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折々の記 2011 B

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】04/03〜     【 02 】04/05〜     【 03 】04/15〜
【 04 】04/20〜     【 05 】04/25〜     【 06 】05/02〜
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【 02 】04/05

  04 06 東京電力福島第一原子力発電所
  04 07 こども論語塾 その一

 04 06 (水) 東京電力福島原発

  朝日新聞記事


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2011年4月6日5時2分
福島第一、安全設計で第二と違い
電源喪失巡り東電指摘

 東日本大震災で被災した東京電力福島第一原子力発電所で、津波を受けて電源喪失事故に至った主要な理由は、福島第二原発との安全設計上の違いにあると、東京電力作成の資料で指摘されていることが分かった。第一ではタービン建屋内の非常用ディーゼル発電機などが冠水し、使用不能。第二では、発電機などが気密性が高い原子炉建屋内にあり、機能を維持した。今後、事故の検証で安全設計の問題が焦点の一つになるのは確実だ。

 福島第一、第二の両原発は3月11日、5.2〜5.7メートルの想定を大幅に上回る14メートル以上の津波に襲われた。電源を失った第一では原子炉の制御が困難になり、その後、深刻なトラブルが続発。第二では原子炉の冷却水を海水で冷やすシステムが正常に働かなくなるなどのトラブルがあったが、大きな事故には至らなかった。

 東電の柏崎刈羽原発(新潟県)がこの結果を分析した資料や東電関係者の話によると、津波による設備の損傷の違いは、(1)原子炉の非常用ディーゼル発電機と変圧器などの電源装置(2)原子炉の残留熱を除去するための海水をくみ上げるポンプ――に現れた。

 (1)では、タービン建屋などにある福島第一の発電機が冠水し、6号機の1系統を除き使用不能。原子炉建屋内の福島第二では、1号機の原子炉建屋が浸水したものの、機能が維持された。

 (2)では、設備がほぼむき出しの状態で置かれた福島第一のポンプがすべて運転不能になった。一方、ポンプ用の建屋内に置かれた福島第二では、1、2、4号機のポンプが運転不能となったものの、3号機は機能が保たれ、原子炉を冷却することが可能だった。

 (1)、(2)とも福島第二と同じ設計となっている柏崎刈羽原発では、この結果を受けて説明資料を作成。柏崎刈羽は「気密性の高い原子炉建屋に設置」しているとし、福島第一との違いを際立たせている。

 また、資料では、東北電力から送られている、外部電源の状態についても言及。福島第一、第二ではいずれも、東北電力からの送電が部分的に残っていたが、福島第一では、受電するための設備が地震や津波で被害を受け、外部電源が失われた。これに対し、福島第二では受電設備が機能しており、外部電源の一部が生きていた。

 事故収束の見通しが立っていない福島第一とは対照的に、福島第二では、3号機が地震発生の翌日の12日に、残る1、2、4号機も14〜15日に原子炉内の温度が100度未満の「冷温停止」となり、安全が宣言された。

 東京電力本社は「(柏崎刈羽原発の指摘について)問題があると認めたわけではない。今後詳細に検討し、整理したい」としている。(中井大助)




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 04 07 (木) こども論語塾 その一

春の象徴、桜が遅ればせながらに咲き始めました。

3.11 によって日本が変身を余儀なくされました。 こうした中で老人力という声も出ましたし、‘親子で楽しむ「こども論語塾」’も出版されています。

倫理規範への不信から戦前の倫理規範・東洋的な儒教の倫理規範が見直される風潮も出始めています。




著者 安岡 定子

1960 年生まれ。二松学舎大学文学部中国文学科卒業。

東京都文京区 「文フミの京ミヤコ こども論語塾」
宮城県釜石市 「一森山 こども論語塾」
東京都中央区 「素心・不器会 銀座・寺子屋 こども論語塾」
等の論語教室で講師をつとめる。

著書に、「素顔の安岡正篤」(PHP研究所) 「こども論語塾」
「こども論語塾 その2」(明治書院)
「絵でみる論語」(日本能率協会マネジメントセンター)
がある。

陽明学者・安岡正篤の次男正泰の長女。



親子で楽しむ
こども論語塾
その一
明治書院

『論語』は、美しい言葉と知恵の宝庫です。

日本人は昔から、素読といって、先生が声高らかに読まれる通りに、こどもも声を出して読み上げました。 意味はまだよくわからない点があったとしても、くり返し読んでいくうちに、だんだんと、その言葉のすばらしさに、引きつけられていったものです。

この本では、『論語』全体で約五百章ある中から、短くわかりやすい言葉二十章を選び出しました。 『論語』の入り口に立つ入門の書に過ぎませんが、そのどれをとってみても、だれの心にもひびく内容が融かしこまれています。

できましたら、お子さんと一緒に、声に出して読んでみてください。 そして気に入ったものがありましたら、その中のいくつかを、暗証してみてください。 そこには、父母、祖父母、兄弟、姉妹たちとの至福の場が生まれるかも知れません。

「子曰(シノタマ)わく」という読み方は、昔から日本人が、孔子先生への最高の敬意をこめた表現です。 ですから、孔子先生以外の人の言葉は、すべて「○○曰(イ)わく」と読まされてきました。

人類の古典の中の古典とされる『論語』は、そのように古めかしく見えるものですが、その内容は、明るく、おおらかで、美しい世界なのだと、すぐお気付きになれるはずです。


も  く  じ

 T 「学ぶ」とはどういうことでしょう

   昔の人の教えを大切にする
     子曰、温故而知新、可以為師矣。 (為政二-J)

   自分なりの考えを持つ
     子曰、学而不思、則罔。思而不学、則殆。 (為政二-N)

   自分の考えにとらわれすぎない
     子曰、吾嘗終日不食、終夜不寝、以思。無益。不如学也。
                                             (衛霊公十五-○31)

   言葉は「正確に伝える」ためにある
     子曰、辞達而已矣。 (衛霊公十五-○41)

   思いっきり楽しんで、好きになる
     子曰、知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者。 (雍也六-S)

   「続ける」ことが、大切
     子曰、性、相近也。習、相遠也。 (陽貨十七-A)

 U どのように毎日を過ごしたらよいのでしょう

   今日の自分をふりかえってみる
     曾子曰、吾日三省吾身。為人謀而不忠乎。与朋友交而不信乎。
    伝不習乎。
 (学而一-C)

   相手から理解されるより、相手のことを理解する
     子曰、不患人之不己知。患不知人也。 (学而一-O)

   先のことまで考えておく
     子曰、人無遠慮、必有近憂。 (衛霊公十五-K)

   失敗したら、やり直せばいい
     子曰、過而不改、是謂過矣。 (衛霊公十五-○30)

   理想の生き方を求め続ける
     子曰、朝聞道、夕死可矣。 (里仁四-G)

 V 一番大切なもの、それは「仁(=思いやり)」です

   うわべだけの言葉は、心に届かない
     子曰、巧言令色、鮮矣仁。 (学而一-B)

   わかり合える仲間は、きっといる
     子曰、徳不孤、必有隣。 (里仁四-○25)

   いつも求め続けよう
     子曰、仁遠乎哉。我欲仁、斯仁至矣。 (述而七-○29)

   相手の気持になって考える
     子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎。 (衛霊公十五-○24)
     子曰、其恕乎。己所不欲、勿施於人。 (衛霊公十五-○24)

 W 理想の人=君子とは、どんな人なのでしょう

   「それは正しいことだろうかと、自分で自分に問いかける
     子曰、君子喩於義、小人喩於利。 (里仁四-O)

   100の言葉より、1の行動
     子曰、君子欲訥於言、而敏於行。 (里仁四-○24)

   相手のよい所をほめる
     子曰、君子成人之美、不成人之悪。小人反是。 (顔淵十二-O)

   おたがいに違いを認め合う
     子曰、君子和而不同、小人同而不和。 (子路十三-○23)

   学ぶこと・友だちを持つこと・理想の人をめざすこと
     子曰、学而時習之、不亦説乎。有朋、自遠方来、不亦楽乎。
    人不知而不慍、不亦君子乎。
 (学而一-@)


 マメ知識 1 孔子と論語

   孔子(前551〜前479)は、中国の春秋時代の大思想家・学者・教育者です。 理想の政治を実現
   するために、自分の生き方・考え方などについて説いて回りました。 また弟子の教育にも大いに
   力を尽くしました。

   「論語」は孔子の言行や、弟子たちとの問答などを記録した書物です。 二十編約五百章から成り
   孔子の人柄や思想を知る上で最も重要な書物です。

 T 「学ぶ」とはどういうことでしょう

 ●昔の人の教えを大切にする

   昔のできごとや、昔の人の考えをよく知り、それを毎日の過ごし方に役立てましょう。 昔と今、古い
   ものと新しいもの、それぞれによい所がありますね。 よい先生とは、その両方が、よくわかっている
   人を言います。

   子曰、温故而知新、可以為師矣。 (為政二-J)

   しのたまわく、ふるきをたずねてあたらしきをしれば、もってしとなるべし。

   孔子先生がおっしゃった。
   「昔の人の教えや過去のことについて学習し、そこから新しい考え方や取り組み方を見つけられれ
   ば、人を教える先生になることができる」

   【矣】  イ  や  その他の読み

   会意
   厶(し)+矢。厶の初形は(し)で耜(すき)の初文。耜に矢を加えて清め祓う意。その声を矣・・欸、
   その動作を挨という。〔詩、小雅、十月之交〕に謀(ばい)・(らい)と韻している。〔説文〕五下に「語
   已(をは)るの詞なり」とし、以声の字とするが、もとは矢で厶(すき)を祓う儀礼で、その声をいう。語
   句を強く結ぶとき、その声を加えたのであろう。

   語末の助詞。断定・決定・決意など、強い語気を示す語である。

   矣・也・已 jiは同声。 ともに語末に感動を含めてそえる。その劇(はげ)しい声はyet、ゆるやかな
   声は應(応)ing、憂うる声は悒jp、みな一系の語である。

   懿矣(よいかな) ・矣(うつたり) ・鬱矣(うつたり) ・往矣(ゆけ) ・ 久矣(ひさしいかな
   休矣(よきかな) ・行矣(ゆけ) ・皇矣(おおいなり) ・尚矣(ひさしいかな) ・甚矣(はなはだ
   壮矣(さかんなり) ・逖矣(はるかなり) ・悲矣(かなしいかな) ・勉矣(つとめよ
   耄矣(おいたり) ・老矣(おいたり

   【也】 矣・也・已 jiは同声。 ともに語末に感動を含めてそえる。
       その劇(はげ)しい声はyet、ゆるやかな声は應ing、憂うる声は悒jp、みな一系の語である。

   【已】 矣・也・已 jiは同声。 ともに語末に感動を含めてそえる。
       その劇(はげ)しい声はyet、ゆるやかな声は應ing、憂うる声は悒jp、みな一系の語である。

   【哉】 サイ  はじめる ・ かな ・ や
       かな、か、や、終助詞。 詠嘆、疑問、反語などの意を示す。

   【乎】 コ  よぶ ・ や ・ か
       助詞、や、。〔名義抄〕乎 ヤ 〔字鏡集〕乎 カ・ヤ・カヤ・ウタガフコトバ
       * か (〜ではないのか?と応じて、相手の同意を得る方法が多いようです)

   【於】 オ(ヲ) ・ ウ ・ ヨ  ああ ・ ここに ・ おいて
       于・乎・焉などと通用し、助詞として「に」「を」「より」の意に用いる、おいて。
       爰・焉に通用し、いずくに、ここに。

   【焉】 エン  いずくんぞ ・ ここに
       「いずくんぞ」「いずこ」のように疑問詞とする。 ここに。また終助詞に用いる。

   【未】 ミ ・ ビ  いまだ ・ ゆくすえ ・ ひつじ
       いまだ〜ず、否定の関係に使う再読文字。

   【将】 ショウ(シャウ) ・ ソウ(サウ)  すすめる ・ ひきいる ・ おこなう ・ まさに
       ほとんど、まさに、まさに〜す。肯定の関係に使う再読文字。

   ※  詳細なことは字通をみること。

 ●自分なりの考えを持つ

   どんなに本をたくさん読んでも、先生からいろいろなことを教えていただいても、自分できちんと
   考えて見なければ、本当の力にはなりませんね。 でもあれこれと考えているだけでもよくありま
   せん。 学ぶことと、しっかり考えることとは、どちらも同じくらい大切です。

   子曰、学而不思、則罔。思而不学、則殆。 (為政二-N)

   しのたまわく、まなびておもわざれば、すなわちくらし。おもいてまなばざれば、すなわちあやうし。

   孔子先生がおっしゃった。
   「人から学んだだけで、自分で考えてみることをしないと、何もはっきりとはわからない。ひとりで
   考えこむだけで広く学ばなければ、狭くかたよってしまう危険がある」

 ●自分の考えにとらわれすぎない

   いろいろなことを自分でよく考えて見ましょう。 でも一日中、何も食べず、一晩中、眠りもしない
   で、ただ考えているだけでは何も進歩しませんね。 よい本にめぐりあったり、先生のお話を聞い
   たり、お友だちからよい所を学び取ったりしてみましょう。

   子曰、吾嘗終日不食、終夜不寝、以思。無益。不如学也。

                                               (衛霊公十五-○31)

   しのたまわく、われかつてしゅうじつくらわず、しゅうやいねず、もっておもう。えきなし。まなぶに
   しかざるなり。

   孔子先生がおっしゃった。
   「私はある時、一日中食事もせず一晩中寝ることもしないで考え続けたことがある。しかし<それ
   はむだなことだ。ひとりで考えこんでいるよりも、人に学ぶほうが大切なのだ>と思った」

 ●言葉は「正確に伝える」ためにある

   言葉は、詩でも文章でも自分の気持や考えを正しくわかりやすく、人に伝えることが、いちばん
   の目的なのです。すぐれた言葉を身につけることは、すぐれた人になるために、ぜひとも必要な
   ことですね。

   子曰、辞達而已矣。 (衛霊公十五-○41)

    = イ やむ ・ すでに ・ はなはだ ロ 已・矣は終助詞として通用

   しのたまわく、じはたっするのみ。

   孔子先生がおっしゃった。
   「言葉というものは、相手にその意味を十分伝えるようにすることこそ大切なのだ」

 ●思いっきり楽しんで、好きになる

   どんなことでも、わからないことがわかるようになると嬉しいですね。 それをさらに好きになれたら
   もっと嬉しいですね。 好きになっていつも楽しめたら、それは最高です。 いつでも、この「知る、
   好きになる、楽しむ」の三段跳びができたら、素晴らしいと思いませんか。

   子曰、知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者。 (雍也六-S)

   しのたまわく、これをしるものは、これをこのむものにしかず、これをこのむものは、これをたのしむ
   ものにしかず。

   孔子先生がおっしゃった。
   「あることを知っているだけの人よりは、それを好きになった人のほうかせすぐれている。それを好
   きになった人よりは、そのことを楽しんでいる人のほうがもっとすぐれている」

 ●「続ける」ことが、大切

   人は生まれたときにはみんな同じです。 その後に、どんなことでも、一所懸命にがんばり続けた
   人とそうでない人とで違いが出ます。 人は誰でも、思いやりの気持のある優しい人になったり、
   何でもがんばれる人になることができます。 そのためには、どんな人になりたいかという理想を
   持って、体をきたえ、心をみがく努力が必要です。

   子曰、性、相近也。習、相遠也。 (陽貨十七-A)

   しのたまわく、せい、あいちかし、ならい、あいとおし。

   孔子先生がおっしゃった。
   「人の生まれつきというものは、だれも似たりよったりで大きい差はないのだ。生まれた後の習慣
   や学習の違いによって、その差が大きくなってしまうのだ」

 マメ知識 2 孔子と論語

   孔子には三千人の弟子がいたといわれています。 特に一芸に秀でた者七十二人、中でも
   すぐれた十人の弟子を「孔門十哲」といいます。
   下記のように四つの分野に分けて「四科十哲」トモ言います。
   ☆ 徳行 (仁徳を身につけて行動に表わすこと) 顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓
   ☆ 言語 (言語表現に巧みであること) 宰我・子貢
   ☆ 政事 (政治家として能力のあること) 冉有・子路
   ☆ 文学 (学問に通じていること) 子游・子夏

 U どのように毎日を過ごしたらよいのでしょう

 ●今日の自分をふりかえってみる

   一日に何回も自分のことを振り返ってみましょう。
      困っている人を助けてあげられましたか。
      お友だちとの約束は守れましたか。
      知らないことを知ったふりをしていませんか。 
   この三つのことは、どんな時にも守ることにしましょう。

   ・ 「曾子」は、孔門の十哲には入っていませんが、孔子先生の優秀な弟子の一人です。
   ・ 「三省」は何回もふりかえってみることです。

   曾子曰、吾日三省吾身。為人謀而不忠乎。与朋友交而不信乎。
  伝不習乎。
 (学而一-C)

   そうしいわく、われひにわがみをさんせいす。 「ひとのためにはかりてちゅうならざるか
   ほうゆうとまじわりてしんならざるか ならわざるをつたえしか」

   曾子が言った。
   「私は毎日何回も自分の行いについて反省している。 人の相談相手になって、真心を尽くし
   ていなかったのではないか。 友だちとつき合って、うそをつかなかったか。 自分が十分にま
   だ理解できていないことを、人に伝えたり教えたりしてしまっていなかったか」

 ●相手から理解されるより、相手のことを理解する

   自分のことを誰もわかってくれなくても、がっかりすることはありません。 それよりも大切なことは、
   まわりにいる人やお友だちなどがどんな人なのかを、自分が正しく知ることです。

   子曰、不患人之不己知。患不知人也。 (学而一-O)

   しのたまわく、ひとのおのれをしらざるをうれえず。 ひとをしらざるをうれう。

   孔子先生がおっしゃった。
   「他人が自分の実力を理解してくれないことを嘆くことはない。 他人の実力を自分が見極めら
   れないことをこそ心配するのです」

 ●先のことまで考えておく

   ずっと先のことまで、よく考えて毎日を過ごしましょう。 そうしないと、困ったり失敗したりするこ
   とが起こってしまいます。 どんな時にも深くじっくりと先のことを考えて行動しましょう。

   子曰、人無遠慮、必有近憂。 (衛霊公十五-K)

   しのたまわく、ひとにしてとおきおもんぱかりなければ、かならずちかきうれいあり。

   孔子先生がおっしゃった。
   「もし、遠くまで見通す、深い考え方のできない人があったら、必ず身近なことで困ったことが
   起こってしまうに違いない」

 ●失敗したら、やり直せばいい

   誰でも過ちをゼロにすることはできません。 しかし、失敗したり、間違ってしまったことを、その
   ままにしておいてはいけません。 素直な気持でやり直しましょう。 そのままにしておくことの
   ほうが、大きな間違いです。

   子曰、過而不改、是謂過矣。 (衛霊公十五-○30)

   しのたまわく、あやまちてあらためざる、これをあやまちという。

   孔子先生がおっしゃった。
   「過ちを犯してしまって、それをそのままにして改めないのが、それこそ、本当の過ちというものだ」

 ●理想の生き方を求め続ける

   私たちはどのような生き方をしたらよいのでしょうか。 それはとても難しい質問ですね。 孔子
   先生は、もしその答えがわかったら、その日の夜に死んでしまってもいいと思うほど、それを強く
   求め続けました。 私たちも、そのような高い理想を持って、毎日を一所懸命に過ごしたいです
   ね。

   子曰、朝聞道、夕死可矣。 (里仁四-G)

   しのたまわく、あしたにみちをきかば、ゆうべにしすともかなり。

   孔子先生がおっしゃった。
   「ある日の朝、仁の道がわかったら、私はその晩死んでしまってもかまわない」

 マメ知識 3 孔子廟

   孔子祀る建物をいいます。 孔子の故郷、中国の山東省曲阜をはじめとし、中国・日本の各地に
   あります。 たとえば日本では湯島聖堂(東京都)や足利学校(栃木県)などです。 孔子の遺徳を
   後世につたえるもので、現在でもそこでは「釈奠(セキテン)」(孔子を祭る儀式)などが行なわれてい
   ます。

 V 一番大切なもの、それは「仁(=思いやり)」です

 ●うわべだけの言葉は、心に届かない

   心のこもっていない言葉や、わざと人を喜ばせようとして作った表情は、よくありませんね。 なに
   よりも、思いやりの気持を持つことのほうが、大切ですね。

   子曰、巧言令色、鮮矣仁。 (学而一-B)

   しのたまわく、こうげんれいしょく、すくなしじん。

   孔子先生がおっしゃった。
   「上手に飾りすぎた言葉の人や、うわべばかりかっこうつけた表情の人には、本当の思いやりの心
   が欠けているのです」

 ●わかり合える仲間は、きっといる

   どんな時にも思いやりの気持を持っている人は寂しいことはありません。 きっと同じように優しい
   気持を持ったお友達が現れて、わかり合い助け合えるでしょう。 心配することはありません。

   子曰、徳不孤、必有隣。 (里仁四-○25)

   しのたまわく、とくはこならず、かならずとなりあり。

   孔子先生がおっしゃった。
   「徳を身につけた人は、ひとりぼっちにはならない。 近くに住んで親しんでくれる人が、きっと
   現われるものだ」

 ●いつも求め続けよう

   思いやりの心や優しい気持を持つことは難しいことでしょうか。 そんなことはありません。 そう
   なりたいと強く願い、努力すれば必ず持てるものです。

   子曰、仁遠乎哉。我欲仁、斯仁至矣。 (述而七-○29)

   しのたまわく、じんとおからんや。 われじんをほっすれば、ここにじんいたる。

   孔子先生がおっしゃった。
   「仁は私たちから遠くへだったところにあるものだろうか。 いやそうではない。 自分から進んで
   仁を求めれば、仁はすぐに目の前にやってくる」

 ●相手の気持になって考える

   生きていく上で大切なことを、ひとつの言葉で言うとしたら、何でしょう。 それは「思いやりの心」で
   す。 自分が人からされたら、いやだな、と思うことは、人にしてはいけませんね。 いつも相手を思
   う、いたわりの心を持てたらいいですね。

   ・ 子貢は孔子先生の弟子です。 頭はよいのですが、少し「恕」の心が足りなかったようです。
     孔子先生の言葉には、そんな子貢への注意も含まれていたのかもしれません。

   子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎。 (衛霊公十五-○24)

   子曰、其恕乎。己所不欲、勿施於人。 (衛霊公十五-○24)

   しこうといていわく、いちごんにしてもってしゅうしんこれをおこなうべきものありや。

   しのたまわく、それじょか。 おのれのほっせざるところ、ひとにほどこすことなかれ。

   子貢が質問して言った。
   「ただひとことで、一生実行する価値のあるよい言葉はないでしょうか」

   孔子先生が答えておっしゃった。
   「それこそ、恕(思いやりの心)という言葉だなあ。 自分が人からされたくないというような、いやなことを、
   人に押しつけたりしないとしうことだ」

 マメ知識 4 楷の木

   中国の山東省曲阜にある孔子廟の近くには、孔林と呼ばれる孔子とその子孫の広大な墓地があり
   ます。 敷地内には多くの種類の樹木がみられますが、その中でも楷の木は代表的な樹木で、孔
   林のシンボルになっています。 この孔林から種子を持ち帰り、植えたものが、東京の湯島聖堂内
   にある、樹齢九十年の巨木です。
   なおこの木は枝や幹が正しく並んで繁ることから、「行書」や「草書」に対して、くずさないで正確に
   書く書体である「楷書」という語の語源にもなっています。

 W 理想の人=君子とは、どんな人なのでしょう

 ●「それは正しいことだろうかと、自分で自分に問いかける

   毎日いろいろなことで、どうしたらいいか迷うことがありますね。 そんな時には、それが正しいことか
   正しくないことか考えてみましょう。 損か得かで決めてはいけません。 よく考えて正しい道を選び
   ましょう。

   子曰、君子喩於義、小人喩於利。 (里仁四-O)

   しのたまわく、くんしはぎにさとり、しょうじんはりにさとる。

   孔子先生がおっしゃった。
   「君子は、それが正しいか、正しくないかで物事を判断するが、小人は利益があるかないかですべ
   てのことを判断する」

 ●100の言葉より、1の行動

   言葉でうまく説明ができなくても、思いやりの気持を持って、素早く行動することが、一番大切です。
   言葉よりも、心のこもった行いができればいいのです。

   子曰、君子欲訥於言、而敏於行。 (里仁四-○24)

   しのたまわく、くんしはげんにとつにして、こうにびんならんことをほっす。

   孔子先生がおっしゃった。
   「君子は言葉はうまくなくても構わないが、行動は機敏でありたいと願うものだ」

 ●相手のよい所をほめる

   君子は、人のよい所をほめてあげます。 人はほめられると嬉しくなって、もっとよくなりますね。
   でも悪い所は叱らないで、優しくそっと直してあげます。 
   小人は、これとは反対のことをしてしまいます。 だれでもこの君子のようになれたらいいですね。

   子曰、君子成人之美、不成人之悪。小人反是。 (顔淵十二-O)

   しのたまわく、くんしはひとのびをなし、ひとのあくをなさず。しょうじんはこれにはんす。

   孔子先生がおっしゃった。
   「君子はある人にすぐれた点があれば、それをさらに進めて成功するように導き、ある人に欠点が
   あれば、その欠点が大きくならないように導く。 小人は、その君子と全く反対のことばかり行う」

 ●おたがいに違いを認め合う

   君子は、多くのお友だちと仲よくすることができます。 でもどんなに仲がよくても、いつもみんなと
   同じ意見というわけではありません。 自分の考えをきちんと持っています。
   反対に小人は、よく考えずにすぐにお友たちの意見に合わせてしまいます。 これでは本当の、よ
   いお友だちにはなれませんね。

   子曰、君子和而不同、小人同而不和。 (子路十三-○23)

   しのたまわく、くんしはわしてどうぜず、しょうじんはどうじてわせず。

   孔子先生がおっしゃった。
   「君子は人と仲よくすることができるが、何でもいいかげんに、人に賛成してしまうわけではない。
   小人は、何でもいいかげんに賛成してしまうことはあっても、人と本当に仲よくし、理解しあうことは
   できない」

 ●学ぶこと・友だちを持つこと・理想の人をめざすこと

   スポーツでも音楽でも何でも、自分が毎日がんばっていることができるようになった時には、とても
   嬉しいですね。
   同じようにがんばっているお友だちと会って、お話できたら楽しいですね。 もしがんばっているこ
   とを誰もわかってくれなくても、がっかりすることはありません。 誰も知ってくれなくても、がんばり続
   ける人こそが立派なのです。

   子曰、学而時習之、不亦説乎。有朋、自遠方来、不亦楽乎。
  不知而不慍、不亦君子乎。
 (学而一-@)

   しのたまわく、まなんでときにこれをならう、またよろこばしからずや。 ともあり、えんぽうよりきたる、
   またたのしからずや。 ひとしらずしていきどおらず、またくんしならずや。

   孔子先生がおっしゃった。
   「学習したら、そのことについて、いつでも時間さえあれば復習する。 それはなんと嬉しいことでは
   ないか。 同じ志を持つ友だちがいて、遠方からやってきてくれる。 なんとそれは楽しいことではな
   いか。
   誰も自分の実力を理解してくれなくても、不平不満に思わない。 それこそ立派な君子ではないか」

 ●付記

   『論語』は全部で約五百章からできていて、最後の (学而一-@) の文章はその第一章です。
   「学習」と「友人」と「君子」とについて述べられていて、『論語』の全体を代表する一章です。
   学習することの喜び、友だちを持つことの楽しみに加えて、他人の評判など気にしない、理想的な
   人格者「君子」について述べられています。

       楽しくよく学ぶこと、
      よい友を持つこと、
      理想的な人間を目指すこと、


   この三つの目標は、『論語』にくり返し述べられていることです。
   これは人類永遠の目標であり、理想ではないでしょうか。

 ●「こどもの論語塾」その一 あとがき

   『論語』を読んでいる人には、目に見えない、素敵な贈り物が届くような気がします。 でもそれは、
   いつ、どんな形で届くのか、誰にもわかりません。

   『論語』の言葉は、普段は人の心の奥底に眠っていて、いざというときに姿を現します。そしてその
   人の支えとなり、助けとなり、喜びや幸せを倍増してくれたりします。 『論語』とは、そんな不思議な
   魅力に満ちた書物です。

   数年前、文京区が主催した、田部井文雄先生の『論語』の講座を受講しました。 若いときから、
   『論語』は身近な古典でしたが、本当にそれを愛読するようになったのは、この講座がきっかけでし
   た。

   そこからいくつものよきご縁に結ばれて、文京区に「文の京こども論語塾」が生まれました。 三歳
   から八十歳まで、約五十人集まる空間に、子どもたちの元気な素読の声が響きます。 子どもたち
   の生き生きとした表情、楽しそうな様子が、この本を作るきっかけとなりました。 子どもたち一人ひ
   とりの顔を思い浮かべながら、言葉を選びました。

   多くの方々との出会い。 感動を分かち合える仲間。 子どもたちと過ごす至福の時間。 これらは
   『論語』が与えてくれた、私への最高の贈り物です。

   この本を読んでくださった皆様が、心に残る言葉と出会えたなら、大変嬉しく思います。 是非、そ
   の言葉を大切にしてください。 いつかその言葉が、不思議な力を発揮するかもしれません。

   最後に「文の京こども論語塾」の後見人や、この本の監修をしていただいた田部井文雄先生に心
   から感謝申し上げます。 また、明治書院三樹敏社長・西岡亜希子氏にもご尽力いただきました。
   ありがとうございました。

   この本は「文の京こども論語塾」に関わる皆が心を一つにして作り上げた、深い思いでのこもった
   一冊です。

                                                       安岡定子