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続折々の記 2022 ④
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 07 】05/18~ 【 08 】05/26~ 【 09 】06/04~
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【 08 】05/26
① 現代社会が抱える課題
② 2022/05/31「領袖」の称号、習氏の野心 (中国共産党大会2022)
③ 2022/06/03 親を見れば子が分かる 遺伝と真似
2022/05/28
【 06 】05/18・続 人:人=国:国の原則
今自分の頭には、私たちが迎える将来のために二つのことがあるのです。 その第一のことが人の道に反しない考え方を身に着けることが文明の没落を防ぐ道であるということが一つです。 もう一つは合理的な真理に支えられた世情の進む方向をみんなで考えるように広めることでした。
この第一のことの実情は “【 06 】05/18” に載せました。 だが、その対策ともなる「合理的な真理に支えられた世情の進む方向」は、別の角度から私は自分の考えをまとめてきました。 それゆえそのいきさつを先に書き留めたい。
① 現代社会が抱える課題
私が一番自分の心を悩ませているのは、幼児から青少年にわたる閉塞感についてなのです。 戦後の中学生はそうそう問題になる考えや行動はあまり見かけなかったのですが、それが校内暴力とか青少年の自殺とか気がついた時にはどんどんそれらが増えてきていたことでした。
それらは物質文化が進められてきたことに並行して多くなっていたことに気がつき始めたのです。
たとえば「マンビキ」という新語が通常化しました。 むかしの子供はそんな言葉は知らなかった。 書店や雑貨屋、今流では販売店すべてにみられ、しかも罪の意識が薄れてきているのです。
泥棒とか盗人(ヌスット)の意識が薄れてきました。 なんという堕落ブリでしょうか。 鍵っ子(かぎっこ)という言い方は世情といえば世情でしょうが、夫婦共稼ぎをしなければ時流の経済生活を支えれない状況が増えたのです。 経済生活が豊かになるにつれて、アメリカ流の核家族の考え方に染まっていき、こうしたことが子供たちの生育に影響するようになったと言えるのです。
生活全般にわたって社会生活は向上したと言えばそう言えます。 でもこうした変化によって親対子供の関係がいろいろとひずみとして現われたとみるべきでしょうか。
友達間でのいじめが増え、家庭間の貧富の差もおおくなり、情緒不安定の性とも増えてきたのです。 子供の成長と夫婦の経済生活の支えにはいろいろと考え方に差が生まれ、子供につらく当たる親が増えたこともあって子供の自殺が社会問題として大きく取り上げられるようになりました。
昔のような、お婆ちゃやお爺ちゃから昔話を聞くようなことは少なくなりました。 昔の諺や昔話の語り言葉も聞くことがなくなってきました。
こうした戦後の変化は今の年寄りはよくわかるのです。 どうしたらいいのでしょうか。 みていると、大事な赤ちゃんを満2歳になる前から保育園へ預ける親も出てきました。 家庭経済生活の上から、それは生まれてきています。
みやましい養育環境も知らずに育つ子供も増えました。 親は生活の自立から子供へしわ寄せがきているのです。 貧乏だってかまわない、美味いものを食べれなくてもかまわない。 子供の将来をもっと大事にしなければならないと考える親が少なくなってきているのです。
こうした現代社会生活の課題をどうしていったらいいのでしょうか。 これが私たち親の課題なのです。
② 2022/05/31
「領袖」の称号、習氏の野心 (中国共産党大会2022)
「永遠に領袖(りょうしゅう)に忠誠を誓い、永遠に領袖を仰ぎ、永遠に領袖を守り、永遠に領袖に付き従う。より着実な行動で、共産党大会を迎えようではないか」
4月中旬、中国南部・広西チワン族自治区の党機関紙やテレビで、一斉にキャンペーン報道が始まった。「領袖」は、党総書記(国家主席)の習近平(シーチンピン)を指す。
党が領袖と呼ぶ過去の党幹部は数人存在する。だが、生前から領袖とたたえられたのは毛沢東と、毛の党主席ポストを継いだ華国鋒のみ。華は数年でトウ小平との政治闘争に敗れたため、事実上、毛の称号だ。
2016年、第18期中央委員会第6回全体会議(6中全会)の成果文書で毛、トウ、江沢民に続く「党の核心」に位置づけられた習だが、香港紙は今月、北京の消息筋の話として次期党大会で新たに「領袖」の称号も得るとの見通しを伝えた。「偉大な領袖」と呼ばれた毛に並び立とうとする、習の野心がのぞく。
だが、毛の独裁型政治が引き起こした文化大革命(1966~76年)は、いまも人々の記憶に生々しく残る。党内権力闘争を背景に、毛が大衆を動員して政治運動を展開。「紅衛兵」と呼ばれる若者らが政治家や知識人を攻撃し、国全体が大混乱に陥った事件だ。
習礼賛の動きに、元記者の党員が今年4月、「個人崇拝を禁じた党規に明らかに違反している」との書簡をネット上で発表したが、間もなく当局が削除してしまった。
「複雑な時代に国を率いるのは自分しかいない、という強い自負がある」。政治の中枢・中南海に出入りする党関係者は、習の心情を代弁する。(敬称略)(北京=冨名腰隆)▼2面=「党主席」意識か
◇中国共産党大会が秋に予定され、習氏が2期10年ごとに世代交代を進めてきた慣例を破って続投することが有力視されています。5年に1度の「政治の季節」へ、水面下で動き出した中国の動向を、随時報告します。
▼2面=「党主席」意識か (中国共産党大会2022) 習氏、「党主席」の復活意識か 沈黙の5月、指導部人選に注力 5月、中国メディアが共産党総書記(国家主席)の習近平(シーチンピン)の動静を伝えたのは、わずか数日だった。通常、月の半分以上は党の会議や外国首脳との電話協議などが報じられる。だが、5月はバイデン米大統領の日韓歴訪にすら反応せず、おおむね月1回ペースの地方視察も行っていない。
沈黙の間、習は何をしていたのか。党関係者は「次期指導部の人選がすでに始まっている」と明かす。
5年前、習は党や軍、政府の幹部を選ぶ上で、従来あった内部の推薦投票の仕組みを廃止し、面接方式を導入した。組織集票や票の売買が起きたためだとされるが、習自らの意向を反映しやすい制度になった。
当時の国営新華社通信によると、習は4月末から6月にかけて57人の現職・引退幹部と面接を重ねた。「習同志を核心とする党中央の権威と統一指導を守ること」を登用の条件にしたという。党関係者は「今回も面接が進んでいる。地方幹部が競うように習をたたえるのは、アピールの一環でもある」と語る。
人事権を握り、権威を高めた習が目指すものはなにか。「党主席の復活」という話題がここ数年、何度も取り沙汰されている。
毛沢東は建国前の1945年に新設された党主席に就任すると、76年に亡くなるまで一度もこのポストを手放さなかった。毛の終身制を象徴する地位であり、トウ小平は独裁型政治に終止符を打つべく、82年の党大会で廃止に追い込んだ。
40年ぶりの党主席復活となれば、トウ以降の指導者が守ってきた集団指導体制の終わりを意味する。大きな反発も予想される。
その布石のように映るのが、党が今月15日、引退幹部向けに「政治的マイナスになる言論を広めるな」と通達したことだ。これに先立つ3月、ネット上に元首相の朱鎔基が「個人崇拝や無期限の再任に反対する」と訴えたとする真偽不明の上申書が出回っていた。
習は18年の憲法改正で2期10年の国家主席任期を撤廃したとき、直前に党会議を開く強引なやり方で了承を取り付けた。党関係者は「もし党主席の復活を断行するなら、似た展開になるだろう」と予想する。
■1強体制、行き過ぎ懸念 首相、「ゼロコロナ」修正の動き
今月17日からの3日間、首相の李克強(リーコーチアン)が雲南省を訪れ、地元の大学生や企業関係者と交流した。視察中、李がほぼマスクを外していたことが話題を呼んだ。
意図的な動きであることは、SNSで広まった動画で推し量れる。大学キャンパスで地元メディアが取材中、李の後方にマスク姿の同行者が映り込んだ。直後、同行者は周囲に促されわざわざマスクを外した。
李の動きは、「習1強」で突き進む党指導部に対するメッセージだと受け止められている。
「ゼロコロナは揺るがず堅持する。わが国の防疫方針や政策をねじ曲げ、疑い、否定するあらゆる言動と断固戦う」
今月5日、党政治局常務委員会の会議で習はこう訴えた。世界が「ウィズコロナ」へかじを切る中、ゼロコロナを欧米などに対する「政治体制の優位性」と結びつけてきた習は、その旗を降ろそうとはしない。
だが、人々の行動を厳しく規制するゼロコロナは、社会を傷つけ、経済には大きな打撃を与えている。
李は25日、経済安定化を目指して地方幹部ら10万人をオンラインで結ぶ全国会議を開催した。出席者によると、李は「5・5%という今年の経済成長率目標には遠く及ばない状況だ」と危機感を示し、中小企業対策や雇用に力を入れるよう指示したという。
歴代首相に比べ、李の存在感は薄い。ゼロコロナを否定したり習に権力闘争に挑んだりもしていない。だが、コロナ対応と経済政策のバランスを取ろうとする姿勢は、党指導部が習一人の意向に傾き過ぎないよう、役割を果たしているかのようだ。
「党が偉大であるのは、誤りや欠点を隠さずに改め、自己批判を行ってきたからだ」。昨年11月に採択した「第3の歴史決議」は、党の歩みをこう総括した。権力の一極集中をあるべき道と信じ、長期政権を視野に入れる習も、問われている。(敬称略)(北京=冨名腰隆)
■<考論>権限十分でも権威づけに執心 石川禎浩・京都大学教授(中国近現代史)
毛沢東の個人崇拝化が文化大革命という悲劇を起こした反省から、トウ小平は1982年の党大会で党主席を廃止するなど、集団指導体制による党・国家運営を築いた。事実上、終身制だった多くの党幹部を引退にも追い込んでいる。
党主席と党総書記の制度上の違いを説明するのは難しいが、意味合いは明確に異なる。党主席は約200人いる党中央委員の頂点に立つ者、という印象を与え、肩書そのものが権威を帯びている。一方、党総書記は中央政治局や政治局常務委員会の「取りまとめ役」という位置づけだ。
習近平氏は権力集中を進め、さらに新たな肩書を得る動きもあるようだが、理由はよく分からない。習氏はすでに制度的にも実質的にも十分な権限を持っている。「中華民族の偉大な復興」という目標を掲げるが、実現のために今以上の力が必要かは疑問だ。
党の肝心な部分は、習氏らリーダーの選出理由を含めて、いまだブラックボックスだ。自らの政治モデルを国際社会に堂々と示せるほどの自信も中身も、まだ備わっていないと感じる。こうした状況が、習氏を権威づけに走らせている面もあるだろう。(聞き手・冨名腰隆)
2022/06/03
親を見れば子が分かる 遺伝と真似
どうしてこんなことが分かるのか?
人以外の動物、たとえば山羊の子は親が同じであれば子はみんなにて生育する。 その子が親になっても親の子はみな同じに見える。 これは原則的に山羊の遺伝子が親子に遺伝されていくからといえば、これは当然と言えば当然のことと思う。
人の場合は多少違ってくる。
Aさんの子は何人もいても顔立ちは違うにしても総体的にはみな同じに見える。 これは原則的にAさんの子の遺伝子が親子に遺伝されていくからといえば、これは当然と言えば当然のことと思う。
ソクラテスの子はソクラテスのような子になることは、原則的にはそう言える。 ソクラテスの孫はソクラテスのようになれるかといえば、原則的に言えばそう言えそうだが、だいぶ違ってくる。
山羊の子は10代たっても、変わらないのに、人の子は10代たいへん変わる。 なぜなのか?
山羊の子は充分成長して自分で食事ができるまでに成長してから生まれる。 ところが、人間は未熟児で生まれるのです。
山羊のように生まれて次の日には、喜び勇んで飛び跳ねて遊びお腹がすけば自分で親のオッパイを吸うことができます。
人間は生まれたばかりは未熟児で、そんなことはできないのです。 ここに養育を必要とす大事な理由があるのです。 基本的には満三歳ころまでは未熟児なのです。 立派に独立できるのは満五~、六歳ころにならないと、動物としての独立に離れないのです。
この基本的な養育ができないと、望ましい子供としての成長ができないのです。 そういうことが、はっきりわかってきたのです。
いのちの願いを持つDNAという遺伝子は、人として生きていく大事な大脳をはじめ五臓六腑のあらゆる能力が発育していくように仕組まれており、生きていく準備としての記憶装置の感性や五感を処理していく能力を全力で仕組んでいくのです。
いのちの能力の素晴らしさは、筆舌で表わすことができないほどの想像を超える活動力で、心身をつくりあげているのです。 いろいろの書物でそうした知識を確かめることができます。
DNAという遺伝子は、私たちが想像する素晴らしさをはるかに超えるものだと言います。 分子生物学者の村上和雄さんは、この素晴らしさを something great と言っています。 モーゼのいう神はこのことだと言ってもいいと思います。 東洋的なら将に「天」の概念ととらえてもいいと私は思います。 いのちは、このようにして創造されていくのです。 いのちが持つこの力は、人としての活動としては「すべては真似」によって修得し活用出来得ると思います。 論語ではこのことを学而第一として挙げています。 人の円満さといえば聖徳太子の「和をもって尊しとなし逆らう事なきを旨とせよ」 ◆線引き
◆下平評
◆日付 2022/00/00
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