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【 06 】02/01
世界の新型コロナ感染者
都の病床使用率、49.2%に
ビルマの軍政 ミャンマー政変1年:下
経済安保、事業者に罰則案 有識者提言 月内にも法案提出
中国念頭、衆院で人権決議
経済安保、難しいかじ取り 官邸内「ざる法では意味ない」
公明「罰則重い」の声も
中国明記せず、公明に配慮 自民強硬派など不満 人権決議
石原慎太郎逝く 得手勝手な男
インタビュー)本土から聞き続ける沖縄
2022/02/01
オミクロン株蔓延 東京で1万数千人の罹患
その一 (1月31日午後5時現在)
世界の新型コロナ感染者
■世界の新型コロナ感染者
国 名 感 染 者 死 者 米国 7433万3001 88万4260 インド 4130万2440 49万5050 ブラジル 2536万0647 62万7150 フランス 1917万9882 13万1576 英国 1658万2263 15万6222 ロシア 1154万7333 32万4060 トルコ 1152万6621 8万7234 イタリア 1092万5485 14万6149 ドイツ 984万6032 11万7790 スペイン 977万9130 9万2966 インドネシア 434万3185 14万4303 フィリピン 354万5680 5万3891 韓国 84万5709 6755 シンガポール 34万8330 854 中国 11万9831 4849 日本 267万7602 1万8764 世界計 3億7475万3289
(+216万2460)566万4267
(+5662)(感染者の多い10カ国と、日本と往来の多い国。米ジョンズ・ホプキンス大の集計から。カッコ内は前日比。日本の数字は集計方法が異なるため、1面・社会面と一致しない)
その二 (1月31日午後5時現在)
都の病床使用率、49.2%に
新型コロナウイルスの国内感染者は31日午後8時半現在、新たに6万843人が確認された。前週(24日)から1万6046人増え、月曜日として最多。30日時点の重症者数は16人増えて783人だった。48人の死亡が確認された。
都道府県別で最多だったのは東京都の1万1751人。都が50%で「緊急事態宣言」の要請を検討するとしている病床使用率は31日時点で49・2%となった。
また、兵庫県は31日から従来の感染者に加え、症状のある濃厚接触者で医師らが検査せず「疑似症患者」と診断した人を新規感染者に含めると発表した。
■新型コロナウイルス感染者(1月31日午後8時半現在)
国内の確認 274万4186人(+6万843)/死者 1万8816人(+48)
都道府県 感 染 者 死 者 ◆北海道 92314(+2266) 1502 ◆青森 10044(+204) 41 ◆山形 4744(+142) 53 岩手 21604(+372) 118 秋田 4158 (+83) 27 宮城 5655(+156) 56 ◆福島 13368(+383) 178 ◆茨城 36196(+942) 225 ◆栃木 24218(+483) 127 ◆群馬 29860(+711) 191 ◆埼玉 168981(+3611) 1068 ◆千葉 145977(+3344) 1051 ◆東京 577783(+11751) 3201 ◆神奈川 246511(+7001) 1343 ◆新潟 16378(+266) 63 富山 7126(+201) 52 ◆石川 12815(+442) 141 福井 5614(+201) 38 山梨 9321(+197) 35 ◆長野 17622(+431) 98 ◆岐阜 28987(+494) 225 ◆静岡 46558(+771) 212 ◆愛知 169212(+3982) 1194 ◆三重 22290(+467) 172 滋賀 23024(+464) 106 ◆京都 65274(+2216) 298 ◆大阪 331423(+6243) 3120 ◆兵庫 131051(+3002) 1426 奈良 26254(+987) 153 和歌山 11063(+318) 67 鳥取 3594(+97) 5 ◆島根 4188(+62) 6 ◆岡山 26067(+719) 139 ◆広島 50011(+1041) 244 ◆山口 13157(+255) 100 徳島 4829(+130) 67 ◆香川 8470(+214) 41 愛媛 10327(+169) 85 高知 5970(+95) 37 ◆福岡 124074(+2914) 653 ◆佐賀 11418(+425) 33 ◆長崎 14263(+407) 75 ◆熊本 28299(+594) 144 ◆大分 13559(+377) 85 ◆宮崎 11347(+242) 43 ◆鹿児島 16460(+390) 71 ◆沖縄 82835(+480) 399 その他(空港
検疫など)9893(+101)・ 8・ 入院・療養中 58万3603人(+4万1047) うち重症 783人(+16)2022/02/01 (弾圧と抵抗 ミャンマー政変1年:下)
退院・療養解除 204万5676人(+4万1180)(31日午前0時現在)
総数 274万4909人(+6万843)/死者 1万8829人(+48)
(総数にはダイヤモンド・プリンセス乗船者を含む。◆は「まん延防止等重点措置」の地域。カッコ内は前日最終集計との比較。都道府県と厚労省の発表は一部重複する。再陽性は延べ人数で計上)
総接種数(接種率) 1億144万3165(80.1%) 9975万7353(78.8%) 408万1217(3.2%)
SNSの力、団結と分断と 「国軍寄り」と非難、配信停止
クーデターが起きたミャンマーで市民を団結させ、国軍の弾圧の実態を世界にさらしたのはSNSの力だ。だがSNSが追い詰めたのは国軍だけではない。
「諸般の事情により、ニュース配信を停止します」
第2の都市マンダレーに本部を置く現地メディア「ボイス・オブ・ミャンマー」(VOM)は昨年12月23日、元日からニュース配信をやめると発表した。
すると、「いいね」や笑顔マークが約2千も押された。「早くやめるのが国のためだ」。寄せられたコメントの約9割が、配信停止を歓迎する内容だった。VOMを「国軍寄り」とみなした人たちの投稿だった。
VOMは元BBCビルマ語放送記者のネイミョーリンさん(46)が2018年に創設。約20人の記者を抱え、SNSのフォロワーは100万人を超えていた。
だが、クーデター後はSNSで非難され続けた。国軍が首都ネピドーで開いた会見に記者を派遣すると、「国軍の統治を認めたのか」「なぜボイコットしないのか」と糾弾された。
VOMが国軍寄りだったわけではない。現にネイミョーリンさんは昨年4月、国軍が嫌う「クーデター」や「軍事政権」などの表現を使い、拘束されている。
6月に解放されたが、今度は「国軍寄りのメディアだから解放された」と中傷された。そして10月。民主派が立ち上げた「国民防衛隊」はVOMを非難する声明をSNS上に発表した。「VOMは国軍のプロパガンダを流すメディアだ」
国民防衛隊は国軍との武力闘争を掲げ、国軍関係者らを各地で暗殺しているとされる組織。安全を優先させ、VOMはニュースの配信停止を決めた。
今年1月、VOM事務所の玄関に「フォト&スタジオ」の紙が貼られた。取材用の撮影機材を使ってネイミョーリンさんは結婚式のカメラマンを始めた。「この国に色々な意見を受け入れる多様性も報道の自由も育たないまま、クーデターが起きてしまった」
□ □
現地のシンクタンク研究員ティンザーアウンさん(35)は、市民が職務を放棄して国軍に抗議する「不服従運動」に違和感を持ち、反対意見をSNSに投稿した。すると、非難が殺到。削除に追い込まれた。
問題の解決には対話しかないというのが持論だが、「多くの血が流れすぎた。今さら対話が大事だと言っても、誰も聞き入れてくれないかもしれない」。
1980年代の民主化指導者で政治犯として19年以上投獄されたコーコージーさん(60)は、クーデター後、民主派と国軍の対話の仲介役を買って出た。だが支持は広がらず、国軍と対決しない姿勢をSNSで非難され、脅迫も受けた。「弾圧の残忍な映像がSNSで繰り返し拡散され、大衆は感情的になった。対話による解決策を信じなくなったようだ」と指摘する。
□ □
退役軍人も標的になった。幹部だけが潤う国軍の体質に嫌気がさし、クーデター直前に退役した30代の男性は、「元軍人」というレッテルを貼られ、SNSで批判された。「早くミャンマーを出たい」と話す。
「内心、クーデターに反対の軍関係者は少なくない」と語る現役の30代の尉官もいる。軍の知り合いの中には国民防衛隊に両親を殺された者も。「兵士の家族も守れないのに国の統治ができるものか」と憤る。
国軍におびえる市民だけでなく、上官の命令で市民に銃を向ける軍人たちもまた、やり場のない不安を抱えている。(ヤンゴン=福山亜希)
2022/02/02
経済安保、事業者に罰則案 有識者提言 月内にも法案提出
岸田政権が目玉政策に掲げる「経済安全保障推進法案」の制定に向けた有識者会議(座長=青木節子・慶応大大学院教授)は1日、提言をとりまとめた。政府は今月中にも法案を国会に出し、成立を目指す。先端技術分野で米中が覇権争いをするなか、経済安保での対応が課題とされる。ただ、法案には事業者への罰則規定も検討されており、経済界には国の関与が強まることへの警戒感も根強くある。▼2面=難しいかじ取り
法案は4本柱で構成する。「サプライチェーン(供給網)の強化」では、経済活動に不可欠な重要物資について工場整備や備蓄などを国が財政支援する。物資には半導体や医薬品、レアアース、蓄電池が想定され、国が機動的に指定・解除できるようにする。
サイバー攻撃に備えた「基幹インフラの事前審査」も柱だ。エネルギー、水道、情報通信、金融、運輸、郵便の6分野で、重要システムを新たに導入する際、国が懸念のある外国製品が使われていないかを審査。必要に応じて勧告や命令を出せるようにする。
宇宙や人工知能(AI)、量子、バイオなどの先端分野で国際競争力を持つため「先端技術の官民協力」も重視。他国への技術流出の防止を狙い、武器や原子力などの機微技術をめぐる「特許非公開」も盛り込んだ。(安倍龍太郎)
■<視点>対中、経済と安保どう融合
日本は、安全保障では同盟国・米国を最重要視しつつ、最大の貿易相手国である中国との経済協力も重視してきた。その政府が「経済安全保障」に本腰を入れる背景には何があるのか。
軍事・経済・技術力の各分野での中国の台頭への警戒感が増し、新型コロナウイルスで露呈したマスク不足など、サプライチェーンの一国依存のリスクを体感した。また、日本に対し、中国を「戦略的競争相手」と見据える米国が、経済・技術でも同調を促している。
確かに、「軍民融合」を掲げる中国への機微技術の流出や、強い経済力を背景にした外交・安保での揺さぶりを防ぐため、ある程度の規制は必要だろう。だが、とにかく対中牽制(けんせい)で米国と一体化すればよいというものではない。
経済安保戦略は、日本では交わりの薄かった「安保」と「経済」をいかに融合させ、日本の国益を最大化させるかにその本質がある。対立でなく、武力衝突など緊張を招かぬよう、経済も加味して「抑止」の手段をどう練るかも重要だ。
今後、政府が提出する経済安保推進法案に、こうした視点があるか、また、罰則など政府による民間への規制強化や介入で、民主主義を構成する「自由な経済活動」を阻害する恐れがないか、注視していきたい。(編集委員・佐藤武嗣)
▼1面
中国念頭、衆院で人権決議
衆院は1日の本会議で、中国の新疆ウイグル自治区などでの人権侵害を念頭に置いた決議を採択した。れいわ新選組のほか一部議員が反対し、全会一致とはならなかった。4日に開幕する北京冬季五輪前の採決をめざして与野党が調整していた。▼4面=公明に配慮
決議は「中国」という具体的な国名を盛り込まず、「人権侵害」や「非難決議」という文言も明記せず、日中関係に一定の配慮をした形となった。「新疆ウイグル、チベット、南モンゴル(内モンゴル自治区)、香港」を挙げ、「国際社会から深刻な人権状況への懸念が示されている」と指摘。「国際社会が納得するような形で説明責任を果たすよう強く求める」とした。(楢崎貴司、吉川真布)
▼2面=難しいかじ取り (時時刻刻)
経済安保、難しいかじ取り 官邸内「ざる法では意味ない」
公明「罰則重い」の声も
【写真・図版】経済安全保障推進法案のポイント
岸田政権が今国会での成立を目指す「経済安全保障推進法案」には、企業への罰則を盛り込むことが検討されている。「軍民融合」を掲げる中国への警戒は高めなければならないものの、引き換えに民間企業の経済活動への国の関与は強まる。与党内や経済界からは戸惑いの声が上がり、米中覇権争いのはざまで、日本は難しいかじ取りを迫られている。▼1面参照
「中身の詰まった提言書を頂いた。しっかりと受け止め、法制化の準備を加速していきたい」。1日、有識者会議の提言を受け取った小林鷹之経済安全保障相は、こう述べた。
経済安保は、岸田文雄首相が「待ったなしの課題」と位置づける。政府は推進法を機能させるため、企業などに罰則を設ける方向で検討を進める。官邸関係者は「抜け穴の多い『ざる法』では意味がない」と話す。
「サプライチェーン(供給網)の強化」について、提言は「民間事業者の経営判断だけによっていては、十分に達成することは困難」と指摘した。これを踏まえ、政府は半導体などの重要物資を指定し、物資を生産、輸入、販売する業者に対して報告を求められるようにする。政府関係者は「直接の調達先だけが対象ではない。その先の調達状況を知らない企業が多い」とし、「川上」にさかのぼって調達先を探る考えだ。企業機密を理由にした回答拒否を防ぐため、罰則を設けることも視野に入れる。
「基幹インフラの事前審査」では、政府が電力会社などを指定。その事業者が新たなシステムなどの「重要設備」を導入する際、審査する仕組みを設ける。サイバー攻撃など「外部からの妨害に利用される恐れが大きい」と認めた場合、政府は中止を勧告し、応じない場合は命令、拒否すれば罰則を設ける方向で検討する。
「先端技術の官民協力」では、海外への依存によって、その技術が利用できなくなった場合に国家・国民の安全を損なう恐れのある技術を指定。宇宙や量子、人工知能(AI)などに集中投資し、研究開発を加速化させる。テーマごとに設ける協議会に携わる研究者や法人には、守秘義務を課す方向だ。
「特許非公開」では、安全保障上の機微な発明が指定された場合、外国への出願などを禁じ、違反した場合の罰則を定める。原子力や兵器といった技術が他国に漏れるのを防ぐのが目的で、出願希望者には本来得られるはずだった特許料収入を補償するとしている。
有識者の提言を受け、政府は今後、与党の協議を経て、今月中に法案を国会に提出することを目指す。ただ、課題は多い。
法案の対象となる重要物資をどこまで広げるのか。その線引きについて政令に書き込む方針だが、「指定対象を絞り込むのは難しい」(政府関係者)との声がもれる。重要物資の「半導体」「医薬品」「レアアース」「蓄電池」のうち、医薬品は原料に中国産が多いという問題がある。
また、与党の公明党からは「民間への罰則は重い」との声も上がる。同党は罰則を設けるなら、経済安保で想定する脅威の具体的な例示を求めている。政府は「経済安保は未知の脅威への備え」として明言を避けている。(相原亮)
■事前審査「基準を明確にして」 戸惑う基幹インフラ業界
経済安保推進法案で企業の負担となりそうなのが、「基幹インフラの事前審査」だ。サイバー攻撃を受ければ国民生活への影響が大きいため、新たに規制される。対象となるエネルギーや運輸、情報通信などの業界からは戸惑いの声が上がる。
電力会社では、電気の流れを監視・制御する「系統制御システム」が対象になる見通しだ。安定供給の司令塔として発電所や送電線を監視する設備が想定される。大手電力の関係者によると、システムは国内メーカーから調達しているが、発電所とつながる専用の通信線など関連設備は多岐にわたる。「一つ一つの部品までチェックするのは簡単ではない」と困惑する。
航空会社も、飛行計画の作成システムが対象になるとみられる。全日本空輸は主に日本製や欧米製を採用しているが、「規制の対象が明確でないと、対応に苦慮することが懸念される」とした。JR東日本は、対象となりそうな列車の運行管理システムを国内メーカーと契約している。同社は「求められる内容が明らかになった段階で、対応を具体的に検討したい」と様子を見る。
財界関係者は「『この企業からは買うな』と端的に書いてもらうのが企業にとっては一番楽だ。できないなら審査基準を明確にしてほしい」と話す。
一方、すでに通信業界では「中国離れ」が進んでいる。米国が華為技術(ファーウェイ)など中国企業の製品を排除する動きを強め、日本など同盟国に同調を呼びかけているからだ。ソフトバンクは4G基地局の基幹ネットワーク設備でファーウェイなどの機器を使っていたため、交換作業を進めている。新たな5Gの基地局には、スウェーデンのエリクソンなど北欧2社の製品を採用した。
NTTドコモ、KDDI、楽天モバイルは、4G、5Gともに基地局のネットワーク設備に中国企業の製品を使っていないという。ある通信会社の担当者は「(事前審査などの)ルールが厳しくなると投資決定のスピードがそがれ、設備の構築に影響が出かねない」と警戒する。
「サプライチェーンの強化」への懸念も根強い。企業は部品や原材料を調達する際、コストや納期などの経済合理性をもとに判断する。政府が介入しすぎれば、競争力の低下を招きかねない。「サプライチェーンに手を突っ込まれたくないのが本音」(財界関係者)。
特定重要物資のほかにも、供給が滞れば国民の生活や経済活動に影響する製品や原料は多い。中国からの輸入に頼るものもある。この冬、トラックなどのディーゼル車が走るのに必要な尿素水が品薄になった。中国が原料の輸出を減らしたためだ。経済産業省幹部は頭を抱える。「突き詰めれば多くのものを中国からの輸入に頼っている。国内でまかなうのは難しい」
経団連の十倉雅和会長は1月24日の会見で、経済安保の必要性には理解を示しつつ、「中国との経済関係は維持したい。世界は中国なしではやっていけない」と述べ、バランスの取れた制度設計を求めた。(杉山歩、松本真弥、友田雄大)
▼4面=公明に配慮
中国明記せず、公明に配慮 自民強硬派など不満 人権決議
衆院が1日に採決した中国の人権侵害を念頭においた決議は、「中国」と具体的に名指しせず、「人権侵害」や「非難決議」といった批判色が強い言葉も入れない対中配慮を重ねた文面となった。中国との関係が深い公明党に配慮したためだが、自民党内の対中強硬派や共産党などの野党は不満を募らせている。▼1面参照
採択後、決議案のとりまとめ役だったウイグル関係議員連盟会長の古屋圭司・自民党政調会長代行は記者団に語った。「幅広い政党の了解を得ていくために丁寧に対応した」。全会一致での賛成を目指し、中国を刺激することを避けたい公明党の意向を踏まえたためだ。
採択を目指した昨年末の段階で、決議案には「中国」という言葉を明記しなかった。公明党と協議に入ると、譲歩を重ね、決議案の名称にあった「人権侵害」は「人権状況」に、「非難決議案」は単なる「決議案」と変えた。
古屋氏は「読めばどこの国の話かわかる」と述べたが、党内の対中強硬派などからは「なんのための決議なのか分からない」との不満が出た。古屋氏は先月末になって、中国への批判色を強められないか再検討したが、自民内に「北京五輪が終わってからの採択では意味がない」との意見もあり、修正を見送った。
これに対して、今度は野党からも批判が相次いだ。決議に賛成した共産党の志位和夫委員長は記者会見で「反対理由はなく賛成したが、人権侵害に対する正面からの批判がない。大変不十分なものだ。『中国』とも書いていない」と語った。
本会議では、れいわ新選組が反対して全会一致とならなかった。れいわも中国への配慮を批判した。談話で「腰のひけた決議をやっている感を出すためだけにやるな」と主張した。
公明党の山口那津男代表は定例会見で決議に関連して「日中国交正常化50周年という大きな節目に当たって、中国とより建設的で安定した関係を深めたい」と述べた。
日中国交正常化は公明党の支持母体・創価学会の池田大作名誉会長が訴えた経緯がある。日本にとって中国は最大の貿易相手国で、公明党幹部は今回の経緯を踏まえて「中国と外交問題になってはいけない」とした。(楢崎貴司、横山翼)
◇
決議について、中国外務省の趙立堅副報道局長は1日、談話を出し、日本側に厳正に抗議したことを明らかにした。「中国側はさらなる措置を講じる権利を留保している」とし、報復措置の検討にも言及した。(北京)
2022/02/02
石原慎太郎逝く 得手勝手な男
▼1面 (天声人語)
石原慎太郎さん逝く
すでに6人の有力候補者が名乗りをあげていた。何を言うのか。身構える報道陣に開口一番「裕次郎の兄でございます」。1999年の都知事選への出馬会見には、石原慎太郎さんらしさが凝縮されていた▼型破りな言動、サービス精神、そして早世した弟への複雑な思い。自分のほうが男前だと思っていたと、ミリオンセラーになった『弟』で明かしている。青春のころ、その弟がどんどん羽ばたいていくのを「いささかの屈辱」をもってみていたという▼映画スターの兄であり、最年少の芥川賞作家であり、最多得票で当選した参院議員であり、これほど華やかな経歴の持ち主も多くはいまい。高度成長から経済大国へ。日本という国が、国際社会で自信をつけていく「戦後昭和」という時代を体現した人であった▼政治家としての数々の問題発言を忘れるわけにはいかない。「三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している」「文明がもたらしたもっとも悪(あ)しき有害なものは、ババアなんだそうだ」「(東日本大震災は)やっぱり天罰だと思う」。人権意識の低さにあきれかえることが何度もあった▼それでも人気は衰えず、政界で存在感を示し続けた。それも一因だろうか。「率直」と「乱暴」の違いをわきまえられない、幼稚な政治家が相次いでしまった▼享年89。「僕自身にとっては、肉体こそが自我といえる」(『死という最後の未来』)。青年期から死まで、その一挙手一投足にスポットライトが当たり続けた人だった。
▼1面
石原慎太郎氏死去 89歳 元都知事、「太陽の季節」
元東京都知事で、環境庁長官や運輸相、旧日本維新の会共同代表を歴任した作家の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)さんが1日、都内で死去した。89歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。▼4面=政界に足跡、15面=招致を表明、26・27面=直言も放言も
1932年、神戸市生まれ。一橋大在学中の55年に発表した小説「太陽の季節」で翌年に芥川賞を受賞。23歳3カ月での受賞は当時最年少だった。「太陽の季節」は映画化され、「太陽族」という言葉が生まれるなど社会現象にもなった。また原作・脚本を手がけた「狂った果実」は、弟の石原裕次郎氏が主演して大ヒットした。
68年には参院選全国区に自民党から立候補し、約300万票を集めて初当選。72年の衆院選で転身して旧東京2区で当選し、中川一郎氏らとともにタカ派の若手議員集団「青嵐会」の結成に参加した。
76年に環境庁長官、87年には運輸相に就任した。89年の自民党総裁選に立候補したが海部俊樹氏に敗れ、95年の国会議員在職25年表彰で突然辞職を表明した。
99年の都知事選に無所属で立候補して初当選。4期13年で大手銀行への外形標準課税導入や、ディーゼル車への排ガス規制など独自の施策を展開した。ただ、2005年に都が1千億円出資した新銀行東京は経営悪化。12年には14億円余りの寄付金を集めた尖閣諸島の購入計画も頓挫した。
12年10月、都知事を突然辞任。平沼赳夫氏らと太陽の党を旗揚げした後、橋下徹・大阪市長と日本維新の会の共同代表に就いた。
政治家になった後も作家活動を続けた。89年の「『NO』と言える日本」(盛田昭夫氏との共著)は日米関係に一石を投じ、弟の裕次郎氏を描いた96年の「弟」はミリオンセラーになった。芥川賞の選考委員を95年から12年まで続けた。遺族によると、昨年10月に膵臓(すいぞう)がんが再発したという。
▼4面政界に足跡
国家観・改憲…政界に足跡 石原慎太郎氏死去
自民党から始まり、のちに日本維新の会などの野党に転じて長く国政にも身を置いた元東京都知事の石原慎太郎氏が1日、死去した。歯にきぬ着せぬ物言いは時に物議を醸すこともあり、この日、政界では様々な受け止めが広がった。▼1面参照
「挑戦的な姿勢をずっと取り続けた。物議を醸す発言もされたが、批判を乗り越える強さがあった」。1日午後、自民の安倍晋三元首相は記者団に、石原氏の政治姿勢をこう評した。
2012年末の衆院選は安倍氏が自民総裁、石原氏が維新代表として争ったが、両氏の思想信条は近いとされ、国会審議で石原氏が「総理も私も日本男児として、自主憲法の制定を念願している」と安倍氏に憲法改正を迫る場面もあった。
こうした経緯もあり、かつて石原氏が属した自民からは「偉大な先達が亡くなられて寂しい限り」(岸田文雄首相)、「国家観を語る素晴らしい政治家」(茂木敏充幹事長)、「色々な面で積極的に発言し、大いに指導、触発された」(二階俊博元幹事長)と惜しむ声が目立った。
12年に国政復帰した石原氏と政治行動を一時期ともにした維新からは、人柄をしのぶ声が相次いだ。
松井一郎代表(大阪市長)は「大所高所から色んなアドバイスもいただいた。本当にタフな人だった」と惜しんだ。石原氏が「憲法は日本人の意思がまったく反映されていない」と話していた思い出も語った。馬場伸幸共同代表は、「こわもてで普段は非常にとっつきにくい。べらんめえ口調で、ぶっきらぼうな話の仕方だった」と明かしたうえで、石原氏が新人議員を焼き鳥屋に連れ出していたエピソードも披露した。
一方で、政治的立ち位置が異なる野党からは、立憲民主党の泉健太代表が「発言も様々な意味で世の中に大きく取り上げられる人だった」と石原氏を評した。
共産党の志位和夫委員長は「様々な問題について立場の違いはもちろんあったが、今日言うのは控えたい」と語った。
▼15面=招致を表明
「招致、石原さんがいたから」 東京五輪
89歳で亡くなった石原慎太郎・元東京都知事は、東京五輪・パラリンピックを実現させた立役者の一人だった。石原氏と親交が深かった森喜朗元首相(84)は「大会が成功したかどうかは歴史が判断するだろう。ただ、石原さんがいたから東京で五輪が開けたのは事実だ」と語った。▼1面参照
石原氏は都知事2期目だった2005年9月、都議会で「オリンピック開催を起爆剤として、日本を覆う閉塞(へいそく)感を打破するためにも、日本の首都である東京に招致したい」と述べ、16年夏季五輪招致を正式に表明した。しかし、09年10月の国際オリンピック委員会(IOC)総会で南米初開催をアピールしたリオデジャネイロに敗れた。
石原氏は20年大会の招致に賛意は示していたものの、11年都知事選には立候補せず、当時神奈川県知事だった松沢成文氏を後継とする意向だった。
しかし、自民党の事前調査で、松沢氏は五輪招致に消極的な他候補に後れをとっていたという。そこで、森氏は五輪招致を実現すべく、石原氏の息子・伸晃氏(当時・自民党幹事長)とともに、都内のホテルで一晩かけて石原氏を説得し、不出馬を翻意させたという。
森氏は「親子でケンカのような言い争いをしていたけれど、最後は石原さんが決断してくれた。石原さんがいなければ、五輪は東京にこなかった」と語る。石原氏は招致活動さなかの4期目途中で退任したが、招致は後任の知事へと引き継がれた。
大会組織委の橋本聖子会長は「(石原氏が)20年大会の招致に挑む決意をして頂いたからこそ、昨夏の大会の開催がある」との談話を出した。(野村周平)
▼26面=<評伝>改憲
<評伝>改憲、こだわり続けた末 石原慎太郎氏死去
「いちから憲法を作り直す」。石原慎太郎氏は常々そう公言していた。憲法改正に執着を続けた政治家人生の帰結は、何だったのだろう。
石原氏が参院選全国区で初当選したのは1968年。72年に衆院議員に転じると、1年後には「自主独立の憲法を制定する」との趣意書を掲げ、自民党若手のタカ派議員集団「青嵐会」の結成を主導した。
なぜ、憲法にこだわったのか。10年ほど前に石原氏に聞いた際、返ってきたのが、交友があった三島由紀夫、岡本太郎、江藤淳らの名前だった。個性派ぞろいの活気ある日本が、気づけば「自信を喪失した自立性なき世の中になってしまった」と語った。その象徴が「米国に押しつけられた」日本国憲法というのだ。
だが、憲法改正の中身に明確なこだわりはうかがえなかった。「じっとしていれば平和が維持される幻想を日本人に強いる9条を考え直す」と言い、持論の会計制度見直しをめぐる90条改正にも言及した。「現憲法を破棄せよ」との勇ましい言葉が躍り、とにかく変えることにこだわった。
そんな石原氏が希望を見いだしたのが、橋下徹・元大阪府知事だった。
13年間務めた都知事の座を放り出し、12年末の衆院選に合わせて、橋下氏と日本維新の会を新たに立ち上げ衆院議員に返り咲いた。「橋下君は牛若丸。オレは武蔵坊弁慶」「憲法改正のために(衆院に)戻ってきた」と意気盛んに語った。
橋下氏をみる石原氏の視線に透けたのが、昭和の大スターだった弟・裕次郎への愛憎相半ばする思いだ。
「橋下は裕次郎、なんだよな」。石原氏が橋下氏との会合に向かう新幹線の車内で、そう漏らした。橋下氏を若き日の裕次郎に重ね合わせたのだ。
だが、石原氏の期待はかなわなかった。自民と公明党との連立政権を壊し、維新が自民と組んで改憲を実現する。そのために、半年後の参院選で圧倒的に勝利する――。第三極での「大同」をめざす戦略を描いたが、橋下氏は「ノー」を突きつけた。石原氏がこだわった自主憲法制定は、二の次となった。14年5月に維新は分裂。両氏も「決別」となった。
この年の10月、衆院予算委員会で最後の質問に立った石原氏は安倍晋三首相に懇願するように求めた。「前文の『公正と信義に信頼して』の間違った助詞『に』の1字だけでも変えていただきたい」。めざす国家像は、見えなかった。
14年衆院選での落選で政界を引退した。その前年に石原氏がインタビューで語った言葉を思い起こした。「おれの人生なんかね、トンネルを掘る時のノミの先っぽの切り口みたいなもの。トンネルが開通してテープカットする時にはおれはいなくたっていい」
世論を動かす発信力は抜群だった。ただ、それを実現するための勢力を作ることもできなかった。石原氏は、自身が思い描いた「穴」は開けることができたのだろうか。(岡本智)
■大きな影響力、失言許す風潮作る
御厨貴・東京大名誉教授(政治学)の話 保守政治家としての存在感は強烈で、「青嵐会」を結成し、民族主義ともいうべき右派の思想をアピールした。当時の自民党は今よりリベラル色が強く主流派にはなれなかった。
都知事としての実績で印象に残るのはディーゼル車の排ガス規制。ただ、都政の様々な改革に手を付けたが、それほどうまくいったとは思えない。強い指導力を発揮し、東京都を他の道府県とは違う存在に押し上げる発信力は優れていた。差別的発言など是認できないものがあったのに「石原さんだから仕方が無い」と許されてしまう面があった。影響力が大きい人ゆえに政治家の失言が許される世の風潮を作ってしまった。それは負の遺産だ。
■妥協できない「ぶれない政治家」
ジャーナリスト田原総一朗さんの話 デビュー作の「太陽の季節」を読んだ時は衝撃を受けた。当時の社会のモラルをぶちこわす内容で「こんなすごい人がいるのか」と。国会議員時代に、雑誌の対談で大げんかになった。その後、自分の後援会の冊子にその対談を載せたいと言ってきた。懐の深さを感じた。憲法改正にこだわり続け、私の考えとは相いれなかったが、人間としての魅力があるから交流が続いていた。
首相候補と言われた時期もあったが、言いたいことを言わずにはいられず、妥協できないから、首相になれなかったのだろう。問題発言も多く批判もあるが、「ぶれない政治家」という点ではまれな存在だったと言える。
▼27面=直言も放言も
石原都政、直言も放言も 石原慎太郎氏死去
大スターの兄で、作家で、政治家だった。1日に89歳で死去した石原慎太郎氏。数々の政策を実行した剛腕ぶりや歯に衣(きぬ)着せぬ発言は、時に物議を醸した。▼1面参照
■ディーゼル車規制、五輪招致活動
1日夕、東京都大田区の自宅前で、長男の伸晃氏ら息子4人が取材に応じた。石原氏は膵臓(すいぞう)がんを患い、昨年10月に再発したが、先週までは日に1~2時間ほど机に向かい、執筆活動を続けていた。
最期に立ち会った四男で画家の延啓(のぶひろ)氏らによると、1日は朝から普段と様子が異なり、呼吸が苦しそうで天井を見上げているような状態だった。顔や頭に手を触れると徐々に呼吸が落ち着いたが、午前10時ごろ、そのまま息を引き取ったという。延啓氏は「安らかに息を引き取ったので、息子としてはこれで良かったのかなと思う」と語った。
「東京から日本を変える」。1999年の都知事選で初当選した石原氏は国を先取りした政策に次々と着手した。
その代表例が、1期目に仕掛けたディーゼル車規制だ。都の基準を満たさないディーゼル車の都内での走行を禁じる条例を制定。トラック業界が反発する中、石原氏はぜんそくなど呼吸器疾患の原因となる浮遊粒子状物質(SPM)の黒いすすが入ったペットボトルを会見場や議場に持ち込み、何度も振って「これが1日に東京で12万本出ている」と訴えた。
1期目で副知事を務めた青山やすし・明治大名誉教授は「分かりやすい人だった。有利でも不利でも考えをはっきり言う。大げさに説明するのが得意で、政策を進めるために理想的な上司」
失敗した政策もあった。00年に大手銀行の事業規模に応じて外形標準課税をかける「銀行税」の導入を打ち出した。公的資金で破綻(はたん)を免れながら法人税を払わない銀行に狙いを定めたが、銀行側と訴訟になり、一、二審で敗訴。最高裁での協議で過徴収分を返還することで和解した。
中小企業への「無担保無保証融資」を看板政策に、05年に開業させた新銀行東京も行き詰まりを見せた。開業3年で1016億円の赤字を抱え、都の出資金も855億円が棄損(きそん)した。
元都知事の舛添要一氏は「パフォーマンス先行の都政を作った」と石原都政を総括した。「国がだめだから『俺が出て行く』と、都政より国政や霞が関を見ていた部分があった」と指摘した。
東京五輪・パラリンピックの招致を始めたのも石原氏だった。05年9月に都議会で五輪招致を正式に表明。約4千億円の基金を積み立て精力的に招致活動を進めたが、16年大会では南米初開催を訴えたリオデジャネイロに敗北。「再挑戦」をめざし、20年の大会招致へ動いたが4期目の任期途中の12年10月、国政新党の立ち上げを表明し、都知事を辞任した。
「衷心よりご冥福を祈ります。異人、変人、夷人、なによりも偉人です」。石原氏のもとで副知事を務めた作家で元都知事の猪瀬直樹氏(75)は1日午後、自身のフェイスブックでそう哀悼の意を表した。
猪瀬氏は取材に「たとえ失言につながっても、言葉があってこその政治。石原さんはそのことを実践してきた政治家だった」と語った。
■尖閣国有化を推進、反日感情招く
一連の言動の中で、近年最も注目を浴びたのが東京都知事当時の2012年4月、中国が領有権を主張する沖縄・尖閣諸島を都で購入する計画を発表し、寄付金を募ったことだ。当時の民主党政権はこれに押される形で国有化。中国の海洋監視船が領海侵入を繰り返すようになり、日中関係の悪化を招いた。
「島の持ち主が『ぜひ石原さんに買ってもらいたい』というので仲介した」。山東昭子・参院議長は当時の経緯をこう説明した。地元の沖縄県石垣市。中山義隆市長は「いち早く声をあげ、国民世論を喚起していただいた。尖閣を守りたいという思いを引き継ぎたい」。尖閣諸島周辺で40年近く漁をする同県宮古島市の漁師、漢那(かんな)一浩さん(73)は「中国を刺激した面もあったが、いい漁場が守られている」とする。
多くの海外メディアは訃報(ふほう)を尖閣諸島の購入計画とともに報じた。中国共産党機関紙の人民日報系の環球時報のウェブサイトは、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)などを購入する計画を示して寄付金を募り、中日関係の悪化を招いた」。英ロイター通信は、「国有化の動きは裏目に出て、中国全土で反日デモとボイコットを引き起こした」と述べた。米ブルームバーグ通信も「中国への扇情的な姿勢を示し、軽蔑的な発言をした」との研究者のコメントも紹介した。
当時、東京都に寄せられた寄付金は約14億8500万円。約8千万円が現地調査に使われたが、残りは「尖閣諸島活用基金」として、都が管理している。
■「太陽族」流行語に
石原慎太郎氏はベストセラーを次々に発表し、社会をゆさぶった小説家でもあった。
「新しい女を抱く度に退屈を感じる」。「太陽の季節」は無軌道な日々を過ごす青年が主人公だ。性描写と暴力に満ちた作品は反道徳性が批判された一方、若者の新しい価値観を捉えたと評価された。
当時は戦後の日本が新たな時代を迎える端境期。敗戦から10年が過ぎ「もはや戦後ではない」とうたわれたのが、芥川賞の1956年だった。石原氏の髪形をまねた「慎太郎刈り」もはやった。作中で描かれた奔放なライフスタイルは「太陽族」と呼ばれて流行語になった。
2016年には田中角栄元首相のモノローグでつづった「天才」が話題となった。昨年秋に小説の単行本を出し、文芸誌の今年1月号に短編を発表するなど、最近まで執筆を続けた。
その人生と文学に通じるのは退屈への反動だ。芥川賞選考委員を辞めたときも「退屈さ」を理由に挙げた。文学に退屈すれば政治へ、そしてまた文学へ。大衆の欲望がひとところにとどまらないように、作家もまた欲望のままに走り続けた。文学も自身も、大衆の欲望を映し出す鏡だった。(中村真理子)
■石原慎太郎氏の発言 「三国人」「津波は天罰」発言が物議
◆私は国のことをするために東京のことをする。首都東京は一つしかない(1999年4月、都知事選に当選して)
◆三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、大きな災害では騒擾(そうじょう)事件すら想定される。警察の力に限りがあるので、みなさんに出動していただき、治安の維持も大きな目的として遂行してほしい(2000年4月、陸上自衛隊練馬駐屯地で開かれた「創隊記念式典」でのあいさつで)
◆オリンピック開催を起爆剤として、日本を覆う閉塞(へいそく)感を打破するためにも、日本の首都である東京に招致したい(2005年9月、都議会定例会の所信表明で2016年の夏季五輪招致を明言)
◆日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う(2011年3月、都内で報道陣に東日本大震災に関して発言。後に謝罪)
◆(芥川賞候補作について)自分の人生を反映したリアリティーがない。ばかみたいな作品ばっかりだよ(2012年1月、都庁の定例会見。後に芥川賞選考委員退任)
2022/02/02 (インタビュー)
本土から聞き続ける沖縄 社会学者・岸政彦さん
自分のこととして考えよう
■復帰50年
今年5月、沖縄は本土復帰から50年を迎える。凄惨(せいさん)な地上戦を経て、戦後長らく日本から切り離された島で生きてきた人々の生活について、私たちは何を知っているだろう。沖縄について考えることは、日本について考えることでもある。沖縄の生活史調査をしてきた社会学者の岸政彦さんに、沖縄を取材してきた記者が聞いた。
――本土出身の岸さんと沖縄とのかかわりは、どのように始まったのですか。
「20代で初めて訪れ、沖縄に恋い焦がれる、いわゆる『沖縄病』になりました。家電やCDを売ってお金を作っては、毎年のように訪ねた。大学院の博士課程で研究対象にしたのですが、お金がないので、現実的にできる研究方法が生活史の聞き取りでした」
「以来、戦時中から復帰前、復帰後にかけての多くの人々の経験を聞き取り、記録に残しています。沖縄戦についての調査は膨大にありますが、戦後の経験も合わせてトータルで聞く研究は他にはないでしょう。そんな聞き取り調査で理解したのは、沖縄戦は1945年3月26日から6月23日までの3カ月間だけのものではなかった、ということです。米軍基地が今もある以上、復帰後から現在まで一続きのものなのです」
――沖縄戦は、戦後もずっと続いてきた、と?
「沖縄戦と戦後を生き抜いた経験は、沖縄の人たちのなかで連続しています。ある高齢女性は、沖縄戦で米軍から逃げて畑のサトウキビで命をつないだ話と、戦後に基地の敷地内を畑にする『黙認耕作地』でイモを作り、不発弾を集めてスクラップとして売った話などを、まるで自然現象のような一続きの経験として語りました」
「沖縄戦では、握り飯を持っていた日本兵が、住民の年寄りや子どもにあげずに自分たちだけで食べていたことを女性は記憶していた。米兵は戦後、チョコや肉をくれたのに、日本兵は逆に食料を奪ったりもした。だから、米軍よりも日本軍に対する反感の方が強い。当たり前ですが、食べなければ人間は生きられない。語りから、その重みを感じました」
■ ■
――戦後の米軍支配時代の生活について、確かに本土ではまったく知られていません。それが、本土からの視線と沖縄の人々の思いが食い違う理由でしょうか。
「沖縄の人たちが、どうやって食べてきたのか、私たち日本人はあまり真剣に考えてこなかったと思います。沖縄戦の集団自決で、家族で唯一生き残ったという男性の話が強く印象に残っています。家族や親類が集まり、手投げ弾を爆発させる。その自決で死んだ弟の話をして、男性は机の端をつかみ、号泣しました」
「そんな経験をしながらも、男性は米軍基地容認派でした。沖縄戦後は米軍基地の従業員として日中働き、夜はタクシー運転手をして子どもを育てた。メシを食わせてくれるなら基地も容認する。人間って、そういうものでしょう。それを、本土の日本人の立場で安易に否定したくはありません」
――先日の名護市長選でも基地を黙認する市長が当選しました。
「沖縄は基地を受け入れているじゃないか、と言う人もいる。でも、倫理的な話よりも食べていくことの方が大事でしょう。私たち日本人は、『生きている人間が沖縄にいる』ことを忘れがちです。沖縄の過酷な経済状況は、長年に及んだ軍政や基地の集中という戦後の日米による政策が生み出したものです。東京に住んでいる人と何も変わらない同じ人間が、大国の間で踏みにじられていることを忘れてはいけない」
「短期的にミクロで合理的な判断をすると、最終的にその本人が一番損をしてしまう。そんな存在がマイノリティーだと考えています。いくら反対しても、政府は自らの理由で辺野古に基地を置こうとし、地元の人たちの理由は無視される。そんなとき、基地受け入れの見返りで交付金を得るといった短期的に見て合理的な選択をすることもあるでしょう。長期的にみれば基地の黙認が不合理な選択だったとしても、それが沖縄の置かれた状況です」 ■ ■
――生活史の聞き取りを通して、沖縄社会について見えてきたものは何でしょうか。
「沖縄戦で県民の4人に1人が亡くなり、戦後も27年間にわたって米軍に占領されていた。沖縄の人々は、本土とはまったく異なる経験をしています。沖縄戦では、逃げる途中に他人の畑のイモを食べるしかなかった。米軍支配下では、先祖代々の土地を接収された。基地から食料などをかすめ取ることも、『戦果』と呼んで、当たり前のことでした。そんな私的所有権すら保障されず、社会秩序が根底から解体している状態で、自分や家族の身体・財産を守らなければならなかった。その経験が沖縄社会の源流にあります」
「『いちゃりばちょーでー』(一度会ったら兄弟)『ゆいまーる』(助け合い、共同作業)といった言葉が象徴するような家族主義や共同体主義が沖縄にはある、と言われますが、あれは食べるための方策だったのでしょう。戦後も、助け合わねば生きていけなかった。そんな過酷な状況から、『自治の感覚』と私が呼んでいるものが生まれたと考えています」
――「自治の感覚」ですか?
「沖縄独自の歴史的経験から生まれた『自分たちのことは自分たちで決める』という感覚です。例えば、沖縄県内の図書館で調べ物をしていたとき、貴重な資料を職員が自らの判断で見せてくれたことがありました。また、冷え込んだ冬の日、暖房のない施設で、私物の小さな電気ストーブを貸してくれたこともあった。厳密にいえば何らかの規則に反するかもしれないのに、そうした方がいいと思えば、自分の裁量で決める。東京や大阪では、考えにくいでしょう。数字で示すことは難しいのですが、そんな独特な社会規範が沖縄にはあると考えています」
――「自分たちのことは自分で決める」感覚といえば、故・翁長雄志知事が強調した「沖縄アイデンティティー」を連想します。
「その意識は、以前から沖縄社会のベースにあったのだと思います。翁長さんの個人的な資質と力量で県民がまとまったのでしょう。日本に対する批判を明確に言語化し、沖縄の経済界も巻き込んで政治的イシューにした」
――半面、沖縄の意思は政府に踏みにじられてきました。名護市辺野古への基地建設にも、県民投票などで明確にノーを示したのに、埋め立ては進んでいます。
「自治の感覚と言っても、もちろん狭い意味での政治的な自治が沖縄にあるわけではありません。復帰前、沖縄の最高責任者だったキャラウェイ高等弁務官が『沖縄の自治は神話にすぎない』と言ったのは有名です。それでも沖縄社会の根底には日本本土に対する抵抗の意思が残っている。研究を続けていて、沖縄を『かわいそう』と思ったことは一度もないのです。戦後70年以上が経つのに、世代を超えて戦争の記憶が受け継がれ、粘り強く基地反対運動も続いている。こんなすごい土地はほかにないのではないかと思います」
■ ■
――沖縄戦の犠牲や米軍基地の過重負担を前に、日本人として沖縄とどう向き合うか、いつも考えさせられます。
「沖縄の生活史研究を始めて、10年ほど聞き取りをしなかった時期がありました。沖縄に通えば通うほど、簡単に話を聞かせてもらうことに抵抗を感じるようになった。沖縄の人は優しく、調査に協力してくれる。『おまえに何が分かる』みたいなことを直接言われたことは一度もありません。それでも、この島を踏みにじっているような気がしてくる。自分はいったい何者なのか。沖縄を通して、日本人について考えていました」
「学生を連れて行って沖縄戦の聞き取り調査をすると、おじいさん、おばあさんが歓迎してくれて、お土産までくれたりします。ある年、居酒屋で打ち上げをした時、男子学生が号泣し始めた。『沖縄の人って、あんなにつらい目にあったのに、なんでこんなに優しいんですか』と。彼の問いかけを忘れることができません」
――沖縄を取材してきた記者として、その葛藤はよく分かります。「なぜ」という問いが、自分に跳ね返ってくるようで。
「よく本土の方から、『自分に何ができるのでしょうか』と問われます。しかし、ひとりの日本人として沖縄にどう向き合うか、いくら考えても何も変わらない。その間に、辺野古に土砂を入れられてしまった。個人として勝手に内省的になっても徒労でしかない。ただ、それでもやはり、できることをやるしかない。私たちの声は小さいですが、なんとかして声をあげ続けていかないといけない」
「小さな声をあげると同時に、沖縄の人たちが生きてきたことを聞いて残す仕事にこれからも全力で打ち込みたい。せめて、沖縄の人たちの生活史をきちんと聞いて記録する歯車になろうと思っています。その作業をするだけで一生が終わるのかもしれません」(聞き手・真鍋弘樹)
*
きしまさひこ 1967年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。社会学。専門は沖縄、生活史、社会調査方法論。著書に「同化と他者化」など。
下平評
今日の新聞には、日本の経済問題と日米安全保障の問題が、米中のきしみ合いの中でどうかじを取るかということに関係する課題がことに目につきました。
だから、こうした内容については国会議員の人たちは、そのつもりで日米安全保障の行方の在り方と、日中の貿易その他の交流の在り方を心を砕いて議論を続けていってほしいのです。
短期的にまとめることではなく、今後数年かかってもいいから、腹を据えて議論を深めていってほしい。 敵とかみかたとかいう課題ではなく、誰とでもどの国とでも折り合いを取れるような方向を求めなくてはならないのです。 心からの願いです。
在日米軍という存在が、日本政府や自治体の手の届かないところにある。 ◆線引き ◆下平評
◆日付
2022/00/00
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