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続折々の記 2022 ⑨
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 01】08/29
     プーチン氏、予兆は15年前   「ぶち切れ」演説30分、侵攻への足音
     プーチン氏宅、米元大使はゾッとした   対ロシア外交、20年の舞台裏
     「次男は月収500万円」バイデン父子がウクライナから   破格報酬を引き出せたワケ
     中国の成長、日本が望んだ   協調期待、WTO加盟後押し
     加盟すぐ、頭をもたげた脅威論  日中半世紀 誤算の経済依存

 2022/08/27
プーチン氏、予兆は15年前    「ぶち切れ」演説30分、侵攻への足音
   https://digital.asahi.com/shimenviewer/viewer/launcher.php?ap=EPUtglSOCswNvrFw2SRG3i0%2Fqn4MPn3KwHUroLvPZOlAYDzF4QCVPXhm6enqhqanKlMmsjQnVqN3oxozKLAiecAZdUIeHWCVW9JEUfXM6TFusSciRD6S9foUVxE0BgK6LCiHIp47AaSNnwuwlTAg5hjtrmAIM3d9wfXrJyg0Kfk%3D&iref=pc_shimen_viewer_tokyo_20220829&area=tokyo&pid=1

 ロシアのプーチン大統領に、米国はどう向き合ってきたのか。ウクライナ侵攻に至る危険性をいつから察知できていたのか。

 「我々は、プーチン氏がのちに侵略者になると気づくのが遅すぎたのです」。国務次官補(欧州担当)など政府の要職を長く歴任したダニエル・フリード氏は取材にそう答えた。

 2007年2月、ミュンヘン安全保障会議でプーチン氏は米国への不満をぶちまけた。この30分間の演説が、ウクライナ侵攻に至る初期の「予兆」だったと複数の元高官は言う。

 「NATO(北大西洋条約機構)拡大はいったい誰に対抗するためなのか?」「米国はあらゆる意味で国境を踏み越えている。極めて危険だ」。プーチン氏が「ぶち切れた」と評されるほど強烈な内容だった。

 「あのとき、米国はロシアへの態度を変えるべきでした。我々はプーチン氏の言葉を真剣に受け止めず、間違いを犯してしまったのです」とフリード氏は回顧した。

 ゲーツ国防長官など政府高官は、ロシアに警戒を強めるよう当時のブッシュ(子)政権に警鐘を鳴らした。だが、協力路線を望んでいた政権は方針を変えなかったという。

 「ブッシュ氏はプーチン氏を変えたいと願っていた。まだ彼と一緒に仕事ができることを望んでいたのです」とフリード氏は語る。

 一方で、ロシアは米国への怒りを深めていた。

 04年前後にはジョージアやウクライナなどで起きた民主化運動「カラー革命」により、相次いで親米政権が誕生。08年には、米国が両国のNATOへの「将来の加盟国」入りを後押しした。

 ■希望的観測、陥った米

 民主主義を広げることで平和で安全な世界が形成されるという理想をブッシュ政権は持っていた。だがプーチン氏からみると、それは旧ソ連圏の各国をロシアから引き離す「陰謀」に映っていたとみられる。

 ある現役の政府高官は米国が抱える問題点を「希望的観測(Wishful Thinking)」から抜け出せないことだと言った。ロシアと前向きな関係を築こうと試行錯誤を重ねたが、敵意を深めるプーチン氏には通じない――。それは、歴代政権に通じた特徴だったとも指摘される。

 米政府の元高官たちへの取材から、過去20年あまりの米ロ外交の舞台裏を探る。(ワシントン=高野遼)
(2面に続く)

▼2面
プーチン氏宅、米元大使はゾッとした
対ロシア外交、20年の舞台裏

写真・図版
写真・図版
【2009年3月、ジュネーブで「リセット」ボタンを手に笑顔をみせるヒラリー米国務長官(右)とロシアのラブロフ外相=ロイター】

 ■オバマ政権、リセット政策失敗

 2009年、米ロ関係はいまでは考えられないほど友好ムードにあった。

 当時の写真がそれを物語る。ロシアのラブロフ外相とクリントン米国務長官が、並んで笑顔を見せる。2人が手にするボタン付きの装置には、「RESET(リセット)」と書かれている。

 この年に誕生したオバマ政権は、悪化していた米ロ関係の「リセット」(再設定)を宣言し、協力路線を敷いた。

 前年にはロシアがジョージアに侵攻し、欧米から非難を浴びたばかりだった。なのになぜロシアと協力を目指したのか――。
ロシア・ジョージア紛争(2008年). 2008年8月7日、ジョージア(旧称グルジア。. →「 グルジア呼称問題 」)軍が南オセチアに展開し、ロシア軍が応戦したことにより始まった国際紛争。. 10日までにロシア軍は南オセチアの大半を占拠したうえで、ジョージア本国領内への侵攻・爆撃を行った。. 16日までにジョージア、ロシア両国首脳がEU(欧州連合)による和平プランに合意・署名。. ただし、同プランに示された「ロシア軍の戦闘開始前の地点への撤退」が完了したのは10月10日。
 リセット政策の提唱者である元駐ロシア大使のマイケル・マクフォール氏は「当時のロシアはメドベージェフが大統領でしたから」と事情を説明する。プーチン氏が首相へと転じた間に、新たな米ロ関係が築けると期待したという。

 国防総省からは異論もあった。「ロシアは軍事能力が高まると同時に、意図は読みづらくなっていた。新たな対ロ防衛戦略が必要だったが、政権は関心を持たなかった」とイブリン・ファルカス元国防次官補代理は振り返る。

 オバマ政権にとって「核なき世界」を目指すことが最優先だった。そのためには、核保有国であるロシアの協力は不可欠。他にもテロ対策などでロシアの力を借りる思惑があった。

 順調にみえた協力路線だが、12年にプーチン氏が大統領に復帰して終わりを告げる。プーチン氏は、以前にも増して米国への不信感を強めていたためだ。

 当時、各地で市民による抗議運動の波が起きていた。中東は民主化運動「アラブの春」を迎え、ロシアでも選挙不正疑惑をきっかけに大規模な「反プーチンデモ」が巻き起こった

 その背後で米国が糸を引いていると、プーチン氏は信じていたという。マクフォール氏は回想する。「あれは12年のことでした。大統領に復帰する直前、彼の自宅で会談中、プーチン氏は私をにらみつけたのです。『我々の政府を弱体化させようとする人がいる。たとえばマクフォールのように』と言いながら。冗談抜きにゾッとしたのを覚えています」

 ブッシュ政権に続き、ロシアと良好な関係を目指す試みは再び失敗に終わった。「試す価値のある失敗だった」と振り返る元高官もいた。マクフォール氏は「プーチン氏とは考え方の根本から構造的な対立があった彼のイデオロギーを変えるために私たちができることはあまりなかったと思う」と総括した。
彼のイデオロギーなのか、彼らのイデオロギーなのか、彼らと理解すべきなのか
 ■「対ロ制裁、増やすべきだった」 クリミア併合、甘かった対応

 14年3月、ロシアはウクライナ南部のクリミア半島を武力で併合した。一線を越えたロシアに欧米諸国は制裁を科した。
クリミア半島を武力で併合を調べてみると、 ロシアによるクリミアの併合(ロシアによるクリミアのへいごう)は、国際的にウクライナの領土と見なされているクリミア半島を構成するクリミア自治共和国・セヴァストポリ特別市をロシア連邦の領土に加えるもので、2014年3月18日にロシア、クリミア、セヴァストポリの3者が調印した条約に基づき実行された。 の解説がある。 しかし、検索で「ロシアによるクリミアの併合」ではバックになっているのはずっと前からの歴史の変遷が売り、どう判断すべきか不明にも思う。
 この時もっと厳しく対応していれば、今年のウクライナ侵攻を抑止することができたとの指摘がある。

 当時の米国務省で制裁政策調整官を務めたダニエル・フリード氏は「現在の対ロ制裁には及ばないが、当時としては強力な制裁だった。実際、一時的にはプーチンを止めることにも成功した」と評価する。政権内にはもっと強い制裁を主張する声もあったが、厳し過ぎると欧州が同調できない懸念もあったという。

 むしろ、問題はそのあとだったとフリード氏は言う。「私たちは制裁を増やし続けるべきでした。しかし、十分に行わなかった。プーチンが再び過激化することを許したのです」

 オバマ政権は、ロシアを過度に刺激しないことを優先し、強力な武器支援を見送った。そんなオバマ氏には厳しさが足りないと感じていた政権幹部もいた。

 副大統領だったバイデン氏だ。「ロシアにはしっかり対応するべきだ。さもなければ、あとで10倍になって代償が返ってくる」というのが口癖だったと、元政策顧問のアンナ・マカンジュ氏は証言する。

 バイデン氏は自著でも「西側諸国はクリミア併合を非難したが、他にはほとんど何もしなかった」と不満をつづっている。

 そもそも米国はロシアを抑止するべき立場にあるのかというのも論点だった。

 ロシアを「地政学上の最大の敵」とみる声も国内にあったが、オバマ氏は違った。「ロシアは地域大国に過ぎない」と公言し、「ロシアの行動は問題だが、米国にとって国家安全保障上の最大の脅威にはならない」との見方を示した。

 当時、米国は中東から米軍を撤退し、中国重視の流れにあった。「オバマ氏もウクライナを支援するつもりはあった。だが、ロシアにとってのウクライナ問題の戦略的優先順位の高さと比べ、米国にとってウクライナはそこまで優先順位は高くはないのが事実だった」と大統領特別補佐官だったチャールズ・カプチャン氏は証言した。

 ■「トランプ氏、彼を好きだった」 分断、ロシアの思惑通りに

 17年に就任したトランプ前大統領は、過去の政権とは異なる理由でロシアへの厳しい態度を避けた。

 「彼はプーチン氏のことが好きだった。権威主義的な人物が好きで、個人的な関係を築きたがっていた」と証言するのは、大統領補佐官を務めたジョン・ボルトン氏だ。

 16年大統領選にロシアが介入した疑惑が浮上。米国内では厳しい対応を求める声が上がったが、トランプ氏は嫌がった。ロシアの助けで当選したと見られたくなかったためだとボルトン氏はみる。

 逆にトランプ氏の矛先は、北大西洋条約機構(NATO)に向かった。米国ばかりが国防費を負担するのは不公平だと不満を繰り返し、NATOは「脳死状態」(マクロン仏大統領)と言われるまでに統制を失った。

 ウクライナへの支援も混乱に巻き込まれた。トランプ氏が軍事支援を交換材料にゼレンスキー大統領に圧力をかけ、バイデン氏のスキャンダルを捜査させようとした疑惑が浮上した。国内外での分断が進み、混乱が深まったことは、ロシアにとって思惑通りの展開ともいえる状況だった。

 バイデン政権下でも、米軍のアフガニスタン撤退など混乱は続いた。首脳会談では「安定して予測可能な関係」を呼びかけたが、プーチン氏が素直に応じることはなかった。数カ月前には侵攻計画を察知して警戒を強めたが、ロシア軍を止めることはできなかった。


 ■プーチン氏の思考、理解していたか

 ウクライナ侵攻の責任がプーチン大統領にあることは論をまたない。不合理な戦争に突き進むほどプーチン氏の歴史観や被害者意識は強固なものだったのだと、各国は侵攻後に思い知ることになった。

 米ロ外交の20年を振り返っても、米国がプーチン氏の独自の思考回路を理解できていたかは疑問が残る。ときにプーチン氏の思考を変えようと試み、協力を模索してきたが、思うようには進まなかった。

 トランプ政権で大統領補佐官を務めたハーバート・マクマスター氏は、米国の問題点を「戦略的ナルシシズム」と指摘する。直面する課題を自国との関係においてのみ定義する米国の独り善がりな傾向を指すという。

 ウクライナでの戦争が長期化するなか、ロシアを止めるために米国はこれからどう動くのか。希望的観測にとらわれず、プーチン氏の思考を踏まえた現実的な対応をとることが改めて重要になりそうだ。(ワシントン=高野遼)


2020年11月7日 PRESIDENT Online
「次男は月収500万円」バイデン父子がウクライナから
破格報酬を引き出せたワケ
   https://president.jp/articles/-/40870 より
   安倍政権の対ロシア外交を妨害も
   名越 健郎 拓殖大学特任教授
2020年11月7日、デラウェア州ウィルミントンで、息子のハンター・バイデン氏に抱かれた孫にキスをする米次期大統領ジョー・バイデン氏。
【写真】デラウェア州ウィルミントンで、息子のハンター・バイデン氏に抱かれた孫にキスをする米次期大統領ジョー・バイデン氏

米大統領選でトランプ大統領は対立候補の民主党バイデン元副大統領を「ウクライナ疑惑」で攻め立てていた。大統領選の雌雄が決しても、共和党がこの問題を追及しつづけることは間違いない。そうなると——。

反露派バイデン氏就任でウクライナ問題での対立が再燃する

米大統領選でジョー・バイデン民主党候補の当選確実が発表された後、敵対するロシアとウクライナの反応で明暗が分かれた。ロシアのプーチン大統領が「法的な決着を待つ」として祝意を表明しなかったのに対し、ウクライナのゼレンスキー大統領は早々と祝電を送り、「戦略パートナー関係の発展」を訴えた。

バイデン氏はロシアを「米国の安全保障に最大の脅威」とみなす反露派。その一方で、バイデン氏は副大統領時代にロシアと敵対するウクライナを6回も訪問し、肩入れしてきた。新政権下でウクライナ問題をめぐり、米露が再び対峙する展開も考えられる。

バイデン氏は一時期、ウクライナのロビー外交も展開していた。

実は、日本外交もこのバイデン氏の行動とは無関係ではなかった。

オバマ政権下では、北方領土問題の交渉進展に期待を寄せてロシアに接近していた安倍政権にも足かせをはめていたが、そこにいたのが、当時のバイデン副大統領だった。

「モスクワに侵略の代償を血と金で支払わせる」行動を主張

典型的な東部エリートのバイデン氏は、30歳から36年間上院議員を務め、終始外交委員会に属した。専門は欧州情勢と軍備管理問題で、ソビエト連邦崩壊後は旧ソ連諸国の民主化や市場経済移行を支援した。

オバマ政権の副大統領に就任後、2009年7月にウクライナを訪れ、「ウクライナがNATO加盟を選択するなら、米国は強く支持する」と伝えた。当時のウクライナでNATO加盟論は少数派で、この発言は突出していた。

2014年に親欧米派デモ隊によって親露派・ヤヌコビッチ大統領が追放されると、プーチン大統領が素早く行動し、クリミアをロシアに併合。東部でも親露派が独立を宣言した。この時、米中央情報局(CIA)のキエフ支局にはケース・オフィサーが3人しかおらず、ロシアの動きを察知できなかったことが後に判明している。

米紙「ニューヨーク・タイムズ」(2020年3月6日)によれば、当時、ホワイトハウスも情勢の急展開で大混乱した。バイデン副大統領は「モスクワに侵略の代償を血と金で支払わせる」と断固たる行動を取るよう主張した。しかし、オバマ大統領は強硬論に与しなかった。

バイデン氏が行ってきたウクライナでの政界工作

バイデン氏はオバマ大統領との定例ランチで、ウクライナ軍に殺傷兵器、特に米国製の対戦車ミサイル「ジャベリン」を提供するよう提案した。オバマ大統領は拒否したが、ミサイルは曲折を経てトランプ政権下で供与された。バイデン氏は約100人の米軍事顧問団の派遣も主張し、ウクライナ擁護を鮮明にした。

その頃、バイデン氏はオバマ大統領からウクライナ政策の責任者に任命されたが、これは自分で強く頼んだ結果のことだといわれている。

バイデン氏は2014年に3度ウクライナを訪問しており、4月にはキエフのマイダン広場で次のように演説してロシアを非難した。

「いかなる国も他国の領土を奪う権利はない。われわれはロシアの違法なクリミア占領を絶対に認めない」
「いかなる国も国境沿いに兵力を集中させて隣国を脅かすべきではない。われわれはロシアに兵力撤収を求める」

ウクライナ周辺地図写真=iStock.com/200mm※写真はイメージです

バイデン氏はまた、ポロシェンコ大統領と親欧米派政治家の関係を仲介し、ウクライナで政界工作を行った。トランプ政権が誕生する4日前の2017年1月、6回目のウクライナ訪問を行い、キエフで政府高官らを前に演説した。この時は、汚職・腐敗の一掃や民主化定着、ロシアへの抵抗を訴えた。

ウクライナのNATO加盟支持、過去に安倍対露外交も妨害

新政権参加が噂される外交ブレーンのデービッド・クラマー元国務次官補(人権担当)はバイデン氏について、「議員時代からジョージアやウクライナを訪れており、大統領になっても訪問する可能性がある。ロシアには強硬姿勢で臨み、プーチン氏が政権にとどまる限り、米露関係を改善しようとはしないだろう。ウクライナのNATO加盟を検討するかもしれない」と予測した。実際の加盟は独仏などが反対するため困難だが、NATO加盟論議自体がロシアに圧力となる。

バイデン氏のウクライナ重視外交が、安倍晋三首相の対ロシア外交を妨害したことはあまり知られていない。ロシアは2015年5月に対独戦勝70周年記念式典を盛大に挙行し、安倍首相にも招待状を送った。北方領土問題の解決を悲願とした安倍首相は、プーチン大統領との親交を重視し、式典に参加する予定だった。

しかし、他のG7(主要7カ国)諸国は前年のロシアによるクリミア併合で対露制裁を課しており、式典欠席を決めていた。米政府は日本側に対し、「ウクライナ問題でG7の結束を維持すべきで、単独行動はよくない」と訪露に反対し、安倍首相もやむなく承諾した。プーチン大統領は「ワシントンから参加を許されなかった首脳もいる」と述べ、米国に「ノー」と言えない日本外交を揶揄した。

バイデン政権は日本の独自外交、抜け駆けを許さない

安倍首相は日露平和条約交渉を動かすため、2016年にも訪露を計画したが、オバマ大統領は安倍首相に電話し、「今ロシアと対話すべきでない」と横やりを入れた。しかし安倍首相は、今度は米側の制止を振り切ってロシア南部のソチを訪れ、プーチン大統領と会談。北方領土問題の「新しいアプローチ」や対露支援の「8項目提案」を行ってプーチン大統領を喜ばせた。

このように、2度にわたり安倍首相に訪露中止を求めた仕掛け人が、米政府のウクライナ外交の責任者、バイデン副大統領だったことは容易に想像がつく。

その間、安倍首相は2015年6月、ウクライナを訪問し、下水処理場改修などで約3000億円のウクライナ支援を表明した。ウクライナに対する援助としてはG7で最大で、ウクライナ支援を米国にアピールして訪露の許可を求めたものとみられている。

結局、安倍首相悲願の北方領土問題の交渉進展をはじめとする安倍・プーチン交渉は破綻した。だが、「同盟国の結束した対露・対中外交」を公約に掲げるバイデン次期政権は、今後とも日本の抜け駆けを許さないだろう。

月5万ドル(約500万円)の報酬を受けたバイデン氏次男

先の「ニューヨーク・タイムズ」の調査報道によれば、バイデン氏はウクライナへの執着について、「世界に変化をもたらすという少年時代からの夢の一環。政治家としてのレガシーにしたいプロジェクトだ」と周辺に語っていたという。しかし、ウクライナへの執着は、それだけが理由ではないかもしれない。

一連のウクライナ訪問には、次男のハンター・バイデン氏が必ず同行してきた。

ハンター氏は、2014年4月、ウクライナのエネルギー最大手、ブリスマ社の取締役に就任した。同社のプレスリリースには「法務部門を担当し、国際業務を支える」と書かれている。

結局、ハンター氏は2019年4月までの5年間ブリスマ社の取締役を務め、非常勤ながら月5万ドル(約500万円)の報酬を受けた。経済破綻したウクライナの平均賃金は300ドル程度なのだから、この報酬は何と平均賃金の166倍以上ということになる。エネルギーの知識もないハンター氏がいかに破格の報酬を得ていたかがわかる。

共和党が追及するバイデン父子の「ウクライナ・ゲート」

このブリスマ社は脱税や資金洗浄の疑いがあり、ウクライナ検察当局が同社とオーナーのズロチェフスキー氏を捜査していた。在ウクライナ米大使館も徹底捜査を求めており、米政府内には、ハンター氏が札付き企業の役員を務めることに批判の声があったという。

しかし、バイデン副大統領は2015年、ポロシェンコ大統領に対し、同社を捜査していたショーキン検事総長の解任を要求した。解任しないなら、ウクライナへの10億ドルの融資を撤回すると警告していた。

これに応じる形で、ポロシェンコ大統領は検事総長の解任を決めた。議会も承認し、米国の融資は実行された。検事総長は解任後、バイデン副大統領が圧力をかけてきたとメディアで告発した。

大統領選に向けてバイデン氏の疑惑に目を付けたトランプ大統領は2019年7月、ウクライナのゼレンスキー大統領との電話会談で、バイデン父子を捜査するよう要請し、捜査しなければ軍事援助を凍結すると警告した。

この「ウクライナ・ゲート」事件では、民主党が多数派の下院で大統領弾劾が決議されたが、共和党が多数派の上院は無罪評決を下している。

ただし、バイデン父子の「ウクライナ・ゲート」はまだ解明されていない。疑惑をめぐっては、ロシア発のフェイクニュースも乱れ飛ぶが、共和党側が追及するのは必至で、今後、新たな火ダネになりかねない。


2022/08/30 (日中半世紀 誤算の経済依存)
中国の成長、日本が望んだ   協調期待、WTO加盟後押し
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S15401391.html?ref=pcviewer

 経済力を武器に国際政治を操ろうとする大国を育てたのは、日本だったのか。

 1996年6月、フランス・リヨンで開かれた主要7カ国首脳会議(G7)。
「中国の世界貿易機関(WTO)への早期加盟が重要だ。中国を国際的な枠組みに迎え入れる努力をすべきだ」

 席上、日本の首相の橋本龍太郎は、欧米首脳との個別の会談を含めて熱心に訴えてまわった。

 この時、中国が民主化運動を武力で弾圧し、世界に衝撃を与えた天安門事件からまだ7年。橋本は蔵相だった91年、事件後に初めて訪中した西側の主要経済閣僚でもある。「中国のWTO加盟を強力に支持する」が口ぐせだった。

 外務審議官としてサミットで首相を補佐するシェルパを務めた小倉和夫は振り返る。「中国を国際ルールの中に引き入れるには安全保障はすぐには難しいが、貿易であれば可能だろう、と。中国が国際社会で予見可能な行動をとる一歩になると考えられていた」

 サミットで日本は、議長声明で「中国の適切な国際機関への加盟を支持」をうたおうと働きかけていた。

 中国を世界経済の枠組みに迎え入れるべきか。人権を重んじる声を国内に抱える米欧には迷いがあった

 米大統領のクリントンは「日米などが大事にしているルールに従ってもらう必要がある」。この時の議長声明では、日本の主張した文言は入らなかった。

 日本の中国への後押しは、その後も続いた。通産省(現経済産業省)時代、中国のWTO加盟問題に携わった横浜国立大学教授の荒木一郎は言う。「日本政府は中国が86年に(WTOの前身)GATT(関税貿易一般協定)に入りたいと表明して以降、一貫して支持してきた」。手続きも親身にアドバイスし、中国側から感謝されたという

 90年代に改革開放を加速させた中国は、貿易額でも世界10位前後までかけ上ってきていた。将来の巨大市場に期待する日本の経済界は、中国のWTO加盟を心待ちにしていた

 一方で、当時の中国の経済規模は日本の4分の1ほど。「安保上の立場の違いはあっても経済が脅威という声はきこえなかった」。そう振り返るのは橋本の政務秘書官だった衆議院議員の江田憲司だ。

 「歴史問題も抱える中国とは経済が関係を安定させると期待した」

 橋本に続く首相の小渕恵三も、流れを引き継いだ。中国との関係を重視した田中派・竹下派の系譜だ。

 日本は99年7月、小渕の訪中にあわせて、主要国の先陣を切る形でWTO加盟にかかわる二国間交渉を終える。これが呼び水となり、米国なども動いた。

 中国は2001年12月、正式にWTOに加盟した。外資を呼び込み、新世紀に破竹の成長をとげていく。

 中国との交渉の前線にいた日本政府の元幹部は語る。「中国が改革開放で得た経済力を、ここまで西側の脅威になる形で使うとは想像していなかった」(敬称略)
     ◇
 日本に背を押されるように、中国は世界のルールへと加わった。ただ、世界はいま、時に国際経済のルールより自らの論理を優先させるかのような姿を目の当たりにしている。(編集委員・吉岡桂子)
(2面に続く)

▼2面 (日中半世紀 誤算の経済依存)
加盟すぐ、頭をもたげた脅威論
「緊密な連帯」築けなかった信頼

写真・図版
写真・図版
【日中の国内総生産(GDP)推移】

「中国の経済発展を脅威とみる向きもあるが、私はそうは考えない。むしろ好機であると考えている」
 2002年4月、首相だった小泉純一郎の中国海南島での演説は、列席した首相の朱鎔基(チューロンチー)をはじめ中国側から大歓迎された。だが、この演説が示すように、世界貿易機関(WTO)加盟から1年を待たず日本では「中国脅威論」が頭をもたげていた


 バブル崩壊後の長い低迷に陥った日本を尻目に、中国は離陸を果たした。日本にしても、国際的な経済協力には中国は欠かせない存在になっていく。

 「リーマン・ショックや欧州債務危機を受けた国際経済の安定には、日中の緊密な協力が必要な時代に入ったと感じていた」。日中の国内総生産(GDP)が逆転するころ、財務省国際局長から財務官を務めた中尾武彦・前アジア開発銀行(ADB)総裁は振り返る。

 「政治関係が揺れ動く中でも、日中の経済当局間にはある種の連帯があった」

 G7メンバーでない中国は、欧米の金融危機への先進国の対処について、日本を通じて知りたがっていた。頻繁に情報交換した。

 のちに習近平(シーチンピン)国家主席の経済ブレーンとして副首相に就いた劉鶴にも何度も会った。「米国に対抗して、日中でやっていこう」。ADB総裁に就任後、中国側幹部からこう持ちかけられたこともあった。ただ、この「日中の緊密な連帯」もまた、過去となりつつある。

 象徴的な動きがあった。中国は15年、日米が主導するADBの向こうを張り、自らが主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立した。日米を除く主要国がこぞって加盟した

 日中が約束し、果たされていないものがある。中尾が財務官時代に合意した、相互の国債を持ち合う協力だ。信頼醸成の意味があったが、日本政府は「その時期にはない」とみる。

 ■中国、レアアース規制「報復」

 2010年9月半ば。経済産業省の非鉄金属課(当時)に一本の電話が入った。「中国政府が日本へのレアアース輸出を止めるという話があるが、本当か」。メディア関係者からだったという。

 同月7日、尖閣諸島付近の東シナ海で中国漁船が海上保安庁の巡視船2隻に相次いで接触。船長が公務執行妨害の疑いで逮捕され、中国政府が強烈な反発を示していた

 電話からまもなく、レアアースの輸入商社から次々に電話がかかってきた。いずれも「中国の業者が輸出出来ないと言っている」という相談だった。調べると、レアアースを載せるはずの船が中国各所の港で動かなくなっていた。想定外の事態が本当に起きたことを知った瞬間だった

 経産省は現状を把握しようと中国に職員を派遣。民間企業の幹部は「本当は輸出したい」とぼそっと口にし、政府の指示であることを示唆したという

 日本は当時レアアースの輸入の9割を中国に依存していた。中国は輸出を止めたことを「環境保護のため」と説明したが、船長を逮捕したことへの報復措置なのは明らかだった。

 中国はこの年に国内総生産(GDP)で世界第2位となり、日中の経済規模は逆転した。その規模が、中国に自信を与えていた

 日本は補正予算を投入して企業にレアアースの使用量を減らすよう誘導。依存する度合いを下げることで、難局を乗り切った。日米欧は12年6月、WTOに中国の規制は協定違反だと提訴。敗訴した中国は、15年に輸出枠や関税を無くした。

 だが、中国は敗訴したものの、「貿易やサプライチェーン(供給網)を通じた報復措置は効果的だ」と学んだ。関連する日本企業を誘致することで技術も手に入れた。巨大市場という武器の力も実感していた

 ■14億人の市場背景、続く圧力

 14億人の巨大市場が支える経済規模を背景にした他の国・地域への圧力は、その後も繰り返されてきた。

 新型コロナウイルスの起源について中国で調査をすべきだと主張したオーストラリアに対し、20年にワインや大麦で大幅に関税を引き上げて報復。ワイン好きが増えている中国は「お得意先」だった。昨年には台湾の蔡英文(ツァイインウェン)政権に圧力をかけるため、害虫検出を理由に台湾産パイナップルの輸入を止めた。輸出の97%が中国向けだった。

 特定の国への差別的待遇は、WTOが禁じている。かつてWTO加盟を「入世(世界デビュー)」と呼んで喜んだ中国とは、かけ離れた姿だ。

 「世界のサプライチェーンの我が国への依存関係を強め、外国による供給停止に対する強い対抗力と抑止力を形成せよ」。20年11月、習近平国家主席は党理論誌「求是」でこう強調した。「今後も同じようなやり方を繰り返すに違いなく、日本は回避する対策を進める必要がある」。レアアース事件を経験した日本政府関係者はこう警鐘を鳴らす。

 中国は21年、環太平洋経済連携協定(TPP)への加盟を申請した。米国が離脱後、日本が主導して11カ国でまとめた協定だ。ただ、ハードルは高い。TPPのルールが求める高レベルの自由化に中国が合わせることは難しいからだ。逆に、中国によってルールが変えられるのでは、との警戒感も日本に強い。

 経済産業省などでTPP交渉に携わった宗像直子・東京大教授は言う。「中国の制度の根本的な変革がないまま加入を認めれば、法の支配を広げていくという、TPPの戦略的意義が失われるだろう」

 現在の中国のままでの加盟は認めるべきではないとする立場だ。

 WTO加盟を機に、中国が規模に見合う責任も果たす。日本と世界の期待は、いまだ実現していない
。 (敬称略)(編集委員・吉岡桂子、北京=西山明宏)


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