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折々の記 2011 B
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】04/03〜 【 02 】04/05〜 【 03 】04/15〜
【 04 】04/20〜 【 05 】04/25〜 【 06 】05/02〜
【 07 】05/05〜 【 08 】05/13〜 【 09 】05/15〜
【 07 】05/05
05 05 飛び入りニュース・天声人語「まてい」と浮き草文化「日本のTV」
05 08 殺された石井 紘基
05 04 十七条憲法 和の中身
05 05 (木) 飛び入りニュース・天声人語「まてい」と浮き草文化「日本のTV」
今日は「こどもの日」で、兄の84歳の誕生日です。 兄はとうとう床に伏せる毎日になってしまいました。 鯉幟が揚がっているというのに……。
「かえるの会」でも、老人が元気で活躍できる方法についてまとめていくことを課題に取り上げました。 ピンピンコロリというように、若い者たちに迷惑をかけたくないからです。
@ 天声人語「までい」
今朝の天声人語に「まてい」について方言の扱いで書かれていました(05 04掲載)。
方言には、標準語には収まりきらない深みと幅を持つ言葉が多い。東北地方の「までい」も
そんな一つだ。「真手(まて)」という古語が語源といい、転じて手間ひま惜しまず、丁寧に、
心をこめて、といった意味合いで使われるそうだ
気がついてみると、「まていに仕事をせな」と子どもの頃には言われたものです。 「まてい」にすることは大事なことでした。 「あの人の仕事は巧者なものだ」とも言った。 仕事が丁寧で「みやましい」ことを指しています。
「まてい」も「てまをかける」も「こうしゃなしごと」も「みやましい」も、天声人語で言う『手間ひま惜しまず、丁寧に、心をこめて』に通用する言葉使いでした。
∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽
A 浮き草守銭奴文化「日本のTV」
浮き草のようなテレビ番組は、金儲けに汲々としています。 田中好子さんの追悼を揶揄すつもりはありませんが、ジャーナリズムの金儲けの題材に利用され、ミーハー族は吾を忘れ、浮かれてテレビの企画にはまるのです。
追悼企画ラッシュ スーちゃん10億円恩返し
(日刊ゲンダイ2011年4月28日掲載)
東日本大震災の余波で沈滞ムードが続く芸能界が、元キャンディーズの“スーちゃん”こと田中好子さんの追悼企画でにわかに活気づいている。真っ先に動いたのがテレビ局。スーちゃん死去を特集した「情報7days ニュースキャスター」(TBS)や「Mr.サンデー」(フジ)の視聴率が4?5ポイントアップしたことを受け、特別編成を敷き、追悼番組を企画している。
TBSは28日に「ありがとうスーちゃん 永遠のキャンディーズ」と題し、33年ぶりに解散コンサートをテレビで放送する。29日もスカパー!がキャンディーズのドラマ、音楽番組10作品以上を流すほか、5月8日はNHKがスーちゃんの主演ドラマ「鳥帰る」など2番組を放送する。連休中はキャンディーズとスーちゃん一色になりそうだ。
テレビ局がこぞって放送する追悼番組。どれくらいのカネが動くのか。
「ザックリとした計算ですが、番組の視聴率が1ポイント上がると、スポットCMの売り上げは1時間番組で400万円くらい増えると期待できます。5ポイントアップなら2000万円増です。追悼企画はしばらく続くでしょうから、ザッと3億円くらいは動くでしょうね。震災後のCM自粛でピンチのテレビ局は、わずかな金額でも助かると思います」(民放関係者)
レコード業界も賑わっている。02年にソニー・ミュージックダイレクトが発売した「キャンディーズ GOLDEN☆BEST」は、この1週間に1万1000枚が緊急出荷され、3000万円以上が動いた。さらに6月8日にはシングル曲のみを収録したベスト盤の発売が予定されていて、こちらは10万枚セールスが確実。約2億円を稼ぎ出す計算だ。
こうした流れに刺激を受けた往年のファンがカラオケでキャンディーズを歌ったりすれば、総額はアッという間に10億円近い金額になりそう。
日本のテレビの低俗な魂胆には唖然とせざるを得ません。
『手間ひま惜しまず、丁寧に、心をこめて』という素晴らしい人間の生き方からは、一線を隔する生活が展開されているのです。 若々しい日本の成長には程遠い断面なのです。
子どもの未来を祝福できるように、青年も、大人も、老人も、大地に足を踏ん張った考え方で子どもたちの環境を整えなければなりません。 それなのに、そんなことはそっちのけです。 マスコミの考え方は断罪されなければならないのです。
05 08 (日) 殺された石井 紘基
民主党になって蓮舫さんを主として事業仕分けが始まりました。 国の特別会計を白日の下にするのが狙いだったようです。
この事業仕分けこそ石井紘基が命を懸けた「官制経済体制」へメスを入れていた日本の政治の恥部でした。
今は亡き石井紘基著 『日本が自滅する日』 を手に入れました。
【索引の記事】
Google 検索一覧 http://www.google.co.jp/#hl=ja&source=hp&biw=1178&bih=806&q=%E6%AE%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%9F%B3%E4%BA%95+%E7%B4%98%E5%9F%BA&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&oq=%E6%AE%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%9F%B3%E4%BA%95+%E7%B4%98%E5%9F%BA&aq=f&aqi=&aql=&gs_sm=s&gs_upl=3417l3417l0l1l1l0l0l0l0l109l109l0.1&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.&fp=b4afd17e5a28313f
殺された石井 紘基 - Google 検索
http://urayamaneko.seesaa.net/article/178078192.html
殺された石井紘基のホームページより・崩壊する日本 地声人語日記
momo.282.html
殺された石井紘基のホームページより・崩壊する日本
上のサイトを読みやすくしたサイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E7%B4%98%E5%9F%BA
石井紘基 - Wikipedia
http://blog.goo.ne.jp/koukishi/e/286d240302efafcf829046e7bc8123f4
特別会計とは - リメンバー 石井紘基
【索引の動画】
http://www.youtube.com/watch?v=XZvKh4J9vig&feature=related
YouTube - 石井紘基議員刺殺の真相 1-2
http://www.youtube.com/watch?v=-tn1Oq7jA-A&feature=related
YouTube - 石井紘基議員 暗殺の謎 1-3
http://www.youtube.com/watch?v=EhGE_ZIadEg&feature=related
YouTube - 1-5 『日本病』の正体 石井紘基の見た風景
http://kayskayomura.com/ja/node/19
ただ一人、石井紘基を追いかけてくれていたテレ朝 大野公二記者
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E4%BC%9A%E8%A8%88
特別会計 - Wikipedia
『日本が自滅する日』には「序文」がなく、「おわりに」の中に出版の目的が書かれています。
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1074.html
★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK68 > 1074.html
日本が自滅する日
おわりに ― 「ベルリンの壁」の向こう側
日本にはベルリンの壁がある。その見えない向こう側に「ほんとうの日本」がある。ベルリンの壁を取り払い、ふたたび明るい陽光を浴びる日本をとりもどすために「ほんとうの日本」の一端を解明するのが本書の目的であった。
諸兄には、現実に示されている日本と「ほんとうの日本」とはまったく違うことが、いささかおわかりいただけたと思う。私たちが、この「ほんとうの日本」を官権力の壁に閉ざされ見失ってきたところに今日のすべての問題の根元があると、私は思う。
近年、とくに、経済政策がことごとく的外れとなり、国が迷路にはまってしまっている。私たち日本国民は、いま、国が直面する難病のような事態を打開するために、権力の壁を突いて自国の真の姿を明るみに出さなければならない。ベルリンの壁の向こう側で生起し、それが国家社会の質を決定づけている山のように巨大な事実をつまびらかにしなければならない。
その手がかりはある。それは国会が持ち、したがって、国会議員が有する「国政調査権」という部分的「権力」の発動である。私は、これまで、一(いち)国会議員の立場で、国家財政の実状や行政企業の実態、政治利権の仕組みなどを可能な限り調査してきた。
その結果、私は、わが国の経済分野への権力の侵出が、金と組織の広がり、法律や政策の後ろ盾、その圧倒的な規模と量によって、社会の「質」を変えてしまったという結論を得た。
つまり、権力による経済支配が、国家社会の基本的性格を自由主義市場経済から官制経済という巨大な国家利権システムに転化してしまったのである。
経済の自由主義、政治の民主主義、道徳の博愛主義などの原理は、ある意味では壊れやすい。民主主義には、独裁やテロリズムにつけ入れられやすい寛容な一面があるし、博愛主義に、暴力をたたきのめすことはむずかしい。これらの理想や原理原則の糸が切れてしまうと、独裁や暴力は暴走し、体制を支配してしまう。
市場経済もまた、権力がそのナイーブな糸を断ち切り、つけ入ろうとした瞬間、たちまち後ずさりしてしまうのである。
私は、本書において、政官の一連の行動によって日本国が変貌し、もはや市場経済から「官制経済」に移行したことの証明に努めた。こうした証明をしなければならないと考えたのには次のような経緯がある。
衆議院議員になって二年目の平成六年、あることがキッカケで、私は、特殊法人を片っ端から調べてみた。
調べていくうちに政府系の公益法人やファミリー企業、それらを支える財政の仕組みなどから、これまで誰にも発見されなかった「もう一つの世界」の実態が次々に見えてきた。「もう一つの世界」は巨大な権益の世界であった。
権力の壁に遮(さえぎ)られて存在していた数々の事実は、国の実体を特徴づける基本的で重要な事柄に思えた。本当の日本国は国民の目の届かない所でつくられ進んでいたのだ。私は、地球が回っているのではなく、太陽が回っていることを発見した思いだった。
別の言い方でいえば、日本には「ベルリンの壁」があるのではないかとの直感がよぎった。すべての鍵は「ベルリンの壁」の向こう側にあるのではないか。ほんとうの現実は「ベルリンの壁」の向こうに隠されているのではないか。
私はそう仮説を立てた。そこがわからなければ国政のダッチロールは止まらないのではないか。一九八〇年代後期からの、わが国の経済政策はことごとくダメだ。雇用対策、金融政策、需要政策……。百数十兆円の景気対策も、暖簾(のれん)に腕おしだった。国会議員としての役割りも、このままでは務まらない。
この事態は、単なる経済政策の失敗というような次元の問題ではない。経済学者、経済評論家も分析不可能な、経済の次元を超えた問題だ。げんに彼らの評論や予測はとんと当たらない。したがって、当然、「専門家」や「官僚」に依存してきた政府の施策が的を射るわけがない。
私は一九六五年から一九七一年までソビエト連邦共和国のモスクワ国立大学法学部大学院に就学した。私は、そこで「ソ連における国家意志の形成」というテーマで研究に取り組み、社会主義システムの実態に触れることができた。
私が“鉄のカーテン”の内側に入ったのは、私が彼(か)の国にあこがれたからではない。じつは、私は、当時、ソ連を「官僚制国家資本主義」の国と考えていた。その社会主義を標榜(ひょうぼう)し社会主義の盟主たる、外からはうかがい知れない国を直接みたかったのである。そのソ連は、九〇年代の初頭に滅亡した。国家崩壊の原因は経済の破綻であった。
私は、日本の「ベルリンの壁」の向こう側を調べていくうちに、かつて、私が実態を見てきたソ連の姿と今日の日本の姿が次々に二重写しにみえるようになってきた。国民にも専門家にもほんとうのところがみえない。権力が経済を侵蝕し、権力による分配経済の下、うわべの数字と裏腹に国家破綻が進行する。
社会主義ソビエト体制の三原則は、@中央集権、A官僚制、H計画経済(官営経済)であった。今日、わが国の体制はまさしく社会主義ソビエトの相似形である。
すなわち、意志決定の権限は事実上、国会の機関ではなく政権党の党機関と行政権力機関が握っていること、議会の権限を形骸化した中央集権体制、政官一体の官制経済、公共事業と補助金による行政企業を媒体とした政府投資型財政制度等がそれである。
そればかりか、ソビエト体制のもう一つの特徴であった「財政の秘密」においても共通している。実際の歳入歳出を反映しないわが国の「一般会計」は、“大本営発表”そのものであり、この点も「社会主義」の要件を満たしているといってよい。
ソ連と比べて日本が若干異なっているのは、総理大臣や財務大臣をはじめ、すべてが「一般会計」の目くらましにかかっているところである。この現実と認識の乖離(かいり)はソ連とは別の意味で喜劇的である。
私は、平成八年、すべての特殊法人、公益法人、財政投融資制度などの実態調査の結果を 『官僚天国・日本破産』として出版し、日本は官制経済体制であるから、市場経済革命の断行なくしては国家破産を迎えると警告した。
その中で、道路公団、石油公団、住都公団(現・都市基盤整備公団)、年金福祉事業団(現・年金資金運用基金)、政府系金融機関などの解体・廃止を主張し、権力の経済分野からの全面撤退を叫んだのである。
経済とは「市場」の活動である。資本の拡大再生産は「市場」においてのみ起こり得る。その「市場」(経済)の資源(手段)を権力が侵蝕すれば当然のこと、経済は死んでしまい、社会もその存立を失うのである。
私が、日本の 「ベルリンの壁」を発見したキッカケになったのは「あること」と述べたが、それは次のようなことであった。
平成六年、中小企業の建設会社をやっている私の友人が「住都公団の営繕の工事に入札しているが、いつも決まって公団の子会社である日本総合住生活(株)が落札し契約してしまう。われわれには圧力がかかってまったく仕事がとれない」という話をした。
住都公団は国の特殊法人だ。税金でやっている特殊法人が子会社を持っている? もし、それが事実だとすれば公金横領だ。それを合法化する法律があれば何をかいわんやである。
私は「これはへんだ」と思ってさっそく建設省(当時)政府委員室の担当者に連絡した。すると、建設省住宅局の担当者が来た。
「住都公団は子会社を持っているのか」と尋ねると、「子会社への出資は法律で認められている」という。そこで、子会社があるなら公団の出資額や子会社の資産、収益等の財務資料を提出するよう求めた。建設省側は当初「私企業のことなので役員会の議決が必要」などといって渋っていた。
私は「税金の使い途を隠すのか」と迫った。結局、建設省は、それからかなりの日時を経て、それらの数字を持ってきた。それを見ると、なんと公団が出資して作った株式会社が二四社、出捐(しゅつえん)して作った営利用の財団が六法人も記載されていた(その後、さらに増えた)。
営業収入は、その内五社分だけで二〇〇〇億円、公団からの天下り役員は、子会社全体で一〇〇人を超えていた。これらの中に、確かに日本総合住生活(株)があった。社長の有賀氏は建設省から公団、そして、この会社と“渡り鳥”してきた人だ。帝国データバンクで調べてみたら、売上げは一六〇〇億円で、住宅関連サービス部門では、全国七一〇〇社中第二位。これらの事実を知ったとき、私は暗い大きな洞窟を発見した思いがした。
次にとった行動は、公団に対してすべての修繕事業の契約先一覧を要求することだった。公団はこれに対し、「膨大な作業なのでデータを揃えるには数カ月かかる」という。
私はやむなく「それでは東京支社と、関東支社の五〇〇〇万円以上の契約のみ、一年分」として集計してもらった。これが出てくるまで約一ヵ月待った。
それを見てまた驚いた。東京支社分でいうと年間一〇〇件程度の発注契約のうち、なんと、その七割が日本総合住生活(株)に与えられていたのだ。その他の契約もほとんどファミリー企業へ行っている。関西支社では、八割を日本総合住生活(株)が占めていることが、後にわかった。私は、この実態を国会でとりあげ、新開も報道した。平成六年一〇月二六日だった。それまではよいことしか語られず、もてはやされてきた特殊法人の実態が国会ではじめて追及されたのである。その後、私は、他の九一の特殊法人(現在は七七)についても片っ端からそれらの子会社、孫会社、天下り、放漫経営などを調べあげた。公益法人も調査した。
規模の大小はあるが、各省庁ごとに権益となって、全国ネット、同族会社など民間の大企業と同じような系列形態になっていることがわかってきたのであ る。これには、また、国会議員の利権の縄張りもからんでいることが政治資金関係の調査でわかった。この姿は、間違いなく「政策」と「金」と「法」によって確立された日本国のシステムなのである。
この国は、法そのものが正義を失い、舵取りの利かない状態に陥っている。「人のものを取ってはいけない」「公のものを私してはいけない」という基本法の錠が各省庁所管の法律によって「人のものは自分のもの」「公のものは私のもの」となっているのである。
法が法を犯すとき、国は末期を迎え、やがて亡(ほろ)んでしまう。今こそ、権益に組み込まれていない圧倒的多数の国民の手によって、既存の体制を覆し、国民のための新しい体制を作らなければならない。これは革命である。
私が本書を著したのは二一世紀日本の市場経済革命に捧げるためである。
本書に著した私の主張は、私の八年半の国会議員活動の「決算」でもある。本書において、私は、私自身の調査に基づいた事実と、その検証に立った判断と主張を述べた。私は、これらのすべてに自信を持ち、責任をとる。
本書は出版が決まってから一年半もかかって完成した。それ以前に、国会活動のかたわら書き綴ってきた時間も合わせると、三年ほどが経過してしまった。この長い日々の間に出くわしたさまざまな出来事は私にとって忘れられない。その中で国会の中の些細な話をひとつふたつ紹介しておきたい。
国会議員は、人にもよるが、ウィークデーは会議や委員会、部会、取材の来客などに追われて、あっという間に過ぎてしまう。土曜、日曜は地元の行事などがある。
私もそんな具合だから、原稿書きや書類整理、質問準備の時間は土、日の空いた時間か、平日の夜しかない。
ところが、議員会館は、土曜、日曜と平日の夜は玄関が閉まってしまう。閉まっても通用口から出入りはできるし、静かで、書類・資料も置いてあるので私は常に議員会館に来て仕事をする。
しかし、夜の一一時を過ぎると警備係から再三電話が鳴って「(仕事は)まだかかりますか」といってくる。「早く帰ってくれ」との督促だ。つらいのは真夏と真冬だ。普段でも土曜、日曜、祭日は冷暖房を入れない。休会中は平日もいっさい入れない。
だから、夏の暑い季節は裸体になって、自分で持ち込んだ除湿器をかけるのだが、それでも南向きの私の部屋ではうだってしまう。冬は厚着をしてしのぐ。じつに仕事がしにくいところなのだ。
もうひとつ、考えられないようなことがある。議員会館で土曜日、日曜日にしばしば停電があることだ。月に一度か二度は必ず停電する。なかでも、平成一三年の四月末から五月にかけての連休は一〇日間の長期停電だった。
世の中では今どき停電の話などほとんど開かれない。私は「なぜそんなに電気工事ばかり多いのか」と文句をいったものだ。
その連休中は、私の小さな部屋にだけ階下から電線を引っ張って仕事ができるようにしてくれたが、今どき、日本の国会のように、やるべき仕事に配慮がなく効率の悪いところもめずらしい。
これも政治がいまだに官依存で、政治本来の仕事がないがしろになっているのが原因だ。「国会改革」もあれこれ論議されてはいるが、何といっても政治そのものが、もう少し国民の未来に奉仕する名誉あるものに、生まれ変わることが先ではないだろうか。
日本の政治文化はいずれにしても国民の手にかかっている。
本書が、こうした姿でできるまでには多くの方々の協力が不可欠であった。全国各地で公共事業に従事したり、市民運動に取り組んでいる方々には多くのことを教えていただいた。
また、各省庁とその関係の方々にも快くデータや資料の作成に時間を割いていただいた。国会調査室の職員諸氏も含めて、彼らの協力によってこそ、本書の内容に具体性を増すことができたと思っている。
刊行にあたっては、本の構成や整理に貴重なアドバイスをいただいた元・朝日新聞論説委員で、ジャーナリストの岡田幹治氏、PHP研究所副社長の江口克彦氏をはじめ、再三再四の加筆、修正に労を惜しまずご協力下さった出版部編集長の今井章博氏、細矢節子氏に深く感謝を申し上げたい。
本書が、ひとりでも多くの人びとによって読まれ、日本再生の力となることを願い、筆を置く。
平成一三年一二月
石井紘基
〈著者略歴〉
石井紘基(いしいこうき)
1940年、東京都世田谷区代沢生まれ。池之上小・成城学園中高・中央大学法学部卒業。早稲田大学大学院・モスクワ大学大学院修了。法哲学博士。東海大学講師。衆議院当選三回(東京6区)。労働・商工・安全保障各理事。予算委員。(総務庁)政務次官。国土審議会委員。国民会計検査院代表。現在、衆議院決算行政監視委員会筆頭理事。政治文化研究所を主宰し、「太子堂塾」を開いている。著書に『官僚天国・日本破産』『日本を喰いつくす寄生虫』(以上、道出版)、『利権列島』(ネスコ/文藝春秋)などがある。
日本が自滅する日
「官制経済体制」が国民のお金を食い尽くす!
2002年1月23日 第1版第1刷発行
2009年8月7日 第1版第5刷発行
著 者 石 井 紘 基
発行者 江 口 克 彦
発行所 P H P 研 究 所
東京本部 〒102−8331 千代田区三番町3-10
学芸出版部 03−3239−6221
普及一部 03−3239−6233
京都本部 〒601-8411 京都市南区西九条北ノ内町11
PHP INTERFACE http://www.php.co.jp/
組 版 有限会社エヴリ・シンク
印刷所
製本所 凸版印刷株式会社
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 目次
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/739.html
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 序章
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/741.html
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 1−1 利権財政の御三家―特別会計、財投、補助金 誰も知らない日本
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1064.html
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 1−2 究極の“裏帳簿”特別会計
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1065.html
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 1−3 官制経済を支える“闇予算”財投
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1066.html
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 2−1 経済むしばむ“官企業”―特殊法人と公益法人など
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1067.html
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 2−2 民間経済の上に君臨する特殊法人
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1068.html
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 2−3 世界一のゼネコン ― 日本道路公団
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1069.html
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 2−4 利権に利用される公益法人
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1070.html
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 2−5 官企業の就業人口は、なんと四〇〇万人
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1071.html
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 3章 公共事業という名の収奪システム
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1072.html
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 4章 構造改革のための二五のプログラム
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1073.htmll
05 10 (火) 十七条憲法 和の中身
きょうは老生の父桐生長一の命日です。 父は明治32年7月1日生まれで、平4年5月10日死亡。 没後19年、生きていれば今年の7月で満112歳になる。 老生が12月満83歳だから29歳違いであった。
馬齢を重ねるにしたがって父母の恩義を感ずることになります。 一昨日は母の日でしてから、在所の父母を偲ぶのに適当な日でした。
父方の従兄弟、桐生武さんはよく人は和が一番大事だと一杯飲んだときには口癖のように言っていたことが耳の奥に残っています。
そこで、「地球は丸い」「人は和が一番大事だ」の意味を戴して
『以和爲貴無忤爲宗』 (和を以って貴しと為し、忤(さから)うこと無きを宗と為せ)
『人皆有黨亦少達者』 (人皆党有り、また達(さと)れる者は少なし)
という十七条憲法最初の条文を取上げます。
『和を大事にしなさい。 相手の意見を否定してはいけません』
素敵な言葉です。 従兄弟の言っていたこともこの第一条も奥深い意味を持っており、さて実践といいますとなかなか難しいことです。 言うは安く行なうは難しです。
解説と原本を取上げてみます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%9D%A1%E6%86%B2%E6%B3%95
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より
十七条憲法
十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)とは、『日本書紀』、『先代旧事本紀』に、推古天皇12年(604年)4月3日に「夏四月 丙寅朔戊辰 皇太子親肇作憲法十七條」と記述されている、17条からなる条文である。この皇太子は、「??豐聰爾皇子」(聖徳太子)を指している。憲法十七条、十七条の憲法とも言う。
官僚や貴族に対する道徳的な規範を示したものである。儒教[1]・仏教の思想が習合されており、法家・道教の影響も見られる。
成立
『日本書紀』、『先代旧事本紀』の記述によれば、推古天皇12年(604年)に成立したとされる(『上宮聖徳法王帝説』によれば、少治田天皇御世乙丑年(605年)。『一心戒文』によれば、602年)。720年(養老4年)に成立した『日本書紀』に全文が引用されているものが初出であり、これを遡る原本、写本は現存しない。成立時期や作者について議論がある。
創作説
津田左右吉は、1930年の『日本上代史研究』において、十七条憲法に登場する「国司国造」という言葉や書かれている内容は、推古朝当時の政治体制と合わず、後世、すなわち『日本書紀』編纂頃に作成されたものであろうとした。
それに対し坂本太郎は、1979年の『聖徳太子』において、「国司」は推古朝当時に存在したと見てもよく、律令制以前であっても官制的なものはある程度存在したから、『日本書紀』の記述を肯定できるとした。
森博達は、1999年の『日本書紀の謎を解く』において、「十七条憲法の漢文の日本的特徴(和習)から7世紀とは考えられず、『日本書紀』編纂とともに創作されたもの」とした。
原文
日本書紀に記載されているもの。
夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。
二曰、篤敬三寶。々々者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之禁宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤惡。能ヘ従之。其不歸三寶、何以直枉。
三曰、承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆臣載。四時順行、萬気得通。地欲天覆、則至懐耳。是以、君言臣承。上行下靡。故承詔必愼。不謹自敗。
四曰、群卿百寮、以禮爲本。其治民之本、要在禮乎、上不禮、而下非齊。下無禮、以必有罪。是以、群臣禮有、位次不亂。百姓有禮、國家自治。
五曰、絶饗棄欲、明辨訴訟。其百姓之訟、一百千事。一日尚爾、況乎累歳。頃治訟者、得利爲常、見賄廳?。便有財之訟、如右投水。乏者之訴、似水投石。是以貧民、則不知所由。臣道亦於焉闕。
六曰、懲惡勸善、古之良典。是以无匿人善、見-悪必匡。其諂詐者、則爲覆二國家之利器、爲絶人民之鋒劔。亦佞媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆无忠於君、无仁於民。是大亂之本也。
七曰、人各有任。掌宜-不濫。其賢哲任官、頌音則起。?者有官、禍亂則繁。世少生知。剋念作聖。事無大少、得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此國家永久、社禝勿危。故古聖王、爲官以求人、爲人不求官。
八曰、群卿百寮、早朝晏退。公事靡監。終日難盡。是以、遲朝不逮于急。早退必事不盡。
九曰、信是義本。毎事有信。其善悪成敗、要在于信。群臣共信、何事不成。群臣无信、萬事悉敗。
十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、?能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。、我獨雖得、從衆同擧。
十一曰、明察功過、賞罰必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿、宜明賞罰。
十二曰、國司國造、勿収斂百姓。國非二君。民無兩主。率土兆民、以王爲主。所任官司、皆是王臣。何敢與公、賦斂百姓。
十三曰、諸任官者、同知職掌。或病或使、有闕於事。然得知之日、和如曾識。其以非與聞。勿防公務。
十四曰、群臣百寮、無有嫉妬。我既嫉人、々亦嫉我。嫉妬之患、不知其極。所以、智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以、五百之乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治國。
十五曰、背私向公、是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同、非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云、上下和諧、其亦是情歟。
十六曰、使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。從春至秋、農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。
十七曰、夫事不可獨斷。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事、若疑有失。故與衆相辮、辭則得理。
『日本書紀』第二十二巻 豊御食炊屋姫天皇 推古天皇十二年
書き下し文(部分)
夏四月の丙寅の朔戊辰の日に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)作る。
一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝はとは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かる直さん。
三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。こころもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下…(略)
四に曰く、群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる。
五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。(略)
六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。(略)
七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。(略)
八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。(略)
九に曰く、信は是義の本なり。(略)
十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(略)
十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。(略)
十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。(略)
十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。(略)
十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。(略)
十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。(略)
十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。(略)
十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。(略)
「和して同ぜず」もこのことです。
http://www.iec.co.jp/kojijyukugo/vo17.htm
『論語』子路第十三3 より
故事百選→和して同ぜず
人と協調していくが、決してむやみに同調しないということで、
人とのなごやかな人間関係には心掛けるが、その場かぎりに、
無責任に賛成したりしないという意味です。
「論語・子路」のなかに出てくる文言で、「君子は和すれども同ぜず。小人は同ずれども和せず」の前半部分を取ったものです。後半は、「つまらぬ人間は、やたらに人の意見に賛成するが、真に共感しているのではなく表面だけを合わせているのであり、友好関係は生まれない」ほどの意味でしょう。
「付和雷同」(礼記・曲礼上)は「雷が鳴ると、それに応じて反射的に響く音のように、自分の定見もなく是非の判断もなく、賛成する」ということでほとんど同意義です。
「和」というのは、われわれ日本人が大切にしている美徳の一つです。「和気諸々」というのは、「気分のよい、ほんわかした雰囲気」のことであり、ことを荒立てずにうまく調和していくことでしょう。
「和議」は「なかなおりの相談」ですから、大へん幅ひろく使える語句といえます。しかし、だれとも友好関係を保ちながら自分の主義主張を曲げないことはなかなか難しいことだと思います。
老子の思想が、融通無碍で自由に流れに従うのに、孔子の方は筋を通して、自分の説を曲げないというやや道徳臭のあることがこの格言のなかにもよく表れています。人間関係をよくすることをすすめながら、自説を曲げてはいけないと戒めているのです。世のなかに「清濁併呑む」ような生き方を実行している人も少なくないのです。こちらの方は、広く、どのような人とでも交際し、受入れるということです。
「清濁併せる」は、いいかえれば、正しいものも邪なものも、また善人も悪人も区別しないことで孔子流では受け入れられない態度です。「史記・酷吏伝」に「清濁を制治す」というところからでたものですが、「清濁併呑む」の方はわが国で作られた成語であるとされております。
一般の会話で、「裃を脱いで話しましょう」「まあ、そう固ぐるしいことは言わずに……」「建て前論ですが……」などと、なんとか妥協を引き出そうとするのが、わが国社会の風土であり、パラダイムです。
このような社会的な基盤のなかで協調して暮らして行くためには、大筋で同意できさえすれば、「同ずる」こともやむを得ないといえましょう。
倫理、道徳の退廃、ビジネスモラルの低下など、有識者にとっては嘆かわしい世相の中で我々は暮らしています。「節を曲げない」ということはいつの世にも難しいことでしょうが、現代社会でもおなじことがいえます。
http://www.bushidoman.net/rongo.htm ぶしどうマネジメントの指針集 『論語』より 【論語解説】
http://park6.wakwak.com/~y_shimo/momo.1016.html 子路第十三1
http://park6.wakwak.com/~y_shimo/momo.1017.html 子路第十三2
http://park6.wakwak.com/~y_shimo/momo.1018.html 子路第十三3
http://kanbun.info/keibu/rongo13.html
論語:子路第十三:23 - Web漢文大系より
子曰。君子和而不同。小人同而不和。
子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
君子・小人 … 一般的に、君子は徳の高いりっぱな人、小人(ショウジン)は人格が低くてつまらない人、の意。
加地伸行は君子を「教養人」、小人を「知識人」と訳している。(加地伸行『論語』講談社学術文庫)
和 … 人と調和する。他人と和合する。
而 … 逆接の意を示す。
同 … 付和雷同する。
宮崎市定はこの章を、「子曰く、諸君は互いに仲良くして貰いたいが雷同して貰いたくない。
大ぜい集まればすぐ雷同するが、必要な時に協力できぬ人間の多いのは困りものだ」と訳している。
(宮崎市定『論語の新研究』岩波書店)
2006年10月27日 三宜亭本館 名の由来 三宜亭(さんぎてい)は今から約130年くらい前、明治初期に廃藩置県で飯田城が取り壊された後、山伏丸(かつて武器弾薬庫のあった場所)跡に最初は料亭として出来ました。 その当時の趣味人たちが酒を酌み交わしながらゆっくりと時を過ごしていたところ、この地方の歌人上柳外川(うえやなぎがいせん)が祝いに歌を詠んでやろうということになりました。 “月雪の 眺めのみかは 咲く花も 幾代の春に 匂う宿かな・・・” この歌にある雪月花に因み、『春に花よし、秋に月よし、冬に雪よし』で三つ宜しいから・・・ということで、やはりこの地方の文人でも画人でもあった大平小洲(おおだいらしょうしゅう)が、三宜亭と命名してくださいました。 女将 児島敏子 タグ:大平小洲 上柳外川 三宜亭本館 廃藩置県 飯田城 沼津市立浮島中学校 職員玄関には、「Boys, be ambitious.」の扁額が掲げられています。 クラーク博士のこの有名な言葉を筆で書いたのは、札幌農学校(今の北海道大学)第2期生の新渡戸稲造です。北海道大学の学長室にも同様の扁額が掲げられているそうです。本校を巣立っていく卒業生のみなさんへの激励の言葉のように感じませんか。 クラーク博士のこの言葉の続きを紹介します。 Boys, be ambitious. Be ambitious not for money or selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be. 青年よ、大志を抱け。 金銭や自分自身のための功績でなく、 世にいう名声というあのはかないもののためにではなく、 人間として大成するための大志を持ちなさい。