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01 02 金融戦争で中国に勝てない米国 田中宇の国際ニュース解説
01 02 (木) 金融戦争で中国に勝てない米国 田中宇の国際ニュース解説
金融戦争で中国に勝てない米国
2013年12月26日 田中 宇
リーマンショックから半年後の2009年3月の雨の火曜日、米政府の軍事と諜報の専門家たちが、米ワシントンDC北郊にある米政府の戦略立案室の一つに集まり、コンピューターを操作していた。おこなわれていたのは、もし米国と中国が金融市場を舞台に相手国の資産を潰し合う金融戦争をやったら、どちらが勝つかを調べるシミュレーションだった。結論は、米国がどう戦っても中国に勝てないということだった。米国が中国を潰しにかかると、中国は手持ちのドル建て資産を売り放ち、米国と同盟諸国の経済を混乱させ、米政府が政治的に譲歩せざるを得ない状況を作り出す。専門家たちが条件を入力すると、コンピューターはそんなシナリオを描き出したという。米国のジャーナリスト、エリック・ワイナーが、そのように指摘している。 (China Guts dollar, Crushes U.S. in Alarming Financial War Game)
米当局が、対中金融戦争の敗戦を予測するこのシミュレーションをおこなったのは、今から4年以上も前のことだ。米政府はその後、米国債を大量発行し、リーマン危機の後遺症(債券金融システムの凍結状態)から米金融界を救う資金を作ったが、その米国債を最も多く買ったのは中国だった。金融戦争における中国の優勢は、シミュレーション時よりも増している。 (◆米国が中国を怒らせるほどドルが危なくなる)
米政府が国債を発行しすぎて潜在的な危険が増した後、救済役は米連銀に交代し、連銀はドルを過剰発行して米国債と、金融界の不良債権(ジャンク債)を買うQE(量的緩和策)を拡大した。そのQEも、連銀の勘定(バランスシート)を危機的に膨張させ、前回の記事に書いたように、12月18日にQEの縮小が決定された。 (◆米連銀QE縮小で増すリスク)
米国では、かつて旺盛に消費していた中産階級が、ほとんど消費できない貧困層に転落する流れが続いている。米欧日の先進諸国が金融危機や経済難で消費が伸び悩んでいるのと対照的に、中国は経済を輸出主導型から内需主導型に転換し始めた。米欧日の内需に代わり、中国をはじめとする新興市場諸国の内需が世界経済の牽引役になる時代が来ている。全体として、シミュレーション当時と比べ、経済的に、中国の優勢と、米国の劣勢が拡大している。 (世界経済の構造転換)
中国と金融戦争した場合の米国の敗北が09年から予測され、その後も米国の不利が拡大する一方なので、ふつうに考えれば米国は、中国との対立を回避するのがかしこい戦略だ。しかし、それと正反対に、オバマ政権は11年から、軍事的な中国包囲網の強化である「アジア重視策」を開始し、日本やフィリピン、ベトナムなどをけしかけて、中国との軍事対立を煽った。 (中国包囲網の虚実)
「米国は、経済で勝てないから軍事で中国を包囲したのだ」と思う人が多いかもしれない。これは時代遅れの考え方だ。匿名性の高い自由な金融市場が席巻する最近の20年ほどの世界では、軍事より経済の方が、国家の安全保障にとってはるかに重要だ。投機の手法を使って相手国の金融や為替の崩壊させる「金融兵器」は、すでに世界で何度も使われているが、いつも誰が攻撃者なのかわからない状況で宣戦布告もないまま発動され、やられた側の国家経済を破綻させる。 (激化する金融世界大戦)
軍事による戦争は、まず外交的な敵対があり、軍事的な小競り合いに発展し、その後ようやく戦争になるという明示的な経過が必要だ。刀を抜いて「われこそは」と名乗り合って戦う昔のチャンバラのようなものだ。それに比べると金融兵器は、隠し持ったサイレンサつきの小さな拳銃で後ろから音もなく殺す暗殺や、スパイによる毒殺のようなもので、やられた方は往々にして「殺された」ことすらわからず死に体になっている。「戦争は悪だ」という価値観が定着している今の世界では、兵器は持っているだけで使うべきものでない。相手国に「悪」のイメージをなすりつけて「平和のために戦争が必要だ」と言って勧善懲悪の戦争をやる米英式の手法は、米イラク侵攻後、無効になっている。
米国が中国と戦争するなら、その前に、米国債を中国に買ってもらわずにすむ米政府財政の建て直しが必要で、それには軍事費の大幅削減が必須だ。米国で中国を敵視する勢力の筆頭は軍産複合体で、彼らは米政府の軍事費削減を阻止している。米国が中国と戦争する姿勢をとるほど、米国は中国に勝てなくなる。
前回記事でかきそびれたが、連銀がQEを縮小すると、その分、バブルを膨張させることで債券金融システムを回す代替策をとるしかない。すでに、不十分な担保しかとらず融資した「コブライト(軽担保融資)」債権など、リーマンショック前のバブル崩壊につながった高リスクの危険な債券類の発行が増加している。来年は、金融を回すためにバブルを再膨張させる動きがもっと加速するだろう。このバブルはいずれ再崩壊、リーマンショックが再来する。再崩壊が来年中に起きるかどうかわからないが、すでに「起きるかどうか」でなく「いつ起きるか」の状況に入っている。 (米金融バブル再膨張のゆくえ)
リーマン危機の元凶となった06年のサブプライム危機発生時の先例から考えて、バブル崩壊はおそらく、債券に対する信用が悪化してジャンク債の利回りが高騰するリスクプレミアムの上昇から始まる。これまでの金あまり・ゼロ金利から、一転して高金利の時代になる。今日の時点で2・98%である10年もの米国債の利回りが、3%を大きく越えたまま下がらないと、債券バブル崩壊の懸念が増す。米国債が格下げされた11年夏に起きたような、債券市場に資金を流入させて守るため株式相場の急落を誘発することもおこなわれるかもしれない。(サブプライム危機の再燃) (格下げされても減価しない米国債)
リーマン危機の後、金融界が保有する価値が急落した債券を、米当局が財政出動やドル増刷(QE)で買い支えたが、連銀のQE減額が象徴するように、当局による買い支えはすでに限界だ。次回のバブル崩壊時、米当局は不十分な金融救済しかできず、リーマン危機後も何とか延命している債券金融システムが、次回は不可逆的に機能停止するかもしれない。どこまでのことが起きるか予測困難だが、債券の価値が暴落して紙切れに近づき、債券を発行して資金調達できた時代が終わるかもしれない。 (Asset managers could blow us all up)
米国で金融危機が再発すると、世界的な金融危機になる。中国も経済難になる。米国で大量発行されたドル建て資金の一部は、中国をはじめとする新興市場諸国に投資されているが、その資金が突然引き揚げる事態が起きる。連銀のQE縮小によってひどい資金流出が起きそうな「脆弱な5カ国」として、ブラジル、インド、南アフリカとBRICSの3カ国と、トルコ、インドネシアが名指しされている。金融危機が再発して米国が崩れる前に、これらの国々が経済崩壊する可能性がある。 (`Fragile five' countries face taper crunch)
中国は、国連などの国際社会において、他のBRICSや発展途上諸国と組んで多極型の新世界秩序を作りつつ、米国の覇権に対抗している。米国の金融システムが再崩壊する過程で、先にBRICSが資金流出に見舞われて潰れると、相対的に中国も弱くなり、金融戦争で中国が米国に勝つ流れにならない。
しかし半面、中国などBRICS諸国はリーマン危機後、米国中心の金融や為替のシステムへの依存を低下させる動きを続けている。中国はまだ人民元の為替相場を基本的にドルに連動させているが、このドルペグをやめていく流れになっている。ドルでなく人民元で決済される貿易の額が増加している。中国と外国の貿易で元で決済される分が、今年の4兆元弱から、来年は6兆元へと5割増になると予測されている(比率的には17%から20%への増加)。中国政府は、2017年ごろまでに人民元の国際利用の自由化を完了しようとしているという。中国とロシアが、経済崩壊しつつある米国のドルを使うことをやめる動きを強めているとの指摘もある。 (Yuan trade settlement to grow by 50% in 2014: Deutsche Bank) (China, Russia 'moving away' from dollar)
中国など新興諸国は今後、時間がたつほど、米国の金融システムやドルに頼らず経済を回していく新世界秩序を確立していく。いますぐ米国の金融が再崩壊すると、中国などへの悪影響が大きいが、3年後ぐらいに再崩壊するなら悪影響はかなり少ないだろう。 (しだいに多極化する世界)
今の国際金融市場を創設したのは米国(米英)だ。だから、先物市場などを使って資金の国際移動を制御する投機や金融兵器の技能は、BRICSより米国の方がはるかにうまい。しかし今後しだいに、為替や先物を使った投機が、国際的に禁止されていくだろう。米国内では、銀行の自己勘定取引を禁止する「ボルカー規制」が、金融界の猛反対を受けて換骨奪胎(かんこつだったい = [名](スル)《骨を取り換え、胎(こぶくろ)を取ってわが物として使う意》先人の詩や文章などの着想・形式などを借用し、新味を加えて独自の作品にすること。)されつつも、導入されようとしている。米議会では「TPPなどあらゆる貿易協定に、為替投機禁止の条項を入れるべきだ」との主張も出ている。EUの統合策の一環である銀行同盟も、投機をやりにくくする方向だ。 (Our chance to slash the high costs of currency manipulation)
米国の最近の中国戦略は自滅的だ。米国の中国敵視が、中国の台頭を誘発しているともいえる。中国自身は、米国を押しのけて単独覇権国になるつもりがなく、米国と仲良くした方が中国の発展にプラスだとずっと考えてきた。米国が、G8に中国を入れてG9にするなど、対中協調的な単独覇権運営をしていたら、今のように中国がBRICSを誘って米国の覇権に代わる多極型の世界体制を作ろうとすることもなかっただろう。今からでも米国が対中政策を転換すれば、米国の覇権が守られるかもしれないが、米国は来年以降も対中敵視をやめないだろう。米国は、中国に譲歩しつつも中国敵視を続け、さらなる譲歩を余儀なくされる。いずれ米国の金融再崩壊が起こり、覇権が多極型に転換していくだろう。 (中国の台頭を誘発する包囲網)
米国が中国を敵視している限り、敵視策がいかに脆弱なものでも、日本は米国に追随して中国敵視を続けざるを得ない。中国は政治面で、米国を譲歩させるとともに日本を弱い立場に追い込もうとしている。先日の防空識別圏の設定が象徴的だ。米政府の高官たちは、中国の防衛識別圏の設定自体が問題なのでなく、中国大陸と並行して飛ぶだけの民間機にも飛行計画の提出を義務づけた点だけが問題だと言っている。 (頼れなくなる米国との同盟)
対照的に日本は、中国の識別圏に、日本が領土と主張する尖閣諸島が入っている以上、識別圏の設定自体を認めるわけにいかない。米国は、デンプシー統合参謀議長が記者会見で「中国の識別圏設定自体が問題なのではない」と言った時点で、尖閣諸島が日本の領土だという立場をとらないことを明確にしてしまっている。米政府は、尖閣諸島は日本の領土だと明言していない。尖閣は日本が実効支配しているので日米安保条約の対象地だと米政府は表明しているが、もし中国軍が尖閣を奪って中国の実効支配下に入ったら、自動的に日米安保の対象地から外れかねない。 (米国にはしごを外されそうな日本)
中国の識別圏設定は、こういった日本と米国の立場の違いを浮き彫りにした。日本が米国にはしごを外され、日本の航空会社だけが飛行計画の提出を拒否している日本の孤立が顕在化した時点で、識別圏を設定した中国の策略が成功したことになる。中国政府は、識別圏問題で日本を不利に立場に追い込んだ後、次は南シナ海に識別圏を設定するのかと恐れる東南アジア諸国に対し「識別圏は日本をおとしめるためのものであり、南シナ海には設定しない」と示唆し、東南アジアを安堵させている。日本だけが窮している。尖閣紛争は、棚上げしたままの方が日本にとって得策だった。 (中国敵視は日本を孤立させる) (尖閣で中国と対立するのは愚策)
米国の金融再崩壊が来年起きるとは限らない。だが、米金融界は崩壊に近づいており、来年、市場が世界的に不安定さを増すことは間違いない。金融崩壊は、米国の覇権体制が崩れることをも意味する。崩れゆく米国の覇権にすがろうとして、日本政府は、米国が「辺野古に基地を作って普天間の部隊が移動できるようにしてくれないと、海兵隊を日本から撤退させる」と脅すのに押され、かつてない大きさの圧力を沖縄にかけ、辺野古の基地建設を進めようとしている。長期的に、米国の金融と覇権の崩壊は不可避だろうから、日本政府の今の対米従属の努力は最終的に無駄になる。沖縄の人々は68年前と同様、世界情勢を読めない東京の政府によって、無駄で過酷な苦しみを受けさせられている。 (従属のための自立)
<DARKRED色のデータを枠組みにして再掲載>
田中宇の国際ニュース解説 2013年12月26日
金融戦争で中国に勝てない米国
http://tanakanews.com/131226dollar.php
リーマンショックから半年後の2009年3月の雨の火曜日、米政府の軍事と諜報の専門家たちが、米ワシントンDC北郊にある米政府の戦略立案室の一つに集まり、コンピューターを操作していた。おこなわれていたのは、もし米国と中国が金融市場を舞台に相手国の資産を潰し合う金融戦争をやったら、どちらが勝つかを調べるシミュレーションだった。結論は、米国がどう戦っても中国に勝てないということだった。米国が中国を潰しにかかると、中国は手持ちのドル建て資産を売り放ち、米国と同盟諸国の経済を混乱させ、米政府が政治的に譲歩せざるを得ない状況を作り出す。専門家たちが条件を入力すると、コンピューターはそんなシナリオを描き出したという。米国のジャーナリスト、エリック・ワイナーが、そのように指摘している。 (China Guts dollar, Crushes U.S. in Alarming Financial War Game)
米当局が、対中金融戦争の敗戦を予測するこのシミュレーションをおこなったのは、今から4年以上も前のことだ。米政府はその後、米国債を大量発行し、リーマン危機の後遺症(債券金融システムの凍結状態)から米金融界を救う資金を作ったが、その米国債を最も多く買ったのは中国だった。金融戦争における中国の優勢は、シミュレーション時よりも増している。 (◆米国が中国を怒らせるほどドルが危なくなる)
米政府が国債を発行しすぎて潜在的な危険が増した後、救済役は米連銀に交代し、連銀はドルを過剰発行して米国債と、金融界の不良債権(ジャンク債)を買うQE(量的緩和策)を拡大した。そのQEも、連銀の勘定(バランスシート)を危機的に膨張させ、前回の記事に書いたように、12月18日にQEの縮小が決定された。 (◆米連銀QE縮小で増すリスク)
米国が中国を怒らせるほどドルが危なくなる
2013年11月28日 田中 宇
11月23日に中国が、尖閣諸島周辺を含む東シナ海の公海上を「防空識別圏」に定めたと発表し、2日後の25日には米国が、中国をあなどるかのように、2機の爆撃機を事前通告なしに中国の防空識別圏に侵入させた。米政府は、通常の軍事訓練の一環であり、通常の訓練と同様、どこの国にも事前通告せずに飛行しただけと言っている。しかし、米軍の戦闘機が尖閣上空を飛ぶことは滅多にないと英ガーディアン紙が書いている。 (US warplanes defy Chinese air defence rules with B-52 flyover of disputed area)
防空識別圏は、敵の戦闘機が超高速で侵入してきても、敵機かどうか識別して迎撃体制をとる時間を作れるよう、陸地から12海里しかない領空の外側に幅広く設けるものだ。識別圏は、第二次大戦の勃発時に米国が初めて設定し、冷戦時代に西側の対ソ連の防空体制として米国の同盟諸国が相次いで設定した。単独覇権的な米国が始めた制度なだけに(前の覇権国である英国が、自国に有利な国際規約を細かく作って世界に守らせる戦略だったのと対照的)、防空識別圏について国際的な規定はなく、他国の了解を必要とせず、各国が自由に設定できる。中国が防空識別圏を設定するのは、今回が初めてだ。 (China's ADIZ undermines regional stability) (Air Defense Identification Zone (North America) From Wikipedia)
日本、韓国、台湾は、いずれも軍事面で米国の傘下にあるので、領域的に重複しないかたちで防空識別圏を設定している。対照的に、中国が今回設定した識別圏は、日本、韓国、台湾の識別圏と重複する領域がある。尖閣諸島も識別圏内に入っている。中国は今回、あえて米国や日本と同じ土俵に立って識別圏を設け、しかもそれを日本などと重複するかたちにすることで、国際的な合法性をとりつつ、尖閣諸島に対する領有権の主張を強化した。
(中国が設定した防空識別圏は、韓国が海洋研究施設を置いている離於島暗礁も含んでおり、韓国政府はこの件で中国に抗議した。韓国は近年、中国への接近を強めているが、在韓米軍と韓国軍が中国の領海近くで軍事演習を繰り返しているため、中国は韓国を威嚇する識別圏設定をしたのだろう。韓国自身は自国の防空識別圏に離於島暗礁を含めていない。離於島暗礁は、日本の防空識別圏に入っており、韓国が後から自国の防衛識別圏に入れようとするのを、日本政府は拒否した。離於島暗礁は、干潮時にも海水面の上に陸地が出ないので、どの国も領土権を主張できず、尖閣と趣が異なる問題だ)
識別圏は各国が自国を守るためのものなので、本来、複数の国の防空識別圏が重複すること自体には問題がない。中国は、日本に事前相談せずに防空識別圏を制定したが、日本も以前、台湾に事前相談せず、台湾の識別圏に隣接する与那国島周辺の識別圏を拡大し、台湾側を怒らせている。 (消えゆく中国包囲網)
中国の設定に従うなら、日本の飛行機が自国領空である尖閣諸島の周辺を飛ぶたびに、中国に連絡しなければならない。また、自国の陸地に向かって飛んでくる飛行機は、自国を空爆しようとする敵性戦闘機の可能性があるが、自国の陸地に平行して飛ぶ飛行機は、敵性が低い。中国は今回、この2つの飛び方を区別せず、識別圏設定の対象としたため、日本や米国から、航空路の自由を妨げていると抗議を受けている。日本政府は、識別圏設定に従って中国側に事前通告することにした日航と全日空に、事前通告をやめさせたが、シンガポールやオーストラリアの航空会社は、中国への事前通告をしている。 (US B-52 bombers challenge disputed China air zone)
日本の政府や対米従属派は「中国はけしからん」といいつつ、米軍が初めて中国を威嚇・侮辱するかたちで尖閣諸島の周辺に戦闘機を飛ばしてくれたので、してやったりと、ひそかに驚喜しているはずだ。米政府は尖閣問題について、日中どちらの領土であるか言わず、日中の問題だとして中立な姿勢をとっており、今もその建前は続いているが、その一方で、尖閣は日本政府が実効支配しているので日米安保条約の対象地域であると繰り返し表明してきた。今回はヘーゲル国防長官が一歩踏み込んで、日中が戦争になったら日本に軍事的に味方すると表明し、中国の識別圏設定を非難した。 (US, Japan war of words with China aflame over disputed islands)
日本にとって、中国が尖閣に防衛識別圏を設定したことは、それをだしに日米の軍事同盟を強化できる格好の新材料になった。もともと、中国との対立が激化することを承知で、日本政府が尖閣諸島の土地を国有化した背景に、中国との対立激化が日米同盟の強化につながるという考え方が見え隠れしており、今回の米軍爆撃機の中国識別圏への突入は、その戦略の成果だ。しかし、もう一歩踏み込んで考えると、米国が本気で日本のために中国と対決し続ける気がどこまであるのか疑問が湧き、喜びは不安に転換する。 (尖閣問題と日中米の利害) (尖閣で中国と対立するのは愚策)
中国に対する米国の最大の弱点は、中国が世界の諸国の中で最大の米国債の保有者であることだ。中国は、これまで輸出が経済成長の主導役だったので、元安ドル高を維持するため、輸出代金をドル建てで持つ、つまり米国債を買い増し続けることが必要だった。しかし習近平政権になって、中国は、経済成長の主導役を輸出から内需に切り替える動きを強めている。 (世界経済の構造転換)
輸出主導経済は通貨の安値が国際競争力になるが、内需主導経済は、自国通貨が高い方が国内需要製品の輸入価格を下げられる。中国の中央銀行(人民銀行)は、先日の共産党の重要会議(3中全会)に際し「ドルの外貨備蓄を増やすことは、もはや国益にならない」という趣旨の表明を行った。従来、世界のドル建て資産のほとんどは米国債だが、中国は代わりに海外の鉱山や農地などを外貨で購入し、ドル依存を減らそうとしている。 (PBOC Says No Longer in China's Interest to Increase Reserves) (Has the US dollar Lost its Credibility?)
中国は、米国債の価値を下げない(金利を上昇させない)ようにしつつ売り抜け、自国の保有高が減ったところで米国債の金利が上昇して米国が困窮するよう仕向けたいのでないか。米国の金融市場では「連銀がいつQEを縮小するか」と並んで「中国が米国債を買わなくなるのでないか」が、大きな懸念材料になりつつあると報じられている。 (The other 'taper' that could hit Treasurys)
米国債の観点で見ると、米国が一線を越えて中国を敵視するのは、米国の国益に反している。「一線」とは、中国が米国債を使って米国の覇権を壊そうと決意するまで、中国を追い込んでしまうことだ。米国が、日本のために自国の覇権を崩しても、中国敵視を続けるとは考えられない。日米と中国の対立は、軍事の問題としてのみ語られているが、その行方にとって決定的なのは軍事でなく、米国債や金融相場、経常収支などに象徴される経済だ。世界の覇権動向を語る際によく出てくる言葉として「地政学」(地理政治学)があるが、今や覇権動向は「政治」でなく「経済」が決定的なので「地経学」(geoeconomics)の方が重要になっているとFT紙が書いている。 (Trade trumps missiles in today's global power plays)
政治(軍事外交)で見ると、米国はまだ世界最強だが、経済でみると、米国は巨額の財政赤字と通貨ドルの過剰発行(QE)によって脆弱性が急速に拡大している。にもかかわらず、国際政治を語る権威者の多くが(少なくとも日本では)ドルや債券市場など経済について不勉強で「私は経済について知りません」と言いながら、米国の覇権についてとうとうと語ったりする。
最近は、むしろ金融関係者の方が、地政学や地経学を問題にしている。米国を初めとする世界の金融相場は、米連銀や日銀などが続けるQE(量的緩和策)によって底上げされ、QEが続く限り、他の経済情勢が霞んでいる。その代わり、経済情勢でなく、政治情勢が相場を動かす場面が増えている。今年、米国のVIX(恐怖指数)が最も上昇したのは、2月のイタリア総選挙がユーロ市場を混乱させたときだった。今後、相場に最も影響を与えそうな政治情勢は「尖閣問題」であると、これもFTが「QEばかり見ている奴らは気づかないだろうけど」という感じで書いている。 (QE-blinded investors misprice political risk)
話を中国に戻す。米国の対中戦略は大昔から(意図して)曖昧なところが多く、敵なのか味方なのかわからないようにしている。米国からは来週、バイデン副大統領が中国を訪問し、両国関係について話し合う。米軍機が中国の防空識別圏内をあえて飛行して中国を侮辱しても、中国も米国も、バイデンの訪問を取りやめたりしない。日本政府は中国を拒否しているが、米国はもっと大人な戦略的曖昧さを保持している(米国は対露戦略も戦略的曖昧さがある)。
中国への曖昧な態度が基本である米国は、いつでも尖閣問題で日本の中国敵視につき合うことをやめて、日中間の「公正な仲裁者」を装える。中国は、米国が昔から公正な仲裁者だったかのように振る舞うことを容認するだろう。日本は、はしごを外されうる。日本は、ポーランドやイスラエルと同様に、米国の歓心を買うために曖昧さのない極端な(高リスクな)姿勢をとらざるを得ない「小国」である。「中国はけしからん」ばかり言う人は、自国のリスクを高めていることに気づいていない。 (Joe Biden to visit China and Japan over disputed air zone)
中国の防衛識別圏の制定はタイミング的に、政治外交分野で米国の覇権減退が具現化した、イランと「国際社会(米露中英仏独)」の核問題の協約締結の直後に行われている点が注目に値する。米国は01年の911事件以来、イラク、イラン、アフガニスタン、シリア、北朝鮮といった国々の政権を、武力行使や経済制裁によって転覆する「テロ戦争」「強制民主化」を覇権戦略として持っていた。米国がイランと和解したことは、米国がこの覇権戦略から脱却したことを意味する。
米国の覇権戦略の結果、イラクは武力で政権転覆されたもののシーア派主導の親イラン国家として再生し、米国の国益にマイナスの結果だ。大量破壊兵器を持たないイラクに濡れ衣をかけて侵攻し、50万人のイラク市民を殺したことの犯罪性は大して問われていないが、米国に対する国際信用を崩した。米国はアフガニスタンにも侵攻したが、国家再建できないまま来年撤退する。その後のアフガンは、中露主導の上海協力機構に入り、米国の傘下から離れていくだろう。北朝鮮は、中国の傘下に入って延命している。シリアの内戦は、米国が今夏、空爆策を放棄した結果、主導役がロシアに移り、このほど内戦終結の国際会議の開催にめどがついた。そしてイランも、米国が核兵器開発の濡れ衣を解き、国際社会と協約した。 (中東政治の大転換)
これらテロ戦争の対象国のすべてについて、米国の覇権が衰退し、代わりに中国やロシアの影響力(多極型の覇権構造)が増す結果となっている。米政府は、覇権衰退を認知しようとせず、覇権衰退を踏まえた新たな世界戦略を打ち出していない。現実的に考えて、米国はいずれ、中露などが形成する新たな多極型の覇権構造を容認する方向に動くだろう。 (見えてきた中東の新秩序)
中国は、シリアとイランの問題が、米国の覇権が衰退するかたちで相次いで解決されていく今夏以来の流れが、11月24日のイランと国際社会の協約という結果になるのとほぼ同時の11月23日に、尖閣紛争で一歩踏み込む防衛識別圏の設定を行った。中国は、米国の覇権が崩れ、国際社会で自国が台頭していることを踏まえて、防衛識別圏の設定をしている。覇権が陰りつつある米国がどう対応し、対米従属の日本がどう動くかを見る目的もありそうだ。 (China-Japan rearmament is Keynesian stimulus, if it doesn't go horribly wrong)
尖閣問題で日中が武力衝突し、それが米中の戦争に発展するとの見方がある。計算外の突発事件として、それが起きる可能性は確かにある。しかし、これまで正史が「突発事件で始まった」と書いている現代の戦争の多くは、純粋な突発でなく、突発事件のふりをして大国が戦争を起こしたと考えるべきものだ。そこそこの諜報力を持つ国なら、突発事件の発生や拡大を防止できる。突発事件の発生と拡大をあえて容認する策がとられたときに、突発事件による戦争勃発となる。尖閣問題が大戦争になるのは、米国もしくは中国が望んだ時だけだ。
今の米国は、突発的な大戦争を望んでいない。米国に対する影響力が日本よりはるかに強いイスラエルがいろいろ画策したのに、米国はイランと戦争せず、それどころかイスラエルの主張を拒否してイランとの和解を進めている。それを考えると、米国が中国と戦争するとは思えない。米国はこの10年あまり、覇権戦略の失敗によって、中国を強化する結果となっている。中国が強くなり、米国が弱くなった今になって、米国が中国と戦争することはない。米中はすでに経済の分野で、中国が米国債を買わないと金利が高騰してしまう「米国の負け」になっている。
米国は孫文を支援したころから、中国を民主的な経済大国に育てようとする「資本家」的な動きをしていた。中国は今、民主的な国ではないが、経済大国に育ち、中国人の内需が世界経済の牽引役になっていこうとしている。中国に対する米国の資本家的な夢が実現しつつあるときに、米国が中国と戦争し、中国経済を破壊するとは考えにくい。あえてこの時期に中国と戦争することで、覇権の多極化を防ぐという、英国・軍産複合体式の考え方はあるが、米国がそこに進むと、武力の戦争になる前に、中国が米国債の金利を高騰させる「金融大量破壊兵器」を発動するだろう。
中国は今後、世界各国との外交関係において、日本を、台湾やチベットと同列に扱うだろう。世界経済の牽引役になる中国市場に参入したい国、中国から投資や支援を受けたい国は「台湾は中国の一部です」「チベットは中国の一部です」という2カ条に加え「尖閣諸島は中国の領土です」という条文を大声で唱えねばならなくなる。これもFT紙の分析だ。 (Beijing plays a longer game with its air defence zone grab)
台湾は、中国に対抗して世界各地の中小国家を経済支援して外交を保持しようとしてきたが、台頭する中国に負けている。最近は西アフリカのガンビアが、台湾との外交を断絶し、中国側に寝返った。中国の資金力は拡大し、日本の資金力は縮小している。日本は、台湾のように各国から外交を断絶されることはないが、尖閣が中国の領土だと唱える国が増えていくことを看過せざるを得ない。尖閣問題の激化は対米従属の強化が目的なので、米国以外の国がどう考えようが日本政府に関係なく、日本の不利は国内で問題にされないだろうが。
米国では、かつて旺盛に消費していた中産階級が、ほとんど消費できない貧困層に転落する流れが続いている。米欧日の先進諸国が金融危機や経済難で消費が伸び悩んでいるのと対照的に、中国は経済を輸出主導型から内需主導型に転換し始めた。米欧日の内需に代わり、中国をはじめとする新興市場諸国の内需が世界経済の牽引役になる時代が来ている。全体として、シミュレーション当時と比べ、経済的に、中国の優勢と、米国の劣勢が拡大している。 (世界経済の構造転換)
米連銀QE縮小で増すリスク
2013年12月24日 田中 宇
12月18日、米国の中央銀行にあたる連邦準備制度(連銀)が理事会(FOMC)を開き、連銀が12年9月から毎月850億ドルを増刷して米国債やジャンク債などの債券を買い支えてきた量的緩和策(QE3)の規模を100億ドル減らし、月額750億ドルずつにすることを決めた。11月から雇用や消費など米国の経済指標が改善しているため、QEを縮小しても悪影響が少ないと判断した。連銀の判断に対し、市場では「米国の景気が回復していることが示された」として株などが買われ、米国のダウ平均が史上最高値を更新し、日本などの株価も上昇した。 (Fed taper begins - what happens next?) (Congress and Fed look set to narrow gulf)
QEは、08年のリーマンショック後、崩壊したままの債券市場をテコ入れし、高値の債券を大量に持っている米国の金融界を延命させるための策だ。連銀がQEで市場に放出した大量のゼロ金利資金で、金融界が株式を買って株高が演出されている。同時に、米当局が失業中の求職者に求職活動をあきらめるよううながして失業率を低く見せる努力を続けることなどで、経済指標が改善しているかたちを作り、景気回復を演出している。こうした粉飾を差し引いた実体経済の実態は、米国も日本も悪化傾向だ。連銀がQEを縮小すると、債券市場が再び不安定になり、金融危機再発の可能性が高まる。金融危機が再発すると粉飾がはげ、景気が悪化していることも露呈してしまう。 (More Misleading Official Employment Statistics) (金融相場と実体経済の乖離)
私が以前から書いてきたこの説にしたがうなら、QEの縮小は、債券と株の大幅下落と金融危機再発、実体経済悪化の露呈、ドルに対する国際信用の失墜(ドル安)、その反動としての金相場の上昇などにつながるはずだ。QEによるドルの過剰発行で、連銀の会計勘定(バランスシート)が肥大化して資本比率が減って危険な状態なので、本来ならQEを早く縮小せねばならないが、QEを減額すると金融危機を誘発するので、連銀はQEを縮小するすると言いつつやらないのでないかとの見方も、以前の記事で書いた。 (米連銀はQEをやめる、やめない、やめる、やめない) (金融大崩壊がおきる)
しかし今回、連銀はQEの縮小を決めた。そのうえ株価は下がるどころか急騰してダウが最高値を更新した。半面、ドルが危機になるほど上昇するはずの金相場は急落した。これはどういうことなのか。 (So far so good for the Fed)
短期と長期の状況を分けて考える必要がある。短期的な状況は人為的に作り出せるが、長期的な状況は人為性が低い。短期的には、連銀と連動して金融界が株式市場に流入する資金を増やして株高を演出し、先物を使って金相場を下落したままにしておける。しかし長期的に見ると、連銀の資産状態の悪化など、QEが残した負の遺産がこれから出てくる。 (通貨戦争としての金の暴落) (米金融バブル再膨張のゆくえ)
これまで「QEの資金が株式市場に流入して株高になっている」とされ、連銀がQEの継続を決めそうだと株高、QEの縮小を決めそうだと株安になってきた。しかし今回、株高の理由は「連銀のQE縮小で、米景気の回復傾向が裏付けられたので株高」にすり替わっている。従来どおり「QEの縮小は株安」のままだと、連銀のQE縮小の決定を受け、株が急落しなければならない。金融界(とその傘下の金融マスコミ)と米当局のいずれにとっても、株安は好ましくない。だから、表向きの理由をすり替えて、株高が維持されている。 (US stocks set record as Fed steps back)
株は上がるのに、明確な買い手が不在のままだ。一般の投資家でなく、金融界が買っているので、買い手の姿が見えない。金融マスコミも、大きな見出しから離れたブログでは、買い手がいないのに株が上がっていることを認めている。 (A bull market without buyers)
米国債の指標となる10年ものの利回りは、連銀がQE縮小を決める前、2・6%台まで下がっていたが、縮小決定後、2・9%超まで急上昇している。利回り上昇は、国債に対する信用が落ちたことを示している。QE縮小は、米国債の最大の買い手である連銀が国債購入を減らすことになり、国債の買い手がいなくなって売れ残るとの懸念から、利回りが上がっている。前回、10年もの米国債が、危険水域とされる3%に達したのは、連銀内部でQEをやめるべきだという議論が高まった今年8-9月のことだ。10年もの米国債の利回りは、連銀が9月の理事会でQEの継続を決めた後、低下したが、今回のQE縮小の決定を機に、再び3%に急接近している。 (米国債利回10年) (迷走する米連銀)
連銀のグリーンスパン前議長は2010年、10年もの米国債の利回りを「金融危機のきざしを示す炭坑のカナリア」と呼んだ。米国債の利回りは、すべての債券の価値の原点だ。株価は、大口の機関投資家が談合して比較的簡単に上げ下げできるが、債券相場の粉飾には、連銀が続けてきたQEのような大がかりな仕掛けが必要であり、簡単でない。連銀がQEを縮小せざるを得なくなり、再び危機を知らせる炭坑のカナリアが鳴き出している。 (Greenspan Calls Treasury Yields 'Canary in the Mine') (危うくなる米国債)
債券市場では今夏以降、連銀がQEを縮小して債券相場が下落するとの懸念が広がって債券投資信託からの資金流出がひどくなり、連銀理事会直前の12月第1週には、過去最大の707億ドルが流出している。個人投資家の中には、まだ株高に踊らされ、経済紙の報道を真に受けて、米国や日本の景気が本当に回復していると思っている軽信者が多いかもしれないが、プロの人々の耳には、すでにカナリアの金切り声がうるさく聞こえているのだろう。 (Bond Outflows Surpass All-Time Record, TrimTabs Says)
連銀の会計勘定の規模は、連銀議長がグリースパンからバーナンキに交代した06年の末に8730億ドルだったが、リーマンショック後の金融救済によって肥大化し、12年には3兆ドルに達し、今月にはついに4兆ドルになった。この7年間で、資産に対する資本の割合は3・5%から1・4%に低下した。資本が少ないと、危機になった際の建て直しができなくなる。米議会は最近、連銀の勘定の肥大化を問題にしたが、もはや遅すぎる。議会で改善できる問題でない。連銀は、金融界を救済するため、米国で膨張したバブルをどんどん吸い込んで肥大化している。 (Fed's $4 Trillion in Assets Draw Lawmakers' Scrutiny) (連銀という名のバブル)
連銀は公的機関だから危機になっても米政府が支えてくれると言う人がいるが、連銀の危機とはドルの信用失墜であり、それは同時に米政府の資金力の源泉である米国債の信用失墜になるので、連銀の危機は米国自身の危機で、建て直せない。危機が再発したらおわりなのだが、QEを続けて連銀の勘定の肥大化を看過することの危険も増している。 (Can Yellen's Fed sidestep lurking monsters?)
連銀は来年2月、議長がバーナンキからイエレンに交代する。連銀が今のタイミングでQEの縮小を決めたのは、議長が交代して連銀の体制が不安定な時期に入る前に、むずかしいQE縮小の局面を定着させておく必要があったからだろう。QEはバーナンキがやった政策であり、次期のイエレン体制に全面継承させず、バーナンキが縮小への足がかりを作るべきだという意見が連銀内にあったのかもしれない。QEは縮小過程に入ったが、債券買い支えの規模をこの先もどんどん減らすとは限らない。大事なのは、世の中に「QEは縮小過程にある」「連銀の資産はこれ以上悪化しない」と思わせることだ。連銀や金融界が「米経済が回復基調にある」というイメージをうまく粉飾的に維持すれば、時間をかけてQEを縮小していくことができるかもしれない。 (The Fed will not take away the punchbowl of easy money soon)
しかしその一方で、米経済の回復が粉飾されたイメージでしかないことを指摘する声が、あちこちから出ている。私が経済指標の粉飾の傾向を最初に指摘したのは今年3月の記事で、当時はまだ金融に詳しい米国のブロガーなどが指摘していただけだった。私はブロガーらの指摘を読んでその通りだと思い、自分の記事にした。 (揺らぐ経済指標の信頼性) (米雇用統計の粉飾)
それから9カ月がすぎた今、経済指標の粉飾は、プロの人々の多くが認めざるを得ないところまで来ており、最大手のFT紙が「連銀は、恣意的に現実と異なる世界像を作りすぎたので、それをやめるためにQEを縮小することにした」という趣旨の記事を出すに至っている。 (Reality dawns for artificial world created by Fed activism)
米マスコミの中でもブルームバーグ通信は、連銀に対する情報公開請求を裁判所に認めさせ、バーナンキが金融救済の規模を過小に発表していたことを連銀に暴露させている。当局による情報の粉飾は、最終的に、当局の信用と権威を失墜させる。粉飾がひどくなり、長期化するほど、粉飾を問題視する人が増え、粉飾の継続が難しくなる。情報の歪曲によって資産の価値をつり上げたままにしておく「プロパガンダ本位制」は永続化できない。 (Bernanke's Obfuscation Continues: The Fed's $29 Trillion Bail-Out Of Wall Street) (延命するほど膨張するバブル)
英国の中央銀行は以前、米国の覇権戦略を牛耳る策の一環として、米連銀との政策連動を重視していた。だがリーマン危機後、米連銀が、連銀自身や金融システムの安定を犠牲にして、金融界を救済するQEを拡大したのに対し、英中銀はそうした自滅策をいやがり、QE拡大に乗らなかった。英中銀は今回、連銀のQE縮小を「非常に大きなリスクを持っている」と評しつつ、傍観している。 (Mark Carney warns of `great risk' to unwinding of crisis measures)
米国の実体経済は悪化の傾向だ。職がないので中産階級が貧困層に転落し、貧富の格差が急速に拡大している。現金がなくて窮した人々が、クレジットカードのローンで目先の食糧品を買う傾向が広がり、米国の家計全体の借金が、リーマンショック以来初めて増加に転じた。現金がない人は食糧品のローンを払えず、カード破産が増えるだろう。米国の今年のクリスマス商戦は、商店街への人出が昨年より増加したが、商店の売上高は減った。こんなことは史上初めてだ。金がない人々は休日に行楽地に行けず、代わりに近所のモールに繰り出すが、使える金を持っていない。 (Americans Are Re-leveraging, To Pay For Food, Education, Medical Bills, And Taxes While Home Sales Tumble, Jobless Claims At Near Nine-month High, Interest Rates Skyrocket) (Record crowds over weekend, but spending declined)
連銀は、失業減や住宅販売好調などの指標を背景にQE縮小を決めたが、連銀がQE縮小を決めた翌日、初めて失業保険金を申請した人の数が2週間で8万人も増えたことを示す統計と、中古住宅の売れ行きが前年同月比4・3%減ったことを示す統計が発表された。これらの悪い指標はあまり問題にされていない。 (First-time jobless claims climb by 10,000 in week) (Housing, jobs data weaken, but overall economic picture still upbeat)
米連銀がQE縮小を決めたので、同じく過激な量的緩和策を進めてきた日銀がどうするか注目されている。日銀は理事会で、インフレ率が2%になるまで(つまり、この先もずっと)QEを続けることを決めたが、黒田総裁は、QEをやめていく準備を進めていると述べている。日銀のQEは、安倍政権が日銀総裁の首を無理矢理すげ替えて始めたもので、対米従属策の一環だ。米国がQEをやめるなら、日銀が無理をしてQEを続けている必要はない。 (Forget the Fed, prepare for Tokyo `taper') (Haruhiko Kuroda, head of the BoJ, says he has a plan to finally end the battle with deflation)
連銀が米国債の最大の買い手であるのと同様、日銀は日本国債の最大の買い手だ。日本国債は、米国債に比べて外国人の買い手が少ない。日本国債の買い手は事実上、日銀だけだ。日銀は12年からの2年間で日本国債の保有高を倍増させ、連銀同様、会計勘定(バランスシート)の悪化がひどくなっている。連銀がQEをやめるなら、日銀もさっさとQEをやめたいはずだが、その際、日本国債に買い手がつかなくなって利回りが高騰する日本国債の崩壊が起きかねない。 (Quantitative and Qualitative Monetary Easing Effects and Associated Risks; JCER Financial Research Report)
安倍政権は、安保外交面で、日米軍事同盟を維持するために中国敵視策を強化し、その挙げ句に防空識別圏問題などで、中国への腰が定まらない米国にはしごを外されて窮している。同様に経済面で、安倍政権は日銀に対米従属策としてのQEの急拡大を強要し、連銀が破綻の可能性を強め始めた今、日銀も破綻しそうな事態を生んでいる。日本は来年、安倍政権の景気テコ入れ策の効果がはげ落ちて経済が悪化しそうだと予測されている。 (Japan Inc signals caution)
中国と金融戦争した場合の米国の敗北が09年から予測され、その後も米国の不利が拡大する一方なので、ふつうに考えれば米国は、中国との対立を回避するのがかしこい戦略だ。しかし、それと正反対に、オバマ政権は11年から、軍事的な中国包囲網の強化である「アジア重視策」を開始し、日本やフィリピン、ベトナムなどをけしかけて、中国との軍事対立を煽った。 (中国包囲網の虚実)
世界経済の構造転換
2013年11月22日 田中 宇
中国で先日に開かれた共産党の重要な三中全会(十八期中央委員会第三回全体会議)で、中央銀行である中国人民銀行が、経済自由化策の一環として、これまで為替市場への介入によって、人民元の対ドル為替を制御してきたのを今後しだいにやめていき、同時に人民元の為替変動幅を拡大していき、人民元の為替上昇に対する容認を広げていくことを決めた。 (PBOC Will `Basically' End Normal Yuan Intervention: Zhou)
人民銀行は、為替介入の減少や人民元の上昇容認をいつからどのくらいの速さでやっていくのか、明らかにしていない。ドル安人民元高を容認しろという米国からの圧力を受け、人民銀行は、以前から人民元相場への介入を減らして為替上昇を容認すると言い続けており、今回の決定は、それ自体が新しいものでない。中国当局は今回の三中全会で、経済政策の中に「市場原理」をこれまでより格段に導入していくことを決めており、その一環として人民元相場への介入を減らすことが盛り込まれた点が新しい。これまで米国の圧力でいやいやながらやってきたことが、今回、中国自身の総合政策の一つになった。 (Xinhua Insight: China puts market in the middle)
中共の三中全会は、経済の市場化加速と並んで、内需拡大の政策を打ち出した。都市での一人っ子政策を緩和したり、農村から出稼ぎに来て都会に定住した人々に都会の戸籍を与えたりすることで、都市における消費の拡大をうながすとともに、農村では農地の利用権売買の拡大を認めた。 (China to ease `one-child' policy as part of sweeping reforms)
米日などでは、中国の経済改革が予定通り進むかどうか、疑問視する報道も多く出ている。しかしその一方、リーマン危機後の5年間に、世界の自動車販売は、米欧日の市場が伸びていない半面、中国だけは売れ行きが順調に伸びている。中国の経済改革が順調に進むほど、世界経済は恩恵を受ける。米日は、政治的に中国嫌いだが、経済的に中国に依存する状況だ。狡猾な米欧勢と対照的なのは日本勢で、日本政府が尖閣問題で中国との政治関係を悪化させて中国の反日ナショナリズムを煽った上、需要増に見合う生産設備拡大をしなかったこともあり、日本車メーカーは中国での市場占有率が半減(30%から15%へ)し、中国市場での主導的役割を失ってしまった。 (Japanese carmakers rue lost lead in China)
中国当局が為替介入をやめていくことは、中国がドル買い元売りの市場介入で得たドルで米国債を買い増すのをやめていくことでもある。米国は、連銀がドルを大量発行して米国債を買い支えるQE(量的緩和策)をやめられないことが確定しつつある。やめたら米国債の価値が急落し、金利が高騰する。貧富格差が急拡大する米国では、政治力のある大金持ち(金融界)が米国債を保有する率が高まり、彼らの圧力により、当局はQEをやめられない。 (How Does The Collapse Of The Monetary System Look Like?) (Treasury ownership marks wealth divide)
QEを永遠に続けることはできないので、米国債とドルは、いずれ崩壊していく運命が確定しつつある。その中で中国が、人民元の為替維持のために米国債の保有を拡大するのは馬鹿げている。人民元が安いことは、中国が輸出で経済を支えている限り大切だが、経済の牽引役を輸出から内需に転換できるなら、むしろ元が高い方が、海外からの輸入品の価格を下げられるので良い。中国の内需拡大策が順調に進むことは、米欧日の企業の利益を拡大すると一方で、ドルと米国債の崩壊させ、世界経済を米国中心から多極型に転換していく。 (国際通貨になる人民元)
ドルと米国債が崩壊していく過程において、中国は、市場に与える悪影響を懸念した人民銀行が、いつから為替介入を減らすか明言しないなど、慎重に(糞)真面目に対応しているが、対照的にお茶目に対応しているのが、いつものことだが、ロシアだ。ロシア議会では「ドルはすでにねずみ講の状態だ。このままいくと2017年にドル崩壊が起きる。早めにドル離れする必要がある」として、ロシア国内でのドルの使用と保有を禁止する、冗談のような法案が野党から出された。現状はドルよりルーブルの方が不安定だが、今後の4年で状況が変わる可能性は、確かにある。 (Russian lawmaker wants to outlaw U.S. dollar, calls it a Ponzi scheme)
ドルと米国債の崩壊に象徴される通貨の多極化は先のことになりそうだが、その前にいくつもの分野で、世界の体制が多極型に転換しつつある。その一つは貿易の分野だ。WTOは、新たな世界貿易の体制としてドーハラウンドを12年前から議論しているが、米国が単独覇権主義を強めたため、頓挫していた。ところがその後、WTOでは中国やブラジル、インド、ロシアなどのBRICS諸国が発言力を強めた。今年9月からはブラジルのアゼベド元貿易相がWTOのトップ(事務局長)に就任し、主導権が米欧からBRICSに完全に移ったかたちで、ドーハラウンドを蘇生する試みが始まった。 (WTO closes in on landmark trade reform) (世界貿易体制の失効)
そして今、ドーハラウンドを座礁させていた大きな理由だった農業保護の問題について、中国とインド、米国、アルゼンチンといった、これまで対立していた諸国が合意に達しそうになっている。WTOは11月21日の一般理事会でこの問題に決着をつけたと報じられており、早ければ12月3-6日にインドネシアのバリ島で行われるWTOサミット(閣僚会議)で、ドーハラウンドが合意に達する。当初は米欧のやり方と利害を途上諸国に押しつけるために始まったWTOのドーハラウンドは、12年経って、途上諸国の利害を先進諸国に押しつける体制に衣替えして結実しようとしている。 (WTO chief urges last-ditch talks as draft deal nears) (WTO on verge of global trade pact)
米国は、WTOを見捨てた後、太平洋と大西洋(米欧)でTPPを推進している。しかしWTOが復活すると、米国企業が親米諸国から利権を吸い上げる構図になっているTPPの不利益が目立つことになる。EUは、主導国であるドイツが、NSAの盗み見スキャンダルを受けて、米国とのTPP締結に消極的になっている。WTOの復活とともに、国際貿易協定の行方が一気に流動的になりそうだ。(だから、対米従属の維持を最優先する日本政府は、どんなに悪い条件でも早くTPPに入りたい) (Angela Merkel says spy scandal is testing EU-US trade talks) (貿易協定と国家統合)
NSAスキャンダルを機に、ブラジルなどBRICS諸国は、インターネットの国際管理の権限を、米国から剥奪し、BRICSが国連などに依拠してネット管理する体制に移行させようとしている。国連自体、米国が単独覇権主義をふりかざしてきたこの10年ほどの間に、主導権が米英からBRICSなど新興諸国に移っている。 (しだいに多極化する世界) (インターネットの世界管理を狙うBRICS) (覇権とインターネット) (国連を乗っ取る反米諸国)
世界システムの主導権が米国から中国などBRICSに移ってしまう動きは「地球温暖化対策」に関しても起きている。以前は、二酸化炭素をたくさん排出して経済発展を終えた先進諸国が、これから二酸化炭素を出して発展しようとする途上諸国から、炭素税などとして金をむしり取るための機構だった「温暖化対策」は、09年のCOP15を境に、今では途上諸国が先進諸国に支援金を出させるための機構に変質している。 (新興諸国に乗っ取られた地球温暖化問題) (地球温暖化めぐる歪曲と暗闘(1)) (地球温暖化めぐる歪曲と暗闘(2))
地球は温暖化しておらず、1999年ごろから地球の平均気温は上がっていない。米英日のマスコミは「地球が温暖化を続けている」「最近は温暖化が止まっていないが、今後また温暖化するのは間違いない」といった報道に終始しており、それらはプロパガンダである。それらの先進諸国のプロパガンダは以前、先進国の国益に合致していたが、今では国益に損失を与えるものだ。プロパガンダは急に方向転換できないので、このような結果になっている。(日本のマスコミの中でも例外的に北海道新聞は、地球が温暖化していないことを強く指摘する記事をしばしば載せている。これこそ本来の「ジャーナリズム」の役割なのだが、こうした例は少ない) (Is `global cooling' the new scientific consensus?) (All mainstream media networks leap on global warming fearmongering) (Climate change: this is not science - it's mumbo jumbo) (Warming Plateau?)
温暖化対策では、今月ワルシャワでCOP19会議が開かれた。それに際して中国は、BRICSや途上諸国を主導して、先進諸国に対し「温暖化対策の資金をもっと出せ」と要求している。中国は、自国の経済発展を阻害する「温暖化対策」の実施を拒否する一方、日本など先進国に巨額の金を出させる世界体制を作ろうとしている。先進国のプロパガンダ機関は、中国の国益に沿って動いてしまっている。 (China says rich nations should give more to offset climate change) (失効に向かう地球温暖化対策)
米国のオバマ大統領はCOP19直前の11月1日、地球温暖化(気候変動)に備える動きを国家を挙げて強化する大統領令を発している。温暖化対策を真面目にやることは、米経済の成長を阻害するとともに、中国など途上国の利益を増し、米国の覇権を崩して世界の体制を多極化することにしかならないが、オバマ政権はそれを全力でやっている。 (Executive Order -- Preparing the United States for the Impacts of Climate Change) (Obama's Climate Task Force Is a Treaty Trap)
米国が97年の京都議定書の体制を早く推進していたら、中国が台頭する前に、先進国が途上国からピンハネする「温暖化対策」の国際体制を確立できた。しかし米国は議会を筆頭に、京都議定書に猛反対して無力化したうえ、09年のCOP15で温暖化対策の主導権を中国に明け渡した。そして、温暖化対策で中国などにむしられる側になった今ごろになって、大統領令で温暖化対策を強化すると宣言している。日本が本気で中国と対峙するつもりなら、そんな米国に追随することをやめるべきだ。しかし実際のところ、日本の中国敵視は対米従属維持のための策であり、日本は対米従属を続けるほど弱くなり、中国に対する不利が増す。最後には米国が覇権を喪失して日本は対米従属できなくなり、中華圏の端の方で鎖国していた大昔の姿に戻ることになりかねない。 (地球温暖化の国際政治学)
「米国は、経済で勝てないから軍事で中国を包囲したのだ」と思う人が多いかもしれない。これは時代遅れの考え方だ。匿名性の高い自由な金融市場が席巻する最近の20年ほどの世界では、軍事より経済の方が、国家の安全保障にとってはるかに重要だ。投機の手法を使って相手国の金融や為替の崩壊させる「金融兵器」は、すでに世界で何度も使われているが、いつも誰が攻撃者なのかわからない状況で宣戦布告もないまま発動され、やられた側の国家経済を破綻させる。(激化する金融世界大戦)
中国包囲網の虚実(3)
2012年6月5日 田中 宇
この記事は「中国包囲網の虚実(2)」などの続きです
英国政府系の国際戦略研究所が主催し、シンガポールのシャングリラホテルにアジア太平洋の28カ国の安保責任者らが集まって毎年開催される「アジア安全保障会議」(シャングリラ・ダイアローグ)が、6月1-3日に開かれた。米国から参加したパネッタ国防長官は、オバマ政権の「アジア重視策」の一環として、米海軍の世界的な配分比率を、従来の太平洋50%・大西洋50%から、2020年までに太平洋60%・大西洋40%に変えると表明した。 (US to move the majority of its naval fleet to Asia)
米軍は同時に、ベトナムやフィリピンとの軍事関係を強化する予定で、パネッタはシャングリラ会議に出た後、ベトナムに飛び、南シナ海に面した港として最も優れているといわれるベトナム南部のカムラン湾を訪れた。同湾は、ベトナム戦争で米軍が使い、米軍撤退後はソ連(ロシア)が02年まで軍港として使っていた。ベトナム戦争後、初の米国防長官の訪問としてカムラン湾を訪れたパネッタは、米軍艦が再びカムラン湾に寄港することを許可するよう、越政府に求めた。 (Cam Ranh Bay Lures Panetta Seeking U.S. Return to Vietnam Port)
ベトナムはフィリピンなどと並び、中国との間で南シナ海の南沙群島をめぐる領海紛争を抱えている。米国は一昨年から、ベトナムをけしかけ、南沙群島をめくる中国との対立を激化する「中国包囲網」の戦略を採ってきた。ベトナムは中国と緊密な経済関係を持っており、ベトナム政府は、いったん米国の扇動に乗って中国との敵対を強めたものの、その後は対立を緩和する方向に動いている。今回のパネッタの訪問は、米国がベトナムを再びけしかけて中国との対立を再燃させる動きに見える。米軍は、カムラン湾に固定した基地を持つのでなく、米軍艦が同湾に頻繁に寄港する状況を作り、中国を威嚇しようとしている。 (US plans to boost Pacific naval forces)
(中国とASEAN諸国は02年、南沙問題の対立を棚上げするとともに、交渉は多国間でなく2国間で行うという、中国に有利な原則で合意している。棚上げする期間が長いほど、中国は台頭が進んで優位が増す構図になっており、今の時点で中国の方から南沙問題の対立を蒸し返す利点がない。対立の蒸し返しは、米国が企図したものと考えられる) (南シナ海で中国敵視を煽る米国)
ASEAN諸国の中では、シンガポールが来年から4隻の米軍艦の寄港・駐留を受け入れることを決めている。シンガポール政府は、中国との関係を悪化させたくないので、米軍艦を受け入れるものの乗務員の米兵が宿泊する施設は作らず、軍艦の乗員は寄港時も艦内で寝泊まりすることになっている。フィリピンも、米軍の寄港や一時駐留を受け入れる態勢を新たに作っている。南沙群島問題でベトナムを扇動して中国と対立させたが長続きさせられなかった米当局は、次にフィリピンをけしかけ、南沙での中国との対峙状況を実現している。南沙の紛争海域では、中国とフィリピンの軍艦や漁船などが、すでに1カ月以上にらみ合いを続けている。 (China Criticized as Too `Assertive,' as US Expands Military in Asia-Pacific) (Philippines says US to protect it in South China Sea)
米政府は、ASEAN諸国をけしかけて南沙問題に介入する理由について、南沙群島の公海上が東アジアの重要な航路になっており、太平洋地域の大国として航路を守る必要があるためと説明しており、シャングリラ会議も、公海の自由航行の確保が主題の一つになっている。アジア太平洋諸国の軍事担当者どうしでこの話を議論すると、米国が率いるASEANや日韓豪が中国を批判する構図になる。そのため中国は、今回の会議に閣僚級以上の高官を一人も派遣しなかった。昨年の会議には、中国から梁光烈国防相が参加した。今年も、当初は梁国防相が参加するはずだったが、来なかった。 (Shangri-La Dialogue - Second Plenary Session - Protecting Maritime Freedoms)
米国の右派新聞ウォールストリート・ジャーナルは「中国は軍事台頭し、周辺諸国に脅威を抱かせているのだから、シャングリラ会議に積極参加し、周辺諸国の不信感をぬぐい去る必要があるのに、そうした信頼醸成の努力を怠っている」と批判する記事を出した。米国が、南沙問題に介入したり「アジア重視」を宣言して中国「包囲網」を強化する構図が続いている。 (Beijing Shrugs at Shangri-La)
▼金をかけず喧伝される包囲網
とはいえ、米国が本気で中国を包囲し続けるつもりなのかどうかについては、多くの疑問がある。米政府は、財政再建策として来年から10年間で約5千億ドルの支出を削減する必要があり、防衛費も削減傾向だ。対照的に、中国は過去13年間で防衛費が6倍になっている。パネッタとともにシャングリラ会議に出席し、演説した米国共和党のマケイン上院議員は、オバマ政権のアジア重視策を評価しつつも、重視策に必要な資金がどこから出るのか疑問で、逆に米国のアジアへの関与低下が起こりかねないと警告した。 (US plans to boost Pacific naval forces)
米軍が計画しているアジア重視策は、できるだけお金をかけない方法になっている。ベトナムやフィリピン、シンガポールなどへの米軍の寄港や駐留は、相手国にすでにある軍事施設を寸借して行うもので、新たな施設を作らず、お金を大して払わずに行える。米軍は、オーストラリア軍の基地に2500人の海兵隊を駐留させる計画だが、これは沖縄からの移動であり、米軍は日本政府から「グアム移転費」などの名目で巨額資金をもらい続けているので、それを流用できる。マケインら米上院議員は、米政府がグアム移転費の米国負担分を予算計上するのを阻止する決議をしている。日本だけが資金を出すことになりかねない。 (Senate committee again blocks funding for Marines' move off Okinawa)
米軍は、金をかけず、米国主導の中国包囲網が強化されている状況を喧伝している。米国と中国は経済的に密接な関係にあるので、米国が本気で軍事面の中国包囲網を強化するなら、包囲網の強化を喧伝せず、できるだけ隠れてASEAN諸国などと秘密協議を重ね、包囲網を強化すべきだが、実際にパネッタ国防長官やクリントン国務長官らがやってきたことは逆に、概念的な中国包囲網の強化をあえて明確に表明し続けて喧伝する、宣言先行の手法を採っている。実際の包囲網強化よりも、米国主導の中国包囲網が強化されているというイメージを、米中やアジアの人々が持つことの方が重視されている。AP通信は「パネッタは目立たないようにやっている」と報じたが、視点の歪曲が入っている感じがする。 (Pentagon tries not to make waves with 'Pacific Pivot' to Asia)
南沙群島問題は、国連の海洋法条約に基づく陸地から200海里の排他的経済水域や、12海里の領海をめぐる紛争だ。この紛争に首を突っ込むには、海洋法条約に加盟していることが前提になる。中国やASEAN諸国は海洋法条約に加盟している。ところが米国だけは、議会が批准を拒否し、同条約に加盟していない。南沙問題に関与している以上、米国は早く海洋法条約を批准する必要がある。パネッタ長官や、超党派の元国務長官らが、米議会に早期批准を求めているが、過激なタカ派傾向に流れやすい米上院は了承していない。 (Time to Join The Law of the Sea Treaty)
米国は、海洋法条約を批准しない一方で、中国沖の200海里内の海域に米軍艦を航行させ、中国が抗議しても無視している。もし中国が米西海岸沖の200海里内の水域に軍艦を入れたら、米国は激怒して撃破を試みるかもしれないが、米軍自身は平気で中国の200海里内に入る。米国は、南沙問題など他国どうしの対立に介入する大国としての公正な態度を欠いている。しかも米国は歴史的に、分が悪くなると地元の親米勢力を見捨てて尻をまくる傾向がある(南ベトナムやクルド人が見捨てられた)。ASEANの諸政府は、このような危うい姿勢の米国が、ASEANの味方をすると言って南沙問題に介入してくるのを見て、内心、ありがた迷惑だと思っているだろう。 (Philippines-China Standoff Could Lead to Open Conflict)
米国は、金をかけず、恒久基地を作らずいつでも撤退できる間借り方式で、大きく宣伝をしつつも、論争の前提となる海洋法条約を批准しないまま、東南アジアに対中「包囲網」を作っている。やり方がまっとうでなく、奇妙である。
▼経済面で中国との協調が不可欠な米国
中国に対する、米国やアジアの親米諸国の言動を見ていると、本気で中国包囲網を形成するつもりがあるとは考えられない。たとえば、5月31日から6月3日まで、米国バージニア州で年次の「ビルダーバーグ会議」が開かれたが、そこには昨年と同様に中国から、傅瑩・外務次官と、北京大学の中国経済研究所の黄益平教授の2人が出席している。この件は、中国に対する米国の基本戦略が、敵対でなく協調であることを示唆している。 (Bilderberg 2012 Official Participant List)
ビルダーバーグは、毎年欧米のどこかのホテルを借り切り、米国と欧州の著名な政治家、財界人、学者などを集め、今後の世界の運営について話し合う完全非公式の会議だ。50年以上の歴史があり、米欧の覇権運営の黒幕会議といわれ、米国のロックフェラー家やキッシンジャー、ネオコンの人々が会議を仕切っている。中国は昨年、初めて招待され、今年と同じ2人が出席した。今年も2人が出席したことは、ビルダーバーグの人々が世界の覇権運営に中国も参加させたいと考えていることを示している。この視点に立つと、中国包囲網は、米国が意図的に作っている幻影である。 (中国を招いたビルダーバーグ)
また米政府の財務省は5月下旬、中国(人民銀行)に対し、米国債を直接に売る新制度を開始した。米財務省は従来、米国債を、米国の主要銀行に対してのみ売り、日銀など外国の中央銀行は、米国債を米国の銀行から買っていた。米財務省は今回、米国外で最大の米国債保有者である中国人民銀行に対し、例外的な特別扱いとして、米国債の直接販売を開始した。これは、米政府が、今後も米国債を中国に買ってほしいと考えている証拠だ。米国が中国を敵と考えているなら、中国が米国債を一気に売り放って暴落させる「金融兵器」の発動をおそれ、むしろ米国債を売らないはずだ。この件からも、米国が中国を敵視していないことが感じられる。 (U.S. lets China bypass Wall Street for Treasury orders)
日韓など東アジアの米国の同盟国も、米国の対中「包囲網」を歓迎する素振りを見せつつ、裏で静かに中国との協調関係を強めている。日韓と中国は、今年初めから日中韓FTAの交渉を進めている。日本のマスコミでは、日本が米国と組み、中国を外してFTAを作るTPPの方が喧伝されているが、米国のマスコミでは、日本が米国とのTPPよりも中韓とのFTAの方を重視していると報じている。 (Japan's Leader Turns Trade Focus to China, South Korea)
WSJ紙は、野田政権が米国の言うとおりに市場開放せず、TPPに対してやる気がないので失望した、と日本叩きを展開している。日本にとって最大の貿易相手国は、すでに米国から中国に交代している。日本が中国を軽視して米国との自由貿易を重視しているイメージをいまだに堅持しているのは、世界の中でも、日本語のマスコミのみを見ている日本人自身だけかもしれない。 (Japan's Third Opening, Closed) (TPPより日中韓FTA)
今秋の大統領選まで、オバマは選挙戦略として中国を敵視する姿勢をとるだろうが、秋に再選を果たしたら、オバマは中国にもTPPに参加してもらう戦略に転換するかもしれない。 (Mitt Romney: The Foreign Policy of Know-Nothingism)
オバマは「製造業の復活(金融業から製造業への戻り)」を米経済の構造改革の目標にしているが、いま米国で復活している製造業の多くは、中国が組み立てている製品の部品など下請け製造や、組み立て作業の一部を中国から米国に移管するものだ。米中間の経済関係が悪化したら、オバマは製造業復活という目標を達成できなくなる。 (China slowdown threatens US factory revival)
日本では5月に、石原東京都知事らが、尖閣諸島を公金で買い上げて公有地にする構想を発表するなど、尖閣問題で日中の対立が続いている。だがその裏で、日中は5月中旬、中国の杭州に外務、防衛、海洋の担当者たちが集まり、尖閣紛争など海洋をめぐる諸問題について話し合っている。
(China and Japan discuss disputed island chain)
石原の尖閣公有地化構想については、本来中国を敵視して日本の味方をすべき右派の新聞であるWSJが、尖閣に対する日本の主張が間違っているとする台湾の中国人学者の論文を掲載する対日敵対行動をとっている。WSJは、米国の右派の「人権重視」の姿勢を口実に、日本の「従軍慰安婦問題」に関して韓国の肩を持ったりもして、WSJと親しいネオコンと同様、隠れ多極主義的なので要注意だ。 (Japan's Dubious Claim to the Diaoyus)
日本と中国は今年に入り、米ドルを仲介させず円と元を直接取引する為替制度を新設し、日中間の国債の持ち合いを拡大するなど、金融財政面でも接近している。中国だけでなく日本も、きたるべきドルの基軸性喪失に静かに備えている感じがする。 (China-Japan currency deal ushers in a new era)
5月上旬には、韓国の防衛相が訪日し、北朝鮮という共通の脅威に対する諜報の共有や、有事の際の施設利用などに関し、史上初めての日韓軍事協定を締結することを決めた。日本と韓国は従来、米国との安保関係を最重視するため、日韓の防衛協定を意図的に作らず、日米、米韓という米国との2国間関係だけが存在する米国中心の「ハブ&スポーク体制」を維持してきた。それが今回、小規模ながら日韓が直接に軍事協定を結んだことは、米国の覇権衰退とその後のアジア独自安保体制への移行を準備する動きとして画期的だ。これは中国と敵対する動きでなく、その逆だ。米国の後ろ盾が減じたら、日韓は中国と協調せざるを得ない。 (S.Korea, Japan to Sign Military Agreement)
米海軍の太平洋と大西洋の比率を5:5から6:4にする話も、今後EUがユーロ危機を乗り越え、欧州防衛統合を進めてEUがNATOと別の安保組織に発展していくのなら、米国の新戦略というより、自然な流れでしかない。今後、大西洋の防衛を、欧州軍と米軍で分け、従来のように米軍が圧倒的に大きな力であり続ける必要がなくなれば、米国は全体としての防衛費を削減しつつ、大西洋の兵力を大きく減らし、太平洋の方は少し減らすことで、太平洋と大西洋の比率は自然に6:4になる。
米国や日韓、ASEANなどの動きを全体として見ると、中国包囲網を強化する方向でない。むしろ中国が、世界の運営に参加する大国の一つになることを容認する流れだ。そういった全体の流れの中で、今回のパネッタ国防長官の言動など、中国敵視策を強化するためと報じられる米政府の動きは、芝居がかった動きに見える。長くなったので、この続きは次回に回すことにする。
【続く】
軍事による戦争は、まず外交的な敵対があり、軍事的な小競り合いに発展し、その後ようやく戦争になるという明示的な経過が必要だ。刀を抜いて「われこそは」と名乗り合って戦う昔のチャンバラのようなものだ。それに比べると金融兵器は、隠し持ったサイレンサつきの小さな拳銃で後ろから音もなく殺す暗殺や、スパイによる毒殺のようなもので、やられた方は往々にして「殺された」ことすらわからず死に体になっている。「戦争は悪だ」という価値観が定着している今の世界では、兵器は持っているだけで使うべきものでない。相手国に「悪」のイメージをなすりつけて「平和のために戦争が必要だ」と言って勧善懲悪の戦争をやる米英式の手法は、米イラク侵攻後、無効になっている。
激化する金融世界大戦
2010年3月30日 田中 宇
この記事は「危うくなる米国債」の続きです。
前回の記事の末尾に「金融財政を使った覇権をめぐる世界規模の戦い(暗闘)が激化し、金融世界大戦と呼ぶべき状況になりつつある」と書いた。この「金融世界大戦」は私の造語だが、比喩的に発したのではない。第一次世界大戦や第二次世界大戦と同じ構図を持った戦いが、軍事ではなく金融という道具立てを使って、今まさに展開しているという意味である。
1980年代以来、米英の覇権が「金融覇権体制」とも呼ぶべき新事態に転換した結果、世界覇権をめぐる「世界大戦」も、軍事分野を主軸とする戦いから、金融分野を主軸とする戦いへと、すでに転換したと私は分析している。イラクやアフガニスタンでは軍事の動きも続いているが、これはむしろ軍産複合体を黙らせておくためとか、米英覇権を軍事面で自滅させるための、脇役的な存在になっている。今後起きるかもしれないイランと米イスラエルの戦争も、米英覇権を自滅させる意味を持つ。
「戦争」は本質的に、覇権をめぐる争いだ(領土紛争の多くも、旧宗主国を含む関係国の過去の覇権的行為の遺物である)。覇権とは、他国に対する影響力のことだ。昔は、覇権拡大といえば他国の領土を物理的に占領支配することだったが、産業革命と国民革命(フランス革命)の後「国家主権の侵害は国際的に許されない」とする国際的な取り決めが欧州から世界に広がり、他国を戦争で破ってもその国土を併合することは国際的に許されず、代わりに傀儡政権を置くやり方が主流になった。
この転換は、人々が人権に目覚めたから起きたというのが教科書的な説明だが、実際には、産業革命によって覇権(英米)内部で資本家が強くなったために起きた。覇権国が世界を支配する植民地体制ではなく、国民のやる気(付加価値)を引き出せる国民国家が世界的に並立する方が経済成長が大きくなるので、二度の大戦を契機に、植民地支配は禁止され、覇権国である米英は世界を隠然と支配するやり方に切り替えた。世界がこの体制にあった時代が、近現代(モダン)である。
米英の覇権が「金融覇権」に転換したのは、1971年のニクソンショック(金ドル交換停止)以来の、米国を自滅させて覇権の多極化を図る隠れ多極主義者と、米英覇権を温存しようとする英米中心主義者との、覇権システムのあり方をめぐる暗闘の結果として起きている。(以前から書いてきたが、二度の世界大戦を誘発したのも、多極主義者と英米中心主義者との暗闘である)
金ドル交換停止を挙行したニクソン政権は、交換停止によってドルを基軸通貨の座から落とし、米英の衰退と日独や中ソの相対的な台頭を招くことで、覇権体制の多極化をねらったのだろう。だが、米英中心主義者の方が賢かった。日独に覇権希求の意志が薄い(そもそも、去勢国家である戦後の日独を煽れば覇権を再び希求すると思った多極主義者は甘かった)と見るや、日独にドルを支えさせるG7の構図を新設し、ドルの下落を防いだ(G7設立は85年だが、秘密裏の為替協調介入はニクソンショック直後に始まった)。さらには、ドルが金との交換性を失ったことを逆手に取って、ドルを無限に増刷できる体制を作った。その結果、80年代のレーガン政権の隠れ多極主義者がひどい財政赤字増とドル増刷をやっても、ドルは崩壊しなかった。
▼金融兵器は軍事兵器をしのぐ破壊力
レーガン政権が米国を自滅させ損ねた後の85年、米英は金融自由化を打ち出した。これは、無限に増刷できるドルの新機能を、先進国の他の国々の国債や、米大手企業の社債など、米英が「優良」とみなす証券類に拡大することで、無限に近い富の拡大機能を創設し、この富の力で米英覇権を維持する戦略だった。これによって米英は金融覇権に転換した。米英は、債券格付け機関の権威を上昇させ、ドルを頂点とする格付けの序列を作り、英米中心主義にそぐう債券の格付けを高くした。
(日本は、米国の覇権に楯突きませんという対米従属の誓いの意味で、90年代のバブル崩壊時に失策を繰り返し、国債格付けを意図的に低くし続けた)
米英が金融覇権体制に転換したのは、米経済が成長期をすぎて成熟し、赤字体質になったことも関係した。米英は、自国の赤字拡大の受け皿として国際金融市場を拡大し、世界の黒字諸国の政府や人々に米英の債券や株式を買わせる体制を作った。この動きが90年代の金融グローバリゼーションである。世界中の人々は、ドルを頂点とする格付けの秩序を「巨大なねずみ講」と気づかずに信用し、米国の債券は低リスクとみなされ、低利回りなのによく売れた。債券が売れている限り、米英金融覇権は安泰だった。「王様は裸だ」的に誰かが叫んでも、英米中心主義の機関であるマスコミの国際ネットワークは無視し、叫んだ者が間抜け扱いされ、静かに制裁された。
米英は「投機筋」の機能も活用した。高度成長が終わる先進国と対照的に、中国や東南アジア、インドなどの新興市場諸国は80年代以降に高度成長に入ったが、新興諸国の台頭が経済から政治に拡大すると、米英の覇権を崩しかねない。そのため米英は、ケイマンやバハマ、バーミューダといった米国沖の大西洋の英国領諸島などに、国家の規制を全く受けずに金融取引できる租税回避地を英国主導で作った。そして、そこを拠点とする巨額資金(投機筋)が一見無秩序に、実際には英米に誘導されつつ、英米が標的とした国の為替や金融の市場を、巨額流入でバブル化させた後に、先物取引と巨額流出によって暴落させて破壊する「金融兵器」とも呼ぶべき機能を作った。
90年代以降、金融兵器は軍事兵器をしのぐ破壊力を持つようになった。金融兵器は、誰が発動しているのか見えず、攻撃された方も国権に対する破壊(つまり戦争)と気づきにくい。発動する側にとっては、戦争犯罪に問われる心配がなく、自国民に知らせず発動でき、少人数で遂行できるので、軍事戦争より好都合だ。
東南アジアからロシアへと広がった97-98年のアジア通貨危機や、最近のギリシャ国債危機は、金融兵器が発動された疑いが濃い。ギリシャ国債危機は、ゴールドマンサックスやJPモルガンが「主犯」だと指摘されている。 (Goldman role in Greek crisis probed)
▼諜報戦としての投機筋
戦争は一般に、武力の発動開始(開戦)以前の作戦(諜報戦)が、開戦後の作戦よりもずっと大事である。「孫子」も、戦争の要諦は諜報だと言っている。諜報機関の任務の中心は、昔は敵の軍事力や動員力の調査だったが、米英覇権が金融化し、金融兵器が開発されてからは、どうやって金融取引で敵国を倒すかが、諜報戦略の中心となった。投機筋としての仕事や、他の投機筋や一般投資家を操ることが、諜報機関の主要任務となった。今の諜報要員の主流は、ラングレー(CIA本部)やペンタゴンではなく、ウォール街やシティ(ロンドン)に勤務している。
以前から書いているように、米英覇権の内部は、英米中心主義と多極主義の暗闘の構図になっている。だから、金融兵器の発動も、アジアやロシアに対する英米中心主義の強化策としてだけでなく、多極主義の方向性の攻撃も発生している。92年のポンド危機での英国に対する投機筋の攻撃や、07年のサブプライム危機以来の米金融界内部の共食い的なデリバティブ取引の続発などが、それにあたる。
金融自由化(債券化)と市場の国際化(金融グローバリゼーション)、金融兵器(投機筋)の出現によって、世界は90年代に米英金融覇権の時代に入った。これはまさに「ポストモダン」(近現代後)の時代の到来だった。覇権が金融化した結果、それ以前の覇権構造の中核にあった冷戦体制は不要となった。米国の隠れ多極主義者は、60年代のケネディ時代から冷戦終結を画策していたが、英米中心主義者たちは80年代後半、冷戦終結を了承し、89年に冷戦が終結した。その時にはすでに、米英覇権は金融化が確定し、冷戦は英米中心主義にとっても不要になっていた。暗闘は、またもや英米中心主義の勝利になった。
その後、90年代のクリントン政権下で、米英は金融覇権体制を謳歌したが、同政権の末期から911にかけて、隠れ多極主義者が軍産複合体やイスラエルと結託した「テロ戦争」の、軍事分野への巻き返しの構図が始まった。同時期に、投機筋によるアジア通貨危機で金融グローバリゼーションが破壊され、その後はサブプライム住宅ローンなどジャンク債やデリバティブの発行が急増し、米国の金融バブルが急拡大した。これは「グリーンスパンの罪」と呼ばれている。 (Greenspan hits back at housing bubble claims)
高リスクのはずのジャンク債が、実質よりも低リスクに格付けされて大売れし、いずれ債務不履行が続発して格付けシステムそのものが崩壊するというバブルの仕掛けが用意されていった。本来、敵国に向けて行われるべきバブル拡大作戦が、米国自身に向けてセットされた。このバブルは07年夏に破裂し始め、民間金融界の不良債権は米連銀の買い取りを経て、米政府系金融機関ファニーメイなど米政府の債権となりつつある。米国はすべての不良債権を背負い、金融財政的に自滅の道をたどっている。米国債が崩壊するなら、米国と同じ金融システムを採っている英国債も前後して崩壊するだろう。 (全ての不良債権を背負って倒れゆく米政府)
▼米英崩壊が先か、EUと中国が危機になるか
今年初めからのギリシャ国債危機は、こうした隠れ多極主義的な自滅策に対抗するための、英米中心主義からの(最期の?)反撃である。ユーロ圏が無傷なまま、米英の金融財政が破綻すると、EUは米英の傘下から抜け出て単独の地域覇権勢力として台頭する。それを防ぐために、ユーロ圏内で財政体質が弱いギリシャを皮切りに国債危機を拡大させてユーロを潰し、EUが多極型世界を推進できないようにするのが英米中心主義の戦略だろう。ギリシャ国債危機は、金融世界大戦の戦場の一つである。(第一次大戦はバルカンから始まったが、今回もバルカンからだ)
もう一カ所、金融大戦の戦場になるかもしれないのは中国だ。EUと中国の両方を潰せば、多極型世界は形成されず、米英が財政破綻しても代わりの世界体制が浮上しないので、多極化ではなく混乱の「無極化」となる。しばらくの混乱の間に、英国主導で何らかの国際的な新しい仕掛けが作られれば、米英覇権は延命しうる。
先日、中国の次期主席と目される習近平副主席が、モスクワを訪問してプーチン首相と会談した後に「中国とロシアは、協力して多極型世界を確立し、国際政治における国家関係の民主化を進めていくべきだという考えで一致した」と述べた。中国はここにきて、経済面での米国依存と対米従属をやめる方向に急速に動き出したとも指摘されている。 (China seeks Russia alliance to counter US dominance) (China - The time for lying low has ended)
今後、米国が人民元を切り上げない中国を制裁し、中国が米国に報復する展開がありそうだが、これは、中国を多極化推進の方に押しやる隠れ多極主義的な米国の戦略である。中国が人民元の対ドル為替を切り上げると、世界から中国への投機資金の流入が急増し、中国潰しを目的としたバブル膨張が画策されるかもしれない。米国債の危機が高じたら、中国はインフレ回避のため人民元を切り上げねばならなくなるが、そのタイミングが重要になる。EUと中国が大した危機にならないまま米英が財政破綻していけば、世界の覇権多極化は早く進展する。
米国が中国と戦争するなら、その前に、米国債を中国に買ってもらわずにすむ米政府財政の建て直しが必要で、それには軍事費の大幅削減が必須だ。米国で中国を敵視する勢力の筆頭は軍産複合体で、彼らは米政府の軍事費削減を阻止している。米国が中国と戦争する姿勢をとるほど、米国は中国に勝てなくなる。
前回記事でかきそびれたが、連銀がQEを縮小すると、その分、バブルを膨張させることで債券金融システムを回す代替策をとるしかない。すでに、不十分な担保しかとらず融資した「コブライト(軽担保融資)」債権など、リーマンショック前のバブル崩壊につながった高リスクの危険な債券類の発行が増加している。来年は、金融を回すためにバブルを再膨張させる動きがもっと加速するだろう。このバブルはいずれ再崩壊、リーマンショックが再来する。再崩壊が来年中に起きるかどうかわからないが、すでに「起きるかどうか」でなく「いつ起きるか」の状況に入っている。(米金融バブル再膨張のゆくえ)
リーマン危機の元凶となった06年のサブプライム危機発生時の先例から考えて、バブル崩壊はおそらく、債券に対する信用が悪化してジャンク債の利回りが高騰するリスクプレミアムの上昇から始まる。これまでの金あまり・ゼロ金利から、一転して高金利の時代になる。今日の時点で2・98%である10年もの米国債の利回りが、3%を大きく越えたまま下がらないと、債券バブル崩壊の懸念が増す。米国債が格下げされた11年夏に起きたような、債券市場に資金を流入させて守るため株式相場の急落を誘発することもおこなわれるかもしれない。 (サブプライム危機の再燃) (格下げされても減価しない米国債)
米金融バブル再膨張のゆくえ
2012年5月15日 田中 宇
「コブライト(cov-lite)」という金融言葉を覚えているだろうか。「covnant-light」の略で、担保など、債権者が保護を受けられる契約条項(コベナンツ)が通常よりも少ない(軽い。ライト)債権契約をさしている。少しの担保しかとらずに多くの金を投資する債権債務契約のことだ。担保が少ないので、債務者の企業や金融機関が破綻したとき債権者は大損する。コブライト契約は、2007年の金融危機発生前の米国の金あまりの状況下で急増した。それを見て、金融バブルの膨張につながるので危険だという指摘が金融界の周辺から出てきて、FT紙が他紙に先駆けて07年5月に批判的に報じた。 (Cov-lite From Wikipedia) (Bolton warns of bubble fuelled by "cov-lite" loans)
私も、07年6月22日に書いた「アメリカ金利上昇の悪夢」という記事の中で、コブライトについて簡単に説明した。私は当時まだネット上で相当に揶揄されていたので、この記事に対しても「米金融界は好調だ。危機が起きるはずがない」「米国が嫌いな田中宇がまた妄想を書いている」という反応を受けた。しかし、その直後に起きたベアースターンズのサブプライム住宅ローン債券の破綻を皮切りに、米金融界は危機に入って社債の金利が上昇し、08年9月のリーマンショックを経て、世界は不況に陥った。サブプライム住宅ローンは、金余り現象を背景に、返済能力の低い人に住宅ローンを貸して破綻が急増したもので、コブライトと同質のものだ。 (アメリカ金利上昇の悪夢)
リーマンショック後、人々はろくな担保を取らずに金を貸すことに懲りたはずだ。一般市民への住宅ローンの融資は、米国でも審査が厳しいままだ。しかし、米連銀が金融緩和策を続け、金融界がバブルを再燃させて債券金融システムを蘇生させた結果、企業や金融機関どうしの資金のやりとりの中では、再び金余り現象が強くなっている。FT紙は5月10日、コブライトの融資が再び増え、サブプライム住宅ローン危機の発生直前の07年5月以来の高水準になっていると報じた。S&Pによると、今年4月に米国の企業が借りたお金の40%にあたる76億ドルが、コブライト形式の融資だった。 (Cov-lite loans make post-crisis comeback)
米金融界では、ジャンク債の価値が再上昇し、サブプライム住宅ローン債券の売れ行きも再び好調になった。リーマンショック後、不良化して米連銀に塩漬けにされていた債券が売りに出され、連銀は儲けを出している。
連銀はリーマンショック時に破綻しかけた保険会社AIGが持っていたサブプライムローン債券(CDO)を大量に買ってAIGを救済し、買った債券をメイデンレーンという連銀傘下の企業(勘定)に入れて塩漬けにしてきた。メイデンレーン(Maiden Lane)は、ニューヨーク連銀前の通りの名前だ。メイデンレーンには1から3までの3社(3勘定)があり、1がベアースターンズ、2と3がAIGの債権(債券)を塩漬けにしていた。このたび、債券(ジャンク債)市場が活況が続いているため、連銀は2と3の債券を相次いで売りに出し、2の売却では連銀が28億ドルの利益を得ている。 (Hunt for high yields bolsters Maiden Lane III)
この状況をどう見るべきだろうか。一つの見方は、07年に起きたように、コブライトなどを通じた金融バブルの拡大が一定のところまで達すると、人々(投資家)が、それまで無視していたリスクに対する自覚を何らかのきっかけで急に高めて信用収縮が起こり、金融危機が再燃するに違いないという予測だ。
もう一つの見方は、金融界や連銀が、07-08年の危機の教訓から、外から見えない金融システムの機能を強化してバブルを崩壊させず延命させ、金融危機が起こりにくくなっている(はずだ)というものだ。米金融界は、前回危機で信用収縮して取引が凍結し、壊れかけた債券金融システムを、その後3年かけて再び修復・自走させ、今回の市場の活況(バブル再膨張)に結びつけている。金融界の人々は賢いだろうから、システムを再生したとき、何らかの安全装置を強化したはずだとも考えられる。
とはいえ、どのようなシステム強化がなされていたとしても、バブルが膨張している状態で、どこかの金融機関で運用が破綻したり、当局による規制が強化されて取引が難しくなるなど、大きな引き金(トリガー)的な出来事があると、それを機に信用が収縮しバブル崩壊が起きかねない。07年からの金融危機は、ベアースターンズが運用するサブプライムローン債券の原価割れを発表したことに端を発している。
▼CDS賭博場の胴元の大損失
ごく最近、トリガー的になるかもしれない事件として起きているのが、5月10日にJPモルガン・チェース銀行が発表した20億ドルのデリバティブ取引の運用損の発覚だ。ロンドンにあるJPモルガンの投資部門が、債券投資のリスク回避のためにやっていたはずのCDS(債券破綻保険)の指数デリバティブの取引において、逆にリスクを取りすぎる投資をやって大損した。JPモルガンは、ヘッジファンドから逆方向の売り浴びせ攻撃を仕掛けられ、賭けの対象だったCDSの指数が急変動した結果、40日間で20億ドルの大損をした。 (JPMorgan Chase acknowledges $2 billion trading loss)
JPモルガンは四半期ごとに50億ドルずつの利益を出している。それと比べ、20億ドルは大した額でない。だが同行の首脳は、発表した損失は全体の一部であることを会見で示唆している。加えて、CDSを使った債券先物投資について、米国の大手銀行の多くが、以前からJPモルガンの投資のやり方を真似て自行の投資の方針を組んでいることも、危機が拡大しそうだとの懸念につながっている。 (What Was The Ultimate Cause Of JP Morgan's Big Derivative Bust? The Shocker - Ben Bernanke!!!)
CDSは、債券の発行者が返済不能に陥って、債券が破綻した場合に、発行者に代わって債券の額面額を債権者に支払うことを約束した保険である。機関投資家は、債券を買う際にCDSの保険を合わせて掛ける。金融が好調になるほど、債券が破綻する確率は低くなるので、投資家の中には、CDSを買うだけでなく、CDSの支払い側(債券保険の売り手)になって掛け金を受け取る業務に投資する動きが強まる。
JPモルガンは1991年、CDSの仕掛けを発明したケンブリッジ大学の数学専攻の学生ブライズ・マスターズ(Blythe Masters)を雇用した。彼女はその後一貫して同行でデリバティブ取引を行うコモディティ部門の最高責任者として働き、CDSという金融派生商品(デリバティブ)と、その市場を創設するとともに、CDSの取引を主導し続け、自行に多大な貢献をしている。JPモルガンは、CDS市場という賭博場の運営者(胴元)であるとともに、賭博場における大手のお客である。 (Blythe Masters - Wikipedia)
このような経緯を見ると、米国やその他の諸国の大手銀行や機関投資家の多くが、CDSの投資をする際に、JPモルガンと同じ投資戦略(ポートフォリオ)を組みたがるのが当然だとわかる。CDSのような複雑な金融商品は、仕組みの本質が見えにくく、本質を最も良く把握するのは商品と市場を創設したJPモルガンであると考えられるからだ。CDS関連の金融商品の多くは同行が発行元であり、CDS相場を動かす力を最も持っているのもJPモルガンだ。 (The Financial Tsunami has not reached its Climax by F. William Engdahl)
リーマンショック後、米連銀は、金利をゼロにして意図的に金あまり現象を煽り、債券金融システムの蘇生を助けた。これによって米国の銀行界は、伝統的な預金集めの金融業務で儲けられなくなって、儲けを債券金融に頼るようになり、米金融界はJPモルガンを見習って投資をする傾向を強めた。
そのJPモルガンが、CDSの取引で短期間に多額の損失を出し、自らの失敗を認めたことは、米国と世界の金融界の先物関係者にとって大きな衝撃であるはずだ。賭博場で胴元が大損することは、ルーレットの動きが統制(八百長)不能になっていることを意味する。賭博(市場)の先行きが見えなくなってしまう。大手の投資家の多くが、CDSの取引を手じまいにして市場(賭博場)から早めに引き上げることを検討し始めていることが懸念される。
CDSは、今や債券取引に不可欠な機能である。JPモルガンの事件にによって、その機能に懸念が生じたことは、債券市場全体の信用が短期間に収縮するバブル崩壊への引き金(トリガー)になりかねない。マスコミで再びギリシャのユーロからの離脱が騒がれているが、JPモルガンの事件がこじれた場合、世界の金融システムに与える悪影響は、ユーロ危機よりも大きくなる。
▼金融規制強化のだしに使われそう
加えて、JPモルガンの事件の意味が大きいもう一つの点は、大損したのが事実上の自己勘定取引だったことだ。大手銀行が顧客から頼まれて資金運用することは合法だが、自己資金で儲けるために運用するのは、大銀行が経営に失敗した場合に公金で支援されることになっているだけに良くない行為とされ、2年前から米政界で議論されている「ボルカー規制」が実施されたら、違法行為となる。 (JPMorgan Chase chief Jamie Dimon acknowledges `terrible, egregious mistake')
ボルカー規制については、大手銀行が率いる米金融界が、規制に抜け穴を作って骨抜きにして、自己勘定取引を事実上続けられるようにしようとロビー活動をしている。JPモルガンはその先頭に立ってきた。米議会や米政府内では、強い規制をかけることを主張する人が多いが、大手銀行によるロビー活動の方が強く、議会は、規制がいつから実施されるのかすら決められないでいる。JPモルガンなど米金融界が資金援助する共和党のロムニー候補が今秋の米大統領選挙で勝ったら、ボルカー規制が葬り去られるのは確実と見られてきた。 (JPMorgan is big donor to presidential campaigns)
そんな中、JPモルガンが今回の大損によって、リスクヘッジ活動という合法な投資をするふりをして、事実上の自己勘定取引をしていたことが露呈したことは、米議会を一気に力づけ「やっぱり強い規制が必要だ」という声が議会で強まっている。JPモルガンは、ボルカー規制の実施に先立って自己勘定取引部門を閉鎖したが、そこにいたトレーダーの多くは、ロンドンの投資部門に配置換えされ、リスクヘッジのふりをして、事実上の自己勘定取引を続けていた。 (How JPMorgan shock hit the war on Volcker)
市民の預金を集める商業銀行部門も併設するJPモルガンは、資産額で米国最大の銀行だが、資本が運用総額の10%で、ゴールドマンサックスの15%、シティが13%であるのと比べ、運用に失敗した場合のリスクが高い。規制強化を求める米議会の勢いが強まり、ボルカー規制が抜け穴の少ない形で実施される可能性が高まったことと合わせて考えると、これが再膨張した金融バブルを崩壊させるトリガーになる懸念がある。JPモルガンを狙って大損させたヘッジファンドの背後に、米政界からの政治的な意図があったのかどうかも気になる。 (JPMorgan's trading debacle: why $2 billion is just the start)
▼投資銀行の本部をNYから香港に移す意味
債券金融システムは、ドルの強さの源泉であり、米国(米英)の覇権の大黒柱である。リーマンショックのような大きな危機が再来し、債券金融システムが壊れて蘇生できなくなると、米国の覇権体制も崩れ、中国やBRICSの力が相対的に強くなって、世界の覇権体制が多極型に転換していく。JPモルガンは、デリバティブの最有力部門であるCDSを創設して、債券金融システムの強化に貢献するとともに、自分たちもそれで大儲けし、世界最大の資産額を持つようになった。同行はリーマン後も、債券金融システムを蘇生させ、米国覇権の延命を支えている。
しかし同時にJPモルガンは最近、覇権の多極化を先取りするような動きも見せている。同行は4月24日、投資銀行部門の部門長(Jeff Urwin)の拠点を、ニューヨークから香港に移すと発表した。JPモルガンは投資銀行部門と商業銀行部門から成り立っているが、儲けのほとんどを投資銀行部門で出している。香港への移転は、同行の金融商品を中国などアジアの顧客に売る営業力を強める意味もあるだろうが、同時に、中国やインドといった高度成長を続けるアジアの新興市場諸国が行う資金調達をもっと請け負いたいという意味もありそうだ。中国は、ドルでなく人民元建ての資金調達を増やしており、そこへの食い込みという意味もあるだろう。 (J.P. Morgan Shifts Top Banker to Asia)
全体として、今後もドル建ての金融市場が世界を席巻し続けるなら、最も重要な金融拠点は、ドルを発行する米連銀(NY連銀)が立地するニューヨークであり続ける。投資銀行部門の主力が香港に移ってしまうと、ニューヨークの動きに対するフォローが二の次になり、ドル建て金融界での儲けが減ってしまう。中国などアジアの顧客がいくら増えても、金融商品の主力が圧倒的にドル建てである今の状況が変わらない限り、投資銀行部門の本部はニューヨークに置き続けるのが良い。
JPモルガンが投資銀行部門の主力な拠点を香港に移すことは、ニューヨークの動きについていくことが二の次になってもかまわず、それより中国を中心とするアジアの動きを遅滞なく追う方がもっと重要だと考え始めたことを示している。JPモルガンは、いずれドルの単独基軸通貨体制が崩れ、人民元などBRICS諸通貨やユーロを含む多極型基軸通貨体制に移行していくことを先取りしているように見える。
JPモルガンの動きが賭博場全体の動きを先取りするものである状況が、CDS市場だけでなく金融市場全体に当てはまるとすれば、そこから導き出される今後の流れは、JPモルガンが育ててきた債券金融システムがいずれ再崩壊し、次回は蘇生も不可能な状況になって、世界の金融システムが、ドル単独覇権から、中国などの多極型に転換していくことになる。
再崩壊がいつ起きるか予測は困難だが、再崩壊が20年後と予測されるなら、今すぐ投資銀行部門の本拠地を香港に移す必要はなく、10年後でよい。今、香港に拠点を移すことは、もっと早く再崩壊が起きうると読める。これが私の勘ぐりすぎの「妄想」なのか、現実の世界の流れを予測するものになっているかどうかは、何年か経たないとわからない。
サブプライム危機の再燃
2007年11月13日 田中 宇
今年7-8月に発生した「サブプライム住宅ローン債券」をめぐるアメリカ発の国際金融危機は、その後、米金融当局による利下げや、金融市場への資金投入などによって、危機の拡大にある程度の歯止めがかけられた。だが、最近になって、再び危機が拡大する流れになっている。サブプライム債券をめぐる状況を悪化させているのは「格付け」である。
サブプライム債券(CDO、ABCP)は、無数の住宅ローン債権を一つに束ね、それをリスクの高さごとに輪切りにして、別々の債券として売っている。利回りが高い債券ほど、ローンを払えない人が増えた場合に被る損失が大きくなるように設定されている。全体としてサブプライム債券の種類は膨大なものになり、最初に金融機関から投資家に販売された後、転売(流通)されていかないものが多い。転売されないと、債券の市場価格が定まらない。毎日売買されている債券には、その日の時価がつくが、売買されない債券には時価がつかない。
債券に価格がつきくくても、金融機関は節目ごとに資産の何らかの時価を算出し、自社の損益を計算せねばならない。サブプライム債券の多くは、時価はつかないものの、信用格付け機関による格付けの対象になっている。そこで各金融機関は、自社が持っているサブプライム債券について、格付けを係数として利用した計算式を作り、時価に代わる「推定価格」(理論値)を算出している。格付けが下がれば、債券価格も下がったとみなされる。(関連記事)
今夏の金融危機に際し、信用格付け機関は、サブプライム債券の中で明確に状況が変化したもの以外は、格付けの見直し(格下げ)を行わなかった。金融危機が短期間に終わるかもしれなかったからである。格付けが大して見直されなかったため、多くの金融機関の債券の推定価格も下がらなかった。
しかしその後、サブプライム債券の裏づけとなっているサブプライム(信用度の比較的低い借り手)の住宅ローンに関し、金利が上がって月々のローン返済ができなくなる人が増加し続けている。アメリカの政界やマスコミでは「サブプライム債券の危機の元凶は、信用格付け機関が甘い格付けをやったことだ」という批判が頻発し、格付け機関に圧力がかかった。信用格付け機関は、今夏の危機から3カ月(四半期)が過ぎた10月の時点で、相次いで大規模なサブプライム債券の格付け見直しを開始した。
10月19日には、大手格付け機関のスタンダード&プアーズ(S&P)が1413種類、220億ドル分のサブプライム債券を格下げした。11月に入ると、ムーディーズなど他の格付け機関も、10月からサブプライム債券の格下げを開始していると、相次いで発表した。格付けが下がると、各金融機関が計算している債券の推定価格も下がり、不良債権として損失を計上することが必要となる。(関連記事)
▼価格メカニズムの崩壊
加えて、今夏の危機以来、投資家やマスコミの間に「サブプライム債券に対する金融機関の推定価格の計算式は、妥当なものなのか」という疑心暗鬼が広がっている。各金融機関は、それぞれが適切だと考える計算式を使って、サブプライム債券や、その他の取引頻度の低い高リスク債券の推定価格を出している。
計算式は、ローンの破綻など、ありそうなリスクをモデル化して数式化したものだ。各金融機関が、自社に都合の良い、過度に楽観的なモデルや係数を考え、それをもとに推定価格を算出してきた可能性は十分にある。この問題は、ローン破綻が少なかった以前は表面化しなかったが、破綻が増えて債券の価値が下がっていると皆が思い始めた今夏から、疑心暗鬼が噴出した。
ありそうなリスクをモデル化して計算する手法は、信用格付け機関の格付けでも採られている。今夏以降、投資家の多くは「サブプライム債券の価格計算式は楽観的すぎた」「債券の実際の価格は、もっと低いはずだ」と懸念するようになった。
もともと確定した価格がほとんど存在しない中で、計算式が楽観的すぎるかどうか問答しても、確たる結論は出ない。金融機関の方で計算式を見直しても、それが正しいものだということを投資家に納得させられるとは限らない。その一方で、現実の世界でのローン破綻者は増え、サブプライム債券の価値が下がっていることは、誰にも感じられるようになってきた。価格形成メカニズムそのものが崩壊し、サブプライム債券は下落の方向に拍車がかかっている。
▼「レベル3」の問題
そんな中で、大手金融機関のいくつかは最近、投資家の信用を取り戻すため、サブプライム債券の推定価格算定方法を、従来よりは比較的確実なやり方に切り替えた。その一つは、サブプライム債券の先物指標であるABX指数(資産担保債券先物指数。信用デリバティブ指数)を使うものである(ABX指数の種類は、主要な資産担保債券の数だけある)。(関連記事)
この指数は、市場における各種のサブプライム債券に対する需給状態を数値にしたものだが、今夏の債券危機以来、市場ではサブプライム債券を欲しい人がほとんどおらず、指数は非常に低い市場最安値の水準となっている。最優良のAAAの格付けの債券でも、価格は発行時の10分の1にまで下がっている。(関連記事)
多くの金融機関は、この指数があまりに低水準なので、自社のサブプライム債券の推定価格の計算式に入れていない。しかし、シティグループやメリルリンチなど大手金融機関のいくつかは、この非常に低い水準の数字を使って自社のサブプライム債券を評価し直す必要があり、巨額の損失を計上した。
アメリカの金融機関が、巨額の損失を出してまで、サブプライム債券の価格計算式を見直さねばならないのは理由がある。11月15日から、アメリカでは金融機関の会計基準が一部改められ、独自の計算式を使って推定価格を算出している資産の残高を「レベル3資産」として、定期的に発表しなければならなくなる(「レベル1資産」は、価格が市場で確定できる資産。「レベル2資産」は、独自計算式の推定価格と、確定した価格が混在している資産)。レベル3の資産が多いほど、その金融機関の資産評価は当てにならないとみなされる。サブプライム債券は、ABX指数を使って推定価格を計算すれば、レベル2に組み入れることができる。(関連記事)
この「レベル3資産」の問題と、信用格付け機関によるサブプライム債券の格下げが重なって、10月以降、アメリカのいくつもの金融機関が、サブプライム債券の損失計上を発表することになった。(関連記事)
▼損失総額は1兆ドル?/B>
サブプライムの住宅ローンに関しては、今後さらにローン返済不能の人が増えることが確実視されている。信用格付け機関による各種のサブプライム債券の格下げが続くことは、ほぼ間違いない。米金融界では、値が下がる前の今のうちにサブプライム債券を投げ売りする投資家や、自社の関係会社が発行したサブプライム債券を関係会社ごと清算して損切りする金融機関が多くなっている。投げ売りは、さらなる価格の下落を誘発している。(関連記事その1、その2)
アメリカでのサブプライム債券の発行残高は1兆3000億ドルで、そのうち16%(約2000億ドル)が、10月の段階で90日以上のローン返済滞納になっている。今後は、この比率がさらに増えそうだ。(関連記事)
今秋、アメリカでの住宅ローン債券事業から撤退することを決めた野村証券は、同事業の資産の28%にあたる額を損失として計上したが、これと同じ比率の損失計上がアメリカの金融機関で行われた場合、たとえば大手投資銀行のゴールドマンサックスは資本金の半分が吹き飛んでしまう大損失になる、と指摘する分析者もいる。(ゴールドマンは、まだシティやメリルのような損失計上をしていない)(関連記事)
アメリカの金融危機は、サブプライム以外の高リスク債券の分野にも感染しており、優良(プライム)な住宅ローン債券、クレジットカード債権を証券化した債券(アメリカにおける残高約9000億ドル)、企業買収資金の債券、その他のデリバティブ商品など、金融危機が感染して含み損を拡大している分野はいくつもある。これらを合計すると、金融界全体での最終的な損失は、2500億ドルとも5000億ドルとも1兆ドルとも予測されている。(関連記事その1、その2)
アメリカでは1990年代から金融技術の革命が進行し、各種の新しい金融手法が、金融機関と投資家に巨額の利益をもたらし、それが米経済の活況の原動力となってきた。しかし、サブプライムやデリバティブ、CDO、SIV、ABCPなどといった金融技術を回して構築され、積み上げられたアメリカの金融資産は、いまや、債券の価格形成メカニズムの崩壊という根底からの逆回しによって、短期間に崩壊しかけている。
▼ローン破綻、再利下げ、インフレ、石油高騰の悪循環
サブプライム債券の崩壊を発端とする債券危機は、米経済の全体的な資金調達能力を引き下げ、住宅ローン破綻による消費の減退と相まって、アメリカの景気に悪影響をもたらしている。石油価格の高騰などでインフレがひどくなる中で、連銀は12月の会議で再び利下げをするのではないかという観測が、関係者の間で強くなっている。(関連記事)
9月と10月の連続利下げは、世界的なドル安を引き起こし、原油や金の価格高騰に拍車をかけ、中東産油国や香港などの通貨の対ドルペッグが外れそうになった。原油の先物市場では、すでに1バレル250ドルの先物が売れ始めている。その水準まで高騰すると考えている関係者がいるということだ。(関連記事)
そんな現状下で、再度の利下げは、11月に入ってのサブプライム債券危機の再燃と合わさって、ドルの信用不安を再燃させることは間違いない。アメリカの財政赤字が9兆ドルを超えて増え続けていることも、ドルの信用不安を加速する。世界経済は、どんどん危険な方向に追い込まれている。(関連記事)
イギリスのコラムニスト、ウィル・ハットンは最近、英オブザーバー紙のコラムで、今回の金融危機は30年に一度の大規模なもので、これによって、市場原理を重視する自由主義経済政策の時代は終わるだろうと書いている。ハットンは、今回の金融危機は、3500億ドルのサブプライムの不良債権を抱えるアメリカだけでなく、アメリカのやり方をそっくりコピーして運営してきたイギリスの金融界をも崩壊させると予測している。金融危機は、米英中心の覇権体制を崩壊させるまでの展開になるということである。(関連記事)
リーマン危機の後、金融界が保有する価値が急落した債券を、米当局が財政出動やドル増刷(QE)で買い支えたが、連銀のQE減額が象徴するように、当局による買い支えはすでに限界だ。次回のバブル崩壊時、米当局は不十分な金融救済しかできず、リーマン危機後も何とか延命している債券金融システムが、次回は不可逆的に機能停止するかもしれない。どこまでのことが起きるか予測困難だが、債券の価値が暴落して紙切れに近づき、債券を発行して資金調達できた時代が終わるかもしれない。 (Asset managers could blow us all up)
格下げされても減価しない米国債
2011年8月13日 田中 宇
8月5日にS&Pが米国債を格下げした。常識的に考えると、その後、米国債の価値が下がり、米国債金利が上昇するのが自然だ。しかし実際のところ、米国債の金利は格下げ後も上がっていない。それどころか、株価の下落を嫌気した投資家が、株式市場から米国債市場に資金を移した結果、米国債の価値が急上昇し、米国債を代表する10年ものの金利は史上最低に近い2・1%台まで下がっている。金融市場では、08年のリーマンショック以来の規模で、株式投信から逃避した資金が、米国の短期の国債や公社債で運用するMMFに流入している。 (Risk aversion turns retreat to `stampede')
米国企業のうち、エクソンモービル、ジョンソン&ジョンソン、マイクロソフト、ADPの4社だけが、S&PとムーディーズのトリプルA格を持っている。4社は、ダブルA+の米国債より高い格付けなのだから、社債の利回りが米国債より低くなるのが自然だ。だが、4社の社債の利回りは、米国債が格下げされて1週間たっても、米国債より高いままになっている。今年4月の時点で、4社の社債は、同条件の米国債に比べて0・58%高かった。今では、米国債が格下げされたにもかかわらず逆に金利差が拡大し、0・81%となっている。 (Investors Can't Find Clarity With AAA Company Yields More Than Treasuries)
なぜ米国債は、格下げされても価値が下がらないのか。私の見方は、投資銀行など米金融界が、傘下のヘッジファンドなどに、株式市場から資金を抜いて米国債に流入させ、株式の下落を引き起こすことで、他の一般投資家も米国債に資金を移さざるを得ない状況を作ったのでないかということだ。
米金融界では「米国債を格下げしたS&Pの分析の方が間違っていた。だから市場は、格下げを無視して米国債を買い続け、国債金利が下がっている。基軸通貨としてのドルの地位は低下していない」という説明が散見される。S&Pが米国債を格下げしたのは、リーマンショック以降、米政府が財政赤字を急増させて米国の景気と金融界を救済しようとしたが、景気は改善せず、金融界の改革(債券金融バブルの縮小)も進まないまま、財政赤字の急増だけが続いているからだ。これについて米金融界では「ドルは基軸通貨なのだから、ドルを増刷して米国債の元利償還に当て続ければ問題ない」という見方がある。投資家はそれを知っているので、米国債が買われ続けているというわけだ。
この考え方は、米金融界が何の策略もしていない前提に立っており、その点が私には疑問だ。S&Pに格下げされた後、米国債の金利は全く上昇傾向を見せず、株価の暴落だけが怒涛のように発生した。一般の投資家が自然な投資行動をしたならば、株と同時に米国債の価値も下がるはずだが、それは全く起きていない。この不自然さがあったがゆえに、私には、米金融界が債券市場の大黒柱である米国債市場を守るために株価の暴落を引き起こしたように思える。
「米政府が財政緊縮を行うので、米経済の規模が縮小し、デフレになる。デフレのときに国債金利が下がるのは当然だ。何の不思議もない」という指摘もある。しかし、米政府が大規模な財政緊縮を本当に行うのかどうか、まだわからない。議会とオバマは2・5兆ドルの財政緊縮を決めたが、そのうちの1・5兆ドルはまだ何をどう削るか決まっておらず、最終的に本当に緊縮される「真水」の部分がどのくらいになるかわからない。近年の米政界の財政削減策の多くは、真水の少ない、政治的なごまかしの多いものだ。今回は違うとは誰も言えない。本当に緊縮される財政が少ないのならデフレにならない。 (Why are Treasury prices rising after the S&P downgrade?)
理由はどうあれ、現実は、格下げされても米国債の価値は下がらず、トリプルAの社債より高い価値が維持されている。8月5日のS&Pの米国債格下げ前後に、248億ドルに達していたドルの先物売りの規模は、その後の約1週間で116億ドルに半減した。ドルに対する下落圧力は減少している。 (Specs cut US dollar shorts by more than half-CFTC)
こうした状態があと1-2週間ぐらい続いた場合「米国債を格下げしたS&Pの方が間違っていたんだ」という言説が、米金融マスコミにたくさん出るようになり、ムーディーズやフィッチは米国債を格下げせず、S&Pは米議会に呼び出されて「誤判断」を非難されるかもしれない。S&Pが格下げを撤回することはないだろうが、格下げは市場から無視される傾向となり、事実上「なかったこと」にされるかもしれない。債券市場の崩壊による今よりずっと大きな大混乱を避けたい金融界は、そうしたシナリオを考えているのでないか。
私から見ると、今起きていることは、米国の金融覇権の行方をめぐる、米中枢での暗闘である。米共和党の中には、今回米財政赤字の上限引き上げ問題で米国に対する財政面での国際信用を失墜させた茶会派のように、米国の覇権をあえて自滅させようとしているように見える勢力がいる。茶会派は、連邦政府が、米国の地方自治の伝統を踏みにじって、中央集権的な政治と覇権的な世界戦略を続けていることを嫌い、あえて連邦政府を破綻させ、米国を昔の地方自治主導、孤立主義的な世界戦略の国に戻そうとしている。茶会派のゴッドファーザーであるロン・ポール議員は、以前から、連邦政府や連銀による米国内での独裁体制と、世界における米国の軍事覇権体制は、つぶれた方が良いと言い続けてきた。
米政府の長期的な財政難の原因である、メディケアの将来的な支出急増構造(処方箋薬への適用拡大など)を作ったのは、共和党の前ブッシュ政権だった。ブッシュ政権では、過激なタカ派(ネオコン)がイラク侵攻や中東民主化を掲げ、軍事的に過剰な戦略をやって、米国の軍事力や財政力を浪費し、国際社会における米国の地位を低下させた。リーマンショックへの対策でも、当時のポールソン財務長官らが、金融危機の元凶となったジャンク債の債券金融バブル体制を改革するのでなく、公金投入や連銀のドル増刷によって不良債権を買い取り、債券バブルを延命させる不健全な方策を行った。その後、米金融は現在まで3年延命したが、同時に財政赤字の急増と連銀の勘定の肥大化、棚上げされた住宅ローン不良債権が金融界にいつまでも残る構造などが発生し、次に金融危機が再発したら手がつけられなくなる状況になっている。 (アメリカ財政破綻への道)
私が「隠れ多極主義」と呼んできた、米国中枢の勢力の一部が推進してきた、米国の覇権を自滅させようとする戦略は、19世紀末から続く、大英帝国の覇権体制を解体して新興諸国(発展途上国)の経済成長を引き出そうとする資本家的な動きであると考えられる。それに対抗して、大英帝国の覇権体制を維持しようとする勢力(米英中心主義)は、第二次大戦後、米国の軍事産業(軍産複合体)に取り付いて冷戦構造を作り出し、米英同盟が世界を支配する構図を確立した。それ以来、金融界など米中枢に、多極主義と米英中心主義の両方が存在し、延々と暗闘する構図になった。
1970年代に共和党のニクソン政権(ロックフェラー家に雇われたキッシンジャー)がドルを自滅させたり、米中関係を好転させて冷戦構造に風穴を開けたりして、米英中心主義の体制をぶち壊しかけたが、80年代後半に米英中心主義は「金融自由化」によって債券金融システムの膨張を引き起こし、これを米英中心の世界体制の経済成長の永続化と、米英にとって経済的に脅威になる国々の通貨を、オフショアにためた非公然資金を使って投機筋などに破壊させる「金融覇権体制」を確立した。軍事主導の冷戦構造は不必要になり、冷戦が終結した。 (世界多極化:ニクソン戦略の完成)
今、起きていることは、80年代後半から20年以上続いた金融覇権体制が、バブルを作って潰して金融システムを破壊するやり方によって潰されていることだ。連銀のグリーンスパン前議長は、バブルを作って潰す役割を果たした一人だが、彼は「覇権はアジアに移る」と何度も発言している。キッシンジャーも、次の覇権国は中国だといったようなことをよく言う。オバマは民主党だが、当選に至る過程で金融界と組まざるを得ず、金融界が送り込んだ人々によって、政策を隠れ多極主義的な方向にねじまげられ、米国の経済や外交を立て直せずにいる。
今回の米政界の財政議論と、米国債の格下げによって、米国の金融覇権を自滅させようとする動きが再燃した。しかし、米英中心主義の側は、株式市場を一時的に急落させて債券市場に金を集め、米国債の下落を防ぎ、米覇権の自滅を回避しようとしている。ここ数日、この回避策がしだいに有効な感じを増している。今回の暗闘の一幕は、米英中心主義の勝利に終わるのかもしれない。しかし同時に、米経済が悪化して不況に再突入する傾向がしだいに確定的になっており、今後の数か月以内に、金融危機が再燃する恐れがある。米中枢の暗闘は、まだ決着がついていない。 (U.S. Consumer Confidence Drops to Three-Decade Low Amid Economic Headwinds)
米国で金融危機が再発すると、世界的な金融危機になる。中国も経済難になる。米国で大量発行されたドル建て資金の一部は、中国をはじめとする新興市場諸国に投資されているが、その資金が突然引き揚げる事態が起きる。連銀のQE縮小によってひどい資金流出が起きそうな「脆弱な5カ国」として、ブラジル、インド、南アフリカとBRICSの3カ国と、トルコ、インドネシアが名指しされている。金融危機が再発して米国が崩れる前に、これらの国々が経済崩壊する可能性がある。 (`Fragile five' countries face taper crunch)
中国は、国連などの国際社会において、他のBRICSや発展途上諸国と組んで多極型の新世界秩序を作りつつ、米国の覇権に対抗している。米国の金融システムが再崩壊する過程で、先にBRICSが資金流出に見舞われて潰れると、相対的に中国も弱くなり、金融戦争で中国が米国に勝つ流れにならない。
しかし半面、中国などBRICS諸国はリーマン危機後、米国中心の金融や為替のシステムへの依存を低下させる動きを続けている。中国はまだ人民元の為替相場を基本的にドルに連動させているが、このドルペグをやめていく流れになっている。ドルでなく人民元で決済される貿易の額が増加している。中国と外国の貿易で元で決済される分が、今年の4兆元弱から、来年は6兆元へと5割増になると予測されている(比率的には17%から20%への増加)。中国政府は、2017年ごろまでに人民元の国際利用の自由化を完了しようとしているという。中国とロシアが、経済崩壊しつつある米国のドルを使うことをやめる動きを強めているとの指摘もある。 (Yuan trade settlement to grow by 50% in 2014: Deutsche Bank) (China, Russia 'moving away' from dollar)
中国など新興諸国は今後、時間がたつほど、米国の金融システムやドルに頼らず経済を回していく新世界秩序を確立していく。いますぐ米国の金融が再崩壊すると、中国などへの悪影響が大きいが、3年後ぐらいに再崩壊するなら悪影響はかなり少ないだろう。 (しだいに多極化する世界)
今の国際金融市場を創設したのは米国(米英)だ。だから、先物市場などを使って資金の国際移動を制御する投機や金融兵器の技能は、BRICSより米国の方がはるかにうまい。しかし今後しだいに、為替や先物を使った投機が、国際的に禁止されていくだろう。米国内では、銀行の自己勘定取引を禁止する「ボルカー規制」が、金融界の猛反対を受けて換骨奪胎されつつも、導入されようとしている。米議会では「TPPなどあらゆる貿易協定に、為替投機禁止の条項を入れるべきだ」との主張も出ている。EUの統合策の一環である銀行同盟も、投機をやりにくくする方向だ。 (Our chance to slash the high costs of currency manipulation)
しだいに多極化する世界
2013年11月1日 田中 宇
田中宇といえば「多極化」だ。最近の私の記事は「多極化中毒」と揶揄されかねない状態だ。http://tanakanews.com を見ると、多極化や、その反面である米国覇権の衰退について何らかの言及をした記事がほとんどで、最近とくにその傾向が加速している。今回の記事の題名も「しだいに多極化する世界」で「中毒」がひどくなっている。グーグルで「多極化」を検索すると、上の方に私の記事が出てくるので、日本で多極化というと田中宇だ、といえるかもしれない。
なぜ私が多極化の話ばかり書くかというと、それは多極化や覇権体制の変動が、国際情勢の根幹に存在するもので、しかも、米国の覇権が崩れて世界が多極化する傾向が、最近強まっているからだ。2001年の911事件までの、米国中心の覇権体制が比較的安定していた時期には、世界のマスコミや言論界が覇権体制に言及することは少なかった。政治経済の体制が安定していると、多くの人に、その体制が未来永劫、不変に続くものに見える。現体制が、いくつもあり得る体制の中の一つにすぎないと考える人は少なく、体制分析が出てきにくい。 (The de-Americanisation of the world has begun - emergence of solutions for a multipolar world by 2015)
しかし今のように、米財政危機でドルや米国債の国際信用が揺らいだり、米国がシリア問題の主導役をロシアに任せたり、サウジアラビアの外交担当王子が米国を見放す発言をしたり、国連など国際社会で中露の発言力が拡大したり、米国が持つインターネットの管理権をBRICSや国連が奪おうと動き出したりすると、米国が覇権を持つ世界体制が崩れ、世界が多極化(multipolarization)しつつあるという指摘が国際的に出てくる。「数年前まで、米国の覇権が終わると言うと失笑されたものだが・・・」という言い方をあちこちで読むようになった(日本では、もしかすると今でも失笑を受けるかもしれないが)。 (中東政治の大転換)
「歴史的に見て、金本位制など物質的な支柱を持たず覇権国への信用のみが支柱の『亡霊通貨』になった基軸通貨の寿命は、だいたい40年だ。ドルは1970年代のニクソンショックで亡霊通貨になってから42年だ。ドルの基軸通貨としての歴史は、すでにポルトガルやオランダが覇権国だった時の両国の基軸通貨の寿命より長い」とか「世界中が基軸通貨で財産を貯めようとする結果、基軸通貨は為替が強く国債金利が低くなり、借金と消費(輸入)がしやすくなる。今の米国が、借金による消費漬けで、製造業が弱いのは、覇権国だからだ。ドルと米国債の崩壊を容認し、覇権の重荷を放棄した方が、米経済は蘇生できる」などという指摘も出てきた。英文情報の世界で米覇権衰退と多極化についての言及が増加したため、今回の記事を書こうと私は考えた。 (An Exorbitant Burden)
足下の経済状況を見ると、米国の株式相場は史上最高値の水準だし、米国債も高値(金利安)で、まったく危なそうに見えない。これだけを見ると、米国覇権の失墜や多極化の予測は「失笑」の対象だ。しかし同時に言えるのは、米連銀がリーマン危機再発防止策として続けている、ドルを大量発行して米国債やジャンク債を買い支えるQE(量的緩和策)が、株や債券を押し上げており、QEをやめたら株も債券も下がることだ。連銀の買い支えに依存して、米国ではリーマン危機前を超える空前の規模でジャンク債が発行されている。今の相場は、QEバブルが膨張しており、バブルの規模は史上最大だ。史上最大のバブルがはじける時、史上最大の金融危機が起きる。 (Jim Rogers: 'Catastrophe' Coming, Thanks to Central Banks) (◆米連銀はQEをやめる、やめない、やめる、やめない)
最近、日本の当局が米国債を大量に買い増している。これは「日本が対米従属のため、米国債が崩壊に瀕しているのを知りながら買い支えている」と考えることもできるが、そうではなくて「世界の中央銀行や投資家が、米国債の危険を懸念して買い控え、代わりに円を買って日本国債を買うので、日本政府は円高回避のため、反対売買として米国債を買わざるを得ない」と考えることもできる。世界が買わない分の米国債を買い支える最大の勢力は、日本でなく、QEを続ける米連銀だ。どちらにしても、米国債の国際信用が落ちていることに違いはない。
ドルの代わりの基軸通貨体制として以前から注目されているのが、IMFのSDR(特別引き出し権)など、数種類の諸大国の通貨(ドル、ユーロ、円、人民元など)を加重平均した「バスケット型」の通貨単位だ。第二次大戦中に英国の学者ケインズ(MI6要員)らが構想した、金地金や原油など、数種類の国際相場商品(コモディティ)の価格を加重平均した「バンコール」など商品バスケットを、通貨バスケットと合わせて基軸通貨単位にする構想もある。
これらバスケット型の基軸通貨に対する批判は、ドルが単一の通貨でわかりやすいのと対照的に、バスケットは複雑で、投機筋が通貨や商品の相場を乱高下させてバランスを崩すことで、通貨体制が壊されやすい点だ。ドルは紙幣として広く流通しているが、SDRは紙幣化されておらず、国家間の取引で名目的に使われているだけだ。IMFがSDRの紙幣を発行するとしたら、その前提としてIMFで主導権を持つ米国が、ドルの基軸性をSDRに移譲することに同意する必要がある。米国がその同意をするとは思えない。 (Support for 0.5% Tax on Wall Street Trading Grows in Congress)
しかし世界では今、これらのSDRの難点となる状況を変えようとする動きが進んでいる。その一つは、金融取引課税(トービン税)やタックスヘイブン課税による、投機筋の監視・抑止体制の強化だ。欧州ではすでに、大口の金融取引に0・5%の課税をすることが決定している。米議会でも最近、同様の課税をしようとする動きが開始された。従来、投機筋はどこの国の当局にも知られず活動できたが、課税されるとなると、当局に逐一動きをつかまれ、防御策を張られて投機ができなくなる。金融課税強化を「自由市場を壊す」と批判する主な勢力は、金融界傘下の人々だろう。 (BANK France central bank chief says Robin Hood tax is `enormous risk')
また、IMFやその上位機関である国連における米国の主導権は、中露などBRICSによって剥奪されかけている。国連を主導する安保理事会では、米英仏と中露が拮抗して決定ができない事項が増え、その分、いままで力を削がれていた国連総会の多数決の決定力が増している。多数決なら、先進国より途上国の方が圧倒的に数が多いので、BRICSと途上国の非米連合体の主張が通る。 (国連を乗っ取る反米諸国)
IMFで中国など非米諸国の発言権を拡大する策は、何年も前に決定しているのだが、米国の拒否で進まなかった。しかし今後は、いずれIMFの構造も多極化(BRICS化)されていき、投機筋を抑止して、金融市場の国際管理を強め、SDRを基軸通貨にできる前提が形成されていくのでないか。
以前なら「自由市場」こそ人類のためになるという考え方が世界的に席巻していたが、リーマン危機後、自由市場は米欧金融界の儲けにしかなっていないという見方が広がり、国際市場の管理強化への抵抗感も減っている。従属好きな人々が「代わりの通貨がないのでドルは安泰だ」と高をくくっている間に、ほとんど報じられないまま、通貨の多極化への準備が静かに進んでいる。
予定されている多極型通貨体制では、日本の円も基軸通貨の一つに数えられている。だが日本政府自身は、できるだけ長く対米従属を続けたいらしく、多極化の動きをできる限り無視して、自国の国際力をあえて弱めている。日本は以前、自他ともに「経済大国」を称していた。対米従属だし敗戦国なので「国際政治大国」ではありません、という意味で「経済」が「大国」の前に必ず入っていた。しかし今の日本は「大国」を自称するのをやめて、大国性を失った(もしくは、震災や原発事故でそれどころでない)ので「取り戻す」必要があると称する国になっている。安倍政権の「日本を、取り戻す」という標語は、日本の自己格下げして、多極化される世界の中で大国とみなされないようにする「覇権のがれ」「いないふり」の策に見える。 (ドイツ脱原発の地政学的な意味)
軍事の分野でも、米国の力は、静かに自滅的に削がれている。軍事で最も重要な分野は、兵器の性能ではない。最重要なのは、敵性国や同盟国の中枢が何を考え、どう動きそうかを早く把握する諜報の技能である。今の世界における諜報の中心は、007やハニートラップ的な人的スパイ行為よりも、最近騒がれている米国の「NSA」がやっている信号傍受、通信の盗み見などの信号諜報だ。
元NSAのエドワード・スノーデンによる連続暴露で、NSAが世界中の人々の私的な通信を盗み見していることが国際問題になり、怒ったドイツやブラジルが国連などで通信の盗み見を禁止する国際体制作りに動き出している。中国とロシアも、NSAを抑止した後の世界の通信管理体制の構想を、国連に提出した。ブラジル主導で、BRICSが米国を回避したインターネット網を構築する計画も完工間近だ。これらの動きは、米国の軍事力の根幹に位置するNSAの信号諜報の力を劇的に低下させかねない。 (China to reap harvest of NSA scandals)
また、ドイツやフランス、イタリア、スペインというユーロ圏の4大国が、NSAによる盗聴が発覚して怒っていることは、米国とEUの同盟関係を崩しかねない。もともと来年にはNATO軍がアフガニスタンから撤退し、その後のNATOは米国と欧州が乖離していきそうだと予測されてきた。欧州はEU統合の一環としての軍事統合を進めており、これが具現化するとNATOの必要性が低下する。中東で唯一のNATO加盟国であるトルコも、NATO(米国)に見切りをつけるかのように、NATOのシステムと合わない中国からの地対空ミサイルシステムの購入を決めている。トルコの諜報部は、米国の同盟国であるイスラエルを犠牲にするかたちでの、イランとの連携も強めている。NSA騒動は、もともと崩れかけているNATOの崩壊を早めそうだ。 (Turkey must show allegiance to west as doubts rise over ties) (Turkey blows Israel's cover for Iranian spy ring)
中東では、サウジアラビアの外交担当のバンダル王子が米国からの離反を表明したことも、米国の覇権体制を危機にさらしている。サウジは、その産油余力ゆえに、世界最有力の産油国である。サウジが原油をドルだけで決済し、石油収入のほとんどを米国の金融界に投資してきたことが、ドルの基軸性を支えてきた。 (◆米国を見限ったサウジアラビア)
サウジが米国を見限る動きに出たのは、米国がサウジをいじめすぎたからだ。米国はアラブ諸国の「アラブの春」の民主化・政権転覆活動を支持してきたが、アラブの春を放置すると、いずれサウジでも王政の独裁と、王室による石油収入の独占を批判する声が強まり、王政転覆につながりかねない。米国は、サウジのとなりのイエメンで「アルカイダ退治」と称して武装勢力への無人機による空爆を続けており、これがイエメンを混乱させ、本当にアルカイダの巣窟にしてしまいかねない。イエメンの不安定化は、サウジの不安定化となる。米国がバーレーンの反政府運動を容認していることも、サウジの危機を扇動している。 (End western deference to Saudi petrodollars)
サウジの米国離れの原因は、オバマがシリアのアサド政権やイランとの関係を改善する動きをしたからと報じられている。しかし、サウジにとってイランの台頭よりもっと危険なのは、アラブの春の伝播やバーレーンやイエメンの混乱といった、王政転覆につながりかねない流れの加速だ。それらの流れを止めるには、サウジ王政が対米従属から離れ、米国から批判されてもバーレーンやエジプトの民主化を逆流させ(サウジは、エジプト軍部に金を出してクーデターさせた)、米軍にイエメンから出ていってもらうのが良い。
サウジが米国離れを表明する前から、中国やロシアがサウジと親しくなりたがっている。最大の石油消費国が米国から中国に移り、世界の石油利権の管理者が米英から中国やロシアなど非米諸国に移りつつある。そのような今、中露と組んだ方が、石油の国際市場の管理や、自国の王政維持に好都合だとサウジが考えるのは当然といえる。 (反米諸国に移る石油利権)
米政界で強いタカ派は反サウジ的で、サウジの離反は望むところだという反応が強い。今後サウジが本気で米国から離反すると、ドルの基軸性崩壊と、覇権と通貨の多極化の加速につながるだろう。世界では、目立たないが不可逆的に多極化が進んでいる。
米国の最近の中国戦略は自滅的だ。米国の中国敵視が、中国の台頭を誘発しているともいえる。中国自身は、米国を押しのけて単独覇権国になるつもりがなく、米国と仲良くした方が中国の発展にプラスだとずっと考えてきた。米国が、G8に中国を入れてG9にするなど、対中協調的な単独覇権運営をしていたら、今のように中国がBRICSを誘って米国の覇権に代わる多極型の世界体制を作ろうとすることもなかっただろう。今からでも米国が対中政策を転換すれば、米国の覇権が守られるかもしれないが、米国は来年以降も対中敵視をやめないだろう。米国は、中国に譲歩しつつも中国敵視を続け、さらなる譲歩を余儀なくされる。いずれ米国の金融再崩壊が起こり、覇権が多極型に転換していくだろう。 (中国の台頭を誘発する包囲網)
米国が中国を敵視している限り、敵視策がいかに脆弱なものでも、日本は米国に追随して中国敵視を続けざるを得ない。中国は政治面で、米国を譲歩させるとともに日本を弱い立場に追い込もうとしている。先日の防空識別圏の設定が象徴的だ。米政府の高官たちは、中国の防衛識別圏の設定自体が問題なのでなく、中国大陸と並行して飛ぶだけの民間機にも飛行計画の提出を義務づけた点だけが問題だと言っている。 (頼れなくなる米国との同盟)
中国の台頭を誘発する包囲網
2012年7月18日 田中 宇
7月15日、カンボジアのプノンペンで行われていたASEANの外相会談と地域フォーラム(ASEAN+日中韓米豪NZ印露)が、南シナ海の南沙群島をめぐる領土紛争で声明を出せないまま閉幕した。共同声明を出せないまま閉幕するのは、45年間のASEANの歴史上、初めてのことだ。フィリピンとベトナムが、南沙群島の紛争について共同声明に盛り込むよう求めたのに対し、中国が強く反対した。議長国は、中国の傘下にあるカンボジアで、中国と同じ姿勢をとって南沙問題を声明に盛り込むことを議長権限で拒否したため、声明をまとめられなかった。
今回の事態の底流にあるものは、南沙問題の交渉方法について、フィリピンやベトナムがASEANの多国間での話し合いを求めているのに対し、中国は多国間でなくASEAN外の2国間での交渉を求めている。多国間なら「東南アジア諸国vs中国」の図式になって数が多い東南アジアに有利だが、2国間なら大国である中国に有利だ。とはいえASEANと中国は、2002年の段階で、2国間交渉で解決していくことをすでに合意していた。フィリピンなどは今回、話を蒸し返し、ASEANの共同声明に南沙問題の存在を盛り込み、今後の交渉を多国間方式に転換しようとしている。 (ASEAN's Failures on the South China Sea)
フィリピンやベトナムが強気なのは、米国の後ろ盾があるからだ。米国は、昨年から「アジア重視策」を進め、アジア各地に立ち寄り型の米軍基地を復活させたり、米国とアジア太平洋諸国による中国抜きの自由貿易体制であるTPPを推進したりして、中国包囲網(のように見える)策を展開している。フィリピンでも、米軍艦の寄港や特殊部隊の飛来が増えている。 (Philippines seeks greater US presence)
米政府は、フィリピンやベトナムをそそのかし、中国との対決姿勢を採らせている。今起きている南沙紛争の本質は、米中対立である。中国共産党の機関紙である人民日報は、南沙問題で米国が不和の種をまいていると批判する記事を出した。 (ASEAN summit breaks up amid feuding over South China Sea)
南沙問題で中国とフィリピンは、双方が4月から軍艦や武装漁船を紛争海域に派遣し、にらみ合いが続いていたが、6月中旬に双方が船を紛争海域から撤退させ、やや緊張が緩和した。だがその後1カ月も経たないうちに、ASEAN会議で再び対立が激しくなった。 (China hails Philippines' pullout in South China Sea)
▼米国にそそのかされ中国を敵視する野田政権
最近、米国からそそのかされ、中国と対決する姿勢を再び強めている国が、もっと北方にもある。それは、わが日本だ。7月7日、野田首相が尖閣諸島を国有化する方針を発表した。対抗して、中国は武装した漁船3隻を尖閣諸島の海域に派遣した(中国は、戦争に発展させずに日本やフィリピンを威嚇するため、軍艦でなく非公式的な武装漁船や監視船を紛争海域に派遣する戦術を採っている)。これに対して日本政府は怒りを表明し、丹羽駐中国大使を東京に召還した。日中関係は一気に悪化した。 (Tokyo makes bid to buy disputed islands)
尖閣をめぐる今回の日中対立の激化は、4月に石原東京都知事が訪米中にぶちあげた東京都による尖閣諸島の買い上げ計画を、今になって野田首相が横取りした結果として起きている。野田政権が本気で尖閣を国有地化する気があるのか疑問もあり、支持率低迷の野田が日本人の反中国ナショナリズム感情を使った人気取りの目的で、かけ声だけの尖閣国有化を言って日中関係を意図的に悪化させた可能性もある。 (Japan criticises islands intrusion by China)
しかし、日本の対米従属性の強さから考えて、日中関係を意図的に悪化させるには、事前に米国の了解が必要だろう。フィリピンも日本に似て対米従属が強い(植民地性が露骨なので、国民の反米感情は、隠然植民地である日本よりずっと強いが)。フィリピンが中国との敵対を激化したこととのタイミングの同期を考えると、米国が日本をそそのかし、人気取りの方法としてうってつけだと考えた野田がそれに乗って、尖閣国有化構想を表明して中国との関係を悪化させたと思われる。
(一般に、領有権に不明確さが残りがちな辺境の無人の小島をめぐる隣国との領有権紛争を意図的に燃え上がらせ、ナショナリズムを煽って国民の人気取りをやる政治家の策略は、近代国家の成立以降、世界のあちこちの国で起きている。どのケースでも、対立する両方の国で、多くの国民が、扇動されていると気づかず真面目に激怒し、そんな小島要らねえだろ、地下資源があるなんて誇張だろ、魚もろくに獲らないくせに、などと正鵠を射た発言をうっかり放った人々を袋叩きにして黙らせる)
日本は、冒頭に紹介したプノンペンのASEAN会議でも、南沙問題の早期解決のために多国間交渉を急ぐべきだと表明し、多国間交渉を求めるフィリピンやベトナムの肩を持つ発言を初めて行った。これまで、日本は南沙問題について公式の場でどちらかの肩を持って発言しないようにしてきたが、ここにきて中国との対決をいとわない姿勢に転換した。 (Japan Steps Up to the South China Sea Plate)
▼習近平は胡錦涛より反米になる
冷戦時代のように、米国が本気で中国を封じ込め続ける戦略的な意志と能力があるなら、日本やフィリピンが米国に扇動されて中国と敵対することが、国家戦略として意味がある。しかし、今の米政府には、中国を封じ込め続けられる能力がなく、たぶん意志もない。米国にとって中国は、最大の米国債の買い手であり、貿易相手であり、投資先である。ユーロ危機や中東問題、地球温暖化問題などでも、中国は、米国にとって協力を仰がねばならない大国の一つだ。先日のASEAN地域フォーラムでも、米中の外相会談が行われ、南沙紛争の早期解決に努力することで合意している。 (US and China vow closer co-operation)
ロシアは、冷戦末期に米国より先に自国が破綻した経験を持つこともあり、米国の覇権が破綻すれば良いと考える傾向が強いが、中国は、もう少し米国の覇権に協力的だ。リーマンショック以前に、米国が中国にG8に入れと誘っていたら、中国は入っていただろう(実際、米国は中国を誘っていない)。リーマンショック以後、米国は、ドルの基軸通貨性、健全な国際金融システム、まっとうな外交姿勢と国際機関の運営など、世界を運営していく能力が崩れたままだ。米欧が衰退し、中露などBRICSが台頭する多極化が進んでいるのに、米国は中露と協調せず敵視し、好戦的な外交姿勢や、身勝手な世界運営を続けている。 (China Shuns US And Invests Direct In Iran Oil-Fields)
しかたがないので中国はロシアに接近し、BRICSや上海協力機構など米国に頼らない国際組織を拡充し、ドルでなく各自の通貨を使った貿易を拡大し、国連機関の主導権を米欧からBRICSに移そうとしている。昨年から米国が「アジア重視」の名のもとに中国敵視を強めていることは、中国に、米国の世界運営に協力しようと考える気持ちを萎えさせ、米国に頼らないBRICSや途上諸国による世界運営を強化する気にさせる。米国が日本やフィリピンをけしかけて中国と敵対させるほど、中国は米国の世界運営に協力しなくなり、ロシアと同様、米国の覇権を潰そうとする姿勢に傾く。 (China Shuns US And Invests Direct In Iran Oil-Fields)
中国の外交戦略は従来、米国の覇権に協力する傾向が強い外交部(外務省)が決めてきたが、近年は反米的な軍部(人民解放軍)が政治台頭し、米国の覇権を潰してしまえという論調が中国の上層部で強まっている。外交部の系統の外交官や学者の多くは米英留学組であり、軍の幹部から見ると「あいつらは米英に洗脳されたエージェントだ」という話になる。中国では、市民の間でも反米的な世論が強まっている。 (China's Hawks in Command)
そんな中、中国では今年から来年にかけて、胡錦涛から習近平に権力が移る。習近平は、できるだけ早く権力を掌握するため、軍や世論との齟齬を嫌い、胡錦涛よりも反米的な外交姿勢をとると予測される。米国が日本やフィリピンを操って中国を敵視するほど、中国の上層部や市民が反米嫌いを強め、引きずられて習近平の姿勢も反米的になる。中国が本気で米国を敵視するようになると、米国債を買わなくなって米政府財政とドルの破綻を誘発したり、世界運営の主導権を米国からBRICSに移行させたがるだろう。 (Is the PLA a Paper Dragon?)
米国にそそのかされ、日本やフィリピンが中国敵視策を強めるほど、中国は米国の覇権を壊す気になる。今秋から来年にかけて米国で金融や財政の危機が起こる確率が高まっている。この時期に米国が中国を反米の方に押しやると、危機と中国の両面から、米国の覇権が崩されかねない。 (How Bernanke will cause the next crash before 2014)
米国の覇権が崩れると、日本やフィリピンは国是である対米従属ができなくなり、代わりに対中従属の傾向を強めざるを得なくなる(日本は鎖国の傾向も強まる。フィリピンの上層部は華人が多いので、特に対中従属が強くなるだろう)。中国を敵視しているつもりが、実は中国を強化していることになる。米国は、中国と協調すれば覇権を延命させられるのに、逆に中国敵視を強めており、覇権の瓦解を自滅的に前倒ししている。 (`US self-destruction a matter of time')
米国の右派からは「フィリピンのために戦争するのは馬鹿げている」という論調も出ている。自国の自滅を避けるには、この視点がまっとうだが、こうした論調は米国で全くの少数派だ。この主張をしているダグ・バンドウは、米軍を日韓に駐留させる必要はない、日韓は十分に自衛できると言い続けてきた人でもある。 (No War for Manila By Doug Bandow)
▼多極型世界と日本の行方
先日、ロシアのメドベージェフ首相が国後島を訪問した。この外交的行動も、日本が米国にそそのかされて中国敵視を強めていることと関係ありそうだ。メドベージェフは大統領だった2010年11月にも国後島を訪問したが、この時は、対米従属政治家の筆頭だった前原元国交相が同年9月、尖閣諸島沖で操業していた中国漁船の船長を逮捕して日中間の敵対関係を意図的に強めた直後だった。日本が米国の差し金で中国敵視を強めるたびに、メドベージェフが「絶対返さないぞ」という感じで国後島を視察しにくる。 (メドベージェフ北方領土訪問の意味)
自国の極東シベリア開発を進めたいロシアは、一方で、日本との関係を改善して、外国勢として中国だけが極東シベリア開発に投資している現状を多様化したい。だが他方、日本が中国敵視を強めるたびに、ロシアはその喧嘩を勝手に買い、北方領土を訪問して中国を応援してみせる。プーチンが日本に「仲良くしよう」と言う一方で、メドベージェフが日本に「島は絶対返さないぞ」と言う役割分担になっているようにも見える。 (Russia-Japan territorial row flares up)
今後、米国(米英)の覇権が崩れて世界の覇権体制が多極型に転換すると、世界における日本の位置づけは、従来よりかなり低下するかもしれない。米国の覇権体制は、英国の覇権を継承したものだが、英国の覇権構造は19世紀から20世紀前半の海軍の時代に作られた「ユーラシア包囲網」だった。そこにおいては、ユーラシア大陸の英国の反対側の端にある、英国の鏡像的な位置にある島国の日本は、非常に重要な地理的な位置を占めていた。
だから英国(欧州列強)は、中国や東南アジアを植民地化したのに、日本だけは独立と近代化・工業化・軍事大国化を許し、支援した。米国の冷戦構造も、英国のユーラシア包囲網の焼き直しだから、戦後も日本は地理的に米英にとって重要だった。日本が近代化に成功した理由は、日本人の勤勉性よりも、地理的な位置だったのかもしれない。数年前から米英の覇権が崩れると同時に、日本は元気のない国になってしまった。
多極型の世界は、これまで包囲されていた中露などユーラシアの内側が、多極化された覇権の一端を担う。ユーラシア包囲網の概念は過去のものとなる。今後、日本が覇権体制の道具として重視されることはなくなる。逆に言うと、きたるべき多極型の世界構造の中で、もし日本が再び発展して隆々とした国になれるなら、それこそ日本人の勤勉性の結果であると言える。
対照的に日本は、中国の識別圏に、日本が領土と主張する尖閣諸島が入っている以上、識別圏の設定自体を認めるわけにいかない。米国は、デンプシー統合参謀議長が記者会見で「中国の識別圏設定自体が問題なのではない」と言った時点で、尖閣諸島が日本の領土だという立場をとらないことを明確にしてしまっている。米政府は、尖閣諸島は日本の領土だと明言していない。尖閣は日本が実効支配しているので日米安保条約の対象地だと米政府は表明しているが、もし中国軍が尖閣を奪って中国の実効支配下に入ったら、自動的に日米安保の対象地から外れかねない。 (米国にはしごを外されそうな日本)
頼れなくなる米国との同盟
2013年12月2日 田中 宇
この記事は「米国が中国を怒らせるほどドルが危なくなる」(田中宇プラス)の続きです。
11月23日に中国が、尖閣諸島を含む東シナ海の空域を、進入前に中国への事前通告を必要とする「防衛識別圏」に設定した。日本政府は強く抗議し、米国も中国を批判しつつ、日本の実効支配下にある尖閣諸島が日米安保条約の対象地であると、あらためて表明した。11月25日には、米軍の戦闘機2機が、中国をあなどるかのように、事前通告なしに、中国が新設した識別圏のなかを飛行した。中国は、これに対する戦闘機の緊急発進をしなかった。けしからん中国に米国が一発かましてやったと、喜んだ人が多かったかもしない。尖閣問題で中国と対立することで日米同盟(対米従属)を強化するという、尖閣国有化以来の日本政府の策略が結実した(ように見えた)瞬間だった。 (Playing Chicken in the East China Sea)
しかし、日本にとって有利な状況は一週間も持たなかった。米国務省は11月29日「米国の民間航空会社が、中国の防空識別圏の設定に従うことを望む」という趣旨の発表をおこなった。米国務省は、この表明によって中国の識別圏が尖閣諸島を含んでいることを容認したわけでなく、中国が尖閣を含む識別圏を設定したことは問題だと言いつつも、米国の民間航空機が中国の識別圏の設定を遵守して、進入前に中国に飛行計画を提出するよう求めた。 (US urges airlines to comply with China air rules)
すでにシンガポール航空や、オーストラリアのカンタス航空は、中国の識別圏設定を守ることを表明している。韓国は、中国の識別圏設定に弱々しいながら反対を表明したが、大韓航空は、中国の設定を遵守することを決めたと報じられている。遵守しないと宣言しているのは、日本政府の要請を受けた日本航空と全日空だけになっている。 (US carriers urged to comply with China air zone rules)
日米など景気が悪い先進国の航空市場がふるわないのと対照的に、中国は、空港や国内線・国際線の航空路を増やしている。日米豪韓などの、アジアを重視する航空会社にとって、中国市場でうまくやっていくこと、中国当局と関係を良くしておくことは、利益の増減に直結する重要事項だ。中国の識別圏設定をけしからん、容認できない、と非難・威嚇するのが策である政府間の防衛・外交の関係と対照的に、航空業界から見た経済関係では、中国が設定した新規則に喜んで従うのが良いことになる。 (Japan to take up spat over China air zone with US)
米政府は近年、米国の大企業からの圧力・要請にとても弱くなっている。米大企業群の言いなりで、米議会も知らない秘密会議で貿易協定の内容が決まるTPPがその象徴だ。米国の連銀や財務省が金融界を救済するためにドルや米国債の過剰発行をやめられない量的緩和策(QE)もその一つだ。中国路線の拡大に積極的なアメリカン、デルタ、ユナイテッドなどの経営者が、オバマ政権の中枢に電話して、中国が米航空界に意地悪したくなる事態にしないでくれと要請したのでないか。連邦航空局(FAA)は、日本外務省からの問い合わせに対し、中国の識別圏を守れと米航空界に要請していないと答えたそうだが、中国の規則を守りたい(中国を怒らせたくない)のはFAAなど米当局より、米航空業界の方である。 (貿易協定と国家統合)
日本航空と全日空も、中国路線の拡充に力を入れてきた。だから、中国が識別圏を設定したら2社はすぐ遵守することを決めた。しかしその後、日本政府が2社に要請(事実上命令)して、2社は中国の識別圏を無視することになった。米国は政府より大企業が強いが、日本は官僚独裁だから、大企業より政府が強い。米政府は日本政府より強いから、強い順に並べると、米企業、米政府、日本政府、日本企業の順番になる。今後、日本の日航と全日空は、中国でのビジネスがやりにくくなる。中国に連絡せずに中国に向かって飛ぶ2社の旅客機が、中国の戦闘機に追尾されるかもしれない。乗客は恐怖を味わい、2社の中国線に乗る人が減るかもしれない。その穴を埋めるのは、米国や豪韓など、さっさと中国の識別圏設定を遵守した航空会社だろう。中国との戦いは、軍事や政治でなく、経済で勝敗が決まる。
米政府は、中国の識別圏を無視する威嚇的な戦闘機の飛行をやったのに、その後、自国の航空界に識別圏を遵守させるところまで腰が引け、譲歩してしまった。今夏のシリア空爆問題などと同様、米オバマ政権は、当初の強硬姿勢を後から崩す優柔不断さを世界に露呈している。地元の同盟国が、米国の当初の強硬姿勢に迎合して自国も強硬姿勢をとると、あとで米国にはしごを外されてひどい目に遭い、米国を信用できなくなる。シリアやイランの問題では、サウジアラビアとイスラエルがそのような目にあった。サウジ王政は対米従属戦略の見直しを表明し、イスラエルも裏で方向転換しているふしがある。 (米国を見限ったサウジアラビア) (サウジとイスラエルの米国離れで起きたエジプト政変)
尖閣問題では、日本が、サウジやイスラエルの位置にいる。今回、日本の右派からは、日本政府がせっかく自国の航空会社に識別圏無視のリスクをとらせたのに、その数日後に米政府が自国の航空会社に識別圏遵守を求めたので、中国に対する国際的な厳しい態度が崩れてしまったと、米国の優柔不断さ、態度のゆらぎを批判する声が出ている。対中関係での米国の優柔不断は、経済面で親中国が良いが、軍事政治面で反中国が良いという矛盾から発している。中国が内需拡大策に転じて成長し、米国の実体経済の悪化が進むほど、経政の矛盾がひどくなり、米国は優柔不断を増すだろう。
サウジやイスラエルの先例が示すように、対米従属(あるいは逆に、イスラエルのように米国の戦略を牛耳って自国の力にする策)は、国家戦略としてリスクが高くなっている。リスクを軽減するには、対米従属を国是から外していくしかない。「米国はけしからん」という主張は「対米従属をやめよう」という主張と紙一重の差に見える。しかし今の日本では、対米従属をやめようという主張が大きな声にならない。右からの米国批判が出てもすぐ消される(左からの主張は誰も聞かない)。日本の右派は戦後ずっと米国の傘下の反共産主義の道具であり、世論の拡声器機能であるマスコミも、対米従属を固持する官僚機構の配下にある。米国が「お上」の地位にある限り、官僚は「米国の意を受けて動く人々」として政治家(国会)より上位にあり、隠然とした官僚独裁体制を維持できる。
今後、米国の覇権が低下して中国などBRICSの多極型覇権が台頭する傾向がさらに進むだろうから、米国と連携して動く外交軍事戦略を持つことのリスクはますます高まる。日本は、いつまで対米従属を続けるか。中国が日本に対して強硬姿勢に出たら、米国は弱体化する中で、どう対応するのか。中国は、そのあたりを見極めようとして、尖閣問題で日本に売られた喧嘩を倍返しにするようなことを連発している。 (China media identifies Japan as 'prime target' of Beijing's air zone)
欧州では、EUがウクライナ、アルメニア、グルジア、モルドバといったロシア近傍の国々と経済協力関係を強化して取り込もうとした矢先、ロシアが各国に圧力をかけてEUとの関係強化を阻み、逆にロシアを中心とする関税同盟に入れと圧力をかけている。アルメニアは、すでに9月にEUとの関係強化をやめてロシアとの関税同盟に入ると表明した。最近では、ウクライナも同様の決定をしている。これらの動きの背景にあるのも、米国の覇権の衰退だ。 (Ukraine serves Putin a foreign policy triumph)
EUは東欧諸国に対し、経済発展を加速できるEUとの関係強化の見返りに、民主化や人権重視、欧米型の経済規範を取り入れよという条件を出してきた。これらの条件は、いずれも米国の覇権体制が重視してきたもので、EUは米覇権の一部として、東欧を取り込もうとしてきた。しかし今、EUの後ろ盾としての米国の覇権力が弱まり、経済の面でも、米欧とつき合うより中露などBRICSとつき合った方が儲かる事態になっている。米国の後ろ盾を失うと、東欧から見たEUの魅力は半減する。ロシアは、中東で米国の影響力が弱くなり、自国の政治力が強まった流れに乗って自信をつけ、EUを妨害して近傍諸国を自国に取り込む動きを強めている。ロシアがウクライナなどを取り込もうとする動きと、中国が尖閣問題の強硬姿勢で日米同盟の強さを試す動きは、米国の覇権弱体化を受けた動きとして同根だ。
中国の識別圏設定は、こういった日本と米国の立場の違いを浮き彫りにした。日本が米国にはしごを外され、日本の航空会社だけが飛行計画の提出を拒否している日本の孤立が顕在化した時点で、識別圏を設定した中国の策略が成功したことになる。中国政府は、識別圏問題で日本を不利に立場に追い込んだ後、次は南シナ海に識別圏を設定するのかと恐れる東南アジア諸国に対し「識別圏は日本をおとしめるためのものであり、南シナ海には設定しない」と示唆し、東南アジアを安堵させている。日本だけが窮している。尖閣紛争は、棚上げしたままの方が日本にとって得策だった。 (中国敵視は日本を孤立させる) (尖閣で中国と対立するのは愚策)
米国にはしごを外されそうな日本
2013年12月9日 田中 宇
米国の国際政治雑誌フォーリンポリシーのブログに、オバマ政権と米国防総省の高官たちが、中国による東シナ海への防空識別圏の設定を、容認する姿勢を見せ始めたとする記事が載った。中国の識別圏設定に関して米国として容認できない点は、識別圏を設定したこと自体でなく、識別圏設定のやり方であると、高官らが言っている。識別圏に入ってくる外国の飛行機の中には、中国の領空に入らず、中国大陸に並行するコースで公海上を飛んでいくだけのものも多く、並行して飛ぶだけなら中国にとって何の脅威もない。それなのに中国政府は、識別圏に入ってくる外国の飛行機のすべてに、飛行計画の提出を求めている。こうした識別圏の設定方法が問題だと、米高官たちが言っている。 (Team Obama Changes Course, Appears to Accept China Air Defense Zone)
米高官らは中国に対し、できれば識別圏設定を撤回してほしいが、それは長期的に中国と交渉するとして、中国が、並行コースを飛ぶ飛行機を識別圏設定の対象から外す改善をしたり、日本との緊張を解く外交努力をするなら、とりあえず中国の識別圏そのものは一時的に認めるという新しい姿勢をとり始めている。米国が中国の識別圏設定を認めてしまうことは、日米が組んで中国に識別圏を撤回させようとすることで日米同盟を強化できる(中国は拒否するだろうから対立は長引き、ますます日米同盟が強まる)と考えてきた日本にとって失望になる。
問題の発言は、12月4日に米国防総省でヘーゲル国防長官とデンプシー統合参謀本部議長が行った記者会見で発せられた。国防総省が発表した記者会見録によると、記者が「中国は識別圏設定を撤回すべきだと考えるか」などと質問したのに対し、ヘーゲルは「識別圏自体は、新規なことでなく、特別なことでもない。最大の問題は、今回の措置が、非常に一方的に、関係諸国との事前協議なしに行われたことだ」とこたえた。デンプシーは「国際規範では、識別圏内に入る飛行機のうち、その先の領空に入る予定のものだけが、設定国に事前報告すればよい。それなのに中国は、識別圏に入ってくるすべてに対し、報告を求めている。この点が問題だ」と述べた。 (Department of Defense Press Briefing by Secretary Hagel and General Dempsey in the Pentagon Briefing Room)
米国はこれまでも、訓練と称して米軍機をあえて新設の識別圏に突入させ、中国の識別圏設定に絶対反対の態度を示した数日後、米国の航空会社に対し、中国の識別圏設定にしたがって飛行計画を出すことを求めるなど、強硬姿勢と宥和姿勢の間を行ったりきたりして態度が定まらない。「中国の識別圏設定に対する米政府の態度は日によって変わる」と揶揄されている。 (Obama admin. signals U.S. will accept China's Air Defense Zone) (従属のための自立)
12月3日に来日したバイデン副大統領は、東京で、中国による識別圏の設定が、東アジアの緊張を高める動きであるとして懸念を表明した。しかし、日本側が望んでいた、日米で中国に識別圏設定の撤回を迫るところまで行かず、日米は懸念と不容認の態度を表明するだけで終わった。バイデンは、東京の後に訪問した北京で習近平主席と5時間も会談し、識別圏の話も出たとされるが、記者会見では識別圏の件を何も言わなかった(東京での安倍バイデン会談は1時間半だった)。バイデンは習近平に対し、識別圏の設定を撤回させようとするのでなく、日本との敵対を緩和する対話の仕組みを作るよう求める姿勢をとった。バイデンの言動からも、米国が、中国の識別圏設定自体を問題にしているのでないことがうかがえる。 (China gives no ground to Biden in air zone dispute)
バイデンが習近平に、日本との対話強化を要請した後の12月7日、安倍首相が、習近平に会談を呼びかけた。安倍は就任後、まだ習近平と会談していない。これまで中国を許さない態度をとってきた安倍が、急に習近平と会いたがるのは奇妙だ。安倍が本気で習近平と会談する気があるのか不明だが、バイデンが習近平に「日本との緊張を高めるな」と求めたら、習近平は「緊張を高めているのは日本の方だ。日本にも緊張緩和せよと言ってくれ」と切り返し、それを受けて米国側が安倍に「習近平と会うぐらいしたらどうか」と言ったのかもしれない。安倍の動きからも、米国が、日本と組んで中国と敵対する姿勢をやめて、中国に譲歩するとともに、日本をなだめに入っていることが見え隠れしている。 (Japan's Abe seeks summit with China's XI)
11月23日に中国が防空識別圏を設定した直後は、米国が日本を誘って中国との敵対を強め、日米対中国の戦争が近いと感じられる緊張状態だったが、結局のところ、米国は日本の中国敵視策を煽っておいて、日本がその気になり、国会が中国非難を決議した後になって、米国は、中国の識別圏設定を容認する譲歩をめだたないように開始し、日本が米国にはしごを外される懸念が強まっている。米国は今後、再び中国敵視を強めるかもしれないが、その場合、さらに後でまた中国に譲歩することが繰り返されるだろう。米国が中国に対して強い姿勢をとり続けられないことが判明するほど、中国は、真綿で首を絞めるように、隠然と長期的に、貿易・経済面などで日本に報復するだろう。イラン敵視策で米国にはしごを外されたイスラエルを見るまでもなく、同盟国にとって米国は、あてにできない国になっている。こうした状況について、日本国内でほとんど指摘する人がいないのもまずい。 (頼れなくなる米国との同盟)
日本はかつて国際政治上、米国と並んで、英国を模範としてきた。国際協調主義をとりつつ自国に好都合な世界体制を維持する英国の世界戦略は、過激でむら気があり不可解な米国の戦略より、日本にとってなじみがある。日本は「対米従属」でなく「対英従属」だったといってもいいぐらいだ。しかし今や、中国との関係において、英国は、日本とまったく逆の方向に進んでいる。英国のキャメロン首相は12月初め、百人以上の英財界人を引き連れて中国を訪問した。キャメロンは、中国との貿易や、ロンドンを対中投資の世界最大のオフショア市場にしたい金融分野など、経済での中国との関係強化を重視するあまり、中国がいやがる防空識別圏やチベット、人権問題などの話を、首脳会談や記者会見の席でまったく出さなかった。 (A painful lesson in how not to deal with China)
英国は、キャメロン自身がつい2年ほど前まで、あえてダライラマと面会して中国を怒らせるなど、積極的な中国敵視策ととり、米英同盟を最重視してきた。だが、米国の金融システムがリーマン危機後延命するだけで蘇生せず、いずれ米国覇権を崩壊させる金融危機再発が不可避と予測されるうえ、中国などBRICSが台頭して多極化が不可逆的に進んでいる。英国は財政破綻のふちにあり、経済難と貧富格差拡大が続き、英国民の4分の1が食糧難の貧困状態にある。キャメロンは中国政策を大転換し、中国との経済関係を強化して英経済を救う動きを開始している。国内の原子力発電所の建設を中国に発注し、中国の国際的な原発売り込みの宣伝役を買って出る半面、人権問題などで中国を困らせるのをきっぱりやめて、米国の右派に揶揄されている。 (Quarter of UK adults in food poverty)
英国は、米国が敵視をやめたイランにも接近し、外交関係を復活する半面、米国からはしごを外されてイラン敵視をやめられないイスラエルに対し、パレスチナ問題での非難を強め、容赦なく水に落ちた犬を打っている。英国はずるい国だが、国際政治の先読みをして機先を制するのが得意だ。日本が、中国にすり寄る英国を批判しつつ、中国敵視を続けていると、いずれ米国からはしごを外され、英国の後塵を拝するかたちで、日本自身が中国にすり寄らねばならなくなるかもしれない。中国は、すり寄ってくる者に対して傲慢に振る舞うので、中国に媚を売るのは良くない。しかし同時に、米国からはしごを外されて中国に負ける可能性が高いのに、中国との敵対を加速する今の日本も、ばかげたことをやっている。日本はできるだけ早く、自国の尊厳を維持できるかたちで、中国と和解していくべきだ。
中国敵視は日本を孤立させる
2013年1月30日 田中 宇
1月24日、国連が、尖閣諸島が中国外縁の大陸棚の一部であるとする中国の主張について、今年7-8月に検討会合を開くことを決めた。国連は海洋法条約で、陸地に引き続く傾斜が穏やかな海底を大陸棚と呼び、陸地が属する国の領海(陸地から12海里)の外にあるが、漁業や資源開発などその国の経済利権が認められる排他的排他水域にできるとしている。中国は国連に、尖閣諸島が中国の大陸棚の一部と認めさせることで、地理的な観点からみて尖閣諸島が中国の領土であるべきだという話にしようとしている。 (U.N. to consider validity of China's claim over disputed islands)
かりに今夏、国連が尖閣諸島を中国の大陸棚の一部だと認めたとしても、それで国連が尖閣を中国領と認めたことにはならない。だが、尖閣が地理的な本来性として中国の一部だと国際的に認められると、中国の「尖閣諸島は本来中国の領土なのに、日本は、中国が弱体化していた日清戦争中に、どさくさ紛れに尖閣を自国領だと閣議で勝手に決定し、それ以来不法占領している」という主張が補強される。 (尖閣で中国と対立するのは愚策)
「尖閣は本来、中国領であるべきなのに、日本が帝国主義時代に奪ったまま占領している」という中国側の見方が国際的に定着しかねない。日本側の見方は「中国は1980年代に海底ガス田が見つかるまで、尖閣の領土権をほとんど主張していなかったくせに、今になってとんでもない詭弁を発している」というものだが、その見方は国際的に少数派に転じていきかねない。「尖閣は、今でこそ無人島だが、以前は日本人が住んでいた」という日本側の主張も、中国側からすると「日本は、中国から奪った島に入植を試みていただけだ」となってしまう。 (中国は日本と戦争する気かも)
ここ数年、国連ではBRICSや発展途上諸国の発言力が増加し、米英から主導権を奪いつつある。安保理常任理事国でもある中国は以前から、国連で途上諸国の利益を代弁する国を自認している。911以来、米国の覇権戦略が自滅的に失敗しているのに反比例して、中国が国連で発言力を増している。中国は、尖閣に関する中国の大陸棚の主張を検討する国連の委員会に大きな圧力をかけるはずだ。 (国連を乗っ取る反米諸国)
米国は911以来、単独覇権の姿勢で、国連を軽視して隠微な政治工作を怠り、力任せに動かそうとする姿勢で、その結果、国連を中国など途上諸国に乗っ取られた。日本は米国に頼りにくくなっている。尖閣問題が、日中対立の激化によって安保理に出てくるような大問題に発展したら、米国は日本に味方して、中国主導の案に拒否権を発動してくれるだろう。だが、パレスチナ問題のイスラエル非難決議を米国が拒否権発動で潰し続ける姿に象徴されるように、米国の拒否権発動で守ってもらう国は邪悪だと見られるようになっている。 (悪者にされるイスラエル)
日本人は、尖閣を奪おうとする中国こそ侵略国だと思うが、世界はそのように見ず、むしろ尖閣は「日本が帝国主義的に奪った領土」と見られそうだ。日本は、中国の巧妙な外交策によって、孤立させられる方向にある。日本が突っ張っていると、南京大虐殺や従軍慰安婦など「戦争犯罪」問題と連動させられ、国際的に悪者にされる傾向が強まる。日本はこれまで経済力があったのでアジア諸国から尊重されたが、日本の経済力が落ちて中国の経済力が増す今後は、その点も変わりそうだ。 (◆日中韓協調策に乗れない日本)
日中は話し合おうとする姿勢を見せるが、それはたぶん日中双方の政府の本心でない。中国は習近平政権になって「いつでも戦争できる態勢」をめざし、軍の幹部を大幅に入れ替えている。 (Inside China: War hysteria blamed on U.S.)
日本では安倍政権が、伝統的に親中国である連立与党の公明党の要人を中国に派遣し、習近平は安倍と会ってもよいと言ったという。だが日本側では、安倍の特使が訪中するのと同時期に、安倍の外交顧問役である米国筋と親しい外務省の元高官が香港で中国人を集めたシンポジウムで中国批判の講演を発し、日中の敵対を扇動した。日中とも、和解姿勢は表向きだけだ。 (Abe's adviser blasts China in barbed Hong Kong speech) (China's Xi Agrees to Consider Summit, Japan Envoy Says)
力任せの外交が目立っても、米国が本気で中国包囲網策を続けてくれるなら、まだ日本にとって安心だ。だが、米オバマ政権がいつまで中国包囲網策を続けるのか、口だけで実体が薄くなるのでないか、懸念が増している。中道派(国際協調派)のジョン・ケリーが米国務長官になり、同じ傾向のチャック・ヘーゲルが国防長官になりそうだが、2人は、米国が効率的に世界の諸問題を解決できるよう、途上諸国を率いる大国となった中国の協力を得るのが良いと考えている。 (The Asian Pivot Under New Management) (◆2期目のオバマは中国に接近しそう)
米国は、外交軍事面で中国と敵対的だが、経済面では密接につながっている。米国企業にとって中国は巨大な生産拠点・投資先であり、米国が中国を経済制裁すると米国も大打撃を受けるので、制裁できない。米国の中国包囲網は持続困難な、中途半端な戦略だ。 (America's Pivot: One Big Contradiction)
米政府は、尖閣を日米安保条約の範囲内だと言っているが、その根拠は尖閣が日本の実効支配下にあるからであり、尖閣が中国側に奪われた状態が続くと、尖閣は中国の実効支配下に移り、日米安保から外れてしまう。安倍首相は就任してすぐ訪米したかったが、米国側から延期を要請された。その理由は、日中の対立が激化し、安倍の訪米を許すと、オバマが日本の肩を持った感じが強くなり、米国が中立を保てなくなるからだと米国で報じられた。 (As Dispute Over Islands Escalates, Japan and China Send Fighter Jets to the Scene)
日本政府は、尖閣の土地を国有化して中国との対立をあえて煽ったが、その本意は、日中対立を米国の中国包囲網策の一環として機能させ、日米同盟が中国と敵対する態勢を作ることで、日本の対米従属を強化することだ。実際のところ米国は、経済面で中国とつながっており、本格的に中国と敵対し続けられない。米国の中国包囲網はあやふやな戦略なのに、日本はそれに頼って中国との敵対を強め、国際的に孤立しそうになっている。経済的にも、米国が中国との密接な関係を維持しているのに、日本だけ経済界が中国に投資できない敵対関係を作ってしまい、自滅的に国民生活の窮乏を加速している。 (USA considers scenario of war with China)
米国の単独覇権戦略の失敗と反比例して、中国の国際影響力が拡大している。先日は、トルコのエルドアン首相が「EUが入れてくれないなら、トルコは上海協力機構に入れてもらう」とテレビ番組で発言し、物議を醸している。上海機構は中国が主導し、ロシア、中央アジア諸国などが加盟する、ユーラシア西部の安全保障や経済協力の国際機関だ。上海機構には、インドとパキスタン、アフガニスタン、イランなどが正式加盟の手前のオブザーバーで参加し、トルコはそれらの国々の外側にいる友人的な「戦略パートナー」になっている。 (Erdogan's Shanghai Organization Remarks Lead To Confusion, Concern)
エルドアンは昨年7月ロシアのプーチン大統領と会った時に「上海機構に入れてくれたらEUのことは忘れる」と語ったが、トルコ政府は事後に、あれは冗談だったと釈明した。EUがトルコを加盟させるとは思えないので、トルコが上海機構に入る話は、今後さらに真剣味を増し、いずれ実現しそうだ。 (Erdogan: Shanghai Cooperation Organisation an alternative to EU)
トルコは、米英主導のNATOに加盟している。NATOは反ロシア的な国際安保組織で、911後のアフガニスタン駐留によってユーラシア西部への影響力行使をめざした。米英主導のNATOと、中露主導の上海機構は、ユーラシア西部の覇権を争う関係にある。トルコが上海機構に入ることは、NATOを捨てることになり、トルコが米英(米EU)の側から中露(アジア)の側に鞍替えするという、地政学的な転換を表している。
実際のところ、トルコが上海機構に入ることは、NATOを捨てることにならない。NATOは来年のアフガン撤退後、実質的な影響力を大幅が減少するだろう。最悪の場合、NATOの組織は残るが、事実上の解散状態になる。EUはユーロ危機対策の口実で政治統合を進め、その一環として軍事統合を加速している。EUの軍事統合が具現化すると、米国が西欧を守るのが基本構造だったNATOは不必要、もしくはEUの自主的な外交安保策にとって邪魔になる。EUは、NATOがアフガン撤退後に機能低下することや、財政難の米国が欧州を含む世界から軍事撤退していくことを視野に入れて軍事統合を進めている感じだ。 (ユーロ危機からEU統合強化へ)
EUにとってNATOが不必要・邪魔になるのなら、NATOの機能低下は不可避であり、トルコが加盟し続ける意味もなくなる。NATOが有名無実化するなら、トルコは別の安保策を考えねばならない。トルコはもともと中央アジアから民族大移動してきた伝説的歴史(歴史的伝説)があり、中央アジアに地政学的な関心がある。NATOが無力化するなら、上海機構に早めに入った方が良いと、トルコ政府が考えるのは当然だ。 (China could prove ultimate winner in Afghanistan)
上海機構は、もともと中国が中央アジアを経済支援しつつ、中央アジアのイスラム主義運動が中国の新疆ウイグル地区に波及するのを防ぐことを、ロシアの了解をとりつつ進めるための組織だった。だがその後、911でNATOがアフガンに侵略し、その占領が失敗に向かうとともに、上海機構は、NATO撤退後のアフガンを中露主導で国際共同管理することが目的の一つになっている。NATOのアフガン撤退後、インド、パキスタン、イランというアフガンに関心を持つ諸国が上海機構に正式加盟を許されるだろう。そこにトルコも入る可能性が増している。インドが上海機構に入ったら、中国包囲網から事実上離脱することになる。 (India and the SCO: Can they tango?)
西アジアの全体で、米英の影響力が低下し、中露主導の上海機構の力が増すだろう。イランは中露との結束を強めて国家存続の可能性が増す。米オバマ政権は、イスラエル右派の妨害を振り切ってイランと和解したいようだが、その裏には、イランを制裁しても効果が薄れるばかりか、中露の利権を拡大して米国の不利が増すだけの現状がある。シリアもアサド政権が存続しそうで、これまた中露の傘下にある。米国やサウジが支援した反政府派(アルカイダ)はシリアの政権を取れそうもない。キッシンジャーは、シリア安定化のためロシアと協調せよと米政府に提案している。 (US needs to work with Russia to end Syria fighting - Kissinger)
オバマ顧問の米シンクタンクは最近、オバマの任期の4年間に、サウジアラビアの王政が、反政府運動の激化による国内混乱の末に転覆される可能性が高いとする報告書を出した。サウジ王政は昨年から、スンニ派の王政がシーア派の多数派国民を弾圧するバーレーンの混乱が飛び火して、表向き安泰に見えて実は危機の状態になっている。 (Brookings' Bruce Riedel urges intensified US support for Saudi despots)
世界最大の産油国であるサウジが混乱すると、石油価格の高騰など世界経済を混乱させるだけでなく、中東における米国の影響力が低下し、イランやエジプト系の反米イスラム主義が強くなり、これまた地政学的な大転換になる。中東北部のトルコやイランの転換、南部(アフリカ)のマリやリビアでのイスラム主義の台頭(内戦激化)と合わせて考えると興味深い。 (◆きたるべき「新世界秩序」と日本)
話が広域化しすぎたが、ユーラシア全域で、米国の影響力が低下し、中国の影響力が増しているのが見てとれる。EUも、ドイツが米国から金塊を引き出す決定をしてドルを揺さぶる半面、中国との戦略関係を強化しており、中露などBRICSと途上諸国が台頭する多極型の新時代への軟着陸をめざしている感じだ。米英覇権の中枢にいた英国ですら、儲けを失いたくないロンドン金融界が中国に働きかけ、オフショア市場最大の人民元取引市場をめざしている。 (ドイツの金塊引き揚げがドル崩壊を誘発する?) (Bank of England ready to set up first G7 yuan swap)
東南アジアでは、中国の台頭と米国の撤退によって自国周辺の政治バランスが変わることを恐れているフィリピンやベトナム、インドネシアなどが、日本の中国敵視策を歓迎し、日本が中国に対抗して東アジアの新たな政治均衡を作ってほしいと考えている。しかしその裏で、今後米国が財政破綻などによって東アジアでの軍事的影響を減じたとしても、日本が中国包囲網を維持するつもりなのか、各国とも懸念があるはずだ。東南アジアの後ろのオーストラリアでは、日本の中国包囲網提案に乗るべきでないとする提案が学者から出されている。 (Right now, we don't need an alliance with Japan)
すでに書いたように、最近の日本の中国敵視策は、対米従属維持策の一環であり、米国を軍事面で日本や東アジアに引き留めておくことが主目的だ。米国が軍事的に東アジアから撤退する場合、その後も日本が果敢に中国敵視を続けるかどうか、非常に怪しい。米国が出て行った場合に中国との関係をどうするかというシナリオ自体、日本政府は検討していないかもしれない。日本が、米国が軍事撤退するかもしれないという前提で対中国政策を考えるなら、そもそも尖閣紛争で中国と敵対するやり方をとらず、中国を批判しつつ協調するような、もっと微妙な策をとったはずだ。中国と敵対するなら、ロシアや韓国、北朝鮮に協調を働きかけることも必要だが、現実は逆方向だ。 (中国と対立するなら露朝韓と組め)
米国が撤退し、日本が事実上の対中無条件降伏をするような、みっともない結果にならないだろうか。かつて、欧米からの自立をうたった「大東亜共栄圏」に期待して参加したのに、日本の豹変的な敗戦で裏切られた経験を持つ東南アジアの人々は、それを懸念しているはずだ。最近の日本の、脇が甘い中国敵視策を見ていると、日本がいずれ窮して再びみっともない豹変をしそうだと感じられる。日本人自身の間に豹変の懸念が全くないことも、おのれを知る努力をしない戦略的脆弱さを感じる。 (◆一線を越えて危うくなる日本)
米国の金融再崩壊が来年起きるとは限らない。だが、米金融界は崩壊に近づいており、来年、市場が世界的に不安定さを増すことは間違いない。金融崩壊は、米国の覇権体制が崩れることをも意味する。崩れゆく米国の覇権にすがろうとして、日本政府は、米国が「辺野古に基地を作って普天間の部隊が移動できるようにしてくれないと、海兵隊を日本から撤退させる」と脅すのに押され、かつてない大きさの圧力を沖縄にかけ、辺野古の基地建設を進めようとしている。長期的に、米国の金融と覇権の崩壊は不可避だろうから、日本政府の今の対米従属の努力は最終的に無駄になる。沖縄の人々は68年前と同様、世界情勢を読めない東京の政府によって、無駄で過酷な苦しみを受けさせられている。 (従属のための自立)
尖閣で中国と対立するのは愚策
2012年10月11日 田中 宇
日本政府が9月11日に尖閣諸島の土地の国有化を決定し、中国各地で日本を非難するデモや集会が行われて以来、中国での日本車の販売が激減している。9月の販売台数はトヨタが前年同月比49%減、三菱が63%減、ホンダ41%減、日産35%減となった。日本と日本製品がこれだけ攻撃されると、日本車がいくら好きな中国人でも、日本車を乗り回すのにかなりの勇気が要る。売上不振は今後も続きそうで、10月から12月にかけて、日本から中国への完成車輸出が7割減、自動車部品の輸出が4割減になると予測されている。(中国で売る日本車のほとんどは、中国企業と合弁して中国国内で組み立てており、完成車輸出はもともと少ないが) (Sales of Japanese autos plunge in China on anti-Japan sentiments sparked by islands row)
これまで中国では、特に高級車の部門で日本車が好まれていたが、今回の減少は、高級車の部門で顕著だ。また中国市場では、自動車と同様に家電製品でも、日本製品の売上が急減している。ここで懸念されるのは、今回の件を機に、日本製品が中国市場で保持してきたブランド力や高級感、信頼性などが失われ、高級品の部門でさえ、日本製品が中国国内のブランドに不可逆的に取って代わられそうなことだ。 (Toyota to cut output in China by half)
多くの日本人は、中国製品の水準が日本製よりまだまだ低いと思っているだろうが、中国企業は日米欧企業の下請けとして技能を磨き、家電から自動車へ、単純製品から複雑な製品へと、中国のブランドは性能を急速に向上している。これまで中国の消費者自身のイメージの転換が追いつかず、中国でも「中国ブランドより日本(欧米)ブランド」と思われてきた。だが、今回の日本製品不買の動きを機に、中国の消費者の間で、中国製品がイメージ的に日本製品に追いついていく可能性がある。この転換が起きると、世界最大の中国市場での日本製品の販売が復活できず、日本経済に長期的な悪影響を与える。 (Japan economy shaky as island spat hits business)
中国政府は、消費や投資の分野における自国の巨大な市場が、国際政治の武器として使えることを知っている。日中間で領土問題の棚上げが(暗黙の)了解事項だった従来の政治均衡を、日本側が尖閣国有化で破ったことに対する中国側からの報復の中心は、軍事分野でなく経済分野で行われている。日本では、尖閣沖に中国の船が何隻きたかという軍事面ばかり喧伝されているが、それよりずっと重要なのが、中国が日本の経済利益を損なうために公然・非公然に発する経済制裁である。
もちろん日本側も、中国で作られた製品(コンビニやユニクロ)の不買運動を起こし、中国を経済制裁することはできる。だが、日本でそれを主張する人はいない。中国製品が買えないと、日用品から服、飲食店などの食品に至るまで、安いものが入手できず、物価高で多くの日本人が生活苦に陥る。中国人が大嫌いなら、町を歩いている中国人観光客をどやしつけて憂さ晴らしすれば良さそうだが、そんなことをする人もいない。日本の観光業界は、9月末からの国慶節の連休で中国人観光客が押し寄せると期待していたが、尖閣問題で大量のキャンセルが出て意気消沈している。日本は経済面で、中国に立ち向かえる状況にない。そうしたことを考えずに日本政府は尖閣を国有化し、案の定、経済的な打撃が拡大している。 (Chinese tourists give Japan wide berth)
「経済なんかより尖閣の領土の方が大事だ」と言う人がいるかもしれない。そういう人は早く中国製品不買運動を叫ぶべきだ。実のところ、最近まで日本政府は尖閣問題を棚上げしてきたし、多くの日本人が尖閣(や竹島)の存在すら知らなかった。10年ほど前まで、中国は政治経済軍事の全分野で今よりずっと弱かった。日本が中国と交渉するのも今より楽だった。尖閣が大事なら、日本政府はその時代に尖閣を国有化すべきだった。私が中国の台頭を予測する記事を書き始めたのは2001-03年ごろだ。私などよりずっと国際情勢を鋭く見ているはずの日本政府は、もっと前から中国の台頭を予測できたはずだ。 (アメリカを出し抜く中国外交 [2001年6月]) (静かに進むアジアの統合 [2003年7月]) (中国人民元と「アメリカ以後」 [2004年2月])
尖閣の近海の漁場では、かなり前から日本の漁船があまり操業せず、中国漁船が多く操業している。1970年代まで、日本の漁船は中国近海まで行って漁獲していたが、日本の人件費が上った最近は日本漁船が遠くに行かなくなり、逆に中国漁船が日本近海まで来ている。尖閣近海が日本に重要な漁場というのは間違っている。石油ガスなどの海底資源についても、尖閣周辺が宝庫というならさっさと開発を始めればよい。対米従属の日本政府は、米国の大手石油会社に気兼ねして、独自の石油ガス開発をする気がない。日本が尖閣周辺で石油ガスを掘る時は、日本が対米従属を離脱してアジア(中国)重視になる時だという皮肉な状態だ。
日本政府は、尖閣の領土が大事だから国有化したのでない。政治や経済(ドル、米政府財政)の面で、米国の覇権の揺らぎがひどくなっている中で、中国を敵として日米同盟(日本の対米従属)を強化する必要があるので、中国側が激怒するとわかっていながら、尖閣を国有化した。日本政府(官僚機構)にとって、経済と尖閣を比べると経済の方が大事だが、経済と対米従属を比べると、対米従属の方が大事だ。だから経済を犠牲にしても中国を尖閣国有化で怒らせた。
かつて日本の官僚機構は、対米従属ができなくなるので、日本が経済的に米国を追い抜かすことを嫌がり、1980年代末からバブル崩壊を意図的にひどくして、日本が米国を抜かさないようにした。官僚機構は、対米従属の国是を利用して日本の政治権力を握っているので、自国の経済が破綻しても対米従属が維持できる方が良い。日本は官僚独裁の国だ。独裁者は、自分の権力を守るためなら、国民の暮らしや経済を軽視する。
もう一つ尖閣国有化の具体的なタイミングとして存在したのが、米軍の新型ヘリコプターであるオスプレイの普天間基地への配備だ。8月まで、日本ではオスプレイ反対の世論が強まっていたが、9月に入って尖閣が国有化され、日中対立が激化して中国の脅威が喧伝されると、オスプレイ配備への反対も下火になった。沖縄ではほとんどの人々が強く反対し続けているが、本土では「配備に反対する左翼は中国のスパイ」という感じの、昭和19年的な言い方が流布した。おかげでオスプレイは無事に配備が進んでいる。
オスプレイが普天間に配備されると、中国の脅威への米軍の対抗力が強まるという見方があるが、それは対米従属用のプロパガンダだ。米国(日米)と中国が戦争するとしたら、主たる戦力はミサイルや爆撃機であり、急襲用の海兵隊はほとんど関係ない。日本政府によると、米軍は「中国が暴動などで国家的に自滅した場合、上海の米国人を救出するためにオスプレイが役立つ」と説明している。こんな言い方になるのは、中国が国家的に元気な状態で米国と戦争するケースでオスプレイが役立つと言えないからだ。中国が国家崩壊する可能性は非常に低いので、対中国でオスプレイが役立つ場面はほとんどない。
オスプレイが役立つのは、アフガニスタンのような飛行場が未整備で内戦状態の国だ。アジアで唯一そのような場所は、イスラムゲリラ(モロ解放戦線)が跋扈するフィリピンのミンダナオ島だったが、最近フィリピン政府はモロ戦線と和解する交渉をまとめた。オスプレイはアジアに不必要だ。 (Philippines, Muslim rebels reach peace deal)
米国が中国に戦争を仕掛けるとしたら、それを察知した中国がまず米国債の大量売却や、国際決済でのドル不使用の加速など経済面で米国を窮地に陥れようとするだろう。中国はすでに米国債を買い増すのを控え、日本やEUを含む世界各国と、ドルでなく人民元と相手国通貨での貿易決済の体制を強化している。中国政府が金地金を買い増し、人民元をドルペッグから金本位的な制度に移行することを検討しているとの指摘もある(今のところ非現実的だが)。米中が戦争するとしたら、軍事よりはるかに先に、経済が戦場となる。 (China Launching Gold Backed Global Currency) (China, Russia, and the End of the Petrodollar)
米議会は10月8日、中国のネットワーク機器メーカーの華為技術(ファーウェイ)とZTE(中興通訊)のルーターなどを輸入禁止にすることを決めた。米国で使われている両社のルーターが、サーバーのデータを大量に中国に送信するスパイ活動を行っている疑いがあるという。米当局は具体的なケースを何も発表しておらず、中国側は容疑を全否定している。中国を悪し様に言う傾向がマスコミで定着している日本では「中国がやりそうなことだ」と思う人が多いだろうが、米国が各地の敵性諸国に濡れ衣の罪状をかけてきた国際情勢をずっと見てきた私には、米当局がまた濡れ衣をかけているのでないかと感じられる。 (U.S. lawmakers seek to block China Huawei, ZTE U.S. inroads)
この例から、米国が中国に経済戦争を仕掛ける傾向を強めていることがうかがえる。今後もこの米国の傾向が続き、中国は米国の経済覇権を崩そうとする動きを強めると予測される。しかし、米中が軍事的な戦争をする可能性は(今のところ)低い。中国よりも米国の方が、来年初めから財政難がひどくなると予測されるなど、今後の経済の先行きが悪い。 (GOLDMAN: A Significant Tax Hike Is Coming, And Neither Party Is Even Talking About Stopping It)
米国各地で最近シェールガスが産出されていることを米経済の新たな強みだという分析があるが、これも危険だ。シェールガスは枯渇するまで百年持つと喧伝されているが、実際のところ10年未満で枯渇するとの指摘がある。百年持つというのは、シェールガスへの投資を増やそうとする詐欺的な言い方でないかと疑われる。米国はシェールガスへの依存を強めている。もし数年後に枯渇の傾向が顕著になった場合、米国は混乱し、経済と外交の戦略転換を迫られる(中国はエネルギー産出国でないが、中国と連携を強めるロシアやイランは産出国だ)。 (Get Ready for the North American Gas Shock) (North America Is Poised For Huge Natural Gas Shock)
経済を使った中国の攻勢に、親米諸国はどこも苦戦している。フィリピンが中国と領有権で対立している南沙群島問題も、フィリピン側が米国から扇動されて昨年から領有権の主張を強め、それまであった問題を棚上げする合意が破られた。その後、対立が激化したものの、経済面で中国がフィリピンを隠然と制裁し、フィリピンの財界が政府に対し、中国との関係改善を求める圧力を強め、政府上層部が親中国と反中国(親米)に分裂している。アキノ大統領は表向き反中国だが、裏で中国と交渉し、対立を解こうとしている。 (China splits Philippine politics)
最近の記事に書いたが、オーストラリアも、米国の中国包囲網を支持する傾向を弱め、米国よりも中国との経済関係を重視するようになっている。 (尖閣問題と日中米の利害)
台湾では最近、これまで反中国の牙城だった民主進歩党の謝長廷・元党首が中国を訪問し、非政治的な私的な訪問と言いつつ、中国側の高官と相次いで会った。謝長廷はこれまで中国を訪問した民進党幹部の中で最高位で、訪中は民進党の大転換だ。民進党は08年の大統領(総統)選挙に負けて下野するまで、台湾独立の目標を掲げる中国敵視の党だった。だが民進党は、中国の経済台頭、台中の経済関係の緊密化、米政府が台湾を見捨てる傾向の強まりを受け、中国敵視や台湾独立を掲げ続けて選挙に勝つことが難しくなった。今回の謝長廷の中国訪問は、民進党が再起のために「台独派」を切り捨ててノンポリ層を取り込もうとする動きを意味している。 (Key Taiwan opposition figure in China visit)
民進党が中国敵視の旗を降ろすことは、台湾が米国主導の「中国包囲網」から離脱していくことを意味する。台湾は尖閣問題でも、中国と同一歩調の「釣魚台(尖閣)は中華民国(中国)の一部だ」と主張し、日本との対立を強めている。台湾は、日本統治時代からずっと親日的な人々の島だった。40年前に日本が中国(中共)と国交し、台湾(中華民国)と断交した後も、台湾はずっと日本との関係回復を望んでいた。日本が中共を本気で弱体化させようと考えてきたのなら、まずできる限り台湾との関係に大切にして、米国が許すなら中共が怒っても台湾と国交を結び、同時に台湾に尖閣を日本領と認めさせておくべきだった。 (台湾の日本ブーム [1999年8月])
外交とか領土問題は、国家にとって長期の課題であり、10年や20年の歳月は短期間である。20年前(1993年)ごろから日本が腰を据えて本気で取り組んでいたら、台湾がふらふらと中国に吸い寄せられることも、尖閣問題で台湾と中国が結束することも防げた可能性が大きい。今になって「尖閣が大事だ」とか「中国の台頭を抑止せよ」とか叫ぶぐらいなら、前もって打つ手はいくつもあった。私は以前から「台湾は米国に見捨てられる」「台湾は中国の傘下に入る」と予測してきたが、台湾独立や民進党を支援する日本人から誹謗中傷されるぐらいしか反応がなかった。 (台湾を見捨てるアメリカ [2004年11月])
日本政府の真の目的は、中国の台頭を抑止することでなく、米国の中国包囲網に寄り添って対米従属を維持・強化することなので、政府の叫びは格好だけだ。中国と戦争するなら、日本は10-20年前から準備する必要があった。そうした道理は官僚機構も知っているはずだ。何も準備していないのだから、日本は中国と戦争しない。以前の記事に書いたように、中国側で日本非難が強まっているのも、実際の日中戦争と無縁の、国内政界の左派と中道派の対立のためだ。 (尖閣問題と日中米の利害)
反戦運動が生き甲斐の左翼の人々は、戦争が起こりそうでないと生き甲斐がないので「日中は戦争しそうだ。田中宇は甘い。戦争反対!」と言いたいだろうが、実際はそうでない。日本人は左翼も右翼も、自国周辺と世界の情勢をもっと見た方が良い。
中国は日本と戦争しないが、経済面で日本に被害を与え続けるだろう。数年前までの中国は、日本からもらいたい経済面の技術や知識が多く、日本に被害を与えるのでなく協調関係を優先していたが、中国は急速に経済技能を獲得し、日本に頼る必要性が減っている。対照的に日本は、市場の面で、中国の消費者を必要とする傾向が強まっている。このような経済面を見ると、日本が尖閣で中国と対立するのは愚策である。
中国では、尖閣問題で日本を非難することが、1945年までの「抗日戦争」の延長で語られ、抗日戦争が政治正統性の源泉である中国共産党を強化する役目を果たしている。日本が尖閣問題を煽るほど、中国では、多くの日本人が嫌悪する共産党政権が強化される。こうした点も、尖閣で中国を敵視することのマイナス面になっている。 (Unhappy anniversary)
日本人の多くは現状を「日本の窮地」と思っていないだろうが、今回の記事を読んで感化された人の中には「日本はこの窮地をどう乗り切るべきか」「自国の政策を批判して何も対策を考えないのは無責任だ」とか、急に考え始めて言ってくる人がいるだろう。対策は10年以上の長期で考える必要がある。尖閣は日本が実効支配しているのだから、これに対して中国が騒がないようにすればよい。中国側はトウ小平の時以来、基本的に尖閣問題の棚上げを望んできた。胡錦涛から習近平への政権交代が終わり、時間が経てば、尖閣問題は再び棚上げ方向に流れるというのが一つの予測だ。それが楽観的すぎるとしたら、日本側から中国側に、尖閣周辺での資源の共同開発など何らかの好条件を出し、中国側が尖閣を使った反日運動を煽動するのをやめるように持っていく方法がある。
従属のための自立
2013年12月4日 田中 宇
11月28日、沖縄の自民党県連が、普天間基地の辺野古移設問題に関して、これまでの公約だった「県外移設」「辺野古移設反対」をくつがえし、辺野古への移設を推進する立場に転向した。いつまでも辺野古移設に反対していると、危険でうるさい米軍の普天間基地が恒久的な存在になってしまうというのが転向の理由で、自民党県連は、沖縄の圧倒的な世論を背景に辺野古移設に反対している仲井真知事にも転向を呼びかけた。 (自民沖縄「辺野古」容認)
沖縄の自民党の人々は、ほんとうに辺野古移設が良いという考えに転じたのだろうか。そうではない。自民党県連が辺野古移設の容認を正式に決定した12月1日の総務会の後、県連の翁長会長が辞任を表明した。翁長会長は、沖縄の自民党員のほとんどが、今も辺野古移設に反対なのに、党として転向せざるを得なかったので、不本意な転向を受け入れた後、引責的に辞任することにしたのだろう。翁長氏の辞意はかたく、12月4日に辞任が認められた。世論調査によると、沖縄県民の7割が、自民党の転向に不満を感じている。 (県連会長引責辞任 強権への反発込めたけじめ)
自民党県連が辺野古移設容認に転向したのは、11月25日、東京の自民党本部から石破幹事長が訪沖し、沖縄選出の5人の国会議員と会談して移設容認を求め、5人が移設を認めてからだ。沖縄選出の国会議員たちが、自分たちを選んでくれた民意を無視して辺野古容認に転じたのは、石破氏が、これまでにない強い圧力で、民意を無視して辺野古移設を容認しろと求めたからに違いない。移設を支持しないと党として公認しないなどと恫喝したのでないか。沖縄の強い民意のため、これまで自民党の本部は、沖縄県連が党本部の方針に反して辺野古移設に反対することを容認してきた。しかし今、自民党本部は、沖縄の民意を尊重することもできないぐらい強く、普天間基地を辺野古に移設する必要に迫られている。 (自民県連公約変更、7割評価せず)
今回のように、日本が沖縄を恫喝して屈服したのは、歴史上何度もある。1870年代、明治維新直後の日本政府が、琉球王朝を無理矢理に廃止して沖縄県にした「琉球処分」や、古くは江戸幕府ができた直後の1609年、江戸幕府の承認のもと薩摩藩が琉球を侵略し、それまで中国の属国(冊封国)だった琉球王国を、日本の属国にした「琉球征伐」があった。自民県連の転向は、沖縄がいまだに日本の植民地である(逆に言うと、沖縄が、日本の他の地域のように地域性が死滅して同化されていない)ことを示した。 (沖縄の歴史から考える) (沖縄から覚醒する日本[その後覚醒などしてないが])
自民党、つまり安倍政権が、今後の沖縄での党運営に支障が出ると予測される、今回の琉球処分的な野蛮なやり方をしてまで、普天間基地の辺野古移設を強硬に進めねばならなかった理由について考える必要がある。11月23日に中国が沖縄前面の東シナ海を防空識別圏に設定したので、辺野古移設を急ぐ必要が生じた、と言う人がいるかもしれないが、それは違う。中国に対する米軍の防衛力は、基地が普天間でも辺野古でも大して変わらない。普天間を使っている米軍海兵隊は、世界に展開するための基地として沖縄を使っており、日本が中国に攻撃された時に、沖縄の海兵隊が先頭切って中国に反撃してくれるわけではない(後方支援ぐらいするかもしれないが)。 (日本の官僚支配と沖縄米軍)
普天間の辺野古移設問題は、米軍が沖縄から撤退していく流れの中で理解する必要がある。米政府は以前から、普天間基地の辺野古移設が進まない場合、沖縄の海兵隊をグアム、ハワイ、米本土に分散撤退すると、日本政府に対して言い続けてきた。在日米軍は、日本政府が駐留費の半分前後を、思いやり予算やグアム撤退支援費の名目で支払ってくれているので、日本に駐留しているが、米側は日本から金をもらってもまだ不満で、辺野古移設が進まないなら海兵隊は撤退だと言っている。 (日本が忘れた普天間問題に取り組む米議会) (官僚が隠す沖縄海兵隊グアム全移転)
金を出して米軍を引き留めている日本に対する米政府の不満は、近年増大している。米国は日本に対し、金を出すだけでなく、米軍と一緒に動ける体制を日本側が作ることを求めるようになった。そのため日本側は数年前から、防衛庁を防衛省に昇格させ、米国のNSCのコピーとしての日本版NSCや、米国の愛国法など防諜関連法のコピーとして国家秘密法などを作る動きを進めている。 (Japan's New State Secrecy Law Leading to Closer Involvement in US Military Build-Up Against China)
日本政府がNSCや国家秘密法の制定に力を入れるのをみて、国際的に「日本は米国の傘下から自立した強国になろうとしている」という見方が出ている。しかし、この見方は視野が狭い。日本が米国の傘下から出て自立したければ、中国が弱小で、アジアでの日本の相対的な国力が今よりずっと強かった1970-80年代にさっさとやっていたはずだ。この時代、米国は日本に自立をうながしたが、日本は対米従属を維持する道を選んだ。当時も今も、日本の権力は官僚機構+自民党で、全く変わっていない。 (Has Abe overreached on China's ADIZ?)
米国は、日本に防衛や外交的に自立を求め、自立しないと日米同盟を維持できないと言っている。日本は、しかたなく防衛力強化やNSC設立をやっているが、それらの自立策は、対米従属の維持のためだ。従属を続けるために自立するという、矛盾した策をやらざるを得ないのが近年の日本だ。 (Shinzo Abe under fire over plan for tougher Japanese secrets law)
米国は、日本に対して同盟を維持したければ自立しろ、防衛力を強化しろと求める半面、中国に対しても台頭を容認する姿勢をとってきた。ブッシュ政権時代には、米国が中国に対し、米中G2で世界を管理する世界体制を提案するなど、あからさまに中国の台頭を扇動した。東アジアにおいて、米国がグアムを通る「第2列島線」以東に撤退すると同時に、中国が沖縄の西、台湾の東、南沙群島の東を通る「第1列島線」まで影響圏にすることを許すという米中太平洋二分案も流出した。 (中国包囲網の虚実) (アメリカが中国を覇権国に仕立てる)
米国の政権はオバマに代わったが、中国の認識として「中国は第1列島線まで出て良い。米国は第2列島線まで撤退する」という流れが定着しているようで、それが今回の中国の防空識別圏の設定になったと考えられる。中国は南沙群島の方面でも、第1列島線までの範囲を防空識別圏として設定するつもりらしく、駐フィリピンの中国大使が、東シナ海以外の識別圏を設定する権利を中国が持っていると表明した。 (China's ADIZ Declaration Aiming for Island Chain Marine Strategy) ..Y2P4z20.3 +@JP2CNimp2 (Envoy says China has right to set another air zone)
米国から、日米同盟(対米従属)維持のために、数年前から自立を求められてきた日本は、尖閣諸島の国有化などによって中国との対立を強化し、日本が防衛力を強める必要性を増加させるとともに、日米が同盟して中国と対峙する構図を強化する策をとった。米国は「アジア重視策」という名の中国包囲網策を打ち出し、日本がそうした策をとることを誘導した。その一方で米国は、国連やWTO、COP(地球温暖化対策交渉の場)など、国際社会における中国の台頭を容認した。 (世界経済の構造転換)
米国が中国の台頭と日本の中国敵視の両方を扇動する動きは、今夏以降、さらに強まった。米国は中東でシリアやイランへの敵視を弱め、ロシアや中国が中東の影響力拡大(米国の中東不安定化策を抑止する安定化策)に乗り出してくることを容認した。日米は、10月3日に初めて東京で4人の閣僚が出そろった2+2会議(外相・防衛相会議)を開き、この場で日米同盟をさらに強化していくことを決めた。 (Dangerous Crossroads: US-Japan Talks Escalate War Preparations against China) (Sino-Japanese Territorial Disputes Could Pull the US into War in Asia)
これ以降、日本版NSCや国家秘密法の新設が本格化した。日本政府は、尖閣諸島に政府要員を配置する検討を開始したと、中国を怒らせる目的でマスコミにリークしたり、東シナ海を監視するレーダーを強化したり、「島を奪還する」軍事訓練をやったりした。 (China and Japan are heading for a collision) (Japan Weighs Strengthening Islands Claim)
そして同時期に、日米同盟強化のために出てきたもう一つの動きが、自民党が沖縄県連に圧力をかけて、普天間基地の辺野古移設を容認させることだった。自民党が、沖縄での党の先行きを無視しても、辺野古移設容認の圧力をかけねばならないほど、米国は「辺野古に移設できないのなら海兵隊を沖縄から撤退する」という強い圧力を、日本政府にかけたのだろう。
余談になるが、米国はこれと同じ粗野な圧力を、アフガニスタンの米傀儡的なカルザイ大統領にもかけている。米国が国家再建に失敗したアフガニスタンでは反米意識が強く、米国傀儡のカルザイ政権は、首都カブール周辺など国土の一部しか統治できず、残りはタリバンなど反政府武装勢力の配下だ。カルザイらアフガン現政権の有力者たちは、来年に撤退する予定の米軍に、駐留を10年延長してもらって治安を維持することで、政権の存続することを決めた。 (Afghan Jirga Approves US Pact, But Karzai Withholds Signature)
米国は駐留延長の条件として、米兵の不逮捕特権など(日本と結んでいるような)不平等な地位協定の締結を求め、アフガンの議会(ロヤジルガ)は協定を認めた。しかし、アフガニスタンでは来年4月に大統領選挙があり、再選を狙うカルザイは、有権者の反米感情を意識して、選挙後まで協定に調印するのを延ばしたがった。米国は、自国の傀儡であるカルザイの再選を望んで調印延期を容認すると思いきや、カブールを訪問したネオコン的な大統領補佐官スーザン・ライスは、カルザイに「すぐに調印しなければ、来年米軍をすべて引き揚げる」と言い放った。このやり方は、米国が安倍政権に辺野古移設をやれと強要したやり方と似ている。イラクは、日本やアフガンと同様の地位協定を要求されて拒否し、米軍はすべて引き揚げ、政治的にイランの傘下に、石油利権的には中露仏に接近している。日本は対米的に、イラク以下、アフガンと同水準の状況に置かれている。 (Susan Rice: Karzai U.S. may leave no troops in Afghanistan)
第1列島線まで影響圏を拡大してかまわないと考えている中国は、中東や国連などでの対米的な優勢を背景に、日米関係の強さを試す意味もあり、東シナ海に防空識別圏を設定した。日米が組んで米国と対決する、日本好みの構図が強められた。しかし、中東の動きを米国覇権の流れの先例としてみると、先行きは日本にとって良くない。中東では、米国が日本より重視してきた同盟国であるイスラエルが危機にさらされる、米イランの和解が具現化している。 (イラン核交渉の進展)
今後、米議会がイスラエルに引きずられるかたちでイラン制裁の解除を拒否し、半年後にイランと国際社会(米露中英独仏)が、今の暫定協定を本格協定に移行していく中で、米国がイランと和解しそうでしない展開が予測されるが、こうした流れは、米国以外の諸大国が勝手にイランと和解し、逆に米国が孤立していくことになる。イスラエルは米国をあてにできず、露中やEU(フランス)に仲裁してもらってパレスチナ和平をやらざるを得ない。米国の強硬姿勢は、米国自身と、しつこく対米同盟に固執する諸国の孤立と、世界の覇権構造の多極化を招いている。 (見えてきた中東の新秩序)
中東では、イスラエルが米国をイランやシリアへの空爆策に引っ張り込もうとするほど、米国は腰砕けになり、イランの台頭とアサド政権の延命を容認する結果になっている。この先例を日中間に当てはめると、日本が米国を中国との対立(戦争?)に引っ張り込もうとするほど、米国は、先日の米航空界に中国の防衛識別圏を守らせることにした措置に象徴される腰砕けになり、中国の台頭が容認されてしまう。
心配なのは、イスラエルに安全保障の的確な分析者が多く、イランとの自滅的な戦争を避けてきたのと対照的に、日本の安全保障関係者は対米従属のことしか考えておらず、中国とほんとうに戦争になってしまうかもしれないことだ。イスラエルが06年に、イランとの戦争の前哨戦であるレバノンのヒズボラと戦争してしまった時、動いてくれるはずの米軍は全く動かず、1カ月後にイスラエルは停戦に何とか持ち込み、不名誉な結果だが国家滅亡の大戦争に入らずにすんだ。日本が中国と戦闘してしまったとき、米軍が出てきてくれるとは考えられない。中国とうまく停戦できる外交手腕もない時、日本はどうするのだろう。またもや「無条件降伏」か、もしくは今度こそ「本土決戦」か。最もまずい点は、日本が中国と敵対する理由が対米従属のためだということだ。日本が本気で自立して、その上で中国と敵対するなら、それはそれで全力を傾注してやることになるので、国家の力がつく。
中国と本気で対立して日中間の経済関係を断絶すると、日本経済への悪影響が甚大になり、日本企業がどんどん潰れる。それなのに日本の財界は中国敵視で満ちている。財界人が、自社を潰しても中国と敵対すべきと思っているなら敬意を表するが、実際のところそんな財界人はいない。財界人は、本気で中国と対決する気などないのに、国内の官界や政界との関係性だけをみて中国敵視をやっている。
中国人民元は国際取引に使われる比率が増加し、今や世界の貿易取引の8・7%が人民元建てであり、ユーロの6・6%を抜いて、ドルに次いで世界第2の通貨になった。ドル建て貿易は81%だから、元はまだまだドルに匹敵しない。しかし、私が注目したのは、日本円の比率が1・9%から1・4%に低下していることだ。円はまだ世界第4位の通貨だが、人民元の6分の1しか使われていない。 (Yuan Passes Euro as 2nd-Most Used Trade-Finance Currency)
中国は、主要な諸国との間で、相互の自国通貨建ての貿易決済体制を組み、人民元建ての貿易決済を積極的に拡大し、アジアでは「元圏」を形成している。かつて日本も1980年代に、アジア諸国から「円圏」を作ってくれと頼まれた。だが当時の日本(大蔵省)は対米従属に固執するあまり、ドル決済体制のライバルになってしまう円圏の形成を拒否し、そこから今の低迷へとつながっている。日本が中国と本気で対決するなら、小さな島をめぐる対立を棚上げし、通貨体制を含む国際政治の場で、中国に負けない動きをした方が良い。それをやっていくと、対米従属から離脱せねばならず、中国との関係も、ライバルでありながら必要に応じて協調するようになる。