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折々の記 2011 B

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】04/03〜     【 02 】04/05〜     【 03 】04/15〜
【 04 】04/20〜     【 05 】04/25〜     【 06 】05/02〜
【 07 】05/05〜     【 08 】05/13〜     【 09 】05/15〜

【 06 】05/02

  05 02 飛び入りのニュース : 日本国籍を取得した人と先をあらそって「日本脱出」をしていった人
  05 03 飛び入りのニュース : 辰巳会・05/02天声人語・オサマ・ビンラディン
  05 04 (続)飛び入りのニュース : 日本の災害対応を米懸念「官僚縦割り」

 05 02 (月) 飛び入りのニュース : 日本国籍を取得した人と先をあらそって「日本脱出」をしていった人

飛び入りのニュース


ニュースを見て、エッ ! と驚いた

※ 日本国籍を取得した人 

キーン氏はなぜ日本国籍を取るのか
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/2259749/
2011/04/27 07:14

 日本文学研究の重鎮、アメリカ人のドナルド・キーン氏が日本国籍を取得する意思を明らかにしました。読売新聞の報道によると、彼はすでに日本国籍取得の手続きをとった、とのことです。

 東日本大震災の後、放射能への懸念その他で日本を去る外国人があとをたちません長期在住者でもあっさりと日本を引き揚げていった外国人が多数います

 キーンさんはまさにそうした動きとは反対に、「日本国民と共になにかをしようと思い、大震災で日本国籍取得を決意した」というのです。日本に住んで、日本のよいところをさんざんに得ながら、いざとなると、あっさり日本を捨てていく。そんな外国人への痛烈な批判がこめられているようなキーンさんの決意です。

 キーンさんは「日本のためというような言葉も大切だが、行動はもっと大切。日本国籍取得は日本への期待と確信の表現だ」とも述べています。

 どんな人間にとっても、どの国家に帰属するかは超重要です。世界人というのも、国連人間というのも存在しません。いまの人間は必ずどこかの国家に属しているのです。そして日本以外の諸国は自国の国民、つまり国籍保持者に国家への忠誠を義務づけています。だから「国家反逆罪」とか「国家転覆罪」ということが存在するのです。徴兵や納税の義務もごく普通です。

 ここまで書いてくると、今回のアメリカ人のキーンさんの日本国籍取得が日本国内での外国人参政権問題にもつながりを持ってくることに気づく方も多いでしょう日本に永住し、日本の政治に関与したければ、日本の国籍をまず取得すればいいではないですか

 日本の国籍を取得しないということは、他の外国への忠誠を優先するという意味にとってもよいでしょうまたいざというときは日本を捨てるという態度を意味していると解釈しても、さほど的はずれではないでしょう今回の大震災での中国系や朝鮮半島系の住民の大量の出国がその一端を物語っています

 ドナルド・キーン氏の日本国籍取得にはこんなことを思いました。


ドナルド・キーんさんのニュースを見、「日本脱出」の動画を調べて、エッ ! と驚いた

※ 先をあらそって「日本脱出」をしていった人

http://www.youtube.com/watch?v=YEIOPtTs2Vc  2011年3月23日
 東日本大震災と原発事故を受け、外国人の間では日本脱出だけではなく東京離れ

http://www.youtube.com/watch?v=6mxz_AcDJlY&feature=related  2011年3月17日
 原発事故を受け... 首都圏脱出で羽田は混雑

http://www.youtube.com/watch?v=FJa6LP-Cu4w&feature=related  2011/03/18
 在日外国人続々海外脱出 

http://www.47news.jp/movie/general_national/post_2716/  2011年03月16日
 海外脱出の外国人が殺到 大震災で成田空港 (よんななニュース)

(同サイト解説)大震災で成田空港 2011年03月16日
東日本大震災による余震や原発事故を受け、成田空港は16日、海外に脱出する外国人で大混雑。欧米に向かう外国人のほか、茨城県や福島県などに住む中国人約800人が貸し切りバスで次々と到着し、空港内のカウンターや手荷物検査場に長蛇の列ができた。

 (同サイト解説・続)
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031601000638.html  2011/03/16 16:44 【共同通信】
 放射能恐れ外国人続々出国 成田空港、幼い子連れも - (よんななニュース)

 東日本大震災による原発事故を受け、成田空港は16日、放射能被害を恐れて海外に脱出しようとする外国人で混雑した。航空券を持たずに空港に詰め掛けた中国人や、床に毛布を広げて座り込む欧米人の姿も。各国の在日大使館は相談窓口を開いた。

 福島県郡山市で働いていた米国人ジェフ・バーグマンさん(40)は「(栃木県の)那須塩原駅まで車で移動し、ガソリンが足りるかどうか不安だった。航空券購入に3日かかったが出国できそうだ」と安堵(あんど)の表情。日本人の妻(38)と1歳、3歳の息子を連れて米国に戻るという。

 東京で働いていた中国人の男性会社員(35)は、妻と5歳の長女を連れ「とりあえず北京に戻る。妻の希望で帰国を決めた。子どもの安全が一番心配だ」と険しい表情。

 妻が妊娠3カ月という米国人男性は「被ばくが怖い。家族がとても心配している」と話し、足早に搭乗口に向かった。

 「予約はないが、とにかく成田へという人が多い」と空港職員。航空会社も「空港で搭乗券を買う人が目立つ」と話す。

 相談窓口の中国大使館担当者は「被災者の搭乗券を手配中。スムーズな帰国に向け努力する」。

 交通機関の乱れを心配し、早めに空港に着いて夜明かしする人も。成田国際空港会社は15日夜、約2200食分の軽食や水を配った。

http://japanese.china.org.cn/photos/2011-03/17/content_22162487.htm  2011年3月17日
 日本を離れた在日中国人が大連国際空港に到着_中国網_日本語

日本を離れて中国に戻った約1900人の中国人が16日、大連周水子国際空港に到着した。空港の入国審査窓口は24時間体制で開放し、日本から中国に帰国する人に特別通路を設け、できるだけ早く家族と再会できるように便宜を図っている。

大連市は、中国の東北部で日本便を運航する重要な都市で、11日から16日までに合わせて約4000人の中国人が日本から大連経由で入国した。「中国網日本語版(チャイナネット)」

http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/news5plus/1300688385/  2011/03/21(月) 15:19
 【日本震災】在日インド人、5千人が帰国、ロシア人も3千人[11-03-21]

 05 03 (火) 飛び入りのニュース : 辰巳会・05/02天声人語・オサマ・ビンラディン

@ 辰巳会 04/29〜30 湯ヶ洞 出席者8名 本年度83歳 六年忠組

        林 勇美   下平佳彦   湯沢澄夫   丸山  平   下平好上

        三村 花   丸山あち子  牧内きぬ

        女の方二人、足腰・体調かんばしからず直前不参加となる。


島岡吉郎顕彰碑


 (横書・右から左) 人間力  平成甲戌 岡村了一 落款印

 (縦書)死してなお「御大」と尊称を以って呼ばれる、偉大な指導者 島岡吉郎明治大学野球部監督は、一九一一年三月四日 この高森町(旧市田村)牛牧に出生。 市田小学校に学び中学生時代を東京で過ごし、次いで明治大学政経学部に進み 在学中は名応援団長として鳴らすなどして卒業した。 太平洋戦争終結後道義全く地に堕ちた日本の実状を観て、島岡御大は健全な青少年の育成こそ祖国再建の唯一の道なりとして、明治中学(現明治高校)の野球部監督、続いて明治大学野球部監督に就任した。 「素人監督に何ができる……」との世評に反し、独特の指導法で全員野球を具現し、幾多の名選手を育てて赫赫たる戦績を残し、朝日体育賞(一九七六年)ビックスポーツ賞(仝七八年)ホワイトベアースポーツ賞(仝八一年)を受賞、また没後野球人の最高栄誉である「野球殿堂」入りを果たした。(一九九一年七月)
 これは島岡御大が何より練習に重点を置き、キャリアよりひたむきな姿勢と態度を優先して、試合の結果は日常生活のマジメさ、誠の心の表れであるとして、選手と起居をともにして指導した成果であった。 こうして島岡御大は「人間の至誠こそは、限りなき無限の力を生む」として、これを「人間力」と呼び「人間力」の振起を唱導し続けたのである。 一九八八年十一月勲四等旭日賞を受賞。 仝八九年四月十一日没。 享年七十八才
 偉大な島岡御大を顕彰するため高森町の協力を得てこの碑を建てる。

     題字  学校法人  理事長  岡村了一
     撰文  明治大学  監  督  別府隆彦



A 天声人語 2011/05/02


 励ましの形は一つではない。声をかける、手紙を書く、肩を抱く。芸能人やアスリートなら仕事ぶりを見せることで人を元気づけられる。ただし、スポーツで「魅する」には結果が必要だ▼モスクワであったフィギュアスケートの世界選手権で、安藤美姫選手が立派な仕事をした。五輪女王、金妍児(キム・ヨナ)選手を逆転しての栄冠である。3月に東京で予定され、震災で会場を移した大会だった▼胸に「甦(よみがえ)れ日本!!」のワッペンをつけた安藤さんの言葉がいい。「自分のことより日本のことを考えて滑りました。震災で困っている人が少しでも笑顔になれるように」。そう話す顔に笑みはなかった▼野球では、楽天が地元仙台での開幕3連戦を勝ち越した。初戦で完投した田中投手は「声援がこれほど力になったことはない」「(試合が)終わってしまうのがもったいなくて」と語り、歴戦の星野監督に「野球人生に残る1勝」と言わせた▼サッカーのベガルタ仙台もホームでの初戦を飾り、リーグ2位につけている。「がんばろう東北」だけで白星が続くほどプロは甘くないが、声援とプレーの化学反応は侮れない。楽天とベガルタは、今季の「想定外」として評論家を困らせてほしい▼有名無名を問わず、東北を思いながら生業に励む人は多い被災者の忍耐、自衛隊や自治体職員、原発作業員らの献身に打たれてのことだろう国会も休日返上の論戦ながら、ヤジと言い逃れが耳についた。政治家ぐらい結果を求められる仕事もないのだが。




B オサマ・ビンラディン

http://www.asahi.com/national/update/0502/TKY201105020523.html
現在位置:asahi.com>ニュース>社会>事件・事故>記事
ビンラディン容疑者殺害 遺族「癒やされはしない」

 摩天楼のビルが崩れ落ちる、あの衝撃から10年。ビンラディン容疑者の殺害を、遺族たちはどう受け止めたのか。

 東京都渋谷区の杉山晴美さん(45)は2日、テレビ速報を見て、締め付けられるような頭痛に襲われた。

 2001年9月11日の同時多発テロで、ニューヨークの世界貿易センタービル内に勤めていた夫の杉山陽一さん(当時34)を亡くした。「テロの首謀者とされながら実態や生死すらつかめず、生身の人間として存在しているのだろうかと思ったことさえある。亡くなったことで、実在する人物が起こしたことだったんだと実感した」

 事件直後は同容疑者を憎んだ。しかしそのうちに、事件の背景の根深さから「テロリストの行為は正当化できないけれど、個人は憎めない」と感じるようになった。あまりに大きな問題で、事件が遺族の手からどんどん離れていくような感覚もあった。

 ただ10年が過ぎても、悲しみが消えたわけではない。がれきの山となった東日本大震災の被災地などをテレビで見ると、事件当時に戻ったような心境に陥り、気づくと号泣していることがある。テロ事件の遺族ら6、7人で3月に集まった時に、皆が「自分も同じだ」と打ちあけた。

 事件の時は幼児だった小学6年生の次男(11)に同容疑者の死亡を伝えると「それでどうなるの?」と聞かれた。どうなるとも思えないんだよね、と答えたという。「(アルカイダの)組織の層は厚く、むしろ状況が悪化するかもしれない。この10年で、米軍やアフガニスタンの市民など命を落とした人がどれだけ増えてしまったか。テロを武力で解決できるのか疑問に思うし、今後も犠牲者が出てしまうのかと考えてしまう。これを区切りとは思えないし、癒やされるわけでもありません」

 山口県下関市の中村佑(たすく)さん(69)は、当時西日本銀行員だった次男の匠也(たくや)さん(当時30)を亡くした。「事件当時は一日も早く捕まってほしい、こんちくしょうめと思ったが、今は大した感慨はない」

 これまで「グラウンド・ゼロ」に何度も足を運んだ。テロの背景にある西洋とイスラム圏との対立や憎悪こそが問題だと考える。「こうした構造が変わらない限り、第2、第3の首謀者が出てこないとは限らない」。今は、イスラム圏で進む民主化の波に関心がある。「イスラム圏の若者の怒りや不満がテロへと結びつく構造を変える必要がある」と言う。

 同時多発テロで墜落したユナイテッド航空93便に日本人で唯一搭乗し、犠牲になった久下季哉(くげ・としや)さん(当時20)の父、甫(はじめ)さん(67)は大阪府豊中市の自宅で、ビンラディン容疑者の殺害を伝える夕刊を仏壇に供え、手を合わせた。「この10年間、いつも息子のことを考えてきた。やっといい報告ができて一つ重荷がなくなった気がする」

 一方で「彼を生きたまま捕まえてほしかった」とも感じている。アルカイダと米国の対立に、なぜ息子や関係ない人々を巻き込んだのか。「裁判でビンラディン容疑者から直接、真相を聴きたかった」と語る。

 季哉さんは早稲田大で学んでいた。仏壇のそばに掲げられた遺影は、成人式の時に友人たちと撮影したものだ。「生きていれば30歳。世界を旅してきた息子と酒を囲んでいろんな話がしたかった」。季哉さんが眠る兵庫県篠山市の墓に、近く報告に行こうと思っている。「アルカイダが存在する限りテロも続くと思う。3千人の犠牲者のことを思うと、ビンラディンの死は素直には喜べない」

 岐阜県職員の森島勝博さん(47)は当時、県の駐在員としてニューヨークに派遣されていた。自宅アパートの窓から、数キロ先のツインタワーが崩れ落ちるのを目撃した。その様子は今でも鮮明に覚えている。「どうすればテロに終止符を打てるのか。最終的に犠牲になるのは市民だ。国際社会が協力してテロをなくしてほしい」と話した。

 08年にアフガニスタンで武装グループに拉致、殺害されたNGO「ペシャワール会」の伊藤和也さん(当時31)。静岡県掛川市に住む父の正之さん(63)は、息子の遺志を継いでアフガン東部に寄宿舎を建てた。「和也がなぜ殺害されたのか、今もわからないまま。事件の解明に少しでもつながることに期待したい」と話した。



■ 原発事故検証委員会の設置について

※ 原発事故検証の第三者委員会設置へ…首相方針

http://blog.goo.ne.jp/g3g3g11/e/eb9216f7ed90782ec9aa92eec46f1509
原発事故検証の第三者委員会設置へ
首相方針 - どこか変だな
2011-04-27 06:15

 またしても、未だ、原発の内部状況も把握できていない状況なのに、次の組織の立ち上げを行う構想を言う。恐らく何も考えていなくての発言だろう。その場その場での発言ばかりで、組織が出来れば又、その組織への報告で、逆に東電も、保安院も忙しくなる。自分たちが自らの計測器をもち、自らの権限において、原発内部に入れないし、又、現状では放射能で無理である。しかも、放射能はなかなか消滅しないから、結果、東電の報告に頼らざる得ない。すると、原発の事故対応が少なからず遅れる。一体現場を何と心得ているのか?本当に馬鹿菅と言われても仕方ない。

原発事故検証の第三者委員会設置へ…首相方針
2011年4月26日(火)21:45
 菅首相は26日の衆院予算委員会で、東京電力福島第一原子力発電所の事故を検証する委員会を近く設置する方針を示した。

 原発の安全規制に関する経済産業省原子力安全・保安院や内閣府原子力安全委員会の活動や組織のあり方も点検するため、検証委はこうした関係機関から独立した第三者委員会とする方針だ。

 首相は予算委で、社民党の阿部知子氏の質問に対し、「事故原因を検証する態勢をそう遠くない時期に立ち上げなければならない」と述べた。これに関連し、内閣府原子力委員会の近藤駿介委員長は26日の衆院科学技術・イノベーション推進特別委員会で、「(国内外で)動いている原発があり、世界の方々にとって同じ問題が潜んでいるのか、福島だけの問題なのか、正しく原因究明して伝える(ことが重要だ)」と述べた。

※ 免罪符発行機関?… 前の項目へのコメント

http://blog.goo.ne.jp/g3g3g11/e/eb9216f7ed90782ec9aa92eec46f1509
免罪符発行機関では?
(by ゴンザレス )
2011-04-30 01:52

首相は原発事故現地対策作業を邪魔したのでは?という疑惑がある。更には、東電、保安院、原子力安全委員会、政府、のいずれにも、無為無策、怠慢により被害が拡大した疑惑が残る。原発だけではなく、津波災害もだ。地震や津波等の災害に備えて、災害防止のために計上されていた予算が、事業仕分けによりカットされてしまった。震災後にも、机上の空論ばかりに日時を費やす会議が乱立し、肝心の被災者の立場が何日も忘れられていた。「一生懸命努力した。」とか「想定外だった。」の言い訳だらけ。この責任追及の動きを封じ込めるために、政府の息の掛かった人達を任命して「第三者機関」を偽装するのではないのか?そして政府に対する免罪符発行機関とするのではないのか?ボケで逃げようとする政府を、マスコミはもっと突っ込んで欲しい。

※ 県が原子力安全対策検証委

http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000001104300001
現在位置:asahi.com> マイタウン> 青森> 記事
2011年04月30日

原子力安全対策検証委
県が設置へ

 三村知事は28日の定例会見で、県原子力安全対策検証委員会を設けることを明らかにした。同委員会に地震、津波、原子力工学、安全システム工学などの専門家を集め、福島第一原発の事故を受け、国が今後示す安全指針を県独自で検証する。「国にしっかり意見具申したい」という。

 県内では、震災で中断している東京電力東通原発1号機と大間原発の工事再開を望む声が地元から出ている。定期検査中の東北電力東通原発1号機の運転再開もはっきりしない。これらの動向は、検証委の報告を待って下す県の判断が大きく影響しそうだ。

 県はこれまで、「原子力政策懇話会」で安全性の議論をしてきた。しかし、三村知事は「懇話会は(市町村長など)各層の意見を聞く場。検証委は専門家による専門的な議論の場」と、意義の違いを強調した。

 設置時期は未定。三村知事は「速やかに」とした。

 05 04 (水) (続)飛び入りのニュース : 日本の災害対応を米懸念「官僚縦割り」

いろいろのニュースを見ていると、日本では民主主義が徹底しておらず、脆弱なままの近代国家になったままだと考えざるを得ません。 

アメリカから一歩も二歩も遅れています。 このニュースを見て余計それを感じます。



http://www.asahi.com/politics/update/0503/TKY201105030470.html
2011年5月4日5時4分

日本の災害対応を米懸念「官僚縦割り」 流出の米公電

 米政府の在日大使館が2008年、地震も含む日本政府の災害や危機への対応では、「官僚制の縦割りや目先のリスク回避の風潮」が弱点となり得ると内部文書で指摘していたことがわかった。経済的に相互依存を深める米国にとって「日本での破滅的なできごとは重大な影響を及ぼす可能性がある」と警告していた。

 約25万点の米外交公電を入手した内部告発サイト「ウィキリークス」から朝日新聞が日本関係の約7千点の提供を受け、分析した。

 日本政府の災害・危機対応についてまとめた「秘」(コンフィデンシャル)の公電がその中からみつかった。08年3月18日付で在日米大使館から国務省にあてて出されていた。

 公電は、自然災害や人的脅威はさまざまな形態が考えられる中、「日本の官僚制と計画制度は柔軟さを欠くかもしれず、結果として日本は、未知か新たな備えを必要とする脅威には弱点を持ち得る。そうした状況が重大システムやサービスの長期間にわたる喪失につながり得る」と指摘した。

 経済の相互依存が進む日本の混乱は米国にも大きな影響を及ぼすとの認識に立って、米政府として「死活に関わるような社会基盤の防護」をめぐる二国間協議を日本と進めることや、混乱防止策や、実際に発生した場合に悪影響を最小限に抑えるために取れる手段について日本と協議することが有益かもしれない、と結論づけていた。

 原発に関連しては、日本が「電力需要の約30%を原子力に頼っている。日本ではこれまで原子力施設に対する(テロ)攻撃は起きていないが、いくつかの施設で安全に関する事故が起き、中には犠牲者や長期間の運転停止を招いたものもある」と記した。直近の例として、中越沖地震(07年)以降、東京電力の柏崎刈羽原子力発電所が停止していたことや、北海道電力の泊原発での3号機建設現場での放火とみられるぼやを列挙している。

 しかし、一方で公電は、日本が「地震などの既存の脅威」に関しては「備えと能力を向上させてきた」と肯定的に評価。「災害による死者数は明らかに下降傾向にある。技術改善と安全基準の強化、危機への準備、対応の改善が貢献している」などととらえ、東日本大震災で実際に起きたような規模の複合災害は予想していなかった。

 柔軟性を必要とする「新たな脅威」の具体例としては、インターネット上のサイバー攻撃や感染症の大流行(パンデミック)を挙げていた。



政治家は口を開けばわが党を吹聴しています。 天下国家を論じなくてはならないのに …… です。 老生の耳にはたこがあたっていて聴きたくもない。

原発事故一つ取り上げてみます。 今回の想定外という言葉の裏には真実の公開がなかったことが隠されていました。 

このことが、日本のみならず世界の人々の心を震撼させたのです。

政治家は、このことにどう対処するのでしょうか。

企業家を除いて、‘どこからみても安全が確保されている’ことを科学者や研究機関を総動員して検証されていなければならなかったのです

日本には真実公開の原則が保障されておりません

政治家はこうしたことを何と考えているのでしょうか。





朝日新聞 社説
2011年5月4日(水)付

1次補正成立―政争はやめるにしかず

 東日本大震災からの復旧に向けた、政府の第1次補正予算が成立した。

 対応が後手に回る菅直人首相への批判が沸点近くに達し、補正成立を機に「菅降ろし」が始まる気配もあったが、与野党双方の動きは急速にしぼんだ。

 非常時に政争にかまけていては有権者に顔向けできない。そんな真っ当な理性が働いたのか。当然のこととはいえ、政界の風向きの変化は歓迎である。

 成立に先立ち、民主、自民、公明の3党は合意文書を取り交わした。子ども手当などの歳出見直しについて3党で検討を進める、赤字国債を発行するための法案は成立に向け真摯(しんし)に検討する、という内容である。倒閣を急がず、責任を分担しようというなら自公の姿勢は正しい。

 民主党内では、鳩山由紀夫前首相が小沢一郎元代表に、党分裂につながるような行動は控えるよう求めた。めずらしく分別ある忠告といえよう。

 原発はいまだ安定せず、被災地では厳しい避難所暮らしが続く。危機にあっては、迅速に決断し、対処できるよう指揮官を支えるべきである。

 白紙委任せよということではない。事態がおさまれば、指揮官の振る舞いも含めてすべてを検証し、適否を問う。進退問題を語るのはその時でいい。

 このところの政界では、「挙国一致を」「救国内閣を」といった掛け声もやかましかった。菅首相の退陣を前提に、民主、自民両党が「菅抜き大連立」を組むという構想も語られた。

 これらもひとまず沙汰やみとなり、結構なことである。

 民主党のマニフェスト施策の撤回を求める自民と、その固守を唱える小沢元代表が手を組むというような話なら、もともと無理があったというほかない。

 今後、地震と津波の被災については、応急対応から次第に復旧・復興の段階へと進む。

 復興は、新たな日本の姿を描く作業である。災害に強い地域をどうつくるか。エネルギー政策はどうするか。復興財源は。各党、各議員によって、描こうとする絵は様々だろう。

 そこでは「とにかく力をあわせよ」である必要はない。むしろ知恵を比べ、オープンな論争を重ねる。その中から新たな対立軸が見えてきてもいい。

 危機管理と復興の二正面作戦を乗り切るには、力をあわせつつ競い合う大人の態度が必要だ。つまらぬ政争はやめるにしかず。各党が日本再生の道筋を示し、可能な段階で民意を問う。それが、政党政治が成熟していく道ではないか。

国民審査判決―監視の目、より確かに

 外国に住んでいると、衆院選と同時に行われる最高裁裁判官の国民審査に参加できない。参政権の侵害ではないか――。

 そんな訴えについて、東京地裁は慰謝料の支払い請求などは退けたものの、憲法に照らして現行制度には「重大な疑義」があるとの見解を示した。

 最高裁は6年前、在外選挙の対象を比例代表区に限る公職選挙法を違憲と断じ、衆院小選挙区などへの投票を可能とする改正に結びついた。今回は一歩手前の「警告」にとどまったが、発想を切り替えて対応策を考えるよう国側を促すなど、興味深い判断となっている。

 裁判官の氏名が印刷された用紙を受け取り、辞めさせるべきだと思う者に×(ばつ)をつける。それが審査のやり方だ。海外ではこの用紙を手配できないと国側は主張したが、判決は、点字による審査では罷免(ひめん)すべき裁判官名を有権者が自書していることをあげ、通信手段の発達も踏まえれば方策はいろいろ考えられるのではないかと述べた。

 国民にとって大切なことを脇に置いて、やる道筋よりも、やれない理屈を考える。お役所体質の典型だ。この用紙問題は、国内においても、議員選挙は公示翌日から期日前投票ができるのに、国民審査は5日後からという珍現象を生んでいる。

 こうしたおかしさがこれまでほとんど取り上げられてこなかったのは、国民審査に対する関心の低さゆえだろう。それでいいのだろうか。

 最高裁の裁判官は、選挙で選ばれた国会議員が制定した法律や行政機関の処分を審査し、無効とする最終権限をもつ。この強力な地位に正統性を与えるのは、内閣による指名・任命と事後に主権者が行うチェックだ。

 司法を民主的統制の下におくという国民審査の趣旨を社会で共有し、実効あるものにしなければならない。国が制度の不備を放置し、国民が権利を行使できない。そんな事態は速やかに改める必要がある。

 右肩上がりの経済のもと、国の進む方向についておおよその合意が成立していた時代は終わり、立法、行政、司法の三権の判断ひとつひとつが、従来以上に重みを増している。

 この国をどう築き、そこに国民がどう主体的にかかわるか。参政権の意義を問うた今回の訴訟は、そんな課題を私たちに改めて突きつけたといえよう。

 あわせて、先の用紙をめぐる国側の主張のような逆立ちした論理が、身の回りの様々な現場に隠されていないか、感度を高めて掘り起こしていきたい。



朝日新聞 天声人語
2011年5月5日(木)付
物質文明への批判……東北の方言「までい」・飯伊地方で言う「まてい」

 方言には、標準語には収まりきらない深みと幅を持つ言葉が多い。東北地方の「までい」もそんな一つだ。「真手(まて)」という古語が語源といい、転じて手間ひま惜しまず、丁寧に、心をこめて、といった意味合いで使われるそうだ▼「までいに飯を食わねえどバチあだっと」「子どものしつけはまでいにやれよ」などとお年寄りは言う。原発禍に揺れる福島県飯舘村役場に頂戴(ちょうだい)した『までいの力』という一冊で知った。言葉どおり、手塩にかけて築いてきた村の日常がオールカラー本に息づいている▼スローライフの考え方が広がり出したころ、村長はじめ村人は思ったそうだ。「それって『までい』ってことじゃないか」。以来「までい」を合言葉に、地に足をつけて村をつくり上げてきた▼ところが本の刊行直前に震災が起きた。「ここには2011年3月11日午後2時46分以前の美しい飯舘村の姿があります」。中表紙に急きょ刷られた一文に怒りと悲しみがこもる。計画避難で全村民が村を離れなくてはならない▼「までい」の教祖のような、19世紀米国のソローを思い出す。物質文明を問うた名著「森の生活」の末尾に、「われわれの目をくらます光は、われわれにとっては暗闇である」という象徴的なくだりがある。原発がともす繁栄の光は、私たちにとって何なのだろうか▼地に足をつけてきた人々が地を追われる無念を思う。とことん考えることでせめて悲痛に寄り添いたい。原発の受益者は都会人なのを忘れることなく。  2011年5月5日(木)付