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折々の記 2010 F

【心に浮かぶよしなしごと】

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  12 08 親子の絆 ー 0歳教育
  12 08 誕生と死別

 12 08 (水) 親子の絆 ー 0歳教育

一、絆〜ママへのラブソング〜橋本昌彦 Hashimoto Masahiko


きのうテレビを見ていると、歌を聴いている若い母親の多くの人が涙を流している画像が流れてきました。 見ていると、赤ちゃんからママへの歌でした。

本当のことでした。 老生が0歳教育に熱中し間違いなく子供をりっぱに育てることができると確信し、その考えのもとで関係事項を調べてきました。 だが、これよりももっと直接に親の感覚に訴える方法がありました。

それが「絆 〜ママへのラブソング〜」でした。 老生にとっては青天の霹靂でした。

その概要を載せておきます。

@ NHK 「あさイチ」で放送

    http://hashimotomasahiko.com/wp/
    <橋本昌彦 Official Web Site>

  NHK 「あさイチ」でも放送日が決定いたしました!

  2010年12月7日(火曜日)
  NHK総合テレビ 朝8時15分から9時54分 
  放送日について、たくさんのお問い合わせを頂いておりましたが
  やっと、放送日が決定いたしました。
  少しでも多くの方達に絆の活動を知っていただければと思います。
  皆様、ぜひご視聴をお願いいたします!

A 作った人(橋本昌彦)の願い

  絆 〜ママへのラブソング〜

この楽曲は幼い子供からママに向けたメッセージソングです。

連日のように新聞・TVでは子育てや親子間に起こる様々な問題を目にすることが非常に多くなりました。 そのようなニュースを聞くことは本当に胸が痛みます。

シンガーソングライターの僕に何かできることはないだろうか・・・と考えてみました。

ケアストレスカウンセラー」として教材作成・講演会を通じて、親子&青少年のメンタルヘルスの向上に努める渡辺照子さんと相談し、歌詞を書いて頂いたのがこの「絆〜ママへのラブソング〜」です。

僕が子供だった頃、本当にやんちゃなイタズラ坊主だったそうで、両親はよく「大変だった」と話をします。 そんな親の言うことをきかない僕が5歳の時に髄膜炎になりかけて入院した時、毎日見舞いに来てくれる両親を僕はどれほど楽しみに待っていたことか…。 僕にとって両親は唯一の存在だったんですよね。 それは僕だけに限らず、世界中の子供にとって親というのは、かけがえのない存在であり、親が子供を愛する以上に親のことを愛しているのだと思います。

それを裏付けるデータとして、虐待を受けている子供の90%は親のもとに帰ることを望むという事実もあります。 こんな子供の切ない想いも歌詞に盛り込んであります。 虐待というと話が大きくなってしまうのですが、毎日の子育ての中で余裕がなくなってくると、子供の泣き声をうるさく感じてしまったり、イライラしてしまったり・・・

子育てをしていたらそんな瞬間は誰にでもあることだと思います。 そんな時、この歌を聴いて、泣いている子供のことを「仕方ないな〜」と思えたり、イライラする気持ちをすこしでも癒せることができたら、この歌の使命を果たせたものだと思います。 そんなきっかけになれることを僕は望んでいます。

  現在、ライブの他にも親子が集う場所や保育園等でこの楽曲をボランティアでお届けに行く活動をしていますが、その度に多くの方が涙を流して下さります。 お子様連れのお母様は、お子様を抱きしめて聴いて下さいます。 それを拝見するだけでやはり親と子は愛と絆で結ばれているのだと感じます。

光栄なことに児童健全育成推進財団から児童の育成に非常に良いということで厚生労働省の児童福祉文化財への推薦をも頂き、現在申請中でございます。

またこのCDの売り上げの一部を母子の健康に関する団体や組織などの福祉基金に寄付する準備も行っております。

CDのお取り扱いは5月14日より山野楽器(本店B1F、そごう横浜店、そごう千葉店、そうごう大宮店、調布パルコ店)、アマゾン、オフィシャルHPでお取り扱いされます。 この楽曲をたくさんの保護者の方に伝えていきたいと思っておりますので、是非とも皆さまの応援、御協力を宜しくお願致します。

B プロフィール 橋本昌彦 Hashimoto Masahiko

  生年月日 1979.10.12
  出身地 熊本県水俣市
  血液型 O型

<趣味>
  健康にいいものをためすこと。
  旅行。グルメ探し。温泉

熊本県水俣市出身、中学時代からは全寮制の学校で鹿児島ですごす。 水泳や少林寺に励むスポーツ少年で、大会での優勝経験もある。 大学時代は関西大学に進み,大阪ですごす。 そして大学4年生の時にオーストラリアメルボルンに留学、現地での友人探しのためにボーカルオーディションに応募、そのまま合格し、ボーカリストとして活動を始める。 彼の音楽人生はここから始まった。

クラブやカフェなどでの活動から徐々に 知名度が広がり、メルボルンフェスティバルや、モナッシュ、メルボルン大学のコンサートホール、さらにはワンマンライブを展開。

しかし、その頃から自分の音楽性を求めるようになり、バンドの強力なひきとめにもかかわらず帰国を決意。

帰国後、独学で声楽の勉強をしながら作詞・作曲を始め、2004年に初の自主出版「Your sleeping face」を発売。 多くのラジオ局や新聞に取り上げられる。 2006年、「鬼塚ちひろ」「元ちとせ」やヒーリングミュージック「イマージュ」の総監督を務める、羽毛田丈史氏をプロデューサーに迎え、ファーストアルバム「LOVE STORIES」をリリース。 2009年9月には2ndアルバム「your sleeping face」をリリース。

現在、癒しをテーマにしたライブを展開すると共に、いま改めて、親と子、人と人の愛と絆を再確認して欲しいという思いから、子育てをしているお母さんへの応援ソングとして「絆〜ママへのラブソング〜」を作曲。

児童虐待防止オレンジリボン運動への協賛として、保育園や幼稚園ライブのボランティアを行っている。 また、児童福祉文化財推薦のノミネートを頂き、現在申請中である。 そんな活動を、各種メディアから取り上げられて、TVやラジオ出演依頼も多く、多忙な毎日を送っている。

C 絆 〜ママへのラブソング〜

   ★ 絆〜ママへのラブソング〜

   一 あぁ まどろんでしまう          五 あぁ まどろんでしまう
      腕の中でその鼓動を聞くたびに       腕の中でその鼓動をきくたびに

   二 あぁ あなたの香りが           六 あぁ あなたの香りが
      夢を誘いその眼差しに満たされる      夢を誘いその眼差しに満たされる

   三 困らせたくて泣くわれじゃない     七 怒らないで、叩かないで
      甘えたくて抱きしめてほしいから       きっとあなたの気に入る私になるから

   四 あなただけが守ってくれる
      誰よりも 何よりも・・・

二、トイレの神様

上記の絆の歌の話を老妻としていると、「トイレの神様」もとてもいい歌だったという。 トイレの掃除についてはいろいろと話は聞いているが、いい歌があるとは知らなかった。

これも調べてみるとお婆ちゃんと孫娘の絆に関わる歌でした。

ゥう…ン 、これも素敵だなぁ !!

    トイレの神様 歌詞 植村花菜

  小3の頃からなぜだか
  おばあちゃんと暮らしてた   毎日お手伝いをして
  実家の隣だったけど       五目並べもした             トイレにはそれはそれはキレイな
  おばあちゃんと暮らしてた   でもトイレ掃除だけ苦手な私に   女神様がいるんやで
                      おばあちゃんがこう言った      だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
                                            べっぴんさんになれるんやで
  その日から私はトイレを
  ピカピカにし始めた          買い物に出かけた時には
  べっぴんさんに絶対なりたくて   二人で鴨なんば食べた            トイレには それは  同上
  毎日磨いてた              新喜劇録画し損ねたおばあちゃんを   女神様がいるん …
                         泣いて責めたりもした             だから毎日 …
                                                   べっぴんさんに …
  少し大人になった私は
  おばあちゃんとぶつかった   休みの日も家に帰らず
  家族ともうまくやれなくて     彼氏と遊んだりした       どうしてだろう 人は人を傷付け
  居場所がなくなった       五目並べも鴨なんばも     大切なものをなくしてく
                      二人の間から消えてった    いつも味方をしてくれてた おばあちゃん残して
                                          ひとりきり 家離れた
  上京して2年が過ぎて
  おばあちゃんが入院した
  痩せて 細くなってしまった     「おばあちゃん、ただいまー!」ってわざと
  おばあちゃんに会いに行った   昔みたいに言ってみたけど ちょっと話しただけだったのに
                        「もう帰りー。」って 病室を出された
  次の日の朝  おばあちゃんは
  静かに眠りについた

  まるで まるで 私が来るのを
  待っていてくれたように          ちゃんと育ててくれたのに 恩返しもしてないのに
                           いい孫じゃなかったのに
  トイレには それはそれはキレイな    こんな私を待っててくれたんやね
  女神様がいるんやで
  おばあちゃんがくれた言葉は 今日の私を   トイレには それは  同上
  べっぴんさんにしてくれてるかな         女神様がいるん …
                                だから毎日 …
  気立ての良いお嫁さんになるのが        べっぴんさんに …
  夢だった私は
  今日もせっせとトイレを ピーカピカにする   おばあちゃん
                                おばあちゃん
                                おばあちゃん ありがとう
                                おばあちゃん
                                ホンマに
                                ありがとう

大晦日の紅白でこの歌も歌われるといいます。

三、身體髮膚、受之父母。


 ・ 身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕わすは、孝の終わりなり。

    身體髮膚、受之父母。不敢毀傷、孝之始也。立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。

    from <孝経、開宗明義章第一> http://ja.wikiquote.org/wiki/%E5%AD%9D%E7%B5%8C 孝経 - Wikiquote

                         http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2009/10/nozawa22-5.html
                         孝経 身体髪膚 毀傷せざるは、孝の始め nozawa22

昔浪合村小中学校の礼法室にその一節が額に書かれていました。

次の引用は一読しておくといい。

    http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/motoorinorinaga/tatemaeto.htm
    第一節 建前と本音


                     一、建前としての『孝経』

 宣長は儒教を建前ばかりで真情に欠けていると非難しています。儒教においては「孝」が最も重視された徳です。中国では大家族制度の下で門閥制度が発達し、家族・親族・一門の団結が政治的・経済的な地位の安定をもたらしました。そこで家を隆盛させ連綿と継承することがなりより大切だとされたのです。親を敬って大切にすることは、家族的結合を強化し、継続させるうえで、一番大切なことです。そこで「孝」が徳の中心だと言われるようになったのです。儒教が中国で支配的な思想として二千年近く君臨してきた最大の理由は、孝を中心道徳に据えてきたからだと言われています。それは家父長的な大家族制度に最も適合したイデオロギーだったからなのです。

 孝を説いた儒教の経典は『孝経』です。「身體髪膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也(身体髪膚、これ父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり)」で有名ですが、若い世代の人はほとんど知らないのではないでしょうか。私は戦後生まれですが、戦前の日本の修身教育では『孝経』が重視されていたそうです。東アジア文化を理解するには『孝経』の位置づけが一つのポイントになります。四書五経に入っていないにも係わらず、『孝経』の持つ意義は絶大で、超時代的に全ての法規の大前提の自然法的規定が『孝経』でうです。『孝経』の意義が絶大だったことを証明した名著に桑原隲蔵著『中国の孝道』(講談社学術文庫)があります。伊藤仁斎は『論語』を「宇宙第一の書」と賞揚しました。孔子の言行が生々しく伝わっていますので、確かに『論語』の方が思想的な含蓄がありますが、後世をより強く規制したのはむしろ『孝経』だったのです。『孝経』によって儒学は人々の精神生活を根底から支配する儒教に成長したと言えるでしょう。

 ところで『孝経』はあくまで建前の世界を支配していました。儒教は親孝行の大切さを説くときでも、情に訴えるのではなく、理に訴えたのです。「孝」の原理はあらゆる社会関係をも貫き、天地自然の原理も「孝」に基づいているのだから、孝を大切にして生きることが根本であると説いています。なるほど孝を尽くさなければならないのだなと理窟ではよく分かるのです。親不孝などとんでもない罪悪だと分かります。『孝経』では強盗殺人よりも「親不孝」の方が凶悪なのです。「五刑之屬三千、而罪莫大於不孝(五刑のたぐひ三千、而して罪は不孝より大なるはなし)」とあるのですから。新井白石の『折りたく柴の記』に、嫁が夫の失踪を届けたところ、それがきっかけで夫の両親に殺されていたことが判明し、親を訴えた「不孝の罪」にあたるか老中で議論になり、白石に諮問があったことが記されています。もし両親に殺されたのではないかと思って訴えたのなら、この嫁は「不孝の罪」で死刑にしなければならないところだったのです。

 もちろん具体的に親不孝な言動があれば、それだけで不孝罪に問われたり、左遷や降官させられることがあり、政敵やライバルを陥れる為に親不孝のでっち上げが盛んになされたようです。藤田友治によりますと、『三国志』の著者である陳寿は親の葬儀に疲れて婢に丸薬を作らせていましたが、それを咎められて左遷されてしまったということです。つまり親の葬儀に当たってはひたすら死者を悼み自分の体に構ってはならないのです。

 『孝経』の教えに基づいて孝子や孝女が輩出しました。『中国の孝道』によりますと、親が病に臥しますと体によいからといって、自分の股肉を切って食べさせたり、死を覚悟で自分の肝臓まで食べさせる狂気の沙汰まで起こり、度々禁令が出されたようです。しかし裕福な家庭ならいざ知らず、一般の家庭では目立った親孝行などなかなかできないものです。狭い家で家族が増えてきますと、老人の存在は面倒がられ、邪魔物扱いされがちです。

                     二、本音としての『父母恩重経』

 自分を守り育ててくれた父母に感謝し、老後は安楽に暮らせるように息子や娘が愛情を籠めて面倒を見るのが、家族制度を大切にして生きる場合に求められる当然の義務です。ところが現実にはなかなか親の面倒を見れないばかりか、足腰が弱り、物ごとの判断も鈍くなり、草臥れてきた段階の親につい辛く当たるようになってしまいがちです。年老いた両親に辛く寂しい老後が待ち受けているのです。改めて親孝行の大切さを訴える必要があります。

 そんな場合は『孝経』のように孝行を理で諭しても効果は余りないのです。理窟では理解できても年寄りに構う余裕がないとかいう態度でどうしても横柄な扱いになってしまうのです。そこで今度は仏教の側から親孝行の大切なことを説いた『父母恩重経』を検討しましょう。

 このお経は、唐代に中国で作られました。釈迦没後五百年間の「正法」の時期に作られたお経は、解脱して仏陀になった人が書かれたもので正式のお経と認められたのですが、それ以後の「像法」「末法」の時期にはいくら修行したところで悟りに到達することはあり得ませんから、唐代にできたお経は偽経なのです。それでいくと『父母恩重経』も偽経です。

 このお経は、理で諭すことはしないで、専ら情に訴えている点に特色があります。まさしく建前は抜きに、ずばり本音だけでストレートに真情を突き刺しているんです。『孝経』は父親を尊ぶことが中心で、家父長家族の秩序維持が眼目ですが、『父母恩重経』はエロス的交流の深い母親への慕情を喚起することが狙いです。儒教に対する本居宣長の関係を考えますと、自然に『孝経』に対する『父母恩重経』の関係を思い起こしてみたわけです。

 『父母恩重経』は吉川英治の『宮本武蔵』で又八の母、本位田のお杉が親不孝のやくざ者に読ますために千部写経の願を立てたという設定で紹介されています。では大変感動的なので、主な内容を紹介しておきましょう。

・・父にあらざれば生まれず 母にあらざれば育たず  ここをもって 気を父の胤に稟け 形を母の体内に託す  この因縁を以ての故に 悲母の子を念うこと 世間に比いあることなく その恩、未形に及べり 始め胎を受けしより 十月をふるの間 行、住、坐、臥 もろもろの苦悩をうく 苦悩休む時なきが故に 常に好める飲食衣服を得るも 欲執の念を生ぜず 一心ただ安く生産せんことを思う

 月充ち日足りて 生産の時いたれば 業風ふきて是を促がし 骨節ことごとく痛み苦しむ 父も心身おののき  懼れ 母と子とを憂念し 諸親眷族みな苦悩す すでに生れて草上に堕つれば 父母、欣び限りなく 猶、貧女の如意珠を得たるが如し

・・その子、声を発すれば 母も此の世に生まれ出たるに似たり 爾来 母の懐を寝処とし、母の膝を遊び場とし  母の乳を食物となし 母の情けを生命となす 母にあらざれば、着ず脱がず 母飢えに中る時も 哺めるを 吐きて子に啗わしめ 母にあらざれば養われず その闌車を離るるに及べば 十指の爪の中に子の不浄を食う

・・・計るに人々 母の乳を飲むこと一日八十斛 父母の恩重きこと 天の極まり無きがごとし  母、東西の隣里に傭われ 或は水汲み、或は火焼き 或は碓き、或は磨ひく 家に還るの時 未だ至らざるに  わが児家に啼き哭して 我を恋い慕わんと思い起せば  胸さわぎ心愕き 乳ながれ出でて堪うる能わず  乃ち、 走り家に還る児、遙かに母の来るを見 脳を弄し、頭をうごかし 嗚咽して母に向う 母は身を曲げ、両手を舒べ わが口を 子の口に吻く 両情一致 復たこれに過ぐるものなし

・・二歳、懐を離れて始めて行く 父に非ざれば火の身 を焼く事を知らず 母に非ざれば刀の指を堕すを知らず  三歳、乳を離れて始めて食う 父に非ざれば毒の命を落すを知らず 母に非ざれば薬の病を救うを知らず  父母、外の座席に往き 美味珍羞を得るあれば みずから喫わず懐に収め 喚びて子に与え、子の喜びを歓ぶ

  ・・子、やや成長して 朋友と相交わるに至れば 父は子に衣を索め 母は子の髪を梳ずり 己が美好はみな子に捧げ尽し 自は故を着、弊れたるを纏う

・・既に子、婦を索めて 他の女子を家に娶れば 父母をば転、疎遠にして 夫婦は特に親近にし 私房の中に語らい楽しむ

・・・父母年高けて 気老い、力衰えぬれば 倚る所の者はただ子のみ 頼む所の者はただ婦のみ しかるに朝より暮まで 未だ敢て一たびも来たり問わず 夜半衾冷ややかに 五体安んぜず、復談笑なく 孤客の旅寓に  宿泊するが如し

・・或は復、急に事ありて 疾く子を呼びて命ぜんとすれば 十たび喚びて、九たび違い 遂に来たりて給仕せず  却って怒り罵りていわく 老い耄れて世に残るよりは 早く死なんに如かずと 父母聞きて怨念胸に塞がり  涕涙、瞼を衝き目くらみ 噫、汝幼少の時 吾れにあら ざれば養われざりき 吾れに非ざれば育てられざりき



 このお経は仏教のお経ですから、家を捨てて出家した僧侶が書いたものです。父母の恩を強調して、親孝行を説くのは、脱俗的な仏教の立場からは次元が低い問題です。でも衆生済度の大乗仏教としては、むしろ民衆の生活倫理の教導は極めて重要だったのです。それを主情的な説き方で行えたところに仏教の柔軟性、大衆性が感じられます。為政者の立場からではなく、被治者の立場に徹して説いているところも、宣長を考えるに当たって念頭に置いて欲しいところです。

(下平・追記 『父母恩重経』を理解するに父母がわが子に接する本義と、後年に至り父母が老衰し、それを眼にしても老父母の思いを理解できない。 ここで初めて我が子を慈しみ我が孫の幸せを願う無償の愛の道が開けます。 老父母が幸せに生きる道は、あくまで親孝行でありそれが子孝行につながっていることを悟らなければならないのです。)

 12 08 (水) 誕生と死別

老生も満82歳となりました。 生まれてから満82年過ぎました。

  下平  優  12月03日生まれ 15 1985
  下平好上  12月08日生まれ 82 1928
  下平友美  12月12日生まれ 18 1982
  下平真介  12月17日生まれ 53 1957

老生の血族では12月生まれは上記の4人います。 それぞれの感慨はそれぞれが築けばいい。

老生が誕生日を迎えた感想は、前の 12 08 へ書いた「親子の絆−0歳教育」の三項目です。

   一、絆〜ママへのラブソング〜
   二、トイレの神様
   三、身體髮膚、受之父母。

絆というのは生綱というのが原義だろうと思っています。 「生きている綱」のことを『絆』という文字を使って表わしているのだろうと思っているのです。 絆は生きているものなのです。

その生きている綱の強弱を思いますと、幼少時代に ‘どのように作られてきたか如何’ によってさまざまになると思います。 優しい柔らかな心根がその中心になっています。 愛と言ってもいいと思います。 愛情と言ってもいいと思います。

一、 と 二、は絆が築かれる現況が歌われています。 

三、は子どもの側から見た考え方で、普通は‘親孝行’という言葉を使っているそのものずばりのものです。

ここへ取り上げた三つの内容こそ、老生が取り組んできた「0歳教育」の基本になっている心構えなのです。 0歳教育はこうした心構えの上に、知育・徳育・体育が行なわれるものなのです。

☆                    ☆                    ☆

ジョンレノンの命日

ジョン・レノン(1940年10月9日 - 1980年12月8日)は、イギリスのリバプールで誕生し39歳の若さでニューヨークで凶弾に倒れました。 レノンの詳細についてはインタネットの検索でいくらでも調べられる。 ウィキペディアが一般的です。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%83%B3
    ジョン・レノン - Wikipedia


一人の夢は一人の夢で終わるかも知れない。
けれども、共通の夢はやがて実現できる。