川さんは「(高梨は)大会中にやせてしまった可能性もある」と指摘した。
 高梨沙羅(25)の記録が、一瞬にして消えた。

 スキーのジャンプ混合団体。日本の1番手だった高梨は103メートルを飛び、一時は出場10チーム中2位に。ところが、ジャンプの後にスーツの規定違反の判定を受け、1回目は失格扱いになった。

 これが、波乱の幕開けだった。

 今回が五輪初実施。1チーム男女2人ずつ計4人の合計点で争う種目だ。2回目に進めるのは、上位の8チーム。ドイツ、オーストリアの女子選手もスーツの規定違反で記録が取り消された。

 スーツは、表面積を広げて揚力を受けやすくならないよう、体にフィットしたサイズに決められている。ただ、各国ともに違反すれすれのスーツで挑んでいるのが実態だ。

 この夜の高梨は、スーツの両太ももの部分が規定よりも2センチ大きいと判断されてしまった。選手は各部位のサイズを事前に申告しているといい、高梨のスーツは女子ノーマルヒルに臨んだ2日前と同じだった。混合団体までの間にやせてしまった可能性もあり、日本のスタッフは「こちらの確認不足」と語った。

 自分の記録が認められなかったことを知り、泣き崩れる高梨。でも、彼女は一人ではなかった。

 チームメートが寄り添い、抱きしめ、慰めた。

 「この展開なら、何があるかわからない」。男子個人ノーマルヒルで金メダルを獲得した小林陵侑(25)が、そう言って仲間を励ました。言葉通り、日本は8位で2回目に進めた。

 そして高梨は飛んだ。日本の2回目の一番手で踏み切り、98・5メートル。着地するとその場にしゃがみこみ、涙をこらえられなかった。

 その大ジャンプに、2番手の佐藤幸椰(ゆきや)(26)が、3番手の伊藤有希(27)が続いた。アンカーの小林陵は、この日の最長不倒となる106メートルの大ジャンプ。着地し、右の拳を力強く突き出した

 結果は836・3点で4位。上位3カ国は、4人全員が2回ずつ飛んでいた。3位のカナダとの差は8・3点で、距離換算で約4メートル。驚異的な粘りだった。

 高梨と同い年で、幼い頃から刺激し合ってきた小林陵は、言った。「沙羅は2本目、集中していいパフォーマンスを出した。本当にすごいなと思った」

 日本の選手だけではない。ライバル国の選手たちも高梨を抱きしめた。(勝見壮史)

 2022/02/07
小林陵「金」、レジェンド伴走 「師」葛西の夢実現

 沖縄・宮古島の海岸で、海を向いて並んで座る。2人とも、サングラスの奥の目は閉じていた。

 「オリンピックで金メダルをとる。表彰台に立つ」

 葛西紀明(49)は想像すべきことを伝えた。右隣の小林陵侑(りょうゆう)(25)に向かって。

 2019年5月、2人が所属する土屋ホームの宮古島合宿での一場面。監督兼任の葛西が大切にするイメージトレーニングだ。己の経験を教え子に隠さない。中でも、小林陵は特別だ。

 伸びるような飛び出しに「いいジャンプするなあ」。葛西が初めて小林陵を見たのは盛岡中央高時代。才能にほれ、チームに誘った。15年4月、師弟関係が始まった。

 小林陵は練習嫌いだ。葛西は毎日ランニングを欠かさず、断食してまで体重管理をするほどストイック。「ちゃんと練習やれよ」。尻をたたいてくれる先輩の存在が、小林陵の才能をさらに引き出していった。

 「葛西監督は僕の師匠なので。ほぼ全て吸収して、いつも勉強になってます」と小林陵。何でも学ぼうと、葛西の知人との食事会だって遠慮せずについていく。葛西は「仲のいい弟、みたいな感じですかね」。

 18~19年のシーズン、小林陵はワールドカップ(W杯)で初優勝を含む13勝。日本勢男子初の総合優勝を飾った。葛西は調子が下り坂に。一緒にW杯で欧州を転戦することもなくなった。

 小林陵にとっては成績をチェックし、連絡をくれる葛西の存在が心強かった。試合に勝てばLINE(ライン)で「勝ったな」。「つらい時は気づいて励ましてくれた。監督、さすがだなあって」

 葛西は今回、自らが持つ歴代最多を更新する9大会連続出場はかなわなかった。北京にはテレビ解説者として入った。

 男子団体が金メダルを取った1998年長野五輪。葛西はメンバー外になり、競技中の仲間に「(着地で)落ちろ」と言ったほどの負けず嫌い。執念を燃やしてきた金メダルをまな弟子に取られたが、「悔しさはなかった」。小林陵も思いは一緒。「一緒に共有できてよかった」。引き継がれた夢が実現した。(勝見壮史)

 2022/02/07
陵侑、世界一ぶっ飛んだ ジャンプ・男子ノーマルヒル

 本番前の試技を、小林陵侑(りょうゆう)はスキップした。毎週のように試合があるワールドカップ(W杯)では珍しくない。

 ただ、そんなことをしたのは、この日は50人中、ただ1人。一発勝負の五輪では、大胆な作戦だった。

 試合当日の試技でミスが出れば、残っていたいい感覚を失ってしまったり、迷いが生じてしまったりすることもある。所属チームの監督でもある葛西紀明がよく用いた戦法だ。小林陵は言う。「ノリさんがいつもやってること。いいイメージがあった。疲れるからいいかなと、やめました」

 1回目。ヒルサイズに迫る104・5メートルの大ジャンプ。着地でテレマークを決めて、両拳を握った。この会心のジャンプで首位に立ち、栄光に一気に近づいた。

 勝負を分けるのは、ジャンプ台の特徴をどうつかむか、にある。選手は何度か飛ぶことで、助走路の曲線や風の流れを確かめる。試合で初めて飛ぶ台なら、なおさらだ。小林陵は2日間あった公式練習では、飛距離が伸びなかった。「(感触は)良くないですね」

 直前の試合の影響もあった。W杯では、大きな台であるラージヒルが多い。特に五輪前の最後の試合だったビリンゲン(ドイツ)は、ヒルサイズが147メートルと特大。助走路や空中時間が長く、その後にノーマルヒル(NH)を飛ぶと小さく感じて感覚が鈍る。

 W杯総合で小林陵と首位を争うガイガー(ドイツ)は絶不調。公式練習初日、ガイガーは「今の段階では2人とも問題がある」と話していた。

 だが、小林陵の修正力が勝った。動画を確認して助走姿勢を微調整した途端、飛距離が伸びた。前日の試技で、106・5メートルの大ジャンプ。背骨を一つ一つ動かしている意識が持てるまで、神経を研ぎ澄ます。ピラティスなどで磨いた、体を思うように動かす力が、大舞台でも生きた。「イメージ通り動けた」

 2回目も99・5メートルを飛び、計275・0点。優勝が決まるとチームメートに担がれた。「五輪には魔物がいると言われるが」と問われると、すかさずこう返した。

 「僕が魔物だったかもしれない」(勝見壮史)

 ■スパイダーマン、心が躍るままに

 まるで、スパイダーマンだ――。

 左右に跳びはね、相手を捕まえようとしたり、かわしたり。体験教室に来たある小学5年生の動きを見た岩手県のレスリング関係者らはうなった。「将来、絶対に世界で活躍できる」

 ただ、熱烈なラブコールになびいてくれなかった。

 その少年は今、スキージャンプ界を席巻している。小林陵侑、25歳。昨夏に始めたユーチューブチャンネルで、決めぜりふがある。

 「ぶっ飛んでいきましょう」

 岩手県の山間地、八幡平市で育った。父宏典さんは元スキー距離の選手。兄の潤志郎(じゅんしろう)(30)、姉の諭果(ゆか)(27)、弟の龍尚(たつなお)(20)も有名なジャンプ4きょうだいだ。「いわてから世界へ!」を合言葉に有望なスポーツ選手に育ちそうな子どもを発掘する同県の事業で、目立った存在だった。

 事業に携わった1992年アルベールビル五輪スキー複合団体金の三ケ田(みかた)礼一さん(55)は「やる競技やる競技、すぐにある程度できた」。特に見込まれたのがレスリング、スピードスケート、ラグビー。

 自身が大切にしていたのは、楽しいかどうか。小学校時代にやっていた野球で捕手だったのも、「防具がかっこよくて着けてみたかった」。ジャンプだけを続けた理由も「一番、楽しかったから」。

 盛岡中央高までは複合もこなし、全国大会で優勝。10代で海外遠征も経験した。「海外を転戦するとか、かっこいいじゃないですか。いろんな世界を見たいと思った」

 21歳で出た2018年平昌五輪。兄潤志郎が力を発揮できなかった一方、陵侑は「楽しいっすね」。男子個人ノーマルヒルで7位、同ラージヒルは10位。ともに日本勢トップだった。

 18~19年シーズンにワールドカップで初優勝を飾ると連戦連勝。日本勢男子初の総合優勝まで駆け上がった。北京五輪には、金メダル候補としてやってきた。

 スニーカー集めが趣味でファッションにもこだわる。「パリコレ、行ってみたいですね」。金メダルを取ってより有名になれば、華やかな舞台に招待されるかもしれない。そんなことを考え、心を躍らせる。

 中国・張家口の夜空でも、いつものようにぶっ飛んだ。(勝見壮史)

 2022/02/08
全部、全部、高木美の通過点 スピードスケート・女子1500

 レースを終え、高木美帆は天を仰いだ。

 「また、勝つことはできなかったんだな」

 平昌大会と同じ、オランダのブストに敗れ、2大会連続の銀メダル。

 「難しいですね」

 メダルを取った喜びは、高木の心の中にはなかった。

 この4年間、世界のトップであり続けた。2019年に世界で初めて1分50秒台の壁を破り、1分49秒83の世界記録を打ち立てた。今季はワールドカップ(W杯)で3戦に出場して全勝。金メダルの大本命として、この北京のリンクに立っていた。

 ■残り100メートル、ふらつき

 最終組で滑る3組前、ブストが五輪新記録を出した。場内のアナウンスで1分53秒28というそのタイムを聞いた。「私も53秒台の前半を出したいと思っていた。(力を)出せれば勝てると思った」

 焦らず、スタートから攻めた。

 700メートルを通過する地点までは全体の1位のタイム。1100メートル地点では、1位のブストと0秒03の小差だった。

 残り1周の400メートルが勝負だ。だがそこで、高木の足が重くなった。五輪という舞台の重圧か、最後の100メートルの直線でふらつく。左手をひざにつきながら、フィニッシュラインを越えた。

 差は0秒44。4年前、0秒20の差で敗れた相手に、今回も届かなかった。

 「できたところもあるし、できていないところもある」

 「私がオリンピックという舞台で、ブスト選手にまさっていなかったということだと思う」

 完璧な滑りをしないと五輪では勝てない。その難しさを改めてかみしめた。

 ただ、このメダルで高木は偉大な記録を打ち立てた。

 平昌大会で獲得した三つと合わせ、通算4個のメダル獲得は冬季五輪で日本選手として歴代最多となる。

 多くの種目に挑戦するオールラウンダーだからこそ達成できた快挙だ。

 「美帆ちゃんは、あの時からこうなる未来が見えていたんだね」。北海道・帯広南商高時代に指導をした東出俊一さんはそう語る。

 中学生でバンクーバー五輪に出場した「日本の宝」の指導には苦労をした。高木は休みを取りたがらなかったからだ。

 国際大会も国内大会も、トップから高校生年代の大会まで出た。しかも、短距離も長距離も。種目を絞らない。高校1年のころは1シーズンで計50レース以上を滑った。

 ■常識は、気にせずに

 こんなに体を酷使したら壊れてしまう――。

 「今回はスキップしよう」。3年間で何度、そう提案したかわからない。「疲れちゃうし、一つ一つのパフォーマンスも落ちる。そうしたら結果も出ないよ」と説得した。

 スピードスケートは距離別の専門化が進む。短距離と中長距離のコーチは違う。東出さんも、専門種目を決めることが強くなる近道だと思っていた。

 16歳の高木はそんな常識は気にしなかった。一部レースを休もうという提案も断った。「出られるものは全部出たい」。かたくなだった。

 入学したころからどこか淡々としていた。勝っても、納得がいく滑りができないと喜ばなかった。東出さんは「目の前の勝利ではなく、将来のために何をすべきかが、あの時からわかっていた」と振り返る。

 高木は以前、語っていた。「もっと速くなりたいという気持ちをかなえるのに、何か一つに絞る方が遠回りになる感覚があった。全部やることが、自分には一番いい手段だと思っていた」

 個人種目での金メダルは、今回もかなわなかった。だが、今大会はまだ3種目を残す。高木にしかできない挑戦は、まだ続く。(菅沼遼)

 ■(清水宏保の目)直前の強い運動、不安よぎる

 レースから30分ほど前、(高木)美帆はトレーニング用の自転車をこいでいた。しかも自転車用の靴をはき、重いギアで。その姿を見た時、「大丈夫か?」と不安がよぎったのだが、現実になってしまった。

 自転車用の靴をはくと、ペダルに力が伝わり、普通のシューズよりしっかりこぐことができる。その分、ハムストリング(太ももの裏)に負担がかかり、疲れが残る。何も、レース直前にそこまでやらなくても、と思うほど力を込めてこいでいた。

 1500メートルの前日練習で美帆は猛烈なタイムを出した。3000メートルのレースをこなした翌日であるにもかかわらず、3周(1200メートル)を、1周目から26秒、26秒、28秒で滑った。男子並みのタイムに、外国人選手が驚いていた。

 私には、やりすぎかな、と感じられた。

 北京で見る美帆の表情は、いつもと違う。いい意味にとれば、まるで小平奈緒のように、集中して勝負にいっている戦士のようだ。「やるべきことはすべてやる」という気概が伝わってくる。

 しかし、こうも見えてきてしまう。普段やっていない集中の仕方をするため、空回りしている、と。

 数多くのタイトルを持っている美帆だが、足りないものがある。大舞台での、個人種目の優勝だ。

 スピードスケート選手にとって、その年の世界一を競うレースは、五輪と世界距離別選手権だ。美帆は両大会で団体追い抜きでは優勝しているものの、個人種目では勝ったことがない。年間何戦かあるワールドカップでは安定的に力を発揮できても、「この一戦」にピンポイントで合わせることはできていない。

 個人種目は1000メートルと500メートルの残り二つ。そこに向け、美帆に思い出してほしいのは、「威風堂々」だ。チャレンジャーと思うのではなく、国内でのレースのように、「自分はチャンピオンだ」と見下ろすぐらいになること。

 2大会連続銀メダルというすごいことを達成したのだから、肩の力を抜いてもいいでしょう。(長野五輪金メダリスト)

 2022/02/08
中国の名手、教えてくれた      フィギュア団体「銅」、ペア三浦・木原組

写真・図版 【写真】団体ペアフリーの演技で「ツイストリフト」を成功させる三浦璃来、木原龍一組=7日、北京・首都体育館、角野貴之撮影

 三浦璃来(りく)(20)を空中に高く舞い上がらせる。回転して落ちてくるその体を、木原龍一(29)がしっかりと受け止めた。

 木原が「一番自信を持っている」という、このツイストリフト。4日のフィギュアスケート団体、ペアのショートプログラム(SP)でも、7日のフリーでも、演技の最初に組み込んだ。“りくりゅう”の愛称で呼ばれる2人の売りの一つだ。

 2019年7月、新しいパートナーを探していた2人は名古屋で試しに演技をしてみた。三浦からの熱烈なラブコールが始まりだ。

 その時、2人で初めて試したのがツイストリフトだった。木原はその瞬間を鮮明に覚えている。

 「雷が落ちるってこういうことなんだ。絶対に合う。そう確信しました」

 木原はもともとツイストリフトに苦手意識があった。克服するために投げ方を変えた。

 ポイントは足元にある。以前は両足を氷につけた状態で投げていたが、いま木原が三浦を投げる時、その両足はかすかにジャンプしている。この技術を授けてくれたのは「ペア大国」と呼ばれる中国の選手だった。

 17年2月の四大陸選手権(韓国)。ツイストリフトがうまくいかず、当時の木原は「どうしていいか分からなかった」という。一緒に出場していた八つ年上の張昊(チャンハオ)に打ち上げ会場で頭を下げた。「やり方を教えて下さい」と。

 張昊は、隆々たる筋肉を持つ、中国を代表するペアの男子選手。五輪5大会に出場し、06年トリノでは銀メダルを獲得した。4回転のツイストリフトを成功させた名手だった。

 張昊の答えは、「ここはさすがに場所が狭い。来週、冬季アジア大会で日本に行くから、その時に教えてあげるよ」。木原の緊張とは裏腹に笑顔だった。

 翌週、冬季アジア大会が札幌で行われた。優勝し、記者会見を終えた張昊が、木原が待つウォーミングアップエリアに来てくれた。自身の女性パートナーまで連れて。

 2人とも試合を終えたばかりなのに、「こうやってやるんだよ」と実際にパートナーを空中に投げてみせ、足や手の使い方を伝授してくれた。習得するための練習方法まで教えてくれた。

 木原は言う。

 「張昊さんに教えてもらってから、自分のツイストリフトが徐々に変わっていった。三浦さんとの相性の良さはもちろんありますけど、今は一番自信をもって戦える武器になっている」

 教えてもらった投げ方は、決まれば確かにパートナーが高く上がって見栄えがいい。ただ、両足を氷から離す分、不安定だし、リスクも高い。習ったからすぐにできるわけではなく、耐えられる全身の筋力が必要だ。タイミングも、テクニックも。何か一つ欠けても決めることはできない。

 この日のフリー、三浦・木原組は団体戦で過去最高の2位に入った。「平昌の後、ペアが強くならないと永久に団体のメダルのチャンスはないと思っていた」と木原。

 張昊に教わってから5年。その母国で日本に初の団体メダルをもたらした。(坂上武司)

 2022/02/08
(耕論)火山大国に生きる
鎌田浩毅さん、杉森玲子さん、ヤマザキマリさん

 トンガでの海底火山の噴火が世界を驚かせた。小笠原諸島でも海底火山の噴火が起きた。日本は世界有数の火山大国。しかし、災害のリスクを私たちはどこまで考えているだろう。

 ■20世紀感覚でいる危うさ 鎌田浩毅さん(地球科学者)

 日本には111の活火山があり、どれもいつ噴火してもおかしくありません。そのうち、2011年の東日本大震災の後、地下のマグマだまりが不安定になった火山が20ほどあると私は考えています。

 一番危険なのは富士山でしょう。東日本大震災の4日後に富士山の地下で大きな地震が起きた。それがマグマだまりに影響を与えた恐れがある。次に何かあれば噴火につながりかねないと思います。

 きっかけになりうるのが南海トラフ巨大地震です。その一部である東海地震が富士山のマグマだまりに影響し、噴火を誘発するかもしれない。

 富士山は50年から100年に1度は噴火していました。しかし、1707年の宝永噴火から300年以上噴火していない。マグマがたまり続けているはずで、次の噴火は大規模だと予想されます。

 昨年3月、富士山のハザードマップが改定され、マグマの噴出量が倍近くに修正されました。溶岩が南側に流れれば、東名高速道路と東海道新幹線が寸断されてしまう。

 大量の火山灰も首都圏全体に降ります。火山灰は目やのどに入れば炎症を起こす。雨が降ると、しっくい状に固まって下水道を詰まらせる。電気・水道・ガスといったライフラインがすべて止まる恐れもあります。都市機能や生活をどう維持するかを今から考えておく必要があります。

 今回のトンガの海底火山噴火は、火山爆発指数(VEI)が5~6と見積もられています。VEI7以上の巨大噴火は、日本ではだいたい1万年に1回起きます。一番新しいのは7300年前の鬼界カルデラ噴火で、南九州の縄文文化が壊滅しました。

 巨大噴火は日本以外の場所で起きても、気候の寒冷化などの被害が出ます。1991年のフィリピンのピナトゥボ火山噴火で地球の気温は0・5度低下した。1815年のインドネシアのタンボラ火山噴火では、北米で「夏がなかった」と記録されています。

 20世紀は、世界で巨大噴火が非常に少なかった特異な時期です。しかし、18、19世紀には巨大噴火がかなり起きている。噴火リスクを20世紀の感覚で考えてはいけません。

 地震と噴火の違いは、噴火はある程度予知できることです。マグマの上昇が火山性地震や微動で観測されれば「噴火は近い」といえる。傾斜計で山のどこが膨れたかがわかれば、噴火する場所も予知できる。事前の避難が可能になり、被害も抑えられます。

 問題はトンガのような海底火山です。日本の活火山のうち、約3割が海にある海域火山です。海底火山には地震計や傾斜計が設置できず、噴火予知が難しい。トンガや福徳岡ノ場の噴火は、海底火山にもっと注意を払うべきだという教訓になります。(聞き手 シニアエディター・尾沢智史)

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 かまたひろき 1955年生まれ。京都大学名誉教授・特任教授。専門は火山学。「富士山噴火と南海トラフ」など著書多数。

 ■暮らし一変の歴史、各地に 杉森玲子さん(歴史学者)

 毎年のように起きる豪雨や地震に比べ、火山の噴火は少し縁遠いと感じる人もいるかもしれません。しかし日本の歴史をひもとくと、大きな噴火は甚大な被害をもたらし、人々の暮らしを変えてきた実態が見えてきます。

 噴火の状況や被害、人々の対応について具体的に記す史料が残っているのは主に18世紀以降です。1707年に起きた富士山噴火は、偏西風の影響で江戸や房総半島など広範囲に火山灰が達したことで有名です。江戸の旗本が残した日記からは、噴火による空気の振動「空振」や火山雷と見られる自然現象を読み取ることができます。

 富士山に近い地域では、あらゆる生活基盤が破壊されました。例えば、火口から約10キロの村では高温の軽石などで37軒が焼失、39軒は砂の重みで潰れました。砂が3メートルほど積もり、田畑も水路も使えない。時期は現在の12月中旬、麦の作付けが終わった頃です。収穫は絶望的で、たちまち飢餓に直面しました。道が埋もれ物流に支障が出ます。

 山麓(さんろく)ほど砂が降らなかった地域でも二次災害が起きました。住民が苦労して取り除いた砂は、捨てられた場所から雨で川に流入し、下流域で川底を押し上げ、洪水をくり返し起こしたのです。

 幕府も手を打たなかったわけではありません。被災地を直轄領にして砂の除去と治水工事を進めますが、地形的にも技術的にも難しい。すべての領地が返還されるまでに80年近くかかりました。

 1783年の浅間山噴火では、現在の群馬県嬬恋村にあった鎌原村で477人が亡くなりました。高台にある観音堂の発掘調査で、折り重なった女性2人の遺体が見つかり、女性は年長者を背負って逃げようとしていたと推測されています。

 社会の変化を見てとれる噴火もあります。明治期の1888年の磐梯山の噴火では、山体が崩壊して集落が埋没しました。噴火後まもなくの状況を版画や文字で新聞が広く報道したことで、多額の義援金が集まりました。全国的に被災者支援の動きが広がった先駆け的な出来事です。

 火山の寿命は長く、桜島のように頻繁に噴火する山もあれば、何百年、何千年という間隔で活動する山もあります。記録の限界や経験の継承の難しさはありますが、決して遠い存在ではありません。

 直接的な影響が少ない地域でも二次災害が起こりえます。復旧や復興に長期間かかることや、高齢化の進んだ現代では避難も課題です。それは豪雨や地震など、ほかの災害となんら変わりありません。火山と災害の歴史を知り、自分が住む地域の地理や社会の抱える課題に目を向けることが、備えの第一歩になるのではないでしょうか。(聞き手・富田洸平)

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 すぎもりれいこ 1969年生まれ。東京大学史料編纂所教授。専門は日本近世史。共著に「歴史のなかの地震・噴火」。

 ■古代ローマの知恵と教訓 ヤマザキマリさん(漫画家・随筆家)

 イタリアは日本と同じ火山大国です。漫画「テルマエ・ロマエ」で古代ローマ時代の特徴である浴場や温泉の文化を描きましたが、その背景にある火山については多くを伝えられませんでした。そんな火山の多い国を象徴する生き方をしていたのが、博物学者で知られるプリニウスです。

 彼は紀元79年、南イタリアのポンペイを埋没させたヴェスヴィオ山の噴火で亡くなりました。そこで暮らしてきた古代ローマ人が火山や地震とどう向き合ってきたのか。彼を通して、古代ローマと日本を比較したい。そんな構想を東日本大震災の前からずっと温めてきて、とり・みきさんと共作して描いているのが漫画「プリニウス」です。

 当時の人々は火山や雷などの天災を神の仕業ととらえていました。しかし、知識欲が旺盛な彼は迷信を信じていません。古代ギリシャの文献を読み、現象を理詰めで考察したのです。地震については、地中の風が出口を探して地面を揺らしていると解釈していたようです。火山に関する知識と経験則があったプリニウスは多くの人が逃げ去る中、逆にヴェスヴィオ山の麓(ふもと)へ向かい、命を落としました。

 彼の人となりに関する記録は少ないのですが、地球全体を俯瞰(ふかん)するかのように観察していた人物だと私は考えます。だから、動植物や地質学など森羅万象について彼が著した全37巻の「博物誌」はルネサンス期に再評価され、いまでも新鮮と思えるようなことを書き残せたのではないでしょうか。

 古代ローマ人の生活からは地震の多い国で生きる知恵や教訓を見て取れます。南部の都市パエストゥムにある紀元前6世紀ごろのギリシャ様式の神殿遺跡は固い岩盤の上に建てられ、揺れても倒れない構造です。紀元62年にポンペイの大地震を経験した後には耐震効果のあるレンガ壁が考案され、海底の火山灰を使った粘着性の強いコンクリートも使われていました。2千年前の彼らの文明水準の高さが分かります。

 しかし、築いた文明が噴火によって一夜で壊滅してしまうことをポンペイの遺跡は示しています。イタリアには「カルペ・ディエム」(その日を摘め)というラテン語の格言があります。きょう一日を謳歌(おうか)して生きろ、という意味合いですが、災害の多い国ならではの考え方です。

 そんなイタリアに住む友人からも「火山がたくさんあって、地震も多い日本によく住んでいられる」と驚かれます。今回、トンガ諸島の海底火山の映像を見て、いつの時代も地球が持つエネルギーは容赦ないと感じました。大自然の脅威に人はあらがえませんが、謙虚に生きることが、いざという時の冷静さにつながると考えています。(聞き手・笠井正基)

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 17歳でイタリアに渡り、現在はイタリアと日本に拠点を置く。「プリニウス」は文芸誌「新潮」で連載中。

下平評

中国で行われている冬季オリンピック。 四日目になるが、その中で目を引くものとして今日は取上げました。
小さい時から鍛えてきたものはこうしてオリンピックで見事な成長ぶりを表してくれているのです。 オリンピックは運動技能を鍛えてきていますが、運動能力だけでなく精神的な面でも両立していることを見せてくれました。

こうした人としての成長は、幼児期からの環境によって運動に限らずその他のあらゆる人の生活様式の中でも断面として現われてくるのですね。 いろいろ感銘を受けました。

ひるがえって、自然環境の面でも人々の気をつけなければならない事とて、災害の記事が出ていました。これまた人に役立つ事としては大事なことでした。 ありがたいことです。

在日米軍という存在が、日本政府や自治体の手の届かないところにある。 ◆線引き  下平評

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 2022/00/00
     

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