折々の記へ
折々の記 2014 ④
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】03/22~     【 02 】03/22~     【 03 】03/26~
【 04 】03/30~     【 05 】04/10~     【 06 】04/12~
【 07 】04/13~     【 08 】04/17~     【 09 】04/21~

【 01】03/22

  03 22 吉田松陰 9  良いことは学ぶとよい 喬木村の教育のために
           31  幕末関連史料、書籍紹介
           32  幕末関連史料、書籍紹介
           33  映画「獄に咲く花」特集!
           34  幕末 携帯待ち受け画像 配布
           35  幕末 ブログテンプレート 配布


 03 22 (土) 吉田松陰 9  

全体の目次 <http://www.yoshida-shoin.com/>

それぞれのサイトへリンクしてみると、吉田松陰についての膨大なデータを調べることができます。 これらのデータによって、喬木村の教育の在り方に取り入れたいものがあれば大いに参考にすることがいいと思います。
 吉田寅次郎(松陰)のこと 松下村塾門下生のこと
 01 吉田松陰について(年表) 22 松下村塾門下生について
 02 吉田松陰の生い立ち  23 幕末の風雲児・高杉晋作
 03 青年期(脱藩、下田踏海) 24 松下村塾の双璧・久坂玄瑞
 04 松下村塾主宰  25 松下村塾三無生・吉田稔麿
 05 吉田松陰の最期  26 初代総理大臣・伊藤博文
 06 吉田松陰の死、それから 27 元帥陸軍大将・山県有朋
 07 吉田松陰の足跡をたどる旅 28 日本大学の学祖・山田顕義
 08 吉田松陰関連史跡データ一覧 29 維新の三傑・木戸孝充
 09 我が兄・吉田松陰について 30 松陰史料、書籍、小説紹介
 10 吉田松陰の号について 31 幕末関連史料、書籍紹介
 11 松陰から門下生への手紙 32 幕末関連史料、書籍紹介
 12 吉田松陰資料室(直筆の書簡) 33 映画「獄に咲く花」特集!
 13 長谷川勤先生のブログ 34 幕末 携帯待ち受け画像 配布
 14 幕末維新・写真紀行ブログ 35 幕末 ブログテンプレート 配布
 15 吉田松陰語録アプリ! 36 「翔天隊.com」海援隊と陸援隊
 16 幕末志士群像検定アプリ! 37 幕末維新祭り(東京・松陰神社)
 17 「幕末志士検定」に挑戦!-
 18 「幕末人物肖像クイズ」に挑戦!-
 19 幕末志士関連グッズ紹介-
 20 幕末維新・動画チャンネル-
 21 幕末関連最新更新情報-

 吉田松陰の遺したもの 吉田松陰.comについて
 38 魂の遺書「留魂録」のすすめ 42 サイトの趣旨
 39 吉田松陰の死生観(留魂録) 43 RSS配信について
 40 吉田松陰の教え(松陰語録) 44 リンクについて
 41 国難の時、今こそ「草莽崛起」 45 管理人にメールする


  ※ 46 吉田松陰の教え~松陰語録~
    47 炎の遺書「留魂録」のすすめ
    48 吉田松陰の名文・手紙を読む
    49 吉田松陰関連史料・書籍・小説リスト
    50 吉田松陰関連史跡データベース
    51 「幕末志士検定」に挑戦!
    52 オンライン公開講座「特集・吉田松陰」



31 幕末関連史料、書籍紹介
     <http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/bakumatsu-bunko.html>

このページでは、多数出ている幕末に関する史料・書籍などを下記のようにジャンルに分けてご紹介します。カスタマーレビューも参考に書籍選びの一助として頂ければと思います。

下記分類をクリックすると、このページ内の該当部分へ飛びます。

   ①幕末を生きた人たちの証書に関する書籍
   ②幕末歴史散歩に関する書籍
   ③幕末に撮られた写真に関する書籍
   ④幕末を生きた女性に関する書籍
   ⑤幕末小説(または幕末小説に関する書籍)
   ⑥坂本龍馬に関する書籍
   ⑦中岡慎太郎に関する書籍
   ⑧西郷隆盛に関する書籍
   ⑨大久保利通に関する書籍
   ⑩幕末史に関する書籍&漫画


 その他の吉田松陰、松下村塾門下生関連書籍はこちら

 幕末関連雑誌、DVD、グッズを探したい方はこちら



32 吉田松陰関連サイト厳選リンク集
     <http://www.yoshida-shoin.com/shoincom/kanren-link.html>

ここでは、吉田松陰、幕末に関連する厳選したウェブサイトをご紹介します。

【吉田松陰関連】

   ● 松陰神社(山口県萩市鎮座)
   ● 松陰神社(東京都世田谷区鎮座)
   ● 松陰神社宝物館「至誠館」
   ● 志士達の春夏秋冬
   ● 松陰関係人物略伝(公益財団法人・松風会)
   ● 幕末歴史探訪(幕末と司馬遼太郎を愛する人たちへ)
   ● 幕末維新史跡訪問(中国地方編)
   ● 幕末の長州に関する史跡(龍馬が長州をゆく)
   ● 維新の先覚者「吉田松陰」研究のやさしい入門ブログ
   ● 吉田松陰遺墨帖(昭和16年天晨堂発行)
   ● 吉田松陰関係資料紹介(萩市立図書館)
   ● 維新史回廊(山口県文化振興課)
   ● 維新回廊だより(山口県文化振興課)

【松陰門下関連】

   ● 高杉晋作.com(高杉晋作)
   ● 晋作's world(高杉晋作)
   ● 蛤NET(久坂玄瑞)
   ● 木戸孝允館~醒めた炎~(木戸孝允)
   ● 松菊庵(木戸孝允)

【その他の幕末人物関連】

   ● 龍馬堂(坂本龍馬)
   ● 坂本龍馬と海援隊へようこそ(坂本龍馬)
   ● 中岡慎太郎研究会(中岡慎太郎)
   ● 翔天隊.com(坂本龍馬と中岡慎太郎)
   ● 敬天愛人(西郷隆盛)
   ● みねうち道(武市瑞山)
   ● 河井継之助紀行(河井継之助)

【幕末古写真関連】

   ● 幕末・明治日本古写真メタデータ・データベース
   ● 幕末明治期日本古写真超高精細画像(長崎大学附属図書館)
   ● 幕末・明治 天然色写真館
   ● 幕末維新館
   ● 古写真リンク集

【幕末に関する資料館・博物館】

   ● 幕末維新ミュージアム霊山歴史博物館
   ● 萩博物館
   ● 高知県立坂本龍馬記念館
   ● 中岡慎太郎館
   ● 西郷南州顕彰館
   ● 山縣有朋記念館
   ● 土方歳三資料館
   ● 河井継之助記念館
   ● 高山彦九郎記念館
   ● 伊藤公資料館
   ● 村田清風記念館
   ● 山口県文書館
   ● 山口県立山口博物館



33 映画「獄に咲く花」特集!
     <http://www.yoshida-shoin.com/monka/movie.html>

【作品について】

安政元年(一八五四年)長州、萩。「野山獄」にひとりの男が護送されてきた。生きて出られた者は誰一人いないこの牢獄に、希望を与え、その後の日本を切り拓いた男。彼の名は、吉田寅次郎。“幕末”は、この男からはじまった。

幕末―新しい世に突き進む激動の時代。

約260年の太平を築いた江戸幕府の終焉は、1853年の黒船来航から始まる。変革への大きな役割は、長州・薩摩・土佐などの雄藩と呼ばれる地方の勢力が担った。中でも長州。萩に藩庁を置くこの藩からは、伊藤博文、山縣有朋、木戸孝允、品川弥二郎ら維新政府の指導者を数多く輩出し、その後も脈々と、国家の礎となるスケールの大きな人物を生み出した。

何故、一時期にこんなにも優秀な人材が長州藩から生まれたのか?その答えは、一人の男の存在を抜きには語りえない。その男の名は、吉田松陰。藩の兵学師範の家筋に生まれ、10歳の時に藩主毛利敬親の御前講義を務めた俊英。私塾「松下村塾」を開き、多くの才能を見出し育んだ稀代の思想家、教育者。国を思い、故郷を思い、人を思ったこの偉人は、その思いも半ば、安政の大獄によって刑に処され、わずか30歳でその生涯を終える。

本作では、その短い生涯の中の一場面、藩の牢獄「野山獄」に収監されていた頃の日々を、同じく時代が故の罪状で収監されていた女囚、高須久の目を通して描かれる。海外渡航を企てるという途方もない大罪を犯し、故郷の獄へ送られてきた彼は、それでも自らの理想を信じ、日々を無為にするのではなく、学び精進し、人と関わり続けた。

「我らは皆、磨けば光る原石であります」

「大切なのは、あなたが今何をしているか、これから何をするのかが大事なのであって、過去にあるものではありませんよ」

その姿は、長く囚われの身となり希望を失った獄中の人々の、凝り固まった心を少しずつ溶かしていく。それはあたかも、野山獄の片隅で可憐な花を匂わせる樗(おうち:栴檀(せんだん)の古名)のごとく、であった。

清廉で一途で、常に人を愛して止まなかった吉田松陰。生涯、独身を貫きその思想に殉じた彼の秘史、久とのただ唯一の恋慕の情景は、淡きがゆえ美しく、儚きがゆえ力強く、観る者の胸を強く揺さぶる。

高須久を演じる近衛はな

主人公:高須久を演じるのは、注目の新進女優、近衛はな。父に目黒祐樹、母に江夏夕子、叔父に松方弘樹を持つ芸能一家に生まれ、脚本家としてはNHKドラマスペシャル「白洲次郎」シリーズを手がけるなど多彩な活躍を見せる彼女は、本作が映画初主演。また本作では、父、目黒祐樹との初共演も果たしている。

吉田松陰を演じる前田倫良

吉田松陰を演じるのは、男優のみで構成され「トーマの心臓」「ベニスに死す」等の演目で絶大な人気を誇る劇団スタジオライフの前田倫良。前作『長州ファイブ』での遠藤謹助役に続いて、故郷の英雄という大役を演じる。そのほか、神山繁、赤座美代子、池内万作、勝村政信、本田博太郎ら経験豊富な名優陣が脇を固める。

原作は、下関出身の直木賞受賞作家古川薫の「野山獄相聞抄(改題:吉田松陰の恋)」(文藝春秋社刊)。2009年6月、監督は、映画『必殺始末人』(97)『必殺!三味線屋・勇次』(99)やTVシリーズ「必殺仕事人2007」「必殺仕事人2009」、「鬼平犯科帳」、「剣客商売」などの石原興(しげる)。『長州ファイブ』(06)のグローカル・ピクチャーズ製作第2弾作品。

上映時間:1時間34分
公開年:2010年/製作国:日本/上映時間:1時間34分
配給:Thanks Lab
製作:グロ-カル・ピクチャ―ズ/「獄に咲く花」製作委員会/松竹京都撮影所
助成:文化芸術振興費補助金

※ 説明の画像がたくさんあります。



34 幕末 携帯待ち受け画像 配布
     <http://www.yoshida-shoin.com/keitai-machiuke.html>

携帯待ち受け画像をご紹介・配布します。 右クリックでいったん保存してから、画像を携帯に送信してご使用下さい(サイズは240×320です)。

(※加工・Web上での再配布は禁止です。ご友人に送信するのは構いません)



35 幕末 ブログテンプレート 配布
     <http://www.yoshida-shoin.com/blog-tenple.html>

ブログテンプレートをご紹介します。



36 「翔天隊.com」海援隊と陸援隊
     <http://www.shotentai.com/>

維新回天の最大の功労者である幕末志士・坂本龍馬と中岡慎太郎。 「薩長同盟」と「大政奉還」という歴史的転換は、坂本龍馬と中岡慎太郎のそれぞれの東奔西走の活躍により成し遂げられました。 当サイトでは、「海援隊」隊長の坂本龍馬と「陸援隊」隊長の中岡慎太郎の生涯・軌跡を画像と共に紹介します。

坂本龍馬のこと 中岡慎太郎のこと

 ●坂本龍馬について       ●中岡慎太郎について
 ●坂本龍馬の生い立ち      ●中岡慎太郎の生い立ち
 ●坂本龍馬の青年期       ●中岡慎太郎の青年期
 ●亀山社中設立、薩長同盟成立  ●五十人組結成、禁門の変
 ●海援隊発足、船中八策     ●薩長同盟、薩土盟約成立
 ●坂本龍馬の最期(近江屋)   ●中岡慎太郎の最期(近江屋)
 ●坂本龍馬の死、それから    ●中岡慎太郎の死、それから

 ●クイズアプリ「幕末志士検定」
 ●「坂本龍馬検定」(海援隊)
 ●「中岡慎太郎検定」(陸援隊)
 ●幕末維新紀行ブログ
 ●姉妹サイト「吉田松陰.com」
 ●幕末志士関連グッズ紹介

翔天隊のこと(海援隊、陸援隊)

 ●「翔天(しょうてん)隊」とは?
 ●海援隊について(発足から解散)
 ●陸援隊について(発足から解散)

※ 説明の画像がたくさんあります。



37 幕末維新祭り(東京・松陰神社)
     <http://www.yoshida-shoin.com/ishinmaturi/ishinmaturi.html>

毎年、東京・世田谷の松陰神社(商店街)で行われる幕末維新祭り。その様子を写真を中心にレポートします。


吉田松陰の遺したもの   吉田松陰.comについて

38 魂の遺書「留魂録」のすすめ
     <http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/ryukonroku-susume.html>

留魂録を読む

「留魂録」は、吉田松陰が処刑される直前に松下村塾門下生たちに向けて書いた、その名の通り「魂の遺書」だ。牢獄の中から、愛弟子たちへ切々と最後の訓戒を訴え、また、死に直面した松陰が悟り得た死生観を書き記したその内容は、格調高く、人間としての矜持に満ちており、読む者の胸を打たずにおかない。

事実、「留魂録」は、それを読んだ長州藩志士達のバイブルとなり、「松陰の死」自体とともに、明治維新へと突き進む原動力の一つとなった。松陰が、明治維新の事実上の精神的理論者とされる由縁だ。

吉田松陰というと、松下村塾門下生たちへの凄まじいまでの感化力からか、ドラマや漫画では、ある種の狂人的な描かれ方をされることが多い。人間を絶対的に信用した愚直なまでのその行動をみると、常人にはない突き抜けた一面を松陰が持っていたことは確かだろう。それが吉田松陰の魅力でもある。

「留魂録」の静かでありながら情熱的な文章を読むと、そんな松陰の、突き抜けた高い精神、志を肌で感じることが出来る。松陰門下の志士たちが師の遺志を継ぎ、歴史のうねりに次々と身を投じていった理由の一端がこの中にはある。

それだけではない。「処刑を前にして、生死を度外視し、あるいは死を望み、生を希求した後、転じて死を覚悟するに至る、揺れ動く松陰の心境が率直に語られている部分」などは、歴史上の偉人としてではない、人間・吉田松陰の息づかいも同時に感じることが出来るのだ。

数奇な経緯を経て、幸運にも松陰が書いた「留魂録」は現代に伝わり、現在、講談社学術文庫から廉価な文庫本としても出版されている。この文庫本には、原文と共に現代語訳文、注釈がついており、松陰の格調高い文章そのままに、平易で分かりやすい名文となっている。

訳注者は、幕末期の長州藩や人物を取り挙げた歴史小説・随筆などを主題の多くにしている山口県出身の直木賞作家・古川薫氏。松陰に対する理解、造詣が最も深い人物の一人であり、留魂録の現代文訳の適任者と言えるだろう。

また、巻頭には松陰が「留魂録」を記すまでの成立背景・事情を記した解説が、巻末には、松陰の足跡、思想の変遷を記した「史伝・吉田松陰」も併せて収録されている。そこからは、「単純な排外思想の攘夷論などではなく、欧米の情勢を把握し、先進文明を積極的に吸収しようと開明的な方向に視線を据えていた松陰の姿が浮かび上がってくる」。この本は、吉田松陰の多面的な人間像を知るのに最良の一冊と言っていい。

古川薫氏はこの文庫の「あとがき」でこう述べている。
「過去、私は吉田松陰の評伝も書いてきたが、多面的で巨(おお)きなこの人物の全体像を浮かびあがらせるのは、いかようにしても私ごときには至難の業である。むしろ、『留魂録』の原文をじっくり読むことが、松陰理解への早道であるかもしれない。歴史を動かした大文章に凝縮されたひとつの人間像をとらえるのに、その五千字が短すぎるということはないだろう」

炎の教師・吉田松陰から幕末志士たちに向けられた魂のメッセージ。拝金・功利主義社会を生きる現代の私たち日本人にも、訓戒を与えているのかもしれない。

「留魂録に見る吉田松陰の死生観」のページへ

「吉田松陰の教え(松陰語録)」のページへ

「吉田松陰の名文・手紙を読む」のページへ

39 吉田松陰の死生観(留魂録)
     <http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/ryukonroku.html>

吉田松陰の死生観(留魂録)

処刑直前に江戸・小伝馬町牢屋敷の中で書き上げられた「留魂録」。
全十六節からなるこの留魂録は、「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」という有名な辞世の句を巻頭にして始まる。
中でも特筆すべき第八節は、「松陰」の死生観を語るものであり、現代に生きる私たちの心にも強く訴えかけてくる行(くだり)である。

【第八節(現代語訳)】

一、今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。

つまり、農事で言うと、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ち溢れるのだ。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いた事がない。

私は三十歳で生を終わろうとしている。

未だ一つも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから、惜しむべきことなのかもしれない。

だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのであろう。なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。

人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。

十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。

私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。

もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。

同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。

(参考文献:古川薫著「吉田松陰 留魂録」)

  留魂録(全文 原文)PDF形式 http://www.yoshida-shoin.com/message/ryukonroku.pdf

  留魂録(全文 現代語訳) http://shashinsozai.blog97.fc2.com/blog-entry-127.html



40 吉田松陰の教え(松陰語録)
     <http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/goroku.html>

  吉田松陰は門下生たちに向けて、数々の名言、格言を残しています。
  これらの言葉は現代に生きる私達にも大きな何かを語りかけてきます。
  このページでは、吉田松陰の珠玉の言葉の一部をご紹介します。

吉田松陰の教え(松陰語録) 至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり
 (至誠をもって対すれば動かすことができないものはない)

志を立ててもって万事の源となす
 (何事も志がなければならない。志を立てることが全ての源となる)

志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず
 (志ある人は、その実現のためには、溝や谷に落ちて
  屍(しかばね)をさらしても構わないと常に覚悟しているものだ)

己に真の志あれば、無志はおのずから引き去る。恐れるにたらず。
 (自分に真の志があれば、無志(虫)は自ら引き下がるものだ)

凡(およ)そ生まれて人たらば宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし
 (人として生まれてきた以上、鳥や獣とは違わなければならない。
  人間は道徳を知り、行なわなければ人間とは言えない)

体は私なり 心は公なり 私を役して公に殉う者を大人と為し 公を役し
て私に殉う者を小人と為す
 (私を使役して、道を行なうことに心がける者が大人であり、反対に、
  私の欲望を満足させる事を目的とするものは小人である)

人賢愚ありと雖(いえど)も各々一二の才能なきはなし 湊合して大成
する時は必ず全備する所あらん
 (人には能力の違いはあるけれども、誰にも長所はあるものである。
  その長所を伸ばしていけば必ず立派な人になれるであろう)

死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし 生きて大業の見込みあらば
いつでも生くべし
 (死んでも志が残るものであれば、いつでも死ねばよい。生きて大事
  を為せるならば、いつまでも生きてそれをやればよい)

   ※「男児たるものどう生き、どう死ねばよいのか」という高杉晋作の
   問いに対して獄中の松陰が答えた言葉。

学は人たる所以を学ぶなり
 (学問とは、人間はいかにあるべきか、いかに生きるべきかを学ぶことである)

世の人はよしあしごともいはばいへ 賤が誠は神ぞ知るらん
 (世間の人にはいろいろなことを言わせておけばいい。私の真の心は
  神だけがを知っている )
今の幕府も諸侯最早酔人なれば、扶持の術なし 草莽崛起の人を望む外頼みなし
 (今の幕府も諸侯も、もはや酔っぱらい同然だから救いようがない。
  在野の人が立ち上がることを望む以外に頼みはない )

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置まし大和魂
 (身体は武蔵の地に朽ち果てるとしても、私の国を思う魂は永遠に
  朽ちることなくこの世に留め置きたい)

万巻の書を読むに非ざれば寧んぞ千秋の人たるを得ん
 (たくさんの本を読んで人間としての生き方を学ばない限り、後世に
  名を残すような立派な人になることはできない)

一己(いっこ)の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致すを得ん。
 (自分のやるべき事に努力を惜しまず働くようでなければ、どうして多くの
  人のために尽くすような立派な人間になれようか)

若し僕幽囚の身にて死なば、吾れ必ず一人の吾が志を継ぐの士をば後世に
残し置くなり
 (このまま幽閉されたまま死ぬ様な事になれば、私は必ずわが志を受け
  継ぐ人材を後世に残したいと思う)

松下は陋村なりと雖も誓って神国の幹とならん
 (松本村はひなびた寒村ではあるが、必ずや日本の骨幹となろう)

かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂
 (このようなことをすれば、このような結果になることを十分承知して
  いるが、大和魂が自分をそうさせるのだ)



41 国難の時、今こそ「草莽崛起」
     <http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/soumoukukki.html>

「草莽崛起」(そうもうくっき) ―団結、行動の時―

幕末の松下村塾主宰者・吉田松陰が用いた考えに、「草莽崛起」がある。「草莽崛起」とは「在野の人よ、立ち上がれ」という意味の言葉で、列強の外圧に晒された幕末の日本人に対し松陰が発した強烈な檄であり、メッセージであった。

「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし」(今の幕府も諸侯も、もはや酔っぱらい同然だから救いようがない。 在野の人が立ち上がることを望む以外に頼みはない)

上記の言葉は、安政の大獄により収監される直前に、松陰が書いた書状の中の一節だが、「幕府」を「政府」、「諸侯」を「行政機関」に置き換えてみると、現在の日本にもそのままあてはめることが出来るようだ。

今回の東北地方太平洋沖地震は、地震による想像を絶する大津波、それによって引き起こされた福島第一原発の大事故など、戦後日本が経験したことがない「未曾有」とも言える惨事、混乱を、現在進行形で日本に引き起こしている。避難中に母親と離れた少女が、瓦礫の町を前にして「お母さん、お母さん」と、繰り返し叫びとも嗚咽ともとれる声をあげている場面がニュースで放送されていたが、このような悲劇に対し、時の政府は有効な対策をほとんど打てないでいる。各行政機関、自治体も大きな混乱の中にあり、十全な対応がとれているとは言えないのが現状のようだ。

そんな中、海外メディアは、破滅的な状況に置かれているにもかかわらず、秩序ある冷静な行動をとり続ける日本人(被災者の方たち)を驚きと称賛の声で報じている。その声は、日本と外交対立を抱える中国やロシアを含む様々な国からもあがっているという。(以下、海外で報じられた報道、コメントの抜粋)

「武士道精神の日本が災難に打ち負かされることはない」、「日本独特の栄誉を重んじ、恥を知り、礼を重んずる特性」、「日本はいま、全世界のかわりに最も尊い試練に立ち向かっている」(台湾:中国時報)。

「日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする『人間の連帯』が今も存在している」、「ほかの国ならこうした状況下で簡単に起こり得る混乱や暴力、略奪などの報道がいまだに一件もない」(ロシア:タス通信東京支局長)。

「皆が冷静に秩序だって行動していた」「本当に強い国だけがこうした対応ができる」「こうした強さゆえに、日本人は世界で最も厳しい条件の国土で生き抜き、米国に並ぶ経済レベルを達成できたのだ」(ベトナムメディア:在日ベトナム人らの声)。

「大きな災難の中でも秩序意識を失わない日本人に驚きと敬意を表する」(アメリカ:ニューヨークタイムズ)

これらは日本人にとっては当たり前のことなのかもしれない。しかし、海外から称賛された被災地の方々がとった行動、その背景にある長い歴史の中で培われた日本人の精神や文化は、自分たちでは気付かないが、世界に大いに誇れるものだ。

深刻な事態に陥り、最も危険かつ過酷な現場となった福島第一原発に召集された自衛隊員、消防隊員、機動隊員、東電社員、関連会社社員たちは、すべての日本人の為、まさに「決死」の覚悟で任務や作業にあたっている。また、震災を免れた人々の間にも「自分に出来ることはないか」を考え、東北への支援の輪が、日に日に大きくなっているように感じる。国難を前にして「日本人みんなが助け合い、団結しよう」という機運が大きく高まっているのだ。

経済の見通し、復興の先行きなど、今後の日本の未来は、決して楽観視できるものではない。しかし、この国は有史以来、大災害や異国からの圧力、戦争などによる幾多の国難を乗り越えてきた。拝金、功利主義社会に傾いていた近年の日本だが、大きすぎる犠牲を経て、今また一つになろうとしている。必ず「日はまた昇る」。いや、「日をまた昇らせなくてはいけない」。

日本人が一つとなる機運が一時的なものではなく、継続的で、より大きなものへなるためには、何が必要なのか。日本がこの惨事から復活するためには、何が必要なのか。

「草莽崛起の人を望む外頼なし」(在野の人々が立ち上がることを望む以外に頼みはない)。

幕末に吉田松陰が発した日本人への檄は、今の日本に一番必要なことなのかもしれない。(2011.3)

  【参考】
   草莽崛起論(北山安生宛書簡)


【アジア諸国から見た日本】

幕末から明治維新、日露戦争という連綿と続く歴史を経て、現代の日本社会があります。
ブータン国王のスピーチは、日本はその過程においてアジア諸国に大きな影響を与え続けていたことを再認識させてくれました。
多くの人が感銘を受けたと思われる素晴らしいスピーチでしたが、あえてこのページにも掲載しておきたいと思います。

(2011年11月 来日したブータン国王・ワンチュク国王 日本国国会でのスピーチ抜粋)

・・・・・私は若き父(注:先代の国王)とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。

 このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。

 皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年数十年で失われることはありません。そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。

 ご列席の皆様。私はすべてのブータン人に代わり、心からいまお話をしています。私は専門家でも学者でもなく日本に深い親愛の情を抱くごく普通の人間に過ぎません。その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうということです。卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が、日本国民の偉大な業績と歴史を反映するにつけ、ブータンは皆様を応援し支持してまいります。

・・・・・





42 サイトの趣旨
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明治維新の原動力となった数々の人物を輩出した私塾として余りにも有名な「松下村塾」。そして、松下村塾出身の維新の立役者たち(高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、山縣有朋、山田顕義など)が、終生「師」と仰いだ人物こそが、「志」の人・吉田松陰その人です。

吉田松陰が松下村塾を主宰した期間は、わずか2年あまり。松陰は27歳という若さでした。後に非業の死を遂げ、明治維新の精神的支柱となるこの若き人物が、2年という僅かの間に発揮した感化力は、驚異的と言っても過言ではなく、歴史上でも類例がありません。

人間を絶対的に信用し、「至誠」をもって生涯を貫き通した人・吉田松陰。
彼が生涯貫いた姿勢は、現代に生きる私達にも大きな何かを語りかけてきます。

このサイトでは、一般的にはあまり知られていない吉田松陰の人生、考え、そして松陰の志を継ぎ、明治維新の立役者となった松下村塾門下生たちのことを分かりやすく解説していきます。「吉田松陰.com」がより多くの方に「人物・吉田松陰と松下村塾門下生たち」を知って頂くきっかけになる事を願います。

人 賢愚ありといえども 各々一二の才能なきはなし 湊合して大成する時は 必ず全備する所あらん

    人にはぞれぞれ能力に違いはあるけれども、
    誰でも一つや二つの長所を持っているものである。
    その長所を伸ばしていけば、必ず立派な人になれるであろう。
    吉田松陰「野山雑著」より



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2014年3月9日10時44分 金メダル狩野、原点は家族スキー 「自分変えてくれた」  ソチ・パラリンピックで、日本勢初の金メダルに輝いたアルペンスキー男子滑降座位の狩野亮(かのうあきら、27)。競技場には、支え続けた家族の姿があった。  北海道網走市出身。小学3年の時に交通事故に遭い、脊髄(せきずい)損傷で車いす生活になった。落ち込む狩野に、父の操さん(55)は「やりがいを見つけてほしくて、いろいろなことをさせた」。アーチェリーや車いすマラソン、車いすバスケット、水泳……。中学1年でたどり着いたのがチェアスキーだった。スキーは2歳の時から、中学校教師でスキーの指導員だった操さんから教わっていた。  チェアスキーを始めたころは、転んでは泣いた。もともとスポーツ万能。上達するとのめり込んだ。「両親がチェアスキーを与えてくれ、ふさぎ込んでいた自分を変えてくれた」。精度の高いチェアスキーを使うほどに、立って滑りたいとは言わなくなった。母の照美さん(56)は「あの子の笑顔がもう一度見たかったから」と振り返る。  スーパー大回転で金メダルを獲得した2010年バンクーバー大会の時より、上半身は一回り大きくなった。世界でもトップクラスの身体能力を誇る。  この4年で新しい家族が増えた。チェアスキーのシートを製造する義肢装具製造会社に勤める綾華(あやか)さん(25)と12年7月に結婚。綾華さんは、願掛けで日の丸や金メダルをイメージしたネイルアートを施してソチ入りした。画像を送ると、「気合入っているね」と返事が来たという。  金メダルは支えてくれた家族への恩返し。「早く家族に会って、『やったよ』って言いたい」(野田枝里子) 【特集】ソチオリンピック パラリンピック 記事一覧 この記事に関するニュース 狩野充実、再びたどり着いた頂点 パラリンピック(3/8) アルペンスキー鈴木、攻めて銅 パラリンピック(3/8) アルペン滑降・狩野が今大会初の金 パラリンピック(3/8) チェアスキー、「最強」日本を支える技 パラリンピック(3/8) 鈴木、滑降の公式練習で1位 パラリンピック(3/5) 2014年3月8日05時42分 家流されても、前見た3年 パラリンピック出場阿部選手  ソチ・パラリンピックに、東日本大震災の津波で自宅を失った高校3年生が出場する。スキー距離とバイアスロンの阿部友里香(18)。震災後、家族と離れ、下宿生活をして競技を続けてきた。「この3年間で、すごく成長できた」。培った力で初の大舞台に挑む。  生まれた時から左腕が自由に動かせず、ストックを持てるのは右手だけ。1日にソチに入り、練習を続ける競技場で「やってきたことを出すだけ」と話した。  岩手県山田町出身。母英美(てるみ)さん(47)は「みんなと同じように」と育ててきた。中学校ではバレーボール部に所属。コーチでもあった英美さんに仕込まれたが、「自分だけ動きが違うという思いがあった」。  転機は中2の冬、母の一言だ。「あなたみたいな人が出ているよ」。テレビに映るバンクーバー・パラリンピックで、同じ障害者が世界を相手に競い合う姿に、「いつかあの舞台で」と夢見た。日本代表チームの荒井秀樹監督(59)の連絡先をインターネットで探し、メールを送った。「私でも、できますか?」  中3の冬、荒井監督に誘われ、クロスカントリースキーを初めて履いた。前に進まず「向いてない」と思った。だが、荒井監督は「経験はなくても、バレーで鍛えた下半身があった。何よりも自ら連絡をしてくる行動力を持っている」と成長を信じた。  震災が襲ったのは、その3カ月後だった。家族は無事だったが、自宅は津波で全壊。その春、地元の高校に進んだら本格的に始めるために買ったスキー道具も流された。父は仕事で地元に残り、兄妹は学校のある宮古市に母と移った。  「スキーどころではない」。だが、夢は捨てられなかった。荒井監督に相談し、強豪の盛岡南高(盛岡市)に進学。下宿生活を始めた。練習は健常者の部員と一緒。筋力トレーニングはもちろん、悪路の山道を走ってバランス感覚を養った。片手しか使えないため、バランスを崩しがちだったスキーのフォームが、いつしか安定する。荒井監督は「弱音を吐かず、力の限りを尽くすのは、つらい震災を体験したからかもしれない」と話す。  「震災で失ったものはたくさんあるけれど、得たものも多い。スキーを通して多くの人にも知り合えた」と阿部。今大会中、震災3年を迎える。「頑張った成果を山田の人に見せたい。それが元気づける手助けになれば」(吉永岳央、松本龍三郎) テレビを見ていて、応援する側と思っていたら安倍選手の心根に激しく励まされました。 あさイチのゲスト六角精児 「オレ、はずかしい ! 」と一人神妙な表情でした。 涙が出ます。 ソチパラリンピック・阿部選手情報     2014年ソチパラリンピック 阿部友里香選手が出場!  3月7日に開幕する2014年ソチパラリンピックに、当町出身の阿部友里香さん(18)が出場します。出場競技は、クロスカントリースキーとバイアスロンで、本町からパラリンピック選手が出たのは初めてのことです。  阿部選手の大舞台での活躍に、皆さんの熱い声援をお願いします。 ソチパラリンピック出場を決めた阿部友里香選手 【阿部友里香選手プロフィール】  平成7年10月7日生まれ。山田町出身で、山田南小、山田中を卒業。中学ではバレーボールに打ち込んだ。22年12からクロスカントリースキーを本格的に始め、翌年4月に日立ソリューションズのジュニアスキークラブに入部。盛岡南高に通いながら選手生活を送っている。左腕にまひの障害がある。 ◎出場壮行会開催される(2月1日)  2月1日、町中央公民館で町民ら約200人が集まり「阿部友里香さんソチパラリンピック出場壮行会」が盛大に開かれました。「自分の力を出し切って、応援してくれる皆さんに元気と勇気を与えられるようがんばりたい」。水色の公式ブレザーに身を包んだ阿部選手が力強く宣言すると、「万歳」の声と拍手が沸き起こりました。 ◎クロスカントリースキーとの出会い  冬になるとアルペンスキーを楽しんでいた阿部さんは、2010年のバンクーバーパラリンピックでメダルを獲得した日本選手の活躍をテレビで見て感動。その選手が所属するスキー部のある企業・日立ソリューションズに自ら連絡して、経験のなかったクロスカントリースキーの世界に飛び込みました。  県立山田高校への入学を目前としていた平成23年3月、東日本大震災に見舞われて実家が全焼し、同校への進学を断念。雪が多く練習に打ち込みやすい環境ということもあり、内陸の県立盛岡南高校に進みました。  阿部さんは、持ち前の前向きさでめきめきと頭角を現し、昨年のジャパンパラ・クロスカントリースキー大会において5㌔クラシカル、5㌔フリーの2種目で2位、同年開催された障害者ノルディックスキー世界選手権スウェーデン大会においてもクロスカントリースキー・ロング・フリーで7位と、大成長。念願のソチパラリンピックへの出場を決めました。 <クロスカントリースキーとは>  クロスカントリースキーは、市街地や公園など様々な場所がコースとして設定されていて、スキー本来の目的である移動手段から発展した、全スキー競技の原点といえるものです。バイアスロンはこれにライフル競技が加わります。 高梨沙羅