著者 安岡 定子
1960 年生まれ。二松学舎大学文学部中国文学科卒業。
東京都文京区 「文フミの京ミヤコ こども論語塾」
宮城県釜石市 「一森山 こども論語塾」
東京都中央区 「素心・不器会 銀座・寺子屋 こども論語塾」
等の論語教室で講師をつとめる。
著書に、「素顔の安岡正篤」(PHP研究所)
「こども論語塾」「こども論語塾 その2」(明治書院)
「絵でみる論語」(日本能率協会マネジメントセンター)
がある。
陽明学者・安岡正篤の次男正泰の長女。
親子で楽しむ
こども論語塾
その二
明治書院
『論語』は、美しい言葉と知恵の宝庫です。
日本人は昔から、素読といって、先生が声高らかに読まれる通りに、こどもも声を出して読み上げました。 意味はまだよくわからない点があったとしても、くり返し読んでいくうちに、だんだんと、その言葉のすばらしさに、引きつけられていったものです。
この本では、『論語』全体で約五百章ある中から、短くわかりやすい言葉二十章を選び出しました。 『論語』の入り口に立つ入門の書に過ぎませんが、そのどれをとってみても、だれの心にもひびく内容が融かしこまれています。
できましたら、お子さんと一緒に、声に出して読んでみてください。 そして気に入ったものがありましたら、その中のいくつかを、暗証してみてください。 そこには、父母、祖父母、兄弟、姉妹たちとの至福の場が生まれるかも知れません。
「子曰(シノタマ)わく」という読み方は、昔から日本人が、孔子先生への最高の敬意をこめた表現です。 ですから、孔子先生以外の人の言葉は、すべて「○○曰(イ)わく」と読まされてきました。
人類の古典の中の古典とされる『論語』は、そのように古めかしく見えるものですが、その内容は、明るく、おおらかで、美しい世界なのだと、すぐお気付きになれるはずです。
も く じ
理想に向かって学ぶ
子、謂子夏曰、女、為君子儒。無為小人儒。 (雍也六-L)
まず、ひとつのことをやりとげよう
子路、有聞、未之能行、唯恐有聞。 (公冶長五-M)
学ぶことの本当の意味は?
子曰、古之学者為己、今之学者為人。 (憲問十四-○25)
やる気が自分を向上させる
子曰、不憤不敬、不?不発。挙一隅、不以三隅反、則不復也。
(述而七-G)
仲よくできると、みんなが楽しい
子、絶四。毋意、毋必、毋固、毋我。 (子罕九-C)
人と人との結びつきを大切に
子曰、人而無信、不知其可也。
大車無?、小車無イ、其何以行之哉。 (為政二-○22)
愛しているからこそ厳しくするときもある
子曰、愛之、能勿労乎。忠焉、能勿誨乎。 (憲問十四-G)
自分に厳しく、人に優しく
子曰、君子衿而不争、群而不党。 (衛霊公十五-○22)
人生で一番大切なもの
子曰、参乎、吾道一以貫之。曽子曰、唯。
子出。門人問曰、何謂也。曽子曰、夫子之道忠恕而已矣。
(子罕九-○30)
バランスよく身につける
子曰、志於道、拠於徳、依於仁、遊於芸。 (述而七-E)
知識ばかりではダメ
子曰、君子、博学於文、約之以礼、亦可以弗畔矣夫。
(雍也六-○27)
どちらもそろえば最高!
子曰、質、勝文則野。文、勝質則史。文質彬彬、然後君子。
(雍也六-Q)
大切な四つのこと
子、以四教。文、行、忠、信。 (述而七-○24)
まず、やるべきことをやる
子曰、弟子、入則孝、出則弟、謹而信。
汎愛衆而親仁、行有余力、則以学文。 (学而一-E)
行動がともなわなければ恥しい
子曰、君子恥其言之過其行。 (憲問十四-○29)
あきらめたらそこで終わり
冉求曰、非不説子之道。力不足也。
子曰、力不足者中道而廃。今、女画。 (雍也六-K)
穏やかな心で過ごす
子曰、君子泰而不驕。小人驕而不泰。 (子十三-○26)
上を目指して努力する
子曰、君子上達、小人下達。 (憲問十四-○24)
行動を見ればその人がわかる
子曰、視其所以、観其所由、察其所安、
人焉?哉、人焉?哉。 (子罕九-○30)
道は自分で切り開いていくもの
子曰、人能弘道。非道弘人也。 (衛霊公十五-○29)
あ と が き
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・ マメ知識 1 孔子と論語
孔子(前551〜前479)は、中国の春秋時代の大思想家・学者・教育者です。
理想の政治を実現するために、自分の生き方・考え方などについて説いて回
りました。 また弟子の教育にも大いに力を尽くしました。
「論語」は孔子の言行や、弟子たちとの問答などを記録した書物です。 二
十編約五百章から成り、孔子の人柄や思想を知る上で最も重要な書物です。
仁
仁とは、思いやりの気持をもとにした広く優しい心や、強く正しい生き方をい
います。 孔子先生が一番大切にしていた言葉です。
君子と小人
『論語』の中には、「君子」と「小人」という言葉が何度も出てきます。
君子とは、思いやりの気持ちがあり、正しい行いのできる人のことです。
理想の生き方を求め、それを実行している立派な人です。
それに対して小人は、君子とは反対の、よくない行いをしてしまう人のことです。
●理想に向かって学ぶ
どんな人になりたいかという理想を持って学ぶことが大切です。 ただたくさんのことを知っているだけ の人になってはいけません。 思いやりの気持を忘れずに、広く深くものごとを考え、行動できる人に なりましょう。
子、謂子夏曰、女、為君子儒。無為小人儒。 (雍也六-L)
し、しかにいいてのたまわく、なんじ、くんしのじゅとなれ。 しょうじんのじゅとなることなかれ。
孔子先生が子夏に向かっておっしゃった。
「君は、(人格の立派な)君子の学者になりなさい。 (人格の劣った)小人の学者にはならないように」
●まず、ひとつのことをやりとげよう
ひとつのことを学んだら、まずそれができるようになるまでがんばってみましょう。 次次に新しいことを 知るよりも、ひとつのことをきちんと最後までできるようになることの方が大切です。
・ 子路は孔子先生のすぐれた弟子の一人ですが、真面目すぎて頑固な一面がありました。
子路、有聞、未之能行、唯恐有聞。 (公冶長五-M)
しろ、きくことありて、いまだこれをおこなうことあたわざれば、ただきくあらんことをおそる。
子路は(孔子先生から)学んだことがあって、まだそれを実行することができないうちは、(何か別のこと を)さらに新しく学ぶことを、たいへん心配した(人だった)。
●学ぶことの本当の意味は?
人は何のために学ぶのでしょうか。 誰のためでもなく、自分のために学ぶのです。 人に自慢したり ほめてもらうためではありませんね。
子曰、古之学者為己、今之学者為人。 (憲問十四-○25)
しのたまわく、いにしえのまなぶものはおのれのためにし、いまのまなぶものはひとのためにす。
孔子先生がおっしゃった。
「昔の学生は、自分の(修養の)ために学んだが、現代の学生は人に知られようと(ばかり)して学んで いる」
●やる気が自分を向上させる
学ぶ時には、どうにかして知りたい、どうしても教えてほしいという、心の底からわいてくる強い意欲が 必要です。 このような誰にも負けないやる気があれば、一つのヒントからいろいろなことを自分で考 えられるようになるでしょう。
子曰、不憤不敬、不?不発。挙一隅、不以三隅反、則不復也。
(述而七-G)
しのたまわく、ふんせずんばけいせず、ひせずんばはっせず。いちぐうをあぐるに、さんぐうをもっては んせずんば、すなわちふたたびせざるなり。
孔子先生がおっしゃった。
「(問題が未解決で)不満の状態にまで達していなければ、指導はしない。 (心ではわかっていなが
ら)言葉で表現できないというもどかしい気持にまで達していなければ、はっきりと教えない。 (部屋
には四つの隅があるが、その)一つの隅を取り上げて示すと、(それに答えて、そのほかの)三つの隅
すべてについて説明できるほどでなければ、繰り返し教えることはしない」
・ マメ知識 2 論語の中の四字熟語(1)
温 故 知 新 故きを温ねて新しきを知れば、以って師と為るべし。
切 磋 琢 磨 詩に云う、切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如しと。
「温故知新」とは、「以前に習ったことや、昔のことをよく学習し、それによって新しい知識や考え方を 獲得する」という意味です。とにかく人は新しいことばかりに関心を持って、古いことを軽んじがちです が、真に新しいことを知るには、古いことを十分に知ることが必要だということです。
また「切磋琢磨」とは、精進努力して学問に励み、人格を高めることを言いますが、特に友人などと励 ましあいながら、向上進歩に努めることに用いられます。 「切」は、もと骨や角を切ること、「磋」は、 象牙を磨くこと、「琢」は、玉を打ち割ること、「磨」は、石を磨くことです。 要するに骨や牙、玉や石な どを切り出し、削り磨いて宝物をつくることで、そのように人は自己鍛錬を怠ってはならないという意味 です。
どちらの四字熟語も、現代にも盛んに用いられている明言です。
●仲よくできると、みんなが楽しい
例えば一冊しかない本を、みんなが読みたかったらどうしましょう。 仲よく一緒に読んだり、順番に 貸し借りできますか? どんな時にも自分のことだけを考えるのではなくて、相手の気持を考えられる 優しさをもてたらいいですね。
子、絶四。毋意、毋必、毋固、毋我。 (子罕九-C)
・ 毋 母とは別字
4画7755
字音 ブ ・ ム
字訓 なかれ ・ なし
字形 もと母の字で象形。金文に母の字形のままで打消に用いる。のち両乳を直線化して、 母・毋を区別した。禁止の意に無(ぶ)・(亡)(ぼう)・(ばく)などの音を借り用いる。
し、しをたつ。いなく、ひつなく、こなく、がなし。
孔子先生は、(次の)四つのことを捨てられた。 (そのために、)
意 (自分勝手な心)
必 (無理やり押し通すこと)
固 (頑固にとらわれること)
我 (何事も自分中心に考えること)
の四つの弊害が無くなった。
●人と人との結びつきを大切に
人にとって、信じあう心はとても大切なものです。 たとえば自動車は、タイヤがなければ走れないよ うに信じあう心は、人にとって、なくてはならないものなのです。
子曰、人而無信、不知其可也。
大車無?、小車無イ、其何以行之哉。 (為政二-○22)
・ ? = 車(偏)に、児童の児(旁)
声符は兒(げい)。工形にかけわたすものをいう
しのたまわく、ひとにしてしんなくんば、そのかなるをしらざるなり。 たいしゃにげいなく、しょうしゃに
げつなくんば、それなにをもってこれをやらんや。
孔子先生がおっしゃった。
「人間であるのに、(人が必ず持っていなければならない)信義の徳のない者は、とてもよい(人)と認め
ることはできない。 (もしも)大きな牛の車に?(ゲイ=牛と車をつなぐために必要な器具)がなく、(四頭
立ての馬の)小さな車にイ(ゲツ=馬と車をつなぐために必要な器具)がなければ、どうしてその車をあ
やつり進めることができようか」
●愛しているからこそ厳しくするときもある
あなたのまわりの人たちはあなたのことが大好きで、心優しい素敵な人になってほしいと願っています。
だからこそ、いろいろな苦しいことも、乗り越えてほしいのです。 そして、さらにたくさんのことを教え
てあげたくなるのです。 すべては、深い愛情があるからなのです。
子曰、愛之、能勿労乎。忠焉、能勿誨乎。 (憲問十四-G)
しのたまわく、これをあいしては、よくろうすることなからんや、これにちゅうにしては、よくおしうることな
からんや。
孔子先生がおっしゃった。
「(ある人を)愛したならば、どうしていたわり励まさないことがあろうか。 (ある人に対して)真心があるな らば、どうして(心をこめて)教え導かないことがあろうか」
●自分に厳しく、人に優しく
君子はどんな時にも自分に厳しく、正しい行いができますが決してこわい人ではありません。 けんか をすることもありません。 誰に対しても公平なので、気に入った人とばかり仲よくすることもありません。 こんな素晴らしい人になれたらいいですね。
子曰、君子衿而不争、群而不党。 (衛霊公十五-○22)
しのたまわく、くんしはきょうにしてあらそわず、ぐんしてとうせず。
孔子先生がおっしゃった。
「君子は、(自分に対して)厳しいが、(人と)争うことはなく、多くの人と集まって仲よくするが、(自分たち だけの)仲間作りはしない」
●人生で一番大切なもの
生きていく上で大切な、ただひとつのものとは何でしょう。 それは真心のこもった思いやりの心です。 どんな時でも誠実で、自分のことと同じくらい他人のことも考えられる人になりましょう。
子曰、参乎、吾道一以貫之。曽子曰、唯。
子出。門人問曰、何謂也。曽子曰、夫子之道忠恕而已矣。
(子罕九-○30)
しのたまわく、しんや、わがみちはいつもってこれをつらぬく。そうしいわく、い。
しいず。もんじんといていわく、なんのいいぞや。そうしいわく、ふしのみちはちゅうじょのみ。
孔子先生がおっしゃった。
「曽参(ソシン)よ、わたしの道は、一筋の道で貫かれている」
曽子は(すると)「はい」と答えた。 (その場を)孔子先生が出てゆかれると、弟子(の一人)が質問して 言うことには、
「(あれは)どういう意味ですか」
曽子が答えて言うことには、
「孔子先生の道は、(いつも一貫しており、)忠恕(真心のこもった思いやり)の心だけなのです」
・ マメ知識 2 論語の中の四字熟語(2)
巧言令色 巧言令色、鮮し仁。
剛毅木訥 剛毅木訥、仁に近し。
「巧言令色」は、うますぎる言葉と愛想のよすぎる表情を言います。 あまり飾り立てすぎて、人にこび へつらう言葉や表情態度はつつしむべきですね。
「剛毅木訥」は、「巧言令色」とは反対に、少しも飾らない素朴な言葉や態度を言います。 「剛毅」は 心がしっかりとしていて強いこと、「朴訥」は、飾り気がなく無口で、どちらかというと口べた名ことです。 これでは満点は与えられませんが、孔子先生は、「巧言令色」よりは高く評価して、こういう人は「仁に 近い」とおっしゃっています。
●バランスよく身につける
理想を持つ。 きまりを守る。 思いやりの心を忘れない。 音楽やスポーツ、なんでも興味をもってやっ てみる。 このようなことを心がけて、毎日を過ごしたら、きっと自分の目指す理想の人に近づけるにち がいありません。
子曰、志於道、拠於徳、依於仁、遊於芸。 (述而七-E)
しのたまわく、みちにこころざし、とくにより、じんにより、げいにあそぶ。
孔子先生がおっしゃった。
「人は(人として)正しい道を身につけようと求め(続け)、(それによって得た)徳という高い品性に基づき、
(その徳の中で最高の価値のある)仁(という人間愛)にたよりすがって、(その上で、豊かな)教養の世界 を気ままに楽しむこと(が大切)なのです」
●知識ばかりではダメ
どんなに素晴らしい技術や知識があっても、それだけでは立派な人にはなれませんね。 思いやりの 気持や、きまりを守れる正しい心がなくてはいけませんね。
子曰、君子、博学於文、約之以礼、亦可以弗畔矣夫。 (雍也六-○27)
しのたまわく、くんし、ひろくぶんをまなび、これをやくするにれいをもってせば、またもってそむかざる べきかな。
孔子先生がおっしゃった。
「君子(になろうと志す人)は、広く学問学習をして、(其の知識を)礼の法則によって整理するならば、
(理想の)道に反することはないだろうなあ」
●どちらもそろえば最高!
人は皆、生まれた時には、優しいきれいな心を持っています。 でもそのままでは立派な大人にはなれ ません。 学んだりきたえたりして、いろいろな力を備えることが必要です。 生まれたままの心と、それ を磨ききちんと伝える力、この両方がそろっている人は素敵ですね。
子曰、質、勝文則野。文、勝質則史。文質彬彬、然後君子。(雍也六-Q)
しのたまわく、しつ、ぶんにかてばすなわちやなり。ぶん、しつにかてばすなわちしなり。ぶんしつひん ぴんとして、しかるのちにくんしなり。
孔子先生がおっしゃった。
「生まれたままの飾り気のない素朴さが、(学習や修養によって)美しく飾り立てた姿よりも勝っていれば、
その人は、粗野な人ということになる。 (反対に)外見ばかり立派で、それが質実よりも勝っていれば、
(その人は文章の表面ばかり飾り立てる、あの)文書係の役人のように(装飾過剰に)なってしまう。 そ の文(外見)と質(実質)との両者が見事にそろってこそ、そこではじめて君子なのだ」
●大切な四つのこと
昔のよい文章や詩を学ぶ。 学んだことは実行する。 自分の心に恥かしいと思うことはしない。 真心 で人とつき合い、うそをつかない。 これらはどれも同じくらい大切ですね。
子、以四教。文、行、忠、信。 (述而七-○24)
し、しをもっておしう。ぶん、こう、ちゅう、しん。
孔子先生は(常に次の)四つのことを(大切なこととして)教育された。 (それは)学問と実行と誠実と信頼 とである。
●まず、やるべきことをやる
お父様・お母様、そしてまわりの人の言葉は素直に聞きましょう。 自分の言葉に責任を持ち、お友だ ちとは仲よくしましょう。 尊敬する人のまねをしてみましょう。 それらのことができたらよい本からいろ いろなものを学ぶことにしましょう。
子曰、弟子、入則孝、出則弟、謹而信。
汎愛衆而親仁、行有余力、則以学文。 (学而一-E)
しのたまわく、でし、いりてはすなわちこう、いでてはすなわちてい、つつしみてしんあり。ひろくしゅうを あいしてじんにしたしみ、おこないてよりょくあらば、すなわちもってぶんをまなべ。
孔子先生がおっしゃった。
「若者たちよ、家庭にあっては親孝行、外出しては(目上の人や、年上の人に対して)素直に従い、(行 動は)慎重にして、言葉に責任を持つ。 広く人々を大切にして、(学徳ともに立派な)仁者に近づき親 しんで、(それを)行なった上で余裕があるならば、其の時には、書物による学問に向かうのがよいであ ろう」
・ マメ知識 3 論語の中の名言・名句@
過ぎたるは猶及ばさるが如し。
「何事にも(適当さを欠いて)過ぎるということは、足りないということと同じ(ようによくないこと)である」とい う意味です。
これは孔子先生の弟子の子貢が、その友人の子張と子夏との優劣について、質問したのに答えたも
のです。 孔子先生は、子張は「過ぎ」ており、子夏は「足りない」と評しました。 子張は何でもやり過
ぎ、子夏は不足がちということです。 それでは、いったいどちらがよいということになるのでしょうか。
どちらもいけないのです。
たとえば飲み過ぎ・食べ過ぎと、飲食ともに不足ぎみと、どちらがよいでしょうか。 勉強も運動もやり過 ぎは害がありますね。 孔子先生は、どちらにも偏らない「中庸」という、過不足のない調和のとれた道 の大切さを説いているのです。
●行動がともなわなければ恥しい
言葉ばかりが行き過ぎてしまっては恥しいですね。 言葉よりも先ず実行してみましょう。
子曰、君子恥其言之過其行。 (憲問十四-○29)
しのたまわく、くんしはそのげんのそのこうにすぐるをはず。
孔子先生がおっしゃった。
「君子(という者)は、自分の言葉が、自分の実際の行動以上に大げさになってしまうことを、恥と考える のである。」
●あきらめたらそこで終わり
どんなに好きでがんばっていることでも途中でくじけそうになる時はありますね。 でも、そこでやめてし まったらどうでしょう。 何も進歩しませんね。 あきらめたら終わってしまいます。 くじけそうになっても もう少しがんばって続けてみましょう。
冉求曰、非不説子之道。力不足也。
子曰、力不足者中道而廃。今、女画。 (雍也六-K)
せんきゅういわく、しのみちをよろこばざるにあらず。ちからたらざればなり。
しのたまわく、ちからたらざるものはちゅうどうにしてはいす。いま、なんじはかぎれり。
(弟子の)冉求が言うことには、
「先生の道を(学ぶことを)喜ばないのではありません。 (私に学び取る)力が不足している(から、困って いる)のです」
(それに対して)孔子先生がおっしゃった。
「力の不足な者は、途中まで進んで(力尽きて)やめてしまうものだ。 今の君は始めから、見切りをつけ てあきらめてしまっている」
●穏やかな心で過ごす
君子は真剣に学び、行うべき事をきちんと行なっているので、安心した気持でいられます。 いばった ところもありません。 小人は反対に、ゆったりとしたところがなく、その上すぐに、いばってしまいます。 君子のように穏やかな心で落ちついて過ごせるようになりたいものですね。
子曰、君子泰而不驕。小人驕而不泰。 (子十三-○26)
しのたまわく、くんしはゆたかにしておごらず。しょうじんはおごりてゆたかならず。
孔子先生がおっしゃった。
「君子(という者)は、ゆったりと落ちついていて、おごり高ぶらないが、(その反対に)つまらない人物は、 おごり高ぶっていて、ゆったりとした落ちつきがない」
●上を目指して努力する
君子は理想に向かって、努力し続け、進歩していきます。 小人は反対に、よくないことばかりを求めま す。 どのような心がけで過ごすかによって、将来の姿に大きな差が出てしまいます。
子曰、君子上達、小人下達。 (憲問十四-○24)
しのたまわく、くんしはじょうたつし、しょうじんはかたつす。
孔子先生がおっしゃった。
「君子(というもの)は、より高いものを目指して向上するが、(つまらない人間である)小人は(その反対に)
程度の低いものを求めて、よくないものを得てしまう」
●行動を見ればその人がわかる
毎日をどのように過ごしていますか? あなたの行いや大切にしているものを見ると、あなたがどんな人 なのかがわかります。 自分では気づかないうちに、あなたの本当の姿は、人に見られているのです。
子曰、視其所以、観其所由、察其所安、
人焉?哉、人焉?哉。 (子罕九-○30)
・ ? = 痩(ヤ)せるの ヤマイダレ が マダレ になった漢字です。
字音 シュウ(シウ) ・ ソウ
字訓 かくす ・ もとめる
字形 声符は(そう)。 詳細は「字通」へ
しのたまわく、そのなすところをみ、そのよるところをみ、そのやすんずるところをさっすれば、ひといずく んぞかくさんや、ひといずくんぞかくさんや。
孔子先生がおっしゃった。
「その人の行動をよく見て、その人の行動の原因動機をよく観て、その人が自分の行動に満足してい るかどうかについて、よくよく検討してみれば、(この三点からの考察によって)その人(の人柄)をどうし て隠し通すことができようか。 どんな人でも隠し通すことはできない」
●道は自分で切り開いていくもの
どのような人生にするかは、自分で決めて、実現していくものなのです。 誰かが作ってくれるわけで はないのです。 理想の道を求めて、力強く生きましょう。
子曰、人能弘道。非道弘人也。 (衛霊公十五-○29)
しのたまわく、ひとよくみちをひろむ。みちひとをひろむるにあらず。
孔子先生がおっしゃった。
「人間こそ(理想の)道を広めることができるのだ。 道が人を広めるわけではない」
・ マメ知識 4 論語の中の名言・名句A
過ちては則ち、改むるに憚ること勿かれ。 (学而一-G)
「もしも過ちを犯してしまったら、ためらうことなく、すぐに改めなさい」という意味です。 「論語」には、ま たそれに似た次のような言葉があります
過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。 (衛霊公十五-○30)
過ちを貳(フタタビ)せす。 (雍也六-B)
小人の過つや、必ず文(カザ)る。 (子張十九-G)
孔子先生は、「人間は誰でも、過ちをゼロにすることはできないのだから、過ったらそれをすぐに改め なさい。 二度と同じ過ちをくり返さないように。 そして言葉で飾ってごまかすようなことはしないよう
に」と、注意しているのです。
人間の犯しがちな過失に対する先生の考え方は、このように、一見、優しく見えますが、実はよく読み 味わうと大変厳しいものでもありました。
『論語』の言葉は、読む人の真情によってかんじ方が変わり、
読むたびに、味わい深くなります。
誰にとっても一生の心のよりどころとなる古典です。
●あ と が き
『こども論語塾』 『こども論語塾 その二』に続いて、『こども論語塾 その三』を出版致しました。 この 間に心に残る出会いがいくつもありました。
幼稚園に通うお嬢さんと毎晩一章ずつ読んでいると話してくださったお母様。 あるいは、お父様がお 子さん方と素読しているご家庭。 お孫さんへのプレゼントにしてくださった方。
「声を出して読んでいたら、心がホッとして温かくなる感じがしました」
という若い女性の感想もありました。
そして保育園や幼稚園、小学校に伺う機会もできました。 お子さんたちは皆元気で可愛らしく、瞳を
輝かせて大きな声で素読してくれます。 重なりあう澄んだ声は深く心に響き、胸がいっぱいになりま
す。 純粋で豊かな幼い心に名文がしみこんでいくのが感じられます。
素読は意味を考えずに、無心になって声を出して読むことです。 繰り返し読んでいるうちに、お子さ んたちは憶えてしまいます。 漢文独特な美しいリズムを楽しみながら、目には見えない大切なもの、 生きていく力を蓄えていきます。
優しい気持や思いやり、感動する心、志を持ち、やりぬく強い精神力など、人生を豊かにしてくれる大 切なものを、ゆっくりと時間をかけて育んでいってほしいと願っています。
『こども論語塾 その三』は、『こども論語塾』 『こども論語塾 その二』 よりもさらに長いもの、あるい は少し難しい内容のものを二十章選びました。
一緒に読む大人の方が、お子さんにわかりやすい例を加えながらお話してくださると嬉しいです。 い くつになっても、いつも身近にあり、ふと思い立った時には手にとって頁を見たくなる、皆さんにとってそ んな本になれたら幸せです。
『こども論語塾 その三』もまた深い思いのこもった一冊となりました。 『論語』という素晴らしい古典を 通して、出会えたすべての方々に感謝の気持をこめて書き上げました。
今回も監修していただきました田部井文雄先生に、心より御礼を申し上げます。 また明治書院三樹 敏社長・西岡亜希子氏にもご尽力いただきました。ありがとうございました。
安岡定子
※ 漢文読解には次の本がよい。
漢文法基礎 (講談社学術文庫)
http://ancientchina.blog74.fc2.com/blog-entry-374.html
古代中国箚記 遂に出た!二畳庵主人『漢文法基礎』
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